今村さんお参りの日曜日

きのう今村美智子さんに「早朝で申し訳ありませんが、明日の7時半にご仏壇にまいらせてください」と電話をした。


ご主人の明さんは専修大学野球監督で活躍され、東都大学野球大会で専修大学を優勝まで導いた実績の人だった。

ご実家は農園から15分ほどの船木。監督の定年をむかえ夫妻で10数年前に戻られ「たまごを配達してほしい」がご縁になり水曜日の8時に裏口から届けていた。


相撲を長年されたという大きな体つきで無口。何かのはずみで会話を交わすようになり、いつしか裏口に椅子がふたつ置かれて30分、毎週欠かさず会話にベルトがかかった。


とくに野球人生、選手の教育についてをご披露しておこう。

たくさんの部員のなかで幸運を射止めてプロ野球にスカウトされる選手はごくまれで、多くの選手は合宿所とグランドの往復で学生生活を終える。

私の恩人、富士通の上田さんは戦車のような体形で東洋大学ラグビー部員だった。授業に出たら「お前は何をやりに大学に来たのか」と叱られたと言われた。


合宿所で夜に監督は教鞭をとった。野球バカで社会人として使い物にならない部員を出したくないとの思いだった。

練習を終えて監督は会社をまわり就職活動をしていた。それを終えて夜中に合宿所に立ち寄ったらご法度のマージャンをワイワイやっていた。


その連中全員を外に連れ出しバットでひとり数回、力任せに尻を叩いた。どこに当てたら骨が折れるかはわかっていた。


いま、体罰が悪いと言うが言葉で納得させるよりバットのほうがよほど理解できる。


翌朝、自宅の庭に尻を叩かれた部員全員が頭をまるめて正座していた。


韓国料理「てじょん」で酒盛りをした。貸し切り30名ちかくだった。明美さんチョゴリでサプライズのカヤグム演奏で宴たけなわのとき明さんが思い出を涙で語った。

熊本出身、在日韓国籍の部員との思い出が何度か彼の自宅に招かれて並んだ韓国料理でよみがえった。

韓国・中国という「国」には嫌悪感の明さん「人」に区別はなかった。

その宴は明さん朗々と相撲甚句を披露された。


3年前、萩市浜崎を歩こうと催した。明さん「体調がすぐれない」と当日お電話があった。農園まで来てください、往復の運転は私がやりますと強引に参加をさせてしまった。

浜崎を歩く相撲と野球で鍛えた明さんの足どりが重かった。


その2週間後、夕方夫妻が農園に立ち寄ってくださった。奥さまはあかるく「抗がん剤で禿げると言いますが、明さんは禿げているから」と言葉がつまった。


棺に専修大学野球監督時代のユニフォームを着た明さんにお別れをした。豪雨で落雷までの伴奏があった。

プロ野球、名だたる選手からの花がずらりと斎場に並んだ。


先日の菊川画廊「母に教えてもらった百人一首の和歌をたくさん覚えている」競技カルタクィーンの美智子さんに和歌の解説などしてもらえたらと話された。

それはあるグループで継続されているらしい。和歌の奥行きに涙をながされる方もあったと。


美智子さん、ある神社でトイレを借りようと思ったがあまりの汚れで使えなかった。そのことがきっかけで明さん菩提寺のトイレ掃除をはじめた。

白い便器が汚れており、通う度に少しだけ、少しだけと磨きあげていまはピカピカになりましたと。


10時。湯田温泉「温泉の森」一番のり。

久しぶりにゆっくりお湯を楽しんだ。休憩室のWi-Fiを使って「あだち美術館」を更新した。

「ビストロまさ」から「ノエル」にバトンをつないだ。ご入館ください。