ずぶ濡れの集金袋を頂戴した

過疎地に住む人たちと公共サービスについてきのう書いた。私は何を言いたいか。それがなかった。


日本のどこだったか記憶がたどれない。四国だったかもわからない。大河に阻まれ対岸まで大きく回り道を余儀なくされた地域の人たち。地域で橋を掛けようという声があがった。一軒あたり相当な金額を負担してしっかりした吊り橋ができた。


スマトラ津波で大部分の人たちは行政の支援を待っているなかで、先住民の人たちは自分たちのエリアを示して行政の復興計画を阻止した。

行政はその海岸線から住民を移らせてリゾート地計画をすすめていた。結局、エリアに阻まれてリゾート建設は頓挫した。


私が子供のとき「勤労奉仕」があった。地域こぞって草刈りなど和気あいあいだった。


なんでも行政に頼むという住民の意識を改革することが要る。


美祢市の幸嶺園に集金に行った。月曜日にお届けしたときの豪雨被災と変わらない、手がついていない状況を目の当たりにした。


職員さんが泥まみれの机の引出しから現金が入った集金袋をさがしてくれた。


あの豪雨の夜、ここで利用者さんたちの命をまもる懸命の働きがあったことがずぶ濡れの集金袋から伝わった。