11月千秋楽

先日、日曜日に浜崎など散策した。


⏹️数年前、私のグループ30人と浜崎を歩きました。ガイドは(浜崎しっちよる会)にお願いしました。人数が多いので二班編成にしてオリエンテーションは藩主の御座船(ござぶね)が格納されていた御船倉でやった。

二班のガイドはかん高い声のチャキチャキおばちゃん。もう一人は落ち着いた浜崎郵便局の局長(男性)。おばちゃんが特別に倉をご開門して特別に内部を見せてくれた。

石づくりで屋根まである薄暗い堅牢な内部を紹介したあと「謡いんさい!」と何度も局長の尻を叩いた。その意味はわからなかったが局長「わかった」と直立不動の姿勢をとって「御船謡」を倉に朗々と響かせてご披露のサプライズ。

藩政のころは浜崎の限られた家の者しか謡うことを許されなかった。浜崎住吉神社の神事。


中山家住宅で案内をしてくださったご婦人にあの日の感激を話したら「主人です」と。


来月5日浜崎朝市に行く。メンバーはリモートの仕事で体重が増加の重枝さん。新春も秋穂の正八幡宮で巫女をやるのか五十路前の桂子ちゃん。寅年の家内と私。


農園たまごを使ってロールケーキを朝市で販売する予定の「ぺりっちょ」神戸でロールケーキ専門店で腕をみがき、いまは女百姓の吉岡さんと同じ地域というから阿武町の標高400mで人生を楽しんでいるハツラツ渋谷さん。

そのロールケーキや焼き菓子を買い求めるのが私のミッション。運転手はおるので浜崎で朝酒が楽しめる。

桂子ちゃんは前夜から農園泊まりの予定で調整中。犬も桂子ちゃんに喜ぶ。


今月は私の誕生月と結婚記念日もあった。


新しい年を迎えるウォーミングアップを来月しっかり腹を決めて71歳を歩みはじめたい。

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今季はじめて薄氷の朝をむかえた

⏹️今年も作品展「世界に一つの宝物」を開催します。第9回親子展「世界に一つの宝物」切り絵とグラフィックデザインの作品です。菊川アプニールさんのご協力を頂き今年も開催することになりました。二層式の切り絵、彦島八幡宮の夏越祭「海上渡御」を初出品します。今年作成した切り絵作品や来年の干支切り絵、グラフィックデザインなど多数展示させていただきます。ポスターがまだ出来上がっていませんがとりあえずお知らせすることになりました。12/23~12/26の期間、菊川ふれあい会館展示室で開催しますのでぜひお立ち寄りください。写真は「海上渡御」の基本画像です。お待ちしています。


Facebook 切り絵作家の村井辰之先生の投稿を拝借して展覧会のご案内をします。


今月26日に村井先生ご自宅のアトリエ・ギャラリーを訪れました。目的は来年の干支を求めることでした。その作品は日記26日で紹介しています。


「作品」彦島八幡宮の神事を説明してくださいました。下関漁港から南泊(はえどまり)漁港まで、彦島神社の御神体を乗せる船は2艘をゆわえて一艘にしたて、御神体を先頭に漁船が船団をくんで勇壮に海を渡る豊漁と安全祈願の神事。


村井先生とのご縁はFacebookやバーバラで知り合った縄田牧子さんにつないでもらった。

実はその前、昨年の菊川アブニール展覧会に行った。先生の噂を清水千代美さんから聞いており、昨年の干支を千代美さんから頂戴した。内気な私は先生にご挨拶もしないまま素晴らしい作品の数々を鑑賞させていただいた。なかでも住吉神社「お田植え祭」は圧巻だった。鳴瀬宮司の濃い顔まで登場していた。


縄田さんがご自宅に案内してくださり先生ご夫妻にご挨拶できた。

小学校の教員時代に消しゴムに生徒の似顔絵を彫りはじめたのが切り絵のはじまり。広いご自宅ギャラリーには手掛けた作品の数々(コピー)がずらりと並んでいる。その額縁も先生の手によるものと聞いた。


家族や夫婦のメモリアル。退職記念に職場の皆さんから。遺影までも頼まれて生前に切り絵になっている。


先生の作品、例えば私がお気に入りの写真を持ち込み「お願いします」ではじまらない。

私の家族や愛犬たちのこと、旅をして特に印象に残っている思い出など、先生のインタビューで私が立体的になる。私とは何者ぞやが作品になる。


来年、機会を見つけて村井先生ギャラリー訪問を企画したいと思っています。


今朝は近くで吠える鹿の声で起こされた3時前。外の冷え込みが部屋でもわかった。5時半、氷点下1度になっていた。 

来月の5日に冬タイヤ交換予約をした。

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藍場川の風情です

萩市散策の催しに参加しました。

写真は藍場川の湯川家。松本川から庭に引き込み、そして家のなかをめぐり藍場川そそぐところの一枚です。川面に紅葉が映えました。


藍場川に浜崎が私の萩です。


「掲示板」きょうは7枚の写真を載せました。その7枚目は3年前、菊川画廊「水村喜一郎展覧会」の案内葉書です。


ご案内したお一人が画廊で作品を「どうしても欲しい」と買われました。


もう一人(ご夫妻)は下関市から展覧会に足を運んでくださいました。

その後、奥さまが「長野の水村美術館に行きたい」ポツリと。愛妻家のご主人は「わかった行こう」と車中泊2日で美術館往復のドライブをされた(ご主人は私より2歳年上)美術館はご長男の館長さんはおられたが作家は残念にも不在だった。


館内展示の作品「ドクダミソウ」に奥さまの足が釘付けになった「この作品を買ってください」とご主人にあまえた。


奥さまは、自宅を建てるなら大きな桜が庭にある家に住みたいと長年の夢。新築の庭に大きな桜はない。長府が見渡せる山のてっぺんに古民家が売りに出た。庭には樹齢を重ねた桜が鎮座。

家屋はすべてリフォーム。キッチンから関門海峡が見おろせる。

その一部屋にドクダミソウが掛かった。


奥さまは、その桜で染めた糸で孫の宮参りの衣装をつむぎたいと機織りの真っ最中に、松村御大夫妻と画廊で作品を買われた方と画廊の菊川さんに私がおじゃまをした。


菊川さん「煙草は?」と主に聞いた「吸いません」ならば額縁のガラスを外したほうが作品がもっと味わえますとガラスを額縁から外した。作品が力強くなったと思った。

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土曜日のご来光はいつも萩市

今朝7時「道の駅さんさん三見」から日本海。


長女(照美さん)夫婦は結婚して岡山県金光町の金光教本部(ご霊地)で暮らしていた。

主人は金光教学院という教師養成所で一年修行し教師になっていた。

霊地では金光教教学研究所でご用(勤務)をしていた。教師になったからにはどこかに布教に出たい願いを抱いていた。


金光教を知る人が一人もいない屋久島に京都から青年教師が開拓布教に赴いた。出発の日、大勢のみなさんに見送られ出発のとき、いただいた餞別をすべて出身の教会にお供えして屋久島に向かった。


その3年ぐらいあと人間より猿と鹿のほうが多い屋久島をどうして布教の地に選んだのか知りたくて屋久島に行った。


小屋を借りて生活。飯盒で飯を炊く生活をしており不審者として警察から調べられたこともあった。

数々、布教が前に進む信心の話を夜を徹して聴かせていただいた。ご神前、岩川先生が座られる畳が汗でくちていた。

屋久島布教は「ひびけ屋久島信心太鼓」と題して何かに寄稿した。


20年前、後継者がない高齢の女性教師が後継者を望んでおられる。その教会に後継者として布教されてはどうかと長女夫婦に打診があった。


太秦教会に長女夫婦は後継として赴任した。映画産業が黄金時代の太秦とはちがい斜陽の街並みの一角に教会はある。

教会運営の財は「お供え」だけ。春と秋の大祭でもご高齢の信者さんがパラパラとお参りされる。


そのなかで90歳をむかえる女性教師と大学生になった長女と来年から高校の次女に中学生になる長男。3人あわせて6人が生活をしている。

今月のはじめ90歳教師が体調を崩した。いつ葬儀になるかわからないが「この屋根の下で最後をむかえてもらおう」と照美さん夫婦と家族で決めた。


言ってみれば他人。末期の高齢者を受け入れてもらえる術は高齢者施設で働いている照美さんは知っている。そのうえで「ここで」と決めた我が娘家族を誇らしく思っている。

まだ自宅介護は続いている。

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来年を飾りました

昨夜は家内が泊まった。連日の長距離運転で疲れている。朝食をつくることもないので朝寝坊して、いやしたほうがよい金曜日でも生活習慣病で3時に目がさめてしまう。


7時まで犬と長距離散歩などを済ませて小郡に散髪。8時前に着いたが8時から15分の朝ドラ「カムカム」をうるうるしながら見た。

終戦で胸がつまるような悲しみがよく伝わった。


横道にそれる。


先日、NHKテレビで横井庄一さんがグアム島から帰還したときの音声録音をもとに編集された番組があった。


私は偏向番組と感じた。


玉砕の前、上官たちは投降した。投降した上官たちは私が(横井)が帰還しそれを話されることを恐れているだろう。日本政府に戦争責任を問うために戻ってきた。


玉砕の突撃命令は弾は撃たず銃剣突撃。もちろん指揮官が先頭。私は「玉砕」ではなく「全滅」が正しいと思う。横井さんは突撃したのか。責任を問うなら30年ちかくも穴ぐら生活せず胸を張って出たらよかった。


福岡県矢部村ご出身のK三男さん。私に龍笛を教えてくださった。その稽古の合間に満州開拓団のことを少し話された。

山あいの百姓の家督は長男がつぐ。三男として将来に希望が持てなかったとき満蒙開拓の募集があった。新天地に大志を抱いて向かった。嫁さん候補も内地から大勢来てくれ結婚できた。

引き揚げの苦労。私は「引き揚げ」ではなく「難民」とあてるのが本来と思う。食べ物がなく子供は亡くなった。


グアムやサイパンにテニアン島など漁業、その加工で生活する人たちが移住した。


たしかに東條内閣に戦争責任はある。けれども日清・日露で勝ち戦を経験して負け戦を想定できなかった人も多くいたのではなかろうか。マスコミもそれに足並みをあわせた。


つまり、横井さんが帰国直後に語った「日本政府に責任を問う」「上官は投降(逃げた)した」は的を得ていないように聞こえた。


沖縄戦没者のご遺骨収集奉仕に何年も関わり、沖縄戦を生き延びた人たちの体験を聴く機会は何度もあった。日本の兵隊さんから食べ物を分けてもらい「死んだらだめ」と生きる道を教えてもらった。反対に集団自決を兵隊さんから迫られたと言う人。


戦争の実態は「こうだった」と決めつけられない多面性がある。

横井さんが残された録音が戦争の実相を証言しているかのように報道したのは多面性のひとつかもわかないが真相を語っているとは思えず。私には偏向番組に思えた。


清末レストラン「卯」に散髪を済ませて月末の集金。

お届けは木曜日、早朝6時に玄関お届けは私の配達の都合なので毎月の最終金曜日に集金にうかがう。

いつも封筒に入れて用意してくださっている。


ポポラスに立ち寄り。オーナー仲さんのお母さんが私とゆっくり話したいのリクエストにやっと時間がとれた。「人生の車窓」を読み返されその感想を話されながら「なぜ」「どうして」の楽しい質問攻め。


来年の干支を切り絵作家、村井辰之先生の工房に求めに立ち寄った。今年の「牛」から来年にバトンタッチした。

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思わぬ珍事がおきる高齢になった

月末の木曜日は下関市内お届けと集金。

9時にシャッターがあく会社。普段は8時半ごろシャッターの前に置かせてもらうルールで10年以上。けれども集金の月末はお会いして会話を交わして代金を頂戴するようにしている「送金でもよいです」と何度か言われたが、年に12回ぐらいはお会いしたい。

その30分だけでも、その後のお届け先に到着する時間がずれる。いつもはテレビかタブレットを見ながらゆっくり弁当を食べるが、月末だけは早く食べることに専念する。


写真は寿司割烹「浪花」カウンター席の壁に最近かかった松村御大の力作。


大将から月末のお代を頂戴した。頂戴しながら「撮らなければ」と作品が気になった。いつもは腰のホルダーにあるカメラを車に置いていた。カメラを取りに小走りで車に行き撮った一枚。


荒川大将が「お店の雰囲気にとても馴染んでいます」と言われた。

その大将の言葉を松村御大ご自宅に配達のとき奥さま(貴美さん)に話したら「あの作品を描きあげたとき、絵の先生がこの作品は浪花さんの雰囲気にあうように思う」と言われたことを聞いた。


日記の要点はここではない。


撮ったあと車に戻って頂戴した一ヶ月分の代金が入った封筒を探したがない。荷台の隅々までと運転席の隅々まで探したが封筒がない。

お店のどこかに置いたのかと「すみません」と大将に声をかけて店内に入って床からカウンターなど目を皿にしたがない。


大将も私の狼狽ぶりにお付き合いくださり目を皿にしてくださった。

大将が「足立さんポケットは?」と声をかけてもらって上着のポケットに両手を入れたら左のポケットに封筒の感触があった。


つい先日も部屋でメガネを探しまくったあげくにトイレの鏡に写った顔にしっかりメガネがあった。


明日は集金などで3日連続の下関。スタートは小郡で散髪から。


帰りにどこかで立ち寄り湯と思っている。

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ご高齢カメラ愛好家に元気を頂戴した

きょうの荷室はたまごと吉岡米などでいっぱいになった。6時前の小月お届けが最初。冷たい雨が9時ごろまで降り続いた。先日買った、防寒と防水上着が重宝。


長府は7時前にポポラスとブティック四季にお届け。11時に再び長府に戻り藤中隊長や縁起焼きなどお届け。


覚苑寺(和同開珎を鋳造 長門鋳銭所跡がある)門前にもお届けがある。車をとめて境内の素晴らしい紅葉を眺めた。

私も高齢者。けれども私よりご高齢、とくに女性が大勢一眼レフを構えておられる光景に驚いた。写真愛好家がその腕を競う場面をつぶさにに見た。


明日の木曜日は週で一番長丁場の下関。

プチラボ(明日のお届けもある)納品。給油(158円)を美祢市で済ませて2時に農園に戻った。

少し横になりたいが犬が立ち上がり散歩をうながす。どんどん遠くまで元気に私を散歩させてくれる。


先日、12時間におよぶ心臓手術をした藤中さんが言った「お金より、なによりも健康が一番とわかった」と。きょう午後から検査があるので朝と昼の絶食。家内の弁当はキャンセルだった。


その働ける健康のありがたさを犬と歩きながら嬉しく実感した。


全国に掃除の輪がひろがった20数年前。鍵山先生は各地の掃除会場に足を運ばれ、便器に向き合っている人たちに声をかけてこられた。

私は掃除の会機関誌「清風掃々」取材で各地をお供させてもらった。


便器に向き合う。その汚れを見つけるためには視点を変える。つまり同じ目線で向き合わず、上から見たり、斜めから、下からも見て問題点を見つける。場合によっては指の感触も使えます。


その視点を変えて問題点を見つける。それを職場でやっている仕事の見直し。家庭で家族に対して視点を変えて見る。

そのことを学びましょうと声をかけてこられた。


農園に来られたとき宇部掃除の仲間が集まってお迎えした。

私が作っていた小さな菜園の草引きをやりましょうと鍵山先生が率先された。そのときの参加者、いまでも山本弼介さん語り草がある。


引き抜いた草を無造作に山積みしていた。鍵山先生が「山本さん、抜いた草の根を揃えたら山にしても一度に持てますよ」と揃えることを教わったと。


山本さんはタイヤの交換でYellow Hatに行ったとき小冊子「凡事徹底」を読まれて掃除に目覚められた。Yellow Hatに「私の地域でその会はありますか」と電話をされて宇部の仲間になった。


宇部高等学校事務職員だった。

定年退職まで学校のほとんどのトイレを夜中まで黙々と磨かれた。それは鍵山流の我が心磨き。

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火曜日の山の市内。元気に配達を終えました。

農園犬14年のハッピー。その前、野良犬時代の過去を言わないから年齢不詳。ずっと夜は枕元のマットで寝息をたてている。

最近なんとなく様子が変わってきた。食事中に嘔吐するときがある。昨夜1時ごろ立ち上がった気配で目が覚めた。シッコかと聞いたら尾をふった。部屋から出るときバタンと床に転がった。


捕獲されたときフィラリア強陽性。授乳で痩せ細り汚れた姿だった。殺処分と聞いて農園に連れて戻った。

どこか不調があるかもわからない。けれども、朝夕しっかり食べて出す。日中も夜も横になっている。


「はなちゃん」は18年ちかく私の相棒だった。16kgぐらいあったが配達も助手席に座りずっと一緒だった。

高齢になり体調が思わしくないとき獣医さんに診てもらった。それから約1年、毎週の通院で40万円ちかくの薬代をつかい。その薬の副作用と思われる肝臓と腎臓が悪化して腹水で妊娠しているかのような姿にもなった。苦しんで亡くなった。


若い命ならともかく、ハッピーはハッピーに生きたからこれからは成り行きに任せようと思っている。


早朝の空を写真でご紹介。


掃除の思い出をふたつ書き留めておこう。


鹿児島掃除(国分市)だった。私の班に掃除初陣50歳ぐらいの男性。男子の小便器、一番下の丸いゴミ取り陶器を任せることにした。

「ここに色々な掃除道具が並んでいます。どれを使われてもよいですから2時間やってみましょう!」黄ばんだ尿石で手強いと思った。

熱湯殺菌をしてヤスリやブラシで黙々と陶器に向き合っておられた。

2時間が終わったとき初陣が磨いたそれを手にして「会が終わったら市内に同じ物を買いに行きます。心当たりはあります。ですから、これをきょうの記念に欲しいのです」と。


宇部掃除に学ぶ会。花見が終わった4月の常盤公園トイレを会場にした。汚れぐあいは最高。

昭和幼稚園の加藤敦子さんが初陣。汚れにひるむことなく手をついて黙々と便器に向き合う仲間にとけ込んだ。2時間で結果がはっきり見えるものは掃除。


全員の感想発表を終えて解散の挨拶をした。


掃除を終えた場所に立って帰らない加藤さん。どうされたのかと思ったら便器を見て涙をこぼしていた。

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見おさめの秋を撮った

明日は勤労感謝の日。鶏は休まず産卵する。

火曜日、山口市内のお届け先でお休みの事業所。月曜日の配達を終えた小野田市からダイナミックに山口市まで走りお届けできた。

勤労感謝の日。しんあい農園にとっては感謝にならない仕事が前後に増える祝日。


4年前の火曜日も山口市内の配達。10時にお届けは飲食店。シャッターキーでシャッターをあげて店内に入るガラス戸をあける。


その日もいつものように戸に手をかけたら左に動かない。力をこめたらじわっと動く。じわじわと戸を動かしているときに大音響と言っても大げさではない、店の前を歩いている人が逃げるほどだった。


その戸が重かったのは店内のテーブルがレールにあった。つまり戸を開けたからテーブルがひっくり返った。


テーブルには取り皿・調味料・箸に爪楊枝などがあり全部が床に音をたてて散らかった。その惨状に茫然とした。


これからの配達がたくさんある。この散乱を放置してはおけないが時間がかかる。

店を出て昼ごはん抜きで配達を済ませて店に戻った2時。

軍手をはめて新聞紙を使い皿の破片やお酢や辣油に爪楊枝など床に這いつくばってやれるだけの掃除をやった。


オーナーにお詫びの電話をしたが留守電。それにメッセージをのこした「たいへんご迷惑をおかけしました。すべて弁償しますからご請求してください」と。


翌日、オーナーから電話。


🔶お店全体を録画しています。アルバイトも入れておるのでレジは誰も知らないが録画しています。

足立さんが到着する前に頼んでいた照明を電気店が工事した。そのとき店のテーブルを足場にして土足で天井工事をやった。そのテーブルは戸のそばに置いたまま帰った。


足立さんの慌てぶり。数時間あとの掃除までを見た。ご迷惑をかけました。


来週は終わっている秋を撮った。

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常盤湖70分で歩いた

熊の冬眠ぐらいよく眠れた。


金曜日は温泉から戻り昼寝。土曜日は配達から戻り昼寝。これほど寝て今夜は目があうだろうかと不安だったが8時前には熟睡していた。4時まで一度も目が覚めることはなかった。頭も身体も最近にないほどスッキリした。


予想したほど冷え込みはなく焼却ゴミや犬の長距離散歩を済ませて朝食づくり。予定に迫られていないのでゆっくりペース。部屋の掃除など済ませて血圧測定は110・70。


午前中にやっておきたいことは山口市内で給油と買い物。ガソリン157円と少し値下がりした。


もうひとつは常盤湖一周(6㎞)ウォーキング。今朝はたくさんあるパーキングがどこも満車。サッカーやゲートボール。フリーマーケットも盛況。ウォーキングを楽しむ家族など賑わいを感じた。


70歳を越えて思うことは、こらからどれほど人生の車窓を眺めることができるのかはわからない。


秋山好古は陸軍病院で死のまぎわ妻が「言い残すことはありますか」と耳元で聞いた「ない」と。それが最後だった。


6㎞を70分で歩きながら、大切な時間の使い道を考えた。


宇部掃除に学ぶ会を旗揚げした。

東岐波小学校の校内には入れず運動場の旧式便所が最初の会場だった。

広島掃除に学ぶ会の佐古金光(かねみつ)社長から。山口市のYellow Hat垣内社長から道具類の寄贈を受けた。


当時はネットはないので会場までの案内板(矢印)を電柱の運転席から見える位置に針金で固定した。

参加者は、高山・岡崎・中川・足立夫婦の5人だったが「宇部掃除に学ぶ会会場」の矢印看板を私が地域に早朝3時ごろからかけた。その「右」「左」の何十枚もの看板は佐古さんが事前に運んでくださった。


便器の消毒で煮えたたぎる熱湯をかけた。その大きなアルミの寸胴鍋は垣内社長が「お祝いじゃ」とくださった。


西岐波のプロパンガス店「出雲屋」でガスボンベと火口を借りて、お湯沸かし担当は高山君だった。

責任感から20㍑ポリタンクに自宅の深夜電力でお湯を沸かす給湯器から40㍑持ち込み便器の殺菌消毒の役目を果たしてくれた。


掃除のあと、初回は家内が食事をつくったかどうかは覚えていないが、それから後、毎月定例の掃除には家内が食事担当をしてくれた。その準備で自宅の電気ブレーカーが落ちるので「出雲屋」でガス器具を借りることになった。娘たちも学徒動員で朝食召集した。


宇部市教育委員会のH課長から封書が届いた。

内容を要約すると「あなたが始めた便所掃除は、非日常すぎる」と学校トイレを会場に使わないようにと、それは厳しい言葉だった。


目的を理解してもらうために会いに行くか悩んだ末に、風がふいたように無視することにした。


その後、中村宇部市長の奥さまが国際ソロプチミストの受賞に「宇部掃除に学ぶ会」を推薦してくださった。

大阪国際会議場に3000人のソロプチミストが集まった壇上で表彰された。

その20万円だったか、それを宇部と下関で山分けして掃除道具を買った(それが目的)


表彰のあと加山雄三とのディナーがセットされていたが体調の不調を理由にドタキャンした。

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久住町掃除に学ぶ会のこと

萩市を終えて長門市三隅。朝7時すぎ、萩方向から陽がのぼりはじめた。


日曜日の朝はトイレに浴槽など時間をかけて掃除をしている。

朝が冷え込む時期になったので午後3時、陽射しがさしこむトイレと浴槽を掃除した。


大分県久住町に「久住掃除に学ぶ会」が発足した。

大分Yellow Hat矢野社長と中津市の和菓子店「桃屋甚衛」の加来さん夫妻(中津掃除に学ぶ会主宰)たちの願いと、久住町役場職員さんの「学びたい」という気持ちが結びつき初開催を迎えた。


浜勝の元岡社長は九州各地の浜勝から10数名を選抜して応援参加をされた。

広島から井辻社長(餃子の皮・井辻食産)。山口県からはマスターズゴルフの河村社長と私が参加をした。


東京出張から大分空港に到着した河村社長を出迎えて別府で私の行きつけの焼肉店「元祖」で腹ごしらえして久住高原までの夜道を走った。途中から雪が本気で降り始めた。

私の車はノーマルタイヤ。あと少し走れば高原の宿につく場所で走行ギブアップ。またたく間に雪で車が埋まりはじめた。


宿からジープがレスキューに来てくれ、私の愛車は放置した。


宿に着いて冷えた身体で温泉の湯船に急いだ。浜勝グループが入っていると聞いていた。

脱衣場のスリッパは「履き物を揃えると心が揃う」の実践でズラリと揃っていた。

驚いた光景は、脱衣カゴに脱いだ下着などたたまれてズラリとそのカゴが並んでいた。


掃除のオリエンテーション。町の加藤さんという恰幅のよいドクターが主宰された。掃除会場は久住町役場の便所。老朽化がすすみ庁舎建て替え前の汲み取り式便所。

早朝、とても手強い便器に身体から湯気が出るほど全員が黙々と便器と向き合った2時間。


黄ばみはすべて落とされ、便器は新品の輝きを取り戻した。


掃除を終えて感想発表になった。大分ローカルテレビ局もカメラを構えていた。


新庁舎建設など久住町の改革を自治省から総務課長として派遣された山田課長の感想発表になった。


なかなか感想を述べない。涙が頬を伝わっていた。


若い山田課長の感想。


古い庁舎を取り壊して新庁舎建設計画をすすめていました。しかし、この掃除で古い物を捨てるのではなく生かしていけることをしっかり学びました。

庁舎の建設は中止します。この、いまの役場をみがいていきます。


市町村合併で久住町はなくなった。


数年前の秋、夫婦の旅で久住長湯温泉「大丸旅館」に泊まった。

懐かしい久住町役場に会いに行った。


「あだち美術館」更新しました。

小坂さんのカメラです。

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元気がもどった金曜日

花壇のような唐辛子
花壇のような唐辛子

昨夜の日記は重枝さんの手を煩わせた。書いて写真を添えてアップしても日記に反映しない。疲れて思考力が衰えている実感。

ついに電話で解決をお願いしたら簡単に手直ししてもらえた。毎日、長年やっている操作を間違えていた。


3時。気持ちよく目覚める朝にはならなかった。


金曜日はスケジュールは少ない。けれども午前中はあったがキャンセルすることを布団のなかで決めた。

二度寝をする前にゴミ焼却と愛犬の世話だけはやらねばならない。冷えた外に出て30分ほどで済ませて5時から寝た。


BSテレビ7時半から朝ドラ「カムカム」を涙でみてから湯田温泉「温泉の森」に向かった。オープンの10時まで秋の山道を走ることにした。


西鳳便山の西のふもと。狭い山道を走り佐々並市まで晩秋の景色を満喫できた。


佐々並市。ここは旧旭村だった。

村議会会議録を創業当社にご契約いただいた。旭村明木市と佐々並市が合併して旭村になったが、明木と佐々並はまったく生活圏が異なり村役場本庁舎をどちらに置くかで住民感情が折り合わず、2年交代で本庁が明木と佐々並を移動するという珍しい自治体になった。


ここ佐々並に本庁があったときの思い出。


議会事務局は総務省課長ひとりが兼任という考えられない人事配置。村長をはじめ助役、収入役の三役を支える総務課など執行部に対して、そのチェック機能としての議会。執行部の総務課長が議会事務局長ということは異例。それが問題にもならなかったおおらかな時代だった。竹内(たけのうち)総務課長、石田係長とは親しくさせてもらった。


打ち合わせが終わって退席しようと思ったら大石村長が「寿司をご馳走しよう」と私の肩をたたいた。寿司屋がどこにあったか?と思いながらついていったのは小さな食堂。巻き寿司といなり寿司を腹いっぱいご馳走になった。


車からおりて歩きまわって当時を思い出した。


金鶏の滝から山口市内に下り温泉の森にオープン10分前に到着。一番のりで入った。


ここは開館ほぼ一番でないと入らない。サウナ室三段ある席の真ん中一番上の清潔なタオルに座ることが私の「癖」こだわり。15分でしっかり汗を出した。ジャグジー湯で全身マッサージ。


11時から2階休憩室がオープン。窓際、私の好きなソファてゆっくり足をのばして館内Wi-Fiを使った。


農園近くのコンビニでロング缶一本買って昼食。布団をしいてしっかり昼寝。


元気が戻った。


きょうの掲示板は佐々並市の秋をのせます。

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木曜日 全部を終えて 芋焼酎

めずらしく水曜日の疲れがとれない木曜日の朝をむかえた3時。今朝は家内が朝食をつくってくれるのでヘッドライトをつけて仕事がはかどった。

降圧剤を服用して血圧管理を長年している。これからの季節は「ヒートショック」に気をつける。今朝、農園の気温は5度だった。


5時。たまごを満載して農園スタート。最初のお届けは下関清末レストラン「卯」玄関に置かせてもらう。真っ暗闇。


唐戸魚市場は6時過ぎに着いた。浪花の大将とご長男にいつものご挨拶。何年も通うと店の人たちとも顔馴染みになり、いろいろ教えてもらう会話、今朝は済州島のサバが一匹1000円。買おうかと立ち止まっていたら「ハンカチ」と「魚仲の大将」が耳打ちした。それが聞こえた店の女将が「刺身はできんが〆たらええ」と。氷づけで済州島から運ぶので半分冷凍でハンカチ。


最後のお届けは美祢市の「プチラボベーカリー」から「よしの」がラスト。


きょうも吉野さんの胸を借りて私の歴史認識、明治から昭和で大いに語った。

その内容を疲れた頭では無理。またの機会にしたい。


写真は今朝の唐戸魚市場に向かうウッドデッキ。

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農園のイチョウを見ると思い出す

きょう農園のイチョウ。

農園を建築中に近くのお爺さんが「お祝いでもろうてくれ」と2tトラックの荷台に転がして運んでこられた。


40年前、盆栽で育てていたイチョウを地面におろしたらこんなに育ったと説明された。

それがトレーラーでも運べない巨木になった。さいわいギンナンは落ちない。けれども黄金色に染まりそのあと周囲は黄色の絨毯になる。掃除がおおごと。


その農園をはじめてすぐ、当時のとんかつ「浜勝」の元岡社長がお祝いに来てくださった。


私がお掃除にご縁をいただいたとき鍵山先生(当時はYellow Hat社長)のお世話を献身的にされていた。

成田空港近くで空港拡張から農地を守りながら懸命にサツマイモを生産されていた新藤さんを鍵山社長は応援されていた。

そのサツマイモを大量に買われて、全国のお掃除仲間にプレゼントされていた。


元岡社長が「これからは仲間で買い取る輪をひろげましょう」と全国のお掃除仲間に声をかけるパンフレットづくりを提案され、その制作に私があたることになった。


イモ畑の写真やインタビューに足を運んだとき、すでに都内のホテルを2泊で元岡社長と予約していた。鍵山社長がそれを察知されて私に電話がかかった「ワシントコホテルに泊まりなさい」自宅で二泊しなさいと促された。


鍵山夫妻が使われたあとの風呂。元岡社長が使い最後は私が使った。さっぱりして部屋に戻ったら「やりましょう」と元岡社長に促されて浴室掃除の会。自分の体を洗う倍以上の時間をかけて浴室の上から下まで洗い最後はタオルで拭きあげた。


布団に入ろうとすると「髭を剃ったか」と聞かれた。当時は千束にあったYellow Hat本社に7時前には社長は着かれて社内の掃除をされる。その足手まといにならぬよう髭を剃り起きたらすぐに出掛けられる身支度をしたほうがよい。


鍵山社長は終業時々にライトバンの鍵がずらりと並んだ中から帰宅するキーを取られる。どの車をその日使われるかわからない。ライトバンは夕方、全部中も外もピカピカだった。

早朝の本社掃除を2日。空き缶つぶしやゴミの仕分けなど汗をかいた。


二泊目の夜「飲みに行きましょう」と誘われた。内心「これで大酒が楽しめる」着いたところは六本木という街。フェラーリやポルシェが道端にたくさをん並んで六本木に驚いた。

着いた見せにはYellow Hatの面々がスーツで行儀よく座っており、アコーディオン奏者の「シライ」という人演奏するなかで少しの酒を飲んで終わった六本木。


話が横道に逸れた。


元岡社長が農園に来られたとき両手で私の両手を強く握って、私の目をしっかり見て言われた「いいですか、農園の営業はあなたがするのではありませんからね。たまごが営業するのですからね」と。


元岡社長物語はレストラン「キャプテン」での涙の場面など枚挙にいとまがない。


みなさんから私は育てていただいた。

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私の「癖」はなおらない

農園と個人の年賀状両方を5時~6時までかけて大まかに仕上げた。


内容の文章と添える写真何枚かを選び完成。あとのデザインは専門にお任せする。


5時に座りコーヒー片手に頭はフル回転できた。

私の性格(血液型🅰️)は、何かに集中するためには、それができる環境を整えておかなければ進めない。


3時前に起き、部屋の掃除機から始まり愛犬たちの食事と散歩。昨夜届いたメールに返信。火曜日の配達準備に私の朝食。食器を洗って棚にしまってゴミの焼却。


整頓できたテーブルにコーヒーを置いたら全く白紙の年賀状アイデアがわき上がってくる。

つまり、何か気になることを放置していると回路が詰まる。


そういう「癖」がある。


配達中、あるお寺の掲示板が偶然目にとまった。引き返して読み返して撮った。


いまの言葉では「シングルマザー」。母がそれでも私を誕生させてくれた。


テレビが普及するときそれがなかった。毎晩、見せてもらう家を変えながら、チャンネル権はないけれど力道山や名犬ラッシーを後ろから楽しんだ。

東京オリンピックのときテレビがついに飯台の前に鎮座した。


33年、山大工学部で用務員奉職した退職金の全部で買った敷地50坪に満たない建売住宅(ヤクルトホーム)の抵当権設定を信用金庫の融資を受けるために「実印」を使わせてほしいと頭をさげた。


いま、私が幸せいっぱいに生きておられるのは、私の誕生を泣いて喜んだであろう母あればこそ。

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農園のシンボル 心のシンボル

岐阜県で「養鶏スクール」があると知って、長良川沿いの施設に参加費16万円を払って勉強に行ったのはまだ前の会社で社長を辞める直前。


受講生は30人ぐらいで全員が若い男たち。後で知ったが、全員が50万羽とか100万羽の採卵養鶏場の後継者。

自己紹介で「私はチャボを6羽飼っています」と言ったとき空気がかたまった。


工業製品のようにオートメーションで「卵」を生産する技術を習得する講座だった。

返金は要らない。私がめざしているものとは違うから帰ろうと思ったが反面教師としての意味はあると思い修了証まで頑張った。


病気対策で飲み水に混ぜる薬。卵の外や中身の色を消費者のニーズに応じて変える技術などをまるでマジックショーのタネ明かしを見る気分で「ふーん」「なるほど」と受講した。

チャボ6羽の私に誰も夜になり遊びに行こうとは誘わなかった。


農園をはじめて100羽の国産赤鶏「ごとう」を放し飼いで飼いはじめた。

その100羽がたまごを産みはじめた。最初の1個は母に食べてもらった。


産卵率が80%で毎日80個の卵になる。毎日その数を買ってもらうこと(30円×80個)が達成できないとき宅配で坂村真民先生から「書」が突然届いた。


お名前は存じている。詩集の一冊ぐらいは読んだ。


大きな書に封筒が添えてあった。サトイモの朝露をあつめた墨で書いた。ある方からあなたのことを聞いて書いた。

もし地元でよい石があれば石碑をつくりなさい。554番の「念ずれば」になる。世界中に1000の石碑をつくろうと念じている。


その夜、真民先生にお電話をした「すぐにお礼に行きます(砥部町)」と言うと「こんでもええ」と断られた「あんたは、とても忙しいと聞いておるから」だった。


当時、Yellow Hat鍵山社長が私の志を話された。それで「書」になった。


菊川画廊に持ち込み額装してもらった。石碑は地元の園芸業者に頼んで建立した。「念ずれば」世界で554番碑が農園入り口ある。


この石碑を心の支えにして歩んできた。

これからも歩んでゆく。

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漢陽寺の水路がわかった

今朝9時前、鹿野の漢陽寺に着いた。

写真家の皆さんが駐車場を埋めはじめていた。


鹿野町議会会議録の仕事を頂戴していたのでお寺に何度もお参りしている。私は庭を何回観てもわからない。精進料理より牛丼のほうが安くて旨い。そのレベル。


漢陽寺でずっと気になっていたのは、寺の周囲をピタピタと水音をあげながらめぐる水路。音が鳴るように傾斜の水路に小石がならべている。昼夜を問わず水音を奏でている。


その「潮音洞」という場所まで歩いた。

鹿野に水をひくために先人が命がけで掘ったであろう場所がそこだった。


映画「大脱走」を思わせる人が横になって入れる水路。この水路を貫通させると鹿野の田畑や街が潤う。ひと山をこのサイズで岩盤を掘り水の恵みをもたらした。

その水路から寺は分けてもらって水路を構築している。


高い場所から低い場所に水は流れる。


それが世界中の歴史のなかにある。低い場所から高い場所には水車で揚げたりの農耕技術。人の歴史は水からはじまる。


一泊二日の旅。


昨夜はほとんど寝ていない。

昨年の13日。次の古希誕生日をむかえるときは酒や料理ではなく、70歳まで生かされてきたことを振り返り次の人生に歩みを進める一里塚にすると決めた。


そのこと(淳貴君ポストカード・人生の車窓・秋吉台を歩く)に費やした一年をすごした。


今夜の宿。私が半年前に予約した部屋でも料理でもないグレードアップは「ぎじろくセンター」白井社長が私夫婦へのプレゼント。

「お祝いのご宿泊で承っております」とVIP待遇だった。


お世話になった方々を思い起こして感謝で胸がいっぱいになり眠れない夜になった。

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お天気に恵まれて夫婦で小旅行 

今年も夫婦ともに元気で恒例の旅に出ています。

笠戸島島、国民宿舎「王城」は立派にリニューアルして5階建。

都会のホテルを思わせる広い玄関からフロント。館内Wi-Fiパスワードや夕陽の撮影スポットと時間を聞いても笑顔で素晴らしい対応してもらえた。


部屋は湾を見おろす5階。


これから大きな風呂を楽しみ。旅行会社がセッティングしてくれた。支払いまですべてお任せの豪華な一泊になった。


ハイライトは周南市美術博物館。

そのなかでも県内高校生の絵画と写真展は圧巻だった。

きょうの掲示板に少し作品を載せました。

「まど・みちお」コーナーは撮影禁止。高校生の作品と林忠彦、常設展示はフラッシュは禁止で撮影してよい。

撮影禁止が多いなかで、この会場はとても気持ちがよかった。

掲示板にのせている館入り口の庭。それも一服の絵になっていた。


日記の写真は林忠彦展入り口の大迫力。


明日は早めに農園に戻り仕事が待っている。愛犬も待っている。


🔶「あだち美術館」更新しました。

🔶「掲示板」素晴らしい作品ご覧ください。

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連想ドラマが見逃せない

連続テレビ「おちょやん」「おかえりモネ」そして「カムカムエヴリィバディ」と番組ファンになってしまった。

朝かお昼か、その時間の15分は車をとめて見ることになっている。

今回はスタートから展開が早く面白い。きょうの萩市配達は先を急いだので録画予約して農園を出た。


子供たちに残す「人生の車窓」は昨年末に思い立ち始める決心をした。

もともと短期集中決戦型の私が「車窓」だけは長期で完成させた。

おおむね金曜日と日曜日をその時間に費やした。金曜日は湯田温泉「温泉の森」の休憩室がオフィス。ゆっくり風呂で疲れを癒してリクライニングシートでタブレット。400文字×100枚の文字は右手の人差し指で入力した。


最初に「章(車窓)」をたてた。ゆえに時系列で展開していない。


校正はプリントアウトを2度お願いした(私はプリンターがない)それを淳貴君のお母さんが朱筆加筆で訂正してくださった。

最後の推敲を済ませて淳貴君のポストカードでお力添えをいただいたデザイナーの河上さんに仕上げを依頼した。


原稿用紙の体裁にノンブルと柱をつける。そのアイデアは藤中さんの作品「阿弥陀寺の幽霊」からパクらせてもらった。


子供たちにはプリントアウトしたもの先日渡すことができた。


CDに少し作り、私の人生で特にお世話になった鍵山先生(ご長男の幸一郎さんに)・松村御大・広島の井辻さんと40年ほど前の上田部長に感謝を込めてお届けした。


ご希望の方にはLINEもしくはCDでお届けします。


休息日の金曜日。今朝はいつもの土曜日と同じ5時半に萩市に向けて小雨のなか農園を出た。


明日の土曜日。光市の国民宿舎「王城」に家内と宿泊する。それで土曜日の配達を繰り上げさせてもらった。


九州に四国や山陰など秋は2泊で旅を楽しんだ。もう10年ぐらい続いていると思う。九州は全県を楽しんだ。


今年は1泊で近場にと決まった。昔、会社の日帰り旅行で行った王城(ヒラメ料理)が最近リニューアルして人気の宿になっている。

春、フロントに電話で尋ねた「泊まりたいが、どうすれば予約が確実にできますか」と。泊まる半年前の午前9時にネットではなく電話をくださいと教えていただき予約ができた。


その宿泊。いろいろ物語があり、私のあと「ぎじろくセンター社長」を引き受けてくれた白井さんが支払いをさせてくださいと申し出があり、明日の宿泊のすべては彼のご好意にあまえることになった。


きょうの掲示板は大寧寺の紅葉。3年前と比べられるよう並べています。ご覧ください。

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男は黙ってサッポロビール

写真は今朝7時前。赤間神宮から唐戸魚市場に向かう関門海峡沿い。


このまわりはシルバー人材センターから派遣されたと思われる男性たちが枯れ葉やゴミをきれいにされている。

ここを訪れた観光客のみなさんは気持ちよく海峡をの景色満喫しされるだろう。


敷き詰められたコンクリートのメジにびっしりの雑草。この雑草にひとり向き合っておられる姿を毎週木曜日に魚を買いに行く私は知っている。


暗い時間から、海峡からの強い風に背を向けてヘッドライトで背中をまるくされている姿に感動して今朝は撮らせてもらった。


阪神淡路の震災。兵庫区浜山小学校避難所でお手伝いをした。


1000人ぐらいの避難者に炊き出しなどの支援が全国から届いた。

そのなかには売名行為とも思える政治団体や宗教団体があった。旗を掲げ支援物資を届ける行為。それはある面しかたがない。けれども受け入れる人たちには旗を見て「なんでやねん」になっていた。


毎週、ひとりで雑草に向き合っておられる人を後ろ姿でご紹介します。

元気に水曜日ありがたし

慌ただしい水曜日。はやく起きたら大丈夫。

配達の準備。私と愛犬の朝食に散歩はヘッドライト。部屋の掃除もバッチリ終えて5時過ぎに農園を出た。


長府シフォンケーキの「ポポラス」たくさんご注文を届けた6時半。

新下関界隈から綾羅木などを済ませて定刻9時40分にスペシャルオリンピックス「ちょぼハウス」に着いた。


清水さん、新本さんに田島さん。頴原さんから炊き込みご飯がどっさり届いていた。


定刻の10時半に「ちょぼ」から配達を始めた。皆さんは活動を支える事務的なことをされていた。


ふたたび長府。入退院を繰り返されているお届け先の奥さんを励ますことがきょうのメイン。10分ほど玄関に入れてもらい(寒かった)様子を聞かせてもらった。しっかり聞かせてもらい「次はもっと元気になっておられますよ」とあとにした。


先日、呉明美さんがFacebookで山口県朝鮮初中級学校が老朽化して雨漏りがあり冷房もないと窮状を投稿されて修繕費を皆さんに呼びかけられた。

そのなかで一番金額の少ない一口3千円を翌日の配達で「てじょん」明美さんのお母さんに手渡した。


その工事が無事に終わったことがお礼の葉書で届いた。


前文略 皆様からの温かいお気持ちを胸に、本校は、今後もっと開かれた学校づくりを目指し、沢山の方々の理解を得ながら、在日コリアンにとって心の拠り所となる大切な場、日本の方々にとっても一番近い国際交流の場として、より一層価値ある存在となるべく、頑張って参ります。


本当にありがとうございました。

ハングル文字 (コマッスンミダ)


水曜日、精一杯働いた。


写真は農園地域で私が大好きな秋の風景。

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秋真っ盛りの山口市

火曜日は山口市。農園を6時半に出たらよい。3時に起きて暖房をつけゆるゆると動いても大丈夫。

部屋の掃除やキッチンまわりも納得いくまでできた。ヘッドライトをつけて愛犬と長距離散歩。タヌキの親子、赤い目が上下に4つこちらを見ている。


山口市パークロードや防府市にむかう国道など秋を満喫しながら走った。


お客さまから柚子を米袋いっぱい頂戴した。

どなたか欲しいと言われるかたに配ってくださいとビニール袋までもらったのはお昼。


それから「魚はいらんかね」「豆腐はいらんかね」ではないが「柚子はいりませんか」と配達先で声をかけたら「欲しい」のお宅が続出した。ジャムにとか搾るとか。


新保さんのオフィスに石原忠幸「杵築の坂道」をかけさせてもらった。作品が喜んでいると確かに思えた。

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待望の雨がふっている

いま8日の午後4時。

5時過ぎに農園を出て山口市・美祢市から山陽小野田市に宇部市を走り3時前に戻った。


恵みの雨が強くなる前に愛犬と傘をさして歩いた。夕方の排泄が済んだ。


井戸の水井が今夜からあがるので久しぶりに浴槽にお湯をためてあたたまった。


厚狭のばあちゃん「ご主人が往って何年かいね」と聞いたら「2年と半年」と即座に返事をされた。

農機具をしまう倉庫(農舎)にたまごを届けているので整然と並んだ農機具に工具類。普通車と軽四トラックなどいまでもピカピカ。


広い庭は専門業者が定期的に整えている。ばあちゃん独りになり米はやめられた。畑も半分以上は花壇のようになった。


亡くなる前とうちゃんは不機嫌なときが多かったのは「聴こえない」ことだった。テレビを見て私が笑うとそれで不機嫌。地域の集まりに行っても聴こえないので不機嫌。

ある日「運転免許を返納したら」と耳元で言うと「わかった」とその足で警察署に返納手続きに行った。おそらく運転中に聴こえないことで危険なことがあったと思うんよ。


歳をかさねるということは不自由と向き合うこと。


14日の日曜日。NHKテレビ6時のニュースが終わったら「目撃にっぽん」今回は「遺された声~横井庄一の戦争」


陸軍中野学校で諜報を習得。フィリピンのルバング島で戦後29年も日本軍が島の奪還くるときのためにあらゆる諜報活躍をされた小野田寛郎さん。


父親がジャングルに「出てこい」とマイクで叫んでも出なかった。捜索に向かった青年とジャングルで遭遇。ジャングルから出るには上官の命令がいると語った生粋の軍人。


横井庄一陸軍軍曹は28年もグァム島で逃げ回り捕まって帰還「恥ずかしながら還りました」だった。


この「目的にっぽん」はマスコミ報道に一石を投じているのではないかと録画予約した。


小野田寛郎さんは万歳で迎えられたあと数年でブラジルに移住された。その時、全国から届いた餞別の全部を靖国神社にお供えされた。


横井庄一軍曹はグァムでのサバイバル生活は少し語ったがその後は沈黙。


生粋の軍人、小野田さんが日本から出たか。なぜ横井さんは貝になったか。


それが理解できるヒントが「目撃にっぽん」にあるように期待している。


厚狭の日蓮宗妙徳寺境内。打ち首ではありません。これから3月まで「水行」がはじまるのです。

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感動のピアノコンサート

きょう7日のハイライト「フジコ・ヘミング」ピアノソロコンサート(KDDI維新ホールメインホール)


桂子ちゃんが「行きませんか」とのお誘いに手を挙げた。重枝さんと新保さんも。チケット手配は重枝さん。

前から3列のステージど真ん中を4人で陣取ってくださった。


2000人ぐらいか3階席までの満席。

ショパン・モーツァルトを聴きながら人生を振り返っていた。


なにもない(コネや資金がない。おまけに吃音)の私が、自治体議会の音声録音を文字にして印刷製本するという当時では大きな挑戦に挑んだ。


一番の協力者は家内。自宅の抵当権を差し出して私の借金保証をしてくれた母親。

会社を立ちあげるために寝食を忘れて仕事をした。


あの懸命に生きていた時をピアノの旋律で思い出した。涙がこぼれた。


たくさんの人に支えられて私の人生の車窓。

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やっぱり疲れていた

いつものように目がさめた3時。5時半、萩市にむけて農園を出るまで私の朝食や愛犬の世話に配達の準備などいつものようなできた。

きのう8時間、アップダウンの秋吉台を歩いたので体に不調があるのかと思ったらどこも正常。


萩市でご来光。


長門市から美祢市をまわり農園に到着するお昼前から眠たくなった。

ずっと止めていた昼ビールを解禁。2本飲んで座布団枕に毛布で寝たら2時間も寝ていた。やっぱり疲れていた。


写真は明日の朝、Facebookで広告する「あだち美術館」に使う一枚。

先週からのシリーズを掛け替えました。どうぞお入りください。

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8時間を元気いっぱい歩きました

今月で70歳をむかえる。80歳まで命があるかはわからないが、そのときにはできないことを達成して70歳からを歩み出したいと昨年からそれが気になりはじめた。


農園をはじめて20年、一度も自宅に戻っていないということは、自宅の長男家族5人と食卓をかこむ団らんがない。

6年前にお国替えした母(96歳)の介護などで家内も自宅と農園の行き帰り生活。


さかのぼると20代でゼロから「ぎじろくセンター」(市町村議会録調製)を起業。子供の3人と七五三や入学式。参観日に運動会など全部を家内に任せて仕事に没頭しなければならなかった。

胃潰瘍や円形脱毛は、仕事がない金がないのなかであじわった。

最初に買った日産サニーのライトバン(中古)は30数万㎞も相棒に使った。出張のとき荷室で寝ることができた。


子供たちと旅行に行くなどはなかった。


その子供のたち3人に、父親としてはなにもできなかった言い訳の「人生の車窓」は残せた。淳貴君ポストカードもそれに添えた。


6時半「道の駅みとう」は6度。リュックを軽くしたいので昼間の格好で歩きはじめた。


秋芳洞から秋吉台に心臓破りの登りをやった。快晴の秋吉台を横断して大正洞までおりた。

松尾さんからご縁をいただいたフォトギャラリー写創蔵(しゃくら)立ち寄り。そこで私のカメラで撮ってもらって一枚。


2時半に「道の駅」ゴールイン。

私を元気に育ててくれた母。人生のあと押しをしてくれた家内に感謝の8時間。


「掲示板」は内容変更で更新します。

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豊功神社の6時

農園にお祀りしている神様と母の御霊様に毎朝かしわ手に本日のお願いを込めている。


木曜日、いつもは5時半に農園スタート。今朝は5時にスタートした。

それまでに焼却ゴミ・愛犬の世話・配達の準備など早起きして済ませた。はやくスタートする理由ははやく農園に戻りたい。今夜はしっかり寝て明朝までに疲れをとりたい。


私が古希をこえて次のステージを歩みはじめる。その区切りとして「淳貴君ポストカード」「人生の車窓」は終えた。もうひとつは「秋吉台ウォーク」その日が明日の金曜日。はやく戻ってはやく寝る。


歩くという気力と体力をいただいて古希ウォーク。完歩はできなくてもよい。それをやったことが金メダル。


「人生の車窓」きょうは4枚お届けの郵送をした。400文字×110枚は子供3人に遺す紙の墓。半年のあいだ没頭した。入力はキーボードのないタブレットを指ひとつで叩いた。


何度も訂正や修正を繰り返した半年。

その半年から学んだことは「ふりかえる」だった。ひたすら前をむいて過ごした毎日のなか大勢の皆さんに育てられ力を貸してもらった私がよくわかった。歩んできた道のりを眺めてあれもこれもと感謝をしてそのお礼を、そのカタチはまだわからないがやっていきたい。


今朝の唐戸魚市場。鮮度抜群のコイワシがあった。今夜は刺身と揚げ物に煮物で楽しみたい。


明日の日記更新は少し時間が遅れます。

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人生の車窓が歩きはじめました

今朝6時の夜明け。小屋川(小月)の信号。


子供たち3人の手元に届ける内容は「人生の車窓」「淳貴君ポストカード」「国会図書館ポストカード受け取りコピー」「人生の車窓CD」の四点。今週中に届ける。


「車窓」を読んでいただきたい方。ブログで知って読みたいとお申し出の方に随時お届け。パソコン環境を持たれないが「読みたい」方にはプリント(400文字×110枚)がすでに回し読みが始まっている。


松村御大・上田さん・井辻さん。私の人生で特にお世話になったお3人には早いうちにお届けした。CD版は50枚つくりますが時間がかかります。


ブログを支えてもらっている重枝さんにCDを届けた。ブログで公開できるかどうか検討してもらっている。


先週の水曜日。長府ポポラスお届けのときCDを一枚持っていた「母はパソコンを勉強しています。読ませてください」となった。

今朝のポポラスお届け7時前。その母が私を待っていた。11タイトルになった。その2タイトル「金光教」「会社創業」を丁寧に1週間もかけて読んでくださり「あのね」ではじまる質問がはじまった。

配達の時間が気になったが時計を見て「15分」と腰を据えてお尋ねに応えた。


「金光教が知りたい」「市町村の会議録を手掛けようと思った理由」とても時計を気にしてお尋ねにお応えできるとは思えなかった。

もう一週間読ませてくださいくださいと言われた「そのあと、ゆっくりお話しましょう」で今朝はお別れした。


明日の木曜日は、きょうお休みだった事業所などが配達日にくわわり運転時間がおおくなる。


金曜日は70歳の気力と体力で秋吉台を歩く。


LINEで親友の淳貴君は家族で周防大島観光。「みやた農園」にお母さん手作りケーキを土産に立ち寄ってくださった。

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日記らしくない日記

40代のとき。


ナザレ園訪問の2月。慶州(キョンジユ)は雪はなかったが冷え込んでいた。毎年のように私が観光ガイドで仏国寺や天馬塚など案内していたとき、風景が突然逆さまになった。歩けない。

人の肩をかりて暖房の建物まで連れて行ってもらった。それは4~5分のことだったと思う。身体が暖まると視野もよくなった。


帰国して東洋医学の診療所に行ったら「循環器専門病院に行きなさい」と西洋医学をすすめられた。


西洋医学では「高血圧で血管が切れますよ。風呂と酒とタバコは数日やめてください」と深刻な血圧数値だった。

韓国では焼き肉とキムチにマッコリ。フェリー寝不足宴会もやった。


母が高血圧だったので遺伝と医者は診断したが見立てはちがう。


九州の出張が多く、久留米の「まる星ラーメン」鳥栖市の「丸幸ラーメン」小林市の「頑徹ラーメン」は食べずに通過することはなかった(高速道路がない)いつも替え玉だった。


宮崎で芋焼酎の味を知った。銘柄は「はまゆう」お湯割で深みにはまった。


自宅で家族と団らんより、出張先の居酒屋、カウンターで週刊誌を読みながらの深酒。ホテルに戻って部屋で二次会。


会社経営でたくさんのストレスで円形脱毛症を何度もやった。胃潰瘍も。 

 

生かされて70年。


命の長さを願うより、生かされてきたことに感謝と恩返しのこれからを歩みたい。


写真は2年前に撮った「やさしい瞳」

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11月の幕があきました

11月の幕があきました。

今月もどうぞよろしくお願いします。


今月、私の一番大きな行事は今週の金曜日に計画している秋吉台ウォーク。

「道の駅みとう」に車をおいて秋吉台を目指します。秋の秋吉台の風景を楽しみながら、登り下りの起伏を横断して大正洞までおり赤郷を経由して「道の駅みとう」ゴールイン。

10年ほど前だったら完歩の自信はあるが、古希をむかえた脚はどうなのかわからない。美東タクシーの電話番号は調べておいた。


木曜日までの配達疲れを金曜日の朝までに回復できるかどうか。


7日は「フジコ・ヘミング」ピアノソロコンサート。桂子ちゃんが「行こう」と発信。重枝さんが前列の後ろ、2列目のど真ん中カブリツキ席をとってくれた。


光市の国民宿舎「王城」の予約もできた。


ハッピーは農園犬になって今月で13年をむかえる。


きょう1日は岡本拓也さん母上、絢子さん93歳のお誕生日。ほんとうにおめでとうございました。


美祢市の保護犬「そら」は私が好きでしかたがない。私も大好き。いつもこの笑顔で迎えてくれる月曜日。


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