梅津さんカメラです

松村御大夫妻・絵手紙の村上みつるさん・そのお友達の中村充代さん・ブログの支援などお世話になっている重枝さん・私夫婦。


ギラギラ照った7月30日の太陽が日本海にしずむ姿を萩八景遊覧船の船上から楽しもう。船頭は萩弁の梅津栄さん指名で。


朝から萩市の天候が気になった。

午後「船を出す」と梅津さんから連絡を受けた。6時20分、船頭は指月山を右手に長門市方向を眺める最高の夕陽スポットに船をとめた。


その夕陽を梅津船頭が撮った一枚。


きょうの夕陽は100点満点で98点じゃ!と梅津さん。人生の記憶に残る夕陽だった。


元気に月曜日がはじまった。


午後、携帯電話の着信に気がついた。2週間前、数年ぶりに成人病検診を受けた。その結果、肺のレントゲンに気になるところがあるので再診に来てくださいだった。今週の金曜日に受診予約をした。

草刈りと夕陽鑑賞の日曜日

川土手(斜面)草刈りの朝。

できれば6時半から始めたい。4時前に起き、犬の世話が最優先。


老犬(農園暮らし16年)ハッピーはヨタヨタしながら小便と大便。大便は急にもよおしその場で出す。

夕食はたっぷり食べさせる。朝は食べないので牛乳を定量与える。今朝はその半分で首を横にした。

「ゆきちゃん」は決まったドッグフード以外を食べさせるとアレルギー反応で、胸の毛が抜けて皮膚に発疹がでる。2週間前、決まったドッグフード「ビタワン」が店になく他のドッグフードを買った。やはりアレルギー反応が見えはじめたので3日前ビタワンを買った。犬を済ませて私の朝食。


草刈機(ショルダー)の刃は2種類。強いビニール紐で刈るタイプと硬い鋼鉄チップが42個焼き入れのタイプを使いわける。


紐タイプは地面を叩いてもよいので雑草の根元まで刈ることができる。回転数をあげるので燃費が悪くなる。草がやわらかい春から梅雨ぐらいまで使う。


夏をむかえて草は太く硬く成長しているのでチップの刃で刈る。


草刈機にチップを装着。燃料フル満タンにして6時半過ぎからエンジン音を響かせた。

川土手斜面は傾斜がきつい、足を滑らせたら川まで数メートル落ちる。刃が高速回転しているので足もとは慎重になる。


斜面で草刈機を2時間動かしてきれいになった。


シャツと手ぬぐいを水洗いして干した。家内が自宅に持ち帰り洗濯機。シャワーでさっぱりして着替え。


宇部市内に出かけて用事を済ませ昼に農園に戻った。昼は家内が到着して冷たいソーメン。


夕方、萩八景遊覧船で日本海に沈む夕陽を眺める。松村夫妻、絵手紙の村上みつるさんと友人、重枝さん、私夫婦の7名で予約。

先ほど舟頭の梅津さんから、天候に問題ないので「出港します」と連絡を受けた。

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午後から元気に草刈正雄

5年前、撮った写真をWi-Fi機能でタブレットに移すことができる一番安いカメラを買った。そのカメラ、2日前の木曜日に下関配達のとき玄関で暑さで横になっている柴犬を撮るとき手元から落とした。そのお宅は急な階段をのぼった一番上にある。排水のU字溝を飛びはねながら下まで落ちてしまった。

はねながらバッテリーの蓋が開いてバッテリーが飛び出した。満身創痍になったカメラを拾いバッテリーを装着。動いてくれることは諦めていたが傷だらけでも正常に動いてくれた。


その本体傷だらけで触っても、見ても撮れるようなカメラではないが、大好きな萩市玉江港の朝を撮れた。


土曜日の配達(萩市・長門市・美祢市)を済ませてお昼前に農園ゴールイン。家内が自宅から着いて牛丼をつくった。


食べ終わり、牛のようにゴロリ横になって少し眠れた。


川土手の雑草の成長ははやい。川土手は桜並木の平地と斜面がある。平地を刈ることにした。


ショルダーの草刈機で桜並木をきれいに刈った。斜面は明朝、涼しい時間からはじめる。

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あだち美術館 更新しました

「あだち美術館」更新しました。今回はフォト川柳をメインに掲載しています。


水曜日と木曜日、長距離の下関を2日連続で走った。昨夜は唐戸魚市場の魚を家内が並べてくれビール、赤ワインに濃いめにつくったハイボール2時半杯でダウン。暑くて寝苦しいなど一切わからず深い熟睡。


4時前に目があいた。


きょうも下関。集金4軒と鶏肉やたまごの配達。グリーンモールのお宅から「配達してほしい」を1ヶ月待っていただき訪問。配達ルールをきちんと決めた。

長府まで戻り、遅ればせながら「縁起焼」さんの移転祝いお届け。ポポラスと藤中さん立ち寄り。とにかく暑くて眠たかった。


金曜日は「あだち美術館」更新。いつもは湯田温泉か於福温泉でお湯を楽しみ、館内Wi-Fiを使って更新しているが温泉に行きたい気持ちがおきない。


農園ちかくの涼しい木陰に車をとめてポケットWi-Fiを使って更新した。毎週の更新を何年も続けていると、テーマを決め写真を選んでキャプションを添えて完成まで60分以内で終わるようになった。


いま一番気になっていることは雑草の成長。昼間の草刈りは高齢者の私には危険なので日曜日の早朝からやろうと思っている。


写真はポポラス。

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牧さんからLINEが届いた

神戸の震災。兵庫区浜山小学校避難所で一緒に3ヶ月奉仕をした牧さん。もう50歳をこえている。

いまは大阪を拠点に運送業と高速道路メンテナンス会社経営をしている。仕事の内容はよくわからない。わかっていることは100数十ヵ国を訪れていること。

その旅の目的もよくわからないが、レンタカーで国境を越え自由自在。宮崎弁は使わず翻訳機能を駆使している。もともとマグロ船で海外の港を転々としていたので海外も国内感覚かもしれない。


午後、彼からLINEが届いた「シンガポールの生ジュース販売機です。夕方はカトマンズです」そのLINEに添えられた写真。


私が小学生のころ、ひとりで夏休みは自転車で片道1時間ぐらいで常盤海水浴場(山口宇部空港)に行った。干潮の干潟では足の指で車エビをとる。アサリやハマグリにマテガイもたくさんとった。母はそれを喜んで食卓にあげてくれた。母が喜ぶので海通いは多かった。


いま亜熱帯のような暑さになり、海で何時間も遊ぶことは危険になった。

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続けているブログが私を育てる

ブログの「日記」「掲示板」を毎日、夕方に更新を続けている。


「掲示板」はFacebookを利用しているので「思い出」をクリックすると過去数年、私がその日投稿した内容を閲覧できる。それをスクリーンショットして掲示板に載せている。

見ていただく以上に私にとっては「思い出」が妬くに立っている。

過去にさかのぼり「きょう」どこで何を撮ったかの記録を見ることができる。萩市三見の眼鏡橋のアジサイやツツジを今年も撮りに行った。それにも「思い出」が役立った。

もうひとつ「思い出」を活用していることは、私のタブレットは保存できる容量が少ない。投稿しておけはFacebookが写真を保存してくれる。


「日記」も「掲示板」も更新するときはビールと赤ワインをそばにおいて「飲酒更新」の常連。


ブログの更新で酒を飲まずに集中して取り組んでいる「あだち美術館」金曜日に更新をしている。

私のご縁につながる皆さんの紹介をしながら美術館を更新している。この「あだち美術館」を継続しながら「見せかた」「みなさんにわかる紹介」を試行錯誤しながら、それが私のスキルアップになっている。


写真は、きょうが誕生日の松村御大と河村隆子さん。撮った日付が写真にないので5年以上前、私のタブレットカメラ機能で撮っている。場所は2月の唐戸「唐戸屋」20数人で大騒ぎで楽しい宴会。最後は、今村明さんの相撲甚句。そして吉野さんの三三七拍子!

きのうをふりかえった

お昼前、厚狭の日蓮宗妙徳寺にお届け。梅雨明けおあずけ山口県でも真夏の陽射しが痛いほどふりそそいでいる。

ガンゼキのあとが美しい境内は「ぎやまん風鈴」が今年も数個涼やかな音色でむかえてくれた。「音」で涼を感じるという日本の文化。


昭和26年(私が誕生)、山口県を襲ったルース台風で400人以上の犠牲者を出した。河川治水が大きな課題となり、くわえて産業を興すための電力と工業用水。人口が増えたときの飲料水。

それを満たすための菅野ダムは、建設調査開始からダム本体完成まで10年かかっていない。


伊勢湾台風が富士山頂に気象観測ドームをつくらせた。黒部川ダムなど日本が発展していくための基礎が各地で建設された。


その菅野ダム建設に県職員として従事された松岡さんにご案内していただいた昨日の催しは意義深いことだった。


書いておきたいことのもうひとつ。

 

岡本拓也さんから「買った弁当を入れておく大型クーラーボックスを用意します」と連絡を受けて「ありがとうございます」と返事をした。この暑さで見学中の車内に積んだ弁当が気になっていた。道の駅で全員弁当購入。予定通りクーラーボックスにおさまった。

見学が終わりおそい昼食になった。食べ終えたころ岡本さんが弁当の容器を集めはじめた。各自で持ち帰るではなく「ボクが引き受けます」

些細な気づかいと言えばそうなるが、私はそこが嬉しかった。

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菅野ダム見学 25名で楽しく

いよいよその日になった。

5月、松岡さんお誕生日(83歳)の日、ご夫妻と仲間たちで秋吉台横断をした。家族旅行村~大正洞。


その道中で松岡さん夫妻は県職員として阿武川ダムと菅野ダム建設に従事されたことを聞いた「ダム内部の見学会をぜひ催してください」とお願いしたことが「菅野ダム見学会」になった。


参加者25名、私とのご縁はあるけれどお互いはわからないという皆さんがお集まりくださった。


ダム湖底は水深60m、その30m地点まで5人乗りエレベーターで降下してダム本体見学。菅野ダムから落差をつけて水を落としタービンをまわしての発電などしっかり勉強できた。


火力発電、原子力発電と比較すると発電能力は少ないが「水の落差(力)」だけで発電するから環境に負荷を与えない。加えて治水に貢献できる多目的ダムの意味がよく理解できた。


松岡さんご夫妻ありがとうございました。

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腰のカメラで撮り続ける

土曜日は5時に農園を出て、萩市から長門市、美祢市を配達してお昼前に農園に戻る。

きのう検診で朝食を抜いたので食べるリズムが変調かもわからない。今朝は食欲がなかった。


土曜日、道の駅「さんさん三見」に毎週立ち寄り撮っている「鯖島」。荒天のとき、雪のとき、快晴の朝、雨の朝といつも表情がかわる。

カメラを持って、私は風景を楽しむ目を養ってもらった。


Facebookではプロカメラマンのように鮮明に撮られた写真をたくさん拝見できて勉強になる。

私は、カメラはいつも腰のベルトにかけておける小型で軽い5年愛用のものを使い続けることにした。


腰にかけているので「!」と思ったら西部劇のガンマンのように早撃ちで構えることができる。


昼前に農園に戻り、家内が自宅からきて昼ごはん。


午後から3時間草刈正雄。

「あだち美術館」更新しました

下関市清末「レストラン卯」8時前にお届け。そこからUターンして宇部市内の病院でいつもの血圧検診に加えて「令和5年特定検診・がん検診」を受診した。この検診は毎年市から「重要」の印刷で封書が届いていたが20年以上無視してきた。とにかく受診せよと担当医から言われ、朝食抜きになった。


もう72年生きてきた。私より若くこれから期待される人の何人もお別れをした。悪いところ、あるかもわからない。元気に働ける力もまだある。

2週間後に結果を聞きに来られますかと問われ「次の血圧検診、9月のときでええですから」とこたえた。


1時にFacebookでご縁をいただいた「あだち美術館」でその作品を何度も紹介させてもらった藤井壌二さん(92歳)のお宅を訪ね、何万枚もストックされている20数年間の作品から特に「フォト川柳」を使わせてもらうお願い。


「フォト川柳」と「絵手紙」につうじる世界がありますねと言うと「ボクは絵が下手でカメラになった。それに川柳を添える楽しみを見いだした」と。

USBメモリーにたくさんの作品を入れて「お使いください」と預かった。


藤井さんお宅に着くまでに、朝と昼兼用の弁当を食べる。散髪を済ませる。家内の車を山口トヨタに預けて修理、代車を受けとる。

それを済ませた。


藤井壌二さんお宅を出て向かったのは大型商業施設フジグラン。ここのWi-Fi SPOTに接続するとなぜかサクサクとアップロード、ダウンロードができる。コンビニコーヒー(濃いめ)を買って「あだち美術館」更新をした。ほぼ60分で終わった。

短時間で終わった理由は、頭のなかでテーマの保護猫と保護犬ストーリーは出来ていた。商業施設のオープンエリアで騒がしいがはじめたら雑音は消えた。


朝と昼兼用の弁当です。

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カメラを持って視点が定まった

日曜日の菅野ダム見学。

参加者みなさんのご都合をうかがい、それを集約してスケジュールにした。今回プランナーの松岡さん(83歳)は緻密にスケジュールをつくられた。


笑い話としては。

美祢市の吉野さんは夫妻で参加される。タブレットにLINEアプリでアカウントもある。携帯電話ショートメールも使える。

参加者皆さんにLINEなどで通知したとき何日も既読にならない人が吉野さん。ショートメールで「LINEを読んでください」と通知しても未読。しかたがないので電話で「LINEを読んでください」とお願いしたが未読。とうとう会いに行って「読んでくれ」で終わった。と思ったら「着信がたくさんあるが何か用事かね」ときのう折り返しがあった。既読にならないので何度も電話をしたが出なかった。これからは電報を打つか。


私のように1日に何度もLINEなどを確認しなくてもよい生活をされている。そちらのほうこそよき人生。


カメラを持つことが習慣になって5年以上すぎた。撮ろうとする気持ちがいつもある。そのせいで見る力を養ってきたと思う。

今朝の海峡。船を撮るときの好みが決まってきた。単調に横からをずっと撮り続けで面白くないことがわかった。


海峡を抜けて右は豊後水道、左は瀬戸内海のどちらに舵をきるかの後ろ姿。それも朝、逆光で撮ることが癖になってきた。


慌ただしく走りまわる毎日。オイル交換時期を通過していた。トヨタ山口店がホームベースでも県内各所にトヨタ店がある。山口の岡本店長にお願いして美祢店で「オイル交換・エレメント交換・ワイパーブレード交換」を午後2時予約をお願いした。


美祢店では若い女性整備士が担当してくれた。30分ほどで終えてくれてキーを渡すとき「前輪ブレーキパットがあと2㎜です。後方ブレーキランプが接触不良でしたが叩いたらなおりました。次の点検、山口店に連絡しておきます」と。

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藤中さん個展開催中

2時に目があいた「まだ眠たいか」と自問自答の結果「テレビ録画番組をみよう」となった。3時半まで録画2本をゴロゴロ状態で再生。


ひとつは、ユダヤ人と日本人はルーツは同じという数々の根拠をあげて「ちがう」と根拠を示して否定した。


ひとつは、NHKのEテレ「趣味どき」いまはスマホが連載させている。iPhoneとAndroidの両方を教材にとてもわかりやすい講座になっている。LINEとTwitterがテーマだった。LINEは使っているがその基本的な知識、私のタブレットはAndroid、その機能でLINEを使ういろいろを教えてもらった。


5時に農園スタートできた。


8時「らんまん」観るのをやめて綾羅木海岸から響灘の大型船を撮った。その直後からバケツをかえしたような豪雨がはじまった。道路沿いのパチンコ店立体駐車場に入り雨具を着こんだ。


開催中の藤中さん個展会場にタマゴをお届け。長々と話さないがテンポよく1週間、互いの近況をかわした。

別れて壇具川沿いを歩いて車に向かっていると、功山寺方向に散策する若い女性に声をかけた「著名な作家の個展開催中です。見るだけ無料です」と飲み屋の客ひき。入り口まで案内したあとは知らんけど。


3時前、農園ゴールイン。睡魔に負けて30分のダウン。

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私の宝物はみなさんとのご縁

農園近く、厚東川に架かる沈下橋。正式名称は「荒来橋」を撮った。


この橋から数10メートル範囲の民家は床上浸水を被られた。荒来橋の由来がわかる川幅や蛇行が昔から橋を崩した。

その荒れ狂う濁流に対抗する頑丈な橋は流され、その経験から濁流を「受けて流す」合気道(知らんけど)精神のような橋を架けた。今回の濁流を受け流して健在だった。


23日、松岡夫妻のご尽力で菅野ダム内部見学ができる。日記やFacebookでご案内させてもらった。

きよう午後現在で25名が手をあげられた。その集合から解散までのお世話は、時間を含めた行程・乗り合わせる車がお世話の内容になる。


これまで萩市は浜崎と堀内散策2回。長府は1回。萩八景遊覧船は数回。秋吉台ウォーキングはたくさん。下関市立美術館や、植木紙店で淳貴くん作品鑑賞ツアー。村井先生切り絵見学ツアーやフルートコンサート。「ふく三昧唐戸屋」は4~5回松村御大お力添え。「てじよん韓国料理を楽しむ会」数回、「美祢市観光案内」は数えきれない。他にもたくさんお世話させてもらった。農園宴会は星の数。その数々の催しに参加のみなさんと事前と事後のお世話でうまれたご縁は私が自慢できる宝物。

迂回路で海峡絶景ポイント

月曜日は美祢市を広範囲に走る。


先日の豪雨水害で厚狭川そば平屋のお宅。床上浸水でほぼ全ての家財を失われた。家の泥出しと家財の運び出しは大勢のボランティアがお手伝いしてくれた。ここからは自力でもとの生活に戻さなければならいと奥さまの言葉に力がなかった。


その近く、やはり床上浸水のお宅。避難していた小学校から戻るときアスファルトがめくり上がった道路を歩きました。マンホールの蓋が流されており、そこに落ちないように歩きました。どのように生活を始めたらよいかまだわかりません。


いつも走る順路では走れない。道路陥没や崖崩れなどの通行止が多すぎる。


高齢化の過疎地はJR美祢線運休。田畑に土石が堆積など困難がはじまった。


山陽小野田市の配達先もため池そばの道が崩落して通行止。ふだんは通らない道を迂回路にした。

とおくに関門海峡が望める絶景の場所があった。木陰もあったので弁当をひろげた。

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日曜日、やりたいこと半分ぐらい達成

昨夜のFacebook投稿写真です。


6羽が飛び立ち。親2羽と電線に止まりました。親の抱卵は2度目。最初に孵化したのは4羽、ピイピイ声をあげて大きくなっていたときの朝、1羽が土間に堕ちて絶命。3羽の姿は消えました。おそらく大きなアオダイショウが生きるための栄養にしたと思います。

ヘビからツバメのヒナを守る術はありません。あるとすれば24時間巣を見守ることです。


4羽のヒナがピイピイ騒いでアオダイショウの生きる栄養になった。6羽のヒナがピイピイ騒いでも無事に巣だった。アオダイショウが生きる、ツバメが補食して生きる自然界がバランスを保とうとする働きを感じた。


美祢市豪雨災害。月曜日にお届けの特養老人ホーム「幸嶺園」は一階が横を流れる厚狭川が決壊して水没した。長年お世話になっている徳永あけみ理事長に電話をした「あすの日曜日、お手伝いに行きます」と言うと、水没した一階の整理は終わったので大丈夫と言われた。下関の松村さんは見舞いに駆けつけてくださり、浪花の荒川大将からもお見舞いを頂戴したと。


4時起床。日曜日、やりたいことはたくさんある。最初は掃除をした。農園トイレは風呂と一体型(ビジネスホテル)なかのシャンプーなどを全部外に出して壁の拭き掃除。便器と浴槽をメガネをかけてやった。


朝食は野菜をたくさん。


愛犬と長距離散歩で汗が出始めた。ショルダー草刈機で気になるところを刈った。


23日の菅野ダム見学ツアー参加者17名に案内をメールでお届け。


美祢市、道の駅「於福」の温泉10時開館すべりこみ。持ち込みのコンビニ弁当とお茶を休憩室で楽しみ午後2時まで休憩室でゴロゴロ。今週更新「あだち美術館」の準備もできた。

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早朝の萩市菊ヶ浜

寝るときシャツとパンツで敷き布団に転がりタオルケット。クーラーなしで網戸。夜中2時に涼しすぎて目がさめて部屋の戸を全部閉めた。例えていうと三瓶山や蒜山高原キャンプ場の心地よさ。山にかこまれ川にかこまれている。


5時に農園を出て萩市。浜崎など配達をおえて菊ヶ浜を通過その一枚。


11時前に農園ゴールイン。家内も自宅から着いた。ここで土曜日は終わらない。焼き飯をつくってくれた。


小石があたりひび割れした家内の軽四フロントガラスの取り替えを下関の江口さんにお願いした。それを受け取りに代車で下関(住吉神社そば)まで走った。下関から農園までの帰り道は眠かった。


この軽四は来週金曜日にサイドミラー開閉モーター不調の取り替えで山口トヨタに預ける。


今夜はとにかく眠りたい。

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「た」は主人の思い出だった

夜中に3度も目が覚めた。熟睡できないぐらい疲れていたのかもわからない。


明日の土曜日は早朝から萩市など走り、農園にいったん戻ってトヨタレンタカーで家内の車と交換に下関に向かう。日曜日、できたら菊川画廊、映画と温泉などに使いたい。

雨でどんどん雑草の背丈が伸びている。やるなら今朝、6時半から9時すぎまで強力草刈機ハンマーナイフと肩掛け草刈機のふたつを使った。


きょうは「あだち美術館」更新の日。自分に課せた更新日。

村上みつるさんの絵手紙作品10点は撮り終えている。今回は10点×3人で構成したいと考えていた。

きのう美祢市「た」さんの玄関ギャラリー作品を数点お預りした「ええです、持ってお帰り」と私がどう作品を使うかわからず預けてくださった。


もうひとつの絵手紙は厚狭駅の地域交流ステーションで撮った作品があると思っていた。4時におきてカメラの保存を探したがない。

そのとき気がついた。私のタブレットは写真を保存する容量が少ないので、撮った写真を消さずに残す方法はメモリーカードを差し替えることにした。それを思い出してメモリーカードをさがしたらあった!

厚狭駅地域交流ステーションで3月に掛けられた絵手紙作品が残っていた。


草刈りを済ませてハンマーナイフなど使ったものはエンジン高圧水で掃除。つくってくれた弁当を食べて湯田「温泉の森」に汗まみれで行った。


60分、サウナやジャグジーでさっぱりして休憩室のWi-Fiを使って「あだち美術館」更新。


美祢市の「た」さんお宅まで走った。

「あだち美術館」を見せて、こう使わせてもらいましたと。涙をふきながら「ありがとうございます」を連発「これで元気がでました」と。


亡くなられたご主人のネクタイピン(赤いサンゴ)をブローチにするなどしてご主人との思い出に生きておられる。

絵手紙の「た」は「私が消しゴムに彫刻刀で彫って押したら反対になった」主人が笑いながら「た」を彫ってくれた。それをいまも使っている。

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JR美祢線を撮りました

美祢市の豪雨災害から1週間以上たった。


前回の豪雨災害は10年前の9月。その明くる日木曜日は信じがたい災害現場を目の当たりにした。下関に向かう厚狭駅新幹線口の一帯は厚狭川氾濫で泥の海になっていた。


下関を終えて午後から菊川の配達に行くと河の氾濫で通行止と迂回路の連続。車をおいて徒歩で何軒もお届けした。


美祢市に向かう路上にはガレキが散乱していた。冷蔵庫など家電製品やタンスなど家財道具が路上に転がっていた。ここでも徒歩でお届けした。あるお宅は濁流が家のなかを通過しており柱が残っている惨状だった。


アメリカではハリケーン「カトリーナ」で水没した地域の復興で、自宅の建設は1階部分は頑丈な柱だけで、その上に自宅を建設すると補助金が出る仕組みになった。


自然災害が多発するなかで生活をされる人たちに、ガレキの処理だけでなく、次にあるかもわからない災害をかわす手だてを立案実行することが急務ではなかろうか。

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車の修理、保険手続きをしながら水曜日

東行庵の泳ぐ宝石たち。


めずらしく携帯電話の目覚ましアラーム(4時)に起こされた。もう少し寝たいなかできょうは何曜日?5時半までにはスタートしたい下関の水曜日。飛び起きた。


形山の「まるき」で水汲み10㍑。綾羅木海岸で連続ドラマ「らんまん」をみることができたから予定に遅れはない。


金曜日、家内の軽四ドアミラー不具合修理のため「不具合ヶ所を確認したい」とトヨタ岡本店長の連絡で山口市に行った。終わって湯田温泉「温泉の森」で2時間ジャグジー湯やサウナでリラックスした。


土曜日、家内が地域の郵便局に行ったときフロントガラスに20センチほどのひび割れを見つけた。何度かフロントガラスに小石があたり10万円ぐらいの修理費用を経験している。


家内の車を世話してもらった下関の江口さんに連絡して善処を頼んだ。その結果、車輌保険を使うことになり、明日の木曜日にレンタカー(代車)で農園に来てもらい、土曜日に私が下関まで代車で行き交換することになった。


その保険申請は私が電話で済ませることになる。配達をしながら書類割愛で電話で済ませてもらった。午後、その全部がおわった。


通常の水曜日のなかに保険申請手続きが入り、暑さもあり疲れて農園に戻った。

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山口市内は亜熱帯のような1日だった

豪雨と落雷で愛犬が騒いで寝不足が続いた。昨夜はしっかり寝が足りた。朝の血圧115・75と安定(降圧剤は服用している)


家内が数種類の野菜を刻んで大きなタッパに入れて帰る。それをやわらかくなるまで炒める、蒸して魚の粉をかけて主食。納豆と豆乳とバナナ少し。10時前には空腹感になる。


火曜日は山口市内。盆地はとにかく暑い。ペットボトル2本の水とホットコーヒー2杯。糸賀さんオフィスでマンゴージュースをご馳走になった。


国道9号線(旧道)湯田から市内に向かった11時ごろ、対向車線の真ん中を茶色の小動物がこちらに向かって歩いている。後続の車は延々と渋滞。その茶色は首輪が抜けたポメラニアンだった。


レスキューしたいが、ポメラニアンを乗せての配達はおそらく困難になる。渋滞車列のなかにパトカーがおったので「先頭は小型犬です」と教えた。


真夏の日射しが午後2時ごろ急転。真っ黒な雲がやってきて激しい雨になった。まるで亜熱帯のスコールのように通りすぎた。

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ふた晩連続の睡眠不足

土曜日、愛犬が落雷などにおびえて一晩中吠えまくり私は睡眠不足で日曜日をなんとか過ごした。温泉でさっぱりして酒はいつもよりおおくなった。しかも家内が泊まるので犬は任せて熟睡環境はととのった。


けれども10時ぐらいから雷鳴がとどろき出し、犬たち不安な声を出しはじめた。

上がり口の犬のそばに枕を持って行き蛍光灯をつけて寝ることにした。声をあげたら手をのばして撫でる。


ふた晩連続で睡眠不足。けれども愛犬たちとの絆はつよくなった気がする。


農園ツバメ6羽の合唱隊。


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山口市掃除に学ぶ会 重枝さん会長デビュー

昨夜はほとんど寝ることができなかった。

至近距離に落ちる落雷の地響き。真昼以上に部屋を明るくする稲妻。厚東川がゴウゴウと唸りをあげて流れる。その3点セットが揃い愛犬は恐怖のどん底で寝るどころではない。


老犬ハッピーはガタガタ震えて落ち着かない。元気盛りのゆきちゃん(4歳)はとにかく吠えまくる。

2頭を部屋の入り口まで入れて、その床に枕を持ってきて「ひと晩つきあおう」と横になった。犬も私も眠れないまま朝をむかえた。


私のブログは「ホーム画面」「掲示板」「あだち美術館」「日記」で構成している。私はブログの仕組みを理解せず更新を続けている。車の運転で例えたらペーパードライバー。陰でブログの運転を支援してもらっている人が重枝さん。

ブログを毎日更新しているが更新エラーを度々おこして重枝さんに「なんとかしてください」と頼んだことは数えきれない。重枝さんのパソコンは私になっている。


その重枝さんが山口市さんが山口市掃除に学ぶ会の代表デビューの日。前代表の岡本さんからバトンを渡されるとき重枝さんが立ち止まっておられた様子だったので「重枝さん代表を受けてください。重枝さんが代表を受けられたら老体の私ですができるだけ参加します」と背中を押した。

重枝さん掃除のお手伝いをこれから続けていきたい。

 

午後から家内の車修理で山口トヨタ。部品の確認など終え(修理は部品が届いてから)湯田温泉、温泉の森でゆっくりした。

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Google検索より吉野談義がよくわかる

ツバメが軒下に巣作りをした。最初に孵化して育っていた雛4羽は順調に成長し大きな声で餌を求めるようになった。その声を聞きつけてヘビが襲いひと晩のうちに3羽が食べられ、1羽が床のコンクリートに落下して絶命していた。


親はそれでも諦めず2度目の子育てを始めた。今度は6羽が育っている(写真)。


その巣にたどり着くには長く太いアオダイショウのアクロバット。これまで何年も雛を守ろうとできる限りの細工をした。ヘビが嫌うという薬品も使ったが効果はなかった。


けれども襲来の間隙をぬって昨年もたくさん巣だった。


アオダイショウの見た目で敵意を持たないようにしている。ツバメと同じように懸命に子孫を残そうとしている。アオダイショウは農園に生息するネズミも捕獲している。


人間のように趣味で動植物の命をとることはしない。


できれば6羽が無事巣だってほしいが、そうならなくても仕方がないと思うようになった。


先週の土曜日ほどの豪雨ではないが、雨の土曜日、萩市から長門市に美祢市の配達を終えた。


城下町と寺の関係は、戦(いくさ)のとき寺が出城の役割を果たすと耳したがその意味がわからず吉野さんに聞いた。


寺は周囲を土壁や塀で囲んでおり、その内側に櫓を組めば戦に使える。城下に点在する寺はそのとき要塞となる。「寺にすれば大迷惑ですね」寺は城主から様々な祈願を受けていた。寺は城主おかかえ(面倒をみてもらった)という相互関係があった。


戦といえば馬にまたがり疾走する武士が背中に派手な風船のようなものを着けているがあれは何か。あの武士は伝令役で背後から矢を撃たれても防御できる道具。派手さは伝令が疾走するから「道をあけい!」という、いまでいうと救急車の赤色ランプのようなものと。


私にとってはGoogle検索より吉野談義がよくわかる。

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「あだち美術館」更新しました

昨夜は唐戸魚市場で買った「特特大イワシ」が食卓にあがった。刺身・フライ・だんご揚げ・骨も揚げて。酒もたくさん飲んだ、早く寝るウォーミングアップ。

ところが録画番組をチェックしたら「プラトーン」が録画されていた。ベトナム戦争に従軍したアメリカ兵が目撃した生々しい戦場、ベトコンと戦いながら、生きるための自分の心との戦いが描写されている作品。何度も観た、ストーリーはわかっているがエンドロールまで観てしまった。泡盛をチビチビやりながら。


起きなくてもよい金曜日の4時。携帯電話の目覚ましアラームで目がさめた。


泊まった家内に「7時半」と朝食を頼んだ。


ゴミ焼却や大好きな犬の世話を済ませて6時。ショルダーの草刈機(年代物で重たい)を燃料満タンにして農園いちばん奥の草刈りに向かった。昨夜の泡盛もワインもビールも全部汗となって気分爽快。広い面積の全部をサマーカットにした。


シャワーで着替えて朝食。農園で「らんまん」を観おえてから小郡で散髪。9時開店の大型商業施設フロアのWi-Fiを60分使わせてもらって「あだち美術館」更新を終えた。


湯田温泉「温泉の森」サウナとジャグジー湯で90分、よく働いた老体をメンテナンス。休憩室ソファでゴロゴロ60分。


5年前の7月7日。山口市内「カメラのキタムラ」で愛用カメラを買った。


それまでブログやFacebook投稿に使う写真はタブレットのカメラ機能で撮っていた。それは使い勝手が悪くカメラが欲しいと思っていた。カメラを使ったことはほとんどなかったが。


カメラからタブレットに画像を送る機能にWi-Fiがあると知った。当時、私の理解は「Wi-Fi」と「Internet」が同じだった。農園にはInternet環境がないので便利なカメラは買えないと思いこんでいた。


七夕の日に山口市内で用事を済ませて「カメラのキタムラ」に立ち寄った。そのときの若い男性店員さんが「Internet」と「Wi-Fi」を私に理解できるよう説明してくれて私が使いたいカメラ機能(ブログとFacebook)を理解してくれて「これ!」と太鼓判カメラを出してくれた。3万円で少しお釣があった目的に対して一番安いカメラだった。

それを毎日腰につけて5年撮り続けている。


🔶ご案内です。

菅野ダム見学行程

7/23(日)

朴の森出発8時40分徳山市一の井手アルク到着9時40分弁当購入後出発菅野ダム到着10時40分.

見学11時〜12時

昼食(ダム公園)

12時〜12時30分

徳山発電所到着

13時10分

見学

13時30分〜15時

その後解散。

ダムでは堤内階段(家にすれば2階建ての高さ)を歩きます、発電所ではエレベーターで地下30メートルまで降りての見学です。

履物はスニーカーなど履き慣れて歩きやすいものが良いと思いますです。

以上不行き届きがあると思いますがご案内致します。

松岡秀男、和枝


なかなか見学できないエリアに入られるようです。ご希望のかたは私にお知らせください。

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ずぶ濡れの集金袋を頂戴した

過疎地に住む人たちと公共サービスについてきのう書いた。私は何を言いたいか。それがなかった。


日本のどこだったか記憶がたどれない。四国だったかもわからない。大河に阻まれ対岸まで大きく回り道を余儀なくされた地域の人たち。地域で橋を掛けようという声があがった。一軒あたり相当な金額を負担してしっかりした吊り橋ができた。


スマトラ津波で大部分の人たちは行政の支援を待っているなかで、先住民の人たちは自分たちのエリアを示して行政の復興計画を阻止した。

行政はその海岸線から住民を移らせてリゾート地計画をすすめていた。結局、エリアに阻まれてリゾート建設は頓挫した。


私が子供のとき「勤労奉仕」があった。地域こぞって草刈りなど和気あいあいだった。


なんでも行政に頼むという住民の意識を改革することが要る。


美祢市の幸嶺園に集金に行った。月曜日にお届けしたときの豪雨被災と変わらない、手がついていない状況を目の当たりにした。


職員さんが泥まみれの机の引出しから現金が入った集金袋をさがしてくれた。


あの豪雨の夜、ここで利用者さんたちの命をまもる懸命の働きがあったことがずぶ濡れの集金袋から伝わった。

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長靴はいて雨具完全装備の水曜日

「ショック・ドクトリン(ナオミ・クライン著)」を4回にわたり解説された堤未果(国際ジャーナリスト)さんの締めくくりは。

私が好きでない政党がなにを主張しているか。私が好きではない人が私に何を言っているのか。しっかり聴いたほうがよい。


その言葉で私が理解したことは。例えば「焼き肉大好き」連日その好きなものばかり食べる。それより野菜も魚も食べる。


金曜日「あだち美術館」は藤中さん沖縄旅行の写真を載せる予定にしている。そのなかで藤中さんの魅力のいったんを紹介できたらと思って話し込んだ。


下関には文化人たちが定期的に集い、ひとりの方の人生をしっかり傾聴する。そのなかで「あっ、そういう考えもあるのか」と気づきがあったり「その考えかたは私には無理」とか。


そういう意味では、私がきょうお会いした人の話をしっかり聴くことで私がつくられていく。


下関から美祢市に移動のとき豪雨で落ちた美祢線橋脚のそばを通過した。


地域住民は「ショック・ドクトリン」かもわからない。なにか強い言葉で導かれると賛成と両手をあげるかもわからない。その言葉の裏側はどうなっているのか。


30年ぐらい前、水害で被災した山あいの集落があった。被災前から行政としては過疎の集落に道路や上下水道、インフラ整備の予算に悩んでいた。


災害を機に公営住宅を山あいから町にちかい場所に建設して「便利になりますよ」と入居を促した。果たしてそれは幸せになることだったのか。

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農園はクーラー使わず快適

運転疲れで8時ごろには夢の中。暑くなり8時までも持たない日が多くなった。


読書は目が疲れてページがすすまないので、テレビ番組(NHK総合・Eテレ・BSプレミアム3局をしっかりチェクして予約録画している。


それを見る時間帯は早く目覚めた朝。

今朝は2時にスッキリ目覚めた「100分de名著ショック・ドクトリンNo.4(最終)」を録画再生した。すべて見終わって、今度はテキストを読む。


地震や台風(ハリケーン)にテロなど「惨事」が起きたとき、人々がパニックのとき「ここぞ」とばかりに莫大な金儲けを仕掛けるその仕組みの一端が理解できた。


コロナやマイナンバーカード。国民は危機感をあおられたり、便利さを強調され2万円ものお金で期日を切られた。その舞台裏では、それに加担している政府が任命した有識者という人たちの言動に私は疑問がうまれた。2万円に舞い上がってマイナンバーカード取得。ワクチン接触で家内との宿泊費半額の恩恵に浴した。


いま台湾有事が話題にあがり、ロシアとウクライナ戦争がそれを後押しして軍備予算が増えている。これも「惨事」を想定したシナリオが動いているように思われた。


萩八景遊覧船の夕陽鑑賞コースがはじまった。


 7/1~8/31まで 日没30分前

当日 1600まで予約(0838-21-7708)

(料)¥1000 小学生以下¥500 3才未満 無料


30日は萩弁の梅津栄さん舟頭当番です。ご参加希望のかたはお知らせください。


写真は梅津さんカメラです。

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自然の営みは無情のときもある

7時半に美祢市。プチラボの次は幸嶺園(特養)、徳永理事長が被災しているので玄関を開けて中に置いてください。いつもは外のボックス。

駐車場は泥がたい積。運び出された事務所の泥に浸かった椅子などが積み上げられていた。玄関を開けるとここも泥。悪臭が漂っていた。


開業100年を迎えるJR美祢線は鉄橋が各所で崩落。ただでさえ赤字路線で存続が危ぶまれているところに見通しが立たないと報じられる災害。


何軒かお届け先のお宅も濁流が家のなかを流し、どこから手をつけたらよいか呆然としておられた。


車の自動運転、生成的人工知能がもてはやされても自然の営みの前に、それらでもなす術がない。


アスファルトの道路を濁流が通過すると、アスファルト下の砂利など補強材を流し、アスファルトの路面をめくり上がらせる力があることを目撃した。


農園道路は長年スコップで砂利を敷いたが、部分的にそれを流された。大型ダンプ2台ぐらいの砂利で修復作業がはじまる。

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ムカデの次はヘビで7月がはじまった

深夜2時に7月が始まった。

落雷と激しい雨音におびえるのは「ゆきちゃん」時計を見たら2時。用足しさせて落ち着かせるかと外に出るとき傘を探した。昨夜、軒下にフロントを入れた愛車のサイドミラーに傘をかけていた。それが風で転がっていた。


そばの厚東川が増水していることはどぶ臭いにおいと濁流の音でわかった。


傘を拾い上げてさしたらドサッと傘から肩に落ちた長いモノ。ムカデの次はヘビだった。つかんで放り投げた。7月はヘビで始まった。


5時、少し明るくなり外に出たら厚東川が川土手を越水して道が綾羅木海岸のようになっていた。少し低い車庫の水位がどんどんあがっている。軽四ダンプと小型ユンボを移動させた。


土曜日は萩市から長門市、美祢市のお届けがある。待っている旅館もあるが農園は陸の孤島。7時に少し水位が落ちたので橋を渡ることができるか徒歩で確認。橋の橋脚に激しくあたる流木の音が地響きをたてていた。渡れると判断して農園を出た。


県道に出て右折で萩方面。その先でパトカーが赤色灯でスピーカーの大音量「この先道路冠水で通行止!」ならばと迂回。

右の山から滝のように路面に流れる悪路を走っていると対向車がきた。左端に寄りたくないけれど寄ったとき車が止まった。

山から大量のまさ土が路面にたい積して、そのなかにタイヤ4本とも埋もれた。前後のバンバーまで土のなか。


なんとか脱出する方法を考えた。大量の水が山から流れているのでタイヤの後ろを素手で掘ったら掘れる。掘った土は流れるからそこに石を積めることを始めた。4本のタイヤに道をつけた。


そこに対向車の男性が通り過ぎて雨のなかおりてきた「押しましょう!」革靴でカッターシャツ。前から押してくれたが動かない。トラックがきた、たくましい男ふたりがおりて「前進してみよう」と男たち3人がずぶ濡れになって押してくれた。


アスファルトの路面に脱出できた。あとからお礼したいのでと名刺か連絡先を聞いたか手をあげて走り去った。


このお礼は、路上で困った人に遭遇したとき必ずお手伝いすることでお返ししたい。


通行止と迂回路を繰り返し土曜日の目的を無事に果たして農園に戻った。寝不足と疲労困憊。   

 

家内も自宅からたどり着いて昼ごはん。そのあと転がったら3時間ほど寝ていた。

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