先週水曜日。藤中さんとあったとき「木偶坊(でくのぼう)」第3号を頂戴した。
創刊号は昨年4月・2号は10月・今月3号発行(A4判151頁)。表紙デザインは3号とも藤中さん。
ペンネーム「逢坂かのを」で寄稿されている。「逢坂」はお住いの地名「かのを」は父上の名前。
3号は下関在住の文化人11名が寄稿され、逢坂さんは「恋ひ死なむ」縦書き2段組23頁。
🔶ブログ「逢坂かのを」は短編小説「新マンゴーは甘くほろ苦い恋の味」お読みください。
短編でも長編でも作家はそのストーリー。登場人物キャラ。時代背景に場所などを構想して文字に起こすのだろうか。
逢坂さん「恋ひ死なむ」読んだ。情景描写、例えば都会の電車が出たと思ったらすぐ次がホーム入る。都会暮らしがない私は駅の雑踏のなかにいた。
長門峡の場面。店のおばさんとの会話。おばさん山口弁を使ったらより臨場感が伝わると感じた。
ラストはやっぱり切ない。逢坂さんの人生かも知れない。
明日(日曜日)の午後から長門まさよさんたち3人(フルート・オーボエ・ピアノ)の「ほのぼのコンサート3」が催される。
農園は多雨で雑草が伸び放題。天候は午後から明朝まで雨予報。
農園隣接の一番広い耕作放棄地を、明日の午前中に刈ることができたらコンサートに駆けつけたい。
早朝から萩市などを走り昼前に農園に戻った。すぐに作業服に着替えて隣接地に出た。
明日の早朝、雨が止んでいたらゴムキャタピラーで動く「ハンマーナイフ」で刈らねばならないほど繁っている。
木のつけ根や石がある場所にイノシシ防護網のところはショルダーの草刈り機で終えておかねばならない。しっかり汗をかいて終えた。雨になった。
今朝、早起きして映画「風にたつライオン」をいっきに観た。
短期集中決戦型、つまり根気がない性格でこの歳まできた。趣味を問われても「ない」しか返答できなかった。
ブログの写真もブログもガラ携でヨチヨチやっていた。携帯電話カメラで日常を撮っていた。重枝さんと出会った7〜8年前、ブログをタブレットで有料アプリでやることを教えてもらった。
ブログのスタンスは、私のために続ける。つまり誰も読まなくてもよい。足跡を刻むことで、その日を振り返ったり、文章をまとめる力量を培うこと。有料アプリは広告はない。重枝さんが設計してくれた「ホーム画面」「日記」「掲示板」「あだち美術館」など更新することでインターネットの仕組みを失敗しながら学んできた。
タブレットのカメラ機能はガラ携に比べて雲泥の差だったが、大きくて使い勝手が悪い。写真をブログやFacebookの表現力に使いたいと思い、人生はじめてのコンパクトデジタルカメラ「コンデジ」を買った。WiFi機能がありタブレットの互換もサクサク。ズーム写真も(25x)も使い慣れた。
今年、同じキャノンの(40x)に換えた。理由は、撮った写真をコンビニのマルチコピー機でプリントしたとき、スマホの写真ではクリアなのにプリントは荒い画像になる。思い出に差し上げるために画質。それと背景ぼかし機能も欲しかった。
趣味は?とこれから問われたら「撮ることです」と言う。カメラを持っている毎日は、これまで見えなかったモノが見える楽しさがある。
8週間ごとの血圧検診を済ませて常盤公園。
初夏を思わせる陽射しをうけて6キロウォーキング。それを「あだち美術館」にした。お立ち寄りください。
写真は、きのう下関彦島の住宅街から撮った。対岸は九州、その狭い海峡を全速力で走る船舶。狭い住宅街から偶然撮れた。
昨夜の地震。泊まった家内が騒ぐので目が覚めた。携帯電話が緊急を大音量で知らせたらしいが聞こえていない。
最近ネットで「クジラやイルカが浜辺に打ち上げられてたくさん死んでいるのは地震の前兆」と、その根拠を示さない話題が目についた。
火曜日のNHKテレビ番組でそれを数十年前に遡り、クジラやイルカの漂着と地震発生を克明に検証した。
国立科学博物館が新聞などあらゆるデータから漂着地点を記録していることに驚いた。
番組では、漂着と地震と因果関係はないと結論づけた。そして、人は不安を何かに理由づけて安心すると結んだ。
木曜日の朝6時半。何年も前から唐戸魚市場に立ち寄っている。
今朝、サバが目にとまった。時期はずれかも知れないが500円と600円と800円の店があった。太さで選んだら500円。それよりこまいが800円。
朝ドラ「虎と翼」だったら「はて!」の場面。800円の店で高理由を聞いた。
棒受け網のような捕り方で捕ったアジと一緒にあがったサバで、さっきここに届いた鮮度抜群!。2枚おろしにしてもらった。たしかにエラも真っ赤で鮮度はわかった。鮮度と脂ののりは別もの。
魚市場を歩くのはたのしい。赤間神宮に車をとめて、カメラを手に海峡の潮風にあたりながら歩くこともたのしみ。
きょうは「長府の宝」とか「カバ隊長」と多くの人から慕われている藤中和岳さん(1951年)誕生日。
6〜7年、親しくおつきあいさせてらっている。
「カバ」はその風貌からかも知れない「宝」「隊長」が藤中さんの魅力が、周囲の人にそう言わせている。
長府の街を流れる壇具川にホタルを呼び戻そうと言い出した「やめたほうがよい」と言う人はいない。市から事業費の補助金を貰えばよいと言う人がおるなかで「費用は我々で捻出する。頼ればそれがなくなれば事業が頓挫する」
キャンドルナイトと銘打って、古串屋付近の壇具川沿いに功山テラ近くまでローソクをズラリと並べ、ひとつ500円で容器に入ったローソク(点火してある)を買い川沿いをそぞろ歩いてゴールのツリーに掛ける。
その準備と撤収にたくさんの同志が集まる。胸までの長靴をつけて川掃除は藤中さん。そのイベント指揮官が藤中さん。呼称を決めるとき満場一致で「隊長」となった。
私も毎年「菊舎」で大酒飲んでから歩いている。
長府公民館に無声映画(活弁)を招いて上映したのも隊長。菊舎のあと大河内伝次郎やチャップリンを楽しませてもらった。
ブログの「逢坂かのを」は隊長ペンネーム「逢坂」は住所「かのを」は父親の名前。
「新マンゴーは甘くほろ苦い恋の味」
お楽しみください。
5時農園スタート。7時、長門一の宮住吉神社到着。鳴瀬宮司とばったり出会った「もろうちょこう」と宮司の30個を受け取ろうとされたので「一週間のお礼を申し上げて社務所にまいります」とお断りした。20数年、欠かさず水曜日の朝参り。1時半「プチラボベーカリー」お届けで水曜日がおわった。
於福道の駅温泉でゆっくりできた。
淳貴くんラジオ登場のことは「掲示板」でご覧ください。
今月12日の日記でご紹介した呉麗美(お・りょみ)さん。目標。毎日の花言葉をイラスト作品にする。
それを宣言され続いている。ある程度の数になったら「あだち美術館」に掲載させていただこうと考えている。
きのう激励メールを届けた。毎日続ける、私の場合は日記。それが必ず力になる。
20数年日記を続けて思うことは、暇だから書くではない。だいたい30分ぐらいで日記と掲示板の更新を済ませる。ホーム画面は早朝。
彼女は子育てと家事をこなしながら描いている。
今朝2時に目がさめた。昨夜録画「ノルマンディー上陸作戦」実写映像をみた。
ドイツ軍と激しい戦いをしているソ連のスターリンは、連合軍がフランス上陸してドイツ軍を2方向から攻めたい。アメリカ軍のアイゼンハワー(チャーチルも同席)に「アメリカ軍が日本を攻めるときソ連も参戦する」ときりだした。
とき、日本とソ連は不可侵条約を国家間で締結していた。
この史実が番組から理解できた。
火曜日は山口市内の配達。大勢の人たちと会話がはずんだ。なかでも、美容室ニュースタイル相談役の糸賀さん。数日まえにシュナウザー(生後3ヶ月)を買った。その動画を、たくさん見せられた。
この犬と歩こうと思うと満面の笑み。ええことです。
いま5時。シャワーを済ませ布団も敷いた。作業場で働いている家内が自宅に帰るまえ夕食をつくってくれる。
3㍑で1500円の箱ワインを買った。継続は力の晩酌がはじまる。
プロジェクトXがはじまった。その記念すべき第一回は「東京スカイツリー(80分)」
初代プロジェクトX(60分)第一回のテーマは忘れたが内容は、富士山頂に巨大レーダー施設建設だった。薄い酸素と極寒のなかで人夫たちが集団で山を降りようとした場面で立ちふさがったのは気象庁の藤原(後の作家、新田次郎)「子供や孫たちに誇れるこの仕事。完成したら山の頂きにお前たちの名前を銅板に刻むことを約束する」
建設がおわり、新幹線が走りはじめたころ働いた老人が孫に「あの山のてっぺんにワシの名前がある」と自慢話を取材。
レーダーを風速100米からまもるレーダードーム。その骨組みが完成した600㎏。当時のヘリコプターの最大揚力は400㎏。
それをやり遂げた男は海難や山岳救助で国内屈指と名がとおった人物。戦時中、たくさんの特攻隊員を養成した教官。
ヘリから取り外せるものをすべて外し、気象庁に頼んだことは、山頂にむかって風が吹く日。その風のって600㎏をあげる。
藤原が「この日」と判断した日は奇しくも8時14日。
ヘリは山頂にあがりホバリングでたくさんのボルトの位置にドームの骨組みをおろした。
ヘリが帰還。パイロットは3分間降りなかった。嗚咽していた。
東京スカイツリーは、ざっくり私が感想すると。請け負った3つの会社「組」のトップにフォーカスしていた。
取材力の差を番組から感じた。
「黒四ダム」や「青函トンネル」は、名もなき人たちを主人公にした。観て涙がこぼれ背筋がのびた。
頑張れプロジェクトX
きょうは小雨、ふる前に撮れた美祢市の鯉のぼり。
NHK総合テレビ「映像の世紀バタフライエフェクト」毎回録画している。
「ロッキード事件」「東京裁判」は記録映像から学ぶことが多かった。明日(15日)午後10時は「史上最大の作戦・ノルマンディー上陸作戦」映画ではない映像。
写真家ロバート・キャパもこの上陸作戦にカメラで上陸している。上陸用舟艇から砂浜に走る兵士たちを撮った。つまり弾に背をむけて最前線の緊迫に迫った。
「すずめの戸締まり」は余韻が残っている。もう一度観る。
「愛は静けさの中に」を半分、昨夜観た。マーリー・マトリンという女優が「ろう者」を演じ
るストーリー。とても美人女優。
日曜日はトイレ掃除。風呂とトイレをみがいた。
山口市掃除に学ぶ会。今月は美祢市川東小学校(廃校)のトイレ掃除。8時半に着いた。
地域のみなさんも参加されて和気あいあいの90分。酒を飲まずとも便器をともに磨けば友だちになる。
解散のあと秋吉台に向かった。昨年の「きょう」絶滅危惧種の翁草を秋吉台で撮った。不思議な草だったので博物館に立寄り撮った写真を見てもらって翁草と知った。
長者ヶ森から2時間、昨年見つけた地獄台方面を歩いたがあえなかった。翁草は「掲示板」に載せました。
鶏も春を楽しんでいる。
いま5時前、眠たくて仕方がない。
3時に起きて5時に配達スタート。萩市から長門市、美祢市を配達して昼前に農園に戻った。自宅から家内が来ており炒飯・ハンバーグランチ。
午後1時に山口トヨタ店。タイヤとオイルとエレメント交換。今年の12月でまる4年をむかえる愛車の走行距離は18万km。エンジン音が大きくなったぐらいでキビキビ走っている。
ジャケットの袖補正をお願いした「ラビット」にそれを受け取り。
帰り道で60分ウォーキング。
吉野談義は満開に花が咲いたが眠たい。
写真は、今朝7時の萩市三見眼鏡橋。
呉麗美(お・りょみ)さんの作品。10日まえからFacebookに「花言葉シリーズ」として作品を投稿されはじめた毎日。私と長年のおつきあい呉明美(お・みょんみ)さん妹で北海道在住。
以前「あだち美術館」で作品を拝借させていただいた。
昨夜「花言葉シリーズ」についてたずねた「できるだけ毎日の花言葉を描いてみたい」と今朝お返事を頂戴した。
家事と子育てのなかで、なにか目標をさだめてはじめられた。応援したい。
7時から今期はじめての本格的草刈をはじめた。9時まで、しっかり汗をかいた。10月末まで草刈ダイエット。
愛犬の狂犬病注射。
阿知須の松田獣医に行った。愛犬は興奮して脱糞!日ごろは威張っているが小心犬がバレた。
お昼前に農園に戻った。
美祢市の於福道の駅温泉。ソルトサウナで塩サバ状態でしっかり汗をかいた。
休憩室で「あだち美術館」更新をおえた。
彦島沖、狭い関門海峡をぬけて響灘に向かううしろ姿。
船は「前」より「横」よりも後ろ姿に美しさが私は見える。
きのう夕方、水曜日の下関で疲れ早々に布団に入り録画番組を選んだ。観るより眠たい毎日で録画番組がたまっている。
てげ(宮崎方言・凄い)宮崎弁の牧さんがメールで「宮崎県が舞台で面白い」という「すずめの戸締まり」を観ることにした。
私は、スズメが防犯活動をするのか、それは面白いと期待したが「千と千尋の神隠し」のような展開になった。たしかに宮崎弁だった。
観たいが眠たい。木曜日の走行距離と配達軒数と年齢をわきまえて中断して寝た。
3時半に起床。家内が泊まってくれたので配達スタート5時までに焼却ゴミに愛犬散歩、配達の準備。数人にメールを出した。
28日の日曜日。淳貴くん展覧会ツアー。朴の森集合メンバーは6人。
淳貴くん展覧会・村井先生(切絵作家)ギャラリー・藤中さん個展を訪ねてランチ。そのコースを組み立ててながら木曜日を走りおえた。
村井先生と藤中画伯にお願いを済ませた。
きのう山口市の朝。
小学校入学式に向かうピカピカの男子1年生とその母親が信号が赤で歩みをとめた。その姿を右手に見ながら私も信号待ちをしていた。
昨夜の風雨で歩道に散ったサクラの花びらの路面に立たせて、母親がスマホで撮っている姿を運転席窓から撮った。よい写真が撮れた。
けれども1年生の顔がぼんやり判る。最近は、それぐらいでもプライバシーを言う人がいる。Facebookの「友だち」にそれを載せるかどうか意見を求めたら、慎重なお返事を頂戴した。
海峡ウォークのとき「平家太鼓」をたくさん撮ってFacebookに投稿した。それは問題なかったのか。
そこはまったく意図していなくても「言葉狩り」にあうご時世。「美人だね」と言って喜ばれるかセクハラになるか。息苦しい。
壇具川の一枚。
季節のバトンはサクラからツツジにわたった。ツツジのあとはアジサイ選手。
肌寒いことをご年輩は「ししら寒い」と言う人もある。その早朝(7℃)5時前から水曜日を走り出した。3時に農園ゴールインした。
火曜日は山口市。ちかいので、ゆっくり6時にスタートできる。5時半に掃除も犬も配達準備も全部終えたので録画番組(エアフォースワン)を少し観ようとしたとき台所そばの棚に積んであるお盆の汚れが目にとまった。
昨日の日記「見える」の世界。見えないときは見えない。
お盆3枚を洗ったら、その棚の汚れが見えた。そこの汚れをゴシゴシ。掃除は「やったら気持ちがよい」が私の基本。
30分でよい気持ち。30分で結果が見える。
糸賀ニュースタイル相談役の母上が先日99歳の大往生をとげられた。
晩年でも宝塚トップスタートのようないでたちだった。たくさんの洋服が遺された。糸賀さんが「ばあさんの洋服を活用してくれ」と託されたのでバーバラずプロモート倶楽部に全部任せることにした。
初回の引き取りは下関からバーバラメンバー3人が来てお礼を申し上げて頂戴した。ブッテックが開けるほどの数。そのあと「クリーニング店から戻った」と預かったたくさんの洋服(すべて高級ブランド品)は私が下関に運んだ。
今朝「まだあったいや」と毛皮のコートや芸能人ステージ衣装より派手かもわからない洋服の数々を預かった。
バーバラが引き受け丁寧に活用(販売)し、その売上金はすべて社会貢献に使われる。
山口市の配達を終えて帰り道。淳貴くんが大好きなヤギを撮ろうと少し遠回りした一枚の写真。
海峡ウォークを終えて、特別に疲れや痛みもなく布団に入った。寝起きも元気にと思ってアリナミン錠飲んだ念のため。
今朝3時過ぎに目がさめ、ブログのホーム画面更新。昨夜届いたメールやコメントに返信した。
5時すぎに月曜日を走り出した。
ブログとFacebookに、その日をより鮮明にみなさんに伝えるため活字に写真を添えている。カメラを必ず持ち歩く毎日は、タブレットのカメラ機能から数えると10年以上になる。
そのカメラ生活でつくづく思うことは「見えていない世界がある」ということ。
カメラを手にするまで、風景や草花など、そこにあっても見えていなかった。いま道端の草花に目がとまることもある。
さっき通過した、あの風景は来週は撮れないかもしれないと引き返して撮ることもある。
風景をどうカメラにおさめる(切り取る)か。どこから撮ったらきれいに撮れるか。
これまで見えていなかったモノが見えている。
きょうの写真「チューリップ」の背後にはブロック塀がある。そのブロックが写らない角度をさがした。
ゴミが落ちていても見えない人。汚れが見えない。四季のうつろいが見えない。つまり、人の目は関心があるモノしか見えていない。
海峡ウォークの朝をむかえた2時。
8時過ぎ、厚狭駅乗車で重枝さん、徳重さんと高山さんに合流する。それまでしっかり時間はあるから、昨夜の録画番組「プロジェクトX」をみた。
東京スカイツリー建設にたずさわった男たち(鳶職)が命をかけ、あの東北震災のおお揺れのなかでも現場から逃げずに660㍍の先端で責任を果たした。
この番組は「名もなき人たち」の心意気、仕事にたいしての責任感にフォーカスしている。
番組から、私が人生最大の困難にぶち当たったときの腹構えを学んだ。
日曜日の朝は「もやしラーメン」不健康といわれてもそれがたのしみ。
厚狭駅で仲間と合流。小月駅からスタート会場までバス移動。JRもバスも支払い「ICOCA」を使用した(私の文明開化)
カモンFM局の申さんから、海峡ウォークのときスタジオから電話インタビューをしたいと申し出があった。午前中と午後の2回という。
淳貴くんの展覧会をおおいに喋ってよい。と言うので快諾。
午前は、海峡ウォークを私がどう取り組んでいるかをスタジオらインタビューされ、歩きながらこたえた。
午後2時ごろの電話着信で、私なりに淳貴くんのこと、作品のこと。作品タイトルも見どころなど話すことができた。
ゴールインは7時間。年々歩くペースがおちるのはしかたがない。
2019年1月2日。
JR厚狭駅から下関行き始発に乗り込んだ。下関駅から厚狭駅まで徒歩の旅決行。
岡本拓也さん母上、ご高齢で不具合が多くサービスつき介護施設に入っておられた。
下関駅で、正月限定販売切符「関門突破(受験生向け)」を販売していたのでお母さんの土産に買った。
赤間神宮、亀山神社など参拝し前田から野久留米街道山越えコースで功山寺に向かった。
功山寺到着は10時過ぎ。山門の石段に腰をおろして鍵山先生に年始ご挨拶の電話をかけた。
長い挨拶になり、4月できれば私の自宅に来られませんかとお誘いを頂戴した。その場で4月6日の午前中と決まった。
3月ごろ岡本拓也さんに「来月6日、羽田往復(始発・最終)の格安チケットを買ってくれませんか」とお願いした。
以前は出張で空路の上京は度々あったが、格安チケットの買い方がわからない。岡本さんはご兄弟が関東在住でチケットは詳しいと思っていた。
「どこに行くかね」「なにしに行くかね」と聞くから話したら「ボクも連れて行ってくれ」になった。
4月6日、拓也さんと2人で空の旅。チケット代金は「ええから」と頑なにこばみ受け取らない。無料の旅になった。
山口県に「掃除の会」「スペシャルオリンピックス」の旗が揚がったのは鍵山先生(当時YellowHat社長)のおかげでしかない。
私の人生の大黒柱になってくださった長年の御礼を申し上げる機会は鍵山先生が日取りを決め、拓也さんがレールを敷いてくださった。
羽田にはご長男の幸一郎さんが出迎えてくださった。
ブログ「あだちすすむ(人生の車窓)」に鍵山先生とのご縁を書いている。
4月6日は記念日。
朝ドラ大好き。
はじまった「虎と翼」はストーリー展開が「字幕」というまとめかた。登場人物紹介は「字幕の活字」それは私の頭にはスッキリおさまっている。
朝ドラ。いつも幕開けからゴチャゴチャしてアクセルを踏みはじめるパターンだったが、私には初回からアクセル全開でこれからがおおいに楽しみ。
農園に泊まった家内と朝ドラを見て金曜日がはじまった。
淳貴くん作品を糸賀さんオフィスに定期的に掛けかえている。きょうの掲示板に載せた作品を掛けて市内で用事を済ませて一の坂川に行った。
火曜日に一の坂川沿いのお宅の配達がある。けれども桜を撮る時間はない。
図書館駐車場に車をおいて一の坂の桜を楽しめた「あだち美術館」にそれを中心に載せた。春爛漫をご覧ください。
きょうの一枚は「ゆきちゃん」近影。
きょうの豪雨準備で、きのうホームセンターで長靴を買った。
雨具のズボン股下が長く(中学生のとき「座高一」と呼ばれた短足)ハサミでカットするか思案のとき、裏向けにして折り返し、長さを決めてガムテープをすることにした。
豪雨の帽子はモンベルよりJAで買ったビニールハットが絶対よい。上着はユニクロの完全防水。
豪雨のなか、車から歩いて運ぶ大きな箱はビニールをかけた。
その準備が全部功を奏した水曜日。美祢市のプチラボにお届けを済ませ道の駅於福温泉に立寄り湯。
ぬるいお湯に30分、疲れた身体をのばした。
スマホのカメラ機能を理解している。腰につけているカメラを上回る性能に驚いている。
被写体の住所にピントをあわせたらGoogleの地図情報に移行して地図が表示された。
撮るときのモード設定もたくさんある。
腰のカメラはスマホより構えやすい。ズームはスマホに負けていない。
きようの一枚はスマホカメラで撮った。
きのう、新保さんから拝借した一冊。沖縄戦の戦没者ご遺骨収集奉仕(金光教)に復帰直後から長く参加した。
戦争は、体験した人の数だけ証言があり断定的なことはいえないと思っている。
集団自決を日本の兵隊が命令したと言う証言。「死ぬな」と生きることを促した日本の兵隊の証言もある。
昨夜、眠りながら観た「東京裁判」アーカイブ映像(NHK)で、東条英機があたかも天皇にも責任があると証言台で放った言葉を、裁く側の連合軍側が「天皇あっての日本」という統治する側として、東条英機からその発言を撤回させた記録映像だった。
新保さん拝借を読ませていただく。
テレビ番組ご案内
🔶5日の金曜日。午後9時からKRY「すずめの戸締まり」
🔶8日の土曜日。午後7時30分からNHK 新プロジェクトX「東京スカイツリー83分スペシャル」
7日(日曜日)。今年も徳重桂子ちゃん隊長で「下関海峡ウォーク」に参加する。隊員は、重枝さん、高山さんと私と隊長の4名小隊。
昨年は9時に清末「東行庵」スタートして、ゴールの「シーモール」に3時ごろ着いた。距離は30km。
私の自慢は「短い脚」と「強靭な肝臓」だけ。しかし今年の秋で73歳。自慢にかげりが出始めた。
歩ける足づくりをはじめている。本番で履く靴は海峡ウォークを何度も歩き、秋吉台もこの靴。萩から、長門市から、下関から50kmウォークもこの靴。
ふつうなら捨てている見た目にもボロ靴。接着剤であちこち補修している履き慣れた相棒。
毎日40分ほど歩いている。時間は短いがアクセル全開で汗をかくスピード。そのご褒美で血圧が安定した(降圧剤服用)。
きょう火曜日。配達先でエレベーターは使わない階段ルート。駐車場は一番遠くにとめる。それで歩く準備をしている。
写真は桂子ちゃん隊長が載った新聞記事(数十年前)記事は、素適なお接待所がありました。場所は今治市五十四番の延命寺近く。
歩きお遍路結願した。
農園桜並木。やっと八分咲きぐらい。
20数年前、以外の佐伯さん奥様が「主人がお世話になりました」とお礼に数万円農園に届けてくださった。
そのお金で桜の苗木、約30本を買い仲間たちが集って植樹祭をした。佐伯さんの長男もくわわり、手前から2本目の根本に遺品を埋めた。
🔶
農園 桜並木。
岡本拓也さんが下関トヨタ店長のとき工場長は佐伯さん。松村御大がはじめた下関掃除に学ぶ会に岡本さんや江口さんと加わった。佐伯さん、鬼瓦のような顔が笑うと仏様のようになる。
病に倒れた。幼いころ過ごした長崎県島原市のお寺(複雑な家柄で)に参りたいと病床で言われた。家族が主治医に「叶えたい」と外出の許可を頼みこんだ。当日の運転手は島原市の地理がわかっている私が担当した。
大きな涅槃像があるお寺が佐伯さんのふるさと。なんと工場長がお経をそらであげたのには驚いた。小坊主時代のエピソードをその場で語られた。
住職のお使いで門徒の家に行き帰りにお寺への布施と佐伯さんにお駄賃の封筒を貰った。帰り道に食堂で食べたりしたのは布施。住職にお駄賃封筒を出してぶち殴られたらしい。
佐伯さんご葬儀のあと奥さまが「お世話になりました。何かに役立ててください
」と持参されたお金で桜を植えた。植樹の日はお掃除仲間が集まった。佐伯さんの長男も来た。時計など遺品を根本におさめた。
佐伯桜の並木が今年も咲き誇った。
🔶6年前、Facebookに投稿した内容転載。