童心になり楽しい一日をすごせた

松村御大の作品が今年も下関市美術展覧会。200数十名の出品のなかで4名の「特選」を昨年に引き続き受賞された。

それを鑑賞に行こうと計画して9時に農園に集まったのは重枝さん、加津恵さんと桂子ちゃん。


「花の海」の目的はコスモスと押し花展覧会。まさにコスモスの海にみんなでおお賑わい。押し花展では辻さん(私のお客さま)からみなさんにお土産を頂戴した。


次は、長府安養寺の道路沿い法面(のりめん)のコンクリート壁にFacebookで友だちの「アトリエミミック」さんが、コンクリートの汚れに水圧で(たぶん)描かれたクジラやフグにイノシシなどを見に行った。

すごいね!サインまであるね!楽しい作品!(掲示板ご覧ください)を楽しんだ。


長府庭園はアサギマダラを撮る目的。入り口で「アサギマダラはどこにいますか」と聞いたら「茶室の裏に一頭おりますよ」「うん?一頭?」蝶はそう数えることを教えてもらえた。私が撮った一頭を掲示板に載せました。


この企画に松村御大の奥さまが「ええね」と合流に手をあげておられた。御大はスペシャルオリンピックス下関が海峡マラソンコースの一部を清掃する催しに参加される。12時半ごろどこかのお店でランチをしましょうだったがテーブル席が取れない。それを貴美さんに伝えると「私が弁当をつくります。豊功神社で会いましょう」

この海峡を眺めて貴美さん弁当を食べる企画に、福村夫妻と村田さんもくわわり9名が酒を飲まないのにおお賑わいで弁当をいただいた。福村ママのフルーツに加津恵さん手づくりスイーツ。リモート勤務でメタボ街道まっしぐらの重枝さんは「明日からダイエット」でベルトをゆるめて食べた。


美術館。御大作品前に撮影禁止のストップをかける職員さんが座っておられた。

この特選作品を描いた本人と親族が集まりましたから撮りますからとカメラ許可を得た一枚。


LINE友だちの淳貴君作品「返事」も大きな作品になっていた(掲示板)


子供のように一日楽しく遊んだ。みなさんお世話になりました。

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あだち美術館更新しました

美祢市から海抜数メートルの萩市に一気にかけ下る雲雀峠。

冬場、山口県で一番運転が危険な場所になっている。下り坂は左右山に囲まれており、凍結や積雪がなかなか融けない。くわえてカーブに橋がかかっている。ここでブレーキを踏んだら間違いなくスリップする。

峠の頂からギアレンジを②か①に落としてエンジンブレーキだけでくだる。


峠の気温、今朝6時前は3度。愛車のタイヤは来月末にスタッドレス交換。


古希のポストカード。古希「人生の車窓」。もうひとつは「古希ウォーク」。


近いうちに歩く。

「道の駅みとう」をスタート、ゴール。晩秋の秋吉台を歩く。

70歳でこの健脚コースに挑もうとする気持ち。完歩できるかどうかわからないが挑もうとする体力の両輪が整いつつある。


その足づくりに付き合わされている愛犬たち。朝夕しっかり歩いている。


「車窓」はブログで公開できないかを重枝さんに問い合わせている。400字詰め×110枚。


明日からの「あだち美術館」更新しました。

「イギリスの旅」2週間。加津恵さんありがとうございました。またご登場お願いします。

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笑ったり泣いたりの金曜日

9時、清末「レストラン卯」月末の集金。毎月、封筒に入れて準備してくださる。


花の海に「押し花展覧会」お客さまが見事な作品を出品されてお誘いがあったので鑑賞させたもらった。


岡本拓也さんお母さんお別れ。


山口市井筒屋5階のパステル画展覧会鑑賞。LINE友だちの淳貴君の先生ご夫妻展。

日曜日に重枝さん・加津恵さんと桂子ちゃん私で下関市立美術館の催しに松村御大の50号油絵と淳貴君のパステル力作が掛かっていると教えてもらった。


衆議院の不在者投票。


岡本のお母さん。

不謹慎かもわからないが、きょうはお別れに行った。

耳元で「わかるじゃろうが、あだちが来たで!」と言うと目があいた。

母が96歳で逝くとき看護婦さんが「反応はなくても聴いていますよ」と言われた。


お母さん!毎年たくさんお味噌をありがとうございました。京都の娘にまでもありがとうございました。

岡本の山にタケノコ掘りに連れて行ってもらって楽しかった!

済生会病院から退院の仮装宴会は笑いましたね!


月曜日の早朝お届けしたとき、冬は玄関を暖めて私を待ってくださり嬉しかった。


廊下に聞こえるぐらい大声で耳元にお礼をたくさん申し上げた。


これまでは「また来るから」と部屋を出ていたが一礼して出た。


今朝の農園そばの厚東川対岸。

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健康志向と健忘症の古希です

5時半前に農園を出た。しばらく走っていたら家内から電話「柿を渡すのを忘れた」と。農園渋柿を甘くした数個を「届けて」と、昨夜は添える手紙まで書いていた。

農園を出るとき「忘れ物はないか」と何度も背中に声をかけたその本人が忘れていた。古希の私と姉さん女房の現実。

電話で引き返す距離ではなかった。


朝の唐戸魚市場。この店に有明海のアサリがあったら必ず買った350円。常連になったのは買うとわざわざ新鮮な海水(蛇口がある)をビニール袋に入れてくれる。

細身で高倉健のように帽子をかぶって、アサリを渡すとき帽子をとって「いつもありがとうございます」と会釈をしてくれた。たまに海峡を眺めながらウッドデッキに腰をおろして一服している後ろ姿を見た。

その店が撤去されていた。もう会うことはなかろう。アサリだけはあの店で買った。


内日(うつい)の配達先。そこは道なりは右折の反対左折しなければならない。

先週、道なりに右折してお届けできなかった。過去何度もあったチョンボ。きょうお詫びに声をかけたらばあちゃんが「あんたーなんぼかね(歳を聞いている方言)」と「古希です」と言うと「しょうがないわいわ」と。


彦島の冷凍会社「今月で退職します」と。まだ定年退職ではなかろう女性「何年のお付き合いでしたか」と私が聞いたら「20年ですよ。ありがとうございました」と。


火曜日のテレビ「朝いち」でお酢が体によいと話題が盛り上がった。そこで「黒酢」を夕方買った。


きょうのお届け先で黒酢談義「母は、父親の体によいとお酢とはわからないほどを長年料理に使っています」知らないうちにお酢の効能を受けている幸せな主人も。


今朝の海峡です。

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この仕事が楽しくてしかたがない

水曜日と木曜日。今週は月末の集金もあり3日連続の下関市。その初日。


たまごの配達を20年、年間走行距離は6万㎞以上も走りながら、たまごと元気を届けるのが私の仕事と思っている。「元気」の二文字は抽象的になるが、お客さまとできるだけ会話を交わすこと。できるだけ同じ時間(ほぼJRなみの定刻)。お届け先に着くまでに会話の内容を想定してみる。


きょうお礼を言われた。毎週の話題のなかで「歩く」ことを何度か聞かされて、毎朝ウォーキングを少しですが始めています。気持ちも体調もずいぶんよくなりましたと。

たまごをお届けする会話のなかで私は育ててもらっている。


農園のガスレンジ。焼き魚グリルの炎が半分しか点かなくなった。長く使っているので買い換えようと昨夜サイズを計った。

たしかに10数年使っているから捨ててもよい。美祢市のホームセンターに午後立ち寄り商品を選んでいたとき、毎朝磨いたレンジを捨てるより修理ができたらよいとうかんだ。


ホームセンターのすぐ近くに土曜日の配達先「河村プロパン」がある。

農園には電力は届いているが水道や電話回線はない。ついでに新聞配達も断られた。

農園のガスレンジは、5kgボンベをふたつ用意して美祢市の「河村プロパン」で充填をしている。


そのご縁で「たまご」と「アルミ缶回収」でも仲良くなった。


捨てる前にこれをやってみなさいとプロの指導を手書きの図解で受けた。農園に戻りそれをやったらグリルに炎が走った!


きょうの一枚は干し柿。このお宅の風物詩。

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ヌートリアよお前は悪くはない

深夜の1時。部屋が寒くて目があいた。暖房をつけたらすぐに夢の中。3時に起きたとき「きょうは土曜日」と本気で思いこんでいた。古希がちかくなると驚くような錯覚の世界がひろがってくる。


農園、今朝の外気は5度。宇部市の最高峰「荒滝山」から農園に上空の冷気がおりてくる。焼却ゴミを焼くと煙が冷気に押されて川面に下りていく。犬と歩いていると冷気がスーッと体を包み込む場所がある。

宇部市でありながら毎年冬に氷点下6度や8度まで冷える。最高に冷えたときは氷点下10度を体験した。鶏が50羽ちかく死んだ(寒くてかたまり圧死)


農園の橋からヌートリアを撮った。


外来種でカメやザリガニにタニシなど嫌われもの。ヌートリアやマングースも同じこと。

嫌われても、かれらが自分から海を渡ってきたわけではない。連れて来られて嫌われている。


満州派兵のころから兵士の防寒として毛皮が重宝された。飛行兵も防寒として毛皮が必要だった。

ネズミの親玉ヌートリアを南米から国内に入れて繁殖して毛皮の増産をした。

岡山にその拠点があったのではなかろうかと私が思うのは、岡山県の河川でヌートリアはたくさん見かける。

終戦をむかえてお役ご免のヌートリアは放された。今は主に中国地方の河川で繁殖して夜な夜な畑を荒らしている害獣指定になっている。


目の敵にされているマングースやジャンボタニシに罪はない。ヌートリアにも反論がある。


戦時中に「供出」があった。穀物や野菜などを戦地に届けるために強いられた。「供出」は家庭で使う鍋釜の鉄や神社や寺の釣り鐘や銅像まで兵器になった。


空襲で動物が逃げてはならないので処分命令。上野動物園のゾウ「花子」に餌を絶って餓死。花子はいつもの芸をして餌をもらおうと懸命に芸をやりながら死んだ。


ヌートリアだけでは毛皮が足りず「犬の供出」があった。飼い犬や野良犬を捕獲して毛皮にした。犬の頭を一撃するハンマーを持った人たち町にあらわれる。


ヌートリアの害はある。そこは対処がいると思うが外来種が市民権を得てきた歴史から見えてくるものがある。

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藤中隊長を祈った月曜日

毎朝のかしわ手に「藤中さんの手術が無事に終わり、術後の経過も順調で早く元気に退院できますように」と祈りを込めた。


写真は4年前、藤中さんと「あけぼの珈琲」で初めてお会いしたときの一枚。


岡本拓也さんが飾っている「駄菓子屋」の細かい絵に心を奪われた「どなたの作品ですか」と尋ねて藤中さんをFacebookで探して「その絵が欲しい」と連絡した。彼は駄菓子屋、私はお礼のワインが初対面。


長話はしない私が腰を落ち着けた。彼が「なぜこの駄菓子屋が欲しいか」と聞いたから。


中学生のとき通学路に駄菓子屋があった。腰の曲がったばあちゃんが店番。なかに入りばあちゃんに店先の「ヨコヅナ」「カリントウ」など計り売りを頼み、ばあちゃんが計りにかけてグラムをみて紙袋に入れるまで奥の駄菓子をポケットに詰め込んだ。それを何度かやった。やめたのは、ばあちゃんの「ありがとう」の笑顔だった。


高校生になり、ずっと駄菓子屋が心の釘で刺さっていた。

謝ろうと腹を決めて駄菓子屋に行ったら店はやめていた。ばあちゃんの代でおわったのかもわからない。


藤中さんは小説を書くらしい。来週もここで、この時間で会おうそのとき小説の代表作をコピーで渡そう。小説は自分が体験したことか、人が体験したことを丁寧に聴いて、それを土台に作品構成をする。あなたの体験はとてもおもしろい。と身を乗り出してきた。私の人生を、初対面のサングラスに軽卒にもざっくりと話してしまった。


彼が「それで」「それから」と私が人に話したことがなかった場面を引き出した。

私が一歳と思われる。母がこま犬の前で最高の笑顔で私を抱いている。夏の写真。

私の父親を一度も語らなかった母に「ここはどこかね」と写真を見せると「忘れた」だった。

晩年に混濁した意識のとき写真を見せて「どこかね」と聞いたら「乃木神社いね」と笑顔になった。

すぐに乃木神社のこま犬に会いに行った。ここで笑顔の母を撮ったのは会ったことはない父親と思う。


翌週の「あけぼの珈琲」藤中さんが「書いた」と短編小説「壇具川」は、私を育てますと母が男性と別れの壇具川ストーリーになっていた。


「阿弥陀町の幽霊」は力作で読みごたえがあった。


呉明美さんがグリーンモールでカヤグムと高音ヒッュテ(横笛)コンサートを催された。開演直前に藤中さんが会場に入られた「足立さんが応援する企画なら」と。私も彼が企画する催しは参加してきた。


長府で通り名は「カバ隊長」壇具川のキャンドルナイトをはじめた。ホタルを壇具川に呼ぼうと川の清掃。時代祭や長府の街で隊長として名を馳せている。


昭和26年生まれのご同輩。


きょうは8時間の心臓手術。

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古希ウォークの準備

今朝の農園上空。山から大音量でシカが鳴いていた。


今朝はたくさん選択肢があった。それを決めなければならない。

大きなタッパに数種類の野菜をきざんて家内はおいている。それと豆乳に納豆とヨーグルトに小さいバナナ。それにするか好物の味噌ラーメンにモヤシ大盛で「食べるラー油」をたっぷりにするか。

おおいに悩んだあげく味噌ラーメンはやめた。


常盤湖をぐるり大回りは決めていた。そのあと9時40分から上映「燃えよ剣」2時間。それとも湯田温泉「温泉の森」かも悩んだ。

燃えよ剣は娯楽映画ではあるが、私が新撰組や維新に関心を持った司馬遼太郎。温泉の森のジャグジー湯も入りたい。

3番目もあった。防府市の上田さん(恩人)に「人生の車窓」CD初版を届ける。


🔶「車窓」のプリントアウトは3人の子供。CD版11章は400字詰め110枚。お世話になったみなさまにお届けします。


常盤湖の遊歩道は6㎞。

40歳はじめのころ、続けることの大切さを鍵山秀三郎先生に教えられ、会社内外の掃除と常盤湖の6㎞を歩くことを始めた。

45歳のとき「旬の旅」と称して南宮崎駅から肥後高森駅まで250㎞を1週間で歩いた。


古希のポストカード・「人生の車窓」は終えた。あとひとつやりたいことは「古希ウォーク」

スタート・ゴールは「道の駅みとう」で秋吉台を10時間~12時間ぐらいで歩く。

その足慣らしで常盤湖を歩きながら「映画」「温泉」「上田さん」の三択。


私の人生は上田さんとご縁があったからの今がある。映画と温泉と上田さんを天秤にかけては申し訳がないとわかった。


上田さんのお宅に行き「初版です」と手渡すことがてきた。


小郡の「ヒマラヤ」でディバックを買った。靴は1ヶ月前に買った。ズボンとヤッケは45歳の旬の旅で使ったもので歩く。

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萩市で夜明けの土曜日

土曜日の夜明けは萩市。玉江の松本川河畔から撮った。


火曜日の9時過ぎは山口市。糸賀会長(美容室ニュースタイルグループ本社)が10年以上も前から私を待っておられる。昔のように日本酒をコップで飲んで一升瓶を転がして騒いだ勢いは失せて私は古希。会長はふたつ先輩(松村御大も)。


数年前から透析が週に3回の生活をされながらビジネス最前線におられる。

20~30分ぐらいお茶をいただいて歓談タイム。なんとなくのルールは「昔はよかった」の話題はしない。これからを話題にしている。


今週の話題は会長からはじまった「聴力がとても落ちた」それを言われなくても知っている。

会議や数人との会話のなかで、例えば「ありがとうございます」が、最初の「あり」が聴こえて最後の「ます」が聴こえて、あいだが聴こえないようなものをいつも感じるようになった。

つまり会話に自分が入ることができないもどかしさがある「目が不自由な人の気持ちがわかる」と赤裸々に心境を話された。


故人になった配達先のおじいさん。私に話された「地域の寄り合いに出ても聴こえん。皆さんが笑っても、その笑う意味がわからない」と。

70万円もの補聴器を買われてすぐにお亡くなりになった。


私は老眼鏡を買ったきっかけは、広島まで数十分の新幹線に乗ったとき、暇つぶしに買った週刊誌が読めなかった。


生まれた命はどんどん「できること」が増えていく。それが「できないこと」が増えていくフェイドアウト。


犬が2頭の生活。きょうは朝夕の合計で120分歩いた。老犬は途中で帰りたいと訴えた。

古希ウォークにむけての足の鍛練。10時間は歩けると思うがもう少し犬と歩いて自信をつけたい。


「あだち美術館」2週シリーズのイギリスを掛けおわりました。Facebookでは明日ご案内します。どうぞお入りください。

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犬とたくさん歩いた金曜日

水曜日と木曜日は下関市。とくに木曜日の配達は後輪のタイヤが少し平らになるほど積み込んでいる。カーブは減速しないと重さでバランスを崩す。


木曜日、クタクタで戻り車から降りたら愛犬が「さぁ歩こう」と腰をあげて尾を振っている。

長年、犬と生活をしているおかげで私の生活リズムが整っている。

朝夕の散歩は私の健康維持には必要。くわえて農園はとても空気がよい。


きのう夕方。疲れていたが渋柿も収穫しておかないと熟したらカラスの餌になるだけ。取りやすい枝を選んで40個ぐらい取った。


芯をペンチで抜いてその小さな穴にウィスキーを少し垂らして10個ぐらいを透明ビニールに入れて密封。1週間から10日ほどでとても甘くなる。私は完熟になったぐらいが大好き。


今朝は太秦教会の秋大祭にお供えをふた梱包ヤマト便で出してからあれこれと用事を昼までに済ませた。

「人生の車窓」400字詰め原稿用紙の様式に11編を流し込み、ノンブルは通しで最後は110ページ。各章ごとに右端に「柱」も入れてもらった。

私の控えと子供たち合計4部のプリントを受け取り、CDに50枚焼いてもらうお願いをした。


「道の駅みとう」をスタート・ゴールで秋吉台を歩く計画をしている。完歩を目標としないで70歳の体力で楽しみながらを目指したい。

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矢野社長との思い出

掃除に学ぶ会が、岐阜県恵那市の大正村で発足したのは20数年前のこと。

それからまもなく広島の井辻さんは、おそらく発足時にメンバーだった黒田先生(脳力開発)経由で会を知られたのではなかろうか。

私は山口市でYellow Hat店のオーナー垣内さん(故人)とご縁があり、井辻社長を紹介していただき掃除に学ぶ会があることを知った。


同じ時期に鍵山先生を知った全国各地の人たちが講演依頼をされて鍵山先生は全国津々浦々お掃除で心をみがきましょう。社風・家風をよくしましょうとご自身の体験を話され、それを聴いた人たちが各地で掃除に学ぶ会を旗揚げした。ひとつの火が次々と全国にともされた。


その当時にインターネットはない。各地で会を催している仲間たちは互いの活動を知る術がなかった。

そこで「年次大会」と銘打って仲間を呼び交流して研鑽する行事がうまれた。


私は「宇部掃除に学ぶ会」として全国各地の年次大会に参加した。そのなかで中村勝子先生とご縁がうまれ「ともちゃんの銀メダル」を刊行。山口県にスペシャルオリンピックスを旗揚げするお手伝いまでできた。


鹿児島の鎌田社長とは年次大会のとき、温泉でお掃除を中心に生きていく醍醐味を背中を流しながら教わった。


写真の右。大分Yellow Hat社長の矢野さん。私が尊敬しているひとり。

鍵山先生(Yellow Hat社長)とご縁があり「この方を生涯の師と仰いで生きていこう」と決心された出来事を聞いた。大分県と熊本県にYellow Hat店を展開されている。


矢野さんが「中津に加来さん(桃屋甚平・和菓子店)が掃除の会を立ち上げるから協力してほしい」と要請があり発会から中津通いをした。松村御大も誘って便器を磨いたあと、その手で蕎麦の手打ち体験など加来さん、矢野さんにお世話になった。


ナザレ園創始者の金龍生ご夫妻を1週間。九州の旅のとき私は運転手をした。鍵山先生と鎌田社長がすべて宿はセッティング。

大分県に入ると矢野社長が同行してくださった。中津のYellow Hat店がオープンという日も国東半島の案内をしてくださった。


各地の活動を知りたいという声が大きなり「情報誌」として清風掃々という機関誌を発行する役目にもなった。


ネット社会になり知りたい情報が受け取れるかのように錯覚の時代と思う。

矢野社長や鎌田社長は顔を付き合わせて、温泉で背中を流しながらお掃除仲間になった。


「👍」ではない、対面して手を握りあう場面で私は育てていただいた。

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古希仲間の藤中隊長を握手で激励した

3時半ごろヘッドライトを点けて愛犬散歩。はじめに歩いた「ゆきちゃん」の首から背中の毛が逆立った。動物の気配を察知した。ライトで四方を照らして見ると宝石のように輝く目がふたつこちらを見ていた。その色からタヌキと思った。

「ハッピー」のときも宝石はあったが老犬は全く反応なくウンチを済ませた。


5時半に下関に向けて農園スタート。暗い時間に走るとき気をつけなければと思うのはイノシシやタヌキなど動物の飛び出し。私の車はボンネットがないのでイノシシと衝突したら運転席まで破損するかもわからない。早朝に大きなシカが目の前を疾走して横断したときは危険だった。スピードはとくに控えて走る。


国道2号線、船木から厚狭のあいだはイノシシが車に衝突していることがよくある。

今朝の現場は凄惨だった。60kgぐらいのイノシシが道路脇に大出血で絶命。路上にも1頭がひかれており路上はその血で染まっていた。走行の車輌は減速して通過した。


淳貴君ご家族が厳島神社とヒゲダンを日曜日に楽しまれた。宮島銘菓をお母さんからお土産で頂戴したのは「ちょぼハウス」。


きょうの一番大事なメニューは藤中隊長と会うこと。一度、夜間に救急車の世話にもなった心臓を治療するために22日入院。25日が手術(8時間)ということ。

岡本拓也さんのご縁でおつきあいは4年になった古希仲間。冗談を交えて激励。握手で再会を約束した。


今朝、牧君から「ぼつぼつ帰国します」と凱旋門に添えられたLINEが届いた。


いま大島の宮田農園から今月の野菜が届いた。

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ベルギー通信

親友というより家族と思っている牧君。

ヨーロッパをかなりの日数放浪している。今朝LINEで届いた写真はベルギーから。小便小僧ならぬ小便少女像があったと添え書き。


Facebook投稿。淳貴君の「厳島神社に虹」と「みなさんおはようございます(あだち美術館)」の両方に「👍」が50ちかく頂戴したことが嬉しい。


もうひとつ嬉しかった火曜日の出来事。

山口市内の保険会社。4階オフィスは加津恵さんお届け。6階にもお届けがある。長年の配達でエレベーターを使ったことはない(余談)


6階、最上階にあがったらにぎやか。子猫が二匹廊下で保険会社の女性たち車座の真ん中にいた。

「どうされましたか」の返事に胸が締め付けられた「ゴミ置き場に捨てられていたんですよ」と。

飼います、家族にむかえますとキッパリ宣言した女性がおられた。


人生の車窓が完成した。

400字詰めで110枚。私の人生を受け取った。3人の子供に渡せる。


金曜日に打ち合わせをして「車窓」を何枚かCDにしてもらう。重枝さんと打ち合わせせてブログにのせることなど考えたい。


農園の風呂はビジネスホテルのような風呂。湯船にお湯をはっても身体の洗い場はない。

温水シャワーで身体を洗って20年。これから湯田温泉でしっかり温まりたい季節になった。

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今朝は冷えましたね

次女の真砂恵さん次男「ひろくん(小5)」きのう家族で下関観光。海峡館のあと海鮮丼。

久しぶりにLINEが届いた。


LINEを使い始めたきっかけは淳貴君。LINEアプリは入れていたがFacebookのメッセンジャーと通常のメール。携帯電話のショーメールでまにあっていたのでLINEは未知の世界だった。


淳貴君とLINEを毎日交わすようになりLINE操作を覚えた。配達先のお客さまからもLINEで配達など連絡したいと要望が多くなり、淳貴君と毎日のLINEで操作がなんとなくわかったLINE初心者がお客さまとLINEでつながりはじめた。

LINEは「既読」がわかるので返信がなくても伝わったとわかる。

淳貴君とLINEでつながり学習した私のスキルアップになった。


淳貴君「文化祭でムスカの役をやりました」とか「宮島水族館のあとヒゲダンのコンサートに行きます」と「ムスカ」「ヒゲダン」がわからずネットで検索してやっと返信した。

志村けんの「ヒゲダンス」は宴会で私の隠し芸。


淳貴君とご縁でパステル画からはじまりLINE操作にInstagramなど導いてもらっている。

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浪曲と古代エジプトに満足

昨夜は、新保さんのお誘いで、講師・玉川奈々福(浪曲師)沢村さくら(曲師)の「浪曲ワークショップ」に参加がかなった。

最近よく見聞する「ワークショップ」の意味がよく理解できないので参加すればわかるだろという好奇心もあった。


時間は90分。その半分は浪曲(日本の古典芸能)について楽しい講義。

講師が中国(チャイナ)で古典芸能に携わる人たちと交流をもったとき彼らが驚いたのは、日本で浪曲や落語に能楽をする人たちは木戸銭で生計をたてていること。中国では国から生活が守られている。

講師は、国からお金を貰わず木戸銭でやっているから自由にできると。


日本ほど数多くの古典芸能がのこっている国は世界にない。


また、浪曲師と曲師(三味線)との関係はアドリブ。つまり稽古を積み重ねてこそできる芸だと感じた。


浪曲 亀甲縞の由来の一説がプリントして配布され、講師が唸ったあと参加者の一人ひとりが唸り批評された「これがワークショップか?」とうなずいた。


たくさん学ばせてもらった。


きょうは、山口県立美術館で開催中の「古代エジプト展」はどうしても観ておきたい。

大盛況と報道や噂で知っていたので9時開館の30分前に着いた。それでも列の30番目ぐらいに並んだ。


音声ガイド(ナビゲーター西島秀俊)を借りて古代のエジプトを堪能できた。なかでも、以前はエックス線でしかミイラの解析ができなかったが、技術の進歩で布を取り除き、皮膚を取り除きと最新のスキャナーでミイラの体内まで克明にみる映像に感動した。


パピルスに書かれた文字を解読。そして発音までも研究して音声ガイドからは古代のエジプト人がパピルスを朗読してくれた。


山口県では本物にふれる機会が少ない。浪曲とエジプトを2日にわたり堪能して視野がひろがった喜びを感じている。

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あだち美術館の更新おえています

今朝は萩市でご来光。


長門市から美祢市の配達をおえてお昼前に農園ゴールイン。とにかく眠くて食事の前に夢の中。食事の後も夢の中。


新保さんがご紹介、手配してくださった浪曲「玉川奈々福さん」を夕方から山口市内に楽しみに出かける。

明日は県立美術館「エジプト展」に行く予定があるので「よし!」と気合いを入れてあだち美術館を一日早く更新した。

2回シリーズで「加津恵さんイギリスの旅」を掛けます。すでに美術館に掛けおえています。

どうぞお入りください。


今朝の萩市を一枚添えておきます。

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半日ゴロゴロした。疲れがなおった。

10月11日に牧君からLINEで届いた木製自転車。撮った場所はアムステルダム。

いまはたぶんパリを満喫しているのではなかろうか。


階下の作業場から私の部屋にあがる階段の下に「ゆきちゃん」は繋いでいる。おかげでムカデを部屋で目撃することはない。

深夜に吠えたので目があいた。近くに動物の気配を感じて吠える吠え方とは少し違う。しばらく吠える声を聞いていたが吠える原因を確かめたほうがよいと思い階段を明るくした降りようとしたら「ゆきちゃん」階段の下で丸くなっているはずが見えない。敷物になにやら黒い大きなモノが見えた。


その正体はガマガエルだった。真っ暗ななかでカエルが歩み寄ってきたので吠えたのだろう。軍手をしてカエルを外に放した。


できれば年内に、古希祝いウォーキングをしたい。最近は歩いていないので10時間ぐらいは歩ける足にしたいと歩く距離をのばしている。


今朝はヘッドライトを点けて犬をどんどん歩かせた。


散髪を済ませて昼まで歩くことにした。


日照りの季節や雨の日などでも歩ける「私のコース」が各地にある。

例えば、雨の萩市は「たまち商店街アーケード」を何度も往復する。

阿知須の大型商業施設は午前中の日射しが避けられるかなり長い距離で屋根がある。雨でも歩ける。

常盤公園遊歩道6㎞は野外彫刻などがあり楽しく歩ける。


きょうは小郡「四十八瀬川」沿いのサイクルロードが木陰なのでそこを汗をかくほど歩いた。

この川には急流を利用して昔はかなり多くの水車小屋があり水力で穀物の脱穀などをしていたと記述がある。猿の群れに出くわした。


午後からやりたいことはあったが眠気に負け毛布を抱いてゴロゴロした。

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わからないことは聞いて解決する

菊川画廊。来月の催しは長沢士郎「創作手ぬぐい展」です。

毎年この時期は来年の干支がテーマです。もちろんその他の力作もずらりと掛かります。作品はすべて染めでプリント(印刷)ではありません。何人もの職人が分担しています。

「手ぬぐい」は画廊でお求めできます。私の感想は、手ぬぐいをおさめる額があるとピシッと作品が映えます。押しピンで止めるのはどうかと思いました(やってみた😎)


画廊は敷居が高い。作品を観るだけでよいのか。など不安な方は私に連絡ください。できるだけご一緒させていただき不安を解消します。


私は知った顔をすることが好きではない。

菊川画廊で、例えば抽象画展覧会のとき特にわからない作品を「どう鑑賞すればよいですか」と菊川さんに聞く。笑顔で鑑賞の世界に導いてくださり作品が「見えた!」になったことは幾度となくある。

その繰り返しでいろいろな作風の作品に向き合うことが楽しみになっている。


疑問はその場で解決。


県立美術館に浮世絵展を観に行ったときのこと。会場の照明が暗いと感じながら鑑賞していた。とうとう椅子に座っている学芸員さんに「照明が」と言うと「この明るさがロウソクやアンドン。江戸の明るさを再現しています。作者もこの光で描き、観る人もこの光量で楽しんでいたのです」と小声で教えてもらった。

その意味がわかった私は手を握りたいぐらいぶち嬉しかった。


地名がわからない「つっとり」のバス停。地域の人に「ご存知ですか」と声をかけた。多くの人が「知らん」のなかでご老人が教えてくれた。

氾濫する有帆川の堤防をつくるために、ここから土を取っていたから土取り「つっとり」になった。

老人にキスをしたいぐらい嬉しかった。


霧がはれるように疑問が解決する喜び。その努力をすることが私の「癖」です。


今朝の唐戸魚市場。ぐるりと2回歩いたがめぼしい魚がなかった。北海道の天然ブリ半身が17000円。ブリが北海道から届くようになった。

済州島のサバが千円。刺身はできないが煮物でどうかねと誘われたが鮮度が気になり素通り。

大きくはないがイワシひと山を買った。手開きで刺身、天ぷらに煮付けで今夜な肴。


「人生の車窓」は22日に完成を目指している。最後の点検プリントを松村御大のお宅に届けてきた。点検とはいえ初めて読んでいただきたい松村御大。


CDに焼いて読みたい方には差し上げたい。ブログで公開できないかは重枝さんのお知恵を拝借。

目的は子供たち3人にプリントで渡すこと。その目的は来月には達成できそう。

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アムステルダム通信

アムステルダムの牧君から先ほどLINEで届いた奇抜な建築です。明日のホーム画面で別のびっくり建築をご紹介します。


阪神淡路の震災で兵庫区浜山小学校で数ヶ月いっしょに避難所の手伝いをした牧君。

いまでも大好きな宮崎県。当時は年に50泊して宮崎県内の町村全部と会議録を受託した。景色や海産物から野菜に果物などうまい。芋焼酎の味も宮崎で覚えた。


牧君(当時25歳ぐらい?)がコテコテの宮崎弁でなければ親しくなっていなかったと思う。

神戸が終わってもずっと付き合っている。


私が会社を辞めても、彼の事業でいろいろあってもそこの話題はスルー。

泊まりに来てくれたら弟が来たような気持ちで酒を飲む。楽しい。


震災から20年のとき神戸。その時間に催しがあった。彼と前夜に神戸で合流した。

歓楽街を歩く前、とても寒かったのでローソンに入った。ワンカップ酒を買って店員さんに熱燗を彼が頼んだ「できません。破裂します」牧君がアルミの蓋を開けたらええと指導。おでんと熱燗でウォーミングアップした。

彼の声は松村御大ぐらいのボリューム。二人でワイワイ話ながら街を歩いていたら花屋から兄ちゃんが飛び出してきた「お兄さん!九州はどこですか!」と。

雑踏のなかから聞こえてきた懐かしい宮崎弁。あの場面はよかった。


明朝、その時間に間に合うようホテルから電車に乗った。

始発の電車に大勢の人。その駅でほとんど降りて静かに会場に歩いた。鎮魂の時間を牧君と一緒にむかえた。


彼も50歳ぐらいだろう独身。

「あだちさん明後日からインドに行こう」「奥さんとファーストクラスでアメリカにすぐ行きませんかマイルがたまり期限が近いのです」私にすればファーストクラスに乗る服がない。行きたいところがない。金がない。暇がない。言葉がわからない。せめて別府温泉ご招待だったらと思った。 


牧さんの嫁さん募集!


3時起床。水曜日の下関スタート5時半まで慌ただしい時間だった。

私の生活リズムは愛犬。夜明け前の闇でもヘッドライトをつけて歩く。夕方も歩く。

愛犬のおかげで達者な足腰になった。


明日は木曜日。6時半は唐戸魚市場。

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最高の親子と思った一枚

写真はプチラボInstagramから拝借した(淳貴君が👍)を押していた。


右の女性はプチラボ創業から加奈ちゃんの右腕と私は思っている帆足さん。


昨年だったか土曜日の日記に書いた。

午後のお届け、賑わう店内で加奈ちゃんと歓談していたあいだに帆足さんが割り込んだ。その目に涙が見えた。加奈ちゃんに握っていた手をひらいて見せた。帆足さんの後ろに女性客お二人が立っていた。


加奈ちゃんも私も涙が即座にわかった。

ランチにこられたお二人のパンのなかに小さな異物が混入していたと理解した。


加奈ちゃん真顔になりお二人に頭をさげてお詫びした。それほどまでに謝らなくてもよいのにと恐縮ぎみの二人に「お詫びです」と食パンふたつを差し出した。


帆足さんと加奈ちゃんのクレーム対応は「雨降って」の格言を見せてもらった気持ちがした。


で、写真のこと。

加奈ちゃんに「スタッフの仲がよいのが写真で伝わった」ときのう朝話したら「おいちゃん。ふたりとも仲間ですよ。しかも帆足さん親子です」と。

素晴らしい親子をみなさんにご紹介します。


3時に目があいた。処方された降圧剤を服用してゴソゴソと動きはじめた。4時を過ぎたころ、なんとなくダルいので血圧をはかったら108・70。いつもは130で元気に生きているの私には低いのかもわからない。

低血圧の人が「朝がつらい」と言われることが少しわかった。


8時すぎに平川のガソリンスタンド。

ちらっと見かけた大男は2年前までここで働いていたU君。

いろいろな仕事に就いてきたが長続きしないらしい。ある時「足立さん」と話しかけてきた。台風が関東に接近中だった。

妹が修学旅行で東京に行きました。楽しい旅行ができるか心配しています。台風の影響はありますかと。U君を好きになった。


ガソリンスタンドを辞めて老人施設で働きはじめた。たまに朝の給油で会うと互いの近況を知らせた。

今朝、真っ黒に日焼けのU君が給油していた。今は警備会社に勤めている「旗ふりです」と。給料はこのスタンドで働いていたより年収で80万円以上は稼いでいます。

彼がおもに働いている場所を聞いた。


菊川画廊を日曜日に書いたとき、日々飯店の周囲を記憶で書いたときパチンコ店の名前が思い出せなかった。今朝それが記憶の底から出てきた。店名は「デルタ」だった。「タンポポ」「タイガー」「第一」などたくさんのパチンコ店があり景気のよい音楽が外まで聞こえていた。

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古希でも歩くぞ秋吉台

土曜日の朝、ヨーロッパの旅をしている牧君からLINEで近況がとどいた。


オランダ ユトリフト駅横のビル 一見して日本の人は違和感を感じると思います、無駄と思う中にもセンスがあります、島国日本、狭い日本では考えにくい設計ですね☺️右端のビルの設計面白いと自分は思います‼️


月曜日は店休のプチラボ。8時にお届け。加奈ちゃん仕込みでアクセル全開。会話のテンポがよかった。


淳貴君のお母さんが昨夜のLINEで「かなさんらしき人を見ました」と届いたと話すと。淳貴君のお宅はどこですか、きのうは家族で川棚にコスモスを楽しみに行ったんですよ!


コスモスは大勢の人。プチラボのお客さまもたくさんおられて立候補者ぐらい笑顔の挨拶をしたんよ。


美祢市の山あい長いお付き合いのお宅に配達。ばあちゃんが納屋の日陰で干し柿をモグモグしていた。

10数年前は足どりしっかりで畑や田んぼに出ていたが、いまは背中がまるくなり小さくなった。

会うたびに顔に擦り傷や打撲で青アザができている。

ばあちゃん足があがらんかね「はあ、よう転ぶようになった」転ぶとき支える手がでないから顔から落ちる「マスクしちょれば傷は見えん」と言うが額の擦り傷まではマスクでは隠れん。


「道の駅みとう」スタート、ゴールで秋吉台を横断を徒歩でやる決心をした。

これまで長丁場を歩いた経験から10時間~12時間ぐらいで完歩できる予想。


普段から人並み以上に歩いている。それに加えて歩くことを日課に入れて、当日使う靴を足に馴染ませておきたい。

距離は40㎞ぐらいと思うが登り下りが多い。50㎞以上歩くとき必ずタヌキが出てくる「もうしっかりやったからバスに乗ろうや」とささやく。


数年前、長門市駅を7時にスタートして農園に向かったとき、農園まであと数㎞のところで大タヌキが出た。加津恵さんが車で通りかかった4時前「乗りませんか」あのタヌキにはだまされそうになった。足も腰も痛くてたまらない一歩を歩んでいた。「歩くから」とタヌキに手をあげた。


あの場面で「ありがとう」と乗ったら。私は今朝から何をやっていたのかと後悔したに違いない。


今回歩くコースの下見をきちんとやっておく。秋吉台は循環バスは走らないが、大正洞から萩市や小郡にむかうバスはある「道の駅みとう」まで全部のバス停の時刻とタクシーの電話番号。

コンビニは道中ないが飲料水の販売機を確認しておきたい。


萩市から農園まで12時間歩いたとき、萩市のセブンイレブンから美東のローソンまで6時間。コンビニはなかった。


秋とは思えない暑い月曜日の全部を終わった。

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菊川画廊訪問

私が前の仕事をしていた時代。20年以上前、宇部市中央町の銀天街アーケード入り口には東宝映画館・なごや瀬戸物・パチンコ店に天一ラーメン店そしてもう一軒は中華料理「日日飯店(にちにち)」があった。会社の忘年会などで利用していた。本格的中華料理で鯉丸ごと一匹を揚げた豪快豪華料理には驚いたことを覚えている。

その中華料理店の店主は潘麗星さん。50歳から創作活動をはじめられ、2003年に84歳で亡くなられた。ご命日は10月1日。


菊川さんが画廊をはじめる決心をしたとき母親は「あんたに画廊ができるわけがない」と猛反対をした。それでも決心が変わらないので母親は絵画で友だちだった潘さんに「息子を説得してくれ」と頼みにいったところ「それはええことじゃないですか。私がしっかり応援しましょう」となった。


つまり菊川画廊の始まりは潘さんなくしては語れない。菊川さんにとっては恩人のなかのお一人にあたる。

亡くなられた翌年のご命日から10日間。潘さん追悼の展覧会を催した。それが回数を重ねて今年で16回目になった。

潘さんファンの方は必ずこの期間画廊を訪れ作品をとおして潘さんを偲ばれる。展覧会の最終日に私も行った。


芸術にご縁が多くなった。

🔶下関市立美術館は「久保修 切り絵展」・「パステル画展」・「香月泰男展」今月最終の日曜日は下関市美術展覧会「松村御大作品」🔶植木紙店「淳貴君展し」🔶情報芸術センター「玉川奈々福(浪曲)×沢村さくら(曲師)」🔶県立美術館「古代エジプト展」は17日🔶来月7日「フジコ・ヘミング ピアノソロコンサート」🔶山口井筒屋で来月藤井元康×藤井由香パステル画心象画展覧🔶カフェギャラリー「とりのこ」🔶ギャラリー「写創蔵」


🔶「あだち美術館」は今朝更新を終えています。どうそお入りください。

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午前と午後の2部構成になった

シカとイノシシ合唱コンクールで目があいた午前2時。窓から「やかましい!」と山に向かって怒鳴ったら眠れなくなった。


届いていたLINEは牧君。

写真の短い説明は「オランダのレンタサイクル」と。オランダがどこにあるのか、言語はなど私にはわからない。レンタカーでヨーロッパ各国を国内感覚で楽しんでいる。


きょうの1日は2部構成。


朝日は萩市で拝んだ。長門市から美祢市を走り昼前に農園ゴール。


昼前、農園に来た家内が簡単な昼食。加奈ちゃんお店に頼んでいるパンを買いに美祢市。支払いは水曜日に済ませているので買い物行列に並ばずご禁制の裏口。打ち合わせどおり所定の場所に置いてあるパンをさっとつかんで外に出た。


大正洞パーキングに隣接「ギャラリー写創蔵」まで秋吉台を横断。松尾浩さんの作品にあいに行った。

「港の陽光ヨコハマ」の作品。宇崎竜童が「お前ええかげんにせえ」とキャプションに文句を言うかもわからない。


古希の徒歩に足が慣らせるかどうか。秋吉台ふもとから「道の駅みとう」までの下見もできた。


明日は菊川画廊。お土産は「ぶどうパン」

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健康診断と湯田温泉

きのう入力に障害が出て悪戦苦闘。読み返して赤面の日記(意味がよくわからない)それはそれで修正しない。


きょうは検診。9月の朝夕につけた血圧数値表も持参。なぜ私の血圧は病院であがるのか担当医が頭をひねる。その結果、朝夕をつけて来なさいとなった。


9月の数値は130~140のあいだで「まぁよかろう」ところが診察室では150の90となった。

先生!年齢プラスの90でよいと知っていますがと質問したら「それは平均寿命が短いときの話し。長寿社会になったのでそれは通用しない」とピシャリ!


採血はいつも「よく血が出る」といわれる。きょうもよく出ますね。しっかり止血しますと言われた。さすが高血圧?


病院を出て家内の弁当を食べた。


湯田温泉「温泉の森」でサウナとジャグジーを満喫して昼寝もできた。


写真は昨年のきょう撮った。

彦島から蓋井島に向かうフェリーは午前10時に彦島大橋の下を通過する。

その航跡を撮りたいと何度も橋からカメラを向けたが思うようにならなかった。


ベタ渚の彦島湾から響灘に向かう勇姿が撮れた。

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木曜日を元気いっぱい終えました

木曜日。早朝から多くのみなさんと交流しながら楽しく仕事ができた。


8時すぎ細江の寿司割烹「浪花」にお届け。

荒川大将が「読んでください🔶淳貴さんの絵からそんなことを学びました感謝🔶と頂戴しました」それが書かれた葉書のコピーを頂戴した。


葉書を書いた方は、経営者などひろく心を耕し生き方を説かれている塾を主宰されている著名な先生。


大将が淳貴君ポストカードを差し上げられて二枚の葉書が大将に届いた。その二枚をご披露させていただきます。


⏹️

笑顔のウシさんをありがとうございます。

渡しが言うのも何ですが「ウシッシ」などと吹き出しがないところがスマートで心にしみる表情です。


ところで、ある人から「ふとなつかしい人を思い出す時の顔はみんな笑顔ですね。私も誰かの中で笑顔でありますように」という絵ハガキをいただきました。その通りですね。

荒川さんを思い出すときは、やはり笑顔です。ソーメンに、もちろんお寿司も…。

おいしいものも、お酒も、お掃除も、落語も、みんなを笑顔にしてくれますね。

9月22日


⏹️

鍵かける 心配無用 夜長かな 「岡本文弥」

このたびは、素敵な絵ハガキのプレゼントをありがとうございます。

心が‘’ほっこり‘’することは、何と大切なのでしょう。

そして、‘心に鍵をかける心配無用’の人がそばにいるこことも。

淳貴さんの絵からそんなことを学びました。感謝

9月30日


明日は朝食抜きで検診。

終わって湯田温泉と思っている。


今月31日の日曜日。下関市美術館開催にご一緒しませんか。松村御大の大作が掛かっています。

農園8時集合で2時ごろ解散。

9時に長府庭園散策。美術館を終えて長府を散策と考えています。ご希望のかたはメールでお知らせください。

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秋空に園児の大歓声!

ちょぼハウスの前に児童公園がある。そばに幼稚園。きょうはその園児たちの歓声がひびく運動会。たくさんの可能性、未来をもっている子供たちが秋晴れのもとで楽しんでいる姿はとてもよかった。


吉岡享子さんのお米を積んで、準備が早くできたので今朝は5時に農園を出た。


6時半までにお届けのお宅は決めたルールの置き場を使うから会話をかわすことはない。

水曜日、かわす会話は長府ポポラスからはじまる。いつもデミタスコーヒーをいただきながら話がはずむ。


綾羅木の「はるさん」とは健康や信仰に政治など「はるさん」が投げかけてくれる直球の話題にこたえる。今朝は水俣病と食品公害がテーブルにあがった。

昔「犬・猫・猿そして人間」という出版に携わったことがある。水俣病は猫が異常行動をはじめた。高崎山の猿の赤ちゃんに奇形が増えた。

つまり、それが人間にあらわれるまでには人より小さい動物が食べ物から影響を受け人になる。


「はるさん」ご主人は定年退職されて美祢市の山奥で信じている農業を実践されている。

現場を訪れて教えを乞いたいと思った。


通り名は「カバ隊長」私と同じ昭和26年うまれ。岡本拓也さんのご縁で親しくなった。

今月、大きな手術をされる。人生はじめて手術台にあがり7~8時間もかかる執刀を受けられる。

励ましの言葉というきれいごとはない「春に農園で花見をやろう」とわかれた。来週も顔を見に立ち寄ろうと思う。


交通事故とか、誰にも迷惑をかけずに命が終わればよいが介護を受けての人生を歩みたくはないと話した。


ところがある人は、病院で寝たきり人生でも毎月の支払いをして経済をまわす役にたつと言われた。

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人生の車窓が大詰めになった

私の古希。たくさんの方からお手伝いいただき、淳貴君のポストカードをつくる素晴らしい記念になった。

もうひとつ、私が歩んだ人生のなかでも特筆しておきたいことを「人生の車窓」と題してポストカードと同時進行で進めてきた。誤字脱字にくわえて修文までの朱筆は淳貴君お母さんが力を発揮してくださった。


このプリントアウトで4セット。子供たちに3人と母にお供え。

CDにおとして「読みたい」と申し出られた人には差し上げようと思っている。完成は来月末。


もうひとつの古希はスルーしていたが「やろう」と決心した。

毎年50㎞ぐらい歩いてきた。萩市から農園・長門市駅から農園・下関駅から農園。その他、大歳駅から農園は2年で往復した。長門市から萩市玉江など歩いた。

10時間をこえて歩く辛さは覚えている。その達成感も覚えている。

靴を先日買った。年内に50㎞挑戦はできないかもわからないが挫折してもよいから挑んでみたい気持ちになった。


何年も配達している山口市内の加津恵さん職場(4階)さらに6階にも配達がある。

エレベーターは使わない。きょうもかけ足で上がった。途中でお掃除のおばちゃんが階段に座ってスマホで話していた。ちょうど会話が終わった。いつものように会釈をしてすれ違おうとしたら「孫が生まれました」と。しばらく井戸端会議ならぬ階段会議になった。


嫁さがしの相談や健康相談。吉岡さんの新米配達に糸賀さんも「ワシも」と仲間入り。

早朝からFacebookがダウン。メッセンジャーで連絡をとりあっているみなさんに私のLINEコードを携帯電話のショートメールで届けて「友だち追加」で事なきをえた。


あだち美術館 加奈ちゃんに日曜日更新したことを日記に書くのを忘れた。加奈ちゃん家族写真をご覧ください。

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海外からのLINE

只今、フランス時間21時16分です、明日は凱旋門賞です❕オルセー美術館で子供達に説明をしているのは印象的ですね、小さいうちからこういう説明をうけるのは幸せだと思います‼️


予定ではフランス オランダ ベルギー スロバキア 天候次第でノルウェー(オーロラ)  の予定です‼️

ヨーロッパの状況ですが公共機関の乗り物ではマスク着用していないと罰金を払わないといけないと聞いています、施設当の入場(例えばレストラン 美術館 pcrの検査結果を提示しなければなりません❗3日に一回検査を受けて陰性証明を提示するという流れです❗


2日前、唐突に牧さんからLINEが届いた。

世界中をレンタカーでひとり旅。前回のヨーロッパはアウシュヴィッツや古城をめぐり旅先から電話やメールで近況を伝えてくれた。


メトロポリタンやルーブル美術館。彼はスマホで作品を撮っている。日本とちがいフラッシュを使わなければ撮影は許可。

帰国したら土産話を持って農園に立ち寄ると思う唐突に。


事業経営が順調にいっているのだろう。阪神大震災の避難所お手伝いで知り合った宮崎弁。50歳ぐらいと思う。


若いときはマグロ船で海外の港を渡り歩いたから治安の心配はない旅は楽しいだろう。

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よい日曜日をおえた

寒さを感じて目があいた2時。疲れはリセットしていると思った。ダラダラ転がっているより「よし!」と起きた。


日曜日更新「あだち美術館」。松尾さん作品と加奈ちゃんInstagramから拝借したものを約1時間かけて入れ替えた。


録画していた「ブラタモリ」をテレビ画面かぶりつきで観た。古事記と淡路島を踏破し、地質学的に多角的に検証した。

構造線やトラフからも淡路島から日本が誕生した由縁に迫りそれは符号した。けれども「そこ」は淡路島から太平洋に面している島ではないかとタモリさんが漁船チャーターして古事記に迫った。とても勉強になった。


🔶以下は高橋源一郎先生Twitterから引用


明日の「飛ぶ教室」、1コマ目は『戦地の図書館』を読みます。第二次大戦中、アメリカは兵士に1億冊以上の本を送りました。戦場でフィッツジェラルドやヘミングウェイを読んでたんです。かないませんね。


金曜日の放送を夜明けまで「聞き逃し」でじっくり聴いた。

太平洋戦争が終わり600万人ともいわれる兵士がアメリカに帰国した。その若者たちに大統領は勉学の機会、つまり大学入学を無償で奨励したら半数の300万人ちかくが「学びたい」と手を挙げて大学に入った。

弾が飛び交う前線で兵士は「学ぶ」喜びを知った。武器を捨て日本軍に降伏する場面でも本は身につけていた。

録画番組とネットラジオで私の知識欲は満たされた。


早朝、まだイノシシが見え隠れする散歩コースを愛犬と散歩。夜明けが美しい空気がとてもおいしい。


阿武町の標高400メートル高地。寒暖差の田んぼでコシヒカリを今年も収穫した吉岡享子さんのお米300kgの販売をお手伝い。

萩市内で約130kgを受け取った。今週中にご注文いただいたみなさんにお届けして郵便送金する。


早朝からよい日曜日を過ごすことができて満足!

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ポストカードの余韻がはじまった

10年ぐらい前、土曜日お昼前のテレビ番組、NHK番組評議委員会(中国地方)を楽しみに観ていた。

1週間の番組の何本から各県から選ばれた評議する各界の人が番組づくりについて意見をする。

その山口県の人は美祢市幸嶺園理事長の徳永あけみさん(私と同じ卯)だった。いつも和服できたんのない発言をされる。


番組が福祉行政現場をルポルタージュしたときどなたか委員が「そこは法律の縛りがありますからね」と発言した瞬間「そねえな法律は変えたらいいです」とピシャリと言い放った。私が「女傑」とよぶゆえんもそのあたりにある。


歯に衣を着せない物言いはいまでも健在。


淳貴君ポストカードの案内を職員さん経由で届けた夜「30セットお願い」と電話を受けた。数分後「100セット!」と手短な電話だった。


私が眠りについていた昨夜8時すぎ「起きちょるかね」と女傑電話。

番組評議委員会当時、NHK山口支局長だった方に美祢市の新米にポストカードを添えたらポストカードのお礼電話があったと眠りをおこされた。


さきほども「特別に親しい東京の方(有名人)から新米とポストカードが、とくに牛がよかった」とお礼が届いたと電話を頂戴した。


淳貴君Instagramのアドレスを来週の月曜日に事務室に届けることにした。


今朝の萩市行きはいつもの5時半出発。美祢市から萩市にくだる冬場は県内一番に凍結する雲雀峠は12度だった。


萩市の風景で私が一番好きな玉江に朝日があたっていた。


映画「アウトブレイク」を午後から楽しんだ。

笑顔がとてもよいダスティン・ホフマンは「パピヨン」で名演技。モーガン・フリーマンは「ショーシャンクの空」で渋い魅力だった。

その名優が感染力の強いウィルスとの戦いは時節柄とても理解ができてよかった。

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長府庭園のカワセミですよ

きのう2時半ごろ、ぎじろくセンター白井社長から電話「3時ごろ農園にうかがいます」と。私は3時には戻れないが家内が農園におりますと返事をした。

農園に戻ったら「古希御祝い」の封筒が届いていた。いま思えば無責任に「白井さん頼む」と会社をお願いして農園に突き進んだ。

数年後、市町村大合併があり日本中の自治体数が激減した。市町村会議録を主な生業にしていた「ぎじろくセンター」にとっては受託自治体が大幅に減り大打撃になった。

その大波のなかを白井社長は乗りきってくれた。


私の「人生の車窓」を出版させてください。もちろん一切のことは私がやりますと農園に来られた。白井社長に甘えたことはない。お気持ちだけありがたく頂戴した。


古希祝いの中身は、大谷山荘別邸音信の宿泊だった。私の都合でどの部屋でも使えると明記してあった。


すぐに白井社長にお礼の電話をした。神棚に供えて白井社長のお気持ちに感謝した。


私が宿泊などを連絡する窓口はサンデン旅行の田坂さん。私の社長時代は慰安旅行やナザレ園慰問。東京出張の航空券と都内宿泊など私の都合を伝えて手配してもらっていた。


田坂さんに20数年ぶりに電話をした。


今年、私たち夫婦の旅は近場で安いところ。けれども評判のよいところで選んだ。

光市の国民宿舎に予約できる半年前の9時に電話予約をして予約ができた。白井社長のご厚意をお返しすることは失礼と思うので国民宿舎「王城」の宿泊に変更できないかと頼んだ。

田坂さんびっくり。けれども白井社長のお気持ちをありがたく頂戴したうえで予約した宿で古希を祝いたいのでと話した。

それはできます。事前にフロントに足立様の請求はサンデン旅行に請求するように伝えておきます。


午後、キワラビーチが望めるラ・メールで白井社長と会った。


今朝、清末の「卯」に集金に行った。下関市美術館で開催の香月泰男展覧会はどうしても観たかったので長府。開館は9時半。私は9時に着いたので9時開園の長府庭園に一番乗りした。


池を滑空したカワセミがとまった。それが撮れた。出るとき案内所のお嬢ちゃんにカワセミが撮れたと言ったら「ラッキーです!一羽しかいないのですよ」と。Facebookで長府庭園をフォローして「👍」

の足立ですと自己紹介までしてしまった。


ポポラスでコーヒー。細田さんが「あらっ!」とシフォンケーキ買い物に来られた。

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