雨にも負けず 働きました

深夜から至近距離の落雷と豪雨。5時過ぎに小康状態になったので愛犬の排泄。大好物の生タマゴは豪雨の恐怖で食べない。

6時前に農園をスタート。萩市から長門市美祢市に山口市の配達。萩市に入るころから(7時前)ライトをつけてワイパーは本気モード。コンビニでコーヒーとトイレを済ませようと止まったけれど、息苦しいぐらいの豪雨で断念した。道の駅「さんさん三見」はトイレまで障がい者用駐車場から屋根がある。使わせてもらった。


長門市野波瀬 極楽寺の掲示伝道が7月に更新されていた。


美祢市から山口市に向かう美祢市の冠水した道路。道路わきの下水管の重そうなフタが外れていた。

30年ぐらい前、猛烈な豪雨の九州を車で移動中にフタがなくなったマンホールにタイヤを落とした。その瞬間に前輪左のタイヤが音をたててバースト。スーツと革靴で途方にくれたがやるしかない。

スペアタイヤの交換は、通りすがる車の水しぶきと豪雨のなかでやり終えた。大事な契約の出張中だった。


午後から農園そばを流れる厚東川の下流で避難勧告地域が出た。満潮と重なると宇部市内で氾濫する地域が出るのではないかと心配している。

地震・噴火・豪雨など自然のいとなみがきわだっているように感じる。


『お店を育てる』


 お店をよくする方法は、「育てる」という考え方を持つことです。

 普通、お店を一つの施設とかモノとして商売に「使う」という考え方をします。そんな考え方では、せっかくのお店が日に日に劣化していきます。

 そうではなく、お店は活かしていくものです。育てるものです。こういう考え方が血肉になっていけば、社員も一緒に育つようになります。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

激しい豪雨と落雷だった

今朝のFacebook。下関市 寿司 割烹浪花(http://www.sushi-naniwa.info)の荒川大将の投稿をご紹介します。


無花果(イチジク) が入荷しました。

サッと素揚げにしてゴマクリームをかけてお出しします。

粋な突き出しになります。


落雷と豪雨の夜があけた。農園そばの厚東川がゴウゴウとたてる音が部屋まで届く。雷鳴もバリバリ聞こえる。このぐらいの雨で氾濫の心配はないが、落雷による停電が心配。井戸のポンプが止まったら鶏舎の配水と住居の台所とトイレがアウトになる。

夜が明ければ、停電があっても発電機を使えば問題はない。夜中、豪雨のなかで雨具を着ての発電機設置は大変な労力になる。それはしないで朝が迎えられた。


枕元の愛犬は野犬時代の魂をなくして落雷に部屋を右往左往する。4時に作業場につないでから布団をあげて毛が落ちているので掃除機。ネコも怯えたのか今朝は姿が見えない。


小郡駅近くで散髪を済ませて下松市「朝日屋(食肉加工)」に向かった。農園の鶏肉を使った商品をつくりたい。先日、県庁ロビーで安田社長と初めてお会いして2度目は工場を拝見したいとお願いした。

徳山西IC と防府東IC 間の下り線が事故で通行止。2号線は豪雨のなか大渋滞。私は反対車線で下松向けで予定どおり10時に到着できた。


とくに衛生面が厳格な工場には、帽子と白衣にマスクと長靴を着用して見学した。あらゆる菌に向き合う現場の緊張感を感じた。


帰り道、徳山で「カメラのキタムラ」立ち寄り。ブログで毎日3枚(ホーム画面1枚・ブログ2枚)の写真を使う。昨年、小型のタブレットに機種変更して持ち運びはコンパクトになったが慣れたら面倒に思うことがある。小型のデジタルカメラとタブレットを使う相談をした。

その方法があることがわかった「ブルートーゥス機能」のカメラを買えばタブレットを持ち歩かなくても写真が撮れて、それを農園でタブレットに移行して使える。その道筋が見えてきた。

来週の金曜日。DOCOMO宇部店(宮川さん)10時の予約を済ませている。タブレット機能と私が使いたいことを勉強したい。このことについて重枝さんにアドバイスをメールで求めて示唆をいただいた。


私にとって「囲炉裏の部屋」を続けることは学びの場になっている。


『掃除の不思議な力』


 掃除をすると、社風が変わります。

 たとえ厳しい状況にあったとしても、社員の表情が明るく生き生きとしてきます。人によっては、見違えるほどよい人相になります。当然、家族や周囲の方々に対して気遣うようになり、性格が穏やかになります。不思議です。

 掃除には、ただ単に周囲をきれいにするだけではなく、人間を根底から変える力があるようです。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

アジの開き 味はどうだろうか

宇部マリーナの側にレストラン キャプテンがある。前の仕事をしていたときは接待や家族やクレヨンママと同伴出勤の前などお世話になりました。

農園をはじめて、今度はタマゴのご注文をいただき配達は正志がしている。

地元産の魚や肉に野菜が、鉄板で料理になる時間はたのしい。奥さまの接客も洗練されている。

Facebookに投稿された写真を拝借した。


ご予約お問合せは 0836-33-6363.

〒755-0027. 

山口県宇部市港町1丁目11-56. 

cuisine du Terroir de Yamaguchi. 

RestaurantCAPTAIN.


営業案内と空席状況のご確認はコチラ.

http://r-captain.com/newpage11.htm


6時半に小月のレストラン「卯」にお届けして唐戸魚市場。開けている店は少なくそのわけを聞いたら、きのうは南の風が強く漁船が出なかったことがわかった。ならばアジの干物三匹で千円だけを買った。


美祢市の「よしの」が配達ゴール。読書家で日本史を(西洋史も)たずねたら、その背景など立体的に解説してくれる。きのう下関市住吉神社で見つけた神功皇后の絵。美祢市厚保にある神功皇后神社。そして長府の忌の宮神社。共通項の神功皇后像を教えていただいた。

今度の日曜日、長府の藤中さんと忌の宮神社で待ち合わせている。今年の秋「忌の宮神社を知り尽くす(仮称)」と銘打って長府を散策する作戦会議。

その情報収集を「よしの」で完了。


『上京時の私』


 仕事のため上京したのが二十歳のときでした。

 東京駅に着いたときの私は、無一文で惨憺たる社会人としてのスタートでした。しかし、いまではそれがよかったと確信しています。

 帰りたくても帰るお金がなかったからこそ、その後のさまざまな苦難を乗り越えることができたと感謝をしているのです。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

安眠妨害のキツネ

深夜の1時、ギャーギャーと大声で吠えるキツネに起こされた。うるさい訳はすぐ近くに大きなキツネがおった。ヘッドライトをつけて金属バットを握って外に出たら走って暗闇に逃げた。


さてそれから、むし暑い、腹がすいた。眠れないので録画「セント オブ ウーマン夢の香り」を再生した。アル・パチーノが男くさい名演技、とくに美人と踊るタンゴのシーンはよかった。

終わりまで楽しんだら朝の仕事に差し支える3時。映画をとめて布団をあげた。


いつもの4時に降圧剤を飲んで配達の準備と朝食の準備。配達に出る前に血圧を測ってみたら120・70と寝不足にしてはよい数値だった。

小月から長府、新下関から安岡を経由してもう一度の小月で水曜日の配達は終わった。

寝不足で冴えない頭と身体。農園に戻る前に「昼は外食、風呂に立ち寄り帰ります」と家内に電話をした。


「くすくす の湯」に立ち寄りサウナで500グラム減量。風呂上がりの休憩室で1時間ちかく夢をみていた。ここはWi-Fi(山口県)が利用できる。目覚めて1時間、Wi-Fiを利用できた。月末までに3GB(契約は5GB)まで達しない。


写真は、旧 国道2号線「南国」から厚狭バイパスに合流する場所の看板。どんな談合があったのか。

「おいはぎ峠」「荷卸し峠」など地名は面白い。


今朝のホーム画面に何人かの人からお便りをいただいた。美智子妃が詠まれた「ねむの木」と。ありがとうございました。


『日本は不況か』


 いまの日本はホントに不況か。率直に言って、不況ではありません。

 ではどうして不況と感じるのか。われわれ日本人の望んでいることが、現状よりいつも大きいからだと思います。

 たえず、努力した以上のものを求めているからだと思います。

 われわれは、その差を不況と感じるのであって、昔と比べていまの日本はけっして不況ではありません。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

アルミ缶で満載になる

昨夜8時ごろ布団を敷いたら寝ていた。

目が覚めたとき9時か10時ごろだろうと思って時計を見たら3時だった。


1ヶ月前、雨の夜に犬を桜の木の下で用を済ませた。そのときケムシの針をたくさん受けたようで、頭皮と両方の腕立て伏せ赤い発疹ができた。ケムシやダニそれとブトなど肌を露出してはいけないことはたいけんから学んできたが、うっかり雨よけで桜の枝にたよった 薄着で。

風呂に入る。酒を飲む。早足で歩くと腕が赤くなり発疹が浮かんできた。きのうから治りはじめた。


写真は、きょうお昼の荷台。

山陽小野田市厚狭の作業所「厚狭レインボー」で利用者さんがアルミ缶をつぶす作業。それを回収業者に持ち込んで現金にして作業所の収入源にしている。月に2度のバザーにたくさんのたまごでお手伝いしているがアルミ缶でもやっている。


たまごのお客さまには「洗ってください」とお願いしているのは、潰す作業を見学したときの異臭と虫などがアルミ缶から出てきた。せめて農園から持ち込むアルミ缶は、作業する人の顔がくもらない缶を持ち込みたい。


朝からずっと雨の火曜日が終わった。


『社長交代』


 後任社長を任命したとき、固辞されました。理由は、「いままで掃除をやってこなかったし、これからもできないから私に社長は務まりません」ということでした。そこで 「私と同じことをやるんだったら、あなたに頼みませんよ」と説得して引き受けていただきました。

 社長交代にあたり、私と同じことをする後継者では意味がないと思います。違っていていいんです。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

働けることは ありがたいこと

岡本拓也さんがFacebookに投稿された「元気になったばあさん」写真を無断転載。


今朝7時半ごろ岡本家に配達。廊下を歩む足音もしっかり、声もしっかりの「ばあさん」が登場。昨年の秋から体調をくずされて入退院を繰り返された。投薬の副作用か顔色が黒くなり浮腫が顕著になった。

本人も含めた誰もがその様子から「だいぶ悪い」と思った。私も弱っていった母の姿と重なった。


今朝、恐る恐る尋ねた「味噌は造るのかね」と。とたんに目が輝いた「あたりまえ!9月になったらやるよ!」昨年、体調を悪くしながら造った味噌は650キロ「お父さんが元気なころから地域100軒に届けた。拓也のお友だちにも配りはじめたから造る量が毎年増えた」けれども、この秋の味噌は少し量を減らそうと思うと元気に話された。


きょう月曜日は美祢市の山あいを配達している。在宅で介護されている高齢者や、自分の体力でできる農作業をされる高齢者がたくさんおられる。

草でもひいておいて。掃除でもやっておいて。食事の支度はやって。洗濯ぐらいはできるでしょう。

寝転んでテレビを見ている高齢者はみあたらない。腰がまがっても家事をしている。この風景が家族で生きるということかもわからない。


昨夜は外ネコとのスキンシップに成功。触ろうとする私の腕にネコパンチをくり出したが爪はひっこめた。ダニやノミそれと寄生虫もかかえていると思う。その投薬の準備はできている。今夜もスキンシップ作戦。


『カッコよいこと』


「カッコのよさは破滅につながる」

 三浦綾子記念文学館で目にしたこの言葉が、強く印象に残っております。

 たしかに、自分でカッコよいと思っていることはことごとく、他人から見たらカッコ悪いことばかりです。滅びへの道だと思います。一方、掃除は見た目に不恰好です。自分自身を飾りようがありません。だからこそ、周囲の方々から好感を持たれるのかもしれません。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

湯田温泉を楽しんだ

家内の家(たつの市)は絶えて先祖の墓は荒れ放題。お寺も後継者がなく廃寺となり檀家のお骨を京都大谷本廟に借りた一区画に納めることになった。お墓から先祖のお骨を取りだし薬ビンほどの器に納めてお寺の区画に入っている。負担金もずいぶんの額だったらしい(年会費は永久にある)引き換えにカードが1枚。このカードを持参して受け付けに出せばコンピューターが読み取り名前と戒名、地上10階まであるお墓のマンションの場所をプリントアウトしてくれる。


個人が勝手にそこにお参りは許されない。若いお坊さんがプリントアウトの紙切れを持って案内してくれる。その代金?は5000円と決められている。行く前に簡単な生花500円を買うことになる。


寺の扉に着いたら扉をあけて、僧侶はたもとから携帯香炉を出して電球のロウソクのスイッチを入れる。花を供えてごく簡単な経をよむあいだに焼香。10分以内に儀式は終わり僧侶はさっさとお帰りになった。お花はお供えと言われた場所に(棄てる)置いた。


ご先祖供養を考えさせられた。戻って家内にお参りの感想を聞いて「そうしょうか」とたどり着いたことは、家内の先祖が納まっている廃寺の扉の写真を額にして農園の部屋にお祀りすること。毎日ここから拝ませてもらうことに決めた。


ガソリン給油ランプを点灯させて早朝山口市内の給油所。30リットル以上入った。

防府市の上田さん9時前に訪問。松村御大と萩で同級生。東洋大学ラグビー部で今でも巨漢。様々な私の人生ターニングポイントに登場する恩人。お母さんは100歳をこえてご健在。近況をかわして別れた。


防府トヨタは、オイルとエレメント交換。新車から1年と半年経過で9万キロ走行。バッテリーも弱っていたらしく新品に交換。


お昼前に終わったので湯田温泉「温泉の森」


『よい人間関係』


 知識や技能さえ身につければ、一生安泰に暮らせると勘違いしている人がおります。

 知識や技能だけに偏りますと、人間としての感性が薄れてきます。感性が薄れると、人間関係に支障をきたします。したがって、幸せな人生は送れません。

 よい人間関係を作るための基本は、自分の手と足と体を使って、人とのご緑を深めることです。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

沖縄慰霊の日

3時に起きて萩市向けの準備をはじめた。6時前に農園を出る、それまでに私の朝ごはんも済ませて犬と猫の世話。部屋と台所などの掃除をするのでテレビを見る時間はないのが土曜日。


沖縄慰霊の日。1時前にライヴ放映された慰霊式典を見た。浦添中学の女子生徒の朗読は胸に響いた「過去が未来にならないように」は記憶に残った言葉。


復帰の翌年から戦没者遺骨収集奉仕に通った。15回以上は摩文仁の山野で収骨をした。

なぜ現在でも遺骨収集が終わらないかを私の体験から書いておこうと思う。

沖縄戦が始まり終るまでの約2ヶ月で、糸満市摩文仁では1平方メートルに6トンの艦砲射撃があった(鉄の暴風雨と呼ばれている)その不発弾が地表や地中にたくさん残っている。自衛隊不発弾処理班が300年かかっても処理できない数と聞いた。日本兵が自決用にも使った手榴弾はガマとよばれる洞窟にあれば生きている。地表にあっても火薬はセルロイドで包まれており危険。


毒蛇のハブが生息している。冬眠しないが20度ぐらいだとあまり活動しない。24度ちかくから活発になる。それが理由で収骨奉仕は2月に主におこなわれる。


沖縄独特の風葬という文化がある。亡骸を山野に数年放置したのちに家族が集めて泡盛などで浄めて墓におさめる。その遺骨と戦死されたご遺骨を見極めないと大きな問題になる。


収骨される方によっては頭蓋骨や大腿骨など主な骨だけ収集される場合があり、肋骨や指や歯などが散乱している場合がたくさんあった。


壕が崩れている場合がたくさんあり、掘り出せばたくさんの遺骨が埋まっている場合もあった。


私が見聞したことなので正確がどうかはわからないところがある。

声高らかに「平和」を唱える人もあり。黙って山野でご遺骨に向き合う多くの人もおられる。


『譲る限界』


 できるだけ譲る。私が心がけてきた信条の一つです。

 できるだけ譲るようにして生きてはきましたが、ある一線を越えたら一歩も譲らないようにしております。一歩も譲らないのは、私個人の利害からではありません。これを譲ったら、社員が幸せにならない。相手にもよくない。

 この二つが、譲らないときの私の判断基準です。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

今村さん訪問

写真は、今年2月に催した「ふく宴会」の今村さん。翌日から高知県でキャンプがはじまる専修大学野球部に招かれ、自家用車を運転して奥さまと向かわれた。まる3日間の野球三昧と監督やコーチと親睦を深めて元気に戻られた。

4月の「浜崎散策」は少し疲れがたまっていると言われたので私の車に乗っていただき萩を楽しまれた。


その後、入院されることになり1ヶ月前に退院され自宅療養中。今朝8時すぎに連絡をしてご自宅を訪れた。裏口の外に椅子とテーブルを奥さまが並べて待ってくださった。


きのう「梅干し」の作り方を教えておくからと、約8キロの梅を相手にしながら事細かに教えてもらったと奥さま。

専修大学野球監督時代が長かった。話題を野球にすると目の色が元気になる。


試合で広い球場に選手が出ると観客の数や声援に必ず圧倒されて平常心を失う。

🔶よいか、見るのはスタンドではなく風の向き・太陽の位地・グラウンドの土の硬さ。そしてボールはひとつしかない。と尻を叩いたものですよ。

🔶高校生球児を全国にスカウト行脚するとき、必ず母親に会うことにしていた。本人の人柄を判断するときボクは母親もひとつの材料にしていました。


またおじゃまさせていただく約束の握手をしてお別れをした。


京都の照美さん、介護の国家試験をとって老人施設に勤務している。狭い京都の街を大きなワンボックスで送迎が毎日ある「京都には祈りの道」が随所にあると言う。哲学の道は知っているがそれは初耳。狭い路地を運転するとき「対向車が来ませんように」と祈るような気持ちになるからだと教えてくれた。

私の後ろを歩きながら「お父さん」と声をかけた。施設の利用者さんで後ろ姿がお父さんそっくりな人がおる。私は完全に老人扱いにされていた。


『複写はがき』


 複写はがきを書くとき、心がけていることを三つだけ紹介します。


 一つ、たとえ下手な字であってもつづけ字にせず、一字一字丁寧に楷書で書く。

 二つ、表書の住所・氏名は筆字で書く。

 三つ、郵便番号はボールペンで書く。

 複写はがきは掃除と同じように続けてきました。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

魚と芋で酒が飲めるぞー

JR 美祢駅に併設されている観光案内所に「ばんだい」さんの絵手紙作品が今月中展示されている。

きのう「少し内容を替えました」と連絡を受けたので立ち寄った。案内職員の方が「この作品が好きです」と言われた1枚。


昔のこと、宮崎出張4日目の夕方だった。チェックインのあと雑誌を買って夕食の居酒屋カウンター席。ふと壁を見ると「やっぱり ひとりは 寂しい」の書が目にとまった。山頭火の自由律俳句だったことを覚えている。

現代流に訳せば「あるある」。職員さんのアンテナ(琴線)に響いた言葉だったのだろう。


きのう、濃厚豚骨ラーメンで昼寝をして、夜も8時から寝て3時に起きた。最近になく元気を感じた朝を迎えた。


木曜日の朝は唐戸魚市場。馴染みの店が何軒かできた。特大のイワシ3匹で350円。元気な女将さんが「いつもありがとう300円!」もう1品をあわせて予算内の900円。家内にワサビがあったら買ってほしいと頼んでおいたら「さがして見つけた」と電話があった。


5時に農園ゴールイン。気になっていたジャガイモを収穫した。この種芋はホームセンターで売れ残り100円。その売れ残りがバケツで2杯もの収穫ができた。

今夜は魚と芋で酒が飲めるぞー!


『唾面自乾』


 やくざに監禁されたうえ、日本刀を突きつけられて、脅されたこともあります。顔に唾を浴びせられて、ののしられたこともあります。

 そんなとき、自分自身に言い聞かせた言葉が「唾面自乾」という中国の言葉です。たとえ顔に唾を吐きかけられても拭かずに、自然に乾くまで耐えよという教えです。私は、この言葉によってずいぶん救われました。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

濃厚豚骨チャーシュー麺

先日亡くなられた古川先生の追悼記事を新聞で見つけた。県セミナーパークで催される郷土の歴史講座。とくに維新の長州を語られると、作家の山本一力さんが江戸をまるで見てきたかのごとく作品で展開される。同じように150年前の長州を生きた人のような口ぶりは熱弁だった。


私が最後に聴講したのは3年ぐらい前、テーマは維新の人物像だったが終戦前の特攻に講義がとんでしまった最後まで。

古川先生は学徒動員で関東の飛行機工場に行かされた。そこでは複葉の訓練機「あかとんぼ」の組み立てラインに従事された。

終戦末期、特攻に使える飛行機がなくなり「あかとんぼ」が沖縄諸島から特攻に飛んだ。機体は木製で翼は布だから敵艦のレーダーに写りにくい、しかも機体に200キロ爆弾を装着して飛ぶので海面すれすれを飛行するのがやっとだった。結果、特攻の成功率はとても高かった。


先生たちが組み立てた「あかとんぼ」が特攻機として使われたことをとても悔やんでおられ「僕は必ず、あの機体で飛んだ諸君を後世に伝える責任がある」と話された。


沖縄諸島の特攻基地跡を何度も取材されて山口新聞に連載。その後、神風特攻龍虎隊 「君死に 給ふこと なかれ」と刊行された。


最後に書店で求めた作品は「維新の商人 語り出す白石正一郎日記」郷土を語る大きな人を失った気持ちがした。


京都の疲れが残っているのか力が湧いてこない。午前、下関市を配達して帰り道、元気が出る昼飯を食べようと5年ぶりぐらいに小野田市「一久(濃厚豚骨ラーメン)」日ごろ玄米と野菜に魚が多く塩分も遠ざけているけれどチャーシュー麺・餃子とご飯のランチを頼んだ。この店に来るとき車は遠くに止める。店内の床の脂で靴底がすべる。歩いて靴底をきれいにするのが私の流儀。

船木の温泉は第3水曜日で休館だった。農園に帰って風呂にはいり布団で3時間寝た。

元気が取り戻せそうな気がする。


『日本の評価』


 かつて、右肩上がりに経済が伸びていたころ、日本に対する世界の評価はどういうものであったか。「ただ金持ちになっただけのエコノミックアニマル」と批判されていました。

 再びそのような批判を浴びないためには、この厳しい時期をしっかり受け止め、本当の力を蓄えていくことだと思います。そうすれば、再評価されるときが必ずきます

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

梅雨らしい火曜日だった

一の坂川。雨の風情もよし。


配達した代金をいただくとき、現金払いと月末払いの二種類がある。私は月末に一括でお支払いただいたほうがよいが、その場で支払を済ませたい方もおられる。


私は働いているので留守をしますが。というルールでたまごの置場所にお金が置いてある。そういうお客さまもたくさんある。そこで困ることは、お金が置いていないこと。お客さまは「置いた」つもりがそこには無い。

もともと現金払い主義だから、とても几帳面。そのお客さまに「きょうはお金がありませんでした」と夕方に電話をすると「確かに置いた」とキッパリ言われることがある。

その場面で「ありませんでした」と言うと平行線になるから「係りの者に調べさせます」といったん電話を切ってあらためて「申しわけありません勘違いでした」と謝る。何度かそういう場面を経験した。


数日前、クーラーボックスにあるべきお金がなかった。とても几帳面な奥さま。考えたあげくに「お金をいただき忘れたかもわかりません」と夜に電話した「あっ!」とお金を入れ忘れたことを思い出してもらえた。


太秦で泊まる夜は、歩いて2分「太秦温泉(温泉ではない)」に行く。420円の銭湯にはルールがある。洗い場てしっかり石鹸で洗ったあとに湯舟につかる。3時から入れる銭湯のお湯は気持ちがよい。

商店街には、子供が小銭をもって集まる「団子屋」「本屋」に「パン屋」と昭和のかおりが残っている。


『苦境時の心構え』


 人も企業も、一直線上で伸びるということはまずありません。必ず停滞するときがあります。ときには落ち込むこともあります。

 そんなとき、どういう心構えでその時期を過ごすかが大切なポイントです。

 基本は「工夫次第」「自分次第」という考え方です。

 心構え次第で、人生も企業もよくなったり悪くなったりします。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

寝台特急(さくら)の思い出

JR 嵐山駅に「鉄道ミュージアム」が併設されて鉄道ファンで賑わっていた。真砂恵さんの次男(小1)は鉄道オタク。歴代新幹線や全国の電車の名称と特長を解説できる。当然このミュージアムと京都鉄道博物館を目あてについて来た。


私にとって懐かしい寝台特急「さくら」のエンブレムを見つけた。鹿児島駅始発で名古屋駅終着だった。自宅は夕方出て市内の居酒屋で夕食。宇部駅が10時ごろの乗車は名古屋駅のキップ。友人が「さくら」の最後尾車両はサウナになっており生ビールも飲めると教えてくれた。


寝台に荷物を投げ出してタオルを持って最後尾に向かった。車掌がおったので「風呂は混んでおるかね」と聞いた。車掌は「風呂!」と絶句した。友人のジョークを真に受けた「さくら号」に会えた。


8時前、美祢市のセブンでコーヒーを飲みながら新聞を読んでいたとき緊急地震速報アラームが鳴った。すぐにラジオをつけた。


きのう京都で見かけた多くの外国人観光客が困っているだろう。停止した車内のみなさんも体調もあって困る人もたくさんおられるだろう。とにかく神様に「みなさんが困りませんように」とかしわ手をうった。


配達を終えて農園に戻り太秦に電話をしたのは3時。学校は休校になり子供たちは無事に戻った。揺れたが教会や地域に被害はないと聞いて安心。


『人が動くとき』


 人に利用され尽くしたら、人が動いてくれるようになりました。

 自分を守ろうとすればするほど、人は動いてくれないものです。

 自分を投げ出したとき、初めて人が動いてくれるようになりました。

「私が私を捨てれば、そこにあなたがいる。あなたがあなたを捨てれば、そこに私がいる」 (山本紹之介)

 けだし名言だと思います

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

節目の母を3年祭 うるわしく仕えた

今年、玉井光雄師の葬儀に太秦教会長(照美さん主人)から声をかけられ、金光教教師を志すきっかけの一冊「苦楽を共に歩むもの(玉井光雄)」を読んだことを知った。彼はそれを私が世に出したことを知った。


この度の太秦参拝。書棚に「いのちが承服せねば(内田守昌先生教話集)」があった。25年前、金光教教学研究所の佐藤光俊所長から「青年教師時代に信心を育ててくれた恩師の出版をしたい」と声をかけられた。表紙デザインは山口市内のデザイン会社に発注した。何度も佐藤先生が推敲と校正を重て出版まで時間を要した思いでがある。

私も仕事として何度も読み込んだ作品。思い出深く太秦滞在中に読んだ。とにかく驚いた、内田師は昭和32年に太秦教会長に就任されていた。偲び草はここで終る。


師が亡くなられ後継者を求めていたとき、現教会長(照美さん夫婦)が腹を決めて後継に入っている。


教会長と酒を酌み交わして信心話をした。

出版を手がけていたとき、全国各地の教会で奇跡のような話が伝承されていることを知った。

山口県にはじめて布教にこられた杉田という師が由宇に布教をした。師がなくなり葬儀のとき棺桶のふたを下から持ち上げて「もう3年修行してこいと神から言われた」と再生の話が伝わっている。それを「どう思うか」と聞いた。

太秦の先生は「あると思います」例えば、阪神淡路の震災で亡くなった人の数は言うけれど助かった人の数は知らない。そのなかには奇跡としか思えない助かりかたをした人はたくさんあると思う。

また、たくさんの検査数値から医者が判定してもその通りにならないこともたくさんある。

つまり、祈りのなかから、もしくは知らないうちに神様が手をさしのべてくださることを感じる力が大切ではなかろうか。


母と照美さんが太秦でお世話になる。そのことで私の信心が問われる場面がたくさんある「おかげ」とはこういうことかもわからない。


朝、太秦を発つとき先生に「2年後、母の5年祭にあわせて農園20年のお礼もさせていただきます」と申し上げた。


『自然農法』


 掃除をすると、不思議と会社の雰囲気が変わってきます。社員の意識が変わってきます。日常の不平不満が感謝に変わってきます。

 掃除をすると、自然農法で育てられた農作物みたいになるんだと思います。自然農法か化学農法か、作物を見ただけではわかりません。しかし、たしかに味が違う。もちが違ってくるのです。掃除にもそんな力が秘められております。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

3年祭をお仕えの日

昨夜は遅くまで照美さんと真砂恵さんの子供たちが賑やかに騒いだ。

家内が農園で調理してクール宅配した「瓦そば」は16人分。牛肉1200グラム。金糸たまごは15個分。鯛昆布〆と秋穂のタコなどが夕食になった。


私は近くの銭湯に行って帰りに酒類を買い込み、パン専門店で朝食用をたくさん4枚に切ってもらって帰った。


今朝はパンで腹を満たして大人4名と子供4名で母の墓参り。お骨の壺(今村さん製作)を日の当たる場所に安置して全員で心を込めた墓前祭をお仕え。

その後嵐山付近を散策。天龍寺はじっくり拝観した。


このあと夕方から教会で3年祭をお仕えして、お直会をかねた夕食になる。


『問題解決の極意』


 汚いものを見て「汚いなあ」と言うだけでは何の解決にもなりません。

 そのときどうするか。手にゴム手袋をつけてやるか。柄の長いものを使用するか。手で触るか。

 手で触るのが一番です。手で触ると、汚れの程度がよくわかります。きれいにしたときの喜びと実感も湧いてきます。問題に近づくことが、問題解決のもっとも早い具体的な方法です。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)


京都に着きました

家内の実家は たつの市。家内は3人姉妹のまん中。3人とも嫁に出て家が絶えたがご先祖の墓は実家の側にあった。

数年前に空家を片づけて、ご先祖の遺骨を京都の大谷本廟に納骨をした。


母の3年祭(金光教では祭りという)を太秦教会で明日お仕えいただくが、私は大谷本廟に参ったことがなく1日前に京都に着いた。京都駅まで照美さん(長女)が迎えに来てくれて大谷に向かった。バスは清水寺方面行きのため観光客で超満員。


お墓のマンションと思えばよい。10階建てのマンションがとても小さく区画され、そこに参るには電子カードとお経代の5000円を受け付けで納めると坊さんが案内してくれる。マニュアル?どおり簡単にお経を済ませて参拝終了。正直な感想は「参った気持ちがしない」仏様も縁者が参ってくれたと喜んだろうか疑問が残った。

けれどもお墓の維持が困難になった人が多くなりこのようにならざるを得ないのだろう。


照美さんの案内でプチ観光ができた。夜8時ごろ真砂恵さん(次女)が子供を伴い太秦に到着予定。


明朝、早い時間に母が納骨されている金閣寺と仁和寺のあいだの墓地(ほぼ金光教信徒)、太秦教会の奥城に参拝する。

お供えなど心を込めて用意をさせてもらっている。


『人間的魅力』


「数字を背景にして、倣慢になるな」。社員にたえず戒めていることです。

 おかげさまで当社も、思いもかけない売上を上げるようになりました。数字が大きくなると、よそ様が自然に頭を下げてくださるようになります。

 そのことと、自分自身の人間的魅力とは関係ないことです。どこまでも自分自身の人間的魅力で、仕事に従事してほしいと思います。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

明朝から京都

今朝7時。カモンFM玄関に申 徹也さんの赤い愛車を見つけた。フリーアナウンサーとして下関市や北九州市をラジオ電波で活躍する関門の男。


3年前の6月14日は日曜日だった。

農園から片道40分のシーサイド病院4階、ナースセンター前の母に会いに行った。窓からひろがる周防灘は朝日に輝いていたが母の意識はなかった。しばらく側に座り点滴で紫色のアザだらけの腕を撫でた。


9時前に農園に戻り家内と長男に「きょうになると思う」と話した。

午後からガッツ体操教室の体育館お披露目に出席。祝いのお酒をたくさんいただいた。お開きに家内がむかえに来てくれて農園に戻った。

汗をながして寝酒を飲みながら母が気になった。家内もビールで付き合った。酔っていつの間にか寝ていた。家内の携帯電話が着信して時計を見たら11時。


家内が自宅からの電話に応対しているとき私は着替えをはじめた。家内もすぐに着替えをはじめた。

家内に「とばせ!」と言って向かった。途中コンビニでお茶を買った。

病院の駐車場に着いたとき長男から「いま亡くなりました」の電話があった。日付がかわり15日になっていた。長男と次女の家族が全員揃っていた。

母に「楽になったね」と声をかけた。7年、施設と病院のお世話になり96歳でお国替えをした。意外に悲しみの涙をこぼすことはなく、葬儀社と病院と事務的にこれからのことを打ち合わせた。子供たち家族はすぐに帰らせた。


長女の照美さん主人(金光教太秦教会長)が葬儀の祭主を仕えた家族だけの葬儀を厳粛におこなった。その葬儀シナリオは母が元気なときに「話がある」と農園で葬儀のいっさいを私夫婦に言い渡した。そのようにした。


土曜日に太秦教会で3年祭を仕えていただく。明日の新幹線で京都にむかう。


『品性の欠如』


『管子』の言葉に「衣食足りて、礼節を知る」とあります。

 まことに残念なことに、いまの日本は「衣食足りて、礼節を知らず」という状況です。平気で食べ物をムダにする人が多くなっています。似合わないのに高級な服で着飾っています。

 品性の欠如が原因です。衣食の豊富さに見合う品性の向上を急がねば、国が滅びます。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

人も犬も母はたくましい

昨夜9時ごろ、枕元の愛犬がフニャフニャと寝言をはじめた。寝顔を撮った。

防府北基地近くの藪のなかで7頭の子犬を育てている最中に捕獲された。薄汚れて痩せ細り(7キロ・現在は16キログラム)おびえて震えるこの犬が、フィラリア感染もあり処分されると知って連れて帰った。


愛玩犬でもない雑種の枕元を許しているのは、よほど過酷ななかで骨身をさいて子供を育て上げた褒美。歳はわからないが農園に来てこの秋で10年になる。


「日直を買うた」と毎週日曜日の日直勤務を母は全部買っていた。買うとは、本来はその人が日直勤務して貰える手当てを「買う」母だった。その母につれられて日直勤務に私も行った。母は洗濯や料理などを職場でやり、日直の仕事は革でくるまれた大きな時計をもって、大学校内のチェックポイントの木の箱にある鍵を差し込んで巡回した証を時計の記録用紙に刻印する。午前と午後の2回、それが私の仕事だった。

夕方、宿直の人に五右衛門風呂を沸かして日直は終わる。その前に母と私が一番風呂。


食うや食わずでも藪のなかで授乳していた逞しい愛犬と、あの頃の逞しい母が重なることがある。


月曜日「仕事の流儀」は(言葉の海で心を編む  辞書編纂者 飯間浩明)面白かったそのひとつ。

「整正 美化」と太文字がスレートに書かれた工場が通勤中の電車から目についた。彼は、その会社におもむき四文字の意味を調べた。起業当初に工場を美しく整え、働く動きかたまでも無駄がないようにという社是。

この言葉がひろく社会で認知されるかどうかはわからないが、そのときは三省堂国語辞書には語源として載る。

ネットで簡単に意味を知ることはできるが、その言葉をうみだした人の命を伝えることが紙の辞書の使命と話された。


水曜日の配達を終えて血圧通院。女医さんお休みで120の70。煙草くさい医者が「ええじゃない」それは、当たり前だのクラッカー(^_^)/ 男で血圧あがるわけがない。

小郡で散髪をすませて湯田温泉「温泉の森」に立ち寄り湯。


『合理的な論理』


 不利なことは切り捨てる。一般的企業のもっともらしい合理的な論理です。

 しかし、そういう考え方では会社はよくなりません。できるだけ不利なことを引き受ける。こういう考え方で経営に臨みますと、本当の知恵と才覚が生まれるようになります。

 不利なことを切り捨てるだけだったら、冷酷な気持ちだけで十分。悔いを残すだけです。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

西山さんのアジサイが咲いた

このアジサイは数年前、小野田市の西山さん夫妻が子供を連れてホタルを見に来たとき家内にプレゼントしてくれた。我流で手入れをして今年も咲いた。

独身時代、黄栄作さんが農園に連れて来たときは白のスーツで目付きも鋭かった彼が、穏やかな顔になりペンキ職人の作業服で来るようになった。

最近顔を見せないが、家族の幸せを背負って汗をながしていると思う。アジサイが彼の家族を思い出させた。


毎朝、部屋に掃除機をかけることが身に付いた。今朝はトイレもやろうと思った。私の独り暮らしだから日曜日にトイレ掃除はやって問題はない。今朝気がついたことは「汚れているからやるのか」という自問。

20年前、鍵山先生からお誘いをいただき参加したのは伊勢神宮のトイレ掃除。その1年ぐらい後に清水寺のトイレ掃除も「来られませんか」とお誘いを受けて参加をした。お伊勢さまも清水寺もピカピカのトイレだった。

汚れているのは便器(トイレ)ではなく私の横着や我が儘がはびこっている、私の心を磨くことを分からせようと参加を促されたことに気がついた。


私の便器と風呂を磨きあげて火曜日を気持ちよくスタートした。


今朝の鍵山先生語録。お掃除仲間と久住の温泉に行ったときスリッパが揃っていた。脱衣かごがグジャグジャではなかった。広島の掃除に参加したあとの交流会は大騒ぎ。終わったらテーブルを片づけて本当の終わり。


『社員旅行の心得』


 宿泊する旅館では、履いたスリッパをきちんと揃えます。

 宴会の時間が夜九時までと決められているときは、八時四十五分までにお開きとします。

 さらに、食器は従業員の方々が後片づけしやすいように一カ所にまとめておきます。使用した蒲団は自分たちで押し入れにしまい、シーツや浴衣はきちんとたたんで入口に出しておきます。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

どしゃ降り雨に苦労した

早朝は降っていなかった雨が8時ごろにはどしゃ降りになった。油断しておりヤッケしか持ち合わせていない。美祢市のホームセンターで長靴は買い求めた。


先週の金曜日ごろから頭と両腕にジンマシンが出た。どこか内科系に問題があるのかと心配していた。けれどもジンマシンは拡大はしなかった。

きのう朝、その原因と思われることに気がついた。桜が散ったあと「イラ」とよばれるケムシが繁殖していることがある。そのケムシがついている桜の近くを歩いただけでも風にケムシの針が飛ばされて赤い斑点と痛みや痒みがある。それにやられたと思った。それがきのう夕方に証明された。7時ごろ愛犬に小便させようと外に出た。小雨だったので桜の枝の下で雨をよけながらさせた。顔と首筋に痛みをおぼえた。赤い斑点が拡がっている。それ用の塗り薬をつけたら治まった。

朝夕はブトもおるし、暗くなればマムシを踏む危険もある。


きのう草刈りをしていたら川土手に車をとめた若者が走って私のほうに向かってきた。川でなにかの異変(水難・マムシなど)があったのかと草刈機のエンジンをとめた「あの場所に車をとめてよいでしょうか」とバスを釣りにきた青年が頭をさげた。

殺伐とした事件が報道されるなかで、よい育てられかたをした青年の態度は嬉しかった。


福岡都市高速道路を年内に走る予定がある。目的地は平戸市。都会の運転には自信がない。グーグルの「ストリートビュー」で都市高速道路を体験してみた。なんとか走れそうな感じになった。


『エクセレントカンパニー』


 ただ大きいだけで、傍若無人に振る舞っている会社をエクセレントカンパニーとは呼びません。

 たとえ、資本金が小さかろうが、たえず赤字・黒字の線上を漂っている会社であろうが、関係ありません。

 働いている社員一人ひとりが、思いやりがあり、他人に迷惑をかけないように心がけている。そういう会社をエクセレントカンパニーと呼ぶべきです。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

蝶野正洋✖大西順子 はよかった!

農園から車で10分「くすくすの湯」6月7日の発信です。


昨夜、楽しみにしていた録画映画「ゼロ・ダーク・サーティ(160分)」を見た。アメリカ同時テロからオサマビンラディン殺害までの作品。前半はパキスタンの混沌とした市街地や容疑者拷問などが交錯したが、後半からはCIA の内部で殺害決定までの緊迫した場面は迫力満点だった。


3時に目が覚めたので昨夜の録画を2番組再生した。


達人達(たち)は、プロレスラー蝶野正洋✖jazzピアニスト大西順子。客を喜ばせてなんぼの世界を両人熱く語った。

なかでも大西が「プロレスに脚本はあるのか」の問いはマジ。一瞬、蝶野は言葉を選んだあと攻めるときもやられるときも真剣にやる。その身体をつくる。ファンから「やすむな!」の罵声が突き刺さる。

大西は大きくうなずいた。jazzもシナリオのない世界で表現する。最後まで噛み合わないステージもある。それはそれでお客は楽しむ。

蝶野の体格でピアノを弾いたら最高だろうと大西が羨ましそうに言う。演奏にはは身体の大きさや強さがいることがわかった。街の喧嘩で数々の伝説を残している蝶野に「奥さま(ドイツ人)があってよかったね」と大西が最後に言うと蝶野が「はい」とうつむいた。


SONGSは今井美樹。今回は多才な彼女の(歌手・モデル・妻と母)語りが好印象だった。


午前は山口市内から戻り3時間の草刈り。しっかり汗をかいた。午後から藤野先生 数楽の会。先日の番組で見た「伊能忠敬」と鍵山先生が重なった。伊能忠敬は貸した硯と墨。墨が斜めにちびたことを相手に諭した「たかが墨ではあるが、この斜めはすべてにつうじるから気をつけたほうがよい」と。


『流されない生き方』


 どんなに立派な生き方をしていても、予期せぬ災難とか苦難に遭遇するのが人生です。

 そんなとき、普通の人は「私は誰にも迷惑をかけたことがないのに、どうして私だけがこんな目に遭うのだろう。不公平だ」と考えるものです。

 こういうときこそ、自分を見失うことなく、周囲に流されない生き方を通すことがもっとも大切です。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

草刈り3時間 汗をしっかりかいた

配達を終えて農園近くまで戻ったら、荒滝山のふもとで子供たちが歓声をあげながら田植えをしていた。行って行事を聞いたら、JA が企画して参加者を公募したイベントだった。ふだんは老人が多い過疎地域が賑やかで荒滝山も喜んだろう。


山口県が県の施設や観光地(道の駅も)に、山口県Wi-Fiを設置している。以前、県セミナーパークのロビーでWi-Fi受信表示があらわれてアドレスとパスワードを入力して設定を完了した。

きのうは、農園近くの温泉「くすくすの湯」で風呂上がりにタブレットを開いたら山口県Wi-Fiを1時間無料で使える表示があらわれた。

私は5GBの通信量でドコモと契約している。通信量が無料のWi-Fiが使えるエリアがひろがり便利になっている。


10年以上、土曜日に届けているお宅の主人が椅子で寝ている。当年75歳で認知症。大型バスの運転士だった。会話を交わしても昔と変わらないと思っていたが紙オムツと奥さんが言う。大柄の主人だから下着の交換には時間がきる。老いを生きる現場を垣間見た。


明日から雨予報。3時間草刈りをした。


『いまやるべきことをやる』


「この秋は雨か嵐か知らねども今日の勤めに田の草を取る」

 疎開先での少年時代、私は農業に携わり、この歌に詠まれたような生活に耐えてきました。

 丹精込めて育てた作物が、収穫寸前に災害に見舞われて、努力が報われないこともしばしばでした。しかし、諦めずに努力し続けてきたからこそいまの私がいます。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

抜歯の宣告 (>_<)

2年前「心の時代」で心が動いた沖縄県「佐喜眞美術館」の再放送が先日あった。菊川画廊はテレビや携帯電話を持たない生活をしているので番組録画をした。

彼は再生専用デッキはもっている。個展が行われていると知りつつ録画を届けに行った。

珈琲豆をひきながら近況を話してくれる。そのなかで天草本渡市の映画館が幕をおろす。さまざまなご縁があり「僕は行こうと思う」と言う。天草は松村御大と「クエ」を食べに行った。20年前の私でも、とにかく遠かった。

数年前に大病したが彼が天草まで行くと言うから嬉しかった。


先日、ホタルの集いで泊まったのは松原(ホタテマン)さん。朝ご飯を食べながら農園の自然をほめて、とくに空気がうまいと感想を言う。

早朝からにぎやかな小鳥のさえずりと鶏の鳴き声は、ときには騒音と思うこともあるけれども、街中で生活する人には空気までもが最高らしい。


今朝6時前、雨が止んだので愛犬と歩いた。大型のワンボックスが川土手にとまり若者二人が釣りを始めた。橋から見ていると、数回投げたルアーに大物がヒットした「おめでとう!」と声をかけたらひげ面の若者が、さっきは挨拶も返さなかった男が満面の笑みで「ありがとうございます。小倉から来ました」と手をあげてこたえた。


半日しか診療しない地域の歯科に行った。最近気になる歯がある。写真4枚撮られてそれ以外にも抜歯の宣告を受けた。緊急ではないにしてもどんどん老いがすすむ現実に直面。


今月、額縁を使いたいことがありふじた画材店。目的を話して選んでもらった額縁を購入。中にいれるものは、今月お支払する宝物の領収書。


最近、両腕に湿疹がでる。どこか身体に不調があるのかもわからない。久しぶりに温泉に立ち寄った。約2キロも体重が増えていた。歩く距離を増やそう!


『良知』


「慮(おもんばか)らずして知る、これ良知なり」

 これが正しいか正しくないかということを、いちいち考えてみたり、人に聞いてみたりしなくても、常識でわかる。これが「良知」だという言葉です。

 昔の人は、学問はなくても、みんな「良知」を持っていました。ところが高学歴社会が進むにしたがって「良知」、つまり常識がなくなり、世の中が乱れるようになったと思います。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

週の山場 木曜日を終えた

朝5時半に農園をスタート。中国道「小月」付近の下り線で事故通行止めの道路情報をラジオから知った。中国道を下る全ての車両が「埴生」で降ろされて2号線の交通量は多かった。


先週、彦島で多くのパトカーや警察車両が住宅街に止まり、鑑識のような警察官が忙しそうに動いていた。きょう美容室で騒動の一部始終を教えてもらった。

建設現場を掘っていたら骨が出てきた。業者が通報したので騒ぎが始まった。結局、その骨は動物のものだった。


農園の愛犬墓地を掘れば「はなちゃん」「太郎さん」「健太」と「くらちゃん」4頭の骨が出ます。将来、騒ぎになりませんように。


今朝の唐戸魚市場は6時半。大きなイサキを三枚におろしてもらってアラも吸い物にすると貰った。大きなアゴを折られたアジがあったので買った。梅雨のアジが旨いの一言で。

調査捕鯨のミンク鯨が1000円だった。けれどもブロックが大きすぎて素通りした。


木曜日のゴールは美祢市の「よしの」ドンファン談義で盛り上がって「4000人➗360日」を計算したら奥さまから睨まれてやめた。

美祢郵便局に「バンダイさん」の作品を撮りに立ち寄った。


『不都合をバネに』


 好きな物ばかり食べておりますと、人間の身体も不健康になります。好き嫌いせずに、バランスの取れた食事を摂るからこそ、健康を維持することができます。

 企業も同じです。好き勝手に経営していては会社はよくなりません。不都合なことも受け入れて、工夫改善するところに新しい細胞が生まれてくるものです。

 不都合が会社を強くします。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

石碑の入魂式に出席

朴の森「鍵山記念館」そばに 凡事徹底の石碑が建立され、その入魂式が午後から行われ出席した。

平凡と思えることこそ大切に実践する。と私は受けとめている。


例えば挨拶。挨拶はするものだとわかっていても、相手が年下とか部下だったりすると自分から挨拶するのはプライドが許さない。


例えば道具箱。中が雑然としておれば探す手間がかかる。場合によっては無駄な買い物までする。


例えば玄関の履き物。散乱している光景に慣れてしまったら整える気持ちがほかのことでも失われてくる。


そのような「平凡」なことをやることを「そんなことなら知ちょる」と心磨きの本を読んだり講演を聴きに行く。その「平凡(基本)」ができてこそ、その上に積み上がるものがある。


3時に起きて5時半農園スタート。下関市内の配達を終えて長府の洋菓子店レサンクに立ち寄り。今月中ごろからカステラとマドレーヌ。それと雲丹醤油の案内をはじめる、カステラの打合せを終えた。


『そのうち一気にまとめて』


 きれいに洗った車で出かけても、すぐ汚れることもあります。それでも洗って出かけるようにしております。

 人間というのは「今日はもうじき雨が降りそうだ」「明日は降りそうだ」「近いうちに降りそうだ」などと理由をつけて、「今日はまあいいか」となりがちです。そうなると、「そのうち一気にまとめてやろう」などと言って結局やらないものです。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)


手を抜くと 手がかかる

山口市 ニュースタイル美容室の糸賀社長から写真投稿。いつもキャプションがない。けれども添え書き無しでも伝わる。


きょうの鍵山語録「掃除のコツ」

4月から毎月1回以上のペースで10月末まで3000坪の農園と隣接の耕作放棄地、くわえて川土手などの草刈りをする。体重が数キロ、この草刈り時期にはおちる。


早く済ませようと大まかな草刈りをすると、すぐにもとの草むらに戻る。つまり、丁寧に草刈りをしたほうが結果的に草刈り回数が減る。それを体得しているので「掃除のコツ」がよく理解できた。


16日、母の3年祭を金光教太秦教会でお仕えいただく。毎日、母のことをつとめて思い出すことにしている。母と私の母子家庭は経済的に苦しかったと思う。山大工学部の用務員だから国家公務員という身分ではあったが、当時は「公務員だけにはならんほうがよい」と薄給を世間は言っていた。

高校のとき寺の前に「西野書店」があり、原付バイクの免許を学校に内緒で取得して、週の半分ぐらい本の配達と集金をした。春・夏と冬の休みは「三輪運輸」にセメント運びのバイトに通った。配達やセメントのアルバイトのお金は母に渡して、そのなかから小遣いをもらった。


母の妹が兵庫県一の宮町で松下電器の下請け工場の部長をしており、私が知らないところで高校卒業後に就職話が整っていた。天祐寮で寮生活を経験した。


とにかく生きていくことが精一杯の母のもとで、私は生きていく力を養ってもらった。母にたくさんのお礼をする3年祭にしたいと思っている


『掃除のコツ』


 掃除のコツは、範囲を限定して徹底することです。

 たとえば、Pタイルを一日一枚だけとか、あるいは廊下を一メートルずつというように一部分ずつ区切ってやることです。そうしますと、汚いところときれいなところがはっきりするので、後がやりやすくなります。一遍にやろうとしてもできるものではありません。やってもすぐ元に戻ってしまうだけです。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

ボケ防止のタブレット

岡本拓也さんがフェイスブックに載せた「婆さん(5月中頃)」の笑顔。

今朝も7時半に玄関をあけて「元気かね!」と声をかけたら廊下を走って見せた。病はよくはないらしいが、見た目は浮腫もなくなり病を感じることはない。


4月8日の「浜崎散策」に少しだるいからと言われる方に農園まで来ていただき乗せて行った。数ヵ月前から6キロ体重が減ったと話され咳が出る。散策を終えて農園まで早く戻った。

検査の結果は思わしくなかった。2週間あまりの入院の前に激励に自宅を訪れた。退院したらアジを釣りに北浦の海に行くと元気に入院された。

2日、奥さまから自宅療養の主人が少し元気を取り戻したとメールがあり、便りを待っていたのできのう自宅を訪れた。1年前より12キロも体重が落ちたと言われた。副作用で口内炎が治らず食べられない。素麺を少しは食べるがうどんは食べにくいらしい。自宅のなかを歩くことも今は辛いらしい。


この方を元気にするスイッチは知っている「日大の問題どうですか」「嘘っぱち政治をどう思いますか」など話題にしたら起き上がりため込んでおられたうっぷんを吐き出された。


それぞれに向き合う病がある。そこに私も向かっている。


今夜のEテレ、9時半からは「趣味どき!いまからスマホ」全9回の初回が放映されるので録画予約をしている。

重枝さんに教えてもらいながらタブレットを柄っている。先日は32GBのSD カードを入れて、本体の容量を増やそうとしいる。内部ストレージを開いてみると「アプリ」が容量を一番使っていた。そのアプリをSD カードに移した。次に多いのは「キャッシュデータ」その意味がわからないから調べてみた。消しても問題ないことがわかり消去。

このふたつの操作で、タブレット本体の残り容量が1GBぐらいだったものが5GBまで増やすことができた。

私にとってタブレットは脳ミソ運動になっている。


『苦しみの対処法』


「苦しみは、人に打ち明けることによって半分になり、喜びは人に話すことによって倍になる」といわれます。

 喜びはともかく、苦しみは人に打ち明ければ、苦しむ人が二人になるだけのことだと思います。

 苦しみはできるだけ自分一人で背負い込み、周囲の人まで巻き込まない。

 そんな生き方が、見失ってはならない大切な作法だと思います。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用

心が揃うということ

きょう更新のホーム画面、別の一枚です。

これだけの数のレンタル自転車を毎日揃えておられる方と会ってみたい気持ちになります。

ここまで整然とかたちにされるまでには数々の工夫を重ねてこられことでしょう。


お掃除の会から「揃える」ことの大切さを教えていただきました。履き物を揃える。掃除道具を揃える。切手を丁寧に貼るなど、それが出来ておれば自分も家族も他人も心が揃うということですが、身につくまでには時間がかかります。


昨夜は農園でホタル鑑賞の集まりを16名でやりました。みなさんそれぞれに差し入れていただきありがとうございました。金曜日には、わたしの友人牧さんが突然来て日本酒やお菓子を差し入れてくれました。

いつものように飲みすぎ、酔いすぎの私になりました。失礼があったかもわかりません。お許しください。


今朝はスッキリ目覚めて、山口市内など予定の仕事ができました。


ブログ「しんあい農園ご案内」のなかに、重枝さんが農園マップをつくってくださいました。


『開放的な社会』


 閉鎖的な組織は、雰囲気も暗くなり、世間の常識から外れた自分たちだけのルールで動く傾向があります。反対に、開放的な組織は、他者を受け入れ、皆が明るく立ち振る舞っています。社会の閉塞感を打ち破るには、人も組織も明るく開放的にすることが先決です。

 そのためには、自分だけよければいいという考えを捨てることです。他者を受け入れる広い心を持つことです。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

方言 「とっぴん」

月はじめの楽しみは、長門市野波瀬 極楽寺の掲示伝道。今月バージョンご覧ください。


早朝から配達準備をすすめて、土曜日は6時前に農園を出る。萩市内を済ませて野波瀬は7時半ごろになる。大谷山荘は8時半から受け付けが始まるので、長門市内のコンビニで30分ぐらいのコーヒータイムがもてる。

於福道の駅は9時から受け付け。売店とレストランに納品。


加奈ちゃん、自宅販売にあわせて初めての無人販売。玄関につり銭など用意した。販売は11時から。


農園の井戸水には大腸菌が多く(10年以上も飲んでいた)弁天池か河村プロパン近くの長命水を10リットル週に3回汲んで持ち帰っている。きょうは長命水。

河村プロパンの女性に出身を尋ねたら、私の自宅に近いところが実家だった「とっぴん」で分かりますよね宇部ならば。美祢市に嫁いで「とっぴん」が通用しなかった。それは、例えば車をとばして。の「とばす」を「とっぴんで」と宇部では使う。


バンダイさんから、美祢駅で絵手紙が紹介されているのでご覧くださいも連絡があったので拝見した。笑顔の女性が丁寧に応対してくれた。


今夜は農園ホタル鑑賞。15人ぐらい夕方からお集まりで8時ごろ解散。帰りながらホタル鑑賞をしてもらう。


『立場の弱い人』


 仕事上、軽視されがちな立場の弱い人に対して、傲慢な態度を取る社員がいたら、私はこっぴどく叱ります。

 私もこれまで散々、他人から屈辱的な目に遭わされてきました。それだけに、仕入先、郵便配達人、出前の配達人等、会社に出入りされる人に接すると、昔の自分とダブって目に映ります。

 社員がもし、傲慢な態度で接するようなことがあったら、私は許しません。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

振り出しに戻る(>_<)

たまごの営業はたまごがする。

18年前に農園をはじめたとき、当時の浜勝社長 元岡さんが心構えの言葉ををお祝いの品に添えられた。

大きな看板を出すより、よい品をつくれと言われたと受けとめた。


大きな看板ではないが、名刺の大きさカードを考えてそれが届いた。明日の加奈ちゃん販売のとき240個を無人販売する。そのときパンの対面販売で忙しい彼女が「それならカードがあるから」と農園の話題に対応せずにできるカードを作った。「よしの」さんのお店にも置かせてもらおう。


6月初日の朝は神様棚掃除からはじめた。

この棚は村上棟梁に頼んだ。桧木で立派につくってくれた。乾拭きしていると桧木の香りが部屋にただよった。


小郡で散髪。長府で「縁起焼」さんご挨拶。吉田に300個納品。小月トヨタでオイル交換(家内の車)。唐戸の和食店に集金。

お昼前まで順調に予定を済ませて、農園まであと一歩のところまで戻り唐戸は行っていないことに気がついた。すごろく「振り出しに戻る」のような心境は誰のせいでもない。再び下関を目指して走った。

くわえて言うと、朝の散髪のあと下関に向かい国道2号線を下っていたら「中山峠事故」の看板が点滅。朴の森あたりから渋滞だったので迂回して農園前を走って事故現場を回避した。走行距離が多くなった。

「縁起焼」は店主の思いとすれば「ご縁が起きる」の気持が込められていると知った。「しんあい」も親愛・信愛・神愛など幅広く命名をした。


『枠を使い尽くさない』


 与えられた枠は、使い尽くさないように気をつけています。

 たとえば、約束の時間十分前に行く。借りたお金は約束日前に返す。いただいた面談時間五分前に用件をすませ、退席する。一千万円の借入枠があったら、八百万円にとどめる。

 いつもこのようなことを心がけていますと、ますます自分に与えられる枠が広がってくるようになります。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

女子大生の下着

下関市内日(うつい)、野菜など販売所のトイレで今年もヒナがかえった。

日内小学校正面の益本家電店の奥さん(満州引き揚げ)と先週の会話のなかに、6月17日に下関掃除に学ぶ会が小学校トイレを磨きに来ます。昨年は中学校でしたよ。

それをご主人に話したら「僕も参加する」と、小学校に翌日行って参加申し込みをされた。

日曜日なので仕事の調整をつけて参加したいと思っている。


過疎の内日に喫茶店が1ヶ月前にオープンした。地元の老人たちは「すぐつぶれる」と噂をしているが、きょうのお昼はお客の車が数台とまっていた。手作りケーキなど個性派のお店らしい。

17日に行くことが叶えば、このお店に立ち寄りたい。グルメのフルートちゃんはすでに食べている。


今朝9時の下関市内の大学近く、道路の左はしを駆け足の女子学生。私の運転席から左に後ろ姿が見えた。その姿がなんとなく異様に見える。追いこす前にわかったことはスカートをリュックに挟んでおり「佐川の飛脚」状態だった。とっさに停まって教えてやろうかと思ったができなかった。韓国料理「てじょん」にお届けで大学正門そばに停車したそばを飛脚が走った。校門で生徒をむかえる女性教師(らしき)が飛脚を大声で呼び止めた。


木曜は加奈ちゃん配達。明後日の土曜日に自宅でパンの販売をするとき たまご無人販売も計画してくれた。今夜、彼女をSNS でフォローしている2000数百人にパンの販売通知に添えて無人販売も拡散される。

「おいちゃん」とメモ用紙を持って彼女が真剣な顔。無人販売とはいえ問われたらたまごが話せる基本的な知識を求められた。


5月の千秋楽。下関市内のコンビニWi-Fiを珈琲飲みながらブログのメンテナンス「先月の写真」を整えた。


『わが身に引き受ける』


 世の中をよくするための一つの具体的な方法は、各人が体験してきた辛い思いを、自分自身で消化できる人間になるように努めることです。

 人に押されたら押し返すのではなく、押されっぱなしで自分の中におさめていく。周囲にけっして伝播させない。

 そういうふうに一人ひとりがわが身に引き受けていけば、世の中は必ずよくなるはずです。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

カメの恩返しはあるか?

今朝、藤野先生(数楽の会)がフェイスブックに投稿された鍵山先生。

成果が促成栽培のように実感できることを誰も考えて、そうはならないから悩んでしまう。例えば掃除を続けることで身につくことがある。そのことを先生は説いてこられた。汚れたらところ(問題点)を見つけるには、自分の視点をかえる。なかなかとれない汚れ(問題点)に根気よく向き合う姿勢が身についてくる。その応用を、自分の生活現場で使うこと。


きょうは下関市の配達にくわえて予定が、とくに午前中集中した。ブログのホーム画面更新を5時に問題なく終えた。ところが下関市内で少し手直しをしたい箇所を思い当たり車内でブログを立ち上げたら初めて見る画面になった。ブログの更新ができない。すぐにスクリーンショットで画面を重枝さんに送り善処のやりかたを求めた。

要は、私がブログの管理人かどうかセキュリティーが目的でアドレスとパスワードの確認画面ですとすぐに回答があった。ところがパスワードを控えていない。朝の忙しい時間帯に「わたしのパスワードを教えてください」と重枝さんに頼んだ。その程度の知識だからサポート無しではブログは動かない。お世話になりました。


6月1日からはじめる犬の投薬2種類(ダニ・フィラリア)少し遠回りをして美祢市の獣医に立ち寄った。ついでにホームセンターに寄ったらサツマイモの苗が半額以下の100円。葉の色が悪くなると売れないらしい。茎がしっかりしておれば問題はないから買った。けれどもイノシシが最後は笑うだろう。


美祢市から山越えしていたら田んぼから巨大なカメが山の方向にノソリ。見たからにはレスキューしなければならないが臭い。タオルで巻いてビニール袋に入れて川まで飛ばした。川に放したあとで両手の臭いがとれない。ジャスミン茶一本使っても無駄に終わった。カメの恩返しを期待。


『私が注意するとき』


 たとえば、売上目標三億円に対して、実績が二億五千万円のときは特に言いません。ただ、二億九千九百八十万円のときは注意します。五千万ならカバーのしようもないけど、二十万円ならお客様に迷惑をかけずに達成できたはずです。

 締め切って、初めて二十万円足りないというのは、日頃いかに数字のことにお構いなしだったかの証明です。だから注意します。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

スケジュール過密になる

山口市 カワナミさんの玄関に梅雨が飾られていたので撮らせてもらった。地域の手芸グループに参加され心豊かに過ごされている。


昨夜から、このブログに「しんあい農園 ご案内」をつくり始めた。6月1日に農園紹介カード(名刺大)ができ上がる。その内容にQRコードでブログに入れるようにしている。2日から配りはじめるので夜な夜なの仕事。Googleマップで農園を入れたいが、その技量は私に持ち合わせないので重枝さんにこれからお願いする。


明日、水曜日は配達にくわえてカステラ(マドレーヌ)2回目の打ち合わせ。雲丹醤油は嶋田寿美子さんと10半に「あけぼの珈琲」。スベシャルオリンピックス関係者から新規の配達。

いろいろ考えながら運転していると下松市の朝日屋社長から商談日の問い合わせ。下関市の土橋さんからはスベシャルエッグ構想を明日具体的に話そうと電話があり「あけぼの珈琲」11時15分でOK。


金曜日も予定が数件入った。スケジュールが埋まる幸せは、むかし仕事もお金もない、けれども支払はある社長時代を過ごしたから忙しいのは嬉しい。

体力の衰えと相談しながら毎日を過ごしたい。


『人に好かれる法』


 人から好かれる人間になるには、人に頼られ、あてにされるような自分になることです。

 具体的には、継続して実践し、得意なことを身につけることです。どんな小さなことでも構いません。

 そうすれば必ず、人に頼りにされ、あてにされるようになります。

 人に頼りにされ、あてにされるということは、好感を持たれている証拠です。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

加奈ちゃんのこと

加奈ちゃんフェイスブックのプロフィール写真を更新した。

手に入りにくい逸品がいろいろあるなかで、加奈ちゃんのパンもその仲間に入る。例えば、不定期で美祢市の自宅が販売店になる。お昼前の開店前から県内各地から買い求めに来られたお客さまが列をつくっている。車は近くの神社において。その様子を12日(土曜日)の開店時間に見に行った。


玄関前に建築現場でつかう足場板でこしらえた長椅子にずらりと順番待ちの人が腰をかけていた。その雰囲気は常連さんが初めての方に販売店のルールを教えたり、ここで会うのが楽しみで賑やかな会話。

自宅の店舗では加奈ちゃんが結斗ちゃんを背負って開店の準備。たくさんの数と種類のパンが玄関横の部屋に並んでいる。


開店すると4人が玄関からお店にあがりお目当てのパンをゆっくり買える。接客は笑顔の加奈ちゃん。だいたい2時間ぐらいで完売。買えなかった人たちからクレームの声はない「また来るよ!」手を振って帰る。


安心・安全なパンを対面販売。それは利益率ではなくお客さまの満足度を最優先している加奈ちゃんの生き方。

加奈ちゃん自宅販売の土曜日限定で、朝採りたまごを無人販売することになった。6月2日(土曜日)6個パックを40個(190円)、玄関に置かせてもらう。

加奈ちゃんのインスタやフェイスブックをフォローしている人の数を聞いたら2800人以上と知った。


加奈ちゃん

https://petitlab.wixsite.com/petit-lab 


『車の事故』


 車をきれいにしておくと、事故が激減します。

 かつて。忙しいことを理由にして、汚れた車で出かけた時代もありました。 

 不思議なことに、そのころはよく車が故障し、しょっちゅう事故をおこしておりました。

 たしかに、汚れた車を運転していると、つい運転も荒っぽくなります。その結果、事故につながります。

(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)