1月千秋楽の朝も冷えた

糸賀会長、昨年に続いてのsmilebag企画。

4月2日の「世界自閉症啓発デー」に完成を目指している。きょうほぼパンフレットが完成した。今回の企画も収益金はすべてバーバラずプロモートクラブに託して社会貢献に使ってもらうことが糸賀会長の願い。smilebagとパンフレットは世界自閉症啓発デーのシンボルカラー「ブルー」を基調にデザインされている。


お問い合わせや販売ご協力など私が窓口です。


夫妻が養護学級教育で2年前に定年退職されたお宅に配達している。気さくな奥さんと会話ができた。お宅は2ヶ月前から大規模リフォーム中で近くのアパートに仮住まい。


リフォームは、あと25年ほど夫婦で生活する目的ではじめた「あだちさん、あと25年は配達してよ」と言われたが「97歳ですよ」とこたえて大笑いになった。


今朝の農園は氷点下5度。3時に布団をあげて配達に出る6時半まで愛犬に話しかけながら掃除などしっかりできた。

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雨でも早朝の路面は油断できない

御歳91歳。先日ご自宅に招かれてお会いした藤井譲二さん。Facebookでは「ももじろー」さんでたくさんの人から親しまれている。

山口市内、とくに瑠璃光寺界隈を一眼レフ片手に四季折々を見事に撮られてFacebookに投稿されている。なかでも渾身の一枚をご披露された。


この日記、末尾のコメント欄に書き込んでいただくとコメント欄にもちろん残りおおやけになる。と同時に私の個人メールに同じ内容が届いてコメントがあったことを通知してくれる。


今朝、下関の方からコメントが届いていたのでコメント欄から返信しようと日記を見たらきのう日曜日の日記がない。内容は書いたが日記にアップすることを忘れていた。すぐに日曜日の日記をアップできた。コメントがなければ気づかなかった。


5時過ぎに農園スタート。気温は0度で小雨。このような朝が危険と思っている。小雨だからと速度をあげる車が多くなる。しかし山かげや橋の上は積雪や凍結がある。

6時過ぎ、美祢市の山あいで後続車が接近してくるので左に寄って止まった。4台が速度をあげて追い抜いた。しばらく走るとさっきの先頭車輌がスピンして左縁石に乗り上げて、後続の3台もやっと止まっていた。登り坂のカーブで山かげ。私は止まると発進できないと判断してトラブルの右側をすり抜けた。


美祢市の橋のほとんどは鏡のようだった。


6時過ぎ岡本拓也さん・8時にプチラボベーカリー・弁当は小野田市の空き地で食べた。農園ゴールインは2時前。

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今月5回目の秋吉台

しっかり眠れた。3時から5時半まで録画番組2本を布団の中で観た。

いつも愛犬の世話が優先。作業場にストーブをつけて愛犬が寒くないようにした。


日曜日だけは即席ラーメンを楽しむ。110円のゴマラーメン。モヤシと麺はふたつの鍋で煮る。お湯はポットで沸かす。野菜もたくさん加熱して添える。メインはラーメン。


部屋とトイレにキッチンにバスタブ。日曜日は念入りに掃除ができる。終わったのは8時過ぎ。血圧をはかったら120と70で合格点(4時に降圧剤服用した)ゆっくり過ごせば血圧は正常。


大正洞から長者ヶ森に着いたのは9時半。今月5回目の秋吉台の目的地は烏帽子岳。リュックにコンビニで買った大きなおむすびひとつ。ワッフル。いつも食べずストックの飴など甘いお菓子。ペットボトルの水。


歩きはじめたら前方にカラフルなハイキングファションの女性6人。追いついたら私ぐらいのご高齢「どこまで行かれますか」と聞いたら私の目的地を聞かれて「それなら烏帽子岳に行きます」とにぎやかだった。


早朝の霜柱がとけて斜面は滑る。残雪もある。「地獄台」までの足元は悪くないが、そこから先は急斜面を下り、急斜面を上がるルートが待っている。

場所によっては両手で草を握って上がる場面もあったが転ばずに頂上到着。北風に背を向けて甘いワッフルをおいしく食べた。


下りきって地獄台に登っていたらカラフル6人と遭遇「早いですね!」と挨拶された「滑りますから転ばないように」と返事をした。


往復、約2時間。このぐらいのウォーキングが私の体力にはちょうどよい。達成感もある。


おにぎりを長者ヶ森で食べてから於福道の駅温泉。29日は(ふく)の語呂合わせで入浴料金半額の250円だった。


歩いたあとの靴(安物)は、現地で小枝でざっと泥を落とす。農園に戻り愛犬の散歩でそれを履くと砂利道で靴底が洗ったようにきれいになる。捨てるようなボロ布を湿らせて外側を丹念に拭く。新節紙をつめて終わり。

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積雪・凍結の道路を走った

木曜日は愉しく、12時前までグラスを持っていた。4時間睡眠で金曜日が始まり下関市から美祢市まで走った。夕食をつくって家内はやっと帰れた(積雪で動けなかった)食べながら睡魔がやってきて高齢者になったと痛感。若いときは午前様の連チャンでも平気だった。


8時ごろから今朝4時まで一度も起きずに寝た。夢も見なかった気がする。


5時半。愛犬を階段の上に座らせ作業場にストーブをつけて萩市に向かった。

ガチガチかツルツルの路面を予想した冬場の難所、雲雀峠は氷点下5度でも路面乾燥で萩市まで一気に駆けおりた。ところが萩市内はしんしんと降雪。路面は白くなっていた。


コンビニWi-Fiを借りて昨夜からタブレットとWi-Fiルーターが繋がらない対策をマニュアル読みながら解決することにした。

タブレットにルーターとの接続をQRコードを読み込んで解決した。


長門市から美祢市に向かうときワイパーを使うほどの雪になり路面が凍りはじめた。大谷山荘を左手の坂を下った左カーブは橋。そのカーブで2㌧ダンプがスピンして道路をふさぐ格好でとまった。キャビンはガードレールにあたり変形した。運転手に怪我はないようす。

事故車があってもそこで私が止まったら凍てついた橋の上だから私も巻き添えになる。やっと通れるすき間を抜けて美祢市に向かった。

その後はトラックなどが立ち往生で大渋滞になったと思う。


於福までのトンネルを通過するまでは登り坂。トンネルを抜けたら下り坂。ピカピカに凍っていた。やっと止めても走り出せる於福道の駅で撮った。


美祢市は寒いが路面に雪はなかった。


昼前に農園ゴールイン。缶ビールで90分の昼寝をした。

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充実の金曜日

笑顔ひろがる おやつ菓子「ぺりっちよ」渋谷英利子さんは神戸育ちのパテシェ。阿武町の片田舎にほれ込んで移住されてお菓子づくり、なかでもロールケーキと焼き菓子にちからをいれておられる。


阿武町、女性百姓の吉岡享子さんと私は付き合いが長い、その享子さんと英利子さんがご縁で結ばれて「しんあい農園」たまごを使ってくださる。


Instagram「periccho8」で彼女の投稿をご覧ください。


以前、お二人を長府散策に誘った。定番の観光コースを歩き「菊舎」でランチ。ポポラスでオーナーの仲さんをまじえて歓談した。


ポポラスとプチラボに行きたいと英利子さんからリクエストを昨年から聞いており、月末の金曜日に長府に行くからその便でどうぞとお誘いしていた。


私がスタートする金曜日は8時ごろ。それに彼女が間に合うためには積雪や凍結の難所を早朝の暗い時間に走らなければならない「お泊まりください」と木曜日の夕方に来てもらった。

たまたま、お父さんが緊急入院された徳重さんに「月末の木曜日、唐戸魚市場の魚を食べて泊まりませんか」と誘っていた。お父さんの回復が早く退院されたので泊まることはできないが魚は食べたいと徳重さんも合流した。


魚はユメカサゴ煮付け・特特大イワシの刺身(骨も皮も揚げ物)ユメカサゴの開きで揚げ物にいろいろ。酒を飲むのは私だけ。途中で農園に車が来たのは牧さん「百年の孤独」2本と京都の銘菓を車から受け取ったら急ぎの仕事で農園をあとにした。


徳重さんを見送り、木曜日で疲れている身体がアルコールで元気になり12時前まで飲んで私だけ楽しい時間になった。大いに反省。


4時、すっきり目覚めて布団のなかでLINEやブログなどメンテナンスをした。


予定した全部を済ませて2時半に農園に戻った。

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早朝は凍結道路だった

今朝5時半に下関に向かった。

国道に出るまでの県道は予想どおり圧雪が各所にあり油断ができなかった。2号線に出るとすいすい走れた。

下関市内、いつもの公園トイレは凍結で使用禁止。きのう水曜日に水汲みに立ち寄ったスーパー「まるき」に午後行ったが、きのうと同じで井戸水の蛇口はまだかたく凍っていた。

新下関から内日のあいだは降雪で路面が白くなり、チェーン装置のトラックや立ち往生の車を見かけた。


月末の集金をしながら3時に農園に戻った。


彦島のカモメを撮った。

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無事に水曜日を終えました

水曜日お届けのお客さまからたくさんのメールが火曜日から届いた。寒波襲来報道で、私の水曜日配達を心配しての「来週でよいです」「無理はされませんよう」「木曜日でも金曜日でもよいです」など。


今朝5時の農園は氷点下5度。数日前から雨がふったので多めの排水ができた。水道管は凍らなかった。連日の積雪で踏み固められた圧雪より新雪はタイヤが食い込むので大丈夫。新雪を踏みしめいつもの速度で下関に向かった。


配達先で車からおりるとツルツルの路面で転びそうになる。スタッドレスタイヤはその路面でも止まるからタイヤメーカーの技術力をあらためて知った。


明日の木曜日も下関。国道2号線まで出たら安全に走られると思う。農園から2号線まで、きょうの積雪がとけてアイスバーンになっていると思われる。


smilebag申し込み用紙の案がさきほど届いた。ブルーを基調にデザインしてもらって嬉しかった。金曜日に加筆訂正をデザイナーさんに返信する。

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smilebagが動きはじめました

糸賀会長(美容室ニュースタイル)が昨年に続いてsmilebag第2弾の制作に昨年末「やろう」と言われた。

今回のsmilebagは淳貴君の作品5点をコラージュするデザインをデザイナーの河上さんが3点提案され、そのなかで糸賀会長が「これ」と選ばれたデザインで動きはじめた。


作品の撮影が終わった3点をこの場でご紹介。背景の3点が原画で手前が撮影して手を加えたもの。手前の作品は原画に比べて少し明るく、それを統一した色調に加工している。

その理由は、布に印刷したとき色が暗くなることを想定しての加工。


4月2日は世界自閉症啓発デー。そのシンボルカラーは「癒し」「希望」の色としてブルーが基調になっている。smilebagはそのブルーを基調に4月2日に誕生する。


smilebagの案内は私が担当。4月2日から逆算するとタイムリミットになっている。

私の癖は「その気にならないと手がつかない」こと。案内に盛り込むことは年末から考えて練っていた。

今朝3時に「その気」になった。パンフレット原案はタブレットにむかい30分で完成した。近日、ご案内パンフレットが完成する。


今回も1000円で販売。利益が出たらバーバラずプロモートクラブの社会貢献に託すと糸賀会長。

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人生の車窓

10数年前、美祢市の配達で新しいお届け先ができて山あいの道を走ったときこの風景に魅せられた。

そのとき以来、この風景の四季を楽しんできた。

Facebookに投稿したものを「掲示板」に載せた。上の写真は今朝撮った。下段の左はJR厚保駅に掛かっている。真ん中は、鉛筆画家の岡本正和さん作品。そして右は、今回の菊川画廊で掛かった石原忠幸さん「美祢市」。


石原忠幸さんの作風は、何度もスケッチ現場にお供して私なりに理解している。

写真のように忠実に描かれない。どっさり雪をいただいた風景は美祢市持田。私の大好きな持田だと確信した。


今朝、小雨のなか持田に行き石原先生はどこから描いたのだろうかと歩いた。小柄な先生、冬のスケッチは着ぶくれダルマになり、下着のシャツは後ろ前反対に着て防寒された。


人生の車窓。その窓のひとつに菊川画廊があり石原忠幸先生がある。

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和気あいあいの菊川画廊でした

菊川画廊展覧会「多田昌平・石原忠幸二人展」を日記とFacebookで展覧会最終日のきょう、午後1時にご一緒しませんかとお誘いした。今回も和気あいあい、楽しい作品鑑賞会になった。


作品を鑑賞させていただき、それだけではなく菊川さんご自身が作品から受けた作家の視点、おもいを少し添えてくださり、私ひとりが観たならわからない味にいざなってもらえた。


次回2月3日からジョルジュ・ルオー版画展。宇部市で世界的な作品を鑑賞できるから嬉しい。また詳細ご案内します。


画廊で芸術の視野を育ててもらい、足を運ぶことで画廊を育てることになると思った。


25日のテレビ番組。NHK午後10時から「歴史探偵・伊能忠敬」は必見です。萩市の明倫学舎に伊能忠敬が測量に使った機材がズラリと展示されています。日本地図をつくるという大義の裏に地球の大きさを測りたいという魂胆があったことが披露されるかもわかりません。明倫学舎は学びの宝庫と私は思っています。


4月2日(日曜日)は桜が満開とおもいます。その桜を船上から楽しむ会をやります。

萩八景遊覧船は橋本川を上流までさかのぼり対岸の桜並木を案内します。遊覧船は6隻ありますがなかでも「くらえ(船名)」の船頭さん梅津さんは「梅ちゃん」の愛称で有名です。萩弁と自慢の歌声で桜を案内してくれます。

その2日の「くらえ」を貸し切ります。ご希望の方は手をあげてください。料金は1000円ぐらいです。

3月上旬に予約します。定員12名ですから予約がそれ以上になりましたら9時発・10時発と予約します。

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たくさんアルミ缶を回収した

5時に農園スタート。冬場の交通難所「雲雀峠」は気温氷点下4度でも路面乾燥で安全走行ができた。脇の山から水が路面に出て、それが凍りついていることがある。一度、乾燥しているのでかけ降りているときわずかスケートリンクになっており大きく車体が斜めになった。


アルミ缶回収も20数年わたしの仕事。配達先でアルミ缶を毎日回収している。きょうは美祢市で大量に回収できた。約1ヶ月で山になる。山になったら厚狭レインボー(ハンディをもった人たちの作業所)に連絡すると回収に来てくれる。

作業所の軽トラ荷台にコンパネでたくさん積めるようにして山盛りに積み込み、ブルーシートをかけて回収してくれる。


そのアルミ缶をつぶす作業。そのあと回収業者に買い取ってもらって作業所の収入になる。


きょうは大量のアルミ缶を積んで帰った。


萩市から長門市に美祢市を走りお昼前に農園ゴールイン。昼ごはんのあと布団を出して昼寝。


そのあとはユンボを出して焼却場で燃やした大量の灰を処理。汚れたユンボを水洗い。


「あだち美術館」で2週間連続でたくさん紹介した藤井壌二さん。いつも渾身のカメラワークをFacebookに投稿される。きょうの作品を「ブログで使います」とおことわりして掲示板に載せています。ご覧ください。

藤井さん作品は引き続きご紹介します。


今朝7時の萩市玉江港を撮りました。

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歩いて疲れがとれる秋吉台

昨夜は家内が農園に泊まってくれた。

月曜日からの疲れ(平均、毎日200㎞走る)でシャワーも使わず着替えもせず8時前には寝た。

やっぱり3時に目があく習慣にうんざり。ブログの更新やFacebookに個人メールの返信などを横になってしていると4時。疲れは残りまだ寝なければと布団をかぶった。


5時半に起きた。焼却ゴミに火をつけてから愛犬の世話で金曜日が始まった。


昨年、糸賀会長が企画された淳貴君の作品をデザインして制作された「スマイルバック」は大好評で2週間ほどで500をすべて完売した。その収益金はバーバラずプロモートクラブに寄付され社会貢献に使われた。


その次の「スマイルバック」企画を昨年から糸賀会長が立ち上げられた。そのお手伝いをしている。

会長が新本淳貴君の作品を今回も使いたいとの希望で淳貴君の作品選びから始まった。

今週の水曜日に数点の原画をお預りした。それを今朝9時にデザイナーの河上さんに渡した。撮影に入る。


10時に長者が森パーキング到着。

ずっと気になっていた場所を歩くことにした。そこは「地獄台」秋吉台のポイントには名称が書かれた札が立っているが「地獄台」の標識はない。これまで人をご案内したときも「ここが地獄台です」と説明して引き返した。

しかし、そこから急斜面を下り急斜面を上がる細い道が見えていた。先週「地獄台」まできたとき細い道を見た。もしかするとあの道の向こうに「地獄台」があるのではないかと気になった。


急斜面の下りは滑る。ここで転倒したら間違いなく大怪我になると思うぐらいの斜面を下り、今度は滑る斜面を時おり四つん這いで上がった。

そこには「烏帽子岳」があった。ここより先はない。


「烏帽子岳」到達で秋吉台全部のポイントがわかった。


気温7度で強風。帽子の耳当てをしてヤッケのフードをその上からかぶってもさぶい。西から真っ黒い雨雲がやってきた。この気温で雨にうたれたら困るので走ることにした。


秋吉台は疲れを癒してくれる。


於福道の駅温泉でゆっくりお湯を楽しんだあと休憩室で30分座布団を重ねて枕で寝た。疲れは完全リセットできた。


掲示板に秋吉台をのせました。

写真は糸賀会長オフィスのアレンジです。

たくさん配達の木曜日をミスもなく終えた

5時半少しまえに農園スタート。

きのう配達ミスをした長府のお宅に10個、玄関にお届けしてから唐戸魚市場。

来週は水曜日から大寒波が日本列島を金曜日ぐらいまで居座る。水曜日、農園地域の最低気温は氷点下8度の予報になっている。山口市内は氷点下6度。来週の魚市場は期待できない。


来週の木曜日は来客2名の予定。冷凍できる魚(アンコウ・ゆめカサゴ・ワカメ)を買っておいた。


3時に農園ゴールイン。愛犬は大喜びで迎えてくれ散歩に行きたいと飛びつく。疲れてなにもしたくないが愛犬だけは特別。歩きたい愛犬に付き合った。


美祢市の独り暮らしばあちゃん「げた箱ギャラリー」はお正月で色紙だった。

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完全燃焼した水曜日

配達ミスがめっきり多くなった。

きょう間違えたこと。LINEで長府の「橋本」さんから配達の数を変更を受けていたのでそのように6時半にお届けした。2時間あとに「数が足りませんが」とLINEが届いた。慌ててLINEを確認したら火曜日の「橋本」さんが数の変更を知らせていた。


火曜日の橋本さんにお詫びのLINE。今朝の橋本さんには「明朝、6時半に不足の数をお届けします」となった。


火曜日は2軒「岡村」さんがあり、たまに間違える。


きょうは美祢市プチラボベーカリーが最後のお届け。そのあと道の駅於福温泉まで走り温泉を楽しんだ。

日曜日、秋吉台を歩いたあとにこの温泉立ち寄り湯。JAFカードをフロントで提示したら100円安くなる。月曜日の朝から財布にJAFカードがないので車内と部屋のなか等大捜索した。

結局、温泉に問い合わせたらJAFカード「足立」の刻印が保管されていた。それを受取りに行った。


携帯電話をさがすことはいつものこと。その都度「置場所を決めておこう」とかたい決心はする。人の顔は浮かんでも名前が浮かばない。


運転のミスは取り返しがつかない。


いま5時半。明日の木曜日は1週間山場の木曜日。下関市から美祢市まで走る距離は250㎞。配達ミスはあるかもわからないが運転ミスはないようにしっかり睡眠。家内がとまるので7時には布団に入ろう。


綾羅木海岸は冬景色だった。

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阪神淡路震災に黙祷した

3時起床。5時45分からテレビの前で正座してその時を待った。


1月19日、兵庫区浜山小学校避難所にお手伝いに行き。避難所解散の復興祭4月末まで滞在した。被災された皆さんとはちがい、帰れる我が家がある身ではあったが寒い、食いたい、風呂に入りたいなどの貴重な体験をした。


日ごろ肩書きに「長」や「先生」がついている人たちより名もないおばちゃんやおっちゃんが避難所で活躍された。


下関「ふく鍋隊」が私の小学校にも1000人の奉仕に来てくれた。当時の唐戸魚市場社長だった松村御大とも強いご縁になった。


2時に山口市の配達を終えて菊川画廊まで移動した。開催中の「二人展」その石原忠幸先生(故人)の弟さんが日帰りで東京から来廊されると聞いてご挨拶に向かった。

私と石原忠幸先生とのたくさんの思い出をお伝えすることができた。


展覧会は日曜日が最終になる。午後から仲間たちと鑑賞させてくださいと菊川さんにお願いしておいた。

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人も私も成長する

1939年に満州と蒙古国境で勃発した「ノモンハン事件」当時は世界世論を考慮し戦争と表現せず「事件」「事変」と公表した。

先日、カメラで現地上空から戦いの地形や痕跡を調べその後取材クルーが四輪駆動で砂漠を走破して現地を調べた。調べる目的は、あの地に莫大な戦力を集中して日本軍を壊滅する作戦はどのようなものだったか。


必ず線路を敷いて戦車に兵隊を送り込んでいた。その線路のレールと枕木を止めた犬釘を探した。レールはないが犬釘はたくさん掘り出された。そして関東軍の戦車を阻止する数メートルも掘った跡が延々発見された。数万人の兵隊を駐留させる兵舎跡もあった。


日本軍にとっては勃発でもソ連側にすれば用意周到の開戦だった。


関東軍戦死者約2万人、行方不明は9千人。4ヶ月の戦闘で日本軍が失った兵隊の数。最近、ロシアの資料からそれを上回るソ連兵士の戦死者があったことが明らかになった。数万人が国境で命をおとしたノモンハン事件。


前の下関市長、中尾さんが唐戸魚市場常務取締役だだったとき、30年以上前かもわからない。2人で旧満州を1週間旅をした。

北京空港から内陸部ハイラル空港までプロペラ機で約2週時間。その機内にご年輩の日本人男性が3人同乗されていた。

「どこまで行かれますか」と狭い機内でお声かけした「ノモンハンです」とだけお返事された。当時の私は「ノモンハン」についての知識は全くなかった「楽しい旅をされてください」と言った。


月日が経って思うことは、あの「ノモンハン」と言われた方は何も知らない私をどう思われただろうか。いまの私だったら、戦友の慰霊に向かわれる方に「ご苦労されましたね」とねぎらいの言葉はでる。


日ごろ「そんなことも知らないのか」と私は人を責める気持ちになることがたくさんある。

けれども、私がそうであったように何年も経ってから「知る」ことになる。


いま人を「知らないのか」「できないのか」と断定してはならない。

 

昨夜は末娘家族3人と正志に私夫婦6人で猪肉1500グラムを竜田揚げや焼き肉に汁でおいしくいただいた。

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記憶は奪えない

焼き肉・すき焼き
焼き肉・すき焼き

早いときは7時半ごろ布団に入る。3時前後に起きる生活をしているのでそうなる。2日前、5時ごろ受けた電話で「晩酌している」と言うと驚かれた。


昨夜、8時ごろ布団のなかで「何か忘れている」と気になっていたとき、先日までニューデリーでヨガ体験をしていた牧君からLINE「きょうは西君の命日でしたね!」お昼まで農園に戻ったらお参りすると決めていた西君の命日だった。


3時起床。トイレと風呂にキッチンを掃除。部屋も掃除機。今夜は末娘の真砂恵さん家族が夕食(イノシシ料理)にやってくる。


「忘れちょった。許してくれ」と西君御霊殿と奥津城で詫びた。


今年3回目の秋吉台。3時間から4時間歩く予定でリュックに食べ物、飲み物を詰めたが雨雲があるのでリュックは背負わず雨傘ひとつ持って長者が森パーキングをスタートした。

2時間しっかり楽しむことができた。途中で傘を少し使った。


於福道の駅温泉でさっぱりして農園に戻った。


映画「ラーゲリより愛をこめて」は年末30日に観に行った「ラーゲリ」とは60万人ともいわれるソ連に抑留され10年ちかくもシベリアで過酷な労働を強いられた「収容所」のことをさしている。


映画冒頭「この作品は事実にもとづき制作された」と字幕が出た。


抑留10年、末期ガンの日本兵(二宮和也)が妻と子供に4枚の便箋に気持ちを遺して逝った。受け取った仲間はそれを没収されることを想定して4人が一言一句を覚える(記憶する)ことにした。便箋は見つかり没収された。

長い抑留を終え、記憶した仲間がそれぞれに妻と子どものもとを訪れ一言一句を伝えた。

妻役の北川景子は美人だった。


香月泰男「シベリアシリーズ」凍土に裸で埋葬される(衣服は残った仲間には貴重)仲間を弔う気持ちで描いた。その描いたたくさんの紙は見つかり没収された。けれども抑留後に記憶をよみがえらせ描いた作品の一部に顔がある。


記憶は誰からも消せない


今夜のイノシシ肉ふた皿

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Facebookのご縁で藤井譲二さんにお招きいただいた

きのう日記に書いた萩市にくだる「雲雀峠」今朝5時半の気温13℃の小雨。すいすい走れた。


Facebookで山口市内の景勝地、おもに瑠璃光寺を題材に素晴らしい写真を撮っておられる藤井譲二さんの作品を年末年始の「あだち美術館」で2週にわたり掲載させていただいた。

そのご縁で「自宅に来られませんか」とご招待をいただき午後から山口市内のご自宅を訪問した。


1931年お生まれオン年91歳。車は手放されシニアカーに一眼レフなど機材をのせて近くの撮影が毎日の楽しみ。事業をご長男に譲られた70歳から本格的にカメラにとりくまれた。

展覧会などに出したことはない。撮った作品はすべてFacebookに投稿されている。唯一、数年前に「ももじろー川柳写真集」を500冊出版された。その貴重な一冊を頂戴した。


写真投稿のFacebookに藤井さんが学徒動員のことを文字で投稿された。その数年前の投稿を載せておく。


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昭和20年8月14日の出来事

世の中豊かになり、いつしか過酷な戦争のことも次第に風化し、また語り継ぐ戦争経験者も少なくなってきましたが、いかに戦争が悲惨なものか私なりに経験したことを皆様に聞いて頂きたいと思い愚文を載せた次第です。

歴史は繰り返されるなどと言いますが、二度とこのような悲劇を起こさないように切に願うものであります。


太平洋戦争も敗色濃い 昭和20年 私も少年ながら「お国のために」と山口県光市の光海軍工廠水雷部本部庁舎へ学徒動員で勤務しておりました。

そして 昭和20年8月14日、生涯忘れることのできない経験をしたのでした。

その日 勤務している水雷部の食堂で当時の粗末な昼食の箸を持った途端、誰かが空襲だーと。 警報を知らせるサイレンさえも間に合わず、大急ぎで外へ出ると彼方から聞こえてくるB29大型爆撃機大編隊の轟々たる爆音、瀬戸内海の方角から真っ直ぐにこちらに向かってきます。

とっさにすぐそばの水雷部本部の防空壕へ飛びこんだ のです。

間一発、 どどど~んと耳をつんざく爆発音、鉄筋コンクリート造りの頑丈な防空壕が激しく揺れ天井からばらばらと砂などが落ちてきます。

光海軍工廠への大爆撃がはじまり、最初の爆弾がすぐそばの 先ほどまで居た庁舎を直撃したのです。

当時どうした訳か徳山市などは大規模な焼い弾攻撃などがあっても、光海軍工廠にはそれまで何個かの爆弾が落とされたことはありましたが、大規模な爆撃はなかったのです。

付近の山に工場設備も疎開移転されてはいたものの、周囲4里と言われる大規模な工場群ではまだ多くの人々が働いていました。また、誰もがいつかはこの日がくることは予想しておりました。

工場施設への爆撃はB29の大編隊が波状攻撃で次々に押し寄せて無数の小型爆弾を一方から順次 隙間なく大量にばらまく「絨毯爆撃」と言われるものです。

光海軍工廠の場合は海側から爆弾が落とされはじめたのです。

折悪しく私達の居た水雷部は一番に海岸に近く、魚雷を作る工場などが立ち並んでいたところで真っ先に爆弾の洗礼でした。

B29爆撃機が爆弾の雨を降らせながら一波の編隊が過ぎたころから防空壕の外の異常に気がつきました。

先ほどまで私が居た木造二階建ての水雷部本部庁舎が直撃弾を受けて早くも燃え上がっていたのです。

その頃の防空演習は防空づきんをかぶって、火災が起きたらバケツリレーで火を消し止める筈でしたが、実際にはそんな余裕すらありませんでした。

間もなく続いて二波目の編隊が迫ってきました、火の勢いは益々激しくなり 僅かしか離れていない壕の中をごうごうと風が火に吸われて吹き抜けてゆくのです。

壕の中には20人くらい避難して居たでしょうか、その中に顔見知りの丸顔の可愛いい女の子が混じっていました。

私達の水雷部には山口市の中村高女、萩市の萩高女などから先生に引率されて学徒動員で多数の若い女生徒が働いており、お洒落のしたい年頃の女の子が質素な服やもんぺ姿で冷たい鉄を削ったり、お国の為にと黙々と働いておりました。


さて、話を元にもどして、風の吹き抜ける防空壕が次第に危険に思われ、誰からか「危険だ逃げよう」と言い出しました。

二波の爆撃が終わった直後、一斉に壕から飛び出しばらばらに走り出しました。

壕の外の風景は全く一変し、もうもうたる火煙、土煙り、ごろごろと道路にはいっぱいに石ころが広がり、あちこちの工場からは火の手が上がっており、どこからともなく大勢の人達が一目散に門に向かって走っておりました。

こんな中で私はどうした訳か「これが最後」と言った気持ちは全く無く、顔見知りのおじさんが巻きキャハン(ゲートル)を解きながら走っているのを見つけて、おじさーん大丈夫? と言ったのにその人は青い顔をして返事もしないで行ってしまいました。

幸運なことに、二波と三波の爆撃の合間が少し開いていたように思えました。

光海軍工廠は敷地が広いため門までの距離が遠いのです、毎朝歩いて通う道を走って10分くらいかかったでしょうか、ごろごろの石ころ道に変わった道路は走るのに大変でした、門から出た瞬間に三波目の爆撃です。

思わず道路の側に伏せて 教えられていた通りに耳と目を両手でふさぎました。

爆弾が空から落ちてくるときは、ざーーーと言う不気味な風切り音がします。

どどーんと爆発して、まだ大丈夫生きている、 起きあがって山の防空壕までかなりの道のりを走って ようやくほっと一息。

それからもしばらく爆撃は続き、光海軍工廠は跡形も無く全滅しました。

毎朝通勤する門のそばの家に 私はいつも通勤用の自転車を置かせてもらっていました、 しかし自転車置き場の小屋がつぶれていてようやく引き出して驚きました。

なんと自転車のサドル下の車体に破片の貫通した3センチ位の丸い穴があいているのです。

のちに母が「お前の身代わりじゃろう」と話してくれました。

爆弾の破片の飛び散る威力はすさまじく、工場の屋根などのトタン板などにはビッシリと穴があいていたものです。

爆撃が終わって、山に疎開していた関係者は救助のために工廠内に行くことになり、私もついてゆこうとしましたら「あんたは子供だから」と帰宅をゆるされました。

その穴の開いた自転車に乗って帰宅したのがもう日の暮れで、私の影を見つけた母の喜ぶ姿は私に とっては異様に見えたほどでした。

母は私の身を案じて当時住んでいた室積から歩いて光海軍工廠まで行こうとし、途中で止められてしまい、帰りは遅いし もう死んだものと思っていたそうです。

明くる日 昭和20年8月15日は終戦  なんともわからない混乱した一日でした。

工廠の敷地に入ると何とも言えない異様な匂いがたちこめておりました。

防空壕で亡くなった方々の焼け焦げた遺体も数多く掘り出され、何百体の遺体を海岸で火葬にする火が遠く室積海岸からも見えました。

私は同じ防空壕に避難し、一緒に飛び出した可憐な女の子の死を知りました。

実は前日この子から絵が一枚ほしいと言われて 私はいやだと断ったのでした。

私は、水雷部本部庁舎の事務所で働いていた関係で、中村高女の山羊髭を生やした絵画の先生からご自分で書かれた絵を2枚頂いたものだったのです。

壕から出てからの逃げ道の方角が生と死を分けたのです。

私達の壕は四つ角に位置しており、4方向の逃げ道が選択出来た訳です。

結果的に海岸と、光井門の方角が比較的安全で爆撃の終わっていた方向だったのですが当時はそんなことは誰にも分かりません。

私は何のためらいも無く、いつもの通勤路(光井門)を選んだのです。なぜその道に向かったのか今でも分かりせん、自転車があった、 いつも通う道だったからかもしれません。

爆撃の終わった方角に逃げたことが幸いだったのです。

直撃弾を受け亡くなった方、不幸にして爆撃に追われる方角に逃げた人、運命はさまざまでした。


あれから五十数年が経ちました、毎年8月14日が来るたびに まあるい顔の可愛い女の子の面影をはっきりと思い起こします。     そして「絵をあげればよかった」と意地悪をしたことを悔やむのです。

山口市からは中村高女の多数の若い乙女が散ってしまいました。

もし、終戦が1日早かったなら、いや無残な戦争がなかったなら、きっと今ごろは多くの孫達に囲まれた幸せな人生を過ごされたとおもいます。

毎年8月14日には山口市の中村女子高校でこれらの方々の同級生達が慰霊祭を行っております。

子供心に愛国心を教えられ

花もつぼみの若桜 5尺の命ひっさげて 国の大事に殉ずるは

 われら学徒の面目ぞ  ああ くれないの血は燃える

この歌を合唱し、鬼畜米英を教え込まれて食べ物さえろくに無い時代をひたすら頑張った。これらの若い人達の肉体を引き裂き、焼き殺した戦争とは一体何だったのでしょう。

莫大な犠牲を払ってようやく得られた「人々が殺し合いをしてはならない」と言う悲惨な戦争体験をせめて永久に語り継ごうではありませんか。

私は以前鹿児島の知覧飛行場跡の記念館を訪れたことがあります、誰だって死にたくはない筈です。

自ら志願してお国の為に死んでいった若人、そして多くの兵隊さん、戦災で亡くなった人々、これらの方々の無念さを思うとき、

今後孫子の代までも絶対に戦争を起こしてはならないと思います。

あれから五十数年、不幸な戦禍で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。

戦争の無残さを風化させないために読んでいただきたく、稚拙な文章を載せました。

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あだち美術館 掲示板 ご覧ください

写真は2018年1月13日。当時はカメラがなくタブレットのカメラ機能で撮った。


土曜日の早朝。萩市に行く途中の雪景色。積雪はさほどではないが前夜から氷点下6度で路面は鏡のように凍っていた。この先は山口県下冬場の難所でナンバーワン「雲雀峠」にさしかかる。

標高のある美東から海抜0mに近い萩市までいっきにくだる。その下り坂はカーブが多く極めつけはそのカーブに橋がありスケートリンクになっている。

いったん下りはじめると左側は雪の壁があり後続車をかわすことはできたない。

この風景のなかで「行く」「戻る」の選択をせまられて「戻る」になった。お客さまにこの場所からメールで「延着になります」とお知らせした。


🔶「あだち美術館」更新しました。

🔶「掲示板」で菊川画廊ご案内をしました。

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週の山場をこえました

きのう水曜日の下関で配達ミスを連発した。


木曜日の下関は配達件数とたまごの数も多い。くわえて配達ミスをお詫びしながら走る。さらに唐戸魚市場、南泊風市場の初セリで毎年ご用命いただく大量のたまごの集金でグループ会社6社に足を運ぶミッションも背負って5時に農園を出た。


美祢市プチラボベーカリーで配達が終わった2時。それから徳永あけみさんに電話した。新年の会話をしておきたい。理事長・園長などの肩書きは特別養護老人ホーム・デイサービスセンター・ケアハウスにグループホームのトップ。


コロナご時世で玄関で立ち話になった。

美祢市の大谷春樹君と下関市の新本淳貴君の近況をお話できた。これから私が取り組むこともお伝えした。私の一歳先輩、河村建夫代議士奥さま隆子さんのご縁で20数年前から親しいお付き合い。


隆子さんはスペシャルオリンピックス山口を旗揚げしたときの代表。スペシャルが山口県にまったく知られていないとき先頭にたって道をつけてくださった。


きょうの写真はこれひとつ。長門昌世さんの保護ネコ「おくら」を撮った。

なんと「やまのうえのおくら」の「おくら」と知って驚いた。

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消防士さんに飲酒の質問をした

消防士のご主人が在宅だった。


24時間体制で署に詰めている消防士の人数を聞いて少ないと思った。例えば大火になったときや多重事故で出動する人数が足りないときはどうするのですか。


緊急時に呼び出される自宅待機は大勢います。原則自宅で飲酒もありません。その待機がない日は大酒飲みます。


消防団の人は晩酌せずにとはなりませんが消防団員に召集があったとき飲酒していたら飲酒運転で出動するのですか。飲んだ団員は「来るな」という指示がありますが、地元ということで酒臭い団員もたまにおります。


地域の安心と安全を守る消防士や警察官は晩酌まで捧げて奉公されていることがわかった。質問はすべて酒のことに笑われた。


写真は下関安岡のお宅で撮らせてもらった。

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お客さまと毎日たくさんの会話をかさねている

「犬めくり」「猫めくり」をご存知の方は多いと思う。その今年9月2日と3日の作品。愛犬「はな」をiPhoneで撮った高井恵理子/山口県。

美容室グループ ニュースタイル会長糸賀さんオフィスの美人経理担当の高井さん投稿が見事に採用された。


下関市内のあるブティック。オーナーとは20数年前からお付き合い。鹿児島県甑島から宮崎県都城市に疎開をして戦中ご苦労を聞かされた。

ルノアールの絵画から抜け出たようなエレガントな帽子がトレードマーク。歳を重ねるほど派手に装いたいと常々話された。

美術館が好きな彼女をご主人は各地に連れていき「ボクは車で待っているからゆっくり楽しんで」とか「離れの宿をやっととれた」と霧島温泉まで温泉が好きな彼女を貯めた年金で豪華な旅に連れて行ったとか。ご主人が他界されていっそうラブラブの思い出を私に語っていた。

それを言わないでもラブラブは見た。歯科医院の駐車場で彼女を車で待っている主人を何度も見た。


2年ぐらい前から体調がすぐれず「20キロも痩せた」と自慢のバストを嘆いた。


先週「あだちさん」といき絶え絶えでの電話は「ワタシ入院になった」救急搬送された。翌日も「あだちさん、ワタシ入院になった」と電話を受けた。


長府黒門の住宅。お一人暮らしの高齢奥さまに20年ちかく毎週水曜日の早朝6時半に10個をお届けしてきた。ガレージに置いてお金を頂戴。長府庭園近くで早朝の散歩から戻られる奥さまを見つけたら車を止め「おはようございます」とお声かけした。2週間前の朝は寒かったがお声かけできた。笑顔で「ご苦労さま、ありがとうね」と会釈をされた。その数日後に「亡くなりましたから配達をとめてください」と関係者から連絡を受けた。


きょうの山口市。2年前「父がドイツでお土産に買ってくれたハサミを研いでくれませんか」と皮のカバーに入ったハサミを預かった。下関の清水で研いでもらった。

今年で96歳。身内が同居されお世話されている。新年だからお顔をみたいとお声かけしたら部屋からお顔だけ出された。私がわからないようすだった。


同じく山口市。20数年前ラブラドールレトリバーを夫妻で飼っておられた。ラブが亡くなりご主人も他界され奥さまひとり。

きょうは立ち話でさびしくなった心境をあれこれと話された。

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菊川画廊のご案内

明日「火曜日」から22日(日曜日)の期間。菊川画廊で今年最初の展覧会(多田昌平/石原忠幸二人展)が催される。


私の前の仕事は市町村議会会議録を議場の録音から文字起こしをして印刷製本までをやっていた。

山口県と九州全域(離島は除いて)の市町村議会事務局に足を運んで営業していた。


銀座にデザイン事務所をかまえておられ数々著名な会社やお店のデザインをされた石原忠幸さんとご縁ができた。詳しくはブログ(ダウンロード)の人生の車窓で。


石原忠幸先生が「あだちさんが好きな九州の風景を紹介してくれませんか」とリクエストを受けてご案内した好きな風景は二つ。大分県杵築市「酢屋の坂道」と大分県日田市「小鹿田焼」をご案内した。


酢屋の坂道。この坂道右上は大原邸という武家屋敷。一大事のときはこの坂を馬で駆けおりることができる段差になっている。右下の赤い煙突は、現在は「綾部」という屋号の味噌屋さん。その前は「酢屋」だった。


約30年前、杵築市議会事務局を訪問したあと徒歩で城下町散策をして坂道を歩いた。綾部のお味噌屋さんには勘定場があり、おばあさんか五つ玉の算盤で麦味噌など、私が買った商品を弾いてくれた。その後ろにはどっしりと家を支える大黒柱があった。


NHKテレビ番組「大黒柱のある風景」でこの大黒柱が主人公になった。


石原忠幸さん。この坂道に惚れ込んで東京から通われて作品になった。私の宝物として買わせてもらった。


その翌年、JALのカレンダーに「酢屋の坂道」が使われた。坂道に和服の女性が微笑んでいる構図で。


展覧会の最終日。22日の午後、画廊に行きたいと思われる方は私までご連絡ください。詳細ご案内差し上げます。 

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切り絵・ランチにフルート・オーボエコンサート

長門昌世さんというより「フルートちゃん」と30年ぐらい前から呼んで親しくしている。


ご縁は、彼女が下関掃除に学ぶ会にピチピチギャルで参加していた。どうして便器にむきあう会に参加されたのかは聞いていない。


いまは木曜日、毎週ご自宅に配達している「たまご屋」というご縁。


「フルート・オーボエほのぼのコンサート」を昨年から計画された。私にできるお手伝いは会場に足を運ぶこと。


コンサートを1月8日のメインにして。たくさんの皆さんに素晴らしい作品をご紹介したい切り絵作家の村井先生アトリエ・ギャラリーを午前中におじゃまさせてくださいと年末の菊川アブニール個展会場でお願いした。


🔶余談

年賀状に干支を添えた。それは村井先生の切り絵作品「村井先生作品」と添え書きした。たまごのお客さまお二人から「わたしは村井先生の親戚です」「わたしは5年生が担任で大好きな先生です!」と思わぬ展開もあった。


山口市から下関市まで、私も数えて12名の善男善女が9時半に集まり3時まで楽しい時間をすごした。


村井先生アトリエ・ギャラリーで約90分。先生を取材したNHKテレビ番組録画を見せていただいたり、数々の作品にまつわるエピソードなど和気あいあいの時間になった。

私は今回が4回目か5回目の訪問。新しい発見がたくさんあった。なかでも広い部屋の床を簡単に開けられらようになっており大工道具などが収納されている忍者屋敷がわかった。


ランチは金刺さん(レストラン卯オーナーシェフ)が和食の「うさぎ茶や」をオープンされており予約した。料理や接客は当然満足。私の満足はもうひとつ放し飼いのヤギ「てっかちゃん」に会えたこと。


昨年、金刺さんから「どこかヤギがおらんかね」と照会メールが届いた。淳貴君が餌やりと掃除に通っていることを思い出して淳貴君のお母さんに問い合わせた。

そこで「ゆきちゃん」と呼ばれていたヤギに縁組みがととのい金刺さんのもとに行った。名前の由来は鉄火巻きから「てっかちゃん」柵に入れていたが飛び越えていまは完全放し飼い。


フルート・オーボエほのぼのコンサート。

美女と野獣・星に願いを・糸・ボロネーズ・シチリアーノ・悲しみの水辺・ニューシネマ/パラダイスより・早春賦~浜辺の歌・「千と千尋の神隠し」メドレー・「サウンド・オブ・ミュージック」メドレー。アンコールは復興ソング「花はさく」


神田さんが来ておられた「益田先生が来ておられるよ」と教えてくれた。

農園の「ゆきちゃん」は4年前の3月、黒井の方がイノシシ猟で山に入り生まれてすぐに放置された子犬3匹を保護してくれた。

そのお宅の女子高生にピアノレッスンに益田先生は通っておられた。猟師が何頭もおり保護したが飼うことは無理でもらってくれる人を探していた。益田先生がそのことをSNSで発信した。フルートちゃんがそれを私に伝えた。


益田先生のお宅には保護ネコ「ゴン」がおりFacebookで登場している。いつか「あだち美術館」で紹介させてもらいたい。

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午前は運転 午後は歩いた

土曜日は5時に農園スタートで最初は萩市。旅館「常茂恵」は今月改装でお届けはない。ご契約いただいた20数年前、厚東女将から「朝6時~7時に厨房に届けてください」とご用命をいただき6時に届けている。


その6時が今月はないのでゆっくりでもよいが、萩市・長門市に美祢市のお客さまは私の定刻を待っておられる。


お昼に農園に戻り自宅から農園に来た家内が簡単な昼ごはんにしてくれた。3時前に布団をあげたので眠くなり毛布をかぶって床に転がり30分寝た。


睡眠で疲れリセットで元気盛りの愛犬「ゆきちゃん」と長距離散歩。散歩するたびにウンチをする特技がある。


大正洞駐車場のフォトギャラリー「写創蔵」がきょうが展覧会初日。テーマは「干支」を観に行った。ざっくりは「掲示板」をご覧ください。


気温は7度だったが日差しはなく風が強い秋吉台「地獄台」を長者が森パーキングから往復60分。石灰岩のかたちを擬人化する「癖」がある私は、皆さんに新年ご挨拶を申し上げながら歩いた。

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6日のミッション元気いっぱい終わった

6日のミッション 


①寿司・割烹「浪花」に通常のお届けに加えてお客さまに配られる「元気たまご」をたくさんお届け。下関市内の配達もある。


②長府で新規お客さま2軒のお宅をさがして配達ルールの取り決め。


③ポポラスのお母さんにプレゼント持参。


④藤中さんに弁当差し入れ。


④あだち美術館の更新。


⑤帰りに温泉立ち寄り。


全部予定どおりに済ませた。最後の温泉で菊川画廊の菊川さんと湯船で遭遇。まさに裸のつきあいになった。菊川さん、私のブログを毎日読んでくださり運転の走行距離や深酒を心配してもらっていることがわかった。


私自身、酒がとてもよわくなった自覚がある。それを菊川さんからも言われ今年は酒の量を減らすことにした。


藤中さんアトリエで歓談しているとき電話が鳴った。

前の仕事で数々の出版を手がけた岡山県金光教早島教会の奥さま(教会長・玉井光雄師は故人)私の年賀状を読んでの感想だった。


ご夫婦お元気な写真とお母さんのお骨を京都から農園に連れて帰られたこと。それを読んでありがたくて涙がこぼれた。あなたのことは毎日、神様にようお願いしておるから。今年も元気に活躍せられいよ。

あなたの声を聞いて私も元気になった。

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今夜もしっかり眠れる

5時半農園スタートで下関市。


新規のお客さま、どちらも長府から配達方法について照会電話を受けた。あす金曜日に細江の「浪花」初荷をおえてお宅をさがして行き打ち合わせすることにした。


地域の催事がある「チラシのデザインと700枚印刷の見積りがほしい」と頼まれた。


菊川画廊から今年はじめての展覧会「石原忠幸」についてお電話頂戴。17日の山口市の配達をおえて4時に画廊に行き石原画伯の弟が日帰りで来られているご案内。銀パリで歌っていた弟と石原先生からよく聞かされていた。私の思い出をお伝えしたい。

その機会をつくってくれた菊川さんに感謝。


日曜日(8日)の村井先生アトリエ・ギャラリー見学・うさぎ茶やランチ・長門さんのフルートコンサートにご参加12名と集合場所と時間にランチの内容など打ち合わせも配達しながら終えた。


3時過ぎ、農園にゴールインするまで電話とメールが多い木曜日だった。


明日の下関はお昼までに全部すませて午後から歴史博物館と温泉に立ち寄りたい。


彦島から関門海峡を撮った。

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予感より予報を信じて失敗の巻き

部屋が寒くて目が覚めた3時前「しまった!」と飛び起きた。

作業場の2階が私の住居。台所と風呂と洗面所に水洗トイレは2階まで北側外壁を水道の配管がある。もちろん断熱材は巻いているが凍らせると水が全部使えない。氷点下6度以下になると管のなかで凍った水が膨張して管を壊す。


話題脱線


この時期、小雨で井戸水が底をつき鶏舎と母屋を夜中排水をして管の破裂を防ぐため川にエンジンポンプを据え、終日井戸周囲に散水して井戸水を貯めていた。そのエンジンポンプを夕方片付けることをしなかった。どうせ明朝から使うからと。


その夜は氷点下8度まで冷えた。排水で鶏舎の管は守れた。けれども水を抜かずに放置したエンジンはアルミ部分がザクロのように割れた。横着すると道具が壊れる。


布団から飛び出して蛇口を全部あけたら3つ凍っていた。さいわいトイレと台所のひとつは水が出た(温水器経由はアウト。けれども氷点下4度では破裂しない)夕方、翌日の当地気温をチェックしている。きのうのチェックでは氷点下1度だったので対策はしなかった。

しかし、20時前に犬を連れ出したとき満天の星に「冷えるだろうな」と予感はした。


つまり、予感より予報を信じた。


綾羅木海岸は冬色だった。

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きょうから配達仕事初め

1月4日、早朝3時から南風泊(はえどまり)魚市場はふくの初競りが威勢よくはじまる。その競りの前に水産関係者など来賓もまじえて式典が催される。お集まりの方々に「お年玉子」と銘打って農園玉子が手渡される。


松村御大が唐戸魚市場社長在職のとき「正月に玉子がダブついたら初競りに持ってこい」と農園を心配してくださり「お年玉子」が手土産になった。

寿司・割烹「浪花」の荒川大将も新年来店のお土産にたくさんの玉子をいつもの追加で決まってご注文してくださる。


今朝、下関に向かう前に月曜日お届けの岡本拓也さんからたくさんのご注文がありそれが今年の初荷の先頭になった。その他にも3日指定でたくさんのご注文をいただき荷台満載で6時半に農園スタートした。


たくさんの方から応援を頂戴して今年も配達が始まった。


下関を走りおえて長府庭園散策ができた。

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秋吉台と温泉を楽しんだ

毎年恒例の「1月2日ウォーキング」

今朝、農園は氷点下3度。8時にスタート地点の秋吉台家族旅行村に着いた。最初の目的地「龍護峰」までは霜柱を踏みしめて歩いた。見下ろすと雲海が広がっていた。


年末、重枝さんがネットでウォーキングポール(杖)を2本セットで3300円で買った。それを見せてもらってお金を支払い同じものを注文してもらい年末に受け取った。

これまで使っていた杖は1本(4000円)両足と片手でバランスが取りにくいと感じていた。


両手に杖をもったら四輪駆動になった。両腕が活躍して足どりがとても軽くなった。


3時間でゴールイン。愛車を背もたれ、靴を脱いで足を投げ出しコンビニ「山賊おにぎり」をとてもおいしく食べた。


弁天池に10㍑の水汲みをすませて「道の駅於福」の温泉立ち寄り。塩鮭のように体に塩をまぶして「ソルトサウナ」大量発汗。ジャグジー湯も最高。正月企画で次回の入浴半額券(250円)をもらえた。


灯油を買って農園3時に戻った。


明日から6日まで下関方面の配達がはじまる。


写真は「龍護峰」から「御鉢山」に向かう風景。きょうの「掲示板」に毎年2日の出来事を載せました。

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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。


例年とはちがい冷え込みはすくない朝をむかえた。地元の「吉部八幡宮」と桂子ちゃんが20年以上も巫女さんをしている秋穂の「正八幡宮」に初詣。


農園に戻りテレビをみながら酒盛り開始。飲み疲れて1時間も床に転がって寝た。


鶏の世話など仕事はやらない。


明日は、早朝から秋吉台を楽しむ計画。秋吉台最高峰は400mほどの「龍護峰」ここに今年は何度も通いたい。

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