来年を飾りました

昨夜は家内が泊まった。連日の長距離運転で疲れている。朝食をつくることもないので朝寝坊して、いやしたほうがよい金曜日でも生活習慣病で3時に目がさめてしまう。


7時まで犬と長距離散歩などを済ませて小郡に散髪。8時前に着いたが8時から15分の朝ドラ「カムカム」をうるうるしながら見た。

終戦で胸がつまるような悲しみがよく伝わった。


横道にそれる。


先日、NHKテレビで横井庄一さんがグアム島から帰還したときの音声録音をもとに編集された番組があった。


私は偏向番組と感じた。


玉砕の前、上官たちは投降した。投降した上官たちは私が(横井)が帰還しそれを話されることを恐れているだろう。日本政府に戦争責任を問うために戻ってきた。


玉砕の突撃命令は弾は撃たず銃剣突撃。もちろん指揮官が先頭。私は「玉砕」ではなく「全滅」が正しいと思う。横井さんは突撃したのか。責任を問うなら30年ちかくも穴ぐら生活せず胸を張って出たらよかった。


福岡県矢部村ご出身のK三男さん。私に龍笛を教えてくださった。その稽古の合間に満州開拓団のことを少し話された。

山あいの百姓の家督は長男がつぐ。三男として将来に希望が持てなかったとき満蒙開拓の募集があった。新天地に大志を抱いて向かった。嫁さん候補も内地から大勢来てくれ結婚できた。

引き揚げの苦労。私は「引き揚げ」ではなく「難民」とあてるのが本来と思う。食べ物がなく子供は亡くなった。


グアムやサイパンにテニアン島など漁業、その加工で生活する人たちが移住した。


たしかに東條内閣に戦争責任はある。けれども日清・日露で勝ち戦を経験して負け戦を想定できなかった人も多くいたのではなかろうか。マスコミもそれに足並みをあわせた。


つまり、横井さんが帰国直後に語った「日本政府に責任を問う」「上官は投降(逃げた)した」は的を得ていないように聞こえた。


沖縄戦没者のご遺骨収集奉仕に何年も関わり、沖縄戦を生き延びた人たちの体験を聴く機会は何度もあった。日本の兵隊さんから食べ物を分けてもらい「死んだらだめ」と生きる道を教えてもらった。反対に集団自決を兵隊さんから迫られたと言う人。


戦争の実態は「こうだった」と決めつけられない多面性がある。

横井さんが残された録音が戦争の実相を証言しているかのように報道したのは多面性のひとつかもわかないが真相を語っているとは思えず。私には偏向番組に思えた。


清末レストラン「卯」に散髪を済ませて月末の集金。

お届けは木曜日、早朝6時に玄関お届けは私の配達の都合なので毎月の最終金曜日に集金にうかがう。

いつも封筒に入れて用意してくださっている。


ポポラスに立ち寄り。オーナー仲さんのお母さんが私とゆっくり話したいのリクエストにやっと時間がとれた。「人生の車窓」を読み返されその感想を話されながら「なぜ」「どうして」の楽しい質問攻め。


来年の干支を切り絵作家、村井辰之先生の工房に求めに立ち寄った。今年の「牛」から来年にバトンタッチした。