スタート5時。ゴールは3時。快晴の下関市〜美祢市の木曜日コースを走った。
行く先々で淳貴くん(昨日から作品展覧会開催)が話題になった。Lineやメールでつながっているお客さまには何度か展覧会情報を届けた。その他の人には案内ハガキを手渡ししている。
淳貴くんは地元ラジオ「カモンFM」のスタジオでインタビューされた。新聞記事にもなった。淳貴くん家族もたくさん案内に足を運ばれた。
今朝、彦島のお届けさきで「淳貴くん行きます」とご主人が出てこられての挨拶。とても嬉しかったので何度も頭をさげた。
内日でじいちゃんが「あんた、毎年海峡ウォークを歩いておるのか」と声をかけてくれた。20年前は5時間で歩いたが今年は7時間もかかったと高齢参加の話題になった。
その会話をおえてハンドルを握っているとき、じいちゃんは海峡ウォークの日、カモンFMのスタジオから私の携帯電話に午前と午後2度のインタビューを受けた。
午後のインタビューは淳貴くんと私のご縁と展覧会についてのインタビューになった。長府黒門、海峡を左に眺めながら歩みをとめずに長々と淳貴くんコマーシャルをさせてもらった。
あの放送をじいちゃんは聴いていた。
小雨の5時。下関にむけてスタート。最後のお届けは1時半に美祢市のプチラボベーカリー。
道の駅於福温泉に立ち寄り湯。60分ぬるめのお湯で疲れを癒やすことができた。
農園に戻る3時半、生命保険の方が確認事項があるので農園に行きたいと10日ぐらい前に電話があり、私の都合で4時のお願いをしていた。それをすっかり忘れていた。
約1時間、契約内容の確認を聞いた。途中から睡魔がやってきた。冷たいハイボールも飲みたい。終わってすぐ冷蔵庫をあけた。
淳貴くん展覧会初日。レストラン「卯」の村松シェフから「すばらしい展覧会でした」とLine。金剛住器の木村社長は「淳貴くんシャツを買いました」とLine。ピアノの益田さんから「必ずいきますよ」とメール。
配達が下関だったので淳貴くんの話題が多かった。
美祢市の岩崎さんからLine「きょうの新聞に淳貴くんが載っていました」とLine。清水千代美さんはハグしましたと。
淳貴くんと作品はたくさんの人たちの心に「ほっこり」を届けている。
写真。アザミを撮ろうとしたら蝶がとまってくれた。
掲示板に淳貴くん紹介しています。
🔶テレビ番組お知らせ
27日午後7時半・NHK総合 新プロジェクトX「厳冬黒四ダムに挑む・断崖絶壁の輸送作戦」
SNS(フェイスブック・インスタグラム)の広告詐欺被害が多いらしく運営会社にその排除をもとめている報道をみた。
フェイスブックを毎日たのしく使っている私は頻繁にあやしい(著名人の誘いかけ)広告を目にしている。被害にあったから排除してほしいという声はわからんでもない。けれども「儲かる」大風呂敷にのせられた人にまったくの落ち度はなかったのかというと、私は「否」の立場である。
フェイスブックを使いはじめた7〜8年前だった「友だち申請」が届いた。イギリス在住日系人で高齢女性だった。
私のフェイスブック投稿をみて申請したとひとことが添えられていた。申請を受けた。
毎日イギリスの生活がメッセンジヤーで届くようになった。その話題が自身が末期の病で余命宣告されていることになった。
私は励ましのメールを届けた。
その返信は、私に夫が遺した遺産の全部を譲るから日本の社会貢献に使ってほしい。
ここで、お金に話題がかわったので詐欺と直感した。けれども詐欺に興味がわいてメッセンジヤーにつきあった。
その資産を受けとるために、保証金300万円を預託したら全額受け取れる(数億円!)その返信をした「私も資産運用に困っている。イギリスで受けとり社会貢献に使ってくれる人をご紹介下さい」と送信した。そこで縁は切れた。
今朝のニュースで「いただきなんとか」と億のお金を貢がせた女性もあった。
遊園地の遊具も危険はないかとチェクをさんざんしたら遊具でなくなると思う。
SNSを利用する側の広告などにみきわめる力(責任)はあると私は思う。
淳貴くん展覧会。いよいよ明日から開催。私は日曜日、仲間たちと行く。
海峡ウォーク30km歩いて脚は痛くも疲れもなかった。
きのう4時間ほど草刈りをした脚は疲れている。理由は重たい長靴を履いていたせいかもしれない。
昨夜、寝るときお客さまから頂戴した貼る湿布を両脚にたくさん貼った。
今朝、いつもの月曜日と同じ5時に農園スタート。山口市から美祢市山陽小野田市をお客さまと会話をしながら走った。
美祢市では、きのう投票が終わった市長と市議選の話題が多かった。投票率が前回より落ちたとはいえ70%はりっぱ。
新緑の妙徳寺を撮った。
6時までにトイレと部屋と台所などピカピカにした。日曜日は高血圧には掟破りのラーメンと決めている。もやし大盛りラーメンとキャベツ千切り(家内昨日)。
6時半から11時まで草刈正雄。きのうキャタピラー草刈り機「ハンマーナイフ」ではできない所をショルダーの草刈り機で済ませたので「ハンマーナイフ」を戦車のように草むらを走らせた。高圧洗浄機(エンジン)で「ハンマーナイフ」を洗ったころから雨になった。自宅から家内が到着。
とにかく草刈りを済ませることが土曜日と日曜日のミッション。それが終わったので、フルート・オーボエ・ピアノ「ほのぼのコンサート」菊川アブニールに行った。
「ほのぼのコンサート」は3回連続の常連。
2時間の生演奏は草刈正雄が喜んだ。とくに映画「ひまわり」の「愛のテーマ」。
映画は「スクリーン・ミュージック」が作品との両輪と思う。作品だけなら「ショーシャンクの空に」が私の一番。けれども「スクリーン・ミュージック」を加えたら「ひまわり」。切ない物語のなかでソフィア・ローレン演じる妻が終戦後のソ連に夫をさがしに行ったとき、夫は極寒の戦地で命を救ってくれたソ連の女性と家庭をきすいていた。
イタリアに帰る列車で慟哭するシーン。広大なひまわり畑(オイルを採る)のなかを夫の墓碑を探して走るシーン。
それが「ほのぼのコンサート」でよみがえらせてもらった。
よいコンサートだった。
先週水曜日。藤中さんとあったとき「木偶坊(でくのぼう)」第3号を頂戴した。
創刊号は昨年4月・2号は10月・今月3号発行(A4判151頁)。表紙デザインは3号とも藤中さん。
ペンネーム「逢坂かのを」で寄稿されている。「逢坂」はお住いの地名「かのを」は父上の名前。
3号は下関在住の文化人11名が寄稿され、逢坂さんは「恋ひ死なむ」縦書き2段組23頁。
🔶ブログ「逢坂かのを」は短編小説「新マンゴーは甘くほろ苦い恋の味」お読みください。
短編でも長編でも作家はそのストーリー。登場人物キャラ。時代背景に場所などを構想して文字に起こすのだろうか。
逢坂さん「恋ひ死なむ」読んだ。情景描写、例えば都会の電車が出たと思ったらすぐ次がホーム入る。都会暮らしがない私は駅の雑踏のなかにいた。
長門峡の場面。店のおばさんとの会話。おばさん山口弁を使ったらより臨場感が伝わると感じた。
ラストはやっぱり切ない。逢坂さんの人生かも知れない。
明日(日曜日)の午後から長門まさよさんたち3人(フルート・オーボエ・ピアノ)の「ほのぼのコンサート3」が催される。
農園は多雨で雑草が伸び放題。天候は午後から明朝まで雨予報。
農園隣接の一番広い耕作放棄地を、明日の午前中に刈ることができたらコンサートに駆けつけたい。
早朝から萩市などを走り昼前に農園に戻った。すぐに作業服に着替えて隣接地に出た。
明日の早朝、雨が止んでいたらゴムキャタピラーで動く「ハンマーナイフ」で刈らねばならないほど繁っている。
木のつけ根や石がある場所にイノシシ防護網のところはショルダーの草刈り機で終えておかねばならない。しっかり汗をかいて終えた。雨になった。
今朝、早起きして映画「風にたつライオン」をいっきに観た。
短期集中決戦型、つまり根気がない性格でこの歳まできた。趣味を問われても「ない」しか返答できなかった。
ブログの写真もブログもガラ携でヨチヨチやっていた。携帯電話カメラで日常を撮っていた。重枝さんと出会った7〜8年前、ブログをタブレットで有料アプリでやることを教えてもらった。
ブログのスタンスは、私のために続ける。つまり誰も読まなくてもよい。足跡を刻むことで、その日を振り返ったり、文章をまとめる力量を培うこと。有料アプリは広告はない。重枝さんが設計してくれた「ホーム画面」「日記」「掲示板」「あだち美術館」など更新することでインターネットの仕組みを失敗しながら学んできた。
タブレットのカメラ機能はガラ携に比べて雲泥の差だったが、大きくて使い勝手が悪い。写真をブログやFacebookの表現力に使いたいと思い、人生はじめてのコンパクトデジタルカメラ「コンデジ」を買った。WiFi機能がありタブレットの互換もサクサク。ズーム写真も(25x)も使い慣れた。
今年、同じキャノンの(40x)に換えた。理由は、撮った写真をコンビニのマルチコピー機でプリントしたとき、スマホの写真ではクリアなのにプリントは荒い画像になる。思い出に差し上げるために画質。それと背景ぼかし機能も欲しかった。
趣味は?とこれから問われたら「撮ることです」と言う。カメラを持っている毎日は、これまで見えなかったモノが見える楽しさがある。
8週間ごとの血圧検診を済ませて常盤公園。
初夏を思わせる陽射しをうけて6キロウォーキング。それを「あだち美術館」にした。お立ち寄りください。
写真は、きのう下関彦島の住宅街から撮った。対岸は九州、その狭い海峡を全速力で走る船舶。狭い住宅街から偶然撮れた。
昨夜の地震。泊まった家内が騒ぐので目が覚めた。携帯電話が緊急を大音量で知らせたらしいが聞こえていない。
最近ネットで「クジラやイルカが浜辺に打ち上げられてたくさん死んでいるのは地震の前兆」と、その根拠を示さない話題が目についた。
火曜日のNHKテレビ番組でそれを数十年前に遡り、クジラやイルカの漂着と地震発生を克明に検証した。
国立科学博物館が新聞などあらゆるデータから漂着地点を記録していることに驚いた。
番組では、漂着と地震と因果関係はないと結論づけた。そして、人は不安を何かに理由づけて安心すると結んだ。
木曜日の朝6時半。何年も前から唐戸魚市場に立ち寄っている。
今朝、サバが目にとまった。時期はずれかも知れないが500円と600円と800円の店があった。太さで選んだら500円。それよりこまいが800円。
朝ドラ「虎と翼」だったら「はて!」の場面。800円の店で高理由を聞いた。
棒受け網のような捕り方で捕ったアジと一緒にあがったサバで、さっきここに届いた鮮度抜群!。2枚おろしにしてもらった。たしかにエラも真っ赤で鮮度はわかった。鮮度と脂ののりは別もの。
魚市場を歩くのはたのしい。赤間神宮に車をとめて、カメラを手に海峡の潮風にあたりながら歩くこともたのしみ。
きょうは「長府の宝」とか「カバ隊長」と多くの人から慕われている藤中和岳さん(1951年)誕生日。
6〜7年、親しくおつきあいさせてらっている。
「カバ」はその風貌からかも知れない「宝」「隊長」が藤中さんの魅力が、周囲の人にそう言わせている。
長府の街を流れる壇具川にホタルを呼び戻そうと言い出した「やめたほうがよい」と言う人はいない。市から事業費の補助金を貰えばよいと言う人がおるなかで「費用は我々で捻出する。頼ればそれがなくなれば事業が頓挫する」
キャンドルナイトと銘打って、古串屋付近の壇具川沿いに功山テラ近くまでローソクをズラリと並べ、ひとつ500円で容器に入ったローソク(点火してある)を買い川沿いをそぞろ歩いてゴールのツリーに掛ける。
その準備と撤収にたくさんの同志が集まる。胸までの長靴をつけて川掃除は藤中さん。そのイベント指揮官が藤中さん。呼称を決めるとき満場一致で「隊長」となった。
私も毎年「菊舎」で大酒飲んでから歩いている。
長府公民館に無声映画(活弁)を招いて上映したのも隊長。菊舎のあと大河内伝次郎やチャップリンを楽しませてもらった。
ブログの「逢坂かのを」は隊長ペンネーム「逢坂」は住所「かのを」は父親の名前。
「新マンゴーは甘くほろ苦い恋の味」
お楽しみください。
5時農園スタート。7時、長門一の宮住吉神社到着。鳴瀬宮司とばったり出会った「もろうちょこう」と宮司の30個を受け取ろうとされたので「一週間のお礼を申し上げて社務所にまいります」とお断りした。20数年、欠かさず水曜日の朝参り。1時半「プチラボベーカリー」お届けで水曜日がおわった。
於福道の駅温泉でゆっくりできた。
淳貴くんラジオ登場のことは「掲示板」でご覧ください。
今月12日の日記でご紹介した呉麗美(お・りょみ)さん。目標。毎日の花言葉をイラスト作品にする。
それを宣言され続いている。ある程度の数になったら「あだち美術館」に掲載させていただこうと考えている。
きのう激励メールを届けた。毎日続ける、私の場合は日記。それが必ず力になる。
20数年日記を続けて思うことは、暇だから書くではない。だいたい30分ぐらいで日記と掲示板の更新を済ませる。ホーム画面は早朝。
彼女は子育てと家事をこなしながら描いている。
今朝2時に目がさめた。昨夜録画「ノルマンディー上陸作戦」実写映像をみた。
ドイツ軍と激しい戦いをしているソ連のスターリンは、連合軍がフランス上陸してドイツ軍を2方向から攻めたい。アメリカ軍のアイゼンハワー(チャーチルも同席)に「アメリカ軍が日本を攻めるときソ連も参戦する」ときりだした。
とき、日本とソ連は不可侵条約を国家間で締結していた。
この史実が番組から理解できた。
火曜日は山口市内の配達。大勢の人たちと会話がはずんだ。なかでも、美容室ニュースタイル相談役の糸賀さん。数日まえにシュナウザー(生後3ヶ月)を買った。その動画を、たくさん見せられた。
この犬と歩こうと思うと満面の笑み。ええことです。
いま5時。シャワーを済ませ布団も敷いた。作業場で働いている家内が自宅に帰るまえ夕食をつくってくれる。
3㍑で1500円の箱ワインを買った。継続は力の晩酌がはじまる。
プロジェクトXがはじまった。その記念すべき第一回は「東京スカイツリー(80分)」
初代プロジェクトX(60分)第一回のテーマは忘れたが内容は、富士山頂に巨大レーダー施設建設だった。薄い酸素と極寒のなかで人夫たちが集団で山を降りようとした場面で立ちふさがったのは気象庁の藤原(後の作家、新田次郎)「子供や孫たちに誇れるこの仕事。完成したら山の頂きにお前たちの名前を銅板に刻むことを約束する」
建設がおわり、新幹線が走りはじめたころ働いた老人が孫に「あの山のてっぺんにワシの名前がある」と自慢話を取材。
レーダーを風速100米からまもるレーダードーム。その骨組みが完成した600㎏。当時のヘリコプターの最大揚力は400㎏。
それをやり遂げた男は海難や山岳救助で国内屈指と名がとおった人物。戦時中、たくさんの特攻隊員を養成した教官。
ヘリから取り外せるものをすべて外し、気象庁に頼んだことは、山頂にむかって風が吹く日。その風のって600㎏をあげる。
藤原が「この日」と判断した日は奇しくも8時14日。
ヘリは山頂にあがりホバリングでたくさんのボルトの位置にドームの骨組みをおろした。
ヘリが帰還。パイロットは3分間降りなかった。嗚咽していた。
東京スカイツリーは、ざっくり私が感想すると。請け負った3つの会社「組」のトップにフォーカスしていた。
取材力の差を番組から感じた。
「黒四ダム」や「青函トンネル」は、名もなき人たちを主人公にした。観て涙がこぼれ背筋がのびた。
頑張れプロジェクトX
きょうは小雨、ふる前に撮れた美祢市の鯉のぼり。
NHK総合テレビ「映像の世紀バタフライエフェクト」毎回録画している。
「ロッキード事件」「東京裁判」は記録映像から学ぶことが多かった。明日(15日)午後10時は「史上最大の作戦・ノルマンディー上陸作戦」映画ではない映像。
写真家ロバート・キャパもこの上陸作戦にカメラで上陸している。上陸用舟艇から砂浜に走る兵士たちを撮った。つまり弾に背をむけて最前線の緊迫に迫った。
「すずめの戸締まり」は余韻が残っている。もう一度観る。
「愛は静けさの中に」を半分、昨夜観た。マーリー・マトリンという女優が「ろう者」を演じ
るストーリー。とても美人女優。
日曜日はトイレ掃除。風呂とトイレをみがいた。
山口市掃除に学ぶ会。今月は美祢市川東小学校(廃校)のトイレ掃除。8時半に着いた。
地域のみなさんも参加されて和気あいあいの90分。酒を飲まずとも便器をともに磨けば友だちになる。
解散のあと秋吉台に向かった。昨年の「きょう」絶滅危惧種の翁草を秋吉台で撮った。不思議な草だったので博物館に立寄り撮った写真を見てもらって翁草と知った。
長者ヶ森から2時間、昨年見つけた地獄台方面を歩いたがあえなかった。翁草は「掲示板」に載せました。
鶏も春を楽しんでいる。
いま5時前、眠たくて仕方がない。
3時に起きて5時に配達スタート。萩市から長門市、美祢市を配達して昼前に農園に戻った。自宅から家内が来ており炒飯・ハンバーグランチ。
午後1時に山口トヨタ店。タイヤとオイルとエレメント交換。今年の12月でまる4年をむかえる愛車の走行距離は18万km。エンジン音が大きくなったぐらいでキビキビ走っている。
ジャケットの袖補正をお願いした「ラビット」にそれを受け取り。
帰り道で60分ウォーキング。
吉野談義は満開に花が咲いたが眠たい。
写真は、今朝7時の萩市三見眼鏡橋。
呉麗美(お・りょみ)さんの作品。10日まえからFacebookに「花言葉シリーズ」として作品を投稿されはじめた毎日。私と長年のおつきあい呉明美(お・みょんみ)さん妹で北海道在住。
以前「あだち美術館」で作品を拝借させていただいた。
昨夜「花言葉シリーズ」についてたずねた「できるだけ毎日の花言葉を描いてみたい」と今朝お返事を頂戴した。
家事と子育てのなかで、なにか目標をさだめてはじめられた。応援したい。
7時から今期はじめての本格的草刈をはじめた。9時まで、しっかり汗をかいた。10月末まで草刈ダイエット。
愛犬の狂犬病注射。
阿知須の松田獣医に行った。愛犬は興奮して脱糞!日ごろは威張っているが小心犬がバレた。
お昼前に農園に戻った。
美祢市の於福道の駅温泉。ソルトサウナで塩サバ状態でしっかり汗をかいた。
休憩室で「あだち美術館」更新をおえた。
彦島沖、狭い関門海峡をぬけて響灘に向かううしろ姿。
船は「前」より「横」よりも後ろ姿に美しさが私は見える。
きのう夕方、水曜日の下関で疲れ早々に布団に入り録画番組を選んだ。観るより眠たい毎日で録画番組がたまっている。
てげ(宮崎方言・凄い)宮崎弁の牧さんがメールで「宮崎県が舞台で面白い」という「すずめの戸締まり」を観ることにした。
私は、スズメが防犯活動をするのか、それは面白いと期待したが「千と千尋の神隠し」のような展開になった。たしかに宮崎弁だった。
観たいが眠たい。木曜日の走行距離と配達軒数と年齢をわきまえて中断して寝た。
3時半に起床。家内が泊まってくれたので配達スタート5時までに焼却ゴミに愛犬散歩、配達の準備。数人にメールを出した。
28日の日曜日。淳貴くん展覧会ツアー。朴の森集合メンバーは6人。
淳貴くん展覧会・村井先生(切絵作家)ギャラリー・藤中さん個展を訪ねてランチ。そのコースを組み立ててながら木曜日を走りおえた。
村井先生と藤中画伯にお願いを済ませた。
きのう山口市の朝。
小学校入学式に向かうピカピカの男子1年生とその母親が信号が赤で歩みをとめた。その姿を右手に見ながら私も信号待ちをしていた。
昨夜の風雨で歩道に散ったサクラの花びらの路面に立たせて、母親がスマホで撮っている姿を運転席窓から撮った。よい写真が撮れた。
けれども1年生の顔がぼんやり判る。最近は、それぐらいでもプライバシーを言う人がいる。Facebookの「友だち」にそれを載せるかどうか意見を求めたら、慎重なお返事を頂戴した。
海峡ウォークのとき「平家太鼓」をたくさん撮ってFacebookに投稿した。それは問題なかったのか。
そこはまったく意図していなくても「言葉狩り」にあうご時世。「美人だね」と言って喜ばれるかセクハラになるか。息苦しい。
壇具川の一枚。
季節のバトンはサクラからツツジにわたった。ツツジのあとはアジサイ選手。
肌寒いことをご年輩は「ししら寒い」と言う人もある。その早朝(7℃)5時前から水曜日を走り出した。3時に農園ゴールインした。
火曜日は山口市。ちかいので、ゆっくり6時にスタートできる。5時半に掃除も犬も配達準備も全部終えたので録画番組(エアフォースワン)を少し観ようとしたとき台所そばの棚に積んであるお盆の汚れが目にとまった。
昨日の日記「見える」の世界。見えないときは見えない。
お盆3枚を洗ったら、その棚の汚れが見えた。そこの汚れをゴシゴシ。掃除は「やったら気持ちがよい」が私の基本。
30分でよい気持ち。30分で結果が見える。
糸賀ニュースタイル相談役の母上が先日99歳の大往生をとげられた。
晩年でも宝塚トップスタートのようないでたちだった。たくさんの洋服が遺された。糸賀さんが「ばあさんの洋服を活用してくれ」と託されたのでバーバラずプロモート倶楽部に全部任せることにした。
初回の引き取りは下関からバーバラメンバー3人が来てお礼を申し上げて頂戴した。ブッテックが開けるほどの数。そのあと「クリーニング店から戻った」と預かったたくさんの洋服(すべて高級ブランド品)は私が下関に運んだ。
今朝「まだあったいや」と毛皮のコートや芸能人ステージ衣装より派手かもわからない洋服の数々を預かった。
バーバラが引き受け丁寧に活用(販売)し、その売上金はすべて社会貢献に使われる。
山口市の配達を終えて帰り道。淳貴くんが大好きなヤギを撮ろうと少し遠回りした一枚の写真。
海峡ウォークを終えて、特別に疲れや痛みもなく布団に入った。寝起きも元気にと思ってアリナミン錠飲んだ念のため。
今朝3時過ぎに目がさめ、ブログのホーム画面更新。昨夜届いたメールやコメントに返信した。
5時すぎに月曜日を走り出した。
ブログとFacebookに、その日をより鮮明にみなさんに伝えるため活字に写真を添えている。カメラを必ず持ち歩く毎日は、タブレットのカメラ機能から数えると10年以上になる。
そのカメラ生活でつくづく思うことは「見えていない世界がある」ということ。
カメラを手にするまで、風景や草花など、そこにあっても見えていなかった。いま道端の草花に目がとまることもある。
さっき通過した、あの風景は来週は撮れないかもしれないと引き返して撮ることもある。
風景をどうカメラにおさめる(切り取る)か。どこから撮ったらきれいに撮れるか。
これまで見えていなかったモノが見えている。
きょうの写真「チューリップ」の背後にはブロック塀がある。そのブロックが写らない角度をさがした。
ゴミが落ちていても見えない人。汚れが見えない。四季のうつろいが見えない。つまり、人の目は関心があるモノしか見えていない。
海峡ウォークの朝をむかえた2時。
8時過ぎ、厚狭駅乗車で重枝さん、徳重さんと高山さんに合流する。それまでしっかり時間はあるから、昨夜の録画番組「プロジェクトX」をみた。
東京スカイツリー建設にたずさわった男たち(鳶職)が命をかけ、あの東北震災のおお揺れのなかでも現場から逃げずに660㍍の先端で責任を果たした。
この番組は「名もなき人たち」の心意気、仕事にたいしての責任感にフォーカスしている。
番組から、私が人生最大の困難にぶち当たったときの腹構えを学んだ。
日曜日の朝は「もやしラーメン」不健康といわれてもそれがたのしみ。
厚狭駅で仲間と合流。小月駅からスタート会場までバス移動。JRもバスも支払い「ICOCA」を使用した(私の文明開化)
カモンFM局の申さんから、海峡ウォークのときスタジオから電話インタビューをしたいと申し出があった。午前中と午後の2回という。
淳貴くんの展覧会をおおいに喋ってよい。と言うので快諾。
午前は、海峡ウォークを私がどう取り組んでいるかをスタジオらインタビューされ、歩きながらこたえた。
午後2時ごろの電話着信で、私なりに淳貴くんのこと、作品のこと。作品タイトルも見どころなど話すことができた。
ゴールインは7時間。年々歩くペースがおちるのはしかたがない。
2019年1月2日。
JR厚狭駅から下関行き始発に乗り込んだ。下関駅から厚狭駅まで徒歩の旅決行。
岡本拓也さん母上、ご高齢で不具合が多くサービスつき介護施設に入っておられた。
下関駅で、正月限定販売切符「関門突破(受験生向け)」を販売していたのでお母さんの土産に買った。
赤間神宮、亀山神社など参拝し前田から野久留米街道山越えコースで功山寺に向かった。
功山寺到着は10時過ぎ。山門の石段に腰をおろして鍵山先生に年始ご挨拶の電話をかけた。
長い挨拶になり、4月できれば私の自宅に来られませんかとお誘いを頂戴した。その場で4月6日の午前中と決まった。
3月ごろ岡本拓也さんに「来月6日、羽田往復(始発・最終)の格安チケットを買ってくれませんか」とお願いした。
以前は出張で空路の上京は度々あったが、格安チケットの買い方がわからない。岡本さんはご兄弟が関東在住でチケットは詳しいと思っていた。
「どこに行くかね」「なにしに行くかね」と聞くから話したら「ボクも連れて行ってくれ」になった。
4月6日、拓也さんと2人で空の旅。チケット代金は「ええから」と頑なにこばみ受け取らない。無料の旅になった。
山口県に「掃除の会」「スペシャルオリンピックス」の旗が揚がったのは鍵山先生(当時YellowHat社長)のおかげでしかない。
私の人生の大黒柱になってくださった長年の御礼を申し上げる機会は鍵山先生が日取りを決め、拓也さんがレールを敷いてくださった。
羽田にはご長男の幸一郎さんが出迎えてくださった。
ブログ「あだちすすむ(人生の車窓)」に鍵山先生とのご縁を書いている。
4月6日は記念日。
朝ドラ大好き。
はじまった「虎と翼」はストーリー展開が「字幕」というまとめかた。登場人物紹介は「字幕の活字」それは私の頭にはスッキリおさまっている。
朝ドラ。いつも幕開けからゴチャゴチャしてアクセルを踏みはじめるパターンだったが、私には初回からアクセル全開でこれからがおおいに楽しみ。
農園に泊まった家内と朝ドラを見て金曜日がはじまった。
淳貴くん作品を糸賀さんオフィスに定期的に掛けかえている。きょうの掲示板に載せた作品を掛けて市内で用事を済ませて一の坂川に行った。
火曜日に一の坂川沿いのお宅の配達がある。けれども桜を撮る時間はない。
図書館駐車場に車をおいて一の坂の桜を楽しめた「あだち美術館」にそれを中心に載せた。春爛漫をご覧ください。
きょうの一枚は「ゆきちゃん」近影。
5時前、木曜日を走り出した。唐戸魚市場はぐるぐる歩いても地魚(雑魚と呼ばれるが、私は好き)が見当たらない。コウイカが欲しかった。
特大のイワシ(4匹700円)を買った。刺し身用だったが家内に電話で「焼く(腹を出さずに)」「揚げる(骨も)」を頼んだ。
日曜日の海峡ウォーク。お天気がだんだん良くなり、雨はないと思う。肝心の足づくり。配達の時に最高の早足をやった。階段や坂道の下関は絶好のトレーニングになった。
なにより、桜を撮るため走りまわったことが一番のトレーニングになった。
撮った桜は「あだち美術館」に載せる計画。
農園ゴールイン前の3時。カモンFMの申さんから電話。
海峡ウォークの午前と午後。スタジオの美人ギャルから電話取材させてください。美人かギャルか電話ではわからないが「淳貴くん展覧会のインタビューもさせますから」と私のツボを押したので快諾した。
きょうの豪雨準備で、きのうホームセンターで長靴を買った。
雨具のズボン股下が長く(中学生のとき「座高一」と呼ばれた短足)ハサミでカットするか思案のとき、裏向けにして折り返し、長さを決めてガムテープをすることにした。
豪雨の帽子はモンベルよりJAで買ったビニールハットが絶対よい。上着はユニクロの完全防水。
豪雨のなか、車から歩いて運ぶ大きな箱はビニールをかけた。
その準備が全部功を奏した水曜日。美祢市のプチラボにお届けを済ませ道の駅於福温泉に立寄り湯。
ぬるいお湯に30分、疲れた身体をのばした。
スマホのカメラ機能を理解している。腰につけているカメラを上回る性能に驚いている。
被写体の住所にピントをあわせたらGoogleの地図情報に移行して地図が表示された。
撮るときのモード設定もたくさんある。
腰のカメラはスマホより構えやすい。ズームはスマホに負けていない。
きようの一枚はスマホカメラで撮った。
きのう、新保さんから拝借した一冊。沖縄戦の戦没者ご遺骨収集奉仕(金光教)に復帰直後から長く参加した。
戦争は、体験した人の数だけ証言があり断定的なことはいえないと思っている。
集団自決を日本の兵隊が命令したと言う証言。「死ぬな」と生きることを促した日本の兵隊の証言もある。
昨夜、眠りながら観た「東京裁判」アーカイブ映像(NHK)で、東条英機があたかも天皇にも責任があると証言台で放った言葉を、裁く側の連合軍側が「天皇あっての日本」という統治する側として、東条英機からその発言を撤回させた記録映像だった。
新保さん拝借を読ませていただく。
テレビ番組ご案内
🔶5日の金曜日。午後9時からKRY「すずめの戸締まり」
🔶8日の土曜日。午後7時30分からNHK 新プロジェクトX「東京スカイツリー83分スペシャル」
7日(日曜日)。今年も徳重桂子ちゃん隊長で「下関海峡ウォーク」に参加する。隊員は、重枝さん、高山さんと私と隊長の4名小隊。
昨年は9時に清末「東行庵」スタートして、ゴールの「シーモール」に3時ごろ着いた。距離は30km。
私の自慢は「短い脚」と「強靭な肝臓」だけ。しかし今年の秋で73歳。自慢にかげりが出始めた。
歩ける足づくりをはじめている。本番で履く靴は海峡ウォークを何度も歩き、秋吉台もこの靴。萩から、長門市から、下関から50kmウォークもこの靴。
ふつうなら捨てている見た目にもボロ靴。接着剤であちこち補修している履き慣れた相棒。
毎日40分ほど歩いている。時間は短いがアクセル全開で汗をかくスピード。そのご褒美で血圧が安定した(降圧剤服用)。
きょう火曜日。配達先でエレベーターは使わない階段ルート。駐車場は一番遠くにとめる。それで歩く準備をしている。
写真は桂子ちゃん隊長が載った新聞記事(数十年前)記事は、素適なお接待所がありました。場所は今治市五十四番の延命寺近く。
歩きお遍路結願した。
農園桜並木。やっと八分咲きぐらい。
20数年前、以外の佐伯さん奥様が「主人がお世話になりました」とお礼に数万円農園に届けてくださった。
そのお金で桜の苗木、約30本を買い仲間たちが集って植樹祭をした。佐伯さんの長男もくわわり、手前から2本目の根本に遺品を埋めた。
🔶
農園 桜並木。
岡本拓也さんが下関トヨタ店長のとき工場長は佐伯さん。松村御大がはじめた下関掃除に学ぶ会に岡本さんや江口さんと加わった。佐伯さん、鬼瓦のような顔が笑うと仏様のようになる。
病に倒れた。幼いころ過ごした長崎県島原市のお寺(複雑な家柄で)に参りたいと病床で言われた。家族が主治医に「叶えたい」と外出の許可を頼みこんだ。当日の運転手は島原市の地理がわかっている私が担当した。
大きな涅槃像があるお寺が佐伯さんのふるさと。なんと工場長がお経をそらであげたのには驚いた。小坊主時代のエピソードをその場で語られた。
住職のお使いで門徒の家に行き帰りにお寺への布施と佐伯さんにお駄賃の封筒を貰った。帰り道に食堂で食べたりしたのは布施。住職にお駄賃封筒を出してぶち殴られたらしい。
佐伯さんご葬儀のあと奥さまが「お世話になりました。何かに役立ててください
」と持参されたお金で桜を植えた。植樹の日はお掃除仲間が集まった。佐伯さんの長男も来た。時計など遺品を根本におさめた。
佐伯桜の並木が今年も咲き誇った。
🔶6年前、Facebookに投稿した内容転載。
「あだち企画」今年も(萩八景遊覧船をたのしむ集い)を計画、準備をして当日をむかえた。大人30と小学生2人が下関から山口から集合予定時間に全員の顔がそろった。
例年、昨年は4月3日。橋本川沿いの川土手は満開の桜並木と春の陽射しだったが、今年は開花がおくれていた。
3隻予約して分乗したが船頭さんは桜の開花おくれを何度も詫びるが、そんなときもある。
マイクで萩の歴史や文化を語り、名調子の歌声まで披露してくれた(拍手!)
私は次女(真砂恵さん夫婦)夫婦と楽しむことができた。次女夫婦の写真は「掲示板」末尾。
NHK総合テレビで「プロジェクトX」が4月6日午後7時半から再スタートする。その一回目は「東京スカイツリー工事」
この番組の見どころ(私の)は、偉業を果たしたトップよりも、そのトップを支えたスポットライトがあたらなかったが、彼らがつむいだ物語が日本の歴史をきざんだ。そこにフォーカスしている。
たくさんのリクエストで再放送「黒部ダム」は4月27日に放映される。私は何度もこの番組で、清々しい涙をこぼした。
前後するが4月13日は「カメラつき携帯電話」世界ではじめて電話にカメラ機能をつけたシャープの物語。
昨夜届いたショートメールが嬉しくて缶チューハイを追加した。
「面倒くさい男」の吉野さん。
そのメール原文。
畿は皇居を指すみたいです、介は鎧の意味がありエビも蟹もふくみます。
ありがとういい勉強になりました。
教えてもらった人から「ありがとう」のメールに尊敬しかない。
きょうの一枚は農園近く。いまが満開。奥さんがおられたので聞いた「この樹は何年ですか」「私が嫁いできた55年前に、小さい木を植えました。毎日欠かさず米の磨ぎ汁を根本に撒いています」と。
毎週土曜日は美祢市の吉野さん(面倒くさい男)に会うのがとても楽しみ。
今朝用意した質問はふたつ。近畿地方の「畿」とは京都かね?京都だったが、その答えにいたるまで丁寧に解説してもらった。
「魚介」はなぜ「魚貝」と表記しないのか?「貝より幅広く包括する介ではなかろうか」とファジー「さまざまな」をレンパシテ岸田総理口調だった。
菅原道真公が不運だった理由をついでに聞いたら。官房長官が左遷され美祢市の議員になったほど。と明解な答えだった。
ついでに、太宰府天満宮に祀られた意味は、亡くなった直後から疫病や天変地異があり、鎮めるために祀られた。
別れぎわ「明日の萩八景遊覧船の集合時間は何時じゃったか」また面倒くさい男がはじまった「Lineを読んでくれ」「Lineの見かたがわからん」大笑いの朝だった。
5時に農園を出てお昼前に戻った。缶ビール1本で1時間夢をみた。
今年はじめての草刈り2時間。これから晩秋まで草刈りが仕事にプラスとなる。炎天下のもとでもやる。今年も日焼けして頑張ろう。
日曜日のトイレ掃除を先ほど済ませた。
重枝さんに紹介してもらった小郡の理髪店「ヒロイシ」毎月一回ペース。そのほとんどが金曜日の8時。
今朝も8時の一番客「9時には終わってください」と注文。
清末のレストラン「卯」と唐戸のお宅。豊前田近くのポーラ化粧品店など月末集金。きのう木曜日は早朝に置き配達した。振り込みをお願いしたらお会いする機会がなくなるので集金にうかがう。集金のおわりは長府シフォンケーキのポポラス。
金曜日と土曜日だけ営業されているが大量のたまごをご注文いただいている。
入り口の「春」を撮らせてもらった。
月末の金曜日。ポポラスがすんだら藤中さんのアトリエ・ギャラリー訪問。家内の弁当をお届けしている。
藤中さんはご近所の「たまご」ご注文を取りまとめて、配達までボランティアで水曜日に活躍してもらっている。
来月、恒例の展覧会を催されることを知ったので作品の一部を撮らせてもらった。
月末金曜日、下関の帰り道は「道の駅於福温泉」立寄り湯と決めているがコンビニでコーヒーを買い、WiFiに接続して「あだち美術館」更新。さっき撮った作品の数々で構成した。
今朝2時すぎにFacebook投稿した原文
美祢市の「そらちゃん」月曜日、いつもの場所に姿がなかった。奥さんが出てきて首を横にふり「もうダメです」と話したとき歩いてきた。
数日食べていない。見た目にも命のおわりがわかった。弱った姿は撮れない。
別れるとき笑顔を見せた。ポケットからカメラを出して撮った。
きのう水曜日の午後、8年の命をおえた。
写真は、月曜日に撮った「そらちゃん」の笑顔。
昨夜、家内が泊まってくれたので7時前には寝ていたと思う。日中に届いたメールや郵便。日曜日の萩八景遊覧船のこと。ほんとうは昨夜済ませて寝なければならないが「ブログ」の日記と掲示板だけは更新して寝た。
2時に目覚めてFacebookに「そらちゃん」投稿。きのう届いたいろいろに返信を済ませたら3時半。テーブルをはんさんで寝ている家内に「起きてくれんか」と声をかけた。
1日のはじまりは部屋(とても狭い)に掃除機をあてる癖がついている。
ヘッドライトを点けて焼却ゴミに火をつけた。愛犬、朝のスケジュールも済ませた。木曜日の配達を荷台と助手席まで積み上げて朝食。
5時前に木曜日を走り出した。ゴールインは3時すぎ。
週の山場をおえた。
成人病検診の通知は届いても受診していなかった。理由は40年以上、二日酔い以外で体調不良はない。しいていえば高血圧。60日サイクルで通院して「どうですか」「大丈夫です」と主治医と決まった会話を続けている。それをしなければ降圧剤がもらえない。
その主治医が昨年「うちで成人病検診やらんかね」と言われて受診したら「肺に気になるところかある」で肺の専門病院に紹介状を書いてもらい受診。その結果「経過観察で来年の3月に受診してください」と決められた受診日。それを「海外出張」の理由でキャンセルした。もう受診はしない。
血圧治療を放置して、運転中にそれが原因での事故だけは避けたいので服用は続ける。
毎日を精一杯に生きて、どこかでそれができなくなったら悔いはない。
今朝は3時起床。
昨夜は、枕もとの愛犬が枕に頭をのせてラブラブ状態だった。しっかり寝た。
5時前までに部屋が整然となる掃除を済ませ、昨夜届いたメールに返信などスマホが活躍してから農園スタート。
スマホのバッテリーと同じ、私の体力バッテリーも時間経過で減る。
下関市から美祢市を走り「プチラボベーカリー」が最後のお届け。それから於福道の駅温泉に立寄り湯。90分ほどお湯を楽しみ農園ゴールイン。
現在時刻は17時過ぎ。今夜は家内が泊まるので7時ぐらいは夢のなか。
3月27日しっかり働いた。
名前はわからない、足元の黄色を撮った。
農園、川を挟んだ対岸のお宅の飼い猫が橋を渡り、毎夜農園に通う。明け方、だいたい5時過ぎに小走りで橋を渡ってご自宅朝帰り。
深夜の農園はネズミが走り、それを狙うヘビがおるしモグラや大きなミミズ。特大ガマガエルやムカデも出てくる。
飼い猫では飽きたらない野生をもっているのだろう。夜中の農園はパラダイス。
今朝の唐戸魚市場。買いたかったのは新鮮(ビタ)で大きなアジ。それはなかった。
小エビを剥いたひと山350円は買った。ふたまわりしてイワシ。4匹で500円の特大を指差したら「こっちのイワシがええと思う」と小ぶりで400円の山を買えと女将さんが言う。それを買った。
今夜は小エビの唐揚げ。イワシの刺身と揚げ物が楽しめる。
今朝の海峡を撮りました。
土曜日を終えて1週間の疲れを眠りで回復させようと8時前には夢の中だったと思う。
深夜、何かまくら元が気になり目があいたら、なんといつもの「ハッピー」と「ゆきちゃん」がまるくなって寝ていた「ゆきちゃん」は部屋の入り口に繋いでいる。その金具が壊れていた。
「あだち美術館」に掲載している岩崎祥子さんからお便りメールが届いた。岩崎さんと連絡せずに作品を使わせてもらい気になっていた。それを「絵手紙」の萬代さんが昨夜ご縁を結んでくださった。
朝届いたお便りの返事を気になりながら予定の草刈りをはじめた。
場所は農園で一番イノシシ出没が多く、年間で50頭も箱ワナに入ったやっかいな広い面積。湿地に隣接しているのでマムシもおる。以前は地面にスズメバチが巣をつくっており大群が出てきた。その時、草刈機のエンジンを切ることもせず放り出して全力疾走した。夜、燃料がなくなり止まっている草刈機を取りに行った。その場所。
6時半、小雨のなか草刈スタート。ギラギラの炎天下より小雨は大歓迎。草を刈りながら周囲から敷地に入ってくる木々をエンジン全開で切りながらの作業。3時間半もかかった。終えてシャワーで着替えて美祢市のホームセンターまで走った「ゆきちゃん」の金具は今夜は必要。
昼過ぎに農園に戻り缶ビール飲んで2時間も寝ていた。
写真は、毎晩ノソノソお出ましのガマガエル。長年のお付き合い。キツネもイノシシもネコも愛犬も敬遠する。その理由は想像すると毒があるのではと思う。草刈機のゴムキャタピラーで大きさを想像してください。
宮崎弁の牧君。前回泊まったとき運良く唐戸魚市場の魚を買った夕方だった。9月1日が木曜日なので「泊めてください」と予約が入っていた。
きのう夕方(火曜日)農園にあらわれた。「車を置かせてください」とプラドを農園において「うちのトラックが迎えにきます」と部屋に腰をおろした。
本業とは別で運送業もやっているらしい。約2時間歓談したら4㌧トラックが迎えにきた。大阪で牧君をおろして名古屋方面に走るらしい。牧君がハンドルオペレーターで出て行った。
微熱と頭痛に腕の痛みがあり牧君を見送ってすぐに寝た。12時ごろ枕元の愛犬がゴソゴソ私を起こした。微熱と頭痛はなかった。
3時、スッキリ元気に起床。農園をスタートする5時までに部屋の掃除までできた。
6時に小月から配達が始まり、10時半に、山の田スペシャル「ちょぼハウス」30分滞在でスペシャルエッグなどやりとり。
長府から小月を経由して農園は3時前にゴールイン。
今夜と明晩は家内が泊まってくれるのでゴロゴロできる。明朝は唐戸魚市場6時半。
この季節ご来光が美しい。
写真は、萩市に向かう土曜日。山口市のホウベン山が染まったご来光。2019年8月31日のシャッター。
月末の金曜日は下関市に集金。それだけがミッション。
朝露が残るうちに焼却ゴミに火をつける。愛犬2頭の散歩。ここまではヘッドライトのお世話になる。7時ごろ朝食ができた。食べ終わってBSで最終回の「ちむどんどん」すっかり面白味がなく最後まで見なかった。
ずっと見て私が一番印象深いシーンは、数週間前に母親役の仲間由紀恵が三線で舞った琉球舞踊は役柄ではない本物の迫力を感じた。
農園の屋根に布団を敷いて、部屋の掃除を終えてから下関に向かった。私の愛車は、正志が周南市の配達に使うので家内の軽四。家内は洗車機を使えないというので、家内の車の洗車は私の役目になっている。車内も掃除をした(このガソリンスタンドは金曜日は洗車が半額)ガソリンは155円だった。
昼は家内があり合わせ「巻き寿司」旨そうだったので缶ビールも一本添えた。
少し昼寝ができた。
目が疲れて本を読めなくなった。もっぱらテレビ録画で知りたいことを観ている。
録画3本「人体とホルモン(焼き肉ではない)」「フランス海岸、海底の洞窟絵画」「中国5000㎞国道のヒッチハイク旅」
今年最後の農園草刈りはハンマーナイフが使えない(イノシシが掘り返して)広い面積。ショルダー草刈りで10時間ぐらいと思う。
明日の萩市から戻り、午後から夕方までと日曜日の午前中で終わりたい。
月曜日と水曜日は水汲み。
月曜日は弁天池(名水100選)。10数年前、初めて水汲みに立ち寄ったとき別の場所に水汲用の蛇口があることを知らず。この池にポリタンクを沈めた。犬のように四つん這いになって池の水を飲んでいたら人が蛇口の場所を教えてくれた。
厚狭の配達先「あんたんとこはサツマイモを作っちょってかの」とご主人が声をかけられた。20年前はイノシシ対策をせずに収穫していたが今は絶対無理ですと言うと「まっちょいて」とおおきなサツマイモを新聞紙に包んで持たせてもらった。
「宇部西高校の存続を求める要請署名」の署名用紙を配達先で主旨を聞かせてもらって何枚かあずかった。将来の農業を担う人材を育てる場として存続させなければならない。高校は県立宇部農芸高校が前身。
存続できるかどうかは、この学校で学びたいという生徒が集まりさえすれば解決できる。つまり生徒が集まらないところが本質的な問題だと私は思った。
長々とは書かないが、消費者の安心・安全・健康を農業で実現させることは今の農業政策では働く人の夢が描けない。
満点の秋晴れ。爽やかな月曜日を終わった。
2ヶ月前から使いはじめたWi-Fiルーター。20GB契約で月額2000円。
回線はdocomoを使うので安定して使えるというカタログ表示に、私のネット環境支援者の重枝さんは少し首をかしげた。回線はdocomoユーザーが優先するので昼休みや夕方、回線を使う人数が増えると格安Wi-Fiルーターは速度がおちる。そこで「農園は田舎だからdocomoユーザーが少ないので問題ないでしょう」と言ったら。
田舎は田舎に合わせた基地局。都会は都会に合わせた数の基地局になっているから使う場所には関係ないと教えてもらった。
使い始めてそれは彼が言うとおりだとわかった。例えば金曜日のお昼ごろ「あだち美術館」を更新すると、約20枚の写真をアップロードが遅々としてすすまない。Wi-Fiルーターの接続を切って、私のタブレット(docomo契約/月5GB)にするとサクサク動く。
Wi-Fiルーターとの付き合い方に慣れてきた。写真で表示されている当月の使用GBは12GB。
下関から戻って3時ごろ、タブレットとWi-Fiルーターの接続が切れた「パスワード入力」をもとめられたがわからない。商品到着のとき開封したなかにバーコードがありそれを読みとってなんとなく簡単に接続できた。前のポケットWi-Fiはパスワードが印字された紙があった。
説明書を出して「簡単接続」の項目を読んだ。けれども専門用語があり私には簡単ではない。30分ほど苦戦して重枝さんに「接続ができなかったらお宅に行きますので教えてください」と半分あきらめの電話をかけた。
私の欠点は説明書をじっくり読まない「せっかち」読まずに目的を早く達成したい性格は数々の失敗でわかっている。
正座して説明書のはじめから読んだ。そして最後の接続QRコードを、説明書指定のアプリをダウンロードしそのQRコード読み取りでスキャンした。それで勝手にタブレットとWi-Fiルーターの関係が復活できた。
家内のスマホを同じ手口でやってみたらWi-Fiルーターに接続できた。
水曜日の配達終わりは加奈ちゃんプチラボ「おいちゃん白髪が増えたね!」とあけすけに言われた「明日の配達のときは緑色に染めてくるわい!」
白髪は人生を歩んだ私の勲章。
5時、萩市に向けて農園出発。気温3度で凍結も積雪も心配なし。
土曜日のコーヒーは萩市内、消防署ちかくのローソンに決めている。6時ごろ体格が大きな男性と女性二人の店員さんが笑顔で応対している。
地域の人が歩いて新聞やタバコを買いに来られて店員さんと楽しく会話をしている。
この店に通いはじめたのは5年以上前になる。カメラを持たずタブレットのカメラ機能でブログの写真を撮っていた。Facebookも知らなかった。
そのタブレットの写真をローソンマルチコピー機械でプリントしたいことがあった。
若い大柄の女性店員さんに目的を話したら「タブレット持ってきて」と笑顔で対応してくれた。タブレット本体からSDカードをはずしてコピー機に入れて20分ぐらいてこずってプリント1枚(30円)を出してくれた。
今朝、店内に入るとその女性店員さんが110円のホットコーヒーカップを差し出した。
5年、毎週土曜日の6時にホットコーヒーだけ買う私を覚えてくれていた。
「大晦日と元旦は値段のたかいコーヒーが半額ですよ」と。それでも110円ですかと言いたげな顔だった「ありがとう、これでええです」とカップをうけとった。
木曜日の8時に通っている下関市内のコンビニ。店員さんがよくかわっている。接客の笑顔もない。何よりトイレが汚れている。
30円の写真プリントからはじまり、110円のコーヒーしか買わない私を覚えてくれる店員さんにとても嬉しい気持ちになった。
玉江橋から上流の風景を撮った。
今年も日記・掲示板・あだち美術館にホーム画面を私の楽しみとして継続できた。それが私の力に間違いなくなっている。
お付き合いくださりありがとうございます。
スタート5時。ゴールは3時。快晴の下関市〜美祢市の木曜日コースを走った。
行く先々で淳貴くん(昨日から作品展覧会開催)が話題になった。Lineやメールでつながっているお客さまには何度か展覧会情報を届けた。その他の人には案内ハガキを手渡ししている。
淳貴くんは地元ラジオ「カモンFM」のスタジオでインタビューされた。新聞記事にもなった。淳貴くん家族もたくさん案内に足を運ばれた。
今朝、彦島のお届けさきで「淳貴くん行きます」とご主人が出てこられての挨拶。とても嬉しかったので何度も頭をさげた。
内日でじいちゃんが「あんた、毎年海峡ウォークを歩いておるのか」と声をかけてくれた。20年前は5時間で歩いたが今年は7時間もかかったと高齢参加の話題になった。
その会話をおえてハンドルを握っているとき、じいちゃんは海峡ウォークの日、カモンFMのスタジオから私の携帯電話に午前と午後2度のインタビューを受けた。
午後のインタビューは淳貴くんと私のご縁と展覧会についてのインタビューになった。長府黒門、海峡を左に眺めながら歩みをとめずに長々と淳貴くんコマーシャルをさせてもらった。
あの放送をじいちゃんは聴いていた。