みやた農園・長府散策ご案内

https://nonohatake.storeinfo.jp/

写真はFacebookに投稿された「野の畑みやた農園」夫妻です。ホームページを上段に載せました。現地に足を運んでみたい方は私にお知らせください。日程調整をしてご案内させていただきます。


きのう唐戸魚市場で買い求めた千葉県の特特大イワシと先崎の赤ナマコ。イワシは刺身と煮付け、ナマコは刺身に家内がつくった。イワシは白い脂身たっぷりで最近では最高だった。ところがナマコが噛めない。数日前、不意にゆきちゃんが喜びのあまり飛び付いたとき、ゆきちゃんの頭が私の顎を下から直撃した。ただでさえゆるくなっている老人の歯に強い衝撃がありナマコが噛めない。

ナマコの腸まで好物の家内の胃袋一匹全部おさまった。


朝まで熟睡して運転の疲れをとろうと思ったが、深夜に動物が接近してゆきちゃんが吠えまくり目がさめた。藪を歩くガサガサ音は結構大きい、小枝が折れる音も聞こえる。ライトを持って出たが音は遠くになった。


寝不足、頭と身体が重い。9時半、下関市内レストランの集金予定。その前に散髪は済ませたい。

10時半は長府で藤中さんとお会いする予定もある。


藤中さん指定は、長府商店街「平鮮魚店」の前。A型の私は時間前に到着。鮮魚店のとなりは眼鏡店「ノエル」この改装工事を村上棟梁がやっていた。


私が藤中さんと会う目的は、2回目の「長府散策」のお世話をしていただくこと。

前回は、観光ボランティアさんが案内しすぎる方で、予定コースの半分しか散策できなかった。今度の計画は、参加された方は毛利筆頭の長府藩がわかることに力をおきたい。

美術館駐車場に集まり、豊功神社・櫛崎城跡からスタートして長府を巡り、歴史博物館で学芸員さんから展示資料をもとに解説していただくコースをイメージしている。


4月12日の日曜日に照準をあわせます。

萩散策など、これまでご参加の方は和気あいあい散策をされています。所要時間は2時間ぐらいで参加費は500円ぐらいを見込んでいます。

今回は、ご希望の方には昼食(1500円程度)をご案内したいと思っています。


詳細が整いましたらこの場でお伝えします。

ご家族やお仲間お誘いあわせて春の長府をゆるゆるで散策しましょう。

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まぁええか と思える大人になりたい

下関市、松村御大ご自宅は10時半。

11月に両足のかかとを複雑骨折され入院生活。一週間前に退院された。きょうガレージの愛車が出ていた。

玄関で奥さまからコーヒーをいただき会話がはずんだ。


その会話。

私、きのう下関市内の配達で地下水をいつもの場所に汲みに行った。二つある蛇口で先客が汲んでいた。腰をおろしながら「おはようございます」と声をかけたが無視をされた。とても不愉快な気持ちが一瞬おきたが「まぁええか」ととなりで蛇口をひねった。


三宅民雄さんのラジオ番組。今朝は「食品ロス」日本で年間640万トンもの、まだ食べられる食品が廃棄されている。その具体的な例として「恵方巻」が取り上げられた。

コンビニなど全国の店舗で有り余る商品が並べられ、残りは廃棄される。なぜ余るほど、お店も廃棄するとマイナス勘定になる。

もちろん「売りたい」というお店の事情もある。もうひとつには品切れのときお客からクレームが寄せられる。


売り切れたとき「まぁええか」とあきらめる(許容)することが必要ではないかとまとめられた。


自分の理屈にあわないとき「なんでか!」と思わず「まぁええか」でまるくおさめることができる。それが大人ではないかと。


笠戸島にヒラメを食べに行ったとき刺身のしたに頭から尾までの骨があった。この骨を自宅で二度揚げして食べたいと持ち帰りを頼んだらアウト。もしなにかあったら責任がとれないが理由だった。


食事にいって食べきれない料理は持ち帰って、もしなにかあっても責任は客にあるというルールをつくれば食品ロスは格段に減る。


コーヒーをいただきながらの会話。


美祢市「よしの」看板はうどん。私には学びの場。きょうは「熊襲」について、私のレベルにあわせて教えていただいた。

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スマートフォンで日記をご覧の方に

⏹️過去の日記は見ることはできます。

ただそこに見に行く途中に少し戸惑いを感じる所があるかもしれません。


メニュー(画面右上の三本線)を押し、メニューの中の「日記」の横の「+」を押すと年数が出てきます。見たい年の横の「+」を押すと月が出てきます。その見たい月を押すとその月の日記が見れます。

年数の「+」を押さず年数を押すと空白ページになるので見れないと思ってしまうかもしれません⏹️


スマホで日記をご覧の方から「過去の日記が出てこない」と連絡がありました。私はタブレットと折りたたみ携帯電話を使っているのでスマホ環境がわかりません。

タブレットと日記を指導してもらっている重枝さんに問い合わせ、その返信が上記のとおりです。


2016年5月から現在の日記は始まっています。つまり、その月にタブレットを初めて手に入れて、重枝さんの指導で日記をスタートしています。初期は写真を日記に入れる技術がないのと、タブレットで撮る(当時カメラはなかった)方法がわからないので文字だけの日記で始まっています。


農園をはじめた20年前「しんあい農園日記」をスタートしています。当時は最先端、私がガラ携で日記を入力して契約したホストコンピューターに送信する。読みたい方はファックスでアクセスすると、そのファックスに届いて紙に日記が出てくるというわずらわしい方法からはじめた。


その後、ガラ携で読める方法に進化。2016年から現在の日記に移行している。

根気のない私が唯一、1日も欠かさず(内容は滅裂でも)続けている日記。誤字脱字にくわえて文法的におかしな日記です。間違い探しで時間がありましたら過去をご覧ください。


日記は、夕方7時までには更新するようにしています。

ホーム画面は毎朝6時までには更新。先月の写真は毎月末に更新しています。

日記の「コメント」欄は公開されますが「足立宛メール」は個人メール扱いで私にしか届きません。

20年の日記は、Yellow Hat創業者 鍵山秀三郎師が、簡単なことを続けなさい。それを凡事徹底と四文字で教えてくださりその実践です。

私の凡事には付録があり、日記を書くとき必ず缶ビールやハイボールをのみながらという20年。時間とともに文面が支離滅裂になる。


国会予算委員会、衆議院と参議院を配達のラジオで聴いている。火曜日、江田憲司さんが総理に丁寧な口調で質疑にたたれた。冒頭に「加計や森友は申しません、あなたのお祖父様、岸総理時代の「桜をみる会名簿」が公文書として残っていることをどう思われますか。


その江田さんの質疑がマスコミに切り取られて「加計学園、森友学園」を問うたかのように強調されていた。

きょう、参議院で「桜」を総理にただした野党議員。その総理答弁、江田さんがつかえた橋本総理や小泉総理。お祖父様の岸総理とは政治家としての力量があまりにもかけ離れていると感じた。


昨夜、農園から西方向。お月さまと金星が輝いていた。

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深夜のメールでウィスキー

きのう美祢市、萬代さんのお宅に配達。今月分の代金が玄関に置かれていた。写真はその封筒。


昨夜、めずらしく目が覚めた時間は10時。タブレットにメールが届いていた。夜中に開いて仕事のことだったら、今はどうしょうもないから未読のまま布団をかぶったが気になる。


メールは京都の照美さん(長女)からだった

長女の高校2年生、美花ちゃんが唐戸魚市場の寿司をお腹いっぱい食べたいと前から計画していたらしい。来月の日曜日早朝に新山口駅に到着。唐戸魚市場で海峡を眺めて寿司三昧をして夕方のバスに乗って京都に帰る弾丸計画を告げられた。

お父さんご都合はどうですか。


やっぱり読まないほうがよかった。嬉しくて起き上がりウィスキーをテーブルにおいてグラスを出してその日をどう楽しむか妄想タイムになった。

その結論は、寿司三昧のあと海峡夢タワーや船で門司に渡って、トンネルを歩いて戻る。少し足をのばして先崎湾クルーズなどを考えた結論は農園に泊まり、翌日の「のぞみ」で帰れば、バスなら8時「のぞみ」なら9時に京都駅に着くことをネット検索して調べた。


正志(長男)長女は、この春から県内大学進学。せっかくなら一緒に一日を楽しめたらよいと目がぱっちり。ウィスキーもぱっちり。


早朝、自宅の家内に電話で計画を伝えた。

その日曜日は16日。6月に5年のお祭りを仕える母の誕生日。


1108万人。中国武漢市の人口。

その混乱ぶりは正確に伝わらないが、市民のみなさんがどう生活すればよいのかウィルスに翻弄されていると想像はできる。

早い医療体制を願っている。

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冷たい雨にうたれた月曜日

「そらちゃん」下関市愛護センターに保護された母犬がセンターで出産した5頭のうちの1頭。ご縁で美祢市のお宅に養子縁組がととのった。きのうは家族4年の記念日。

カメラをむけたらこのポーズ。


23日、番外地から出所された松村御大。月・水・金曜日はリハビリ。火・木・土曜日は職場(大学)に復帰されているらしい。松葉杖らしい。


新型ウィルス。武漢市の市民は経済や日常活動に大きな影響が出ていると思う。

以前、旧満州ハイラルからマンシュウリまでホロンバエル大草原を車で旅をしたとき、蒙古族のパオで泊まった。同行の通訳が。

草原にはたくさん小さいネズミがいます。絶対に触らないでください。ペスト箘をもっています。感染したらこの一帯は封鎖されます。

つまり、感染したら治療ではなく外部接触を数ヶ月遮断して亡くなる人と生き残る人の選別をするかのような説明に感じた。


NHKラジオアプリ「らじる★らじる」をずっと楽しんでいた。きのう無料アプリ「radiko(らじこ)」を試したらよい。

理由は、県内民放ラジオもNHKも選ぶことができる。

「らじる」の聞き逃し配信機能はないけれど「らじこ」を使うことにした。


厚狭のお客さま。スマホの操作を「教えてください」と玄関。操作をしたら、私のタブレットと同じAndroid。私の理解の範囲で説明した。

もし、この日記をご覧であれば毎週月曜日の配達でご説明できますよ。

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温泉大好きです

農園から10㎞、民家火災でしばらく通行止。さいわい人に怪我はなかった。現場指揮本部が設けられすばやく動く消防士が頼もしく見えた。


昨夜、屋根をたたく雨音だったが朝にはやんだ。

9時半、防府トヨタで5000㎞毎のオイル交換。今回はエレメント、タイヤローテーションほか点検してもらった。


湯田温泉「温泉の森」は11時。サウナと泡風呂、寝湯など2時間。持参の軽石で足の裏まですっきり。2階の休憩室の椅子に横になりウトウトしていたら煙草の煙が漂ってきた。通路に喫煙所がある。しかたがない、出ることにした。


掛け流し温泉で安くてゆっくりできるのは美祢市於福、道の駅併設のお湯。500円払えば一日滞在できる。ひとつ問題がある。私も高齢者だが、休憩室は高齢者が座布団を枕にして雑魚寝。そこで寝ようとするとイビキとオナラ対策の耳栓が必要。


前の仕事で九州全地域を走りまわった。そのせいで温泉が好きになった。


温泉の王道は別府。なかでもコロイド硫黄の明礬泥湯温泉。広大な露天風呂は混浴。雪が舞う泥湯は思い出に残る。あるときT君と入った。外国人の若い女性が開放的な姿で大勢混浴「おい、出るぞ」と彼に声をかけたら「いま、ボクは出られないのです」と。


宮崎県えびの市「えびの市営温泉」入湯100円を払って山道を登っていくと幅が3㍍ぐらいの小川がある。この到達点が男湯。女湯はもう少し先にあるらしい。

川底から温泉が湧いている。自分好みの温度に川の石を組んで石の上で横になる。ウトウトしていたら目の前をシカが川を渡った。

まだ寝ていたら女性客が私のちかくを通っていった。こんなときは隠さない。


大分の長湯温泉。泊まった日は新月だった。

宿は大丸旅館。昨夜飲み過ぎた焼酎を汗にしようと4時、小川に面した小さい露天風呂に入った。あの久住の夜空はパノラマ絶景だった。とにかく漆黒の満天にひろがる星の数。


別府のホテル。別府湾から四国を望んで真っ赤にのぼる朝日を最上階の風呂から拝んだ。一日九州を走り、その日は東シナ海が望めるホテル。朝のあの太陽が東シナ海に沈んでいく姿を拝んだ。


閉館になった霧島ハイツ(公共の宿)。透明のお湯にたくさん湯の華が舞って、遠くに桜島が望めた。


鳴子温泉は若いとき、お湯に行ったら混浴。それしかないので入った。風呂の壁には民謡などがはられて、それをみんなで合唱するという体験もあった。


別府温泉、通称「ホタルの湯」夢幻の里は立ち寄り湯。川沿いの個室露天風呂から四季折々が楽しめる。


さぁ、明日から雨の一週間がはじまる。

大河ドラマを楽しんで早く寝よう。

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快眠で爽快 土曜の朝

きのう昼寝時間は合計3時間以上。それだけ寝ても夕方7時ごらから眠くなり、8時すぎには夢の中。今朝4時まで一度も起きずに目覚ましアラーム音で起床。

頭も身体もとにかく爽やかな朝をむかえることができた。


部屋に掃除機をあてることからはじまり、萩市に向けてスタートする6時まで快調に身体が動く実感があった。


農園、今朝5時の外気は8度。萩市にむかう峠でも4度の暖冬。

例年、農園内の配水菅が凍結して破損するのを防ぐため、鶏舎や私の住居などすべて夕方から排水をする。一晩の排水量は多く、井戸水が底をついてくる。そのため、河原ににエンジンポンプ据えて井戸までホースをのばして水を揚げ散水する。


凍結や積雪道路を走るので、タイヤがしっかり接地するよう重いコンクリートブロックをふたつ荷台の後部に乗せる。


例年、冬場の煩わしさをこの冬場はまったく感じさせない。私の都合だけでいうと「快適な冬」になるけれど、気候異変とも思える冬。四季折々が実感できるほうがよいかもわからない。


今夜から雨予報。


お昼前に配達から戻り簡単な昼食と缶一本。農園道路のデコボコ補修にとりかかった。未舗装の農園道楽が傷むの理由は排水。

通過するタイヤが同じワダチを掘ってしまう。そこに雨水が溜まる。水溜まりを走るから掘り進んでしまう。

解決策はある。未舗装路面に間隔をおいて溜まった水を逃がしてやる排水をつくること。


スコップでできる仕事ではないが、ミニユンボならガリガリと踏みかためられた道路の横に傾斜をつけて水を逃がす排水路がつくれる。


ずっと何年も掘られた水溜まりに砂利をスコップで入れてきた。2年前に「排水路」を思い付いた。試験的に何ヵ所かやってみたら、大雨でも路面の水が早く低いほうに染み込んだ。

こんな簡単なことが、私にわかるまで時間がかかった。


きょうは3時間ほど汗をかいてやめた。


写真のコウノトリ。農園ちかくで撮ることができた。

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寝てばかりの金曜日になった

10年以上まえ、下関市内の鮮魚店から電話をいただいた。地域で買い物に通われる奥さま方数人から「魚は新鮮、できればたまごも新鮮なものが手に入らないか」と言われた。知り合い何人かに聞いた結果、木曜日に市内を配達している「しんあい農園」があるとわかった。

お店は貴船町の配達先、金剛住器のちかく住宅街。元気のよい店主と奥さまで商われている。お店で売られる以外に宿泊施設や飲食店とのおつきあいが多いらしい。


木曜日、朝8時の定刻にお届けする数も次第に増えて、今は10数人分を届けている。


木曜日、6時半は必ず唐戸魚市場に立ち寄る。店主は角島海域で揚がる魚を扱う店で主に仕入れておられる。前夜、お店の営業を終えた飲食店やホテルから翌日の注文電話が入る。

漁で注文の魚がとれるかどうかはわからない。まして海が荒れておれば漁船は出ない。それでも、注文の魚をさがして市場を歩いている。


写真は木曜日に仕入れた甘鯛。萩沖の釣りだと。もうひとつ甘鯛があった「てぐり」と呼ばれる漁法(網)で釣りと比べたら見栄えはおちる。


今朝は何を買いましたかと毎週聞かれる。済州島の鯖と言うと「脂はあるが鮮度がね、でも焼いても煮てもええ」私は刺身が予定だった。先週は特特大のイワシをふた山買って刺身や煮付けが最高に旨かった「今週はイワシとカツオのタタキ半身を買った」と言ったら「きょうのイワシは岩手県、先週は千葉県だった。今朝、千葉があったら買いたいと思ったがなかった」


毎月「今月はどんな魚がええかね」とたずねている。


金曜日、数年前までは山口市から防府市、新南陽市を配達していた。毎月6千キロメートル以上運転しているの体力の限界を感じて正志に「配達先を覚えたほうがよい」という理由で、私は金曜日は自由な1日を獲得できた。


その自由を満喫する金曜日。やっぱり3時にぱっちり目覚めてしまった。外気は10度で寒くはない、焼却ゴミを燃やしたりゴソゴソ動いて6時。

昨夜は泊まった家内が朝食ができたと声をかけてくれた。

昨夜敷いた布団はそのままで朝食。食べたら眠くなり布団。起きたら9時。


湯田温泉「温泉の森」に行きたいが運転が面倒。農園から20分の持世寺温泉。掛け流しで400円。

ぬるいお湯をしっかり楽しんだ。湯上がりに隣接の豆腐工房で「開店前」ぬくぬく木綿豆腐と揚げ豆腐。無料の卯の花ひと袋を手にして戻った。


ロング缶で豆腐と野菜で昼ごはん。


録画している映画や番組を観たいと布団に転がったら寝ている。目がさめてもまた寝てしまう。その繰り返しで夕方になった。

自由を満喫する私の金曜日はこの程度。


そうそう、鮮魚店は「魚仲」さんと申します。

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松村御大が退院☺️

写真は、還暦祝いで昨年撮った中井実紀男さん。

糸賀社長のニュースタイル美容室に弟子入り。鍛えあげられて独立「美容室パッション」を営んでいた。

ギター片手に歌う。カラオケで100点を3回出した。車が大好き。食べることも大好き。昔は酒も好きだったらしい。

糸賀仕込みで人の面倒見がよい。山口市の配達、火曜日に時々お店に立ち寄り音楽CDを借りたり旨いもの情報を聞いたり楽しかった。

農園に一度、奥さま運転でギターを持って来てくれて酒盛りをした。お子さんはなかった。


きのう突然の訃報メールは糸賀社長「実紀男が交通事故で死んだ」すぐに社長に電話した。

20日、中井さんから2度電話があった。その彼が事故死に驚いた。


きょうは昨年11月、両足のかかとを複雑骨折して入院生活をされた松村御大の退院。


今朝の唐戸魚市場。千葉のイワシかユメカサゴをめざした

外れた。あぶりカツオの半身と岩手の特特大イワシを買った。


証券会社の守衛さん「たまごの余分がありますか」と10個を買われた。ひとり暮らしをされている「今夜、このたまごでケーキをつくろうと思う」

若いとき洋菓子店で働いたのでその腕はある。ケーキづくりに3時間かかる。それなら買えばよいと言うと「つくる時間が楽しい」。


夕方、美祢市「よしの」中井さん事故死を話した。13日に食べに来てくれたと驚かれた。

会えなくなった身近な人がまたひとり。

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シルバー民主主義?知らなかった

猪肉。農園生活をはじめる前、つまり20年前は温泉旅館特別料理の「ボタン鍋」ぐらいしか味わったことはなかった。

宮崎県綾町の本物センターで店員さんから「間違いなく旨い」と大きな猪のブロック肉を買った。当時、家内は脂身に毛が残っているブロックに降参した。

農園生活をはじめて、鹿や猪肉が容易に手に入り、家内は肉切りナイフを買って降参しなくなった。


肉の脂身を味わうには焼き肉。すき焼き。赤身はしっかり赤。脂身は真っ白。それが猟師さんの腕前。白い脂身が紫色は血抜きがよくない。


今夜は猪料理。


今朝のラジオ「シルバー民主主義」と社会学者が高齢化社会の分析で口にした。これは私には耳新しい。


高齢化社会の我が国。その国政を決める国会議員は選挙で選ばれる。つまり、選挙の一票を持っている国民の多数は高齢者。くわえて若者が投票に行かない。その結果は、国政に反映される民意はシルバーとなる。


多数決が民主主義とは思えないが、たしかに逆三角形の世代構図は国の将来課題。働いて税金を納めてくれる移民をどんどん受け入れたらよいという意見もある。

けれども、生活文化が異なる人と隣り合わせの社会になったときどうなのか。


ラジオ、きのう「すっぴん!」は映画がテーマだった。私は映画大好き。

リスナーの女性から投稿。お母さんの結婚は親が決める時代だった。添い遂げたいと決めた人がいたが、それが言える社会ではなかった。

何度も「嫌です」と両親がすすめる男性を断ったが話は決められた。

式の前、映画館に行った。彼が座っている側に腰をおろして映画が終わるまで手を握った。


その後、一度も彼に会ったことはない。

結婚した年上の男性は亭主関白。けれども妻として尽くした。主人がなくなったある日、母が映画館のことを話した。

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コンビニ経営たいへんそう

最初の配達先が山口市方面の曜日は月曜日と火曜日、土曜日は農園から10分以内の十文字交差点コンビニに立ち寄る。

水曜日と木曜日は下関市方面。農園から10分で国道2号線の最初のコンビニに立ち寄る。


コンビニで買うものはセルフで入れるホットのブラックコーヒー。午後も立ち寄るコンビニはだいたい決まっている。日によって3店舗もある。禁煙して13年経ったので、コーヒーと煙草セットはなくなった。

コンビニで買うものはコーヒーだけ。


きょう火曜日の午後。いつものコンビニが看板をおろして閉店。先週の午後に立ち寄ったとき閉店する気配はない雰囲気だったが。


下関市の木曜日。立ち寄るコンビニは2店舗。どちらも外国人が笑顔でレジに立っている。先週「コーヒーの100円」と言った私の言葉が理解できない女の子が笑顔で困った「ホットコーヒーのセルフで100円」と言ったら笑顔で紙コップを差し出した「ありがとう、頑張りなさい」と励ました。

経営がたいへんそうなコンビニ業界。店員さんは懸命に働いている。

明日は下関市。小月の木屋川近くのコンビニに立ち寄る時間は6時半。おそらくオーナーと思う年配の男性が「おはようございます」とレジで元気に挨拶してくれる。このお店のファン。


先週の火曜日。ニュースタイル糸賀社長はインフルエンザでお会いできなかった。社長はイノシシ肉が好物なので、とっておきのバラ肉をお届けした。

まだ本調子ではないがダンディーな姿で社長室。愛読されている阿川弘之と山口県について楽しい話ができた。


ラジオニュース。周南市で野犬が増えて昨年の捕獲は約600頭。たしかに周南市や防府市では野犬を見かけることがある。懸命に毎日を生きている犬たちに罪はない。

捕獲用の檻を開発するのもよいが、市民に啓発することが先に要るように思った。


写真は火曜日の配達先の12歳「ジジ」原因不明の病と向き合っているらしい。それでもこの表情「私は撮らないで」の約束で一枚。

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練炭アンカに当時を思い出した

6月、母の五年祭を金光教太秦教会でお仕えいただく。

生前の母が日常していたこと、そのなかでも嫌悪感までとは言わないが、床のゴミを見つけたら指に唾をつけてとる。箸で取りきれない魚の小骨を口に指を入れてとる。

それが嫌だった私が今やっている。


美祢市大嶺、日の丸燃料に配達した今朝「あっ!」と商品名が口をついた「品川アンカ」

日の丸燃料は美祢市が石炭景気にわいたころ「日の丸練炭」として全国ブランドだった。


品川アンカを母が買ってくれたはじめての夜。それまでの湯タンポより断然足元が温い。豆練炭が布団に火をつけないか心配もあった。朝までよく眠れた。

けれども、湯タンポの湯で洗面することができなかった。指先が凍るような水で顔を洗った。

品川アンカは廃業して今はマメタンアンカとよばれている。豆炭も商品も関心あるお方は私に問い合わせてください。マメタンコタツもありました。


美祢市。黒ダイヤとも呼ばれた石炭景気。とくに無煙炭は戦艦などの燃料として重宝(敵艦に煙で発見されにくい)された。豆炭や練炭も無煙炭。

その美祢市黄金時代には映画館が3館。パチンコは5店。ボーリング場もあった。

月曜日にお届けの方。その当時は炭鉱と中国自動車道路に宇部興産道路の特需景気で、営んでいた大衆食堂は500食以上が毎日売れた。酒も。


美祢市の山あい、老夫婦のお宅に配達。

半世紀前はバッチリの背広の爺ちゃん。見たこともないお洒落の婆ちゃんが部屋を右往左往。

親戚のお見舞いに行く。バス停までのタクシーも頼んだが財布が見当たらない。


厚狭の配達先、玄関のスケートボードに「ひなた」と書かれていた。奥さんにお嬢さんの名前ですねと言うと「長男です。太陽を反対にした陽太が漢字になります」と。

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年寄りの肉体労働(^_^)/

農園側は、厚東川対岸沿いのアスファルト舗装市道からわき道に入ってからは、厚東川ダム管理道という分類になっている。この未舗装を使うのは農園関係者と釣りの人たち。雨で水溜まりになり、そこを車が通過すると道が掘られてしまい、月日とともに穴が大きく深くなる。


毎年、日射しが強くない冬に砂利を敷いて道路の整備をしている。はじめの数年は、大型ダンプがおろした砂利の山をスコップと一輪車だけでやっていたが、疲労困憊を毎週重ねるので、軽四ダンプと小型ユンボを購入した。

みなさんは通常の仕事をしているので、この仕事は私が担当者。


今年の作業を今朝からはじめた。

夜明けを待って小雨のなかで作業をすすめた。砂利を積む、運ぶまでは楽にできるが、おろすのはスコップで道の穴を埋める。

午前中、予定していた農園内の作業をだいたいおえた。


午後から山口市内。給油や買い物と配達も少し。出る前に家内が乗せてほしいと言うので一緒に出た。

電気圧力鍋をカタログで比較検討していたらしい。決めた製品を買う気になって財布を持っていた。賛成でも反対でもないが買う理由を聞いたら「台所で火の消し忘れがあるかもわからない。いろいろ失敗があるので」ということだった。


大型量販店の売り場、迷うことなく決めた商品をすぐに買い求めた。

驚いたことがあった。商品の保証書作成のとき自宅電話番号を記入している側で店員さんが番号検索したらしく「すべて登録されていますから書かれなくてもよいです」リストを見たら、20数年前に私が買ったとき登録されており、長女も買い物しており名前が「足立」だった。

もうひとつ。家内が「これ」と示した商品のタグに店員さんがスマホのような端末をかざしたら在庫の数や色などが検索できた。

梱包された商品が出てくるまで少しの時間座っておればよかった。


きのう紹介した萩焼 渋谷英一さん。今月25日から新宿「柿傳ギャラリー」で作品展。

お茶道具の萩焼を基礎にして、実用性と観賞も楽しめる作品を手がけられている。

「萩焼 渋谷英一」検索で。

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下北半島の人情居酒屋がよかった

昨夜のテレビ番組 ドキュメント72時間は青森・下北半島「ワケあり横丁」雪が路面を走る街の神社前、肩を寄せあうように並んだ居酒屋にスナックにカメラがはいった。

路上の取材クルーに「寒かろう」と温かい缶コーヒーを通りすがりの男が買ってくれたり、店内では客室が「うまいから」と食べさせたり飲ませたり。

ある店で40歳をむかえた同級生の女性たちが歳の祝宴。都会は行くところで、住むところではないねー。と都会生活から戻った言葉。

お客が好みの店をさがして立ち寄ったら「それなら、あのお店がいいですよ」と店主が他店を紹介する。

高齢者野球チームの宴席に水頭症と知的障害をもった成人女性が笑顔で同席して場を楽しんでいた。チーム男性のお嬢さん。お母さんは病気で他界された。


吹雪の下北半島のかすみにこんなに人情あたたかいところがあるのかと思った。


中尾友昭さんが唐戸魚市場常務のとき一緒に内蒙古の珍道中の一週間旅行をした。ペキンからハイラル(旧満州)までは空路。そこからロシア国境のマンシュウリ(満州里)までのホロンバエル草原は車。途中ふた晩は蒙古族の観光パオ(たぶん?)

小さい発電機でまかなえるほどの文化生活。食事の前にヤギが肉になり血液までもが胃袋に。

日本との時差は約一時間だったと思う。大地にしずむ夕陽は午後9時すぎだった。その暗くなるまでの時間、蒙古の家族は焚き火をかこんで馬頭琴にあわせて歌い踊って、その仲間入りした。高校生ぐらいのお嬢さんが相撲をしようと誘った。40代で体力に自信はあったが投げられて転がった。

強い酒で倒れた草むらから見上げた空いっぱいの星の迫力に驚いた。


天の神と地の神を敬う日常の儀式がいろいろあり、アイヌの人たちもこうなのかと想像した。

亡くなると遺体は鳥たちが食べやすいようにしてあたえる。猛禽類の鳥が群れて食べ尽くして舞い上がるとき死者の魂も一緒に天にいく。

そのような自然と一体になった異国の文化と人情を少し体験した。


藤野先生からメール添付。数学者の森田真生先生の新聞か雑誌コラムを頂戴した。

何度か拝読させていただき「人間でないものたちから学ぶことができるはず」のまとめが下北半島と内蒙古の旅で脳内ショートしている。

森田先生、私が勝手に拡げた解釈、先生の「人間」は、自分がよけれは、自国がよければにという世相に思えた。


根拠のない思い込みが多くなっている。

土曜日、8時半に届けている大谷山荘。荷受けの用度担当者は多忙で検収ができない。所定の冷蔵庫におさめて伝票を持って担当者があらわれるのを待つ。

今朝も、私の待つ様子をみた魚屋の兄ちゃんが「押そう」と事務所から検収の判子を持ち出してパンパンと押してくれて伝票を受け取ってくれた。


この場面が多いので今朝は「勝手に検収して大丈夫ですか、迷惑ではありませんか」と言った。

長靴でジャンパー姿。愛用の軽トラには鮮魚を運ぶイケスもある。いつも大きな魚を抱えて厨房を行き来している。

彼は総務部用度のチーフで、鮮魚をあつかうことが仕事だった。

ジャンパーを少しあけて「大谷山荘」の上着を見せてくれた。

長靴と軽トラにジャンパーで魚屋の兄ちゃん勝手に妄想していた。

慌てて名刺を交わした。


きょうの一枚は萩焼作家。渋谷英一さん。

土曜日にお届けしています。検索で作品などご覧いただき応援してください。

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長文になりました

神戸25年の朝。犠牲になられた人たちに鎮魂の手をあわせた。

兵庫区浜山小学校避難所に19日に行ったのは、学校すぐそばで全壊した金光教岬教会が各地の教会に応援要請を発した。個人的なご縁はなかったが、なにができるかわからないままたどり着いた。まだ近くの長田地区は混乱の真っ最中。


地域の人たち1500人ほどが家屋の全壊や半壊で小学校に集まっていた。火や水に食べ物はなかった。

私が到着した夜に自衛隊から赤飯の缶詰めが届いた。被災者みなさんが持ち寄った携帯ガスコンロ。鍋にプールの水を入れて缶詰めを教室の床に並べて温めたが人数が多く冷たい赤飯を多くの人が黙って食べた。

トイレは悲惨な状況になっていた。陣痛がはじまった人。暴漢に襲われそうになり学校に逃げてきた母親と娘さん。ささいなことで喧嘩もあった。


避難所が閉じられ、その区切りの復興祭が4月末に行われるまで滞在した。


その神戸に下関から「ふく鍋隊」が3度も炊き出し奉仕をしたことを知った。責任者、当時は唐戸魚市場専務の松村さんに「4回目を浜山小学校に出してほしい」とお願いした。その打ち合わせで宇部市内で酒盛り。

浜山小学校に「ふく鍋隊」があまるほどの食材。中古自転車や中古洗濯機に古い畳。女性の下着(新品)満載で到着した。


松村専務とは、宇部電子計算センター当時の上田部長(松村さんと萩市の中学同級生)がご縁を結んでくださった。

松村夫妻が上田さんのお宅にふく大皿を持ち込んで酒盛りの席に同席した。それが神戸の前後、いつだったか思い出せない。


私が学校に着いてしばらくしたとき、ヤマハの大型バイクで来た宮崎弁の牧さん。マグロ船乗組員だったが、出港直前神戸に来た。

私は宮崎県の各自治体と会議録調整でお付き合いがあり宮崎弁が耳に馴染んだ。仲良くなった。


宇部市で会議録調整の会社と金光教本部(岡山県金光町)で金光出版を営んでいた。小学校避難所滞在中には多くの人と挨拶をかわす場面があり金光出版の名刺を使った。それを「売名行為」と金光教内の一部で評判になっていることが耳に入りうんざりした。


余談。

名刺のおかげで神戸子供病院副院長(金光教ご信者)とご縁がうまれ。その後、小野田市で難病(水頭症)のお子さん(金光教信徒)の手術を副院長と関係者が久留米市聖マリアンナ病院で執刀という物語の中に関わった。


神戸を語れば、今でも涙がこぼれるようなたくさんの場面がある。

松村さん、牧さんや多くの仲間とご縁がうまれた。


当日の私は、Yellow Hat鍵山先生主宰「日本を美しくする会」は知らなかった。

大阪掃除に学ぶ会「確か上野さん?代表」が神戸の各地域に仲間と訪れてトイレ掃除や炊き出しで活躍された。

その様子を、当時の美容師カリスマと称されたサンパウロ在住の飯島さんが来日中に見ることになり、感動してYellow Hatを訪問。その後、ブラジル掃除に学ぶ会を立ち上げた。立ち上げられて2年後、私は飯島さんを取材(機関紙の清風掃々2号)でサンパウロに行った。

掃除と取材は一日で終わり、一週間ほどコルコバード、リオのカーニバル、イグアス国立公園などブラジルを満喫した。


神戸のあと、私は金光教に参拝する気持ちが萎えた。仕事も変えた。けれども長女の照美さんは太秦教会でご用をしている。母は太秦教会奥城におまつりさせていただくレールになった。


避難所に子犬をつれてお婆さんがこられた。ペットは三田市の収容施設に預けるルールになっていた。当時の私は犬は動物、家族ではないと思っていたからルールを教えた。婆ちゃんは「わかりました」と。

あのとき、私が一人で寝起きしていた音楽室に婆ちゃんをむかえてやれなかったのかと、それをいまごろ悔やんでいる。


昨年3月17日。豊浦の山中でダンボール箱に生まれたての子犬が3頭捨てられいた。イノシシ猟に行った方に発見された。

ご家族が手を尽くして育ててくださった。そのお宅には猟犬がいるので趣味で3頭を飼うことはできない。

お宅の高校生お嬢さんにピアノレッスンされていた先生がSNSで「飼い主さん!」と呼びかけた。それをフルートちゃん(長年お付き合い)がキャッチして私に投げた。

私の寿命と天秤したら飼う自信はない。けれども、この子犬のご縁で元気に生きていく努力、励みになるのではないかと引き受けた。

幸と書いて「ゆき」ちゃん。きょう元気に10ヶ月。

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今夜は大吟醸でイワシ料理

鶏と生活をする仕事をはじめるまで天候をあまり気にすることはなかった。ましてや日の出や日の入り時間は。

釣りに夢中だったときは、床波港に釣り船を繋留していた。干潮のときは砂地に船が座っているので潮の干満と風は気にかけた。


この時期は夜中の冷え込みで鶏舎や住居の水まわりが凍結。氷点下4度ぐらいが午後9時ぐらいからはじまると、明朝は凍結で膨張した水が配水菅を破る。

ピンポイント気象予報で農園地域の冷え込みを常に見ているが最大冷えても氷点下1度。これから1週間先でも強い冷え込み予報はない。


今朝の唐戸魚市場。

煮付けで最高にうまい「ゆめカサゴ」があった。1000円でひと山。数えたら10匹で買うには多すぎる「半分で売らんかね」と声をかけたら店主は横に首をふった。子持ちカレイやサバも気になって悩んだ。

大きなイワシがひと山400円。千葉県で脂がのっていると言う。ふた山700円でどうかねと言うと首が縦に動いた。

数えたら10匹あった。頭と腹をとってもらいそれもテイクアウト。ネコとイヌが喜ぶ。


今夜はイワシの刺身と煮付け。骨せんべいなど楽しむために、小さい大吟醸も買った。


彦島の山岸泰子さんがFacebookにトライされた。お掃除仲間のみなさんで「友達」申請してください。

「共通の友達2人」のアカウントが最新です。

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命の選別をラジオで考えた

きょうは下関市内、あすの木曜日では配達しきれない外回りコース。配達軒数に比較して走行距離がのびるのはしかたがない。

けれどもラジオ番組「すっぴん」水曜日は、ビロードのような声(リスナーから命名)能町みね子さん。みね子さんから教わることが私には宝物。


彼女に相撲を語らせたら一流。まだ名前も知られていない外国人力士の個性や、四股名の由来、力士の父親の体型などマニアぶりがさく裂する。

その彼女が、白鵬関と遠藤関の一番を熱く語った。

その一番、私も見た。先場所で白鵬関のプロレスまがいのエルボーをうけた遠藤関は出血して負けた。

その雪辱をはらすような先日、遠藤関の白星に館内はわいた。座布団が舞い遠藤コールの大合唱。私も「遠藤ようやった!」とテレビの前で手を叩いて喜んだ。


その有り様を彼女は強い口調で「あれはダメです」と言った。白鵬関も精一杯の取り組みをした。ましてや相撲は神事。サッカーやラグビーとはちがう。

力を尽くした両力士に拍手をすることが礼儀。ましてや、取り組みが残っている会場で座布団をなげるという無礼はつつしんでほしい。

私は、その言葉に相撲の心を教えてもらった。


もうひとつ教えてもらったラジオ番組は「三宅民雄の真剣勝負」

今朝は、相模原殺傷事件裁判、私たちが問われていること。映画監督 森達也さんが解説された。

「私たちが問われていること」にスポットがあてられた。

事件は、重度障害をもった人は社会や家庭に負担になっているという考え方からおきている。


リスナーさんから発言がたくさん番組に寄せられた。そのなかで産婦人科で働いておられる方から。

命の選別。妊娠後の検査で染色体に問題があることがわかった親が中絶をされる。

妊娠をしたくなかった人が中絶。

つまり「命」は、どこからはじまるのでしょうか。


殺傷事件犯人が裁かれるならば、裁かれなければならない殺人もあるという示唆と解釈した。


森監督。答えはでない事柄が世の中にはたくさんある。答えは見いだせなくても「目をつぶる」ではない社会がもとめられる。というような(私の解釈)まとめをされた。


写真は、美祢市の山奥の半グレ。

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西君の命日

9年前の1月14日(金曜日)のお昼過ぎ、防府市内を配達していた携帯電話が鳴った「西君が川に!」と家内の叫び声。川に飛び込んで引き揚げた正志の携帯電話はダウン。家内が連絡役になった。船木の消防レスキューが到着して救命処置を小雪が舞う川土手で行う。船木の救急車が到着して宇部市の山大付属病院に走った。船木消防の隊長は地元の方、宇部からドクターを乗せて小野付近で合流しドクターを乗せて病院に向かう指示をだした(後日、隊長から聞いた)


防府市から農園にアクセルを踏んでいた。農園に戻りおおまかなな状況を残って後始末のレスキュー隊員から聞いて医大に走った。


48年の人生を、小雪が舞う川底で終えた西君。真夏でも真冬でも笑顔で仕事をしていた。


きょうは命日。


モズのはやにえ。寒中餌に困らないようモズが冬の前に餌を準備することをいう。それを2年前、菊川で見つけた一枚。


部屋の掃除は毎朝掃除機で済ませている。階段などホウキでする掃除は週に一回。その掃除は母直伝をやっている。

ブリキのバケツに水をはり、何枚かの新聞紙を漬ける。それを絞ったあと、手で小さくちぎって部屋に撒き散らす。

それを毎日やらされた。

湿って撒き散らかされた新聞紙を、母はホウキで掃わいた。ホウキだけだったらホコリが舞う。新聞紙がホコリを吸着してくれる。

そのやり方を階段でやっている。


ラジオ午後は「武内陶子のごごラジ!」

きょうは、「一般社団法人あがり症克服協議会」の代表が登場された。

中学生のころから20代の中ごろまで吃音。家内の母親葬儀で挨拶を指名され、言葉がつまって話せない、そのときは大勢の前で「穴」どころではなく死にたいほど恥ずかしいと小さくなって座った。


私なりに、そのハードルを越える努力をして越えた。

参加したい会合があっても自己紹介や感想発表が嫌で遠慮。電話は緊張して言葉につまり焦って気持ちが伝えられない。

よく理解できる体験をされている人が多いことに驚いた。


午前は「すっぴん」きょうのテーマは「雪」

雪にまつわる全国のリスナーから体験談がメールとファクスで番組に寄せられた。

私の「雪」は小学生低学年のころ。

母の故郷、島根県簸川郡斐川町(斐伊川近く)に冬休みに行った。田舎で退屈したので都会?の出雲市にバスで冒険に出た。朝から雪が舞っていた。

一畑百貨店や商店街を歩いて帰ろうとしたら豪雪。バスも汽車も運休。

簸川平野の国道9号線を10数キロ、雪ダルマになって歩いた。今に思えば、よく生きていたと思うほど、国道に車は走っていなかった。

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朝夕、二度驚いた☺️

今朝、心臓がとまるほどの恐怖体験をした。


月曜日のお届け最初は岡本拓也さんのお宅。6時半少し前に着いた。まだ暗闇。所定の場所に置こうとしゃがんだ背中に重みがかかって前のめり。子泣き爺ではなくラブラドール犬の「レオ」が背中に前足をかけて小心者を恐怖のどん底に誘ってくれた🤐


月曜日は弁天池(名水100選)の水汲み10リットル。近くの郷社に歩いて参拝。


先週の木曜日。菊川の配達で一軒「今週はお休み」があり、長門まさよフルート教室

http://s.ameblo.jp/nagatomasayo-fluteschool/entry-12276171017.html

を終えていつもと違う初めて田舎道を走った。


まるで難攻不落の城壁の上に櫻井八幡宮。これだけの石組みができる技と財力がこの地域(郷)にあった豊かさを仰ぎ見た。


先ほど階下の愛犬2頭が吠えた。自宅の帰り支度をしていた家内が「まさか牧さんではあるまい」と言いながら窓から見たらBMW2人乗りからその「まさか」がおりていた。

石川県から佐賀県の現場に向かう急ぎ旅。それでも農園に立ち寄り新年の挨拶。お茶を飲んですぐに立ち去った。


17日で神戸の25年。彼とのご縁は被災地神戸のボランティア。私は弟のように思っている。

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長府庭園にピンク

長府庭園にピンク一輪


日曜日の朝は念入り掃除。といっても狭い部屋とバス・トイレ・洗面三点セットのユニットバス。台所と階段など。一時間あればおわる。


そのユニットバスのトイレに不具合がおきている。便座から床に少量の水がたれる。洗面器をすけて水を受けて事なきを得ている。

金剛住器の木村社長。木曜日の配達でそれを話したらすぐに点検に自ら来てくださった。20年前の製品、修理の部品の在庫はメーカーにはなかった。


来月、トイレ本体を新品と交換する工事。風呂とトイレの一体型は、湿気の漏電で事故の危険があり対策の費用がプラスになる。


昨夜の録画はEテレ「switchインタビュー」私の勉強と思って興味があるかないかに関係なく再生して観ている。

3時、私が動きはじめるまで少しの時間再生した。昨夜はジャズピアニスト秋吉敏子(90歳)のご自宅(アメリカ)を女優の松坂慶子さんが訪れた。その番組はじめの部分だけを観て布団をあげて着替えをはじめた。


その番組が心に残っている。

秋吉敏子さん▪️歳をとることはコントロール(防ぐこと)はできないが、歳をとるだけため込めることがある。それは日々ピアノにむきあうこと。その人生の勝負は死んだあと。人生は残りますから▪️と。


私は、死んだあと残ろうが、残らまいが知ったことではないが私の生き方。

けれども、1929年満州で生を受けた秋吉さんが「残そう」とされる生き方を番組から学びたい。


10時に長府の配達。9時に出かけるとき自宅から風邪引きマスクの家内が農園にきた。買い物をしたいのでと配達につきあった。

小雨の長府庭園。風邪引きの家内が催しに行きたいというのでつきあった。


その道中、ラジオで「日曜討論」各党の代表が今年の我が国について語った。とてもつまらない、抽象的な言葉は、今朝の秋吉さん生きる意気込みとはかけ離れた空虚なものだった。

片山虎之助さん、日本経済についての発言。

▪️景気に元気が出ることを総合的にうちだす▪️

なんのことかさっぱりわからない。


午後から鍵山記念館で今年はじめの数学の会。みなさんと「今年もよろしく」の挨拶をかわして藤野節。

鍵山秀三郎「一日一話」のなかから「掃除を始めたころの社内」「本当のムダ」「人生の意義」の三項目を解説。

つづいて「古事記 上つ巻」たくさん神様の呼び名と特徴を古事記解説で教えていただいた。

その全部を理解できる脳ミソ、私にはないが日本の神様はとても人間的で全知全能のような神ではなく、失敗もありの八百万。

お寺も神社も、なに様でも拝みます日本人が、ファジーで生きる私にはぴたり神々。

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温暖化で凍結・積雪がない

NHKラジオ「すっぴん」きのう金曜日は高橋源一郎先生が担当。アンカーは才女の藤井彩子さん。11時からのゲストは詩人、伊藤比呂美さん。高橋先生と伊藤さんの問答に耳が大きくひらいた。


お二人とも「人生相談」を新聞などコラムで担当されている。その回答者談義が白熱した。

回答する立場として、高橋先生は「ボクだったらどうするか」に対して伊藤さんは「ボクの人生を人に言っても無理」からはじまって「ワタシはそばに座る」というスタンス。

さらに、相談内容を熟読すると「決めている」が読みとれる。夫婦間のトラブルなら離婚か続けるかの願望がどこかで読みとれる。

その「決めている」をそっと押してあげる。強く押したら倒れる。


お二人とも文学の世界で生きておられる。結論「人生相談の答えは文学のなかにある」つまり読書ということだった。


内容に興味のある方はNHK無料アプリ「らじるらじる」の「聴き逃し」で金曜日を探してください。放送日から一週間以内です。


今朝は萩に向けて6時前に出発。12月のはじめに冬タイヤを装着していても冬の凍結難所の峠が今期は一度も凍らない、積雪もない。20年この峠を通過してはじめてのこと。今朝は0度で路面は乾燥。


きょうの写真は「宇部日報 1月7日」の一面。

宝島社「田舎暮らしの本」住みたい田舎部門で宇部が1位。

移住サポート体制や支援対策の充実。空港をはじめとした利便性。医療や福祉の充実など総合的に評価されたらしい。

ええところに住んでいる。

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どじょう森様参拝で考えた

イノシシのすき焼きを生たまご2個で食べて8時過ぎには寝ていた。

小月、長府、唐戸、彦島から安岡を経由して秋根。そして内日から菊川。美祢市を経由して長門市。約12時間で走る距離は250㎞ぐらい。

食べること、寝ること(少し飲むこと☺️)で、今年の秋には69歳の老体が、40年以上も風邪とかの医者通いはない。血圧は毎月診てもらっている。


その安眠をゆきちゃんが激しく吠えて起こされた。時計は12時。まくら元のハッピーは大イビキで寝ているのに。

作業場のゆきちゃんは山の奥で吠えているキツネに闘争本能むき出しで(背中の毛が逆立ち)興奮。

私が寝るためにはキツネを追い散らすこと。飲酒運転で山に走ってライトのパッシングとクラクションの連打。ゆきちゃんの背中の毛がやっとおさまった。


寝不足。けれどもとにかく散髪。オイル交換は防府市トヨタ。簡単な外食で湯田温泉「温泉の森」手のひらがほとびる「山口弁でシワシワになる」ほど寝て入るお湯で60分。サウナやジャグジーで年末年始の疲れをながした。

体重計で驚いた。疲れて痩せているかと思ったら約2kgも針が左に動いた。イノシシ太りか。


毎年1月2日は歩く。今年は農園から山口市大歳駅まで8時間歩くことができた。

その途中、美東で「どじょう森様」の立て看板があった。腰から下の病にご利益があると書かれていた。腰から下の病はないが気になったので温泉からの帰り道にお参りした。


700年前から腰から下の病にご利益があるという。宇佐神宮から水波売大神を分霊してこの社がある。

万倉には疣(イボ)観音様(神様の石を持ち帰り患部にあてて治る、治ったらもうひとつ石を添えてもどす。その石がうず高く供えてある)


現代では病は医学がつきとめて治す。拝んで治すという過去のことは「迷信」となった。けれども医学で治らない病がたくさんある。


私の体験談。

若いとき胃潰瘍と診断されて手術を言い渡された。当時お参りしていた金光教の教会で「手術をします」とおばあちゃん先生(明治うまれ)に言うと「せんでええ、あしたから朝参りしなさい」と命令口調で言われた。私も仕事を休まずに働けたほうがよいので6時の朝参りをはじめた。

おばあちゃん先生が神様に拝んでくれたあと、神棚のお神酒さんを下げて小さい器にうつし、口にふくんでシャツをめくった腹に吹きかけた。そして私の腹を撫でて祈ってくれた。その不思議なことを1ヶ月ちかく続けていたら腹の痛みがなくなった。つまり、開腹せずに胃潰瘍が治った。


けれども、いまの教えではお神酒で「おかげ」をいただくという信心より、生き方で「おかげ」をいただくことにおもむきがおかれているように思う。それも間違っていないと思うが。


目に見える数値も大切。目には見えないが、たしかにはたらいてくださっている神様のことを「どじょう森様」参拝で考えることができた。

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松村御大の退院(出所)は23日

Facebookと日記に載せる目的で簡単なカメラを買ったのは1年と半年前。それまではタブレットのカメラ機能で撮った。カメラを買ったのはタブレットを持ち歩いて撮るのは面倒。


毎月、県内を5000㎞以上走るたまごの配達が私のおもな生業。腰にカメラをつけておけば、目についた四季折々の風景などを撮れる。


数年前、斎藤清作品展を徳山美術館で観た。雪がどっさり積もった冬の会津の版画作品。一緒に行った菊川画廊の主が「雪がよけいなものを隠している」とつぶやいた。


今朝、赤間神宮に車を止めて唐戸魚市場に買い物。夜景ではないが「闇」のなかに見える風景は「よけいなもの」を隠していた。

きのうは大時化だったので市場は閑散として、私の馴染みの店も休業。年はじめの唐戸魚市場の買い物はできなかった。

「魚は買えなかった」と家内に電話したら「イノシシ肉ですき焼き」と今夜のメニュー決定。


年末から年始にかけて定期便の配達ではなく不規則な配達を続けた。走行距離も驚くほどのびた。

私は、判でついたような毎日だったらリズムにのって疲れを知らずに働けるが、不規則なリズムになったらダメージが多くなる。自覚できるぐらい身体が重くなってきた。 


すき焼きで老体復活になるか?


松村御大の退院(出所)は23日になりました。

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看板と地名が気になる

8時ごろには眠りにおちて3時ごろ目がさめる。そのあいだ起きることは少ない。それが1時ごろ激しい雨音に起こされた。アプリ「雨雲レーダー」を見たら豪雨の赤い帯が農園地域を通過していた。井戸水ピンチの農園には恵みの雨。


農園は四方を山に囲まれており、外に出た4時は風が強くなったようなぐらいの気配は感じた。

6時前に下関市の配達にスタートした。農園盆地から抜け出てみたら暴風が吹き荒れていた。国道2号線は北風が激しく大型トラックもスピードダウン。私の軽四ワンボックスはハンドルをしっかり握っても風にあおられた。

これほどの荒天。木曜日の唐戸魚一番に魚はあっても、私の財布で買える鮮魚はなかろうと思った。


配達の途中に目についた看板。バス停に車をとめて撮った。

看板や地名が気になってしかたがない年ごろになった。


その地名、地名探偵団の私は「宇部市学びの森くすのき」に配達を終えて到着した。

船木の地名「赤目」「鈍々」の調査をしたいとカウンターの女性に私の「癖」をつたえた。笑顔で応えてくれて検索してくれたがヒットはしなかった。けれども彼女がさがしてくれている時間で書棚でヒントを得た。犯人逮捕はちかい。


なによりの収穫は宇部市の年表。自宅の南方古墳、12000年前(旧石器時代)に宇部の最初が始まったと書かれていた。もう20年、自宅にもどっていない農園生活。自宅は南方八幡宮の真っ正面。

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ご縁ある多くの方々のおかげで生きてきた

Yellow Hat相談役 鍵山秀三郎先生。

ご縁は20数年前。当時、毎年2月に慶州ナザレ園訪問団を募って関釜フェーリで通い続けていた。はじめてお会いしたとき「何を一番本気でされていますか」と問われた「ナザレ園訪問です」とこたえると「そのきっかけは?」と聞かれた「慶州ナザレ園というビデオが私を動かしました」と言った「それは、私が制作したビデオです」

鳥肌がたつような場面だった。

 

当時あゆみはじめた「日本を美しくする会」鍵山先生が掃除実習や講演をされるとき「来られませんか」とお誘いがあった。そのなかでも特別印象深い会場は清水寺・伊勢神宮・サンパウロ。

この方についていきたいと決心した理由をふたつ。

ひとつは、わたしを「君」と呼ばれたことはない。つねに「さん」「様」だった。いまでも。

もうひとつは、自宅の母にわざわざご挨拶に立ち寄られ「お世話になっています」と頭をさげられたことをのちに母から聞いたこと。


昨年4月8日、岡本拓也さんと先生のご自宅に行った。お身体の調子がすぐれない。1時間の滞在でおいとました。その1時間で言い尽くせないお礼の言葉がある。


きょうは届いた年賀状をご披露させていただく。届く葉書の文面にはいつも「心の親戚」の4文字。どれだけわたしの励みになることか。


金光教太秦教会(長女 照美さんご用)に96歳でお国替えした母がお祭りされている。教会の奥城(金閣寺ちかく)に今村さん(故人になられて3回忌が今年)が趣味の陶芸で「お母さんに」と焼いてくださった骨壺。

6月14日に太秦教会で5年祭をお仕えしていただく。


宇部空襲のとき27歳。焦土の夜はどこに身を寄せたのか。33歳でシングルマザー。厚生館に私を預けて電話交換の国家試験をとった。山大工学部の交換。その後、電話交換は自動になりリストラされるとき、わたしを育てるために用務員になりもんぺで草刈りや掃除で私を育てあげた。


その母にしっかりお礼を申し上げる5年祭を支えることが今年の私の柱になる。


私はたくさんの人から支えられて生きている。

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やっと通常の仕事に戻った

老犬「コロちゃん」15歳。子犬のときから私と仲良し。老化にともない白内障で視力。そして聴力も失ったが嗅覚が残っている。それで私がわかっている。

律儀に排泄は外でする。小屋のまわりではしないので連れ出す。コロちゃんは、ばあちゃんが生きていく仲間。ばあちゃんもこのところ体調がすぐれない。この写真を来週ばあちゃんに届けておこう。


朝のラジオを聴きながら運転していた。どなたが登場されていいたのかわからないが言葉の途中から聞き耳をたてた。


世界や日本のなかで起きている問題に向き合おうとすると糸口がわからない。

例えば「環境」や「平和」「人権」に向き合うのは、地域や職場、家庭という身近なところから取り組めばよいと思う。


先日からタブレット操作。キーボードが初期設定から外れた動きをしている。それで入力に困ることがある。

月曜日の配達を足早に終えた2時に小野田市docomo店に立ち寄った。店内混雑で待ち時間90分と言われた。

宇部市内のdocomo店に立ち寄っても来店者が多かった。受付の若い男性店員さんに困っていることを告げた。その場で解決をしてくれた。

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広範囲に下関を走った

http://sorinamu.net/
親しい呉明美(オ・ミョンミ)さんのブログ。1月2日「限られた時間は大切なことだけに使いたい」とても共感しました。お時間ありましたらご覧ください。

水曜日と木曜日のお客さま約50軒と明日から開店の寿司割烹浪花(http://www.sushi-naniwa.info/)、「あの米店」に「しみず茶房」などお店を含めての配達をおえた。

下関市広範囲を「配達して」というお客さまを走った。昨夜、そのルートを紙に書いた。配達の都合で早朝6時過ぎに玄関お届けのお宅にはショートメールでお知らせ。
日頃とちがう道順を走ると風景も違う。
決まったことを、判を押したように配達することが楽なことがよくわかった。

明日から通常のペースで仕事ができる。

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穏やかな土曜日 穏やかではない世界情勢

早朝、萩市に向かう凍結・積雪の難所、雲雀峠は氷点下5度。路面が乾いていたので安全に萩市内に到着。萩市は日本海に面しているので冷え込みはない。松陰神社に初詣。


長門市野波瀬の極楽寺、今月の掲示伝道。

各地を走る仕事がら神社やお寺の掲示板を見ることがたくさんある。その多くは所属の部署から届いたような、交通安全標語(毒にも薬にもならない☺️)のような紋切り型。しかも張られて月日が経過して、張らない方が気持ちがよい程度の掲示板の内容が目につく。


極楽寺は、毎月末に必ず更新される。お寺はもちろん、私の知る範囲では三隅や長門市の数ヶ所に掲示されている。

思いつきで、数日で書かれていないことはどなたの目にもわかる。

「手を抜かない(手をかける)」「継続する(凡事徹底)」お掃除の実践で教わったことを思い出す。


暮れから正月にかけて配達で日にちがあいてしまうのが水曜日と木曜日(両方とも下関)のお客さま。数人から「間で配達してください」と言われたので、配達を希望される方を募ったらえらい多くの方が手を挙げられた。

もともと下関市内の配達が広範囲になったので両日に分散した。その分散地域のほとんどのお客さまが「待っています」とサインを出された。


明日はシャッフルされた広範囲の下関を、明日だけ限定ルートを考えて配達をする。

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初荷の下関

元旦ときのう、まる2日エンジンが止まった愛車。きょうから1日もエンジンが止まる日はない初荷の朝。


明朝、南風泊市場でふくの初競りが行われる。マスコミが風物詩として全国テレビ放映、ラジオ放送をする。松村御大が専務、社長に会長時代は早朝の競り場でインタビューに応え、競り人で鍛えた元気いっぱいのダミ声で抱負を喋っておられた。


松村御大が社長当日に農園を始めた。大晦日までご注文が殺到するけれど三ヶ日は注文が止まる。そのことを気にかけてくださったのは松村御大と浪花の荒川大将をはじめ大勢の仲間たち。いまでも助けられている。


今朝は特別早起きしてお届け準備をした。

きょうは下関方面。明日は通常の萩市から長門市、美祢市。

日曜日は、水曜日と木曜日の配達先をまとめて満載で下関市方面。月曜日から通常ペースになる。

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8時間完歩できた

毎年1月2日は長距離ウォークが私の恒例行事になっている。

昨年は下関駅からスタート。その前は山口駅が起点。長門市駅や東萩駅など50㎞ぐらいを歩きたいと目分量でコースを決めている。


鍵山先生とはじめてお会いした20数年前、その場で私の生き方が変わるようなご縁があった。そのことは長くなるので割愛。

凡事徹底の四文字を説かれた。その日から、私の「凡事」は常盤湖遊歩道6㎞を歩くことにした。出張で歩けない日をのぞいて朝か夕方、天候に関係なく歩いた。5年ぐらい続けたら歩くことが楽しくなってきた。


その凡事が身に付いて時間があれば歩く。愛犬と長い距離を歩く。


けれども長距離は自信がない。それに挑戦する気力と体力を2日にやっている。そのために配達ではエレベーターは使わない。時間があれば歩くという一年を過ごしている。


気温0度の農園を6時にヘッドライトを点けて出発。美祢市と山口市にまたがる鳳翩山トンネル(標高290m)を美祢市側から越えて山口市JR大歳駅まで8時間、元気に歩くことができた。


今年は母の5年祭が私のテーマ。歩きながらそのことを考えてお祭りにむかう心構えを決めた。


農園近く「厚東駅」まで迎えにきてもらい農園ゴールイン。

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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。


朝の薄氷は、元旦の快晴を約束しました。

おだやかなお天気のなか午前中は初詣。昼寝を2時間。

長府藩が隠してきた暗い秘密の真相に迫る、古川薫先生「暗殺の森」を読みはじめた。20年ぐらい前に読んだが、最近になり長府を散策することが多くなり、綾羅木に配達がはじまり「暗殺」の中山神社に毎週参拝することになった(配達先は神社の側)

年月をあけて読んでみると、長府や綾羅木の風景が頭にうかぶので新鮮にページをめくることができる。


今年も周囲の人に少しでも喜んでいただける毎日を目標にします。どうぞよろしくお願い申し上げます。

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