不思議な魅力が松尾さんにはある。昨夜はそのことを考えながら寝た。
ふた言で私が松尾さんを表現すると「聴き上手」と「人が好き」となった。
私の話を聴いているときの表情。それが理解できたときの笑顔は話す私にすればとても気持ちがよい。
私もそうだと思う。人の話を悪気はないが無表情で聴いている。松尾さんは表情で「それで」「それから」と私の話題の糸をたぐるような表情で聴いてくださった。
美祢市「ひまわりカフェ」に松尾さんがFacebookで友だちになり「👍」をされている。私も人のご紹介でカフェに足を運びFacebookで友だちになっている。
オーナーは若い女性。見島で教員をされていたこと。世界中を自転車で旅をしたことなどとても魅力的な人。その女性と松尾さんのご縁を聞いた。
見島のイベントに参加する小野田市のバントメンバーと見島に行って防人最前線の自衛隊のみなさんたちと祭りで盛り上がった。松尾さんは酒は飲まれない。カメラを持ってあの笑顔で多くの人と言葉をかわしご縁ができたことを知った。
私も「人が大好き」その半分は酒がご縁。松尾さんは笑顔でたくさんの人たちとつながつておられる。
話を肯定的に聴く達人はもう一人。それは村上棟梁。人の話をしっかり聴く力を持っている。
喋る人より聴く人になりたいと思った。
今朝は食欲がない朝をむかえた。それでも豆乳と納豆にバナナとヨーグルトを4時に腹に入れて5時半に農園スタート。萩市から美祢市の配達をした。
昼ごはんは缶ビールをお供でおいしく食べた。15分ほど夢をみてから草刈り3時間半を元気に終えた。
昨夜は8時間睡眠達成。きのう昼寝もしたので4時に目がさめたとき頭も身体もスッキリ。
布団のなかで、金曜日のラジオ番組「高橋源一郎の飛ぶ教室」を聞き逃しサービスで聴いた。
ひとコマ目「ヒミツの本棚」は有吉佐和子「非色」を読みといてくださった。戦後進駐したアメリカ人の黒人と結婚した女性。夫が帰国したあと子供を育てるなかで差別と偏見にあいアメリカだったら肌の色で苦労はなかろうと貨物船で渡米した。
ところがそこには国籍や肌の色、同じ黒人でも裕福な人からそうでない人への差別がまん延していた。人はあらゆる差別をしながら自分が「ふつう」という図式をつくる。
その授業から学ぶべきことがたくさんあった。
その授業冒頭で有吉佐和子作品といえば代表作は「紀ノ川」ですと高橋先生。
読書が好きだった母の部屋でハードカバー「紀ノ川」を見た記憶はある。もうひとつ記憶は「紀ノ川」文庫本が鍵山記念館で100円で書棚にあった「鍵山先生が読まれた書籍が数多く販売されている。売り上げは社会奉仕」
この作品から母がなぜこれを選んだのか知ろうと思った。
睡眠足りて朝からアクセル全開。コーヒー飲みながら些細なことでも連絡しておけば間違いないことをメモ。たくさんあった、その全部にLINEやmessenger、携帯電話ショートメールなどお届け先の環境にあわせて使い分けて連絡した。
7時になったら空腹の犬が鳴き声で知らせる。外は0度でも朝日の力が強い。
8時に農園を出て山口市に向かった。10時会館「温泉の森」一番乗り。コンビニでコーヒーを買って選んで持ってきたDVD。角田光代さんが内戦から10年経ったボスニアを訪れた番組(8年前録画)を車で観た(農園ビデオは不調)凄まじい市中戦のなか地下ではコンサートが催され、その楽団はイギリスまで地下トンネル経由で遠征。また地下トンネルを通り戦下の街に戻った。
人が生きることは芸術や音楽に笑い、そして食べることが背骨になる。市民を殺りくする狙撃手や街を取り囲む戦車も、日常を守ろうとする営みには勝てなかった。とにかく女性が強かった。
角田光代「笹の舟で海をわたる」を読んでから彼女のファン。
一番乗りを果たした。
サウナは最上段の真ん中、テレビが見下ろせるところに陣取れた。昨夜は疲れて身体を洗わず下着もそのままだったが15分で疲れも汚れも汗になった。
11時から2階休憩室が使える。ここも一番乗り。
館内Wi-Fiを使って「あだち美術館」の作品更新。あらたに掛けた作品は「どてらネコ」漫画家の「はしもといわお」さん作品6点。テーマは里山の河童。
漫画家は農園から近い船木在住。私とのご縁は、もと宇部市会議員の奥さまが、もと私の会社パート社員さん。ご主人はyabテレビで「お絵描きえっちゃん」絵の師匠。えっちゃんとのご縁でも農園。
ある時、松村御大が大皿の「ふく」を何枚も農園に持参して宴会。その席に「どてらネコ」も同席。20年越の絵を6点預り、うち1点は淳貴君にプレゼント。
午後から鍵山記念館。重枝さんが当番。
「紀ノ川」を100円で購入したあとに3時までペイペイを農園導入する方法やブログのことなど専門的な立場からご指南いただいた。
3月の「まきちゃん」歓迎宴会に重枝さんお招きした。
ショートメールの返信。糸賀会長「火曜日はオフィスで待っている」日赤病院から娑婆に戻れる❗
長門市野波瀬。極楽寺の2月伝道掲示板です。
今朝5時半。萩市向かう前フロントガラスがバリバリに凍てついていたので暖気運転で溶かした。そのあいだ水道蛇口をふたつゆるめた。農園は氷点下5度。
萩市にくだる雲雀峠は氷点下6度。温暖な萩市でも0度と思わぬ冷え込み。美祢市の今朝は氷点下7度だったらしい。
いくら冷えても路面が乾燥しておれば大丈夫。通い慣れた道は山水が路面に流れる場所や水溜まりはわかっている。知らない人はそこが凍りついていることを知らずにスピンする。私は2度、はじめての走る早朝の山道で横転しそうになった。
今朝、少し大廻りになるけれど7時前に玉江漁港そばを走った。たくさん好きな風景が萩にはあるなかでここが私のお気に入り。
写っているお寺は「観音院」海難事故の殉難者を供養されている。北前船が寄港していた時代の海難から地元漁師さんが日本海で命をおとされたなど、萩の海で亡くなられた人たちの供養のお寺。
長門市の8時前。10個を長年お届けしている若い奥さんのお宅。ご縁は加奈ちゃんが「農園たまごを使っている」と言った。それで農園を検索して「10個でも配達してもらえますか」ではじまった。マチュ・ピチュのような石組の桟敷席で知られている赤崎神社の近く。
いつも奥さんの横から可愛いお子さんが裸足で笑顔の挨拶をしてくれる。10個のおかげで笑顔にあえる。
LINEでつながった。その初めてのご挨拶に愛犬ハッピーの写真を添えた「防府市で捕まった保護犬です」と。偶然にも彼女は出身が防府市。桑山中学校に通ったと。私はその桑山中学校のそばに防府市の女性二人を雇用してワープロ入力の仕事場を持っていた時代があった。
共通の話題が加奈ちゃんの他にもできて親しい気持ちになった。春になればインフルエンザ対策で鶏舎に押し込めている鶏を放します。ご家族で農園に遊びに来てくださいとお誘いしていた。
先週の配達でコーヒーやお茶にホカロンなどを頂戴した。お礼のLINEはした。
きのう加奈ちゃんのお店に吉岡さん親子と行ったとき、明日のお届け長門市の奥さんとお子さんを思い出した。焼き上がったばかりのブドウパンを買った。
そのパンから食欲をそそる匂いが車内満載で今朝の配達。ピンポンで開いた玄関でたまごより先にパン。その袋は加奈ちゃん「ありがとうございます!」と大喜びしてもらえた。配達冥利に尽きた。
焼却したいものが山積み。けれども強風と乾燥で火をつけられない。
配達から戻ったお昼前ざっと通り雨。焼却場に鶏舎から集めた鶏糞混じりの新聞紙(一輪車に山積み)と回収したが汚れや破れで使えない空きパックなどに火を着けることができた。念のためトタン板を数枚燃える上において火の粉が散らないようにはした。
土曜日の昼は定番の焼きそば。水イカのゲソをたくさん。味付けは薄めで「鶴橋キムチ」これで飲まなかったら人生面白くない。缶ビール2本で大満足したあとは昼寝。
「大イビキ」と家内から言われた「お前も」とは言えなかった。
昨夜の特特大イワシは刺身と揚げ物。刺身を取った骨も揚げ物。
頭や内臓は犬は食べないが、ハッピーは刺身をつくった切れ端は喜んで食べる。牛乳やヨーグルトも大好物。一方ゆきちゃんは生魚は食べない。牛乳は飲むが必ず下痢になる。ハッピー野良犬生活で雑食が身についたのかもわからない。
朝寝をしてよい金曜日でも4時起床。ゆきちゃん寒かろうと作業場のストーブ着火。夜明けまでに2頭を散歩させた。とても風が強く気温は0度だった。
卵かけご飯店を3月に開店される女性オーナーとは10時半にコメダ珈琲店。その前に長府界隈で集金などを済ませた。
卵かけご飯打ち合わせ。
「お米は決められましたか」と聞いた「山口県産で安心して提供できるお米をさがしているところです」
12時半に美祢市でお米や野菜、味噌など加工食品を女性ひとりで取り組んでいる吉岡さんと会います。
萩市から車で40分の山あい阿武町標高400mで県の審査合格ブランド米を生産されておりその販売のお手伝いの打ち合わせをします。できればお店で採用してくださいとお米のほうに力がはいった。
小雪のなか美祢市に移動。待ち合わせはスーパマーケット「サンマート」駐車場「よしの」吉岡さんにうどんをご馳走する。吉岡さんのお嬢さんも6ヶ月の赤ちゃんを抱いて宇部市から合流。
腹ごしらえをおえて加奈ちゃんのお店訪問。きのう「1時半ごろレノン(吉岡さんトレードマークは丸メガネ・加奈ちゃんがそれでジョンレノンと命名)を連れてくるから」と打ち合わせ済み。
にぎやかな店内の隅でお米の販売計画(とうぜん加奈ちゃんも私もボランティア)さらに加奈ちゃんは吉岡さんの小麦などを生産した全量を買うからと応援。私はお米とお味噌で応援する。
その理由は吉岡さん、食べるものは安全・安心が基本。利益が基本ではならない。その信念で生産すれば量は少ない、それで生計を営むためには価格が少し割高になる(精米5kgで2500円)
そのことが具体的にわかったので加奈ちゃんとお手伝い計画になった。
この写真。正面から撮ったのは加奈ちゃんのスタッフ。おそらくInstagramやFacebookにのせるため。私はそばからシャッター。
吉岡さん親子とわかれて於福温泉と思っていたがこの寒さ。湯上がりで農園に戻り犬の世話で風邪をひいたら困る。温泉あきらめて戻った。
水曜日の下関そして木曜日も下関。
とくに木曜日は配達軒数が多く走行距離と積み荷の重さで週の山場。
4時、風がやんでいたのでたまっていた焼却ゴミを山にして火を着けた。気温0度。愛犬たちの世話も済ませたまご満載で農園スタートは5時半。延焼しないようまだ燃えている上にトタンを置いてコンクリートブロックでおさえておいた。
木曜日は唐戸魚市場。相変わらず閑散の場内。買い物する人よりお店の人が多い。おっ!と足がとまる魚もない。そのなかで千葉の特特大イワシが三匹5百円「大きい順に4匹」と声をかけた。
氷水のなかを大きなイワシをさがしてくれて計ったら700円。今夜は刺身と揚げ物(骨も揚げて)頭は焼いて愛犬。
たくさんの人と会話。道中のLINEやメッセンジャーなどSNSもやりながら3時前に美祢市。
加奈ちゃんの店にお届け「明日の午後、レノン(まるメガネの百姓・享子ちゃん)と来るから」と伝えた。けれども今夜から荒天予報。
4時に農園ゴールイン。
疲れたのでイワシで一杯のあとは体を拭いて寝る。とにかく寝る。
今朝の関門海峡を撮りました。
「あだち美術館」にLINE友だち淳貴君(高校二年生)の作品21点を展示した。その作品を観てくださった方から「ポストカードにされたらよいと思います」と感想が届いた。
ずいぶん前から毎月10000円を貯めている。その12万円で家内と小旅行。九州や四国に山陰などお金のかからない近場を車でめぐっている。
私は今年の秋に古希をむかえる。その貯めたお金で思い出に残ることをやっておきたいとずっと考え続けていた。
最有力候補は尾道から今治まで瀬戸大橋70㎞を歩くことが具体的になっていた。
その距離を歩くためにかなり足をつくらなければ挫折する。その過程も古希の思い出になる。
なんとなく「これでよいのか」という疑問符もあった。
「ポストカードにされませんか」のメールを受け取り瀬戸大橋は崩れた。
たくさんの仲間たちが先に逝く年齢のなかで毎日元気に働かせてもらえることは、縦や横の糸を紡いでくださる大勢のみなさんに支えていただいているからこその私の命。
その感謝をすることが私の古希記念碑。それを教えていただいた。気持ちがスッキリした。
火曜日にニュースタイル(糸賀社長美容室グループ)に配達がある。デザイナーの河上さんに月曜日ポストカードを作りたいと具体的な内容を伝え10枚の作品をカードにして500と1000の見積もりをメールで頼んだ。
火曜日、その両方の提案書をつくって待ってくださった。
そのことを踏まえて昨夜唐突なメールをバーバラの清水千代美さんと淳貴君のお母さんに届けた。
淳貴君の作品をポストカード500セット(10枚)を作りたい。それをバーバラに届けるから受け取ってほしい。
バーバラはバザー活動などを(婆さんとは言えないバーバラ)運営している。そこで値段は決めていただき収益はすべてが社会奉仕活動になる。
そのなかで淳貴君の作品が世に出て彼の励みになればよい。
きょう清水千代美さんと淳貴君のお母さんと下関スペシャルオリンピックス拠点「ちょぼハウス」でやりとり。
私の願いを理解してくださりすすめることになった。
淳貴君の個展を7月ぐらいにご両親が計画されておられることもわかった。その時期にポストカードを完成できるようにすすめていく。
昨年から家内は格安スマホ(重枝さんの支援)を使っている。私のブログも日々チェクしているらしい。
古希のポストカードは話題にせんでもえかろう。
個展のご案内は決まりしだいさせていただきます。
早朝、猫をおこしてしまった。迷惑そうな顔でした。
目覚ましに起こされた4時。
火曜日は6時半に農園を出たらよいのでゆっくり動いてよい。部屋の掃除と食器など拭いて愛犬の世話。雨なので散歩の距離は短いが目的達成。
農園ビデオデッキが不調。過去にDVDに残した番組もみることができない。けれども愛車のDVDでは問題なく再生できる。字幕シネマ作品を走行中には見れないがSONGSなど録画した歌番組は運転の妨げにはならない。
10枚ちかくお気に入りを選んだ。
8年前の録画「伊東ゆかり」は関東圏での放映が全部放映されたもの。デビュー「小指の思い出」など懐かしい映像のオンパレード。中学生のとき「伊東ゆかり」が好きと母に言ったら「ませてからに!」と。あの時代の映像に母を思い出せた。
平原綾香は三枚。なかでもSONGSは父親の平原まことさんサックスとのコラボはとても見ごたえがあった。
農園のテレビでは見えない表情が車の映像ではしっかり楽しめた。
今井美樹は二枚。海外生活のなかで世界的なアーティストとの作品づくりはよかった。
小野リサは2時間番組。サンパウロ時代から日本の映像。耳障りにならないボサノバもよかった。そのなかでも「しっとり歌い上げた「黄昏のビギン」最高!
東京フィルハーモニーとJUJUライブはよかった。
田畑義夫や中島みゆきなど私の好みばかりチョイス。
農園ちかく、雨でも働く草刈り十字軍たち。
数日前のゆきちゃん。
冷たい雨が続き作業場につなぐ毎日で憂うつ顔。体つきがしっかりしている。一歳と半年で体型は決まった14kg。きょう計量したらそこから3kgも増えていた。
フィラリア・マダニの投薬は15kg以下と以上で値段がちがう。
加奈ちゃんのお店。月曜日・水曜日と木曜日の配達は必ず。それに土曜日がスポットで入ることも多い。
今朝も8時に届けた。いつもはお店の裏口に車を横付けしていたがJR美祢駅に車をとめて段ボール箱を抱えて歩いた。
先週の木曜日に車を横付けしていたら近くの人が「ここは7時半から8時半までスクールゾーンってご存知ですか」と月曜日の朝8時に堂々と乗り入れている私に善意のお知らせをくださった。よくぞ今まで反則キップにならなかった。
絵手紙の萬代さんが「あだち美術館」淳貴君の作品をご覧になり「これからも頑張れ」と応援の絵手紙を託された。
厚狭の日蓮宗妙徳寺。農園をはじめたころからお届けしている。月末の集金をおえてお嬢さん(たぶん)と話したことはふたつ。
先週の月曜日は厚狭川が結氷しましたね「そうです珍しい光景でした」
沖縄が日本に復帰した直後の年から糸満市摩文仁の戦没者のご遺骨収集奉仕に金光教遺骨収集奉仕団にくわわり、毎年2月(毒蛇のハブがあまり動かない季節)に何度も通いました。
そのとき日蓮宗僧侶、ご高齢のみなさんは摩文仁に近い公民館に寝泊まりされ飯ごうで自炊されてご奉仕されている姿を何度も見ました。
私は近くのホテルに滞在して風呂を使い、琉球料理で泡盛を楽しんでいました僧侶のみなさんに頭がさがりました。
先日の地元紙一面に妙徳寺の寒行(早朝の水行)が大きく載った。年末は火の用心で地域を歩いておられるお寺。それもあわせて「ありがたいことです」とお礼を申し上げた
東洋医学で知られている厚狭の病院。
ご自宅に配達して集金を済ませて奥さまに高血圧治療を長年していますが東洋医学で処方の薬をやめることはできますかと。
足立さんのように高齢でも元気に身体を使って働いている人は薬のことを気されなくてもよいと思います。朝から仕事でアクセルを全開される人はおおむね高血圧です。
血圧で心配な人は、定年後に自宅ですごす時間が多くなった高齢者が降圧剤を服用するとさまざま支障が出ることがある。けれども足立さんは早寝早起き現役ですから血管がつまるようなことはないと思いますよと「いいね👍」の太鼓判。
農園ゴールインの3時に血圧測定は150・80これでも心配することはない。
12月5日納車の愛車(配達の軽四)。最初のオイル交換は4000㎞。2回目の9000㎞走行に達しているので防府トヨタでオイル交換。それと散髪とあれこれ買い物がきょうのメイン。
4時起床。焼却ゴミは強風にたじろいて中止。
日曜日は、ひとり農園掃除に学ぶ会。台所は毎日の朝夕やっているが腰を据えて、眼鏡をかけてやると気になるところが浮き彫りになる。
トイレと風呂(といってもシャワー)たったひとつの便器を視点を変えながら、裏側を触りながら。ウォシュレットは歯ブラシでシコシコ。掃除をすませ床と壁の水気を乾いた雑巾で拭きあげて網戸を開放した。水気があると厄介な黒カビが繁殖する。
散髪・オイル交換・エディオン・ナフコで買い物して給油。
外食は久しぶり。済ませて金曜日にも行った湯田温泉「温泉の森」サウナやジャグジーでとてもさっぱりした。休憩室で館内Wi-Fiを使ってタブレットで動画を見ながらウトウト至福の時間。
農園に戻った3時前「橋本先生が来られました」と正志。「はしもといわお」ペンネームで「どてらネコ」の漫画がヒットした時代があった。
農園をはじめたころは毎週のように宴会を催した。酒と肴を持ち込んで飲みあかして泊まればよい。布団はたくさんあるし女性はロフトで雑魚寝。
その宴会にどてらネコの漫画家 橋本巌さんをご招待していた。橋本奥さま、私の前の仕事をしているとき在宅で仕事をしていただいた元気モリモリの市会議員(その後落選)ご主人は漫画家と地元テレビやラジオで辛口コメンテーターで活躍されていた。
その漫画家が「あの時のお礼に」と直筆「里山河童」を6点も農園に持参された。わたしは留守をしていた。
それにしても20年ちかく前の宴会「ふく料理が旨くて」と農園に作品6点も持参されたわけを知りたくて電話した。
あのときの「ふく」は僕の人生で最高でした。お礼が遅くなりましたが僕がお礼で描きましたから。
そのなかの一点。私がLINE友だちの高校生に差し上げてもええですかと了承を得た。
淳貴君が選んだのは左真ん中の「お月さまを見ている」をご所望。水曜日のちょぼハウスでお母さんに託せる。
淳貴君がこれからも描いていくだろう作品のヒントになればと「どてらネコ」も大喜びしてくれた。
今朝7時。小雨の萩市浜崎。
享子さんブランド米の美味しさを多くの人に知ってもらう作戦。
先日の萩市ランチでいただいた5kg(だいぶ食べた)の残りを半分加奈ちゃんに9時に届けた。
享子さんが「明日、加奈ちゃんのお店に遊びに行ってみたい」と私にメール「あのね、土曜日は開店前からお客さま長蛇の列。加奈ちゃんの目が三角になる土曜日だからやめた方がええ」と。
その目が三角になりはじめた9時に一升二合の享子米をお店に届けた。スタッフのみなさんから「おいちゃん、おはよう!」と黄色い声をかけてもらった。
加奈ちゃんとは立ち話。このお米を炊いてお茶碗に盛り付けるかオニギリを撮って美味しさを写真で伝えたいと。
やっぱり加奈ちゃん、一瞬で伝え方を決めた。彼女が毎日SNSにお店を投稿しているセンスが輝いている。
農園たまご6個入りを土曜日限定で加奈ちゃんのお店で販売する「おいちゃんいい写真を撮って明日までに送って。あとは私がデザインするから」とプレッシャー。
きのうFacebookと「あだち美術館」で淳貴君の作品を公開した。Facebookにはたくさんの応援メッセージが届いている。そのひとこまをスクリーショットにしてLINEで彼に届けたら大喜びしてくれた。
20歳のころ久留米の祭り大善寺の「鬼夜」を取材して投稿して欲しいと頼まれた。読書は好きでも書くことはなかったが拒めきれずに引き受けた。
その私の短いつたない文章を「なかなか上手いじゃないか」と誉めてもらった。そのひと言で書くことを苦手とは思わなくなった。
淳貴君の作品。彼のやさしい心が描かれていると私は感動した。多くの人に見てもらう、そのなかで交わされる言葉が彼の人生の糧になると思っている。
お昼前に農園に戻った。
昼ごはんに缶ビール一本。毛布をかぶって寝た。自分のイビキで目がさめた。
20日の水曜日。大寒たまごのご注文約600個(2ヶ所)下関から美祢市を終えて山口市に届けた。疲れきって夕方農園。木曜日の下関市などがあるのですぐに寝た。
きのう夕方、特大の鯖を煮付けと焼き物にしてくれて大満足の夕食。いつものハイボール3缶飲んだら身体がとけるような疲が押し寄せた。シャワーも着替えもせず布団にもぐった。
いつもの3時に目があいた。身体はまだ木曜日。
昨夜、少しの雨があったのでたまった焼却ゴミだけは燃やしておこうと作業服。昼間はずっと乾燥注意報だった。
ユンボで掘った焼却場で火柱をあげて燃えた。早朝からしっかり雨雲がくるのでトタンを何枚か上に置いて火が消えないようにしておいた。
朝食は阿武町標高400mの享子さんブランド米(コシヒカリ)鯖の胸の塩焼き・白味噌の味噌汁・野菜たっぷりと目玉焼き・納豆に大根おろし。
とにかく湯田温泉「温泉の森」。10時の開館一番のり。
サウナ15分を2回。ジャグジー風呂(ここの泡は勢いがある)で全身マッサージ20分ぐらい。
持参の軽石で足の裏。しっかりシャンプー。髭剃りも終えて下着など着替えた。体重はいつもの65kg。
休憩室で館内wifeを使い「あだち美術館」更新。
毎日LINE友だちの淳貴君(豊浦支援学校2年生)はスペシャルオリンピックスアスリート(水泳)。昨年の下関市美術展覧会は松村御大の「ふく」と淳貴君の「前髪」も出品。
今回の更新21枚すべて淳貴の力作。最後の作品は瓦そば「たかせ本店」に飾られている。
「あだち美術館」に載せた理由は、日記で淳貴君のことを知ったがInstagramの環境がないので見られないと声があった。期間少し長めに展示します。お知り合いの方にもご紹介くださると彼の励みになります。
彼のInstagram
https://instagram.com/atsuki_0421?igshid=fij3xcfkwckk
阿武町。標高400mの高地でブランド認定米コシヒカリを生産している享子さん。
先日の日曜日に萩市でお会いした。その「食」に対する情熱を聴かせてもらった。自慢のお米を5kg頂戴した。
炊きたてはもちろん、弁当で冷えても味わいふかい。女ひとり百姓を応援するのは加奈ちゃんと私。
享子さんは加奈ちゃんの天然酵母パン教室に通っておりそこで私とご縁ができた。
自慢のお米は多くはありませんが5kgでご案内させていただきます。その後はこだわりのお味噌もご紹介します。
農園で昼ごはん。缶ビール2本で心地よい眠りにつけた。
写真は去年の朝。川面に映ったお月さま。
きのうは疲れをおぼえるほど走った。
今朝は3時に元気に目があいた。きょう木曜日、私の仕事は週の山場(走行距離・お届け先の数)4時に愛犬のために作業場のストーブ着火。外気は氷点下3度、早朝から使う蛇口が凍てついていたのでボロ布とぬるま湯でゆるめた。
今週の月曜日、厚狭の魚屋さんで目についた鯖。二枚おろしの片身が390円の石川県。見た目でも脂たっぷりだったから買った。家内が自宅に帰る前、その片身を4切れにして煮付けと焼き魚にしてくれた。久しぶりに舌鼓を打つうまい鯖だった。
今朝6時半の唐戸魚市場。買い物客の姿はとても少ない。店のおばあちゃんが「福岡県の緊急事態宣言で」と。
8時にたくさんお届けしてきる魚屋「魚仲」の大将が市場を歩いていた。背中をたたいて挨拶「晩の魚は何がええかね」と声をかけた。並んでいる鯖の腹を押して「この2匹がええ!」その鯖2匹を二枚にしてもらった。〆鯖もええですとお店の女将がアニサキスが心配なので加熱で。
今夜は焼いて煮て楽しみたい。明日の朝は焼いてもらって
、昼は揚げてもらおうか。
毎晩LINEメル友になった淳貴君。彼が描いた作品をInstagramに投稿する。それを閲覧してコメントをしたいけれどInstagramの仕組みがわからない。
配達先でコメントを添えることを教えてもらった。
彼の作品のひとつは、川棚名物の瓦そば「たかせ本店」に飾られている。
近々「あだち美術館」で淳貴作品をずらりとご紹介します。お楽しみに。
阿武町の標高400メートルで百姓をしている享子さん。
先日「食べてみて」と頂戴した山口県認定ブランド米。私はずっと玄米だったが精米した享子米を食べておおげさではなく「旨い」と実感した。
外食はしないので家内の弁当。それに享子米の白米。冷えてもうまい。
享子米「コシヒカリ」の貯米には限りがある。加奈ちゃんと先ほど打ち合わせができた。
安全・安心・健康の「食」づくりの享子さんに共感してもらえるプロデュースを加奈ちゃんとやります。
美祢市の「よしの」救急搬送された脳血栓の後遺症もなく元気に完売。
明日は湯田温泉。
大寒たまごの20日。
朝5時すぎ農園スタートは氷点下3度。けれども路面乾燥だからアクセルを踏める。小月から長府は暗い時間に配達をしている。早朝走る理由は子供のたちがいない。車が少ない。夕方のラッシュ時間までに戻れる。
綾羅木から山の田の「ちょぼハウス」立ち寄り「ふくいテニス」お届けして長府にもう一度。藤中隊長や縁起焼きなど早朝は閉まっているお客さまに配達。
覚園寺ちかくのお宅に初めてお届け。先週歩いてお宅は探しあてていた。ピンポンで奥さま玄関「はじめまして」と言うと「ちがいます」
使っているメガネを長府「ノエル」で買ったとき店長の一色さんが「たまご屋さんです」と紹介してくださり名刺を渡したらしい。
この度のお届けはスペシャルエッグの関係者からすすめられ私が再度の登場になったというシナリオ。
もうひとつシナリオ。
綾羅木で織物先生のお宅にお届けにしている。ご縁は、金剛住器社長夫妻を鍵山記念館にご案内したとき。寿司割烹「浪花」のお嬢さんも来られていた。そこでお嬢さんが習っておられる織物のに木村の奥さま、はやく会社の仕事を辞めて自分のやりたいことに打ち込みたい。そのツボに織物がはまった。
いま長府のご自宅には大きな機織機が鎮座している。
その織物先生にお届けして立ち話になった。先生は阿武町まで通い3人の方に教えておられる。阿武町の山のなかで百姓している女性がおられて最近親しくなりました。その話題の延長で「豊浦支援学校の生徒さんとLINE友だちになりました」とスペシャルオリンピックスなど話題にしたら「その生徒さんのお名前は」と聞かれ答えたら「彼とお母さんも機織り仲間ですよ」と。
追加のシナリオ。
藤中隊長のお店にお届け。隊長は自費出版や描いた作品の展覧会など活躍しているご同輩。
なりゆきで淳貴君の作品をタブレットで何点か見せたら「ワシより格段にうまい」と。
中学生?絵が大好きなふたりの個展をやりたい。ついては隊長にプロデュースを頼みたいと話がありそれをすすめている。
テーマは「夢の動物園」二人に、動物園やネットで見られる動物ではない動物。つまり空想の動物を描いてみなさいと指導しているらしい。デッサン力がつくと。
藤中隊長にはたくさん尊敬できるところがたくさんある。ぜひ淳貴君のInstagramをご覧くださいと紹介した。
2時に農園ゴールイン。愛犬と散歩して疲れが癒えた。
大寒たまごのご注文、湯田温泉「古稀庵」にたくさんの配達に走った。
明日は木曜日。配達件数と数に走行距離で山場の木曜日。
綾羅木海岸を撮った。
きのう美祢市、絵手紙の萬代さん玄関でダルマさんが迎えてくれた。
今朝は2時に目がしゃんとあいた。月曜日の疲れも、昨夜の焼酎も残っていない。部屋と作業場のストーブをつけ、ゆきちゃん強制シッコをさせて布団に座った。
日曜日にお会いしたひとり百姓の享子さんにお米とお味噌のこだわりを伝えてほしいとメール。
⏹️お米に関しては、JAタウンのふるさと特選米コシヒカリで書いてありました。
https://www.ja-town.com/shop/g/g6401-6402TS10/
1 農産物検査で1等に認定
2 食味分析でたんぱく質含有量が7.0%未満
この条件をクリアすれば1等の上で山口ブランド米になります⏹️
早朝に返信が届いた。頂戴した精米のご飯が炊きたてでも冷えてもおいしい理由がわかった。吉岡さんのお米はこの基準に合格の「コシヒカリ」ブランド米。
お味噌や発酵食品をつくる彼女の手仕事をどう伝えるか。それと彼女のプロフィールと生産現場。
骨格をつくって加奈ちゃんにも助言をもらって、享子さんの商品を知らない人たちに伝えるお手伝い。
早起きしたら掃除がいろいろできた。寒かったが犬の散歩もヘッドライトで長距離。朝食を済ませ農園スタートは6時半。外気は氷点下2度。
アスファルト道路が黒く輝いているところは雪どけが凍っている。雪がないからと安心していたら事故になる。雪がない。気温もさほど低くない。これが危ない。
試しに農園から出た最初の橋の上でブレーキを踏みしめてみたら車体が斜めになって止まった(ブラックアイスバーン)
おそらく先頭車はノーマルタイヤ。小郡までくだる峠はノロノロ車列。これで正解。
小郡町を配達して山口市に向かう椹野川沿いの県道。給油をして平川の配達がある。ずいぶん手前から渋滞になった。対向車もないから事故と思う。けれどもこの県道に迂回できる分岐は少ない。30分ちかく渋滞につきあって迂回した。
お届け先には電話で事情を説明して午後のお願い。
火曜日は糸賀社長(会長就任は知らんかった)が待っている。着いたら「会長は先週水曜日に入院されました」と。
きのうFacebookに「日赤病院6階から」と市内町並みの投稿があった「まさかご入院では」とレスを入れたが反応はなかった。
命に関わる入院ではなくいつもの静養入院。
明日は「大寒たまご」
下関から戻って湯田温泉の旅館お届けがある。
思いがけず早朝は冷えた。
作業場のゆきちゃんが寒かろうと灯油ストーブを点けた4時。外は氷点下3度まで冷え込み水道管が凍っていた。この蛇口は朝から使うのでぬるま湯でゆるめた。
農園出発の5時半、雪が本気でふりはじめた。写真は7時、美祢市に向かうときの一枚。新雪で気温もそれほど低くないので「雨」ぐらいの気持ちでコーヒー飲みながら走っていた橋の上。あやうくスピンするぐらいのスリップをした。
弁天池の水汲み10㍑。ひとつだけ蛇口はがゆるんでおり目的達成できた。
きのう萩市でお会いした吉岡享子さんから頂戴した自慢のお米は、数々のチェックを通過してブランド米に認定された。詳しいことはまたご紹介する。
「食べてください」と精米5kg。日頃は玄米食だが家内に炊いてくれと頼み朝食と弁当に彼女のお米。とても美味しいご朝ご飯。ひえても美味しい弁当だった。
加奈ちゃんにと紙袋を託された。大きな白菜を5玉頂戴した。私はひとつもらって4玉を加奈ちゃんのお店に届けた。
8時、加奈ちゃんアクセル全開でひとりで仕込みの真っ最中。吉岡享子さんのまるメガネで加奈ちゃんは「ジョン・レノン」と呼んでいる。
無農薬野菜やお米を生産したいレノン。けれども隣接の畑や田んぼは大規模法人経営。農薬を使わずに隣接に迷惑をかけたらいけない。理想と現実のはざまで夢にむかっている。
と意気投合した。
寒い月曜日を元気におえた。
5時46分。農園神棚に26年前、神戸兵庫区の浜山小学校避難所で19日から4月末までお手伝いをした。その体験からも私は人生のハンドルを切るきっかけになった。
そのことをお礼のかしわ手にこめた。
母の兄妹一番したは「潔」長女で小学生の母はおんぶをしてこもりしたと昔ばなしをしたことがある。その潔さんは養子に出され姓が足立から中村になった。
「寅さん」を地でいくような潔さん「あねさん」と母と二人暮らしの家をたずねてきて数日居候。おじさんが帰ったあとから酒屋が角打ちの請求にきていた。
北海道から九州までの炭鉱を渡り歩いた武勇伝を何度も聞かされた。背中に大きな傷があるのはビンで刺された。手の指がひとつ欠損(わたしも)は借金返済でトロッコの車輪に潰して労災保険。ヒロポンで警察沙汰も母が嘆いていた。
埴生の炭鉱で恩人の先輩が事故死。4人の子供をかかえて路頭に迷う家の同居人になった。
炭鉱はまもなく閉山して福岡市に転居「ばあさん」と呼んでいた女(ひと)は12歳歳上。4人の子供を育てあげ結婚式まであげた潔おじさん。
最後の末娘が披露宴で、それまては「おじさん」だったが「おとうさん」とお礼の言葉を言うたと涙をながした。
潔さんは神戸でさいごをむかえた。そのご遺骨はどうなるのかと経緯を見まもっていた「うちの墓におさまってもらいます」と子供から言われて納骨に立ち会った。その場所は美東町長登。
6~7年前なるのか。加奈ちゃんが自宅でパン教室をやっていたとき吉岡享子さんとご縁ができた「たまごを届けて」彼女は萩市から島根県益田市のあいだ阿武町の住人。標高400mで女ひとり百姓。
そこまで配達は無理だったが彼女が指定する「置き場」はなぜか転々と変わった。ご主人長患いで病院をかわるその都合だった。ご逝去された。
先日の菊川画廊探訪に彼女は手をあげてお嬢さんとお孫さんを伴ってこられた。短い立ち話で私のスイッチがON。
彼女が生産する「ほんもの」のお米に野菜、こだわりのお味噌などの販売お手伝い。加奈ちゃんと「吉岡さんプロジェクト」を打ち合わせた。
⏹️写真は5年ぐらい前の吉岡さんと加奈ちゃん二男「慶ちゃん」加奈ちゃんFacebook投稿。
明倫学舎レストラン「萩暦」でランチをしながら吉岡ワールドに90分耳をかたむけた。
彼女の発酵食品やお米などを理解して買ってもらえる人をひろげることをボツボツやりはじめたい。明日の9時、きょうは同席したかった加奈ちゃん(野球の試合)とお店で作戦会議。
その萩市に行く前に潔さんのお墓さがしをした。長登の道路から右側の墓地。その記憶しかない。
見つけた。けれども墓石の名前は3基。そのお名前を読もうとしたけれど汚れなどで読めなかった。
名前が同じお墓3ヶ所に合掌して潔さんに想いを馳せた。
萩市もゆっくり歩くことができた。寒かった。
きのう血圧検診。前回の採血と検尿の成績発表。
肝機能・血糖値・尿酸値ほかもすべて合格をいただいた。
男の冷え性対策で、血流改善でビタミンE錠を処方され昨夜飲んだ。夜中に暑くて汗がでるのは血流改善とありがたく耐えた。3時の外気は6度だったから冷え性の厚着は汗がでてあたりまえ。
パン一枚・納豆・千切りキャベツを加熱して魚粉で・ヨーグルト・バナナ半分。4時に食べ終えた。降圧剤も服用。
萩市に向かう5時半の血圧測定値は120と70。
8mgのロングピースを毎日一箱を15年前にやめた。
やめられないアルコールをやめたら血圧は安定すると思うのは、母が高血圧治療をしていたが他の疾患がありアルコールをとめられた。即座に血圧は正常値になり96歳の大往生。
私は大往生は願っていないが、運転中に血圧が原因で事故はやりたくないない。
「酒」本音と建前でウロウロしている。
スペシャルオリンピックス下関の拠点「ちょぼハウス」に通うなかで、昨年の秋に催された恒例の下関市美術展に松村御大50号の大作「ふく」の会場に、豊浦支援学校2年生でスペシャルオリンピックス水泳プログラムに通うアスリートの淳貴君も「前髪」と題してラクダの顔を正面から描いた作品を出していた。
その淳貴君と毎日LINEで交流している。
きのう「農園そばの川にカワセミがいる」と伝えたら「前に描きました」と作品を届けてくれた。
彼のInstagram
https://instagram.com/atsuki_0421?igshid=fij3xcfkwckk
ご覧ください。フォローしてくだされば彼のやる気になります。
金曜日は骨休め。けれども早く目があくのは木曜日に疲れて8時前ごろには夢の中。睡眠は足っているのだろう。
5時ごろから階下のゆきちゃんが「遊べ」と催促の声をあげる。
ヘッドライトを点けて早朝散歩。気温は0度。高血圧の私が気温差でヒートショックをおこさないよう万全の服装。
愛犬、体型は大人でも中身は子供らしく暗いなかでも喜んで飛びついてしろしい。
焼却ゴミを燃やしても安全な夜露。鶏は採卵箱で糞をする、それを受ける新聞紙を定期的に交換する、その汚れた新聞紙を山にして火をつける。
きのう唐戸魚市場で買ったアサリ。家内が泊まったのでパスタと貝汁で楽しんだ。その汁で雑炊が今朝の食卓。野菜は山盛り。野菜にマヨネーズなどは使わない。血圧管理で魚の粉をふりかけている。結構うまい。納豆は欠かしたことはない。
きょうは血圧管理の通院日(6週間ペース)。
膝から下がとても冷える。数年前に気がついた「私は冷え性かもわからない」夜足が冷えるから厚めの靴下とレッグウォーマー。昼間は裾を絞ったズボンを冬ははいている。
今朝、通院の車のなかで足元暖房をしても冷えがおさまらない。
女医さん血圧測定のあと困った顔で「頓服薬を処方します。30分ほどここで安静にしてください」と。180・100の数値を達成していた。
「今朝6時は120・70でした。きょうは待合室でも両足か冷えて冷たいのです」と両足厚着を見せた「足の色を見ましょう」となった。
血流がよくないと判定された。それが原因で血圧があがる。女医さんだからあがるわけではない。ビタミンEで血流を改善しましょうとなった。
待合室で30分、新聞を読んで年輩の看護婦さんが「もう一度」と血圧測定。ビタミンEを飲まないでもさがった。女医さんであがった可能性もある。
お昼は外食。ビタミンEを食後に服用した。約2時間後に両足がポカポカしてきた。
農園に戻って血圧計は120・70だった。男の冷え性はある。
「あだち美術館」更新しました。マスクをつけてお入りください。
JR美祢駅併設「にぎわいステーション」お正月の余韻が目にとまった。
今朝6時半に唐戸魚市場立ち寄り。先週も立ち寄ったが大シケで買い物はできなかった。
今朝の市場は並ぶ魚も買い物客も少なく閑散としていた。それより赤間神宮駐車場に車をおいて歩いているが財布を忘れた。ズボンのポケットをさぐったら900円あった。このお金で二品買うことができた。
金剛住器(株)の木村社長とは、中越地震のとき松村御大が被災地応援で立ち上げた「ふく鍋隊」がご縁。延々と新潟まで大酒を飲みながら往復した。そのあとのお付き合いで「金光教」がお互い共通だったこともあり本音でお付き合いできる。残念なことは木村社長は酒を飲まないこと。
きのう木村社長に「明日のご出勤は何時ですか」と問い合わせた。いつも木曜日の8時にたくさんのたまごを会社にお届けしている。
7時40分ぐらいには着きますと言われたので少し前から待ちかまえた。
社員さんとの朝礼は「任せる」と言って私を招いてくれた。
私の目的は企業が障がいをもった人を雇用することを「どう思っておられるか」を知りたかった。
社長の会社では耳の不自由な男性を亡くなられるまで20年ちかく雇用された。
けれどもダウン症や自閉症という人たちの理解はない。雇用する以前の知識がまったくない。雇用したときの制度もわからない。
そこを経営者が理解できたら雇用に道がつくのではなかろうかと。
その会話を済ませて私が思ったこと。
スペシャルオリンピックスの各種プログラムに「見学」を組み入れる。
私が水泳でプールを借りにお願いに行ったとき管理者は「プールでウンコやシッコをされたら困るから」と拒絶された。その社会の認識をかえる見学はやりたい。
そのアスリート(障がい者)の動きをみて、うちの会社であの仕事を任せることはできないだろうか。制度の使い方などまでも見学してくれた人に解説できるコンシェルジュがスペシャルオリンピックスにあったらよい。
本来のスペシャルオリンピックス目的とは差があるかもわかないが、アスリートが社会にとけ込んでいくことに異論はないと思う。
スペシャルオリンピックスを立ち上げた中村勝子さん。スペシャルオリンピックスの目的を経営者の方々に話して歩いたら「知らなかった」と関心を寄せてもらった。社会との架け橋をかたちにしたいと思った。ちょぼハウスに通い続けて新しい私の境地がうまれた。
水曜日10時から30分。必ず立ち寄る「ちょぼハウス(スペシャルオリンピックス下関拠点)」
私が「姉御」とよぶ清水千代美(若いときシャンソン化粧品バスケットで活躍)さんが9時40分ごろハウスの鍵を持ってあらわれる。今朝は私が早く着いた。
特別支援学校に通う高校生たちが社会に出るとき、受け入れてくれる職場さがしに学校も親たちが奔走する。
農園で働いている耳が不自由な「みゆきちゃん」は15年以上休まず通っている。働きはじめた当時は、母親が(父親は他界)働くことはできないだろうと自宅で留守番生活をしていた。
地域の民生委員で私の知り合いから「働かせてほしい」と打診があった。100円バスで通えることが幸いした。
配達で農園に昼間はいない私は彼女のことはわからないが。真夏でも真冬でも台風の日でも餌を全部の鶏舎に運んでいる。採卵もやっている。
農園地域の人たちも彼女のことを理解している。それがないときは「あんたのところで働いているおなごはクラクション鳴らしても道の真ん中を歩く」と古老から叱られたこともあった。
バスの運転手さんも彼女を見守ってくださる。
ハウスに入れない時間で金剛住器の木村社長に電話をした「明日の出勤時間は何時ですか」と。会社に木曜日たくさんお届けしているが社長は多忙。「7時40分ごろ」とお返事があったので「5分、いや10分お時間ください」とお願いした。
下関では多方面に顔がひろい。くわえてスペシャルオリンピックスに理解がある。
ハンディをもった下関の高校生たちの職場をさがしている親たちがおられることを伝えたい。
きょうラストお届けは加奈ちゃんのお店。きのう「あす少し話をしたい」と予告電話をしておいた。
2時前のお店は明日の初オープンを前にして大忙しだった。
萩市とはいっても「むつみ村」の標高400メートルの高地で百姓をしているおばちゃん。
10年ちかく前、加奈ちゃんが自宅でパン教室をしていたときにご縁ができた「おじちゃんの卵がほしい」と言うが配達コースに組み入れることはできない。彼女が受け取り場所を山口市内に決めた。ご主人が山口市内で入院されていた。そのご主人が他界され受け渡しは萩市内のお嬢さんお宅にクーラーボックスを置いて拠点になった。
先月の菊川画廊「サルバドール・ガリ展」に彼女はお嬢さんとお孫さんで来てくれた。
あなたが生産しているお米や野菜を販売するお手伝いができるかもわからないと手短に話した。
お米や麦に豆類それに胡麻などもひとりでつくっている。スイカやトウモロコシに白菜は胸をはって自慢する。
加奈ちゃんと立ち話。今度の日曜日に萩市内で彼女と会う。お米は農園で販売できる仕組みをつくりたい。小麦粉やトウモロコシなどは「おいちゃん、お店で使うからね」と日曜日は子供さんの野球で萩に行けない加奈ちゃんの鼻息があらくなった。
加奈ちゃんとスクラムくんで前進だ!
写真。水曜日にこの季節はあたたい缶コーヒーが必ず置いてある。
⏹️よしのさん。きのう退院‼️
先週の水曜日から積雪で自宅に戻れない家内がやっと昨日の夕方帰った。
テレビ番組は総合とBSをしっかりチェックしている。その録画を再生して少し観て期待外れだったら録画削除。もう一度観たい番組はDVDにコピーする。
リスが木の実を埋めた場所を忘れるように、録画のDVDが数百枚ちかくになった。それを観ることはほとんどない。つまり収集癖。私の場合は変態部類の癖ではない。
その活躍したDVDデッキの調子が悪い。録画中にストップ・ダビング不能などが多発。ヘッドクリーニングDVDは値段は高かったが買った。けれども改善できなかった。昨夜の録画「鉄道員(ぽっぽや)」をDVDに録画設定をして出た。配達から戻ってみたら失敗。デッキの寿命を感じた。
家内が泊まった夜の会話は「ゆきちゃんウンコした!」とか「ハッピーがウンコせんのよ」ぐらいの夫婦の会話。今度は「ビデオデッキが限界」と会話の材料ができた。
山口市内のお宅をたくさんまわった。
今回の寒波で水道管が凍結や破損して、トイレや炊事に洗濯に困っておられたお宅は比較的若い人。蛇口をあけて寒波を乗り切ったお宅は人生経験のながい人。
美容室の水がつかえなかったと糸賀会長。たしかに寒波や凍結をながい人生で体験した人からすると若い社員の寒波に対しての無神経は腹が立つ。
私もこの地に来て、宇部市内では想像もできない水道管凍結、破裂を体験した。鉄の管が割れると業者に応援を頼む。塩化ビニールの配管が30ヵ所ほど割れており、美祢市のホームセンターに買いにいくとすべて売り切れ。鶏に水を飲ませるため氷点下8度の鶏舎で修理した。
あのつらい体験があるからこそ寒波を用意周到でむかえる力がついた。
今回の凍結騒動が若い社員さんの力になりますよ。
山口駅ちかくの配達さき。庭はまだ凍てついていた。
きのう、月曜日お届け岡本さん、品川さんの配達をさせてもらったので5時半スタートてま凍結の峠を逃げることができた。
愛犬の散歩をゆっくり終えて6時半に農園スタート。
美祢市で一番冷えるのは秋吉台。その次は秋吉台ふもとの於福地域と思う。きのう圧雪の於福の道路を往復した。その圧雪が氷になっていた。冬タイヤが路面をかまない。数回横すべりをして冷や汗をかいた。
美祢市内にやっと到達した大きな道路は安全。けれども脇道に入るとバリバリの圧雪。
8時に松村御大から電話着信「萩まで走りたいがどうじゃろうか」御大が走るルートをたずねたら俵山経由で長門市から萩市。
「タイヤは」と聞いたら「ノーマル」俵山の状況を把握していない。長門市から萩市はノーマルで走れますが俵山は危険と思います。どうしても車ならば特牛(こっとい)経由で海沿いを走られ他ほうが安全と思います。
私なら下関駅から電車でワンカップ酒を楽しみながら、鉛色の日本海冬景色を愛でたいところ。
農園から自宅に戻るルートはいくつかある。私は船木から農園ルートを配達から戻った。途中の小さい峠はシャーベット状だった。
きのう走った最短コースは、想像でしかないが圧雪と思うので「帰るなら船木経由で」と家内に伝えた。
きのう美祢市の教員住宅にお届け。お会いすることはないけれどボックスに山口農工西市分生徒さんがつくったジャムのお年玉をいただきました。
きのう土曜日の配達は、萩市から長門市、美祢市だったが降雪時は路面凍結の難所が何ヵ所かあり、とくに今回の寒波は厳しいので1日遅らせてきょうのお届けにした。
あすの月曜日、いつもは5時半に農園スタートして山口市の岡本さん。防府市の品川さんにお届けして美祢市於福の松本さんになる。
農園から岡本さんのお宅までにカーブが連続する峠をくだる。そして於福にむかうときはのぼる。早朝路面凍結で危険なので本日のお届けにさせていただいた。
農園氷点下4度の7時すぎに岡本・品川さんのお宅に向かった。峠は下らないルートは遠回りになるけれどそちらにした。小野の圧雪道路で宇部市営バスが路肩で救援を待ってた。
ブレーキを踏んだら危ない。路面の雪がシャーベットか圧雪かを判断しながら「D」か「2」のギアシフトで走る。
前の仕事では広島県と島根県の県境峠「赤名峠」。当時はスタッドレスタイヤはなくスパイクタイヤもなかった。チェーンをつけて走っていた。豪雪の羽須美村役場に行ったとき180㎝の積雪。役場の雪上車が走っていたことを思い出した。豪雪地域の郵便配達バイクにはチェーンが装着されている。
赤名峠の思い出のひとつ。
道路脇の公衆電話を使っていたら除雪車が路面の積雪を押し出して通過。その雪に車共々閉じ込められた。しばらくして除雪車か戻ってきたのでSOS。
約8時間。ほとんど雪道を走ったら目が疲れた。サングラスはある。けれどもスピードメーターなどが見えない。はやいうちに遠近両用サンクスを買わなければと痛感。
雲雀峠を走ればショートカットできるが、峠を「のぼる」「くだる」は敬遠した。萩市までの時間と距離はのびるが長門市経由の往復にした。それでも美祢市於福付近はガチガチの圧雪だった。
写真は道の駅「さんさん三見」を見おろす場所から日本海。
これだけも積雪があるのに井戸の水位が寒波で底をつきだした。全鶏舎に設置している飲み水の塩化ビニール管が通っている水が凍り膨張して割れることを防ぐためずっと排水している。
私の生活環境も蛇口が四つあり昼夜少しの排水をとめていない。その一つひとつは鉛筆の芯ほどの太さの水量であっても農園全体で昼夜×3日で使う量は多い。
気温があがり雪が溶ければ井戸は復活するが溶けない。
河原にエンジンポンプを据えて井戸までビニールホースをのばして撒水をはじめた。
農園の近くに宇部市最高峰の荒滝山がある。山から冷気が山あいをつたって下りてくる位地に農園がある。20年ここで生活して格段に冷えたときは氷点下10度。
このときもポンプて汲み上げていた。夕方、ポンプを作業場に持って帰ることを忘れて迎えた朝。ポンプの中に残っていた水が凍りつきポンプが割れていた。
車のラジェターに水だけを入れると冷却水ではあるが錆がでる。防錆と不凍効果のあるものが入っている。
きょう(土曜日)の配達はすべてあす(日曜日)に振り替えた。
明朝の気温しだいで出発時間を柔軟にかえ安全第一で積雪の多い萩市から長門市、美祢市を走る。
家内は水曜日に泊まりはじめてまだ逗留している。農園と自宅のあいだには午前中は路面が凍っているところがあり、冬タイヤをつけてはいるが慎重派。
積雪の多い朝、家内が農園に来るとき下り坂でカーブを曲がりきれずに路肩に衝突。車は廃車になった。
その原因はエンジンブレーキ機能を知らなかった。下り坂カーブをドライブシフトで走り勢いがついたのでブレーキを踏みしめた。その事故以来雪道を敬遠している。
冬の北海道観光をしたときタクシードライバーのハンドルさばきが観光より思い出になっている。
午前中、美祢の萬代さんから「日記のホーム画面更新がされていない」とメールが届いた。
今朝目が覚めたとき、きのう日記で誤字があったような気がした。確認したら劔岳の「岸壁」と書いていた「岩壁」に訂正して寝た。
毎朝3時ごろ更新しているホーム画面を済ませたつもりになっていた。
農園から車で出ることのない一日は初めてかもわからない。
録画していた場組をふたつ観た。犬が嫌がるほど長距離散歩をさせた。昼にビールは飲まなかった。
もし、仕事をやめてサンデー毎日だったらどんな生活になるのだろうと思った。
農園入り口に建立した坂村真民先生の碑。
「念ずれば」は、こうありたい、こうなりたいと「思う」「願望」を神仏に頼んで終わり程度のことは「念ずる」とはちがう。念ずれば祈りになり実践になる。
映画「劔岳点の記」を観たのは、大好きな作家新田次郎を読んだから。そのすぐあとに兵庫県の香山君が「凄いDVDです」と宅配してくれた。それは無修正のアダルトではなく「劔岳点の記」メイキングビデオ(60分)だった。
壮大なシーンを撮るため劔岳一番の難所に近い場所に山小屋逗留。カニのタテバイという命がけの岩壁を、私の記憶では9回つまり9日以上滞在してカメラスタッフと機材。キャストの香川照之、新井浩文、浅野忠信たちを命がけで頂上往復をさせた鬼監督。スタッフのひとりが滑落している。
船木のあるお宅に早朝お届けに行ったらご年配(70歳代?)
の奥さまが山行きの出で立ちだった。
立ち話し「どこの山に思い出がありますか」と聞いたらしばらく考えて「キリマンジャロです。お鉢回りをしました」絶句!「次は三浦雄一郎さんが最終ベースにしたエベレスト」腰が抜ける!「次は、劔岳」
その劔岳登頂は果たせなかった。その理由は悪天候。
山小屋には「点の記」撮影隊が逗留しており皆さんと酒盛りができましたと。
木村大作監督を知ってBSで放映された「劔岳」を録画。あらためて観たら感動の連続。明治の陸軍陸地測量隊が国内唯一標高を測っていない。そこが困難な場所だから。その頂を測った(現在のGPSで測っても10㎝以内の誤差)その偉業を新田次郎は書いた。
それに木村大作監督が命がけで映像をくわえた。そのうえ山のシーンにながれるスクリーンミュージックは「ひまわり」や「パピヨン」と肩をならべることに気がついた。
木村大作監督は昨年の秋に文化功労者表彰をうけた。
先日、BSで「ホタル」があった。何度か観た作品だったが録画した。それを昨夜観た。監督「木村大作」だった。
ストーリーより映像と音楽のコラボレーションで監督の文化功労者を感じた。
11日午後9時からBS「鉄道員(ぽっぽや)」がある。何度か観た作品だが録画予約している。監督が木村大作と知ったから。あの豪雪のなかで作品になった「八甲田山」も監督は木村大作さん。黒沢監督に鍛え上げられた監督。
「ホタル」と「劔岳点の記」ふた作品を観たいかたはお知らせくだされば無料・無期限(返却はお願いいたします)でお届けします。
昨年は雪はなく凍結した道を走ることはなかった。
けれどもこの冬の寒さは厳しい。今朝7時の農園を撮った。
大谷山荘雲遊から明日のご注文。
数年前、防府市と新南陽市の国道2号線椿峠で停滞したとき「それなら徳地から抜けたらよい」と防府市から徳地を経由して新南陽市に山越えした。その道にわだちはなかった。
無理はしないほうがよいと雲遊ご注文はヤマト便に持ち込んだ。ついでに久々に小郡で散髪もした。
明日の配達は萩市から長門市に美祢市。すべて日曜日のお昼ごろにお願いした。萩市は雲雀峠と鎖峠の県内でも著名な凍結道路。
走破した自慢よりも安全を自慢したい歳になった。
金曜日午後5時。宇部市から大雪警報が届いた。
午後2時前。美祢市厚保、その道では一番奥まったお宅の配達。かなり急勾配をバックで登ったところ。小学2年生の「ももちゃん」が笑顔で大きな声で「こんにちは!」と声をかけてくれた。
今朝からの配達で「食べてください」と頂戴したお菓子など全部「兄ちゃんと分けて」と渡した。婆ちゃんに走って「たまごのおじちゃん(お爺ちゃんではなかった)からもろうた!」と大喜び。
きのう「あだち美術館」を更新した。そのあと「写真をクリックしても拡大できない」とメールをいただいた。
更新操作にうっかり手抜きをしていた。けれども眠たいので放置。
きょうの午後、コンビニWi-Fiを使ってコーヒー飲みながら拡大できるようにした。
岡本絢子さんの句集は松村貴美さんが「読みたい」で本日お届け。美祢市の黄明美さんからも「読みたい」と手を挙げておられます。
句集に関心がある方には回覧役です。手を挙げてください。
今年はじめての唐戸魚一番。荒天で開けている店は少ない。そのなかでも「すじカツオのたたき」と「特大イワシ」は晩酌の肴になる。思案の末にイワシに決めた。
大きなやつを4匹!と声をかけたら冷たい氷水に手を入れて大きなやつを選んでくれたおかみさん。計ってもらったら700円。頭と腹わたをとりましょうかと言われたが「そのまま」頭は犬の好物。背骨は骨煎餅で酒の肴に「いつもありがとう」の笑顔でイワシにしてよかった。
下関市内。早朝は6度。新下関の11時は0度。内日に入ると吹雪で氷点下2度。美祢市も氷点下2度。3時過ぎに戻った農園は氷点下3度。
今夜の農園は冷え込む。
寝過ごした。4時の目覚ましアラームよりさきに起きる(3時ごろ)私がアラームで目が覚めた。ところが30分ちかく二度寝していた。夢うつつのなかで曜日を数えたら5時半には下関に向けて走り出す水曜日。きのう午後からの採卵で出発用意は整っている。ゆきちゃんのために作業場にストーブ着火。犬たち2頭は別々に散歩。私の胸中を察してか速やかな排便。
布団をあげながら朝食メニューは決まった。こんなときのための「どん兵衛蕎麦」お湯を沸かして丼で蕎麦の出来上がり。生卵をひとつ。納豆と千切りキャベツにバナナが一本。
台所など掃除をして火の元など確認して荷物の積み込み。6時前、氷点下2度のなかスタートできた。
水曜日の10時はスペシャルオリンピックス下関の拠点「ちょぼハウス」きょうは先を急いでいたので要件だけ済ませて早々に出る予定が、バーバラ達からお茶や高級羊羮で持てなされで長居になった。
2月にはいり長府でバームクーヘン専門店オープンする。お店は村上棟梁がオーナーご自宅を改装した。たまごは農園ご指名。きょうも打ち合わせとお届け。
農園バームクーヘンもお願いしたいと思っている。
加藤官房長官「今回の緊急事態宣言発令は東京五輪やパラリンピックになんらの影響はない」と。きょう都内感染1591人。医学生で介護資格を有する人を医療現場にとも。
負け戦のなか大本営発令。神風や大和魂の精神論で突き進んだ。学徒動員までの再来を私は感じている。
この政権を動かしている政治家たちは「なにを守ろう」としているのかが見えない。最後は責任転嫁で逃げて腹を切る覚悟はない。情けない。
「あだち美術館」28枚で更新しました😀
今朝の猫背です。
火曜日9時半。ニュースタイル(美容室グループ)糸賀会長が待っている。
今朝は女性社員さんに「あだちさんに葛湯を入れてあげて」と。
その葛湯。私が子供のころに熱などで起きられないとき母が砂糖たっぷり甘くて熱い葛湯を茶碗につくり大きなスプーンで食べさせてくれた味だった。忘れていた母の味をおもいだした。
葛湯をいただきながら、成人式やイベントがなくなり収益はどんどん減る話からはじまった。いつもは成人式前夜から湯田の旅館大広間を貸し切り着付け。全店(6店舗)あげて徹夜でセット。その勢いがそがれたことは厳しい。
私の「たまご」ではブライダル「ハラダ屋」披露宴会場エミリヤとララマリーはコロナで農園ご注文が減った。
総理は「コロナに勝利したオリンピックを必ず開催する」ときのう原稿を読み上げた。
総理が「やる」と号令かければオリンピックを成功させる裏方は「ストップのとき補償されるのか」と不安ながらも総理の言及に従い野菜など食材の増産。関連の業種もそこを目当てに動いている。
けれども、この世界情勢や国内感染情勢をみたら「できない」と思うのがふつう。
なにが言いたいか。
国際オリンピック委員会が中止や延期を決める。それが推進してきた関係者に「中止」と胸を張る政治家たちの言い訳になる。秘書に責任転換して晴れ晴れしている政治家の構図と同じと国民はシナリオはわかっている。
コロナが政治家連中がどれだけ国民に寄り添わないか、反対におのれの利益を追及しているのかをあぶり出した。コロナ。いまの政権はコロナに勝利できない。
糸賀会長オフィスにデザインルームがある。
https://atore-design.wixsite.com/atore
ラインで連絡をとりたいお客さまが多くなりラインをはじめた。そのQRコードを名刺に入れておきたいので今朝4時ごろ要点をメールでデザイナー室にメールで届けた。
糸賀会長と会話のあと「つくってみました」の名刺原案をデザイナーさんが手渡してくれた。少し手直しをやりたいが早くてセンスがよい。
5年前96歳で母はお国替えした。
33年働いて(母は奉職と)いるときは職場仲間とお付き合いはあった。退職してからはどこかに出かけることはなかった。
遺品整理を家内が大学ノートに母が書いた日記と俳句をどっさり発掘した。
出雲の豊かではない家、9人兄妹の長女の母は働いて仕送りするため小学校を出て松江に奉公に出された。つまり教育はしっかりうけていない。
その母が歳時記を片手に俳句を詠んでいたことをはじめて知った。宇部市秋の文化祭に応募して特選をもらっていた。
そのたくさんの俳句をまとめて家族に偲び草として遺しておきたいと思いながら腰が重くなっていた。
出版を仕事にしていた頃は装丁など考えることは得意だった。たくさんの偲び草を手がけた。その仕事のなかで感じたことは「本は紙の墓」と。石の墓も大切だが紙の墓はページをめくれば故人の想いに手がとどく。とても身近になる。
今朝、岡本拓也さん配達でお母さんの句集「スプーン一杯の幸せ 岡本絢子」218ページ。出版されたのは拓也さんの兄、上田淳さん(私と年齢は同じと聞いている)
ひとつのページに4句。文字の太さがバランスよい。
最後218ページは2句だけ。
新茶入れ私の席はこの我が家
俳句アルファー・入選
明日とも知れぬ命に種を蒔く
第22回NHK全国俳句大会・入選
たくさんお世話になった。そのひとつを挙げれば岡本のお母さんはお味噌づくりが得意だった。どっさり頂戴したとき太秦の長女にお裾分けしたら「美味しい」とお母さんにお礼の葉書を出した。以後、毎年「はい。これはお嬢ちゃんの味噌」と頂戴していた。
年末に入院先に会いに行った。とても喜んでいただき会話がはずんだ。穏やかな気持ちで毎日を過ごされることを願っている。
よく読ませていただき来週月曜日にお返し。
もう一冊「なぜ下関はフグの町なのか」
書いたのは下関掃除に学ぶ会重鎮。福村夫妻の孫「福村佳智くん」小学三年生の視点で下関とフクについてを調べた。
読んだ第一印象は「よくわかる」大学教授が難解な言葉をならべるより子供の視点から書いた文章はとてもよい。さらに「これを冊子にしないか」と持ちかけた松村御大の提案に応えて冊子にした藤フーズの社長もご立派。
ふたつの冊子をご紹介しました。
仕事初めは下関市。
年末年始はたまごが売れないだろうと、農園たまごを縁起物として毎年お客様にお年玉でお使いいただく寿司割烹浪花
https://sushi-naniwa.info/
明日の早朝「ふく」の初競りがある南風泊(はえどまり)魚市場。関係者に配る縁起物「お年玉子」は松村御大が社長時代にはじまり初競りで玉子は続いている。
お届けを済ませて年賀ご挨拶は松村御大。数えられない年初めの儀式になっている。
きょうは3時間「ふく」三昧で食べて飲んだ。儀式終了は玄関のピンポン!玄関前にとめた私の車。それをパトロールカーが睨み付けてチャイムを鳴らした。
お礼のご挨拶も手短に家内は運転席で興奮。後ろにはパトロールカー。反則切符を貰わなかった。
農園に戻ったら牧さんから封書。中身は宝くじ20枚。
贅沢は言いません。一枚だけ二等でよいですからと神様棚にお供えした。
松村御大と新年の会話。今年の私の指針になる。
スペシャルオリンピックスなど話題はひろがった。御大の豪快さは毛利の殿様、家臣の申し出に「そうせい」と言うたそれに近いものを感じるときがある。
「そうせい候」と揶揄される人もあるが、長州三白(四白)塩・米・ろうそくなどで財を蓄えイギリス勉学に長州ファイブを派遣した。それは日本の近代化の礎でもある。
御大が下関を「ふく」で日本一にしたと思っている。もちろん加工業者や販売業者に飲食関係者の懸命な努力はあったと思う「ふく」に携わる皆さんの情報を公私で集めてひとつの方向に導くコーディネート力が御大の真骨頂。くわえて人並みはずれた肝臓と奥さまの後押し。
松村「そうせい候」はスペシャルオリンピックスで関係者のやる気を「そうせいや」と見守っている。けれども「けじめ」は言う。スペシャルオリンピックス下関の拠点ちょぼハウスは御大の親交で無償で使っている。
使う条件は、家に一週間に一度は風を通してほしい。それはやっている。仏壇に毎週お花を供えている。掃除もやっている。スペシャルオリンピックス関係者がこの拠点があるから進んでいる。
ここで飲食はやるな!
スペシャルオリンピックス関係者でも規律を持てとのひと言は守られている。
御大はニヤニヤしながら「おう、それか」と集めた情報を分析して前に進める。
ことしはスペシャルオリンピックス。かかわるアスリートが働ける場所にアンテナを張ってくださいと盃を交わし続けた。
牧さんからのお年玉。
決して贅沢は申し上げません。一枚だけ二等でよろしいのです。と神様棚にお供えした。
元旦翌日の2日。毎年50㎞(10数時間)ちかく歩いている。
歩けるように私なりに足づくりをしている。なんのことはない6階ぐらいの配達先は階段をつかう。朝夕、犬と歩くときは大股で早足。駐車場は不便な遠くの場所にとめる。そのぐらいでじゅうぶんに歩ける。
東萩駅や長門市駅から農園。山口駅から農園。下関駅から農園ほかにも歩いている。
家内が「どうする」と昨夜聞いた「わからん」コースが決まらない。下見をした有力候補は農園から秋吉台横断、赤郷を経由して美東大田から農園を考えていた。けれども秋吉台は寒い。
3時に目覚めた。天気予報を見ながらコースを決めた。
長府マリンランドの大駐車場をスタート。ここから徒歩で赤間神宮と亀山神宮。唐戸桟橋から連絡船で門司港。門司を散策して関門トンネル人道を歩いて海峡横断。そこからマリンランドまでのコース。
8時半スタートで1時半ゴールイン。歩いた距離は30㎞ぐらいでも楽しい1日だった。
写真は門司港展望室31Fから見下ろした一枚。
出光美術館はお正月閉館。残念。
歩いた写真は「あだち美術館」に近々掲げます。
豊浦総合支援学校高校2年生の敦貴(あつき)のInstagramをご紹介します。
https://instagram.com/atsuki_0421?igshid=fij3xcfkwckk
私はInstagram🔰で彼の作品をダウンロードができませんが。マスターして「あだち美術館」で公開します。しばらく待ってください。
あけましておめでとうございます。
元旦いかがお過ごしでしょうか。
私の元旦行事はいくつかあります。そのなかで秋穂の正八幡宮初詣もあります。
写真、私の左側は桂子ちゃん。右は真季ちゃん。ふたりが巫女の奉仕をしています。
桂子ちゃんは、私の前の仕事をしているときの社員さん。スペシャルオリンピックスのボランティアで世界大会(アメリカ)に行ったことや、四国歩きお遍路結願。
掃除に学ぶ会や数樂の会などで一緒に学んでいます。
真季ちゃんのお母さんと桂子ちゃんは同級生。
下の二枚は、昨年と一昨年です。この八幡宮を親に山口県内各地にお宮が誕生している歴史があります。さらに境内には真言宗のお寺も仲良く建っています。
きょうもお二人から嬉しいプレゼントを頂戴しました。
お昼は刺身などで缶ビール2本で布団を敷いて熟睡。
高倉健映画 刑事・蛇に横切られる 録画を楽しんだ。ストーリーのなかから家庭より事件にからだを張って取り組む刑事の苦労が伝わった。
今年も囲炉裏の部屋でのおつきあいをお願いします。