元気いっぱい6月を終えた

農園、川を挟んだ対岸のお宅の飼い猫が橋を渡り、毎夜農園に通う。明け方、だいたい5時過ぎに小走りで橋を渡ってご自宅朝帰り。

深夜の農園はネズミが走り、それを狙うヘビがおるしモグラや大きなミミズ。特大ガマガエルやムカデも出てくる。

飼い猫では飽きたらない野生をもっているのだろう。夜中の農園はパラダイス。


今朝の唐戸魚市場。買いたかったのは新鮮(ビタ)で大きなアジ。それはなかった。

小エビを剥いたひと山350円は買った。ふたまわりしてイワシ。4匹で500円の特大を指差したら「こっちのイワシがええと思う」と小ぶりで400円の山を買えと女将さんが言う。それを買った。


今夜は小エビの唐揚げ。イワシの刺身と揚げ物が楽しめる。


今朝の海峡を撮りました。

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郷土史家の松前先生とご縁ができた

瑠璃光寺近くの「洞春寺」新保さんのご案内で2回催しで足をはこんだ。


初回は活弁(無声映画「活動映画」を弁士が巧妙な語り口で盛り上げる)その前座で、奇兵隊の隊列や戦術を小太鼓の音で指揮をする。スコットランドのバグパイプのような戦のためのリズムをくそ真面目に「タンタン、タカタカタンタンタン!」と太鼓について研究されたことを熱心に語った郷土史家の松前了嗣先生。

小太鼓のリズムを「伝えずにはおかんぞ」という意気込みで喋る松前先生に好感をもてた。


その夜、Facebookで先生に「友だち申請」をした。その後、長州の歴史で知りたいことをメッセンジャーで問い合わせたら即答を頂戴した。


2回目は26日、日曜日の午後から講談・落語と津軽三味線の三部作を新保さんが誘ってくれ、その会場で松前先生を見つけて名刺を差し上げた。あまりに唐突だったので「いま名刺を持ち合わせておりませんが」とさがされて頂戴した名刺は、萩往還道の観光ガイド名刺だった。


先月「ぎじろくセンター」社内大会の講師で松前先生が大村益次郎を講演された。白井社長からご案内をいただいたが、本当は拝聴したかったがご遠慮した。


洞春寺で松前先生を捕まえてお願いした。


大村益次郎資料館(鋳銭司)に仲間と一緒に松前節で学ばせてくださいとお願いした。


きょう農園に先生から封書が届いた。


5時から3時まで、下関市を約200㎞走り終えた。

明日の木曜日と金曜日も下関市を走る。

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農機具の燃料が買えなくなった

農園生活。今年はまだ冷房を使っていない。

眠りにつく8時ごろ、部屋の窓ガラスを全部閉める。開けていると深夜に涼しすぎて目が覚める。それと山のなかで大きな声で鳴き続ける鳥の声がやかましい。


中国地方の梅雨明け宣言が午前中にあった。観測をはじめた昭和26年から初めての早い梅雨明けと報じていた。私の生まれも昭和26年ということは、観測データは70年しか蓄積されていないことになる。


ガソリンを使った事件が連続した。その結果、ガソリン携行缶で買うことが面倒になった。所定の様式に名前・住所に使用目的など書いてスタンドの人が缶に注ぐというお役所のしばりになった。


以前、小型の釣り船を所有していた。いまは草刈機やユンボなどにガソリンと軽油を使う。

ガソリンや軽油には道路税がプラスされている。船や草刈機は道路は使わない。まぁ使う量が少ないので免税手続きはしなかった(面倒くさい)


ところが携行缶にはガソリン・軽油は給油できないことが、山口市内で給油して帰ろうと思った私はきょうそれがわかった。

ならば、軽油やガソリンを使う農家などに「携行缶利用許可証」ぐらい出せよと思った。


農園近くのガソリンスタンドに立ち寄り「ユンボの軽油がほしい」と言うと「わかりました」と記入用紙を出した。山口市内で通用する決まりは山あいでは通用しない。すべての農家が農機具を使えなくなる。

お役所仕事はいつも片手落ち。


今朝、大きなムカデに気がついた。たまごケースを側において記念写真。

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各地で梅雨明け 小雨の影響はありそう

きのう刈り終えた農園隣接の耕作放棄地。

ゴムキャタピラーで力強く前進する草刈機「ハンマーナイフ」を使ってこの面積は2時間半を要する。他、川土手(斜面)など農園以外の草刈り場所が多くある。敷地面積3000坪以上ある農園内の草刈りもやる。

毎年4月~晩秋まで、毎月一回ペースでやっている。農園内は別として耕作放棄地や川土手を丁寧に草を刈っても「ありがとう」と言う人はない。それを20年以上やってきた。誉め言葉はないが褒美はそれで培われた体力。それと、汗をしっかりかいたあとのビールはたまらん。

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充実の日曜日になった

すっきり目があいたのは2時。録画番組を1時間観た。内容はおひとり様の高齢者が自宅で終末を迎える内容。臨終を自宅で迎えるという強い意思があれば、それが叶えられる社会になっていることがわかった。インターネットを駆使して自宅の様子を医者や家族が遠隔地からアプリで見られ、本人が医者に伝えたいことも手元ボタンでつながる。痛みの緩和をするモルヒネも本人が苦しいとか痛いとき手元のボタンでチューブをとおして使える。


4時から6時まで部屋とトイレなど掃除。犬の世話に私の食事。


6時から強力草刈機「ハンマーナイフ」を出して隣接地の広い面積の草刈りをはじめた。9時半、ガソリン約4㍑を使いきれいに刈った。

その直後の血圧が写真です。


午後から山口市洞春寺「神田京子講談会」

①落語 三遊亭金の助 ②講談 神田京子 ③津軽三味線 山中信人 中入り ④神田京子「番町皿屋敷」


日本の芸能を堪能できた。お世話約の新保さんありがとうございます。


農園に戻り母の納骨。

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「勤労奉仕」という言葉があった

土曜日は萩市。三見の「めがね橋」に二週連続でアジサイを撮りに行った。けれども満開ではなく今朝も足をのばした。

この景観を地域の人たちが守っている。本来なら山あいに自生するアジサイは雑草と共存しているが、アジサイの周囲は草刈りをされ、アジサイは剪定されてこの風景になっている。


地域によると思うが清掃などの行事に参加しない家庭にはペナルティがある。

私が子供のころは地域や学校で「勤労奉仕」と銘打って草刈りや清掃行事があった。


幹線道路から「めがね橋」までの細い道路も草刈りが整然とされて気持ちがよい。数軒の家があるがその人たちの勤労奉仕だろうか。


昨夜、淳貴君LINEで

「車のパン屋に行って家族のパンを買って帰りました」と4個のパンの写真が届いた。その「車のパン屋」が気になった。「車のパン屋」という店の名前ではなかろう。

ローソン側で飼われているヤギを淳貴君は「ヤギロー」と命名していたことを思い出した。萩市を走りながら「移動販売車!」が「車のパン屋」とひらめいた。長門市でコーヒー飲みながら淳貴君に「移動販売車」?とLINEしたら「そうですメルシーです」と即答。


昼前に農園に戻った。雨と落雷で思っていたとおり「ゆきちゃん」は吠えまくりパニック「ハッピー」は耳が遠くなり熟睡中。顔つきまで変わった恐怖の「ゆきちゃん」を作業場に入れた。これも個性で叱りつけて治るものではない。


家内が自宅から来て昼飯は「牛丼」缶ビールで美味しく食べて、なんと2時間も昼寝をした。

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あだち美術館お入りください

携帯電話の目覚ましアラームは4時セット。いつも1時間以上前に体内アラームで起きている。それが4時アラームで今朝は目が覚めた。

睡眠は足りているが起きる気がしない。犬の世話が気になるが起きられない。目が覚めたら5時半だった。


きょうの予定は、早朝の草刈り。3週間目の散髪と「あだち美術館」更新。湯田温泉もできれば。


日曜日、母を納骨する場所周辺の草刈りは肩掛け草刈機を使った。手でやる場所は家内が担当。きれいになった。


シャワーで着替えて金曜日は好物のソーメン(温麺)を食べて「ちむどんどん」小郡で散髪を済ませて「あだち美術館」更新はコンビニWi-Fiを使った。温泉はやめて農園で昼飯。缶ビール3本飲んで金曜日が終わった。


あだち美術館お入りください。

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木曜日を元気におえた

菊川の「秋山かつし美容室」。糸賀さんのスマイルバックをご注文された。新本淳貴君は知らないが美容業界で糸賀さんを知る人は多い。もちろんバックは気に入って奥さんが使われている。

お店に置かれたバックをお客さまが見て「あっくん」と言われたらしい。お客さまの作品を前から掛けていた美容室。

お客さまは、淳貴君と同じパステル教室の福富幸子さんだった。その話題になったわけは、きょう淳貴の作品シャツだったから。


きのう2時間つかった草刈機「ハンマーナイフ」は汚れたまま家内の車庫に放置していた。走行はゴムキャタピラーでグングン前進する。そのキャタピラーが挟んでいる雑草。回転して草を粉砕するハンマー部分が見えないが一番汚れている。


下関から戻って気合いを入れ直してハンマーナイフの掃除をはじめた。エンジン高圧洗浄機を出して(重たい)高圧ホースをつないで汚れをきれいに落とした。


明日の天気予報は雨。雨がふるまでショルダーの草刈機で汗をかく。雨になったらシャワーを済ませて散髪。そのあとは湯田温泉か映画。


農園は涼しい。まだ冷房をつけていない。夜は窓を締めて掛布団で寝ている。

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大学生パテシェのプリンです

国政選挙が始まった。

きのう1時から各党首を日本記者クラブが質問の放送を配達しながら聞いた。どの政党と総花的なことばかり。野党は「消費税廃止」「学費無償」など、政権をとれないから言いたい放題。防衛費削減で対話による平和外交などもまったくわからなかった。


前の仕事のとき税務署から調査を2回経験した。申告した内容について熱心に調査(捜査?)。最初は1ヶ月近くもかかり私は仕事ができなかった。

それで否認されたものが若干あった。それは、私が出張先で使ったタクシー代を計上して、その領収書がないから否認された。わずか数千円の落ち度を税務署職員が夢中で調べた。


国会議員のいわゆる「通信費100万円」は与党も野党も手をつけることなく続いている。100万円が多額とは思わない、300万円でもよい使途が明記された「領収書」は国会議員はつけなくてよいのかね。


今朝のニュースで拉致家族の皆さんがバイデン大統領に早期の帰還をお願いしました。

つまり日本の国会議員では1ミリも前に進まない。


世襲の政治家はもういらない。


大島でひたすら大地に向き合い、信じる農業を実践されている宮田さん夫妻。毎月そのお野菜を定期便で購入している。

長男の拓樹(ひらき)君が春から県立大学生になった。アパートをお母さんから聞いた。毎週の火曜日、そのアパートドアに6個のパックをかけている。LINEは繋がった。数週間前は「たまご丼をつくりました」と写真が添えられた。

昨夜は「プリンをつくりました」と届いた一枚を日記にのせておきます。


まだ本人と会ったことはないが、いつか秋吉台や萩往還ウォークなど誘いたい。宇部ラーメンの大盛もご馳走したい。


5時に農業スタートで下関。2時にもどって草刈りで汗をかいた。

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終日小雨の火曜日を終えた

京都に行ったのはコロナの前。JRや嵐山本線にバスを使いひとりで観光冒険をした。

今回の京都は交通機関やコンビニなど一枚のカードを使い、小銭をしっかり用意して行った意味がなくなった。京都駅でコインロッカーを使うときも精算はカードのみ。預けるときカードをかざして支払い。開けるときはそのカードで扉があいた。コイン投入口はなかった。


今朝、ニュースタイル本社で糸賀会長に「山口県は遅れているのですか」と聞いたら「JRや市営バスの精算システムを県下で公平に変えたら導入コストが出ない。つまり県下の人口が少ない」と教えてもらった。


コロナワクチン4回目の通知が届いた。無料。


秋に免許証更新。その前に自動車学校で高齢ドライバー適性検査の通知が届いた。7100円。


久しぶりの雨でアジサイが喜んでいた。

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見えないけれど感じるものがあった

母のお骨は、私が布団を敷いて枕元の横に安置している。日をみて納骨する。昨夜は冷たいビールをグラスで供えてから私の晩酌をはじめた。


今朝4時、犬と外に出て驚いた。その納骨する場所の上をホタルが一匹ゆらゆら舞っていた。6月とはいえホタルは少ない、まして明け方に見たのははじめてだった。家内に「ホタルがおる」と声をかけた。家内が来るまでにイチョウの葉のなかに姿を隠した。


母が喜んでいることを伝えたのかもわからない。


美祢市の山あい。10個を届けていつもはUターンしている。その道はUターンせずに少し大回りすると同じ道につながる。

今朝は何年ぶりにUターンせず直進した。その少し先の道路に男性がうつ伏せで倒れていた。道路の真ん中に私の車を止めて駆け寄った。

小さなタイヤが4つある手押し車が少し先にある「大丈夫か!」と背中を叩いたら少し動いた。顔から道路に落ちたのだろう顔が汚れていたがメガネは大丈夫だった。


道路の真ん中に座らせて様子を見た。異常があれば消防に電話と思った。ズボンのベルトがハズレておりズボンが脱げかけて紙おむつが出ていた。ズボンの裾を踏んで転んだと思った。立たせてくれと言うので手押し車を持たせて抱き上げ立たせた。ガッシリした体格のじいちゃんだった。ベルトを締めて行き先を聞いたらすぐ先だった。よたよた歩く姿を見送った。


なぜUターンしなかったのだろうか。

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幸せを感じた京都の旅だった

7年前、母がお国替えした同時。私夫婦は老後の京都生活を描いていた。関西出身の家内は山口県より関西圏に身内がある。長女の照美さんが何より京都。私は山口県のほうが知り合いは多いが、都の生活も人生のおまけになるのではないかと思っていた。


それが理由で金光教太秦教会の奥城に母を納骨させてもらった。


7年が経ち、農園で休みなく私夫婦は働いている。ということは京都は夢になった。

昨年、古希をむかえるとき先発隊で京都に行かせた母のことをなんとかしたいと思いはじめた。


今回の京都は、母のお骨を農園に連れて戻ることだった。今村明さんに焼いてもらった骨壺を抱いて帰った。汗を流してビール。その一杯は母に供えた。


太秦教会は嵐電太秦駅のそばにあり遮断機のチンチンが12時までひっきりなしに鳴る。酔っぱらいがワイワイ歩く。パトカーがサイレンを鳴らす。

日ごろは静寂の農園で寝ているので睡眠不足で4時起床。身支度をととのえて5時に外に出た。渡月橋まで歩いて片道30分。かなり広範囲に歩いて7時に戻った。


新保保子さん(萩往還など計画され、新保隊長と呼ばれている)の長男、綱基君(立命館大学法学部二回生)を太秦駅8時に来てもらい照美さんと3人で京都散策に出発した。コウキ君は秋吉台をお母さんと一緒に参加したので面識はあった。

チラチラ話した内容で太秦にとても近い場所が下宿ということで照美さんを紹介の京都散策。


食事を済ませ、1時過ぎに私は新幹線で山口、二人はJRで太秦にむかった。


照美さんと2日、親子の会話がたくさんできて幸せな京都だった。

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あだち美術館更新しました

「あだち美術館」更新しました。樋口真由美さんの台湾旅行です。路地が好きだと言われる彼女のカメラワークの私はファンです。写真の向かって右が真由美さんです。


母のお参りで京都に来ています。

9時半に京都駅に長女の照美さんが迎えに来てくれ、伏見稲荷・月桂冠大倉記念館(試飲4杯で買わず)・寺田屋に二条城など二人で歩きました。たくさん会話もはずんで幸せでした。


明日は新保さんご長男の綱基君(大学一年)と合流して京都見物の予定です。

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土曜日の仕事を済ませました

きのう夕方「ゆきちゃん」が激しく吠えた。ムカデだろうとトントン階段をおりて作業場「ゆきちゃん」が見ている方向にヘビがおった。その姿はすぐに下駄箱の後ろに消えた。アオダイショウだったので傷をつけず外に出したい。両手に軍手をはめて頭と尾っぽを掴もうと思ったが火バサミに気がついたのでそれにした。マムシだけは危険なので必ず殺す。


明日の土曜日は太秦教会参拝。

土曜日の配達、萩市から長門市に美祢市を一日はやく今朝から配達に向かった。


京都のスーパーマーケットに「瓦蕎麦」はない。神様と御霊様のお備え段ボールと「瓦蕎麦・4人×4袋」それに添える牛肉を煮たり錦糸玉子を作ったりで家内は農園で腕まくり。


お昼前に農園ゴールイン。食べて1時間横になった。スッキリ起きてクロネコメール便に二箱持ち込み。ひと箱はクール便。


明日の京都駅は9時過ぎ着。長女の照美さんが駅で待っている。


萩市のなかでも特別に好きな玉江漁港の朝を撮りました。

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小エビのかき揚げ木曜日

毎朝、この写真に手をあわせて農園をスタートしている。亡くなる前の「サービス付き高齢者住宅」ここでベットから落ちて入院になり、病院で命を終えた。


農園で泊まって葬儀のことを話してから体調がくずれた。入浴に排泄などの世話を自宅でやる決心ができない。特別養護施設の門をたたいた。介護認定やケアマネージャーなど福祉制度から学んだ。

病院と福祉施設を7年、母の世話をしながら私たち夫婦は「老い」に向き合った。母が身をもって「老いていくこと」を学ばせてくれた。


今朝の唐戸魚市場。どの店にも魚が少ない。旬のアジを買いたいとはりきっていたがアジはどこにもない「えらい魚が少ないね」と店のおばあちゃんに声をかけたら「最悪です」と返事をした。


ちがう店で「きのう綾羅木海岸は穏やかだった」と言うと「沖ではうねりがあった」と教えてくれた。


下関港から乗り合い船で1時間。水深60mで鯛

釣りを楽しんだ昔がある。船には餌の小エビが生かされており釣り場まで船長の目を盗んではエビをとって肴にしてワンカップを飲んだ。


その餌に使うような小エビが山であった。ご丁寧に頭とカラを取っている。頭こそ一番うまいのに。

今夜はかき揚げと決めて山を買った。


金曜日は仕事なし。ゆっくりできる朝をむかえるが、土曜日に京都に行くので土曜日の配達に早朝から出かける。


京都は暑いと太秦の照美さんからLINEが届いた。

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母、7年目の命日

写真は今から15年ほど前、母が80歳後半のとき「農園で泊まりたい」と突然言いはじめて農園で一泊したときの一枚。泊まりに来た魂胆がこのあとから始まった「私の葬儀のことを伝えておきたい」だった。


家内に書いておくように言ってそれは始まった。自分は高齢になり付き合う人はなくなった。兵庫県の妹は体調がすぐれないので知らせてくれるな。葬儀が終わり落ち着いてから知らせてくれ。

家族だけの葬儀でよい。金光教式で、祭主は太秦教会長(長女の主人)にお願いしてほしい。掛けていた葬儀社の通帳などを家内に託した。細かいことまでも指示をした「棺は3万円でよい」という。


7年前の6月15日、96歳の人生を終えた。


父親が中風で寝たきりの子だくさん家庭の長女。小学校を終えて松江の商家に奉公に出され、姉弟との縁すらない。

商家が中国青島市に店を出して母も中国暮らしをしている。中国語が少しは使えた。


結婚式の写真や私の父親の写真はない。出雲生まれの母が縁者が全くない宇部で、私を育てあげるための人生をおくった。その汗をかいて草刈りや便所掃除で母の働く姿をみて私の今がある。死ぬまで私の父親は語らなかった。


いわゆるお通夜の夜。家族を帰らせて棺の横に布団を敷いて酒を飲みながら母に感謝した。


母のお骨は金光教太秦教会の奥城におさめた。私たち夫婦は70歳までには農園のいっさいを長男に任せ、京都のどこかに二人の年金でまかなえる住まいをさがして人生を終えようとそのときは思った。


昨年、私は古希を通過した。

京都に骨を埋める展望はないと判断した。母のお骨をむかえる段取りは先月できた。

今週の土曜日、母のお骨を迎えに太秦に行く。

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火曜日のちむどんどん

箱メガネで海中を楽しむ萩八景遊覧船の企画を「掲示板」に載せました。ご覧になり、行ってみようと思われたら名物船頭さんをご紹介します。


火曜日、私の「ちむどんどん」は7時にお届け小田さんのお宅。今朝も入学式では上の前歯がなかった彩ちゃんが最初に出てきて次はお父さんそっくりの結ちゃんが笑顔で出てきてくれた。


次の「ちむどんどん」は小郡ローソン(岩城オーナー)お届け。7時過ぎのレジは二ヶ所がフル回転している。お客はお金を支払うが私はお金を(たまご代金)レジで受けとる。

障害があると思われる若い女性が懸命にレジ対応している。その列に並んで「おはよう!」と声をかける。それに笑顔も返事もないが手際よく支払い金額を領収書も見ずに手渡してくれる。視線はあわせないが私と金額は何年ものレジで覚えている。


もうひとつ「ちむどんどん」は配達を終え、あと数分で農園に着く県道。キジのお母さんが孵化して数日ぐらいの5羽の子供を伴ってアスファルトを横断している最中だった。3羽と2羽が左右の路肩に渡った。困ったお母さんは道路真ん中で思案。

私はハザードランプを点灯させてお母さんを見守った。3羽を連れて2羽のもとに行き草むらに消えた。

ヘビやキツネにカラスなどがたくさん敵がいるなかでの子育ては容易ではなかろう。


梅雨の雨でアジサイが笑顔になった。気がした。

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来年の海峡ウォークを目指します

今朝、一ヶ所痛いところがあった。左足裏の親指付け根に歩いたマメができていた。


長距離を歩くとき爪を整える。靴下を重ね履きする。見た目より履き慣れた靴の三拍子。その重ね履きをやらなかった。針でつぶしてぺしゃんこにした。


著書「流れる星は生きている」引き揚げは満州新京から徒歩で38度線をこえた藤原ていさん。韓国側に着いてアメリカ軍に助けられたとき、靴はなく足の裏にたくさんの石が食い込んでいた。

手をひいた7歳の藤原正彦。いまは日本を代表する数学者。


きょうはバーバラズの派手なシャツを選んだ。きのうは淳貴君のシャツ。一度着てしまえば着ることの抵抗感はなくなる。


美祢市で「なんと派手なシャツじゃ」と奥さんが言った「たまご屋さんは何歳かね」と聞かれた「昨年、古希をむかえました」と言うと「若いね、私は今月で76歳になる」と。「若いね」の言葉が嬉しくはなかった。


海峡ウォークの途中で笑ったシーン。

前を歩くおっさんのリュックに「どM!」「下には下がおる!」の缶バッチ。


若いときパチンコ習慣病だった。シャツの背中に「只今極楽」と太文字シャツを着て大負けしていた。極楽に行けなかったが地獄はみた。


来年の海峡ウォークまでにコンディションをととのえてシャツを考えよう。


月曜日は弁天池の水汲み。

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海峡ウォーク30㎞を完歩できました

海峡ウォーク4人組で参加で完歩の30㎞。写真は功山寺で藤中隊長に撮ってもらった。


9時にスタート。ゴールは4時だった。


農園に戻り犬の散歩。シャワーで着替えて缶ビール2本目を通過中。家内が泊まってくれるので、あとは食べて寝るだけ。


今のところどこも痛みはない。

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野中4丁目の思い出

⏹️きのう「あだち美術館」を更新しています。どうぞご覧ください。


土曜日の萩市。今朝は早めに農園を出た。

萩市三見の石橋がアジサイで彩られているだろうと思いそこまで足をのばすことにした。

小雨のなか行ったがもう少し先のようだった。来週の土曜日は京都行き。萩市は金曜日に配達変更になる。そのときもう一度立ち寄りたい。


きのう午前はパーキング騒動だった。

午後1時に宇部野中4丁目の菊地ミートフーズ。社長の菊地さんとお会いする約束があった。

スペシャルオリンピックスでバスケットコーチをされており人望があついように聞いていた菊川さん。お店で農園たまごを販売したいという申し出。


その野中4丁目は私にとっては幼稚園時代にさかのぼる場所だった。


山大工学部で母は用務員だった。官舎という長屋は5~6軒の学生寮の大風呂ボイラーマン家族や営繕という何でも修理ができる器用なおっさん家族など大学官舎の片隅で共同便所と風呂だった。  


学生の売店があった。おもにパンや牛乳など食べ物が多かった記憶がある。そこには氷のかたまりを上において、下の食品を冷やす冷蔵庫があった。

売店は「桜井商店」老人夫婦が経営していた。そこに行って挨拶をしたら売れ残りのパンなどをもらえた。


その長男が野中4丁目に桜井商店を開業した。現在の高専グランド横。その頃、官舎の風呂がなくなり桜井商店近くの「波木温泉」温泉といっても常盤湖から汲み上げた、今では通用しない温泉。その経営は県議会議長まてつとめた波木多平さんだった。

脱衣場にはノミが多く、衣類をしっかり叩いて着るように女風呂の母が大声で私にいつも言った。 

風呂からあがり大広間で母を待っていると波木さんが「おお!進か」と私を抱き上げて膝に座らせ、番台のおばさんにジュースなどを持ってこさせて「お前の父ちゃんに世話になった」と私にわからない話が始まった。母はそれが嫌だったようで「帰るよ」と私の手を引いた。

 

夕食で食べられる弁当のようなものを桜井商店で買って、当時は舗装されていない夜道を帰った。冬、洗髪した母の髪の毛が凍って大笑いしながら歩いた。


菊川社長に「ここは桜井さんの物件でしたね」と言うととても驚かれた。


明日は海峡ウォーク30㎞。

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嘘は言えないカメラ監視社会

昨夜は飲み過ぎた。缶ビールのあと安い箱ワイン「3㍑1800円」ボトルなら残りが目視できるが、箱は重さで残りを判断する。これで終わりとなみなみコップに注いでも残る。もう一度なみなみ。最後はコップ半分でやっと幕がおりた。

ワインは身体に良いが飲み過ぎはどうだろうかポリフェノール?


5時までにゴミ焼却や犬の世話を済ませ、泊まった家内に「6時半に食べさせてくれんか」と草刈機を担いだ。作業場で特大ムカデを踏みつぶした。


午前中のミッション。太秦教会お備えを宅配・愛犬来月投薬のマダニとフィラリア予防薬(2頭で1ヶ月約8千円、半年分を買えないので毎月)・母のお参りに来週行く、そのチケット(新山口~京都の往復)購入・防府トヨタで家内の軽四オイル交換。昼は防府の「どんどんモーニング」。


事件は新山口駅で起きた。駅のパーキングは15分は無料。それで済ませるように小走りで窓口に行って往復チケットを買った。15分以内に終わったので早々に出ようとパーキングチケットをさがしたが「ガーン!無い」ドアを4枚全部あけてラジオはしろしいので切って家捜し。ズボンのポケットなど全部見たが無い。ここから出ることはできない。


パーキング入り口に連絡先かインターホンがあると思ってさがしたが無い。駅2階の「総合案内所」に神にすがる気持ちで走った。その対応は「駅前パーキングはJR管轄ではありません」と言う。イノシシが箱罠に入ったような絶望感。


駅レンタカーに「どうしたらええですか」とアドバイスを求めたら「出口にインターホンがあると思う」と教えてくれた。


出口に走ったらあった!美人(困ったときは美人)が対応してくれた。だいたい何分前に入られましたか?と聞かれて「30分ぐらいと思います」と言うと「インターホンはこのまま回線を切らずに車をこの場につけてください」意味がわからんが美人の指示に従い車を出口にとめて「止めました」というと「遠隔操作で料金表示します。お支払ください」画面に延長料金の140円が表示された「ありがとうございます」と言うと「お気をつけて」と美人が言った。


しばらくして考えた。

例えば2日ぐらい駐車して「さきほど駐車しましたがチケットを失いました」と言ったとき美人は「カメラ映像では2日前に入庫されていましたね」と言うだろう。


つまり、パーキング内でうろたえて老人の姿を美人は見ていた。


萩往還道を詳しく解説している本を木曜日に「とりのこ」で発見。オーナーにお願いして拝借した。歩いたメンバーに回覧する。

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週の山場の木曜日を終えた

写真説明

毎週木曜日、朝6時半に赤間神宮駐車場に車をとめ、左に海峡を眺めて唐戸魚市場に魚を求めて歩く。


今朝の市場は閉めている店が目立ち、開けている店に並ぶ魚が極端に少ない「魚がおらんね、アジを買いたかった」とおばちゃんに声をかけたら「昨日は時化た」と。それでも何か買おうと歩いて見つけたのはカツオのたたき。同じサイズを並べている店がふたつあった「なんぼかね」と声をかけたら倍違う。サイズが同じなら安いほうに手が出るが、安いのはそれなりに理由がある。おそらく鮮度ではないかと思った。今朝は買わずに市場を出た。


日頃は高下駄の寿司割烹「浪花」の荒川大将。先日の萩往還ウォークに岡本さんから指名を受けて参加された。

今朝お店で「どうでしたか足腰は?」と聞いたら「どうもありませんでした」と。ウォークを主催された親保隊長も「私は筋肉がないので筋肉痛にはなりません」加津恵さんと火曜日に会ったら「平気です」と笑顔。リモートワークで成長中の重枝さんも「大丈夫でした」とメモ書きで伝えてくれた。

合気道六段の吉野さんはゼイゼイあえいで完歩された。なにも音沙汰ないから安心している。


木曜日の10時ぐらいから40分ぐらい松村御大のお宅の玄関で奥さまの貴美さんとコーヒーでワイワイ語り大笑いするのも木曜日の楽しみ。


いつか萩八景、舟頭の梅津栄さんの「くらえ」を貸し切り萩八景を楽しみたいねで終わった。

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寝不足で水曜日が終わった

写真説明

朝6時、国道2号線小月から九州を撮った。


金比羅交差点の細田さんご紹介で長府の橋本さんに初お届け。細田さんがLINEで届けてくれた地図をコンビニのマルチコピー機でプリントしてそれを手がかりに歩いてお宅を探した。


新しい配達先を運転しながら探しているときハプニングが多い。その筆頭は「一旦停止違反」「一方通行違反」それと狭い道に入り脱輪など。その苦い経験からはじめてのお届けは近くまで車で行き、車をおいて徒歩でお宅を探すことにしている。

お宅を見つけてこれからのお届けルールを打ち合わせることができた。


水曜日の朝7時ごろ、玄関の発泡スチロールに届けて集金もその箱で済ませる。私のLINEを登録してもらったので変更はそれで済ませるからほぼお会いすることなく配達できる。


早朝2時。階下作業場のゆきちゃんが吠えた。最近ネコが夜中ウロウロしているのでネコかイノシシだろうと目をつぶったがまた吠える。ムカデかもしれないとハエたたきを握って階段をおりた。明るくして作業場を調べたがムカデの姿はない。

ヘッドライトを点けて外に出たが動物は見えない。けれども作業場シャッターの外に大きなガマガエルが座っていた。


ゆきちゃんに起こされて寝不足の水曜日になった。

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草引きは鍵山先生伝授で!

毎日カメラを腰にさげて気に入ったモノを撮っている。撮っている数は毎日平均で15枚ぐらいと思う。農園に戻りカメラ機能のWi-Fiでタブレットに移す。タブレットで確認して「うん」と思える3~4枚を残して削除している。「うん」はFacebookと日記で使っている。「うん」がない日もたくさんある。


それでも年間ですごい枚数が写真整理アプリに残る。そのアプリ機能で分類整理して検索を容易にしている。


ブログのホーム画面更新は毎朝2時から3時のあいだに布団のなかでゴロゴロしながらずっとやっている。今朝もそれでやった。写真を選ぶ前にもう使わない写真を削除しておこうとひと手間かけた。それが仇になった。

削除を選んだつもりが「全削除」になっていた。削除が終わるまで時間がかかって写真が全部消えた。


これは一大事!起き上がり正座をして復旧を始めた。全ては復旧できないが復旧できることがわかった。


断捨離。衣類に本に手紙に写真などどんどん処分している。「全削除」もそれになると復旧できる写真枚数は厳選して復旧できた。


そのせいで早くから目があいたので部屋の掃除にくわえてトイレと風呂掃除もできた。

風呂はビジネスホテルのようなシャワー。バスタブで全てやる。とにかく黒カビに悩まされた。壁面や床にビニールカーテンにカビがはびこる。風通しをよくするぐらいでは改善できない。


カビ対策の商品をいろいろ試したがカビが発生しないこと、薬品を使わないことを試行錯誤してきた。数年前からカビはない。


身体を洗うとき石鹸やシャンプーが飛び散らないようにバスタブに座って洗う。すすぎも尻をつけてシャワーの水量も少なく済ませる。壁面などに汚れが飛ばない。


身体を洗ってパンツを履いたらすぐにスポンジに石鹸をつけてバスタブと壁面などを洗ってシャワーで石鹸を流す。


今朝は部屋の掃除とトイレ掃除をしっかりできた。先日の雨で草が勢いを増した。指で抜く範囲がある。昨日の夕方ずいぶんやった残りを約一時間草を指でひいた。

山口県で講演などがあったとき、Yellow Hatの鍵山社長は「農園で泊めてください」と何度も泊まられた。雨あがりの宿泊で「さぁ草を取りますよ」と夕方から草とり研修になった。

根っこから抜いた草をバラバラに置かず根元を揃えて山にすると運ぶとき簡単にその山を運ぶことができた。あの頃を思い出しながら根元を揃えた。


山口市から帰り道でタチアオイが目にとまった。

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20年前の思い出

20年前、農園宴会の一枚。

前日、強い台風が通過した。この宴会は鶏舎の屋根が全て飛び去り。地域は停電しているなかで予定どおりに始めた宴会。発電機のエンジンをフル回転させて照明とトイレなどの水を汲み上げている。


屋根が飛んだ鶏舎に大雨が降り不衛生極まりないことになっている。大きなヒマラヤ杉が農園のなかで倒れている。その復旧と費用の心配。明朝からの採卵と配達など考えたら宴会している場合ではない。


みなさんに「予定どおりやります」と連絡したら「こんなときに」と言われたから「こんなときだからやります」と返事をしたことは覚えている。


豊浦の「鬼ヶ城」で父親が炭焼きをして育ててくれた李陽雨(り・やんう)さんがギターで「よいとまけの歌」を熱唱。


親しくつきあった黄栄作さんが陽雨さんコンサートに誘ってくれた。会場は豊浦の公民館。まばらな観客にまじって、土建屋のおっさんのフォークソングを聴いた。歌声よりおっさんの人柄のファンになった。おっさんがゲストに招いた人は呉明美(お・みょんみ)さん。

民族衣装チマチョゴリの正装で12弦のカヤグム(琴)を奏でながらアリランやトラジなどを披露した最後に「涙そうそう」彼女の大きな瞳から涙がこぼれた。1週間前に亡くなったおばあさんに歌ったと話された。


黄栄作さんから李陽雨にさんと呉明美さん。そして申徹也さんとご縁は続き在日韓国人の人たちと大勢ご縁が生まれていまも続いている。

残念なことは黄栄作さん李陽雨さんは故人になられたこと。


陽雨さんが養鶏業の申さんを伴ってきた夜は最高のライブだった。

申さん(かなり年輩)が酔って箸で茶碗を叩きながら、朝鮮半島各地で歌われるアリランを次々に披露してくれた。牛深ハイヤー節が北前船で各地に伝わりその地で独特の節まわしのそれ。


20年前の「きょう」最悪の状況でも最高の宴会をやった。

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萩往還道ウォークの半日でした

萩往還道ウォーク第二回

天候はしっかり雨予報に向かっている。明木をスタートの8時半~佐々並ゴールイン12時までのあいだ、いつから降り始めるか、いつから激しくなるのか。プランナーの新保さんは数日前から心配されたと思う。

昨日、朝9時前に「決行。雨具の用意」が一斉メールで届いた。私がプランナーでも同じ決断をしたと思う。


今回のガイドさんはご高齢ながら健脚。しかも往還道の歴史に精通されているばかりではなく。奥さまが車で要所で待ち受け、雨や体調で助けが必要なときすぐに援助できるようガイドさんと連絡を取り合ってくれておりとても安心だった。


主発から霧雨になった。山に入ると木々が傘になり濡れない。激しく降ることはなくお昼に佐々並到着。

新保さん手配の佐々並豆腐ランチが待っていた。


関ヶ原から明治維新まで、この萩往還道(萩市から防府市)を、多くの志士が急ぎ足で歩いたであろう。その史跡を楽しくめぐり学びになった。

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「あだち美術館」更新終わりました

今朝の萩市浜崎東区。この風景が好き。

民家になぜか鳥居があり、その鳥居の上にはキツネが鎮座している。


「あだち美術館」更新終わりました。前回に続いて萩八景遊覧船の梅津栄さんカメラです。

家族写真やペットの写真を見せてもらうと実によく撮れている。それはよい表情を撮る側が知っているからではなかろうか。


梅津栄さんの写真は、萩が大好きな梅津さんならではの「ここを見てくれ」のシャッターだと感じる。


今回の美術館に藍場川の風景がある。松本川から萩市内をめぐって橋本川にそそぐ物流の運河。藍場川一帯はその運河から自宅に水を引き込み庭から自宅のなかをめぐらせ、庭を豪華につくり自宅の水は天然クーラーやスイカなどを冷やしたりもできる。

梅津さんが紹介されている旧湯川家住宅は100円で公開されている。

とても丁寧にボランティアの方が住居のなかを紹介してくださる。


旧田中義一別邸は平安古(ひゃこ)にある。ここも100円でボランティアの方が前に後ろにたって紹介してくれる。


明倫学舎(300円)は萩を地質学的に、歴史的に、文化的に紹介するコーナーがあり質問すればとことん解説してくださるボランティアがおられる。


萩市の魅力は八景を舟で目線をかえて楽しむ遊覧船。萩の魅力を伝えずには帰さないぐらいのボランティアの人たちだと思う。もちろん船頭の梅津節は萩弁まる出しでとても楽しい。


「あだち美術館」を毎週更新している。写真のお願いや説明などメール交換。それを「まとめる」構想はとても楽しい。

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菊川さんと半日とても楽しかった

今月26日に山口市洞春寺で「神田京子講談会」の実行委員で催しの旗ふりをされている新保さんにチケット申し込みLINEをしたのが今朝のスタート。


木曜日の長距離配達の疲れはない。カルスト台地を菊川さんと歩く金曜日をむかえた。日ごろは野菜は山盛り食べてもご飯は少し。今朝は普通によそってもらった。


8時半、長者ヶ森パーキングが集合場所。私は8時に着いて「ちむどんどん」を見る予定で7時半に着いた。すぐに菊川さんも来られた。朝ドラからスイッチを秋吉台に切り替えた。


菊川さんは天候に関わらず日の出前を20年以上前から60分歩き続けておられる。私より数歳年上でも脚力は若い。

快晴の秋吉台を歩きまわり、おもに石灰岩がたくさん望める「地獄台」から「冠山」を2時間歩いた。写真は「冠山」で小休止の菊川さん。


松田正平先生と親交がふかく、その折々に「菊川」と教え諭された松田先生の言葉。菊川さんとの会話のなかでそれがこぼれてくる。

秋吉台を歩きながら、鳥の声を贅沢に耳にし、そよ風を楽しみながら菊川さんからたくさん人生の指針を学んだ。


歩き終えて長者ヶ森パーキングの休憩場で弁当。屋根があり高原をわたる風にふかれ鳩時計のような鳥の声を聴きながら会話がはずんだ。


大正洞駐車場のフォトギャラリー「写創蔵」に立ち寄りとても楽しい半日になった。

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淳貴君シャツどうですか

いま2日(木曜日)の午後5時。朝5時半、荷台と助手席とその足元まで積み込んだ(詰め込んだ)下関配達を載せてスタート。約250㎞走って戻ってきたのは3時過ぎ。終わった仕事を整理して愛犬2頭の散歩と夕食。それらを済ませてシャワーで汗を流した。午後の美祢市で気温は30度を超えたが愛車の冷房は使わなかった。この先猛暑では冷房は必要。けれどもまだ汗をかいたほうが気持ちがよい。


シャワーのあと缶ビール3本目を通過しながらの日記。紙箱の赤ワイン3㍑1800円を買ってきたので健康的に飲んで酔って寝る。

明日は、菊川画廊さんとふたりで秋吉台を歩きまわる。


内日の農家さんに配達。私より10歳ぐらい先輩のじいちゃんが田植えで働いていた。農機具を収める農舎には大型の農機具が磨かれてズラリと展示場。


この機械の前は牛が活躍した。あらゆる農機具を牛に牽かせて広い田畑をやった。草刈機もなかったから夜明けをまって鎌を持ち、日が暮れるまで草刈りをして夜なべで鎌を研いだ。


博労(ばくろう)さんが歳をとって働けない牛を買い取り、若い牛を連れてきた。家族も親類も総出で農業をやった。いまはワシと女房の二人でそれができるのは大借金の農機具があるからできる。


牛と働いたときは、牛の餌や健康管理までが仕事でつらいと思ったが借金はなかった。親類や地域のみんなで汗をかいて、昼は畔に腰をおろしてワイワイ楽しく。夜、みんながあつまれば手拍子で酒を飲んだ。


淳貴君のシャツを着て木曜日。親下関のブティックでオーナーが「すてき!」とシャツをほめてくださった。調子にのってフルートちゃんに撮ってもらった。

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元気に笑顔で6月を過ごしましょう!

数日前の朝、携帯電話の履歴を見たらの8時ごろ通話している。けれどもその方と交わした会話の記憶が全くない。早い日は8時前に寝ている生活。しかもほどほど酔っている。


きょうはご紹介いただいたお客さまと待ち合わせをした。中山神社駐車場。到着の10分前に私から電話をすることになっていた。番号をメールで知らせてもらっていたので番号入力。間違いないか確認したが間違えていた。しかも相手は相当に険悪な雰囲気になった。また間違えたらいけないのでメッセンジャーから通話した。


長府で新規お客さまをご紹介いただき、きょうはご自宅の確認をして来週からの配達を予定していた。それを忘れて農園に戻って思い出した。


6月。今月のメイン行事は18日~19日の太秦教会参拝。コロナでずっとお参りをひかえていたが参拝することに決めた。


今朝の綾羅木海岸。

穏やかな潮風で気持ちがよかった。

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