川の音 ゴウゴウと

囲炉裏アーカイブ
囲炉裏アーカイブ

昨年6月。母の納骨に行った。金閣寺に近い「絹かけの道」から入る道を登った場所に墓地があり、金光教太秦教会奥津城がある。今村さん手作りの陶器の母をおさめた。

せっかくだから金閣寺。写真は静かなたたずまいのように見えるが、現場は外国人の多い人混みに押されて移動した。

三十三間堂を静かに拝観したいと思った3年前、5時閉館の少し前をねらって入館したら貸切りで千体の仏像が迎えてくれた。

渡月橋は、太秦から近いので照美さん(長女)と気持ちのよい早朝散歩をした。


昨夜は雷雨が激しかったらしい。配達の疲れで宇部市防災メールが何度か着信していたが気がつかなかった。3時にゴウゴウと川の音で目が覚めた。


「囲炉裏」ホーム画面は6時までに更新している。今朝は今村さんの「カメ」をアップ。

フルートちゃん・加奈ちゃん・上田さん・重枝さんから写真投稿が届いて嬉しい。


下関市に連続3日目。きょうは月末の集金。帰りに風呂に立ち寄るつもりで風呂セットを持って出たが。疲れがピークに達しており風呂キャンセルで農園に戻った。


ホーム画面に「見逃しギャラリー」を開設。当面は月末更新をします。ホーム画面に載せた写真をとどめておく目的ですが、それ以外の掲載も主観でやります。


今月もお付き合いくださりありがとうございました。


ゴールは缶チューハイ

裏の田圃で雄雉がケーン ケーンと鳴くのを狙ってパチリと一枚。雄たけびをあげる時は立ち上がるようにして羽をバタつかして2~3度ないています。 


今村さんから投稿されたキジの添え書きを原文引用しました。このような瞬間を目の当たりしたことはありません。偶然の一枚ではなく根気の一枚でしょう。明日のホーム画面も今村さん作品を予定しています。


むし暑さにくわえて雨の木曜日。疲れて農園ゴール。500ミリリットル缶チューハイをとにかく飲みながらのブログ更新。

菊川のフルートちゃん配達に行き「囲炉裏」の話題になり、フルート教室の写真を投稿いただきました。後日の紹介になりますが、毎日更新のブログURLは

http://s.ameblo.jp/nagatomasayo-fluteschool/entry-12276171017.html


明日の金曜日も下関市。6月のラストを頑張ろう!

天使か悪魔か 人工知能

海老ちゃん 投稿 月下美人
海老ちゃん 投稿 月下美人

昨夜「海老ちゃん」から、月下美人が咲きましたとメールをいただいた。農園の作業場で何度か咲いた。よい香りが漂いはじめて開花がはじまり一夜で花を終えた。


NHKスペシャル「人工知能は天使か悪魔か 2017」を見た。20数年前、ある町役場の電子計算機にトラブルが起きた。税務課の窓口では、職員が徴収計算を機械任せにして計算できなかったので混乱した。藤野先生にそれを話題にしたら人工知能は自らプログラムエラーを修復できますと言われた。


将棋の名人と「ポナンザ」という人工知能の「電王戦」という対局をベースに60分番組が構成された。

名古屋のタクシーには人工知能搭載車があり、その日の天候やイベントに曜日などさまざまな情報をもとに、タクシードライバーに客が乗せられる場所へ導く。これまではドライバーの経験と勘で(ギャンブルを想像した)走行していたが、いまは人工知能があるから誰もが名ドライバーになることができる。人事課などでも人物評価を。株取引も人工知能。


ポナンザは電王戦の前に700万局の試合をしてデーターを蓄積。人間が年間3000局試合をこなして2000年かかるという。この人工知能の時代がやってくるのではなく、すでにその時代に生きていることがわかった。


与党・野党の人工知能が政治したら「そんたく」はなくなる。宗教は、人の助かりはどうなるのだろう。など考えることが多くなった。


少しの降雨で水位のあがらない川を見ながら水不足が心配になる。下関市を配達中に何人かの方から囲炉裏に写真投稿をいただいた。ホーム画面は消しているが「見逃しギャラリー」のような写真ライブラリーの検討を重枝さんにお願いした。

林さん投稿

フライブルグで見かけた電話ボックス
フライブルグで見かけた電話ボックス

ドイツのフライブルグで見かけた電話ボックスだったものを図書館にしているものです。フライブルグは大学の街なので、学生さんにはありがたいボックスで、不要な人には不要で、必要な人には必要な物々交換図書館です(林さんキャプション)


広島県庄原市の林さんから投稿。22年前から掃除に学ぶ会でおつきあい。彼も私も元気な時代だったから、とにかく酒を飲んでは広島組と山口組の交流は楽しかった。

パソコン通信で「パティオ」という仲間だけの部屋をつくり、全国の掃除仲間がハンドルネームで真面目と不真面目の話題で賑わった。松村御大は「とらさん」林さんは「スキンダさん」わたしは「六さん」パティオのオーナーは井辻さん。林さんはダスキン店を手広く経営されていたから「スキンダさん」わたしは会社名「ぎじろく」から「六さん」松村御大の「とらさん」はトラフクから。


林さんは会社経営と市会議員「副議長様」の二足のわらじ。酔ったら英語で歌うほどの語学力を生かして、海外視察によく行く。次の投稿お待ちしています。


火曜日は10時に山口市内「ニュースタイル」糸賀社長が待っている。糸賀社長も掃除がご縁。今朝は数楽の会を説明して誘った。維新公園前に土地を求められ9月完成で本社社屋建設をされる。きょうが地鎮祭。

今村さんのカメラです

花びらの奥に
花びらの奥に

写真は今村さんからの投稿。大学野球監督時代、学内スポーツクラブを対外的に紹介する役目が今村さんに決まりカメラを手にされた。

さいわいスポーツ新聞記者が出入りしていたので、撮りかたを教わることができた。ラグビーなど迫力を撮ることが面白かったと話された。

帰郷され晴耕雨読の毎日のなかで「おっ!」と思う場面に遭遇したらカメラを向ける。少年のような視点でたくさんのショットがあると思う。これから定期的にご紹介させていただきます。

実は、以前にも写真をタブレットで受け取ったが、それを日記に載せることができなかった。その方法が身についたことが嬉しい。


きのう朝、赤い大きなムカデを作業場で殺した。外に投げ捨てた。今朝5時、その死んだムカデにたくさんのアリが群がっていた。アリは餌があると夜中でも働くことがわかった。アリの生き抜く力に、きのうの草刈りで疲れていた私は気合いを入れられた。


ラジオで笑った「葬式に とうりかかった チンドン屋」

私が高校時代、クラスメートのお母さんが亡くなり葬儀に参列した。読経のときオナラの音が聞こえた。笑えない場面なのに。さらに前列のほうで女性の声がした「すみません」あのとき奥歯を噛みしめて笑いをこらえたのは私だけではないと思う。


今夜は、録画の「NHKスペシャル 人工知能は天使か悪魔か 2017」をじっくり観たい。

ふたりの 桃源郷

午前中の仕事を休ませてもらい家内と映画を観に行った。きのうから1週間のアンコール上映の「ふたりの桃源郷」


南方から復員した夫と、食べるための開墾を岩国市の山奥ではじめた夫婦。やがて子ども3人に恵まれたが、教育や生活費に迫られ、高度経済成長の後押しもあり大阪で個人タクシーをはじめた。

20数年働き、子育てをを終えた夫婦は「あの山」での老後を選択した。開拓した場所は荒れていたが60歳をこえた夫婦は元の住みかに戻した。電気や水道は無いから木を倒して風呂をわかし米を焚く、2台の発電機で灯りをとる。スクラップのパス車内に布団がひとつ、それで寝る。

お二人とも90歳を越えるまで互いに散髪をしたり、いたわりあいながらの生活を山口放送がカメラをまわした。


観客は多かった。すべてシルバー チケットと思う。わたしは「老い」と「幸せ」を深く考えた。それと親孝行が足りなかったこと、母があれほど「帰りたい」と口にしたことを、今思えば私の都合で叶えてやれなかったことが悔やまれた。


昼ごはんは食べて帰る予定の家内に「あるものでよいから帰ろう」と促して農園に戻った。人混みのなかに身をおくことが苦手になった。


午後から農園隣接地の草刈りでしっかり汗をかいた。

梅雨の雨になった

玄関ドアの上でツバメが子育てをはじめた。気になるのは床に落ちる糞。きょう配達に行ったら見事に解決されていた。奥さまに聞いた。ツバメ愛護団体がネットで糞を受ける型紙を出していた。それを無料でダウンロードして組み立てたと話された。糞に困り巣を拒否しないアイデアと思った。


本土復帰直後から沖縄に遺骨収集奉仕に通った。糸満市摩文仁の山野にはたくさんのご遺骨があった。

きのうは摩文仁平和祈念公園で慰霊祭がつかえられた。東アジアの情勢が不透明ななかでアメリカ軍基地にさまざまな世論がある。

22日、朝の「視点・論点」は津田大介さんだった。国内のアメリカ軍基地の70パーセントが沖縄県にある。その基地を全国都道府県で平等に受け入れるべき。という内容だった。


「シェア」という言葉をよく耳にする。果たして基地もシェアできるのだろうかと思いながら聞いた。もちろん、戦後の沖縄県が基地問題と向き合っていることも理解している。


けれども、例えば輸送機オスプレイと海兵隊が別の場所だとしたら、互いの能力はまったくいかせない。兵站とよばれる機能は、物質の配給や整備さらに兵員の衛生面に施設の構築などをいう。この兵站からすれば基地機能は集約されたほうがよいだろう。


沖縄県にとっては過重な負担になるが、基地機能から考えると基地の全国シェアはできるのだろうかと疑問を感じた。いずれにしても、軍事で平和にはならない。


いよいよ梅雨本番の雨になった。

無理せず休息

18日、重枝さんにタブレットと囲炉裏の指導を受けた。操作などうまく出来ない壁にあたり、それでも解決したいと努力して解決できないこと。それを教えてもらうときは、砂漠に降る雨のように教えてもらうことが吸収できる。

先日はメールに添付の写真をブログで使う方法をドコモ店で教えてもらった。

「わかる」ということが、こんなに嬉しいことなのかと実感した。タブレットでブログを更新することは、加齢で錆び付いた脳ミソに新鮮な刺激になる。


5時から草刈りをはじめる予定だったが、身体に運転疲れが残り気合いが入らない。8時まで横になった。車で20分の持世寺温泉に向かった。少し遠回りして今村さんの畑に行ってみた。

案の定、農作業スタイルで働いておられた。長年、専修大学野球監督をされたので「ボクは炎天下で汗をかくのが好き」と常々話されている。育てたスイカをカラスに食べられ肩を落としておられた。10キロちかいバレーボールのようなキャベツとナスにキュウリを頂戴した。

今村さんが麦わら帽子をとると頭にヒモ。腰と肩にもヒモ。なんかわからんが調子がよいらしい。


「秋穂の夕暮れ」を届けてくれた方のハンドルネームは「海老ちゃん」と決まりました。継続して海老ちゃんからの投稿を楽しみにしています。

掃除仲間の岡本拓也さんの傑作写真4枚が届きました。25日と26日のホーム画面に載せます。ご期待!


さきほど河村隆子さん来園。建夫先生(日韓議員連盟会長)と数日後に訪韓されることや、朗読劇のにっこり座近況などを話して、お土産の三見のビワをたくさん頂戴した。農園のみなさんに家内がわけた。

写真の初投稿

朝8時。わたしのお気に入りノートアプリ(文字の大きさ指定・背景の色など)を開いて長文を読んでいたらメールが着信。写真が添付されて、添え書きは「秋穂の夕暮れ」写真の投稿。

囲炉裏をご覧のみなさんが「これは紹介したい」と思われる日常の一枚(風景・ペット・家族や料理など)私のタブレット SUSUMU201407@docomo.ne.jp 宛にお届けくださいませんか。詳細は、後日あらためてお知らせしますが、今夜からでも歓迎して受けとります。写真のテーマだけは簡単に添えてください。実名でもハンドルネームでもかまいません。

「秋穂の夕暮れ」の送信主は、ハンドルネームを検討中。


今朝は時計を3時と思って起きたら2時だった。もう眠れないから布団をあげた。部屋から犬を出して掃除機。お茶を飲みながらタブレット タイム。新聞のあとはフェイスブックを眺めていたら、加奈ちゃんが「いいね!」をした長文が目にとまった。

コピーしてノートに複写して、老眼でも読めるフォントに変換して熟読した。

フェイスブックで、自分の考えと異なる社会の動きや発言に「それは間違い」と主張する人についての指摘と受け止めた。私も自分の認識と異なることを言う人を遠ざけていた。最近ようやく異なる意見も「あり」と思えるようになってきた。

その長文をコンビニでコーヒー飲みながら読みなおしていた。


午後2時に加奈ちゃん。パン教室はにぎわっていた。フェイスブックを読んだ感想とお礼を言ったら、彼女がフォローしている人で「たぶん医者。これからハワイに移住するらしい」ぐらいのネット関係にこの時代を知った。


このブログ書き込み中に藤野先生からメール。私がホーム画面で「山尾」は「井上」の間違いとのご指摘。ありがとうございます。


早起きして長い木曜日になった。


昨夜は雨音が心地よかった

JR山陰本線「萩駅」前に、鉄道の父といわれる井上勝の像がある。いわば密航でイギリスに学びに行った「長州ファイブ」伊藤博文は初代内閣総理大臣・井上馨は初代外務大臣・山尾庸三は工部卿・遠藤謹助は造幣局長・そして井上勝。

山口県人として私は恥ずかしながら「長州ファイブ」は酒のラベルで知っている程度だった。それが今年オープンした「萩・明倫学舍」で時間をかけてファイブの足跡・偉業を知った。特に私は失敗と思っていた萩反射炉、あの屈辱が日本を鉄で支えた山尾庸三の八幡製鉄になったことを学び感動を覚えた。

井上勝の銅像は、東京駅丸の内中央口にもあると書かれていた。


きのう夕方、小雨のうちに犬を歩かせようと川土手沿いを歩いていたら釣り糸が絡まったようにシマヘビ2匹が団子になっていた。交尾の真っ最中。この光景を見るのは2度目。最初は農園の軒下で太いアオダイショウがもつれていた。頭が2つあったから腰が退けるほど驚いた。冷静に観察したら交尾だとわかった。

あの経験があるから驚かないが、犬は異様な光景に飛び上がった。それから声がかれるほど吠えまくり。あまりの雑音に交尾は中断した。


さわやかな降雨で井戸の水位はわずかな上昇に終わった。今朝も川から水を揚げて、井戸周辺に散水するエンジンポンプは動いた。


下関市の配達を終えて、先日トヨタ防府店の岡本さんに「オイル交換に行くチャンスがないから、小月店に連絡してください」とお願いしておいた。1月から使い始めた車の走行は27000キロ。小月店でオイルエレメントも交換した。


囲炉裏の部屋に写真投稿をお願いしたいと計画している。さまざまな撮りかたで添付されて届くと思うので、受けとる私の画像加工の技術をレベルアップしたいと思い、これまで放置していた処理できない添付画像の解決にドコモ店。🔰マークを胸につけた初々しい店員さんが親切に対応してくれて解決した。

これまでセブンイレブンのマルチコピー機でプリントしたかった画像をいっきに20枚プリントできた。


雨音が心地よい

囲炉裏アーカイブ 宮崎空港
囲炉裏アーカイブ 宮崎空港


宮崎県内の市町村会議録は、宮崎速記士会と関西の会議録調整会社が作成していた。たまたま国富町議会から照会があり、当時は高速道路もなく10号線を12時間かかり初めて宮崎に着いた。約10年ちかくで他社から当時の32市町村の会議録を契約できた。

常宿は南宮崎駅に近い「レマンホテル」年間40泊ぐらい使った。宮崎県民ぐらいの「宮崎通(食べ物・観光地・方言・路線)」を自負していた。写真は宮崎空港2階の壁。延岡市の旭化成がスポンサーで1時間おきに神楽の音色で壁が開き、からくり人形が高千穂の天岩戸神話を舞う。

わたしには立派な観光地。2年前、家内に「宮崎観光」と話して案内した。土産物売場のおばさんは、山口県からこれを見に来たと話したら宮崎弁で驚いた。動画サイトでも閲覧できるらしい。


火曜日の山口市内を走り終えて、シャワーをあびて待ちかねた雨音を聞きながら缶チューハイ。

きょうのお客さまもすべてクチコミ。つまり、既存のお客さまからのご紹介。配達しながらクチコミのありがたさを考えた。

農園をラジオやテレビや冊子がとりあげると、問い合わせが多くなる。しかし鷄の数はすぐには増やせない。余るほどのタマゴがない。

ボツボツ販路がひろがるほうがよい。ご紹介のお客さまは、農園の特徴を聞いておられるから内容をよくご存じ。

それに人間関係を毎週重ねていく。


農園の井戸水位は最低ライン。今夜のうちに回復を期待している。


ヒモトレ物語

「ヒモトレ」は、ヒモを身体に巻くだけで身体が驚くほど楽になる。それがフレーズ。広めているのは数学(数楽)教師の藤野先生。

眉に唾をつけながら義理で聞いていた。しかし、やってみると毎月5000キロ以上走り、特に肩凝りに悩まされていた私の身体が楽になった。道具は100円ショップのヒモだけ。藤野先生はとうとう空路、鍵山先生ご自宅に乱入してヒモを巻いて日帰りした。

なんとなくヒモのファンが増殖をはじめ、先生も呼ばれる場所に参上され下着姿(~_~;)で熱中授業。


今朝、岡本さんが購入された「ヒモトレ入門DVD付き」を拝借した。私が最近本を持参した方には順番で持参します。興味のある方はご連絡ください。


美祢市の「ばんだい」さんはお留守だったが、玄関にプレゼントがあった。近々にご紹介させていただきます。


ホーム画面「白鳩」は私の作。神社のパンフレットは「白鶴」何度も見たが「鳩」近いうちに現場で確認してみたい。


ホームページに支払いが終わり、オリジナルな細工ができると重枝さんが言われた。奇抜なアイディアを重枝さんに問い合わせてみたい。実現できるなら公表して前に進めます。


昨夜は真砂恵さんが子連れで来園。ホタルも飛んでくれて楽しい夜になった。


文明(ネット)開花が連日

10時に山口市内で「囲炉裏アプリ」の使用料払い込み手続きをネットでおこなった。アプリは、一定の容量を使うまでは無料。けれどもオーバーする時期になれば使用を止めるか、料金を支払うかの選択になる。

私にはこのネットで支払う手続きはハードルが高く、重枝さんにサポートしていただいた。桂子ちゃんもあとから合流した。


ネットの支払いは「カード」農園生活ではポンタと買い物カードしか要らないからカード作成から始まっていた。先日そのヤフーカードが届いたので、ようやく支払い手続きがはじまった。約1時間お二人にお世話になり目的を果たすことができた。するとカードに5000ポイントが入った。

農園に戻る途中、コンビニWi-Fiを利用して、わたし初のネットショッピングを体験した。


タブレットの使い方に困りドコモ店に立ち寄ると、店員さんがスイスイ操作して「はい。できました」で終わることが多く、根本的な理解に至らない。

操作をしっかり尋ねることができる人が身近にあるから嬉しい。


今週の後半まで雨が降らない予報。川土手の桜並木は日照りで弱っている。軽四の二体に500リットルのタンクを積み、川の水をポンプで汲み上げて並木にバケツで散水した。

午前は頭、午後は身体を使ったから今夜は熟睡。夕方、次女の真砂恵さん家族が夕飯とホタルに農園に来る。


タブレットで達成感

「ばんだい」さんの大型絵手紙。毎週たまごをお届けするお礼が描かれている。部屋の壁に飾っており、遊びに来た人がたいがい「おっ!」と言われる。

ご紹介したい作品がご自宅にあるので、機会を見つけて撮りに行こうと思っている。


先月まで使用していたタブレットも持って配達に出た。Wi-Fiスポット(コンビニ)でSIMカードなしでも使えると聞いていたがローソンは使えた。けれどもセブンは無料登録会員の手続きをしなければ使えない。萩市内のセブンで何度か失敗しながらようやく手続きができた。

きのうは、ブログ入力にメモ帳のアプリを経由すると楽に出来ることに気がついた。(きのうから文字フォントが少し大きくなったのは、メモ帳機能のおかげ)


好きな曲をダウンロードして楽しむことや、新規の配達先に向かうときにはカーナビとして使うことも覚えた。新しいモノは使わなくても生きていけると思っていたが、ボツボツでも機能がわかると達成感がある。



明日の午前、ブログをサポートしてくださる重枝さんとお会いして疑問点をご指導願うことになっている。


文字入力を改善

囲炉裏アーカイブ  豊後水道
囲炉裏アーカイブ 豊後水道

3年前の秋、別府港から八幡浜までフェリーを利用した。写真は四国の西の端、佐多岬の突端。つまり、ここが「関サバ・関アジ」の豊後水道。一本釣り漁船が波間を上下していた。


4時から草刈準備をはじめた。ガソリンとオイルの混合油をつくり、草刈機にグリス油を注入。夜露で濡れないよう雨具の上下と長靴。

すっかり明るくなった5時前から90分。よい運動になった。犬と30分歩いたあとは朝食がうまかった。


久しぶりに持世寺温泉。かけ長しの大浴場は貸し切り湯。湯船で考えた。先月の下旬にタブレットをかえた。画面が約半分コンパクトになり、持ち運びはとても楽になった。けれども、唯一「ブログ」の文字入力がやりにくい。アプリの問題だからドコモ店には対処できない。慣れるより仕方がないと考えた。

ところが妙案かひらめいた。最近、読みたい長文などがあればコピーして、アプリの「メモ帳」に貼り付けてゆっくり読む。そのメモ帳は入力が楽にできる。ブログの文章はメモ帳で作成してブログに貼り付ければよい。

風呂からあがり、休憩室で試験的にやったらうまくできた。

きょうの日記から入力方法を変更している。

母の思いで

亡くなる半年前、サービスつき高齢者住宅で約18カ月おせわになった。家内が「農園ご膳」と称した夕食を度々つくってくれ冷めないように40分の道のりを運んだ。


14日の朝、母に会いに介護病棟に行った。ナース詰所の前の個室でドアは開放され、様子が見られるようになっていた。数日前から意識がはっきりしていなかったが、この日はなんの反応もなかった。

農園に戻り「たぶん、きょうだろう」と家内と正志に伝えた。午後から、ガッツ体操教室の体育館お披露目行事に出席。夕方にはたくさん酒を飲んだ。家内が迎えに来てくれて酔って農園。家内はビールを飲んだ。


家内の電話が着信したのは日付がかわった深夜。飛び起きて着替えをしながら、家内の電話対応を聞いていた。病院から危篤の連絡が自宅にはいり、正志がそれを伝えてくれた。家内は酒気帯びかもわからないが走るしかない。途中私はコンビニで酒を薄めるお茶を買った。病院に着いたとき正志から「亡くなりました」と連絡を受けた。

病室には、正志家族と真砂恵家族の全員が揃っていた。母の穏やかな顔つきに「楽になったね」と声をかけた。家族のお別れをさせて全員帰らせた。


夜明けまで、母を斎場に連れて行き、通夜と葬儀の手配を葬儀社と太秦教会と調整をした。夜があけて配達の変更などが急を要した。犬が3頭、腹をすかせているので農園に戻った。喪主として長い2日がはじまった。


今でも悔いが残る。病院から斎場のあいだに自宅があった。あれほど「家に帰りたい」と懇願した母を、寄り道して短い間でも母の部屋に寝かせる配慮ができなかったのか。


家族全員で、遺言どうりのお葬儀を仕えることができた。

遺骨は太秦教会の墓に納めていただいた。金閣寺ちかく「絹かけの道」ちかくの墓地。


母を思いだしながら木曜日を終えた。

明日は母命日

2年前、96歳でお国替えした母の90歳の写真。

「話がしたいから農園に泊めてくれ」と初めて農園に泊まった夜。

話の内容は自身の葬儀のこと。お付き合いもないから、家族葬でよい。葬儀はわたしの長女がご用をしている金光教太秦教会の先生にお願いすること。おおまかに、この二つを頼まれた。話終えて安堵したようすだった。


しばらくして、葬儀社を農園よんで母が希望する祭壇や棺などを決めてプラン表にした。葬儀社に最後を伝える連絡先も聞いた。それからしばらくして、自宅で生活が難しくなり施設と病院を行き来した。


母にすれば、葬儀を話題にすることはタブーではなかった。葬儀のあと遺品整理に部屋に家内が入ったが、施設に入る前に、認知症がはじまる前に整理を終えていた様子だった。

33歳で、知り合いもない宇部で私を産み、一人で育て上げる決心をした。その当時の写真も記録も廃棄したように思われる。


今朝は3時起床。外気は11度と肌寒さを感じた。6時にスタートして小月・長府から新下関に安岡を配達してきた。明日は彦島から美祢市・長門市の長丁場。

嬉しいメモ

山口市内の老夫妻。奥さまが2度目の入院をされた。いつもご注文はショート メールでいただく。入院後にお見舞いメールを出したが返事がなく心配していた。数日前、ご主人から火曜日の配達の電話を受けた。お届けに行ったらお留守の玄関に置かれた封筒にメモ書きの近況、なかに玉子代があった。回復に向かう様子がわかった。お客さまと気持ちが通いあう喜びを感じた。


昨夜、長崎市内の宿泊を長々と検索した。今朝、フェイスブックに「長崎市内では、このホテル」とコマーシャルが現れた。便利といえば便利かもわからないが、ネットを使うことで「操られる」不愉快さをハッキリ意識した。


昨年、2度の台風が被害をもたらした北海道。その影響はポテトチップスの品薄とマスコミは伝える。

開拓の歴史から育んだ肥沃な土壌が、川の氾濫で流されたことを伝えるマスコミは少ない。つまりポテトチップスどころの問題ではない。激甚災害に指定されると、ほぼ国の予算で復旧工事が行われる。失われた畑にダンプカーが火山灰土をおろしていた。


長崎のジャガイモの種イモは北海道が生産をしている。北海道で農業が営めるまでには長い道のりになる。いまさらながら報道姿勢には疑問を感じる。

お別れの手紙

3日まえ、礒村千代子先生にお線香をあげに行った。遺品の俳画帖や扇子を長女から「母がきっと喜びますから」と頂戴したとき「母は、息子のように足立さんをおもっていましたよ」と言われた。


あの日から、あらためて礒村先生からいただいた多くの手紙を読み返している。

先生は2月にご逝去された。その2ヶ月前に届いた便箋5枚の封書が最後だった。その末尾は。


足立さん、大変お世話になりました。この世であなたに遇えたことは幸せでした。

ありがとー 元気でネ


と結ばれていた。


1月、腰の激痛で救急搬送され入院。数日後に病室を訪ねたら「肋間神経痛じやった。鎮痛剤を打ってもらうから楽になった」と握手を求められた。廊下で、それは骨盤のがんの痛みをおさえるモルヒネだと耳打ちされた。

それから数日後に亡くなられた。あの握手が最後になった。


いつも周防灘を望める岐波の喫茶店 ラメールに呼び出され、先生の生き方を教わった。

わたしこそ、先生に遇えたことは幸せでした。



第3回 山口市掃除に学ぶ会

梅雨の時期、出てくるのはホタルとムカデ。農園生活をはじめて両方を毎年体験している。昨年、この時期の深夜に背中を這う長い生き物の感触で目が覚めた。瞬間起きあがりシャツを床に脱ぎ捨てた。中からオレンジ色の太いムカデが元気よく出た。

これほどの恐怖体験は、戦争を知らない私には凍りつくような恐怖体験だった。毎年ムカデと向き合いながら身についたことは、願望としてはムカデは出ないほうがよい。その願望で生活しているから出たらパニックになる。ならば「出る」「おる」と腹を括ればよい。「出る」を前提にムカデに効くスプレーとハエ叩きを枕元とトイレに常備した。刺されたときに「液体ムヒ アルファEX」も買った。そのうえムカデに対抗する地雷(薬剤)を、入るであろう箇所にたっぷり散布した。


周囲の自然界から入るムカデは、私をおどかす目的はない。ひたすら生きるためのエサをさがして入る。入ると思われる場所にムカデ殺虫剤を噴霧しないで、薬剤を砂のように敷き詰めた。その地雷源を通過したムカデは数メートルで弱る(死にはしない)。今朝はタフな大型が階段をのぼりつめて弱っていた。布団や背中に入ったらパニック確実サイズだった。


山口市掃除に学ぶ会の3回が催され参加をさせていただいた。会場は防府天満宮に近くの松崎小学校。14名で職員トイレの男女を3時間かけてピカピカに磨いた。

汗をながして便器に向き合うことは、体験した人にはわかるが壮快な気持ちになる。明治6年が開校、山頭火も在籍した歴史ある学校で気持ちのよい汗をながした。

農園を出る6時半までに早起きして、農園トイレなど磨きあげた。


礒村先生 思い出

下関市立美術館の片隅に、田上菊舎の句碑がある。芭蕉や山頭火に菊舎と、菊舎が歩いた証のワラジが添えられている。


掃除に学ぶ会を宇部で立ち上げる同志数人集まった。けれども、いくつかの市内の学校を訪れて主旨を伝えても、トイレを使ってよいと理解を示す学校はなかった。便器を磨いて心を磨くなど当時は怪しまれた。

礒村先生にそれを話題にした「わかった、これから行こう」と私の車に乗り込み「東岐波小学校」と目的地を告げた。

礒村先生は、阿知須小学校をふりだしに小学校教諭を勤めあげた。東岐波小学校の校長には先輩としてズバズバ進言、その圧力に「わかりました」と縦に首を校長がふり、第1回の宇部掃除に学ぶ会は、菊川・高山・岡成・足立夫婦の5名でスタートができた。


イデオロギー的な話題は先生はされなかった。

けれども、太平洋戦争で戦争未亡人となった地元の婦人、全員のもとを訪問して、戦後の苦労を聞き書きされている。戦死の通知が届き、縁者のすすめで主人の兄弟と再婚、戦後数年して主人が帰還してからの騒動など書き留めておられる。

唯一「足立くん。歴史は、その時代を生きた庶民が何を食べて、どんな生活力をしていたか。それも大切な歴史」

と話された場面があった。

まな娘を失った日。夜中に岐波の海岸を歩いた話も聞いた。


語り尽くせぬエピソード。わたしの教師だった。


土曜日。6時から農園スタート。萩市・長門市・美祢市の配達を終えた。

礒村千代子 先生お参り

水曜日、長府歴史博物館に「菊舎」企画展を勉強に行った。

礒村千代子先生と私は、先生の創作民話や俳画などの出版をするビジネスから始まった。山口市内に大内文化をたずねて歩いたり、福岡県秋月に歴史の旅をした。尾道で村上水軍ゆかりの地も歩いた。とにかく多くの旅をした。


地元で俳句の会を主宰しておられ「菊舎」は耳にタコができるぐらい名前は聞いた。その菊舎だから今回は足が向いた。江戸時代、日本中を歩き俳句やたくさんの足跡を残していた。芭蕉の奥の細道は逆回りで歩いた。もちろん女一人旅。


2年前に亡くなられた先生が「よい機会じゃから見てこい」とわたしの背中を押したような気持ちが残った。

お宅には、私と同い年の長女が一人暮らし。突然では失礼だから7時を待ってお線香をあげにこれからまいりますと告げた。


お参りの理由を玄関で「菊舎」と申しあげたら驚かれた。先生は菊舎顕彰会で活躍しておられた。そして、母はいつも足立さんのことは息子のように話していました。母は喜んでいますと(俳画帖)を、一年前の遺作です。と差し出された。見るのかと思ったら、母が喜びますから受け取ってくださいと言われた。遺品の扇子も頂戴した。


学ぶ楽しさや嬉しさを、現場で教えてくださった礒村千代子先生。また、お参りします。

美花ちゃん のお土産

京都の長女、その長女の美花ちゃんは中学生。先日、2泊で修学旅行に行った。

福岡県大刀洗平和記念館で平和学習。壱岐の島で民泊体験で2泊。大刀洗平和記念館では、おそらく当時の記憶と記録が中学生に理解できるよう、館内の展示を解説される方が取り組まれた「泣いている子もおり、心に残る見学になりました」と感想。わたしは2年前にここを訪れた。

陸軍爆撃機「一式陸攻」は10名搭乗。10機が沖縄に向かえば兵舎のベッド100が空になる。翌朝が特攻出撃の深夜に一機が爆発した。その犯人は搭乗予定の朝鮮人Yと根拠もなく銃殺された。

美花ちゃんにお土産のお礼メールを届けた。

戦艦を目標にした特攻と無差別テロの自爆。どちらも命が失われる。わたしは違いがあるように思います。


「ひもトレ」に興味をいだく人が、わたしの周辺でも増えている。松村御大が通う理髪店の店主は腰が悪い。散髪中に御大から「ひも はええで」と火をつけられた。先週の月曜日に岡本さんの「ひもトレ本」を持参。

彦島のYさんは「囲炉裏」で ひもに関心があり、美祢市の「よしの」さんから本を拝借して持参。


きょうは本を回収して、美祢市の「ばんだい」さんが読みたいと言われるから持参。器用な人だから一冊で体得されるだろう。


菊川のおばあさん「足立さんの元気な声で、私の気持ちと身体がしゃんとします!」と言われた。うれしかった!


梅雨入や 草木が頭を もちあげた

一歩前に出てみたら

7時前、小月ホースパークにお届け。たくさんの馬が腹を空かせて賑やか。餌は年長の馬から与えるのはここの決まり。相撲部屋のように聞こえた。この馬はベルギーから来た8歳と教えてもらった。


水曜日の配達は、小月から始まり安岡まで走り小月に戻る。きょうも10時に小月で配達が終わった。いつもなら農園に帰るが、きょうは長府博物館に足をのばした「そうしたほうがよい」と思いながら、理由をつけて一歩が出ない性格は私が改めたいひとつ。


最近、立派に開館した 下関市立歴史博物館で「田上菊舎」企画展が催されている。私にたくさん教えてくださった礒村千代子先生とのご縁は、句集の出版をお手伝いしたときだから30年ちかい昔のこと。その礒村先生(もと小学校教諭)から「松尾芭蕉ぐらいなんよ、菊舎は」と教えていただいた。礒村先生と同行二人の気持ちで長府に向かった。


昨夜からの雨で来館者は少なく常設もふくめて1時間ゆっくり味わうことがてきた。運慶展に県立美術館に先生と行ったとき「ええかね足立くん。正面は写真がたくさんある。尻を見なさい」と言われた。

一歩前に出て、礒村千代子先生と散策しながら教わった大内文化など懐かしくよみがえった。菊舎のパンフレットを供えに行きたい。


梅雨入や 井戸を潤す 恵みかな

大望の梅雨入り

山口市内「野菜工房」にお届けしたとき、星形のズッキーニが並んでいた。カットはどの方向でするのだろう?


これまで1ヶ月の使用ギガ数を10ギガで契約していた。けれども過去3年で5ギガを超えたのは1回だけ。4ギガ以内が私が使うタブレット。もちろんコンビニWi-Fiは利用させてもらっている。今月から半分の5ギガバイトに変更した。約4千円ちかく節約になる。


農園では、早朝にホーム画面の更新と、新聞アプリで3紙に目をとおす。それとメールが届いていたら返信。そのぐらい。


ほぼ毎日、朝のコーヒーはコンビニ。火曜日はローソン(小郡の岩城さんのお店。配達もある)今朝は、コーヒーを飲みながらフェイスブック。藤野先生が「いいね!」を押したわたしは存じ上げない方の投稿を読んだ。覗き見。

長文のなかに

無知な時ほど「白」か「黒」かをはっきりさせたがる。

というくだりがあった。


それほど深く考えたことでもないが「好き」と「嫌い」の人間関係では決められない人が私には多すぎる。つまり、あの人間性は合わないけれど、そうは言ってもあの考え方には納得できるからと楽しくお付き合いもできる。


それから近代の歴史を語ると認識のちがいがクッキリすることがある。私の認識を押しつけて口論になるより、歴史は互いのたち位置で違うと思うようにしているし、歴史や政治、宗教も話題にしないように心がけている。

覗き見で、よい勉強をさせていただいた。


農園井戸の水位は、川からエンジンで汲み上げる水を井戸周囲に散水して保たれている。焼却は夜露が降りた朝だけしか火災が心配でできない。梅雨入り宣言で安堵した。


昨夜は酔い過ぎた

囲炉裏アーカイブ
囲炉裏アーカイブ

2年目、母の命日を今月むかえる。葬儀を終えて遺品整理のとき何冊ものノートに詠まれたたくさんの俳句があった。句会にも名をつらね市の文化祭で受賞もしていた。母が俳句を趣味にしていたことは知らなかった。

私もはじめることを決め「しんあい農園日記(昨年5月から正志にバトンを渡した)」に毎日一句ひねり出した。そのおかげで、目にとまる四季の風景や売り場の魚や果物まで見えるようになった。囲炉裏の部屋を始めてその目をカメラで撮ることに使うようにした。

写真は昨年の秋、菊川町を走行中に「おっ!」とブレーキをかけた モズのはやにえ。餌が豊富にあるとき保存していると知ってはいたが見たのは初めて。


昨夜は6人の客人とホタルの夕べ。飲み過ぎて後半の記憶はない。今朝は頭が重かった。

客人のなかに、5年前まで小野田市で 食べ処「海将」を営まれた夫妻。農園で障害を持つ人を雇用している新聞の小さい記事を読まれての唐突な電話「来週から届けてくれ」

金額など言おうとしたら「なんぼうでもええ」。水曜日のお届けを10年ちかく続けた。

ある雨の日「客足が鈍りますね」と言うた私に「客が少ないことを雨のせいに僕はせんのです」とつぶやいた。炎天下で交通整理をする人に「お疲れ!」と冷たい缶コーヒーを買って渡した話も覚えている。


奥さま実家の家業を継ぐため繁盛店を閉じられ、大型トラックなど国家試験にも合格され社長業。最近、あることで電話を受けた。登録を残していたから名前を呼んだ「まだ登録していましたか」と彼が言う。私は内心「あんたこそ」嬉しいお客さま6人に囲まれ飲み過ぎた。たくさんご無礼あったと反省の1日を終えて、7%の焼酎ハイボールがふた缶目。



アルミ缶回収

もう5年ちかくアルミ缶の回収をしている。厚狭に精神的ハンディをもった人の作業所「厚狭レインボー」がある。月に2回バザーが催され、農園をはじめた当初から施設に利益が出る価格で納めていた。もう少し協力できる選択肢を探していたら、施設では地域の皆さんにお願いしてアルミ缶を回収。それは潰す仕事と販売して収入にすることがわかった。


わたしの配達先の方に趣旨を説明して、ご協力いただける方から毎週回収している。説明のなかに「簡単に洗ってください」と付け加えた。液が残ったままでは作業する方が汚れたり、異臭に耐えての作業はよくない。配達で玉子の箱とバッティングして積めないときもある。


4時半から2時間で予定の面積の草刈りを終えた。小郡で散髪を済ませて山口市内。積めなかったアルミ缶を回収して回った。


ある程度の量になったらレインボーに連絡。回収に来てくれる。


夕方からホタル観賞に6人来園。家内は昨夜から料理いろいろ。


土曜の朝は慌ただしい

長門市野波瀬「極楽寺 掲示伝導」の内容が月替わり。とかく文献から引用して自己満足的な(標語のよう)はり紙が多いが、極楽寺はまさに「伝導」の工夫を感じる。


土曜は農園6時スタート。4時半ぐらいから外の作業ができるから、それまでに食事や犬の世話を済ませる。3時起床の土曜。萩市内を7時半までに配達を終えて玉江のセブンイレブンでコーヒー飲みながら休憩。


今年は部屋でムカデ騒動はまだない。外から入り込みそうな場所。ドアやシャッターなどの周囲にムカデを殺すとラベルされた薬剤を噴霧している。今朝も薬にまみれて大きなムカデが死んでいた。

田舎のホームセンターは今の時期、ハエ・蚊・アリ・クモにムカデにハチなど、あらゆる薬剤商品が入り口に山積みされる。除草剤が環境に良くないが、生物を効果的に駆除できる薬も環境面からはよくないことはわかる。つまり、わたしに不都合なものは「悪い」という自己中心的な思い。建前と本音を問われる場面。


昼ごはんを済ませて草刈り2時間。残りは明朝。

健康と太鼓判

久しぶりに宇部市内に出たので松原酒店(📞0836211216)に立ち寄った。話題は、藤野先生が震源地(フェイスブック)の「ひも」と「ふんどし」松原さんも私も「ひも」は巻いているが。

宇部市役所から宇部港に直進の右にお店はある。時代おくれの酒屋を自称する意図は、儲かればよい酒屋ではなく、うまい酒を見つけたという客の満足度がモットー。お掃除や数楽の仲間。


午前中は下関市内の集金と、先週金曜日に受診した健康審査の結果を受け取りに宇部興産中央病院(自宅近く)。

わたしの健康審査履歴が残っており数値の比較が表になっていた。ただし、一番近年は2009年。しばらく健康審査をしていなかった。体重は過去も現在も65.1㎏を筆頭にほぼ過去と差がなかった。高血圧の治療継続と、中性脂肪が低値と言われた。心電図は若いときから「わずかな異常」と言われる。前立腺など がんを示す数値もなく「問題はありません」と嬉しい太鼓判をいただいた。


農園に戻るとき阿知須ドコモ店に立ち寄り、タブレット操作の疑問を解消していただいた。



6月スタート

きのう夕方、テレビを眺めていたら加奈ちゃんの顔がでた。本編にはいる前にCMがあったので録画予約完了。過疎で廃校になった鳳鳴小学校でパンの販売。3分ぐらいだったが、県外からもパンを買いにこられて長蛇の列。

テレビの画面を撮ったので、明日からホーム画面で紹介します。


この加奈ちゃんは、フェイスブックに「今日が誕生日」と載った彼女の写真。午後2時に配達に行ったら大きくなったお腹を抱えてお疲れモードだった。


ある神社。お祓いメニューが目にとまった。金額は五千円以上から一万円きざみで、最高は五万円以上のコース。例えば車のお祓いの金額とご利益の関係はあるのか、それともないのか?

よくわからない戒名金額も成仏とどう関係するのか?尋ねることをはばかれるようで、心で思っても口にはできない。


11時間で250キロメートルを走り終えた。元気に6月をスタートした。