元気に大晦日

4時ごろ、ご挨拶に来られた夫妻から天然ブリをいただいた。これから家内が防寒具を着込んで包丁を握る。


この時期、必ずやらねばならない結露の掃除。冷え込む予想で二重ガラスにしているが、流れるぐらいの結露になる。過去何度か、この結露が室内で凍っていた厳寒の朝を経験した。新聞紙で水滴を拭き取る。取らないと黒カビの温床になる。


今年、私にとって大きな収穫は酒の量を減らせたこと。痛みや出血などわかる危険のサイン。私は降圧剤が効かなくなったのがサインだった。高血圧は生活習慣病とも言われる。医者の処方する薬に頼り生活をまったく見直していなかった。寝るために酒を飲む。休みの日は昼ごはんに缶ビール。仲間が来てくれたら深夜まで付き合う。その生活習慣がサインを出した。今朝、萩市に出る前120の70の数値だった。


生活習慣。それは酒だけではない。長年の考え方も習慣といえるのかもわからない。

例えば、辺野古と普天間の経緯。日本やアジアの平和・安定には基地は必要と常々思っていた。あの騒音のもとで暮らす人びとに思いをはせることはなかった習慣。


低コストで二酸化炭素にも貢献できる原子力。企業の国際競争には必要と思っていた習慣。それらも危険のサインかもわからない。


ブリの刺身と焼き物が待ち遠しい。



年の瀬 来客

西君が祭られている吉部八幡宮祖霊殿に参拝。48歳で農園作業中に亡くなられた。農園のことは西君の神様に御礼申し上げ、お願い申し上げている。農園の神様と崇めている。カステラの次のステップ。鳥インフルエンザなどお願い申し上げた。


きのう夕方、黄 杏子ちゃんが農園に眠る愛犬「くら ちゃん」お参りに来た。農園に和菓子のお土産をいただいた上に、農園の犬たちにもお線香をたむけていただいた。


牧さんが鹿児島からやってきた。獺祭一升と鹿児島焼酎2本にカラスミなど土産を携えて、近場の温泉も済ませて来た。ビールと会津の酒にワイン。肴は家内がどんどん作り最後は松茸ご飯。久しぶりによく飲んだ。

彼は、今年1年だけでも可なり多くの国々を旅した。その理由のひとつは、彼がマグロ船時代はケープタウンまで40日も費やしたが、今は20時間あまりで行ける。つまり時間的に世界が近くなった。レンタカーで国々の国境を越えてたくさん見聞が広まる。


で、会話はどうしているのか尋ねたら。スマホで100

ヵ国翻訳ソフトウェアを所持していた。長い会話は無理だが、短い単語で意思を伝え相手の反応は、言葉は理解できなくても想像でなんとかなる。


今朝、宮崎に向けて農園を発ち、わたしは下関市内に発った。

迷惑メール対策

配達先の玄関が正月の装いになっていた。


このHPを立ち上げた5月「おめでとうございます」と見知らぬメールが届いた。HPのお祝いと思い「ありがとうございます。どちら様でしょうか」と返信した。

「おめでとう」は、誰もがなにかしら該当する心当たりがある。以後、迷惑メールが頻繁に届く。私のアドレスを変えればおさまるが、アドレスの登録変更のお手数を関係者に負わせることになるので「着信拒否設定」で対処していた。

最近、拒否したアドレスを少し変更して新たなアドレスとして着信が始まり腹がたつ。


今朝10時のトップニュースは、防衛大臣が靖国神社参拝をしたこと。わたしの受けとめは「参拝しなければ」トップニュース。参拝されたのはきわめて当たり前のこと。それを報じることに疑問を感じた。


美祢市。おじいさんがコタツでノートパソコンを使われていた。興味があるので尋ねてみたら「将棋」全国に将棋仲間がたくさんできて楽しいらしい。もう8年やっているベテラン。お金がかからず頭の体操になる。こんど教えていただくお願いをした。


下関から戻り今夜の来客、牧さんを待っている。

3日間の下関行き

29日の木曜日が下関市方面の配達。けれども、きょうが仕事納めの事業所が何件もあり臨時便で下関に向かった。

時おり冷たい雨がふるなか、海峡夢タワーの近くを移動するとき青空になった!


昨夜、9時前にメールが届いていた。携帯電話は9時に電源オフ設定しているが熟睡して着信音に気がつかなかった。朝4時に携帯電話は電源オンになる。9時前の着信メールをメガネをかけないで読んで返信して大失敗した。


お昼過ぎに配達が終わり、東行庵そばの天然ラドン温泉「晋作の湯」にはじめて入浴。寒風のなか露天風呂がよかった。



均一・画一がよいのか

下関市 金剛住機は住宅新築やリホーム。古い家屋の撤去のときお宝が出ることがある。かなり年代物の真空管ラジオではあるが使える!


スズメ・カエル・トンボの数が激減している。販売されている白菜を例にあげると虫喰いがなく立派。キャベツなどもスタイル抜群。虫の駆除と病気予防であらゆる薬が使われる。その結果が、虫を補食するスズメやカエルが減り、田んぼに使う農薬や化学肥料が川や池、海までも生態系に影響を与えている。


きょう厳しい口調でたまごを断られた。理由は、大きさ・カラと黄身の色が不揃いで気持ちが良くない。申し訳ありませんでしたと頭を下げた。


前日、ある番組で99名の間違った考えが、1名の正しい考えを否定できる情けない世相になったと報じた。原発や沖縄、それに食品から教育に至るまで、いま赤ランプが点滅している。

カステラ好評

老舗カステラ本舗のネームバリューに農園たまごが相乗りさせていただきお客さまだけにご案内をした「食べてみないと(試食)わからない」の反応はごく当たり前。大きさやザラメ砂糖が底にあるかなどの問い合わせに、製造元にいちいち尋ねてか答えた、それがわたしのカステラ知識になった。


お届け開始から1週間目の月曜日。食べてみての感想は、味に対しての価格だろうと思う。もちろん利益は求めているが、それより農園にご縁のある方が笑顔になる商品を目指していた。


「どうでしたか」など、わたしからカステラの感想は求めないと決めていた。けれども、お届けしたお客さまから様々な角度で「おいしいカステラでした」と反応を次々に頂戴した。次回のご予約は来月にいただく。


昨夜は次女 真砂恵さん家族が夕食に来園。家内は前夜から料理の準備。たくさんの料理を全部食べつくし家族は帰った。疲れたと思う家内は笑顔で二次会をはじめていた。

長生炭坑 殉難者之碑お参り

今月2日、ぎじろくセンター(株)白井社長を、長生炭坑殉難者之碑に案内をした。当時を知る地元有志が昭和57年に、当時の食堂跡地に建立された。

わたしは、石碑近くの炭住に住まわれていた老夫婦(元電気工)と家族のようなご縁がうまれ、石碑にはいつも手をあわせていた。


殉難者の月命日、3日は生花が供えられていた。その理由をじいちゃんが教えてくれた。あの日の早朝、海底炭坑で漏水が始まった。その現場に連絡用の電話を設置して坑口から出た。間もなく水没の知らせがあった。坑口近くの男たちが走って逃げてくる坑内に入ろうとする男がいた。Eさん(当時30歳ぐらい)じいちゃんが「あんた、入ったら死ぬで!」と止めたら「僕は責任上入らんといけんのです」と。Eさんは保安係で、坑道・坑内の安全を任された立場だった。献花は奥さまが慰霊碑が建てられて続いていた。


関係者が少なくなり、殉難之碑は草むらに埋まった。白井社長を案内人したときも迷った。彼が23日に「掃除をしました」と写真を添えたメールをくれた。


嬉しくて、はやくお参りしたいと思い、それが今朝になった。

年末の慌ただしさ

カステラご予約をいただいたご縁で、土曜日にたまごをお届けの萩市浜崎 泉福寺(吉田松陰先生 吉田家菩提寺)。萩港に隣接して維新の萩らしい木造の街並みが地域の力で保存されて、わたしの好きな萩スポットのひとつ。今朝、小雨のなかを配達して思った。糸魚川の街並みもこのような景観だったのではなかろうかと。


レトロ観光の街並みは、防災という視点からは守り難い側面がある教訓を糸魚川から学んだ。


年末は、クリスマスとお正月でたまごのご注文が増える。予測して鶏の数を温存して、正月明けに数を減らす体制をとっているが、すでにお断りする曜日も増えている。大切なお客さまの要望に応えられない。


買い物客で車が多くなり渋滞が多くなる。年末を迎えると何となく気忙しく感じる。

海底ウォーキング

木曜日の配達は軒数が多く、来年から一部を水曜日の半日コースに振り分ける準備を進めている。その最中のきのう配達チョンボが2件あった。昨夜お詫びの連絡をして、3日連続で下関に向かった。チョンボが解決できたあと関門トンネル人道入り口に向かった。強い風と冷たい雨を避けて歩けるポイント。下関~門司は片道780メートル。3往復したらうっすら汗をかいた。


下関市武道館で「全国競技かるた山口大会」が23日と24日に開催され、元カルタクィーンの今村奥さんが重要なお役目で参加され、ご主人は硯と筆を会場に持ち込み賞状など、あらゆる書き物ボランティア。夫妻は両日とも朝6時に自宅を出て会場。


武道館を訪れた。昨年、大相撲下関場所が開催され土俵があった場所で大勢の選手が、まるで格闘技のような鋭い動きで札を払っていた。今村クィーンは正装で本部席。今村監督は控え室で賞状書き。この様子は明日のホーム画面に載せます。


世界的に競技かるたが普及し「ちはやふる」の映画作品まで登場。その裏方はクィーン夫妻が支えていた。


持世寺温泉に立ち寄り湯。湯船に運転疲れをながした。


満足感 木曜日

住吉神社社務所の玄関。神事に赴かれる前、宮司や神職が身を浄める儀式に使う一式がある。襟を正される思いで撮らせていただいた。


市町村議会会議録の調整が前の生業だった。議会の記録は、それを紐解かないといけない事態が起きたときはじめて意味を成すもので、議会閉会後には文字にして保管しておかねばならないルールがあるから委託を受けた。つまり、録音を活字にする作業に細心の力を注いでも、納品したときは「書庫に置いておけ」ぐらいのこともあった。次回の納品でそのまま置かれているときは、利益はあるにしても物足りない気持ちはあった。


たまごをお届けしたとき「使い終わって待っていました」と、配達を歓迎された場面はたくさんある。数百円を手にする満足感がある。

くわえてカステラをお届けしたとき「楽しみに待ちました」とか「子供が待っています」など笑顔のお声かけをいただき冥利に尽きる思いがした。


雨天の配達で身体は疲れたが、気持ちは元気に農園ゴールした。

臨時 下関便

新年を迎える準備で賑やかな東行庵。


木曜日の下関便はたまご満載でスタートする。加えてカステラが100本以上あるから大口本数のご注文は午前中にお届けした。

吉部八幡宮朝参り。ひさしぶりにご神勤の宮司と会った。来年は式年祭があり、その準備で多忙のようす。木屋川の土手をウォーキングのあと散髪。ホームセンターに立ち寄り大掃除に使うものなど購入してから、下関市内の配達をした。


このホームページ 無料アプリが少し便利に更新された。といっても使いこなせない。唯一、ホーム画面の上段画像と日記画像はタップすると拡大される機能は使える。一度お試し下さい。元に戻すには画像を縮める動作で戻ります。


無料の場合、ホームページで使える容量に限りがあるらしく、来年の夏ごろには有料にかえる必要がある。そうなると機能が充実するらしい。



カステラへの道のり

第6次産業がトレンドらしい。制度資金もいろいろあるらしい。たまごを加工して付加価値をつける知恵。政府に尻を叩かれなくても付加価値はわかっている。

以前、鶏肉ウィンナーをつくった。ご注文も安定して喜ばれていたが、製造元の仕事に対する姿勢に疑問が深まり止めた。


農園経営が安定するまで助走させるのがわたしの責任と思いながらも次の手がなかった。カステラのヒントは しみず茶店庵の奥さまの一言「たまごをたくさん使うのはカステラ」

カステラ製造元のアンテナを張りめぐらせた。数楽の会に、老舗カステラ本舗のお嬢さんが来ていた。彼女はカルタ繋がりで今村カルタクィーンの弟子。クィーンの口添えで本舗に到達。それまでに、使うたまごで人気のカステラをいろいろ見聞。九州まで足を運んだ。


まったく白紙のスタートから点と点を結びながら、パッケージのデザイン。ネーミングに価格設定。チラシのデザインなど積み上げた。


約750本のご注文をいただき、お礼を申し上げながらお届けしている。明日の水曜日は、木曜日に載せきれない約50本を配達にはしる。

待望のカステラ

小島は長沢の池。中学年の頃ここで夜営をした。大村益次郎を祭る 大村神社があったが、司馬遼太郎「花神」が大河ドラマになり訪れる人が多くなり、あまりに質素な神社だから移転して、現在は立派なお社が建っている。

夜営の夜中に豪雨になったが熟睡しており、増した水かさが毛布を濡らし、安物毛布で下着から服が毛布色に染めあがり、撤収して買えるバスのなかでは奇妙な色彩の服装に視線がそそがれ恥ずかしい思い出がある。


以前、佐賀県の営業中に村岡屋の小城ようかんを買い求め、泊まった宿で1本も食べた。夜中におう吐が始まり、それ以来甘いモノが欲しくない体質になった。

カステラのお届けをはじめて、ご予約いただいた方は本当に待っておられた気持ちが表情から読みとれる。カステラでは老舗のお店が、農園のたまごとコラボレーションの期待と思う。人はおいしいモノには表情がゆるむ。ゆるませて嬉しい配達になった。


上田さんから預かりモノを今村さん宅にお届けした。ご夫妻と近所のたまごのお客さまも加わり、裏口にイスを並べて段ボール箱がテーブルになりコーヒーブレイク。ひさしぶりの今村談義が楽しかった。

上田さん宅訪問

わたしの人生分岐点に登場する上田さん。前の仕事で手書きの仕事から日本語ワードプロセッサ オアシス100(富士通1号機 320万円)の山口県で初ユーザー(たぶん)になった立役者は上田さん。ふく の総大将 松村御大と縁結びは上田さん。

台道のお宅は旧山陽道にある。カステラのお届けと年末のご挨拶にうかがった。庭を撮らせてもらった。


きのう凍結の道路で、何度も車体が斜めに止まったり、制動距離がなぜ延びたのかを考えた。理由がわかった。例年、積雪や凍結の日は、荷台の空きスペースに古タイヤやコンクリートブロックを載せて車体重量を重くしていた。きのうはそれを忘れて冷や汗をかいた。


湯田温泉で寝た状態でジャグジーが楽しめる湯につかり、30分ぐらいの昼寝ができた。手の指がシワシワになった。


2時の待ち合わせで、ホームページ指南役の重枝さんとWi-Fiが使える所で月末処理をおさらいしていただいた。頭がかたくなり何度も教えてもらわなければ身につかない。



坂村真民碑 542番認定

3時の室内10度。外気は氷点下2度。タイヤは新品ブリザックだから萩までの下り坂は気にならなかった。6時に農園スタートしてかわいた路面でアクセルを踏んでいたら、急にアイスバーンになった。きのう積雪した場所は路肩の雪が溶けて水になり、それが路面を鏡のように凍てついていた。

まだノーマルタイヤの車が路肩に止まり、特に坂道では大きな障害物になって通行を阻んでいた。萩道路は全面通行止めで美東のコンビニで考えた。この先は冬場の難所雲雀峠の下り坂。無理は禁物と決めて萩市内のお届け先に延着メールをした。

配達を逆から走ることにして美祢市に向かった。スリップ事故で何ヵ所か迂回させられきわどい雪道も走った。6時間要して無事にゴールした。写真の犬は泉福寺(松陰先生 吉田家菩提寺)の愛犬。保護センターから引き取られたらしい。虐待にあっていたのかおびえている。


農園に建立した坂村真民先生「念ずれば 花ひらく」の石碑が、正式に しんあい農園542番碑に認定された書類とDVDが坂村真民記念館から届いた。


午後から部屋とトイレなど掃除。

初雪の朝

ガラスの雪をワイパーで振り落とし、雨の日ウォーキングの阿知須に行った。冷えた身体も7000歩であたたまった。美祢の黄さん奥さまからご紹介いただいたお客さまのお宅確認と挨拶に小月に。そのあと東行庵そばの「茶店庵 しみず」に納品。きのう木曜日が配達だったが夫妻でホノルルマラソンを楽しまれ、帰国にあわせての納品。奥さま完走(5時間52分)の証書と、どっしり重いメダルを拝見した。

約10日の滞在中、パールハーバー記念行事が盛大に催されたが、日本人は遠慮がちで遠目に見るぐらい。ご主人は東京マラソンを走り、夫妻で下関海峡マラソンや、宮崎太平洋マラソンは常連。


リトル釜山(グリーンモール商店街)は、JR下関駅と大丸百貨店を背にした正面の通り。10数回ナザレ園訪問のお世話をしたから関釜フェリーはなつかしい。ポッタリと呼ばれる韓国のおばさんが、釜山と下関を、フェリーをわが家にして往来し、韓国からは野菜や食材を商店街に卸し、下関で家電や胡麻油などを買い込み、運べる限界の荷物を体力まかせで運ぶ。パスポートは毎日のスタンプで真っ黒。

乗船したら風呂。洗濯もやる。ヒモに洗濯物を干してキムチを肴に賑やかな酒盛りや花札。このオモニたちに毎回仲間入りして楽しい旅をした。

商店街はシャッターが目だち、ポッタリの姿もまばらになった。機会があればグリーンモール商店街にどうぞ。

プーチン警護渋滞

湯布院から別府に向かう道路。由布岳の真下あたりに火山噴火で飛んだ大きな噴石がある。


木曜日の配達軒数が徐々に増えているのは嬉しい。6時前にスタートして夕方まで走る。時間的、距離的に考えたら無理をしている。この無理をいずれは誰かに引き継ぐとしたらしり込みすると思う。早いうちに正常にする責任がある。

配達コースを眺めながら数ヵ月前から方法を考えた結果。小月と長府に飛び地(遠隔地)を水曜日の半日で済ませることにした。来年から始めたい。わたしは水曜日と木曜日連続の下関になる。


日露会談の警備本番。7時前に埴生ICトイレに立ち寄ったら警備の壁。免許証の提示を求められた。午後から美祢市内ではすべての信号機には10名以上の警官が防弾着で警備。2回も免許証提示を求められた。

よほど命を狙われる要人なのだろう。


日露戦争のロシア兵の墓もよいが、70数年前を刻んだ香月美術館でシベリア シリーズを鑑賞されたらよいのにと思ったりした。

成るようにしか成らん

雨のウォーキングは、阿知須の大型商業施設の広くて長い軒下廊下。南に面して北風はないしトイレ完備。約1時間のウォーキング。


市内の菊川画廊にお祝いを直接申し上げたくて立ち寄った。肝臓手術とインシュリン。別人のような風貌に一時期なっていた。まだ痩せてはいるが血色がとてもよい。

彼が言った。生死の境を通ってわかったことは「成るようにしか成らん。あれこれ悩んだり不安に思っても無駄」家族や画廊の心配はもう止めた。毎日を精いっぱい生きる。

インシュリンは数値が改善したから止めた。肝臓は年に一度ぐらいは検査をしたほうが良いと医者が説明したらしい。つまり健康な身体を取り戻した。

長年、お母さんが座られた教会のその場所に毎朝座られた。きっとお母さんが後押しされたにちがいない。


小川蜜カス本舗で、いよいよ700本ちかくの製造をはじめる前の打合せをした。特別に美味しく焼きあがる。


要人警護の警察車輌が、とくに京都県警のバス車輌が長い車列で空港にむかった。宿泊先の旅館は明日の配達は警備上できないから月曜日にたまごをお届けした。


部屋の花が満開になった。

オブリガード!

菊川画廊の今年最後の展覧会は 州之内 徹を偲ぶ展。25日まで開催中。現代画廊の州之内さんが無名の作家を発掘された。菊川さんも州之内さんと一緒にその道を歩まれた。売るための展覧会ではなく偲ぶため。農園の石原忠幸先生作品も掲げてあります。関心がありましたらお立ち寄り下さい。


この展覧会は、わたしから見ると菊川さん命がけだった。15年前に糖尿と診断されたが自覚症状がないので放置していた。今年になり倒れて救急搬送され手術。肝臓が化膿あわせて腎不全。生死の境を体験した。退院はしたが20数キロ以上も痩せた。医者は早く肝臓の検査を促したが「やりたいことがある」と振り切り今回の展覧会になった。看板の書は 松月院 末次住職。


驚くことがおきた。インシュリンを打っていたが数値がどんどん良くなり「止めて様子をみよう」と医者が判断した。とにかく早く肝臓を診たいと、きのう検査に向かった。一緒に戸田奈津子さん講演に行ったとき、12日の結果が良いよう祈らせてもらう。と約束した。

きのう朝から検査が気になった。夕方6時に電話した。まったく問題はなく病院と縁がきれた。その言葉に おめでとうを連発した。


山口市の野菜工房に青年が働いていた。わたしの納品にてを貸してくれた。ブラジルから有機農業を学びに来日。日本語はまだできない。オブリガード!とお礼を言ったら目を丸くして微笑んだ。

立春朝搾り 五橋

水力で唐臼の粘土をつく 小鹿田焼き
水力で唐臼の粘土をつく 小鹿田焼き

九州に高速道路網が整わないころ、例えば自宅から宮崎市内まで10号線で12時間費やした。近道と判断したら林道でも走り時間をショートカットした。日田市の仕事を終えて飯塚市に向かうとき、地図上で近道があり通過したのが小鹿田の里。現在は観光バスが走る道路があるが、当時は秘境のような集落に出くわした。数軒の窯元が素朴な焼き物で生計をたてていた。その出会いから小鹿田のファンになった。

有名な窯元とは異なり、作業場への立ち入りは禁止の札。買いたい人は声をかけないと無視される。値切る客は嫌われるが、定価で支払うとビックリのおまけがある。


五橋 立春朝搾りは、立春の朝に搾りあげる究極の縁起酒。2年前から 春がきましたよ!の心意気で、井上酒店の協力でお届けしている。2月4日の朝に井上さんが五橋の岩国市に向かい、搾りたてを夕方宇部に運び、わたしがリレーする特別限定酒。利益はなくても喜んでいただければよい。

720ml 1620円税込価格  締切は1月27日


さきはど打合せを終えた。

竹瓦温泉 一番のり

熊本県・大分県にはたくさん石橋がある。なかでも耶馬溪近くの石橋は美しい。観光地ではないが何度も訪れている。少し遠回りして撮っておいた。


別府市営竹瓦温泉はお寺のような威厳がある。別府八湯と個性的なお湯のなかでここは別府老舗の湯。木造の古い建物。脱衣場の下に湯船があり隔てるものはなく開放的。6時半の朝風呂一番のりをめざして湯の街を歩いた。路地の酒場にまだ客の話し声が聞こえ、タクシー待たせてホステスさんがコンビニで買い物中。パッカー車の兄ちゃんに竹瓦までの道を聞いたらバリバリの大分弁。


100円払い一番のり。ご近所の高齢者があとから入られて裸のつき合い。自宅に風呂はない80年毎朝通っている。夏は夕方も入ることもあるが基本は朝風呂だけ。今朝の湯はぬるいらしい。


別府ICから日田ICまで。湯布院は朝霧につつまれ、由布竹北斜面は白くなっていた。小鹿田焼きの里は、渓流の流れを利用して粘土を加工する臼の響き。素朴な焼き物は農園でもいろいろ料理や酒にあわせている。


大好きな九州を訪れてリフレッシュできた。

九州の旅

由布岳の雄姿。


何度もネットで見て、ぜひ訪れたいと思っていた九州国立博物館を目指した。隣接の太宰府天満宮に先ず参拝して、ワクワクしながら入館した。


8Kスーパーハイビジョン、10時のチケットを手にして展示室をゆっくりめぐった。日本各地の出土品を写真ではなく間近に観ることができ、そのうえ3Dプリンターでつくられた土器を両手で持つ不思議な体験もできた。

グローバル時代というけれど、太古から日本は特にアジアとグローバルにお付き合いをしていた様が展示されていた。


8Kスーパーハイビジョンは、長崎出島が舞台の南蛮往来屏風図と伊万里焼。さすが国立ならではの圧巻迫力で、螺鈿細工のキリスト像など、ヨーロッパなどとの交わりも理解できた。天満宮と展示室で12000歩。


湯布院ICを出て鶴見岳ロープウェイ。1300メートルの山頂は気温0度。


明日は小鹿田焼き経由で農園。今夜は正志がハッピーの世話。

牧さん北極の旅

紀元前5世紀ギリシャ コリントの戦死者のヘルメット。

美祢市の黄 正吉さん宅にある理由は、正吉さんお母さんの妹のご主人の父上。名前は孫 基禎。1936年ベルリンオリンピック・マラソン優勝者に副賞として贈られた。当時は日本人の韓国出身選手。著書に「ああ月桂冠に涙 孫基禎自伝(講談社)」がある。


ホーム画面は かわなみ・ばんだい姉妹展。明日の掲載で一旦お休み。15日から黄 正吉さんご自宅の韓国家具を数日間連載させていただきます。


昨夜、牧さんからひさしぶりの電話。北極を旅した。宜野湾市で佐喜眞美術館にコルヴィッツ観た。いつもながら整理が困難な近況が短い。山口県を通過するとき立ち寄りを誘っておいた。


小雨の常盤湖ウォーキングを終えて、持世寺温泉の朝風呂。農園でカステラ予約の整理と、年末年始のスケジュールをたてた。

医者の診たて

松月院の掲示板。末次ご住職の話ぶりはとても丁寧でありながらも強い。それが印象。数々の出版をお手伝いさせていただき、俗に言う 葬式仏教、けれどもそれこそが仏教の真骨頂とわかった。


きのう診察日。白衣の女医さんに血圧はあがる。問診で普段の朝夕の数値を示したらOK。節酒に力を入れたことを自慢したら無視。1ヶ月で2キロ以上体重が減ったことを効かれた。ウォーキングを理由にしたら、それが功を奏していると判定された。


今朝は6時前から配達スタート。お湯割り焼酎が身体を溶かしはじめたので。

息をするように嘘をつく

今朝の松月院。今村さん魚と森伊蔵の会で泊まられた親友の上田さんが「わが家の一品」と、撮って持参されたのは、芝 増上寺(浄土宗大本山)第79世法主 道重上人の書。上人は松月院第19第ご住職から増上寺法住になられた。つまり松月院の「出」である。便があれば写真を末次ご住職に見せて下さい。

早朝の常盤公園ウォーキングを終えて参拝。ご住職は不在だったが奧さまにお渡しした。


開催中の、州之内 徹を偲ぶ展(6日~25日)を拝見に菊川に立ち寄り。州之内 徹さんが探しあてた、いわば無名ではあるが、名より作品にすべてをかけた作家の作品がずらり。農園の石原忠幸作品も2階に鎮座されていた。石原忠幸さんは、例えば作品を描き上げるために使った経費は度外視の売値。偲ぶ展の菊川画廊も、たくさんの作品を世にあらわすだけで売らない。目的は州之内さんを偲ぶことだけ。彼の生活はわずかな年金でよい。

来年1月8日。周南市美術博物館に 斎藤清の世界展を一緒に行こう。運転はするからと約束した。


党首討論。蓮舫さんが総理に 息をするように嘘をつく と指摘した。その内容はお粗末でも。息をするように嘘をつく はなかなか名言。

昨夜は節酒解除

昨夜の主役を撮った。4~5年前、牧さんが「偽物かもわかりませんが」と前置きした置き土産。母に小さいグラスで供えたあと、男4人でストレートで飲み干した。

飲み口がやわらかく、翌日を気にしないなら一升飲めそうな本物だった。


お天気がよければ菜園。雨になれば陶芸や読書と晴耕雨読を実践される今村さん。人生を専修大学野球監督として過ごされ、培われた温厚な人柄と厳しさの両面は、人生の先輩として尊敬している。昨夜もたくさんの体験談を拝聴できた。


しっかり飲んだが二日酔いもなく早朝の起床。血圧も安定していたので40分のウォーキング。


山口市内の配達で、ホーム画面連載中のモラの かわなみさん。わたしのモラを紹介したいという申し出に躊躇があったが、周囲の人達が「見たよ!」と声をかけてくださり、とても嬉しいと元気な笑顔。私も嬉しかった。


歩数計12000歩。

今夜は酒盛り

大谷山荘に早く着いたので、音信川(おとづれ)散策道を歩いた。音信の由来は恋伝説と看板で知った。立派な足湯が2ヶ所あることも歩いてわかった。


昨夜、NHKテレビで戦艦武蔵の海底映像から、不沈艦と言われた武蔵の沈没を専門家が分析する番組があった。それよりも、2千数百名の乗組員やく半数が武蔵とともに1600メートルの深海に消えた。生存して救出された兵士に母艦はなく、陸戦隊として南方の島々守備に就かされほとんどの兵士が飢餓や玉砕で亡くなられた。どれほど悲しく、悔しい最期を遂げられたかと思った。


昨日、今村さんが冷たい小雨をついて日本海に船の釣行をされた。釣れたら酒盛りやりましょうと責任担いで早朝からスタート。午後「釣れました!」メールが届き、今夜は農園宴会。農園から各種アルコールとふく鍋に雑炊を提供。カステラ製造の小川蜜カス本舗 社長夫妻・今村夫妻に防府市の上田さん。


8日、木曜日の午後9時からBSNHKで石原莞爾の番組がある。録画予約した。

冷たい小雨の日曜日

農園をはじめたころ、大分県からの見学者がお土産にひと鉢くださった観葉植物。良かれと思い水をやり過ぎて枯れる寸前になったことがあるが、付き合い方がわかり、毎年たくさんの花を咲かせて部屋を彩ってくれる。


給油など山口市内にでる用があり、今朝のウォーキングは初めて維新100年記念公園にした。いつもの常盤公園コースと違うことは、陸上競技やバスケットボールなど屋内競技にテニスなど若者がたくさん集まり、その歓声でとても賑やか。

常盤公園は、私の年代と思われる人が健康増進?で歩く。常盤公園は野鳥のさえずりが多彩に楽しめる。

若者の息づかいなら山口市。高齢者の息切れなら常盤公園。どちらも楽しく歩ける。


村上棟梁に神様棚をしつらえてもらい気持ちが定まっている。部屋の都合で、これまでは西向きにお祭りしていた。けれども、岡山県金光町のご霊地。母を納骨している京都に尻を向けてかしわ手を打つカタチになって違和感だった。この度、東側の壁に神様棚を掲げるように気持ちが向いて、棟梁が立派に完成してくれた。心の向きが定まった。

無農薬は可能なのか

家庭菜園を数年前からはじめた方の白菜。とにかく虫がついて立派にできない悩み。わたしに野菜づくりの知識はない。店頭にならぶ虫痕ひとつもない野菜にどれだけ薬が使われているか知らないが、それを食べないで生きることは困難ではなかろうか。


予約を受けている農園のカステラ、その原料について問い合せを受けた。砂糖は漂白しているのか?材料は小麦粉などすべて産地標示をしている国産。砂糖は北海道となっている。製造元に尋ねたら回答はあろう。けれども牛乳は宇部市の西本牛乳を使用しているから、牛の飼料を聞かれたら、鶏も牛も飼料をすべて国産でまかなえない。理想と現実といえばオーバーかもわからないが、妥協とか折り合いのつけかたも大切に思う。


大谷山荘の裏口で大女将とバッタリ出会った。農園で過ごした時間は楽しかったと言われ、15日の日露会談を控えて準備に忙しくされている様子も伝わった。10月、初のひ孫を楽しみにしておられたから尋ねたら「男の子を授かりました」と笑顔に戻られた。

神様棚 完成

金光様と母をお祭りする神様棚が、村上棟梁の巧みのわざで完成した。右の配管は、作業場で薪ストーブを焚いた熱を、すぐ排気せず部屋を通して暖房するしくみ。これまでは簡易の神棚で拝礼する度に気になっていた。母の遺影はお国替えする2年前、94歳の誕生日に、家内の「農園御膳」で祝った最後の笑顔。わたしの親神様。

立派な仕事をしていただき棟梁に感謝。


常盤公園の早朝ウォーキング。日曜・水曜・金曜日の常連になり笑顔の挨拶を交わす人が増えた。まさか片道40分かけて公園に来て歩いている高齢者とは思わないだろう。11月、ここを歩くだけで2キロの減量64キロになった。


わたしの地元、床波魚市場に ぎじろくセンターの白井社長に来てもらった。昭和17年2月に長生炭坑水没事故があり、183名の死者が出た。悲しい歴史にくわえて、この事故現場を政争の場所にする。約130名の朝鮮人犠牲者を「強制連行された人」とする慰霊の場が韓国・朝鮮人によりつくられている。地元有志による「殉難の碑」が建立されている近くに。

一つの事故現場に、二つの慰霊碑がある。白井社長の地元であるから、この二つの慰霊碑を案内してわたしの思いを伝えた。


下関市に集金に走り、帰りがけに持世寺温泉に立ち寄り湯。

いよいよ年の瀬

サツマイモが日光浴していた。農園は戦時中サツマイモの供出で、対岸から川を舟で渡り農家が汗を流したらしい。

就農して「芋は楽に収穫できる」と戦時中を生きた古老からサツマイモを作れと尻を叩かれた。手回しで発動する耕運機のスクラップ(五万円)を買い畑を作り、ホームセンターで苗を買い、雑草取りをやり収穫時期をむかえると、一晩でイノシシの群れのディナーになる。5年、あらゆる対抗策を試みたが、一度もサツマイモを食べることはなかった。戦時中はイノシシが人間に食べられていたのだろう。


今月15日は木曜日。大谷山荘の納品がある。けれども日露会談の会場でもあり、厳戒体制の中を入るには大変だと思い納品曜日を変更していただいた。14日から16日まで大谷山荘周辺の通行規制が厳しい。


年の瀬をむかえ、なにかと気忙しくなりはじめた。健康と運転と飲酒に気をつけようと思う。