元気に大晦日をむかえました

半藤一利さんは没年90歳。

著書代表作「昭和史」「日本のいちばん長い日」など詳細な歴史検証が作品になっている。以前にもこの日記で書いた。「日本のいちばん長い日」は、玉音がラジオ放送されるまでの24時間、放送局、皇居、陸海軍で動いた人たち30名ちかくを個人インタビューされず、一同に会して聞き取り取材を半藤一利さんはされた。

その「一同に」の理由は、嘘や誇張ができない環境づくりという半藤さんの設定だった。

歴史を語る人によって歴史は微妙にちがう、歴史家は探偵になりより真実を表さなければならない。


立花隆さんは没年80歳。

その書斎は20万冊以上もの蔵書に埋もれていた「知の巨人」。私は山口県教育会館で立花さんの講演を拝聴した。香月泰男さんとの親交を柱に話された。香月泰男の著書「私のシベリア」は、東大紛争で授業がないので三隅に逗留。香月は絵はうまいが文章は下手だったので、あの作品は私が香月に体験を聴き書いたと暴露された。

立花隆を作家と言う人があるが、ボクは「勉強屋」と思っている。

人は死ぬまで生きる力を持っている。自らがんと対峙しながら「死ぬまでちゃんと生きる」とベッドで語った。


私の理解では、いわゆる「赤木ノート」のような一般の人にはわかりにくい問題を掘り下げて白日のもとにさらすことがジャーナリストの使命ではないかと話された。

田中角栄の「人脈」「金脈」を体をはって掘り下げ世論を喚起した立花隆。


今朝のテレビ番組でお二人が紹介された。


産卵とご注文の数があわない毎年恒例の師走。

萩市から長門市、美祢市の配達スタートはたまごの数が揃った10時過ぎになった。

それでよかった。萩市までの路面は少し積雪が残り、立ち往生している車が何台かあった。


元気に大晦日をむかえることができました。

「囲炉裏の部屋」でお付き合いありがとうございました。よいお年をお迎えください。


「あだち美術館」更新おわりました。どうぞおは入りください。

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昨夜8時間以上も熟睡できた

「下関掃除に学ぶ会」は20数年前、松村御大が旗揚げされた。以来、欠かすことなく毎月、公共の場のトイレをみがき続けておられる。

その第一回を開催した戦場ヶ原(忠霊搭)のトイレ。まだ白髪がなかった私も仲間入りした。メンバーは御大と中小企業家同友会でつながる若い企業家たちが多かったと言うよりも酒で仲良くなった面々だった。反省会を楽しみに素手で便器に向き合った。


きのう帰りに温泉立ち寄り。

ふだんは15分で出るサウナに20分入って疲れを汗で流した。7時ごろ布団に入ったことは覚えている。目覚ましアラーム4時が鳴るまで熟睡できた。きのうまでの疲れは完全リセット。


木曜日は必ず立ち寄る唐戸魚市場。今朝だけは遠慮した。年末の買い物客が詰めかけて6時半の市場周辺は混雑していた。


美祢市「よしの」吉野夫妻の代は千秋楽。来年から約1年うどん修行をした清水君(吉田・茶房庵しみず長男)が店主デビューする。


明日は萩市など配達を終えて私の仕事おさめ。

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古川薫先生サイン入りを頂戴した

きょうの水曜日。下関市内のスポット配達などで「ちょぼハウス」今年はじめて立ち寄れなかった。


満州引き揚げは、遠藤誉「チャーズ」・藤原てい「流れる星は生きている」でその過酷な体験を読んだ。「引き揚げ」ではない「難民」だとおもった。

「けものたちは故郷をめざす」を注文して届いた。著者、安部公房の父親は満州医科大学教師。シラミが媒介する感染症ワクチンを現地でつくった「種は細菌部隊といわれた石井部隊から調達」元旦に読みたい。


「斜陽に立つ(乃木希典と児玉源太郎)」古川薫。


古川先生講演は開催にアンテナをはってたくさん聴講した。「斜陽」は、司馬遼太郎著者「殉死」で乃木希典を愚将と書いたことに長州歴史家として憤慨して「斜陽」を書き下ろしたと山口セミナーパークの講演で話された。講演のあとサイン入りハードカバーを買ったが誰かに貸してそのまま消息をたっている。

藤中隊長に今年最後のお届けをして話していると文庫本の「斜陽に立つ」があった。手にとると古川先生サインがある「売ってください」と頭をさげたら「差し上げよう」と手渡してくれた。


明日の木曜日は下関市から美祢市。大晦日は萩市から長門市に美祢市で今年が終わる。

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トートバッグ「案」のご紹介

4時の外気は氷点下1度。きのうまで強風で焼けなかった鶏舎の採卵室で糞を受ける新聞紙がたくさんたまっていた。一輪車で運んで着火。


作業場で毛布にもぐって寝る「ゆきちゃん」にもストーブ着火。


糸賀さんから「6個入りを追加してくれ」と言われていたことを思い出して6個パックをつくった。つくっただけで車にのせることは忘れた。


ニュースタイル本社は9時半。糸賀会長めずらしく不在。

日曜日に松村御大をまじえて糸賀会長発案。トートバッグを500セット。その図柄は淳貴君の作品を使い販売収益は全部社会貢献に使ってもらう。


糸賀さんオフィスにはデザイン部門もある。淳貴君ポストカードプロジェクトは、デザイナーの河上さんが作品の撮影と印刷手配に販売の案内状デザインと印刷まで手伝ってもらった。


トートバッグ片面に淳貴君の作品を4点ぐらいプリントしたいと糸賀会長が日曜日の打ち合わせで言われたので「4点も使うのは」と消極的に反対した。


ところが「4点」はデザイナーの手にかかると「ひとつ」になることがわかった。

写真はデザイナーさんの「案」です。


いま決まっていることは。

500セットつくり販売。その収益の全部を社会貢献にあてるという糸賀会長。その夢に松村御大と私も応援する。

師走の路面になりました

深夜1時半。外の水道蛇口の凍結が気になり着こんでヘッドライトをつけて粉雪まじり、寒風吹き荒れる外に出た。蛇口は氷って動かない。このまま朝まで放置しても菅が破裂するほど(氷点下8度ぐらいで水道菅は水の膨張で割れる)冷え込まないが水は仕事で朝から使う。

ボロ布を蛇口に巻いたらぬるま湯をかけたら蛇口はゆるむ。深夜に栓を気にするより夕方から蛇口を緩めたらよいことはわかっているが井戸の水位が下がっている。


猛烈な寒波、昼間でも氷点下のようなことは毎年ある。全部の鶏舎と母屋の水道菅を凍結から守るためにまる1日蛇口から水滴を落としたら井戸の水位が極端にさがる。

川から水を井戸まで揚げて散水して水位を維持しながら水まわりを守る。川に据えた汲み上げポンプをそのままにしたとき、ポンプのなかの水が膨張してアルミの部分が割れたこともある。


夏場の草刈りと冬場の凍結対策は「暑い」とか「寒い」など言っても解決しない。


5時半までに配達の準備を終えた。農園から出る橋を渡るとき積雪でブレーキを踏み締めてこれから走る場所の安全を確認。積雪の橋で冬タイヤはしっかり路面グリップした。一晩、冷えた橋で止まる今朝の冷え込みならば路面は滑らないとアクセルを踏んだ。


岡本拓也さん(山口市陶)が最初のお届け。農園から峠をくだるルートは冬場は凍結と積雪がある。エンジンブレーキでおりた。拓也さんをおえたらその峠をあがって美祢市にむかう。凍結をのぼっていたら救急車がくだってきた。

その先で事故があったのだろう日の出前、凍結の路面で渋滞になった。

対向車線からの車がないということは事故車輌が道路をふさいでいることだろう。このまま止まってレッカー車が来るまで待つか、引き返して「小郡IC」から「美祢東IC」までを選択するかをせまられた。


ロス時間は約30分。後戻りして高速道路をひと区間利用した。


厚狭の日蓮宗妙徳寺。

今朝の「水行」は氷を割ってかぶった。全身に痛みがあったと聞いた。

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糸賀さんプロジェクト始動

社会の役にたつことをやろう!
社会の役にたつことをやろう!

ニュースタイル糸賀会長発案。トートバッグに淳貴君の作品をプリントして販売。その収益を有意義に使おうではないかと。制作費用は私が出そう。


そのことについて、岡本さんのガッツ体育館に雪のなかを松村御大が来てくださりプロジェクトが著についた。


その会合で訃報を知った。


宇部市民には水神様と親しまれている中津瀬神社宮司の丸茂宮司がご逝去された。


宇部掃除に学ぶ会発足。一番にお世話になった方はYellow Hat物流センターの貞方所長。その所長が小学校の同級生で過去と未来を言い当てる「神童」と呼ばれた同級生が丸茂少年だった。


貞方所長とは、掃除の打ち合わせを名目に夜の街。酒癖は、脱いだ靴にビールをついで乾杯!丸茂宮司に「来なさい」と電話をしてまた靴で乾杯!


宇部中央病院で毎年健康チェックをしていた(いまは全くしていない)頭、目の奥に血液のコブが見つかった。破裂したら命にかかわるから1週間後に開頭手術を緊急にやります。後遺症が術後あるかもわからないのでと身辺整理の1週間だった。


広島の井辻さん家主のパソコン通信「SMルーム」で私の入院を知った仲間たちが花見を計画してくれた。その会場が中津瀬神社になった。会社で私の右腕の高山君が金髪のカツラで化粧して超ミニで座にくわわった「キャサリンと申します」

彼はそのまま酔いつぶれてタクシーで帰宅。玄関で寝ているキャサリンに両親は涙したという後日談。


赤間神宮で会議があるが「こっちの宴会が面白い」と丸茂宮司は会議を断り三度笠の旅姿で宴席に乱入。


その前に宴会の趣旨を私に聞いた宮司は本殿に私を座らせてながい祈念をこらした。

「いま、あんたの病は治ったからの」と頭を撫でた。私の宴会歴史に残る大宴会。最後は深夜の「クレヨン」家内が心配で同伴でも大騒ぎした。宮司も同席。たしか宮司とキスもした。


中央病院。

手術前に剃毛された。足の動脈からカテーテルを首まで入れて頭に造影剤を入れて撮影。


「治ったからの」あの言葉どおり、1週間前にあった血管のコブは消えていた。手術は中止になった。

カテーテルの傷が癒えるまで砂袋で下半身を固定され3日の入院で放免された。


懐かしい人、またひとり会えなくなった。

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掃除の褒美は清々しさ

6時半の萩市は夜明け前。


路面凍結や積雪の心配はなかったが強風だった。萩市から長門市まで、右手の日本海から吹き上げる高架道路。私の軽四は風に押されて蛇行することがある。

少し時間はオーバーになるが旧道、鎖峠越えは山の中なので風はあたらない。


お昼前に農園に戻った。自宅から家内が来てくれ昼食は蕎麦と野菜山盛り。缶ビール。30分昼寝ができた。


農園はなぜか冷え込む。氷点下4~6度ぐらいはよくある。農園を出て1㎞ぐらい走ると気温はあがっている。


その農園生活。毎朝の掃除機や台所の掃除は習慣になっている。

冬場、窓ガラスは二重ガラスになっているが結露がすごい。新聞紙でふき取りながらサッシ部分の黒カビが気になっていても、手強いと思うので見なかったことにしてきた。


昼寝のあと「よし、やろう!」とブラシと雑巾にバケツに細かい掃除に爪楊枝と歯ブラシを用意して黒カビに向き合った。


終ったあとの満足感、清々しさはやった者が味わうご褒美。


「あだち美術館」更新終えています。どうぞお入りください。

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恥ずかしい思い出を暴露します

長府のシフォンケーキ専門店「ポポラス」お届けの千秋楽。コーヒーをご馳走になった。


女性店主。築150年のご自宅を改装(工事は村上棟梁)してお店をつくられた。毎週水曜日の午前6時半にお届け。何かのきっかけで宮崎県綾町で陶芸家の家庭で育てられたことを知った。

大好きな宮崎県のなかでもとりわけ綾町が大好きで、町役場の会議録を任されていたこともあり通い続けた。町の歴史や史跡にくわえて有機農業を全国に先駆けて町ぐるみではじめたことの詳細を知っている。


店主と綾町キーワードで仲良くなった。くわえて宮崎弁の牧君が農園に立ち寄るたびにシフォンケーキを買いに行く。宮崎つながり人間関係は楽しい。


24日は、私の人生で一番恥ずかしい思い出がある。

20数年前、12月定例議会が終った宮崎県下の市町村役場議会事務局を訪れて録音テープをお預りする出張の何日か目だった。


宮崎県延岡市のホテルに着いて、週刊誌をひとつ買って晩飯の居酒屋。魚と肉を焼酎でおいしく食べた。ホテルに戻るとき酒屋に立ち寄り小瓶の焼酎を買った。

シャワーを済ませてパンツひとつでベッドに転がって焼酎をストレートで空にした。酔って寝て目覚めたら小便がしたい。

トイレと思ってあけた扉は部屋の扉だった。廊下にパンツで出たときオートロックがかかった。酔いがさめた。エレベーターの前にフロント直通電話があることを祈りながらパンツで行ったら「ない」万事休す。

ここで選択肢はエレベーターでおりてフロントにこの格好で行くことしかない。


エレベーターのドアが1階で開いたらクリスマスパーティーで盛り上がり後のひとたちがフロアに大勢いた。私の登場サプライズに大歓声と拍手がおきた。


8時すぎ小郡で散髪。終えて下関市に向かった。神田さんお届け・「レストラン卯」集金・ポポラスお届けのあと小郡まで戻って美容組合集金。


1時。山口市宮野の配達先お宅にステンドグラス撮影。私の小型カメラで精一杯撮ることができた「あだち美術館」でご紹介します。

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海穏やか 心はザワザワ

若いとき山口市内のお寺前に「菊かおり心は煮えちょる」と掲示板に達筆を見た。方言で世相をみごとにあらわした一句だった。


写真は9時半。彦島から蓋井島方向を眺めた風景。その穏やかな風景と真逆で気持ちが穏やかになれない。


年の瀬、毎年恒例になっている。

クリスマスやおせち料理で「10個増やして」というメールと電話が朝から夜中まで届いている。

新鮮な「たまご」をお届けすることがモットー。ふだんから極力翌日に持ち越さないことが農園の経営。


きょうもお届けのキャパをこえているがご注文の電話とメールに返信しながら走った。

お届けさきで大口のお客さまで「来週だけ数を減らしてください」とお願いできる方には手をあわせてお願いしている毎日。


鶏の数をこの時期だけ増やすことはできない。


水曜日からの下関市。明日もスポットで下関市。少し疲れがたまりはじめた。


今朝の唐戸魚市場「刺身ができるよ」と声をかけてくれた「特大」と札が置かれたみごとなサバ。二枚おろしにしてもらった。


菊川アブニールで切り絵作家。村井先生作品展に立ち寄った。私の仲間たちをアトリエ・ギャラリーに案内させていただきますとお願いした。

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淳貴君が編んだマフラーをいただいた

水曜日の下関「ちょぼハウス」休むくことなく1年通い続けてスペシャルエッグや淳貴君ポストカードなどお手伝いができた。来週の水曜日は、木曜日お届けの下関市内事業所が御用納が多く市内を走りまわる「ちょぼ」に残念ながら立ち寄れない。

お世話になりましたと面々に挨拶して立ち去るとき、淳貴君のお母さんが「淳貴が編んだマフラーをふたつ荷台に置きました。奥さんとお使いください」と。

写真を撮りながら感無量。ありがたい気持ちは言葉にできない淳貴ブランド。


淳貴君に「沈下橋」の写真をlineで送ったら「ぼくは橋が好きです」と返信が届いた。

そうか!淳貴君は動物も橋も好きだったのかと、橋が好きな私は過去撮った自慢の橋を4点(渡月橋・錦帯橋・萩市三見の石橋・耶馬溪、山国川にかかる石橋)を長々と説明まで添えて送った。


その「橋」談義は完全にすれ違った。淳貴君が言わんとした「橋が好き」はNHKテレビ番組「ピタゴラスイッチ」で最近紹介された機能的な橋のことだった。


🔶僕が知ってる橋は、旋回橋と跳回橋と昇開橋でした。ピタゴラスイッチで見ました。


私もお昼前、この番組は見て知っている。けれども淳貴君が3種類の用途に応じた橋の名称をしっかり覚えていたことに驚いた。

私は名称を全く覚えていないが、橋が機能的に動いていることは学んだ。

それを漢字で覚えた淳貴君のすばらしい頭脳回路を知った。


長府ポポラス6時半からはじまり、加奈ちゃんプチラボ2時。


於福温泉立ち寄り湯。ソルトサウナは塩鮭のように塩を身体に塗りたくる。その塩分が身体の水分を出すようで発汗威力がすごい。

彫り物のお兄さんと向き合ったので汗はますます増量した。


明日の6時半は唐戸魚市場。

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火曜日を元気いっぱいおえました

山口市内のお届けさき。コンクリートブロックに目がいった。なんとなくクリスマスの装いに見えた。


タブレットを使い始めた理由は、それまではガラ携で長年続けてきた「しんあい農園日記」を終えようと思った。もともと「日記」は誰かに読んでもらっても、誰も読まなくても私の1日の区切りとして続けてきた。

「続けたほうがよい」と背中をおしてくださる人が何人かおられたので「それならば」と日記が目的でタブレットが始まった。さいわい桂子ちゃんの紹介でパソコン環境に卓越したキャリアの重枝さんが身近にいたので「囲炉裏の部屋」として衣替えした。


Facebookやline。私には無縁と思っていた。ところがFacebookとlineを重枝さんに手ほどきを受けてはじめてみたら世界がひろくなった。


Facebook。私から「友だち申請」をした人はないが「申請」がたくさん届く。その方の投稿をみてお人柄を判断。セクシーをアピールする女性はブロック。私の友だち基準は「本音で毎日生きている」を感じる人とはつながってきた。


lineは、配達さきで「lineでたまごの数を知らせたい」と要望がありはじめた。これも使ってみると便利。「既読」されたかどうかがわかるので安心して使える。


メッセンジャーとlineで配達の打ち合わせがお客さまとできるようになった。

もともと「日記」が目的ではじまったタブレットが大活躍している。


今朝、苦笑したこと。

配達に出る前に部屋に掃除機をあてることが身についた。部屋を出るとき床にとっていない小さなゴミを見つけたとき、私がやったのは母がやっていた右手の人差し指に唾をつけてゴミを取る。それをやったことに気がついた。


しっかり働いた火曜日の幕がおりた。

私の決意この程度てす

きのう夜のlineで淳貴君が「橋が好きです」と。さっそくアルバムをさがして4枚の橋を見つけた。すべて日付がないので5年以上前、カメラを持たないときタブレットで撮影した橋だった。


長女がご用をしている金光教太秦教会に参拝したときの早朝、歩いて渡月橋を撮りに行った。


「こもれびの郷」の温泉には「絶対入らない」と数年前に決意した。農園から近い場所にあり便利だったが発券機に「市町村共済」のボタンを見つけた。660円の入浴料金が地方公務員は260円というボタンだった。その日、そのボタンをおして公務員証明を番台に提示して入った公務員を見た。


そのボタンの理由を番台に説明を求めても無理なことなので「もう行かない」と決めた。


農園のバスルームはビジネスホテルのように温水シャワーで洗う。浴槽から出て身体を洗うことはできない。


昨夜は寒くてシャワーを使わず洗顔だけで寝た。

今朝「もう行かない」決心はやめて着替えの下着などを持って出た。


2時過ぎに温泉到着。問題の発券機前に小銭を持って立った。「一般660円」「市町村共済260円」の発券ボタンがあった。そのとなりに「JAF会員610円」のボタンが追加になっていた。喜んで車まで小走りしてJAFカードをとってきた。


ご都合主義で生きている信念のない、その程度の「あだち」がよくわかった。

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ユメカサゴは頭をチューチュー吸って食べる

小雪が舞う6時前からヘッドライトで農園作業。

この冬からふくらはぎに貼るカイロを着けている。夕方まで足が冷えることはない。夜は交換して布団に入ると湯タンポがあるぐらい温かい。作業場にストーブをつけて犬たちは室内犬。


いろいろ済ませて秋吉台に向かった。


毎年、元旦は50歳前の巫女(桂子ちゃん)さん年頭ご挨拶で秋穂正八幡宮参拝。農園まで10㎞手前から徒歩で戻る。

2日は歩く。今年は長府マリンランドに駐車して唐戸まで海岸沿いを歩き、唐戸から連絡船で門司港。高層展望台を楽しみ(船も展望台もコロナで貸し切り)関門トンネルを歩いて車に戻った。


今度の2日は秋吉台家族旅行村から龍護峰・おはち山を経て西の西山コースを歩く予定。スタート・ゴールの旅行村を下見した。行ってよかった。駐車場開門は8時半で閉門は5時がわかった。


3日は南風泊市場が4日早朝の初セリ。関係者に毎年「たまご」を配ってくださる(松村社長時代から)寿司割烹浪花もお土産たまごを毎年たくさんご注文を頂戴している。


それを済ませて松村御大のお宅にご挨拶「すぐ帰ります」が毎年嘘になっている。


秋吉台の下見を終えて山口県立美術館「県美展」がきょうで千秋楽。

松村御大の50号油絵が昨年も今年も下関美術展で「特撰」の栄誉に輝いた。今年は県美展にも50号を描かれた。その途中をご自宅アトリエで拝見した。その力作が県美展の審査結果が「選外」だった。

県美展の入選作品がどれほどのものかと興味があった。かなり時間をかけて作品を観た。私には難しい作品ばかりだった。

中学生ぐらいの女の子がひとりで作品を鑑賞している姿が印象に残った。


写真は2年前のきょう、唐戸魚市場で買った「ユメカサゴ」高級魚「ノドグロ」漁のとき底引き網に一緒にかかる。

煮付けで脂がたっぷりで最高に旨い。頭をチューチュー吸ってまで食べる。煮汁で豆腐を煮て〆になる。

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今朝の萩市は凍結も積雪もなかった

昨夜、粉雪が強い風で舞っていた。農園、朝4時の外気は0度。うっすら雪化粧だった。


いつもは5時半。萩市にむかうが今朝は30分遅く出た。萩市に一気にくだる「雲雀峠」の路面が気になった。峠の気温も0度。地熱があるので路面は大丈夫。けれども途中、カーブしている橋の上は減速した。


きのう湯田温泉の体重計は63kg。何十年もほぼ変わらず65kgに変化がでた。

年末はクリスマスや正月でたまごの需要が増える。くわえて飲食店から予定以外の曜日で注文も入る。走行距離と運転時間が増えている。それが2kgになっているかもわからない。


糸賀会長のスペシャル下関に貢献。淳貴君の作品をトートバッグに印刷して500枚。その利益を「お使いください」プロジェクト。

スペシャル松村会長と糸賀会長を26日の10時「鍵山記念館」でスタートの緒につける調整が整った。私も同席。


山口市宮野でステンドグラス創作のお客さま。撮らせてほしいとお願いしていた。24日の午後に日どりが決まった。


「あだち美術館」更新終わりました。お入りください。


私の古希(先月)を目標に子供たち3人に残す「人生の車窓」は目的を果たした。400文字×110枚をパソコンを持たない私がタブレットで約1年かけて入力したことは私の人生の偉業。その粗い文章の加筆訂正でお付き合いくださった淳貴君お母さんのお力添えがあっての偉業。

ほぼ毎週の金曜日と日曜日、湯田温泉「温泉の森」に通い風呂上がりのあと休憩室のソファでひたすら指を動かした。


明朝から、このブログのバナーに「人生の車窓ダウンロード」を加えます。ご自由にどうぞ。


きょうは一度もシャッターを押す機会がありませんでした。

写真は、木曜日の朝6時に赤間神宮駐車場から潮風にあたりながら唐戸魚市場に向かった一枚です。

とおくの灯りは門司側です。

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よく寝てよく飲んだらリフレッシュ

父親と一度会った幼い日の記憶は「人生の車窓」で書いた。私の父親ことは話さずに母は逝った。


5~6年前、猟犬くずれ(銃声に怯える)の「けん太」の腹に腫瘍ができた。農園から一番近い美祢市の獣医で診てもらったら「これは切ろう」と判断。ひとりクリニックで「あんたも手伝ってくれ」と手術の助手を任命された。

電気メスを血管にあてたら止血できるなどめったに見ることができない場面に立ち会った。最後に開いた患部を縫合するとき、その糸を切るハサミ。その先が少し上向いた形で記憶がよみがえった。


幼いころ、母の裁縫箱はお土産が入っていたようなブリキ缶。そのなかにあったよく切れるハサミも先が上向いていた。


今朝の朝ドラ「カムカム」でアメリカ人のロバートさんが提げていた茶色で革の薄い鞄を見たとき「見たことがある」と思った。


子供のころ我が家にタコ糸のようなしっかりした糸があった「これは何かね」と聞いたら「牛のキンタマを縛る糸」と聞いた。


夏ミカンの酸っぱい味を消すには重曹がよい。胸焼けのときも重曹がよいと水屋のなかには紙袋の重曹があった。


牛馬の獣医師だった私を認知した父親をハサミの形や鞄や去勢で縛る糸に重曹から想像している。


昨夜、木曜日は疲れのピークで農園に戻った。早朝に起きて5時に満載のたまごをのせて下関。坂道の下関は車を駐車禁止の路上にとめて猛ダッシュで石段の上のお宅に届けるような場面がある。


唐戸魚市場で買い求めた魚を家内が肴にしてくれビールからワイン。最後はやっぱり焼酎ストーレト。

おそらく8時ごろ夢の中。今朝は5時に起きたので9時間ぐらいしっかり寝た。


金曜日は唯一の休息日(そうならないこと多々)宅配持ち込みやコンビニでコピーなどもあり山口市内。松村貴美さんが「県美展に行った」ときのう話しておられたので「県立美術館」「温泉の森」の二本立てだったが冷たい雨がふりだした。私はセーターの軽装。美術館スルーで温泉の森一番乗り。

サウナとジャグジーをしっかり楽しんで休憩室で仮眠。昼過ぎに農園に戻り缶ビール。昼寝を1時間。


とてもリフレッシュできた。


写真は、今朝の小野湖。


「人生の車窓」日曜日からしばらくの期間ブログからダウンロードできる設定にします。


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松村御大ご自宅玄関の一枚

木曜日、松村御大ご自宅お届けは10時半ごろ。玄関がクリスマスだったので撮らせてもらった。


先月、私夫婦は笠戸島一泊の旅をした。

その経緯。毎年、秋に夫婦の旅をしている。九州・四国に中国地方をお金のかからない、車で公共の宿などを利用してきた。

今年は近場で一泊と春ごろに決まった。近場で予約がとりにくいと評判は笠戸島の国民宿舎「大城」予約をとるために宿泊の半年前の午前9時に電話予約した。料理などは後日にして部屋をとった。


10月。ぎじろくセンター(私が創業した会社)の白井社長が農園に来られて家内に「古希おめでとうございます」と封筒を渡した。

大谷山荘別邸の宿泊を古希祝いでプレゼントだった。サンデン旅行が一切の世話をするという目録だった。


翌日、白井社長と喫茶店で会った。お祝いの気持ちが過分過ぎると前置きした。お断りは社長に失礼と思った。私が予約した笠戸島の国民宿舎にプレゼントを変更してくれないかと。


「大城」は私が社長時代に宴会で利用した。いかにも国民宿舎というレトロ感たっぷりだった。その場所に近いところに5階建てホテルのような建物にうまれかわっていた。

チェクインでその最上階、笠戸湾が見おろせるVIPルームのような部屋。土産に飲み物などすべてサンデン旅行(白井社長)のお支払いと承っています。


豪華な夕食がテーブルに並べられて「おめでとうございます」と生のグラスビールが添えられた。すべて白井社長の心からのお祝いだった。

土産も部屋ナンバーで家内は「ええんかね」と支払いせず買った。


きのう、白井社長が農園に来られた。いつも盆暮れにご挨拶に来られる。笠戸島のお礼で家内と頭を下げた。


あの宿泊のあと松村さんから電話がありました。僕は感激しました。


足立さんを祝ってくれてありがとう


旅のあと松村家の玄関でコーヒーをいただきながら奥さまに「笠戸島物語」を話した。


白井社長も私も感動させたのは松村御大の「ありがとう」

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よいものを安くつくれる筈がない

早起きしてちゃちゃと水曜日の準備。定刻5時半より前に農園を出た。気温2度。


出て3㎞ほどの場所で道路工事で片側通行。2分の待ち時間がある。運悪くフルタイムで止まった。止まってよかった携帯電話を充電したまま忘れていた。


取りに戻って、また片側通行信号で止められた。集金の釣り銭など商売道具を忘れていたことに気がついてまた農園。


今度は信号ゴーサインでアクセル。もう忘れ物はないと走っていたら髭剃りを忘れていた。マスクがあるから大丈夫。


先日から国会衆参の予算委員会を聴きながら配達をした。経済は私には遠い世界で株価など仕組みはわからない。


前の仕事。市町村議会会議録調製を仕事にしていたとき「こんなことでは日本の経済、国力は前途多難」と私が感じたことがあった。


市町村職員は異動がある。議会事務局職員さんも例外ではない。会議録は競争入札という仕組みで業者選定がある。つまり毎年、1時間のテープ起こし単価で応札してきた。

私がはじめた頃は時間単価は24000円だった。それが退職する頃には17000円ぐらいに下がった。


会議録を調製するためには「きょう」と「今日」のように議場の発言を忠実に文字表記する厳しいルールがある。

そのことが異動で、これまで税務課職員だった方が事務局員になり業者選定をする立場になる。地元でコネがある印刷所などが入札に加わる。

私は「発注される立場として仕様書を出してください」と言うと「良いものを安くつくるのが業者の責任」とまで豪語した職員さんがいた。


それは「矛盾」の一言。味で評判の店が冷凍の食材でメニューをつくれる筈がない。建築を請け負った職人が、施主が「頼んでよかった」と笑顔になる。適正な対価を見きわめる客側が問われる。


コストダウンの競争社会では働く人の給料はあがらない。正社員よりアルバイト。こういう社会構造はやめて、よい商品づくりにまい進する「作り手」それを認めて対価を払う「消費者」の関係がつくられると経済が好循環に動いていくように思った。


写真はFacebookで目についた。

高校生のとき酒井和歌子のファンで「めぐりあい」を東宝に観に行った。書店の配達で稼いだ小遣いでもう一度観に行った。というと清純派の高校生ということになる。日活ロマンポルノや東映の高倉健や藤純子も楽しんだ。

映画の最高峰は「ショーシャンクの空に」と「ひまわり」木村大作監督の「劔岳」三部作。


「めぐりあい」の3回目を果たしたい。

農園Wi-Fi環境がバッチリになった。

昨夜は8時までに夢の中だったと思う。4時にアラームで飛び起きた。寝はたった(足りた)。


火曜日は6時半がスタート。ゆっくりできる。


写真は、お昼前に山口県立美術館前を通ったときサギが彫刻の上で悠然としていた。


タブレットを使いはじめて5年か6年になる。農園には中国電力から電気は受けてきるが水道と電話回線ケーブルはない。

「どんなときもWi-Fi」。どれだけ使っても支払いは4000円未満のポケットWi-Fiがタブレット人生を応援してくれた(docomo契約は5GB)その「どんなときも」がやっぱり破綻した。

その料金で20GBの上限制約になった。そのとき使えるキャリアが減ったのだろう、農園の部屋で微弱なWi-Fiが届くのは階段を上がった窓の一ヶ所のみになった。その微弱Wi-Fiは部屋には届かないのでネットで探したら増幅器があった。

重枝さんのアドバイスを受けて購入。微弱Wi-Fiが部屋に届くようになった。けれども不安定でdocomoを使うことが多かった。先月は5GBすれすれまで使った。


農園近くになるとポケットWi-FiをOFFにしていた。階段の場所におかないとWi-Fi電波を探して本体が熱をもつ。そのOFFをきのう忘れて農園に戻った「しまった」とOFFにしようと手に取ったら電波をしっかり受けていた。


どこかわからないが農園近くに基地局が立った。増幅しなくてもバリバリでWi-Fiが使える。今朝のホーム画面は布団のなかで更新した。

昨夜の焼き肉で元気フルチャージ

家内は播州たつの市。童謡「赤とんぼ」の三木露風が生まれ育った。

私が「赤穂浪士」と言うと「赤穂義士」と播州赤穂をそう教えられている。

満州事変。ときの総理、田中義一が昭和天皇から叱責をうけている。それでも萩では「田中大将」と銅像までつくられて大将。そんなものかも知れない。


その討ち入りの日が家内の誕生日。それを口実に一番ちかい都合のよい日を夫婦で祝う、家内は寅歳。


一ヶ月前に席を予約していた焼き肉店。

オーダーはテーブルに置いてあるタブレット。高齢者に「メニューもあります」と表示があった。

東京、網の目のような路線を使って目的地に行くことはできないが、焼き肉ぐらいタブレットでオーダーできなくては地方で生き抜くためには身につけたい。

「確定」を押して、本当にジョッキ濃いめのハイボールがテーブルに届いて「やったー!」よく食べて飲みました。焼き肉、私はホルモンやマル腸など日ごろ尿酸値を気にして控えているメニューと大酒。暴飲暴食たまにはあり。


3時。元気にめざめた。


通常の月曜日ルートに、長府シフォンケーキの「ポポラス」お届けが先週に続いてあった。Facebookの投稿で「寿司割烹・浪花」と「シフォンケーキ・ポポラス」の味をFacebook投稿で見たときはスクリーンショットで荒川さんと仲さんに届けている。私がお届けしている「卵」のお店が「いいね」と評価されると嬉しい。


小野田市から長府に向かう道沿いから海峡を撮った。いつもは木曜日の早朝。昼間の海峡は大型船が遠くに見えた。

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温泉の森で仮眠

8時。山口市内の給油所があくのを待って給油。市内で用を済ませて宇部市内まで。


松月院の末次ご住職に年末のご挨拶に立ち寄ったがお留守。奥さまが丁寧に応対してくださった。

常々ご住職が話されていた無縁仏を弔う共同無縁墓地が完成しており寄墓になっていた。少なくとも檀家さんのお骨と墓石は将来にわたり守ることが寺の責任と強く願われておられた。

常に黒衣をまとい凛としておられる。願いは願いで終わらず成就される実行力には頭がさがる。


菊川画廊。「人生の車窓」プリント版をお届け。コーヒーをひいてたててくださった。

画廊玄関に一本フジバカマを植えたらアサギマダラが飛来してくれたと今年の写真を見せてもらった。そのフジバカマが羽毛のような種をつけていたのでひとふさもらって帰った。

30年ちかいお付き合い。いつも画廊で作品に囲まれて芸術から人生談義。その影響で今年は下関市立美術館は何度も作品展に行った。周南市美術博物館は先月。県立美術館にはエジプト展など時間があればホンモノに接したいと通うようになった。

九州国立博物館に南蛮屏風絵を見に行ったときの感動まで話をした。この近辺で一番充実した展示をしていると教えてもらった。


Wi-Fi機能付きで一番安いカメラをいつも腰につけている。そのおかげで見過ごしていた風景のなかに「あっ!」と新鮮に見えてくる風景がある。

その一枚を載せました。


菊川画廊を出て久しぶりの外食。済ませて湯田温泉まで走り温泉の森。

その移動中にも今週の配達変更など電話とLINEで数件あり農園の正志と打ち合わせしながら走った。

いつもは水曜日の午前6時半にお届け、長府のシフォンケーキ店ポポラス。それはそれとして明日の月曜日午後2時にお届けが決まった。

配達は小野田市から一旦長府に行きおえて小野田市に戻るというコースになる。


ゆっくり疲れをお湯で流して休憩室で仮眠。


夕方、家内と山口市内で食事。

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きのうは疲労ぎみで今朝は食欲がなかった

この時期、ズボンの下にパッチを履いている。靴下の上から長めのレッグウォーマーもつける。今年はパッチのふくらはぎの場所に貼るカイロをつけてウォーマーでおおっている。


足が冷えると血圧があがるが、両足がポカポカしており血圧はあがらない。


きのうはとても疲れて早々に横になった。

疲れはとれて朝をむかえたが食欲がなく、納豆と豆乳にバナナを少しとヨーグルトで萩市に向かった。写真は浜崎近くの松本川。


昼は家内が自宅から着いて牛丼など。缶ビール一本でおいしく食べた。その後約2時間ほど布団を出して夢をみた。


きのう、90歳以上と思われる腰が曲がって杖でヨボヨボ歩くご主人を乗せて足が不自由な80代だろう奥さんが運転して買い物に来られた。

奥さんに挨拶をして犬を散歩に連れ出した。車のそばを通ると助手席のドアが開いてご主人が川土手を四つんばいでナマケモノのようなスローペースで移動していた。挨拶をすると笑顔が無邪気だった。


散歩を終えて車の近くを通ると、地面に横になって少し体をおこしてなにやらしている。近付いてみると広げたタオルに小石を集めていた。奥さんは運転席からその様子を眺めている。


部屋に戻り窓越しに見たら、ご主人は四つんばいで川土手の斜面を頭を下にしておりていた。そのままいくと高い位置から河原に必ず転落する。

小走りで部屋から土手まで走り斜面の上まで引き上げた。無邪気な笑顔だった。


運転席から「主人はボケていますから」と言う「ボケておるのはあんたじゃないか」と叱りつけた。術後で腹部の抜糸をしていないという主人が斜面を這って下っている様子を見ていて危険とは思わんのかと叱った。やっとおりてきて助手席に座らせた。タオルの石ころは私が足元に置いた。


あとから思うに、自宅において買い物に出ることはできないから連れてきた。斜面を這っている姿は運転席から見えなかった。奥さんは介護疲れで運転席で待っていた。


師走が押し迫るとスポットの配達が増える。走る距離が多くなる。今年の大晦日は朝から10時ぐらいまで採卵した卵を萩市から長門市にお届けで終わる。

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疲れがとれない金曜日

金曜日。

朝は血圧検診とインフルエンザワクチン接種。山口市内で用事を済ませて防府トヨタ。家内の軽四冬タイヤとオイル交換。


年末年始の配達調整の本番に入った。毎年のことながら慌ただしさの本番をむかえる。


愛犬が疲れを癒してくれる。


明日は3時起床で5時半から萩市にむかう。路面凍結は心配ないと思う。

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ながい木曜日を元気いっぱい終えました

愛犬「ハッピー」が行方不明になった。走りまわって呼んでも姿をみせない。途方にくれた。

それは夢だった。枕元でまるくなり寝息をたてていた。さわって安堵した午前2時。


3時まで布団のなかでブログホーム画面更新。昨夜届いたメールやFacebookで頂戴したコメントに返信を4時までに済ませた。


木曜日のスタートは防寒着とヘッドライトの季節。家内が泊まってくれ朝食と弁当で私の作業を応援してくれる。

星空を仰ぎ愛犬と散歩はとても気持ちがよい。大きなキツネの後ろ姿も見た。


元気いっぱい木曜日を終えました。 


早朝6時すぎの海峡の一枚です。

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ふたつのミッション著についた

シフォンケーキのポポラス。長府毛利邸近く、そのポポラスに朝6時半お届け。空が染まりはじめた。


9時半。いつもの「ちょぼハウス」紅一点という言葉がある。男を黒に置き換えたらハウスでいつも黒一点の存在で1時間ワイワイ仲間に加わる。スペシャルエッグのやり取りはある。


山口市。美容室グループ「ニュータイル」糸賀会長からきのう嬉しい宿題を預かった。


淳貴君ポストカード作品からひとつを選びトートバッグにプリントしたい。数は500で制作費用は糸賀がもつ。スペシャルオリンピックスの活動資金になるよう価格など

みなさんにでお考えくださるよう「あんた、テーブルにあげてくれんか」。


清水の姉さんに小坂さん。淳貴君のお母さんたちとワイワイやった。もちろん異議あるわけはない。


スタートの著についた。


次のミッションは松村御大「唐戸魚市場物語」

逢坂かのを(カバ隊長)にそのプリントアウトをさげて相談した。お互いきょうは真顔。

逢坂先生「とにかく来週までじっくり読もう。細かい点は(誤字脱字など)はみなさんで点検されるとよい。ワシは作家として物語の柱となるところを確認、朱筆を担当したい」と。


その細かい点は私が担当する。「車窓」で私の文章を何度も点検くださった淳貴君のお母さんにもう一度赤ペンを持ってほしい。


これもスタートの著についた。


2年前に酒屋を閉められた井上さん。山口県の方言で「げってん」「へんくう」が看板の酒屋は「松原」と「井上」が宇部の酒屋双璧だった。

眼鏡にかなった酒蔵としか取り引きしない。値段より味がわかる客しかとりあわない。とくに「井上」はその真骨頂だった。


「酒の会」に招待されたのは一回だけ。酒屋の2階に酒豪が集結。東北から四国の銘酒が一升瓶で次々に封があけられコップでグイグイ味わう。

もう立てないほど酔った席で「銀河鉄道をサービスします」その酒は氷結酒としてプレミアム。ここで10年氷っていたらしい四国の酒。旨かった。


5年、禁煙していることを自慢したら煙草に火をつけて「5年やめたら、この一本ぐらい吸っても禁煙は続くから吸え!」酒で立てない私が煙草を吸って「お先に」と挨拶して階段から転がり落ちた。

家内の運転で農園。今度は家内が階段を引きずりあげたらしい。さいわい怪我はなかった。


その井上さん「人生の車窓」を熟読くださり感想文をくださった。

それに創作童話がふたつ添えられいた。あの「へんくう」が童話とは。

20年以上も前、最愛の奥さまに先立たれたとき書いたと説明があった。私は奥さま存じあげない。


よき仲間と今を生きている。

きょうのシャッターはサルだけ

田舎暮らしの人はご存知だろう。夜中、シカが鳴く(吠える)声は大音量。最近、ブタのように鳴くイノシシよりシカのほうが多くなった。今朝3時、シカが起こしてくれた。


朝の出がけにベルトにとおすホルダーには拳銃ではなく愛用(4年)の安物カメラ。目にとまった景色や動物などを毎日平均20枚ぐらい無造作に撮ってFacebookと日記に使っている。


火曜日は山口市。農園スタートはゆっくり6時半で戻るのは3時。かなり広範囲に配達をする。

最後のお届けはブログでお世話になっている重枝さん。玄関先のボックスにおさめて農園に戻るときの山越えでサルの群れが車の前を横切った。数は20頭ぐらいと思う。

車をとめて、腰のカメラを取り出して撮れたのはしんがりの一頭だけ。


野生動物たちとトラブルをさけて共生していく道を見つけるときになっている。


数日前から、やるべき日にトイレの掃除をしていないことが気になっていた。

犬の世話やきょうの整理と明日の準備をしてトイレを磨いた。

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よう走りました月曜日

5日の日曜日、萩にむかう前に重枝さんカメラ。

寅の家内と卯の私です。夫婦写真はじめて公開。


長府。シフォンケーキの「ポポラス」は水曜日の朝6時半がお届け。「足りなくなった。けれども高齢の足立さんに月曜日の配達を頼むのは」とハッキリ言わないご注文がきのうあった。


配達で一番少ない数は6個(198円)もある。もちろん数百の飲食店などもある。もちろん少ない数を遠距離にお届けはお断りしている。


「ポポラス」に月曜日お届けは配達コースからかなり離れているけれど「お届けします」と数を聞いた。


今朝の農園は0度で少し氷がはっていた。5時半スタート。岡本拓也さん6時過ぎのお届け。弁天池で私の飲料水。プチラボから美祢市をぐるぐる走り厚狭。広範囲に厚狭を走り小野田市。それから宇部市を少し走って長府に向かった。


3時すぎに農園ゴールイン。

事故も違反もなく配達を終えた。犬たちが散歩に誘ってくれて月曜日が終わった。

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浜崎朝市とミニ観光でワイワイ

重枝さん、徳重さんと私夫婦の四人。萩市浜崎の朝市に行った。ロールケーキの「笑顔ひろがるおやつ菓子 ぺりっちょ(渋谷英利子さん)」農園たまごのロールケーキ店が出店。


下関バーバラマルシェも気になったが浜崎に行った。


ロールケーキはとても上品で美味しかった。


今年で3回目の開催「浜崎朝市」は正直がっかりした。魚の浜崎魚市場が会場。当然、萩の鮮魚がずらりと箱で並ぶかと期待した。大きなクーラーボックスを積んでいた。ところが鮮魚は軽四ワンボックスの荷台に少し。他に魚は冷凍の干魚(キンタローやイワシ)瀬付アジはすべて揚げ物。野菜もあったが家内は買わなかった(帰り道で原木シイタケ・赤郷ゴボウにダイコンなど買った)


萩のスーパー「アトラス」に行ったほうが納得できる地元野菜や鮮魚が買えると思った。


浜崎には老舗の醤油。夏ミカンまる漬銘菓などここの味がある。魚は漁師さんが景気よく売って、腹をあけたり刺身にしてくれたら若い人も買えるが冷凍では。


浜崎ならば住吉神社。御船謡を披露されるなど浜崎の歴史もステージで披露されたらよかった。


買い物を済ませ私の案内。島原の乱で捕らえられたキリシタン教徒(数千人)が200名萩に送られ改教を強いられ殉教した場所。


玉江の絶景。寺町の海潮寺。田中義一別邸に鍵曲がり。萩藩はじめて腑分けをした場所(女性の罪人解剖)。もとは明木にあった図書館を移した下横瀬公民館などご案内。


「どんどん本店」で11時までのモーニングうどんセットは400円ぐらいで肉うどんとおにぎりが食べられた。


半日の萩市。ワイワイ楽しい旅になった。


1時半に防府市のトヨタ店。

冬タイヤとオイル交換。納車から1年の点検で1時間。帰り道、山口市内で給油して戻った。


松村御大「唐戸魚市場物語」に作家の逢坂かのを先生(カバ隊長ペンネーム)が推敲ボランティアに両手で挙手。完成した作品をクラウドなどで配信、読み手に届けることに重枝さん「やらせてください」私の「車窓」をカタチにしたデザイナーの河上さんも挙手。

これから完成までのスケジュール案をつくりたい。

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いよいよ路面凍結の季節がはじまった

明日の午後、冬タイヤとオイル交換。納車からちょうど1年の点検もお願いしている愛車。走行距離65000㎞。


今朝5時。農園3度と冷え込んだとは思わないが、萩市までの道中には雲雀峠の下り坂がある。下り坂の途中にはカーブで橋を通過する一番の難所がある。

明日交換するタイヤはスリップサインが出ている。危険なことは積雪や凍結がなくても橋はブラックバーンとなってスケートリンクになることがある。悪いことに昨夜は少し雨が降った。その橋は最徐行で通過した。


11月に完成した「人生の車窓」を推敲していた数ヶ月前。私が人生の先輩とし尊敬している、もと唐戸魚市場株式会社社長の松村御大(御大のネーミングは、その昔に尊敬を込めて私がつけた。松村久が本名)から「足立様、私のひとりごとです」と走り書きされた茶封筒を奥さまから受け取った。


A4版43枚。横書き36行×35文字。

タイトル「下関唐戸魚市場物語」章だては修行時代・仕事の面白さを知る・社長になる・国際化に奔走する・河豚よもやま話と5つ。


司馬遼太郎をような書き出し。昭和45年10月12日魚市場に入社。で幕があく。


東京の金物屋に就職して1年で萩に戻った。どこでもよいから働きたかった。


そのスタートから始まり、今や河豚と言えば下関。河豚と言えば総大将の松村になった。その人生を回顧された43枚。


競り場の競り人として魚を捕る側、それを買う側に仕入れて客に出す店側。運送業界から河豚の国際化。漁師に厄介だった李承晩ラインなど河豚を柱に下関の歴史を書いておられた。


「下関唐戸魚市場物語」を豪華装丁で世に出して欲しいと私は思わないが、これだけの足跡を「ひとりごと」にしておくには勿体ない。あとあとの人が下関の歴史の一端を理解する資料としてもカタチにして残して欲しいと思った。


「人生の車窓」読みたいと手をあげられた人にはLINEもしくはCDで差し上げた。その環境を持っておられない人にはプリントアウトを回覧中。


「下関唐戸魚市場物語」を何人かで誤字脱字。最小限の句読点と改行の朱筆を加えて原稿用紙スタイルにまとめ、LINEやCDでご希望の方にお届けするプロジェクトをはじめます。


完成まで1年ぐらいの長丁場で構想しています。

このプロジェクトにご参加をお待ちしています。お申し出ください。ゆるゆる仲間でやりたいと思います。


写真は今朝の萩市浜崎。三角州の萩市でこのあたりが一番海面から高い3m。


🔶「あだち美術館」更新しました。どうぞお入りください。紅葉と早朝がテーマの作品です。

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温泉だけの金曜日

神戸震災のとき、兵庫区浜山小学校避難所で寝食を共にしてお手伝いをした牧君(今は54歳)が昨夜泊まりに来てくれた。


済州島のサバは脂がのって旨い。距離があるので氷づけで入荷するので(半カチ)買わないほうがよい。早朝の魚市場で済州島の評価はわかれる。


先週、とても大きな済州島一匹1000円を「二枚におろして」と買った。「焼いたら最高」と店の奥さんが言った。煮付けと焼きの両方を試したら「焼いたら最高」の答えが出た。


きのう、その店に済州島が氷づけで1000円「焼いたら旨かった!」とお礼を言ったら何匹も確かめて一番舘大きな鯖を「これじゃね」と選んでくれた。二枚にしてもらった。


次の魚をさがしていると「いま焼いたスジ鰹。脂ののりは文句なしです」と若い兄ちゃんが笑顔。800円で鰹のたたきを買った。


家内に買い物を電話して「フライのカキを買ってくれ」と頼んだ。


それに野菜の煮物などテーブルに並んで乾杯!


儲かる仕事にアンテナをはり。危険と背中合わせでも高賃金で集まる男たちを仕切っての経営をしている。

きのうはベンツてもBMWでもなくラウンドクルーザで6時に農園到着。私はその前にハイボール2缶空けて木曜日の疲れを紛らわしながらブログを終えていた。


牧君を弟のように思っているので、連日の下関で疲れたことは忘れて近況のやり取りで酒も肴もすすんだ。

彼が支払いでマイルが貯まるようにして、そのマイルを使って訪れた国は90ヵ国には驚いた。彼は空港でからレンタカーで国境越えをして楽しんでいる。通訳はスマホそれで言葉の不自由はなく、スマホ、以前は国ごとにSIMを替えていたが世界共通で使えるアプリがあるのでスマホがあればロシアやキューバにフィンランドからインドまで気楽に行くことができると彼は言う。


今朝6時に起こして朝食。長府ポポラスで宮崎弁で会話が目的か長府に向かった。


湯田温泉「温泉の森」10時の会館一番乗り。ゆっくり疲れを癒しただけ贅沢な金曜日。


2018年、農園で酒盛りの牧君。

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今夜は牧君と盛り

切り絵作家の村井先生「親子展」ご案内です。

初日の木曜日、会場近くを移動するので行きます。

ご自宅アトリエとギャラリーは素晴らしい作品がたくさんあります。機会をみて村井先生ギャラリー訪問ツアーをやります。


今夜は宮崎弁の牧君が農園泊まり。今朝の唐戸魚市場で済州島の鯖・スジ鰹のたたきを買った。済州島は先週買って脂が最高にのって塩焼き最高だった。

揚げ物のカキは家内が手に入れている。


昨年の12月から始めた「人生の車窓」は400文字×110枚。目標の10月に完成できた。

目的は子供に残す私の人生ひとこま。その内容はさておいてパソコンを持たないのですべてタブレットで入力したことは自慢できる。


淳貴君のお母さんが朱筆訂正を2度もしてくださった。藤中さんの短編小説「阿弥陀寺町の幽霊」のアウトプット(原稿用紙形式)をパクらせてもらった。

原稿用紙に「柱」や「ノンブル」を入れることはデザイナーの河上さんにお願いした。


日記でご縁のある方たちから「読みたい」のリクエストをたくさん頂戴した。3人の子供にプリントアウトとCDを渡したあと、LINEでつながる人にはそれでお届けした。LINE環境はないがパソコン環境はあるという方にはCDで。両方ない方にはプリントアウトで回し読みしてもらっている。


その「車窓」のなかに「母のこと」を章だてしている。

朝の連続番組「カムカム」を毎日みながら母との生活を思い出している。

きょうは「お父さんはどんな人だった」と問いかける愛娘に「とってもやさしい人だった」と。私はその問いかけを何度かしたが「もう忘れた」と言う母にいつしかこれは聞いてはならないと子供ながら思った。

洗濯ものを干し竿にかけてシワを伸ばすために手のひらで叩くことは母から教わった。「カムカム」でヨモギを摘んで天ぷらやおひたしにする場面があった。

風呂がない長屋に住んでいたいたころ、2日おきぐらいに片道20分ぐらいの銭湯に行った。冬は洗髪した母の髪の毛が凍ったこともあった。

その風呂の帰り道、母が洗面器に道端の草を摘んで夕食に添えた場面がよみがえった。


ラジオから聴こえた黒柳徹子「一丁目一番地」は今でも歌える。

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年末、みなさまのご健康を願います

長府の老舗「古串屋」さんと営業上の関係はないが、オーナーの神西さんとご縁があり歴史のつまった館内をご案内いただいたことがある。

もしかしてと「神西」のルーツを聞いた。やっぱり出雲大社から西にある、昔は湖陵町とよんでいたがそこに神西湖がある。


その名店が長府のいっかくにお惣菜や弁当を販売するお店を開店された。Facebookでも古串屋の味が手軽に味わえると写真つきで投稿が多い。


きょう、長府の配達先でそれを「よかったですね」と言う私の気持ちで話題にあげた。

意外にも少し顔をくもらせて「賛否にわかれているのですよ」と地域の噂話を抽象的に話された「私がそれを言う立場でもないので」で終わった。


賛否の「否」が腹に落ちずに考えた。その挙げ句に「これかもわからない」と私の「否」の結論。


前の仕事で市町村議会会議録を製本する仕事をしていた。寝食を忘れたかのように、胃潰瘍や円形脱毛などやりながら中国地方と九州全県下あわせて200市町村以上と契約がとれた。利益のあがる会社に育てた。


市町村の条例集や法規集などを全国規模で100年以上の歴史をもつ大手出社が会議録に進出した。資本力は国内出版業界でトップの企業がわが社より少し安い単価設定で営業展開を始めた。


単価の価格競争がはじまった。そのとき商いとは考えることができた。商いは自由な競争でそれゆえに商品開発はすすんで消費者にとってもありがたいことになる。


いっぽうで私が思ったことは「モラル」「住みわけ」だった。


「否」は、もしかして長府という、近くに大型商業施設があっても眼鏡店が複数店舗。洋菓子も和菓子もお店がいろいろある。花屋さんも一軒ではない。その長府に古串屋さんがお惣菜や弁当で出店されると、これまでその分野で営んでこられた商店の売上に影をおとすことになる。


このご時世。正解はみつけにくい。


今朝の綾羅木海岸おお荒れ。明日の夕方、宮崎弁の牧君が泊まりに来るが唐戸魚市場で鮮魚は買えないかもわからない。

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