6月千秋楽を元気いっぱいに終えました

毎週水曜日の8時前は下関市住吉神社の鳴瀬宮司にお届け。私に神参りをさせるようレールが敷かれている。


3時の起床。ゆっくり配達準備や愛犬の世話に私の朝食。

朝食は家内がタッパーウェアに押さえつけてフタをしているキャベツ千切りをフライパンに入れて鍋のフタをしてやわらかくする。味付けはオリーブ油だけ。食パン一枚チーンして何もつけずに食べる。溶けるチーズなどをしばらく使ったらベルトの穴の位地が変化した。

朝の納豆は人生の友。豆乳とヨーグルトにバナナを少しが農園の定番朝食。


5時半に血圧測定をしてから配達スタート。もし血圧が高かったら服用する薬を常備しているが使ったことはない。


小月のコンビニで150円のホットコーヒー(濃いめ)で水曜日の気合いをいれる。


午後2時。加奈ちゃんのお店は大繁盛。裏口からたまごのお届け。私をみつけて加奈ちゃんが笑顔で直々の接客をしてくれた。明日のお客様から頼まれた買い物などがあった。


3時ごろ農園ゴールイン。

愛犬が尾を振り回して喜んでくれる。一日の疲れを愛犬が癒してくれる。

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明日から長距離運転が連続する

さきほど猟銃音が一発聞こえた。

ワナにかかったイノシシかシカを撃ったと思う。日が暮れてからの発砲は禁止になっている。


きのう農園敷地内に置かれているイノシシ用ふたつの「箱ワナ」に猟師さんが餌を入れた。

地域から駆除の要請があり猟友会が動いているのかもわからない。


農園の夜はとても涼しい。8時ごろには犬を枕にして寝ている。2時ごろ疲れを全部リセットして目があく。

これからしばらく数日前の新聞に目をとおしたりネットで新鮮なニュースをみだり。メールの返信などの時間になる。


朝食の準備をはじめる前は掃除機を使う。犬は仕事場におろして。


テレビを見る時間は朝の30分ぐらいしかない。


火曜日は山口市内を広範囲に走る。淳貴君を飾ってくださっている事業所があった。

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淳貴君ポストカードご報告お二人

スペシャルオリンピックスを中村勝子さんが日本中に広めたいという大きな願いを抱いて熊本から動きはじめられた。その情熱は凄いものだった。

ある時、勝子さんのお宅で勝子さんグループ作戦会議を末席から見ていたら「よし、知事にこれから掛け合いに行こう。足立さんの車も使わせて」と熊本県庁に乗り込んだ。

もちろん勢いだけでは面会は無理だったが、こちらの要望をきちんと受けてくださる職員さん何人かが応接室で聞いてくださった。


烈婦の情熱を受け止めた方のひとりに鍵山秀三郎(当時のYellow Hat社長)がおられた。

「日本を美しくする会」は岐阜県恵那市からはじまり全国各地に鍵山社長の掃除で心を磨こうに賛同される人々が立ち上がっていた。


鍵山社長はスペシャルオリンピックスの精神・価値観に「そうだ!」と共感され、各地で催される掃除の大会に勝子さんを講師として推薦され勝子さんは全国各地から講師依頼が届いた。


その烈婦が「大丈夫ですか」と心配されたのは私が旗を挙げた「中村勝子教育講演会」200人以上の人が小郡町公民館に集まってくださり山口県にスペシャルオリンピックスの種が落ちた。


新本淳貴君のポストカードが完成して私の手元を離れた。

そのことをお耳に届けておきたい鍵山先生と中村勝子さん。

お電話を差し上げた。


鍵山先生にはポストカードスタートのときお耳に入れた。それが完成して私の手元を離れましたとご報告をさせてうただいた。はじめは弱々しい電話のお声がだんだんお元気になり、あの笑顔が思い出された。


勝子さんの第一声は「会いたかね」と。いまは自宅から出ることは少ないが「あんたが来るなら旨いもの食べに行こう」と誘われた。

淳貴君の個展案内を送ってくれと言われた。


美祢市の国道を歩くカメに遭遇した。レスキューして萬代さん近くの橋から落とした。

竜宮城はええから、欲は言わないロト6の2等でええからと念じた。


そのカメはとてつもなく臭い。車内もハンドルも両手も臭い。萬代さんの家で石鹸を使わせてもらった。

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今村さんお参りの日曜日

きのう今村美智子さんに「早朝で申し訳ありませんが、明日の7時半にご仏壇にまいらせてください」と電話をした。


ご主人の明さんは専修大学野球監督で活躍され、東都大学野球大会で専修大学を優勝まで導いた実績の人だった。

ご実家は農園から15分ほどの船木。監督の定年をむかえ夫妻で10数年前に戻られ「たまごを配達してほしい」がご縁になり水曜日の8時に裏口から届けていた。


相撲を長年されたという大きな体つきで無口。何かのはずみで会話を交わすようになり、いつしか裏口に椅子がふたつ置かれて30分、毎週欠かさず会話にベルトがかかった。


とくに野球人生、選手の教育についてをご披露しておこう。

たくさんの部員のなかで幸運を射止めてプロ野球にスカウトされる選手はごくまれで、多くの選手は合宿所とグランドの往復で学生生活を終える。

私の恩人、富士通の上田さんは戦車のような体形で東洋大学ラグビー部員だった。授業に出たら「お前は何をやりに大学に来たのか」と叱られたと言われた。


合宿所で夜に監督は教鞭をとった。野球バカで社会人として使い物にならない部員を出したくないとの思いだった。

練習を終えて監督は会社をまわり就職活動をしていた。それを終えて夜中に合宿所に立ち寄ったらご法度のマージャンをワイワイやっていた。


その連中全員を外に連れ出しバットでひとり数回、力任せに尻を叩いた。どこに当てたら骨が折れるかはわかっていた。


いま、体罰が悪いと言うが言葉で納得させるよりバットのほうがよほど理解できる。


翌朝、自宅の庭に尻を叩かれた部員全員が頭をまるめて正座していた。


韓国料理「てじょん」で酒盛りをした。貸し切り30名ちかくだった。明美さんチョゴリでサプライズのカヤグム演奏で宴たけなわのとき明さんが思い出を涙で語った。

熊本出身、在日韓国籍の部員との思い出が何度か彼の自宅に招かれて並んだ韓国料理でよみがえった。

韓国・中国という「国」には嫌悪感の明さん「人」に区別はなかった。

その宴は明さん朗々と相撲甚句を披露された。


3年前、萩市浜崎を歩こうと催した。明さん「体調がすぐれない」と当日お電話があった。農園まで来てください、往復の運転は私がやりますと強引に参加をさせてしまった。

浜崎を歩く相撲と野球で鍛えた明さんの足どりが重かった。


その2週間後、夕方夫妻が農園に立ち寄ってくださった。奥さまはあかるく「抗がん剤で禿げると言いますが、明さんは禿げているから」と言葉がつまった。


棺に専修大学野球監督時代のユニフォームを着た明さんにお別れをした。豪雨で落雷までの伴奏があった。

プロ野球、名だたる選手からの花がずらりと斎場に並んだ。


先日の菊川画廊「母に教えてもらった百人一首の和歌をたくさん覚えている」競技カルタクィーンの美智子さんに和歌の解説などしてもらえたらと話された。

それはあるグループで継続されているらしい。和歌の奥行きに涙をながされる方もあったと。


美智子さん、ある神社でトイレを借りようと思ったがあまりの汚れで使えなかった。そのことがきっかけで明さん菩提寺のトイレ掃除をはじめた。

白い便器が汚れており、通う度に少しだけ、少しだけと磨きあげていまはピカピカになりましたと。


10時。湯田温泉「温泉の森」一番のり。

久しぶりにゆっくりお湯を楽しんだ。休憩室のWi-Fiを使って「あだち美術館」を更新した。

「ビストロまさ」から「ノエル」にバトンをつないだ。ご入館ください。

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土曜日がいつものようにおわった

先日の木曜日に撮った海峡を走る漁船。

写真に加工を加えていないがモノクロ風になり、スロットル全開で漁場に急ぐ雰囲気が撮れたと満足している。


🔶古池や蛙飛びこむ水の音 

🔶閑さや岩にしみ入る蝉の声


この俳句を菊川さんが解説してくださり腑におちた。

深夜の農園、たまに遠くからイノシシの鳴き声。川からけたたましい鳥の声。早朝はシカの声も山に響く。

それらを私は「やかましい」と思っていたが、実は静寂なのだと教えてもらった。


松村御大著「下関唐戸魚市場物語」は昭和45年10月12日に魚市場に入社からはじまっているから長編。だいぶ読みすすんでいるが「おもしろい」という理由は、漁場、漁師に流通に「ふく」をもとめる全国の台所事情が手にとるようにわかる。記憶と調査の形跡も読み取れる。


競り場で大声を出したあと毎朝ビールの飲んで声を枯らしたこと。100人からつがれた酒を全部飲みほして酔わなかったことなど痛快御大の一面や経営者としての繊細さも感じた。


河豚の下関として後生に残してもらいたい貴重な記録(物語)だと思う。


淳貴君ポストカードをバーバラが販売をはじめるにあたり、このポストカードの意味と私がバーバラに託した気持ちを文章にしてほしいと頼まれていた。

午後からそれを済ませて担当の小坂さんにメールで届けた。


毎日、ほぼ同じ時刻にその日のルートを走っている。

今朝も萩市方面から走ってくるいつもの鮮魚トラックとほぼ同じ場所ですれ違った。

萩市内の病院に届ける2tトラックがいつものコンビニで停車中。このあと私が市内を走っているとき病院から出てくる。

市役所前のコンビニにいつもの白い犬を座らせて、顔馴染みと談笑するおじいさんの姿もあった。


誰かが「今朝もあの白い軽が同じ時間に走っている」と見ているかも知れない。

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コロナ予防ワクチン接種一回目をやった

農園の川戸手に植えた物語いっぱいの桜並木が大きくなった。樹の手入れがわからないので放置していたが面倒なことがふたつある。


ひとつは、枝が草刈りのとき邪魔でしょうがない。姿勢を低くしても麦わら帽子を何度も枝に落とされるストレス。

ひとつは、農園に出入りする大型トラックのキャビンに枝があたるためタイヤのワダチが左に寄り道を壊しはじめた。


「5時半からやるぞ」と家内に手伝いを頼み、私は剪定ハサミとノコギリを腰に下げ、脚立を抱えてスタート地点の橋から枝を落とした。その枝を家内が運ぶ。

早朝の冷たい空気だから汗をかかずに邪魔な枝の全部を落とした。

4時からヘッドライトをつけてゴミの焼却にはじまり愛犬2頭と長距離散歩もやった。朝食がとてもうまかった。


清末のレストラン「卯」と、来月から新規配達の長府安養寺のお客さまお宅の確認。そのあとコロナ予防ワクチン接種を済ませて菊川画廊訪問が本日の予定。


きのうプチラボで焼き上がりの「レーズンパン」を2本買った。その1本をポポラスにプレゼントで立ち寄りシフォンケーキも買った。


予防ワクチン接種の病院は血圧で長年お世話になっている。冷房がばっちり効いており、足元が冷えると血圧がはねあがる体質。案の定えらいことになった。農園に戻って測定したら130・80と問題はない。次回の検診はレッグウォーマーを着けて行こう。


接種は高齢者対応言葉で寄り添って記入の指導を受けた。あれで血圧があがったのかもわからない。

足立の「あ」はなんでも一番だった。注射もいつも一番。

痛みはまったくなかった。


昼食は、年に2~3回の「一久ラーメン定食」減塩生活は考えない。レンゲにご飯をのせて豚骨スープにつけて最高!餃子もチャーシューも最高だった。

ほんとうは「大阪屋」のチャーシュー麺で生ビールが私の最高峰。


菊川画廊は待っていてくださった。プチラボのパンとシフォンケーキを手土産。

淳貴君ポストカードを手がけたことについて「ようやった」とまずはほめてもらって、それがいつまでも「ようやった」と思われるには、私のこれからの生き方にかかると具体的に示してもらうことができた。

90分、会話のベルトがかかった実感がした。


長いお付き合いの呉明美(お・みょんみ)さん親子のYouTuber画像をご紹介します。


https://youtu.be/1Wb1r2J32ys

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松村御大 下関唐戸魚市場物語

目があいたのは3時前。水曜日の疲れと昨夜の酒がすっかり抜けて爽快感。家内に「何時から寝ていたか」と聞いたら「7時半ごろイビキだった」と。


5時半に農園スタート下関市。清末で何件かお届けして6時半に赤間神宮パーキング。唐戸魚市場まで潮風にあたり気持ちのよいウォーキング。その時の一枚。


淳貴君個展の案内は今朝の酒井さん、浪花の荒川大将に「てじょん」のお母さん。お母さん経由でカモンFMの呉明美さんも。来月22日、彼女が淳貴君お母さん8分間のインタビューが決まった。詳細の発表はまだない「ここだけの話」


先週手渡してご案内したレストランや喫茶店にポストカードが飾られていた。フルートちゃん(長門さん)は生徒さんの喫茶店やレストランに飾ってもらったと応援笑顔。

金剛住機の木村社長は「カラーコピーして配ります。もちろん植木紙店に行きます」と。


手持ちの案内状すべてを配りおえた。


「掲示板」の末尾に淳貴君宛ての絵手紙を掲載しました。ご本人から「Facebookは勘弁して」とメールが届きました。


松村御大と2週間前の金曜日。ご自宅におじゃまをさせていただき、秋の県美展にむけて作品制作中のアトリエを見せていただき近況をゆっくりかわす時間ができた。

そのとき私が書いている「人生の車窓」も話題にした。きょうの御大配達はお留守で玄関のクーラーにお届けした。そのなかに「下関唐戸魚市場物語」が入っていた。


昭和45年10月12日に魚市場入社から物語ははじまり第一章修行時代 第2章仕事の面白さを知る 第3章社長になる 第4章国際化に奔走する 第5章河豚よもやま話


活字の量がすごい。これだけの文章をパソコンで打ち込まれた。下関は「河豚」とまで育てられた河豚の総大将。その足跡が文字になっている。

しっかり拝読させていただき感想を申し上げたい。


「人生の車窓」最後の10章でとまっている。

御大に尻を叩かれた。

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淳貴君の個展が動きはじめた実感

殺伐としたニュースがあふれる毎日。今朝9時のトップニュースは「上野動物園パンダが双子出産!」に目の前があかるくなった気持ちになった。


6時のニュースは「立花隆さん訃報」私は立花さんが香月泰男さんとの交流を県教育会館大ホールで講演されたとき(20数年前)聴講させていただいた。

東京大学在籍のとき学園紛争が最高潮。立花さんは香月泰男さんのお宅に逗留してシベリア抑留体験を根掘り葉掘り聴いて、香月泰男さんが執筆中の「私のシベリア」を朱筆で塗りつぶし、とうとう香月泰男さんゴーストライターになって出版になった経緯をあの笑顔で話された。


その後、香月泰男さんの過酷な追体験をされた。60分のNHK番組になり残っている。香月美術館で「立花さんのビデオを観たい」と申し出ると観ることができる。


満州から極寒のシベリア収用所まで貨車に乗せられ、降ろされてトラックの荷台で揺られた氷点下40度。それを立花さんは体験された。その記録映像がある。


先週の木曜日。淳貴君展覧会案内ハガキを100枚あずかった。当初はお母さんに50枚をお願いしていたが足りないと思って増やしてもらった。


その案内ハガキはすべて手渡しで、ご都合などで来られなくてもええです。淳貴君が絵に向き合っていることを知ってください。私が淳貴君の作品が好きなことを添えて話してきた。

明日の木曜日、呉明美さんや木村社長に手渡してひろく広報をお願いすることになっている。


丁寧に、たった100枚を配った実感は「山が動きはじめた」受け取ってくださった方からの問い合わせ。行きますのメール。

淳貴君つながりの物語がポポラスやプチラボなどで動いている「よしの」夫妻は初日に行くと(お店が休日)。


菊川画廊「作品にむきあって、自分がわかる」とわかりにくい話をされた。

暑いなかでの農園実習が「楽しい」という淳貴君に教えられる。淳貴君にあえてほんとうによかった。


水曜日は美祢市から農園まで近道の峠越えルート。その一枚です。

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家内に相談する歳になった

寿司割烹「浪花」ホームページをご案内します。


https://sushi-naniwa.info/


きょうの写真はそのホームページから抜粋しました。

農園から近い場所に広大な茶畑があります。山口県のビュースポットにも指定されていますが入り口の案内が小さく知る人ぞ知る絶景です。


沖縄戦終結の日。

本土復帰の年からはじまった金光教沖縄遺骨収集奉仕に何年間も通った。

20年前、糸満市摩文仁で「金城サチ子」さんのご遺骨を収骨させていただき私は終止符をうった。有志はまだ継続していると聞いている。


ご遺骨の氏名判明は、子供と思われるサチ子さんの小柄なご遺骨と一緒に出たセルロイドの三角定規に名前が刻まれていた。

ご遺骨と対面した私が思うことは「骨」ではなく「慰霊」と思うようになった。


そろそろ「墓」を考えようと先週家内に相談をした。今までの私なら家内に「決めた」と宣言していたが古希をむかえて「相談」になった。


農園のどこかに大きくなる樹を植えて、その下に壺には入れず土になるように準備をしておこうかと思う。もちろん墓標はない。母も一緒にどうだろうか。


きょうも暑かった。淳貴君から


今日も実習に行って来ました。暑かったです。ズッキーニとキュウリ🥒を収穫をしました。後は、除草です。


のLINEが届いた。私も暑さにむかうなかで淳貴君が炎天下で実習していることを思い出して頑張ろう。

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梅雨明けを思わせる快晴の月曜日

私の人生のなかで、生き方や経営について道筋を親身に考えアドバイスをしてくださり私にとっての恩人がたくさんおられる。

なかでも富士通日本語ワードプロセッサ「オアシス100

」を、おそらく私が山口県で最初のユーザーになったとき「ぼくもわかりませんが一緒に勉強します」と売り込みに来られた人が宇部電子計算センター(自治体税金や住民基本台帳を受託で富士通系列の会社)の上田部長。

のちに萩市の中学生時代は松村御大と同級生。そのご縁で私は松村御大に繋がった。


前置きが長くなりすぎた。

Facebookで友だち申請を頂戴した「松尾浩」さんの写真を無断掲載(Facebookから)。

私の会社は自宅から琴崎八幡宮そば、そのあと西岐波に社屋をつくったが松尾さんは上田さんと一緒にワープロのメンテナンスにこられていたと自己紹介された。

けれども、加藤さんと富士通宇部市支店の山田さん。千葉支店長や酒を飲んだら大騒ぎの○○さんやインストラクターの臼井さんたちの記憶はよみがえるが「松尾」さんを思い出せない。


けれども松尾さんはFacebook私の投稿におおいに共感くださり、淳貴君の「シロクマクイズ」も当選され、淳貴君サイン入りの景品を郵送した。

とても丁寧なお返事を頂戴した。


今朝、上田さんに「松村御大と松尾さん」を交えてやりましょうとメールを出したら即座に、ぼくはワクチン2回接種したからやりましょうと届いた。御大も2回接種は終わった。私はこの金曜日が1回目。


いずれにせよ旧交をあたためる機会をセッティングしなければと思った。


上田さんの便りに「病気」「葬式」「身体の不調」三拍子。

家内のお姉さんの長男がきょう大きな手術日。

下関スペシャルオリンピックスの溝部さんが今朝から入院。男子双子の障害者とじいちゃんと夫の男4人を家においての入院。励ます言葉を早朝に選んだ末に「なるようになる」からと励ました。


心配をすれば問題は解決するか。

私の人生経験で窮地に陥ったとき「なるようになる」と腹をくくった場面がある。


笑顔の松尾さんと再会できる日を楽しみにしよう。


LINE友だちの淳貴君から

「今日から実習です。暑かったです。楽しかったです」が届いた。就職前の農業実習。

楽しかったです。に胸がジーンとした。

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下関市から来園6人 充実の日曜日

水曜日お届け、下関市の柏村さん夫妻とお友達の瀬戸口さん。北村さん家族のあわせて6名を農園ちかくで9時にお待ちして農園ご案内。


好天で鶏たちが走り回る放し飼いをご覧いただくことが叶った。私の部屋にご案内して農園生活いろいろを聞いてもらった。


10時半に朴の森が予定。農園から向かう途中で「小野茶園」に立ち寄った。360度新緑の茶畑を眼下に見渡せるビュースポットでみなさん歓声をあげられた!


朴の森ガイドは藤野先生。北村さんご家族は先日この場所はご案内が済んでいるので私の担当で菊川画廊。

柏村さん夫妻と瀬戸口さんを藤野先生がご案内。


12時半に二班は鍵山記念館で合流。みなさんの笑顔が充実した時間を物語っているようだった。


農園に戻り「あだち美術館」を更新。今週は長府の「ビストロまさ」をInstagramから拝借してかけました。どうぞ入館ください。


「掲示板」も更新。


心地よい疲れで夕暮れを迎えている。


写真の坂村真民先生の「念ずれば 花ひらく」石碑は、先生が世界中に1000建立したいと念じられた542番碑です。

先生の願いは沖縄で700ほどで終わりました。


石碑に刻んだ「書」は表装して農園作業にかけています。

鍵山先生が私を真民先生にご紹介くださり、農園を始めたとき「書」が届きました。

驚きと感激で真民先生にお電話「すぐお礼にまいります」と言うと「こんでええ、あんたは忙しいじゃろうが。もし農園の地域に石碑にできるような石があったら石碑にしなさい。542番になるから」と言われました。

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菊川さんから学ばせてもらうことたくさん

きのう菊川画廊におじゃまして約1時間。

お茶を入れようとされる菊川さんに「お茶はええから」と向き合ってもらった。


その会話を少し書いておきたい。


松田正平画伯と菊川さんの親交は、師弟というより親子を感じる。


20数年前「祝島に行かんか」と菊川さんからの電話。松田先生のスケッチ旅に菊川さんは同行するらしい。当時の私は零細企業の社長「行きたいが、いつ帰るかね」と聞いたら「わからん」と言うのでお断りした。


その祝島はどうだったかと聞いた。

少ない島民が生活しておりほぼ自給自足。つまり海と山を生業としている人にわかれてお金を使わずに生活が営める島だった。

民宿は一軒。そこに着いて「菊川、好きにせい」と先生はスケッチに出た。好きにせいと言われても、お金をは少しはもっていたが使う店がない。

風景を眺めながら9日逗留して「菊川、帰ろうか」と島を出た。


海を眺めた生活を終えて柳井港に着き。JRで戻る途中に菊川さんの身体がとても重たくなった「先生、身体の具合が悪い」と言うと「ワシも同じじゃ」つまり、時間を気にかけたり駅で人とぶつからないよい気を配ったり、さまざまなアナウンスが耳に届く現実社会に戻った。それで身体に異変がおきた。


それにちかい体験が私もある。内蒙古自治区ホロンバエル草原を一週間旅をしたとき。お金を使う店がない。蒙古族の人は時計を持たない。大きな朝日が地平線にあがり、真っ赤な夕日が地平線に沈む。娯楽はファイヤーを焚いて馬頭琴の音色。


喧騒の北京空港に着いたら体調がすぐれなかった。


貨幣のない縄文時代を生きた人がどれだけ人間らしい生活をしていただろうかと。そこに話題は行き着いた。


著名な画家の作品。

サインはない。ないけれど画廊にかけていると人の足をとめる作品。

「そう生きましょうで」と言わないが。菊川さんの気持ちがわかった。

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天気予報がはずれて終日小雨

8時まで朝寝できたらどれだけ爽快に目覚めることができるだろうか。運転で疲れているが3時前に目が覚める習慣がつらいときもある。


ビデオデッキ(ブルーレイ)を買って取り付けまでてきた。何度も観た映画「史上最大の作戦」が放映されたので試験的に録音・再生して、今朝最後の1時間ほどを見終わった。


この作品、小学校2年か3年のとき上映があった。父兄同伴で学校から許可されたが母連れて行ってくれなかった思い出がある。

その話題をしている友だちの輪から遠ざかった。


母は近所付き合いは挨拶程度の人だった。職場では何人か友だちはあった。晩年、施設や病院でも孤立していた。その理由を最近想像できた。


映画の話題から遠ざかった私のように、母が遠ざかった理由は「ご主人は」とか「兄妹は」「お仕事は」と聞かれる場面から逃げていたように思う。私にさえ父親のことを一言も話さなかった。


母が逝って7年も経って気がつく。


今朝は林よしまさ事務所に行った。裕子さんにスペシャルオリンピックス日本理事として淳貴君ポストカードに紹介文を添えていただいたお礼が目的。もっといえば植木紙店で催される淳貴君展覧会のご案内をして広報をお願いすることだった。

ご本人は週末に戻られるので秘書お二人に目的をしっかりご説明した。

事務所を出て裕子さんに訪問の目的をメールでもお伝えした。


菊川画廊アポなしで裏口からはいった。

淳貴君のポストカード10枚をひろげた。菊川さんが手に取ったのは10枚の紹介カードの淳貴君サイン「これは誰にでも書けるものではない」と。

10枚についても菊川さんの総評を聞かせていただきとても勉強になった。


20日の日曜日。私のお客さま(下関市の北村さんご家族)を画廊にご案内する打ち合わせなどもできた。


松村御大から淳貴君展覧会について電話。Facebookで何人も私の淳貴君投稿を「ひろめたい」とシェアしてくださった。個人メールの問い合わせも届きはじめた。

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下関市内は淳貴君展覧会ご案内で走った

淳貴君作品展の案内ハガキができた。

下関市内から美祢市までのお届け先で淳貴君と私のことを話ながらご案内した。50枚を手渡すことができた。その細田さんがFacebookに投稿してくださったのでご紹介。


Facebookで淳貴君の描いた作品を当てるクイズを出した。当選者には淳貴君のサイン入りポストカードが景品。それと加奈ちゃんパンの注文があり水曜日に買い求めてお届けした。


初日の21日に行くと言われたご夫婦。「とりのこ」と「しみず」では店内に貼り出してくださった。


地元の作家の個展会場で淳貴君が肩をならべる。多くの人にお運びいただき、これから淳貴君が描いていく力になればと全力で応援する。


9時に案内カードを受け取ったので、それまでに配達の酒井さんや木村社長、てじょんのお母さん、荒川さんたちには来週お渡しします。


5時半に農園スタート。4時にゴールイン。

唐戸魚市場のアサリとイワシで充電。

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水曜日のバッテリー使い終えた

朝は水曜日と土曜日がとくに慌ただしい。

愛犬2頭はどんな天候でも朝夕の排泄は外でしかやらない。雨の日は都合よくすぐに両方を済ませる。お天気がよいとなんぼうでも私を歩かせる。今朝は小雨で2頭ともすぐに済ませてくれた。


5時過ぎ、農園を出るとき車に積んでいる袋から雨具を出して袋は車に積んで雨具は農園に忘れて出た。長府で雨足が強くなり雨具を探したがなかった。


配達先のお宅まで行って、配達をした気持ちになったのか農園に戻ったらお宅のたまごが残っていたことも。


農園を出て左は下関で右は山口方面。それを間違えるときもたまにある。


早朝のブログ「ホーム画面」更新。昨夜届いたお便りに返信は愛犬と同じで慌ただしさに拍車をかけるが、身体と頭の運動、これをしているからこの程度の毎日。


水曜日は山の田「ちょぼハウス」通い。スペシャルエッグについてのやりとりを済ませてワイワイの語らい約40分。

このワイワイで淳貴君ポストカードも誕生した。私も障害児を育てる母親みなさんのことが少しずつ理解が深まって来ている。あわせてボランティアのみなさんが取り組まれる熱意(コツコツ継続)に学ばせてもらっている。


水曜日のバッテリー使い終えた。今夜はフル充電して木曜日にむかえたい。


「ふくいテニスくらぶ」玄関の多肉植物welcome。

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母7年の命日

母は。7年前の深夜お国替えをした。


シーサイド病院は周防灘がぐるりと見渡せる絶景の場所に建っている。けれども四国や国東半島を眺める患者やその家族はいない。


朝8時、母の具合を確かめに行った。数日前から意識はない状態でそのときを待っていた。ナースセンターの真ん前の部屋に移されドアは解放。命が波形でセンターのモニターに出ていた。

「どうですか」と看護婦さんに聞くこともなく、母の手を握って部屋を出た。

農園に戻り家内と長男に「たぶんきょうになる」と伝えた。


岡本拓也さん順子さん夫妻の「ガッツ体操教室」の体育館が朴の森に完成した。その御披露目のお祝いが午後から賑やかにはじまった。

母のことは忘れてよう飲んだ。お開きのあと家内が迎えに来てくれた。農園でシャワーをつかい家内と缶ビールを飲んで体操教室の話をした。さんざん酔って夢の中。家内の携帯電話が着信した。


すぐに事情はわかった。服を着ながら「まだ酔っているから運転頼む」と。家内も数時間前にビールを飲んでいる。農園に来てくれるタクシーはない。


「走れ」「飛ばせ」と家内の運転に鞭をあてながら病院の駐車場に着いてエンジンを止めたとき長男から「いま」と電話を受けた。


葬儀会場とは事前に打ち合わせはしていた。深夜、病室に集まった長男と次女の家族全員を帰らせて母を見送ることがはじまった。


私を育てあげる決心をかためて昭和26年に母はシングルマザーになった。母とどこかに遊びに行って楽しかった思い出はない。

けれども母は私を育てる人生をおくったことは間違いない。


淳貴君のポストカードは太秦教会のご霊殿にお供えされている。秋には「人生の車窓」をお供えに太秦参拝と思っている。

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ゆきちゃんこの顔ははじめてみた(萬代さんカメラ)

土曜日のお昼、萬代さんが農園に来られて撮った愛犬。

尾を下げ背中の毛が逆立っている。足の爪がよく撮れている。前足、とくに向かって右の前足で「ひっかく」「おさえる」力は強い。朝夕、散歩で歩いても爪はしっかりしている。人に危害をくわえることはない。

初対面の萬代さんがスマホを片手に接近したので緊張したと思う。私には珍しい表情。


小雨でもあるかと思った月曜日。サングラスがをかける日射しもあった。


配達先の会話は予防接種が多い。私は今月25日で家内は来月の3日に1回目の接種。

2回目を終えたというおばあさん「2回目のあとは38度の熱が出た」と言われた。

私は平熱は低い38度は何十年もない。高熱が出ると気分がハイテンションになり(酔った?)母から「やかましい」と叱られた思い出がある。


5時半に農園スタート3時前に農園ゴールイン。


早朝の散歩と夕方の散歩は愛犬がさせてくれる。


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あだち美術館更新しました

寿司割烹「浪花」ホームページの写真を拝借しました。

浪花 https://sushi-naniwa.info/


日曜日は配達がない。やっぱり3時ごろ目があくが気忙しいことはない。ネットラジオ「高橋源一郎の飛ぶ教室(金曜日)」を1時間横になって聴ける。

台風が発生したと携帯電話に通知があり、詳細をタブレットで調べた。


日頃は掃除機と台所はやっているが日曜日の掃除は時間があるので工夫が試される。昨夜、台所の布巾二枚を漂白剤に浸していた。布巾を洗って干したあとの漂白剤は台所掃除を終えてから配水管に流した。まな板の汚れも漂白剤に頼った。

ほぼ独り暮らしでも生ゴミや焼却ゴミはある。できるだけ農園で焼却している。できないゴミは自宅に持ち帰ってもらっている。


ゆったりとした気持ちで部屋をきれいにすると心が落ちつく。掃除はゆったり楽しみながらできると血圧まで落ちつく。


農園近くの横瀬八幡宮を会場に「山口市掃除に学ぶ会」が催された。和気あいあいでもお掃除達人は細かいところまで徹底掃除。代表の岡本拓也さんのゆるゆる雰囲気に味がある。奥さま順子さんが太巻きシリーズを持ち込んでくださった。


太秦教会にお祀りしていただいている母の7年祭りが15日。太秦の孫(大輝13歳)明日が誕生日。宅配クールと常温2個口を家内と午後からつくりヤマト営業所に持ち込み。散髪もてきた。


あだち美術館更新しました。

宮田農園の島暮らしです。更新しながら胸があつくなりました。

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午前は運転 午後は草刈り

きのうから天気予報が気になっていた。

土曜日と日曜日で草刈りをやりたい広い面積がある。その大半は隣接の地主所在が不明の耕作放棄地。もう刈らなければイノシシやキツネなどが農園に近づくほどになっている。


5時半。小雨のなかを萩市にむけてスタート。萩市に6時ごろ入ると、信号待ちで車が揺れるほどの強風。長門市までの高架道路は走らず、山あいの旧道で長門市に向かった。対向車はなかったがサルの群れを見かけた。


11時前に農園ゴールイン。雨雲レーダーで確認すると多少の雨はあるが草刈りができないほどではないと判断。

かるい昼食に缶ビール。昼寝に入ったとき家内が「萬代さんが来られた」と起こしたが、午前の疲れをリセットして午後から草刈りをやりたいので萬代さんには失礼して1時間しっかり寝た。


午後、4時間しっかり汗をかいて草刈りができた。

きょうの草刈りは効率のよいハンマーナイフというマシン。明朝は草刈機を担いで細かい場所の草刈りをやりたい。

8時から「山口市掃除に学ぶ会」に参加。午後から続きの草刈り。

7年前の15日に母が96歳でお国替えした。金光教太秦教会で母の御霊祭にお供えと、太秦の孫が月曜日に誕生日をむかえるので「常温」と「冷蔵」の宅配を3時までに家内がつくる。それをヤマトで送り出してから小郡で散髪の予定。


お供えに「淳貴ワールド」ポストカードを入れることができる。母は喜んでくれる。

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古希の記念碑ポストカード完成 

LINE友だちの淳貴君が描いた動物たちを、私が秋にむかえる古希の記念碑としてポストカードにしようと思った。

淳貴君ご家族に私の気持ちを伝えご了解を得てスタートした。

さいわいニュースタイル(美容室)の糸数会長オフィスにデザイン担当がおられ、これまで農園の年賀状や私の年賀状に名刺など細々したものをデザインから印刷までお願いしていた。その河上さんにポストカード構想を説明して、すすめる手順など決めて動きはじめたのは昨年の年末ごろからだった。


淳貴君の作品10点を選んでいただき、お預りして写真撮影。いろいろ補正をくわえて原画にちかいようになった。

スペシャルオリンピックス日本理事の林裕子さんに紹介文をお願いした。淳貴君と裕子さんは会話を交わしたあとに紹介文が完成した。


スペシャルオリンピックス関係でもうお一人デザインプロフェッショナルの小坂さんがお力添えくださった。


毎週水曜日、スペシャルメンバーが集まる「ちょぼハウス」でみなさんのお知恵をかりた。

そして作品10点×500セットの印刷ができた。それを今朝、下関のバーバラの館(マルシェなど催して売上を社会奉仕に提供される女性たち)で封筒詰め作業をお手伝いしていただき完成した。


午後、松村御大お宅に寄らせていただいた。

目的はふたつ。ひとつは、スペシャルオリンピックスのアスリート(子供たち)が松村御大たちが毎月2回清掃奉仕されている催しに参加できないか。

社会の第一線で活躍しておられる人たちと自閉症やダウン症の子供たちが一緒に作業をすることで障害者を理解してもらえる機会にもなるのではなかろうかとご相談した。

道筋を示していただいた。


油絵の大作を描いておられるアトリエに入ってみたかった。秋の県美展や市美展にむけて50号キャンパスなど雑然としているが松村さんのエネルギーが充ちていた。


20数年気持ちのよいお付き合いをご夫妻とさせていただきたくさん勉強させてもらっている。

とてもよい気持ちで農園に戻った。

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農園の夕方は涼しいです

今朝の下関行きはウキウキしていた。

細江町の寿司割烹「浪花」の大将にお願いして、私が持っている石原忠幸作品4点を1ヶ月更新でカウンター横にかけてもらっている。その3作品目「杵築」がきょうから登場している。

「関門海峡」「岐阜県恵那市」同様に「大将、作品と一緒に撮らせてください」と、朝の忙しい時間ご無理を言って撮らせていただいた。

1ヶ月後の作品も杵築「酢屋の坂道」をご用意している。作品たちは多くの人にご覧いただき喜んでいる。故人になられたが石原忠幸先生もきっと笑顔だろう。菊川画廊も喜んでくださっている。

「掲示板」に浪花三代の写真を載せました。


農園の夜は涼しいをこえて肌寒い。窓ガラスはしめて布団もしっかりかぶって寝る。まくら元の老犬はしっかり丸くなり尾っぽのなかに顔をうめている。


朝までしっかり寝て水曜日の疲れはリセット。忘れ物もなく5時半に農園スタートできた。


唐戸魚市場。イワシとアサリを買った。家内が泊まるからイワシは手開きの刺身とムニエル。アサリはパスタになるらしい。


よく働いて汗を流して缶ビール。とても涼しい風が疲れを癒してくれる。

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囲炉裏の部屋について 

最近「囲炉裏の部屋」に時間をかけている。

「ホーム画面」は午前2時~5時までのあいだに二枚の写真とキャプションで更新する。写真を少しの活字で伝える私の勉強になる。


「掲示板」はFacebookの環境がない方から「投稿を見たい」と言われたことではじめた。私は毎日Facebookに投稿している。私の一日を数枚の写真でまとめる勉強になる。何よりも腰にカメラをつけて、風景や動物に人物をしっかり見る訓練になっている。老眼でもよく見えるようになってきた。


Facebookは過去に投稿したものを「過去の思い出」として私に毎日配信してくれる。それを「掲示板」に載せている。1年前のきょう何をしていたかよみがえる。


「あだち美術館」は日曜日に更新している。今は小坂さんの作品を載せており、次は「野の畑みやた農園」て更新する。


「日記」は6時までには済ませたいと思っている。


これだけのことに多くの時間を費やしてなんになるのか。つまりは私の「書く」「撮る」「考える」機会としてブログはとても役立っている。

もちろんタブレットひとつでやっているので操作についても習熟を求められる。よき指導者の重枝さんにお世話になっている。


InstagramやLINEは淳貴君と付き合いたいので試行錯誤でやっている。その目的がはっきりしていると操作を覚えるポイントがはっきりする。


そのInstagram。きょうフォローしたのは「野の畑みやた農園」夫婦で大島に移住して信じる農業を実績されている。

宝石のような野菜たちに目をうばわれた。

みやた農園ツアーご希望を数人からうかかっています。ご希望の方は手をあげてください。コロナと暑さが下火になっころやります。

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ポストカード印刷完了

私の古希(今年の秋)記念碑としての淳貴君ポストカードの印刷が完了した。

10点の作品とスペシャルオリンピックス日本理事、林祐子さんにお願いして紹介をあわせて11枚×500セット。透明のしっかりした封筒も届いた。


11日の金曜日に下関にこのまま運び、10人ほど仲間が集まり封筒に入れてシールを貼って完成になる。


先ほど農園に戻り母に供え、元気に古希をむかえ、周囲のみなさんのお力添えでポストカードができたことを報告してかしわ手にお礼をこめた。


金曜日に完成したそのあとは、みなさんに道をつけてもらってポストカードは歩みはじめる。そのとき販売など私は協力する。


もうひとつの古希「人生の車窓」は推敲を重ねている。秋ごろ母の墓前(京都)に供えに行こうと思っている。その後にブログで公開する。


8月1日。吉岡享子さんのスィートコンを食べる会。集合場所を「道の駅阿武町」にします。早いうち下見に行き道の駅から吉岡さんまでの距離や時間を調べます。


山口市内34度の暑さはこたえた。

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巣立ちに感動した

農園ツバメの巣立ち

写真下の右端はつねにエサをもらいそびれて成長が他の4羽と比べて小さい。

きのう早朝、賑やかに4羽が巣から飛び立った。そのあと1羽が巣に残っていた。親鳥は巣の間近を滑空しながら声をあげている。いつものようにエサは運ばない。そのうち兄弟4羽も巣の周囲を声をあげて飛び回りはじめた。とうとう巣から落ちるように飛んで地面に落ちた。この場面にカラスがおれば間違いなく食べられる。

やっとの思いで雨どいまで飛び思案の様子に見えた。兄弟4羽と親鳥2羽が雨どいの周りを「飛べ!」と励ましているような声でしばらく励ました。そのあと雨どいから飛び立ち家族で農園の空を何度も旋回した。


きのう鍵山記念館3周年。私は掃除をすれば会社の業績があがることを期待して便器にむかった。

やっているうちに「私が変われば会社の業績もかわる」ことに気がついた。その私が変わるための掃除と思うまでに何年もかかった。


まだInternetがない時代だった。Yellow Hat鍵山社長がお掃除に招かれる全国各地に都合をつけて参加をして生き方を一心に学んだ。

当時お掃除の会はしっかりした組織でもなく、鍵山社長を師とあおいでいるメンバーがおられた。

そのひとりに長崎県からとんかつチェーン店を展開されている社長がおられた。鍵山社長の側近中の側近で頭のキレと笑顔は鮮明に記憶している。


私にはわからない諸事情で掃除の会から離れていった。諸事情をしっかりわからない人たちが良くはいわない。


たしかに「良くいわない」その場面に私も出くわしたこともある。それは下関のお店で支払いについて女将に暴言を吐いたこと。


一方で「宇部でうまいお店を紹介してください」と言われ、港町の「キャプテン」に行った。客は私ら二人だけ。奥さんは背中に赤ちゃんを背負って接待。

ずいぶんワインを飲んだあと「このお店で一番値段の高い赤ワインをください」とボトルを頼まれた。楽しく飲んだ。支払いに私が立ったら制してレジに行って「このお店はとてもよかった」とあの笑顔。なにがとてもよいのか私には理解できなかった。


奥さまが働いておられる姿がとてもよかった。


レジで奥さまは嗚咽した。子どもを預ける親戚も近くにはないから、お店の雰囲気ではない姿での接客。お客様は減った。もう店は続かないと主人と話していたときの「奥さまが働いている」の激励にキャプテン夫妻は立ち上がった。

いまでもあの場面はキャプテンの大黒柱。


私が農園をはじめる前にお祝いをさげて立ち寄ってくださった。

私の手をしっかり握って「たまごの営業はたまごがやる。それをあなたに伝えるために来ました」と。その握った手から伝わったことが農園の大黒柱。


なにかのはずみで組織(仲間)から外された人はたくさん見てきた。私も「あの人は」と敬遠してきた人は多い。けれども「あの人」は当時の歴史を紡いでいた。

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Internet環境不調ごときでストレス

農園のInternet環境は、過疎地に建てられたWi-Fiアンテナがからとのアクセスでなんとか繋がっている。何らかの事情できのうから接続環境が悪くなりタブレットが使えないことになった。

重枝さんにSOSを出し、日記と廣中さんの写真だけは送れたので日記メンテナンスをお願いした。

そのあとブログのアプリを削除して新たに再インストールしたら動きは改善された。結局、昨夜の日記は私の手元で更新できた。


買ってきたビデオデッキの接続なども難航した。紙の説明責任はなく使い方はハードディスクの「説明書」をあけなければならない。


赤ワインを何杯もおかわりしながらデッキと悪戦苦闘している8時前「こんばんは」と重枝さんがお二人の子どもさんを伴って来られた。ホタル見物。


またワインを飲みながら歓談したので飲酒の量は多かった。


午前中は鍵山記念館3周年記念行事に参加。下関市から来られた寿司割烹「浪花」の大将と子どもさんが農園見学。書きたいことはあるけれどもう眠たくなった6時前。


淳貴君の新作をご披露します。


「あだち美術館」「掲示板」は元気に更新しました。

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Internet接続が不調で困っています

農園地域性もしくはタブレット不調か。Internet接続が不調で2時間ほど手こずっている。「掲示板」は中途半端で放棄した。


5時半に農園を出て萩市・長門市・美祢市から農園に戻らず下関市長府それから農園に戻った。走行時間は6時間。前の仕事で6時間走行は「大阪」か「宮崎」。普段はもっと長丁場を走っている。


美祢市。先日の「とりのこギャラリー」でラベンダーと駿馬の作品をFacebookにあげたら「義父の作品です」とmessengerでお便りくださった廣中さん配達に行くと草取り真っ最中だった。

彼女はプチラボで働いている。淳貴君来店のときFacebookや日記で知っていたので「淳貴君ですか」と声をかけてくれた。

先日の淳貴君Facebookクイズで「シロクマ」も当選もした。来月の植木紙店もご案内した。


長府の家電店にDVDデッキを注文していた。それを受け取った。コンパクトになったデッキをテレビ初期設定をやり、本体と接続まではできた。番組録画予約もできた。DVDに録画をおとすこともできた。いま立ち止まっているのは「ファイナライズ」。それは本体の「説明書」をあけて勉強になる。


2000円支払えば取り付けから取り扱いまで担当が農園に来てくれる。けれどもそれはつかわず操作を勉強する機会と思ってやっている。


⏹️ブログがうまく動きません。重枝さんに応援を頼みました。明日には復旧できるかと思います。

LINEやmessengerは使えます。

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休養の金曜日になった

石原忠幸作品4点。下関市寿司割烹「浪花」店内で1点を1ヶ月掛けていただいている。来週から3点目、大分県杵築の坂道の土塀になる。

掛け終わった作品を山口市ニュースタイル本社に今朝掛けに行った。やはり1ヶ月交替で糸賀会長にお願いした。

作品が斜めのまま撮ってしまった。


そのあと湯田温泉と思っていたが疲れて、風呂に入る気になれず農園に戻った。

昼食に缶ビール1本添えた。昼寝は60分しっかり寝た。


明日は萩市から美祢市まで走り、そのまま下関市長府の家電店に注文済のDVDデッキを買いに行く。


⏹️ご案内

  吉岡享子さんのスィートコーンを畑で食べる会


萩市から車で40分。阿武町標高400メートルの寒冷地でひとり百姓の享子さん。加奈ちゃんのご縁で私は知り合いました。

山口県ブランド米など生産され発酵食品も手掛けておられます。なかでも自慢はスイートコーン「宅配してほしい」とお願いしたら、スィートコーンの甘さは夜明けでしか味わえないからと断られました。


そのコーンを早朝収穫してもらい、低温で私たちを待たせてくれます。畑で享子さん自信の甘さを味わいませんか。もちろん予約してクーラー持参されると持ち帰り可能です。

他にも自慢の小玉スイカや発酵食品などもご紹介できます。


8月1日午前10時ぐらいに萩市役所にお集まりいただく予定にしています。

昼ごはんは「道の駅阿武」が近いようです。

詳細は後日お知らせします。詳細のご案内必要な方はご連絡ください。参加できるかどうかわからない方でもお知らせくださればお届けします。

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体力つかい果たしてチリワイン

LINE友だちの淳貴君から先ほど届いた作品ご紹介。

「僕の好きな動物です」

さて、ここでクイズです。この動物がわかったかたは手を挙げてください。


Facebookに同じ設問で投稿したら松村貴美さんが「シロクマさん」とコメントを寄せてくれました。

「淳貴の世界(ポストカードタイトル)」は作品とそのタイトルにあります。正解された方には淳貴君ポストカードをサイン入りで贈呈しましょう。


朝6時半いつもの唐戸魚市場。今朝は小雨のなか赤間神宮から歩いた。ご存じかと思いますが赤間神宮、その前は阿弥陀寺というお寺だったのです。いまでも地域は「阿弥陀寺」と名残をとどめています。


魚市場は閑散としていた。ねらいは「イサキ」だったがなかった。大阪湾のコイワシとアサリを買った。イワシは手開きで刺身。アサリはパスタと電話で家内。


寿司割烹「浪花」に石原忠幸画伯作品「杵築」をお届けした。来週の木曜日、荒川大将と作品を撮らせてもらいたい。もう一点「杵築酢屋の坂道」は1ヶ月あとにかけていただく。


明日は、糸賀会長オフィスに石原作品をかけに行く。新保さん職場にはフェルメール贋作(小坂さん)を届けようと思っている。

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水曜日はシートを倒して昼寝をする

農園ツバメ大きく成長した。

この餌を求めるピーピーの鳴き声がヘビを誘う。巣だってほしいと見上げる。


20年近く、水曜日の朝6時過ぎに玄関所定の場所に10個をお届けしている清末のお宅。数週間前からカラスが中身を食べることを学習したらしい。家の方と電話で話して、来週から朝刊が入っている郵便受けに割り込ませることになった。


長府シフォンケーキの「ポポラス」はいつもの7時にお届け。住吉神社宮司は8時。スペシャルオリンピックス下関の拠点は9時半。「ふくいテニスクラブ」は11時。長府にもう一度入り何軒かお届けのあと小月から王喜を経て美祢市で水曜日が終わる。


最近、お昼過ぎに眠気がやってくる。昼寝はJR「あつ駅」理由はトイレがきれい。5分ぐらい夢をみたらスッキリする。


吉岡享子さんのスィートコーンを畑で食べる会に加奈ちゃん大賛成。享子さんと打ち合わせて日程だけは早々にこの場でお知らせします。

おそらく萩市役所10時集合。畑で遊んで享子さんの小玉スイカや発酵食品をわけてもらって解散になろう。

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暑くなりますが元気に6月歩みましょう

農園の新緑は目にまぶしい。

耳にもいろいろな自然が聴こえてくる。夜明けにシカが大きな声で鳴く。朝から晩までやかましい「東京特許許可局」のホトトギス。夜はホウホウとフクロウたち。柱時計とそっくりカッコウもにぎやか。夜はホタル。

都会暮らしの人にから農園生活は贅沢と思われるかもわからない。


きのう美祢市の山あいのお宅に行ったら独り暮らしのばあちゃんの娘「母はきのうマムシに指を咬まれました」と。鎌で草刈りをしていたとき指に痛みを感じたらしい。出血もあったがマムシとは思わず痛みを堪えて草刈りを続けるうちに咬まれたほうの腕が紫色になり腫れだした。慌てて消防に電話をしたら救急搬送で市民病院。


もう一人マムシに咬まれたばあちゃんは、溝に落ち葉がたまっていたので素手で落ち葉をすくったらマムシがおった。


農園草刈りでマムシは数多く殺した。ほかのヘビは殺さない。大きなムカデやスズメバチなども自然いっぱいの環境で一緒に生きている。イノシシは珍しくない。


阿武町の標高400メートル高地で女独り百姓の享子さん。こだわりのお米や野菜に発酵食品などに取り組んでいる。

彼女がいつも自慢する野菜はスイートコーン。何年か前に「今朝採った」ともぎたてスイートコーンをもらって食べた。とにかく甘いしやわらかい。

「この味を私にご縁のある方に届けたい」と言ったら「それを宣伝したら、美味しくないという人がおられるかもわからないから、早朝に糖度が一番たかいスイートコーンを畑で食べてほしい」と言った。


今朝、彼女にスイートコーンを畑で食べるツアーを計画してええかねと打診したら「計画してください。その日の早朝に甘さたっぷりのコーンを収穫して冷蔵庫に入れておきます。早い時間に来てください。自慢の小玉スイカもあります」と。


阿武町「食」のツアーを計画します。8月です。

囲炉裏の部屋でお知らせしていきます。

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