排水口にトラブル

防府天満宮に鎮座する牛。


農園は、トイレと風呂が一体のユニット。カーテンをしめて温水シャワーで身体を洗う。特に冷える日は、湯をためて身体をあたためた後から温水シャワーになる。

昨夜は涼しくなり湯をためてあたたまった。詮を抜き排水をはじめたら床にお湯が溢れた。ひとり大騒ぎをすることになった。

トイレや浴槽はこまめに掃除をしているが、排水の最終を点検したことは1度もない。ネジをあけ、ヘッドライトをつけて覗いたら20年ちかくの汚物があった。右手を入れて取れるだけの汚物を除いた。

掃除に学ぶ会で、あれだけ徹底した掃除をやりながら、自分の排水口まで点検していなかった。きれいにしていたのは見かけだった。


きょう午後から、すべてネジを外して内部が触れるようにして、しっかり時間をつかい長年の汚れを落とした。


東北や北海道の台風被害が甚大。自然には抗えないが、早い立ち直りを祈るばかり。



ばんだい さんの文才

美祢市の 長命水 水汲み場が白い花で美しい。花の名前を知りたくて近くで野良仕事の婆ちゃんに聞いた。名前は知らないが、自宅で長いあいだ仏壇の花として咲いており、昨年その種をまいたら咲きました。あんたも種をとってごらんなさいませ。


土曜日の朝8時から、ラジオ文芸館が楽しみ。前回は著者を聞き漏らしたが、朝からNHKにしては官能的過ぎるからホームページをみた「 求愛 」瀬戸内寂聴だった。ノンフィクションは別にして、物語の小説を完成させるには、柱となるストーリを彩る料理やファッション、嗜好品など考えたら際限のない描写が散りばめられて内容が深みを増してくる。山本一力の江戸はまさに描写力だと唸ってしまう。

瀬戸内寂聴は、赤裸々すぎて体験談かと邪推させる描写だった。


ばんだい のぶこ さんの短編小説「 逆打ち 」を昨夜読んだ。四国歩き遍路殺人事件。お遍路の作法から青酸カリ、シアン化金カリなどよく調べておられ、カモミール・ティにローズヒップジャムなど、わたしの知らない味があり、それが短編の味付けになり面白かった。


もう50年生きたら、わたしも書けるかもわからない。

天候不順の月曜日

ギラギラ太陽が出たと思えば、真っ黒な雨雲の空模様だった。


絵手紙の ばんだい のぶこ さんから随筆などが選ばれて文芸誌に載せられた作品を数点お預りした。本を手にとると内容より装丁、出版元を先に見るのは出版を生業としていた当時の癖。毎日ペンクラブ山口 発行の本は紙の目 縦目と横目があり、縦目を使っているから、めくるとページが立ち上がる。もう一冊を手にとる やまぐち創作文芸 第26集。体裁よく製本されており奥付けで出版元を見た。(株)ぎじろくセンター わたしが創業して18年、懸命に働いた会社だった。8年前に手がけた出版。嬉しかった。


潮流30号には「 隣国にて 」と題した作品が収められ、それは、わたしの呼びかけで韓国ナザレ園を訪問された内容だった。


ばんだい さんから預かった数冊は、わたしにとっても深い意味のあるものだった。しっかり拝読。


Eテレで昨夜「 新作文楽の楽しみ 新編 西遊記 120分 」を録画した。わたしには敷居が高いが、今夜は文楽を楽しみたい。

落雷・豪雨で読書

美祢市 よしの 店主から拝借した「 日本会議の研究 」を読み終えた。政治と宗教が手を取り合い、間違った愛国心を国民に植え付けているのかもわからないと思い、ため息をついた。


美祢市 もう1人の人物は 黄 正吉( ふぁん・じょんぎる ) さん。日韓の歴史に詳しく、韓国の立場から日本を話される。きのう、その立場がスッキリ理解できた。

母は数年毎に市内で催される、島根県人会を楽しみにしていた。市内に50ちかくあった炭坑に島根県からも働きに来た人が多く、方言で郷里の話をしたのかもわからない。年賀状を交わしていた。

サンパウロで日系三世の人たちと交流したとき、日本の歴史や文化をわたし以上に学んでおられて驚いた。黄さんは、ご自分の立場をそのブラジル日系人に例えられた。なるほどと合点した。


ETV特集 むの たけじ 100歳の不屈 を見た。戦時中、記者として事実を記事にできなかった責任をとり記者を辞めた。以後、一貫して亡くなるまで平和の尊さを説き続けた。まるで若者のようなエネルギーで。


次回は9月3日、午後11時から「 関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか 」の予告で終わった。


今朝、黄さんからメールで「 見ましょう 」と番組案内をいただいた。

藍場川 散策

2時半に起きて 「 朝まで生テレビ 」を終わりまで見た。

天皇お気持ち として表明された、生前退位は生放送と新聞紙上で知ってはいるが、よく理解しておきたい事柄と思っていたとき、番組があることを知った。

御言葉の  

天皇終焉に当たっては 重い殯( もがり ) の行事が2ヶ月 その後の喪儀が1年間

この内容が少し理解できた。


今朝も、萩市藍場川の周辺を30分散策した。写真のコイ前方に木製のモノが川底まである。全体を撮ればよかったがコイに目を奪われていた。川に接するお宅のほぼ全部に、川で洗い物をする場所がつくられている。犬と散歩の紳士に聞いたら、各家庭では今も使われているらしい。食器以外は。

川に降りる石段をつくれば用は足りるが、その洗いモノを見せない精神を感じた。観光地ではないが、萩で好きな場所に加えている。


サイバー戦争 と題してNHKが1時間番組を放送した。インターネット社外を逆手にとり、発電施設・水道施設やパイプライン、自動制御のあらゆる (自動運転車も )  インフラに誤作動を指示するプログラムを埋め込む戦争準備が、すでに世界的にはじまっており、日本はなんの対策も講じていない現実までが内容だった。


SF映画をこえる現実を見た気がした。

ひと雨で秋になった

田舎の道沿いにクリが実っていた。猛暑とか酷暑と世間は言っても山の恵みは元気に育つ。


木曜日、わたしが開店前に納品に立ち寄り月末の集金ができなかった下関市内のお店2軒に集金に行った。農園への帰り道、農園方向に真っ黒な雲がわき出した。30分ちかく大粒の雨が大地を叩いた。午後から爽やかな風にふかれながら、拝借した本 「 日本会議の研究 」を読んだ。


本とは関係ない。


吉田清治という人物が執筆した 「 わたしの戦争体験 」を長生炭坑に関わった時期に読んだ。慰安婦にするための女性。日本国内の労働力にする男性を朝鮮半島か強制的に連れてきた。その任に自分はあったと証言。

後に週刊新潮1996年5月のインタビューに、吉田本人がねつ造 フィクションと認めた発言がネットにあった。


( 本に真実を書いても何の利益もない。関係者に迷惑をかけてはまずいから、カモフラージュにした部分もある。

真実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。チグハグな部分があってもしょうがない )


数楽の藤野先生から。先日の会で講師をされた数学者の森田真生先生が、今年の小林秀雄賞を授賞されたとメール。

小林秀雄賞をネット検索。やっぱり偉い先生じゃった。

長府 慈光寺

蝉がころんとあおむけになって  みじかい命を生きた空をみつめて死んでいる


春を知らず  秋を知らず  いま、自分の生きたのが夏だと知らず


どこへ帰っていったのだおまえは  誰がまっていてくれるのだおまえを


命がおわることを  命が帰るところをおまえは誰からも聞かされなかったのか


ころんと  あおむけになって  そんなにさびしそうに




株式会社 農耕舎

鍵山先生の 心を磨く掃除に感銘を受けた人たちが、日本各地や海外にまで「 掃除に学ぶ会 」が誕生させ活動をはじめた。けれども鍵山先生をとおした縦糸関係で、会をつなぐ横糸はまだなかった。近隣の県ではどんな活動をしているのだろうか。

当時、出版業のわたしが発案したのは地域をつなぐ情報誌。各地の代表者と意見を交わし、それをわたしがつくることになった。

清風掃々 と表題が決まった。予算は0円。一冊100円で10000冊印刷。全部売れても利益はない。写真は創刊号から3号。10号ぐらいまで手がけてわたしは農園業務に専念した。今はあか抜けした立派な清風掃々が継続されている。


株式会社 農耕舎の方を松村御大から紹介されたのは6日。その方は旅館業から司法書士など多才に活躍される53歳。農園の土地についてアドバイスを受け、手続きを進めてくださる。

午後から農園に来てくださり、はじめに農園耕舎の説明をされた。なんと代表取締役は、われらが 松村 久 御大。世界に下関ふく をひろめた立役者が農業?


ようわからんが、御大の金魚の糞でついていく。来月4日、岩国市での催しに参加を決めた。

さつま 小鶴 開封

牧さんが立ち寄られたとき、土産に薩摩の芋焼酎「 さつま 小鶴 」を昨夜開封した。ブランド名が売れているものが必ずしも旨いとは思わない。この 小鶴 は芋の香りがよく旨いと思った。

以前、鹿児島市内で飲んだ 白波 は本当に甘味も香りもあり旨かった。なんぼう飲んでも二日酔いはありません。店主のその言葉は嘘だった。

宇部で買い求める 白波 はあの味がしない。沖縄で飲むオリオンビールも旨いと思うが、地元の肴に方言などが演出するのだろうか。

 

伝わる 伝える。そこにちがいがあると数楽の藤野先生からメールがあった。ちがいの理由は述べられてはいない。けれども「そうです」 と返信した。

わたしの「そうです」 は、金光教組織に布教部というセクションがある。今もあるかどうかはわからないが。


人が助かる。助かりさえすればよいのが信仰と思う。助かった人は、助かった喜びを周囲に話さずにはおられない。それが 伝わる。 


どうすれば伝わるか。その手練手管を駆使するのが 伝える。


昨夜は、涼し過ぎて窓を閉めた。きびしい残暑もあと少し、週末には雨がふるかもわからない。


朝からシャワーの月曜日

この炎天下で元気に咲く花。名前は知らないが、よく見かける厚化粧?


Eテレの録画を昨夜見た。爆撃機 一式陸攻( 日本本土から、中国の重慶爆撃した 住民を殺戮した無差別爆撃 ) の機体に抱かれ、洋上の戦艦や空母に向けて切り離され、ジェットエンジンの推進力で体当りする特攻兵器 桜花 の開発を進言した軍人が生きた戦後が、一時間の番組に構成された。


特攻で若い命を散らせ、自らは生きて終戦を迎えた。8月18日、戦闘機に自決を目的で乗り込んだが、墜落した海上で漁民に助けられた。

以後、戸籍は死亡扱いとなり偽名を語り生きる。その足跡を長男がたどり、生存した特攻隊員を全国にたずねて、父親をどう思うかを聞きながら、年譜でたどる歴史ではなく、その歴史を生き抜いた人たちが、散った仲間を思いながらの戦後の心の苦しさがまとめあげられていた。


終戦。ほんとうの意味での終戦はないと思った。


今朝はむし暑く、5時の散水作業でしっかり汗をかいた。配達に出る前にシャワーでスッキリした。来週の月曜日には、多少の降雨予報がでた。


絵手紙の ばんだい さんからホームページをほめていただいた。

長生( ちょうせい ) 炭坑

宇部市西岐波は自宅があり、わたしの故郷である。

午前中、西岐波を通ったので長生海岸に立ち寄った。穏やかな周防灘にコンクリート構造物が今も残る。海底には良質の石炭鉱脈があり、大正時代から長生炭坑鉱業所が採炭をしていた。海底の坑道に空気を吸入・排気の塔が海上にあり、炭坑用語でピーヤと言う。


昭和17年2月3日、午前6時前に坑道真ん中付近から海水が入り水没した。犠牲者183名のうち朝鮮人労働者が約130名。

この事故に関心をもったのは、郷土史家 山口さんが強制連行された朝鮮人だったと発表したから。


わたしが調べはじめたとき、海岸側に当時の炭坑住宅があり、水没当時は電気工として働いていたHさん夫妻だけが住まわれていた。通いつめて炭坑の見取り図をつくった。坑内から生還した5人のなかの1人、募集の貼り紙を見て朝鮮から渡航した、当時15歳のAさんを福岡県筑豊で探しあて、Aさんを息子のように可愛がったHさんを車に乗せて筑豊で再会を果たした。


Hさんは休みには住吉座に芝居をみたり、羽衣屋で菓子を買うのが楽しみだった。何度もAさんのお宅に足を運び炭坑の話を聞いた。

強制連行された朝鮮人はいましたか。Aさんは、西岐波小学校の在籍名簿を調べなさい。朝鮮人の子供がたくさん就学していました。以前から炭坑で働いていた家族です。子供は日本語でしたよ。


郷土史家に強制連行かどうかを問いただしに行った。返事に困り 広い意味での強制連行といえる。


強制連行制度を郷土史家は知らなかった。

萩市川島 朝の散歩

土曜日の朝は慌ただしい。萩市の常茂恵旅館に7時ごろお届けして、大谷山荘9時、美祢市内10時ごろまでに配達をする。

早朝、日照りの乾燥で夜露がおりている時間しかできないゴミの消却。桜並木の散水。配達の準備に犬の世話。わたしの朝ごはん。食器と台所の掃除。今朝は3時半から動きはじめた。


6時前に農園をスタートできた。萩市は薄曇りだったので藍場川近くを30分散歩した。川島という地域は観光地ではないが、地域を流れる小川の水がきれいで魚やカニ、カメなどが動く素敵な場所。川に隣接する家々には、川で洗い物ができる小屋があった。


玉江という場所も観光地ではないが、海や松の眺めがよい。


加奈ちゃんつながりの若い奥さん。土曜日の最後にお届け。お留守のときは置き場がある。そこにカボチャがありメッセージ。暑いなかの配達に感謝とロロンカボチャ、甘くてめずらしいのでどうぞ。と書かれていた。


きょうの写真はロロンカボチャ。


牧さん から宅配

ヨーロッパをレンタカーで5000キロメートル走り、16日に帰国した牧さんから宅配便が届いた。彼が唯一頼りにしたであろうガイドブック2冊とアウシュビッツ国立博物館の日本語インフォメーション。特にインフォメーション24ページは、わたしにとって貴重な読み物になる。


昨夜の満月が西にのこる早朝から桜並木の散水を再開。涼しいとは思うが、500リットルをバケツで撒くと汗をかく。

川にエンジン ポンプを据えて、井戸のまわりに終日汲み上げた水を流しているが井戸の水位は好転しない。これほどの日照りは農園生活ではじめての経験。


テレビ番組を録画して、都合のよい時間に再生している。特に残しておきたい映像がDVD 200枚以上もある。きょうは3年前の録画「 日中戦争・兵士は戦場で何を見たのか 120分 NHK 」をみた。

上海に上陸して激しい戦闘をしながら南京に攻め行った兵士たちへのインタビューで構成され生々しい。特に南京で中国兵が軍服を脱ぎ捨て市民に紛れ込んだ。市民と兵士の選別は無理。ある証言者は斬り殺す。刺し殺す。撃ち殺すを新兵に度胸をつけさせるため命令した。


かるたクィーン今村美智子さん。来月8日の熱血テレビに登場。

暑いが元気でありがたし

春に萩市堀内の散策を計画した。世界遺産登録も手伝い30名以上の参加があり、2時間のスケジュールは楽しいひとときになった。写真は、萩博物館の庭に展示された、活躍した外国製クラッシク消防車の桂子ちゃん勇姿。

時期は別として、次回の企画を構想していた。防府北基地航空自衛隊を、広報担当官に基地内から発着訓練。隊員食道で昼ごはんと思い関係者を介して自衛隊と調整をしたが、休日には訓練がないことがわかった。


別企画、例えば城下町長府。下関水族館の裏側。酒蔵探訪など。ご意見ありましたらお知らせください。


先週の木曜日( 11日 ) に、韓風おうちレストラン「 てじょん 」が実家の呉明美( お・みょんみ ) さん 「 来週はお会いできないかも 」と臨月のお腹で話された。予定日は、きょう18日。「 てじょん 」 に着くとお父さんが彼女を呼んだ。まだ産まれてないのかと思ったら、2階から細身になった明美さんが笑顔でおりてきた。12日に2500クラムの姫をいただきました!長女の美雨 ( みう ) ちゃんはお姉さんになった。とても嬉しい てじょん になった。


加奈ちゃん。きょうは子供パン教室。自宅に大勢の子供たちが集まり賑やかにやっていた。


よしの で3国同盟を話題にしていたら豪雨。局地的で数百メートル先は炎天下。


厳しい暑さのなか、元気に働ける健康を感謝!

平和が堅持できる日本か

今月6日にお会いできた、イエローハット相談役 鍵山秀三郎先生。

20数年前にご縁をいただいた。わたしの生きる価値観が根底から覆った。たくさん鍵山語録がある中で、わたしはこれ一本と頂き実践努力をしている言葉は「 凡事徹底 」。初対面の日に、難しいことも大切ですが、平凡なことを徹底されると力になりますと教わり大切にしている。しんあい農園日記・囲炉裏の部屋 は毎日続けるわたしの凡事の実践。


オバマ大統領が 核兵器先制不使用を表明した。驚いたことは、安倍総理がその表明に異を唱えたこと。

広島・長崎で核戦争に、唯一の被爆国として廃絶を唱えたてすぐの総理発言。きょうは元外務大臣 川口順子( よりこ ) さんがオバマ表明を支持する発言をした。


日本は核兵器武装せよというトランプ暴言は論外にして。日本の平和と安全はアメリカの核抑止力によって維持されている。いくら核兵器廃絶を唱えても、核抜きで日本はありえない現実を受け入れるか否かを論じるときがきている。


昨日の雨で今朝の散水は無し。5時まで寝ることができた。


火曜日にお盆休みだった山口市内のお客さまに配達。湯田温泉簡保の湯で長湯をして、昼寝も済ませて戻った。

大望の雨!

日曜日に眺めた角島大橋( 西長門リゾート・ホテル側から ) 。わたしが角島に渡ったのはフェリーに車を乗せた時代で橋はなかった。観光地は、通りすぎる人には感動を与え、そこに暮らす人には不便があるかもわからない。


正志の中学生長女が、自宅で家内につぶやいたらしい「 角島に行ってみたいけど、お父さんは夜しか家族サービスができない 」

家内が農園で、それをわたしにつぶやいた。

わたしが中学生のとき、友達は父親や兄弟と海に夜釣りに行った話をした。わたしも夜の海に釣に行きたかったが、父親や兄弟がいないので行けなかった。

角島の絶景より「 夜しか 」の言葉に腰をあげた。


本来ならば、日曜日の仕事はわたしがやるから家族サービスをやれと言うシナリオかもわからない場面。けれども、日曜日にたまには家族サービスができる職場にするのが正志が今取り組む課題。


農園入口の石碑に、ポケモンのキャラクターが潜んでいるのを真砂恵さんが発見した。それでスマホを片手に若者が立ち寄るガッテンをした。

昨夜は、12時過ぎにハッピーが激しく吠えて起こされた。立ち去る車があった。腹がたってしばらく寝つけなかった。


4時に起床。毎朝の恒例になった桜並木の散水を5時からはじめた。真っ暗な東の空に稲光が走る。500リットルの散水を終えたころから恵みの豪雨になった。思わず天に向かって柏手をうった。

夕立注意情報 不発

長門市仙崎港の片隅に立つ看板と、その簡単な説明文だけが、この場所を物語る。

終戦をむかえ舞鶴・博多・仙崎の各港が引揚港に指定された。翌9月12日に引揚船 興安丸が入港。第一次引揚者7000人が上陸。長門市内の寺や学校が救護と宿泊所に充てられた。バラック仮設住宅も建設されたが収容できず。民家も協力した。

昭和21年末に引揚港の役目を終えるまでに上陸した人は41万人。この港から朝鮮に帰った人々は約34万人。


現在も、着の身着のままで命がけの旅をする難民。同じような状況だったと想像する。K・三男さんは、福岡県矢部村で三男だった。狭い田畑と屋敷は長男が継ぐ。満蒙開拓団の募集を農業会( 現JA  ) が行い単身で満州に渡った。黒竜江省牡丹江に近い開拓村が割り当てられた。

余談になるが、開拓村はそれまで営農していた中国・朝鮮人に僅かな金を渡して追い出した。

内地から妻になるため満州に来た女性と集団見合いして所帯を持った。隣の家とは10キロメートルぐらい離れており、出産も夫婦でやった。


子供が何人だったかは言われなかった。引き揚げのとき餓死したとは言われた。夫婦が帰国を果たすまで地獄を通りましたと。


私に龍笛の指導をしてくださった温和な方が満州を話したのは一度だけ。


午後から、宇部市の防災メールが夕立豪雨の注意を何度も促した。空は暗くなり恵みの雨を期待した。郵便配達のバイクも雨具のいでたち。けれども恵みはなかった。


囲炉裏ヨーロッパ特派員 牧さんの顔を見てみたい方は7月2日をご覧ください。

半日の旅

牧さんメール通信。リトアニアを朝5時に発ち15時にアウシュビッツ。入場券は3時間30分待ち。写真の門は収容者たちがつくらされた。その文字は 働けば自由が与えられる。偽りの文言作成に抵抗して左から2文字目の B を意図的に変形させていると説明が彼から添えられていた。これから1200キロ先のハーグをめざす。


昨夜泊まった正志の長女( 中学生 ) が角島に行きたいと言う。お盆で観光客の人出でが多い予想をして、朝6時に出発、8時前に角島大橋に着いた。その時間でも県外ナンバーの車がたくさん到着して賑わいはじめた。

青海島観光遊覧船に電話で尋ねたら9時半の出港に間に合いそう。少し急いで仙崎港セーフ。家内と二人乗船させて、わたしは引き揚げ船が着いた場所を目指した。


詳細は後日にゆずるとして、舞鶴、博多に仙崎の港が終戦後に大陸から引き揚げる人を受け入れた。興安丸で仙崎に帰国した日本人41万人。朝鮮に帰国した人34万人。戦後の1年間、仙崎港は戦後の混乱の縮図を呈していたと想像できる。その港の現場に立ち寄れた。


昼ごはん、どこも満員。特に納涼が売りの於福 そーめん流しは駐車場の空き待ちで長い車列で退散。幸い焼き肉定食の店に入れた。


お盆の生花を買い 西君の墓参り。太陽の照りで熱い墓石に、農園井戸水をたっぷりかけた。


午後1時に農園着。半日の旅を終えた。

県内 約半周を運転

写真の車は、牧さんヨーロッパを走りまわるレンタカー。正確な場所は不明。チェコに立ち寄りましたと添え書きがあった。カタコトの英語でひとり旅。


4時から散水などを済ませ、萩・長門・美祢の土曜コースを走った。大谷山荘は9時到着。別邸の玄関周辺に濃紺スーツの男たちが6名展開して周囲に目を光らせていた。奧には黒塗りの車と、黒塗りの車の屋根に赤色灯をつけた車も見えた。長門市にお墓参りに戻られた安倍総理がお泊まりだった。


農園にもどり昼ごはんを済ませて下関に向かった。お盆は会社の配達が止まる。反対にお盆だから増量して欲しいお客さまもおられて、なんとなく数のバランスがとれている。約600個を載せて、長府界隈から新下関駅周辺を配達。

今夜は下関と門司から花火の競演 海峡花火大会が催される。例年200万人の人出で賑わう。

よい場所の駐車場をめざす人の車で、午後から混雑がはじまっていた。


今夜は真砂恵さん家族と、正志の長女が農園に来る。農園花火を準備している。

夜明け前なら暑くない

厚狭 日蓮宗・妙徳寺に今年も風鈴がさがり、お盆の参拝者の耳に涼しさがとどく。


毎朝500リットルを桜並木に散水している。一時は猛暑と乾燥で瀕死の状況になっていたが、続けるうちに葉が緑色になり元気を取り戻した。わたしの努力に応えてくれて精が出せる。


まだ真っ暗な4時だから出来る仕事がある。鶏糞を受けた新聞紙を焼却すること。朝露がおりている7時までぐらいは燃やせる。日中にやると乾燥した枯れ草に間違いなく引火する。朝は風もない。


散水は軽トラのヘッドライトの明かりで済ませた。


薄暗い5時前から草苅。草も朝露で少しは柔らかいが、日が昇ると硬くなり刈りにくい。約2時間、日が照りだしたので止めた。シャワーで着替えて朝ごはん。


9時に持世寺温泉、400円でかけながしの貸し切り湯。痛風やサバの食あたりが続き玄米ご飯にした。それまでは、朝夕ご飯抜きで副食だけだったが、今は3食玄米ご飯をいただいている。風呂上がりに体重計に乗った。何10年も変わらないベストの65キロ。玄米ご飯は太らない。

牧さんヨーロッパ

レノファ山口、今夜は維新公園での試合。山口県は燃えている。サポーターを街角で発見!


昨夜、牧さんに「 今どこか 」と問い合わせのメールをした。今朝、彼から返信があり驚いた。

アムステルダムからフランスのオーヴェールに行き。ベルギーからポーランドを経由して、バルト3国をレンタカーで旅をしています。

神戸の避難所で奉仕をしていたとき「 ピアノのコンサートに東京に行きます 」と大型バイクで飛び出した。土産にピアノCDをもらった。


屋久島ツアーを企画した。松村御大一行14名を縄文杉に案内した夜の宴会場に牧さんが来た。朝から泳いでいたらしい。


宮崎から阿蘇まで徒歩の旅をしたとき、宮崎県高鍋町で彼が「 お疲れさん 」とあらわれた。


前の仕事のとき「明後日から一緒にインドに行きませんか

」と電話があった。


彼の神出鬼没ぶりには慣らされたが、スリランカから帰国してすぐにバルト3国にはたまげた。


きのう下関を走り、きょうも下関。帰省やレジャーの車が多く、いつも以上に疲れた。

臨時 下関便

荒川大将にお願いして、明日が配達日の寿司・割烹 浪花に立ち寄った。9月1日から1週間、このホームページ 2枚の写真を日替りしている「ホーム」画面で 仮称 浪花探訪 を連載することにした。料理店の紹介は料理の写真になるが、それを載せずに浪花を紹介するという、わたしの冒険にお付き合いいただくことを快諾いただいた。

「下関浪花」でホームページがご覧になれます。


明日は祭日で下関市内の会社など休みになる。きょうはお休みの得意さまに臨時配達をした。


スタッフ給油の店に立ち寄った。それは丁寧に窓ガラスを拭いてくださりその後に支払い。その間、エンジンを止めているから車内の気温がグングン上昇。汗がふきだした。


岡本拓也さんがトヨタ下関店の店長時代。ショウルームに往年の名車トヨタ800か2000が展示され、身長がずば抜けて高い男が眺めていた。その場で岡本さんに一本釣されたのはカモンFMアナウンサー 申 徹也さん。掃除の会や農園にもつれ回された。農園寝具は彼に合うものがない。


今朝のカモンFMに申さんが登場して懐かしかった。現在は北九州在住。ラジオ番組「 申さんの北九州案内 」という番組を持ち携帯電話で出演されていた。

長崎に落とされた原爆は、小倉に落とす計画でフライトしていた話題。


牧さんからメール。ユーロ圏を放浪しているらしい。

ブラジル掃除に学ぶ会

リオデジャネイロの熱戦でメダルの数が報じられる。知的に障がいのある人のスポーツ。スペシャルオリンピックスは、アスリートの頑張りを評価する価値観。もちろんパラリンピックとも価値観は異なる。


リオのカーニバルを観に行った。パレードかぶりつき席の小さい椅子が一晩三万円だった。見たことのない凹凸のきらびやかな女性が、笑顔を振りまき集団で目の前で踊る。サンバの音量も乳房に負けない迫力。飲む酒はピンガーとか言う強い酒。トイレは危険だから数人で行くように言われた。カーニバルはかぶりつきで楽しむものではない。頭が痛くなる。


サンパウロにブラジル全土からアメリカに美容室を展開する飯島社長がおられる。たまたま帰国のとき阪神淡路震災が発生。現地に赴かれたとき大阪掃除に学ぶ会が避難所のトイレ掃除にをしている現場を見た。すぐにイエローハット本社に鍵山社長を訪ねて、ブラジルに掃除に学ぶ会をつくりたいからお力添えを。


わたしは第二回に参加した。空路24時間、隣の席は運悪く鍵山先生。ワインも飲まずに 心磨きの話をずっと拝聴。


サンパウロの公園トイレには若者が大勢参加したが、サンバをかけてホウキやタワシを片手に腰を振り、心を磨くどころではなかった。


サンパウロを拠点に10日。空路で毎日観光三昧。リオやイグアスなど。印象に残っているのは、アルゼンチン観光のとき、山岳地帯を黒煙をあげて走るトラックに飛脚が画かれていた。日本で使い古したトラックが現役で活躍しており、まだまだ大切に使うことが要るとおもった。

天皇お気持ち のべられ

85歳のじいちゃんが、嫁さんの介護を自宅でされている。腰が曲がり、それでも一人でやれる田畑を耕し、食料調達に運転もする。町暮らしの子供たちは「 世話するから 」と招くが頑固に田舎暮らし。草苅のときは布袋を腰に下げ、刃を傷める小石を集めながらされる。

きょうは二人分の梅が天日干し。代々の耕作地をまもり生きる人の住む地域を、切り捨てるような 限界集落という言葉。


昔、広島県上下町か総領町で、その限界集落に生きる人たちを町営住宅に半ば強制のかたちで移住させた。ゴミ処理・道路整備・ガスに上下水道・教育に医療など、インフラ整備予算を考えるインディアンをまとめたような移住が手っ取り早い。

山間部で営み続ける人を支援する行政の事例はあるのだろうか。


天皇陛下がお気持ちをのべられる。

配達を急ぎ足で済ませ、2時半に農園に戻った。約10分のお言葉をテレビで拝聴。陛下が国と国民の安寧を願い祈られている毎日を強く感じ、天皇をいただく国民として強く幸せをおもった。


わずかな夕立を期待したが降らなかった。けれども、毎朝500リットルの散水で、土手の桜並木は元気になりつつある。

黙ってやる

今朝、愛犬と歩くとき見つけた。あとから撮りに行く。


その散歩のとき釣に親子連れが来た。若い父親に挨拶の声をかけたが無視された。小学生低学年ふうの男の子は、わたしの犬に手をふった。少し歩いたら後ろから音が聞こえた。父親が缶コーヒーを土手に投げ捨て釣場に歩いた、その缶の音だった「 拾え! 」と叱る。黙ってわたしが拾う。選択は二つあった。まだ中身が残りあたたかい缶を拾って帰った。


鍵山先生が本社トイレの床に両手をおろしてタワシで磨いていたとき、まさか社長とは思わない社員が、手を踏みそうになりながら便器に歩いた。それでも黙って磨きましたと聞いたことがある。


土手の桜に散水500リットル。草刈り2時間。トイレと風呂掃除でお昼になった。


自爆テロと特攻を同じように話された人がいた。市民を無差別に殺戮するテロと、戦時下で双方が軍服を着てやる戦いは全く異なるとわたしは思う。

色々な場面で、相手と主義主張がちがうとき、わたしは黙ることが多くなった。対立してどちらかが納得しないことが大半になる。後味が悪いだけ。

鍵山先生にお会いできた

愛犬。夜中に部屋に上がりわたしの傍で寝る。夜中、近くの田でイノシン脅しの爆音がはじまると震えて来る。9年前の夏、自衛隊防府北基地付近の茂みで7匹の子犬と捕らえられた。9年の歳月は野生を失わせお嬢様犬になった。


宮崎から大阪に移動の牧さんが、昨夜農園に立ち寄ってくれた。スリランカやインドの体験。特にカースト制は、日本の価値観ではわからないもの。江戸を訪れた西洋人が、貧乏でも幸せな日々をおくる庶民生活に驚いたようなものかと受けとめた。

47歳 独身。高速道路メンテナンスの事業は軌道にのり安定している。世界を見聞してこれから進む道をさがす。近いうちに海外の旅に出る。


イエローハット相談役 鍵山秀三郎さんを師と仰ぐ、全国の教師が集う 第11回鍵山教師塾 in 山口 が開催。岡本拓也さんの車が宇部空港にお迎えに行く。そのお迎えメンバー 下関ふく の総大将 松村御大に同行させていただく光栄に浴した。

出口ゲートで お元気ですか足立さん!と手をとってくださった。体調をくずされているなか、次代をになう子供を育てる教師塾には「 行く 」 と決め、開会のわずか10分の挨拶のため空路来山された。穏やかないつものお顔であるが、日本の未来を願われる強いご意志を感じた。ご挨拶が終わり、すぐに帰路につかれた。


ご自身の体調は言われず、わたしの健康をたずねていただいた。



久しぶり 今村談義

今村さん手づくり中の梅干。家庭の野菜は菜園で。ワカメは小野田に採りに行く。山陰に乗り合いで釣りに行き刺身や干し魚をつくる。鳥などもさばく。大学野球監督だったから夏に汗をかいて草刈りは気持ちがよい。雨の日は陶芸と人生を楽しまれる達人とわたしは尊敬している。


昨夜、奥さまと横浜の子供さんに会いに往復自家用車を運転された近況メールが届いた。久しくお会いしていないので「明日の午前にまいります 」と返信をした。


2日前の夕立雨ぐらいは、土手の桜には焼け石に水だった。今朝も約300リットルを散水した。農園は川があるからポンプで汲み上げればよいが、水道水なら料金メーターが気になろう。


小郡まで走り散髪を済ませて今村さんのお宅。草刈を終えて待ってくださった。奧さま在宅で、熱血テレビが競技カルタの合宿を取材が近々ある。ブラジル人も来日して加わるらしい。いつも話題のスケールが大きい。

バニラアイスクリームを出してくださり、日頃は食べないけれど、裏口の風にあたりながら、最近の世相について年長者のお考えを聞かせていただきながら食べた。よい時間を過ごした。帰りに育てたスイカを頂戴。


夕方、牧さんが中国縦貫道で農園付近を通過するから立ち寄るとメールが届いて楽しみ。

生活習慣病に思う

猛暑、午後2時過ぎの よしの に堂々の完売札。


BSプレミアムシネマ録画「16ブロック」を予備知識なしで昨夜みた。主演のダィハードのブルース・ウィリスをわき役が支えて約2時間のストーリー。ラストシーンは涙がこぼれた。


NHKラジオ 子供なんでも相談はファンになり、甲子園が始まるまで、午前の4時間は面白い。そもそものキッカケは子供の素朴な質問だった。

先生!セミは15年も土の中でさびしくはないのですか?この問いかけに先生方は返答に苦慮した場面があった。

わたしもたくさん母や周囲の大人に尋ねた。どこから赤ちゃんは出てくるのか?母は、そねえなことは聞くもんじゃない!と一喝されて終わった。


素朴な子供の問いかけに、真摯に向き合う回答者陣の一生懸命を聴く、わたしならばどう答えるかを自問しながらのリスナーになっている。


政治の政は「まつり」の意味らしい。ネット検索でも合点できない。これは博学の よしの 店主に教えを乞うのが近道。


卑弥呼から天皇まで「 まつり 」事を解説していただいた。

祭・奉り・祀りに政。よしの談義は楽しい。


生活習慣病。1日の生活のなかで常習的になっている物事の捉えかた。食生活を指している。病は気からの格言は大切な警鐘。

待望の雨!!

猛暑の山口市内。まだ暑くても平気と元気に咲いていた。


朝の日課になった500リットルの水を川土手の桜並木にかける作業。暑くない5時半にすませた。暑さと乾燥で、桜たちは葉を落としながら耐えている。


火曜日の配達を水曜日にされたお客さまの配達は小郡。幸い水曜日は正志が走るのでわたしが行くことができた。


血圧の通院日。最近、薬のコントロールがうまくいっている。夏場は血管が拡がるので下がるらしい。

母も高血圧で、長くは生きられないと言いながら96歳の長寿を全うした。最近、著名な人の訃報を聞くたびに寿命は人の力が及ばないと痛感している。

医師は遺伝かもわかりませんねと言う。塩気はずいぶん注意している。アルコールもだいぶ減らした。毎日1万歩は歩いている。それでもコントロールが出来ないのは、通う病院を変えたほうが賢明ではないかと思うこともあった。


手を尽くしていると思っていたが、もうひとつ手があった。わたしのセッカチな性格。例えば、いつも急ぎ足。信号が黄色なら通過。風呂も食事も読書も早い。

少しゆっくり生きる練習をはじめている。気持ちのもちようが薬の効能を悪くするのかもわからない。アクセルから足を外すこと。


午後から落雷が始まり、水溜まりができるほどの降雨。井戸の水位があがるとは思えないが、桜並木は元気になろう。恵みの雨。

日照りで桜がピンチ

ヒマワリの日曜日。道中の福栄に加治屋を見つけて撮った。農村や漁村、街中に、漁具や農具に家庭の道具を注文されたように仕上げる加治職人が地域の生活を支えた。

料理の味付けも、南国から北国まで地域の味覚に、醤油など調味料も地域の職人が支えた。酒の味も同じように。


同じ品物を大量生産、大量販売で他店より安い!そのご時世では加治屋の技量は認められない。けれども、その風潮が行き着く日本はどうなるのだろうか。考えないといけない。


県セミナーパークから催し案内メールが届いた。5回再婚歴、競馬の予想屋。おもての顔は作家・明治学院大学国際学教授。わたしの好きな 源ちゃん。高橋源一郎さんが10月15日の午後から 民主主義ってなんだ? と題して講演される。どうしても聴講したい。


農園川土手の桜が、長期の日照りで弱りはじめた。川土手は荒い石ころで造られ水はけがよすぎる。今朝は夜明けに1000

リットル散水。明朝も同じようにやる。雨がほしい。

猛暑で8月スタート

農園ゴーヤ。鶏の放し飼い運動場にフェンスがある。ゴーヤの苗を植えるとき、固形油カスを数個いっしょに埋めておくと立派なゴーヤが収穫できる。


あだちすすむ「 検索 」 で囲炉裏の部屋がヒットするようになった。わたしの知恵袋 重枝さん推薦のホームページ作成無料アプリを利用しているので、閲覧件数は把握できないが、部屋を訪れてくださる人が多くなり検索も簡単になったのではないかと思う。ホームページは、日々の生活のなかで感じたことを文字にすることで、感じたことを整理できるような気がしている。

母は俳句で日々を切り取った。わたしも生活の中にアンテナを張りながら文字ではなく写真をやってみたいと思っている。


朝7時前の岡本さんお届けから、長門市・美祢市・小野田市に宇部市を配達した。


今年は暑さがきびしく感じて、1ヶ月前にホームセンターで安い麦わら帽子を買った。不都合が重なり処分して、ヒマラヤでツバ広の野外用を買った。なかなか使い心地がよく役立っている。ペットボトルの水は3本飲みきった。


猛暑で8月が始まった。