ポポラスと私が大好きな綾町がつながった

きのう下関から美祢市。水曜日の下関の疲れが重なり疲れを感じていた。いつもなら金曜日はゆっくりできるが祭日の木曜日にお休みされた企業関係の配達で下関。

泊まってくれる家内に夕食献立を電話で聞いたらすき焼き。ハイボール・ビールに焼酎はある。少し目先を変えようと美祢市酒の量販店に立ち寄った。

店内を歩いて買ったのはチリワイン(赤)3㍑入り紙パックで1800円。洒落たワインより安くてパンチのあるチリワインは大好き。焼肉店を選ぶときチリワインがあるかも私の選択肢だった。


余談。第2回ブラジル掃除に学ぶ会に参加した。サンパウロ市内のスーパーマーケットでチリワインを1本が日本円で300円ぐらいだった。3㍑で1800円はサンパウロ価格。


グラスではなくコップに注いで何杯もおいしく飲んだ。


3時前に目が覚めたとき疲れがなくなっていた爽快感。ワインは私にはよいかもわからない。


7時前、長府シフォンケーキ「ポポラス」お届け。水曜日の早朝もたくさん配達したが追加で金曜日。

お店の壁に素敵な木彫り細工が目についた。オーナーお父さんは陶芸家。窯のまわりにたくさんの薪を積みああげ、それを彫ったものだと。どこに釜を構えておられましたか?「綾、宮崎県の綾町です」すかさず「郷田町長の綾町ですね」と言葉が出た。


宮崎県下の市町村、ほぼ全部の議会会議録を契約した。なかでも綾町は大好きな町だった。理由は、日本で草分け的な有機農業で町興しを成功させた。その当時の町長が郷田さん。

広域市町村でし尿処理組合をつくるとき綾町は辞退した。綾町の家畜や人糞に生ゴミはすべて町で堆肥にして農家に無料で配る。有機農業の町をつくると英断を下された。


役場近くに「ほんものセンター」と、いまでは道の駅とよばれる地元農作物直売店を建設。地下水を汲み上げて無料天然水。2階は素敵なカフェがあり綾城を眺めながらひとときを過ごせる。

人口30万人の宮崎市から車で30分。綾町は飛躍的に発展を遂げた。


ある年配議員さんから「恩人をさがしてくれんか」と綾町議会事務局で頼まれた。戦時中、治療で俵山温泉に陸軍の施設がありそこに滞在した。毎日近くの女性が見舞いに通ってくれた。

その女性の名前を私に告げて「さがしてくれ」俵山温泉の郵便局やお寺などさがしたがわからなかった。


ポポラスと綾町が今朝の大きな出来事。


そのあと南風泊「ふくの里」お届け。ここの女性は宮崎市内が実家。ポポラスと遠慮なく宮崎弁で会話ができると案内しておいた。


午後から草刈り。約3時間汗をかいた。


4月を元気に終えました。おつきあいくださりありがとうございます。

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雨の下関を元気に走り終えた

あすの午前8時。NHK総合テレビで「新日本風土記 走れ!私のローカル線」が再放送。

私の記憶では兵庫県の赤字ローカル線が廃線寸前。そのとき駅長に就任された方が黒字線に立て直した。駅舎のトイレ掃除が映像に出る。その掃除道具とやり方は「日本を美しくする会」に間違いない。

昨年、録画のDVDを鍵山先生にお届けした。


写真、今朝の寿司割烹「浪花」店内。

掛かっている作品は「海峡 船は少なくなった」石原忠幸さんの作品。

本田宗一郎に任された代表的な仕事は、最高級車NSXカタログ・ホンダSFロゴ。

銀座老舗の漬け物店「若菜」包装紙などがある。


石原先生とご縁ができた30年ほど前、スケッチの運転手をして杵築や小鹿田に別府などご一緒させていただいた。たくさん思い出がある。それは「人生の車窓」に。


この作品を菊川画廊で買った。現場に何度もお連れした。唐戸魚市場を定年退職され広島に居を移されるお世話になった村田美津子さんに差し上げた「下関」


20年近く広島生活の村田さんが長府に戻られた。そして作品を丁寧に戻してくださった。


お願いして浪花に掛けていただいた。私の手元にある石原作品四点。「海峡」のあと「岐阜県恵那」「大分県杵築

」「大分県杵築」と一ヶ月更新で掛けてくださるようお願いした。


祭日でお休みだった下関市内事業所を明日はもう一度の配達。

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しっかり生きた実感水曜日

きのう午前、山口市内の配達をしているときNHKテレビを聴きながら走っていた。自閉症の方が描いた作品と聞こえて鮮やかな色彩の動物たちが紹介された。先を急ぐけれどエンジンを止めて最後まで番組を見た。


1981年宮崎生まれの太田宏介さんは自閉症。2020年、大宰府に「ギャラリー宏介」を開くまでの経緯がざっくりと紹介された。

淳貴君の作品に魅せられてポストカードに取り組んでいる私にはとても興味深い番組だった。


水曜日の10時前は下関スペシャルオリンピックス「ちょぼハウス」私の目的はスペシャルエッグ。清水さん・田島さん・溝部さんに新本さん(淳貴君お母さん)との会話で私がきのう見た「ギャラリー宏介」を話題にしたら清水さんと新本さんお二人が「私も見た」と。


新本さんが太田宏介さんの素晴らしいホームページを見つけてくださった。お時間あるときにご覧ください。


https://www.google.co.jp/aclk?sa=L&ai=DChcSEwir2-iFoaDwAhVGaioKHSe6AO8YABAAGgJ0bQ&ae=2&sig=AOD64_0he-QDINMUgsa5J1Ctv33NUQaiyA&q&adurl&ved=2ahUKEwiT5OKFoaDwAhVBE6YKHRmbBscQ0Qx6BAgDEAE


連休で不規則な配達がはじまった。木曜日と金曜日と3日連続で下関方面。


ブログ「掲示板」は、私がその日にFacebook投稿した内容と、同日に投稿した内容を3年にさかのぼって紹介しています。毎日更新しています。

きょうの見どころは、2年前の4月28日に農園に着いた「ゆきちゃん」です。


きょうも大勢の人と「食」「健康」「趣味」「旅」など話題にベルトがかかった。藤中隊長と「人生の車窓」を話題にしたら読みたい。推敲しようと申し出てくださった。


太田さんの作品を載せます。

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階段物語

あすのお届け。下関市王喜にお住まいの神田(こうだ)さん。ご主人はセミプロ(私の評価)のカメラ愛好家。撮影を話題にしたら形相を崩して講釈がはじまる。

わたしも愛犬を「可愛いね」と言われたら物語を頼まれなくてもはじめてしまう。


たくさん機材をかかえて撮影場所に行くのは早朝と言われたので「なんで?」答えは、朝は風がないときが多い、花を撮るときは風で撮影したいものが動かない朝ですよ。


山口市の火曜日。加津恵さんの職場は6階ビルの4階。6階にもお届け先がある。いつもエレベーターは使わない。

4階にお届けしたら彼女は不在でも月末集金は職場の方から頂戴した。

6階にお届け。その方は昭和24年生まれ(私は26年)保険会社参与でバリバリ現役の女性。集金をさせてもらって廊下で健康談義。

新潟出身。母は雑貨を担いで行商していました。その母に連れられ歩きました。いま毎日1万歩以上は歩いて母のように元気に長寿をしたいと思っています。


階段を降りていたら加津恵さんが息をきらしてあがってきたので声援。

そのあと、大きなクーラーを肩に掛けた若い女性が階段をあがってきた「なんでエレベーター使わんのかね」と声をかけた「このクーラーがエレベーターでみなさんに迷惑なんですよ!」とマスクで笑顔は見えなかったが美人だった。


この階段。各階のトイレ掃除をされるおばちゃんとも仲良くなっている。


一ヶ月ぐらい前ショッキングなことがあった。

農園で一番草刈りに力を発揮する「ハンマーナイフ」のエンジンを焼き付かせた。

買ったのは15年ほど前。隣接の耕作放棄地、広い面積は普通の草刈機では手におえないので50万円で買った。手入れをしっかりやって15年前とは思えない新品の面影はあった。毎年2月にオイル交換などメンテナンスをしっかりやった。

それが、今年の2月はオイルを抜いて補充のときに他の用事ができた。ユンボなどすべてエンジンオイルの補充を済ませたと思っていたがハンマーナイフにオイルを補充していなかった。


今年はじめての草刈り。草むらを走りはじめて15分ほどで異音がしてエンジンが止まった。瞬間オイルのことが頭をよぎった。悪い予感は的中してエンジンが焼き付いた。


修理費用も大いに気になるが「うっかり」の失敗がずっと尾をひいては気持ちが落ち込んでいる。さきほどハンマーナイフが修理から戻った。


背丈ほどまで雑草が育っている。しばらく草刈りが土日の仕事になる。

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きょうの風

写真題して「きょうの風」

厚狭の新幹線より美祢側、つまり山あいに「大輝」の幟があった。

京都の長女(照美さん)の長男は未熟児で12年前に産院で家族に見守られての誕生。命名をまかされ家内と考えた「大輝(だいき)」小さく生まれたが大きく輝け!


いまはサッカーで各地に遠征。その前は相撲。命名の願いどおり輝いている。


「家内」と私は言う。

毎日新聞投稿欄に「家内」や「主人」は不適切との投稿があった。世の中には多様な考えがあると思った。

はっきり言うと「言葉狩り」私は「家内」をずっとつかってきたが、その言葉の裏に見下した気持ちは微塵もない。

「障害者」を「障がい者」と書いている。長年ブログを書いているなかで「障害者」の表記は不適切とお叱りを受けた。「家内」同様に「害」を全く意識していないが指摘を受けて以後は「がい」にした。


大型連休。鶏たちはそれに関係なく食べる、卵を産み落とすと営みは変わらない。休みの会社関係など日にちを変えてお届けをさせていただく。そのスケジュール調整が始まった。

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スペシャルオリンピックス下関行事に参加

10時半。下関市内「西京銀行」集合でスペシャルオリンピックス下関のみなさん。銀行のみなさんや支援者の方々が集まり地域清掃活動を催された。藤野先生の運転で桂子ちゃんと私の3人も加わった。


この催し、私にとって二つの大きな出来事があった。


きのう夕方、自宅に帰る家内をひき止めてスマホ画面にショートカットをつくった。家内の両足は外反母趾で歩き方が年々不自由に見える。そのキーワードで検索してゴールしたのは「フットケアマネージャー ヤマツル」そのホームページのショートカット。


清掃活動の呼びかけ人は田島太一君のお母さん。お母さんが私にご紹介くださった方は「ヤマツル」の奥さん。お嬢さんがスペシャルアスリートだった。

スペシャルエッグの「しんあい農園」をよくご存じで家内を診てくださいとよくお願いできた。


淳貴君のお母さんから頂戴した一冊〈今できる努力を惜しむな ある障害者の記録 藤田健一〉


書いている「人生の車窓」その車窓に〈孤独の挑戦〉という章をたてている。

重度の脳性麻痺、藤田健一さんの出版をお手伝いした「窓」を書いた。発音もうまくできない彼と長い期間付き合いながら刊行した。なにより原稿用紙に書かれた生い立ちの筆跡が美しかった。彼の支援者(女性)がぎこちない口述を浄書した。その年月は14年。

淳貴君のお母さんに「窓」の数々を推敲してもらっている。「孤独の挑戦」が私の手元にあるかと聞かれた。国会図書館には寄贈して受取書はもらった。しかし本はない。「きっと出逢えますよ」とお返事をいただいた。


今朝、淳貴君と清掃に参加されたお母さんから「どうぞ」と手渡してもらったのが藤田健一さんだった。

20年近く前、彼に会いに行ったがアパートを引き払っていた。そのあと東京暮らしで執筆したようだった。

図書館蔵書の廃棄のなかにあったらしく業者が保管していた。簡単にヒットしましたと。

奥付に彼のホームページ「孤独の挑戦」が記載されていた。


「あだち美術館」はフルートの長門さんからお料理の縄田さんに更新しました。掲示板も毎日更新しています。

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子牛を撮りに行った

昨夜届いたメールは牛農家の奥さん「子牛が生まれました」と。

この農家は雌牛を数頭肥育されて子牛を生ませる。一定期間育てたあと家畜市場に出して生計を営んでおられる。その出産予定日日は24日。ウシやヤギが大好きな淳貴君に写真を送りたいので「生まれたら教えてください」とお願いしておいた。


お昼前に撮りに立ち寄った。

母牛は2度目のお産。とても安産で約30kgで誕生。約1時間で立ち上がり3時間で乳房を見つけた。

農園に戻ってすぐにLINEで淳貴君を写真を11枚届けた。


午後から「車窓」の修正。

「阪神淡路大震災」「鍵山先生」「会社創業」の窓3つをお二人の方に目をとおしていただいた。とても入念に、我が事のように推敲してくださり頭がさがる思いでたくさんの朱筆に従い修正をした。


予想どおりに文章力が乏しいことを痛感。私が体験した出来事、つまり自分には理解できている事柄を文章で人に伝えることが未熟。

くわえて誤字脱字の多いこと。例えば「イエローハート」と頻繁に入力ミス。自分でいくら推敲しても見過ごすと思った。

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石原忠幸先生の作品

水曜日の下関市、長府や小月の通勤時間や通学時間は混雑するコースがある。早朝から早足で通り抜ける。綾羅木や山の田を走って、直接手渡しの長府に小月。済ませて美祢市。

近ごろ美祢市までに眠気がくるようになったので厚保付近で寝ることが多くなった。


夕方までに農園に着くが、木曜日がもっと体力勝負になる。水曜日は家内が泊まっていろいろ木曜日の準備をしてくれるが私は8時前には夢の中。

その水曜日の夕食はスタミナ注入の「焼き肉」といってもホットプレートで安い肉を焼く。今回の量は多かった。量とスタミナはどうなのか。木曜日の午後、菊川あたりからコンビニのトイレ通いがはじまった。

ホルモンを焼いてキムチとビールにどんぶり飯の若いときのようにはならない。


それで昨夜は寝不足。腹具合、今朝はよくなった。


写真は22日、下関市寿司割烹「浪花」のブログ(https://sushi-naniwa.info/)載った作品。石原忠幸という絵描きが1990年12月に描きあげた関門海峡「船は少なくなった」ここで石原先生と私の物語は長くなるので省略。


この作品が完成するまで常宿(宇部国際ホテル)と現場を何度も運転手をした。そのご縁もあり展覧会で買った。

下関掃除に学ぶ会の村田美津子さんが職場を定年退職で広島に転居されるときお世話になったお礼にこの作品を差し上げた。


その村田さん。いろいろなご事情で昨年ふたたび下関に居を構えられた。数ヶ月前「お受け取りくださいませんか」と海峡が私のもとに戻ることになった。


農園に石原忠幸先生の作品が四点揃うことになった。この作品と故人となった石原先生が喜ばれることは農園の倉庫で眠ることではない。多くの人に愛でていただける舞台づくりを任された気持ちなった。


寿司割烹「浪花」の荒川大将に先週たまごをお届けのときお願いした。石原忠幸先生の作品をお店のどこかに掛けてくださいませんかと。先生のプロフィールを紹介。ホンダNSXカタログをつくられたデザイナー。ホンダ「SF」ロゴもまかせられた。銀座のお漬け物「若菜」包装紙も手掛けておられます。

荒川大将「若菜」はよく存じています。


石原先生の四作品は一ヶ月更新で浪花店内でご披露くださることになった。

続編は岐阜県恵那市風景・城下町杵築二点。


しばらく落ち着いていたイノシシ。農園内ミミズを掘って荒らし回るようになった。地元猟友会が設置している箱罠ふたつに餌を入れに来られた。

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今夜は冷酒とイカにアサリでしあわせ

6時半に唐戸魚市場。先週はユメカサゴを買った。今朝のお目当てはコウイカとアサリ。もし半身があったらカツオ。写真のおばちゃんが大きなコウイカを並べていたので「しごしといて」と他の店を歩いた。ビストロまさオーナーシェフ家族(ご夫婦とお嬢ちゃん)荒川大将に魚仲店主などと挨拶を交わした。お店の人とも顔馴染みになっているので買わなくても大きな声で挨拶をしながら歩いた。大ぶりのアサリを並べている店で買った。

イカとアサリ。今夜は特別の日本酒を冷やしている。


人生の車窓「母のこと」を書きながら「おちょやん」を重ねてしまう。

27歳のとき宇部大空襲。焼夷弾が燃える火の海をひとり逃げた。33歳。ひとりで私を育てあげると決めて私を出産。どこをさがしても私の父親の写真などはない。それを聞くと「忘れた」と言うので聞かないことが母と私のルールだった。戸籍に「認知」した名前で父親はわかる。


車窓、最後の窓は子供たちだけに見せておきたい。私が調べたルーツを。


クーラーボックスを積んで農園ゴールイン。家内が魚市場を料理している。

明日はいろいろ予定がある。なかでも淳貴君ポストカードの作品10点を撮影に持ち込むまでに至ったことが嬉しい。散髪や温泉などもスケジュール。愛犬とゆっくり遊ぶことも大切なスケジュール。


うどんの「よしの」私には生き字引「よしの」。

長閑「のどか」について生き字引に教えてもらった。「峠」の漢字を引用して私の脳ミソで理解できるよう解説してもらえた。

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たくさんの人たちと会話のベルトをかけた

5時までにスタート準備を済ませた。

きょうは9時半ごろ到着。下関スペシャルオリンピックス「ちょぼハウス」で淳貴君お母さんからポストカード用作品を額入で10点お預りする用意に荷室を空けておくことに気を配った。


安岡のお宅。あす小倉の病院で眼科手術の奥さん。先週コロナ検査を受けて合格。日帰りとはいえ1時間近くの手術になり経過を診るため夕方まで病院で安静。しばらく入浴など禁止がある。とても不安で鉛を飲んだような表情に長話(聴く)になった。「来週、元気に会いましょうで!」と声をかけて玄関を出た。


歩行中に車にはねられ2ヶ月入院された奥さん。先週から配達が再開した。高齢でもありなかなか歩行が困難。ここでも玄関立ち話。

長嶋茂雄さんが「リハビリは嘘をつかない」と言われていますよと言って玄関を出た。


たくさんの人たちと個別の会話がしっかりできた。


1年前。水曜日に配達から戻ったら夕暮れまで草刈りをした。たった1年でそのファイトがなくなっている。

明朝からスタートの下関に体力温存を考える歳になった。


縄田牧子さんは水曜日の6時半ごろお届け。

そのあとFacebookに投稿された一枚が嬉しかった。

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気温27度はしっかり暑い

写真は山口市の「りんちゃん」最近とても仲良しになった。


昨夜Facebookの投稿を見ていたら「長閑」という漢字が読めなかった「ちょうかん」と読んでも意味がわからないが寝た。

3時に起床。すぐさまネットで長閑を調べた。読みは「のどか」とわかった。勉強不足が身にしみた。


昨年「はまゆう」の大きな種を萬代さんからたくさん頂戴して下関市から山口市まで配りまくった。その山口市が何かの理由で立ち枯れしていた。今朝の配達で農園からふた株サプライズ。お婆さんがとても喜んでくださった。


下関市植木ギャラリーで開催された「ふく展」に出品した淳貴君。関係者の来場を松村御大の芳名帳コピーをもとにお礼状ポストカードを全員に出した。細田さん大西さん萬代さんたちファン倶楽部面々は大喜び。大西さんから「宝物」と喜びが私に届いた。

淳貴君はヤギが大好きと伝えていた糸賀会長。ご多用のなか維新公園にヤギを撮りに行って私に「淳貴君に」と。さきほどLINEで淳貴君「やったー!クララに似ています」と喜びが届いた。


あすの下関「ちょぼハウス」で淳貴君の作品10点をお母さんから預かる。金曜日に写真撮影。私の古希の節目がかたちになりつつ。

人生の車窓もプリントアウトを終えた。あす綾羅木の「ハルさん」に推敲ボランティアに持ち寄る。まだたくさん窓がある。「長生炭鉱」「母のこと」「妻のこと」など。


今朝の起床は3時。暖房をつけた。6時半に農園を出るときも厚着。お昼前に人通りの少ないところで厚着を脱ぎ捨てた気温22度。パンツとズボンに長袖シャツそれだけでも汗が出た。3時は27度。ユニクロで半袖シャツを二枚買った。

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新緑真っ盛りですね

農園、今朝の気温は2度。愛車のフロントガラスは霜でバリバリ。


ミャンマーの報道を見るたびに胸が痛む。報道はされないがもっと多くの市民が弾圧下であえいでいる。

ボスニアやベトナムで力に屈しなかったリーダーが口にしたのは「彼らに正義はなかった」と。

圧倒的な戦力で屈服させようとする側は、屈服しない強い市民の力に屈服した。

中国の人権問題やミャンマー情勢。国際的な動きがおきてほしい早く。それを祈って手をあわせる。


ご高齢のお婆さんが玄関で私を待っている。その玄関に葬儀社の張り紙があった。亡くなった人は女性と名前で読んだ。そっと玄関をあけたらいつものお婆さんが座っていた「私より先に息子の嫁が逝ってしまいました」と。かける言葉が見つからない。


老夫婦。ご主人が1年前から施設に入られた。奥さんとかわす会話に少し違和感が何度かあった。代金の間違いや曜日など。

きょうは「娘です」と裏口から出てこられた「母が認知症の初期のようです」と落胆気味。


配達先でさまざまな人生と対面する。


きょうは岡本拓也さんか山できのう掘ったタケノコを湯がいたものに「どうぞ」と添え書きがあった。掘って皮をはいで米ぬかで煮るのは大変な手間仕事。調理する前までの「しご(方言で下処理)」をされてのどうぞをありがたく頂戴した。


いま新緑が映える。

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農園の朴(ほお)が咲きはじめた

左足の指、痛みがずいぶんやわらいだ。早朝、長靴を履いて愛犬と歩いてみた。靴のなかで指が動いてもそれほどの痛みはなくなった。

無理しないよう2時間ほど川土手の草刈りをやった。斜面で足に負担がかかっても大丈夫で嬉しい。


鶏インフルエンザ対策で鶏舎に閉じ込めていた鶏。一斉に今朝外に放した。やわらかい春の草を食べ、地面を掘ってミミズや虫をさがして大喜び。


朴の花が咲き始めあまい香りを放っている。


昼前から湯田温泉「温泉の森」休憩室で「あだち美術館」更新今週はフルートちゃんアルバムです。「掲示板」も更新終えました。

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足の痛みから解放された

きのうまで歩きにくいほど痛みがあった左足の指。ケア方法を指導されその通りをやっている。今朝、階段をおりるときまったく痛みがないことをしばらく経って気がついた。


配達から戻り「ゆきちゃん」と長距離散歩をしたが痛みがとれており嬉しくて小走りしたほど。


鶏インフルエンザがニュースにならない季節になった。鶏たちの運動場は春の草がしげっている。あすから放し飼いを再開する。


掲示板に細田さんFacebook投稿を載せた。先日の「ふく展覧会」にお運びくださり芳名帳に記入された。それを松村御大がコピーして淳貴君に渡したらしい。細田さん大感激の投稿。


写真。小雨の美祢市於福道の駅。遠方からのキャンピングカー。ご主人が洗面に行き帰りを待っている。車内では女性がキッチンで朝食準備のようだった。そばに車内犬が座って可愛い。


カメラ機能をいろいろ考えたあげく。カメラでできないことを役不足ながらタブレットの写真加工を使ってみようと思った。背景ボカシもなんとなく不満足ながらできた。

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整形外科など金曜日

整形外科を受診した。

約一ヶ月前から左足の真ん中の指に痛みがある。歩けないほどではないがズキッと痛い。


レントゲンなど検査結果を診察室で聞いた。足の指は全部弧をえがいて、つまり指先の接地面と付け根は上下に少し曲がっている。ところが私の痛い指は一本だけまっすぐになって指全体が接地面になっているとわかった。

骨や関節に軟骨はまったく正常だからケアでよくなる。それは痛い足の五本の指でタオルを掴む動作でよいと。


配達のときエレベーターは使わず階段。そのとき指に負担をかけたのかもわからない。


整形の医師は若かった。説明の言葉に「やらんばいけん」とか「ば」を使う「先生、長崎でしょう」と言い当てた。私の診たても大したもの。


先日、山口市内のメガネ店で一本オーダーメイドした。長年のたまごのお客さまという理由でこのお店。

少し不具合があったので昨夜連絡をとっておいた。病院のあとはメガネ店。現状で使って少し改善した部品を使いましょうとなった。山口市内の配達わずかな時間で対策できる。


次はカメラ店。いまの小型カメラは使いはじめてもうすぐ3年になる。背景をぼかす機能や水面の乱反射をとり泳ぐ鯉を撮りたいとかいろいろ欲がでてきた。

結論は、いまのカメラ機能をフルに使っていない。すべてオートに任せている使い方にも問題があることが理解できた。マニュアル操作を使いこなしてから一眼レフにステップアップすることにした。


農園に戻り解決したいもうひとつに取り組んだ。

15年ぐらい使っているビデオデッキの不調。番組をハードディスクまでの録画に問題はない。その録画をDVDに移行するときの操作「DVD初期化」ができない。といっても全くできないわけではなく30枚に1枚ぐらいは成功する。ヘッドクリーニングしても改善しない。

きのう日内の益本電気店に配達したとき新品デッキを買いたいと店主に相談した。年齢が85歳なのでデッキ取り付けは私が送迎する。

一晩考えた結果、できれば修理したいと電話をした。いま録画している番組でどうしてもコピーしたいものがあり換えるとそれができない。


人生の車窓「鍵山先生」「阪神淡路大震災」「会社創業」「菊川画廊」「徒歩の旅」「孤独の挑戦」六つの窓を書いた。お世話になった方々や失礼をしたままの人たちに思いを馳せている。

まだたくさんの窓がある。誰のために書いているか。当然私自身のためと思っていたが昨夜気持ちが変わった。

古希を元気にむかえられたことを「窓」に込めているなら神様と母の御霊に供えて御礼申し上げることが最優先。


コロナで太秦教会の大祭や霊祭は遥拝になっている。しかし9月18日の霊祭には参拝して母の奥城にも参ろうと決めた。


今夜からの「窓」はスペシャルオリンピックス。


淳貴君お母さん「玉ねぎドレッシング」レシピ。

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坂道の風景は好きです

昨夜、人生の車窓。疲れているが書き上げた車窓は「菊川画廊」書き終えるまでに電話やメールが頻繁に届き頭が冴えた。眠気が限界にきたのでタブレット電源を切った。

目があいたのは2時。次の車窓「徒歩の旅」を約1時間書いてから仕事をはじめた。とても冷え込んで夜露がおりていたが不用意に焼却ゴミを出せないのはイノシシ。数日前から夜の農園内を掘り起こしている。愛車のエンジンを始動させてハイビームとクラクション一発。それからヘッドライトをつけて焼却作業。


6時半。木曜日は唐戸魚市場。

大好きな夢カサゴは「立ちんぼう」と市場の人がいう元気なおばちゃんが並べていた。1000円で7匹がひと山「8匹にしてくれたら買う」のひと声で8匹になった。腹を出してもらうとき「頭が一番旨いから落とさんといて」と言うと笑顔で応えた。


今朝の連ドラ「おちょやん」つられて涙がでた。

藤原てい「流れる星は生きている」が過酷な徒歩の引き揚げをはじめた満州の新京。さらには「新京から列車で引き揚げた」当時7歳の少女だった配達先のおばあちゃん。

ドラマも新京が舞台になり、引き揚げ(難民)の苦労がわかった。


下関は坂道が多い。今朝目にとまった坂道が気にいったので車をとめて撮った一枚。


きょうも大勢の人とたくさんの会話をした。そのなかでも小田さんご紹介でたずねた美祢市の古民家ゲストハウスひまわり オーナーの矢田部沙季さんとのご縁はとても嬉しい。

中学教諭の前に見聞をひろめたいと海外各地を放浪。チャリで国内を放浪。萩市見島で教員生活に終止符をうって数年前から美祢市でゲストハウス「宣伝はしない」けれども宿泊者は多くなった。

おそらく独身30歳代とお見受けした。宿泊して盃を交わしたいと思った。

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ちょぼハウス通いは水曜日

下関市山の田。スペシャルオリンピックス下関の「ちょぼハウス」の開錠はバスで来られる清水さん9時40分ごろ。配達の都合で10時半にはハウスを出発しなければならない。

滞在中はポストカードやスペシャルエッグなどすすめておきたい会話がたくさんあるから到着を早くしたい。


今朝も5時過ぎに農園スタート。早く出るための朝食はパンと牛乳と家内が刻んだキャベツとバナナ少し。パンはピザなんとかとマヨネーズをつけた上に溶けるチーズでトースト。


7時前、長府ポポラスで笑顔のコーヒーを頂戴できた。


先日の夜、住吉神社鳴瀬宮司から「二黄卵(におうらんと言われた)」つまり黄身が二つの卵を孫にプレゼントしたいとリクエスト。それらしきものはわかるが割ってみないと。

その理を添えて社務所に置いた。


通学や通勤でこみ合う前、とくにスクールゾーンや時間帯区分などの規制がはじまる前に私は駆け抜ける。


9時半をまわったころ山の田到着。淳貴君お母さんハウスに歩いていたのでクラクションで手をあげた。乗せられないのは助手まで荷物満載。

開錠係が着くまで寒風のなかでポストカード打ち合わせ。私の古希にポストカード。みなさんのお力添えで歩みをすすめている。


もうひとつの古希は「人生の車窓」

鍵山先生・阪神淡路大震災・会社創業の車窓を書き上げた。きのう河上さんに両面で校正用にプリントアウトしてもらった。

それを綾羅木の読書家「はるさん」に推敲してくださいとボランティアで今朝お願いした。

最後は縦書きで原稿用紙にプリントアウトしたいので数字の扱い。それと文章が独りよがりで第三者には読みづらいなど朱筆も訂正も大鉈をふるってくださいと言葉を添えた。


秋に古希をむかえる。ささやかなポストカードで社会に恩返し。車窓で人生を振り返りお世話になったご恩やたくさんお礼を申し上げていないことなどに気づかせてもらえる。


ポストカードは6月までに完成させ。秋をゴールにたくさんの車窓を文字にしておきたい。


ちょぼハウス

向かって左は清水お嬢様・真ん中は太一君お母さん・右は淳貴君お母さん。


⏹️日記と掲示板は18時ぐらいまでに毎日更新

⏹️ホーム画面は6時までに毎日更新

⏹️あだち美術館は日曜日の夕方までに更新


このペースで囲炉裏の部屋をメンテナンスしています

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お昼すぎまで雨具の火曜日

昨夜の風雨はひどかった。

火曜日は山口市内を走るが週のなかでゆっくり朝を過ごせる。一番せわしいのは水曜日。5時に農園を出たいので2時でも3持でも早起きして動きまわる。つまり火曜日の夜は早く夢の中に入りたい。寝たら疲れはリセットできる。


インスタントコーヒー顆粒にお湯を注いでFacebook。きょうの掲示板に載せている田島太一君をアップした。

淳貴お母さんから拝借「自閉症の僕が跳び跳ねる理由」と「跳び跳ねる思考」活字の大きい「跳び跳ねる思考」から読みはじめた。東田直樹著。


表紙カバー写真、笑顔の青年が「障がい」とよばれる自閉症本人だったとすぐにわかり「しっかり読もう」と決めた。帯に「たとえ、うまく話せなくても、心には、言葉を持っているのです」に吃音だった私に読みたいと背中を押された。


ブログで書いた記憶はある。二十歳ぐらいから「か」と「た」行が頭につく言葉に出しづらくなった。会話や電話のとき「か」と「た」を使わない言葉をさがしていた。それが見つからないときは悲惨だった。

道に迷って田舎の郵便局「どちらから来られましたか」と聞かれて「徳山」と言えず「あっちから」と指をさしたときの恥ずかしさ。

家内のお母さん葬儀で挨拶を突然指名されて緊張の棒立ち。見かねた親族が「座れ」と言ってそれをやってくれた。私は小さくなって座った。


本の帯 心には 言葉を持っていた


日曜日に下関「植木紙店ギャラリー」を訪れてくださった糸賀社長と今朝のコーヒー。松村さんの描いた作品迫力と淳貴君の作品。両方よかったが淳貴君の楽しい雰囲気が俺はよかったと。


淳貴君の作品を日記に添えます。


掲示板更新終わりました。

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庄原市議会議員ご当選 林さんおめでとうございました‼️

広島県庄原市の市長と議会議員選挙投票がきのうあった。投票締め切り時間から気になって何度も検索したのは、酒飲み仲間の「林高正」さん。現役市会議員の彼が再選されるか否かが気になっていた。


神戸震災のあと金光教信徒大会が松江市であった。私が1月から4月まで避難所の運営を手伝ったことを40分ぐらい話すことになった。


それから数ヶ月あと。広島掃除に学ぶ会の快調井辻さんのお店モンテティーナ(並木通りイタリア料理店)でお掃除仲間の大宴会(そのテーマは忘れた)ワインでそうとう酔っていたら「足立さん」と声をかけてきた酔っぱらい「林と言います庄原市で掃除に学ぶ会をやっています。松江で講演を聴きました」と。あんたは金光教の信奉者かね?


酒と神様と掃除の三本柱で林さんと強いご縁ができた。


庄原市長の当落はネットでわかったが議員は出てこない。庄原掃除の仲間、熊本さん(愛称はラッキョさん)にメールで林さんの結果をたずねた。

当選されていた。


厚狭妙徳寺の境内に緑色の花があったので「あの花はなんといいますか」と聞いた。

御衣黄桜(ぎょいこうざくら)と教えていただいた。漢字から想像すると高貴な方の衣の色かもわからない。


人生の車窓を毎日書いている。

明日とか来月に来年などと計画することは楽しい。古希をむかえるこの歳になって人生を車窓を書きながら振り返っている。誰かに読んでもらおうと意識せず歩んできた道を眺める気持ちで。

私にご縁があった人たちが私をささえてくださったことが府に落ちてくる。


掲示板更新しました。

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パリコレのような一枚

日曜日は「あだち美術館」作品更新。

先週の清水千代美さんヨーロッパ編から長門昌代(フルートちゃん)にと4時前に手直しをはじめた。はやく済ませたいのは夜露がおりている時間安全にゴミ焼却をしたい。美術館は簡単に思っていた。

長門さんからは以前にLINEでたくさん楽しい写真を頂戴していた。それをダウンロードできないLINEの写真は一定期間経過すると扱えなくなることがわかった。賞味期限が切れていた。

来週の予定を繰り上げて加奈ちゃん投稿を急遽24枚掛けた。長門さんには「申し訳ない」メール。できれば再送願いたいと添えた。


きょうは下関市植木紙店ギャラリーで開催の「ふく展」淳貴君や松村御大作品を鑑賞。続いてバーバラマルシェ、売上金を社会活動に役立てるという企画。実行バーバラたちはスペシャルオリンピックス下関の面々。


徳重桂子ちゃん9時に農園。家内と3人で厚狭に向かい淳貴君ファン倶楽部の萬代さんと合流してのドライブ。


焼却ゴミに火をつけて。コーヒーを飲みながら「人生の車窓(会社創業編)」をはじめた。28歳で起業して48歳で退職。その退職理由を書くとき答が見つからない「辞めたことに後悔はない」と結んだ。


次の車窓は「菊川画廊」


下関の帰り道はお昼になった。食事に立ち寄ろうとしてもどのお店も満席。長府の「ビストロマサ」は2日前に予約をしようとメールしたら満席。

とうとう萬代さん見送る厚狭に着いた。お別れして「ホカホカ弁当」で天丼を買って農園ランチになった。桂子ちゃん77歳のお父さんとのふたり人暮らしぶりを聞かせてもらう時間になった。

きのう掘りたてのタケノコを家内が地域の方からたくさん頂戴。昨夜は灯油ストーブに寸胴鍋をかけて下ごしらえ。その茹でたタケノコなど桂子ちゃんのお土産になった。


リフレッシュできた日曜日。


写真はマルシェで麦わら帽子の下にとバーバラたちにすすめられて買った。

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人生の車窓 きょうは鍵山社長編

温泉の森はいろいろなジャグジーがあり、私が好きなタイプはふたつある。

ひとつは両足裏めがけてかなりの勢いで噴出する泡。一回3分。それをあてる場所をかえながら3~4回。お湯は胸の位地ぐらいあり持つ手で体を支えて首までつかりああ快感!

ひとつは「寝湯」浅いお湯に横になり手足をのばしてステンレス枕でゆらゆら。ほんとうに寝てしまう。30分も楽しんだら手足の先がほとびてシワシワになる。


サウナはひな壇3段。牢名主のように一番熱い真ん中の最上段が私の定位置。テレビを見おろせる。15分以上汗をかく。出て冷水に入る度胸はない高血圧。


休憩室は窓際の足がのばせるタイプ。金曜日はアルコールフリーが250円。館内Wi-Fiに接続して楽しむもよし寝るのもよし。これで1000円は価値がある。


余談 田舎の道の駅温泉も安くてよい。けれどもひとつ、休憩室でゴロリとして寝ようとしたら四方八方からゆるんだオナラが聞こえて😀


昨夜は温泉効果もありしっかり寝た。


土曜日は萩市。6時から市内を走りまわる。その萩市にくだる雲雀峠は氷点下3度まで冷えていた。きのう雨がなかったが路面が濡れていたらノーマルタイヤでは走ることはできない。


萩市から長門市にむかう三見から絶景の日本海。


午後から「人生の車窓 鍵山社長編」を3時間で書き上げた。

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とても気持ちが落ち込んだ

昨夜、唐戸魚市場で買ったイワシ5匹は刺身とイワシ丼(小さい茶碗)になった。今が旬のアサリは貝汁。刺身はオリーブ油で、丼はニンニク醤油を少したらした。

缶ビールふた缶と芋焼酎お湯割で疲れを意識するほどになった。靴下は脱いだが「寝らしてくれ」と家内に言って夢の中。


10年ぐらい前は木曜日から戻って星が出るまで草刈りをしても平気だったが古希をむかえる高齢者らしいダウン。日記はなんとか更新した。


今朝4時前に疲れをリセットできて目が覚めた。部屋が冷えている。夜露がしっかりおりていたので昨日集めた採卵室の汚れた新聞紙、一輪車山盛りと汚れたり破損したたまごパックなどたくさんの焼却ゴミに火を着けた。夜空を焦がすほどの火柱があがっても夜露がある。


愛犬と歩いてから朝食。金曜日は温麺のソーメンと野菜に納豆とバナナが長年私のリクエスト。


写真の草刈機ハンマーナイフ今年の初登場。注油ヵ所にしっかり油を入れてエンジン一発で始動。

その10分後に悪夢がおとずれた。2月の末にユンボとハンマーナイフのエンジンオイル交換をした。それが、ハンマーナイフはきっちりオイルを抜いてオイルを入れることをやっていなかった。エンジン焼き付いてとまった。


ユンボは軽油にガソリン給油して大失敗したこともある。


今朝の大チョンボには気持ちが萎えた。これから加齢でこんな失敗が続くのだろうかと。ハンマーナイフは買い求めた農協がレスキューに来てくれた。


10時過ぎに湯田温泉「温泉の森」しっかり汗をかいて休憩室。約4時間ほど長椅子で足をのばしてタブレット。人生の車窓「阪神淡路大震災編」を書き上げた。


書くことで忘れていたご恩をたくさん回顧できた。あらためて生かされてきた私がわかった。


次は「鍵山先生編」に入る。


掲示板更新おわりました。

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淳貴君3年生がはじまった

きのうFacebookで「友だち申請」が届いた。

長野県在住の高齢と見受けられる男性。私の友だちとも「友だち」になっていた。メッセージも添えられていたので「よろしくお願いいたします」とメッセージを添えて申請を受けた。

その男性から今朝届いたメール(メッセンジャー)は「あなたはゲイに興味がありますか」だった。イギリス在住の日系人大富豪の女性から「夫の遺産」とかアメリカから豊満写真つき美人から友だち申請などあの手この手。けれども「ゲイ」とは驚いた。即座に「ブロック」した。


木曜日の6時半は唐戸魚市場。先週買ったおばちゃんが「コウイカ」を並べて「兄ちゃん」と誘ってくれたが「じいちゃん」は他の店でイワシひと山とアサリを買った。


淳貴君のお母さんから「3年生がスタートしました」と今朝の写真とメッセージが届いた。


さきほど4時前に農園ゴールイン。満載のたまごをお届け。加奈ちゃんパンもたくさんお届け。心地よい疲れ。


掲示板更新します。

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スペシャルオリンピックス「ちょぼハウス」から学ぶことたくさん

スペシャルオリンピックス下関「ちょぼハウス」10時の面々。

左端から、田島太一君のお母さん・黒柴「てつ」のお母さん小坂さん・今週の「美術館」主人公の清水さん・新本淳貴君のお母さん・いつも笑顔で手づくりの差し入れ頴原さん。隣の部屋では淳貴君がゲーム中。

清水さんが手にしているドライフラワーは美祢市の萬代さん提供。


昨夜「書家・金沢翔子」番組を録画したDVDを見つけた。数年前に録画しながら番組を観た記憶は、彼女が「世界中の人がダウン症だったらよいのに」と語った?ダウン症の人は競わない、比べないという生き方ができるらしい。

田島太一君はダウン症。LINEでお母さんに「明日のちょぼハウスで差し上げます」と伝えてからDVDを観た。


翔子さんの母親が出産後の日記に「きょうもできなかった」と綴っていたできなかったことは、あやまって浴槽に落として死なせてしまったと警察の調書に記すストーリー。この子をどう育てたらよいのかわからない毎日。


その翔子さん。30歳をむかえて母親から巣だってひとり暮らしを始めた。得意のカレーをつくり生きていけるようすまでを60分番組で紹介した。


ちょぼハウスでの会話。

ダウン症の人は鼻が低い、両目の間隔がひろいと顔つきが似ているではじまった。私も配達のときバス停でスクールバスを待っている人や通勤のダウン症と思われる顔つきの人をみている。週で数えてみると5人ぐらいみている。

ダウン症の太一君のお母さんが「それがみえない人もいる」と言うと、淳貴のお母さんが「そうですね、妊娠してはじめて周囲に妊婦さんをがおられると意志しました」と。


そのことに関心がなければ「みえない」ことになる。もっと「みてもらう」「関心をもってもらう」にはどうすればよいかの手だてを考えてやってみることに気づかされた。


古希の「人生の車窓」

阪神淡路大震災から書き始めた。きのうのブログの表題に間違いがあるように(訂正する方法を知らない)誤字脱字や書いた私には理解できても読み手には「?」を推敲してもらえるボランティアにアンテナを張ったら読書家で頼めそうな人がひとり。

それが水曜日のお届け綾羅木の「はるさん」今朝、車窓のことを話して朱筆ボランティアをお願いして快諾を得た。


修理を済ませた愛車は快調に水曜日を走った。


掲示板更新しました。

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愛車がなりました

火曜日の農園スタートは6時半でよい。


私の古希は「お礼」がテーマ。人生の車窓を書き記してお世話になった人たちを思い起こすことをはじめている。

今朝は6時までにすべてのことを済ませて30分タブレットの原稿用紙にむかうことができた。


記憶の底に沈んでいた場面が甦り、その場面で「失礼しました」「ありがとうございました」と伝えていなかった私をかえりみることができる。


防府トヨタの伊藤さん(農園担当)から嬉しい連絡。水曜日の仕上がりが早くなり夕方納車します。


修理を終えた愛車がさきほど(18時)に農園に戻ってきた。明日から立体的に荷物が積める。財布や傘に雨具など定位置にしまえる「おちょやん」も見られる。


きのう厚狭のさんちゃん「人恋しい」ならぬ「ネコ恋しい」状態だった。


明日は「ちょぼハウス」の水曜日。3時起床で5時すぎに農園スタート。


掲示板更新します。

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月曜日は加奈ちゃんとたくさん会話ができる

2週間前の金曜日。私の愛車で周南市方面に出た正志が追突された。100対0でこちらに過失はない。すべて保険会社と山口トヨタで事故処理は終わった。

修理するための代車が時節柄(引っ越しなど)出払っている。

先週の木曜日(4月1日)に代車が農園に到着。愛車を修理に出した。


納車は7日、水曜日の夕方。その日まではなんとか積み降ろしに手間をかけて配達をする。木曜日は代車の荷室で積めない。たまごの箱を立体的に三段。さらに積めるようオリジナルの棚を15年前につくり、車を乗り換えるときはこの棚が積めることが発注条件だった。


事故の修理・冬タイヤから普通タイヤ交換・オイルとエレメント交換・愛車がリコール通知が届きその対処などを済ませる。


きょう月曜日。代車で積み降ろしはストレスになった。


いつもは8時前、コンビニでコーヒー飲みながら「おちょやん」を見ているが代車では見られない。月曜日から水曜日まで農園ビデオデッキに録画予約した。


「あだち美術館」主人公の清水千代美さん。そのお孫さんがYouTuber「栃木県県警」に可愛く出ています。


https://www.youtube.com/watch?v=8BSGnsMS9lY


加奈ちゃん。お店は月曜日お休み。8時過ぎにたまごはお届け。仕込みの真っ最中。

毎週、この月曜日に加奈ちゃんと会話がはずむ。

毎週水曜日限定のピッツカンパーニュは2個限定。宝くじぐらいの確率になっている。その理由を聞いた。

こだわりの食材をたっぷり使うから、2個つくるだけしか仕入れが整わない。

そのディスプレイ用のカンパーニュで加奈ちゃん笑顔。メガネがかわったかな?


今朝は寒の戻り。おまけに強風で寒かった。


掲示板は過去の「本日Facebook投稿」を載せています。ぼつぼつ掲示板らしくリニューアルしたいと思っています。

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人生の車窓をはじめた

田島太一君。

お母さんの添え書きを原文紹介。


108ピースから300ピースのパズル🧩が出来るようになりました。108ピースは、最初の頃2〜3日かかってましたが、繰返しすることで、慣れると20分位で仕上げます。


この体勢は、ダウン症ならではの体の柔らかさです。とても羨ましいです🤣


わからないことは聞いておこうと昨夜お母さんにLINEで問い合わせた。

①ダウン症の人はどうして体が柔らかいのですか。

②ダウン症の人はどうして顔つきが似ているのですか。


お母さんから「よい機会ですから調べます」と返信が届いた。


映画「僕が跳びはねる理由」自閉症者の日常と成長。

近くで上映があれば行きたいと思って調べた。最寄りは福岡市内だった。

昨夜、淳貴君のお母さんからLINE。その原文


「こんばんは。今日のブログにあった『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』の東田直樹さんの本が数冊うちにもあります。残念ながら続編になりますが今度持って行きましょうか」

水曜日のちょぼハウスで拝借のお願いをした。


昨夜から書き始めた「人生の車窓(阪神淡路大震災編)」書くポイントは人の名前を多く出す。批判めいたことは書かないの2点。


コーヒーを何杯も飲みながら、その次はハイボールを飲みながら神戸を回想しながらタブレットのメモに書きすすんだ。

下関から「ふく鍋隊が神戸に炊き出し3回往復」の新聞記事を読み、当時は唐戸魚市場専務取締役で「ふく鍋隊責任者」の松村さんに「4回目もお願いします」と電話をした。

そのとき、松村さんと萩の中学校で同窓。私の数々の恩人富士通の上田さんが縁を取り持ってくださったことを思い出した。

松村専務が「一度会おう、飲もう」と声をかけてくれ、私は神戸から宇部に戻った。その宴席は「カニ料理店」上田部長の店だった。つまり御大と初対面はカニ料理で上田部長がセッティングしてくれたことも思い出した。

あの夜「よし、わかった浜山小学校避難所に行こう」と御大快諾。まだ要るものはないかと聞かれたので「畳がほしい」と言うと「それか」と電話。相手は萩市の旅館「萩本陣」社長だった(御大ご親戚)。夜中に酔った電話でも旅館に古い畳が150枚あり「使え!」になった。


避難所の床には断熱で発泡スチロールを敷いていた。その上を歩くとキュキュと音がする。


約束どおり浜山小学校に「ふく鍋隊」横断幕のトラックと奉仕をしてくださる人を乗せたバスが着いた。

冷たい弁当を食べていた人たちは大鍋でつくられる1000人分の湯気に集まった。

畳もおろされた。自転車や中古の洗濯機もたくさんおろされた。避難所の女性たちが歓声をあげたのは包装された下着類だった。唐戸魚市場の女性職員さんがたくさん用意して積み込んでくださった。


この神戸のご縁で松村御大と同じ車窓を酒を飲みながら眺めることが多くなり「御大」と呼ばせてもらうようになった。


書くことで、私が歩んできた道とお世話になった人をふりかえることができる。

神戸編だけでも文字数は相当多くなるがしっかり書いておきたい。


冷たい雨の日曜日。山口市内で買い物と散髪。


「あだち美術館」更新しました。今週は「姉御」と呼ばせてもらっている清水千代美さんのヨーロッパ旅とスペシャルオリンピックス女子バスケットの迫力満点。

千代美さんはシャンソン化粧品女子バスケットボールの強者。大学生時代は「毎日、1000本シュートをやった」と。そのバスケット技量とスペシャルオリンピックス精神に惚れ込んで人生をつぎ込んでいる。私とのご縁は「酒」いや「スペシャルオリンピックス」


仏画の矢熊さんありがとうございました。また新作を撮りにまいります。


掲示板更新します。

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この笑顔に勝るものなし

きょうFacebook投稿は田島太一君。

お母さん添え書き「米さえあれば生きていける太一。カモメ眉毛がチャームポイント」と。太一君の嬉しい!がストレートにつたわる一枚と思いました。


新聞を捨てずに保存している。映画「僕が跳びはねる理由」自閉症者の日常と成長。

上映を調べて近くで観られるなら足を運びたい。


土曜日の配達コース萩市から長門市経由で美祢市を走り終えて農園。昼食を済ませたら眠たい、とにかく眠たいので横になったら1時間ちかくも寝ていた。疲れリセット。


きょうから自分史「人生の車窓」を書きはじめた。タブレットで文字入力したあとWord(Wordはわからない)で処理して完成。たくさんの車窓があるが秋までには完成させたい。


どの窓からはじめてもよい「阪神淡路大震災」から振り返っている。

古希をむかえる私がどれほど多くの人に支えてもらった人生かを文字に刻む大切なことをスタートした。


きのう夕暮れ「疥癬」にかかり全身の毛が抜け落ち骨と皮になったタヌキがちかくで座っていた。

年末からイノシシの出没がまったくない。この「疥癬」がまん延しているのではないだろうか。


放し飼いで農園生活を楽しんだ愛犬「はなちゃん」はこの疥癬に感染した。16kgあった体重が7kgまで痩せ細り全身の毛が抜けた。毛穴に住み着くダニがその疥癬症。当時は決定的な治療方がなく?約40万円もの治療費を払って、その薬害もあり腹水もたまった。


ゆきちゃん。農園に来た2年前の毛並みにツヤがなく痒がった。経験で疥癬と判断してそれが専門「皮膚病」の獣医をネットでさがして通院した。約40日で完治。山に捨てられたが故の感染。幸いほかの兄弟に発症はなかったようだ。


夕暮れのタヌキ。もうどこかで絶命していると思うが疥癬を撒き散らしている。ゆきちゃんの脱走は気をつけておかねばならない。


ゆきちゃんの目尻にマダニを見つけた。もうその季節にはいった。山で生活する愛犬にマダニ駆除剤フロントラインを常備している。さきほど2頭の首につけた。1ヶ月は効く。1ヶ月先からはマダニとフィラリア(蚊が媒体の病気)がはじまる。


ほぼ毎日、農園にバス釣りにくるギャルに声をかけた。山口市から通っている。釣り歴は1年、52cmのバスをヒットしてはまってしまったと笑顔がかわいい。


私もむかしは釣りが大好きで釣り船も床波漁港においていた(船名は「赤トンボ」)18号に19号と猛烈な台風で甚大な損傷を船体に受けて釣りはやめた。4級船舶免許も更新していない。


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草刈機エンジン初始動

とても素敵な風景に出会った。

場所は旧旭村(いま萩市)明木の下横瀬公民館。


7時から9時半まで今年初めての草刈り。愛用の草刈機は2台ある。ひとつはショルダーもうひとつはハンマーナイフという商標。ゴムキャタピラー両輪でグイグイ前進して幅150cmぐらで、私の背丈ほどの草むらでも刈り取る。


ショルダーは10数年、手入れをしながら使っている。旧式でとても重い、安全装置もないが馬力が強い。たぶんこの機種を担いでいる人は少数派と思う。

昨年、仕事納めの10月に燃料を抜きエンジン部分はビニール袋に包んでしまっていた。

混合油をつくり給油。チョークレバーを引いて一発始動。今年もしっかり汗をかく。


ハンマーナイフは来週試運転。


淳貴君ポストカードをすすめている。たまたま萩市在住の切り絵作家「上田豊治」さんポストカードと便箋が販売されていると知り午後から萩市に行った。


萩市は明日の土曜日が配達コース。けれども6時前から7時にかけて走るので買い物はできない。


先を急ぐ早朝。見ることがなかった素敵な風景に出会えてとても嬉しかった。


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田島太一君デビューしました

深夜にLINE着信。3時におきてLINEを見た田島太一君のお母さんからだった。


きのうスペシャルオリンピックス下関拠点「ちょぼハウス」で太一君を多くの人に知ってもらいたい。わたしができることはFacebookで淳貴君との交流を紹介しながら、自閉症の淳貴君が得意なこと不得意なことをみなさんに知ってもらいたいと思っている。


ダウン症の太一君をそのFacebookに参加させてダウン症の太一君が得意なこと不得意なことをみなさんに伝えたいとそれに応えて深夜2時にLINEで届けてくれた「写真を選んでいたら寝ていました」と添え書き。


太一君のお母さんスペシャルオリンピックス下関の力こぶ。いつも両腕に会計書類やプログラムなどひっさげている。

わが子のことだけではなくスペシャルオリンピックスの母親をやっている。


田島太一君 2009年下関市長府生まれ(11歳)下関総合支援学校在籍


スペシャルオリンピックスで参加しているプログラムはおもにバトミントン。


⏹️できること

○ダンスを踊るのが大好き(パプリカ・恋するフォーチュンクッキーなど)

○一人でお風呂に入れる

○お母さんのお手伝い(選択モノをたたむ・掃除機・トイレ掃除など)


Facebookとブログの両輪で淳貴君と一緒に紹介します。以後お見知りおきのほどよろしく😃✌️


今朝も6時半は唐戸魚市場。馴染みのお店に今夜の肴になりそうな値段の魚がなかった。

ユメカサゴを先日買ったおばちゃんがコウイカをずらりと並べていた。冷やかし半分で値段を聞いたら「大きいのを選んで四坏で千円で!」帰って刺し身にひけばよいようにしごする(さばく)ゲソも皮も食べれるし冷凍も大丈夫。と売り言葉に捕まった。卵巣もあった「これは醤油で煮たら醤油がもったいない。ボイルして食べたらええ」細かい指示が出る。千円払って帰りかけたら「刺し身のけんにワカメを買わんかね」ひと袋200円の生ワカメをふた袋買えば300円!小銭を探して見せたら250円だった「もって帰り」とウィンクのおまけ。


魚市場は楽しい。


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