猛暑で8月の幕がおりた

農園の井戸水を飲まなくなったのは15年前。

浅井戸は水質検査をしたほうがよいと親切な方が検査に出してくださった。結果は「飲料不可」大腸菌が驚くほど多いという。

けれども約5年。二日酔いの朝はコップで何杯も生水で飲んだ。焼酎やウィスキーを割ったのもこの水だったがとくに腹が痛いとか下痢をしたとかはなかった。


冷蔵庫がなかった子供のころ、食べても良いか悪いかは鼻で検査。次に口に入れて検査。それを母が手ほどきしてくれた。

食べ物を保存した「水屋」があった。室内で風をとおすがハエは入れない食品棚。棚の魚が夜中に青白く見えた。母が「あれは燐が燃えよる」と、お墓の火の玉も同じことで身体が腐敗するとき見えるんよと布団のなかで教えてくれた。その魚。母が食べられるがどうか鼻で検査をして食卓にあがった。


阿東の船平山でキャンプをした高校時代。蛇口の水が臭かった。それを生水で飲んで二泊三日を楽しんだ。最後に蛇口の先にあった水源に大きなヘビが腐っていたの目撃した。


飲料水に不可のらく印を押された農園井戸水。さいわい月曜日は日本名水100選。美祢市の弁天池を通過するので10㍑タンク。水曜日に下関市の名水を10㍑タンクを汲んでいる。


今朝の弁天池。


配達先でアルミ缶を回収している。厚狭レインボーは精神にハンディがある人たちの作業施設。そこで、アルミ缶をつぶす作業。それを売って施設収入にされている。20年近くアルミ缶を集めてお手伝いをしている。

私が配達先から預かるアルミ缶は「洗ってください」と注文を就けている。

とくに暑い時期の作業は悪臭がひどい。飲み残しやタバコがあったり。その作業を何度も見に行ったがそれはたいへん。


農園に集まるアルミ缶は清潔にと思ってはいるが、たまにルール違反がある。


台風9号の接近。アルミ缶は農園の屋外に山積みしているので回収に来てもらった。


9号。木曜日の午前(私の木曜日配達時間)が山口県再接近かと思う。台風進路や周辺に被害最小限と神様にかしわ手。

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働いた 楽しんだ 昼寝もした

生理前で早いほどよいと獣医さんアドバイスを受けて生後5カ月で避妊手術をうけてまる1年。術後は投薬や抜糸などせず元気いっぱいに成長した。 ゆきちゃん😀


先週、配達をおえて川から水を汲んだり草刈りをした。これだけも汗が出るのかと驚いた。疲れとだるさが治らなかった。立っていることを自覚していないと足が萎えそうなときもあった。かなり危険な状態だったとふりかえっている。


日照りが続き、井戸水の水位を維持することと桜並木を枯らさないことが目的で炎天下の水揚げ作業は続けている。木曜日から、塩分と血圧のこと(減塩)は度外視して塩分補給をしている。

発汗がコントロールされ、この作業は何時間でも続けてできそうな体力がよみがえった。


今朝も夜明けを待って川から水を揚げた。金曜日の朝は温麺(ソーメン)いつもは減塩。今朝は家内が少し塩分増やした。

蒸し暑い作業を約3時間やった。長いゴムホースや貯水タンクに軽四など洗って終えても疲れはなかった。


11時。下関市内の喫茶店デトロワ。

私と同じ1951年誕生。長府の「カバ隊長」こと藤中さんが描きためた絵画の展覧会を冷やかしに足をはこんだ。村上棟梁も奥さまと来られたのは絵画ではなくパスタランチだったのかもわからない。


売れない画家と小説家のワラジを履いておられる。きょうは刷り上がった文芸社「みんな夢でありました」を持参されていた。ペンネームは「逢坂かのを」先生のモンブランペンでサインを頂戴した。


爆発的に売れるので、出版記念会は古串屋貸し切り。逢坂先生が全部ご負担でご祝儀お断りで挙行されるらしい。

本のタイトルは「みんな夢でありました」


家内同伴だったのでランチで生ビール。


午後からハイボールで昼寝。

⏹️あだち美術館更新しました

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残暑が厳しいですね

昨夜は網戸からの涼風がなく蒸し暑さで寝苦しかった。4時に起きたシャツが汗ばんでいた。


萩市から長門市に美祢市を経由してお昼に農園。いつもの土曜日コース。

昼食に缶を一本。昼寝は30分。


1時前から炎天下。河原に汲み上げポンプを据え軽トラに載せた500㍑タンクに満水4回。すべて桜並木にバケツで散水した。

ふつう、日照りが続いても桜に散水はしないと思う。けれども農園の桜並木は川土手の造成は土ではなく石で、表面にわずかに土がある。多くの桜は葉を落として灼熱に耐えている。


午後からかいた汗は、数日前からのとまらない汗ではなく、日陰で腰を落としたらとまる汗だった。

今週の私は熱中症。もしかすると危険ゾーンだったのかもしれない。


⏹️きょう、ある方にお便りした内容です。


母子家庭の母は山大工学部の用務員。モンペと手ぬぐい姿が制服でした。広い学内の草刈りや便所掃除。

官舎は教授や偉い職員とはちがう、5軒が便所と風呂を使う生活でした。それを不幸せと思ったことはなかったと思います。


テレビが我が家についたのは官舎で一番最後でした。

観たい番組は、官舎同級生の家にあげてもらって楽しんでいました。

同級生の女の子はピアノを練習しており、テレビの音が聞こえつらかったので「テレビが聞こえん」と言いました。

そばにいた教授の父親が「帰れ!この貧乏人の子が!」と激昂した場面はいまでも忘れることができません。


勉強ができなかったら馬鹿と言われること。運動神経が悪くて笑われることとは違い。貧乏は私の努力ではどうしょうもないことです。


その場面から学ばせてもらいました。貧乏や国籍や身体の良し悪し。男女の性別など、自分の力で変えられない運命を絶対に嘲笑ってはいけない。

それが、私の人生の背骨になり今日があります。


あの場面があったればこその人生です。

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水飢饉の農園です

きのう日記にバーバラさんからコメントを頂戴しました。ありがとうございます。バーバラさんが多すぎて個人が特定できませんが。

水分・塩分とミネラルがよくわかりました。


暗いうちに犬2頭の散歩などを済ませ、5時半に河原に汲み上げポンプ設置。燃料の混合油25(ガソリン)対1(オイル)を5リットルつくった。

混合油のオイル。農園をはじめてすぐに自前でつくるようになった。草刈機など2サイクルエンジンが多く、市販の混合油は非常にコスト高になる。

2サイクルオイルはホームセンターで安い缶を買っていたが、庄原の林さん(政治・経済から芸能界に皇室までなんでもしっている。現役の庄原市議)から「値段は高いがJAのオイルが一番信頼性がある」と教えていただき以後はそうしている。


私の草刈機は10数年使って現役でバリバリ高速回転する。ベアリングの注油とプラグの交換。それと混合油がエンジンによいのではなかろうか。


軽四トラックを井戸の近くにとめて、荷台に500リットルタンクを載せて、そこに川から揚げた水を入れる。満水になったら桜並木にバケツでかける。4回満水で桜並木のすべてにたっぷり水があたえられる。

約3時間。散水中も河原のエンジンは動かしているのでホースから井戸周辺に川の水を散水できる。


途中で朝食。汗のシャツを着替え部屋のクーラーもつけて快適な朝食。


また外に出て散水作業。


9時ごろ終えて、エンジンなどを河原から運びあげ、使ったトラックを水洗いして後始末。


下関市内に集金などあるのでシャーワで着替えた。

お昼に農園に戻り缶ビール2缶で昼食。昼寝は30分。


夕方まで読書など。


明日は早朝から萩市にむかう。


残暑のなか元気いっぱいのゆきちゃん。

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昨夜9時間の熟睡達成

きのう日記で夏バテを書きました。読まれた方々から心配していただきました。ありがとうございます。


酷暑。鶏は餌より水を飲み一日をしのいでいる。栄養不足で産卵は低下する。鶏舎の屋根を冷やしたり、打ち水のように鶏舎周辺に散水してやればよいが井戸の水位も底をついている。

配達から戻り、川にくみ上げエンジンを据えてホースを延長。軽トラに積んだ500リットルタンクにためながら、水圧をかけることができる動力噴霧器を動かして高圧ホースを50メートル延長して鶏舎の屋根や地面に散水。

川の上がり降り、ホースの始末など炎天下の作業は過酷を極めた。とくに暑い(38度)を4日やった。

加えての草刈りと桜並木の散水。


豪雨にうたれたほど、しぼらなくてもシャツやズボンから汗が落ちた。

水分補給の大切さは知っていた。塩分も知っていたが高血圧を薬でおさえている。主治医は「塩分摂取を控えなさい」といつも指導されている。

お味噌汁や卵焼きなど家内も薄味に気をつけてくれている。外食をためらうのは濃い味が苦手になっている。


つまり、水分補給はしていたが塩分やミネラル補給をまったくしていなかった。

月曜日と火曜日、水曜日も歩くことや立っていることを意識していないと腰砕けになりそうだった。


昨夜は9時間熟睡を達成した。

下関のバーバラたちから塩分やミネラルをしっかりご指導賜った。塩を少し入れた冷たいお茶のサービスもあった。

精神論だけではなく、猛暑のなかで働く健康管理を身につけることを今回の熱中症?が教えてくれた。


9時間熟睡して元気が戻った木曜日。

台風8号で唐戸魚市場の品揃えはどうだろうと思いながら6時半に市場に着いた。懇意な店にお目当て「ゆめカサゴ」の山があった。けれども全部売れていた。大阪湾のコイワシは脂がのって刺身でうまいのでひと山。先週は箱買いしたが。


木曜日は魚屋さんにたくさんのたまごを届ける。お馴染みさんが魚と卵を買う木曜日。

魚屋の店主とは唐戸魚市場で挨拶をいつも交わしている「なに買いましたか」と聞かれたので「大阪のイワシなど」と言うと。

箱買いするとき発泡スチロールの横に、どの漁師が水揚げしたかがわかるインデックスがある。その発泡スチロールに貼っている色ガムテープが、水揚げの丁寧さを、顔をも見てはいないがテープの色で選んでいる目利きを知った。


美祢市を終えて農園。雨雲が発達してきたので嬉しくなり車をとめて雨雲レーダーを確認。

誇りをおさえるほどの雨はあった。明日は早起きして川の水を汲み上げて桜並木に散水。井戸のまわりに散水を済ませて、シャワーで着替えて下関市内にむかう。

ポカリスエットで健康管理をしながら。


今朝の唐戸魚市場界隈。風が強かった。

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夏バテの実感あり

昨夜、自宅に帰る家内に「できたら泊まってほしい」と頼んだ。

2~3日前から夏バテ気味。水曜日は朝がとくに慌ただしい。5時半に農園を出るために3時前には起きている。少しでも睡眠をとりたい。体力を戻したいので頼んだ。滅多に飲まないビタミン剤を昨夜2錠。今朝2錠。

5時に朝食をつくってくれたが欲しくない。味噌汁と野菜と納豆はいただいた。焼き魚と玄米ご飯はパス。


朝から何度も「雨雲レーダー」を確認した。大分県の降水帯が農園方向に移動してくれないかと祈るように見ても、雨雲は農園地域をはずして移動した。


農園砂漠は深刻さを深めている。一番気になるのが桜並木。時間と体力があるときは、川からエンジンポンプで汲み上げた水を軽トラ荷台に載せた500リットルタンクに給水。桜1本にバケツ4杯。だいたい2000リットルかけている。

農園ライフラインの井戸もかろうじて水位を保っている。


加奈ちゃんのお店が夏休みを終えて火曜日から営業。月曜日の朝に仕込みのたまごをお届けした「次は木曜日、いとつもの数をおいちゃんお願い」だった。きのう「明日の水曜日に追加でほしい」と電話を受けた。

きょう下関市の帰り1時過ぎにお届けできた。


写真はお店お休みでショートカットにした加奈ちゃん。


きょう水曜日の配達先で「お気をつけて」と猛暑の配達にお声かけをたくさん頂戴した。

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夏バテと思う農園生活ギブアップ

私の自宅は宇部市西岐波(20年、一度も帰ってはいない農園暮らし)

20年前は、床波漁港に釣り船を係留。空港沖の白灯台付近の岩礁はメバル・アイナメ。少し空港に寄った砂地ではキスゴ・コチ・スズキにイイダコなどたくさん釣った。


漁港出入りのとき必ず近くを通る2本のコンクリート構造物。

あるとき漁師さんに聞いたら、戦時中まで長生炭鉱という海底炭鉱があり良質の無煙炭を採掘していた。あの円筒形は、その海底炭鉱の坑道に空気を送る・空気を出すための2本で炭鉱用語ではピーヤ。


昭和17年2月3日。炭鉱では「水非常」と言われる坑内水没事故が早朝6時におきた。184名が犠牲となり130名近くの朝鮮の人たちも亡くなられた。


その事故のことを調べることに数年没頭した。

殉難の碑を当時の炭鉱関係者と地域の有志が建立された。

いまその碑は藪の中に埋もれている。


毎月3日。この碑に献花されお線香を手向けておられたおばあさん。お名前はEさん。水没事故の朝、出水している坑内に入ろうとした保安係のEさんを同僚がひきとめた「わたしは、責任上入らなければならんのです」と。

おばあさんは奥さまだった。20数年前の思い出。


久しぶりにピーヤを拝みに行った。海も空も迎えてくれた。


昨年10月「どんなときもWi-Fi」を重枝さんのアドバイスを受けて手に入れた。月額4000円ほどでWi-Fi使い放題。しかも5回線で共有できるという画期的な商品だった。

ところが昨日、10月末でこのサービスは終わりますと一方的な通知が届いた。


ネット上では「詐欺」呼ばわりのコメントで賑やかになっている。

けれども、終わるが30GBの制約で現在のサービスを継続できるという、私から思うと企業努力が感じられる。まだどうするかは決めてはいないが。


台風8号が朝鮮半島西側を強い勢力で北上している。それをネットで大喜びしている投稿が見受けられる。

食料難が言われる北朝鮮。この台風が収穫間近の作物に影響があるかもわからない。


いろいろ事柄はある。それを受け止める心の持って行き方が人格かもわからないと思った。

ピーヤ、私はイデオロギーではなく手を合わせる慰霊の遺構と思う。


なんとなく疲れがとれない。

きょうは家内に「農園に泊まってくれないか」とSOSを出した。早く寝たいから。

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残暑。疲れている私にはこたえた。

きのう菊川画廊探訪。

私の心に残っていること「言葉や文字では伝えきれない。それを重ねるほど真実から遠ざかる」というようなことを画廊のあるじが語った。


横路にそれるが最近、若者言葉についていけない「むちゃくちゃおいしかった」「めっちゃ楽しかった」この言葉の中身がわからないまま共感した素振りのお付き合い。老人と言われたら返す言葉はないが、わたしには意味不明で共感したいがそれが出来ない。


45歳のとき徒歩の旅をした。宮崎駅から延岡を経て高千穂。阿蘇外輪山の頂きにたって内牧を眼下にした。涙がこぼれてとまらなかったあの感動を、文字や言葉や写真で伝えることは悲しいが悔しいが私にはできない。


著名な芸術作品を多くの人が言葉や文字にしているが、それがすべてを表しているわけではない。

つまりは、私が向き合った作品との対話でうまれた言葉には伝えきれない感動がある。それでよいと思えた。伝えなくてもよい。


言葉や文字で伝えられる限界を画廊で教わった。


新田次郎「芙蓉の人」と出会ったことは、私の人生の指針になった。けれども、それが映像作品となったとき芙蓉の人ではないと感じた。

書籍の文字からイメージした野中夫妻を著名な役者が演じても私は満足できなかった。あの偉業を活字で伝えた。そのあと映像で伝えようとした。そこに限界があるように思えた。


画廊のブロンズ像。

なにを伝えるために、なにを省略するのか。

とても美人の顔があったら伝えられない表現したい世界がある。


いつも画廊探訪に参加の松原酒店(最近は、ホタテマンからベクトルと松原改名)

菊川さんから「お酒を伝えることやさしいことではありませんね」とも言われた。


作品展を訪れたら、お金はいらないからどの作品でも一点お持ち帰りくださいと言われた。その心境で作品のなかから一点を探してみると作品と向き合うことができるとも教えていただいた。


美味しい料理、一緒に観てほしい風景。

伝えたい人には、黙ってそこに手をひいて味わってもらう。

男は黙ってなんやらビール。

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深夜9頭目のイノシシ箱ワナに入り寝不足

深夜2時がチャーン!の金属音が至近距離から届いて目が覚めた。今月9時頭目のイノシシが箱ワナに入った。とにかく元気いっぱいで大暴れ、鉄サクに体当たりする音と鳴き声。それから眠れず4時。夜露のうちに焼却するものに火を着けた。

最大の関心は雨雲。下関市から萩市にかけての日本海沿いには強い雨雲がある。

渇水の農園としては、下関市からわき上がる雨雲を待ってますいるけれど雨雲はない。


いま深刻なのは桜並木が渇水で葉をおとしている。


散水することにした。

河原に水揚げポンプを設置。井戸のそばまでビニールホースを3つ(合計約50メートル)をジョイント。エンジン始動し500リットルタンクを載せた軽トラに水を送りはじめた。この作業でシャツは汗まみれになり水洗い。


朝食は炊き上がりの玄米ご飯と出汁をしっかりとった味噌汁(とても減塩)など。


約40分で川からタンクに揚げ満タンになる。それで溢れて地面に落ちても、それは地下水になる井戸の側。


満タンになったころ桜並木に行って一本につきバケツ4杯。それを4回繰り返して11時になった。

部屋とトイレなど入念掃除。愛犬の長距離散歩。11時までにシャツ二枚とパンツ一枚を着替えた。


11時に家内が自宅から到着。昼ごはんを作りはじめたのでもう一度のシャーワと着替え。

雨雲はなぜか農園を敬遠して移動している。イノシシは猟師さんが処分。半日しっかり汗をかいた。


きょうは菊川画廊探訪。10名の仲間が催しに手をあげられた。私の車は朴の森で新保さん・矢野さんをのせて画廊。


菊川さんの言葉に「料理の味を言葉で伝えてられますか」つまり言葉ではなく、それを味わった人が感じた料理の味こそが「味」になる。


絵画も、それを言葉で解説すればするほど遠くなる。

食べた人や観た人が感じたことが絶対ではなかろうか学ばせていただいた。

言葉にどれほど伝える力があるのだろうか。それを考えさせられた菊川画廊探訪。


タイヤで土埃を巻き上げる農園に戻った。今朝から使ったホースやエンジンなどを片付け犬の世話を済ませて一日が終わった。


あだち美術館 平戸の夜景に更新しました(日曜日に更新)

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インパール作戦記録にヒットした

20日の日記。インパール作戦に従軍され足に貫通弾を受けて帰還された方のことを書いた。私のテレビ録画コレクションの中でもこの作品は殿堂入りクラスだった。

父上がインパール戦線から生還された方にDVDを差し上げようと準備のとき材質の劣化かもわからないが再生できなかった。その録画は、生還した兵士たちが精神論で指揮をした上官の命令。数週間の糧秣(食料)を持たされ、牛馬が倒れる険しい山々を越えて目的の敵陣地(コヒマ)攻略作戦だった。


戦闘で使う重火器(大砲など)は分解して兵士の背中。その部品がひとつ足らなくても大砲は使えない。

困難を極めるジャングル。越えた数々の山々。途中で敵航空機の爆撃などに遇いながらもコヒマの灯りが見えるまで達した。兵士たちは敵陣地をおとして食料を奪い腹を満たすことだった。

ところが司令部から撤退命令。コヒマのイギリス軍を攻める作戦は、途方もないジャングルを空腹で戻ることになった。

日本軍は、とにかく「神風」精神論で前にすすむ。連合国はマラリアなど風土病のワクチン接種をした兵士。


飢餓や病気で歩けなくなった兵士はそこで命がおわる。熱帯の気温ですぐに腐乱がはじまりウジが数日で白骨にする。


出発から数ヶ月、やっと本隊近くにたどり着けた兵士の前に雨季で増水した急流。この大河を泳ぎきった兵士だけが帰還できた。


なんとか、父上が苦労されて復員されたことを伝えたいと思っていた。アマゾンDVDにその記録らしきものがあったが内容確認が出来ないのでパス。


昨夜、眠気のなかで「そうだ!」とひらめいた。NHK番組ならアーカイブでさがせる。

そのとおり、私が録画した番組かヒットした。故人となられた生還された兵士の霊様が「家族に、私が語れなかったインパールを伝えてくれい」との願いだと思わされた。


番組の全部が、細かくチャプターに編集されてよく理解できる内容だった。


農園の雑草も生気をうしない枯れはじめている。

積乱雲が黄色く葉を落としている桜並木に活力の雨をあたえてくれることを願った土曜日。大袈裟に落雷はあったが雨は車で走る埃をおさえる程度。

今夜、雨がふらなければ明日の午前は桜並木に散水予定。


久しぶりに松村御大と朴の森。きょうが当番の重枝さんにネット利用のアドバイスを受けに来られていた。私も、防府トヨタでタイヤとオイル交換を済ませて重枝さんにグーグルマップの使い方を教えてもらう目的で朴の森。


御大とは短い時間、短い会話でお互いの近況がわかった。テンポの早さが御大と通じあうところ。


⏹️


検索方法は

NHK 証言記録兵士たちの戦争 インパール


これでヒットします。画面上から3番目を、写真の内容があります。左・中・右 と3部構成です。中・右が帰還された兵士たちの証言です。

録画していた内容の全部が、チャプターでわけられているので便利かと思います。兵士たちの写真がたくさん出てきます。

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昼は缶ビール2缶 昼寝は1時間

写真は、今朝の夜明けを待ってチップ刃で2時間半かけて刈り終えた農園内敷地。強力草刈機ハンマーナイフでやれば楽々30分でやれるが、ここは近くに水場があるのと山々に隣接しておりイノシシ生活エリアになっており、地面を掘り返してミミズを補食する。石ころが全体に浮いてしまいハンマーナイフは刃が傷むので使えない。

鎮座しているイノシシの箱ワナ。これひとつで年間40頭ぐらい捕れる。嬉しいような悲しいような。



草刈機のチップ刃をホームセンターで購入するとき聞いた。二枚入って900円と一枚で1000円以上、3000円ぐらいまで品揃えがある。その違いはなにかと(これまで二枚900円をずっと買っていた)

ズバリ。高額商品ほど鋼鉄チップの埋め込みがしっかりしている。つまり長く使える。

小石にあてないよう目をこらして草刈りをしていても、小石に当たりチーン!と火花を出してしまう。土に刃をあててしまうこともある。そのとき値段の差が出るらしい。

松竹梅コースのなか、小心者は1500円の「竹」を買ってみた。

何度か石を跳ねたがチップ40個はすべて無事だった。


早朝の草刈りは、炎天下で鍛えているので楽勝。シャワーでさっぱり着替えてノンアルコールビールで金曜日はソーメン。


太秦教会お供えを宅配して散髪。


お昼は本物ビール2缶とカレーライス。

ごろりと1時間昼寝。酔いも疲れもとれた。


藤原てい 流れる星は生きている(庄原の林さんから頂戴)を読みはじめ最初のページで鳥肌がたった。


きのうブログで書いた下関市内日のばあちゃん「新京から父親に連れられて帰国しました。とにかく空腹でした。途中までの貨車に屋根はなかった」


藤原ていさん。観象台(のち新田次郎)の課長として赴いた新京での生活からはじまった。

ばあちゃんは、終戦から1年半新京に滞在したと話された「藤原てい」は愛読してきましたとも話された。

涼しくなった日曜日。ばあちゃんの満州を聴かせてもらう計画をたてよう。

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今夜はイワシで酒を飲んで体力回復

5時半。スモールライトを点けて農園スタート。

最初のお届けはレストラン「卯」金刺オーナーシェフが玄関先のお掃除。


唐戸魚市場。小さいイワシを箱買い。二つにわけてもらいひと袋はお客さまに「手開きで刺身でどうぞ!骨も揚げたら旨いです」

鮮魚店にお届けの会話。店の水道の配管は地表に近い場所に埋設されている。道路のアスファルトが溶けるほど熱くなり蛇口からお湯が出てくる。魚屋にこの蛇口のお湯はお手上げ。


私の「癖」のひとつにテレビ番組録画の収集がある。歴史や観光に好きな歌手など。感動した映画など数えたことはないが300枚近くのDVDが分類せずに段ボールに収まっている。


先日「父親はインパールの生き残りでした。足に弾の貫通がありました」と聞いた。無謀な精神論だけの作戦は目的地「コヒマ」を目前に司令部から撤退命令が打電された。兵士たちはコヒマのイギリス軍を壊滅させて、その食料を奪いたかった。

撤退は「白骨街道」とのちに言われるほど、飢餓と風土病で累々と兵士の屍が折り重なった。気温と群がるウジ虫で二日ほどで白骨になった。


歩く気力を失ったり、風土病に苦しんだりして手榴弾で自決。食べるものがなく食べてはならない肉を食べた兵士もいた。その地獄から生きて戻られた体力と精神力に敬意しかない。


DVD「インパール」をさがしたらあった。けれどもDVD材質の劣化かもわからないが再生できなかった。


「癖」で持っていても劣化する。どんどん差し上げたい。

映画「ショーシャンクの空に」を「これはいい作品ですよ

」と持参しなら「途中で観られなくなり、観たいのでビデオ店に走りました」ということもあった。


先週の金曜日。高橋源一郎先生のラジオを番組「飛ぶ教室」は終戦の特別番組でいつもより60分多くなった120分。

内容の柱は「流れる星は生きている(藤原てい)」

最近、この「流れる星」が私にとりついている。その最初は矢野さん「読んだ」次は菊川画廊「すごい内容でした」よしの「藤原てい。うちの奥方よりも強い」

きょう、それを話題にした内日のばあちゃん「読みました」ばあちゃんは新京(現在の長春市)から敗戦の1年後に父親に連れられて帰国を果たした。朝鮮からの引き揚げは徒歩だったと聞いているが、私たち家族は屋根がない貨物列車で引き揚げた。

とにかく空腹だったことを覚えている。


ハイボール3缶を通過した。これでブログは終わります。

明朝は夜明けを待って草刈り予定。

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雨がふる夢をみた

昨夜、何時ごろか知らないが肌寒さを感じて窓を全部閉めて倒れこんで夢の中。

農園に雷雨がきた。焼けた鶏舎や地面が湯煙をあげて冷やされ、井戸水の水位がジワジワ上がりはじめた。小躍りして喜んだのは夢の中だった。


連日、川から水を揚げて葉を落としながら瀕死の桜並木に2㌧を散水し続けている。さらに鶏舎の屋根や壁、地面にも高圧ホースで散水している。

その時間は約3時間で終わる。けれども、配達を終え農園に戻ってから午後2時ぐらいからの3時間。

きのう山口市内で運転中に猛烈な眠気で車をとめて目をあわせた、その時間は1分ぐらいでも夢をみた。

きょうも午後1時ごろ、もう少しで農園に着く手前で睡魔がやってはきた。炎天下、車をとめて目をとじた直後に夢の中。2~3分で元に戻った。


2時から5時前まで散水。鶏たちは大喜び。私は3時間で1㍑の水を飲んだ。使った道具をすべて片付けた。


ほどほどの雨がほしくて、そればかりを神頼み。


早朝の配達は「小月ホースパーク」からはじまった。

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山口市内の日射しはジリジリと

朝のニュースで山口市の気温40度を何度も言うた。火曜日は山口市内の配達。朝からジリジリ日射しが攻めてくる。


この秋69歳をむかえる私には、長距離の運転に猛暑の追い討ちは堪える。

配達を終えて午後3時ごろ農園に戻ったら、シャワーでビールとはならない。

猛暑に喘いでいる鶏たちがいる。コンクリートやアスファルトがない。川や山が涼しさを届けてくれる農園も38度。汗をかかない鶏にとっては致命的な気温。2日前から川に汲み上げポンプを据えて高圧ホースを伸ばして全鶏舎の屋根や壁、地面にも散水して「打ち水」

約2時間やると涼しいと体感できる。けれども私の体力ほぼ限界になりそう。

土曜日に少し雨が期待できそう。


きょう山口市内の午後、コーヒーではとれない眠気が最高潮になり炎天下の道端にとめた。ラジオを聴きながら夢をみた。その間は2分ぐらい。夢から覚めたら眠気も覚めた。


明日の水曜日から木曜日と下関市。戻ったら散水で汗をかく。

鶏の元気を最優先。しばらく続きそう。

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体格のよいイノシシが入った

今朝、今月に入って8頭目が箱罠に入った。

私が農園をはじめたころ、畑をつくりサツマイモを植えてたくさん収穫していた。

さらに昔の戦時中、地域の人たちにサツマイモ供出命令がくだった。自前の畑は自家用野菜をつくるので、農園の場所を開墾して(川は舟で渡り)地域あげてのサツマイモ畑だったらしい(マツタケはツクシのように生えており、見向きもしなかったと古老談)


動物性たんぱく質は、牛でも豚でも馬でもなく野生のイノシシだった。肉だけではなく内臓の食べ方も工夫した。

イノシシの数が増えない事情があった。けれども鶏・牛に豚肉が解体を想像できないカタチで店頭に並びはじめて食肉はそちらになった。

私は農園生活をはじめてイノシシやシカ肉を容易に手に入れることができるようになり、食生活が豊かになった。


捕っても売れない。猟師さん高齢で山を歩けない。猟銃を持つことに多くの規制がかかる社会になった。その結果、農家は田畑に電気柵を張ってバリアをする「おどし」で遠退けようとする。その効果はあっても数を減らすことにはならない。数を減らすには捕るしかない。

写真ぐらいのイノシシは危険な猛獣でしかない。


山口市・美祢市から山陽小野田市を走って3時前に農園ゴール。気温は40度近くになっていた。

正志に頼んで川にポンプを据えて揚水。500㍑タンクにたまるあいだにエンジン噴霧器を設置。

焼け石に水かもわからないが、全部の鶏舎の屋根と外壁などに散水した。

絞らなくてもシャツから汗がタラタラと落ちる。頭が少しクラクラした。

毎日、元気たまごを生んでくれる鶏たちが暑さで難儀をしている。私は散水を終えたらシャワーで着替え、冷房の部屋でビールでくつろげる。


早朝から精一杯働いた月曜日がおわった。

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菊川画廊物語は来週の日曜日

サヘルローズさんの生い立ちに関する番組は何本か録っている。昨夜Eテレ11時から60分番組を録画予約していた。ちょうど番組がはじまる時間に目があいたのでハイボールを飲みながら最後まで涙を流しながら観た。

彼女が紛争地の孤児院や貧困地域の孤児院を訪ねる内容だった。


その録画と京都迎賓館二枚のDVDを土産に菊川画廊をお昼前に行った。

来週の日曜日(23日)の午後、いまのところ8名の仲間たちと画廊を訪れ、開催中の展覧会は20日で終わるが、その作品をそのままかけておいてくださり菊川さんご案内の予定。その内容を打ち合わせておきたかった。


作品の案内と、私と菊川画廊とのご縁について少し私の話も入れてみたいということになった。

本田宗一郎に惚れ込まれNSXカタログ。ホンダがアメリカ進出のときプロモーションビデオ制作を任された石原忠幸さん。私と石原さんと菊川さんのご縁が物語のはじまり。ドラマのなかに鍵山先生と伊勢神宮お掃除が織り込まれる。その舞台は画廊からはじまった。


午後1時から草刈り。きのうに続いて桜並木に2000リットルの散水。鶏舎の屋根に散水。4時まで炎天下で働いた。

散水するためには、川にエンジン汲み上げポンプを据えて軽トラの荷台に載せた500リットル水タンクに揚げる。それをバケツで桜並木、1本あたり4杯かける。

鶏舎の屋根に散水は、軽トラに積んだタンクの水を高圧散水エンジンを使い50メートルホースを伸ばして屋根の温度を下げる。

農園側に川があるからできる。水道だったら料金メータが気になる。


灼熱の午後、4時間も炎天下で働ける健康を神様に感謝申し上げた。


⏹️あだち美術館更新しました

⏹️画廊訪問の参加者はまだ空席あります。

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8月15日 私が思ったこと

早朝、萩市菊ヶ浜。


8月15日。昨夜の高橋源一郎「飛ぶ教室」

⏹️高橋源一郎と読む戦争の向こう側2020

ひとコマ目は「引き揚げ経験者が見ていた戦争とは」

ふたコマ目は「引き揚げ者の故郷はどこにある」

2時間の拡大番組で昨夜ラジオ放送された。それを聴き逃しサービスアプリでしっかり聴いた。


ご縁で、新保さんと矢野さんを美祢市観光(神功皇后神社・白虎隊士飯森貞吉が養育された跡・戦時中、海軍御用達の無煙炭を供出した麦川の跡地・厚保駅地域交流ステーション・よしの・加奈ちゃんパンなど)ご案内した。

道中、なにかのはずみで新田次郎「芙蓉の人」が車内の話題になった。矢野さんは富士山8号目山小屋で働いていたと知った。

新田次郎の奥さまは、藤原ていだと言うと矢野さんは一瞬驚かれた。後日、お礼のお手紙を頂戴した内容に、藤原てい「流れる星は生きている」を読みましたと書かれていた。


ひとコマ目はその藤原てい「流れる星は生きている」を高橋源一郎先生が読みとかれた。

新田次郎はほぼ読んでいるが、藤原ていは知らなかった。

夫、藤原寛人(新田次郎)と哈爾浜(ハルビン市)から筆舌にあらわせない困難をこえて日本帰還。

途中、飢えで失くなった子供の側で泣いている母親と遭遇。彼女は子供を埋めて母親の手を引いて38度線に向かう日本人の群れを追いかけた。けれども母親は「わたしは子供と死にたい」と後戻りをした。それを止めることより、自分が生きることが精一杯だった。


⏹️敗戦を事前に、察知した関東軍は住民を置き去りにして列車で満州から逃げた。


五木寛之さん。山口セミナーパークの講演でマンドリン(機関銃)を手にしたソ連兵が母親を強姦する現場にいた。

漫画家のちばてつやさんは、アンネフランクリンのように中国人の屋根裏に隠れて1年ぐらい生活した。弟を屋根裏部屋で静かに遊ばせるために漫画を描いた。

満州から引き揚げる(逃げる)とき「団」という組織がつくられ行動した。団が目的を遂げるためにソ連兵に女性を出した。⏹️


⏹️は、私の認識の満州。


藤原てい。新田次郎が「飛ぶ教室」で重なった。流れる星を読まねばならない。


ふたコマ目「引き揚げ者の故郷はどこにある」

美祢市から農園の近道ルート「藤ヶ瀬峠」がある。ここに戦後、満州から引き揚げた人たちが開拓団として移り住んだと言われる場所がある(真相は定かではない)

 

満蒙開拓から生還されたお二人を知っている。

小野田の方は、学校で満州の授業を受けて「行きたい」と少年義勇隊に志願された。

福岡県矢部村の三男坊の三雄さんは、長男が継ぐ家をあきらめ新天地を満州に求めた。集団見合いで内地からきた奥さまと所帯を持った。産婆さんはいなかったので出産は主人がやった。引き揚げの逃避行で子供は死んだと話された。


内地で銃後の護りに就いた国民からみると、満州や朝鮮に新天地を求めた者は、どれだけ苦労して帰国しても「知らない」という差別があったのではなかろうかと高橋源一郎先生、ふたコマ目を結ばれた。


いまだに多くの戦没者ご遺骨が野ざらしにされている沖縄県。20年、ご遺骨収集奉仕に参加した。

慶州ナザレ園(日本人女性を保護している)に14回訪問団を結成して通った。


日本政府と沖縄県・日本政府と韓国政府。

たくさん解決の糸口があるように私は思う。

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ゴロゴロした金曜日

昨夜は、早朝に唐戸魚市場で買った魚。疲れた身体に多めのハイボールで早々眠りについた。犬たちも刺身を取ったあとの皮や身の小間切れが夜食サプライズ。


12時前、ガチャガチャと箱ワナの音が聞こえた。

早朝、一番近い箱ワナを見に行ったら子供が2頭。遠くの箱ワナも見に行ったら子供が2頭。一晩で4頭の捕獲。この数日で合計7頭目。見れば可愛いが1年も経つと立派に成長して子供をたくさん増やす。

猟師さんが一人で来られてすべて処分。ワナの入り口を上げて、今夜も獲るつもりで米ぬかをたくさん撒いて帰られた。


涼しい早朝から草刈りの予定だった。宇部市内にも行きたい用事もあったが疲れて気持ちがのらない。何ヵ月ぶりに湯田温泉に行こうとも思ったが、それも面倒な気分なのでゴロゴロすることに決めた。


母の5年祭が気になっているが、お参りの京都行き(金光教太秦教会)は躊躇していた。来月18日に参拝したいと計画していたが延期を教会に連絡した。


録画していても観る時間がなかった番組を何本か観た。

⏹️村木厚子 無罪までの454日 

大阪地検特捜部が政治家(石井一)を逮捕するシナリオに描かれた地検あげての勇み足だった。けれども地検はメンツを重んじて無理やり村木さんを勾留して自白を強要した。


テーマは大きいが、身近なことで考えると見に覚えのない容疑がかけられ、捕らえた側のメンツで犯人に仕立てあげられる。

そのような冤罪事件は過去にもたくさんあった。組織のメンツで罪人にされるかもわかならない警鐘。


本も読んだ「金光教教典」物語

早く知っておきたかった教えの本質を読めた。


お昼に缶ビール2本。ついでに昼寝が1時間。


今夜のNHKラジオ「飛ぶ教室」は2時間番組。

高橋源一郎と読む「戦争の向こう側2020」

引き揚げ体験者が見ていた戦争とは。


ラジオアプリ「らじる★らじる」の聴き逃しサービスで明日の楽しみ(1週間、何度でも聴けます)


ゴロゴロした金曜日。

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朝の関門海峡です

先日、キラキラ光るブリキの波板を一枚買ってきた。


野生動物と農園の国境線は漁網(使い古し)を張り巡らしている。けれども漁網を食いちぎって越境する技を覚えたイノシシがいる。

ラジオを夕方からスイッチを入れて国境線にボリュームをあげて置いてみた。数日やつらは警戒したがラジオ深夜便はすぐに慣れた。


ブリキの波板の前に強力点滅発光するライトを、私の膝のあたり(やつらの視線)わずかな風でもゆれるように垂らした。夜中に効果を見に行くとゆらゆらと真っ赤な点滅がブリキの波板に反射されて日ノ御埼灯台。

今のところ国境線は守られている。


下関の水曜日の疲れがスッキリとれない木曜日。きょうも下関を走りまわる。農園たまごを待ってくださるお客さまがおられる。

5時半に農園スタート。唐戸魚市場で大阪湾のイワシをひと山などを買うことができた。今夜は家内が農園、手開きで刺身。揚げ物などつくってくれる。


午後、下関吉田のブランド「吉田茄」を買うことができた。お客さまにサプライズができた。


明日の朝、元気に目がさめたら草刈り。

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逢いたかった

以前、NHKラジオ番組「子供なんでも相談室」


⏹️先生!セミは15年も土のなかにいると知りました。さびしくはないのですか。


あまりにも純粋ストレートだったので先生が絶句した場面になった。


きょうの配達先の玄関で仲良く脱皮した姿を見つけた。題して「逢いたかった」


水曜日は下関。木曜日も下関。明日の木曜日はお盆休みの職場は本日の配達に加えた。お盆休みなので配達できませんねとお断りするのは簡単で常識的なこと。

私の仕事は、たまごを待っておられるお客さまに届けること。

水曜日のルートに加えて木曜日のルートが重なり走行距離は格段に多くなるけれが下関から美祢までの事業所にお届けがてきた。


農園の夜は涼しい。昨夜は涼しいを通り越した深夜に窓ガラスをしめた。

この快眠で体力は一晩で回復している。


明日も早朝から下関。


金曜日の「飛ぶ教室」7日のふたコマメは、自称「日本映画史・時代劇研究家」の春日太一さんだった。

コロナで引きこもりのなか、戦後の戦争映画を80本観て「日本の戦争映画(文春新書)」を執筆された。


「ひめゆり学徒隊」の上映は昭和28年。観客はあの戦いを生き抜いた人たち。

映画で人が死んでいくときは、それなりに言葉や涙で脚色されるが28年版はバタバタと絶命する。学徒隊が井戸水を決死で汲みに行き炸裂した防弾で学友が倒れても、とにかく水を運ぶ。そばにかけより声をかけたりはしない。

観客は「そうだった」と作品に共感した。


母は、火事で消防のサイレンが身近に迫ったとき逃げ惑った宇部空襲を思い出していた。


高橋先生の「飛ぶ教室」来週は時間を早めて2時間番組。テーマは「引き揚げ」満州や朝鮮からの引き揚げがメインだと思う。

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七夕飾りにシャッター

8時ごろクーラーをとめて網戸。寝酒(癖)にウィスキーをシングルのストレートであおって横になったら、ムカデやイノシシ騒動がない限り3時まで起きることはない。


今朝も快眠のおかげでシャンと目が覚めた。

夜中に届いたメールの返信。ブログのホーム画面更新などてきぱきモード。布団をあげたら部屋を掃除機。


朝食は冷蔵庫の残り物と相談して決まる。いつもタッパーウェアに千切りキャベツや味噌汁の具を家内が用意しているけれど今朝それがない。


玄米ご飯の冷蔵で雑炊に決めた。出汁をとりご飯を入れてたまごをひとつ溶いて落とした。

お昼の弁当をつくって冷蔵庫に入れてある。それを朝、保冷剤と一緒にバッグに入れて出る。その余り物があった。それと20年の農園生活で欠かしていない納豆。デザートはバナナと無糖コーヒー。処方の血圧降圧剤。神棚にかしわ手を打ったら犬たちが「いよいよ俺の番がきた」と動きはじめる。


火曜日は山口市内。七夕飾りを笑いながら撮った。

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菊川画廊のお誘い

きょう月曜日は山口市から配達をはじめて美祢市。小野田市と宇部市を走るコース。


土日の草刈り疲れは今朝までにリセット。まだ働ける、この秋で69歳。

5時半。農園の神棚に拍手をしたら愛犬たちが「やっと散歩に行ける」「やっと朝飯」とごそごそがはじまった。私の生活は犬たちがリズムをとってくれる。


今月23日(日曜日)。私のふるさと西岐波、長生炭鉱の残っている当時の現場で歴史を案内してほしいとお申し出を受けた。

もちろん快諾。ならば「菊川画廊」もご案内しましょうかと画廊の都合を聞かずに言った。

さきほど画廊に「23日なんとか午後から画廊をあけてください」と電話で頼んだら。


きょうから20日まで「田中岑 展覧会」を催している。その展示を撤去せずおいておきます。とてもよい作品ですから、作品の紹介を特別にさせてもらいますよ。


当日の午後2時。菊川画廊にこられる人は私にご連絡ください。人数制限はありません。


写真は一年前。お嬢さんの愛子さんに撮ってもらった。

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きのうから草刈り三昧

日曜日は部屋の掃除に時間をかける。とくにトイレやシャワーなど老眼鏡をかけてみがく。

6時までにそれらと愛犬の世話と私の朝食など済ませた。それだけでシャツは汗をすって重い感じになった。


11時まで5時間、草刈りなど農園の道具(ミニユンボ・ミニダンプ・草刈機)を駆使して予定の場所はきれいになった。つかった道具はすべて高圧洗浄して注油などメンテナンスを済ませた。

次の草刈りは今週の金曜日から日曜日にかけてを予定したいる。


先日、ミニユンボの油圧オイル交換をやった。コマツに出張したら高額を請求される。特殊な工具は必要ないと判断したのでオイルは小野田市のコマツに買いに行った。

ここで問題がおきた。オイルタンク(鉄製)注油口の蓋はかなり大きくその上部が大きなナットになっている。

農園の一番大きなモンキーレンチを最大に拡げてやっとナットにかかる。

コマツから新品を購入して(⏹️購入を決めたとき、たまたま土建業を手広くされているミツヤ工業の山本守元社長が農園に立ち寄られた。コマツに注文したと言うと、その場でコマツに電話「しんあい農園の足立さんをよろしく」そのひとことで劇的に価格が安くなり、営業マンが丁寧になった)例えば、バッテリー交換はエンジンルームの一番奥にバッテリーが据えてあり、そこに到達するには特殊工具が必要で、2度のバッテリー交換はコマツに出張を依頼した。


できる整備は自力でやる。農園を走るガソリン車のオイル交換は2月。ユンボで地面に穴を掘り仮設ピット(ひとり潜り込めるスペース)を作ってオイル交換をしている。

4リットルの廃油は容器に入れて焼却炉の点火に使う薪に染み込ませて1年かけて燃やしている。


そのユンボの給油口が錆び付いて動かない。モンキーレンチをハンマーで叩き続けるとナットが変形する。


たまごのお客さまは男女、職種など実にたくさんのキャリアの持ち主がおられる。 

今回の「錆び付いて動かないナット」について教えを乞うたのは下関の金剛住機の木村社長。


明快な答え「錆止め・潤滑オイルをナットの座金にしっかり噴霧しなさい。じわじわと1日ほどでオイルが浸透します。レンチで(ゆるめる)ではなく(しめる)でハンマーで力を込めて一回だけ叩いてください。そのあと、ゆるめるにはもっと力を入れて叩いたら大丈夫です」

そのとおりの動作で給油口はゆるんだ。


生き字引。私のまわりには電話一本で問題解決してもらえる人たちがいる。金銭的な喜びではない。

私も、問われたら、頼まれたら全力で応えている。


⏹️あだち美術館更新しました😀

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土曜日を元気いっぱい働いた

早朝から萩市など配達してお昼に農園。午後から3時間かけて隣接の耕作放棄地の草刈りにしっかり汗をかいた。


この秋で69歳の私が農園生活。犬の世話や部屋の掃除。朝食は自力でなんとか。

今朝は6時に萩市に向けてスタートするために3時起床。


草刈りをすませ、シャーワでさっぱりして神棚にお礼のかしわ手。

母にお礼は「この歳をむかえても元気いっぱい働けました」と手をあわせた。

母子家庭(シングルマザー)の大黒柱は(山大工学部用務員)とにかく倹約。市内に買い物に行くときもバスはめったに使わず市内まで、梶返し経由の近道をして歩いた。帰り道は重たい買い物を両手で持って歩いた。

官舎に風呂がなかったとき、隔日ぐらいで今の高専ちかく「並木温泉(温泉ではなかった)」に歩いて通った。


決して楽しい思い出ではないが、母と歩いた距離が今の私の体力をささえている。


明日は夜明けを待って草刈りを続行。場所は川土手から。

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ゆきちゃん 近況

⏹️ゆきちゃん近況


水曜日の夕暮れ、ゆきちゃんが後退りしたとき首輪が抜けた。草原を走るチーターのごとく農園内を疾走。家内が大好きなゆきちゃんを家内が呼んでも無視。ところが夕方の空腹には勝てない。パンを持った私に飛び付いてご用となった。そのとき首に成長したマダニを発見した。


マダニとフィラリア駆除は毎月15日が投薬。つまりマダニ駆除(フロントライン)はまだしっかり効いている日数。

ゆきちゃんの首輪が抜けたのは夏痩せ。少し食事の量を増やして首もとを大きくしなければ。


午前中、阿知須の動物病院に今月15日投薬を買いに行った。2頭分で万札。半年分を買う力はないので月々買いに通う。

マダニが噛みついて大きく成長していた。駆除の薬は有効でしょうかと質問したら。最近マダニが駆除剤に耐性を持ちはじめているとのこと。必要なら強力な駆除剤がありますと言われたが強力な薬は遠慮した。


ゆきちゃんの綱を持つ右腕の関節が痛いほど散歩ができなかったが、この数日ゆっくり歩きはじめた。

野良犬ハッピーはリードや、首輪がはじめてだったので暴れ馬状態の散歩をした。いまは私の歩調にあわせて歩く。


ハッピーもゆきちゃんもそれぞれの個性。私がハッピーとゆきちゃんの個性を比較してよい関係にはなれない。

数日前から散歩が上手になった「ゆきちゃん、ええぞ」とほめながら歩いている。


今朝のミッションは散髪・動物病院・私の病院。

問題は「私の病院」先月、血圧の薬がひとつ増えた。それでとても安定していた(いつ計っても120・80前後をキープ)ところが白衣の女医さんの前に座ると170・90と危険ライン。

農園に戻って計ったら110・70。私なら低血圧。


夕方「立ち寄る」と牧さんからメール。家内は弁当づくりを終えたら自宅に。私はハイボール3缶を通過。次はお湯割り、次は焼酎のお湯割りー😀

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お寺で保護され幸せになれよ

木曜日はNHK FMラジオ。お昼前の浪曲十八番を、下関市から菊川に走りながらネットラジオで聴いている。

「赤垣源蔵 徳利のランプ別れ」玉川奈番組々福・沢村豊子曲師の名コンビで赤穂義士の人情物語を熱演。

数樂の会で浪曲を世界にひろめておられる奈々福さん、曲師の豊子師匠の熱演を二度かぶりつきであじわった。車を木蔭に停めて赤穂義士人情物語をしっかり楽しんだ。


写真の犬。菊川町内日の浄福寺ご住職夫妻が保健所から引く受けられた保護犬。

とにかくおびえている。12年前に防府市から引き受けた保護犬ハッピーを思い出した。


数ヶ月もしたら野良犬から飼い犬に必ずなる。このお寺で幸せになれよと頭をなでた。


早朝の唐戸魚市場。先週と同じ大阪湾のイワシをひと山と有明海のアサリをひと山買った。今夜はイワシの刺身と揚げ物。愛犬たちは捨てるアラを生で食べさせる。捨てるものはない。

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素敵なTシャツになりました(バーバラ)

イノシシ寝不足は一晩で解消できた。

私の部屋、全部を網戸にして寝ると12時ぐらいに肌寒さをおぼえるほどの涼しさになる。少し重たい掛け布団にもぐって熟睡。


水曜日の朝は慌ただしい。それでも布団をあげたら掃除機をかける日課は欠かしたことはない。朝食は冷蔵庫の玄米ご飯を雑炊(煮干などで出汁をとって塩分なし)きのう家内が野菜を味付けなしで煮てくれている。納豆は味付けなし。


水曜日の配達準備と犬の世話などを済ませて6時前に農園スタート。


8時に長門一ノ宮住吉神社の宮司にお届け。9時ごろ綾羅木の中山神社に参拝。11時半ごろ忌の宮神社参拝。

毎週、水曜日は三社参りをしている。きっとロト6の2等が当たる。


三社参りとスペシャルオリンピックス下関の活動拠点「ちょぼハウス」も10時ごろ必ず立ち寄る。たまごの売上で活動を応援するスペシャルエッグをちょぼちょぼとすすめている。


写真のデザインは「バーバラグループ」の小坂さん作品。このデザインでTシャツをつくり少しの利益を出して社会貢献するバーバラ逹の活動。

具体的なことを近々ご案内します。ぜひバーバラを着て社会貢献してください。


夜間、農園に入ろうとするイノシシたちと向き合っている。地元の猟友会の加勢は心強いが自力で解決する努力が求められる。

暗くなると強力発光する乾電池と太陽光ふたつのチカチカライトを設置しているが、その後方に反射板を取り付けた。


下関市から戻るときホームセンター内を歩きまわり、銀色のトタン板に目をつけた。配達のワンボックスになんとか積めた。

杭を4本打って最前線に固定した。


明日も早朝から下関市。楽しみは唐戸魚市場。

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寝不足はイノシシ騒動

寝る準備をしていたから8時前ごろ。階下から吹き上がりのよいエンジン音が轟いた「牧さん」と窓から下を見たらベンツの牧さん「あがって」と声をかけたら「すぐ出るから」と私を招いた。山形県から東京経由で宮崎に向かっているが、最高に旨かったので半分飲んだが飲んでくれと京都の「白嶺(はくれい)原酒」と仕事で行った先々の土産物。それと中央アジアのどこかの国で買ったという双眼鏡の新品を置いて走り去った。


さぁ寝ようと原酒をあおって横になったらズドーンと銃声が一発!

この時間に撃つのはルール違反(夜明けから日暮れまで)眠りながら撃ったわけを推理した。

私が知るかぎりではイノシシ猟には3通り。山に犬を放してイノシシを追い出してしとめる。箱ワナは頑丈な鉄の檻に餌を蒔いておく。餌を食べに檻に入ったイノシシは足元のヒモを蹴って切る。その瞬間に扉が落ちる。くくり罠は獣道に棒などを置いて、そこを避けて足をおろす場所に穴を掘りワイヤーで足を縛る。そのワイヤーは近くの大木に巻いている。


昼間にくくり罠にかかったイノシシを夕方しとめに行った猟師さん。鉄砲を持っている人は少ない(警察から厳しい保管命令)ワイヤーで片足を縛られたイノシシは暴れまくる。それを絶命させるには槍のような刃物で心臓を突く。

おそらく、夕暮れまでに絶命できないほど暴れる獲物。一晩おいたらワイヤーを切って手負いで逃げるかもわからない。何らかの手続きをしたのかしなかったのかわからないが、朝までこのまま放置できないので、猟銃が使える仲間に来てもらっての一発だったのではないか。


ガチャーン!金属音で飛び起きた。時計は深夜1時。

農園内にはイノシシ捕獲用箱ワナが2ヵ所、地元の猟友会が設置している。

そのひとつは、私が寝ている場所から直接距離で100mぐらい。その扉が落ちた音だった。檻を突き破ろうと体当たりをする激しい音、それに反応して吠えまくる犬で完全に睡眠不足で朝をむかえた。

どれだけ大物かと見に行ったら小学生。それでもカメラを構えた私に突進してきた。


山口市内は酷暑の火曜日。

3時に農園に戻って気温を見たら32度。

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あだち美術館 ご存知ですか

農園をはじめたときは48歳。隣接の山に入りチェンソーでクヌギを倒して原木シイタケ栽培をやることができる体力があった。

原木は1m20cmに「玉切り」にして、菌を20個ぐらい打ち込むと本で学んだ。倒したばかりで水分たっぷりの原木は担いだ肩に重くくい込んだ。担いで斜面を下ったり上ったり。


その体力が衰えをみせはじめて、スコップと一輪車でこなしていた仕事がつらくなった。

そこで軽トラダンプカーとミニユンボを買った。そのミニユンボのメンテナンス(オイル交換・冷却水・キャタピラー調整など)はマニュアルを見ながらやった。できないのはバッテリー交換。とても狭いエンジンルームの奥にあるので、そこに到達するまでには特殊な工具が必要。出張で交換を2度メーカー(コマツ)に頼んだ。

今回は油圧オイルが点検ゲージを下回った。小野田市のコマツに立ち寄りオイル購入。注入するときの油圧調整など教えてもらった。


ブログ「先月の写真」を「あだち美術館」に改装しました。

数年前までダブレットのカメラ機能に頼っていたが、持ち歩きに不便。撮りたいものが撮れない。その理由でWi-Fi機能つきで一番安い小型カメラを買った。

新聞や雑誌、施設の廊下の写真展を見ることが多くなったのは、私が撮りたいと思ったテーマの一枚が撮りたくなったから。


撮った写真のなかで「我ながら😀」と自慢できる一枚は別に保存している。毎週、日曜日の夕方に2枚更新します。

更新しながら美術館を充実させます。

重枝さんがブログの後押しです。

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午前中、スコップ仕事でおお汗をかいた

きのうは萩市に2度行った。

はじめは早朝の配達。お昼にもどり少し休んで農園を3時に出て萩市にもう1度むかった理由は、萩市の散策を次回催すときは藍場川一帯。とくに旧湯川家屋敷と桂太郎旧宅をメインにしたいと思っていた。

明倫学舎レストラン「萩暦」のディナー予約がとれたので向かった。


萩市は阿武川が松本川と橋本川に分岐して、その川の中洲に町がつくられた。その松本川から引き込んだ川が藍場川。藍場川は萩市をめぐりさまざまな風情をかもし出して橋本川に合流している。

人々が生活をいとなむ治水の藍場川。川沿いの家々が水を屋敷のなかに引き込み洗い物や庭の風景に添えたり鯉を飼ったり水と共に生活をされた跡が残っている。


その水利用の典型的な風景が旧湯川家屋敷に保存されている。屋敷に引き込まれた流れは庭をめぐり屋敷内を通過して川に戻る。

庭の木々の木陰をめぐり屋敷に流れる水は笠山風穴のように冷気をともなっている。きのう外は汗が流れたが湯川家は天然クーラー。

この水場で野菜や果物を冷やしたり食器をすすいだり(残飯は鯉が待っている)の生活がしのばれる。萩市から委嘱された案内の方はとても丁寧に説明してくださった。


田中義一(萩では田中大将と呼ばれる)別邸には、近所のばあ様が2~3人いつもつめておられて大将の自慢話をとことん聞かせてくれる。本気で聞いたら夏ミカンをもいで土産にくれた。


浜崎ガイド「浜崎しっちょる会」の面々も、浜崎自慢がやりたくてしかたがない。3年前、お船小屋でお船唄を朗々と歌いあげた浜崎郵便局の元局長さんが2年前に亡くなられたことを湯川家案内のご婦人から聞かされた。


萩循環「まぁーるバス」東回りコースは(松陰先生)・西回りコースは(晋作くん)の愛称バスも調べてきた。どこまで乗っても100円。


「萩暦」は明倫学舎の教室がレストランになっている。萩の魚はとくに旨かった。甘鯛唐揚げは最高。お酒はハイボール2杯でブレーキ。


今朝は7時前から働きはじめた。

長雨で農園内に水溜まりができた。そこを車が通過してタイヤが道を掘っている。泥を練ってぬかるんだところもある。日が照って乾燥したら一見道がよくなったように見えても、1度ぬかるんだ場所は練った泥を取って砂利を入れないといけない。

それをお昼までおお汗をかいてやり終えた。


缶ビール1本と昼寝の30分で体力復活。

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西山君家族が来てくれた

夜のムカデ事件。昨夜はその後遺症でなかなか寝付かれなかった。ムカデが出たら必ずもう一ぴきおるという。それだけ数多くおるということかもわからない。枕元にハエたたきを用意した。


早朝から萩市などを配達してお昼に前に農園ゴール。


缶ビールで昼食をすませて横になっていたら「小野田の西山さんご来られました」と正志が言うので「あがってもらってくれ」と返事をしたら車のなかに犬を乗せているのでということで車に行った。


豆柴は知っているが豆ビークル(生後1年と少し)。

西山さんは独身当時から農園に飲みに来てくれ泊まっていた。よいご縁で結婚。ご長男は生後からずっと入院生活。大きくなったお嬢さんを連れて萩市菊ヶ浜に海水浴に行っての帰り道。

西山君の顔が下を向いて残念だったがその一枚。


きのう草刈りでおお汗をかいた。パンツのゴムがあたるところぐるりと汗疹ができた。

子供のころ背中など汗疹ができたら「海につかっておいで」と母に言われて、自転車で常盤海岸によく通った。汗疹がそれでなおったか覚えていないが、日焼けで風呂に入られないことがあった。


明日は、涼しい早朝からスコップ仕事。また汗疹がひどくなる。

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