怪我の功名 Wi-Fiルーター設定の巻き

2ヶ月前から使いはじめたWi-Fiルーター。20GB契約で月額2000円。

回線はdocomoを使うので安定して使えるというカタログ表示に、私のネット環境支援者の重枝さんは少し首をかしげた。回線はdocomoユーザーが優先するので昼休みや夕方、回線を使う人数が増えると格安Wi-Fiルーターは速度がおちる。そこで「農園は田舎だからdocomoユーザーが少ないので問題ないでしょう」と言ったら。


田舎は田舎に合わせた基地局。都会は都会に合わせた数の基地局になっているから使う場所には関係ないと教えてもらった。


使い始めてそれは彼が言うとおりだとわかった。例えば金曜日のお昼ごろ「あだち美術館」を更新すると、約20枚の写真をアップロードが遅々としてすすまない。Wi-Fiルーターの接続を切って、私のタブレット(docomo契約/月5GB)にするとサクサク動く。


Wi-Fiルーターとの付き合い方に慣れてきた。写真で表示されている当月の使用GBは12GB。


下関から戻って3時ごろ、タブレットとWi-Fiルーターの接続が切れた「パスワード入力」をもとめられたがわからない。商品到着のとき開封したなかにバーコードがありそれを読みとってなんとなく簡単に接続できた。前のポケットWi-Fiはパスワードが印字された紙があった。


説明書を出して「簡単接続」の項目を読んだ。けれども専門用語があり私には簡単ではない。30分ほど苦戦して重枝さんに「接続ができなかったらお宅に行きますので教えてください」と半分あきらめの電話をかけた。


私の欠点は説明書をじっくり読まない「せっかち」読まずに目的を早く達成したい性格は数々の失敗でわかっている。


正座して説明書のはじめから読んだ。そして最後の接続QRコードを、説明書指定のアプリをダウンロードしそのQRコード読み取りでスキャンした。それで勝手にタブレットとWi-Fiルーターの関係が復活できた。


家内のスマホを同じ手口でやってみたらWi-Fiルーターに接続できた。


水曜日の配達終わりは加奈ちゃんプチラボ「おいちゃん白髪が増えたね!」とあけすけに言われた「明日の配達のときは緑色に染めてくるわい!」


白髪は人生を歩んだ私の勲章。

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愛犬も私も老いていくのか

深夜1時だった。

2階の階段踊り場で寝ている愛犬2頭がゴソゴソ動く音で目があいた。そのゴソゴソの原因は寝ている布団のなかでわかった。


老犬ハッピーがウンチをした。見に行ったらそれは大当たりだった。農園で15年、その前がわからない。

老化がすすみ撫でると骨がわかるまでになった。朝は少しだけ食べる。夕方は定量のドッグフードに食い付きはよい。朝夕、2回の排便もできる。けれども夜中にやってしまった。


しっかり掃除をして消臭スプレーをそこに噴射した。


小雨の深夜の出来事。私も一緒に老いていく。


「掲示板」に毎日載せる弁当を撮っただけで山口市から農園に戻っていた。小野の山道を走っていたら道路脇の上に小さなお堂が見えた。

雨が降っていたので車内から撮った一枚です。


萩市「田床山」からの眺望がよいとFacebook投稿で知った。車であがらずハイキングコースで山頂を目指してみたい。

今年の春からご縁ができた萩八景遊覧船「くらえ」の船頭、梅津さんに「たどこやま」についてメールで問い合わせたら直後に詳細なご案内を返信してもらえた。

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菊川さんとの思い出

先日、71歳の誕生日をむかえた。


たくさんの人から支えてもらって人生街道を歩んできた。そのなかの一人に菊川さんがある。出会ったころの私は仕事も遊びもアクセル全開。画廊のあるじと芸術談義をする気はなかった。

ところが当時の菊川さんは楽しい大酒呑みで芸術談義は全くなしで安い酒場で人生を語り合った。


年齢がちかいこと、まったくゼロから裸一貫で仕事をはじめた無鉄砲と信仰体験が共通点だった。


宇部市立東岐波小学校を会場に、第一回「宇部掃除に学ぶ会」の参加メンバー5人のなかの一人は菊川さん。

画家の石原忠幸(故人)さんと菊川さんと3人で九州旅行などたくさんの思い出がある。


家内が「菊川さんが載っている」と地元紙を持ってきた。短い文面のなかに菊川さんの人生が私は読めた。


「掲示板」に載せた水村喜一郎展覧会。ご覧ください。

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充実の日曜日になりました

長府のシフォンケーキ「ポポラス」のお母さん念願のプライベートガーデンが完成した。造園は笑顔がトレードマークの若い人が手掛けた。その仕事を一度だけ拝見した。


前の庭から想像もつかないような空間になっていた。とくに木の剪定は大胆だと思い「聞いていいですか」と声をかけた。手をとめて笑顔で振り向いてくれた。


私が20数年前、川土手に植えた桜が約30本あります。花が散ったあと「イラ」と呼ばれる毛虫が大発生して葉を食い荒らす。殺虫剤も何度か使うが、秋に桜の葉が紅葉して冬をむかえる風情にしたいがどうしたらええですか?


その桜並木を見に行かなくても見えます。一度も枝の剪定をされていないでしょう。葉が繁り風とおしが悪く、その葉には雨もあたらない毛虫が繁殖する絶好の環境になっています。


梅を切らない、桜を切るなんとか。あれは間違っています。桜こそしっかり剪定して風とおしをよくしてください。


翌日から配達で走る各地の桜並木に目をこらすことになった。確かに繁り放題ではなく枝が重なり合わない剪定になっている。


30本もの剪定をどうするか。

農園をはじめた当時は活躍した大型チェンソーはあるが手入れをしていない。一度、台風で折れたすぎにまたがり切っていたとき杉が弾いてまわっているチェンソーが顔の前まできた。

使い方を誰にも習わずに自己流で椎茸原木の伐採などやっていた。その杉がはじいたときからチェンソーを使うことをやめた。


もうひとつは小型のユンボ。スコップと一輪車では農園内の作業は無理。ユンボと軽トラダンプを買って今ではなんでもできる。ユンボの免許はないが、土木作業の現場でプロのオペレータのやり方を見て習った。


桜並木の剪定はわかった。その道具選びになった。チェンソーは重い危険。電動チェンソーなどネットで検討した結果。コストパフォーマンスで上等な「ノコギリ」に決めた。きのうホームセンターで4000円のそれを購入した。


今朝7時前から10時まで「ノコギリ」と脚立で川土手の桜並木に挑んだ。


ゴトッから「ハンドサイン手話コンサート」に出掛けた。


充実の日曜日になった。

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充実の日曜日になりました

長府のシフォンケーキ「ポポラス」のお母さん念願のプライベートガーデンが完成した。造園は笑顔がトレードマークの若い人が手掛けた。その仕事を一度だけ拝見した。


前の庭から想像もつかないような空間になっていた。とくに木の剪定は大胆だと思い「聞いていいですか」と声をかけた。手をとめて笑顔で振り向いてくれた。


私が20数年前、川土手に植えた桜が約30本あります。花が散ったあと「イラ」と呼ばれる毛虫が大発生して葉を食い荒らす。殺虫剤も何度か使うが、秋に桜の葉が紅葉して冬をむかえる風情にしたいがどうしたらええですか?


その桜並木を見に行かなくても見えます。一度も枝の剪定をされていないでしょう。葉が繁り風とおしが悪く、その葉には雨もあたらない毛虫が繁殖する絶好の環境になっています。


梅を切らない、桜を切るなんとか。あれは間違っています。桜こそしっかり剪定して風とおしをよくしてください。


翌日から配達で走る各地の桜並木に目をこらすことになった。確かに繁り放題ではなく枝が重なり合わない剪定になっている。


30本もの剪定をどうするか。

農園をはじめた当時は活躍した大型チェンソーはあるが手入れをしていない。一度、台風で折れたすぎにまたがり切っていたとき杉が弾いてまわっているチェンソーが顔の前まできた。

使い方を誰にも習わずに自己流で椎茸原木の伐採などやっていた。その杉がはじいたときからチェンソーを使うことをやめた。


もうひとつは小型のユンボ。スコップと一輪車では農園内の作業は無理。ユンボと軽トラダンプを買って今ではなんでもできる。ユンボの免許はないが、土木作業の現場でプロのオペレータのやり方を見て習った。


桜並木の剪定はわかった。その道具選びになった。チェンソーは重い危険。電動チェンソーなどネットで検討した結果。コストパフォーマンスで上等な「ノコギリ」に決めた。きのうホームセンターで4000円のそれを購入した。


今朝7時前から10時まで「ノコギリ」と脚立で川土手の桜並木に挑んだ。


ゴトッから「ハンドサイン手話コンサート」に出掛けた。


充実の日曜日になった。

車内のネズミを駆除できた

下関市清末のレストラン「卯」。おそらく農園と同じ時期にオープンされた。オーナーシェフの金刺さんとはお掃除で知り合い、その後は宇部と下関の夜の街探検。農園たまごをずっとごひいきにしてもらっている。私よりひとまわり若い「卯年」。


唐突に「ヤギを探しています」とLINEが数ヶ月前に届いた。料理に使うのかと思ったら菊川に新規出店された「うさぎ茶屋」のマスコットにしたいということだった。ヤギで私の引出しを探して出てきたのは淳貴君。「ツッチー」と淳貴君が言うお店で飼われているミニブタや鶏などのなかにヤギもいる。淳貴君のお母さんに金刺さんのことを伝えてご縁が結ばれて「ゆきちゃん」がお輿入れした。改名して元気に暮らしている。

「人なつっこい」のは淳貴君が可愛がったから。


戦いがはじまったのは今月の3日(木曜日)だった。下関市内のコンビニで朝のコーヒーを楽しんでいたとき荷室からゴトッとひとつ音が聞こえた。直後に助手席シートを大きなネズミが走って足元に消えた。そのとき思ったことは、どこか停車中に紛れ込んだネズミが車の外に出た。


数日あとの寒い朝。車の暖房を入れても温風が出ない。一番強力にしても出ない。山口トヨタ山口店に立ち寄りファンが故障していると修理をたのんだら「エレメントを、おそらくネズミがかじっていました」と。あのネズミを思い出した。


ネズミは車内のどこかに潜んでいるのか。夜な夜な外から車内に入るのかを確認するため車内にエサのチーズを数ヶ所置いて、農園でとめる場所を変えた。チーズは食べられた。


車検があった。2泊3日でトヨタに車を預ける。車体のどこかに潜んでいても水や食べ物を求めてトヨタの整備工場に出るだろう。


車検を済ませた。

その日の夕方に荷室に載せたモノをかじっていた。糞もあった。


つまりネズミは車体のどこかに潜んでいる。


チーズは好物らしい。ホームセンターで捕獲用の粘着シートを3枚買った。そのシートのそばにチーズを置いた。ふた晩目のきのう朝、粘着シートにあのネズミがかかっていた。


昨夜、好物のチーズを車内の何ヵ所かに置いた。今朝それは食べられていなかった。


美祢市のプロパン店に今朝配達に行ったとそれを話題にしたら「ガスレンジの配線をネズミがかじる」ぐらいならまだしも、ゴムホースをかじったこともある。


その対処は殺鼠剤よりも粘着シートを使う。

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胸のつかえがおりたポポラスの庭

月末の金曜日は下関市内の集金にうかがう。

その目的ではないが長府シフォンケーキ「ポポラス」に立ち寄った。


半月ほど前の水曜日。たまごのお届けでお店に行ったときポポラス仲さんのお母さんが「お庭ができたのよ」と満面の笑みで私を迎えてくださった。そのとき先の配達を急いでいたので「ああ、そうですか」で庭を見ずに先を急いだ。


そのことがずっと「庭を案内してもらったらよかった」と心に残っていた。先日の水曜日、お母さんとお会いできたので「金曜日の9時半ごろお庭を見せてください」とお願いしたら「お待ちしていますよ」と笑顔で応えてもらった。


ポポラス到着。お母さんは庭で待っていてた。

この庭の完成はずっと先になる。とてもセンスのよい若い庭師さんがまとめてくださった。完成は木々が成長したとき素晴らしい庭になる。

完成の日。夜の点灯式は庭師さんプロデュース。点灯の時間までは立ち入りを断られた。パッと点灯したとき周りから隔絶された夢のようなプライベート空間になった。


お庭の木々が成長するまで元気でおりたい、このお庭が私の生きがいになりました。


この喜びを聞くことができて胸のつかえがおりた気持ちになった。


🔶「あだち美術館」更新しました。

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イワシの刺身とキビナゴが肴の木曜日

木曜日は下関市内から菊川、美祢市の約250㎞を10時間で走る。

下関市内の配達は細い石段をあがるお宅が何軒かある。かなり離れた場所にハザードランプを点滅させて小走り。石段を駆けあがるとき視線を感じて見上げたら仲良しの柴が見下ろしていた。


はじめての配達は彦島弟子侍東町。

知り合いから農園たまごをもらって食べた。とても美味しかった。わざわざ農園まで来られて「配達してくださいませんか」とお願いに来られた方のお宅。その初回お届け日がきょうだった。


カーナビでルート案内を頼りに走るとき一旦停止違反で何度も違反切符をもらっている。住宅街の一方通行を逆走して切符を切られたこともある。


農園でカーナビ地点登録を済ませて先週の木曜日にほぼご自宅まで到達した。きょうは安全運転でお宅に到着できた。


配達の終わりはプチラボベーカリー。お届けと買い物を済ませた。於福温泉で疲れを洗い流す予定だったが於福まで走る気力がなく農園に戻った。


「鮮度抜群!」と魚市場で声をかけられた大きなイワシは刺身。キビナゴひと山は天婦羅に刺身など、今夜は農園泊まりの家内がつくる。しっかり休んで明日も下関。

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待望の雨になった

長府の覚苑寺(かくおんじ)の乃木大将を撮ることができた。長府は毎週水曜日、お寺のすぐちかくに配達があり実はきょうで3回、拝観料200円×三回を払って念願かなった。


拝観料は私の記憶では今年からはじまった。けれども見事な紅葉は庭師の手入れがある。トイレも使うから当然だと思う。小雨のなかを訪れる車を笑顔で駐車整理をされる人に「ありがとうございます見事でした」とお礼の声かけをした。


乃木希典(乃木大将)は司馬遼太郎が短編「殉死」で愚将として書いた。西南の役で聯隊旗を薩摩に奪われたことが愚将として一番の評価だったように読んだ。

その「愚将」に憤慨した古川薫先生は「斜陽に立つ」で乃木希典と児玉源太郎を長州人としての視点から世に出された。

明治天皇崩御のあとをおって自刃された。学習院初代院長として学問の神として乃木神社が創建された。


私がおそらく一歳のころ、半袖の母が満面の笑みで私を抱いている写真。それはこま犬が背景にあった。その写真を母に見せて「ここはどこかね」「誰が撮ったのかね」と聞いても「忘れた」と。

晩年、意識がもうろうのとき「どこかね」と写真を見せたら「乃木神社」と嬉しそうにつぶやいた。


乃木大将は母の笑顔につながる私のキーワード。


昨夜から久しぶりの雨になった。

農園の井戸は水位が下がり続けていたので屋根の雨音が心地よく眠れた。

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すてきな絵手紙を頂戴しました

すてきな絵手紙を頂戴した。

私に宛てて時間をかけて描いていただいたお気持ちをしっかり受け取れた。


火曜日は6時半に農園スタート。いつもは5時ごろスタートなのでゆっくりできる。部屋とトイレ。台所をしっかり掃除をした。整えた部屋をあとにするときは気持ちがよい。


政治と金や選挙で大臣が次々に辞職に追い込まれる。

それより、政治家の特権「文書・交通費」は毎月100万円、その使い道も領収書も問われず。満額が政治家に支給されている。年間で1200万円それを4年ものあいだポケットに入れることこそが「政治と金」の体質。けれども、それを廃止しようと声をあげる政治家はいない。

国民の生活と安全をまもる。という政治家の建前と本音には大きなギャップがある。


昨夜の録画「シャル・ウィ・ダンス」をこれから楽しむ。

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妙徳寺の紅葉は素晴らしかった

晩秋の秋吉台は見渡す限りススキの海だった。そのなかを歩いているとき、私の身体が喜んでいるように思えた。歩いて心地よい疲れでぐっすり眠って身も心もリフレッシュできて今朝をむかえた。


厚狭の日蓮宗妙徳寺の紅葉が月曜日の感動のひとつになった。

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掲示板を晩秋の秋吉台にしました

20日の日曜日は雨予報だった。

きのう予報が曇りに変わった。予定はあったが秋吉台ウォーキングに変更した。9月から11月が開花のリンドウをもう一度見ておこうと思った。

いつもは雲海を楽しみに早朝スタートしていた。リンドウは日が射してツボミが開花することがやっとわかった。「大正洞」を2時4分の防長バスに乗って「秋吉台」まで戻ればリンドウが多く咲いている真名ヶ岳を歩いたらよい。


ススキとリンドウの晩秋をひとり歩くには勿体ないので「11時半、秋吉台集合」のLINEを数名に送った。重枝さんと徳重さんが手をあげた。


私は9時半に長者ヶ原パーキングに到着。二人が到着前に「地獄台」を歩くことにした。秋吉台で石灰岩がたくさん見られるところは「地獄台」リュックは車においてカメラだけ腰に着けて石灰岩とススキをしっかり楽しんだ。


コンビニの「ツナマヨおにぎり」をふたつ食べ終わったころ二人と合流。

長者ヶ原から真名ヶ岳をこえて大正洞まで約70分の行程は最高のピクニックになった。


🔶「掲示板」でご覧ください。


大正洞パーキングのフォトギャラリー「写創蔵」に立ち寄り。開催の展覧会は見事な作品の数々に魅了された。


Facebookでみなさんの素晴らしい写真を見るたびに私のカメラをグレードアップしたいと思っていたことをギャラリーで素朴な質問をした。ここは写真家が立ち寄るギャラリー。そこで、CanonでWi-Fiが使える一番安いカメラを3万円で5年前に買ったことを質問した。


よく撮れたと思った一枚をコンビニのマルチコピー機でプリンしたらタブレットの画面で見る写真とは違うとても画質の荒いものになる。そのカメラ構造をよく教えてもらった。


5年前に買ったCanonの同型を店で説明を受けたら、それだけで、3万円で格段にグレードアップしている。それは画素数をはじめ多くの改良をされている。


晩秋の秋吉台を楽しんでカメラの勉強もできた。

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好天なら明日も秋吉台を歩く

昨年の今月、旧旭村佐々並を散策していたとき花壇かと遠目に見えたものは唐辛子だった。


旭村は「ぎじろくセンター」創業時、最初に旭村議会会議録をご契約いただいた。大石村長、椿収入役、竹内総務課長に石田総務係長には親しくしていただき「会社頑張れよ」といつも応援してもらった大恩がある思い出の佐々並。


新保さんお声かけで萩往還道ワンコイン(500円)で区切りながら歩いている。

1回目は萩市梅林公園から明木。女性ガイドお二人が引率してくださり歴史にふれた。

2回目は明木から佐々並までをベテランガイドの大石さん(ご高齢)が健脚コースを担当してもらった。もし疲れた人があったらと奥さまが自家用で見守ってくださった。小雨のなか踏破して佐々並豆腐のコース料理を新保さんの手配でおいしくいただいた。


来月の4日。佐々並から県庁までの2時間行程を歩く。今回のガイドさんは歴史家の松前先生(と言っておく)を新保さんのご縁で昔のキャバレーのように指名した。維新の長州はとても詳しい方で、しかも解説は大学時代の落研で鍛えた名解説はバリバリの山口ウチナーグチ。


毛利の殿様。参勤交代のときは三田尻までの往還道。萩から山口までがまる一日。多いときの行列は1600人が山々を越えた。


参加はまだ受付中です。私までご連絡ください。


秋吉台フォトギャラリー「写創蔵」の展覧会に明日は行く予定。秋吉台長者ヶ森から徒歩で約70分。好天なら仲間とワイワイ歩く。

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晩秋の秋吉台を楽しんだ金曜日

昨夜はヘトヘトに疲れていた。

小イワシとカツオのたたきを3本のビールとワインで美味しく食べた。最後は「たたき丼」におろしたニンニクをぶち入れて体力回復のオマジナイをした。


天気は一円玉(崩しようがない)予報になった。早朝は冷え込み昼間は快晴。元気に目があいたら秋吉台に雲海を見に行こうと思った。それは、着替えもしないでシャワーも使わず8時前に布団にダウンしながら思っただけ。


3時に目があいた。ニンニクの効用かもわからないが木曜日の疲れが完全リセットしていた。


きょうは家内と私の愛車。2台揃って車検に出す。


早朝の雲海を見たいので7時に軽トラダンプで出発!家族旅行村から龍護峰ルートの雑木林に動物の爪跡を前回見た。イノシシが掘り返した跡もあるので「熊鈴」をリュックにつけた。


想像したとおり、晩秋の龍護峰からススキと雲海が迎えてくれた。2時間半ほど歩きまわり早朝の秋吉台を終わった。


湯田温泉「温泉の森」でサウナ10分を2回。しっかり汗を出した。ジャグジー湯で足の裏から腰までマッサージ。あとは寝て入れるお湯で指がほとびるまでつかった。


湯上がり、施設のWi-Fiを使って「あだち美術館」を更新。お入りください。

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週の山場 木曜日をやりきった

「ちょぼハウス」に水曜日通って、スペシャルのみなさんとの会話で多くのことを学んでいる。


ダウン症の子供と親子のLINEを始めたと言われ会話を見せてもらった「お母さん大好き」の文字がたくさん目にとまった。お父さんは少し厳しいので苦手らしい。けれども父親参観日では「お父さん大好き」と教室で言ったとか。

いわゆる「空気をよむ」その力はあるとお母さんの弁。


淳貴君のお母さん。つねに「淳貴、どっちにする」とか「どうしたい」と淳貴君の判断に任せる。それは選挙の投票でも淳貴君が選んだ一票を投じさせる。


小学生のとき、前の日から続いた腹痛が朝になって我慢できないほどになった。それを母に言うと「学校を休んでも世話をする人がおらんから辛抱して行け」と職場に行く支度をしながら学校に出された。


学校に行ったら痛みは激しくなり保健室に行ったら家に帰りなさいとなり、痛みをこらえて母の職場まで歩いた。病院にバスに乗ってひとりで行ったら盲腸炎が化膿して膿がでている。緊急の手術になった。化膿どめの抗生物質がつかえない体質で、術後は傷口を縫合せずに毎日そこから膿をとる野戦病院のような治療になった。


母は9人兄妹の長女で、親に決められて奉公に出されたと聞いている。


「どうする」と母から選択肢を与えられたことはなく精神論のようなことで私は育てられた。その私の子育は「教育」とは縁遠いことになった。

子育ても社員さんとのことも反省の山を築いている。


今朝の唐戸魚市場。カツオのたたき半身と小イワシをひと山同じ店で買った。100円まけてくれて1300円。ブリやフクがならび始めた。


あすの朝、元気に起きたら秋吉台。


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水曜日を元気いっぱいおえた

綾羅木のお届け先は機織り先生。淳貴君もこの先生から習っている。

阿武町まで教えに行かれる。その阿武町の古い町並みが素敵だと話された。阿武町は女性百姓の吉岡さんに町並みの魅力を教えてと尋ねたら「そんな町並みはない」と返事をした。


今朝、機織り先生が町並みを話されたので「来週まで地図を描いてください行きますから」と町並みと旨い店を紹介してもらうことになった。


食べ物に話題がうつると。阿武町のパテシェさんが長門市の旅館「大正館」にとてもおいしいロールケーキを届けていると機織り生徒さんがわざわざ長門市まで案内してもらってロールケーキをいただいた。これが絶品でしたよ!長門市に行ったら「大正館」ですよ。


そのパテシェは毎週土曜日に萩市で中継のお届けをしているロールケーキの「ペリッチョ」の渋谷さん。神戸でパテシェ。阿武町が好きになり空き家バンク?で阿武町の住人となった。百姓の吉岡さんと仲良しになり農園たまごをつかったロールケーキ。


たまにLINEで「あだちさん、土曜日まで待てないので農園に30個買いに行きます」と。片道90分以上かけても買い求めに来られる。足りなかったらスーパーマーケットで調達は彼女にはない。


水曜日の下関を終えてラストはプチラボベーカリー。午後1時は必ず立ち寄る厚保地域ステーション。もう4~5年は立ち寄ってトイレを借りてから少しの時間みなさんと交流。木曜日も立ち寄る。


きよう立ち寄ったら「たまご屋さーん!」とステーションから手をふるご婦人ふたり。あす木曜日に配達をする金比羅交差点近くのお客さまだった。加奈ちゃんのお店でランチを済ませてFacebookや農園日記で知った交流ステーションに立ち寄った。


車で3分の神功皇后神社にご案内して別れた。

 

長府の紅葉が綺麗だった。

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人間関係は距離がたいせつかも

高齢犬のハッピー。農園生活は15年ぐらいになる。11月の終わりに防府市で保護してもらったお宅に引き受けに行った。7匹の授乳でぼろぼろに痩せて6kgぐらいだった。農園生活で本来の体格に戻り15kg以上をキープしていた。


とくに最近は食欲がおちて撫でると骨格がわかるほどになった。昼間は外で陽にあたって寝ている。夜は私の枕元でかるいイビキをたてて寝る。

夜中に私を起こすことが多くなった。深夜1時に私の顔を舐めて起こされた。農園は部屋も外も寒いが小便につきあう。朝までもたないようになった。


火曜日は山口市内を8時間走る。


配達先で、友だちと縁がきれたことを話題にされた。私は尊敬している人から去った。

 

長男がうまれたとき命名をお願いするほど尊敬していた人が「正志」と自分の名前から「正」の字をとって命名してもらったほど尊敬していていた。


とにかく足しげくかよいたくさんのことを学んだ。自宅の台所まで呼んでもらえることになり、一升瓶をおいて呑むことが多くなった。呑んだら本音と建前、つまり「言うこと」と「やること」のちがいに会話から気がついた。それで私は去った。


友だち、家族でも少しの距離(知らずに)があるほうが円滑な関係ではなかろうかと体験から話した。


19日(土曜日)午後1時のEテレ「こころの時代」再放送は、きのう日記でご紹介した女性漫画家の高浜寛(かん)さんです。


山口市内の噴水で園児の歓声を撮りました。

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言葉の裏付けに説得力がうまれる

月曜日は美祢市の弁天池で10㍑の水汲み。今朝は7時前に着いた。先週の弁天池はコバルトブルーの池とその周囲に真っ赤な紅葉が素晴らしかった。その紅葉は終わっていた。


池は厳島神社の境内にある。その手水場を撮った。


日曜日の朝5時から「こころの時代」を録画してずっと観ている。きのう朝は海峡ビューホテルでそれを観た。

女性漫画家の高浜寛(かん)さん。

60分のインタビューの終わりに彼女が「人は変えられないが自分はかえられる」と結んだ。この言葉は多くの人が使う。陳腐な、安易な言葉にも聴こえることがある。


人間関係などで自暴自棄になりアルコール中毒にまでなった。そうなると受けた漫画のストーリーを長いスパンで考えることが続かなくなる。酒を絶ったらストーリーが展開してくる。その酒との日々を赤裸々に語った。


家賃10000円のアパート住まいで連載漫画を描いた。熊本地震でアパートは倒壊。狭い車の中で連載を描き続けた。それは壮絶だった。


そのなかで見いだした「自分は変えられる」は新鮮で力強かった。再放送のチェックをしてもう一度観たい番組。

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夫婦の旅を今年もできた

大きな風呂にゆっくり入り、湯上がりに自動販売機で缶ビール。おいしい食事は生ビールとハイボール2杯でほろ酔い。8時から1階ロビーでベースとピアノにシンガー3人のジャズライブに酔いしれた。


海峡ビューホテルのなかで、関門橋に一番近い5階のかど部屋501号室から橋のライトアップを間近にウィスキーちびちびを楽しみぐっすり眠れた。


長い農園生活で身についた体内時計を止めることはできない。3時に目があいた。


きょうが71歳の誕生日。海峡から聞こえる船のエンジン音を心地よく聞きながら「この1年どう生きるか」と珍しく真面目に考えていた。


ふたつのことを思わされた。


ご縁で淳貴君と日々のLINE交流が続いている。彼から届くLINEは長文ではない。が、自分を飾らないし嘘はない。

私は長々と書いたり喋ったりする。長くなるのは自分を飾っていたり物事を誇張したりする。

嫌なことでも空気をよんで嫌とは言わないこともある。「嘘も方便」を地でいくこともある。それらの積み重ねが私ではない私をつくってつじつまが合わないことを感じることがある。淳貴君のように自分に正直な生き方をしよう。


きのう唐戸桟橋から門司港までの連絡船で撮った一枚。これを「跡白波」と言う。

潮流に負けずスクリューを回転させると見事な跡白波かたつ。老体になり馬力は落ちているが、人生の跡白波をきれいに残す毎日をおくる努力をしたい。


きのう昼から今年の夫婦の旅。たくさんの景色を眺め、家内の買い物もでき、思い出にのこる食事もできた。


書き留めておきたい出来事。


はじめて火の山展望台に車で向かった。もうすぐ山頂という所でガードマンが手を挙げて車を止めた。そして「海峡を見に来たかね」で一方的に喋った。僕は9時で勤務あけで早く帰りたいがと小走りでパンフレットを持ってこられた。

この先に停車して眺める場所があるが、そこからの眺望はよくない。その少し先に信号機がある、そこを少し下ったらロープウェイがあり少し車を停めるスペースがあるからそこに停めて眺めたらこのパンフレットの風景が見られる。


数年前の夫婦の旅は有田焼に行った。軽トラの地元の人が「割れた茶碗を持ってきたか」と唐突に声をかけた。その茶碗を持ってイベント会場に行くと新品の夫婦茶碗と引き換えてもらえる「持ってない」と返事をしたら地元の人が「持って行け」と割れた茶碗を持たせてくれた。


日田市の旅では偶然大がかりな夜祭りに遭遇。宿からリムジンバスが往復してくれた。さらにその祭りに本番弘前のねぷたが繰り出した。


夫婦の旅は神様がちゃんと寄り添ってくださる実感が今回もした。

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年に一度、夫婦の旅。

長い1日が終わった。

海峡ビューホテル。最上階の関門橋に一番近いかど部屋で今夜は夫婦で宿泊。この部屋を予約できたのは、予約開始のピッタリ半年前、午前9時過ぎに電話予約をした。エレベーターの横には松村御大の作品が掛けられている。


きょうは年に一度の夫婦の旅。5時から萩市など配達を済ませて10時に農園に戻り揃って下関。美味しいランチを済ませて淳貴君の作品を鑑賞に美術館(きょうが千秋楽)。ポポラスに立ち寄り、そのあとは家内の靴を買いに「やまつる」外反母趾の家内の足カルテがあるので、それがあっても入念に調整してもらった。覚苑寺に紅葉を愛でに行った。


チェックインを済ませて唐戸桟橋までタクシー(高級車)安倍総理夫人が乗った席に家内が座った。


門司に渡りいろいろ散策。長い1日が終わった。

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温泉滞在4時間でいろいろ済ませた

湯田温泉の「温泉の森」は10時にオープン。それに一番乗りできた。


2階の休憩室は11時から使える。そのあいだ60分はサウナ室、三段の一番上の真ん中に陣取り、テレビを見ながら15分しっかり汗を出した。そのあとはお楽しみのジャグジー湯。この施設のジャグジーは勢いが強い。お気に入りは両方の足裏にボコボコは快感。腰や尻にあてる泡のマッサージも快感。

寝てジャグジーが楽しめる「寝湯」は夢の中に誘ってくれる。一度も入らない湯は「電気湯」ピリピリするのは好きではない。足裏をこする軽石は持参した。


お湯に入ると腹がすく。レストランはあるが味が濃いので飲食禁止の脱衣場で、家内に頼んだ小さいおにぎり二個とバナナを食べた。


農園と個人の年賀挨拶のふたつの原案をつくりデザイナーさんにお願いすること。金曜日は「あだち美術館」を更新。

休憩室のリクライニングシートで、館内wifeを使って済ませた。終わったのは2時。

帰り道に赤田神社の秋真っ盛りを撮った。


写真は今朝の小野湖です。小さな島の紅葉が映えていました。

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配達先では下ネタもある

木曜日の午後、美祢市厚保の神功皇后前を通る。いつもは鳥居前で一旦停止。かしわ手をうって通過する。

きょうはまばゆいぐらいモミジが映えていた。車からおりてカメラを手にした。モミジ全体を撮ってみた。映えていたと感じたイメージではない「まばゆい」ぐらいを撮るにはどう撮ればよいか。樹の周囲をグルグルまわって「まばゆい」を撮った。3万円のカメラはいつもオート機能でしか使う術がわからない。


きのうの日記で紹介した松尾さんの皆既月食はカメラ機能をフルに使われ、三脚をたてて渾身のシャッターと思う。


5年ぐらい腰にかけている愛用カメラでは物足りない。けれども西部劇の拳銃のように即応できる軽さは重宝している。


配達先では政治や環境に教育など短い時間でも会話がはずむ。


昔のこと。川棚温泉にストリップ劇場が一軒だけあった。昼間からそういう話題をする人もおる。私はそれが大好き。


川棚温泉の巻。

旅館の宴会を終えてぶらぶらしていたら劇場があった。入場切符をもいでいるおばさん。開演したら切符のおばさんが全裸で出てきた。


道後温泉の巻.。

ストリップに入ったがパッとしない。悶々として出て歩いていたら「覗き部屋」という看板を発見。仕切りの中から節穴から見た全裸はさっきのストリップだった。


唐戸魚市場で買った「金太郎のミンチ」と「イカ」今夜はミンチの味噌汁とイカのフルコースで轟沈する。

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先の計画より私は「きょう」のこと

皆既月食を松尾浩さんがFacebookに投稿された「この写真を使わせてください」と承諾を得て載せました。


何度も「あだち美術館」に作品をご提供いただきました。またお願いしたいと思います。お楽しみに。


建築後25年経過して水回りなど不調が多くなった。屋根や外壁などもリフォームされるお宅で立ち話。


工事の3ヶ月は近くのアパートでご主人と生活。リフォームのあと25年居住したら売り払って老人ホームの計画らしい。おそらく今は60歳ぐらい。


私の趣味はテレビ番組の予約。BSと総合の番組画面をそれは丁寧にリモコンスイッチ片手に座布団に正座してチェクする。気になる番組は「番組情報」に切り替えて納得できたら「番組予約」ボタンを押す。


押しながら、1週間先の予約番組を見ることができるだろうかと思ったりすることもあるから、25年先の人生設計は私にはできない。


アパート生活の前にダイナミック断捨離をされている。

昔、主人とラブラブで聴いたレコードは「BOOK・OFF」に持ちこみ、受けとる二束三文はお金が欲しくてではないので持ち込む。たくさんの食器や衣類は海外の必要な人に届ける団体に持ち込んだ。その海外はカンボジアで冬の衣料品は断られた。


私たちが残した数多くの物で子供に捨てる苦労をかけることは、私の親の後始末でよくわかったからやっている。


私の愛犬が死んだら使っていた敷物と一緒に埋めたらそれで終わり。


私は少しの書籍と段ボール数個に収まるぐらいのガラクタしか持ち合わせていない。1年ぐらい使わないモノは必要ないものとして処分している。人生の思い出だけは山盛りある。

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大谷春樹君プロの世界で金メダル!

今朝、犬のウンチ💩が立った。茶柱ではないがウンチでも縁起がよかろうと思った。


オーストラリアでプロ選手として世界の自転車レース初参加している美祢市の大谷春樹君。きのうはタイムトライアルで2位の速報がお父さんから届いた。


きょう10時前、山口市内移動のとき着信音が聞こえた。お父さんから「ロードレース優勝」と短いメールが届いた。私にその優勝の喜びの拡散を任されたと受け取った。即座にFacebookに投稿。松村御大には直接電話。LINEやmessengerなどで喜びを拡散した。


その後、数時間経ってお父さんがFacebookに投稿された文章を原文で載せます。縁起がよかった!


🔶

ロードレース優勝✨🥇🏆✨

オーストラリアで開催されているVirtus Oceania Asia Games 2022に参加して本日ロードレースに出走しました🚲🚲🚲

初の海外レースでしたが最高のレースが出来たこと報告させていただきます😄

距離が60kmから40kmに変更になりました。

14周回のレースでした🚲🚲🚲

11周までは6人の集団で先頭交代しながら走りました🚲🔃🚲

ラスト3周でアタックをかけましたがちぎることが出来ずラスト周回まで集団で走りました🚲🚲🚲

ゴール手前のコーナーを立ち上がったところで先頭にいたのは春樹でした😄

そのままゴールまでスプリント勝負でしたがそのまま先頭でゴール🚲🚲🚲

ヤタ───ヽ(〃∀〃)ノ───♪

ほんと親子で頑張ってきて良かったと思えました😭😭

たくさんの方に支えて頂き今日のこの日を迎えられた事を感謝します😊

皆さんありがとうございました😄

これからも更なる上を目指して頑張ります⤴️⤴️

これからも春樹を応援してやってください🌟٩(。•ω•。*)و🌟


※豪州の選手の許可を頂いたのでFacebookにアップさせて頂きました。

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元気に月曜日を終えた

アップダウンの秋吉台を思いっきり歩いた。今朝は身体のどこかに不調があると覚悟していた。3時に起きたとき覚悟が外れていた。


私が愛用しているウォーキングシューズは「ヒマラヤ」で一番安い物。その中敷きをホームセンター「ナフコ」の商品のなかで「立ち仕事」「歩く仕事」の「歩く仕事」フリーサイズを1000円で買って自分でカットした。歩く前夜、足の爪もきちんとカット。少し厚めの靴下で足拵え。


2時間ぐらいの行程なら水とおにぎり。今回は甘い菓子類(チョコレート・あめ玉・バームクーヘンなど)をコンビニで調達。約1時間おきに腰をおろして食べた。歩きながらあめ玉。

長者ヶ森パーキングで昼飯は「山賊おにぎり」30分の休憩。5分ぐらい仮眠もできた。


靴と食べ物の工夫で高齢者でも歩くことができた。


改善することは替えのシャツと雨具。肌着は化繊で速乾だったがシャツは乾きが遅く、これから寒くなると体温が心配される。リュックまでおおうポンチョを買いたい。


短期集中決戦型(せっかち)で人生を歩んだ私が、歩くときは歩幅を小さくゆっくり歩く。これで足は持続できる。


元気に月曜日を終えた。農園の地域に入るとき写真の紅葉がむかえてくれる。

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秋吉台全コースを踏破した70歳

龍護峰に向かうとき一面の雲海がむかえてくれた
龍護峰に向かうとき一面の雲海がむかえてくれた

鍵山秀三郎先生(Yellow Hatを創業された)から昨夜お電話を頂戴した。

早朝から夕方までアクセル全開だったのでわずかな酒でうとうとしていた時間だった。私の近況を聞かれ短い時間で終わった。正座して頭をペコペコしながら「もう数日で71歳になります」と申し上げた。


毎年、私の歳を重ねる前に長距離を歩いて、歩ける体力を神様と母に感謝している。


秋吉台家族旅行村を8時にスタートして大正洞まで、ウォーキングマップの全コース、途中の山々の山頂に挨拶しながら、それは70歳の私にはかなりハードなことになるが「やってみよう!」と決意できた。鍵山先生のお電話も後押しになった。


3時前に布団をあげた。犬の世話・焼却ゴミ・部屋とトイレや風呂掃除・私の朝食など終えたら7時。


秋吉台に向かった。途中のコンビニで山賊おにぎり・チョコレート・あめ玉・バームクーヘンなど日頃は食べないものを買った。


家族旅行村の前に秋吉台バス停に立ち寄りタクシー会社数社の電話番号をメモして聞いた「大正洞パーキングから電話したら来てもらえるか。家族旅行村まで」と聞いたら丁寧に応対してくれたタクシー会社があった。


旅行村から大正洞まで5時間かけて、秋吉台ウォーキングマップに紹介されている全コースを踏破できた。


1時前に到着。防長バスは2時4分で家族旅行村に近いところまで走ってくれる。バス待ち時間を利用して大正洞窟を見学した。約30分、音声ガイドをぶら下げて観光。洞内はアップダウンがあり疲れた足にこたえた。


3時過ぎに農園ゴールイン。

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淳貴君お祝いの握手

3年連続で下関市芸術文化祭(美術展)に足を運んだ。淳貴君の作品を観て応援ができる。

とくに今回は美術部門受賞者13人のひとりに選ばれ「豊田文化協会長賞」を晴れて受賞の栄光に輝いた。それは、淳貴君が障がいをもっての作品という評価ではなく作品として実力の受賞。

その作品はキリンではなく「晴れ」という淳貴君らしい変化球の作品名。その「晴れ」をお母さんが解釈すると動物は雨が苦手、このキリンの表情は晴れのお天気だから、ではないかと。


きょうの「掲示板」末尾に作品をのせます。ご覧ください。


私は、前の仕事のときから毎月決まったお小遣いを家内からもらっている。10数年前からそのなかからわずかな金額を毎月積み立て、年に一度夫婦の旅をしてきた。一泊も二泊のときもあったが交通費節約で全部車で移動した。


最近、配達で走ることは苦にならないが、それ以外の運転は疲れるようになり近場になった。

来週の土曜日、萩市の配達を終えて下関市で泊まる予定になっている。下関美術館の淳貴君展覧会はこの土曜日が最終日になるので旅の予定にしている。


毎年、その旅までに私が果たしたい行事がある。私の体力としては少しハードに歩くこと。明朝、その気力があれば決行。

秋吉台家族村に車をおいてスタート。全部の山を歩いて大正洞まで。戻りは防長交通のバス(1日2便)に乗って展望台まで戻りそこから家族村まで徒歩。

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念願のご来光拝めなかった

6時35分
6時35分

下関向け連続3日目の金曜日。


8時半が始業の事業所からお届けが始まる。農園を7時に出たら間に合うが5時半にスタートした。いつもは立ち寄れない満珠島と干珠島(日本書紀に表されている)のあいだから昇るご来光を拝みに長府の豊功(とよとこ)神社に向かった。


ご来光の常連らしき年配女性が3人海を眺めていた「いつご来光ですか」と声をかけた「6時35分ですが、今朝は雲が多いので見えませんよ」と返事をされた。


今朝の豊功神社からの一枚。


昨夜の「クラシックTV(ミュージカル)」を日記でご案内した。その時間は寝ているので番組録画予約をした。今朝3時に起きてすぐに録画再生した。私のビデオデッキに殿堂入りで保存したいと思ったほどミュージカルに魅せられた。

午前中、数人から「とてもよかった。ミュージカル鑑賞に行きたくなった」などメールが届いた。


明日の土曜日は萩市から長門市に美祢市。下関美術館に淳貴君の作品が掛かっているので、明日の美祢市のお届けをきょうにさせてもらった。


美祢市で弁当(掲示板末尾にその写真)を済ませて道の駅於福温泉に立ち寄り湯。


そのあと愛車に不調があり山口市のトヨタまで走って不調を解消してもらった。


🔶あだち美術館 更新しました。

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「くらちゃん」7年目の命日

木曜日の6時半は魚を買いに唐戸魚市場。きょうは祝日で休場。7時前、魚市場駐車場に次々と県外ナンバーの車が入っていた。


海峡前のデッキも人が多く魚釣りの子供たちがたくさん並んで竿を出していた。


今月は毎年恒例の夫婦の旅。以前のように鹿児島や愛媛県まで運転する元気はない。下関市内に宿を予約している。旅の計画にはできるだけ船(舟)を入れている。松江城のお堀、柳川や別府から四国までのフェリー、桜島フェリー、萩八景など短い時間でも非日常があじわえる。


唐戸に車をとめて関門汽船案内所で巌流島と門司港それと唐戸桟橋を運航するトライアングルコースの資料を手に入れた。


7時前、門司港から唐戸桟橋に戻ってくる連絡船。逆光だったが撮ってみた。私は安物カメラをいつもオート機能で撮ることしかわからない。しっかり撮れていた!


祝日で休みの会社が多く、いつもの木曜日より90分早く農園に戻った。明日はお休みだった事業所に配達する。貴船町の工務店の8時前お届けからスタートになる。最終は美祢市のプチラボベーカリー。


先ほど加津恵さんと長女の杏子ちゃんが農園に来られた。7年前に亡くなり農園の犬たち(はなちゃん・健太・太郎)のそばに埋葬した「くらちゃん」命日。毎年お線香をあげにこられる。


「くらちゃん」は11年前、農園の地域でひとり暮らしのおばあさんの家族だった。血統書のある柴犬♀で3才。

おばあさんが救急車で緊急搬送され「くらちゃん」が残ってしまった。近所の人がこの犬をどうしたものかと協議した結果「しんあい農園」に連れていけになった。

ゲージに入れられてドックフードとフィラリア数ヶ月分の薬に血統書などを農園に運んできて「頼む」で帰られた。当時、農園には3頭がおりこの柴をどうしたらよいか悩んだ。


結果、翌日に山口市内の加津恵さん宅に「くらちゃん」は家族として迎えられた。11年、しっかり可愛がられた。つまり14才で寿命をまっとうした。

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於福温泉でさっぱり水曜日

ブログの「ホーム画面」の更新は早朝3時ごろやっている。その頃起きてメールなど届いておれば返事をする。それにあわせて長年「ホーム画面」更新をしている。


「掲示板」は、その日Facebookに投稿したもの。Facebookが自動的に過去数年、その日の投稿を「思い出」として提供してくれる。それの画面をスクリーンショット。そのままでは使えないので編集機能で整えて「掲示板」に並べる。

ダウンロードとアップロードに時間を要して、つまり消費するGB数が多くなる。午後、配達で少し時間の余裕があるときはフリーWi-Fiスポットで済ませている。きょうは美祢市於福温泉に立ち寄り湯をしたので道の駅Wi-Fiに接続して済ませた。


「日記」は農園に戻り、仕事の整理と明日の用意を済ませ、犬の散歩や夕食を済ませてシャワーを済ませて缶ビールをプッシュ!とあけてから始まる。きょうは2本目を通過中。


きょう日記の写真。月曜日のお届け先の奥さまが佐賀県のバルンフェスタに行かれてLINEで届けてくださった。


佐賀県、私の思い出ふたつ。


国道3号線、基山というところに九州ラーメン「丸幸(まるこう)ラーメンセンター」がある。ここから30分ぐらい久留米市には「丸星ラーメン」があり、どちらも大好きでラーメンのハシゴをしていた。


小城町には老舗羊羮「村岡屋」がある。土産に買ったついでに一本買ってそれを運転しながら全部食べた。しばらくして胸焼けがはじまり、車をとめて草むらに吐き出した。

あれから40年(きみまろ風)甘いお菓子が苦手になった。


夜明けを長府でむかえた。安岡を配達しながらお昼に長府。きょうの弁当は山陽オートレース場の駐車場(家内の弁当は掲示板末尾に毎日のせている)美祢市のプチラボベーカリーなど配達で終わった。


於福道の駅温泉に立ち寄りさっぱりして戻った。

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11月の初日は山口市

農園近く、毎年紅葉を楽しみに待っている。山口市から帰り道に立ち寄って撮った。配達で広範囲を走るのでお気に入りの場所がたくさんある。


火曜日は山口市内。農園を6時半スタートでよいのでゆっくりできる。


100分de名著 折口信夫「古代研究」をゆっくりかみしめて間なんでいる。全4回を録画しているが1回を何度も見た。テキストも繰り返し読んだ。

今朝から2回を見ることにして3時に起床。5時半過ぎに犬も掃除も食事も後始末も終わった。


解説の上野誠先生(国文学者・國學院大學教授)はソフトな喋り口で好感をもって学んでいる。その本題から少し離れた先生の話しで「そうだ!」とガッテン!したことがある。


それは、例えば神社の「おみくじ」それは神様から自分が授かった教えとして「いただく」心で開く。待ち人・恋愛・商売など目をこらして自分が「あっ!あのことがここに書いてある」と納得できる項目を探して得心する。

「家族が家の基なり」と書いてあれば、胸に手をあてて反省することがうかんでくる。


私がつねづね改まらなければと思う、そこを突いてくれる教えが神様から諭されたと受けとる。そのようなことを思いながら録画を見た。


古代の人が後の人に伝える大切なことは抑揚をつけた。抑揚によって長い内容が口伝として継承されたという場面はおおきなガッテン!をした。


大祓の詞は抑揚で次の言葉が出てくる。隠れキリシタンの人はいまでも意味はわからない抑揚のついた唱えをされている。

それがわかる行事は「歌会始め」万葉集の時代、遠くの人にも近くの人にも言霊をとどけるためには抑揚が要る。


今はマイクやスピーカーの性能がよくなり短い発音で駅員さんが次の電車は「新宿」と言えばホームの人は聞こえるが、昔は抑揚をつけて、まるで歌会始めのように「しんじゅくー」と言った。


脱線しながら2回に入った。テキストを読みながら何度も再生する。


🔶3日、午後9時NHKテレビ番組「クラックTV」は特番「ミュージカル」です。先週はショパンでした。今週は時間延長で予告では「保存版」ということでした。ご案内です。

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