見逃しギャラリー ご覧ください。

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以上の五つに分けています。⬛見逃しギャラリー  を近日中に「先月 写真集」に表題を変更します。

今朝、早起きして写真のレイアウトを少し変えてみました。ずいぶん拡大してご覧いただけるようにしました。


一ヶ月で約90枚の写真を使います。私の主観ですが「これは、もう一度」と思う写真を何枚か載せます。嘉穂劇場で撮った「青春の門」の映画看板。

週刊プレイボーイ のヌード写真の次に目をとおした、まさに私の青春の門でした。ギャラリーの9番目に載せています。世界3番目に巨大なクルーズ船も載せました。ご覧ください。


木曜日に配達する たまごの数がなかなか揃わずスタートが30分遅れて6時半。下関市内のラッシュになると困ると思いながらもなんとか2号線で下関市内に入れた。


農園ではハヤトウリが今年も豊作だった。その指南役は、唐戸のカットイパラダイスの中山さん。

漬物レシピを、鉛筆画の主宰者らしく図解でいただいた。砂糖・塩・酢の、中山レシピ。その出来上がりをタッパに入れて「奥さんに味見して」といただいた。


美祢市は「加奈ちゃん」。今朝、4時前に「追加で20個」のメールが届いた。早起きをほめたら「授乳です」2ヶ月健診で7キロ。平均は5キロらしいが。


うどん「よしの」では、相撲・北朝鮮情勢など 私見を述べあった。これも木曜日の楽しみ。


明日からの師走、元気に乗り越えましょう。

昼寝で復活した

木曜日の配達が多くなり、1日では配達できない距離とたまごの数になり、2年ほど前から木曜日を効率的に走ることができるよう、下関市内の配達飛び地を水曜日にお届けしている。


スタートは小月から始まり、長府、新下関、安岡そして再度の小月の数ヶ所でゴールになる。


今朝7時半、小雨の功山寺のモミジが鮮やかだった。


九州を旅した疲れが残っている。配達を終えたら風呂に行き、農園に戻ったら布団にもぐろうと決めた。

農園近くの温泉に立ち寄り、ゆっくりお湯を楽しんだ。予定どおり、布団を敷いて横になったら2時間も寝ていた。

さきほど目が覚めたら、びっくりするほど体が楽になった。


IoT の番組を録画していたので見た。

あらゆる物がインターネットを通じてつながる便利な世の中になり、それが監視カメラ・ペースメーカー管理など医療器具・スマホのルーター・外出先から遠隔操作可能なすべての家電製品。それらを悪意をもって操作する個人や集団が世界中に存在している警鐘を番組は鳴らした。


5000円程度で室内を遠隔監視できるカメラは、部屋の様子をスマホで見ることができるから、ペットや子供の姿を見ることができる。このカメラは5分程度で悪意をもって乗っとることが可能。するとカメラの撮影を自由にコントロールできる。つまりプライバシーに外部から踏み込む。


例えば、日本中の家電製品を乗っとり、ある証券会社のサーバーを停止させる妨害をすれば経済は混乱する。

車の自動運転装置を誤作動せても大混乱を引き起こす。原子力発電所をコントロールされたら自爆テロどころではない「テロ」となる。


コンピューター社会が成熟するにはたくさんの課題があるように感じた。


殿方総立ち ポスター

ホーム画面には掲載しました。嘉穂劇場にたくさん展示されている往年のポスターの一枚(すべて撮影可)。


高校生のころ、宇部市内には4ヶ所の映画館があった「日活」「東映」「東宝」それと「見初(みぞめ)映劇」。見初映画劇場は、宇部の炭鉱黄金時代は娯楽の殿堂、枡席に陣取り観劇でヤマの疲れを癒した。見初炭鉱など(宇部には大小50のヤマがあった)閉山したあとは映画館となった。


日活のポルノ映画に対して見初映劇はピンク映画。

友達と二人で学校をサボり、作業服とボウズ頭に作業帽で憧れのピンク映画に行った。枡席はなくセメントの床に安物の椅子があったが、常連客はダルマストーブの周りにたむろして、ストーブでスルメイカを焼きながらコップ酒で上映中も騒がしい。白黒のスクリーンが天然色(カラー)になると、それが始まり静まる「えー乳せちょるのー」などと言葉が聴こえてくる。


あの映画は、口元にホクロの渥美マリ主演「いそぎんちゃく」だった。大人の世界を垣間見た冒険になった。


ポスターの「殿方皆殺し」私なら「殿方総立ち」にするのにと思いながら撮った。


2泊3日の旅疲れ。昨夜は8時前に寝て、一度も起きずに4時起床。だいぶ楽になった。


山口市内を8時間走り農園に戻った。

会話を重ねて面白い

柳川の川下り風景。


家内の車にはナビは付けていない。今回の旅ではタブレットで容易にルート検索できるが使わなかった。不便こそ旅の醍醐味と常々思っている。ひとつの目的地に着くまで数人の方に行き方を教えてもらう。


思案橋も路面電車、片道120円を利用すると乗り場など聞くことになる。思案橋での楽しみかたを地元の方に聞いたら「表に料金表示のある店。奥のほうは観光の人はどうかな?」繁華街の入り口近くのお店の入り口に、メニューが置かれて見やすいよう照明もあった。味も接客も会計も満足できた。


有田焼も買う前に会話で気心にベルトがかかり楽しく買い物をした。正志の土産に酒を買うときも「地元の人が愛飲する銘柄」を店主に聞いて決めた。


旅の準備では便利な機能を使っても、旅に出たら「人」検索が旅を何倍も楽しくさせてくれる。


美祢市の山あい。玄関前でエンジンをとめておりたら、ばあちゃんのかん高い声が納屋から聞こえた。農機具で事故があったのかと一瞬思い納屋に走った。

じいちゃんが、ばあちゃんの指示を無視して仕事の段取りをしている現場だった「よいよ!この男はデンキもん!」と大声で叫んでいた。

「強情」を山口県では「デンキ」という。不思議と耳障りは悪くない。この夫婦は喧嘩にならない、じいちゃんの耳が悪くて叫びは聞こえない。

数年前、この地域に甚大な被害をもたらした豪雨のとき、ばあちゃんは「死ぬときは一緒」とじいちゃんの手を握った話もある。


今年のカブトムシ夫婦は早く死んでしまい、幼虫は期待していなかった。来年も飼うために飼育ケースの土を捨てたら小さな幼虫3匹が出てきた。その感激を話される奥さまのイントネーションが福岡。もしかして福岡のお生まれですか?と言うと「50年、宇部で生活しているのに、わかりますか」小倉の人だった。


母は70年、宇部で生きた。とてつもなく驚いた場面に郷里の出雲弁「おじぇーわー!」を発していた。

「ぶち」「ちょる」「へて」など、わたしも方言愛好家。


今年の旅を終えました

偶然、有田焼陶器市の最終日に訪れた。

到着時間が9時過ぎだったので広い会場は催しの設営中。駐車場には混雑を整理する警備の人たちが大勢打ち合わせをされていた。

家内は買い求めたい品があるので、あとどれぐらいで販売開始になるのかと、駐車場に軽トラで着いた地元農家のおばさんに尋ねた。

側で、おばさんの地域コテコテの方言通訳を私がした。販売する側は、最終日だから全部売り切りたい。値切ればとてつもなく安くなるから「値切れ!山口県から来たガソリン代ぐらい値切れ!」この催事に割れた食器を一人一枚持参したら夫婦茶碗と交換できるが持って来たかと言われる。

イベント開催も知らなかったし、割れた茶碗など知る由もない。おばさん、荷台の段ボールをかけ分けて汚れたお皿を二枚下さった。これを使えと。


一番手前の販売所を掃除しているバアちゃんに家内が「山口県から買いに来ました」と挨拶した。その挨拶が「売り切りたい」バアちゃんのツボをとらえた「安うするから、この店で買うてくれ」と互いの利益が一致した。

40分ちかくかけて買いたい品を家内が並べた。バアちゃん「飯茶碗を4個持っておいで、それをオマケにする」定価の札より1万5千円ちかく値引きをしてくれた。


割れ茶碗コーナーにもらったお皿二枚を持参したら、おばさんが加勢に来てくれて「山口県から来られたから、夫婦茶碗のよい物を選んでくれ」と地元言葉で援護射撃。係りの女性が選んだ夫婦茶碗ふたセットを頂戴した。


写真は会場に展示された「茶わん御輿」有田の窯元62社が協力して679個の茶碗で奉納された。重量は500キロクラム。神事で使われる。


今年の旅も行く先々で人情味あふれる出会いに恵まれた。筑豊では炭鉱(ヤマ)の人情。故人になっている母の弟は、北海道から九州まで炭鉱を渡り歩いた。背中に喧嘩で刺された酒の瓶の痕、トロッコに故意に指をつぶして保険金。ヒロポンで捕まり、母にとっては悩みの種だった。ある炭鉱事故で弟の先輩が事故死した。妻(弟より12歳年上)と子供5人を残した。その家の押しかけ住人となり子供全部を養育した。

その妻から招待を受けて長男の結婚式に行った。私のおじさんは父親席で神妙な面もち。長男が涙をこぼしながら言った「きょう初めて言います。お父さんありがとうございました」ヤマの人情に母も私もおじさんも泣いた。


柳川では、年輩の川下りの船頭さんが中国・韓国・英語を駆使して観光案内。柳川にまつわる歌もたくさんご披露された。


長崎。爆心地はすり鉢状の地形だったことを実感できた。山にはりつくように家々があり、釜山港から眺めた風景と同じように感じた。自転車をひとつも見なかった。

アシスト自転車でも階段では役に立たない。この地で たまごの配達は絶対無理と思った。


農園に戻り、支えてくれた正志に土産でねぎらい。母には元気な私を育ててくれた感謝のかしわ手。


2日目は長崎市内

8時前に宿を出て長崎市を目指して長崎自動車道を2時間半。

宿は長崎駅前に予約しており、駅最寄りの駐車場に車を預けて駅の観光案内所。定期観光バスは予約しているが、食べ処など地元情報を仕入れに行った。


写真は、世界3番目に巨大な中国からのクルーズ船。定員4000人。全長は330メートル。高さ60数メートル。164000トン。このような船がほぼ毎日着岸してバスで買い物三昧、とくに医薬品(龍角散など)を買い込むらしい。観光はほとんどしないと聞いた。


西洋人にアジアの人達があらゆる観光地にたくさんおられて国際的な雰囲気を感じた。


平和公園・グラバー園・大浦天主堂・眼鏡橋などガイド嬢の案内で楽しく観光できた。


駅前の宿にチェクイン。今回の旅の計画から乗り物などの予約を農園でゆっくりとタブレットで出来た宿のWi-Fiも使えるようになって、重枝さんから手ほどきをしていただいた成果が実感できて嬉しかった。


今夜は思案橋で夕食。


年に一度の旅に出ました 初日

一年に一度の「旅」に出ました。


「田川市石炭・歴史博物館」は、世界記憶遺産に認められた 炭鉱記録図 山本作兵衛コレクションが展示されている。ぜひ実物を観たいと念願していた。それが実現した。

真っ暗な地下の採炭現場は、危険と隣り合わせの過酷な仕事場。そこで働いた者にしか出せない力を感じた。もし写真だったらこれほどの説得力ができただろうかと思えた。


石炭産業の展示は、日本の近代を支えた黄金時代をよく理解させる内容だった。


飯塚市の「炭鉱(やま)はなくても嘉穂劇場」も期待どおり、炭鉱全盛期に、明日の命がわからない男や女が芝居を楽しんだ名残があった。回り舞台の下、奈落も見学できてよかった。

きょうの写真・ブロマイドのなかに大好きな田畑義夫があった。


柳川川下り。肌寒い一時間の観光だったが、サービス精神満点の船頭さんが、客と会話しながら国籍を理解して、英語・韓国語・中国語に日本語を流暢に使い分けて、ご当地の歌も数々披露され多国籍の船の仲間は楽しい時間を過ごした。


明日は、長崎市を観光バスでめぐります。

勤労感謝の木曜日

彦島、山岸さんのお宅は木曜日10時ごろになる。農園をはじめた当初から、ご近所の方にもたまごをご紹介くださり「まとめ役」をしていただいている。

玄関に、まるで爬虫類の甲羅のような植物が飾ってあった。鑑賞用のミニ カボチャと教えていただいた。


下関市内はイベントが各所で催され通行規制が多かった。豊前田・グリーンモール・下関魚市場など朝から車と人がくり出して賑わいをみせていた。


帆船「海王丸」が接岸していたので撮りに行った。ゆっくり船内も見学したいけれど今回は撮るだけ。明日のホーム画面に載せます。


村上棟梁の奥さま「長府のキャンドルなんとか」にお手伝いに行きます。この催事のことを藤中隊長が、長府の活性化を熱く語っておられたので「この方が」とタブレットの写真を見せたら「隊長じゃないですか」とご存じだった。このイベントに行きたいが、明日から日曜日まで九州に行く予定がある。時代祭も行きたいが、前夜に下関市内で懇親会があり無理かもわからない。隊長とご縁ができて以前に増して長府ファンになった。


東行庵ちかくの「茶房庵 しみず」駐車場から出てくる車に道を譲ったら、たまごのお客さま。店内に入ると長府のマダム(長年のお客さま)お二人。つば広のいつもの帽子に原色のコート。足が弱くなられて杖になったが装いはルノアール絵画の世界。


美祢市「よしの」は3時。ここで主の見識を拝聴するのが楽しみ。きょうは「保守とは何ぞや?」このキーワードがツボにはまり持論の声も大きくなった。保守やリベラルなど沢山のことを教えていただいた。奥さまが「すっきりしたでしょう」とご主人に言われたが、私は大切な視点を教えていただき感謝。


カレンダーの季節到来

ミッキーマウスの郵便小包が届き、今年も著名な版画カレンダーを田中さんから頂戴した。


農園をはじめた頃は体力もあり、隣接の山のクヌギを倒して原木シイタケ栽培をしていた。春と秋にたくさん収穫してお客さまにお配りしていた。

その当時、田中さんの2人の女の子は幼く、とても私になついてくれた。晩秋の頃に「シイタケ狩りに来ませんか」とご家族をお誘いしてバケツに沢山の収穫をした。そのあとシシ鍋を楽しんだ。今あの子たちは親元を離れて大学生活をしている。幸せな人生に向かってがんばれ。


明日の祭日休まれる下関市内の事業所などを、水曜日の配達に加えた。正志は5時ごろ到着して採卵。私は6時にスタートした。

きょうに加えた配達先は下関市内の広範囲になる。1日早い配達をみなさん喜んでいただき私も喜んだ。


農園近くの温泉に立ち寄ってゴールした。

私の温泉好きは、前の仕事では九州一円が営業圏で温泉に親しむ機会が増えたこともある。

1番感動したお湯は「えびの市営温泉」入り口でお金を払い山道をのぼる。小川がありそこが温泉。川底からお湯が湧いており好みのお湯加減調整をするには手で掘る。男湯は川の下手。女湯は上手になる。つまり入浴している側をご婦人が歩いて行く。石を枕に横になっていたら藪がガサガサして立派なシカが川を渡った。


次は温泉王国 別府。「見返りの湯」には地獄釜があり、入浴のあと持参した肉や魚などを蒸気蒸しで食べることができる。


無幻の里(通称ホタルの湯)川沿いに貸し切り湯があり、ホタルの時期には幻想的。


明礬 保養ランド(通称ドロ湯)は、広大な混浴露天風呂。コロイド硫黄の成分はエステになる。殺菌効果もあり水虫も治る。


温泉ガイド。また書き込みます。


朝は0度まで冷えた

このネコ。美祢市のあるお宅に居着いている。勿論、外ネコ。舌が常に出ており、そのせいか声を出すことができないらしい。毛艶は悪く痩せている。家の方がフードを買ってこられて器に入れておられる。

この舌で、どうやって母ネコの乳房で育ったのかと思うと「生きる」という強い力を感じる。


農園の外ネコ、私との距離がだいぶ近くなった。触れるようになったらダニ・ノミの駆除(フロントライン)と虫下剤は購入している。今朝は0度まで冷えたが、犬小屋にしっかり古着を入れている中で暮らしている。


ラジオ番組でヤギの業界事情があった。解説は鹿児島大学畜産の先生だった。興味深く聴いた。

ヤギ・ヒツジ・ウシなど反芻動物は胃袋が4つあり、最初の袋で食べたものを発酵させる。それにより体温があがる。毛が多くて長いヒツジは沖縄は暑すぎて飼えないが、毛の短いヤギは沖縄でも飼育できる。

鳴き声でヤギかヒツジかの見きわめは難しいが、尾が立っているのはヤギ。垂れているのはヒツジ。

ヤギの草刈り能力が認められて家畜市場では10万円ぐらいするらしい。


給油所でパート勤務のご年配は乳牛をたくさん飼育されている。そのヤギの胃袋を話題にして、ウシの飼育について疑問を投げかけた。

糞尿が足元にいっぱいの牛舎を知っている。電気柵を巡らして広い草むらで飼育されているウシも知っている。そのちがいを聞いた。

ウシは、その胃袋の発酵熱で雨でも雪でも食べておれば体温は維持できる。狭い牛舎で不衛生に飼育すると、糞尿のうえに体を落とすことで体温が奪われ病気がおきる。


牛乳業界は、山口県では大きくふたつのブランドにわけられ、各酪農家から集められた牛乳はブレンドされる。それでは酪農の品質意欲は削がれるでしょうと聞いたら。

すべて品質検査があり等級にわけられる。つまり、よい品質を生産すると利益もついてくる仕組みになっている。

業界事情を掘りさげると面白い。


きのうからラジオで国会中継を聞いている。面白くないから聞くのをやめた。

与党の質問時間が多くなった。総理施政方針演説についての質疑に与党が国会の場で長々とお手盛り質疑をする。総理は野党の質疑矢面に立ってこそではなかろうか。論戦に至らない国会は国家として疑問を感じた。私は消去法で自民党に投じているが。

なんとなく老い 実感

6時に農園をスタート。岡本さんお宅を済ませて長門市。その後、美祢市・山陽小野田市に宇部市を走り先ほど(3時半)農園ゴールイン。船木方面から農園に向かうと万倉集落を過ぎると農園の吉部集落に入る。その入り口のシンボルツリー(私が勝手に命名)がある。その日の仕事が無事終えた疲れがゆるむ風景。


5時半に配達のたまごを積み終えた。泊まっていた家内が「忘れ物はないか」と喧しい。それが分からんから「忘れ物」と思うが、最近は言葉に反発しないようになった。


9時、美祢市で集金カバンと配達チェクのバインダーが見あたらない。家探しならぬ車探しを徹底的にやった。保冷のクーラーボックスまで開けて見たがない。家内に「農園に忘れておらんか」と言うと「作業場を探してもない。いつもの場所に置いておいたから」もっと本気を出して探せとばかりに言われた。

カバンとバインダーの二つが見あたらないのは、私が農園で積み忘れたことに間違いないと思った「スミマセン、ありました」と30分後に電話を受けた。わたしもウッカリしていた。


実は、岡本さんとの会話でもお互い脳ミソの衰えを感じる会話になった。きのう周南市から掃除に参加された男性の名前が出てこない「顔は出ているのに」「蕎麦打ちの」で終わった。車に乗ってエンジンをかけたら「高橋さん」と解けた。


歳を重ねたら、しかたがない。

充実の日曜日でした

昨夜届いた桂子ちゃんメールに添付された「きょうのお大師さんご飯」

明日の山口市掃除に学ぶ会は都合で不参加しますが、大切な友人の松田さんが参加するのでよろしくお願いします。


農園、今朝の気温は3度。3時に石油ストーブをつけて部屋が暖まるまで布団をかぶって待った。

掃除の会場は「朴の森」7時半に着いたら松田さん、岡本さん既に到着されていた。参加者10名、なごやかな掃除ができた。私の気持ちは「掃除道」と銘打って形式を重んじるより、参加者同士が愉しく掃除ができればよいと思っている。松岡、岡本の奥さまが食事を担当していただき美味しくいただきました。


防府トヨタ店。オイルとエレメント交換・前輪ブレーキパッド交換・タイヤを冬用に交換。

担当は、岡本さん長男の直也さん。私の細かい注文に笑顔で対応してくれる。終わるまでの1時間、半分は暖かいショールームと朴の森で食べた昼ごはんで夢を見ていた。


山口市経由で農園。給油を済ませて湯田温泉。簡保の湯でさっぱりして戻った。

新日本風土記 ご紹介

16日、朝7時の関門海峡。抜けるような快晴の風景も、曇天の風景も臨場感が伝わるように思い始めた。ブログをやり出して年間千枚以上もの写真を撮るようになったせいかもわからない。


昨夜のテレビ「新日本風土記  山口」を、配達を終えた午後から再生した。室町時代から西の京をつくりはじめ、その文化や建物が残っている紹介は、過去に磯村千代子先生から「大内文化を案内しよう」と数回も歩きまわった場所がたくさんあった。


常盤旅館の「女将劇場」は圧巻だった。宿泊客だけでなく一般の人も遠慮なく見ることができると知って、数年前に家内と行った。浴衣姿の宿泊者に配慮してうしろの席に座ったら、宿の方から「前でお楽しみください」と促され最前列のかぶりつき席に移った。


女将が網タイツで踊り、従業員も扮装をこらして熱演され。観客席はずっと笑いの渦がおさまらなかった。後日、あの笑いを思い出したとき、女将が汗を飛び散らせて客を喜ばせることに懸命になり、従業員も女将に負けないぐらいの本気を出す。女将劇場は社員教育のように思えた。

湯田温泉街を週2回通過する。少々の雨でもあの女将は玄関で見送りの手を笑顔でふっている姿を見かける。

女将劇場は、毎日夜9時開演。


BS プレミアム  新日本風土記再放送をふたつご案内。


20日 午後3時半「萩・津和野」2015年放送

ふたつの城下町が歴史を織り混ぜて紹介される。


21日 午後3時半「ふぐ」2011年放送

下関市「浪花」が登場する。岡本さん江口さん夫妻がお客として登場。この番組は4回~5回ぐらい再放送されている。


デスク ワークの金曜日

先日のホーム画面に愛犬とギャルをテーマーで二日ご登場いただいた、広島県庄原市の熊本さんがフェイスブックに写真を載せられた「京都御所・親族会」愛犬の親族会。


このシーズンはじめての窓ガラス結露。新聞紙で拭き取る朝がやってきた。採卵箱の下に敷いた新聞紙を毎日相当量交換している。焼却用に掘った場所で燃やす。晴天の強風以外は毎朝それを私がやっている。雨でも火をつけてトタンで覆って上手に焼く。


これから春まで空気が乾燥して火災に配慮する。5時、枯れ草も霜で湿っている。火の粉が飛んでもまったく安全。夜明けまでに燃え終わるよう火の守りをする。寒かったが、冷えた早朝の星は一段と輝いている。

血圧降下剤は4時に服用している。5時ごろは効きはじめている。ネコの餌をすませて犬の長距離散歩。犬のおかげで生活にアクセントがうまれる。


家内の車で散髪。そのあと冬用タイヤに交換。持世寺温泉を済ませてお昼に農園。


午後から農園年賀状とカステラシールの発注準備。来年1月21日開催「舞の海秀平 講演会」美祢市民会館 詳細は 山口県ひとづくり財団法人ホームページ。その申し込み。


小型タブレットひとつで、たくさんの人とつながり、多くの仕事ができる。

土曜日の心配薄らいだ

きょうの加奈ちゃん、三男の結斗ちゃん。首はまだ座らないが目でものを追うしぐさがはじまった。


土曜日、早朝の気温が氷点下4度予報だった。19日に冬タイヤ交換をトヨタに予約している。その前日の予報なので、雲雀峠の凍結がゆるんで萩市に向かう予定にしていた。予報が好転して早朝は0度になった。

それにしてもすり減ったノーマルタイヤだから無理はできない。


昨夜、訃報が届いた。母の妹(故人)の長女、私の従妹(68歳)が先月亡くなったことを、その弟(私と同じ年齢)が「すべて済ませた」と電話をくれた。

私が中学生のころ遊んだ記憶はあるが、それ以後ずっと疎遠。長電話で知らなかった従妹の過去を知った。


今年はとくに「喪中につき」の葉書が多い。その歳になっていることを自覚させられる。終わりを感じるから、大切な毎日になる。


藤中隊長のお母さん(92歳)。少しの認知があるらしい。親子だから時にお母さんに厳しい言葉を言うことがあり、それが胸につかえて詫びるタイミングをみているとき、お母さんは、その言葉忘れていて救われる場面があると話された。

私の母も認知がはじまり心配や不安から解放された。私も楽になったことが多かった。


藤中隊長の短編小説を「読みたい」方が数人手を挙げられた。明日、コンビニでコピー。


朝7時の唐戸魚市場で、大ぶりのイワシ5匹が4百円。それが今夜のメインらしい。家内がフライパン。私は空腹のブログでハイボール2缶目で眠気が来ている。

藤中隊長 ご紹介

長府「あけぼの珈琲」約束の時間に店内に入ると、視線を合わさず素通りしたい男がいた。この人物こそ、最近お名前と作品を紹介している藤中隊長。


私の思いでの「駄菓子屋」にタイムマシンで誘ってくれるような作品や、数々の作品をこの店で頂戴した。


過去を一切話さず逝った母(大正8年生まれ・96歳没)が「この場所はどこかね」とベッドの母に見せたセピア色。笑顔の母が一歳ぐらいの私を狛犬を背景に抱いた写真「乃木神社」とつぶやいた。その狛犬は今もある。


その話を、長府の藤中隊長に話した。しばらく経って、あの話題をもとに短編を書きましたと便りが届いた。それを読ませていただく楽しみがきょうになった。


「壇具川」と題された原稿用紙9枚。

遺品の写真からはじまる、母と私の知らない父親の切ない恋が長府の町に影を落とす。

母から「乃木神社」と聞かされ、その翌日写真を持って翌日神社に急いだ、あの私の心持ちまで原稿用紙に再現されていた。


昨夜一晩で書き上げたと言われた「決闘巌流島 秘剣燕返しの事実」は原稿用紙十三枚。

 慶長十七年四月十七日、豊前小倉藩領舟島の上空は暗雲に覆われていた。  古川薫先生の歴史小説かと思わせる書き出しにはじまり、小次郎の燕返し実は懐で燕の卵を孵す趣味だったことが判明する。さらに、岡山で桃農家をしていた者が凶作で借金が増え田畑を売って馬関に引っ越して「桃太郎」という うどん屋をはじめて馬関名物になっているというお笑い歴史小説だった。


早朝、藤中隊長がフェイスブックに投稿。

言葉遊びに興じてみた。わかりましたら星5つ。


鶴亀揃いた目出度さも🔶五郎時致矢の如し🔶花見踊りに浮かれ出て🔶浅妻船は長閑なり🔶菖蒲浴衣は肌寒く🔶雨に煙りし越後獅子🔶岸の柳に涼とれば🔶吉原雀が狂い鳴く🔶秋の色種まだ遠く🔶夜長舌出し三番叟🔶山姥背負て来て見れば🔶雪の衣の鷺娘


私にはサッパリ意味不明だったので別れ際に答えを聞いた。長唄のなかで、一月から十二月を拾いあげてみた。と教えていただいた。

晩秋の紅葉がよかった

山口市「豆子郎本店」四季庭の紅葉が秋を演出していた。


日曜日の朝「ショッピングモールの歌姫」というNHK テレビ番組(30分)があった。

半崎美子というシンガーソングライターが、ショッピングモールにこだわり演奏活動を続けている内容だった。


農園に何度か「猿舞い座」の村崎さんが泊まられた。阿蘇や日光の猿まわしが劇場を構えて公演するのに対して、村崎さんは猿まわし本来の大道芸を目指しておられる。

おんぼろ車に猿を乗せて全国行脚。人通りの多い、例えば駅前に立ち村崎の三味線やギター演奏で通行人の足を止める。

人が集まった頃合いをみて猿を出して芸を披露する。終わるとザルを路上に置いて投げ銭を頂戴する。


ショッピングモールに来る人々も目的があってのこと。そこに簡易なステージをこしらえギターで歌う。最終曲のころは大勢の人だかりになる。そしてサイン会は延々と2時間ちかくになる。サインを求める人はほとんど胸のなかの「つかえ」を彼女に吐き出す「僕はうつで、離婚しました」と涙をこぼす。それを受け止めた彼女もボロボロ泣く。7歳の息子を交通事故で亡くした母親と手を取り合って涙をながす。

ショッピングモールで数曲歌っただけで、足をとめた買い物客の心をとかしてしまう彼女の生きる姿勢をカメラが追った。


宗教家など人の心を救う立場の「先生方」は、すぐに教祖や宗祖の教え、つまり人のフンドシで導こうとする。彼女は導かない。ひたすら相手の心に寄り添う。


「半崎」検索でご覧ください。番組ご覧になりたい方にはダビングします。

早朝の味噌談義

美祢市の「コロちゃん」13歳になる。

2年ほど前から急速に老化がすすみ、視力と聴力をほぼ失った。夏前からドックフードを食べなくなり、ばあちゃんを心配させた。私の体験から、安くてよいから肉と野菜を煮てやればよい。犬の缶詰めも使えばよい。食べるなら魚や牛乳も試してくださいと話した。

なんとか夏を乗りきった。冬も頑張れよ!


焼鳥店にお勤めの奥さま。帰宅は早朝3時。最近は外国人のお客が多くなり(宇部市内)接客に変化がおきていると話された。宗教上の理由などで食べられない食材があり、臨機応変に、串から豚肉をはずして別の食材と入れかえる。


私は焼鳥大好き。けれども塩をたくさん使われると血圧が心配になると言うと「塩抜き」の注文はたくさんあるから「塩を抜き」でオーダーされたらよいと教えてもらった。


月曜日のスタートは岡本家。私を迎えるヒーターが赤々している玄関で、89歳のお母さんが待ち構えてくださった。味噌談義を拝聴。例年通りの600キロを目指しておられる「これを達成せんかったら死ねん!」そこで私が「なんで味噌屋の嫁にならんかったか」と言うと「仕事と、楽しみとはちがう」テンポの早い会話で、元気を注入していただいた。


ゆっくり 日曜日

配達中に、地元の人でもご存じない遺構を見つけることがある。

写真は、下関市内日田屋で目にとまった「銅鉱の跡」。側の朽ちかかった説明板によると。昭和10年掘削を開始。15年には最盛期をむかえ3鉱道、総延長は2キロメートルに達した。しかし、17年に銅脈がなくなり閉山。


年月で跡は狭くなってはいるのだろうが、狭所恐怖症(高所も)の私には無理な仕事。短い黄金時代ではあったが大勢の人が働き、現在は過疎の集落に当事はたくさん飲食店があったらしい。


見たいテレビ番組は録画予約している。途中で中断できることが私の生活に合っている。今週の録画予約は以下のようになっている。


13日  BS プレミアム午後1時「ひまわり」・総合 午後10時 クローズアップ現代「ネットリンチの恐怖」


14日 BS プレミアム午後4時 京都迎賓館「極める!京都の技とおもてなし」


17日 BS プレミアム午後9時 新日本風土記「山口」・総合午後10時50分 ドキュメント72時間「ゲストハウス・1泊3千円のオアシス」


京都迎賓館は再放送。日本の心がカタチとなり魅了してくれる。


人も鶏も風邪注意の時期到来

朝、鶏舎の戸を開けると一斉に飛び出してくる。夏は涼しい木陰に集まり、この時期は日だまりで1日を過ごしている。

農園側の川面には渡り鳥が多くなってきた。宍道湖では白鳥から鳥インフルエンザ ウィルスが出たとニュースで知った。ボツボツ放すことを止める時期になった。


山田風太郎の未公開日記が自宅の書斎で見つかり。その日記をもとに三國連太郎がナレーションで演じた作品「山田風太郎が見た日本・未公開日記が語る戦後60年(2005年)」が再放送された。

戦前、戦中を生きた山田風太郎。戦後に書き記した日記には、現在の世界状勢や社会問題を鋭く予言していることに驚いた。

番組の進行は五木寛之。セミナーパークで講演を拝聴したこともあり親しみを感じる。あのとき、満州引き揚げのご苦労を話された。

山田風太郎は徴兵検査は最下位の「丙種合格」つまり兵隊不合格だった。

番組の最後に五木寛之が「生き残った人の後ろめたさ」と表現された。壮絶な引き揚げ体験をされた方の言葉は重かった。


流行語大賞の候補が話題になっている。あの暴言がランキングの上位らしい。そのことで裁きを受けた人の心の傷口に塩をすりこむようなことは止めたほうがよい。いつまでも追い討ちをするような、今度は私たちがイジメる側になってしまう。

朝湯 の金曜日

山口市 一の坂添いのお宅に咲くブーゲンビリア。たしか8月頃から咲き続けている。霜がおりる頃と言われるからボツボツ越冬の準備をされる。

鉢の全部を室内にしまわれる。そのために枝を切り落とし小さくされる。独り暮らしの奥さまは趣味の園芸を楽しんでおられる。


きのう(木曜日)11時間で250キロ走って配達をした。9時ごろには寝ており、一度も起きずに4時の起床。疲れがとれた、ではなく疲労感たっぷりで二度寝で6時に布団から出た。外のネコが腹を空かせている。家内が用意してくれた出汁をとった後のイリコとフードを定位置に置くとニャーニャー挨拶してあらわれる。

犬は基本的に一食。朝少しの牛乳をあたえて長距離散歩。


持世寺温泉は車で15分。ぬるいかけ流し温泉、大衆湯は400円。長湯をしながら最近の気持ちを整理してみた。


数年前から、私が心配したりイライラしてきた原因がわかりはじめた。例えば、あの人に役だつと思ったからした行為。そのことに全く反応がないときなど「面白くない」と思う私になる。つまり自分がやったことを認めて貰えないと思う、自分の心の「あるべきだ」という縛りがストレスを招いていることがわかった。反応はないけれど気持ちは届いていると思うように心がけている。それは、私が逆の立場で、お礼や挨拶を忘れていることの多さに気がついたから。


生活の不安や悩みも、よく見つめると自分が作り上げていることがたくさんある。


悩み事や不安の多くは、外からのものではなく私の心が作り出していることが、遅蒔きながら少しわかりはじめた。


数人だった風呂場は貸切り湯になった。あがるとき、散らかった腰かけと洗面器を整えて気分さっぱり。


唐戸魚市場を歩いた

月曜日は6時に農園をスタート。小月の「レストラン・卯」にお届けを済ませて、長府の関門医療センター近くの広いパーキング、行き交う船を見ながら30分ほど歩く。


今朝は、赤間神宮駐車場に車を置いて唐戸魚市場の界隈を歩いてみた。

平日の7時、買い物客は少ないが魚はたくさん並べられている活気あふれる最中だった。発泡スチロール山盛りブリのあら500円、サーモンのあら山盛り500円「サーモンはどうすれば美味しいですか?」と聞いたら「湯がいて、骨をとりフライパンで蹴ったら(炒めたら)鮭フレークになるいね」と教えてもらった。

生のタコに、湯がいたタコが整列していた。関門のタコは荒波にもまれて美味しいそうですね。と言うと「場所によって味がちがう。そのちがいは、タコが食べる餌で決まる」と客がおらんので話が長くなった。

来週はクーラーボックスを用意しておこう。


BS プレミアム シネマ。おもに洋画を録画して楽しんでいる。その洋画のきっかけになった作品「ひまわり」。1970年、ソフィア・ローレン主演。

2時間の作品を何度も観た。戦争が引き裂いた夫婦の切ない別れがイタリア・ソ連を舞台に繰り広げられる。当事は、コンピューター映像はなく、広大なソ連の大地に咲き誇る「ひまわり(国花)」山の一面に立つ墓標などを観ると、ストーリ展開のドキドキ感もあるが、作品を裏側で支えたスタッフの偉業がわかる。


13日、午後1時のBS プレミアムで放映。

松村御大の作品は市長賞!

下関市の配達を終えて、下関市立美術館に立ち寄った。松村御大の油絵が美術展入選と聞いていた。

北九州市立美術館学芸係長・山口大学教育学部准教授のお二人が審査員をされ、御大作品「海響館のトラフク」は見事 市長賞 !

玄関には「撮影禁止」の注意書が目にとまった。松村さんの作品を1枚撮らせてくださいとお願いしたがダメ「身内の者なんです」と言うと、作品の前でショルダーバッグからタブレットを出して、バックに収めるまで側に職員さんがおられた。その貴重な1枚です。


昨夜、桂子ちゃんにメールを出した。先日、秋穂花火大会が開催され、夜空に大輪の花火の写真を送ってくれた。とても寒かったらしい。


最近とても便利な社会になり「検索」すれば風景でも芸術作品でも画像として見ることができる。私がブログに写真を載せはじめて思うことは「写真が全てではない」撮りかたや、見せ方で操作ができる。仏像を画像で見ても大きさは実感できない。

花火も「寒かった」ことまで伝えることはできない。


つまり、検索も悪くはないが現場に立って見ることが大切ではなかろうか。そのようなメールを出した。

美術館の秋を感じながら入館。たくさんの作品のなかに目指す作品に出会った感動までは、きょうの写真では伝えられない。


さきほど検診に行った。今回は女医さんで高血圧になった。農園に戻り計ったら130・80とバッチリ。インフルエンザ予防接種も済ませた。

イノシシ捕獲開始

愛車の走行が5万キロを超えた。1月に納車でこの走行は記録的かもわからない。とにかく安全運転。左右の確認、駐車場では遠くにとめる。

これから冬場は路面凍結が心配。とくに土曜日早朝の萩市に通うときは、県内でも冬場の難所で知られる雲雀峠を下ることになる。何度も危ないことがあった。来月早々に冬タイヤを装着するが、今年から厳しい凍結の日は、乗り心地はよくないが軽トラダンプ「4輪駆動」で走ろうと思う。


昨夜も9時ごろには寝ていた。3時にいつも起きるが、今朝は4時に目覚ましで起こされ、2度寝をして5時半まで寝てしまった。


山口市内の配達。玄関の段差につまずいて転んだ。たまごは割れた。


寝坊と転倒で年齢を感じた。


例年になくイノシシが多く、農園内の土を掘り返して頭がいたい。草刈りを始める春までには平らにしておかないと刄が石にあたり作業ができない。猟友会に直接お願いするより、行政を経由して駆除を依頼したほうがいろいろ円滑にはこぶことがわかった。

そのルートで市の職員も農園を視察に来てくれ、猟友会も箱ワナを設置してくれた。約1か月前からワナの扉を落とさず、餌だけをワナのなかで食べるよう餌付けをした。

きょう、扉が落ちるよう細工がされた。獲れると助かる。

山口新聞 嬉しくたまげる

8時前、きのう登場「すぎもと」さんからメール着信。「しみず夫妻が、山口新聞に載っています」と。すぐにコンビニで買い求めた。4月の手術のこと、それを支えるご主人のことが感動的に紹介されていた。

明日のホーム画面に再度載せます。記事をご覧ください。掲載の写真もタップすると拡大になります。


山口市内、中学校の先生からたまごの数を変更するメールが届いた。それと「ブログ」をはじめてご覧になり加奈ちゃんが登場で驚かれたようす。先生は美祢市の勤務のとき、加奈ちゃんの長男と同級生がおりママ友だった。先生とはショートメールなので、今夜「見逃しギャラリー」に拓斗君の写真を末尾に載せますとお返事した。あわせて加奈ちゃんブログ「https://petitlab.wixsite.com/petit-lab 」もお知らせしておいた。


朝の農園4度まで冷えた。6時半過ぎに岡本家に配達。お母さんは味噌に熱く燃えておられた。昨年は11回で600キロ作ったが、今年は重病人だから6回作ります。今朝から4回目の仕込みです!。89歳の病人は嘘かもわからない。


昼間は、朝の厚着で車内は常夏状態になり冷房をつけて走った。


すぎもと さんから速報!

〈記録より、記憶に残る、海峡のドラマ ・下関海峡マラソン2017〉

秋晴れのもと全国から集まったランナーが、それぞれのコースを駆け抜けた。そのなかに小月の東行庵側の「しみず」のご夫妻は今年もフルマラソンを完走された。例年とちがう事があった。今年、奥さまは入院をされた。退院され自宅療養を暫くされた。現在はお店にたっておられる。仕事に復帰直後、たまごをお届けに行ったとき「海峡マラソンを走りたい」と話されたとき、私は内心「宮崎太平洋マラソンやホノルルを走られた健脚でも無理だろう」と思った。


昨夜、ご近所で「しみず」さんと仲のよい「すぎもと」さんにメールでマラソンの写真をお願いした「すぎもと」さんは5キロの部を走る。


「すぎもと」さんから、さきほど届いたメールにゴールの写真などが添付されていた。彼女も完走した。


「しみず」奥さまのタイム5時間37分。年代順位(一般50代女子)は252位。快挙に私まで嬉しかった。


山口市内の給油所で働く男性が「ブログの更新がまだではないですか」と話しかけた。私のアップミスかと思いその場でタブレットをふたりで確認した。彼の勘違いだった。それより、ブログを話題にしてくれて嬉しかった。


農園に戻る前、湯田温泉の簡保に立ち寄り湯。大きな湯槽でさっぱりした。

萩市 長門市は荒天だった

月はじめの土曜日は、長門市野波瀬 極楽寺の掲示伝導が替わっている。今月の内容を楽しみに車を走らせた。


昨夜のテレビ番組 ドキュメント72時間「スペイン・カナリア諸島 マグロ漁師の短いバカンス」2時に起きたので録画再生(30分番組)した。

釜石や清水港を出航したマグロ船は、約1年戻らずモーリタニアやモロッコなど大西洋の漁場で操業する男の世界。給水や食糧の補給、船のメンテナスに給油で最寄りの港に入る。今回はスペインのラス・パルマス港に立ち寄り、番組が取材した。停泊は3日。


港を出ると船内ですべてのことが営まれる。操業中の事故による怪我や病気は外科的なことも含めて済ませる。メカニックもなんとかする。大西洋は荒波が多く6メートルぐらいはよくある。最高は15メートル(4階のビルぐらい)の荒波にもまれたこともあったらしい。


寄港するとすぐにスマホのシムカードを買う。そして洋上ではできない家族や恋人とテレビで会話をする。街ではあらゆる楽しみが満たされる。遊び疲れに飲み疲れになるので3日で丁度よいらしい。


四国の児童養護施設を出て船員になった笑顔の可愛い男の子。船長がそのいきさつを話した。男の子は18歳になると施設を出なければならない。けれども自宅も家族もないので乗組員の募集でやってきた。まだ使い物にならないが育ててやる。

男の子は、ボクは辛いといつも逃げる。船に乗れば逃げ場所がないから強くなると思った。人から「おまえは笑顔がいい」とよく言われるから、いつも笑顔で働いている。


ごまかしの効かない狭い世界で生活する男たちの笑顔が最高だった。


神戸の避難所で一緒にボランティアした牧さん。彼も若いときマグロ船で働いたことがある。毎日、3食マグロを食べさせられた話を思い出した。昨夜メールでDVD を送ると伝えておいた。

骨休め 金曜日

鶏舎の屋根にカマキリを発見。じっと動かないのは虫が体にとまる一瞬を待っているのだろうか。


3時に目が覚めたが、きのうの疲れが残り動きたくない。けれども焼却する新聞紙(採卵箱の下で鶏糞を受ける。毎日相当な枚数を換える)は、延焼しない安全のため夜露がおりているうちに燃やす。

厚着をしてヘッドライトを点けて火をつけた。倉庫の下からネコの両目が光っていた。

7時に布団から出た。


3年前まで金曜日は、山口市・防府市・新南陽市を早朝から配達していた。今は、私の車で正志が走っている。もう前のような連続運転はできない。今年1月に納車された愛車は来週で走行5万キロをこえる。


家内が京都のみやげ話をする。中学3年の美花ちゃんは吹奏楽部の部長でパートはサックスと知った。今は退部して受験生。フルートちゃん(http://s.ameblo.jp/nagatomasayo-fluteschool/entry-12276171017.html)にお薦めのCD を選んでほしいとメールしたら、大阪の楽器店にお勤めのフルートお弟子さんに照会してくださりイチオシをご紹介いただいた。

〈ニュー・サウンズ・イン・ブラス  フィーチャリング 須川展也〉

機会を選んで届けたい。


小郡まで散髪に行き、山口市内で買い物。


血圧サージ

長府にお住まい。藤中隊長ギャラリー「その4」たぶん立派な言葉が書かれているのだろうが読めない。美祢のうどん屋さんなら解るだろう。左下の トレードマークのヒゲと帽子のサインはお洒落。


先日「血圧サージ」と題したテレビ番組があった。1日のなかで血圧が上昇する時間帯がある人が多く、血管の収縮が血管を疲労させて破裂する。

血圧の上昇は自覚症状はないらしい。私に参考になったのは「コーヒー」もその要因になるとわかった。


お客さまで最近お二人が脳梗塞になった。


夕飯のとき湯飲みが落ちた。不可解な気持ちで一夜を過ごして、朝は手の指に力が入らず病院。即 入院。退院され少し左に麻痺が残る。医者「前夜に往診されたらよかった」。


ご主人が風呂で倒れた奥さま。気持ちが動転して救急車の要請119番が思い浮かばずスマホで検索した。倒れて4時間以内の搬送ができたのて軽くて済みました。


農園の独身生活が多い私は気をつけなければならないと思った。


小月の東行庵ちかくの「茶店庵 しみず」定刻の1時にお届け。海峡マラソンをご夫妻で毎年完走。ホノルルや東京、奥さまの故郷、宮崎の太平洋マラソンも走られている。5日は海峡マラソンがある。いつもなら、その話題になるが遠慮していた。帰り際に「5日は走りますよ」と笑顔。今年は体調をくずされていたので、そのパワーに私も元気をいだいた。


加奈ちゃん結斗1のヶ1月健診は、なんと5500gram。主人と2人の兄貴はしっかり「ママ役」をしているらしい。


BS プレミアム 来週月曜日の午後9時は「ショーシャンクの空に」があります。

心が洗われたような作品でしたよ。

ゴールは湯田温泉

元気に11月を歩んでまいりましょう。


タブレットで写真は撮るけれどプリンターを持たないので、必要なときは京都の長女にメールで送り、プリントを郵送してもらっていた。

あるとき重枝さんが、セブンイレブンのアプリをダウンロードして、そのアプリを使いプリント予約をすれば、予約番号がメールが届き、どこのセブンイレブンのマルチコピー機からでも1枚30円でプリントできる方法を教えてくださり、以来たいへん重宝している。


2日前の夜、保存している写真のなかで岡本お母さんを17枚選んでプリント予約。きのう朝、小郡のセブンでそれをプリントをした。100円ショップでホルダーを買い求め、昨夜そのホルダーに整理。来週月曜日のお土産にと思った。


今朝8時、長府のセブンでコーヒー飲みながらフェイスブックを見たら、岡本拓也さんが「ばあさん89の誕生日」と発表していた。

下関市から小野田市を走り農園にもどり「ばあさん写真集」を誕生祝いに届けた。味噌の真っ最中、手をとめて大喜び。大笑い。その訳は、拓也さんがお母さんの食事風景などを面白く撮ってフェイスブックに投稿。本人ははじめて見る自分の姿が、例えばラーメンを真剣に食べる顔など。くわえて先日のお笑い講でご自分の仮装などの写真が愉快だった。


今朝、下関住吉神社に配達と参拝したとき御神籤を引いた「大吉」だった。それを接着して復元「この御神籤は、今朝お参りしてお母さんにいただいたものです」と、うやうやしく握らせた。


岡本家を出て湯田温泉 簡保の湯。

ゆっくりお湯を楽しみ、ロビーのソファで居眠り。明日の下関~美祢~長門を走る鋭気を養えた。