7月お付き合いありがとうございました

木曜日の疲れで早々に寝た。

どうも右足太ももがザワザワと何かが這うような気配で目が覚めた。薄明かりで長いムカデが太ももを移動していた。とっさに右手で力一杯の平手打ち、足からポタリと床に落ちた。部屋を明るくしてハエたたき(所定の場所)をとって殺した。噛まれてはいなかったが、ムカデの足に毒があるのか痛みが残ったので「ムヒ・アルファEX」を塗った。


数年前の夜中、背中にムカデがいたときはシャツを力一杯脱いだらシャツの中から出てきた。まごまごしているうちに部屋の中に隠れた。同居はしたくないので家探しで発見。大きな赤いムカデだった。


農園で生活するということは虫の声に鳥の声。四季折々の自然を満喫できる。

自然のなかで生きていることは、スズメバチやマムシにムカデにブトなど出くわしたくないモノとの共存。


私の勝手な思い込み、願望で「それらは私の周囲にはいない」と逃げていた。

数年前から「身近にいる」と思うことにしたら、それらを見たとき驚かなくなった「ここにおったか」という感じ。


深夜2時のムカデ騒動で目が覚めた。


6時前から8時半まで草刈り。シャワーで着替えて下関市。お昼前に戻って、12時半から3時半まで草刈り。

農園内外きれいになった。


国が応援するから国民は旅に出なさい。それに対して外出は自粛と各地自治体。普通に考えたら答えはわかる。


朝令暮改のようなマスク騒動。


国民の安全と安心を守ります。

嘘ばっかり。汚職議員や法の番人不祥事など数々の安心と安全はたしかに守ったが国民に公約したことは果たそうとしていない。


政治家の口先ばかりが日に日に露呈する日本は迷走を深めている。

いっぺん、とことん崩れて立ち上がれというご神意と私は思っている。


きょう大活躍した草刈機(ハンマーナイフ)を高圧洗浄して一日が終わった。


7月、ブログのお付き合いありがとうございました😀

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梅雨明け宣言が出ました

先週、唐戸魚市場は祭日で休場。

きのう穏やかな日よりだったので地元の魚を期待して6時半に着いた。アジはどの店にも多かった。

結局、大阪湾のイワシ(小さいが脂がのっている)が箱で出ていたものを計ってもらったら(2kgと少し)2つにわけてもらった。ひとつは差し入れ用。


手開きの刺身と揚げ物ができると家内に電話で伝えた。


8時前、魚屋さんに配達。今朝も魚市場で挨拶を交わした「なにを買ったかね」と聞かれたので「イワシを箱買い」と言うと「なんぼで買ったかね」とさらに聞かれたので金額を言うと「もしかすると昨日の残りかもわからん」と。


小イワシ箱の場合は4kgが相場らしい。買ったのは2kgと少しだったと言うと「どの店で買われましたか」と聞かれたので答えたら「ああ、あの店なら間違いない。今夜は刺身で楽しんでください」と太鼓判を押してくれた。


11月21日。韓国料理店「てじょん」で料理と民族音楽を楽しむ会をブログで発信した。今回で3回目になるかと思う。24席に21名の方が手をあげられた。前向き検討中がお2人。

今朝「てじょん」の駐車場を確認した。

食べて音楽を聴いて、みんなで歌う交流会を計画している。


4時前。農園に戻った。


梅雨明けの海峡ゆめタワー。


マスクを配布したい政治家はポケットマネーでやったらええ!

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明日は配達山場の木曜日 早く寝ることに

先週の火曜日。山口市宮野のお宅にあがりこんでステンドグラス作品を撮らせていただいた。

そのお礼をきのう申しあげて「一番の自慢作品は何ですか」と聞いたらスマホでその写真を見せてもらった。私のブログからこの写真を届けてくださいませんかとお願いした。夕方それが届いた。

庭庭に咲いた薔薇をステンドグラス作品に添えてみたと話された一枚ご紹介。


梅雨明け近いがむし暑さが厳しい水曜日だった。

豪雨災害の後始末は体力的、精神的にもさぞかしつらい暑さだろうと思うと「暑い」とは言わずに一日を終えた。


明日の唐戸魚市場を楽しみに今夜は早く寝ることに。

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中山神社が立体的になりはじめた

台道の上田さん(私を富士通OA機器につなげた方・松村御大と萩市の中学が同級生・東洋大学ラグビー)から早朝のメール着信。


明日のNHK番組午後10時半から「歴史秘話ヒストリア」は(だからあなたと歩きたい愛新覚羅溥傑と浩)が放映されると教えてくださった。


古川薫著「暗殺の森」を上田さんから拝借してずいぶん前に読んだ。それで終わっていたが、セミナーパークで何度か古川先生の歴史講演を聴講して暗殺された中山卿と背景が少し理解できた。それで終わった。


ところが下関市綾羅木に新規配達先ができた。そのお宅に行くには神社前を通過する。はじめての配達のときご挨拶参拝。中山神社だった。由緒を読んで「暗殺の森」「古川先生講演」がここでととのった。


古事記に登場する神々を祭る神社と、祭らなければならない(祟り)人を御祭神の神社があり、ここは中山卿を祭らなければならない場所だった。


神社境内に愛新覚羅溥傑の妻浩が立派なお社で祭られていた。


さらに、山口内で最近配達がはじまった奥さま。3週間ほど前の火曜日に「このアサガオは浩さんの…」と愛新覚羅溥傑をしゃべりはじめた。農園に「ホツマツタヱ」という本がある。北海道からご縁で農園で泊まられたご老人がその後に郵送してくださった書籍。読みはじめてもわからないことばかりで頓挫「よしの」に読んで感想を聞かせてほしいとあずけたら「よくはわからんが、たいした内容とは思わん」だった。

そのアサガオ奥さまが何度も「ホツマツタヱ」を言われる。中山神社に浩さんの社があると先週写真を撮って届けた。歴史ヒストリアもご存知だった。

今週の土曜日に中山神社参拝されると今朝聞いた。


中山卿と満州国を明日の番組で学ぼうと思う。


配達のときエレベーターは使わない。きょうの山口市内、生命保険会社はずいぶん前から4階から6階になった。

私は「これでより元気になる」と火曜日の楽しみ。その6階に上がったとき配達のお客さまがフロアーにおられた「歩いて上がられるのですか」と驚かれた。お掃除のおばちゃんは、毎週この階段でご挨拶している。きょうは3階の階段に腰をおろして水分補給中。各階のトイレと階段掃除がお仕事。


とてもむし暑い火曜日。元気に仕事を終えた。水曜日・木曜日・金曜日と下関市の配達が続く。

今夜は早く寝よう。

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今村明さんの思い出

きのうブログに女傑さんがコメントを寄せてくださった。

お返事をブログでさせていただいた。


今村さんお通夜に参列した。野球人生だったことが各球団からの花輪であらためてわかった(育てた部員それぞれにプロ野球人生)

棺の今村さんは専修大学野球部ユニホームだった。


野球部で頑張ってもプロになれる者は少ない。幼いころから勉強より野球をやってきた部員たちが、プロになれなかったとき就職先で恥をかかないように漢字や計算の勉強を練習後のお互いに疲れ果てた時間にやった。


いよいよ部員たちが社会に出ていく就職活動。会社訪問して面接など根まわし(アピール)は必要だった。朝から夜遅くまで監督は企業訪問した。

夜中に合宿所に戻ったら部員たちは賑やかにご法度のマージャンに興じていた。

全員を外に連れ出しひとり3回のケツバット。今村監督渾身のバットで歩行困難。骨折はしないように叩いた。

翌朝、まだ暗い時間に部員全員が頭をまるめて自宅前に勢揃いした。


ある朝、今村さんの畑で話に花を咲かせていたら中学生が横を走った「おい!」と今村さんは声をかけて止まらせた。短いやりとりで学生は野球部ピッチャーとわかった。今村さんは学生の前にしゃがんで靴底を見た。

そこらから投球フォームなど指導され終わったら「早よ行け!」と。


4月8日。催した「萩市浜崎を歩く」を「少し具合が良くないから」と欠席のご返事「農園まで来てください。あとはおまかせください」と今村さんを連れ出した。末期とは本人も私も知らなかった。

浜崎を歩いてめぐるときの表情が気になった。参加者みなさんと別れて昼食に誘った。頼んだ天婦羅が食べられなかった。


15日の夕方、今村夫妻が農園に突然来られた。美智子さんが「肝臓がんでした」と言われた。それも末期だと。


短いお付き合いだったが「人として」「男として」の生き方をたくさん教わった。


上の写真は下関「ふく宴会」下はかるた競技会でのご夫妻。


久しぶりに美智子さん

今年の7月は長雨。台風の発生がまだない。夜中は涼しいを通り越している。


9時半、防府市トヨタで愛車メンテナンス(3年と半分で21万km走行)。その前に山口市内で立ち寄り何ヵ所か。農園を7時半ごろスタートすればよい。


4時に布団をあげて日曜日恒例のゆっくり、しっかり掃除をはじめた。今朝は台所まわりに老眼鏡をかけて照準をあてた。


トヨタを済ませて帰り道に鍵山記念館。

先月、夫の明さん3回忌をおえられた今村美智子さんから「お会いしたい」と連絡があったので記念館になった。


毎週水曜日、今村家に10個を8時ごろ届けていた。元気な奥さまと大柄なご主人二人暮らし。

ある朝、無口なご主人が裏庭におられたのでお声かけした。この家は私の実家だったが、専修大学野球部監督を長年したので空き家になっていた。ここでゆっくり老後を過ごします。

毎週水曜日の8時は今村裏口椅子が用意され30分ちかくご主人の人生観を拝聴させていただいた。

私が俗っぽい話をすると無視された。部落差別がテーマの本を持って行ったとき「苦手な内容です」と返された。

けれども中国や韓国の、政治的なことには毒舌だった。けれども、韓国料理「てじょん」で酒盛りをしたときのスピーチで今村さんは涙をこぼされた。


玉名市の専修高校に野球部監督として赴任したとき、部員に在日韓国籍がいた。その部員がとくに可愛くて家族ぐるみで交流した。その部員を、韓国料理で思い出した涙だった。


国体の相撲選手まであと一歩だった今村さんが「てじょん」で相撲甚句を朗々とうたいあげられた。


昔し話にしばらくの時間がたった。


美智子さん、カルタクィーンを4年というのはいつでしたかと聞いた。18歳から21歳までだった。


専修大学野球部監督として東都大学野球大会優勝に導いたご主人の明さん。かるたクィーンを4年やりとげた美智子さん。


午後から草刈りに汗をかいた。

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政治家たちに期待するものはない

今朝の萩市向け、昨夜のNHKラジオ、高橋源一郎の「飛ぶ教室」を聴き逃しサービスを農園でスイッチを入れて走り出した。


一番の聴きどころは番組前の「つかみ」

今朝は10年前、同じマンションのフロアだった奥田瑛二さんとの子育て談義を紹介された。とても心に残った。


奥田瑛二さんは小学生のとき俳優になると目標を決めた。例えば、高校3年間ラグビーをやったのは役者として体力をつけておく準備だった。


奥田家には二人のお嬢さん。彼女たちが小学生になり毎年一回だけ父親の前に正座をさせらる儀式がはじまった。

子供に「あれをやれ」「これをやれ」ということではなく「おまえたちは将来何をやるのか」「その目標にきちんと向き合っているか」を真剣に話し合う儀式。


安藤サクラ(女優)安藤桃子(映画監督)と成長した。奥田瑛二さんはスキャンダルもあったが、それでも娘二人は父親を尊敬して羽ばたいた。


今回、高橋先生が読みとかれた一冊は、内田樹(たつる)・内田るい共著 街場の親子論 だった。


お嬢さん「るい」さんが、内田先生のお母さんを看取られた場面を解説される高橋先生の声が詰まった。私も涙がこぼれた。


法の番人が賭けマージャンの検事長・政党交付金(税金)かもわからない多額の選挙資金を党本部から支援さればらまいて当選した議員。必要のないマスクをごり押しで国民に配った総理大臣。


こんな政治家たちにほとほと愛想がつきた。

これまで投票に行ったが消去法。その候補者名を書くとき、この政治家がどれだけ国民のために働いたかわからないがしょうがないので書いた。


これをやめることにした。

この政治家に任せたいという人が出てくるまで白票を投じることを決めた。


昨夜、愛犬を夜のシッコに連れ出した9時ごろネコがいた。


10年以上前、痩せ細って足どりもふらふらの黒いネコがあらわれた。私が与える餌を距離を保って待っていた。

とても寒い冬の朝、5時ごろだった。うっすら積もった雪の地面に座り私を待っていた。ネコの周囲の雪はとけていた。

その日から軒下に餌場を決めた。名前は「おい」

数年、距離を保ったつきあいは続いた。ある朝、農園ちかくの道路でタイヤに踏みつけられた「おい」を見つけた。


次の「おい」の写真。

目やにや口のまわりがよだれで汚いネコが橋を渡ってきた。キャットフードと生卵などを与え続けているうちに健康を回復した。毛並みもよくなった。

2年と半年ぐらい前に農園を去った。理由はわからない。キツネなど野生動物と争ったのかもわからない。さびしくなった。


昨夜のネコが居着いてくれることを願ってフードを買ってきた。

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2時間ちかく昼寝がてきた

昨夜からの豪雨が午前中まで続いた。

雨で飛ぶことのできない農園ツバメは電線で雨をしのいでいた。しかしその数が多いこと。


小郡に雨のなか出かけた。農園から車で10分ぐらいの地域でサルの群れに出くわした。


早朝は落雷が多く「ゆきちゃん」不安で鳴き声をあげた「ハッピー」は部屋の隅でガタガタ震えて野良犬だったとは思えない軟弱な高齢犬になってしまった。


金曜日の夕方、雨はやんで青空がときおり顔みせる。

きょうは合計2時間ちかく昼寝ができた。明日は萩市の土曜日。元気にスタートできる。

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内日で雨があがった

木曜日、6時半は唐戸魚市場。けれども祭日で休場。

夏、脂ののりが最高で旬と知ったノドグロを来週、少し高くても並んでおればひと山買おうと思う。


きょうは会社など祭日でお休み。けれども配達は水曜日にお願いできませんかと問い合わせのお客さま(下関市内)にきのうお届けは済ませた。


私の都合で早く配達はできる。しかし、私の到着は国鉄時刻表のようにあてにしておられるお客さまは多い「その時間には家に居ろう」というルール。


松村御大、ご自宅にお届けして奥さまからコーヒーを今日もいただいて1週間分の話題が楽しかった。御大は息子さんたちとゴルフと。次は住吉神社。途中で豪雨に遭遇してコンビニ立ち往生は30分。


住吉神社の国宝特別公開参拝がかなった。国宝四点を簡単に観られると思っていた。そこは長門一ノ宮の格式があった。

社務所に拝観願いを告げると「お待ちください」と控えに案内された「あのう、拝観にお供えは要りますか」と聞いたら「それは要りません」とキッパリ。


私の拝観に神職がひとり付き添って本殿脇。ここで玉砂利に私が足を踏み入れることのお祓い儀式。身も心もしゃんとした。


下関から内日に着いたころ雨があがった。


⏹️来週、27日午後4時15分。BSプルミアム再放送。

  京都迎賓館「極める!京都の技とおもてなし」


日本の建築・造園・和食におもてなし。粋を極めた技の数々が再放送されます。ぜひご覧いただきたい内容です。

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愛車の走行距離21万㎞をこえた

きのう山口市内のお宅に上がりこんで撮らせてもらったステンドグラス。向かって左は玄関となりはご主人ご仏壇。


奥さまは地域のご婦人たちに人気のブティックを長年営んでおられた。その仕入れや支払いなど経理一切を寡黙なご主人が自宅でされていた。庭木の手入れ細々したこと全部を引き受けて奥さまはお店で活躍された。


4年前、体調がよくないとご主人が検査に行った。末期だった。


お店をたたまれてステンドグラス制作を趣味にされた。

ネット環境を持たれない「素敵な作品を大勢の人に紹介させてください」と言うと笑顔。

あつかましく部屋を暗くしてもらったりの大騒動でカメラにおさめた。

大勢のFacebook仲間が「👍」をしてくれた。来週はそれを見てもらおうと思っている。


明日は祭日の木曜日。きょうの配達を希望された下関市内のお客さまが多かった。

いつもと同じ行動ををするとなんの心配や不安はない。けれども、水曜日の配達ルートに木曜日のお届けを部分的にくわえることは、どうルートを決めたら時間的、距離的を考慮してお客さまの都合にそえるかの作戦を昨夜は紙に書いた。

作戦成功!ただし早朝3時起床と長丁場の運転で老体はヘナヘナになった。そのうえハイボール2缶(9%)を飲みながらなのでよけいに身体も頭も溶けはじめている4時。


明日は唐戸市場は休みで魚は買えない。少しゆっくり6時半ごろ農園スタート。


きょう愛車の走行距離21万㎞をこえた(3年と半年)。

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一輪の花に心が動いてカメラをむけた

部屋の掃除・朝食・犬たちの世話などを済ませて火曜日配達の準備を終えて農園スタート。

運転中にノイズが入らないネットラジオを聴く、音量や番組を指先で選べる場所にダブレットを置いた。

小銭入れと財布と携帯電話、それとカメラは定位置に置いているかアイドリングしながら確認した。


財布がない。足元に落ちているだろうぐらいだったが「見つからない」積み込んだ荷物をおろして車内をさがしたが無い。

財布には、わずかな現金と夢のロト6(ほぼ毎週1000円)一枚。カードが何枚かと運転免許証。この免許証がないのは一大事。


先日、一旦停止違反で切符をきられた。一年以内にも同じ反則で切符をきられた。このうえ免許証不携帯の追い討ちはご勘弁願いたい。

⏹️ゴールド免許証の家内はスピード違反で切符を頂戴したらしい。


1週間ほど前だった。草刈りに汗をかいて終わった。腰につけていた携帯電話ホルダーが無くなっていた。10年以上使ったので弱くなったところがあった。けれども携帯電話にはたくさんの連絡先がたくわえてある。

幸いマナーモードにしていなかった。家内の電話で草刈りした面積を歩きまわった。


川土手の下のほうから着信音が鳴った。

ここは河原から繁った雑木が川土手までひろがったので草刈機エンジンの回転をあげて、腰を振りながら伐採した場所。ここでホルダーが切れて雑木のなかに転がった。


財布をさがして部屋も捜索。


どこにも見あたらないのであきらめた。

とりあえず配達スタートして、早いうちに紛失手続きをする。今はそれしかできないと判断した。


お茶を飲んで気持ちをかえて運転と、運転席横に置いたペットボトルをとったら、下の狭い隙間に財布が少し見えた。嬉しくて神様にかしわ手をうって御礼申し上げた。

30分ほどスタートが遅れた。


もの忘れが多くなった。うっかりも多くなった。


木曜日からの連休。明日の水曜日から会社などお休みになるお客さまの対応で慌ただしくなる。


山口市内。高温多湿の火曜日でも咲きはじめの花に心がうごいた。

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動物は好き 犬はとくに好きです

美祢市の山あい。市から依頼があるとイノシシ・シカなど駆除に駆けつけた猟師さんが入院、世話ができない相棒(猟犬)を保健所に連れて行くことはできない。仲間の猟師さんに世話を頼まれた。その猟をされるお宅に配達に行った。


顔つきで不安がわかった。

ばあちゃんが居られたので事情を聞いた(お宅には4頭の猟犬)不安な顔つきの意味がわかった「おい!ここに来てよかったの!」と頭を抱いた。ばあちゃん、私が噛まれはしないかと不安な顔で見ていた。


犬が大好きなので配達先の愛犬たちとは仲良し。

トラブルがあったのは大型ダルメシアン。初対面で仲良くしたいと近寄ったら全体重をかけて飛びついてきた。私は転倒した。シャツが前足でズタズタに引き裂かれた。お詫びされるお客さまに、私のほうが平身低頭で謝った。翌週、シャツをプレゼントされた。


もうひとつは下関市内のマンション。はじめてのお届けのピンポンして開かれた扉からブルドッグが躍り出て私を押し倒した。悲鳴をあげたいけれど我慢した。犬は私に馬乗りならぬ犬乗りになりダラダラとよだれを垂らして顔を舐めあげた。これが「好きです」の表現かもわからないが、抵抗したら私の腕の骨ぐらい簡単に噛み砕くだろうとダラダラを受けた。


配達のたびに歯をむいて吠えまくるダックス。私の足に噛みついたので正当防衛で腹を蹴った。それで問題は解決した。


農園の愛犬

高齢犬(農園にきて12年)のハッピーは夏バテ。昨夜は家内が泊まったのでヨーグルトが夜食。


ゆきちゃん。元気いっぱいで夏をむかえている。

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草刈りあとを眺めると気持ちがよい

簡単な朝食は、モヤシラーメン・生野菜・納豆とバナナ。

処方された降圧剤がよく効いて、私にとっては低血圧ぎみの110と60を食後に測定。


台所と部屋と風呂・トイレの掃除。この時期の風呂・トイレ掃除は終わったあとの乾燥が大切。温度と湿度で黒カビがはびこる。湿気がなくなるまで乾燥タオルをつかって拭きあけだあとは窓を開放。2時間ほど換気扇をつけておく。


長雨でしげった草刈り。その仕上げは川土手になった。斜面に立って草刈機を使うので出てくる汗の量は多くなる。けれども長い川土手の斜面が散髪を済ませた風景を眺めると爽快感を味わえる。


イノシシが耕してくれた場所を小型ユンボで平らに整地。今夜、ふたたびイノシシが荒らしてくれるかもわからないがそれは仕方がない。

対策として魚網を張り巡らしているけれど、どこからか入ってくる。


6時すぎから10時すぎで外の作業は終わった。

シャワーで汗を流しおえたころ自宅から家内が到着。少し早い昼ごはんにしてもらい缶ビール2本を尿酸値を気にしながらグイグイ飲んでしまった。


1時間ほど昼寝がてきた。

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昨夜の訃報

21時に自動OFF、4時に自動ONに携帯電話をセットしている。

夜9時半に家内からのラインメールが知らせたのは母の一番下の妹(兵庫県)が亡くなったの訃報。享年87歳。長女の母と10歳以上も歳が離れている。


私が幼いときの記憶。母の実家(出雲)には寝たきりのお爺さんが暗い部屋で寝ていた。弟夫婦がその世話をしていたように思う。

9人兄妹の母は長女。貧しい家庭を支えるために松江の商家に奉公に出された。少しのあいだ鶴子(亡くなった妹)の子守りをしたことはある。


つまり、姉妹は共に遊んだこともない関係の姉妹。

96歳までの長寿だった母。あいだの兄妹はすべて亡くなりその妹が唯一の血縁関係だった。

生前、母は「私の葬式は家族だけでやってくれ。鶴子も高齢だから、知らせて来させたくはない。葬式が終わって落ち着いたころ知らせてくれたらよい」


今年は母の5年祭(金光教では節の年)

母の両親や兄妹の名前も知らない。実家の生計はどうなっていたのかなどを聞けるのは鶴子おばさんだけ。それを知ったうえでの5年祭をむかえたいと思っていた。それは叶わなかった。


母が私の父親のことを一言も話さなかった。

鶴子おばさんに10年ぐらい前に会いに行った。それが最後になった。

その後、電話で話してくれたことは母が語らなかった私の父親のこと。

「すすむ、あなたの父親はとても立派な人だった。私が幼いとき何度も家に来てくれて病床の父親を見舞ってくれた。それは丁寧な文字で書かれた封書(現金入り)が父親宛に届いていた。

獣医だったので牛肉が手にはいりやすかったかもわからないが、駅に大きな箱が届いた夜はすき焼きだった。家に来るときはネクタイ姿で帽子をかぶっていた。家族が、あんたの父親にとてもお世話になった」と。


もう、母の実家のことを聴く人はどこにもいなくなった。


写真は萩市浜崎のネコ。ここ浜崎と下関市唐戸界隈は野良ネコが多い。


川土手の草刈りをはじめた。4時間できれいになる。

午後から2時間しっかり汗をかいた。しっかり汗をかくとベルトの腰まわりにアセモができる。今年もそれが痒くてつらい。


昨夜、高橋源一郎先生「飛ぶ教室」私には衝撃的な内容だった。

「黒人」はアメリカで生きている。アフリカでは「ケニア人」など国籍でよばれる。

奴隷制度のアメリカ。黒人が黒人を殺して裁判になっても無罪「モノ」が「モノ」を殺しても罪にはならなかった。


関心ある方は「聞き逃し」でどうぞ。


萩市浜崎の顔役から今朝にらまれた。

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梅雨明けのような夏空だった

長女がご用をしている金光教太秦教会の奥津城に母を納骨させていただき京都に行く機会が多くなった。

京都駅に降りたったら「ここはどこの国だろう?」と思うぐらい外国人が闊歩している。


せっかくだからと神社仏閣巡りをいつもしている。

これが日本人の古都京都かといつもがっかりする。いわゆるインスタ映えを意識した撮影スポットが寺や神社にあくさんある。自撮り棒でスマホカメラを使う外国人の喧騒。


あの金閣寺は外国人のラッシュに押され流された。太秦から渡月橋は歩いて行ける。早朝にここだけは京都を感じることができる。

京都観光経済は日本人より大勢の外国人を迎えることに専念しているような印象を受けていた。


別府も韓国語と中国語の案内が多く、奇抜な演出のホテルなどは日本人は少ない。


コロナがクルーズ船で大挙して訪れる外国人。日本人より、それが日本の経済を支えてくれるという「インバウド政策」が絵に描いた餅だったことを教えてくれた。


日本の経済、とりわけ観光や外食は日本人が支える「質」だったが「量」になった。それがコロナでわかったと私は思う。

それと、政治家は「専門家」に丸投げして責任をとらないことがよくわかった。


負け戦を延々と続けた歴史がある。コロナが、あの歴史を経ても「まだわからんか」と日本に警鐘を鳴らしているように思う。


今朝は下関市内配達から始まった。

戻って午前と午後で4時間の草刈りに元気な汗をかいた。昼寝の大きなイノシシと遭遇した。


今夜も熟睡できる。

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ゆきちやんはムカデに反応する

先週の金曜日。尿酸値が高くなりおさえる薬を処方された。血圧も従来の薬でコントロールできないので処方を変えられた。


食事はとても減塩・菜食。お酒はもっぱら蒸留酒。よく歩く。それでも数値がよくない。肝機能数値はとてもよい。


薬はできるだけ飲まないほうがよい。それはわかっている。けれども飲まずに健康を害することと、服用してなんらかの副作用を心配することを秤にかけたら私は「服用派」


なんとなく以前の痛風を思い出させる足の親指の痛みの前兆があった。それがなくなった。

朝、運転前の血圧が110と70になった。


96歳の長寿をまっとうした母は、高血圧や様々な生活習慣病と生きて薬漬けだった。


昨夜、ゆきちやんが激しく吠えたので家内が階段をおりて明るくしたら作業場にムカデ。すぐ殺したが朝の話題。ゆきちやんはムカデ犬。


朝の唐戸魚市場。きのうは風がなかったので地物のアジなど期待して行ったがそれははずれた。

せめて脂がのった刺身ができるイワシとさがしたがない。アサリも買いたいものがなかった。


250㎞走り終えて農園ゴールイン。


きのう咲きはじめた一枚。

今朝の下関市内はセミの声がやかましかった。


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これで、ブログにお便り投稿ができます。お試しください。


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水曜日の走行は150㎞だった

豪雨の寝不足を昨夜は解消できた。

8時前には寝ていた。爽快に目がさめた3時半。体が軽くなった。


木曜日の下関市内配達先が多くなり、水曜日に木曜日が効率的に走れるよう、飛び地のお届け先を走っている。

小月で始まり長府、新下関界隈から富任を走り綾羅木。垢田を走り山の田。それからふたたび長府を走り神田から王喜でゴールになる。

きょうはじめて走行距離を計ったら150㎞だった。明日の下関から美祢市の本番コースは250㎞になる。


王司でお届けが始まった。先週の水曜日にお宅を探し場所は確認している。7時頃に玄関先にお届けした。

配達ルートは、一方通行や時間的な混み具合などを考慮して決めている。

午後、もう一度朝のお届け先の玄関先(少し狭い)に車をとめるルートを決めようと走った。少し狭い道幅の玄関先にとめることができる、その国道からの入り口を見つけた。

配達は、車をとめる場所を往来の人や車のご迷惑にならないようにできるかはトラブル回避や事故回避で重要。


スペシャルオリンピックス下関の拠点は「ちょぼハウス」10時に毎週立ち寄りスペシャルェッグ(農園たまごで活動資金を募る企画)会議。個性派熟女さんが歓待してくれる。チョボチョボと目的に向かっている。

石ころアートは販売して活動資金。松村御大の石ころも仲間入りしていた。


長府のカバ隊長。お客さまが来ないので趣味の世界でお遊び。

下関の芸術家たち😎

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豪雨で寝不足の火曜日をおえた

昨夜、月下美人が咲いたと桂子ちゃんから朝届いた一枚。いまがその時期なのだろう、ラジオでも月下美人が話題になってきた。


昨夜の豪雨。流れる濁流がゴウゴウ大迫力音響と屋根を叩く雨音が騒々しく完璧な寝不足で朝をむかえた。何度も雨雲レーダーを見ては豪雨の地域が無事に夜明けをむかえられるようにと思った。


昨年10月、商品名「どんなときもWi-Fi」を使いはじめた。

重枝さんに相談しながらダブレットを使いはじめた。目的はひとつ「ブログ」だった。

いろいろなアプリを使いこなすことができるようになった。契約5GBをこえないようコンビニWi-Fiなどを使っていた。


「どんなときも」を使いはじめて農園でYouTubeをGBを気にせず閲覧できるようになった。好きな歌手のアルバムを聴くこともできる。


最近、重枝さんにTwitterの手ほどきを受けた。

ラジオ番組に参加することはないが「#」は視野を拡げてくれている。


例えば、中国要人を国賓として迎えるか否か。

領土や領海で煩わしい隣国要人を国賓あつかいには私は反対。

けれども、新聞やテレビなどにはあらわれないさまざな声を垣間見ることができる「#」を使えるようになってよかった。


もうひとつ「どんなときも」の効用は、重枝さんに設定してもらった格安スマホを家内が使いはじめたこと。


今夜は2日分の睡眠目標。

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1200mlの水を飲んで水腹

きのう刈りおえた場所を眺めたら気持ちがよかろうと5時過ぎに行った。気持ちがよいどころではない、草がなくなり地面を掘りやすくなったイノシシがミミズをさがして耕してくれた。

草むらを放置してもイノシシ。草刈りしてもイノシシ。


球磨川が流域に甚大な濁流被害をだした。

農園は、ひとつの橋を渡らなければならない。その橋が厚東川の濁流で流されたのは70年前。農園の場所には6軒の農家がお茶を栽培していた。川霧があがるお茶には最適な場所だった。橋が流され濁流に洗われたこの地には大小の石が上がった。

農家の全部はこの地での生活を断念して各地に散った。


養鶏は臭い・汚い・やかましい。とさがした地域から拒絶されてこの場所にたどり着いた。

一面薮。地形を把握するために草刈機を1ヶ月ぐらい担いだ。7反(2100坪)取得しなければ農家、養鶏はできない法律がある。Googleの地図にも反映されない7反以上の草刈りを一人でやった。

次は、転がっている川からあがった石の撤去。元気な48歳だったからできた。


あの体験から、濁流からの復興はたいへんな労力と精神力が必要だろうと思う。

氾濫した前科の厚東川をこの時期になるとヒヤヒヤして眺めている。


朝から雨具で終わった月曜日。


カモンFM局の申さんから「2リットルの水を毎日飲んでください」と痛風対策メールが届いた。私のブログを読んでもらって嬉しかった。

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小雨のなか6時間草刈りをやった

農園すぐ近くの吉部八幡宮を会場に山口市掃除に学ぶ会が8時から催された。農園と周囲の耕作放棄地の面積は広い。梅雨で雑草が繁った。

 

きょうの掃除も数樂の会もキャンセルして草刈り三昧の日曜日を計画していた。

きのう藤野先生から「明日のお掃除は参加されますか」と立ち話。背中を押されて岡本代表に参加のメールをした。


掃除を終えた10時。農園にもどり小雨のなかやる気の炎で草刈りをはじめた。午後からの数樂の会は草刈りできない雨足だったら生徒になる気持ちではじめた。


午前と午後で6時間。ずっと小雨のなかでやりたかった面積の全部を刈り終えた。刈らなかったところには来年も咲いて欲しいネジバナ。


昨夜、高橋源一郎先生「飛ぶ教室」をハイボール飲みながら三回目を聴いた。

意味のない面接にうなずいた。前の仕事をしているとき面接をした。そのわずかな時間で応募された人を、会社にとって欲しい人材かどうかを判断できないと感じて面接はやめた。

高橋先生曰く「面接は、面接官がうなずくことを言えるがどうか」意味がない。


静岡県に管理者養成学校。通称「地獄の特訓」で知られている養成所からお誘いの手紙が届いた。末尾は女性の名前でとても具体的な内容が直筆で書かれていた。経営者にとってこの特訓で御社の大黒柱が育ちます。

大黒柱の養成にひとりあたり60万円ぐらいの見積書だった。


私の選抜で2名地獄に行かせた。


約2週間の地獄は、小冊子を丸暗記・夜中に50㎞歩くなど13日ぐらいの課題をこなしたら卒業。2名は約2週間で会社に戻った。


静岡県から夜行列車で早朝の会社に着くシナリオ。早い時間、掃除に会社に行った私に「社長!これから仕事を頑張ります」と抱きついた。


それから1週間。5時になって「社長、お先に失礼します」と抱きついた彼が言う「早く終わるんじゃ」と言うと

「パチンコの新装開店です」と笑った。


特別な環境で特訓を受けても付け焼き刃。ふだんの生活のなかで生き方を身につけことのほうが身につく。


45歳。宮崎から宇部まで歩こうと思ったのは。社員ふたりに、まるで犬をしつけるように人に任せたこと。二人にあまり意味のない過酷な体験をさせたことを反省した私の旅だった。


草刈りのとき「ネジバナ」が目についた。毎年、この花は刈らずに増やしている。

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源ちゃん先生とても学べる

高橋源一郎先生著「誰にも相談できませんみんなのなやみぼくのこたえ」木曜日のお客さまにプレゼントした。

きょう、ある人から高橋源一郎先生著「読む」ってどんなこと 新刊を頂戴した。


土曜日、5時半に萩に出るとき昨夜のNHKラジオ 高橋源一郎の飛ぶ教室を「聴き逃し」で再生してから出発する。萩に着くころ番組は終わる。


私の聴きどころは番組冒頭、いわゆる「つかみ」の2~3分を語る先生の語りがとても勉強になり深く考えることができる。


今朝は新聞人生相談コラムに届いた悩み相談をテーマにされた。

老境をお一人様でむかえている妹を我が家で生活するよう言った。経済的に不足はなく穏やかな家庭で同居人となった妹。しばらくして「こんな家にはおれない」と出た。どこに落ち度があったのかというお悩み。


高橋先生が幼少のころ、父親が何度も事業に失敗して父方と母方の実家で寝起きすることがあった。

母方の実家は商売をしており、使用人と家族は折り目正しい生活。居候にも部屋が与えられた。


一方、父方の実家は貧乏で親戚など同居人もおり雑然とした生活だった。ある夜、高橋少年は冷蔵庫をこっそりあけてアイスクリームを食べようとしたら、隣の部屋からおばさんが「私にも頂戴」と声をかけた。


母方の家で冷蔵庫をあけようと思ったことは一度もなかった。


母子家庭だった私は近所の家庭で育てられた。小学校にあがる前は琴芝の下町だった。タケヒゴをたくさん使って洗い張りの仕事・布団の綿を打ち直す仕事・植木職人・大工職人などの家を我が家のように出入りして育った。

私が居心地がよかったのは、母が一番嫌った綿の打ち直しの家。綿まみれになってその家の子供たちと遊ぶので「あの家には行くな」と言われても楽しいから通った。


きちんとした家柄の植木職人さんの家は窮屈だった。


大工夫婦には子供がなかった。私を我が子のようにしてくれた。ばあちゃんは、じいちゃんがこしらえた四角の火鉢(木の枠にブリキを張って灰を入れた)の前でキセルを叩いてギザミ煙草を楽しむ人だった。

本を持っていって読んでもらおうとしたとき、ばあちゃんは字が読めないことがわかった。


母は実の親ぐらいに親しくした。

小学校の高学年のとき母と大喧嘩をして家を飛び出した。行くあてはない。4時間ぐらい歩いてばあちゃんの家に着いたのは夜だった「すっちゃん泊まって帰れ」とむかえてくれた。あの夜、じいちゃんは自転車で母に「心配するな」と行ったと思う。


高橋先生のお悩み相談から、私の昔がよみがえった。


きのう通院は家内の車。駐車場から傘をさした。帰るとき雨があがり傘を玄関に忘れて農園に戻った。

お腹はすいていたお昼だったが「忘れ物を取りに行く」と家内に言ったら「あの傘はずいぶん使ったので」と止めてくれた。おかげで昼ごはんにビールのお供になって昼寝もした。


けれども傘一本が「ええんか」と囁く心のトゲになった。

忘れ物。取りにいけないほど遠くではない。片道30分を走らなかったのは家内の言葉とビールの誘惑。

さらに、取りに行かないことは相手に迷惑(捨てた)をかけることになる。


きょう萩市から長門市、美祢市に山口市を走り終えて農園に戻らず傘を取りに行った。待っていた傘が喜んでいるように思えた。


今朝7時。雨上がり、萩市の橋本川。玉江を背にして撮った。

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終日大雨の金曜日

呉明美(オ・ミョンミ)さんとのお付き合いは17~18年ぐらい。彼女のお祖母さんが亡くなられた年だから彼女が年数ははっきりご存知。

亡くなられた李雨陽(イ・ヤンウ)が豊浦近くの公民館でコンサートを催した。そのときゲスト出演が明美さん。


民族衣装を凛とまとい、カヤグム(琴)を演奏しながら何曲か歌いあげた。その最後は「涙そうそう」大きな瞳から涙がこぼれないよう上をむいて歌った。

お祖母さんご葬儀をおえて間もないとき。歌いながらお祖母さんが甦ったと話された。


民族衣装や民族楽器を丁寧に説明してくれ韓国が身近になった。


以来、いろいろな場面で彼女が活躍するお手伝いをした。ご実家は下関短期大学正門前の韓国料理店「てじょん」何年か前、仲間と貸しきって演奏と料理を楽しんだ。


11月21日「韓国の旅」と銘打って楽しいひとときを催します。定員24名で締め切りです。時間や会費などはこれからご案内します。参加を希望される方は早くてかまいませんからご連絡ください。

おおやけのご案内は8月ぐらいにしたいと思います。


彼女のブログは「オ・ミョンミ ブログ」で検索してください。彼女の人がら文章から伝わります。いちどご覧ください。


小郡で散髪を済ませ「配達に行くことができますか」とご紹介された嘉川のお宅を探した。

細くうねるような旧山陽道があった。その先にお宅はあった。農園に戻って配達コースに組み入れようとしたが今は無理という結論になった。

一里塚などが残る山陽道。いつか歩いてみたいと思った。


健康診断。前回の血液検査の結果は尿酸値がライン越え。それと血液中の水分量が足りない。つまり摂取する水分が少なく尿酸値も上がった。

痛風予防で朝夕の薬を処方された。

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木曜日をおえました なんとか

農園ツバメが大家族になりました
農園ツバメが大家族になりました

夜は焼酎、朝は納豆、夕暮れはハイボールが私の健康法。


月曜日・火曜日は雨具で疲れた。きのう水曜日は事故渋滞のなか配達は疲れた。


きょうは山の田交差点に近い場所で交通事故。救急車とパトカーが道路をふさいでいた。その近くに配達先がある。この状況でお届けは無理と判断してUターン。配達できない事情をお伝えした。


赤間神宮駐車場に車をとめて。道路をはさんだ本殿遥拝のかしわ手。唐戸魚市場の近くにとめることはできるが、遥拝と歩くことができるので駐車場。

市場に歩いて、もう少しで場内に入られる場所で生あたたかい風と空模様で「雨になる」と判断して小走りで車にもどり傘を手にした。それが役立つことになった。


きのうは好天だったから大きなアジかイサキをねらって場内を歩いたがそれはなかった。

カツオの半身とアサリひと山を買った。アサリは先週に比べてとても高かった。


お昼前、山の田交差点に近いところ(日ごろは混まない)で渋滞。配達先の近くで交通事故があり救急車とパトカーが止まって事故処理の真っ最中。お客さまに事情を説明して配達をスルーさせてもらった。


ハイボール3缶飲みながらFacebookとブログ更新。

ぼつぼつ唐戸の肴で焼酎がはじまる。

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事故の大渋滞で予定しなかったお参り

月曜日と火曜日は雨具で運転。雨具にこもる暑さと、雨の路面に気をつけて心身ともに疲れた。

今朝はいつもの軽装で5時半に農園スタート。2号線に出てガックリ「小月IC~下関ICの下り線・事故で通行止め」標識が点滅していた。


予想されることは、この先の小月ICからおろされる車両で小月バイパスや旧2号線は大渋滞。違法無線局のアンテナをあげたトラックがバイパスを避けて旧2号線に向かった。

私は小月の街中を何ヵ所かお届けして長府に向かうコース。長府までの渋滞の列にはいると配達に大きく支障になる。王司から山越で新下関に向かうルートにした。そのことで、JR並みの時間に間違いのない長府のお客さまにはご迷惑がかかる。


ふだんはお会いできていないお客さまに電話でご挨拶ができる口実(チャンス)の渋滞とコンビニに入った。コーヒーを飲みながらで焦ることはない。事情を伝えればよいだけのこと。ショートメール・メンセンジャーが使える方にはそれを使った。あとはお電話で事情を伝えた。


配達コースを大幅に変えた。

お届け先の事情、例えばお昼前からの勤務。お店の開店時間。午後所定の場所から受けとる方。事業所で夕方までに届ければ問題ない方。

この判別は、いまの人工知能を駆使しても私の脳ミソには勝てない(かも)。渋滞のおかげで、日ごろ会話をかわしていないお客さまと話せることができた。


渋滞を避けるルートを頭に描きながら焦らずにアクセルを踏んだ。


農園に戻ったのはいつもの2時すぎ。

くたびれたがやっておきたいことを果たした。


橋から農園の道沿い。雑木が枝を繁らせている。そのなかにはハゼもある。配達を終えてホームセンターでノコギリを買った。


このむし暑さでやる作業場ではないがやり終えた。上半身も下半身も汗。


渋滞を迂回して、いつもより1時間近くはやく住吉神社宮司にお届け。大祓詞を奏上される時間になった。神職の

後ろで唱和させていただいた。

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豪雨の火曜日は山口市内を走った

厚狭のお届け先できのう見つけた七夕祭り。この子の願いが叶いますようにと撮った。


2年前のきょうはじめてカメラを買った。tabletのカメラははじめのうちはブログ用で満足していたが、持ち運びやズーム機能を便利にしたい理由でカメラ店をいろいろ歩いた。

カメラとtabletの知識が乏しい私が店員さん相手に求める品は、言語が通じない会話のようなものだった。

その大きな知識の障害「Wi-Fi」店員さんは懸命にそれを説明しても「農園にWi-Fi電波はありません」と抵抗。この店では話にならんと別の店。またWi-Fiの壁にぶちあたる。

当時の私はWi-Fiを使う場所は山口県公衆Wi-Fiスポットかコンビニだった。


山口市「カメラのキタムラ」で「カメラ・tablet・使いたい」の単語を並べたら若い男性店員さんが「Wi-Fi心配ない・カメラからWi-Fi電波をtabletに出します・ワカリマシタカ」


目の前が開けた。カメラとtabletを友だちにすれば撮った画像をWi-Fiで送れることが。


明日のホーム画面。Wi-Fi機能付きで一番安い機種とはじめて撮った一枚を載せましょう。


以後、毎日10枚以上は撮っているから数千枚も撮ってtabletに届けている。削除する枚数も多くtablet本体には2000枚ぐらい残っている。


写真アルバムだったら整理しきれない枚数を、私の分類で整理している。けれども、それを見ることはなく意味がない。


きのう夕方、ブログ更新のときあらわれたタヌキは9%ハイボールのロング缶を提げていた。それを飲んだら夢の中に誘われた。床で寝ていた。

自宅に戻る家内が声をかけてくれてタヌキ呪文から甦った。


雨具を着こんで、雨の配達はとくに疲れる。運転アシスト機能はなにもない。せめてバックモニター機能は高齢者として欲しいと思った。

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ばあちゃんのつれあいがなくなった

美祢市の山あい、ばあちゃんのパートナー犬「コロちゃん」高齢犬になり、ばあちゃんの願いは自分より早く逝ってくれだった。

敬老会に行ったばあちゃん。出された弁当に手をつけずにパートナー。塩鮭やパスタなど目についたが、食べずに帰ったことを思うと黙った。

コロちゃんがきたときフィラリア駆除だけはやかましく言った。


ばあちゃんの願いどおりになって安心した。来週の月曜日はお線香をあげたい。


ブログ「先月の写真」更新がなおざりになっている。こんなことははじめて。1時間ぐらいでできるが「タヌキ」が出てくる。

🔶疲れているから酒を飲んでしっかり寝て、それからやれば30分でおわる。 さぁ飲もう❗

🔶ええわいや。お前のブログのメンテに責任を感じてどうなる❗

今、タヌキが私をコントロールしている。


今朝は6時前に農園スタート。

私の雨具は軽装備と本格装備があり軽装備で出た。それがはずれて大雨警報の豪雨になった。車からおりてどしゃ降りのなかを小走りするのは、もしものため本格装備を車に積まなかった私の責任。


さきほどからタヌキがハイボールを持って部屋を歩いている。

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小野田市のお宝にお会いできた

とても弾んだ気持ちで朝をむかえた。


清水千代美さんを「下関の女傑」と私は呼んでいる。女子バスケ現役のころ有名人。スペシャルオリンピックス下関のボランティア重鎮。デザインセンス抜群で大酒飲み。

小野田市刈屋で育ち、同じく小野田育ち、元カルタクィーン今村美智子さんの学校後輩。体育会系で今村さんには頭があがらない。


私の地名や人名好きが女傑の目にとまった。叔父の河本寅雄さんに会いに行くと絶対ええから。

きょうは、寅雄先生、大正15年お生まれ小野田竜王山ふもとのご自宅を訪ねる日。


私の自宅から歩いて近い西岐波小学校校長を最後に定年退職。以後の時間を小野田市内の旧跡や地名の由来などの調査にあてられ「ふるさと散策・小野田編」を自費出版された。

その定年時の在校生のなかに私の長男がいた。農園近くの元小学校校長の平山智昭先生とは校長仲間で今でもお付き合いされている。私は平山智昭先生の「僕らが授業の主人公」出版に関わった。


私は気の向くまま、興味があるものは深掘りしたい性分。先生は小野田市の南地域から北にかけて面を区切りながら隈無く歩かれた。それを地元のローカル紙に毎週寄稿され、その集大成としと出版を2007年に果たされた。


話が盛り上がりの最中に女傑のお姉さんが登場。期待したとおりとても有意義なひとときになった。まさに地域の宝物にお会いできた。

水墨画もたくさん拝見させていただいた。写真は長崎ではない。今は絶えたが小野田で蛇踊りがあった。


終戦前、師範学校在学中に召集令状。島根県三瓶山の山中で迫撃砲部隊の訓練に就かされた。沖縄に行く前に沖縄陥落。輸送船乗船に備えて迫撃砲のすべてに青竹を巻かされた。航海中に撃沈されても兵器は海上を漂うというシナリオ。


女傑から「ハマセンダン」にぜひ会ってくださいと背中を叩かれていたので、大濱炭鉱事故で殉職した人を弔う大濱神社の裏にある巨樹に行った。

昼間でも薄暗い山に階段が100段。足をとめたら薮蚊の大群がまとわりつく。とにかく写真は撮った。そうとう献血した。後日に載せます。


きのう美祢市 グルメと歴史ツアーのお一人が映画「劔岳・点の記」をご覧になった話題。新田次郎ファンの私は嬉しかった。DVD録画は二枚持っている。その一枚は下関市の方に貸し出し中。もう一枚、手元のものを彼女にプレゼントしたいと思い午後から作品鑑賞。


木村大作監督の最高作品と思う。その山岳映像とバックにながれる音楽はやっぱり感動に誘ってくれる。

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美祢観光とグルメツアーに添乗

農園お客さまお二人を私の得意な美祢観光とグルメの旅。


5時過ぎに農園を出て土曜日コース。萩市・長門市・美祢市を雨のなか急ぎ足で走り終えて10時の農園ゴールイン。自宅から来た家内の車に乗り換えて美祢市のスーパーマーケット「サンマート」ここの駐車場で11時が「旅」のスタート。


少し前に彼女たちが到着したので「よしの」うどん数々の秘密(こだわり?)をレクチャー。二人とも「ごぼう天・鶏飯おにぎり」の注文をかためて本日の入店一番乗り😀三人揃って「ごぼう天」と。次々に来店のお客さまを放ったらかしで店主が写真に割り込んだ😎


あらためて写真を掲載する。屋久杉のような神功皇后神社御神木にお二人はただ「すごい‼️」と見上げた。添乗員として「やった」とニンマリした。


厚保駅交流ステーションご案内。ここはトイレがきれいというスポット。地元の女性老人会が集まっていた地域交流ステーション。絵手紙の萬代さん、そのお隣の菅原さんなどが弁当をひろげて歓談。

「敬老会かね」とみなさんに声をかけたら「女子会❕」と訂正された。


神功皇后神社・白虎隊ゆかりの地にくわえて、今回は「桜に錨」の海軍シンボル(キーストン)が炭鉱遺跡として保存されている場所にもご案内した。


バルチック艦隊は黒煙をあげて日本海。迎え撃つ日本艦隊の煙突からは白煙。つまり無煙炭が日本海軍をささえた。その無煙炭は美祢市から。


うどんを終えて、加奈ちゃんお店の前を通過するときお客さまの行列。加奈ちゃんが「土曜日、開店に来たら1時間以上はお待たせする。できたら2時ごろなら大丈夫よおいちゃん」と言われたとおりだった。それでも店内はいっぱいだった。


美祢市の歴史とグルメツアー。お申し込みください。

ボランティアです。


NHKラジオで天気予報士の「伊藤みゆき」さん。私はファン。今朝、熊本県人吉市周辺の線状降水帯についての解説は聴いてよく理解できた。

熊本県人吉市を時計の短針にして8時。宮崎県延岡市は長針で2時の方向に線状降水帯が停滞しています。

市房山ダムが8時半に緊急放流ということは、ダムとして「水をせき止める」限界に達しており、流入する豪雨を、流入しただけ放流するという理解です。

ダムからたまった水を一気に放流するという意味とはちがうのです。

素人は緊急放流という表現に、下流は壊滅するとイメージする。的確な予報だと思った。

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たまったこと色々を済ませた金曜日

メールでお礼やお願い、確認など4時ごろからはじめた。

5時前、小雨は残っていたが夜があけたので愛犬ゆっくり散歩。リードで歩かないと藪に入ったり動物の糞に触れたりしてマダニ、感染病のリスクがたかくなる。

20歳ぐらいで「はなちゃん」は亡くなったが、晩年は治らない皮膚病に悩まされた。15kg以上あった体重が7kgになり全身の毛が抜け落ちた。


私の愛犬はフィラリアとマダニの予防は確実にしている。けれども山に猟ではいる犬は10種類以上の感染予防ワクチンを投与していると知った。

農園ちかくに痩せ細ったタヌキやキツネが出てくることがある。それは確実に何らかの病気にかかっている。その糞尿はコロナ並みに危険。


木曜日は家内が泊まる。今朝は昨夜の大盛アサリの出汁で玄米雑炊。


コーヒーを済ませ、やりたいこと山積みで金曜日をむかえた。

新規のお届け先の連絡を受けていたが、来週のことだからと連絡を先送りしていた2件。

地図で場所を確認してお届けの電話をした。


牧さんに郵送するDVD「駅・空港ピアノ特別編(2時間)」の録画。木曜日の松村貴美さん用にもダビング。


5月から11月まで愛犬2頭と彦島の村上棟梁愛犬の3頭分フィラリアとマダニ駆除剤を買う。1頭あたり4000円。半年分を私が一括で買うには大金。毎月買いにクリニックに通う。今朝も3頭分を買いに行った。


農園で使うお湯沸かしケルトが寿命。ホームセンターにドッグフードを買いに行ったついでにケルト購入。


プレゼントの書籍をアマゾン。私はローソン支払い方法しか芸がないので厚狭のローソンで支払い。レジで支払った直後に納品案内が手元のタブレットに届いた。


広島の「みっちゃん」こと村田さんの転居先をお世話した。お昼に新幹線厚狭駅で待ち合わせ。その前に、ふだんは外食しないが豚骨ラーメン。歳のせい、薄味がよいのでラーメン卒業と思った。


村田さんと厚狭駅で合流「まるき小月店」で松村貴美さんとも合流して村田さん新居?にご案内。

かじ取りは、水曜日のお客さま(お父さんがご存命なら100歳以上・鮮魚仲卸で顔役だった。松村御大も世話になったと言われる市場や地域の顔役)のNさんの娘Kさん、

今月中に空き家になる予定。そこに村田さんが入居。大家さんと村田さんの家賃希望も一致している。お引き合わせして私は農園に戻った。


写真は農園ツバメ「ツーちゃん」一家勢揃い。


元の専修大学野球監督、今村明さんのきょうは3年ご命日。

懐かしい。

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木曜日を走りおえた

きのう300㎞の疲れで8時前には寝ていた。朝4時、飲みかけの米焼酎ストレートがコップに残っていた。


5時半、木曜日を満載して農園スタート。小月・唐戸・豊前田界隈から彦島。山の田界隈を走り新下関界隈。菊川の内日を走り田部。吉田の茶房しみずを終えて美祢市をぐるぐる走りまわって「よしの」で終る。

きょうも歴史と健康談義で学ばせてもらえた。


写真はカフェギャラリー「とりのこ」


阿知須町長をされた三好さん。共存病院院長の肩書きもあった。

ひび割れたゴムの聴診器をテーブルに置かれて、テレビ番組で戦争体験を語られた。ニューギニア戦線に軍医として赴かれた。玉砕という名の壮絶な全滅。その極限のなかで軍医として負傷兵。手術する器具や薬品を失い瀕死の兵隊にほどこす手だてがない。食べ物もない。大勢の負傷兵にしてやれることはひとつだった。

消毒のクレゾール液を血管から針で入れた。その最後を看取った聴診器。


もう亡くなられた山口市のおじいさん。奥さまを亡くされて独り暮らし。話す相手がないので言葉が少し不自由になった。毎週の火曜日、6個を届けて玄関に座って会話をかわした。

山口42連隊から成就された。広島で乗船前に配られた衣類が夏服だったので南方に行くのかと腹をきめた。ボクは生きるために爬虫類や雑草などを食べた。人の肉だけは口にしなかった。


福岡県矢部村から満蒙開拓団に志願した三男坊の三雄さん。隣の家まで遠く出産のときは私が産婆をやりました。引き揚げのときその子どもたちは失くなりました。


中国戦線で戦車兵だった方。多くの武勇伝を私に話されるなかに民間人を巻き添えをしたことを少し話された。


木曜日の配達。おばあちゃんは満州から引き揚げ。当時は小学生。敗戦から1年後の9月に博多港にたどり着けた。

天国から地獄を味わったと話された。

ご健在なうちにその体験を聞かせていただこうときめた。


今朝の唐戸魚市場。買いたいアジなどなかった。アサリが900円。それと甘エビをひと山買おうとしたら、ふた山で100円まけるからとふた山を買うことになった。

アサリも甘エビもたっぷり。アサリは汁とバター焼き・エビは生で楽しんであとは唐揚げ。

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ハンゲショウをどうぞ

Facebook「下関市園芸センター」をフォローしている。毎日、写真と花言葉が届く。きょうは半夏生(ハンゲショウ)


7月の幕があがりました。いよいよ夏本番にむかいます。食べて寝て、日に何度かは大笑いして元気に過ごしましょう。


1年折り返しの初日。周防一之宮住吉神社宮司にお届け。きのうから善男善女がくぐったであろう茅の輪。明日のホーム画面に載せましょう。


そして1日(15日も)は、長府縁起焼きが恒例の「おはぎ」をつくる。人気商品で売り切れるので昨夜メールで注文しておいた(大人買い)

帰り道の立ち寄れるお得意先に配った。少し頑張って山口市内も何ヵ所かお配りできた。

今朝からの運転時間9時間半。燃料は20㍑つかった(走行300㎞ぐらい)


ゆきちゃん。昼間はユンボと軽トラのガレージに雨が降ったら、暑かったら入れるように繋いでいる。

ここに特大のクマネズミが陣取っている。強力殺鼠剤はある。パンや油あげに少量つけて食べさせると目的を果たす。

ところが特大は海千山千の強者らしく、あらゆる食べるものにはかからない。


忍者のように物陰を走る姿は何度か目撃している。それを狙って特大のアオダイショウが来ている。

ゆきちゃんにすれば日陰で昼寝どころではなく、気配を察知したら激しく吠えまくる。


餌で無理なら粘着シート。二枚の出費は500円。それも無駄になったかと諦めていた今朝。繋いだゆきちゃんがシートの方向に激しく吠えはじめた。

特大が粘着シートの上でもがいていた。一件落着!

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