糸賀さんプロジェクト始動

社会の役にたつことをやろう!
社会の役にたつことをやろう!

ニュースタイル糸賀会長発案。トートバッグに淳貴君の作品をプリントして販売。その収益を有意義に使おうではないかと。制作費用は私が出そう。


そのことについて、岡本さんのガッツ体育館に雪のなかを松村御大が来てくださりプロジェクトが著についた。


その会合で訃報を知った。


宇部市民には水神様と親しまれている中津瀬神社宮司の丸茂宮司がご逝去された。


宇部掃除に学ぶ会発足。一番にお世話になった方はYellow Hat物流センターの貞方所長。その所長が小学校の同級生で過去と未来を言い当てる「神童」と呼ばれた同級生が丸茂少年だった。


貞方所長とは、掃除の打ち合わせを名目に夜の街。酒癖は、脱いだ靴にビールをついで乾杯!丸茂宮司に「来なさい」と電話をしてまた靴で乾杯!


宇部中央病院で毎年健康チェックをしていた(いまは全くしていない)頭、目の奥に血液のコブが見つかった。破裂したら命にかかわるから1週間後に開頭手術を緊急にやります。後遺症が術後あるかもわからないのでと身辺整理の1週間だった。


広島の井辻さん家主のパソコン通信「SMルーム」で私の入院を知った仲間たちが花見を計画してくれた。その会場が中津瀬神社になった。会社で私の右腕の高山君が金髪のカツラで化粧して超ミニで座にくわわった「キャサリンと申します」

彼はそのまま酔いつぶれてタクシーで帰宅。玄関で寝ているキャサリンに両親は涙したという後日談。


赤間神宮で会議があるが「こっちの宴会が面白い」と丸茂宮司は会議を断り三度笠の旅姿で宴席に乱入。


その前に宴会の趣旨を私に聞いた宮司は本殿に私を座らせてながい祈念をこらした。

「いま、あんたの病は治ったからの」と頭を撫でた。私の宴会歴史に残る大宴会。最後は深夜の「クレヨン」家内が心配で同伴でも大騒ぎした。宮司も同席。たしか宮司とキスもした。


中央病院。

手術前に剃毛された。足の動脈からカテーテルを首まで入れて頭に造影剤を入れて撮影。


「治ったからの」あの言葉どおり、1週間前にあった血管のコブは消えていた。手術は中止になった。

カテーテルの傷が癒えるまで砂袋で下半身を固定され3日の入院で放免された。


懐かしい人、またひとり会えなくなった。