ブログを一年継続できました

5時、萩市に向けて農園出発。気温3度で凍結も積雪も心配なし。


土曜日のコーヒーは萩市内、消防署ちかくのローソンに決めている。6時ごろ体格が大きな男性と女性二人の店員さんが笑顔で応対している。

地域の人が歩いて新聞やタバコを買いに来られて店員さんと楽しく会話をしている。


この店に通いはじめたのは5年以上前になる。カメラを持たずタブレットのカメラ機能でブログの写真を撮っていた。Facebookも知らなかった。

そのタブレットの写真をローソンマルチコピー機械でプリントしたいことがあった。

若い大柄の女性店員さんに目的を話したら「タブレット持ってきて」と笑顔で対応してくれた。タブレット本体からSDカードをはずしてコピー機に入れて20分ぐらいてこずってプリント1枚(30円)を出してくれた。


今朝、店内に入るとその女性店員さんが110円のホットコーヒーカップを差し出した。

5年、毎週土曜日の6時にホットコーヒーだけ買う私を覚えてくれていた。

「大晦日と元旦は値段のたかいコーヒーが半額ですよ」と。それでも110円ですかと言いたげな顔だった「ありがとう、これでええです」とカップをうけとった。


木曜日の8時に通っている下関市内のコンビニ。店員さんがよくかわっている。接客の笑顔もない。何よりトイレが汚れている。


30円の写真プリントからはじまり、110円のコーヒーしか買わない私を覚えてくれる店員さんにとても嬉しい気持ちになった。


玉江橋から上流の風景を撮った。


今年も日記・掲示板・あだち美術館にホーム画面を私の楽しみとして継続できた。それが私の力に間違いなくなっている。


お付き合いくださりありがとうございます。

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私の娯楽がメインの金曜日になった

昨夜(木曜日)は家内が農園に泊まってくれた。雨がふったので井戸水は心配ない。湯船にお湯をためて温まり犬の世話などすべて頼んで布団にもぐった。


あれほど疲れて寝たが3時にシャッキリ目があいた。寝ているあいだにリセットできることがありがたい。心中で神様に御礼申し上げた。


金曜日のミッションは①菊川画廊②あだち美術館更新③映画「ラーゲリより愛を込めて」鑑賞。


元旦は徳重さんが長年(20数年)巫女のご用奉仕をしている秋穂の正八幡宮に初詣。2日は雨でなければ歩く(雨なら朝から酒びたり)3日からの配達はアクセル全開。とくに3日から6日まで4日連続で下関市をたまごを満載で走りまわる。


明日の大晦日は萩市から長門市、美祢市のお届けで走る。


きょうの映画は久しぶりの娯楽になる。


菊川画廊。1月10日から22日までの「多田昌平/石原忠幸 二人展」に農園に掛けている石原忠幸作品4点を届けた。もちろんそれが展覧会で掛かるかどうかはわからない。


菊川さんがおいしいコーヒーをたててくれ芸術談義ではなく人生談義でたのしいひとときになった。


あだち美術館に掲載させてもらった藤井壌二さんの作品をFacebookから選び構成する集中した時間を車内ですごした。


シネマスクエア。11時40分にはじまる「ラーゲリより愛を込めて」の前に腹ごしらえ。うまいランチに決めた。


映画ストーリー「ラーゲリ」はロシア語で「収容所」終戦後の11年をシベリアで抑留された人の実話にもとづいた作品。


主役の二宮和也は「丸メガネ」のせいか「パピヨン」のダスティンホフマンにそっくりだった。その妻役の北川景子はやっぱり美人。


作品の感想はすぐに言えないのが私の特徴。


農園に戻りトイレ掃除などを済ませて1日が終わった。

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山場の木曜日を元気に走った

写真は今朝の関門海峡。

唐戸魚市場は年末の魚を求める人が多く警備の人が交通整理をしたいた。もちろん私は今回だけはスルーした。


7時前に唐戸の食堂にお届け。近所のひとり暮らしの人も常連。私はゆっくり年末年始をしたいけれど皆さんが困るから頑張ります。


魚屋さんに配達「鉢盛」の注文をたくさん受けているので正月返上で働きます。


新下関近くのレストランはシャッターがおりていた。裏口から入れた。店内ではオードブルの皿がたくさんならび忙しくしておられた。


松村御大のお宅では御大が愛車を手洗いしておられた。なかなかお会いする機会がないのでたまった話に花を咲かせた。


早朝から午後3時まで大勢の人と会話、電話にメールのやり取りをしながら元気に250㎞走り終えた。

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はじめての玄米焼酎で二日酔い

年の瀬「たまご屋」はクリスマスとおせち料理で「配達の数を増やしてください」の電話とメール対応に毎年てんやわんや。


正月あけで「どうしても配達してほしい」という電話とメールもある。

その下関方面対応で1月6日の金曜日に走ることにした。2軒、長府のお宅から配達依頼がありナビで到達してご挨拶。配達ルールを取り決めたい。


美祢市まで戻りプチラボベーカーリ今年最後のお届け完了。道の駅於福の温泉に立ち寄った。


秋吉台「龍護峰」に来年はたくさん登ろうと思っている。そこから「お鉢山」「西の西山」を経由して「妙見原」「若竹山」を経由して「カルスト展望台」そこから出発した家族旅行村まで。全行程で約3時間ぐらい。

調子がよいときは「妙見原」から「長者ヶ森」「真名ヶ岳」を経由して大正洞まで4時間ぐらい。


四季折々のカルスト台地を楽しみたい。その初回を正月2日、天候がよければ歩きたい。


弟のようにおもっている牧さんが「頼んでください」と私の留守に置いていった何本かの酒の一本を昨夜ビール、ワインに日本酒を経由したあと開封した。あまりのうまさにストレートでコップいっぱい呑んだ。少し二日酔いだった。

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とにかく寝て疲れをリセット お酒も要る

毎日10時間、走行距離は平均200㎞を軽四で走っている。10月を過ぎると4月までは草刈りがそれにプラスにならないから老体を休めることができる。


今朝、火曜日はゆっくりスタートで6時半。3時に起きたので部屋の掃除などしっかりできた。慌ただしくないので、寒くても血圧は120と70。


3時に起きた。寝たのは何時か。8時には夢の中だった。アルコールは缶ビール2本と赤ワインガブガブ最後に少しウィスキーをシングルストレート。


スマホを山中に落として5日目に枯れ草の下で見つけた山口市のMさんお宅でお会いできた。


彼女は神様大好きでご自分の世界を持っている。その山の山頂に自身が焼いた木炭を埋めて祈りを捧げたあとの落とし物。Facebookに「スマホを落としただけなのに」と5日目に発見した喜びを投稿した。その投稿にコメントをした。


スマホが見つかるように祈った。それで見つかった。


そのストーリーだったら私は「ちがう」と言う。運動会の日に晴天を祈ったらそうなったから「おかげ」のような自分の都合主義で神様を言っている。雨だったら神様を否定するのか。


たまご屋の爺さんが真顔で「スマホを落としただけなのに」に噛みついた。 

彼女は私の噛みつきに「そうです」と肯定した。そして真顔でこたえた。 

 

スマホを失くして「私のスマホを使いんさい」と即座に貸してくれた親友「探しに行こう!」と毎日尻をたたいてくれた親友たち。そしてスマホが生活の大黒柱になっていた自分に気がついた。

そのストーリーの5日目に枯れ葉の下からスマホが見えた。

親友がありがたい。スマホ漬けの生活を変えよう。そのふたつを神様が教えてくださった。


立ち話だったが気持ちがよかった。


JR川棚駅近くの漁港「若宮神社」に奉納されている松村御大の作品。

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山口トヨタの岡本店長とのLINE公開

きのう山口トヨタにオイル交換と点検をお願いして代車を借りた。岡本店長は「短時間で終わりますから」と言われた。3時に重枝さんとフジグランで会ってタブレット講座で学んでいるとき店長から電話着信「電気系統に問題がありまだ終わりません」


4時半にトヨタ店に行ったら内装むき出しで配線の点検を整備の方が取り組んでおられた。


トヨタ店は仕事納めの日曜日。愛車だけが仕事納めの邪魔をしていた「何時になるかわかりませんが農園までお届けします。代車にキーをつけておいてください」で終わった。


8時過ぎに納車。


愛車に今朝乗って感じたことを岡本店長にLINEした8時ごろだった。すぐに返信が届いた。その顛末を日記にしておきたい。


⏹️おはようございます。

きのうはありがとうございました。

今回の整備ご担当者。

時計の時刻調整してくれました。メーターは気温計を表示していましたが元どおりに気温計にセットしてありました。

次回のオイル交換もちゃんとはってありました。


助手席シートをあげてオイル交換。シートの荷物を無造作に後ろに投げていたり。時計が調整されないことなど。それがあたりまえかと諦めていましたが細かい心遣いを感じました。

ありがとうございました。


🔶作業を担当させていただいたエンジニアは前野といいます。エンジニアはそういったお声がけをいただくことも少ないので、しっかり伝えさせて頂きます。

こちらこそありがとうございました😊


2年で12万㎞走行。山口トヨタ店は県下全域にある。バッテリーやファンベルトなど緊急のときレスキューしてくれた店は長門店・小野田店・美祢店・下関店・小月店・防府店 JAFカードを持っているがそれより対応は早い。


今朝のプチラボベーカーリを撮った。

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みなさんのお世話になり私がある

給油(ガソリン・灯油18㍑)、洗車を済ませてドックフードを買った。


山口トヨタ山口店に9時半に愛車のオイル交換や諸々の調整を予約しており立ち寄り。代車を拝借した。


菊川画廊、今年最後の展覧会「絵との出会い展」きょうが最終日に行った。約20点の作品を撮らせていただき「あだち美術館」にかけさせていただく快諾をえた。


絵画にまったく関心がなかったが菊川さんとご縁ができて鑑賞することが好きになった。周南市立美術館と下関市立美術館の催しをチェクするようになり仕事のあいまをぬってでも鑑賞に足を運ぶようになった。


菊川さんと画廊で交わす会話のほとんどは作品をすっ飛ばした互いの人生観になっている。来場者が来られたらその会話はやめる。

作品を鑑賞に足を運んでいるが、作品を肴に(失礼)はじまる作家の生き方。作品との向き合い方を聴きながら「で、俺たちはどうか」になる。その話は本音になる。

一遍上人の生き方など、あすから生きていく糧になる会話ができた。


3時に「フジグラン」で重枝さんに教わる予定。その前に持世寺温泉「上の湯」立ち寄り。久しぶりの温泉を楽しんだ。


重枝さんと合流。施設のWi-Fiに接続して教えてもらったことたくさん。学べる人がたくさん私の身近にあり幸せだと思った。


4時に山口トヨタに行ったら調整が長引いていた。きょうが仕事納めに愛車のことで仕事が終わらず申し訳ない。

さきほど岡本店長から電話で「全部できました。9時ごろに宇部に帰るスタッフが農園に立ち寄ります」と連絡を受けた。

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雪道の土曜日がおわった

凍結と積雪で県内屈指の冬場の難所「雲雀峠」の難所たるゆえんは標高の高い秋吉台大地から海抜0mの萩市まで一気にくだる、萩からはのぼる。

道路両側には山が屏風のようにあり日照時間が少ない。山から山水が道路に流れている場所はアイスバーンになる。極めつけは「橋」しかもカーブ。


大倉山ジャンプ台の頂点にたつ。雲雀峠の頂点から下り坂を見おろすときはその気持ち(大倉山は知らん)になる。

氷点下5度、夜中の積雪が圧雪になりピカピカとライトに光るときは左に止まり後続の車をすべて通過させギアを「2」レンジにしてくだる。

この峠は「上り車線」は2車線「下り車線」は1車線しかない。下りおえるまで左に寄れる場所はなくアクセルから足を離して惰性でくだる。


土曜日は萩市。常茂恵旅館は「6時納品」で20数年たがえたことはない。けれどもきょうは、延着を知らせ11時のお届けになった。


いつもは3時起床で5時にスタート。今朝はスタートを8時にかえて配達コースを逆にした。美祢市の配達を済ませ長門市そして萩市。


農園に戻る雲雀峠の上り線は圧雪は残っていたがタイヤはしっかり安定の走りをした。


凍結や圧雪の峠を走り納品するのが楽しみだったときは過ぎ、とにかく安全に仕事を果たすことに前の日から計画するようになった。


萩から農園に戻り睡魔がやってきた。2時間も寝た。


今夜7時半からBSテレビ「映画音楽はすばらしい」。深夜、25日午前0時からから永久保存版「ショパン国際ピアノコンクール」このふたつを番組録画予約している。


写真は、萩市道の駅「さんさん三見」から日本海。

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あだち美術館更新しました

たいした積雪や凍結でもないが、いつもは40分ぐらいで走る長府までの国道で90分もかかった。


「あだち美術館」で更新した藤中さんギャラリーを撮りに行く。ポポラスのお母さんに見ていただきたい画集を届けて買い物。新規イタリア料理店に営業で長府。


藤中さんを撮っていたら、私が撮られていた一枚。


長府を終えて菊川アブニール。版画家の村井先生展覧会に行った。アブニールは今回で10年目と言われた。力作の数々を鑑賞できた。

来月8日、フルート教室の長門さんがオーボエとコラボ演奏会を菊川で催す。


村井先生アトリエ・ギャラリー うさぎ茶やランチ フルート演奏会


の三拍子を計画している。また詳細ご案内。

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淳貴と偶然の遭遇

小雨で農園井戸の水位が下がりピンチ。数日前から川にエンジンポンプを据えて井戸周りに散水していた。


気温が下がる夜は鶏舎水回りの凍結、破裂を防ぐためすべての鶏舎と私の住居の蛇口をゆるめて排水をする。一晩で1㌧以上の水を排水して破裂を防止している。井戸水は大切なライフラインのひとつ。


きのうからの雨で井戸の水位が回復した。週末の寒波はこれでしのげる。


5時に農園スタート。

大勢のお客さまと会話をかわしながらお届け。そこが仕事の楽しさ。黙々と配達したらやりがいはない。いろいろな話題を玄関でかわす。お会いできないお届け先の置き場にメッセージがあったりする。長丁場の運転はみなさんとの交流でまったく苦にはならない。


きょう2時前に美祢市のプチラボベーカリーにお届け。加奈ちゃんが「淳貴君!」と言った。私の横に淳貴の笑顔があった。


記念の一枚を日記で保存。

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人生街道は私が歩む

今朝の冷え込み外気で氷点下1℃。それでも蛇口が凍てついたのは深夜は氷点下3℃までさがった。


水曜日は5時に農園スタート。それまでやることがたくさんあるので3時前に布団から出た。作業場ストーブ着火、ヤカンを置くが最初のミッション。


配達順路を考えながら積み込み。私の朝食前に愛犬ドッグフード。安いフードを与えたら「ゆきちやん」お腹や胸に赤い湿疹「ハッピー」は食べても平気。けれども食べぶりが遅い。


飼い主反省して餌を変えたら湿疹も食べぶりも良くなった。ウンチも立派になった。


いよいよ多忙をきわめる年末に入った。


クリスマスと正月料理でいつもより配達の数が多くなる。その電話とメール対応は、決まった数の鶏が生む数(羽数に対して平気80%)が寒くなれば少なくなる。現場とギリギリの調整をしながらの毎日になる。もうかなりの数をお断りした。


工業製品ならば残業して、休日出勤して増産できるが鶏はそうならない。


水曜日は長府の藤中(同い年)さんにたくさんお届け。藤中さんが注文をとってくださり「まとめ役」そのおかげで毎週、藤中さんと人生を語ることができる。


私の人生を振り返るとき、私の生き方に大いに影響を与えてくださった恩人がある。けれども私は恩人から離れていった。その理由は誰にも話していない。まだ墓前にお参りもしていないが気持ちの整理はついてきた。


その恩人「色」に染まりきれなかった。どこかで染まりきれない「?」があった。その「?」は些細な言動、いってみればどうでもよいことのボディーブローが積み重なった。


藤中さんと「自分の人生を私が歩む」しっかり燃え尽きる人生を歩もうと老人ふたりが気炎をあげた。

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今朝は冷えました

2時ごろ寒くて目がさめた。

外の気温を確認に行ったら氷点下2度。蛇口はこおって固まっていた。部屋に戻り蛇口4つを開けた。ジャリジャリと氷が蛇口から出てきてそのあとは水が出た。2階の部屋まで水回り配管が北側の壁に沿ってあがっている。断熱材は巻いているが凍らせて破裂させるとライフライン(台所・トイレに風呂)はダウンする。それは20数年の農園生活で一度経験した。部屋の窓ガラスの(二重ガラス)結露が凍るときもある。つまり冷凍庫のなかで寝ている。


火曜日の配達。山口市内のMさん。

神話の神々と交信する特技?の持ち主。その話は理解できることも私はある。


Mさん、ある祈りでわけいった山中でスマホを落とされた。その顛末をFacebookに出された。とても長文、ご希望の方にはそれをお届けします。


紛失した先週の火曜日。Mさん「友だちが、失くしたから不便だろうと貸してくれた」と、そのスマホに私の携帯電話番号を登録した。

貸してくれた友だちの行為に「そこまでやるか」と驚いた。


仲間がスマホ捜索に集まり山中を歩いた。5日目、落ち葉の下にスマホが待っていた。


昨年、私は5時間の草刈りでサングラスを落とした。とても広い面積のなかで刈った草のなかにあるサングラスを探すことはあきらめた。

数週間あと、愛犬がリードを引っ張り止まったところの枯れ草に埋もれたサングラスがあった。思わず神様にお礼のかしわ手をその場でうった。


スマホが見つかった。サングラスが見つかった。彼女も私も神様に御礼申しあげた。それは当然。


けれども「自分にとって嬉しいこと、都合のよいこと」だったから神様に御礼ができた。その「私にとって」ぐらいで神様を判断する。その逆でも神様をいただく心持ちが「おまえにあるか」と問われている。

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知りたいことはわかるまで聞く

写真は今朝の美祢市持田(地域の名称)


石積のお宅が四季折々とても美しい。私が好きな風景のひとつ。雪の朝、幸い月曜日は美祢市、ウキウキしながら撮りに行った一枚。


歳を重ねて本を読む視力がおちてきた。けれども「知りたい」という気持ちは若いときと同じ。テレビ番組予約録画で「知りたい」番組を探す。先日の「大英帝国60分」は2度みた。とくにアジアとイギリスの関係を勉強できた。


きのうは萩市須佐歴史民族資料館・阿武町奈古の街並み散策・萩・明倫学舎の三点セットで学ぶことができた。そのことはおいおい日記でご紹介したい。


そのひとつを日記に書いておく。

それは萩・明倫学舎。300円払って維新の歴史がじっくり学べる。5~6回ぐらい学びたいテーマを決めて足を運んだ。


今回は長州ファイブは下関戦争数日あとにイギリスに密航した。その莫大な留学費は毛利の裏打ちで大商人が出した。おそらく今のレートで五億円。

知りたかったことは、長州ファイブは語学力を持ち合わせていたか否か。あったとすればとこで学んだかを知りたかったが不発に終わった。


何度も見た幕末ミュージアムの大砲・鉄砲・軍装などだらだら見て出ようとしたとき知りたいスイッチがONになった。


これだけの展示物は誰が収集したのか。


解説してくれる人(女性)に聞いた。小川忠文という下関市の方が半世紀かけて集めたコレクション6000点以上を萩市に寄贈されて幕末ミュージアムが完成した。


小川さんは1941年生まれ。15歳のときアメ横で買ったピストルから銃や大砲。それにつれて軍装に天文に医学などオークションで集めてこられた。


昨年の秋に亡くなられたが写真はあると案内された。その雄姿は長州鉄砲隊の指揮をされている写真だった。

数年前、鉄砲と大砲を学ぶ目的で訪れたとき説明してくださったご老人が「これは私です」と指さされた写真が鉄砲隊指揮官だった。


私の勉強はポイントを決めて質問する。


須佐でも奈古でもしつこく聞いてしっかり理解できたことが土産になっている。

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たくさんシャッターをきった日曜日

元旦の明くる日「2日」は毎年恒例で歩いている。昨年は秋吉台、その前は長府マリンランドから門司、その前は山口駅から農園、その前は下関駅から農園と30~50㎞歩くことが私の迎春行事。


今朝の予定は、萩市「田床山」を登って昼飯。東萩駅から須佐駅まで(約40㎞)を2日に歩くと決めたときの下見を車でする。


ところが萩市。8時の気温は2度で風雪。

山登りすることはあきらめて東萩駅から須佐駅まで車で走ることにした。

ところが日本海は大荒れ、風光明媚な国定公園海岸線道路を荒波が降ってくる。何度も海水をかぶって「道の駅奈古」に到着。さらに須佐に向かうと荒波が激しく車を洗った。


須佐までのコンビニと駅をメモした。

須佐「みこと館」に立ち寄り須佐の歴史など展示から学んだ。ここを訪れる人はめったにないようで女性職員さんがはりきって解説してくれた。

北前船の帰港地として栄えた須佐の歴史がざっくりわかった。小雪が舞うなか古い街並みを職員さんが「ぜひ歩いてください」と言われ歩いた。


奈古の古い街並みは「道の駅奈古」に車をおいて散策した。とにかく強風に体温がうばわれ寒かった。


萩市まで戻りガソリンスタンドで洗車。


明倫学舎で1時間学んだ。学びの収穫は感動するほどの出来事があった「あだち美術館」でご披露。


荒波を撮っていたら「瑞風」があらわれた。

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久しぶりの温泉立ち寄りができた

土曜日は5時に農園スタートして萩市からお届けがはじまる。


5回目のコロナワクチン接種は昨夜から注射で左腕が痛いこと微熱ぐらいで朝をむかえた。


写真は長門市野波瀬漁港の朝。


美祢市「よしの」で吉野さんとお会いできた。回収しているアルミ缶をたくさん集めてくれた理由は、奥さまがご近所に回収の目的(厚狭レインボーの利用者が潰して業者に持ち込み現金にして給料の足しになる。20年以上継続している)を話して集めた。

それを配達の車に載せるので「どうせなら」ぐらいで汚れて臭いアルミ缶を出す人があった。持ち帰り農園で洗っていたが「洗って出してください」とお願いした。

臭いなら辛抱できるが「アリ」「ゴキブリ」「ムカデ」などが這い出す。吉野奥さまは全部洗っていた。


それを潰す作業を見に行ったとき悪臭のなかで黙々と作業する利用者を知っている。


Eテレで「大英帝国」60分番組をみた。

イギリス「連邦」の意味がわからなかったが理解できた。インドとパキスタンの成り立ちもわかった。私が「わかった」ことを吉野さんに話し、吉野さんの見識をうかがった。それで理解がふかまった。


厚狭の日蓮宗妙徳寺で午後1時開場。定員80名で「桂歌蔵」落語会のご案内があった。ウキウキしてお寺に早く着いたが閑散としてた。なんとコロナで中止になっていた。ガックリ!


霜降山温泉に立ち寄りさっぱりして農園に戻った。

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ワクチン接種5回目済ませた

5回目コロナワクチン接種の日。


自宅(西岐波)と京都の照美さん家族、次女の真砂恵さん家族時期はことなるが陽性反応になった。農園は鶏インフルエンザの脅威にさらされている。


接種を済ませた人も陽性が周囲にたくさんおられる。それで接種をスルーするか少し迷った。配達先で基礎疾患を患っておられるお客さまから「接種されましたか」と問われることがある。

それに嘘をついて「済ませました」とは言えない。なによりも火曜日の9時に私を待っているニュースタイルの糸賀会長は透析されている。ワクチン接種は安心してもらえる社会的マナーだと思っている。


ご同輩(71歳)の藤中さん。個展をきのうから開催されている。その準備にたくさんの小物や油絵を深夜、朝方までかけて創作・製作された。水曜日の配達でそのコツコツ夢に向かう姿を見て思ったことは「私も人生燃えつきたい」と思うようになった。


古稀にむけて「人生の車窓」にとりくんだ(ブログからダウンロードできます)。淳貴君のポストカードや糸賀さん企画のスマイルバックにも力をそそいだ。あの情熱を取り戻そうと藤中さんから刺激をいただいた。


松原酒店にこだわりの一本を買いにいった。その一本は弟のように思っている牧君に宅配をお願いした。

私も松原さんも白髪になった。それは人生を歩んだ証です。

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木曜日の楽しみは唐戸魚市場

今朝4時、気温は2℃だったが体感的には氷点下に思えた。地面の草にしっかり夜露がおりているのを手のひらで確認して焼却ゴミに火をつけた。


木曜日の6時半は必ず唐戸魚市場。

写真の赤い魚が私の大好物「ユメカサゴ」高級魚になった「ノドグロ」と同じ深海に生息しており、ノドグロ漁で揚がる。値段は安い。


父ちゃんが漁師で母ちゃんが捕った魚を市場でさばきながら山で売る何軒かがある。地元の小魚、エソ・小鯛・イカやワカメ、写真のカナトフグに小エビなど高級魚ではないが安くて新鮮な魚が手に入る。


ユメカサゴが目についたので「500円くれんかね」と煮付け用を頼んだあと「揚げたいので500円ほどしご(さばく)してくれんかね」と言うと「ええよ」と小さい包丁で腹をあけて揚げもの用にしてくれた。1000円渡して「氷もくれんかね」で今夜のふた品を買い求めた。


唐戸魚市場で私の一押しは「大阪湾のコイワシ」脂が最高にのっている。手開きで刺身、骨は揚げる。煮付けも最高。大きな山でも安い!二番は「ユメカサゴ」煮付けの煮汁で豆腐がうまくなる。


キビナゴも最近あれば買うよになった。刺身と揚げもの。カツオのたたきは「うまいですよ」と声をかけられたら買う。


唐戸魚市場は潮風をあびて行き交う船を眺めることも楽しみのひとつ。

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藤中さん真面目な個展のご案内

「赤穂浪士」と世間はいう。「吉田松陰」と世間はいう。


家内は播州生まれで「赤穂義士」といい、私は長州生まれで「松蔭先生」という。


写真説明


お昼前にアトリエ・ギャラリー「壇具川ベース」にロールスロイスで来られた藤中さん。自身のマネキンに国旗を持たせたらオープン。


私と同い年、1951年生まれの来年で71歳。5年前からのお付き合いでも藤中さん曰く「30年以上付き合ったような気がする」と。私も長年お付き合いしてきた同輩のように思う。


初めて会った「あけぼの珈琲店」に皮のジャケットで黒のハットに濃いレーバーンサングラスでお出ましのときは警戒した。


けれども、その後に藤中さんの人柄にほれ込んだ。

城下町長府は食堂・魚屋・時計屋・文房具店・惣菜店・洋菓子に和菓子店・たばこ店・衣料に靴店・洋食に和食店・花屋に医療も各診療が、近くに大型商業施設があっても狭い街で営業している。


それは長府が大好きで街を活性化したいという役者が何人もおられる。その一人が藤中さんと私は思っている。


壇具川キャンドルナイトや時代祭では縁の下の力持ちの一人。公民館で「活弁(無声映画)」を催した。私は藤中さんが関わる催しには足を運んできた。デトロアやなんとかクラゲの個展にも行った。人も誘った。


カモンFMパーソナリティー、実家が「てじよん」の呉明美さんがグリーンモールでカヤグムコンサートを催したとき予定をFacebook投稿した。

当日、開演直前に藤中さんが会場に来られた「あんたが応援する催しだから、近いから来た」と椅子に座った。


「チャリティークリスマス・アート展覧会」と銘打った藤中さん個展が明日から24日までの会期で催される。


場所は壇具川沿い「茶屋祥の蔵」そば「壇具川ベース」写真のマネキンが入り口のポイントです。


時間は11時~18時 20日はお休み


問合せ📞 080 3052 3103 藤中

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子供の歓声は騒音なのか

すっきり目があいた。深夜2時だった。

もともと睡眠は「何時間寝なければならない」と考えていない。爽やかに起きたとことは「寝が足った」ということ。


テレビ録画で観たい番組がたくさん「未読」でたまっている。根室漁港から1000㎞先の公海までサンマを追いかけるサンマ船の番組を観た。

以前は根室近海で捕れていたサンマを、1日の燃料費100万円かけて荒海を突き進む一週間の漁にNHKカメラクルーが密着した。船長から「酔うぞ」と言われたとき「酔いどめ」持参しますと番組ディレクターが言ったとき船員たちは笑った。


数年前、サンマ船が転覆事故の報道を見た。あの当時は一晩で100t以上の水揚げだった。今回は漁場まで2日の後悔で初日は2t。一週間荒海を走り18t

で燃料費も払えない、ましてや乗組員の手当を払える漁獲ではない。


船長に命をあずけ数ヶ月で数百万円の夢を抱いて乗り組んだ船員たちのことがわかった。


昔読んだ「舟を編む」の映画作品を次に録画再生した。半分観たところで4時のアラームが鳴ったので途中下車した。辞書をつくる人の心意気が伝わる。


昼弁当を亀山公園でひろげた。


ザビエル記念聖堂前の広場で遊ぶ園児たちの元気な歓声を聞きながら。


長野県では児童公園で遊ぶ子供たちの歓声を「騒音」という杓子ではかり閉鎖になった。

ならば岩国基地や普天間基地もそうすればよい。


子供の歓声を騒音という世の中に落ちぶれた。

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陽射しにめぐまれた月曜日が終わった

「捕れたど」の電話は、毎年この時期にイノシシ肉を買わせてもらう猟師さんからだった。今朝立ち寄り上等の脂身をふたつ手に入れることができた。おまけに小さい「足」と書かれたブロックをもらった。小さいが脂身はついていた。ブロックふたつの行き先は決まっている。おまけの「足」は私の胃袋におさまる。


「ヤマドリ」を見た話をしたら驚かれた。猟師さんも一度だけその姿を見たことがあり美しさを覚えていると言われた。


私が目撃した日に偶然ロト6を1000円(5口)買った。いつ当選チェックをするか。当たっているかもわからない。「億」は年齢的に使えないから2000万円ぐらい当たれば成金で人生を狂わすことなく笑顔で余生を過ごせる。


5時すぎに農園スタートして3時前に農園ゴールインした私をむかえる愛犬の態度を撮った。

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年に一度の暴飲暴食をやった

写真な説明


きのう菊川画廊に行くとき、カメラをポケットにおさめたと思っていた「撮るぞ」とポケットに手を入れて出てきたのはガラ携だった。


そばにいた加津恵さんに「これを撮って」とお願いした一枚。


画廊は一階と二階がギャラリーになっている。その壁は展覧会で作品を掛けた小さな釘のあとが残っていた。


今回の梅田恭子さん展覧会は繊細な、女性らしい作風の作品が一階と二階に釘で掛けられ画廊は「梅田恭子」の世界になっていた。


壁の釘跡は著名な、無名な作家さんたちの世界を菊川さんが20数年かけて世界を掛けた跡。それに心が動いた。


昨夜は家内と県立大学生の孫娘と三人で焼肉店「プルヒャンギ」で夕食。

年に一度か二度の焼肉。焼肉外食の日は尿酸値や肥満など健康的なことは考えない。好きなものを好きなだけ食べて、酒もたくさん飲む、最後はビビンバで腹を満たす。


「マル腸」と「ホルモン」をニンニクで食べる。「カルビ」や「ロース」はいらない。ウィスキーハイボールはジョッキで何杯も。ビビンバはコチュジャンで味をととのえて腹いっぱい喰う。農園に戻り焼酎コップ酒。


今朝からはいつもの「豆乳」「生野菜」「納豆」の毎日に戻った。一年後の暴飲暴食を楽しみに働こう。

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宝くじビンゴに突入!

8日の日記に以下のことを書いた。


🔶さきほど、美祢市から農園に戻る近道の藤ヶ瀬峠を越えているとき体型はオスのキジより少し大きい、羽はオレンジ色に見えた。尾羽は長かった、道路の真ん中で私を一瞬見つめて飛ばすに走って山に入った。手塚治虫「火の鳥」を思い出した。


読まれた岡本拓也さんから昨夜メールが届いた「ヤマドリの雄と思われます。見ることは非常に希なことです。宝くじを買ってください「ヤマドリ」で検索して確認ください」と。


まさに、そのオレンジ色の検索結果が出た。雑木林の薄暗い山道でまばゆいぐらいにオレンジ色が映えていた。


早朝、萩市から長門市に美祢市を配達。そのまま山口市内に入り、県立大学正門で宮田拓樹(ひらき)君た合流して鍵山記念館。重枝さん、徳重さん、加津恵さんと合流して菊川画廊。


梅田恭子展覧会に行った。


さきほど農園に戻り犬たちの世話を済ませ、これから山口市内に食事に行く。


「掲示板」は今夜戻って更新。

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あだち美術館更新しました

🔶「あだち美術館」更新しました


毎週、いまのところ欠かさず「あだち美術館」を更新している。その写真など差し替え用に、テーマでくくった写真に換算して20~30枚を用意(ストック)している。その写真整理はLINEアルバムやフォトなどを利用してほぼ毎日「更新」「削除」をしている。

観てもらえば嬉しい。けれども観てくださる人の数は気にせずに長年続けている。運転しながら、酒を呑みながら、布団のなかで「あだち美術館」の構想を練ることが楽しい。


更新するときは、つまり金曜日は湯田温泉「温泉の森」休憩室。入浴は10時から、Wi-Fi完備の休憩室は11時から使える。


サウナ室(三段)の最高峰の真ん中に座る。休憩室でくつろぐ窓際のソファも決めている。


きのう木曜日。下関から農園に戻ったとき話をする気持ちが失せるほど、愛犬の世話がやっとでブログ更新を済ませた。


その倦怠感からコロナ感染が頭をよぎった。さいわい家内が泊まってくれるので愛犬の世話も頼んで着替えもせずに8時前に布団にもぐった。普段は飲まないアリナミン錠も2錠服用。


2時に目があいたがやっぱり「だるい」コロナの予告編かと心配しながら寝た。


4時の気温は0℃。焼却ゴミを燃やし愛犬の散歩はヘッドライト。発熱はないが疲れは残っている朝になった。


サウナとジャグジー湯、寝て入れるお湯でさっぱりした。


写真は維新公園のメタセコイヤ。

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口コミだけの営業

農園にかかる「きのせ橋」の欄干に大きなヤマセミがとまっていた姿を今でも覚えている。カワセミはとまる場所が決まっているのでよく見かける。

さきほど、美祢市から農園に戻る近道の藤ヶ瀬峠を越えているとき体型はオスのキジより少し大きい、羽はオレンジ色に見えた。尾羽は長かった、道路の真ん中で私を一瞬見つめて飛ばすに走って山に入った。手塚治虫「火の鳥」を思い出した。


きのう下関市内のイタリア料理店から正志に「たまごを使いたい」と電話があった。韓国料理店「てじょん」から紹介されたと。

今朝「てじょん」でイタリア料理店を話題にしてお礼を申し上げた。


常々思っていることは、私がたまごを人に伝えようとしたら「広告・宣伝」になる。

今は引退された「浜勝」の元岡社長(お掃除大先輩)が農園を始めたときお祝いに来られた「いいですか、たまごの営業はたまごがするのですよ!」と強く手を握って激励してもらった。


テレビやラジオなど農園取材の申し込みがあったがほぼお断りしてきた。


てじょんのお母さんが「きのうオーナーシェフに会ったとき、おいしいたまごがありますよ」と話をしました。そのご紹介が嬉しい。今月末にご挨拶に行くようになった。


南風泊漁港から対岸造船所を撮った。

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ご縁の糸が絡み合う

機織りを教えておられる後藤さんのことを初めて知ったのは、金剛住機の木村社長夫妻を鍵山記念館にご案内したときたまたま来られた「浪花」のお嬢さんと木村さん奥さまの会話で、お嬢さんが機織りを教わっている後藤先生に話題がおよび奥さま機織り入門された。


しばらくして、後藤先生の古い機織り機(大きい)を譲り受けられ長府のご自宅で「鶴の恩返し」のように機織りに没頭された。お孫さん宮参りそれで織られた。染めたのはご自宅の桜だった。


木村さんのご紹介で綾羅木の後藤先生にたまごをお届けすることになった。その頃、私の古稀を淳貴君のパステル作品でポストカードをつくっていた。

後藤先生に豊浦支援学校三年生でパステル画を描いている生徒がおり仲良くなっている話題にしたら「淳貴君?」淳貴君が機織り生徒だった。

淳貴君が織った首巻きふたつは、冬の夜、農園で愛用している。


その後藤先生は阿武町奈古に教えに行っておられる。その「奈古浦地区」の古い街並みが素敵だと言われ行ってみたいと言うと機織り生徒さんに頼んでくださり「古地図」など地域の紹介パンフレットが私の手元に届いた。


その生徒さんと長門にドライブしたとき「ロールケーキが美味しい店があります」と長門市、金子みすゞゆかりの「大正館」でお茶になった「このロールケーキは、阿武町のペリッチョさんがつくってここまで配達している。とてもおいしいたまごを使っておられます」それを後藤先生が私に話され「そのペリッチョさんは農園たまごを使っておられます」となった。


きょう水曜日、綾羅木の後藤先生に配達に行くと「阿武町で麹菌をつくる人がおられ、その麹菌の人気を聞きました。ロールケーキの方のお友だちらしいです」


それは私が応援している吉岡享子さんに間違いない。享子さんと後藤先生のご縁を取り持つことにした。


さらに、その吉岡享子さんと私が出会ったのは10年ぐらい前、加奈ちゃんの天然酵母パン教室だった。発酵食品を学びたいので阿武町から通っていた。


加奈ちゃんプチラボは天然酵母のシュトレンがずらりとならび毎日それをもとめてお客さまがこられる。先日は周南まで買いに来られないお客さまに出張販売をされたほど。


加奈ちゃん「きょうのシュトレンは、常温で1月末にしているけど3月末ぐらいが発酵しておいしい」と。ずっしり重いシュトレンをお客さまから数本頼まれて買った。


ひとつ3045円 私あてにご注文くださればお届けします。


長府の藤中さん「あんたと5年か、30年ぐらい付き合っているような気がする」と言うた。私と同じ昭和26年(1951年)のご同輩。

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私の健康は弁当

ブログの「掲示板」末尾に、その日の弁当を数ヶ月前から載せている。


家内と私、京都の長女(照美さん)と宇部市の次女(真砂恵さん)でLINEグループをつくり毎日の近況で交流している。お母さんと娘の交流と言ったほうがあたっている。

私は話題提供ぐらいのつもりで家内が毎日(金曜日・土曜日と日曜日は別)つくってくれる弁当をLINEに毎日載せている。その「ついで」に掲示板に弁当を載せている。


前の仕事で出張が多く外食が多かった。昼は安く、早く食べたいので「うどん」や「ラーメン」が多かった。血圧もしっかり上昇した。


農園生活になり「倹約」と「健康」が目的で弁当を頼んだ。農園に家内が泊まった日は当日弁当。そうでない日は前日弁当。夏場は夕方、自宅に戻る前につくった弁当はクーラーボックスに入れて翌日をむかえる。当然冷たいがそれは平気で食べる。


景色を眺めながら木陰で食べるとき、狭い運転席でテレビを見ながら食べるときが多い。


とにかく減塩をいつも頼んでいる。


高血圧で運転中に意識を失った事故を見るたびに血圧管理はやっておきたい。


寒いこの時期、私の血圧があがる原因は「冷え性」足首が冷えるとあがる。そこでレッグウォーマーと貼るホカロンで対策している。

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あ掃除は笑顔になれる

夜中は2階の部屋入り口にマットを二枚敷いて愛犬2頭が寝ている。深夜に大きく「ゆきちゃん」が一度だけ吠えた。目が覚めたがまた眠りにおちた。

萩往還の疲れで熟睡できた。朝、吠えたわけを家内が説明した。

「ハッピー」がシッコに立ち上がり「ゆきちゃん」のヒモと絡まった。それを「ゆきちゃん」が吠えて教えた。


月曜日は5時過ぎに農園スタート。最初のお届けは岡本拓也さん。山口トヨタ店長時代から農園たまごをご紹介くださり、今でも山口トヨタ下関店や長府の「あらかわ電気店」にたくさんお届けしている。岡本さんご自宅お届けも地域の人たちご紹介で数は多い。


きのう萩往還の催し前に岡本さん近く、台道の上田さん(岡本さん同様で恩人のひとり)に年末ご挨拶に行く予定にしていた。岡本さんから「月曜日のたまごを萩往還のとき預かります」とメールが届いた。お言葉にあまえて、上田さんご挨拶のときに配達させてもらった。


今朝は6時半に農園スタート。ゆっくりできる月曜日になった。


写真は弁天池に10㍑水汲みに立ち寄った7時の夜明け。このあと大きな太陽があがると期待して待ったが、この色が最高潮で色は薄まってしまった。


JR「南大嶺駅」で朝ドラを見てから走りはじめる。その先にトンネルがある。近くに会社があり、そこの女性が「チリトリ」と「ガンゼキ」を持ってトンネルから掃除をしながら会社まで、かなりの距離の歩道を掃いている。その姿を見るだけで私は心があらたまる。


今朝、掃いている姿をみたいとき偶然目があった。笑顔で会釈をされた。私は嬉しくて手をあげた。

お掃除はやっている人、その姿を見た人も笑顔になれる。

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歴史探訪の楽しい半日でした

萩往還をこれまで2回歩いた。

萩市の梅林公園から明木・明木から佐々並まで。


松陰先生をはじめ維新の志士たちが踏みしめた歴史の道は、萩市から防府市三田尻港(ここから船出)までの約50㎞に数々の史跡が残されている。それをたどって楽しく学ぶ企画を新保さんがお世話係をされている。


きょうは「天花坂口」から「防長国境の碑」まで、とてもきつい坂道を仲間たちと和気あいあいで完歩した。


今回は「やまぐち萩往還語り部の会」松前了嗣先生をガイドにお願いした。

先生は長州の歴史をひろく、ふかく学んでおられる。新聞コラムや歴史講座もたくさんされている郷土の歴史家。


歴史を学者のように語るのではなく、学生時代に落研で喋りを身につけた話術で脱線しながら歴史を語ってくださる。

さらに、そのいでたちは金田一耕助のようで、松前先生ガイドの期待を裏切らなかった。

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今年初めての氷点下4℃ 雲雀峠

今朝5時、農園は0℃。萩市に下る雲雀峠は氷点下4℃だった。路面乾燥で安全に走れたが濡れていたら完全凍結のアイスバーンになる。


田床山(たどこやま)から見おろす萩市は箱庭のようで絶景とFacebookで何人かの投稿があった。その山の隣、陶芸村山頂からの眺望は知っているが田床山が気になっていた。


昨年の萩八景桜見物舟でお世話になりFacebookでお付き合いがはじまった梅津さん。


萩市の歴史に史跡はそうとう詳しい。話しは萩弁、Facebook投稿写真の添え書きも萩弁。


梅津さんに田床山登山口をメールでたずねたらすぐにお返事をいただいた。


原文貼りつけ「簡単です下関から萩市内に入り 松陰大橋を渡り右折すれば200mの所に「田床山 入口」と看板ありますょ かなりキツイですょ😃頑張って下さいご健闘を祈ります眼下に萩市内が一望出来ます‼️」


今朝、その松陰大橋を渡り登山口を確認した。そのあと、いつものローソンで会う愛犬家の男性とコーヒーで両手をぬくめながら会話。犬は尻の冷えを気にしながら座っていた。


山頂まで約1時間、僕はこの犬とたまに登ります。とにかく眼下は絶景です。


その絶景を見たいと思った。


写真は松陰大橋。

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寒風の秋吉台を元気に歩きました

写真はさくじつ(12月1日)の寿司・割烹「浪花」のブログ(https://sushi-naniwa.info/)から転載。


1日(木曜日)の早朝、いつものお届けのとき「大将!」とお声かけして手渡した品物をブログに掲載していただいた。


お茶をされる方や飲食店から「よい炭を紹介してください」と依頼されると地元の炭焼きさんに連絡して農園まで運んでもらいそれを配達している。年末で木炭の注文が多くなりお礼にと水曜日、農園に手作りオブジェを頂戴した。その上品さを見た瞬間「これは浪花にお届けしたい」と思った。


大将の荒川さんがそれを見た瞬間「これはぜひトイレに飾らせていただきます」と笑顔で言われた。そのセンスに「さすが!」と内心思った。


明日の3日、午後10時からNHK総合テレビで「発達障害と生きる」の番組があります。発達障害に分けられている人は、実は秀でた才能があることを内容にしています。


そのことは著名な数々の偉人でなくても、身近なパステル画の淳貴君や自転車の春樹君からよくわかった。なにを基準に「発達」なのか番組を楽しみにしている(録画)。


秋吉台のリンドウは9月から11月までとパンフレットに紹介されている。まだ咲いていると思って秋吉台を歩いた。

12月の秋吉台はとても寒かったがリンドウはむかえてくれた。


湯田温泉「温泉の森」でゆっくり、さっぱりした。体重は40年ぐらい変化なく65kg。

「あだち美術館」更新しました。お入りください。

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魚市場で念願のユメカサゴを買えた

12月の幕があいた。


クリスマスとお正月準備で「たまご」の需要が多くなる。けれども今月だけ「鶏」の数を多くすることはできない。くわえて早朝の路面凍結もあったり師走は農園も慌ただしい毎日になる。


今朝の唐戸魚市場。写真は6時半。


きのうはシケテいたので買い物をなかば諦めて市場に入った。入ってすぐの場所に馴染みのおばさんが小さな包丁で小さな魚をシゴ(処理)していた。そのかたわらにユメカサゴが山になっていた。

「ユメカサゴは初物じゃね」と声をかけたら「手繰り(底引き網)が戻ったからね」と。一本釣りとちがい底引き網の魚は格落ちかかもしれない。ユメカサゴはノドグロが生息する海底におり、ノドグロ漁のいわば外道扱いになっている。市中のマーケットにで見たことはない。下関市内の居酒屋など飲食店がすぐに買い取るらしい。


「そのユメカサゴひと山、半分をもらおう」と声をかけたら満面の笑みで13匹ビニール袋に入れたので「もう2匹!」と声をかけて商談成立。腹を出して冷凍できる。土曜日に来てくれる仲間数人に煮付けでだせる。


魚市場に通いはじめて5年ぐらい。毎週木曜日は市場をウロウロする。何軒か馴染みの店ができて魚談義を楽しめる。


6時半が魚市場。10時過ぎに松村御大ご自宅。12時は内日。加奈ちゃんプチラボベーカリーは1時半。約250㎞走って農園ゴールインは3時。

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