私の大晦日

きのう長門市野波瀬 極楽寺の掲示伝道が更新されていた。いわゆる本部から配られる掲示物静ではなく、毎月編み出される言葉と絵にご住職の地域と共に歩まれる意気込みを感じている。


大晦日でも農園の仕事はとまらない。小野田市と下関市にたくさんの数を配達するのが私の大晦日。

小野田市は8時半にお届けの約束をしていたが、雨のなか早めに農園を出て、お客さまの近くのコンビニでコーヒーを飲みながらWi-Fiを使わせてもらい「囲炉裏の部屋 先月の写真集」を更新した。


お昼すぎに農園に戻ることができた。食事を早々に済ませて西君の奥津城参拝。来月14日で6回目の命日をむかえる。小雪の舞う金曜日の午後、家内から「西君が川に落ちていた。救急車を待っている」という切迫した電話を防府市内で受けた。アクセルを踏み込んで農園近くまで戻ったら救急車が宇部市内に向けて疾走するのとすれ違った。農園にはレスキュー車が停まっていた。

川土手で発作を起こして転がったのかもわからない。享年48歳。持病と知的に少し障がいがあった。


彼が自転車通勤をした道を往復1時間。彼を偲びながら歩いた。


農園に戻り神様棚の掃除をした。朝夕に神様と母親に手をあわせている。棚は村上棟梁に2年前に作ってもらった。拭き掃除をすると升酒(ヒノキ)の香りがした。


ぎじろくセンター白井社長夫妻が毎年恒例の大ブリ(奥さま実家は仙崎港)を持ってご挨拶に来てくださった。家内は軍手と数本の包丁でブリに向き合っている。


🔶囲炉裏にお立ち寄りいただきありがとうございます。

来年も 凡事徹底で日記を続けます。

ブログを側面から支えてくださった重枝さんに感謝して今年を終えます。

高齢者の仲間になっている

加奈ちゃん写真展


長男が次男坊を見つめるまなざしがなんとも やさしい。


萩市と長門市で納品して、弁天池に水汲みに立ち寄った。10リットルのポリタンクふたつ。汲み終えたタンクは助手席の足下にキッチリ収まる。トイレに行っておこうと思い立ち、助手席ドアのそばにタンクふたつを置いてトイレに行った。済ませてスッキリして発車。美祢市まで走って「タンクが無い!」後戻りして駐車場に鎮座しているタンクを乗せた。


きのうは信号機が黄色になったので停車した。後続車が激しくクラクション。なんとひとつ向こうの信号機に私は従っていた。


メガネが無い、財布が無い、受けた電話の内容が記憶からすぐに消える。人の名前が出てこない。コンビニでサイドミラーを格納して駐車。そのまま随分走って収納に気がつく。まだ逆走はないけれど、そのうちやるかもわからない高齢者。


配達から戻り昼食を済ませて山口市内。給油と灯油を40リットル購入。湯田温泉簡保の湯に立ち寄り、温泉街なのでこみ合う様子はなくゆっくりできた。

加奈ちゃん写真展

今年、たくさん拝見した写真のなかで一番のお気に入りを登場させました。

9月にうまれた加奈ちゃん三男の結斗くんが愛しくてたまらない二男の慶斗くん。加奈ちゃんのカメラセンスはお子さんやパンをたくさん撮っているせいか的を得ている。年末から年始にかけて加奈ちゃんシャッターを何枚か載せたいと思います。


木曜日の夜はいつも寝不足。広範囲、250キロを10時間かけて走るので疲れすぎているのか眠りが浅い。 7時ぐらいまで寝てもよい金曜の朝を外ネコが4時ごろからニャーニャーと私を呼ぶ。お目当ては出汁ガラのイリコと散歩。灯油ストーブで夜に味噌汁の出汁をとり、そのイリコは犬からネコになった。

早朝、ヘッドライトを付けて犬と歩くとき、後ろからネコは距離を保ちながらついてくる。


今朝は0度でさほど寒くはないが、用心のため厚着で外に出てネコと犬に奉仕をした。


小月に2ヶ所、集金と鶏肉の配達があるので家内の車で出た。愛車は正志が山口市・防府市に新南陽市の長距離に使う。今年の1月に納車された軽四のハコバンが、あと少しで6万キロ走行になる。走らない日は1日もない。リースなのでメンテナンスはオールフリー。いつも調子はよい。


小月の戻り道、温泉に立ち寄ったが満車の様相だったので断念。午後から布団を敷いて少し寝ることができた。

師走の下関市・美祢市と長門市を終えた

月曜日の「ばんだい」さん。今週お留守でお会いできなかった。きのう「よしの」に12月分の支払いを預けておきますとメールが届いた。

写真がその封筒。吉野夫妻が「立派な字を書かれるね」とほめておられた。同感の私は「ばんだい」さんからの封筒など捨てずに置いている。


きのう水道管凍結を日記にのせた直後に、庄原市(広島県と島根県少し先は岡山県という中国山地のど真中で寒冷地)の林さん(掃除仲間・金光教仲間・市会議院)が蛇口の凍結対策部品の紹介メールを届けてくれた。中国自動車道のサービスエリアのトイレなどに凍結対策で使われている。

その部品を、下関市の金剛住器の木村社長(金光教仲間・中越地震ふく鍋隊仲間)に今朝の配達で見せた。1時間ほどして電話があり「手配できる」との善処。今夜、農園の台所と風呂の蛇口を撮ってメールに添付して送ります。来年になっても構いませんとお返事した。


木曜日のお昼は小月の茶房庵しみず。ご主人が愛車「カプチーノ」を洗車しておられた。スズキの軽四スポーツカーで、24年前に2万台生産された希少な車種と説明していただいた。メカニック(航空機)がお仕事だから30万キロ走行の愛車を維持できる。スズキに発注しても品切れの部品代も多くなったと話された。趣味を話題にするときの表情はとても明るくなる(吉野さんは甲骨文字がそれ)。


清水さんの愛車は冬用タイヤ。けれども積雪ではなく凍結のときは「イェティ」の商品名の脱着が容易なチェーンを駆動輪に付けると教えていただいた。さっそく検索したら「なるほど!」とガッテンできる商品だった。


私には沢山教えてくださる人がいる。

お天気アプリを頼りに

今朝8時、寒風の長府の住宅地にミカンが寄り添っていた。


ガラ携電話のお天気アプリ(月300円)を長年使っている。スマホが登場して無料アプリが出る前から毎日こまめに見ている。地域の指定ができるので宇部市吉部エリアを選択。


特に冬場の最低気温は水回りの凍結対策に欠かせない。農園の近くに宇部市最高峰の荒滝山(標高459メートル)があり、その山頂から冷気が農園におりてくるときがある。私が体験した最低気温は氷点下10度。この朝は鋳物の水道管がザクロのように割れた。鶏舎の配水も30数ヶ所破裂した。毎年氷点下6度ぐらいは何度かある。


朝6時の予想気温が氷点下4度以下のときは寝不足になる。鶏舎の配水は正志に任せている。私の住居には給湯器からくる温水の菅と水道管の2本が台所と風呂場にある。蛇口は温水と水道を選ぶことになる。排水で凍結と破裂を防ぐが、両方の菅の排水ができないから深夜1時頃から温水を45度で通して菅を温めて、水道管をチョロチョロ排水にする。この繰返しで朝を迎える。給湯器を凍結破裂させた苦い経験からやっている。


冬場は降雨が少なく井戸が渇水する。対策として川にポンプを据えて井戸の周囲に散水して地下水を維持している。そのエンジンポンプを夕方片付けを忘れて一晩川に放置した。翌朝、水冷エンジンの水が凍りエンジンは割れていた。


どんどん排水すれば問題はないが、その地下水が少ないこの時期はお天気アプリに頼ることになる。


水曜の配達を済ませて帰り道。温泉に立ち寄り湯。明日の6時は0度の予報。

凡亊徹底 が目標

テレビのニュースは3時に見る。今朝は子供の虐待死亡事故やその他でも胸の痛む内容だったのでテレビは止めた。


農園から小郡方面に向かう道路沿いに愉快な仲間がいる。先日、その前にパンジーの苗を植えている男性を目撃した。ここは地域の子供の通学路。


ロータリー クラブで事務をされている女性に「数楽の会」をご案内した。朴の森に勇気をだして来られた。そこで鍵山先生の生き方にはじめて接してから数楽の会常連になられた。もちろん鍵山先生や岡潔先生がベースの藤野先生節も彼女のツボにはまったようである。

きょうあらたまって「よい会を紹介してくださいました」とお礼を申された。口には出さなかったが、私は多くの方にご案内をしている。そのなかで貴女が一歩を踏み出したから世界が拡がったのですよ。


4時前に布団をあげる。床に掃除機をかけることは習慣になった。加えて今の季節は窓ガラスの結露を新聞紙で拭き取ることもある。これを怠ればサッシに黒いカビが生える。食器を洗いレンジも磨くことも習慣になった。

鍵山先生から教わった数々のことはなかなか実践できないが、私なりに工夫しながらやっている。


平凡なことを続けなさい「凡亊徹底」だけが私の旗印。このブログも続けることが目標。

外ネコの名前は「おーい」

早朝から配達の採卵ができるよう、3時に鶏舎の点灯をタイマーでやっている。それをしなければ、夜明けの7時半頃から産卵する。その生みたてをどんどん集めて配達用にする作業は農園師走の光景。


この時期、例えばお客さまが全員が10個を追加されたら無理になる。それでも「10個ぐらいなんとかならんかね」と言われても無理。10個は10羽の鶏が生んでくれる。鶏をこの時期だけ増やすマジックはできない。


配達の帰り道、役所の玄関には早々と松飾りがおめみえしていた。


クレーンゲームで景品が取れない詐欺まがい商法が報じられた。1週間前のNHK ラジオでリスナーの投稿🔶私はスーパーマーケットで働いている。年末恒例の抽選企画で盛り上がった。買い物で獲得した抽選券でガラポンを始めた初日の開始直後に大当たり!🔶

その直後から抽選会場は閑古鳥状態になった。先輩から「大当たりは、最終日にガラポンに入れろと言うただろう」と大叱られ。


外ネコと距離感を楽しんでいる。今朝も5時「おーい!」と呼んだら山の中から小走りで来た。餌の容器に昨夜いれたフードは完食して、山中や鶏舎の周辺で小動物を捕っていると思う。深夜に木に登り寝ている鳥も捕っていことは散乱した羽でわかる。愛犬の散歩にも距離を保って付き合う。


我輩の名前は「おーい!」

体を休めることができた

きのう日記でご紹介した鍵山相談役の動画を拝見した。ご自身が心を磨く掃除の先頭に立ち、そのことに共鳴して全国津々浦々に仲間が立ち上がっている。その、あとに続く人たちに、とても謙虚な言葉で「来年も続けましょう」とのメッセージだった。


農園に何度かお泊まりいただいた。そのあるとき、朝食を済ませてから仲間が空港までお見送りした。私は農園の仕事があり農園でお見送りをした。


農園出て鍵山先生が「空港までのあいだに足立さんの自宅に寄ってください」と言われた。私の自宅に着くと母に丁寧に「息子さんにはお世話になっています」と頭をさげられた。

その出来事を聞かされたとき、ありがたくて体が震える思いがした。鍵山先生にしては、そのことは当たり前(平凡)な行為だったのだろう。


山口市に出て給油や買い物、アルミ缶の回収を済ませて栄作さんにお線香をあげにご自宅。その後、簡保の湯に立ち寄りさっばり。


年末の忙しさを前にゆっくり半日をすごした。

You Tube に鍵山相談役

先ほど、宇部掃除に学ぶ会代表 宮川さんから「速報メール」が届きました。YouTube で鍵山相談役「検索」すると、2018年に向けて鍵山相談役からのメッセージが公開されたという内容でした。検索してみましたら再生回数増えていました。

ご関心のある方はご覧ください。


年の瀬になりたまごのご注文が増える。すでに30日までは予約で埋まっている。それなら31日でもよいからというご注文電話が何本かあった。宇部・小野田に下関市で合計800個以上。

長府と新下関と小野田市の大規模商業施設周辺の道路は混雑が予想される。それでも待ってくださるお客さまがありがたい「できるだけ早くお届けしましょう」と返事をした。


元旦は初詣を済ませて大谷山荘の初荷。2日は農園内の仕事に加わり、4日の唐戸魚市場通初競りにお使いいただく恒例の「お年玉子」を大量に南風泊市場に3日に搬入。4日からカレンダーどおりの仕事がはじまる。


正月の農園は家族でまわる。

眠気の金曜日

今朝9時に朴の森(ぜひネット検索でご覧ください)に着いた。岡本拓也さんと打ち合わせがあった。

当初は、広い敷地に糸魚川市から移築された歴史を物語る巨大な庫裏がどっかと腰をおろしていた。内部には鍵山先生を物語る数々の品が納められていたが訪れる方は少なかった。

ガッツ体操教室体育館が建ち、レストランが開店してここを訪れる人が多くなり、朴の森を訪れる方が多くなった。私は、数楽の会と山口市掃除に学ぶ会の行事でここを訪れる。

17日に催された数楽の会は寒い日曜日だった。どなたが準備をされたのか、囲炉裏に木炭がおきていた。部屋は広くて寒いが木炭がおきている風情に心は温かくなった。


現在、鍵山秀三郎記念館が敷地内に建築されている。この地がこれから人づくりを担う拠点(聖地)になる。


昨夜は長丁場の運転などで疲れきっていた。8時頃には寝たと思う。2時に目が覚めたときも体の疲れが残っていた。少し前までは気力・体力に衰えはなかったが。

4時から外に出て、私の体力で出来る仕事をやりながら、犬と猫の相手もした。今朝の6時の外気は0度で寒くはない。


金曜日は正志が山口市・防府市・周南市を私の愛車で走る。私は家内の車を使う。岡本拓也さんと打ち合わせを済ませて防府トヨタにオイル交換。私の担当は拓也さん長男の直也さん。

湯田簡保の宿に立ち寄り湯。ぬるめの湯船でうたた寝。ラウンジのソファでも睡魔が来た。農園に戻る40分の途中でも寝た。


クリスマスと年末年始は、配達の数を増やして欲しい電話やメールが多くなる。それに(ピーク)合わせて鶏の数は増やせない。その電話対応が多くなりはじめた。

記憶があてにならない

カットイン パラダイス(下関市唐戸)の中山さんとお付き合いは長い。農園を始めた当初ぐらいから毎週たまごを買いに農園に通われた。

「下関市は配達します」と言っても通われた。その理由がやがて分かった。農園の風景が中山さんの育った風景と似たところがあり、農園を訪れると子供のころの記憶がよみがえる。サクラを何本か植えられた。その後、何度か入退院をされ木曜日の配達になった。


長府の山中で趣味の菜園を仲間とされている。年中様々なお野菜をいただく。変わった品種、例えば長野県のカボチャなど苗をいただき農園で収穫もした。今年も分けていただいたハヤトウリが大量に収穫できた。


これからの時期楽しみなことは、中山さんの菜園で採れた安納芋の小さいサイズ。私の親指ぐらいの芋を、ヤカンに小石を敷いて灯油ストーブにかけて「石焼き芋」数個を紙にくるんで「お食べ」とくださる。その甘い味は絶品。


鉛筆画教室を主宰しておられ(大和交通隣り)、来年3月の発表会にむけて唐戸のサクラ並木(第一ホテル周辺)を仕事のあいまに描いておられた。


毎回お金をいただくお客さまと、月締めでいただくお客さまがある。

先月分を集金袋に入れて、郵便受けで7日に頂戴したお客さま。その集金袋がどこを探しても出てこないのでポケットマネーから家内に渡したのは8日。

14日の木曜日に郵便受けに袋があった。つまり、わたしの「もらった」という強い思い込み。このような場面が多くなってきた。


電話やメールに直接うかがったことを、即座にメモをする習慣を身に付けないと失敗が続発する。


記憶より記録。

藤中隊長と あけぼのコーヒー

ネコは寒がりというが、農園の外ネコからそれを感じない。夜中に部屋の窓(2階)から照らすと宝石のようにキラリと輝くネコの目が鶏舎や木の上で見つけることができる。早朝4時ごろからニャーニャーと階下から餌を要求して私を呼ぶ。キャット フードは夕方たくさん置いているけれど、それはそれで別の餌をねだる。とうとう根負けして朝食用の餌を用意している。

今朝は真っ暗な5時半。ヘッドライトをつけて愛犬の散歩に出ると、後ろから一定の距離でネコも散歩に付き合った。


昼間は農園の橋を渡り、かなり遠出を楽しんでいる姿を目撃している。オスだろうか。


下関市内の配達を済ませて長府の「あけぼのコーヒ」で藤中隊長とお会いした。きょうは「ふく」を題材にした短編小説「馬関お福伝説」をお預かりした。

檀具川・阿弥陀寺町の幽霊・決闘巌流島 秘剣燕返しの真実・東京物語など、たくさんの作品を拝読させていただいている。

作品を読みながら、小説は作家のストリップと感じた。つまり書き手の人生観が出ている。読ませていただき藤中隊長のお人柄がよく理解できたように思う。


午後から今年最後の血圧通院。前回採血された数値は肝臓も満点をいただき安心。血圧測定も女医さんに反応せずに「今回は合格」と太鼓判。尿酸値も安全圏。


ご注文に対して鶏の数は決まっているなかでの年末。31日の配達範囲が拡がっている。ありがたい。

眼鏡になりました

17日からメガネをかけている。レンズの上は度がなく下は老眼。左目視力は0、4まで落ちており左のレンズに仕掛けがあるらしい。

昔は裸眼で2、0だった。その視力で事なきを得たのは九州自動車道の大宰府付近。追い越し車線をかなりの高速走行中、はるか前方路上にキラリと何かが光った。車線を変更して通過した。1斗缶の落下物だった。


メガネをかけて朝の洗面。髭を剃る我が顔のシワとシミがクリアーに見えてしまう。週に何度か農園で泊まる家内と向き合うテーブルでも、これまでぼやけていた家内の顔がハッキリと見えてしまう。


老眼が顕著になったころ、安易な気持ちでホームセンターや100円ショップで老眼鏡を求めてしのいできた。それが視力に負荷をかけていた。菊川町のお客さまの長男が山口市内の眼鏡店にお勤めと知って検眼からスタートした。


俗に「歯」「目」「🌑🌑」と男の老化を言われている。次は🌑🌑のシナリオ。


山口市内の出来事。おばあさん宅に配達に行くと、同級生と紹介されたおばあさんが「うちにも配達してくれんかね」と言われたから「来週、ここに配達するとき郵便受けにおばあさんの住所と電話番号とかんたんな地図を張り付けておいてね」と言い名刺を渡しておいた。

その出来事を忘れていた。おばあさんから電話がかかった「あんたー、郵便受けに張っておけと言うから家の郵便受けに張っておるのに持って帰らんね」


そのおばあさんからいつもの3倍、30個の注文がありお届けしたら「これで、正月料理ができようか」と問いかけられた。

いい湯だな(^o^)/

アメリカ大陸を放浪している牧君から唐突なメールが届いた「セドナ ベルロック」と添え書き。

検索してみたらアリゾナ州にそれがあることがわかった。


宮崎弁しか話せない彼がスマホに通訳させながら旅をする。ヨーロッパではレンタカー1週間で5000キロを走破した。8日に渡米している。


厚狭のお客さま。80歳をこえておられるおばあさん。日当たりのよい部屋でソファに横になっておられる。新聞などしっかり読まれており社会や世界の話題を毎週した。「綾小路きみまろ」を大嫌いと言われたので理由を聞いたら、お客さまや高齢者を笑いのネタにする下品さとキッパリ。

きょう玄関には喪中。先週はネコがどれほど人に命令するかを話された。たまごを置いてソファに手を合わせた。


配達を済ませて2時半。農園近くの温泉に立ち寄り湯。農園バスはトイレと兼用で洗い場がない。温水シャワーで映画のように身体を洗う。これを18年。

春まで雨量が少なく井戸の水位が気になる。つまり節水を強いられる。湯槽であたたまる贅沢はできない。JAFのカードを提示したら580円(60円引き)で入浴できる。

しっかりお湯を楽しんだ。

気づく わかる 数楽の会

午後2時から、朴の森を会場に今年最後の「数楽の会」が催された。藤野先生の講義(雑談)の面白さは、私の胸の奥で長年モヤモヤしていた事柄を「なるほど」と解決させてくれる。


ある宗教の教会。例えば、元旦行事の祭典は仕えられない。けれども教師は早朝から夜まで家族揃って参拝される信者に向き合われる。


「合わせる」を藤野先生が雑談された。時間を定めて集めると、集める側にとっては都合がよい、反対に集められる側は自分の都合を合わせなければならない。

集めた側は、その時間を過ぎれば自由な時間となる。つまり効率がよい。


参拝してくる信者の都合に合わせた教師の姿勢が理解できた。


昨夜は末娘の真砂恵さんが次男(6歳)を伴い農園お泊まりに初めて来てくれた。予約していた山口市内の焼肉店で賑やかな夕食になった。

農園にもどり、家内たちは畳の部屋で「川」の字。私は、いつもの床に布団を敷いて枕元には愛犬のスタイルで寝た。

朝は薄い積雪。孫と愛犬散歩を楽しくできた。


防府トヨタで愛車のオイル交換を済ませて山口市内のメガネ店。1週間前にオーダーしたメガネを受け取った。時刻表や新聞の小さい活字がハッキリ読める。その代償は鏡の老けた我が顔のシミやシワに向き合うことになった。

きょうからメガネを外さない生活になる。

安易な増税かもわからない

下関市の清水千代美さんがフェイスブックに投稿された一枚。その添え書きで写真が輝いたように感じた🔶沈黙だけど 情熱的🔶


8日の毎日新聞1面に 【ガダルカナル 飢餓の島発  将校の短歌 】大見出しが目にとまった。


餓死すとも守地は離れじ最後まで日の本武士の意気を示さん     山に寝食は足らねど将兵(ツハモノ)は只一筋に銃執って起きつ


など数作が松山市で見つかった内容だった。今の世相を考えながら拝読した。


土曜日は山口県内冬の難所 県道萩秋芳線、萩市と美祢市の境にある雲雀峠を下る。今朝は路面凍結はなく快調に下った。県内、難所と呼ばれる峠をライブカメラで確認できる

「山口県道路見えるナビ」で検索すると親切な内容があります。ブックマークで私は利用しています。


10年ぐらい前から禁煙している。理由は「肩身が狭く感じた」農園に客を向かえて一服しても嫌がられる。もうひとつは「節約」。健康面は3番目。

禁煙をはじめたときからタバコ代は200円ちかく値上がりした。さらに1本あたり3円増税が検討されている。禁煙している私には関係ないことだろうか。


財源確保を安易に嗜好品に求める政治と、それを他人事で済ませる国民ではよい国にならないように思う。

なんのための財源なのか。予算に無駄はないのか。それを細かく点検する力は私にはない。ならば、そこを追及する政治家に注目しなければならないと思う。

散髪からスタート 金曜日

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長府にある下関市立歴史博物館。明日、16日~1月28日まで「長府毛利家のルーツ」企画展が催される。新装された博物館には駐車場も併設され、とても利用しやすくなった。もちろん展示もしっかりしている。冬の長府散策もよい。


私は数年前に長府観光協会を介して観光ガイドを紹介していただき、2時間かけておもに乃木神社・功山寺・毛利邸をガイドしていただいた。ガイド本ではわからない長府の「それが、ここですよ」と歴史話で解説していただき長府が好きになった。


散髪屋さんが年末で混み合う前にと思い行った。きょうは年金自給日で、これから年末まで理容師さんは多忙をきわめると話された。


Eテレ 趣味どきっ!はじめようスマホ。我流でタブレットを操作している私には大変参考になる。先日は写真の撮り方がテーマだった。きょうのホーム画面 五重の塔は、ピント操作をしなかったら暗くなる。Eテレのおかげでピントを合わせたらきれいに撮れた。撮りたい物を画面タップすればよい簡単操作だった。


12月18日午前11時30分からは「スマホを持っておでかけ」  同日の午後9時30分からは「SNSに初挑戦」すでに録画予約をしている。

初ナマコで晩酌

松村御大のお宅に配達。奥さま(貴美さん)在宅。玄関に大作が掛かっていた。長年「ふく」一筋の人生を歩まれ、下関ふく をブランドにされた偉大な功績があるにしても、それを描かれる努力を積み重ねられたことも頭がさがる思いがした。


きのう、伊方原発の差し止め判決には正直驚いた。その根拠が阿蘇山が噴火した場合とされたこと。カルデラ火山が噴火した場合、阿蘇山がそうなれば博多まで溶岩流が到達するのに1時間。関門海峡や豊後水道も溶岩で塞がれるという説もある。


原発と火力発電を比較する知識は私にはない。けれども、自然災害を根拠にすればインフラ整備はできない。その極論は巨大隕石が落下するかもわからないと拡大すればどうなるのだろう。


昨夜、動物が争う激しい鳴き声が聞こえた。2階から、その方向を照らしたら外ネコがいた。おそらくネズミを狙うネコとタヌキぐらいの小動物がはちあわせになったのではないかと思う。

今朝4時に出たらネコが元気にあらわれて安心した。野ネズミは農園でみかけなくなった。


5時半に農園を出て下関。唐戸魚市場で魚を求めた。ヒラソの柵(この漢字?)とナマコに決めた。浪花の大将と、8時過ぎにお届けの魚屋 魚仲の大将ともお会いした。今夜は刺身で小規模宴会。

私のフェイスブック

きのう瑠璃光寺近くに配達があった。運動がてら参拝した。五重の塔に向かって右側に石碑がある。


🔶(長州は、いい搭をもっている)

と、惚れぼれするおもいであった。

長州人の優しさというものは、山口に八街九陌をつくった大内弘世や、サビエルを保護した義隆などの大内文化を知らねばわからないような気もする。     司馬遼太郎

「街道をゆく」 長州路より🔶


フェイスブックをスタートしたのは1年半ぐらい前。数人の方と友だち関係を結び、その方々の使い方を眺めていた。特に発信もせず「いいね」も押さなかった。友だち申請はたくさん届いたが、申し訳ないがそのままにしていた。

理由は「いいね」になんとなくの抵抗感があった。できればコメントで向き合いたいけれど、毎日ながれてくる情報の多さに手がでなかった。

最近「いいね」を「読みました」と解釈すればよいと気がついた。

同時に、その日に思ったことを写真を添えてフェイスブックに載せている。とたんに「友だち申請」が届くようになった。もちろん「よろしくお願いします」。


外ネコが可愛い。ネコの水が器で固く凍っていた今朝5時「おーい!」と呼ぶと山から小走りで出てきた。私はヘッドライトを点けているので、ネコの目が光ってすぐわかる。4~5メートル側まで来て座り込みニヤーニャーと甘える。牛乳を器にそそいでやると喜んで舐める。フードは倉庫下の定位置に山盛りにしておくと夕方までには完食。

ぼろ切れのように痩せ細っていたが、今では貫禄さえ感じる体型になった。


明日の木曜日、配達が多くなった下関市内の配達先、おもに遠隔地を半日かけてお届けしてきた。帰り道に温泉立ち寄り。寒い水曜日だった。

モナリザの大笑い

伊藤園「おーい お茶」のラベルに俳句が印刷されている。先日、19歳 中地葉月さんの作品が印象的だった。


🔶雨の日は 貴方に一番 近付ける🔶


降りだした小雨に一本の傘。カップルが寄りそう光景が見えてきた。


深夜1時ごろ着信音で目が覚めた。迷惑メールだった。ついでにフェイスブックをあけてみると藤野先生(数楽の会主宰者)が。

【備忘】 分かるを手放す  何でも分かろうとしない

短い文章を載せておられた。


寝床の中で「分かる」を考えてみた。例えば、ある方の歴史観と私のそれが食い違う場合、お互いは「分かっている」ので認め会うことにはならない。そのようなコメントを書き込んだ。


先生から私に書き込みは「分かる」は「分けた」になるとすると分断になる。という内容だった。

大切なことを考えさせていただいた。


ラジオ「すっぴん」で大笑い。

大分市のある方が骨董店にぶらりと入った。気になる絵があったが絵画はまったくの門外漢。そこに鑑定士のような男が登場してその作品を「この作品は値上がりする」などと吹聴。その雰囲気にのまれて70万円の作品を購入。もう数十年も自宅の玄関に掲げてあるのはモナリザ。

いきさつを知らない方が先日「誰が描いたモナリザですか」と聞いた。購入した方はもういない。

寒波到来の月曜日

厚狭の妙徳寺(日蓮宗)境内を撮った。

お昼の配達時、寒風のなかガンゼキで落葉を集めるご長男と会話。

🔶水行のスタートとゴールはいつですか「11月から2月まで、100日続きます」🔶時間はいつごろ「朝のお勤めが終わって8時ごろ」🔶昨夜からの水ですか「はい、寒いときは凍ります。割れないときは中止です。裸に下帯ひとつでやります」


ガンゼキの手をとめてハツラツと応えていただいた。寒中、南無妙法蓮華を唱えながら地域の幸せを祈り夜中に歩かれる行もこれから。

凛として地域と共に歩まれる。


若いとき金光教沖縄遺骨収集奉仕団に何年も参観した。糸満付近の公共の宿や、那覇市内のホテルが定宿だった。夕食に泡盛をしこたま楽しんだ。日蓮宗の皆さん(ご高齢)は糸満の公民館に寝泊まりしておられた。


きのう夕食は腹5分目で8時ごろ寝た。1時に空腹で目が覚めた。眠れないから昨夜の録画「戦慄の記録 インパール(120分)」を観た。

30000人以上が亡くなりその多くは飢餓と病気。負傷兵は40000人以上の地獄。そのアウトラインは知っていたが唖然とした証言ふたつ。


5000人殺せばおとせる!と後方の作戦会議で指揮官の牟田口に進言。5000人はイギリス軍ではなく日本の兵隊の数をを指していた。


今でいうマスコミ、朝日や毎日の従軍記者に偽りの戦況を伝えた担当者。さらに陛下にまでも「勝てる」と報告し続けた陸軍。その上層部の「精神主義」の犠牲となり、白骨街道とまで語られる、倒れた戦友の肉まで食らった過酷な撤退。


さらに、その作戦の責任を誰もとらないこと。


いよいよ冬到来を思わせる月曜日を終えた。

臨時の出費でメガネ

好きな俳優は仲代達矢(85歳)。俳優座に学ぶころ、人前で喋る苦手を克服するため、朝夕の電車のなかで「俳優を志しています。ご迷惑をかけますが台本の稽古させてください」とことわり度胸を鍛えた話を聞いた。


作品は、乃木希典を演じた「二百三高地」「切腹」「人間の条件」など重厚な演技力だった。


今年、主宰される無名塾の生徒たちと、能登演劇堂での公演「肝っ玉お母と子供たち」にむけての稽古、そして3時間にわたる本番の記録が1時間番組で昨夜あった。


覚える台詞を部屋中に貼りつけて演技とともに身体に刻む毎日は凄いの一言。くわえてゼンソクの持病があり、酸素吸入をやりながらだった。この鬼気迫る舞台稽古で弟子は育つ。


藤中隊長の大作「阿弥陀寺町の幽霊」を読み終えて、次は「東京物語(原稿用紙130枚)」を読みはじめる。

阿弥陀寺町では藤中隊長の人生を垣間見たような気持ちになった。


仲代達矢も藤中隊長も、歳を重ねたからこそ挑める世界があるように思えた。私は歳を重ねるごとに「出来ないこと」に気持ちを奪われていた。


私のタブレット教室に、重枝さんと桂子ちゃんが時間をとってくださった。場所はWi-Fiが使える商業施設。お昼まで、ワードの文書をセブンイレブンのマルチコピー機でプリントする方法と、ブログについての操作を教えていただいた。


お昼の予約で山口市内のメガネ店。2年前につくったメガネを使うと目が疲れる相談(購入は小野田市)に行った。たまごのお客さま関係者がお店に勤務されている。

視力検査の結果、左目の視力が大変悪くなっていることが判明した。出費になるけれど新調することにした。来週の日曜日に受けとりとなる。

幽霊話を拝読

昨年の今ごろ「ええ肉だった。持って帰れ」ある猟師さんから頂戴したイノシシ肉。あまりにも立派な肉だったので撮った。すべて焼肉で胃袋におさまった。


農園に住み着くまでは「ボタン鍋」を食べてもさほど美味いとは思わなかった。ところが、山里で生活をしてみると狩猟シーズンに入るとイノシシやシカなどの肉が手に入りその味は絶品。

シカ肉(赤身)をどっさり「犬の餌に」といただき、たまたま農園で懇親会があったので家内が竜田揚げにしてシカ肉とは言わずに大皿に盛った「やっぱりクジラは美味い」と皆さんに好評ををいただいた。犬は😵⤵。


7時に萩市の常茂恵旅館お届けの土曜日。3時に起床で慌ただしい。外ネコが腹を空かしてニャーニャーと餌を欲しがり、愛犬は大小の排泄で早く歩きたい様子。朝露が降りている間に燃やしたいモノもあり、もちろん朝食や部屋の掃除機など単身赴任の朝は多忙。


藤中隊長作品、4万5千文字「阿弥陀寺町の幽霊」を昨夜から拝読。

主人公の川本拓海(藤中隊長?)が女性の幽霊と遭遇する設定。主な舞台は下関。筑豊や長崎にも舞台が移り方言まで織り混ぜて阿弥陀寺町に私をいざなった。原稿用紙に添えられた「登場人物相関図」を見ながら読み進んだので、よりのめり込めた。


女の心と男の心に「幽霊」を介在させて切なく表されたと感じたと同時に、藤中隊長が歩まれた分厚い人生を読んでいるように思えた。

読み応えがあった。


おこもり する神社

水曜日、下関住吉神社(長門國一宮)鳴瀬宮司に配達をしている。日参という言葉があるが、配達のおかげで週参することになりありがたいと思っている。


手水場で手と口を清めて本殿下の社務所の玄関、松村御大の描かれた「トラフク」が掲げられているところにお届けする。そのあと拝殿に向かい参拝をすませる。6~7人ほど御用をされる神職の方々とも顔見知りになり、神社の歴史や神事など尋ねると丁寧に教えてくださる。


先日、宮司から電話があった「8日から7日間おこもりする。境内の出入りはすべて止められる。ついては13日の配達は休みにしてほしい」

その趣旨の看板が2日前出された。その神事の内容を神職に聞いた。神具などすべてのものを入れ替える儀式と理解した。


10時に宇部市内に予定があった。9時に松原酒店にお使いものにする酒を買いに立ち寄った。

先日のフェイスブックに投稿された岡本拓也さんの言葉は🔶交通の便がよくない体育館に、みなさん来てくださりありがたい🔶

その言葉を松原さんの言葉にして店頭に出しておられた。明日のホーム画面にそれを掲載します。


松原酒店のセカンド ネームは「時代遅れの酒屋」それを一言で言うと、儲かりさえすればよいという商いはやらないという頑固さを文字にしている。


彼のメガネに叶った酒蔵から仕入れている。並んでいる酒の特徴を彼の言葉で説明できる。真っ直ぐ生きる彼と話すのは気持ちがよい。としを聞いたら「今年で還暦」と胸を張る。

長丁場の木曜日終わった

2時前の加奈ちゃん。三男の結斗(ゆいと)は、まだ首が座らない3ヶ月。3ヶ月検診で、標準的な5キロの体重を2キロオーバー。4キロで産まれたからこれで標準と笑顔のママ。


藤中隊長と3回目の「あけぼのコーヒー」は昨日。フェードアウトの人生を歩む私に、同い年の隊長は小説家を目指して執筆中は「ルート66」をベースの物語。地域の行事に積極的に関わりながら92歳のお母さんをお世話をされている。たくさん生き方によい刺激をいただいた。


今朝は、配達する数と採卵の数が整わず農園のスタートが遅れた。けれども、木曜日は木屋川をウォーキングしているのでそれをやめたら配達に支障はない。


明日のホーム画面に加奈ちゃん再登場します。



いつでも死ねる話

配達などすべて終わったのは長府。家内が今夜は農園に泊まるのでパンを買おうと思った。朝7時半にシャッターをあけてたまごをお届けしたブティック四季に立ち寄ったのはお昼過ぎ「パン屋さんはありますか」とオーナーの岡崎さん(82歳)にたずねた。


もう10数年前からのお客さま。この長府界隈で一番派手なファッションセンス、とくにツバ広の帽子はルノアール調。歳を重ねるほどに派手に装いたいと常々話される。


ご主人が3年前に亡くなられ、その仏壇に供えるパンを檀具川沿いの茶房で週に何度か焼いてもらっている。その半分をくださった。


私はご主人を存じ上げている。その姿は近くの歯科医院の駐車場で奥さまを待つ。お店まで奥さまを送り手を振っている姿など。

奥さまの趣味の絵画展覧会があると車で送り「ここは君の世界だから、僕は待っているから何時間でも観てきなさい」と言われることもしっていた。(「オレ」「オマエ」の私とは品格がちがう)


ご主人が定年され、第二の仕事に就かれたときお給料と年金はすべて奥さまに渡された。会社から支給される交通費2万7千円はご主人の懐。それを積み立て約10年の間に奥さま旅や食事などたくさん尽くしてくれた。

いま、年輩の男性を見ると主人を思い出してつらい。もし、あの世があり主人が待っているなら、すぐにでも死にたい。目を潤ませて語られた。


前置きが長くなりました。


写真は、そのブティックのマネキンです。40年、折々のファッションで着飾っているそうです。私は「美人」といつも惚れ惚れ見ています。後ろの「お尻」も魅力的なのです。

初雪が舞いました

きのう買い求めた「維新の商人(あきびと)」サブタイトルの「語り出す 白石正一郎日記」このサブタイトルも気に入った。


日記は他人に読ませる目的ではない。ところが本人が死亡したとき残ることは書き手は承知している。つまり、近親者の目にふれることを、どこかで意識しながら綴られたのではないかと想像している。


余談になるが、私の日記の目的は、鍵山先生が、簡単なことを続けなさいと「凡事徹底」という4文字に込められた。その実践と思っている。


著者の古川薫先生は御歳92歳。ご入院されていると聞いている。

先生の講演は色々な会場で何度も拝聴した。印象に残ることをひとつ挙げるとすれば、司馬遼太郎が「殉死」で乃木希典を愚将のようにあらわした。これではいけないと発奮して「斜陽に立つ」で乃木希典を世に残した。

維新の歯車を動かした長州を隅々まで調べ尽くしておられる。その歯車を財で支えた白石正一郎。

本の帯に「直木賞作家92歳の渾身作!」長州の誇りを世に出していただいた。


早朝より日中のほうが寒く感じた火曜日。5時にゴミ焼却を始めたが6時ごろから風が強くなりバケツに水を汲んで消化。さらにブリキ板をかぶせて火の用心をして配達に出た。


萩市浜崎の散策は、4月8日に決まりました。

詳細は2月ごろブログでご案内させていただきます。


王女様が迎えてくれました

厚狭のお嬢ちゃん。玄関のピンポンを鳴らすと「アナと雪の女王」なりきりで姿で迎えてくれた。タブレットでアニメ動画を見たり、まさに一家の女王様。


萩市浜崎「泉福寺(吉田松陰先生・吉田家菩提寺)」に土曜日に配達している。

昨年の4月、萩市の歴史を散策するツアーを計画した。散策場所は堀内。著名な歴史上の人物縁の屋敷、土塀の街並みをお願いした観光ガイドが詳しく案内してくれた。10数名の参加と思っていたら30名以上もお集まりいただいた。


そして「浜崎」

「堀内」を武家の街とすれば、ここは庶民の街。歴史は庶民と言われた人々があってこそ成り立つという私の想いのアンテナが反応した。この地をガイドしていただき、昔ながらの商いをされているお店を拝見させていただく散策ツアーを計画します(^_^)/


近日中にブログでご案内させていただきます。4月の日曜日に照準を絞ります。


92歳の渾身作  「維新の商人(あきびと)」

語り出す 白石正一郎日記  古川 薫

買い求めました。


ゆっくり日曜日

寿司・割烹 浪花

🔶 http://www.sushi-naniwa.info 🔶に17名のお掃除仲間(北九州から4名含む)が集い歓談した。


4時前に、岡本拓也さんが農園までお迎えに来てくださり便乗させてもらい下関。岡本さんチェックインのフロントで、宇部掃除に学ぶ会の宮川さんと偶然の合流。パーキングから夕暮れの海峡夢タワーを眺めて歩いて会場。岡本さんは靴を忘れてツッカケ。


なにはなくても松村御大(唐戸魚市場 元社長・掃除仲間は尊敬をこめて御大と呼ぶ)夫妻が到着されて会は始まった。なんとなく進行役は岡本さん。その実、取り仕切るのは御大のダミ声。

岡本順子さん還暦祝いの儀を即興。掃除の会も高齢化。名店の贅をつくした料理と飲み放題、騒ぎ放題の2時間。土曜日のお忙しいカウンターをはずして荒川大将がご挨拶にこられてお開き。


みなさんは2次会。私はタクシーでJR 下関駅。山陽本線「厚東駅」まで1時間。最近、酔いつぶれることはなくなったのは、酒は降圧剤の効き目に悪いことを実感した。つまり、持病の高血圧のおかげで酒癖があらたまった。


寝過ごすこともなく無人駅で下車。家内の運転で農園に戻った時間は10時過ぎ。土産の「太巻」そのアナゴの味に家内は大満足(よしの 夫妻から太巻最高の感想)私も、それを肴にハイボール。


4時に起きた。夜露がおりている間に焼却の点火。愛犬と外ネコの世話。いつもの1日をスタート。

山口NTT 独身寮にアルミ缶の回収。湯田「温泉の森」で、手の指がシワシワになるまでお湯を楽しんだ。


極楽寺 掲示伝道

長門市野波瀬  極楽寺の掲示伝道12月。


「他人と比べるところから 不幸ははじまる」

下関市美術館の駐車場。石の割れ目に根を張った小さいモミジをホーム画面に載せました。自然の木々を見るとき、種が落ちた場所を運命と定めて、日当たりが良かろうが悪かろうが、土に栄養があろうがなかろうが懸命に生きていく。

幸せは、自分の運命をまっすぐ(肯定的)生きること。


3時起床。窓ガラスにたくさんの結露。これから朝の行事に、窓ガラスを新聞紙で拭くことが加わる。この冬はじめて屋外の水道管が凍結した。外ネコの水容器も凍りついていた。


萩市までの峠の道路にはスノーポールが立った。いよいよ冬の到来。


野波瀬港の魚市場には、養殖ブリを1本ごとに入れる木の箱の新品が高く積み上げられていた。正月も間近になった。

師走初日

菊川画廊「絵との出会い」展。

12月10日から12月24日 午前10時~午後6時 期間中無休。


松田正平 画


菊川画廊に9時。久しぶりに近況を語り合う予定でウキウキして着いた。この年齢になって感じること、考えることを2時間しっかり話し込んだ。示唆をたくさんいただき私の糧になった。


岡林信康「山谷ブルース」は、高度成長期を労働現場で支えた男たちの胸のうち。

🔶人は山谷を悪く言う だけど 俺たち居なくなりゃ ビルもビルも道路もできゃしねぇ🔶


近代日本のあらゆる産業や発電を支えた石炭。7歳から父親に連れられて坑内作業を手伝った 山本作兵衛さん。耳が不自由で兵役免除。けれどもヤマでの労働で国策に貢献した自負が描かせたのではないだろうか。


私は、そのような話をした。

田川市石炭・歴史博物館の職員さん、尋ねたら説明してくださる学芸員さんは「作兵衛さん」と親しみをこめて呼ばれる。作兵衛おさんの人柄が偲ばれる。


レストラン「兎」に集金にうかがい。散髪を済ませて今村さんのお宅に立ち寄った。昨夜は専修大学野球監督(今村さん監督時代の選手)が訪れてくれ30年前の思い出を肴に酒を酌み交わしたと笑顔。


奥さまも交えて1時間。近況を述べあった。


菊川さん、今村さん、それぞれの夢にむかって毎日精進されていることがわかり、私も毎日を大切に生きていこうと思った。


牧さんから。

8日からニューヨーク。その後ブラジルと簡潔なメールが届いた。