今年の旅を終えました

偶然、有田焼陶器市の最終日に訪れた。

到着時間が9時過ぎだったので広い会場は催しの設営中。駐車場には混雑を整理する警備の人たちが大勢打ち合わせをされていた。

家内は買い求めたい品があるので、あとどれぐらいで販売開始になるのかと、駐車場に軽トラで着いた地元農家のおばさんに尋ねた。

側で、おばさんの地域コテコテの方言通訳を私がした。販売する側は、最終日だから全部売り切りたい。値切ればとてつもなく安くなるから「値切れ!山口県から来たガソリン代ぐらい値切れ!」この催事に割れた食器を一人一枚持参したら夫婦茶碗と交換できるが持って来たかと言われる。

イベント開催も知らなかったし、割れた茶碗など知る由もない。おばさん、荷台の段ボールをかけ分けて汚れたお皿を二枚下さった。これを使えと。


一番手前の販売所を掃除しているバアちゃんに家内が「山口県から買いに来ました」と挨拶した。その挨拶が「売り切りたい」バアちゃんのツボをとらえた「安うするから、この店で買うてくれ」と互いの利益が一致した。

40分ちかくかけて買いたい品を家内が並べた。バアちゃん「飯茶碗を4個持っておいで、それをオマケにする」定価の札より1万5千円ちかく値引きをしてくれた。


割れ茶碗コーナーにもらったお皿二枚を持参したら、おばさんが加勢に来てくれて「山口県から来られたから、夫婦茶碗のよい物を選んでくれ」と地元言葉で援護射撃。係りの女性が選んだ夫婦茶碗ふたセットを頂戴した。


写真は会場に展示された「茶わん御輿」有田の窯元62社が協力して679個の茶碗で奉納された。重量は500キロクラム。神事で使われる。


今年の旅も行く先々で人情味あふれる出会いに恵まれた。筑豊では炭鉱(ヤマ)の人情。故人になっている母の弟は、北海道から九州まで炭鉱を渡り歩いた。背中に喧嘩で刺された酒の瓶の痕、トロッコに故意に指をつぶして保険金。ヒロポンで捕まり、母にとっては悩みの種だった。ある炭鉱事故で弟の先輩が事故死した。妻(弟より12歳年上)と子供5人を残した。その家の押しかけ住人となり子供全部を養育した。

その妻から招待を受けて長男の結婚式に行った。私のおじさんは父親席で神妙な面もち。長男が涙をこぼしながら言った「きょう初めて言います。お父さんありがとうございました」ヤマの人情に母も私もおじさんも泣いた。


柳川では、年輩の川下りの船頭さんが中国・韓国・英語を駆使して観光案内。柳川にまつわる歌もたくさんご披露された。


長崎。爆心地はすり鉢状の地形だったことを実感できた。山にはりつくように家々があり、釜山港から眺めた風景と同じように感じた。自転車をひとつも見なかった。

アシスト自転車でも階段では役に立たない。この地で たまごの配達は絶対無理と思った。


農園に戻り、支えてくれた正志に土産でねぎらい。母には元気な私を育ててくれた感謝のかしわ手。