京都の家族たち

金光教太秦教会の大祭は昨日うるわしく仕えられ、台所奉仕の家内は2泊した。

今朝は妙心寺と仁和寺のあいだに母が祀られている教会奥城(金光教では 奥城・神道では奥津城と表記)に参拝。仁和寺山門で撮った写真が9時に届いた。

左から長女の照美さん・家内・大輝(小4)・美花(高1)・正美(小6)

照美さんは介護福祉士。大輝はサッカー少年。美花はブラスバント(サックス)・正美は相撲と吹奏楽部。


最近、愛犬の夕方散歩をやめて放していた。もともとが野良だったのでマムシなどから身をまもる術は心得ている。走っていてもヘビがいたら跳躍して踏まない。ダニ駆除の投薬も済ませている。けれども昨日は大いにカラダを汚して帰宅した。もうリードで歩こう。


例えば身近な人が深刻な病になったとしたら「全快を祈ります」と私は言えない。その方の寿命があるのに、祈られた神様や仏様に「結局おかげにならなかった」と不満がのこる。その祈り方とは別の祈りがあると最近ずっと反芻していた。

私が「師」と仰いでいたお方は今年お国替えされた「あのなー、私が拝んでいる神さまは全知全能ではないのぞ」と何度も私に言われた。

要は、そのような場合にどう神仏に手を合わせるか。また本人に「ご快復を祈っております」の社交辞令を言わずに言葉をどうかけるかを考えていた。


太秦教会長(照美の主人)も私の「師」を「師」と仰いでいたことが師の葬儀の場でわかった。彼に電話をした「全知全能ではない神さまに、どうお願いしすることが祈りになりますか」と「お父さん、僕は師匠から教えていただいた祈りは」とズバリ私が求めていたことを話してくれた。

午後の2時、小野田市で天地が開けたような心持ちになった。

東奔西走の日曜日になった

今朝は6時半に農園をスタート。農園につながる唯一の橋は「木の瀬橋」という。過去に5回も厚東川の氾濫で橋が流されたと聞いている。平成にはいり護岸工事とコンクリートの橋が完成した。


農園の場所は朝霧が立ちこめる地形。お茶の栽培にはこの朝霧がよいらしくお茶農家が6軒あった。60年前に川が氾濫したとき川の石が茶畑を埋めたので全所帯は離農されたと聞いた。そういう地域の歴史を話してくれる古老はもう一人もおられない。


その「木の瀬橋」から、きのう草刈りをした川土手を撮った。半月もしたらもとの背丈の草が生え揃う。


山口市内、NTT 社員さんの独身寮に月末の日曜日はアルミ缶を回収に行く。厚狭レインボーという精神にハンディがある人たちの作業施設が定期的に農園に回収にくる。作業施設では缶を潰す作業と、それを回収業者に売って施設運営費の足しにしている。


日曜日は平川のガソリン給油所で満タンにする。日曜日は値引き価格。

防府トヨタは9時半の予約。オイル交換など整備を終えた。


次は清末のレストラン「兎」に集金。長府の洋菓子店レサンクにカステラとマドレーヌを受けとりに国道を下ったが、山陽自動車道下り線の事故通行止めの影響で台道から渋滞。湾岸道路に迂回して清末まで90分もついやした。


昨年から計画をすすめてたどり着いた「カステラ」と「マドレーヌ」4月に今回をふくめて3回つくった。明日の月曜日で注文を締切、合計4回の製造となる。まだ集計をしていないがかなりの数ご注文をいただいた。

「おいしかった」と手応えもかなり頂戴した。次回はお中元の時期に雲丹醤油とセットでご案内させていただく。


ブログ「先月写真集」を5月用に更新しました。

31回目の台所奉仕に向かった

今朝7時ごろの萩市「旧 田中義一別邸」ちかくの土塀。維新150年と言われる。この土塀からも年輪がうかがえた。

この土塀の突き当たりを左折すると「鍵曲」という場所になる。明日のホーム画面で「鍵」をご紹介します。


お昼前に農園に戻り、お昼ご飯に缶を1本添えた。食事をすませて横になったら30分寝ていた。

農園にかかる橋から草刈りをはじめた。川土手など3時間、しっかり汗をかいてきれいになった。


2時過ぎに太秦教会春の大祭台所奉仕に向かう家内の車が側を通過した「気を付けて、今回で何回目になる」ときいたら即座に「31回」と答えて行った。

大祭は春と秋の年2回。よく通ってくれていると思うのと、正確にカウントしていることに驚いた。


山口県ではどこの売り場にもある「瓦そば」が京都にはない。家内と瓦そばは孫3人にはセットになっている。きのうクール便で、瓦そば16人分・前日に味つけした牛肉1キロ・大量の金糸たまごとネギ。

常温の箱は、ご神前三宝に盛る乾物などが一箱の二箱を出した。今夜は瓦そばで賑やかになるだろう。

方言大好き人間です

美祢市の山あい、老夫婦がお住まいの庭先に田植えの準備でトラクターが今年も登場した。オペーレーターは当年84歳のじいちゃん。

持病があれこれ増えて、毎食後に服用する薬の数は増えるばかりらしいが今年も米をつくる。このトラクターは数年前に350万円で購入された。


昔は田畑の耕作用に牛が2頭飼っておったが、その世話を毎日せんにゃならん。牛が歳をとると博労さんが子牛を連れてきて交換する。その子牛が一人前に働けるよう仕込むことも大変じゃった。

それを思えばトラクターのほうが世話がない。


明日の土曜日は萩市などを配達する。加奈ちゃんパン教室の生徒さんで阿武町在住の方が農園たまごのファン。阿武町まで配達が困難なので出た答えは、萩市役所近くのお嬢さんお住まいのガレージにクーラーボックスを置いて、そこに朝7時ごろ20個入れておくルール。

彼女から電話があり「明日は70個届けてください。でもクーラーに入るろーか」と。

方言大好き人間の私は「ろーか」に反応した。「ろーか」は「だろうか」の石見弁。彼女の地域は島根県日原や益田と隣接しているので方言文化がミックスしているのだろう。方言談義で楽しかった。


市町村議会会議録の調整を20年やった。九州全県下と山口県、島根県が営業範囲。薩摩弁、肥後弁、球磨弁、長崎弁、大分弁、宮崎弁、博多弁に出雲弁など、その地域に営業に行くと方言に苦労した。あるとき球磨郡佐良村で道に迷った。やっと発見した村人に道を尋ねたら何を話しているのかサッパリ理解できなかったことがある。

各地を営業で歩いた私の耳は自慢できる。


山口市内でご注文いただいたカステラとマドレーヌを配達した。先を急がない配達だったので会話をはずませた。

お中元にカステラを使いたいと言われる方が多くなった。ウニ姫様(下関市のやまみうに)の「雲丹醤油」もご紹介してみたい。

6月にカステラ マドレーヌに雲丹醤油をご案内したい。

ヒモトレ 検索しませんか

糸賀社長 撮影。

各地の写真展に作品を出しておられその評価はたかい。美容師という職業柄「美」に向きあわれる感性が鋭いことと、撮影でオートーを使ったことはない。フィルム撮影をする現場で求められる忍耐など、タブレット写真の私には想像もつかない技術があることを垣間見た。


木曜日の朝は唐戸魚市場。今朝も7時前に赤間神宮駐車場に車をとめて、関門海峡の潮風を満喫しながら市場に行った。調査捕鯨の刺身用クジラのブロックが1000円。迷ったあげく買わずに魚を2種類1300円。


次の下関市配達は5月3日の先帝祭。配達エリアの唐戸地域一帯は通行規制が9時からはじまる。くわえて配達先の会社などは水曜日にお届けになる。

その打ち合わせとカステラ「南蛮だより」「南蛮まどれーぬ」のお届けと注文とり。月末の集金も加わりお客さまと会話を交わしながらメモをとる木曜日になった。


木曜日のゴールは美祢市のうどん「よしの」連休中は来店客が行列になる。大量に仕込めば儲かるが体力がもたない。儲けと体力を考えながらのカレンダー。心強い味方は「ひもトレ」このひもで稼いでいますと夫婦(めおと)うどん店。「ヒモトレ」で検索すると不思議な世界があります。

ともちゃんの銀メダル

この小冊子について日記にとどめる目的で書きます。


スペシャル オリンピックスは知的に障がいをもつ人たちのスポーツ。20数年前に熊本県の中村勝子さん(スペシャルの母のような人)が「ともちゃん」というダウン症の少女と体操競技に取り組み、二人で世界大会(アメリカ)に参加された。銀メダルを授与された喜びを各地で「ともちゃんの銀メダル」と題して講演行脚をされ、スペシャル オリンピックスを日本にひろめようとされていた。

私は掃除に学ぶ会で2度(熊本県・神奈川県)拝聴した。


そのスペシャル オリンピックスの価値観が理解できた。勝子さんに申し出て小冊子をつくるボランティアをした。売価は200円。10000冊以上販売できたのは、鍵山秀三郎先生が全国のお掃除仲間にお声かけいただいたから。うち100円はスペシャル オリンピックスに寄付ができた。


その出版をすすめるなかで山口県にもこのスポーツを広めたいと思い始め、ときの小郡町 岩城町長ご夫妻に後押しをしていただき小郡町公民館で中村勝子講演会を催した。

スペシャル オリンピックスという言葉の認知はゼロ。教育講演会と銘打った。200人が集まった。もちろん内容は「ともちゃんの銀メダル」講演終了のあと、この運動を山口県でやります。関心のある方は連絡先を書いてお帰り下さいと伝えたら100人以上の方が記入された。

思いで深い小冊子です。


早朝から下関市向け。配達を終えて長府の洋菓子店レサンクにカステラとマドレーヌの完成品を受け取りに行き、新たな発注をして、その材料のたまご300個を納品した。


長府 あけぼの珈琲店でスペシャル オリンピックス関係者の方と話し合いを持った(今回2回目)。


美祢市経由で農園に戻りながらカステラの配達をした。29日が太秦教会春の大祭で家内はふた晩泊まりで台所のご用奉仕に向かう。きょうは夕方からお供えものを買いに山口市内に行く。

雨具の火曜日が終わった

写真の焼酎ハイボール ロング缶は、ディスカウント ドラッグのコスモスにある。ストロング(9%)でも178円。私はロング缶の9%が気に入っている。


農園独り生活の日が多く、日本酒や焼酎、ウィスキーなどをボトルで飲むと「あと少し、きょうもよう働いた」と心の狸が囁いて深酒になる。

缶にシフトすると今夜はロング缶1本で終わろうと決めることができる。けれどもかわいい狸が「ウィスキーをダブルでどうでしょうか」と8時ごろに囁く「かわいい狸じゃ」と頭を撫でてやり安物ウィスキーをグラスにそそいでチビチビ。そのうち寝ている。

今朝もグラスに半分残ったウィスキーを捨てた。今夜は「シングルでええ」とかわいい狸に言おうと思う。


火曜日はニュースタイルの糸賀社長と会うのが楽しみ。もともと声のボリュームは大きい私が、意識して大きな声で1週間の出来事を話したら社長がニコニコしながら相づちをうってくれる。聴力などいろいろなご不自由はあるけれど前向きな生き方をされる社長を尊敬している。

カンロ飴を「食べんかね」といただいた。歯にくっついてやれんらしい。大笑い。


配達のスタートからゴールまで完全雨具(カッパと長靴)の火曜日が終わった。

次女の真砂恵さんと子供です

農園に昨夜来てくれた真砂恵さん家族(主人は外でホタル族)。イノシシ料理は、焼き肉・すき焼き・竜田揚げになった。

腹一杯になって農園をあとにする真砂恵さんにお米・ビール・パンにお菓子などを家内は持たせた。慌ただしいなかで家内は嬉しかったのだろう。


月曜日の配達は岡本家からはじまる。7時前に着いたらお母さんが玄関の戸をあけて待っておられた。昨日のタケノコ掘りご指導のお礼を申し上げたあとに「先日、鹿児島に旅行されてからお元気になりましたね」と申し上げた。


入退院を繰り返し、見た目にも衰えを感じていたが、かなり元気を取り戻された。タケノコ掘りの陣頭指揮をやろうという気力がよみがえった。

私の母もベツド生活のなかで「トイレは行く」とオムツを拒み、時間をかけてトイレに通った。96歳、最後のころ気力がすっかり萎えて逝った。


タケノコ掘りのあと、竹やぶ側の墓地に合掌して「お父さん、まだ側に行けません」と声をかけられた。


学徒動員で戦闘機の組み立てをされたお母さんは知覧の参拝だった。それを果たされてよかった。

私の母も、私が沖縄遺骨収集奉仕に通っていたころ「私も行きたい」と言うので参加させた。収骨されたご遺骨をブラシできれいにする奉仕をした。

あの戦争を生き抜いた人の背筋はどこかちがう。

今夜はにぎやかに夕食

8時に岡本さんのお宅。お母さんから先日も「タケノコ掘りに来なさい」と強いお誘いを受けた。

なんと「私が案内します」と身支度を整えはじめた。何度か掘りに行っているから案内無用だけど断れるような雰囲気ではない。拓也さんに同行を求めた。米袋にいっぱい掘らせてもらった。


農園に自宅から家内が到着して慌ただしく動いていた。今夜は真砂恵さん家族5人が夕食にやってくる。その食材などを車から運んでいた。タケノコは私がやらねばやらない空気を感じた。ひとつだけ湯がく前の形に見本をつくってもらった。

はじめて皮をむいたりしてよく分かったことは掘る大きさの目安だった。小さいほど価値があるように思っていたが、小さいと食べるところがほとんどない。今度タケノコ掘りに行ったらベスト サイズを持ち帰ることができる。


昨夜の録画はSONGS「東京スカパラダイス オーケストラ」早起きして迫力満点の豪華ステージを堪能できた。


今夜はイノシシ。すき焼きと焼き肉用に家内が準備した約2キログラム。

マムシとムカデの季節

農園生活はもうすぐ20年になる。自宅に戻ったことは1度もなく、それぐらい自然のなかで生活することが楽しい

しかし、自宅では味わったことがない恐ろしい農園生活での体験がふたつある。それはマムシとムカデ。

マムシは農園建築中の作業場に入ってきて驚いた。ご年輩の大工さん「これは縁起がよい」と験担ぎ。山と農園が接するところにわき水があり、そこがマムシの楽園だった。愛犬の太郎さんは2度も咬まれて生死の境ををさまよった。


次の恐怖は巨大ムカデ。ホタルが飛び交う蒸し暑い夜は部屋に出る。しかも赤くて大きい。数年前の夜、背中に動いている感触で目をさました。なんとなく長い生き物が背中で動く「ムカデ」と瞬時にわかり、ゆっくり身体を起こしてイッキに脱ぎ捨てたシャツからムカデが出た。

朝の洗面を済ませて水を拭き取ろうと雑巾に手を置いたら動く感触があった。これもムカデ。


今朝6時に萩市に向けて走るカーラジオ「ムカデが出ました」と島根県のリスナー投稿。それに対して「ムカデは毘沙門天様の化身ですから殺さないでくたさい」私は、どちら様でもお断り。

農園にお昼前に戻ったら自宅から来た家内が「近所の子供自宅にムカデが出たと騒いでは」と言う。


昼ごはんを済ませてムカデ防衛作戦を決行。ムカデ駆除剤を階下の周囲に大量散布。この薬剤に影響のない場所に晩秋まで愛犬を繋ぐために草刈りをしていたらマムシが一匹出てきた。マムシ以外のヘビは殺したことはないが、マムシは追いかけてでも殺す。今年は桜をはじめ開花がはやく、季節が早送りになっているマムシもムカデも動きはじめている。


私のムカデ防衛は完璧。防衛ラインをまたいだムカデは数メートルぐらいで絶命。昨年は階段の中ほどで絶命したツワモノもいた。今年も完璧にムカデもマムシから農園を防衛します。くわえてハチも作戦あり。

骨休め 金曜日になった

この方をはじめてみたのは、テレビ「ちぐまや家族」が長府を訪れたとき、レポーターが「この界わいに面白い人はいませんか?」と聞いたら「おります」とレポーターを案内した珈琲店でこの方の顔がアップになった。

その後、ご縁があり昨年の秋に珈琲店でお会いしたことは昨年11月15日の日記「藤中隊長ご紹介」と題して載せている。私とはフェイスブックでのお付き合い。多才な方で長府の町興しで様々活躍されたり、本格的妄想小説を執筆されたり、ご高齢のお母さんと犬や猫の世話。ジヤズなど音楽も詳しい。

なかでも「絵」はユーモアや昭和の雰囲気などを描かれて評価はたかい。お名前は藤中さん、私と同じ1951年うまれ。過去は語らないが独身と思う。みなさんからは「カバ隊長」の愛称で親しまれている長府の有名人。


隊長が長府中浜市場の一画に大きなサメ(ジョーズ)を描かれた。この作品には仕掛けが隠されている。いわゆるインスタ映えを狙う人には聖地になるかもわからない。そのカラクリを明日のホーム画面で紹介します。


きょうは仕事はしない金曜日。朝寝したいけれどもネコが階下で呼ぶ。黙らせるためにネコ缶を持って食べさせた。朝の冷気ですっかり目がさめてしまい、ゴミの焼却など夜明けに働いてしまった。


小郡で散髪をすませて防府市の上田さんお宅。上田さんは松村御大と萩の時代にわんぱく仲間。前の仕事でお付き合いが始まり私を松村御大にご縁つないだ上田さん。

先日の萩市浜崎散策は、松村御大たちと遊びまくった縄張り。参加したかったが別件があり断念された。

当日に配られた浜崎古地図を持参して土産話に花を咲かせた。


お昼に農園に戻り辛口チューハイ ロング缶。録画の浅田次郎「石榴坂(ざくろざか)の仇討ち」を一気に観た。

武士の矜持が作品からうかがえてよかった。

ピカピカの「あつ駅」

午後1時半ごろJR 美祢線「あつ駅」のトイレに立ち寄った。無人駅で清潔さは期待していなかった。ところが、今朝からガソリンスタンド、コンビニ、公園など立ち寄ったなかで一番ピカピカで驚いた。使いはしなかったが便座を除菌するものまで備えてあった。

済ませて出たら、外の洗い場でご婦人が腰をかがめて雑巾を洗っておられた。思わず「とてもきれいなトイレを使いました」とお礼の言葉が出た。


その言葉に少し驚かれたように感じた「ありがとうございます。2日に1度の掃除をしています」とおじぎをされて「お茶をいただかれませんか」と言われる。配達が残っているけれども、この場面はお茶をいただくほうがよいと思った「ありがとうございます」と駅舎に入って驚いた。


たしかに無人駅ではあるが「地域交流センター」として駅が機能しており、地域の人たちが集まり文化的な講座など催しがたくさん企画されている。

近くにはたまごのお客さまがたくさんある。萬代さん、菅原さん、大橋さん、高須さん、諏訪さん、品川さん、高見さんなどたくさんのお宅を言うと全部ご存じだった。


ギャラリーがあり写真が展示されていたが、萬代さんの絵手紙も掛かるし、絵手紙講座もここで開かれている。

過疎地と言われる美祢市にピカピカのトイレと交流センター。無償貸出の電動自転車で元気な「あつ駅」に出会えてよかった。今度はゆっくり訪れたい。

ぜひ「あつ駅」にお立ち寄りください。明日のホーム画面でも紹介します。


えびの高原で噴火が発生した。

温泉大好きの私は王道は「別府」と言うが、じつは「えびの市営温泉」が思いで深い。出張で看板を見つけて立ち寄った。入り口で110円払い入浴方法の説明を受けた。細い山道を登ると小川がある、そこが男性の露天風呂で川に横になると川底から湧いてくるお湯が川の水でぬるくなる。適温にするには川底の石でお湯と水の割合を自分で調整する。

スーツと革靴でを山道を登り男湯。真っ裸になってマイ温泉をつくった。その間、上流の女湯にむかう女性から見られた。ぬるめの湯にして石を枕にえびのの自然ととけあっていたら、目の前を一頭の雄シカが川を渡った。


ここのお湯は糖尿病の人に人気で、例えば北九州市の患者さんが12名でチームをつくり、毎月1回温泉を汲みにきて全員が完治したことも知った。噴火の終息が早いことを願っている。


今朝の唐市場。「特特大」と札のついたイワシが3匹で400円。カワハギとアサリ貝でしめて予算内の1500円

草刈りシーズンズ到来

3時から動き始めて6時に農園を出発。

おもに新下関周辺の配達をすませて長府の洋菓子店レサンクに立ち寄り。昨年から取り組んできたカステラ「南蛮だより」と「南蛮まどれーぬ」の初回分を受けとり、2回目の製造用たまごを届けた。

アイデアをカタチにすることが私は楽しい。けれども必ず途中、何度か「やめようか」と思う壁に突き当たる。今回はチラシのデザインと印刷代。くわえて「南蛮だより」という箱に貼るシールの印刷。合計で数万円のコストではあるが、その数万円が壁になった。

レサンクに材料を納品する業者の方が「僕でよければ」とパンフレットのデザインと印刷をボランティアで助けてくれた。


きのうラジオで2万食ぐらいのラーメンを食べたという、ラーメン評論家が話していた。

「失敗しないラーメン店の見分け方がありますか」の問いに「あります」。

初めてのお店にクチコミやノレンの汚れ具合で判断すると後悔することがある。後悔しないためには、お店の横で10分ぐらい立って、食べ終わって出てくる客の顔を観察すればよい。旨いラーメンを食べた顔は必ずわかる。もっと的確にわかるのはカップル。店を出て「美味しかったね」と言うか、言わないかはあるにしても表情で見てとれるらしい。


前の仕事は出張で九州の全地域をあるいていた。宮崎県には年間で50泊したこともある。連泊になると居酒屋から足をのばすこともあった。ビルのどのお店がよいのか(美人でなくても、若くなくても会話がはずむ店が好み)わからない。ビルの入り口に立ってオシボリや酒を配達するお兄ちゃんがきたら、少しの心づけを渡して「僕なら」という店の名前を聞いたこともあった。

店は選ばなくてはならない。食べなおし・飲みなおしはできない。


昼ごはんを済ませて草刈り。今年の初陣ハンマーナイフで3時間、隣接の耕作放棄地を刈った。今年はじめての大汗をかいた。これから晩秋まで、草刈りで2キロぐらい体重がおちる。

私が好きな風景

きょうのホーム画面、下段の芝桜はどこで見られますかとお尋ねがあった。

美祢市から厚狭に向かう途中の左側、この田舎の風景から少し先ですよと写真を添えてお返事をした。たまたま「この風景」を撮っていた。

その理由は、月曜日に配達で見かける風景のなかで私が一番好きな場所だから。


山口市の一の坂沿いに何軒か火曜日に配達をしている。桜が満開の日に玄関にいつものようにお届けをして、桜を撮ろうとタブレットを持って歩き出したときクラクションが響いた。ガレージの入り口にとめた私の車に戻って来られた奥さまの警笛(私とはわからなかったよう)慌てて手をあげて会釈をして車を走らせた。


きょうカステラ「南蛮だより」のご案内とたまごを玄関に届けた。しばらくして奥さまからカステラのご注文が電話であった。

あの日はクラクションで失礼しましたの前置きだった。それよりも、お客さまの玄関だからと川沿いの狭い道路に車を置いて桜を見物に行った私の厚かましさをお詫びした。


神戸のナンバープレートの大型ワンボックスが2台。早朝から釣り番組のロケで夕方も止まって、釣り人をカメラが採っている。川土手には弁当や空きカンなどゴミが散乱。明日はこの掃除から1日を始める。

おじぇーわー・おぞい

月曜日の岡本家お届け、ご無理をお願いしてきのう配達させてもらった。宴会・掃除に数楽の3拍子の疲れを朝寝で取り戻せた。

ゆっくり朝食、コーヒーに犬と長距離散歩を終えて元気いっぱいで7時に配達をスタートした。


きのう夕方、疲れていたので「行け!」と犬を放した。イノシシの箱ワナはあるけれど、くくりワナはないので山に入っても大丈夫。ダニ駆除のフロントラインは先週投与している。

とにかく走りまわっていた。農園の外ネコが追われて山奥に逃げた。ヘトヘトに疲れたら呼ばなくても作業場に戻ってくる。体についた草の実をブラシで落とせば終わり。8時ごろから熟睡がはじまった。


美祢市で撮ったネコはこの家の外ネコ。ダニがついていると奥さまが言われるが、爪でやられたら抗生物質アレルギー体質の私は困るので無理はしなかった。


厚狭に自衛官を退官された方がおられる。ご出身は松江市で、出雲がふるさとの母の発音を思い出させる。その方と先日の島根地震の話題になった。

松江市の実家にすぐに電話をしたら、松江市は震度3だったらしい。数楽の藤野先生は奥さま共々島根大学。奥さまは奥出雲がふるさと。

母はハタチぐらいまでが出雲と松江暮らし。それでも晩年に、電気にあやまって触れたとき「おじぇーわー!」と叫んだ「おそろしい」の意味。

それで、地震の朝に藤野先生に「おじぇーわー」とメールした返信は「おぞい」この最上級の出雲弁には驚いた。その出雲弁談義は楽しかった。


4時に農園ゴールイン。

トリプルの催し 終了

きのう夕方6時前から10時ごろまで岡本さんのお宅でご馳走になった。宴の目的ははっきりしなかったが楽しければそれでよし。

桂子ちゃんは岡本家にお泊まり。私はセブンでハイボールを買い、飲みながら農園に11時前に戻った。イノシシとタヌキとネコが徘徊していた。


山口市掃除に学ぶ会に早朝から参加。近々にオープン予定の鍵山記念館と周辺の清掃を3時間。松岡さんと高橋さんは黙々と昼食の蕎麦打ち。20人以上の参加者がお腹いっぱいに食べられる量を手打ちしていただいた。


1時から「数楽の会」。昨夜の宴会から掃除、そして数楽のトリプル参加の仲間もおられた。主宰の藤野先生の講義90分は、学校の授業ではありがちな義務的に教える教師と、しかたなしに聴く生徒のスタイルではなく、聴きたい生徒に伝えたい先生が全身で応える。それでいて「どうでしょうか」で講義は終わる。答えは「これ!」ではなく、答えは生徒の各々の胸のうち。この数楽スタイルが「これ!」ではじき飛ばされ続けた私には嬉しい学びの場。


来月の数楽は13日。ホーム画面で「数楽の会」で詳細ご覧いただき気軽においでください。

伝統・文化としての女人禁制

9日(月曜日)、美祢市の小杉で旗が目にとまった。長州と会津の紋が染められていた。

戊辰戦争に小杉からおもむいた長州藩士 楢崎頼三が飯森山で自らの刃で傷を負った会津白虎隊士 飯沼貞吉を連れ帰り養育した。その楢崎家に「恩愛の碑」が建立されている。その碑を会津の方々が8日の訪れる催しがあったと旗のわけを聞いた。


6時前に農園を出て萩に向かうときは曇りぐらいだったが、40分後に萩市内を走るころには暴風雨になっていた。山陰本線「東萩駅」~「益田駅」間はそのため運休していた。

先週の土曜日も雨と風が強く、日本海沿いを高架橋で走る山陰自動車道路は風でハンドルをとられたり車体が揺れるので旧道の山越えルートを走った。今朝もその道を長門市まで迂回した。


土俵に女性が上がったことに賛否両論ある。救命処置でのことをそれでも駄目と言う人は少なかろう。

農園に隣接する山には地域の皆さんが植林して大切に管理されている共有林がある。年に何度かみなさんで山に入り作業をされた後は親睦会があるようだ。その仲間に新参ものは入ることはできない。

宮中や神社仏閣でも伝統(しきたり)が数々あり、そこには古来からの理由がある。


私の孫娘は太秦小学校の相撲部で活躍している。県内のどこだったか神事で「女相撲」があったような気がする。女人禁制の境内地とかいろいろある。

このことで女性蔑視の国だと外国メディアが報じたところもあるようだが、文化と伝統を大切にしていることを軽く批判するのはどうかと私は思った。

カステラ「南蛮だより」製造スタート

浜崎に現存する「お船小屋」当時の姿を残し、屋根まで保存されているのは全国でもここだけ。江戸時代は船が出し入れできていたが、いまは埋め立てられてそれはできない。

向かって左・数楽の藤野先生(クマモン)  中央・長府の藤中さん(カバ隊長) 右・松原酒店(ホタテマン)


昨夜、外ネコが戻ったのでイワシの頭などを食器に入れて生で食べさせた。夜中のうちに魚もカリカリも完食していた。

早朝、愛犬と長距離の散歩。木曜日の運転疲れがとれないが犬が喜ぶので。帰りはリードを外して勝手に戻らせた。


カステラとマドレーヌ用のたまごを長府「レ サンク」に届けた。来週の水曜日にはじめての「南蛮だより」が出来上がる。毎週、少しのお客さまにご案内しながら毎週カステラを少しだけつくる。


長府のお客さまからスポットで250個のご注文がよいタイミングであった。

宇部市内、和食店の料理長から商談をいただき宇部市内。20年ちかく夜の街を歩いていないので浦島太郎。農園の説明をさせていただいた。


帰り道に温泉立ち寄り。

木曜日は鮮魚で晩酌

「脳力開発セミナー」の黒田先生は、広島の掃除人元祖 井辻社長(餃子の皮で有名な井辻食産)から「友人の黒田先生を紹介しましょう」とご縁をつないでいただいた。世間的には「能力開発」が、黒田先生では「脳力開発」の看板にこだわりがあった。

とにかく肯定的な会話をされる。つまり相づちを笑顔でされる話術は、私の身近な人物でいえば村上はそれに近い。


写真は奥さま 黒田善子さんのMOLA 「森のフォーチャ」で検索されると詳しくわかります。


今朝の唐戸魚市場ではアジとイワシを買った。いつもの店で買ったら100円まけてくれた。今夜は刺身が楽しめる。本命はイサキだったが7時では見当たらなかった。来週はイサキとアサリをねらってみよう。

外ネコ、今夜のディナーはイワシの頭。


水曜日と木曜日、明日は長府のレ サンク店にカステラとマドレーヌのたまごを持参。その他にもたまごのご注文が下関。宇部市内の飲食店から午後の商談。


早く寝てエネルギー充填。

ウニ姫とデート

今月の1日にタイヤ交換をした。その2日後、パーキング管理人が「前輪の空気圧が少ない」と教えてくれたが気にもとめなかった。きのう夕方、きょうの準備をしながらタイヤを見たら右の前輪が扁平になっている。7時前で日が暮れかっていた。農園に一番近いガソリンスタンドに行ったら閉店する直前。空気圧を計ったら1.2気圧(2気圧が正常)パンクかもわからないが修理できる時間ではないと言われたので2.2気圧充填して、お礼に満タン給油をした。

農園に戻り、空気圧が明朝減っていたら困るので同じサイズのタイヤを倉庫から出して今朝をむかえた。

下関まで走りガソリンスタンドで計った。2.2気圧だった。つまりタイヤ交換時のミスということになる。他にも今回の交換とオイル交換などで手抜かりがあったのでトヨタの岡本さんに伝えておいた。

パーキング管理人の「目」はプロフェッショナル。


長府の「あけぼの珈琲」で「やまみうに」の嶋田さんと待ち合わせた。宇部と下関で掃除の会がはじまったころ、彼女は松村御大の下関組だった。交流会という名目の宴会は数えきれない。

雲丹屋のお嬢様で松村御大がつけた名前は「ウニ姫」お父さんは「ウニ王」なつかしい思い出がよみがえる。先日「卵かけご飯に最高」と教えてもらい、3本買って試したら最高だった雲丹醤油の販売元が「ウニ姫」の会社だった。農園のお客さまにも雲丹醤油を紹介しましょうと珈琲店のデートになった。


家業(経営)に真剣に取り組んでおられる話題は、広島の井辻さんが催されるMG(マネージメント ゲーム)に通われているという話題。私は一回受講したが数字に弱いのでリタイアした。けれどもMG あとの交流会には真面目に参加した。

姫も高校生の子供さんがおられる年齢になり「姫」ではない年齢相応の愛称を考えなければならない。


下関から帰り道に温泉に立ち寄り湯。

旅の わたし流儀

浜崎を歩くときは旧山村家住宅がポイントになる。

江戸時代に建てられた大型の町家を、持ち主の山村さんが萩市に、まちづくりに役立ててもらえるならと寄附をされた。現在は浜崎町並み交流館として一般公開され地元の「浜崎しっちょる会」が活用・管理をされている。


浜崎の散策ガイドは無料。今回は特にお願いして古地図をもとに散策するようお願いした。簡単なお土産も用意していただきお一人500円になった。家族や仲間と萩を楽しみたいと思えば☎0838220133で山村家につながり「知ちょる会」につないでもらえばよい。


前回は堀内散策を催した。堀内は萩観光協会でガイドを紹介してくれる。2時間コースで2000円。


長府を何度か散策したときもガイドを頼んだ。たしか3000円で2時間だった。奇兵隊挙兵のとき気持ちが燃え上がった者たちが功山寺山門に切りつけた刀傷が随所にある。それはガイドなしでは見過ごす。毛利邸の石垣に変化が見受けられるところがある。それは戦時中に石垣を部分的に外して防空壕を掘った。戦後埋め直した跡だった。

案内をお願いしたら旅が何倍も楽しくなる。


ガイドが見つからないとき、数年前に臼杵の石仏を訪れたときはガイドは出払っていた。観光バスが着いた、その観光客に紛れてくっいて歩く小判鮫観光をした。これは無料。


旅をするとき私はタブレットは使わない。道路地図を見ながら、標識を見ながらそれでもわからないときはコンビニや郵便局、駐在所などで目的地を教えてもらう。コテコテの方言に出会えたり、食べ物やお土産情報もネットより確か。昨年の柳川川下りで船頭さんに「忙しいかね」と山口弁、それに応えた佐賀弁は「がばい!」旅こそアナログがおもしろい。


前置きが長くなり、写真は山村家に鎮座していた木製火鉢。江戸の時代から船具店を生業とされた。この火鉢で商談やら冗談やらがかわされたと手垢が語ってくれた。

浜崎の感想 その一

浜崎で拝見した「引札」のなかで私の一番お気に入り。京都の海産問屋 島津恒三郎と書いてあるので屋号ではなかろうか。電話番号があるので時代背景は読み取れる人には読み取れる。

扱う商品と屋号に連絡先を相手に伝える広告ではあるけれど洒落ている。広告の山のなかで生活して、広告は捨てるものという現代。捨てられない広告を丁寧に作った時代があった。


私は「感想」といわれるものが整うまでに時間がかかる。それを求められると、求めた人をソンタクして心にもないことを言うこともあった。

きのうの浜崎散策の感想をまとめながら月曜日を走った。


糸賀社長が解散後したあと、港の駐車場で我々を待っていたことが私には印象深い。

社長は参加の予定だったが6日に緊急入院。落胆した声で「欠席するかもわからん」と電話があった。

数ヵ月前に「掃除の会に出たいが、少しの傷が致命的な病気(病名ふせます)だから、応援するにはどうしたらええかのー」と相談を受けた。

美容室で使い古したタオルは掃除に使えます。それと飲み物を差し入れてくださいと申し上げた。

「わかった、用意するから持っていってくれんか」と言われた「萩の散策に松村御大と松岡さんが来られるから、社長が渡してください」と頼みを断った。


主治医に外出の許可を得てタオルと飲み物を積んだ車を運転して港に着いた「港で待っちょる」と電話があった。浜崎を歩きながらこみあげてくるものがあった。

目的を果たして社長は病院。午後に電話をしたら熱があり点滴していると言われた。私が預かって行けばよかったと後悔しながら励ました。


浜崎をたのしく散策

きのう夕方、一時的ではあったが農園は吹雪になった。そして今朝の気温は1度。

準備を重ねてきた萩市浜崎の散策は10時にスタート。寒さと小雨が気になったが決行の朝をむかえた。


奥さまが「競技かるた」で上京中の今村さんご主人が8時過ぎに農園に到着。私夫婦と3人で萩市に向かった。集合場所の離島渡船乗り場駐車場は海からの冷たい風があたり寒い。待ち合い室は暖房とトイレがあったので職員さんに事情を説明してここを集合場所にお借りした。


その案内をするために駐車場入り口の公衆電話ボックスに私は入り風をよけて皆さんの到着を待ちご案内した。


案内をお願いした「浜崎しっちょる会」の方とは、何度か電話で話をしていたので26名を2班にわけてのオリエンテーションなどスムーズに運んだ。


関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元が広島から萩に入り築城のあと城下町を造りはじめ、その最初にできた町が浜崎。古い家並みが現存しているが、個人の観光では町並みを歩くだけになるが、ガイド一緒に歩くと旧家のなかに入れてもらい珍しいものを拝見することができた。


特筆しておきたいのは、松村夫妻が参加されたが松村御大は子供の時分この地域が遊び場で個人のお宅の表札を見ないでも誰の家と言えたこと。奥さまのご実家(今は空家)もこの浜崎だった。くわえて松村御大と中学時代の同級生(女性)二人(たまごのお客さま)も参加だった「松村くん」と呼べる人はこの二人だけ。


歩きながら歴史にふれることが皆さんとできてよい半日になった。次回、萩をやるなら藍場川沿いの散策。萩を離れるならば長府を計画したいと思っている。

この散策は、現地集合の現地解散。自己紹介などは割愛するはとバス的にすすめている。計画が整いましたらかなり事前からご案内を「囲炉裏の部屋」などで行います。


明日のブログとホーム画面で「浜崎写真」を連載します。ご参加のみなさん、楽しい散策になりましたね。ありがとうございました。

厳しい寒の戻り

糸賀社長はあらゆるジャンルの本を読まれる。その中から「読んでみんかね」と自宅の書棚から私に選んで持ってきてくださる。

いま私の手もとにお借りしているのは「阿川弘之全集」の一巻から三巻。それと城山三郎「臨3311に乗れ」。あとは読んだあとは処分してよいと「サライ」などの雑誌。城山三郎が文庫本で手軽な感じがして昨夜から読みはじめた。


終戦後の混乱のなか、現在の近畿日本ツーリストを創業した野武士のような男たちの実話「臨3311」とは修学旅行専用列車のことだった。起業して大きな会社に成長するには命がけで働く物語があるのだろうが、時間をおって展開するやり取りは、時間を費やした城山三郎の取材力。そして描写がいちいち私は気に入った。例えば、ある目的に男二人の心が揃ったとき「二人は、音を立てて、グラスを合わせた」など。1975年に近畿日本ツーリスト株式市場から刊行された文庫本の半分以上を、ウィスキーをチビチビやりながら読みすすんでいたら糸賀社長から電話がかかった。


弱々しい声で「すまん、日曜日の萩はキャンセルじゃ。体調が急に悪くなり入院したんじゃ」私が知っているだけでも5回ぐらい入退院の前科がある。いつも完全復帰される。この2月にも下関市で「ふく宴会」愉しく食べて飲んだ。きょう電話をかけてもつながらないので心配している。


今朝の萩行きは途中の雲雀峠から小雪が舞いはじめた。萩市はかなりの強風で、長門市まで日本海添いを高架で走る山陰道は車体が風であおられるので旧道の山越えをした。鎖峠山頂でも小雪にあい驚いた。


松村御大からハガキを頂戴した。今シーズンの「ふく」が終わったが消費が伸びなかったことを、若者層の食の傾向を分析されて「満足感より満腹感」と表現されていた。

俳画帖にみちびかれて

先日のホーム画面に載せた「笑うチューリップ」火曜日、山口市内を走っているとき路肩の花壇に目をやったとき「笑っている!」と一瞬思い、空き地に車を置いて笑顔を撮りに行った。

「囲炉裏の部屋」をはじめて、夕方の日記の載せる一枚。早朝に更新するホーム画面の二枚。毎日三枚の写真を見つけなければならない。カメラを使った経験は少なく写真とは縁遠い生活をしてきたので「三枚」は重荷に感じることもあった。


ある時、磯村千代子先生の遺作「俳画帖(製本の糸綴じも先生)」を手にしたとき冒頭に俳画の心得と思われる三行があった。一  画題は生活のそこにある  二 自然が師匠である  三 きばらずありのままを画のがよろしい


写真も文章もこの三拍子でやればよいと教えていただいた。


散髪を済ませて菊川画廊を訪問。10日まで展覧会が催されている。来場者があれば寄らずにと思ったが少しの時間話ができた。

私と菊川さんのご縁深めてくださったのは石原忠幸先生。亡くなられたあとも先生のお人柄を偲んでいる人は全国におられる。その遺作展覧を計画している方がおられると知った。菊川さんにも作品提供の協力があるかもわからないが、そのときは私の「恵那の風景」も候補として写真を送ってみたいと言われた。

頑なに無名の絵描きとして作品に向き合われた。ホンダSFのロゴ。あの初代NSXカタログ製作やホンダがアメリカ進出するときのコマーシャル映像なども石原先生であるが知る人は少ない。


🔶8日の萩市浜崎散策の班わけ

村上・藤中・松岡・松岡・藤野・藤野・藤野・岡本・徳重・重枝・松田・松原・黄・新保   14人


松村・松村・田村・緒方・糸賀・高井・高井・酒井・山下・山下・山下・今村・足立・足立 14人


9時45分。見島・大島・相島 定期船乗り場駐車場集合。会費500円(古地図や土産)

カワハギとタイの刺身で晩酌

下関市富任のTさん。水曜日に10個をお届けしている。嫁にでた娘さん(菊川)は木曜日に配達。その娘さんから「実家に届けてください。支払いは私がします」の依頼で長年通っている。

きのう釣の仕掛けをつくっておられた。私は若いころ海釣に通ったので仕掛けの話題についてゆける。川棚近くの波止場の夜釣りで大きなアジを釣る極意を聞かせてもらった。写真の背景からわかるように、顔つきでもうかがえるように几帳面な人柄。


毎週、玄関所定の箱にたまごパックを納める。その箱にいつもブラック缶コーヒーが袋に入れて置いてある。寒いときは温めて、暑い時期には冷やしてある。

「80歳に先日なりました」と言われる背筋はのびて凜としておられた。


7時前に唐戸魚市場。先週とても脂がのり刺身が美味しかったカワハギをさがしたら2匹で800円。タイ500円と生ワカメ180円がクーラーボックスにおさまった。家内が刺身をはじめた、アラで味噌汁がひと品になるらしい。


美祢市に2時ごろ着いた。とても眠くなり加奈ちゃんに届けたあと路肩でひと眠り20分。

ペットが地域で認められるには

7時半。長府「乃木さん通りアーケード」のお店2軒に配達。アーケードの柱に張り紙があった。

柱の根本は犬の小便で異臭を放ち錆びて朽ち果てていた。アーケードゆえに天候に左右されない犬の散歩コースらしく、大型犬から小型犬たちが愉しそうに歩いている。愛犬家の一人として深く考えさせらた。


大便を放置する愛犬家は少ないと思うが小便は「どうする」たまにペットボトルに水を入れて流している人を見受けることもある。

ここはアーケードだから雨で洗い流されることがない。歩道に臭いがこびりつき鉄の柱は朽ち果てる。考えてみるとアーケードと地下街に大きな差はない。つまり地下街で犬の散歩は禁止だろうから、せめてアーケードを愛犬の散歩に使うことはやめるのがよいと思う。私ならそうする。


安岡ではネコ問題。住宅地に野良ネコが住み着き繁殖を重ねているとお客さまが嘆かれた。庭の菜園が汚されて食べることができない。近所の一軒がコッソリ餌を与えている。市に捕獲を頼んだが犬はその対象になるがネコの捕獲はやらないと返事。捕まえて処分施設に持ってくれば処分はする。

自宅の周囲にはさまざまな対策が施されていたが効果はない。あらたに入浴剤が効くと聞いてたくさんの皿にオレンジ色の液体が入っていた。


配達を済ませて、長府「あけぼの珈琲店」でスペシャルオリンピックス下関の理事の方と話し合いをもった。農園のたまごの売り上げでスペシャルオリンピックスを資金面で応援する「スベシャル エッグ」がテーマ。

以前にもこの企画は動いていた。多くの個人や「浪花」さんなど飲食店も協賛くださった。年間で多額の協力金を納めていたが会計報告や会の運営報告が全くなく、要求しても届かなかった。ファミリー(アスリートの親)がスベシャルエッグに協賛されることもなかった。


2月、関係者と懇談したとき運営費が悩みだと知った。いま松村御大がスベシャルオリンピックスの山口県代表に就いておられる。この企画をすすめる適任者を紹介してくださいとお願いしていた。

その方との珈琲店。ファミリーがこの企画に賛同して立ち上がることを促した。誰かがやってくれるという体質では組織は続かない。下駄を預けて終わった。

エヒメアヤメが開花した

数年まえ、岡本拓也さんのお母さんからエヒメアヤメをひと鉢いただいた。

このアヤメは太古の昔、地殻の変動で大陸から日本列島が離れて現在に至ったことを証明するひとつの根拠になっている。防府市西浦が日本で最北端の自生地で大切に保護されている。貴重なひと鉢をいただいたので大きな鉢に植え替えて油粕など肥料をほどこした。

それが大失敗。山野草は栄養分の少ない原野でたくましく育つ。そのアヤメに肥料を与えたので大きく育ちふつうのアヤメになってしまった。そのうえ花は咲かなかった。花をつけて種を残す必要を感じない環境だったらしい。


たまごのお客さまで山野草に詳しい方から助言をいただき自然の環境にちかい育て方をして数年。本来の開花がはじまった。


子供たちが仲間と汗をかいて遊びまわった時代は終わり。高学歴が幸せの頂点をきわめるという社会風潮に押し流されている。

肥料をほどこし過ぎて花が咲かないことを自然は教えてくれた。


愛犬の朝の散歩に変化をつけている。かなり遠くまでリードをつけて歩き帰りはリードを外している。

「とまれ!」「座れ!」がきちんとできる。このしつけが出来ないまま放した太郎さん(数年前、20歳で亡くなった)

がウサギに反応して全速力で走り出し山奥に入った。2日後、イノシシの罠(くくり罠)のワイヤーに前足をズタズタに傷を負い、ワイヤーを引きずりながら戻った。足を切断せずに治ったが、犬を言葉で従わせることが飼い主の義務だと学んだ。


数週間前までの山口市は「盆地だから寒い」と言い、きょうは「山口は盆地だから暑い」と会話をしながら走った。


桂子ちゃん 紹介

桂子ちゃんがブログに頻繁に登場する。

私が28歳で創業した「ぎじろくセンター」48歳で白井さんに社長をお願いして私は農園をはじめた。辞任する少し前にご縁があり桂子ちゃんは社員だった。

現在は別の会社でバリバリ働いている独身。亡くなられたお母さんと私の家内が同じ歳。スペシャルオリンピックスに関わったらときは自費でアメリカ大会に付き添った。掃除に学ぶ会や数楽の会など今でもご縁はふかい。このブログ「囲炉裏の部屋」を立ち上げるとき相談にのってくれた重枝さんは彼女と同じ会社。いまもメンテナンスで力添えいただいている。

農園で催しをするときは「来んかね」と誘う。先日の松村夫妻たちとの懇親会もお手伝いに来て、家内と深夜まで呑んで喋った。


前置きが長くなった。

先日「掃除をしていたら新聞記事が出てきた」とメールに2枚の新聞記事を添付。ひとつは、わたしが農園をはじめたころ新聞社が記事にしたもの。もう1枚は「お宝」記事だった。

農園をはじめて数年後に彼女が来た「バックパッカーでアジアの旅をします」と宣言。それもよいかも分からんが、私の友人で広島市内在住の男性が歩き遍路を2回やった。連絡しておくから参考までに聞いたらどうか。


彼女は歩き遍路の結願を果たした。その道中、お接待所で休憩している彼女が新聞にのった(右側)その記事をご紹介。拡大すると読めると思います。


週に2~3回ぐらいスーパーで買い物をする。先日の土曜日、レジで前の客(老夫婦)がいた。奥さんが「カードを忘れた」と言い「あんたあ、取りに帰って」とご主人に促した。ご主人は駐車場に歩いた。

新婚生活のころは、この婆さんも主人をたてていたのだろうにと思ったのは私もご同輩だから。

4月がはじまりました

長門市野波瀬 極楽寺の掲示伝道「4月」。


昨年12月に入りすぐに替えた冬タイヤ。このシーズンはよく活躍してくれた。まる3ヶ月で2万5千キロメートル走りスリップサインが出ていた。


今朝、予約していた防府トヨタに持ち込み(愛車はリース物件で燃料と保険料以外のすべてはリース料金に含まれている)タイヤとオイル交換をした。

今年、冬用タイヤに交換する12月までにもう1回ノーマルタイヤを交換することになる。


農園に戻る途中に岡本拓也さんのお宅に立ち寄った。タケノコを掘らせてもらおうと山を歩きまわったが少し早いようで見つからなかった。またの機会に掘らせてもらおう。お母さんから家内に好物の干し柿(冷凍)を頂戴した。


ラジオ番組が新年度から新しくなる。毎週火曜日の午後は、もと宝塚トップスター 杜けあきさんが3時間の登場で楽しみにしていたが先月で降板された。


思いで深いトークをふたつご紹介。


父親は仙台市警察の署長。毎朝7時に署に出て誰よりも早く掃除をしていた。彼女が子供のとき「どうしてお父さんが早くから掃除をするのですか」と聞いた「わが家が署に一番近いから」


あるとき、その父親が大切に飾っていた焼き物を割ってしまった。お母さんの顔色もかわった。夕方、押し入れの奥に隠れていたら呼び出された「カタチのあるものは壊れる」と叱られなかった。

ところが妹と喧嘩になったとき「どうして仲良くできんのか」と大声で叱られた。


車を運転する時間がながく、ラジオからたくさん大切なことを学んでいる。