母、7年目の命日

写真は今から15年ほど前、母が80歳後半のとき「農園で泊まりたい」と突然言いはじめて農園で一泊したときの一枚。泊まりに来た魂胆がこのあとから始まった「私の葬儀のことを伝えておきたい」だった。


家内に書いておくように言ってそれは始まった。自分は高齢になり付き合う人はなくなった。兵庫県の妹は体調がすぐれないので知らせてくれるな。葬儀が終わり落ち着いてから知らせてくれ。

家族だけの葬儀でよい。金光教式で、祭主は太秦教会長(長女の主人)にお願いしてほしい。掛けていた葬儀社の通帳などを家内に託した。細かいことまでも指示をした「棺は3万円でよい」という。


7年前の6月15日、96歳の人生を終えた。


父親が中風で寝たきりの子だくさん家庭の長女。小学校を終えて松江の商家に奉公に出され、姉弟との縁すらない。

商家が中国青島市に店を出して母も中国暮らしをしている。中国語が少しは使えた。


結婚式の写真や私の父親の写真はない。出雲生まれの母が縁者が全くない宇部で、私を育てあげるための人生をおくった。その汗をかいて草刈りや便所掃除で母の働く姿をみて私の今がある。死ぬまで私の父親は語らなかった。


いわゆるお通夜の夜。家族を帰らせて棺の横に布団を敷いて酒を飲みながら母に感謝した。


母のお骨は金光教太秦教会の奥城におさめた。私たち夫婦は70歳までには農園のいっさいを長男に任せ、京都のどこかに二人の年金でまかなえる住まいをさがして人生を終えようとそのときは思った。


昨年、私は古希を通過した。

京都に骨を埋める展望はないと判断した。母のお骨をむかえる段取りは先月できた。

今週の土曜日、母のお骨を迎えに太秦に行く。

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コメント: 2
  • #1

    こじま (木曜日, 16 6月 2022 06:36)

    いいね 児島正晴

  • #2

    あだち です (木曜日, 16 6月 2022 07:30)

    こじまさんおはようございます。
    お便りありがとうございます。土曜日、太秦教会にお参りします。まだ海外からの団体客が来ておりませんので静かに観光もできると楽しみにしています。
    お元気でお過ごしください。