国会予算委員会

山口市内、ヘドロの溜まった河川に鯉が群れている。ハマチの養殖場と思えるぐらい育っているのは、地域の方が餌を与えているから。春になると冬眠からさめた亀(外来種 大型)も加わる。橋の上から撮った。


きのう参議院予算質疑で蓮舫さんが稲田大臣に問い質した。10年前、稲田さんが雑誌「正論」に寄稿した内容について。新年度国会予算を審議する場で個人批判をやり、の答弁に窮した大臣。両方にうんざりしながらラジオを聴いていた。


果たして10年前の持論を曲げたら批判されてよいのかと思う。わたし自身は10年前とは違う歴史観や人生観になっている。鍵山先生は「過程相」と「決定相」と話された。つまり、きのうの考えときょうの考えは異なってあたりまえ。変わらないのは進歩していないとも思う。


あの時は失言した。今、思えば赤面するようだ。その後悔は、そのときより前進した証しと思うわたしがある。




日記の理由

渡場ちかくの道沿いに、ドレスアップした「交通安全地蔵」を見つけた。とにかく目立つからアピールになる。

どんな天候でも、秋芳町の中学生が4~5人、朝7時半ごろ道沿いにならび、行き交う車におじぎをしてくれる。紋切り型の交通安全標語ではない「伝わるもの」がある。


前の会社で週刊社長通信を社内向けに出していた。当時、唐戸魚市場の専務だった松村御大から伝える大切さを教わった。御大は毎月「ふくふく便り」と称して、近況を長年に渡り、市場を去られた今でも続けておられる。


農園をはじめて「しんあい農園日記」もはじめた。昨年の5月に正志(長男)に譲った。もう日記はやめようと思ったとき気がついた。誰が読んでいるのか、その評価はどうなのかに関係なく、日記に毎日向き合うなかで、身のまわりの出来事や考えていたことを文字にするなかで、それが私の考え方を作り上げあげてきたように思われ、桂子ちゃんのご縁で重枝さんに教えていただきながら「囲炉裏の部屋」を続けることができている。わたしの小さな「凡事徹底」。


囲炉裏の部屋。岡山県早島の囲炉裏の側で神信を習ったから「囲炉裏の部屋」とした。

ホームページ勉強

配達先の犬たちに会えるのは楽しみ。写真は 美祢市の長照寺で番犬のご用。名前は「きんた」吠えずに睨むから、犬嫌いの人には番犬。


今月納車されたが気になることがあり、9時に防府市のトヨタ。ETCが用もないのに喋りやかましい。音声を止めることは構造上できないから、ダッシュボードの奥に付け替えてもらった。

後ろの荷台のドアが閉まり難いのは、気密性が新車のうちはたかく閉まり難いことがわかった。対策は、どこかの窓ガラスを少し開けておくこと。

すでに3000キロ走行していたのでオイル交換と点検を受けた。


11時半。Wi-Fiが使える商業施設でホームページ指南役の重枝さんと待ち合わせ。毎月の更新が3段階あり、それをスクリーンショットの連続動作をカラーコピーしていただき、図解マニュアルのように作成してくださり、それをもとに教えていただいた。


大量の迷惑メールにうんざりしていた。

1億円玄関に届けます。エッチなものあげます。母からです。迷惑メール対策教えます。

アドレス変更はしたくないので、ドコモのサイトから対策をふたつ設定してみた。いまのところブロックされており着信がない。

映画 沈黙の余韻

萩市浜崎の街並みが好きで、何度かホーム画面に載せた。昨年から、浜崎の泉福寺にたまごをお届けするご縁に恵まれ、浜崎に毎土曜日通えることになった。いつか、道幅が狭いので時間をつくり歩いてみたい。


約260年まえ、あらゆる拷問、迫害でキリスト教徒を弾圧した。その弾圧が強いほど信心は強硬になった。長崎に外国人のために大浦天主堂が建築され、祝いのミサから3ヵ月あと、マリア様を拝みたいと数人の日本人があらわれた。バチカンは、日本の布教は絶えたと考えていた。信徒発見、奇跡のニュースは世界を驚かせた。


一般に、老・病・死に向き合う宗教と思われている。社会制度が整った世の中になり身近な宗教になりにくい。そう言う人もある。わたしは違うと思う。200数十年も潜伏して信仰を守り伝えた人々、その原点(祖先)は宣教師からなにをうけとったのか。この点、作品からは見えなかったように感じる。そこが知りたかった。


わたしが思う信仰は、例えば参拝する前より、参拝をおえて戻るとき、心が元気になっている実感ではないかと思っている。


作品のエンドロール(英語)はながかった。

映画 沈黙を鑑賞

山奥の配達先に立派な鹿の角があった。あまりに大きい角だったから撮らせてもらった。


9時半から上映「沈黙 サイレンス」を宇部まで観に行った。上映時間2時間40分は長い。生月島、五島、長崎を主な舞台に迫害されるキリスト教徒やポルトガル人など宣教師が、殉教するなかで、それでも神の声が届かない「沈黙」。このストーリーなら2時間40分でも、制作側は足りなかっただろうと感じた。


わたしは、金光教の教会に20年以上も参拝していない(長女がご用の太秦教会は別として)理由は長くなる。ざっくりと言えば、参ると信徒会とかさまざまな組織に関わることになり、本来の信心(信神)より組織活動が多くなり、それが嫌になった。


けれども、不信心でもわたしの神は沈黙しない。

例えば昨年の秋、血圧コントロールに困ったわたしに糸賀社長が「酒をやめてみんかね」糸賀社長の口から神様が語りかけたと受けとめている。元気な家内が突然の高熱になった。夜間診療ではインフルエンザではないと診断されたが、原因はわからない。 翌朝、熱はひいて食欲が出た。太秦教会では祈っていただいた。家内はそのお礼を太秦教会に申し上げた。


都合の悪い神様のサイン。わたしは4年前に凍結で車が横転して廃車になった。早めのタイヤ交換・運転の慣れなど反省材料をいただき慎重な運転になった。


午後から、小川蜜カス本舗で打ち合わせ。温泉立ち寄りで戻った。

今朝も氷点下5度

数年前からイノシシ(大型)が農園内を夜間に入りミミズを補食する。鼻先で地面を深く掘り返すから、それを平らにする作業は大変な労力が要るし、なにより獣は危険。古い漁網を手に入れ農園周囲に張り巡らせた。けれども車が出入りする場所は、朝夕ネットの取り外しがわたしの日課。


半年まえの「やまゆり園」事件。その節目もあるのか、朝5時のNHK報道は、ある大学に60歳の脳性マヒの男性が招かれ事件の背景について私見を学生に話す番組があった。


出産のとき五体満足に。が親の願いであり、それは五体不満足の運命を背負った者への偏見にはならないか。


わたしなりの「まとめ(感想)」。親が五体満足を願い、祈ることはきわめて当然。それが偏見や差別につながるとは思えなかった。けれども、五体不満足の運命を背負った人にどう向き合うかは、わたしが子供のときは「別」にされないで周囲にいた。脳性マヒや知的に障害の友達もあった。最初は戸惑うが、そのうち慣れた。


地域や教室で一緒に暮らした時代があった。

東奔西走 水曜日

大根を寒風にさらして寒漬の準備をするバアちゃん。味噌・らっきょ・うめぼし、野菜は年間とおして多種類をつくり、お米から木炭までも自家製。大根の寒漬は甘くておいしいと目を細められた。


氷点下5度の朝をむかえた。給湯器が凍らないよう排水は多目にしていた。部屋の窓ガラスの結露は凍りついていたから、冷蔵庫のなかで寝ていたようなものかもわからない。


下関市安岡と長府の配達を済ませて戻ったのは10時。家内が自宅から農園に着いたのは30分遅れた。家内の車のオイルとエレメントにワイパーブレードの交換に防府市のトヨタ店。(担当は岡本直也係長)


3時が、小郡の原田屋で商談予定。風呂で時間調整しょうか維新公園を歩こうかと思案の結果、車で昼寝を1時間もできたのでスッキリした。専務と商談のあと社長と雑談。


明朝もしっかり冷えそうな夕暮れをむかえた。

酉を頂戴した

山口市の かわなみさん。モラ刺繍の作品を掲載した。今朝は酉を作られ、わたしにプレゼントしてくださった。農園の神様棚に鎮座していただいた。


火曜日の配達先の方お二人が相次いで入院された。両方の方からお電話があり、それぞれ医者の診たてを話された。

最期まで健康で周囲に負担をかけずに過ごしたかった。それがお二人共通の言葉。


母は7年、患い96歳でお国替えした。その7年を「負担」と思ったことは一度もない。あの7年が母との交流になり、知らなかった母とわたしのエピソードも聞くことができた。経済的には、上を目指すことはできないけれど、精一杯のことはした。


患うことは「負担」ではないと思います。とお伝えした。

ビクビク運転 思わぬ積雪

8時半の大谷山荘納品。7時に農園をスタートした。農園付近は凍結や積雪はなく快適に走っていたが、於福あたりから吹雪きがはじまり短時間で路面の積雪がはじまった。大谷山荘手前のトンネル。入口までは登り坂。氷点下4度の吹雪きで立ち往生している何台かの側をすり抜けてトンネルに入った。

納品を済ませてトンネルから下りはじめると、登りの車線はすべて立ち往生の車列。通過が少し遅れていたらわたしもあの中で立ち往生していた。写真は、雪が少くなったので撮った。美祢市内の路面は乾いていた。


きのう午後から家内の体調がすぐれない。泊まることにしたが夕方から発熱。40度ちかくまでになった。正志の嫁が心配して、夜間診療(9時まで)に連れて行くと8時ごろ農園に来てくれた。宇部市内までは1時間。インフルエンザではないが、原因はわからないまま解熱剤を処方されて戻った。

きょうも1日寝ていたらしい。


雪道の運転疲れを温泉で流して戻った。

モズの早贄(にえ)

今朝のホーム画面を残すため日記に載せた。モズが餌を木に刺しておく習性を「モズの早贄(にえ)」というらしい。配達の時間調整で歩いたときそれを見つけた。


年末から血圧が安定して奇妙なことが気になる。3時前に目がさめ、起きたらすぐに身体が動いて(アクセル全開でも)いたが、セットの目覚まし時計4時に起こされるようになった。すぐに布団から出たくない。今朝は日曜日だから2度寝の贅沢を体験できた。


5時半に布団をあげて、ゆっくり朝ご飯をつくり始めた。夜間、イノシシ浸入を防ぐネットを開けて正志が6時過ぎに到着して仕事を始めた。愛犬は散歩と牛乳を欲しがるが、わたしのエンジンは暖まらない。


血圧計の数値はよい。秋からコントロールに追加された1錠の服用は今朝からやめた。血圧が人並みになり、人並みの朝をむかえるようになったのかもしれない。


月曜日、早朝の凍結・積雪を考慮して岡本拓也さんや品川さんなど1日早い配達をさせていただいた。

やると結果がわかる

愛犬 はなちゃん5年の命日。小学生のときシェパードに腹をかまれた体験から、犬は好きになれなかった。縁があり生後間もない はなちゃんを我を家にむかえた。最初の夜、倉庫に寝かしたが泣いて仕方がない、朝起きてみたら家内が添い寝していた。18年わたしと過ごしてくれ、言葉の理解力はよかった。最後は安楽死を2度も獣医師からすすめられたが決断できなく、獣医師が言うような最後になった。きょうはもたないと思った朝、体重が半分以外になった愛犬を毛布にくるんで散歩コースを歩いた。見ておこうと懸命に目をひらいた。周南市から帰り道、金曜日の昼過ぎ、家内から「はなちゃんが息をしていない」と連絡があった。


昨夜、萩市のお客さまからメール「凍結するようですから無理されませんように」雲雀峠は予報どおりの積雪。予定の7時過ぎに玄関にお届け。リースがドアにあった、お嬢さんの名前だろう(○○ つばき)の札も、椿の萩らしい名前で気持ちがホッコリした。


農園のトイレ掃除。決めた日から数日も遅れている。寒いのが理由。今朝は「配達から戻ったらトイレ掃除」を言い聞かせた。さきほど磨き終えた。気持ちが晴れた。

充実した1日 ありがたし

3年前、母の存命のとき今村さんにお願いして納骨用を作っていただいた。母はこのなかに収まり金閣寺近くの金光教太秦教会奥城に祭られている。


宇部市内で3人の方にアポイントがとれている。風雨のなかMrMax 阿知須の軒下を40分ウォーキング。身体がとても暖まった。


ちかぢか陶芸作品を載せたいコジマさんは10時。今朝は作品のことではなく信心談義。80歳、金光教のご信心を歩まれている。わたしは教職者に不信がうまれ教会から縁が切れた。コジマさんは教職者ではなく神様を求めておられた。コタツに足を入れてお茶をいただきながら信心談義。


小川密カス本舗は11時。農園たまごを使ったカステラ以外の商品開発をお願いした。話し合うとお互いの立場の理解が出来て「それならば」というアイディアが出てくる。電話やメールより、会って交わす会話の力をあらためて感じた。


菊川画廊。会うごとによくなる血色が楽しみ。彼は風雨のなか朝のウォーキングは1時間やった。太りはじめたからうれしい。大寒たまご を差し入れた。


持世寺温泉でさっぱりして戻った。

ETC やかましい

菊川内日(うつい)は、木曜日の午後に集落を走る。昭和17年まで銅を採掘していた跡がある。採掘の黄金期には内日に飲み屋が数軒あったらしい。


納車されて1週間。1500キロ走った。今度のETCはいちいちしゃべる。毎日数多くの配達のときエンジンを切る。そしてスタートする度に「ETCカードが装着されていません」と機械音が出る。ボリューム調整が効かないので対策をお願いした。


17日、神戸の浜山小学校避難所でお世話になった方に電話をかけた。毎年欠かせない近況報告。牧さんにも電話。

約4ヶ月、小学校に滞在してお手伝いをした。あのときは、避難所運営のマニュアルのようなものはなく、千名以上の方々と生きていくことが精一杯だったように思う。

それでも、4月末の復興祭までに全員のみのふりかたが決まり、避難所を閉鎖して学校に戻った。


自宅を失い、着る物も支援物資に頼る中でへこたれた地域の仲間を「なんでやねん!」と励ましたのは、肩書きはない普通のおばちゃん達だった。わたしは、その現場で人間力をしっかり学んだ。それを小さくても実践したいと心がけている。

健康 太鼓判!

地元紙「宇部日報 17日」に、菊川画廊 開催中 絵との出合い展(25日まで)と、親子で競技かるたの手ほどきを元かるたクィーン今村美智子さん自宅で受けているふたつの記事が並んでいた。


下関市 長府と小月に安岡を配達。午後から血圧検診日でなんとなく気が重い。それは病院の血圧計で計ると、女医さんのせいかもわからないが高血圧、しかもかなりの数値になる。

加えて前回、血液検査で採血されているから痛風の尿酸値と、肝機能数値もボーダーラインだったから神妙に診察室に入った。


血圧は130の70(朝 降圧剤服用)で女医さん笑顔。血液数値は尿酸値も肝機能も血糖値も合格!

酔いつぶれて布団に入る生活習慣をあらためて、それが数値で見ることができた。

その元を解決せねば

瑠璃光寺は、2日前の雪がまだ残っていた。


私の血圧コントロールが薬で効かなくなったのは昨年11月。それは医者の腕が悪いから病院をかわろうと考えていたとき「酒をやめたら」のアドバイスを糸賀社長からいただき、人生初の4日も禁酒をした。効かなかった降圧剤が効きだした。以来、節酒の生活習慣が身についた。二日酔いを卒業できた。


この経験から大切なことが府に落ちた。

たとえば、両親と長男の3人家族の家庭。長男が結婚して4人暮らしがスタート。この父親は「嫁は こうあらねば嫁ではない」の信念で嫁の教育がはじまる。嫁は亭主に不満はないが、この家庭に耐えきれなくなり離縁。その後、この家庭は次の嫁さがしに奔走。


何人の嫁をむかえても破綻するのは、私の体験でいえば医者が悪い。けれども本当は私が悪い。つまり「元」が改まらないと解決しない。


「元」を「私」に置き換えるところに、光りがみえるような気がしてきた。

昨夜から冷え込み厳しく

過疎地のバス停にあるじの愛車が待っていた。買い物や通院など過疎地で高齢者は生きていくことは困難になる。それを感じた1枚。


昨日、ホームページの操作に失敗した。画像が出ないのはご自分の機器が不調と思われている方もおられましたが、私の操作ミスと訂正できない技量のせいです。


昨夜10時ごろ農園近くを走行されたお客さま「冷えたでしょう、氷点下5度でしたよ」確かに布団の中でも寒かった。今朝、結露を新聞紙で拭いていたら、何枚かのサッシが室内側で凍っていた。


配達スタートは遅らせて7時。コンクリート ブロックやホイール付きタイヤも積み込んで後輪が滑らないようにした。長門市 大谷山荘までの路面は鏡のようだった。

数楽の会

天気予報どおり雪景色の朝をむかえた。数日前から風が吹き、おまけに乾燥していたので焼却できないものが沢山あり、夜明け前から火柱があがるほど燃やした。

愛犬と新雪を踏みしめて散歩をすると、夜中に歩いた動物の足跡が大小さまざま残っている。特に橋の上は往来が賑やかだった。

 

岡 潔著「春宵十話(しゅんしょうじゅうわ)」を味わう。藤野貴之先生 (数学教師)が主宰の 数学の会が 朴の森(写真)で、午後2時から2時間開かれた。

その内容は、またの機会にして、この会が敷居が低い理由を私なりに書いてみたい。

 

自己紹介がない。きょうも初めてのご婦人2人が来られたが、来られた理由も名前もわからない。会の終わりに求められる感想もない。

私は常々、この感想文とか発表に疑問を持っていた。感想は、余韻にひたりながら熟成されてくるもので、直後に求められてもわからない。連続講義ではないから、中途参加でも大丈夫。きょうの参加費600円。

とても敷居の低い設計になっている。

 

次回は3月12日 問い合わせは足立にどうぞ。

西君 6年目の命日

6年まえの14日は吹雪の金曜日だった。午後1時半、防府市で西君の姿が見えないのでさがしたら川に転落していた。引き揚げて、いまレスキューが農園に到着した。その訃報に驚いて頭の中が真っ白になった。

レスキュー隊長は、農園地域の方で西君をよく知る方で、心肺停止の西君を宇部の医大に搬送する道中、ドクターを宇部からの救急車に乗せ途中で合流。搬送中も蘇生の処置がされた。緊迫した医大集中治療室の待合室で死亡を知らされた。


48歳の事故死はかわいそうで、悔しくてならない。1日、西君を思いだし霊の神様として農園の立ち行きにお力添え下さいと祈った。

人生の先輩を訪問

コジマさん80歳。わたしとは金光教のご縁。県庁を退職され積極的に人生を歩まれている。大学生時代に徳澤龍旻(トクザワ・リュウビン)という僧籍を持つ人が「貧乏追放」のノボリを掲げて、日本の裏社会に生きる人を励ます旅に同行した。健友館発行「ニッポン裏街道紀行」。北海道北の端から鹿児島鹿屋まで4ヶ月の徒歩の旅。それを2度果たされたと記憶している。


思慮深い人柄でありながら、わたしの深酒や愚痴に意見をはさまず「おう、それかね!」と笑顔で相づちをしてくださり

助けていただいた。いま健在なら30歳をこえる長男を失われた事故(小学生 水難事故)のどん底を体験され、いま、たくさんの生き甲斐を持っておられる。


わたしが教会から離れても、農園を訪れてくださったり心配していただいている。たまたまフェイスブックの再会があり、コジマさんの陶芸作品を見る機会があり、午後から撮りに行った。近々、作品をご紹介します。

ご来光を拝んだ

きょうは下関市から長門市の木曜日。配達先が増えたの長府と安岡の15軒を水曜日に振り分けた。きのう、その配達を済ませているから、今朝は1時間ぐらい遅くスタートできる。けれどもいつもの6時に農園をでた。1時間歩ける場所の下見も済んでいる。

場所は長府の大型商業施設。広い駐車場に1本、屋根付き通路がある。多少の雨でもこの下なら濡れない。今朝は雨もなく広い駐車場を歩いた。7時半ごろ小野田市を望む海から日の出が美しく小走りで車に戻り撮った1枚。拝まずにはおれなくてかしわ手をうった。


新車でスタート。エンジンを始動させたら家内が「新しいと静かじゃね」と言ったから「古くなると人も車もやかましい」と返事をした。


雪路の後輪ウェイト用に、ひとつ12キロのコンクリート製品を2つ買い求めた。

沖縄に思うこと

特別養護老人ホーム 幸嶺園(美祢市) 利用者の方々の作品が廊下を華やかにしていた。園長のご縁で何度か園の催しに誘われ、その度に酔っぱらいになりお声かけがない。真面目な酒になりましたからお誘いくださいませ。


ベトナム戦争当時の沖縄は、最前線基地としての役割を担った。B52爆撃機が反抗勢力を掃討する目的(ジャングルを裸にする・水や食糧を枯渇する)で大量に散布した枯葉剤。いまだにその影響は続いて様々な障害をもった新生児がうまれる。

その劇薬が残った大量のドラム缶が沖縄の工場現場などから出ている。その報道番組をみた。


地政学的に沖縄にアメリカ軍が駐屯する理由はさまざま聞いて理解はできる。その上で沖縄県民の立場を思うとき、ドラム缶や婦女子暴行事件など本土ではありえないことがある。嘉手納基地の近くに行ったことがある。耳が壊れそうな激しい音のなかで住民は暮らしている。

 復帰後からしばらく戦没者のご遺骨収集奉仕に通った。当時はGPSがなく、大量にある不発弾を目印になる場所に集め、赤のビニールテープを周囲に張り、自衛隊処理班に地図上で示した。300年処理しても終わらないと聞いた。


金城さち子 と彫られたセルロイドの三角定規と子供のご遺骨と対面したのは糸満市摩文仁の山野。


平和唱える沖縄県人の声に耳を傾けてみよう。

愛車 お礼の参拝

6時すぎ、火曜日の配達前に吉部八幡宮に参拝。いつもは階段下に車をとめて石段を上がり拝殿に向かうが、今朝は境内まで車をあげた。参拝の中身にまる4年、地球6周ぶんも走って仕事に貢献した愛車への御礼を神様に申し上げ、愛車にもお礼のかしわ手を打ち頭を垂れた。


山口市内、維新公園近くで渡り鳥が死んでおり、鳥インフルエンザ陽性反応が出たのは昨日。配達先で大丈夫ですかと案じていただいた。農園そばの川にはたくさんの種類の渡り鳥が飛来している。今の時期は鶏を外に放さないぐらいしか対処はない。


高齢ご夫婦の奥さんが来月から入院される。ご本人は自分の治療より、留守中の夫の生活が心配でならない。老いとともに、さまざまなハードルを誰もが越えなければならない。


配達を済ませ代車と愛車の交換。明日の3時に次の車が納車予定。

愛車は今夜が最後の農園

月曜日は ばんだいさん。年末の猿が特に好評だったから、写真を見て描いたのですか。この猿は東北の温泉を楽しむテレビ放送を見て脳裡のフィルムに焼きつけたと説明された。まだ作品があるから機会をみて紹介します。


4年まえ、満天の星空で放射冷却がすすみ、JR山陽の跨線橋が凍てついておりスリップ。車体は橋の上で転がり回転した。車は全損になったが、わたしはシートレインランドのアザが身体に刻まれたぐらいで助かった。そのときの新車が4年で239700キロメートル(本日)を走り、明日の配達で役目を終える。農園の夜は今夜が最後になる。これからお神酒をかけて労に感謝をする。新車は水曜日の夕方納車。


農園生活をはじめて映画を録画して観ることが多くなり、主に洋画作品をかなりの本数観た。そのせいかビデオデッキの調子が悪く、録画できているのに再生ができないことが頻発するようになった。

今朝、録画タイトルはたくさんあるけれどディスク初期化をした。これでなおらなければ、デッキにもお礼申しあげて新品にしなければならない。

斎藤 清の世界展

雨や北風が冷たい朝は、阿知須の大型商業施設の軒下がウォーキング コース。今朝は約1時間この軒下を往復した。奥に7億円当選の宝くじ売場があり、お百度詣りもできる。年越しロト6の3千円がぼつぼつ、日本銀行夢の「億の部屋」招待券になるかもわからない。


会津に生まれ「会津の冬」をライフワークにとりくんだ版画家 斎藤 清の世界展を鑑賞に菊川画廊のお供で、周南市美術博物館に行った。

きっかけは、県セミナーパークで映画字幕翻訳家 戸田奈津子さんの講演ペア券を引き当てたわたしがペアに選んだ菊川さん。会場にあるたくさんのリーフレットに斎藤清があり「ボクの好きな作家」とつぶやいた。病みあけ、体重が20キロ以上落ちているから宇部市と周南市の往復は大変なことに感じた。運転手するから行きましょう。それが実現した。


家内が農園に泊まり、野菜と玄米の 菊川御膳弁当を持たせてくれた。


画廊には招待券が届いており「菊川です」の挨拶で受付は通過。彼の歩幅で歩き90分。豪雪の会津作品を前に「雪が余分なものを消しました」「寒さと静かさが伝わります」と彼の感性が言葉になり、わたし専属学芸員を従えていた。斎藤のサイン。その色や位置は作品を引き立たせるわざだとも教えてもらった。


小雨の駐車場の車内で弁当を食べた。贅沢な1日だった。

死は2度ある にガッテン

6時。農園は氷点下2度。萩道路の気温表示は氷点下5度だった。土曜の配達終わりは牛のは肥育農家。牛の鼻についている輪の意味を話題にした。ここでは生後5ヶ月で鼻に輪を通す、外すことも簡単にできる。牛は鼻が弱みの場所だから、輪を通しておくと扱い易いのが理由とわかった。


初夢は昨夜だった。ビーグルの太郎さんは18歳で天国にいった。その太郎さんが布団にもぐり込んで甘えた。しばらく楽しい夢を見て目がさめた。しばらく太郎さんの余韻にひたった。


きょうのラジオで東北被災地を語る番組中に「人は2度死ぬ」と言う人がいた。1度目は肉体の死。2度目は周囲のみなさんの記憶から消えてしまう死。


太郎さんは臭いまで覚えていても、母には朝夕手を合わせても、お世話になった方々を忘れている。努めて思い浮かべるようにしたいとおもった。


農園に大きな猫が住み着いている。天井裏が静かになった理由がわかった。

ウォーキング新ルート

今村さんに午後1時に訪問のOKをいただいた。8時に散髪、持世寺温泉も常盤公園も歩きたい。昼ごはんは農園。遠隔地の常盤公園を変更した。山口テクノパーク河原谷公園を散髪のあと歩いた。

ここは遊具やコートに体育館が整備されているが、いつも閑散としているので芝生の広場をぐるぐる歩く。今朝、小高い場所に上がる階段に気がつき上がった。その小高い場所から遊歩道が整備されていた。アップダウンがあり、きれいな池を眺めながら、アジサイ谷と表示された景勝地も発見。トイレもあり健脚向けのコースと思った。これだけ整備されたコースを歩く人影はない。管理棟に女性職員さんがひとりおられたから歩き方を聞いた。60分ぐらい、しっかり歩けるコースに整備されていると説明を受けた。農園から近いから、ここをホームグランド歩くことに決めた。


貸し切りで湯を楽しんでいたらおばさんが湯の温度を計りにきた。わたしの湯は40,2度。隣の浴槽は42度と教えてくれた。入浴料400円のかけ流し。


今村さん訪問。陶芸作品を何点か撮らせていただいた。専修大学野球監督のとき、山陽町の在日韓国人高校生を専修大学野球部にスカウトした。その彼が、今は韓国で野球監督をしている。今夜、今村家を訪れるらしい。

韓国料理「テジョン」で酒盛りの席。今村さんが在日韓国人選手との思い出を、涙をながして語られたその彼だと思う。

今夜の乾杯は嬉しいでしょう。

今村陶芸はちかぢかご紹介します。

初 笑い!

住吉神社 宮司に配達の前、本殿参拝で「シモバン(下関板金工業)」の松本社長が社員を率いて初詣。農園は、シモバン・ヒロナカ・永本建設(ぜんぶお掃除仲間)に当初の建築をお願いした。シモバンはすべての屋根施工。松本さんは専務で、トラックで通い日焼けした。

あれから17年。手広く事業を展開され「松ちゃん!」より「社長!」とわたしは声をかける。


毎年、仕事初めに詣でていた神社に社員と参ったら、神社が神事をやめた貼り紙があったので、住吉神社に詣でたらしい。二番煎じの神詣りで大笑い。


ラジオでは、大学受験の息子と地域の神社に詣でた母の投稿。気合いを込めて鈴を鳴らしたら鈴が落下した。息子が受験に落ちるお告げかもわからない。


女子アナが笑いながら、わたしは初詣でお賽銭を投げたら、前の人のフードにストライクした。


昨夜の「ためしてガッテン」は痛風。プリン体摂取は痛風の20% あとは排泄機能が80% 。排泄ができないから痛風になる。その予防は、毎日コップ一杯の牛乳が腎臓を刺激してプリン体を排泄に導く。岡本拓也さんに教えてあげよう。


うどん よしの。店主は合気道五段に昇進。

水曜日の配達ルート

長府毛利邸そばのお屋敷には、土塀をつくるとき邪魔な木を伐らずに、塀を木に合わせて細工したところがある。伐れば済むのに伐らない心がうかがえる。


木曜日の配達先が増えて嬉しい悩みがあった。水曜日と金曜日は仕事をやらないと宣言して約2年。木曜日の小月と長府、安岡地域の飛び地を水曜日に済ませることにした。その数は15軒。

悩みというのは、長府や小月は通学路を走るので、特に自転車通学の生徒さんには細心の注意を払っていた。先を急がないから通学路、通学時間帯を外すことができた。


安岡で10時前に終わったので、川棚温泉に立ち寄り、初温泉楽しんだ。


正月、録画したゴッドファーザー3作、合計約10時間を深夜などで観た。政財界に宗教界にマフィアが裏社会で富を分配するストーリーは、現実味がたっぷりで面白かった。

初セリ御用達たまご

長府 功山寺を参拝。壇具川の鴨たちは元気に泳いでいた。


農園をはじめて間もないころ「正月にたまごが余るなら、4日の南風泊(はえどまり)市場の、初セリ関係者にお年玉子として配るから3日に運び込んだらええ」そのお言葉に甘えて、毎年3日の南風泊行きは続いている。御大が社長・会長職を辞任されてもご注文をいただく。鮮度が一番のたまご屋にとっては在庫がなくなり嬉しい応援。


今朝、200個詰めの段ボールを11箱積み込み、農園の在庫はほぼゼロになった。南風泊の2階に運び揚げる階段は30段。それから廊下を歩いて所定の場所に納品する。これは体力が問われる。2年前から家内を連れて行き、わたしが30段運んだ箱を、持参の手押し車で廊下を運んでもらう。きょうも30分ほどで終えることができた。


そのあとは、御大ご自宅にご挨拶。豪華なおせち料理とお神酒をいただいた。




初仕事

元旦 早朝の吉部八幡宮。参拝のあと西君霊殿から奥城の順にかしわ手をうった。


月曜日は大谷山荘お届け。お正月の挨拶もしたいから岡本拓也さん宅も配達。地域には春日神社があり岡本さんたち地元の人が正月飾りをされており参拝。県下の古社の一つで785年に奈良春日神社からせん遷座されたと書かれていた。


きのう参拝した 正八幡宮(佳子ちゃん臨場巫女)は秋穂八十八ヶ所の一番霊場でもあり立派なお社。神様を祭り弘法大師も祭る。神仏が祭られている神社はたくさんある。


地域の人びとは節々に神社に集い、神仏のご用を宗旨にとらわれずにできる場にもなっている。


神社の集まりごとのあとは、みなさんで酒を飲みながらの懇親会。女性も裏方やりながら親睦が深まる。


全国津々浦々の、社を軸にした地域が日本になっている。

穏やかな元日

下関住吉神社の境内。

 

6時半に吉部八幡宮を振りだしに、宮尾八幡宮・正八幡宮の順番で初詣。参拝したお宮の雰囲気、参拝者の数や飾りつけを見てお宮の格付けをする習慣病が、神様にご無礼をしていた。今年は余計なことに気持ちを動かされないよう、神様だけに心をむけた参拝を心がけた。

 

農園までおよそ10キロ地点で、車は家内に任せて正月の日差しにあたりながら農園まで歩いた。

 

鶏は餌を食べるし玉子も生む。農園の作業は休まれないが、それは任せて、私はいっさい仕事をやらなかった。例年のように昼からお神酒をいただくこともなく、読書と昼寝の半日を過ごした。

明日から配達がはじまる。