1月を元気に過ごせました

月末のタブレット使用量。4年前が私のタブレット元年。当時は9GBの契約をしたが、4GBをこえて使うことはないので昨年から毎月5GB契約にした。それでも3GBまで使うことはない。


ブログは毎日2回の更新。朝はホーム画面に写真を2枚とキャプション。夕方は日記の更新。

毎朝無料新聞2紙とフェイスブックの閲覧。その他に調べたいことがおきたとき。メールの送受信ぐらい。


コンビニでコーヒー休憩のときはYouTubeで音楽。もちろん無料Wi-Fiに接続する。


今朝4時の外気は氷点下6度。室内の窓ガラス サッシについた結露が白く凍っていた。ネコ缶をもって「おーい」と呼んだら小走りに来た。

下関の配達を用意してから朝食を済ませ、食器や台所を洗い部屋に掃除機をかけてスタート。満月が西におちていく。


洗車を済ませてお昼に農園。40日サイクルの血圧検診に行った。廊下の血圧計で計ってみたら140の80と紙切れが出た。はたして女医さんの部屋で計ると170の90が出た!先程の紙切れをポケットから出した。


1月を元気に終わることができました。下関市の江口さんからさきほど用件にくわえて「インフルエンザです!」寝ているらしい。私もインフルエンザ(鶏)に警戒して手洗いなど励行しています。

囲炉裏にお立ち寄りのみなさん2月を元気にスタートしましょう。

長引く寒波

部屋の窓ガラスについている結露で冷え込みがわかるようになった。毎朝、この結露を新聞紙で拭き取ることが冬の日課になっている。

今朝はさほど冷えていないと思ったら、そのとおり氷点下3度だった。5時ごろネコが階下からニヤーニャーと朝ごはんの催促をする。ネコの朝食はネコ缶。


写真は山口市吉敷から鳳便山方向の一枚。


諏訪神社のすぐそばにご実家がある奥さま(家業の事務)、諏訪湖が結氷して御神渡りが今年は見られる話題になった。諏訪は標高800メートルの盆地。この時期は氷点下10度以下の毎日が続く。高校時代はボート部だったが走ることしかできなかった。ほかの部活も走るだけが冬のメニューだった。

夜中、諏訪湖から結氷できしむ音が深夜に集落に響くと神々しい気持ちになった。冬は寒いほど故郷を思い出せると話された。


配達の終わりごろ、平川のスーパーに立ち寄り今夜の買い出しをする。刺身やハイボールなどをレジで支払っているときご老人(男性)の姿が目にとまった。椅子に腰かけられたので声をかけにいった。

このスーパーに飼い犬を連れて来ていた。雑種と思われる10キロぐらいの中型犬。しつけはできているがノーリードだからマナーにうるさい人から小言を言われていた。私も「はなちゃん」のときはリードをつけたことがなかった。命令に従わないことはなかった。


「犬は元気ですか」と側に座って声をかけた。驚かれた。そのあとで「昨年の暮れに死にました。13歳ですよ、早いと思いませんか」買い物から想像すれば独り暮らしのように思えた「楽に逝きましたか」と思わず聞いた「苦しまずに」と。私の「はなちゃん」は七転八倒して逝ったと家内から聞いた。健太も難儀な最後だった。太郎さんは私に尾を振って逝った。

しばらく思い出話を聞かせていただいた。


テレビ番組ご紹介

午後のメールは数楽の藤野先生からだった。

能楽師 安田 登先生が、31日(水曜日)午後8時 BS プレミアムで放送される🔶偉人たちの健康診断 天下人はなぜキレるのか 豊臣秀吉🔶に出演されるという案内だった。


数楽の会を藤野先生がはじめられた当初の名称は、寺子屋ならぬ「社小屋」だった。吉部八幡宮をお借りしたから社(やしろ)になった。仕事を終えて集まる人数はまばら、しかも数楽がなにかわからないが、悪い催しではなさそうだから参加してみようか。ぐらいで私は出席していた。


能楽師の安田先生をお招きします。と案内をいただいたとき正直「能楽師?退屈な時間になろう」と想像して出席した。当時はお賽銭が参加費だった。

そのぐらいの気持ちで座っていたら先生は袴姿の正装で立たれた。そこから安田先生の世界になった。能の話にはじまり甲骨文字から奥の細道など知らないことを、私にも理解できるぐらいに敷居を下げて話していただき感激の一時だった。


次に社小屋に来られたときは、若いバイオリン奏者の女性を同伴された。安田先生が彼女に一曲演奏するよう促された。彼女は演奏の前に語った「オーケストラにはいると、私が求めていきたい道から逸れてしまうので、生活は苦労がありますが私の道を歩みます」と前置きして聴かせていただいた曲は G線上のアリア。拝殿に響くバイオリンの音色は涙がこぼれるほど私の心を揺さぶった。


写真は昨年の8月に数楽にお出でいただいた安田先生との夕食。若手の桂子ちゃんがノンアルコールを「どうぞ」の場面。


「工事中」の阿弥陀寺の幽霊を読まれた数名から「面白い」と感想をいただきました。

今週の金曜日に長府の「あけぼのコーヒー」で逢坂かのを 先生と工事完成までの道筋を話し合います。まだ未完成ですから。


月曜日のラストは農園近くの温泉。冷えきった身体が喜んだ。

「工事中」の説明

ブログの冒頭に、日記・数楽の会・先月写真などを選択する項目があります。それに「工事中」という項目が追加されました。皆さまの目にとまるので説明します。


昨年の11月15日「日記」は、長府のコーヒー店で初めてお会いした藤中さんを紹介しています。目的は彼が描いた絵を(岡本拓也さんご縁)頂戴することでした。けれども小説を書いているという彼のひとことを聞いて読んでみたいと思いました。


次にコーヒー店でお会いしたとき短編小説をお預りしました。三回目のコーヒー店でお会いしたとき「阿弥陀寺町の幽霊」原稿用紙120枚をお預りし、その日に一気に読みました。下関が舞台となり奇想天外な男と女の出逢いが最後まで読み切りたいと思わせました。

私の身近な10人ぐらいに回して読んでもらいましたら「面白い、とてもストーリーがよく出来ている」というような読後感を添えてもらいました。


藤中さんは私と同い年の66歳。ご高齢のお母さんの世話をされながら長府を元気にする取り組みに参加をされておられる生き方に「もう歳だから」となにかと消極的になっている私に刺激を与えてくださった。


作品「阿弥陀寺町の幽霊」を多くの人に楽しんでもらえる方法を考えました。自費出版ができる仕組みなども検討しましたが、お金をかけずに目的を果たすにはブログから読みたい方はダウンロードできる方法はできないかと、ブログの知恵袋 重枝さんに頼りました。もちろん重枝さんにも阿弥陀寺を読んでいただきました。


きょう重枝さんと山口市の商業施設でお会いして、ブログに掲載するアウトラインを説明し、その場でダウンロードできるように設定していただきました。けれども「工事中」と標記しているのは完成ではないということです。これから藤中さんに表紙や前書きなどを書いていただき、本文も推敲を重ねていきたいと思っています。重枝さんは献身的に参加してくれています。


公開はしていません未完成ですが読むことはできます。

最近読んだ本 3冊

最近読み終えた3冊。

高倉健は糸賀社長から頂戴した。たくさん作品を観たなかで「単騎、千里を走る」「あなたへ」「ホタル」など特によかった。プライベートが知られない健さんを交遊関係などから人間 高倉健をあらわした一冊だと思った。役柄も実像も一致する。


古川薫先生の「維新の商人」サブタイトルは「語り出す白石正一郎日記」。

同じく下関、東亜大学の崔吉城(チェ キルソン)先生「朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実」サブタイトルは「慰安所日記」。

日記という性質上(他人に読ませる目的ではない)日付と、その日に何があったと淡々と書かれており、読み物としては面白みは少ないが、そこから読みとれる事実は貴重だと感じた。


今朝の萩市向けは6時にスタート。農園にうっすら雪の氷点下3度。荷台の後ろにコンクリートブロックをたくさん載せて凍結の難所といわれる雲雀峠を下った。除雪車が峠を往復して路面は雪が固まりピカピカ。シフトダウンで一度もブレーキを踏まずに下り終えた。


4月8日に浜崎散策を計画している。この地域は街並みが古く駐車場がない。探していたら渡船の船着き場に広い駐車場が300円であった。管理人と打ち合わせができた。


浜崎散策は「浜崎知っちょる会」という観光ガイドに申し込みを終えています。10時に現地集合で参加費200円です。参加ご希望の方はお申し出ください。

昼寝ができた

絵手紙の ばんだいさん自画像。

22日にたまごをお届けに行ったときご在宅。玄関で立ち話のとき目にとまり撮った。ご夫婦二人暮らし、二人とも病院通いが長い。気持ちはいつも上を向いて歩こう。


きのう美祢市の独り暮らしのおばあさんに6個のたまごを届けた。勝手口から入ると防寒着と毛糸の帽子でコタツに向き合っておられた。いつもの写経。

昨年、ご主人が倒れて入院されているが思わしくない。じっとしていると気持ちが落ち込むのでひたすら写経。しかも暖房器具は使わない。使うと気持ちがしゃんとしないらしい。

近所の方が小芋を差し入れてくださったと見せてくれた。これを題材に絵手紙を書いて孫に出そうと思う。まだ文句は決めていないが「まあるく生きようね」が頭にあると言われた。


農園は電線はきているが、水道も電話線もない。当初、井戸掘りを業者に頼んだか120メートル岩盤を掘っても僅かな地下水しか出なかった。

そこで重機で6メートル(この深さで岩盤に当たる)掘り井戸枠を下ろし周囲に砂利を入れて浅井戸をつくった。


続く寒波から鶏舎や住居の水まわりを凍結、破裂から守るために排水を続けている。浅井戸の水量か底をつき始めた。今朝から川にエンジンポンプを据えて井戸周辺に撒水をはじめた。

このやり方を身につけるまで、何度も配水管を凍らせて割った。後始末は仕事を終えた夕方からヘッドライトて修理した。


昼前に温泉に行き着替え、午後から昼寝をした。

寒波 無事に農園ゴール

唐戸「カットインパラダイス(理髪店)」の中山さんは鉛筆画教室を主宰されている。今朝はお店で腕をみがいておられた。


下関市内の会社。警備の方は委託先から出向いておられる。私の車でも親切に誘導してくださる。

先日、お孫さんを乗せて市内を走っていたとき、うっかり一旦停車を怠った。パトカーに止められ「違反されました」と窓越しに警察官が言うとお孫さんが「おじいちゃんは、いつも安全運転するんよ」と警察官に笑顔で話した。警察官「可愛いですね。ここは一旦停止ですからね。気をつけてください」で終わった。その話をされた。


私も同様の思い出がある。宇部市内、家内を助手席に乗せていたら検問。シートベルトを外していた家内は大慌てでベルトを引っ張った。力をこめて引っ張るからベルトはロックされた。そのまま「免許証を拝見」と窓越しの警察官は家内が真顔で助手席でベルトを引っ張っている姿に苦笑して終わったことがある。


午後1時過ぎに加奈ちゃんから着信「おいちゃん!」と叫ぶ。なにが起きたのか、もうじきに加奈ちゃんの自宅に着く。「おいちゃん。参観日を忘れちょった!これから学校に行きます。たまごは置いちょって」私は加奈ちゃんに撮影のお礼のささやかな品を農園に忘れていた。


昨夜から少しの積雪。3時の気温は氷点下4度。6時に農園を出るまでの作業は寒かった。満載のたまごの重さでタイヤのグリップはバッチリ。国道に出るまで凍結の道路を安定して走ることができた。

商品名は 南蛮だより

長府に洋菓子店「レ・サンク」がある。岡本順子さんご親戚が営んでおられる。昨年から何度も相互に訪問を重ねて商品開発をしてきた。

岡本順子さんの父親が豊田町で大正12年に「藤井 風月堂」という和菓子店を創業された。「レ・サンク」のパテシェの菓子づくりの出発はこの和菓子店。とくにカステラは自信があり今のお店でもつくられている。

まだカステラづくりは具体化できていないが、商品名は「南蛮だより」に決めた。写真は加奈ちゃんに何枚も撮ってもらった。

もう少し内容をつめて商品化します。


水曜日の下関市。9時半ごろ安岡や新下関付近を配達して、内日に向かう道から右折して峠越えして小月に向かった。峠を下った神田川近くに最後の配達がある。

ところが峠は薄い積雪が凍っていた。登り坂の途中で渋滞の停滞。私の車は荷物がなく軽いので冬タイヤが滑り車体が真っ直ぐ止まらない。Uターンして峠を下り小月を目指した。


明朝はアイスバーンかもわからないが、木曜日の積載はかなり重いから安定走行できる。6時に農園をスタート予定。

今夜から寒波襲来の予報

〈牧さん 旅の写真No.4〉

自由の女神は「意外と小さい」と彼は何度も言った。私は「猿の惑星」ラストシーンで見た女神は大きかったが。


このブログにいくつかある扉のなかの「数楽の会」は、高校教諭 藤野先生がはじめた。会のベースは数学者 岡 潔先生の著書「春宵十話」私が一人では難解な読み物。数学者の執筆だから。藤野先生が解説されながら読みすすむと内容は数学というより情緒の世界。日本人は情緒のなかで育まれた(私の理解(^_^)/)


読売テレビ開局60年 スペシャルドラマ「天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛」🔶2月23日夜9時放送。主演 天海祐希・佐々木蔵之介


藤野先生がフェイスブックで紹介された。奇人か変人か天才なのか楽しみな番組です。  数楽の会は連続していません。幅広い年齢層で入り口に敷居はありません。


寒い朝、給油に行ったら青年が東京の雪を気にかけていた「妹が修学旅行です。今朝から空路です」と。私には兄弟はない。妹の旅を案じる兄の気持ちがあたたかい。午後もう一度給油に立ち寄った「旅はどうか」と聞いたら、妹のスマホのバッテリーも気になるのでラインはしていないから分かりません。「ええ兄貴じゃ」が口をついた。


ニュースタイル本店。糸賀社長は来客中だった。マネージャーに納品して帰ろうとしたら「声が聞こえた。まぁ入り」と社長室に招かれた。「この足立さんは変人です」とお客に紹介された。名刺を差しだしたがら「糸賀社長から変人にさせられた足立です」と言うと「??」


今夜からの寒波予報で家内は自宅に戻らない。何年か前に自宅から農園に来るとき、路面の凍結でスリップして車が全損した。寒波は苦手になっている。

便利か はたして便利か

〈牧さん 旅の写真No.3〉

メトロポリタン美術館。フラッシュを使わなければ写真は許可。スケッチも許されるおおらかさが一枚から読みとれる。

レンタカーで旅をする牧さん「アメリカは運転マナーがよいと感じました。銃社会が秩序を保っているかもわかりません」と。


松村御大の油絵「海響館のふく」が昨年の下関市美術展で入賞した。美術館で披露されたので鑑賞に行ったら「撮影禁止」私としたらブログなどで多くの人に観てほしいから足を運んだ「松村の親戚ですから撮らせてください」と申し出た。他の作品を撮らないように職員の監視?つきで撮ることができた。


視覚障がいの人がラジオで話されたこと。外出できないのはトイレ機能が多様化、複雑になったこと。最近のトイレは使い方を考えることがある。くわえて自動の蛇口も。手洗いにバッグを置いたら蛇口から水が出て慌てたことがある。便利とか快適についていけない人もある。

はなちゃん 命日

午後から楽しみにしていた 舞の海秀平さんの「小よく大を制す」を聴講に美祢市民会館に行った。90分の内容は相撲の文化を理解できる深い内容だった。

とくに、相撲は神事であり武道(精神)であるから、勝ち負けを競うスポーツとはちがうことが理解できた。加えて、スポーツならば体重別などランク分けされるが、相撲にそれはない。息をあわせた仕切りからくり出すわざこそが醍醐味であり、勝者は謙虚に敗者は次の土俵に闘志をにじませる。


家内は相撲が大好き。写真は3年前の秋「長州場所」を下関市に観戦に行ったときのもの。いつか九州場所を観戦に行きたいと思った。


私が「犬派」になったのは、前の仕事をしていたとき自宅を西岐波に建てたと同時に防府市から来た雑種で臆病な仔犬。高校生だった真砂恵さんが「はなちゃん」と命名した。20年、私の相棒になりリードや鎖につないだことはない。農園生活をはじめてキツネやイノシシなどと遭遇しながら田舎の生活を身につけた。


太郎さん(ビーグル)・健太(銃声苦手の猟犬)・野良犬ハッピーに高齢でも君臨したが病で(体重20キロあったが最後は6キロ)で亡くなった。今日は「はなちゃん」6年の命日。

排水路が治った

〈牧さん 旅の写真No.2〉

ニューヨークの街かどで目にした風景。牧さん曰く「飼い主ではないと思います」彼の推理では、犬の散歩を職業にしている人ではないか。

そうかもわからない。それより私はこれだけ数の犬を操れる人に驚いた。


家内は姉と妹の3人姉妹。3人とも嫁に出たので、山奥の生家(たつの市)は取り壊しさら地にして市に任せた。ご先祖は京都の寺に遺骨とともに永代供養をお願いした。墓石が墓地に残っている。それをどうするかを決めに、3人が集まりやすい広島駅近くの食事ができる店に行った。


3月は、母の霊様をお祭りしていただいている金光教太秦教会で霊祭が支えられ私が参拝。6月には同じ教会で母の3年祭を支えていただく。


きのう台所の排水パイプの不調を手直し。2階の台所から階下の溜めマスまでは問題ないが、その溜めマスから処理槽までのパイプが途中高くなったところがあり、常に流れが悪く脂分が固形になる。高いパイプの下の土を掘りはひと晩ブロックなどで荷重をかけたら下がった。廃水が浄化槽にスムーズに流れはじめた。


牧さんの旅 No.1

〈牧さん 旅の写真No.1〉

オランダ マウリッツハウス王立美術館  真珠の耳飾りの少女。ヨハネス・フェルメール


実物を鑑賞できる機会は私にはないだろう。その前に立った牧さんは、ツアーではなくレンタカーで走る一人旅。それは私からすると偉業としか思えず、写真が届いたときその両方に感動した。


以前、駐車場料金の表示に問題があると報道された。例えば1日1000円と大きく書かれたパーキングに2日駐車したら2000円ではなかった。小さく「最初の1日だけ」と添え書きがあった。そのようなトラブル。

業者にすれば「書いているではないか」と添え書きを免罪符のように主張する。


子供に「勉強せえよ」と口うるさく言う親が、子供の成績を見たとき「あれだけ言うたのに」という。


つまり駐車場を使うお客の立場。学ぶ子供の立場に立ってはいない。


理路整然と話したが、聞いた側の理解につながらない場面。私は聞き手が決定権を持っていると思っている。

猫に甘すぎるかも

犬との付き合いは長いからしぐさや吠え方でその時の気分をおしはかることはできる。数ヵ月前から居着いたら外猫(名前は「おーい」)との付き合い方がなかなかわからない。例えば餌、基本はキャットフードを与えるけれど、早朝に催促で鳴くときキャットフードは食べない。機嫌をとるためにメニューをかえてみる。

そのことを猫に詳しい方に聞いたら「甘やかし過ぎ」と言われた。それでも冷え込んだ朝に2階に聞こえるようにニャーニャー鳴く声に促される。


なにか動物の気配がすると思ったとき、痩せ細った猫が物陰に身をひそめた。その頃、ネズミ対策でパンに殺鼠剤をつけたものを何ヵ所も置いていたので食べていないかとても心配した。ネズミは猫の登場で姿を消した。それで甘やかせることになっている。


使わなくなった犬小屋をふたつ軒下に放置している。そのひとつに暖をとるように様々なものを入れている「おーい!」と呼んだら転がるようにかけてくる。


木曜日は唐戸魚市場を歩く。今朝は7時に赤間神宮の駐車場に車を置いて歩いた。刺し身が出来ると書かれた大きな鯖を一本。頭と腹をとってもらい、天然鯛のアラをひと盛り買って1200円。家内が今夜は泊まるので晩酌は日本酒になる。


台所の排水が処理槽に流れる途中の塩化ビニールパイプがある場所で高くなり円滑に流れないために、脂分がパイプに動脈硬化のように付着して排水の流れを妨げていることがわかった。きのう、下関市の金剛住器 木村社長が診断に来てくれた。それを解決する道具を教えていただき購入した。木村社長とは中越地震に向かう「ふく鍋隊」でご縁をいただいた。隊長はもちろん松村御大だった。

神戸の日

2年前の9月に泊まりに来た 牧さん(現在48歳・独身)

彼は世界中をスマホの翻訳機能を駆使して一人旅を楽しんでいる。メトロポリタン美術館やマウリックハイス王立美術館の作品を数点私に届けてくれている「真珠の耳飾の少女」などブログに載せていきます。

海外美術館ではフラッシュを使わなければ撮影できると彼が教えてくれた。


彼とのご縁は23年前の神戸市兵庫区浜山小学校避難所。当事の私は、市町村議会会議録の調製をおこなう会社を経営しており、会社には毎週2日戻るペースで4月末に避難所が解散される復興祭まで滞在して運営のお手伝いをした。

牧さんはマグロ船乗組員をしていた。次の航海前に神戸が被災したので、知り合いは神戸にいないが手伝うことがあるだろうと大型バイクで着いたのが浜山小学校。


彼の出身地は宮崎県。私は九州各地で仕事をしていたので宮崎弁は理解できるし話題も多く友だちなった。


避難所の滞在中ではたくさんのドラマがあった。なかでも胸が張りさけそうな気持ちを覚えた場面。

日本中の消防車やパトロールカー、ゴミ運搬車などが働いた。電気の復旧が始まったころ倒壊や半壊した家屋で電線ショートで火災が随所で発生した。消防隊員は疲労でホースを担いで走れない、けれども延焼するわが家の住人たちは、走ることができない隊員に罵声をあびせた。その住人の気持ちもわかるから涙がこぼれた。


山口市のゴミ運搬車をみた。任務を終えてバトンを渡して戻るときは神戸のガレキを満載で山口市に帰る。霊柩車も各県のナンバーだった。遠くは岡山の火葬場まで走ったと聞いた。


避難所に無料電話か設置されると外国人が列をつくった。神戸に行けば「食える」とホームレスの人も集まったらしい。混沌とした4ヶ月を神戸で生活したことは私の宝物。


被災20年のとき、牧さんと神戸で合流して早朝の慰霊行事に参加した。その前夜は寒かった、三宮で飲もうと落ち合った。とりあえずコンビニでワンカップ酒をレンジで熱燗にしてオデンで立ち食い。

景気をつけて街を歩いていたら、花屋の兄ちゃんが牧さんの前に飛び出した「九州どこですか!」久しぶりに耳にしたコテコテの九州弁が懐かしかったらしい。


先日、彼が泊まりに来てくれた。家内の正月料理を喜んで食べた。神戸が結んだご縁。


頭の中の消しゴム

きのう山陽小野田市の農家さんから頂戴したスイートスプリング。市場に出せない規格らしいが味は自信がありますと言われた。めずらしいのでお供えしてお下がりをいただく。


正月に録画して観た映画作品はいろいろあるが「私の頭の中の消しゴム」  タイトルに「の」が3ヶ所使われているところは気になった。


それは別としてラブストーリを楽しんだ。彼女がアルツハイマー病になり記憶が消されていく。


私の母は、私の出生について話すことはなかった。幼稚園のころ友だちから「父ちゃんがなんでおらんのか」と聞かれた。母に聞いたら「戦死したんよ」と言う。それを友だちに話してしばらく「それはウソらしい」と言われウソつきになった。物事がわかりはじめて終戦の6年後に戦死した子供が生まれるワケがないと母のウソがわかった。


戸籍から私の父親の氏名と住職は調べていた。晩年、天皇陛下が弁当を持ってくると言ったり、私に向かって「あんた誰か」と言うようになっとき、母が住んでいる世界はちがうけれど楽に生きているかもわからないと思った。


あるとき、絶体に口にしなかった私の父親の名前を言った。帰りに○○に寄って食べて帰りなさい。その言葉を聞いてなおさら母の頭の世界が楽になっているかもわかないと感じた。


火曜日の仕事を終えた。

眠気の月曜日

厚狭の日蓮宗 妙徳寺。配達はお昼だったが凍りついているところもあった。早朝の水行、凍れば割ってかぶります。と先月言われた。まさに荒行。


月曜日は岡本拓也さんのお宅から配達がはじまる。自宅療養中のお母さんがご近所や親戚のとりまとめの たまご取締役。私が着くと出番になり、なんだかんだと話される。それに相づちをうつ。


農園の飲料水は弁天池か美祢市の長命水をいただいている。農園には水道がなく井戸水を使っていたが10数年前に水質検査をしたら多量の大腸菌で飲用不可になった。

それまでは焼酎の水割り、それを飲み過ぎて朝からガブガブ蛇口に口をつけて飲んだ水が検査で飲めなくなった。

今朝は冷え込み、弁天池も長命水も蛇口が凍りついて20リットルタンクは空のまま農園に戻った。

年末に2リットルの天然水を6本、お客さまからいただいたので大丈夫。


きのうスコップ仕事をしたせいかもわからない。眠気の運転でコンビニ コーヒーを2回飲んだ。


牧さんからアメリカ旅行の写真が何枚か届いた。みなさんに紹介します。驚いたのはニューヨーク メトロポリタン美術館は撮影OKだったこと。お楽しみに。


農園ゴールの手前で温泉立ち寄り。

西 正夫君 6度目の命日

午後の仕事に就いて姿が見えなくなった西君を探していた正志が見つけたのは川底だったらしい。土手にひきあげたら水を吐き出したらしい。家内が119番に通報。そのあと防府市内を走っていた私に連絡をくれた。


48歳で旅立った西君。6年目の命日。花を供えて思い出を甦らせた。年に何度か農園の夕食に招いた。来るときはお母さんの運転。帰りは家内の運転。帰りの挨拶は「ごっつそうさん!」


持病があり日頃は酒は飲まないが、農園では缶ビール2本を限度に飲ませた。陽気になり笑わせた。坂本冬美が好きで、歌える歌は「アメリカ橋」。ぼつぼつ自宅をつくりたい、藤野先生ぐらいの家でええから。

月に1度の検診が楽しみだった。バスを乗り継いで宇部市の大学病院。日頃はあまり話しかけてもらえないが看護婦が親切で喜んでいる。病院で散髪や食事(カツ丼)を済ませてホームセンターに立ち寄り小物を買って散財。


仕事は鶏の餌やり。それとスコップ仕事。農園に来る前は左官で鍛えられていたからスコップを使わせたら天下一品の腕前。適当な仕事はしないがピントの合わない仕事もよくあり、注意したらご機嫌が悪くなる。


なぜか痛風になったときは、苦痛で顔を歪めて歩いていた。


ご葬儀には、農園で知り合った私の友人もたくさん参列してくださった。


小郡で散髪。山口市で給油。防府市でオイル交換。

農園に通じる道が傷んでいたので砂利を約4トンぐらいを小型ユンボと軽四ダンプとスコップで補修した。


雲雀峠で苦労した

覚悟していたほど気温は下がらなかった。4時の外気は氷点下4度。室内も屋外も水道管の凍結は防げた。ネコを呼んだら走ってきたので少し温めた朝食を与えた。


土曜日は6時前に農園を出て、萩市の常茂恵旅館に7時までにお届けする。萩市内の各所をまわり長門市、そのあと湯本の大谷山荘。美祢市を走りお昼に農園に戻る。


きのう午後から土曜日のお客さま全部に納品延着のお願いを済ませた。美祢市から萩市に下る雲雀峠(246メートル)は凍結している。荷台に2本、大きなコンクリートを左右に分けて車体を重くして、いつもより1時間遅れで農園を出た。約40分で峠付近にさしかかる。かなり吹雪いており道路は凍てついていた。峠に躊躇して路肩に止まっている車が目立ちはじめた。

雲雀峠は、いったん下りはじめて危険を感じても止まる場所がない。とくにカーブする橋を下るときは緊張感がピークになる。


万全の用意はしているけれど、私の仕事は無事故で配達を終えること。そのために「遅れます」と連絡も済ませている。下れば萩市の場所でUターンした。農園近くまで引き返し、美祢市から配達をはじめた。萩市内を配り終えて雲雀峠を上って農園にもどった。


写真は、朝7時半ごろUターンした場所を11時半に撮った。

萩 散策のご案内

モノトーンの農園
モノトーンの農園

昨夜から雪が降り続いて朝をむかえた。5時に水回り凍結対策を見てまわり破損はなくひと安心。雪のなかをネコが走ってきて餌をねだる(夕方、餌の補充はしている。それを完食)ダシガラのイリコを与えて、もう一度布団にもぐり込んだ。


9時前に正志は山口市から周南市に、私の愛車で出発。私は家内の車で買い物と持世寺温泉に出発。

路面は2号線を越えて宇部市厚南まで積雪。立ち往生のトラックも見かけた。


温泉は霜降山のふもとにあり、きょうは雪のおかげで貸切り湯を楽しめた。隣接の豆腐工房も造りはしたが売れないようで「雪のなかをありがとうございました」と声をかけてもらった。写真は農園に戻ったお昼前のようす。朝よりずいぶん雪解けしていた。


大河ドラマ「西郷どん」初回を観た。男も女も平等ではないかと思う少年の場面はよかった。名君名高い島津斉彬に扮した渡辺謙は役者に磨きがかかったように思えた。


ところが視聴率が悪いと報じられている。悪いといわれると脚本や役者にどこか問題があるかのように思ってしまう。役者も脚本がよくても作品に興味がわかないから視聴率がふるわない側面もある。

つまり150年前、藩をこえてオールジャパンで列強の大国と向き合った歴史に関心があるかどうかの世相もあるように思っている。


🔶お知らせ

萩散策をやります。前回は堀内を観光ガイドの方にご案内いただきました。30名の方が参集されました。

今年は萩市浜崎を散策します。日時は、4月8日10時から約1時間。「浜崎知ちょる会  観光ボランティア」 にお願いしました。参加費は200円。30名ぐらいまで参加を受付ます。

参加をご希望の方は今月中に私までお申し込みください。


浜崎は観光バスが立ち寄る名所ではありませんが、萩を支えた商人や庶民の心意気が残る街並みです。

冬らしくなった

6時に下関に向けてスタート。国道2号線に出るまでは案の定雪道。けれども木曜日は満載しているので4本の冬タイヤがしっかり路面をグリップしてくれて安定走行。


美祢郵便局の「ばんだい 絵手紙ギャラリー」と、きのう松村御大夫妻が「よしの」に立ち寄られ寄贈された作品のふたつを撮ることもきょうの楽しみ。美祢郵便局に立ち寄り作品を拝見。


松村御大の作品は、明朝のホーム画面に載せます。


お昼にフルートちゃん配達のとき、可愛い犬のパンを頂戴した。パン教室でさきほど焼いたと話された。これから撮って機会をみてご紹介します。


大谷山荘は年末から年始の繁忙期を乗り越えて休館。配達はなかった。農園に戻ると大女将から丁寧なお葉書が届いていた。元旦にお届けしたたまごのお礼「ハッピー物語」も読んでくださった。


きょう特筆しておきたいのは「ひも」。

昨年の秋ごろから、左足の小指の右にある指がいつも痛い。2日に山口駅から8時間歩いたときは常に痛みをこらえていた。今朝、家内に明日の金曜日に病院に行こうと思うと話ながら「ひも」を巻いてみょうと思った。足の指にかるく巻いて靴下を履いた。

数ヶ月も気になっていた痛みを忘れていた。

「よしの」に福がきた!

20歳のころ、知り合いが季刊の雑誌を創刊したいので手伝ってほしいと頼まれた。断りきれずに引き受けたのは取材。宿題の読書感想文をなんとか書いたぐらいの私が向かわされたのは、「鬼夜」とよばれる久留米市大善寺の火祭り。カメラマンと二人でおもむいた。とにかく寒くて熱燗の酒で暖まりながら火の粉が舞う祭りを見た。


その写真の紹介文を書かなければならない。しかも締め切り日があった。ワンカップ酒をずいぶん飲んで、火の粉の雨に気持ちが高揚したぐらいで取材になっていない。ボランティアで引き受けたにしても交通費と弁当代は貰っているからやらねばならない。

逃げ出したいような毎日を過ごして、私なりに写真の説明文を書き上げた「熱いと思った」という書き出しだけは覚えている。初めて書いたものを知り合いが「ええ文を書けるじゃないかね」とほめてくれた。その写真に添えられた「熱いと思った」が活字になったとき嬉しかった。

あの時、ほめてもらえたから40年経った今でも書くことが嫌いでなくなった。

7日の新聞に、鬼夜が載っており懐かしかった。


氷点下ではないけれど、朝6時に下関に向けてスタートしたときは雪が勢いよくふっていた。まだヘッドライトを使うから雪が反射して視界がとても悪い。しかも重たい雪なので道路沿いの竹や木々がしなって道路を狭くしていた。


国道2号線に出るまで立ち往生の車が2台。ノーマルタイヤだったのかもわからない。


帰り道で立ち寄り湯。車に置いた携帯電話に「よしの」からショートメールが着信していた「松村さんが油絵を届けてくださいました。嬉しくて興奮しています」


新年早々に「福」が舞い込みましたね  と返信した。

「よしの」でうどんを食べてふく(福)をご覧ください。

嬉しい ふた品頂戴

火曜日は山口市内。楽しみは農園近くに昨年ご自宅を建てられたお宅の配達7時半。近くの保育園に7時40分ごろ彩乃ちゃんを預けてママはお勤め。そのママに抱かれてのご挨拶が火曜日のスタート。心ばかりのお年玉(品)を渡した。


写真は、山口市内で頂戴したふた品。大好きな焼酎ハイボール。以前にこの日記に写真を載せたことを思い出した。けれどもよく見つけられた。

私が買うのは美祢市のドラッグストア。このハイボールは二種類あり、黒の帯がないものはレモン味。私が好きな黒帯はドライ。この黒ドライがすぐ売り切れる。火曜日と金曜日の入荷と聞いたので土曜日に棚の全部を買い占める(15本程度)家内は宇部市内で1ヶ所置いている店を見つけており、棚にあれば買ってきてくれる。


缶で飲むと本数で毎日のアルコール管理ができる。もちろん一升瓶もあるけれど、飲み過ぎると血圧管理ができにくい。ただし、それは独り酒のみで相手があればノーブレーキ。


「戌をもらってください」とご挨拶のあと頂戴した。今年1年、母の側(写真)に鎮座してもらおう。戌は明日のホーム画面に再登場します。


昨夜から強風だった。それでも朝の4時過ぎから階下でネコが私を呼ぶ。犬は私の側で丸くなってイビキ。しっかり防寒してネコ様ご朝食を供えた。


糸賀社長、昨年は入退院を繰り返されたが維新公園前に本社を建てられた。ご挨拶に行くと紅茶を自らサービスしてくださった。今年も愉しいお付き合いができる。マスターズゴルフ店の河村久仁夫さん夫妻にもご挨拶ができた。20年前には湯田の夜で騒いだ仲間が落ち着いてしまった。


今夜から越冬本番の農園になりそう。


美祢郵便局 ばんだいギャラリー

愛犬だったシルバー
愛犬だったシルバー

昨夜からの雨が終日降り続いた成人の日。

月曜日の午前中は美祢市の山間部を配達している。退院したから配達を再開して欲しいと連絡があり、山奥のお宅に行く途中、道路にシカの家族?4頭が出てきた。とても可愛いが頭数が増えすぎて農業や林業を営む方には頭痛の種。


シカなど野生動物が生きていくためには「塩」が必要らしい。若干でも塩気のある土や泥を食べているが足らないので生きることができない動物がおり淘汰されていた。ところが路面凍結防止の塩害カルシュームの助けを借りて、特に北海道ではエゾシカが増えているらしい。


退院のお祝いと新年の挨拶を済ませた。それから一人暮らしのおじいさんのお宅。12月は1度も会わなかった。玄関に「昨年、父が入院しました配達をとめてください」と張り紙があり、封筒に12月分の支払いが入れてあった。


配達をしながらご家庭の事情に接することが多く、これからの私の人生を考えさせられることが多い。


ばんだいさん。美祢市郵便局にばんだいさんの絵手紙コーナーがあることを知った。そこに出展する作品のひとつをご自宅で撮らせてもらった。今週の木曜日に郵便局ギャラリーを訪れようと思う。

牧さんとの正月

3年前の7月(母の葬儀から1ヶ月後)に来てくれた牧さん。

きのう、近くの温泉に立ち寄り夕方着いた。高速道路の補修が仕事で主に九州から西日本一帯を現場として、10数名の男達をたばねて困難な仕事をこなしている。


私が神戸の避難所で運営を手伝いはじめて暫くして、マグロ船の船員をキャンセルして大型バイクで関東方面からきた。宮崎弁(私は理解できる)だったのと気が合うので親しくなった。避難所が解散されても我が家に突然あらわれた。娘たちはスキーに連れて行ってもらったりもした。松村御大一行14名を縄文杉に案内したときも彼は来た。けれども屋久島の海を泳ぎまわっていた。


前の仕事を辞めて農園生活になっても彼は泊まりに来た。上海で外食事業をはじめて失敗した前後は、中国人やレストランスタッフを伴い大勢で農園宴会もやった。

彼とのお付き合いで、彼の生き方に口出しをしたことは1度もない。会えば互いの近況を伝えあいながら酒を酌み交わす。


48歳の独身。正月料理も食べていないだろうと家内は料理でもてなした。年末にアメリカからキューバを経てブラジルの旅(レンタカー)の途中で現場で大きな事故が起きて従業員が怪我をした。その対処で急遽の帰国をして慌ただしい年末になった話を聞いた。

スマホの翻訳機能を駆使して世界中を歩き見聞を深めている。その彼ならではの体験談を夜遅くまで聞いた。例えはアウシュビッツ(2時間待ちでも無料開放。ドイツが運営資金で協力している?)彼のシャツに「8」の刺繍があった。それはアルファベットの8番目「H」つまりヒトラーの頭文字で、ここではご法度と知ったらしい。


銃社会のアメリカでは交通マナーが良いらしい。トラブルになれば銃を保持しているという前提があるかもわからないと言う。


正月料理の全部をたいらげて彼は寝た。朝は雑煮で餅3個とご飯に焼き魚などを食べて「また来ます」と農園を発った。


年末から年始の不規則な仕事と、2日に歩いた疲れが蓄積したのか右のアゴが腫れて痛みがあった。

10時に家内と湯田簡保の宿に向かった。11時の風呂の開門に間に合った。ゆったり1時間のお湯を楽しみ、農園でロング缶チューハイ経由で2時間の昼寝。起きたらアゴの腫れがとれていた。


明日からは、いつもの生活に戻れる。

今夜は牧さんと歓談

お客さまから紹介されて、船木の今村さんのお宅に12年前から配達がはじまった。関東で長年生活されご主人の定年退職で故郷の我が家に戻られた。関東生活のとき近くに養鶏場があり新鮮なたまごを食べていたとのことだった。


毎週交わす会話から、奥さまは競技かるたクィーンの座に4期就いておられた方だと知った。その後、ご主人は専修大学野球監督をされていたこともわかった。


その美智子奥さまが、きょう滋賀県近江勧学館で開催の62期クィーン戦の審判として参加されている。


クィーンがどれほど凄いかということがわかった場面がある。ある会合、参加者は役40名。全員初対面だったので名前と少しの自己紹介をした。その最後が今村美智子さんだった。一人ひとりの顔を見ながら姓名をすらすら復唱された。かるたの札をきちんと頭に焼きつける稽古を積んでこられたからできるそうだ。


ご主人は広い菜園づくり、雨がふれば陶芸三昧。まさに晴耕雨讀の毎日をすごしておられる。


式守伊之助の不祥事報道に驚いた。つい先日、テレビ番組の特集で行司の振舞いついて語られた。白鵬が負けたとき、不服の態度を土俵下でしたときも式守伊之助は土俵上で毅然としていた。

国技をさばく者として不祥事は許されない。


夕方、宮崎弁の牧さんが泊まりにくる。仕事で稼いでは世界中をレンタカーで見聞している。土産話が楽しみ。

3日連続下関市内

筆無精で年賀状は出せていない私に今年も皆様から年賀状を頂戴した。そのなかで一目で差出人がわかった賀状。もちろん絵手紙の「ばんだい」さん。


農園をはじめたころだから18年ぐらい前になるかもわからない「ばんだい」家の、利口なゴールデンレトリバー「シルバー」をテレビ取材に行ったレポーターの悦ちゃんがご縁をとりもってくれた。犬のことはよくご存じの「ばんだい」さんだからタヌキ顔の柴犬がよく描けている。


前の下関市長の中尾さんからも年賀状が届いた。現職中は出せないらしい。松村御大が唐戸魚市場専務のとき中尾さんは常務だった。専務から満州の夕陽は素晴らしいと促されて、専務と内モンゴル自治区の旅をした。北京から空路で「ハイラル」。まっすぐな道路のホロンバエル草原を経てロシア国境の満州里までの旅。蒙古族のパオ(今に思えば観光パオ)で60度の酒をふるまわれ記憶喪失で朝を迎えた。あくる日も草原をバスで走り夕方着いたパオで財布の現金が全部なくなっていたことに気がついた。

それから無一文の私は中尾さんのコバンザメ。タバコを買ってくれ、ビールを買ってくれ、土産を買ってくれと愉しい旅だった。毎晩酔いつぶれて夕陽を拝むことはできなかった。


無用心だと私のトランクのダイヤルを回してロックしてくれた。4桁の暗証番号がわからず下着も替えることなく北京まで戻って電話で暗証番号を家内に聞いたら「暗証番号設定していないので0を4桁合わせればよい」との返事。ホームレスのような旅をした。その思いでが年賀状に書かれていた。


3日から連続の下関市内。配達の全部を終えて温泉に立ち寄った。年末からの疲れが洗い落ちたどうかわからないがサッパリできた。

今夜はお通夜ではない

新年をむかえて2度目の下関行き。正月休みの影響が残り、仕事始めが5日の会社や商店などがあり不規則な配達コースの木曜日。

朝の海峡夢タワーから新年の勢いを感じた。


昨年の春に元気なご主人が倒れた。ばあちゃんは回復を写経に込めた毎日を過ごしておられる。そのお宅に近所の人が集まっていた。わたしは「今夜はお通夜」と直感した。6個パックのたまごを持たずにお悔やみに行った「お正月から大変なことになりましたね」と声をかけた。ばあちゃんが「それいね。庭の松の木に虫がついて駆除してもらいよるんそ」私の早とちり。


きのう詣でた豊功神社には禁門の変(蛤御門の変)で亡くなられた長府毛利藩の方々が祀られている。私の素朴な疑問は、討ち死にされた方のご遺体は現地で下層して遺骨を持ち帰ったのか、もしくはご遺体を長府まで運んだのか。

美祢のなんでも博士「よしの」にたずねた。即座に「遺髪ぐらいが還ったでしょう」遺体は集めてひとつに埋めて「塚」となっていると思う。


もうひとつ、最近「教育勅語」が気になる。ネットでいろいろ調べてみても、いまひとつしっくりわからない「よしの」にそれを話した。

勅語の意味を最初に概説してくれた。明治天皇と時の政府は同じであることが理解できた。国民が国をまもるというあたりもボンヤリとわかりかけてきた。


明日も下関にむかう。この配達を終えたらいつものペースになる。

5時間の酒盛り 有意義

昨年2月、下関市内で宴席の松村御大と河村隆子さん。愉しくなる潤滑油はやっぱり酒。


元旦の3日は松村詣で。11時から5時間、料理と酒と話題に酔いしれて農園に戻った。


農園を始めた当初、当時の松村専務時代「正月のたまごを4日の初セリで土産に使おう」とお申し出をいただいた。同じ頃に浪花の荒川大将からも「いつもの注文以外に正月用を、来店のお客さまお土産用に」とたくさんのご用命を頂戴した。


南風泊市場のきょうは明日の早朝に行われる初セリ準備で慌ただしい。その市場の階段近くまで車を入れて、急な階段を16往復して2階に運び揚げた。2階には家内が手押し車を用意して所定の場所まで運んだ。

頭から汗が出るぐらいの重労働、しかもきのう歩いた疲れが足に残っている。それをやり終えた。港の寒風で体温を冷ました。

11時に松村御大のお宅に到着。奥さまの豪華正月料理と冷酒などを5時間いただいた。昨日は8時間歩いて、きょうは5時間の酒盛り。御大の「掃除に学ぶ会」に願う気持を聴かせていただいた。それを具体的にするお手伝いをさせていただこうと思った。


家内を伴い、豊功神社・赤間神宮・彦島神社を参拝した。


8時間 山口~農園完歩

農園の6時半は氷点下4度。家内に新山口駅まで送ってもらい、山口線で山口駅に着いたのが8時。農園まで徒歩の旅をスタートした。


45歳の誕生記念に宮崎市から宇部まで歩くことにした。延岡市まで10号線を北上して、高千穂を経由して阿蘇高森まで250キロを5日で歩いた。宇部まではとても無理だったが人生の宝物。


20年末前、松村御大から下関での忘年会に誘われて参加も12時間歩いて参加した。農園生活のなかでも萩市や長門市から10時間以上かけて完歩した。


さきほど、4時すぎに農園ゴール。8時間かかったが今回の徒歩は疲れた。予想はしていたが鳳便山越えは登山だった。2時ごろからタヌキが出てきた「よく歩いたし、明日から仕事もあるから迎えに来てもらえ」と囁く。無視して歩き続けるとタヌキが「迎えに来てもらったことは秘密にして完歩したと言え」とにかくタヌキはやかましくなった。


完歩できた健康を神様と母にかしわ手。


写真は、鳳便山トンネル手前から眼下に歩いてきた山口市内を望む1枚。

新年あけましておめでとうございます

新年あけまして おめでとうございます


新しい年の朝もネコがエサを欲しがる声で始まった。きのう頂戴したブリを家内がさばき、内蔵など煮たものがネコとイヌのおせち料理になった。


正月といっても鶏と生きる生活は変わらない。変わることは家族だけで農園を営む数日になることぐらいである。

お雑煮で朝食を済ませて家内と吉部八幡宮に初詣。宮司にご挨拶ができた。


きょう配達の大谷山荘などを積み込みスタート。最初は桂子ちゃんが熟年巫女をつとめる秋穂の正八幡宮に詣でた。親子ほど年令差がある本物巫女さんと撮らせてもらった。


岡本拓也さんのお宅に初荷。退院されたお母さんにもご挨拶ができた。山口市内の給油所で初給油。笑顔の生方青年に挨拶。


弁天池に立ち寄り「お水取り」10リットル。大谷山荘に初荷をお届け。大女将ご自宅に初たまごをお届け。


お昼に農園に戻りお屠蘇は缶チューハイを二缶。正月気分を味わった。


明日、2日だけ予定がない。やれば農園でたくさんの仕事はあるが、私が先走ってやることは控えている。

朝、家内に小郡駅まで送ってもらい、山口線で山口駅まで行って鳳便山を越えて徒歩で農園を目指してみたいと思っている。