藤野先生お誕生日おめでとうございます

Facebookは「友だち」の誕生日を自動的に知らせてくれる。それで、きょうは藤野先生がお誕生日と早朝Facebookから知らされた。


いま、私は鶏と生きる生活をして満足している。

けれども、次の人生があるならば藤野先生のように「先生」とか「教師」と言われる人生を歩んでみたいと思っている。


それは、前職のころ広島県三次近くに営業に行くと日本酒をかかえて「泊めてください」と上がり込むのは金光教吉舎教会。大男でぶっきらぼう、コップ酒を飲みながら私の話に「おお」と相づちをうつ井上睦弘先生。

ニヤニヤしながらの聴きじょうず。聴いてもらいながら、先生は酒を飲むだけでも、こちら「気持ちのくもり」が晴れるという関係が長年続いた。


三次は中国山地のど真ん中。冬場は驚くほど積雪もある。

その夜も雪が降り続いた雪見酒。


「先生!失礼じゃけど、こねえな田舎で神様の布教と言うて外にも出ないで神前に座り続けておられるが、もっと具体的に、人が助かることを外に出てやったらええんじゃないかね」と言った。


「おお」と笑いながら

あのなー、今朝も職場にむかう人たち、学校に行く子供ら、子育てのお母さんたちがお参りされた。その一人ひとりと話をして背中を押した。

そのみなさんが、それぞれの持ち場で精一杯の「今月今日」を輝いてくれる。ワシは、このご神前に座っているが。


「先生・教師」は、生徒や信者が各々に目指す道を歩む背中を押して「ワシも一緒に歩むから」と背中に祈る。その境地を垣間見た。


藤野先生 お誕生日おめでとうございます。

大勢の人たちの背中を押してください。


未熟児で生まれた。親が子育て放棄をした。この坊やが哺乳瓶で育てている。

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肌寒い月曜日だった

日曜日、松村御大ご夫妻・菊川画廊のあるじ・新保さんと私がおじゃまをした下関市長府の木村邸。


中越地震の被災地、新潟県十日市町の避難所に下関市から「ふく鍋隊」が出ることになった。隊長は唐戸魚市場社長の松村御大(当時)「新潟県まで行くが、行くなら美祢インターで6時に乗せるど」と声をかけてもらった。

下関市から日通大型トラック(ボランティア・運転手は志願)と大型キャンピングカーが「ふく鍋」にくわえて下関市民からの支援品を乗せて走る。

なぜ十日市町か?松村御大と「掃除」「ハガキ」で契りを交わした土建業の村山さんがそこで被災した人のお世話をされていた。


道中、たくさん物語はあるが割愛。

金剛住器社長の木村さんもメンバーだった。すべてのメンバーが大酒のみ。木村さんは酒は飲まなかった。アルプスの山々を眺めていた。声は太いガラガラ声。それが木村さんの印象だった。


帰って数日後の月曜日。早朝7時に木村さんから電話を受けた「きょうのお誕生日おめでとうございます」のガラガラ声。

木村さんは下関市内の金光教教会に参っておられ、新潟から戻った日にお参りされて教会長に報告をされた。そのとき「宇部市の足立さん」が話題になった。


教会長は酒が好きで、私はとことん付き合った。教会長の癖は誕生日を記憶すること。木村さんに⚪日に「おめでとう」と電話をしなさい。


その電話で木村社長と深い話ができるお付き合いになった。


木村さんの奥様。鍵山記念館を訪れられたとき「浪花」のお嬢さんと親しくなられた。

お嬢さんが習っておられる機織り(奥様、若いとき習っておられた)の先生を紹介してもらい自宅で習っておられる。写真の作品は織られたもの。藍染は15メートル。


その機織の先生にたまごの配達が半月前からはじまった。

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たくさんの学びがあった日曜日

2018年12月、菊川画廊は水村喜一郎展覧会を催した。

子供のとき感電事故で両腕を失った画家。口に絵筆を咥えて作品にむきあう。


両腕のことより、展覧会前に画廊で見せていただいた作品集の重厚な作品に感動をおぼえた。

水村喜一郎さんの作品を、宇部で観賞できる機会が菊川画廊でかなう。私の親しい人たちにご案内させてもらった。


数樂の会が終わった日曜日の午後。藤野先生や松村御大夫妻など多くの仲間が画廊に足を運んでくださった。新保さんも。

たまごの配達先でも多くのお客さまにご案内した。下関市から木村さん夫妻も会場を訪れてくださった。


木村さん夫妻、長野県に水村喜一郎美術館があるなら行こうと、そこまで作品に魅了されたきっかけ。画廊「アザミ」を鑑賞していたら菊川さんが「ここから観られてもいいですよ」と2階から1階のアザミを観ることをすすめられた。その2階から観るとアザミが立体的に、額縁から飛び出すほどの勢いにみえた。


木村夫妻は長野県「水村喜一郎美術館」に車中泊をしながら足を運ばれた。その日、喜一郎さんお留守だったがご長男の館長が作品をご案内された。

そこで奥さまが「この作品」とご主人に「ほしい」と言われた作品「どくだみの花」その作品を愛でる、その楽しみの日曜日。新保さん、画廊の展覧会で作品を買われた水村ファン。


長府浄水場に隣接する、好天の日には大分県由布岳まで見渡せる高台に木村邸はあった。

前から「大きな桜がある家に住みたい」が奥さまの願いだった。300坪敷地に古民家を見つけられ、木村さん本業はリフォーム会社(金剛住器)古民家大手術をされて素敵なお屋敷。桜やデコポンなどたくさんの大樹は、新築ならば生涯かかっても見ることができない。古民家ならではの贅沢ですと言われて納得。


奥さまの機織り機と作品。手づくりお菓子などを楽しみながら水村作品観賞。

それぞれに「いいね」の連発。もっと作品を観るにはと菊川さんが額をおろしてガラスを外された。外したガラスは額の裏に納めて掛けた。室内照明の反射が無くなり「どくだみ」の白がきわだった。


この日にあわせて、松村御大が「ふく」を描きあげて木村さんに贈呈。その作品を、画廊の菊川さんが「松村さんが描いてある」と評した。

つまり「ふく」を人生かけて下関ブランドまで押し上げた「ふく」の総大将しか描けないと菊川さんは言ったと私は理解した。菊川さんらしいコメントだった。


ランチは「ビストロまさ」お店は20年ちかくのお客さま。長府の玄関にお店を新築された。その建築は木村さんの会社。7名で席を予約してランチを楽しんだ。


きのうから、家内三姉妹の家族が山口県観光。農園ちかくの温泉宿で泊まって楽しんだ。私は土曜日の配達などで疲れて、みなさん集まる夕食会は欠席して農園で早寝をした。家内ば11時ごろ農園に戻ったらしいが覚えてはいない。


コロナ騒動のなか、長府も温泉宿も大賑わい☺️

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仲間の心意気に昨夜は酔った 酔った

桜の名所はあちこちあるけれど、私が「ここ」とひとつ決めるなら美祢市。とくに市役所そばをながれる厚狭川の両岸は、川にかかる数本の橋から景色のちがう桜を愛でることができる。

散りはじめると、川面は花筏が楽しめる。

毎年催される「桜祭り」は中止。コロナ騒動は桜の開花にはなにも影響しない。

明日のホーム画面に桜を載せます、


昨夜は「一隅の里(レストラン)」を会場に鍵山幸一郎さん還暦祝いが催された。

朴の杜と総称される広大な敷地に「鍵山記念館」「耕心の里」「一隅の里」「元氣の里」それぞれ願い持った建物がある。

「一隅の里」はランチバイキング。オーナーの西村さんは、鍵山秀三郎先生の生き方に学び、身体にやさしいお料理をゆっくり楽しめるお店を日々営んでおられる。


お掃除仲間の面々が集い、還暦の祝いを楽しく過ごした。

今朝その主役、幸一郎さんがFacebookに投稿された内容を無断転載します。


⏹️「真意をお伝えします。このレストランも例外なく、コロナの影響を受けています。なんとかして励ましたいと、きっかけを考えていたところ、浮かんだ案が私の還暦祝いでした。よって私の還暦は重要ではありません。善意の仲間が集まり、この困難をみんなで乗りきろうと一致団結する目的は達成できたと思います。」


約20年ほど昔、各地でトンカツチェーン店を展開されていた「浜勝」の元岡社長はお掃除を社是とされ、鍵山門下生の一人だった。

その店舗、飯塚店で食中毒が発生して約10日の営業停止処分を受けた。

処分が終わり11時開店のとき、元岡社長は玄関でお客さまをお迎えに出た。10数名、スーツ姿の方々が列をつくっていた。その先頭は鍵山秀三郎Yellow Hat社長。列は会社役員や九州の社員面々だった。


その数年後、広島掃除の代表、井辻社長のイタリア料理店モンテティーナ(市内繁華街の並木通り)で集団食中毒180名がおきた。広島県では最大の食中毒事故で大きく報道された。井辻社長もそのカルボナーラを食べて食中毒。下痢をしながら被害者お客さまを見舞われた。お子さんで重篤な人もあったらしい。

並木通り繁華街に「休業」の大看板、そこには食中毒事故をおこした井辻社長の反省が太書きされた。


保健所、2週間の謹慎がとけた夕方の開店。山口県のお掃除仲間は松村御大「お祝いに行くど!」の男気でモンテティーナの階段に並んだ。店内に通された松村御大「お!一番高いワインを頼む」と松本店長に。ワインの味がわからない山口の田舎者10名ちかくはつきあわされた。

「とにかく金を使う、賑やかに楽しむ」この日の山口組は松村御大の心意気がうれしかった。


その後、2回ほど宇部の掃除メンバーなどとモンテティーナに行った。会社のお中元は井辻食産のラーメンにした。


その思い出がよみがえり、日頃は飲まない日本酒をコップ酒で酔った。

今朝は、いつもの3時起床。元気に働いた。

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昨夜から激しい豪雨だった

昨夜は桂子ちゃんお泊まり。

唐戸魚市場で買った特大イワシ6匹。3匹は手開きで刺身。3匹は揚げて骨も6本揚げてくれた。タコは刺身と酢の物、バター焼き。アサリは汁になった。圧力鍋の黒豆はやわらかくできた。


私は缶3本で疲れに負けて寝た。12時ごろ家内と桂子ちゃんは喋っていた。


昨夜から豪雨。雨具を着て散髪に出かけた。家内が桂子ちゃんの弁当をつくっていた。


レストラン「卯」に月末の集金にたちより、市内に向かった。


⏹️汐入町19 ・7 📞083 222 0941 和洋楽舎CACHE-CACHE(カシュ・カシュ)ランチ1320円 定休日は日曜日と月曜日 前日迄の予約制


食材にこだわるお客さまから「いつか行きましょう」と誘われていた。それがきょうになった。お友だち夫婦も同席で4名の予約になっていると聞いていた。


Googlemapで大雨のなか汐入の番地に着いたが広いお屋敷。少し時間があったので近くのコンビニに車を置いて傘をさして番地をめざしたがやっぱりお屋敷。隣の自動車工場で「カシュ・カシュ」を聞いたがわからない。


そのお屋敷に間違いなかった。広い玄関を入ると素敵な庭がのぞめる和室にテーブルが用意されていた。茶碗蒸し、天婦羅、野菜の煮物に焼豚その他小さい器にたくさんの料理か運ばれて最後はコーヒー。2時にランチタイムが終わる。2時間半、ゆっくりおいしい料理と会話が楽しめた。


ご年配夫婦が丁寧な料理を出してくださった。


帰り道、雨はあがった。長府の眼鏡店ノエル(村上棟梁のご縁・酒井さんも親しい)に立ち寄り眼鏡をひとつ注文した。


これから掃除のみなさんと会食。

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桜見物も閑散と

唐戸魚市場6時半。閉めている店もある。買い物客はとても少ない。小魚を商いするおばちゃんがなんとか売ろうと声をかける。

場内を2周して馴染みの店で特大イワシ6匹。ゆでたタコ。もう一軒でアサリをひと山。

お父さん入院でひとり暮らしの桂子ちゃんを今夜は農園招待。彼女のお母さん(故人)と家内の年齢が同じ。

私の前職のとき社員さんだったのでお付き合いは長い。今夜は家内と話し込んだらよい。


3時に美祢市「よしの」にたどり着いた。

世界情勢から国内景気、歴史談義と話題は尽きないが、店主も私も眠たい。ほどほどで切り上げて農園に戻った4時過ぎ。


明日は小郡で散髪からはじまり、小月経由で下関市内。夕方はお掃除のみなさんと会食。


美祢市の桜が咲き始めたが人はまばら。

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ご神意のまま生きる

きのう夕方、原田さん終祭(通夜)お参り。お祭り40分前に祭場に入った。受け付けは3ヵ所「金光教関係」「会社関係」「一般」結婚式場・披露宴会場のララマリーとエミリアの両方に農園から納品しているから「会社」。金光教とは太秦教会だけでつながっている。家内が「受け付けはどこで」と聞いたので「一般」とこたえた。


棺の原田さんにしっかりお別れの合掌。

教会に足が向かない私を「飲みに来なさい」とご自宅に何度も招いてくださり、神様ひとすじの人生で大きな幸せになったことを語られた。

私が「下関でふく料理を腹いっぱい食べませんか」と誘うと「松村さんや上田さんに会いたい」と参加された。


「私の仕事は、披露宴会場の後ろで新郎新婦がどこまでも幸せな人生を歩むことができる。そのことを神様に祈りながら、すべての披露宴を拝ませてもらった」と。


終祭でご長男(社長)の挨拶。

会社の社是は「実意丁寧」それを父親は背中で教えてくれました。


5月2日、原田さんが朝夕の参拝をされた教会100年の記念祭が支えられる。ご招待を原田さんから頂戴したが「私には敷居が高い」と先日ご長男に伝言を申し上げお祝いを託した。そのとき奥さまとバッタリあった「入院はしていますが元気ですよ」と。ご長男も「父は、病室からテレビ会議ができるようにしてくれんか」と気力は満々ですから。


まさに命がけで100年祭に向き合っておられた。その神様ひとすじの原田さんが5月を迎えることなくお国替えをされた。

それを神様に「なんで記念祭までの命を」と誰もが思う。私も、あれだけ神様ひとすじに生きた原田さんが、その日を迎えることを「あなた」のおはからいで叶えてあげられなかったかったのか。


農園に帰る運転は家内。祭場から一番近いコンビニでハイボールの9%ロング缶「黒ネクタイで酒を買うかね」と家内。


ご神信(信心)を私の背骨にしてくださった、早島教会の玉井先生(故人)が阪神淡路の震災で「神も仏もあるもんか」と浜山小学校避難所からの私に「ええか、神も仏も全知全能ではない」と前置きされた。


その言葉をハイボールで思い返した。

絵に描いた餅のような物語ならば、100年祭を終えてお国替。それは美化されて語り継がれる信心話しになるかもわからない。否定はしない。

命をおえる理由が見つからない命が毎日消えている。大津波で流されたたくさんの命も理由が見つからない。


人は、誕生日も父母もご神意でいただいた命。その終わりもご神意。


原田さんが願われた100年祭は、実行委員会メンバーが原田さんの願いをうけて奮起して麗しくお仕えされると思った。

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こやぎ元気に育てよ☺️

数日前から早朝、ヘッドライトを点けてバス釣りに通う青年がいる。今朝、犬の散歩コースの土手からルアーを投げていたので話ができた。

住まいは宇部市内。仕事はトラックドライバーだが不景気で休みが多くなった。趣味は釣りぐらいしかない。


防府市は自動車のマツダ工場城下町。不況で新車が世界的に売れないのでしばらく生産ラインを止めると報じられた。


ひとり暮らしのおばあさん。息子から電話があった「不景気で犯罪が多くなると思う。戸締まりはよくしておけ」と。


桜も開花をはじめて春になったが、景気は冷え込み続けている。それが身近で感じられる。


方言は貴重な地域の文化だと思っている。


日曜日、防府トヨタにオイル交換に行った。待ち時間、テーブルに朝刊を広げて読んでいたらお嬢さんが飲み物リクエストを聞いてくれた「あたたかいお茶」をお願いした。数分あとに彼女がお茶を持ってきてくれて置き場に躊躇したが、新聞のむこう側に置いた。笑顔で「たいますか?」と聞いた。

即座に「たう」と笑顔で返した。


おそらく三世代同居のお嬢さん。次回のオイル交換のときは方言で話しかけてみたい。


いま4時すぎ、原田さん終祭(お通夜)にこれから向かう。

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原田さん訃報

ブライダルハウスハラダヤ社長から携帯電話に深夜の着信。早朝気がついた。

7時、着信を折り返した。やはり訃報だった。

ハラダヤを創業された会長、原田幸治さん(80歳)がお国替えされた。


金光教東小郡教会でご信心をされた。その教会が5月に布教100年記念祭をお迎えする準備を、病院のベッドから準備メンバーを激励しておられた。


私が前職のとき「上田さんと自宅で飲もう」とお誘いを受けた。

私が企画した「縄文杉ツアー」のあと、暑い夏だった。屋久島メンバーの上田さんと原田社長(当時)のご自宅を訪ねた。ブライダル関連の美容室、式場など多角的な経営手腕の社長のお宅。私と上田さんはスーツでお宅をさがした。


お宅は、使われていない古い店舗の脇、倉庫を改築したような窓のない狭いところだった「今朝、魚市場で買った魚を家内と造った、冷房がないからシャツとステテコでやりましょう!」と言われて度肝を抜かれた。

「冬は、すき間から雪が入ることもあるんですよ」と笑顔の奥さま。


我慢ならんので「ご自宅の建築は?」と聞いた。教会奥津城と会堂ご造営が終わって自宅をつくります。とご夫妻が笑顔だった。

ご自身のことより、参拝する教会や金光教全国の信徒活動のために時間と財をつかいたいというお人柄だった。そこに至るまでの人生はしっかり聴かせていただいている。


10年ほど前「新築したから上田さんと来ませんか」とお誘いをいただいた。ハラダヤ本店に車をおいて歩いてすぐの場所に新築があった。

玄関を入ってすぐ左は神社本殿のような祭壇。空調の効いた客間ではなく、空調の効いた台所で奥さま手料理と大吟醸を堪能した。


明日の夕方が「通夜」水曜日「葬儀」新型コロナで近親者だけで父を見おくりたい。母が足立さんには主人が会いたいと思うとご長男の社長に言われたらしい。

水曜日のお見送りはかなわないが、明日の夜はお見送りに参列させていただきお礼の玉串を捧げたい。


屋久島縄文杉ツアー。安房の宿、歩いた道中は底抜けに楽しかった。その仲間、馬場敏郎、吉見千恵子、膳師豊、垣内紘一そして原田さんも逝った。


写真は20年ぐらい前。農園宴会。

真ん中が原田さん。右が松村御大。左が上田さん。

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鯉のぼり泳ぐ季節になった

昨夜、Wi-Fi会社から「通信速度低下の改善ができない」とメールで知らせがあり、機能を全面ストップして来月上旬ごろ復旧させる。料金は日割り換算で減額するとの内容だった。


きょうは22日。docomoの5GB契約を確認したら、先月の繰り越しGBが加算されて月末まで8GBの余裕があった。けれども、このWi-Fiをビジネスや学習で頼っていた人には大きな迷惑になるだろう。

会社からの説明メールに、改善部品が中国から届かないことが影響しているとあった。


午前中、防府トヨタでオイル交換(19万㎞走行)。来年1月で4年をむかえるので新車と交換予定。

私の担当営業の岡本さんが「中国製造の部品調達が遅れぎみなので、新車の発注は数ヶ月前にしたほうがよい」と教えてくれた。

高齢者の運転で月に5000㎞以上走るので、この度の車には高齢者アシスト機能を着けたいと思っている。


観光業をはじめとして、国内産業のあらゆるところに「中国」依存があったことが浮き彫りになった。


Wi-Fiの使い放題が昨年10月からはじまった。

それまでは、契約GB量をチェックしながらダブレットを使っていたが、縛りがなくなりFacebookやYouTuber動画を見ながらの時間が多くなっていた。その結果、本を読む時間が減った。


ダブレット使い放題。中国依存の日本経済。コロナが軌道修正してくれる。


来月12日の「長府散策」は20日で締め切った。参加申し込みは32名。ランチ希望が29名。

イタリア料理の「ビストロまさ」をキャパ最大の30名で予約している。観光ガイドの井上さんをご招待して30名になった。

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Wi-Fiが不調の毎日

ポケットWi-Fiの不調が断続的に続いている。レンタル会社からお詫びメールが何度か届いた。

私がWi-Fiを主に使いたいことはラジオ。docomoの毎月5GB契約はそのまま支払っているので不調はたしかにストレスではあるが、右往左往するほどのことはない。


来月3日が初回放送(毎週金曜日PM9時 NHK総合ラジオ)の「高橋源一郎の飛ぶ教室」その予告番組が昨夜放送された。

高橋先生と小野文惠アナウンサーが楽しく学べる1時間を提供してくださる。おそらく「すっぴん」金曜日の源ちゃんの現代国語がベース…高橋先生が選んだ一冊を読み解いていく形式ではなかろうか。


今朝5時。萩市に向かうとき「らじる」聞き逃しで昨夜の番組を再生した。

源ちゃん、やっぱり本をテーマにした。それも時節柄カミュの「ペスト」本のタイトルは知っているが読んではいない内容(450ページ)。ネズミが死んでいたという書き出しのところから実にたくみにリスナーを作品に引き込んでいった。


内蒙古の旅をした。ハイラルからホロンバエル草原をひたすら走り、ロシア国境のマンシュウリまで。途中、蒙古族のパオで泊めてもらったとき通訳が厳しい顔で指示をした「草原にネズミがたくさんいます。かわいいが絶対触らないでください。ペスト菌の危険があります。発症したら防疫体制は地域を封鎖することしかありません」

島国の日本では国境や国をこえて拡がる病気という認識はなかった。


昔を思い出しながらラジオを聴いていると途絶える。聴きたいので車をとめて番組を続けているとまた途絶える。これはWi-Fi通信速度が落ちていると判断できた。

Wi-Fiを切って番組を最後まで聴くことができた。


来週の番組から課題図書があり予習がありそうな雰囲気だった。ワクワクする番組になりそうな予感がした。

小野文惠アナウンサー。下関市が講演依頼を5回したが忙しくて断った。

6回目オフアーを市がしたとき黒田投手が広島に戻った。小野さんも広島県民。黒田選手の心意気にあと押しされて講演が決まった。

菊川町アブニール。開場前からの長蛇にくわわったおかげでホールに入れた。入りきれない大勢のみなさんはホールで画面を見られたぐらいの盛況だった。

「鶴瓶の家族にかんぱい」裏話が今でも思い出される。

ぶっつけ番組とはいいながら取材先と打ち合わせがあるに違いないと小野さんは思った。

取材現場にノーメイクで(それならばわからない)チェクに行ったら本当に打ち合わせ無しだった。

打ち合わせがある番組は、畑で働いているばあちゃんが口紅とかあるんです。

小野さんの気さくな人柄と鼻声が好きになった。


お昼に農園ゴールイン。

朝はせわしくてゆっくり散歩できなかった愛犬2頭。別々に散歩。ゆきちゃんを道路まで連れていくと往来の車に腰が引けた。


Wi-Fi会社に専用クレームホームで現状を伝えた。

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農園に春がやってきました

「咲いていないか」と川岸の桜並木に目を凝らしながら犬と歩いた。2輪咲いていた。その1輪を日記に載せます。


桜を植樹するとき川土手を掘って「しまった」と思ったことは、土手を造成するとき採石でかたちをつくり、土はほぼ表面だけだった。

いちど試し掘りして様子をみるべきだったが、思ったときは加勢のお掃除仲間が集まっていた。

桜の樹にとっては成長するには過酷な場所となった。せめてもと思い、毎年2月に寒肥として樹一本あたり20㎏の鶏糞を施している。

ツクシも見受けられるようになった。


コロナ騒動の世の中でも自然はちゃんと営みつづけている。


小野田市から配達依頼があったので早い時間農園を出た。帰りに持世寺温泉「上の湯」立ち寄り。

ゆっくりお湯を楽しんだあと、豆腐工房でまだぬくい木綿豆腐を買った。卯の花は無料なので一袋。


お昼、豆腐と缶ビール。蕎麦で腹がふとった。


部屋のなかで、日当たりのよい場所に布団を敷いて昼寝。

運転疲れがだいぶとれた。1週間ぶりにお腹の調子がよくなった。


明日は早起きして萩市は6時に到着。

今年はいちども積雪や凍結道路を走らずに春になった。


http://sorinamu.net/


呉明美(オミョンミ)さん、親しくおつきあいしています。彼女のブログです。すてきな内容をつづっておられますよ。

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週の山場 木曜日を元気おえた

5時すぎに農園スタート。橋を渡った左の草むらから小動物が前輪の前に飛び出した。満載のたまごのことは忘れてブレーキを踏みしめた。床にコツンと小さな音がした。

毛の色と大きさとスピードから野ウサギと一瞬で思った。車をバックさせてヘッドライトで見たが、小動物も血痕もなかった。

私の干支は「卯」野卯が「木曜日の長丁場、気をつけて走れよ」とサインを出してくれたと解釈。


先週の金曜日に「あさりチャンポン」をおいしく外食した。それから腹具合がよくない。下痢止めの薬は農園常備しているが、悪いものは下に出ると母は言った。神様の「お取引払い」と教えられた「あさり」のせいではなく、なにかしら悪いモノが出ていると解釈。きょう、朝と午後にトイレ。


ダブレット操作は重枝さんを頼っている。ドコモ店に操作などの疑問を持っていくと、私のダブレットを操作して、私が使いたいようにはしてくれる。それは私の勉強にはならない。ドコモ店に行くことはやめた。重枝さんには面倒でも納得できるまで教えてもらう。


私がダブレットと付き合ってよかったことは「ブログ」毎日続けている内容はともかく「ホーム画面」に使う写真2枚と「日記」の1枚。毎日3枚を使うことになる。

ダブレットのカメラ機能で撮れるがカメラは使い勝手がよくないので安物カメラを買った。Wi-Fi機能で撮った画像をダブレットに送信できることが買うときの条件。ここでカメラとダブレットの互換を勉強できた。


学びたいことが具体的になれば道筋がひらけてくる。


菊川町の「きくお」が陽気でこの表情。

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朴の森 YouTuberでご覧ください☺️

朴の森 YouTuberデビュー‼️

重枝さん編集、桂子ちゃんナレーションです。

「朴の森」でご覧ください。周囲のみなさまにお伝えください。


今朝、星明かりの外にゆきちゃんを繋いだ。寒ければ、雨がふれば昔のヤギ小屋まで入られるリードの長さはある。出ようとする私をじっと見つめるのでうしろ髪をひかれ、大好物の「牛の爪」を与えた。驚いたことに見向きもしなかった。

幼児の指吸い、ハンカチ癖、チュチュ吸いなどを大人まで引きずることはない。いつの間にかやめている。ゆきちゃん、大人の階段を上がっている。


朝8時半、ラジオから流れる「すっぴん」テンポアップの曲が聴けなくなった「すっぴん」ロス。

4月からはじまる「らじるラボ」のプレ放送がお昼まであった。

その内容で、20日から全国封切映画「三島由紀夫VS東大全共闘50年目の真実」監督が出演された。東大闘争のあと生まれた世代。市ヶ谷で割腹した小説家ぐらいしか三島由紀夫を知らない世代。

監督が描きたかったことは、三島由紀夫が東大駒沢キャンパスに乗りみ思想が異なる学生たちと討論して、どこまで理解し会えるか、言葉の力を試したいと試みた。


作品では、その生映像が柱になっているらしい。熱量のたかい若者たちの声に耳をかたむけ、とても紳士的な言葉で若者と向き合った三島由紀夫の姿を伝えたい。

「右」と「左」が向かうところに違いはない。という、そこまでの場面が作品におりこまれている。


作品を観たい。


学校休校。甲子園中止。相撲は観客抜き。イベント会場もお休み。けれどもパチンコ店の駐車場に多くの車がある風景に果たして学生や市民はそれを納得しているのか。

水曜日、ふだんは混雑する国道を走りながら感じた。


東京オリンピック・パラリンピックは予定どおり開催と総理は胸をはった。

けれども、きょうのお昼ネットニュースで、大会組織委員会が「中止の場合は、チケット販売規約どおり払い戻しはしない」と声明を出した。


IOCとWHO、日本政府の足並みが揃わない。諸外国は鎖国状態なのに「開催」ができるだろうかと思うのは私だけなのか。総理の言い訳は聴き飽きている。政治家も国民も問われている課題がある。そのことを、この出来事で「わかってくれい」という、万物の営みがレールから外れたというサインの神心と私は受けとめている。


花壇ではないが野良生えでもない春の風景。下関市。

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ゆきちゃん1歳バースデー

ゆきちゃん兄妹、まだ目もあいていないとき、豊浦黒井の山中でダンボール箱に入れられ放置されたていた。たまたま猟で山に入っていた人に発見され自宅につれて帰ってくださった。


お宅には犬が2頭飼われており、くわえて3匹は世話が大変になる。お宅の女子高生にピアノを教えに通う先生がSNSで「飼い主さん」と発信。それをフルート教室のフルートちゃんががキャッチして「お世話をされませんか」と私にメールを届けた。


たくさんの犬たちと生活をしてきた。いまは老犬1頭になったので世話が楽になった。ここで子犬を引き受けたら、私の寿命が先になったとき無責任なことになる。

お断りしようと、その言葉を考えていたとき「全部を後ろ向きに考えている」ことに気がついた。

子犬を引き受けて、私も健康管理に気をつけて長生きする励みと考えたら前向きになる。


4月28日。太秦教会の大祭台所ご用に行っている家内に「引き取りに行こうと決めた。もしかすると2匹連れて帰るかもわからない」とメールをした。


行ってみたら一匹だけ残っていた。写真も見ていないので初対面。


ご家族に見送られて農園。5月4日にお世話をしてくださった高校生がお母さんと来園。


保護された日を誕生日と決めている。きょうは「ゆきちゃん」1歳のバースデー。体重12㎏。身体は決まったがまだ子犬。

人を困らせる。リードをつけて散歩中に後ろから股の間をくぐって前から飛び付く必殺技をくり出す。


「あの可愛い犬はどこにおるかね」とお客さんから聞かれて「あそこ」と指を指したら驚かれることがあった。

今夜は豚スペアリブを煮て誕生会。


約20年使った農園水洗トイレの調子がよくない。私が使うだけなら辛抱てきるがお客さまには不便をかける。

2月5日。下関市金剛住器の木村社長直々に社員さんと便座の交換をしてくださった。


その後、2月末に下関市市内で催された宴席で木村社長夫妻とご一緒した「農園の修理から、コロナで中国から部品が入らないので便器製造がアウト」と話された。

きょう山口市内の建築関係者も「トイレ設置ができないから引き渡しが延びている」新居に移れず困っている人が多くいることを知った。


この2日は寒かった。そのせいで指のあかぎれが口をあけて出血。

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月曜日は厚狭のさんちゃん。

月曜日のお届け先。老人介護施設は8時半ごろになる。職員さんの受付がはじまる9時前なので玄関を入って事務室前に置いていた。

今朝は玄関ドアが開かない。ボックスが置かれて「新聞・卵はこの中に」と書かれていた。


お昼前に事務室から電話「利用者さんが夜中に外に出て大騒動になりました」と経緯を説明してくれた「命」をあずかる職場の職員さんは外からのコロナと内からの利用者さん対応に奮闘中。


美祢市の山あい。10個のお届けに行ったらばあちゃんが玄関で棒立ち「とうしたかね」と聞いたら「なんで外に出たのかを考えていた」と。


きょうが月曜日で私が来ることも忘れてお金を用意していなかった。どうも認知がはじまっていると思う。


その話題にしばらくつきあった。

「ばあちゃん、うちの家内は冷蔵庫をあけて、あけた理由を考えていた」などと高齢になればそうなると笑い話になった。


震災の「復興」と言われる言葉を考えている人たちが新聞やラジオにネットで発言している。

復興が「元どおり」という意味なら私はちがうと唱える人が多いことに気がついた。


震災前と比べてという復興。それは「私を20才にもどして」という無理なことにも思える。

課題や問題が山積しているなかで築かれていく現実が復興ではないかと私の理解。


厚狭のさんちゃん。きょうはお友だちが寄り添っていた。

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しっかり汗をかいた日曜日

掃除など身の回りを整頓する習慣をつける私の工夫は「曜日」でなどで決めている。

日曜日はトイレと階段。水曜日は洗車とくに車内(雨でも)。農園で使うすべてのエンジンオイル交換は2月。


毎日は、布団をあげたあと掃除機。風呂掃除と台所。イノシシ対策ネットは朝夕開閉。


最近はじめた土曜日の布巾漂白。台所に2枚掛けている布巾を一晩漂白液につけておく。


ある会合に参加したとき「会議の前に10分ほど、玄関さきの掃除をやりませんか」と提案したら失笑をかった「掃除の大切さはわかっておるから」とたしなめられた雰囲気だった。そのメンバーからおりた。


「知っている」と「やっている」のちがいはある。


ゆきちゃん。昼間に繋いでいる場所でリードが絡まるなど、仕事の手をとめて誰かが解決しなければならないことが頻発した。とりあえず、ガレージ(家内の車・村上棟梁作)に1週間繋いだ。どう解決するかを考えた。


しっかり杭を打ち込み、リードの長さを短くしないで問題が起きない方法を考えた。そのポイントは、ゆきちゃんが楽しめる繋ぎかた・問題がおきない方法・お金がかからない。

水曜日に大型ホームセンターに立ち寄り「杭」を品定めした。プラスチック製で長さ2.5mがあった。


日曜日は掃除を終えて給油などで山口市内に出る。ホームセンターでその杭を1本買った。

計って決めた場所を掘り、その底に杭を打ち込んだ(ユンボのパケットで押し下げた)杭のまわりに石を並べて固定。そして埋め戻した。

イメージどおり根が生えたような動かない杭が完成した。


ショルダー草刈り機。今年最初のエンジン始動は一発でかかった。このタイプは5~6年前に生産中止。私が使いはじめて10数年になるけれど手入れで寿命をながらえている。

重たい、安全装置がないが馬力は格段にある。

この草刈り機にチップの刃をつけて、これから草刈りシーズンに邪魔になる木々の枝をチェンソーのように落とした。フルスロットルだったら直径10㎝ぐらいはスパッと切り落とせる。


毎年、草刈りをはじめるには、昨年からイノシシがミミズを捕食で掘り返した地面を平らにする作業からはじめる。

3時間ちかく、ユンボのパケットとゴムキャタピラーで農園内の整地ができた。


ユンボを洗って給油。20リットル軽油携行缶が重く感じた。体力がなくなった。

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たまち商店街で やさしさ発見

きのうラジオ番組、ファイナルの「すっぴん」をNHKラジオアプリ「らじる❇️らじる 聴き逃し」で何度も聞き返した。

高橋源一郎先生、毎週のコーナー「源ちゃんのゲンダイ国語」は、源ちゃんセレクト一冊を源ちゃん風に読み解いていく。最後の30分の書籍を選ぼうと時間を費やしたが、8年続いた最後の30分にふさわしい本が見つからない。

「そうだ、短編で書きおろせばよい!」と答えが見つかった。


そしてタイトル「さよならラジオ」が書き上げられた。朗読を聴いている藤井彩子さんが嗚咽をこらえている声がマイクに入り、クライマックスは源ちゃんの声までうわずった。

私が何よりも感動したことは、持ち時間内で朗読が終わる作品と朗読の技量(実は、ラストシーン。壊れたラジオから音楽が鳴り出して幕。つまり音楽で微妙な時間調整まで作品に組み込まれていた)

競馬評論家ではなく文筆家として高橋源一郎先生が輝いた。


今朝は雨。萩市に着いた6時すぎは雨足がつよかった。毎朝歩きたいと思っている。雨の日に濡れずにしっかり歩ける場所をいくつか知っている。萩市は、たまち商店街アーケードがそれにあたる。藩主が参勤で三田尻までの往還道は、この商店街を通っていたらしい。

商店街はシャッター街になっている。その道端にカゴが置かれて山口県というより萩の方言まるだしでダンボールにメッセージが書かれていた。

とくに「もったいなーから」はなつかしかった。落ちた夏みかんに「もったいない」とわざわざアーケードまで運んだ心やさしい方を想像できて嬉しい発見だった。


4月の声をきいて草刈りをはじめる。けれども暖冬多雨で雑草の元気がよすぎる。

明日から草刈りなど春の仕事をはじめようと思っている。

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短編「さよならラジオ」に泣けた

散髪代を支払うとき「来月から300円値上げになり、営業時間は少し短縮です」と告げられた。値上げで安い他店にくら替えするお客があっても上げざるを得ない事情だと頷いた。


ブライダルハラダヤ会長 原田幸次さん(80歳)とのご縁は金光教。原田さんは小郡の教会信徒総代。以前は全国信徒会長もされた。

その小郡教会は5月に開教100年の祭典が仕えられる。原田さんから「ぜひ参拝してください」とお電話を頂戴してご案内状が届いた。


私がお参りしていた教会と疎遠になったのは、信仰に疑問があったわけではなく、大きな問題はなかったが小さな疑問や意見が教会長とあり、それを修復する私に力がなく参拝をやめた。25年ぐらい前になる。


長女の照美さん夫婦が太秦教会の後継にはいり、遠距離参拝になるが太秦教会で私の信心は細々と繋がっている。


私が参っていた教会に背を向けた私が、原田さんの教会はいろいろと敷居が高い。


散髪をおえてハラダヤ本社に行き、会長ご不在だったので社長にお参りがかなわない理由をつたえて当日のお祝いを託した。


菊川画廊。午後1時に訪問を告げていた。

少し時間があったので持世寺温泉400円。新型コロナで近くのお温泉がクローズしているせいかお客は多かった。

湯上がり、隣の豆腐工房で菊川さんにお土産豆腐を買った。


30年近いと思うが、私が手がけた出版で画家、石原忠幸先生とご縁結んでくださったのが画廊の菊川さん。

いまは一滴の酒も口にされないのは、その頃までに人生の酒を飲み過ぎた。それに、わたしもつきあった「いい店がある」と連れていかれた「くっちゃん」魚の干物とコップ酒。魚を焼く煙と煙草の煙。お隣さんと両肩があたるカウンター。トイレの道のりは客の背中に「すみません」と声をかけながら。


安い酒で大きな夢を語り合った。

今はコーヒーで、これからの人生をどう生きようかと語り合える。

写真は愛子さん(お嬢さん)に頼んで撮ってもらった。


訪問目的は、月末の日曜日に長府を訪れる都合をすりあわせることだった。


土日を除いて、午前中の楽しみだった「すっぴん」がファイナルをむかえた金曜日。

いつまでも続かない寿命がある。ラジオ番組にもそれがある。

金曜日は高橋源一郎先生。11時から恒例「源ちゃんのゲンダイ国語」は、作家の源一郎先生が最終の「ゲンダイ国語」に書き下ろした短編小説「さよならラジオ」をご本人が朗読された。

この小説の背骨はラジオの力。その力の背景は、8年アンカーをつとめた藤井彩子さんを暗に意識している作品。途中から源ちゃん朗読の声が詰り彩子さんの嗚咽。


8年、ほんとうに楽しませてもらい、学ばせていただいた「すっぴん」に心からのお礼の拍手をおくった。

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コロナで真価が問われている

響灘の一枚。

先週の木曜日は荒天で白波だった。きょうは無風で鏡のような表情だった。


一方、陸(おか)では不景気風が吹き荒れる。

木曜日、唐戸魚市場で魚を買ったあとコンビニでコーヒーが私のメニュー。いつも駐車場は満車が今朝はガラガラ。混雑する通りもすいすい通過。唐戸市場も閑散として活気がなかった(特大イワシ6匹とアサリをひと山買った)


配達先で「大丸百貨店はお客が少なかった」「博多に行ったが地下街は閑散としていた」美容室では「卒業式がなくなり予約キャンセル」と嘆いておられた。


農園たまごキャンセルは旅館や飲食関係のお客さまからある。農園にも試練がやってきた。


その一方で外国人観光客の激減。インバウンド経済の落ち込み。その外国人観光客頼りに甘えてきた観光業はここで本来の観光業を考えるときがきたと思う。


金閣寺をはじめて拝観したとき。外国人の人ごみは凄まじく、自撮り棒が乱立して騒ぎたてる意味がわからない言葉に圧倒された。

地震の被災前。熊本城昭君之間を訪れたときは、立ち入り禁止の大広間に外国人の若者が入り寝転んでのやかましい撮影風景にうんざり。


京都の神社仏閣も外国人相手にインスタ映えする場所をつくり金儲けにまい進。

およそ「お参り」とはほど遠い京都になった。


小鹿田に観光バスが止まり、降りた中国人観光客が立ち小便の放列に唖然とした。


コロナ騒ぎは、ある面で大切なことに気づかせてくれることになればよいと私は思う。

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能町みね子さん お疲れさま

3月11日。早朝のお月さま。

NHKラジオから午後2時46分に流れた女川市役所サイレンにあわせ鎮魂の合掌をした。


きのうブログに「小耳に」と書いた内容に藤野先生がコメントを書いてくださいました。ご覧ください。


その内容は「力耕せば吾を欺かず 深耕せば吾を裏切らず」初めて鍵山相談役にお会いしたときに、足立さんのお宅で色紙に書いていただいた言葉がこの言葉です。


毎日新聞川柳

忖度と賄賂で決まる民主主義


私が大好きなラジオ番組「すっぴん」が13日、番組放送8年の幕をおろす。月曜日から金曜日までのパーソナリティ面々のなかで惚れ込んだ能町みね子さん。きょうの番組で千秋楽。

大相撲解説としては舞の海秀平さんと肩を並べる実力がある。相撲の魅力を彼女からたくさん教わった。

「みね子のあの町・この町」シリーズは、メジャーではない地方を訪れて町の魅力を深掘りする、私が大好きな旅を指南くださった。


コロナで自宅学習の小学5年生からTwitterで能町さんに質問が届いた「私は、文筆を仕事にしたいと思っています。なにをしておけはよいでしょうか」

この問いにみね子節が炸裂したと私は感じた。


その答は3つあった。


漢字を学びなさい。漢字を学んだら「うれしい」「かなしい」「おいしい」より、もっと的確にあなたの気持ちを文字であらわすことが必ずできる。


音読をやりなさい。よい文章にはリズムがあることがわかります。


日記をつけなさい。書き続けると、書かなかった人と差があります。


能町みね子さんからたくさん学ばせていただいた。そのオマケは「栄光の架け橋」をバックにリスナーさんの投稿を読んだら必ず泣ける。その実演まで披露して終わった。


最終の金曜日。高橋源一郎先生の時間、お客さまを訪問しているけれどラジオアプリ「ラジル・ラジル」の聴き逃しサービスで1週間さかのぼって聴けるから大丈夫。

きのう火曜日は、ダイヤモンドユカイさんの生歌「yesterday」と「ムクロジの木を」は何度も再生した。


来月12日「長府散策」のお申し込み25名になりました。ランチの「ビストロまさ」のキャパをひろげていただきました。20名から10名拡大しました。散策は多くなっても大丈夫ですがランチは先着順で締め切ります。

お好み焼きの名店「菊舎」もしくは「ひらた」をご用意します。


10日のお天気予報で雨マークが多い場合は中止になります。

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この季節に豪雨はめずらしい

日曜日、山口市掃除に学ぶ会。掃除をおえて私がカメラを持ってうろうろしていたとき藤野先生が、鍵山先生が背骨とされたいくつかの言葉が刻まれている石碑で、どなたかにその解説をされていた。

「小耳にはさんだ」という私のアンテナがキャッチした解説。


この石碑の文言(今はわからない)を「努力すれば報われる」と説明したり理解する人がおられるがちがう。

売上が達成できるための努力ではない。

そのような藤野節だった。


戦時中、鍵山先生の疎開先は岐阜県だった。疎開した者に割り当てられる耕作地は、耕作困難なところだった。

水があたらない山の中腹で生きるため糧を得る農業がはじまった。日照りが続いたとき鍵山少年は川から桶に水を汲んで山腹を往復する毎日が続いた。

その水は「焼け石に水」で収穫の足しにはならなかった。


けれどもと当時を回顧され話された。

あの無駄とも思える水運びで私の身体は鍛えられました。そのおかげで、カー用品(Yellow Hat)を展開するとき、全国を運転して営業するる強靭な体がつくられました。


干ばつの農地に汗をかいて運んだ水を「売上」と置き換えたると藤野節は「ちがう」

やっても結果が得られないことが多い。けれども、結果ではなく「やる」という鍵山先生の教えを「小耳にはさんだ」藤野節で忘れていたスイッチをONされた。


県庁や山口大学のおひざ元の山口市内を配達の火曜日。学校関係が卒業式を新型コロナで取りやめたことによる地元経済が動揺している。


糸賀社長の美容室ニュースタイル6店舗もキャンセルの連続。レンタル衣装やお花屋さんなどお客さまもおおきな影響があると想像できる。

「湯田温泉は宿泊も飲食も閑古鳥ですよ」と湯田温泉通の美容室で具体的に聞かされた。


梅雨でもないのに、昨夜から豪雨になった。

写真は、午後3時の農園そば厚東川。早朝6時は護岸のブロックが見えないほど増水していた。

2月と3月は雨量が少なく井戸水がピンチになる。今年は早々と増水。

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岡本拓也さんありがとうございます

月曜日の配達は山口市陶の岡本さんからはじまる。

今朝も6時20分の定刻に着いた。1週間前は真っ赤な朝焼けを撮ったが、日の出が早くなり今朝は朝焼けのあとだった。愛犬(ラブラドール)のレオが遊んでほしくて吠えまくる。頭を抱いて落ち着かそうとしたらますます吠える。


たまごをお届けする所定の場所に、代金と栄養ドリンクそれと、拓也さんが昨夜私宛に書いてくださった複写葉書が添えられていた。


私信をブログで載せることはマナーに反するかもわからないが、岡本さんと私の間柄だからお許しいただける。


複写葉書は、葉書にしたためた内容が手元に残るようカーボン紙を利用する。お掃除の鍵山先生が、複写葉書の教祖のような坂田先生を全国に紹介され広まった。


40年ぐらい前から毎日新聞の山口県版に「葉書随筆」が続いている。文字数を数えたことはないが般若心経は240文字らしい。

和田健(担当の方)さんが葉書随筆を称して240字の文学と言われたのは、葉書に押し込められる文字数はそれぐらいでおさめないと書くスペースがなくなる。


つまり、葉書の空白を相手にするには、書く内容とそれをまとめる力が必要になってくる。

岡本さんの葉書。ここまで葉書の面積に文字数で迫るまでには一朝一夕では到達できないことはわかる。


内容は、岡本さんの赤裸々な心情が短い文字からグッと伝わる。教養を強調したいと言葉づかいの美辞麗句を並べた背伸びの文字は、出したおのれの自己満足しかない。


「書く」ということを私に教えていただいた方は、20数年前の唐戸魚市場専務だった松村御大「社長は社員に伝える努力がいる」と尻を叩かれてはじめた週刊「社長通信」。御大はひたすら複写葉書と月刊「ふく福通信」を続けておられる。


岡本さんのお母さん90歳をこえられた。数年前に余命宣告を受けて積極的な治療をやめられた。それから浮腫みがなくなり食欲が盛り返された。

いまは、ご自宅から近いケア住宅。近くを通るとき立ち寄るとパジャマではなく、このまま街に行ける支度で生活をしておられる。

そのお母さんに拓也さんが葉書を出しはじめた。それにお母さんが葉書で応える。習字と味噌づくりは達人の域までのお母さんの筆跡が弱々しくなられたが、息子からもらう葉書が生き甲斐になっておられる。


頂戴した一枚の葉書が、心ゆたかな月曜日にさせてもらえた。岡本さん、ありがとうございました☺️

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松岡さんご夫妻に感動!

今朝の夜明けはオレンジ色に染まった。6時過ぎ犬の散歩でカメラを忘れていた。


すでにバス釣に来た車が2台、若者3人が河原に立ってキャステングを繰り返していた。、

挨拶の声をかける距離と思ったとき赤色ヤッケの若者が「おはようございます!」と川土手の私を見上げて挨拶の先手を。


犬と川土手を朝夕歩くとき、捨てられた絡まった釣糸・弁当箱や缶コーヒーなどを、ビニール袋を片手に拾いながら、捨てたかもわからない若者を敵視して、挨拶などするものかという態度だった。


思い出したことがあった。

20数年前、掃除開眼のころ会社玄関に捨てられる煙草が気になった「捨てるな」の貼り紙をつくろうと思っていたとき鍵山先生ご著書から「捨てられる隙がある」と読みとらせていただいた。


捨てる人、捨てられて気持ちがざわつく私。そこで捨てる人を責めずに心が「ざわつく」私のありようを問われた。

その「隙」をうめることを花壇づくりにした。

花壇に花が咲き始めたころから吸い殻を拾うことがなくなった。


川土手に捨てられるゴミを「持って帰れ」と叱ったこともあった。けれども互いに敵視になっては解決はしない。


そこではじめた挨拶。息子より若い少年たちに、こちらから挨拶をすることは礼儀に反していると、その壁に挑戦を続けた。

その勇気は鍵山先生が、本社のトイレの床を磨いているとき社員が黙って、掃除をしている腕を跨いで用を足したけれど、掃除はやめなかった。その信念に見習いたい。


鍵山先生の掃除を実践して自身を磨きたい。それだけで山口市掃除に学ぶ会を立ち上げられた松岡さんが3年前に「山口市掃除に学ぶ会」を立ち上げられた。

きょうは松岡さんから岡本さんにバトンを渡す場面になった。

鍵山先生の生き方を徹底実践された松岡さんは奥さまを手まねきされた「家内のおかげで」と声をつまらされた。

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長府散策 お待ちしています

4月12日、長府散策ご案内が重枝さんのお力添えでできました。

公民館10時集合。ゆっくり散策をベテラン観光ガイドの井上さん(長府の宝と呼ぶ人もあり)にお願いしています。2時間歩いたあとランチをご希望される方には「ビストロまさ」20席を貸しきっています。先着順になります。


ご家族やお友達もご一緒にどうぞ。

問い合わせなど「あだち📞09048066345」


口蹄疫や鶏インフルエンザ、豚コレラで殺処分されてしまう家畜たちの映像に胸をいためた人は多かった。

宮崎県川南町で処分される当日の朝に出産した仔牛。飼い主の方が母と子供にリボンをつけて県職員に「同じ場所に埋めてください」と手をあわされた場面は泣けてしかたがなかった。


鶏と生きている私には、報道には載せられない関連している多くの人たちの苦悩も想像できた。

家畜の餌を請け負っている会社。その多くの従業員は仕事が無くなる。そのトラックが給油するガソリンスタンドの売り上げも落ちる。

まさに「風が吹けば桶屋が儲かる」の図式があった。


新型コロナは「しんあい農園」にもジワジワと影響を及ぼしはじめている。旅館やホテルに飲食店からの注文が減りはじめた。


この逆境で農園経営をする長男、働く私の底力がつく。

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温泉とビールと昼寝の金曜日

今朝、外の水道蛇口が凍った。

日中は乾燥注意報が出て消防署の広報車が火災の注意を呼び掛けてまわり、市役所からも注意喚起のメールが連日届いている。

2度枯れ草を焼いて大慌てをしたことがある。春が近いころ、枯れた草が風にふかれる日がある。


燃やしていた紙くずが舞い上がり、その枯れ草に落ちたとき火が着いた。燃え広がる火のスピードに驚いた。幸い、平スコップを近くに置いていたので火の先回りをして懸命に消火した。


死んだ鶏は焼却炉で処理する。その炉は熱くなり地面の芝のような枯れ草に火が着いていた。犬が激しく吠えるので外を見たら煙が地面に広がっている最中だった。そのまま山に到達したら惨事になるところだった。上着と長靴で事なきを得た。


日中は乾燥でも、真っ白に霜がおりた早朝は遠慮なく燃やせる。たまっていた糞を受けた新聞紙などを焼却場、といっても地面を掘った大きな穴。それにいれて火を着けた。

昨夜の風もおさまっており火柱は真っ直ぐのぼった。煙は、荒滝山からおりてくる冷気に押さえられて、全部が地面を這って、川土手をおりて川面一面に漂う。

水鳥たちは煙たくてギャーギヤー騒いで飛び去った。


泊まった家内は金曜日の配達準備を4時ごろからはじめた。きょうは正志が山口市・防府市から新南陽市を私の愛車で走る。

映画館で観た「あなたへ」がテレビ放映され録画していたので朝ごはんができるまでの時間で見終わった。ストーリーを俳優高倉健がつくりあげた。

最後の舞台、平戸は一昨年に訪れた。わが家の古い車にナビはなく、そのときタブレットのGoogleをナビとして使うことを知らず呼子から平戸まで珍道中をした。


30分ぐらい走った先に赤い大きな橋がある。それを渡ったら平戸とガソリンスタンドの方から教えてもらった。

大きな赤い橋が海に掛かっていた。それを渡って相当走ったとき「?」道路が未舗装になった。その未舗装の道の真ん中には雑草がはえている。


Uターンして民家を訪ねて「ここは平戸ですか」と聞いたら、おじいさんが「車にナビはないのか」と笑われた。ここは福島という「島」だった。

道に迷った。けれども福島の山から眼下にひろがる棚田の絶景を見ることができた。

その後、健さんが渡った平戸大橋を通過できた。


平戸の旅館。サプライズで「夜の平戸を案内しましょう」と成り行き。松陰先生が2ヶ月滞在されたことや、お寺とキリスト教会が混在している文化。造り酒屋まで案内していただき試飲、試飲で至福のときを味わった。

それを思い出した。


半月前、「どんぶり一杯」のふく鍋の残り汁を家内が冷凍しており、くわえて先日の「からと屋」宴会でタッパーウェアで自己責任で持ち帰った「ふく皮」も放り込んだ雑炊が朝食。酒が欲しかった。


山口市「温泉の杜」まで約1時間も運転したくない。10分の「くすくすの湯」はコロナで休館。持世寺温泉に決めた。

掛け流しのぬるいお湯に身体の芯まで温まるほど40分ちかくで運転疲れをお湯で流した。

あがったら豆腐工房で、まだぬくい木綿豆腐(270円)と無料の卯の花ひと袋。農園帰り道のコンビニで恵比寿ロング缶を買って1000円でお釣になった。


午後から昼寝。

今夜は屋根に干した布団でしっかり寝られる。


大樹の根っこは農園ちかくのお寺。


20数年前、台風が通過した岐波海岸で倒れた松の巨木があった。磯村千代子先生が「教え子が松の根っこを掘っている」と連絡してくれた。現場に行ったら鍼灸師の男性が掘っていた。

地域の子供たちに大樹を支えた根っこを見せたいと笑った。手伝うと言ったら断られた。

数ヶ月後、あらわになった根っこを大勢の子供たちに見せた。むつかしい言葉は言わずに。

翌日から彼は根っこを埋めもどした。

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早朝は小雪が舞った

居着いてくれた野良ネコ。暗闇で光る目はヘッドライトのあかりで見ることはあった。キャットフードを入れ物に毎晩置いて、それが朝には無くなっていた。

1ヶ月ぐらい前の夜、その餌の辺りで動物が暴れる気配を布団のなかで耳にした。早朝、行ってみたら餌入れが数メートル先に転がっていた。


その日の夜から光る目が見えなくなった。キャットフードは食べられているが、餌入れがひっくり返っている。

ネコを撃退できるとすればキツネかもわからない。昨夜から餌を与えることをやめた。あの光る目が見えたら餌を再開したい。


今朝は5時半に農園スタート。下関市に向かう国道2号線で雪が舞いはじめた。

小月バイパスでトラック対向車とすれ違ったときフロントガラスにパッシ!と何かがあたった。

半年ぐらい前もこのバイパスでフロントガラスに何かが当たり、そのひび割れが成長をはじめてガラスの交換。保険を使っても3万円の免責という出費があった。

とまってフロントガラスを確認した。もう少しで貫通する小さな穴があった。視界の真ん中で気にはなるが、亀裂がこのままなら放置しておこう。


10年ぐらい前にフロントガラスが壊れたのも小月バイパス。


新型コロナの影響なのか、きのうは時化ていたのか唐戸魚市場は閑散としていた。ここ数年通っているなかでもさびしい市場風景だった。


写真は菊川の浄福寺玄関。

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「脱兎」を

5時すぎ、ヘッドライトと傘で愛犬と歩いた。橋の向こうまで行ったとき草むらから黒いネコぐらいの動物が全速力で駆け出した。しかも真っ直ぐではなくスピンしながら。正体は野ウサギ。まさに「脱兎のごとく」を目の当たりにした。


写真のキジは月曜日に撮った。婚姻色というのだろうか、この時期の姿はとくに美しい。

子供のころ「キジ鍋」を何度か食べた。脂身が美味しかった記憶と散弾(仁丹ぐらい)が肉に食い込んで、魚の骨より苦労した記憶がある。


小月ホースパークは7時前。6時半には近くのコンビニに着いて100円ブラックコーヒー。曜日ごと、決まった生活リズムができることが幸せ。

数年前、凍結で車を横転させた月曜日はリズムがすべて崩れた。同じと思える毎日こそが私はありがたい。


長府、乃木さん通りを走る7時半。村上棟梁がノエル(メガネ店)の外壁に挑んでいた「棟梁!おはよう!」と声をかけて通過。


新下関、綾羅木方面を走ってふたたび長府。棟梁はくたびれ顔で脚立で外壁工事。

ノエルさんにお届けもあり棟梁を励ましに立ち寄った。金曜日から新装開店。店主の一色さんとメガネ談義。

私の遠近メガネはフォーマルにはそぐわないフレームに「色」がはいっている。

財布と相談して新装開店セールでもとめたい。


6週間毎の血圧測定。下関方面を早朝から走って2時に病院到着。受付で体温測定ははじめて36.2度で診察室に徹された。女医さんではなかったので135の80で「ええですね」

と。


明日は、週の山場の木曜日。予報では氷点下まで冷え込む。

きょう風はすくなかった、明朝唐戸魚市場、地元の魚が楽しみ。

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山口市内は閑散としていた

県セミナーパークで著名な方が講演される。お役所仕事なので日曜日に開催はないが土曜日の開催はある。

地方で生の講演に接する貴重な機会。戸田奈津子さん、加来耕三さん、鎌田實さん、福岡伸一さん、古川薫さんをはじめ多くの方から学ばせていただいた。

余談になる。社会学者の古市憲寿さんのときは2時間の聴講、私には時間が無駄と思ったので30分ぐらいで立ち上がり中座をした。

例えば、保育園や幼稚園を無償化すれば少子化対策になる。では、その財源はどこから出てくるのかという具体論はないままにバラ色の話は展開した。挙げ句の果ては「ボクはヨーロッパのチョコレートが好きです」と言われても。服装も私が思う講師のそれではなかった。


五木寛之さんのときは岡本拓也さんと並んでしっかり聴いた。とくに、お母さんに連れられて旧満州からの引き揚げされたときのご苦労を聴かせていただき、五木寛之先生の背骨がみえたように感じた。


4月12日の「長府散策」をご案内するためチラシをつくろうと3時からタブレットに向かった。写真や文章は整ったがレイアウトする技術の壁が立ちはだかった。


私が困ったとき出てくる名物タヌキ。

チラシを作らんでも口頭で伝える人と、SNSで簡単にお知らせできる人ばかりだから無理して作らんでもええ。と耳もとで囁いた。


先日、重枝さんに写真のなかに文字を入れるアプリを教えてもらった。長府古地図を撮って、そのなかに散策案内文章を入れたら少し前に進んだ。

けれども観光ボランティアの井上さんの写真や長府の風景をレイアウトに加える技術はわからない。

重枝さんに、写真数点と案内文章を届けた「お願いします」と。

今週の土曜日。重枝さんとお会いして本気で聴いたら、それが私に身につく。


山口市内。9時すぎにひとり暮らしのご高齢(男性)のお宅に配達。パジャマ姿で出てこられ「コロナじゃない!」が挨拶で大笑いになった。


そのコロナの影響か、いつもは渋滞する山口市内の道路がすいすい走れた。

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ふくで笑顔になる

月曜日は弁天池で10㍑の水汲みをして美祢市にむかう。

配達先での会話は新型コロナ。美祢市役所付近は桜の景勝地。恒例の「桜祭り」は大勢花見客が集まりにぎわうが中止。


配達で玄関を開けたら、ばあちゃんの大声とそれに立ち向かう二人の小学生男子兄弟の大声。突然の休校でばあちゃんのゆっくり時間が壊れた。

ばあちゃん「親は、子供をお願いしますと仕事に行ったが」とため息。


それでも子供をお願いできる家族があるお宅はよい。小学校低学年のお子さんをかかえたお母さん「きょうはパートは休ませてもらいました」と途方にくれておられた。


参議院予算委員会質疑は午前と午後も新型コロナ関連質疑。政府の「休校はお願いしたが、対応は各々で」という答弁は、なにかあったら各々が責任をとりなさいと聞こえる。危機管理能力の不足を私は感じた。


絵手紙の萬代さんの配達を終えて、菅原さんに向かうとき対面する乗用車が狭い道をゆずって止まった。助手席にじいちゃんの顔が見えたので私も止めてサイドブレーキを引いた。


じいちゃんのお宅はこの道の行き止まり。5~6年前まで、毎週6個を郵便ポストに届けていた。ばあちゃんは寝たきりになっていた。

背中がまがったじいちゃんは、厚狭の電気屋さんの娘さんたちの心配をよそにここで生きると決めていた。


愛犬「ころ」が高齢で白内障で認知症なのかグルグルまわっていた。自宅の前の池に落ちた「あんたにお別れをしてもらおうと」ところちゃんに手をあわせる場面もあった。

まがった腰に草刈り機を担いでいるとき、腰には木綿の袋があった「それは何んかね」と聞いたら、草刈り機の刃にあたる小石をいれると言われた。


豪雨で寸断されたJR美祢線が復旧して電車が通るとき、電車に日の丸をふって喜んだ。


美祢市のスーパーマーケットで会ったことが何度か。じいちゃんのカゴには果物があった。


たまごの配達をお断りになって久しい。

「じいちゃん、元気じゃねー」と車に駆け寄った「あんたはいつも元気じゃね」と笑顔で応えられた。が、助手席に座っているのが不可解。


菅原さんから、数日前にばあちゃんの葬儀があった。運転しているのは東京から戻った息子さんと知らされた。

じいちゃん、身のふり方は自分で決められると思う。


「ふく」を食べて幸福になった2月末の笑顔が証拠。


「先月の写真」を更新しました。

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3月、元気に歩みましょう☺️

長門市野波瀬、極楽寺の掲示伝道が3月に更新されました。


河豚を下関では、「ふぐ」ではなく「ふく」と言う。食べて至福の時を味わえるから。

きのう29日、語呂合わせで「ふく」の日。松村御大のチャンネル(旧友・スペシャルオリンピックスなど)の面々18名が唐戸召集の赤紙。

二人に一枚の大皿に天然もの。白子や揚げ物に煮物に雑炊。デザートまでのフルコースを楽しませてもらった。ひれ酒は飲み放題だったので私はハイボールとひれ酒6杯も楽しんだ。


2月は農園で使うさまざまなエンジン(ガソリン・ディーゼル)のオイル交換。ユンボと草刈り機(ハンマーナイフ)を済ませていないので朝から交換。

グリスアップも終えて高圧洗浄。春がきたら活躍する。


先日のラジオ「日本語をわれわれは知らないうちに使いこなしている」という内容に共感した。誰に教わったのかわからないが例えば魚を「一ぴき」「二ひき」「三びき」と言葉にしている。「一ぴき」「二ぴき」「三ぴき」とは言わない。

誰に教わったのかはわからないが身のまわりを整える。親先祖を大切にすることが身についているとよい社会になると思った。


下関市貴船町の「植木紙店ギャラリー」で、第1回ふく展(油彩・版画・水彩・アクリル)が11日~16日まで催される。油彩で「ふく」といえば松村御大。

ぜひお運びください。

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