松村御大と話ができた

今朝の投稿は桂子ちゃん。きのう仕事でサファリパークに行ったときインコが仲むつまじく撮りました。と添え書き。


3月は太秦教会の霊祭に私が参拝。4月は春の大祭に家内が台所ご用奉仕で参拝。6月は母が命のふるさとに戻って3年のお祭り仕えていただく。

昨夜も、母のお祭りを心をこめて丁寧にさせていただく私のとりくみを考えて寝た。

今朝と思う、夢にはじめて母があらわれた。すこし高い位置から私にほほえんで消えた。


水曜日の仕事を長府で終えて松村御大に電話をした。12時半には自宅に戻っているとお返事をいただき向かった。松村御大はスペシャルオリンピックス山口の会長をされている。私もその初期に関わった者として話したいことがあったが、宴席や互いに慌ただしい場面が多く、明日の木曜日もご自宅に配達に行くけれど私が先を急ぐ。


松村御大との会話はテンポよく、60分で内容の深い会話になった。話題を外れた私の話をあえてした。

10年以上も前、足の不自由な女の子が農園で働いた。家は農園の近い場所ではあるが山の中腹、両親ではなく祖父・祖母の家で世話になっていた。障がい者用に改造した軽四で通勤。カチカチに路面が凍結した早朝、正志(長男)が迎えに行き夕方は送った。

明くる朝も凍結。ばあちゃんから正志に電話があった「他人の好意に甘えるクセを覚えたらいけん、今朝は歩いて行かせるから」と。

私は厳寒の農園で作業の7時半ごろ、身体を揺らしながら坂道を下ってくる彼女に気がついた。その後ろには祖母が歩いていた。農園に彼女が着いた姿を見てばあちゃんは坂道を上って帰った。


制度や地域の力をいただいて自立する道もある。そこだけをもとめずに自らの力をつけることが大切だと、ばあちゃんから教わりましたと御大に私の体験を話した。


ブログの「先月写真」を更新しました。ご覧ください。

鉛筆 写実画作品展ご案内

下関市唐戸、亀山神社の裏参道の上がり口に理容「カットイン パラダイス」がある。店主の中山さんは自家菜園、頼まれて看板製作。頼まれて包丁やハサミの研ぎ。頼まれたら何でも「私でよければ」と引き受けるような器用な人。寒い時期は灯油ストーブに石を敷いたヤカンをかけて収穫したサツマイモを焼いている。私は早い時間に配達に行くけれど、焼き上がっていたら紙にくるんで「食べるかね」と差し出してくれる。

それは、ねっとり甘いスイーツと化している。次の配達先に向かう途中、車をとめて至福の芋を堪能する。


今年も、来月28日から 貴船町 植木紙店ギャラリーを会場に、中山さんが主宰される「下関鉛筆画教室」の発表会が4月2日まで催される(9時~17時)。


今朝は0度。これまで寒い朝が連続したので「寒くないな」と4時に外に出た。ネコが私を見つけて駆け寄り甘えた声を出す。犬の缶詰があったので容器に入れて与えたら無視。以前ドッグフードも食べなかった。

ペット用に加工した(塩分を抜いた)煮干しで満足してもらった。


火曜日の配達スタートは7時。愛犬と長距離散歩を終えて血圧計、120・70(降圧剤福用)で元気に農園を出た。


映画 空海はキャンセル

きのう鍵山記念館の整理で陣頭指揮をとられた小林昭康さん。お子さん連れで参加され場を和ました。膝のネコは朴の森にが我が家になった野良ネコ(名前を忘れた)。

明日、更新のホーム画面でも小林さんのお子さんを載せます。


公開中の映画「空海」を4日に観にいこうと決めていた。ところがフェイスブックで観た人から「娯楽映画」というような感想がアップされてその気が失せた。

吉永小百合の「北の なんとか」という作品が近々に封切りなのでそちらに方向転換。宇部の映画館は出口にお好み焼き店があり、見終わったお昼にここでハイボールをジョッキで飲むささやかな楽しみがセットになる。


岡本拓也さんが昨夜、フェイスブックに載せられたのは「散髪に行って冊子をみていたら、16歳の母が載っていた」と写真を2枚載せられた。

今朝7時に岡本家。お母さんにそれを話題にしたら「拓也は一言も言わん」と言いながら嬉しそう。日の丸ハチマキを締めて軍事工場で働いた。大きなプレス機を扱う仕事で同僚が大怪我をした。平和な世の中が続くように、地域の冊子に投稿した。近日、16歳のお母さんを登場させたい。


私の母も勤労挺身隊。責任者は高山(前の仕事着私の右腕、高山清の父親)いつも女の尻を触る。その高山班長が金光教の教会で信徒総代だったので「たまげた」と話していた。


朝の防寒具が昼には邪魔になる季節の変わり目。もう寒波はないだろうと梅の膨らんだツボミが教えてくれた。

ご縁のなかに生かされて

きょうの仲間たち
きょうの仲間たち

7時に農園を出るまで、朝食づくり・部屋とトイレ掃除。犬と猫の世話など忙しかった。普段は6時から「時事放談」を見るのが日曜日の楽しみだけどきょうはキャンセル。


セブンのコーヒーを買って朴の森。鍵山記念館の建築があらかた終わり、きょうは展示物を搬入と整理分類がある。大勢が集まられた。たくさんの鍵山先生蔵書が気になり、目次を読んだりしたので私はあまり作業してはいない。

けれども一隅の里(隣のレストラン)からカレーライスの差し入れがあり二皿いただいた。


1時に、湯田温泉「梅乃屋」の女将から たまごの話をせよと依頼を受けていた。それまでに市内のアルミ缶回収など日曜日のボランティア。


梅乃屋の催し(80人お集まり)の趣旨がわからぬまま2階の宴会場に行った。先ほどまで朴の森でご一緒した松原酒店もメンバーとして着席されていた。澄川酒造にご縁の人たちが集まり市販されない新酒を楽しむ会。くわえて環境問題や食品について関心のある方が遠来からも参加されているらしい。

持ち時間の範囲で農園のたまごについて話をさせていただいた。何人かと名刺交換もできた。


正直、どんな催しで何人集まっているのか知らされずに「まぁ、来て話なさい」と促された。

私のブログをご好意で支援してくださる重枝さん。カステラに再挑戦の願いを持っていたら長府のレサンクという洋菓子店とご縁ができた(岡本順子さんの関係者)。チラシのデザイン(安価につくりたい)で頓挫していたら、レサンクに出入りする業者の方がチラシをつくりはじめてくださった。


ご縁のなかで私の人生がまわる。きょうの梅乃屋も「忙しい」を理由にキャンセルはできた。けれども、わざわざ女将に指名していただいたのだから趣旨がわかろうが、わかるまいが行くのが筋だと腹を決めた。


梅乃屋を終わり、簡保の湯に立ち寄りサッパリして農園に戻った。

ショップ井上 営業の幕をおろす

昨夜8時ごろ外の仕事をして作業場に入るとき、近くの鶏舎の窓枠に潜んでいるネコの目がヘッドライトに光った。こうして下を走るネズミを捕っている。おかげで私の部屋の天井裏を走るネズミは居なくなった。

「おい!」と名前を呼ぶと小走りで来た。ネコ缶を容器に入れてご馳走した。


地域の百貨店「ショップ井上」が今月で営業の幕をおろすと貼り紙があったと家内が教えてくれた。

先日のブログに書いたが、始発のバスを待つご老人と中年の婦人(家族?)を見かける。この地域には病院がないから、宇部市内の病院に通うには2回乗り換えする。地域の集落でも山の上を経由するバス便なら時間がかかる。


タクシーはとおの昔に廃業した。今度は食料品・酒にタバコ・金物・事務用品・聞けば手品のように品物が出てくる井上商店が廃業されると運転できない老人の生活は困る。


JR 山陽本線「厚東駅」の近くに 厚東タクシーがあるが、ここも来月25日に幕をおろす。今のドライバーは社長(83歳)と奥さん(77歳)の二人が営んでいた。


3年前に亡くなった母が弱ってきた時期に「舟木タクシー」に問い合わせた。もしもの時、吉部郵便局まで出るから深夜でも来てくれるかね。返事はノーだった。

危篤の一報を受けた夜、午前1時前だったが前日にガッツ体操教室のお祝いがあり、ほどほどに酔った私を家内が迎えにきて農園に泊まった。寝る前に家内はビールを飲んだ。

深夜の着信で飛び起きて服を着た。厳密にいうと家内は酒気帯びかもわからないが「飛ばせ」と家内に言った。


私が毎月通う女医さん。この病院も週に1日、それも半日だけ診療していた。その診療所が撤退したのでカルテのある女医さん病院に通っている。


生活のインフラが途絶えていく地域を限界集落という。

下痢は完治した

先日、命のふるさとに還られた岡山県 金光教(こんこうきょう)早島教会 玉井光雄先生(86歳)。26年前に初版「神様にかみついた話」を出した。その数年前から早島参拝をしていたから30年ぐらい前に玉井先生に惚れ込んだことになる。


例えば元旦。神社仏閣では元旦行事があるが、早島でそれはない「なぜ」と理由を聞いた「あのな、何時に始めるぞと号令をかけたら、かけた側はその時間だけ構えたらよい」早島では三々五々、家族で参ってくるご信者さんに朝から夜まで「よう参られた」と迎えられ、一家それぞれの今年の祈りをされる。最後は決まって「いま神様にようお願いしたから、今年もおかげをいただけるからな」と。

つまり、学校では生徒が授業の主人公。教会では信者が教会の主人公という「あたりまえ」があった。


「信心」を、かたくなに「信神」と表現された。おそらく教団という組織から玉井師は型にハマらない厄介者かもわからない。そこに私は惚れ込んだ。


師の趣味は唯一スケッチ。たくさんの作品があるが、その作品全部に「雲」が描かれている。それを尋ねたら「雲はな、ワシの親と思うておる。親がおってこそのワシじゃから」と聞いた。


作品は、昨年3月に参拝したとき囲炉裏の部屋で撮った。この日が師との最後になった。


日曜日からの下痢が続き体力も気力も萎えた。今朝は食欲があった。食後の薬は服用した。

とにかくサッパリしたいと散髪。湯田温泉の旅館で女将と商談のあと簡保の湯に立ち寄り。下着も着替えて農園に1時にもどり昼食。缶を2本飲んで昼寝を1時間。


30年以上変わらぬ体重が1500グラム落ちて64キロになっていたが。下痢は完治した!

お腹の調子まだ不安定

牧さんの旅 アイスランド


先日、ご葬儀で倉敷に行ったとき時間があるのでバスを使おうと思った。駅前はバス会社2社が乗り入れている。目的地の「笹沖」を路線図から探し当てたが見方が私には複雑。バス停で待つ人に聞いてみたが要領を得ない。しかたなくタクシーで向かった。


日本語圏でこのありさまだから、レンタカーで世界中をめぐる牧さんの動物的な感覚?は真似ができない。極寒のハイウェイを100キロ近いスピードで地元の車は走ると添え書きがあった。


私が20年前に内蒙古自治区(満州)を旅したとき、冬場は氷点下30度ぐらいになる。そのぐらい冷えると路面に水分がないので、ブレーキー踏めばノーマルタイヤでも止まると知った。路面が完全に凍っていたのだろうか。


6時前に農園を出て下関市に向かった。その1時間ぐらい前からお腹の調子が悪い。処方された2種類の薬を飲んでスタート。

唐戸魚市場に立ち寄り。顔馴染みになった店の兄ちゃんが「鯖がええ」と言うので計ってもらって一番大きな700円。頭と腹をとってもらい今夜は家内が刺身。ほかにも買った。


10時ごろ、彦島を移動しているころからお腹の調子が悪くなった。コンビニとパチンコ店、トヨタ店でトイレを拝借。薬を飲んだ。


加奈ちゃんインフルエンザでダウン。最後の「よしの」で1週間分の話題。松村御大の顔が柔和になったと吉野夫妻が口をそろえた。責任の大きな現場から身をひかれて仏の松村になられたと結論。

御大夫妻、きょうは皇居清掃の勤労奉仕。

体調が回復

牧さんの旅  アイスランド


牧さんがスペインを話題にした。アンダルシアの番組があり録画した。宅配しようと思ったらアイスランドの1時間番組がありこれも録画できた。近々に送るので昨夜届け先を電話で聞いた。彼の住所は宮崎・熊本・京都・大阪その他ある「大阪にいると思います」が返事だった。


3日続いた下痢は、1日3回×5日分処方してもらった薬2種類を1回飲んだだけで治まった。けれども体力が落ちたようで、きょうの下関市配達は疲れた。お昼前に農園にもどりロング缶1本を昼ごはんに添えて、布団を敷いて1時間グッスリ眠れた。


今朝5時前、配達の準備をしていると外ネコ(名前は おい)が作業場の外でニャーニャー。餌のカリカリはいつも食べられるようにしているが甘えた声。ネコ缶をあけて食器に入れたら数十センチの距離で食べはじめた。至近距離で撮れた。明日のホーム画面に載せます。

下痢で病院

.17日の「ふく の会」で相撲甚句を歌われる今村さん。家内の運転でご自宅までお見送り。翌日は四万十市に春のキャンプをはっている専修大学野球部を見学に自家用車に奥さまを乗せて向かわれた。


毎年、この時季に野球部からお誘いがあるのが元の監督として喜びだと言われる。現在の監督は、今村さんが監督時代の選手。

100名以上の選手を率いて朝から夕方までトレーニング。それを終日夫妻で見る楽しみはなんですかと聞いた。


🔶大勢の子供(選手)の名前も顔も知らないが、レギュラーを目指して懸命に力を出す姿は迫力ですよ。

レギュラーに選ばれたらプロへの道も見えてくる。僕の監督時代は、年功序列を基本にレギュラーを選抜した。


それと監督の采配。僕の監督時代とはずいぶんちがう。その進歩(差)が感じられて反省もある。


現監督の監督だから子供たちから神様あつかいかもわからない。奥さま(競技かるたクィーン  ちはやふるにも登場する)は「まったく退屈しないのは、勝負のかけひきがおもしろい」と言われた。

先ほどご主人からメール「2日、キャンプにつきあい帰路の今治市です」お元気!


日曜日から下痢。きょうで3日も続き治らない。ドラック ストアーで「これが一番効果があると」一番高価な錠剤をすすめられて買ったが効果はなかった。3日で立ち寄ったコンビニで、トイレだけでは申し訳ないので買ったお茶がたくさん。パチンコ店やホームセンターなど、羽を休める渡り鳥が転々と島に立ち寄るような3日を過ごした。

先ほど配達から戻り病院に行った。即効性の注射を頼んだが飲み薬2種類が処方された。

神様に かみついた玉井先生

9時すぎ、美祢市を走っているとき、きのうご葬儀を仕えられた金光教早島教会の奥さまから電話がかかった「きのう慌ただしくてあんたとゆっくり話ができんかった…」10分ちかくの話になった。


大きな教会ではなく、竹やぶの細い道を上がって小さい教会が早島教会。週のうち2~3日は金光教本部ちかくで創業した金光出版で仕事をしていた。泊りは福山と倉敷に常宿があった。倉敷から近い早島にお参りしては囲炉裏の部屋で信神の話を聞いた。

玉井先生のご信神を広く世に出したいと思うようになり、先生が毎月のお祭りで40分ぐらい信者さんに話される内容を録音して本にした。1992年秋が初版。

難儀を抱えた親子のことを神様に祈るなかで「神様、このまま親子をほっとくつもりか。それでは、わしは承知せんぞ!」と談判された。この場面が玉井先生真骨頂と思い「神様に かみついた話」と題名を私は決めた。表紙デザインも「かみつく」ようなものを頼んだ。


とにかく売れた。けれども名もない田舎の先生の講話が、名もある教会の先生の本より売れるので中傷する言葉も耳にしたが聞き流し玉井先生シリーズを次々に世に出した。

広島掃除の井辻さんや庄原の林さん(いまは市議)など多くの仲間を囲炉裏の部屋に案内した。私の娘婿も早島参りをしていた。そのような思い出を奥さまが話された


農園生活をはじめて、時間的にも金銭的にも余裕がなくなったので「なかなかお参りがかないません」と電話で申し上げたら「参らんでええ、あんたのことは毎日神様にお願いしておる。あのな、夜に布団にはいるじゃろうが、布団のなかで天井に向かって、きょうも元気に働きました、ありがとうございます。それで神様にあんたはつながる」と励まされた。

奥さまが「先生が慕っておられた信神の師匠とも今ごろはあって喜んでおると思うよ」と心境を話され終わった。


美祢市の山奥で3脚に望遠レンズをつけたカメラを据えて、双眼鏡を肩からかけた男性がいたので声をかけた、彼の車は神戸ナンバー。

この山あいに送電鉄塔を建てる計画がもちあがり、主に野鳥の生態系に影響があるか否かの調査で、きょうから3日ほど毎日8時間観察する。タカ・アカショウビン・ヤマセミなどの保護が調査の目的と説明してもらった。


倉敷市内ご葬儀参列

きのう夜の懇親会。

向かって左、垣内さん(地域情報誌ホップの社長)。70歳すぎて益々お元気。毎日2時間のスイミングが日課のひとつ。

真ん中、河村建一さん。河村代議士の秘書をされているご長男。

右は、過去二期の競技かるたクィーン栄冠の座におられた今村道子さん。


今回はとらふくの大皿。皿1枚を2人でいただく。唐揚げ、鍋、焼き白子。ひれ酒飲み放題。最後は雑炊にフルーツ。


今朝から新幹線で倉敷市内のお葬儀会場。尊敬している早島教会長 玉井光雄先生(86歳)のご葬儀に参列した。弔辞のなかに「命のふるさとにお帰りになられた」という言葉が印象的だった。

普通は「信心する」と言うが、玉井先生は「信神する」と言われる。先生のご信神姿勢にほれ込み「先生のお話を録音します。それを本にさせてください、勿論費用は私がもちます」処女作は「神様に噛みついた話し」このタイトルも私が練りだした。以後「囲炉裏の傍で」というシリーズをたくさん出版した。

斎場で後ろから「おとうさん」と声をかけてくれたのは、太秦教会長(長女の主人)だった。昔の顔なじみがたくさん参列されており「足立さん老けたね」と皆さんから言われた。


今、帰りの「こだま」広島駅を通過。山口市内で給油に立ち寄り6時ごろには農園。

松村御大の作品鑑賞

関門海峡絶景の宿で有名な「海峡ビューしものせき」フロントに近いフロアに客室エレベーターがある。各階の押ボタンの壁に松村御大の油絵が掲げてある。


「描いてほしいと頼まれた」と聞いていたので、いつか観に行きたいと思っていたが、日の山の中腹に宿はあるのでわざわざ行かないと実現しないので14日、下関市の配達を終えて向かった。日の山ロープウェイの近くに宿はあり、海峡を行き交う船を眼下に見渡せるし、桜の時季になれば見下ろして花見ができるようなロケーションだった。


支配人に「松村さんの絵を観にきました」と告げると、笑顔で案内してくださった。


きのうは正志が防府市などを配達した。その便にハッピーを保護してくださった方にハッピーの最近の写真3枚を託した。お礼のメールが夕方届いた。


🔶子犬と保護したときお世話になった獣医さんが「歯がきれい、この大きさで7頭も出産しているから推定2歳と判断された。そうすると農園でお世話になって10年がくるので12歳ですね」🔶


農園に連れて帰って約3ヶ月ほどは怯えていつも震えていた。吠えたことは1度もなかった。他に先輩犬が3頭おり新参ものとしての序列にしたがった。リードで散歩することも初めてなので慣れるまで時間がかかった。

今では、私の言う言葉をほとんど理解できて従うようになった。


今夜は毎年恒例の集いが下関でひらかれる。明日は早朝の新幹線で倉敷市内、玉井先生のご葬儀に向かう。

本音で生きる井辻さん

心を磨く掃除がある。近くでは、広島市で井辻さんという方が仲間と始めているらしいと聞いて(どうも松村御大から)広島に行った。

中国新聞ホールで鍵山先生をお招きしての講演会。井辻さんと名刺を交わし、鍵山先生にもご挨拶ができたのはラッキーなスタートになった。

餃子の皮がスーパーに並んでいるが「井辻の皮 井辻食産」の社長さん。ところがギャルとグルメ三昧が大好きと公言される変わり者。私も大好きではあるが隠して生きていた。


当時としては先進的なパソコン通信を駆使され「パティオ」という井辻さんの仲間しか入れない部屋があり、ハンドルネーム(御大はトラトラ・わたしは六さん)で部屋に入り、真面目と不真面目の会話を楽しんだ。そのおかげで、ノートパソコンを公衆電話やホテルの電話モジュラーに繋いで通信する方法や、携帯電話を接続して通信するやり方も、その部屋に入りたいから学習した。

井辻さんは遊びながら仲間のスキルアップを促す名人だとわかった。社員さんも笑いながら、楽しみながら大切なことに近づいていき大きな企業に成長しているのだろう。


私を育ててくれた恩人の一人は こんな顔。いまは社長を退き快調。禿げます会などに奔走されている。


正志は、きのう2時ごろ「今朝から鼻血が止まらない」と言うので、家内が病院に行くように言った。農園からしばらく運転していると出血が多くなり、運転をやめて119番に救急車を要請して、宇部中央病院に搬送された。

検査に時間を要したが、鼻の奥の血管が損傷しており電気メスで止血ができた。


私は、木曜日の運転疲れで8時前に寝ていた。その頃に正志が農園に来て仕事の後始末をしたらしい。金曜日の配達は、とりあえず私が山口市・防府市に新南陽市を走ると決めて寝たが「ボクが走ります」と言って自宅に帰ったと家内から聞いた。

今朝は5時頃に農園に来て働いていた。患部にガーゼをあてているのでその交換と精密検査をすると話した。

鼻血は「検査をせよ」のサイン。それでよかった。


日曜日のお昼前に倉敷の斎場で玉井先生ご葬儀が仕えられるはこびになった。

わたしの正念場

牧さんの旅

プラド美術館で買ったお土産と書かれていた。一見荒削り風の生き方に見える牧さん。実は神戸の避難所(23年前)からバイクをとばして東京にピアノコンサートを聴きに行ったので驚いた。国内・海外の美術館めぐりに明け暮れている。


木曜日の7時は唐戸魚市場の常連客になった。親しくなった兄ちゃんやおばちゃんも出来た。今朝は 子持ちカレイのビッグサイズ2匹と刺身にできるイワシ6匹を買った。

きのう春一番が吹き漁はなかった。ということは安く買った魚は、店としては今朝売り切りたいからプライスダウンタウンなのかもわからない。

おばちゃんが魚料理、鮮度の順番で「わたしなら」と前置きして 「あらい」「刺身」「焼き物」「煮付け」「唐揚げ」と教えてくれた。市場探検は面白い。


配達先の電気工事会社。街で見かける関わりたくない外見のお兄さん。声をかけると鋭い目が優しくなる「最近寒いから仕事は大変じゃろう」と言うと「めっちゃ ヤバイ」頑張れよ!と背中をたたいた。


私が尊敬する金光教早島教会の玉井先生が、きょうの午後お国替えされた。教会や教団という組織に馴染めなくなり教会参拝は20数年前にやめた。それでも私の信心は続けていると思っている。その背骨になったのが玉井先生。

数日前から照美さん(金光教太秦教会でご用)の主人や、各方面の玉井先生にご縁のある方から先生の容態についてのお電話をいただき続けた。

組織から離れた私に、年賀状も交わさなくなった私にご連絡くださるみなさんに頭が下がる思いだった。


玉井先生の「囲炉裏の部屋」で、木炭の近くに円錐形の備前焼の地炉利を灰に差し込んで酒の燗をつけて盃を交わしながら話し込んだ夜があった。その腹話が私の力になっている。

先生の講話をまとめた出版処女作「神様にかみついた話」は、たくさんの人に信心(信神)の世界を伝えることができた。ご葬儀は日曜日の午前参列させていただく。


正志がお昼前から鼻血が止まらず、救急車で宇部興産中央病院でお世話になっている。まだ検査が続いている。

私の正念場。

バレンタインの水曜日

牧さんの旅

ロンドン ナショナルギャラリー「ひまわり」スマートフォンの翻訳(通訳)を駆使すれば世界中を歩けるらしい。

10数年前、岡本拓也さんとイエローハット本社(当時は千束)を訪問したとき、羽田空港から浜松町駅まではスイスイ行き、そこから山手線でグルグルの旅になった。宇部空港から羽田空港にかかった時間以上に山手線の旅をした。日本語圏でも旅ができない。


昨夜は井戸の水位が下がったので風呂はやめようと思ったが、しっかり温まりたいのでお湯をはった。そのお湯を抜かずにバケツで今朝までトイレに使った。


雪こそないが氷点下5度の朝になった。3時に起きて配達の準備をしながら、朝はなにを食べようかと考えた。塩分半分の冷凍うどんをストーブで熱くして、タイカレーの缶詰めでカレーうどん。キャベツの千切りをフライパン、それに今朝のたまごを落とした。納豆は毎朝の定番。


愛犬の朝は無調整牛乳をたっぷり。ネコには缶詰めとカリカリ。


6時にスタート下関市。長府の事務員さんからチョコレートをいただきうれしかった。

今夜の井戸ピンチ

牧さんの旅

スコットランド美術館 エル・グレコ。昨夜「日本からです」と宮崎弁で彼から電話があった。今回はレンタカーでヨーロッパを2500キロ走ったらしい。

20年前「足立さん、明後日からインドに行きませんか」昨年だったか「マイルがたまっているので奥さんとアメリカに行きませんか」このような唐突な計画を持ちかけてくる。

ある夜、突然の電話「窓から下を見てください」彼がおった。神戸の避難所で縁ができて23年のつきあい。彼も50歳ちかくになったが「勢い」だけは若いまま。


今朝2時に目が覚めた。これさいわいと録画していた「鳥羽 伏見の戦い」120分を観た。歴史家や軍事に詳しい人などが新政府軍と幕府軍の配置、武器、戦術に地形などを検証した。実際にその街道にもおもむき道幅までも調べあげた。


昨年から再放送が重なる「インパール作戦」の検証番組。精神論で飢餓と病気で多くの死者をだした。その責任者は誰なのかまでも語られた。


150年前の戊辰戦争やインパールが検証できるならば、もっと検証できる、人やモノ(証拠)がある近年のことにも力を入れてほしいと思った。


今朝の冷え込みは少ない氷点下2度。夜中に薄っすらの積雪があり、外ネコの行動がよくわかった。見えないがウロウロしてカリカリ(餌)は食べている。

車の後輪の上に重しのコンクリートふたつを載せて7時にスタート。早朝の住宅街、坂のあるところでこのコンクリートが上りも下りもタイヤのグリップ力を助けた。


井戸の水位が下がり、今夜は着替えて洗面で布団に入る。明日、下関市の往復で立ち寄り湯を楽しもう。

松 竹 梅の秘密

牧さんの旅。スコットランドのエディンバラ城に立ち寄ったらしい。

以前、NHKテレビがこの城を舞台にバグパイプ隊の迫力シーンを放送した。あわせて儀仗隊も壮観だった。その録画を牧さんに宅配した。彼はメールでそれを話題にしてくれた。


今朝、農園の積雪は大したことはなかったが山口市の岡本さん宅に向かう峠は積雪していた。雪道用のコンクリート(ひとつ約30キロ)を後輪の上、左右にふたつ並べた。これで冬タイヤがバッチリ使える。ちなみに荷台を空にして雪道を走ると、タイヤが新品でも路面のグリップ力が弱い。


ラジオで「行動経済学」をテーマに山大の教授が話していた。

ランチ、1000円と500円のふたつがあったらどちらを選ぶか。さらに1000円と700円と500円だったらどれを選ぶか。ワインを買いに行った。2000円と1100円と700円があればどれを買うか。

つまり売る側は、売りたい商品を価格帯の真ん中におけばよい。なんとなく私の心理を見透かされたような気がした。


同じくラジオ。とにかく電話番号を連呼する商品がある。

0120 888 117「ハハハ イイナ」は覚えたけれど商品がわからない。


今月末から待望の映画「空海」がはじまる。来月の4日に観に行くことにした。


外ネコが昨夜から戻らない。

オイル交換の日曜日

NHKのテレビ番組「ドキュメント72」がある。取材対称にカメラを据えて3日撮影しながら取材もする構成。

宮崎市橘通の一角に置かれたピアノが主人公になったことがあった。人目を気にせずに、バスを待つ人やほろ酔いの人、子供も楽しく弾く、クラッシックやジヤズをプロの演奏家のように弾く人もおられた。


コテコテ(テゲ)宮崎弁の牧さんに録画を宅配したら、そのビアノの場所は牧さんが育った実家の跡だった。その後、彼が農園に立ち寄ったとき「誰でも自由に弾ける街のビアノは、アムステルダムで見かけた」と旅の思いでを話した。

今回のヨーロッパ、ヒースロー空港35番ゲートにもピアノがあり、子供さんがレットイットビーを弾いている場面に遭遇したらしい。


また寒波らしい。小雪が舞う愛犬との早朝散歩になった。朝食をすませて小郡で散髪。山口市内で灯油と車のガソリン給油。防府市に移動してトヨタ店でオイル交換。約1年で6万6千キロの走行メーターに整備の方が驚かれた。


農園内で使うディーゼルのライトバンは10年ぐらい前に廃車を安く買わせてもらった。そのオイル交換をするためにユンボでオイルを抜くために人がもぐり込める穴を掘った。毎年2月は農園で動かす全部のエンジンオイルを交換している。ライトバンとユンボと草刈機ハンマーナイフのオイルを換えた。ディーゼルとガソリン兼用オイルで済ませた。


朝、松村御大から「萩市にノーマルタイヤで行かれるか」と電話を受けた。きのう朝の雲雀峠に凍結も雪もありませんでしたと返事をした「わかった」で終わったが気になる。むつみ村(積雪は山口県で最高)のお掃除仲間、佐々木仁資(じんすけ)さんに雲雀峠の状況を御大に知らせてくれと頼んだ。峠の下に彼の知り合いがおり「今は大丈夫」と現況を知らせてくれ、それを御大に伝えたと折り返しの電話を受けた。

待望の雨がふる

アイスランドをレンタカーで旅をしている牧さんから数枚の写真が届いた。首都のレイキャビクから移動中に燃料が少なくなり、氷点下12度のなかを40数キロ引き返すことになったらしい。地元の人は80キロ~100キロちかいスピードで凍てついた道路を走っていると驚いていた。


長い寒波がゆるみ今朝は久しぶりにプラスの気温。昨夜からの小雨はとくに嬉しい。

先日、台所の温水と冷水をひとつの蛇口で使うこれまでのものを、見た目はよくないが別々にして2つの蛇口を取り付けた。水道管が凍結して割れることを防ぐには排水をする。合併の蛇口は真ん中で出せばよい理屈になるが、真ん中の場所が曖昧。氷点下5度ぐらいが長い時間続く夜は温水器で熱湯を出して管をあたためてから水をチョロチョロ出すことを、夜中に何度もやって朝をむかえていた。

蛇口が2つになったので正確な排水ができるようになり快眠になった。


ところが降雨が少なく井戸の水位が最下位になった。農園の井戸はコンクリートのふたに穴を開けて細長いエンビの菅を立てている。水面には発泡スチロールでフロートをつくり菅を支えている。つまり水位は突き出た菅の目盛りをみればわかる仕組みにした。


寒波が居座り昼間でも氷点下のためずっと排水を続けた。それは台所だけではなく風呂、トイレなど。最大の排水は5000羽の鶏舎10数棟。くわえて鶏は昼間に水を飲む。

対策は、川原にエンジンの汲み上げポンプを据えてホースをジョイントして井戸の周囲に散水する。

夕方はポンプもホースも作業場になおさなければならない。以前、面倒でポンプを川原に放置して朝をむかえたら、内部の水が凍り膨張してエンジンが割れていた。ホースも放置したら中の水が凍る。


井戸水を優先して風呂に入らない夜も今年は何度かあった。また寒波が来る予報になったが、井戸の水位があれば困ることはない。まさにライフライン。

充実の金曜日になった

きのう加奈ちゃん親子。9月末に4キロで誕生した結斗ちゃん貫禄ですね。


目が覚めたら扁桃腺に痛みを感じた。悪い予感ははずれ、お茶を飲んだら治った。寒さが厳しいので暖房をつけたまま寝たので喉が乾燥したのかもわからない。


布団で仰向けタブレット。いつもの無料アプリで新聞を読んだあとに本を読もうと思いメガネをさがしたが見当たらない。その筈老眼鏡はかけていた。


たまった仕事を「片づけるぞ!」と気合いを入れて6時に布団脱出。外は氷点下5度。

4時に降圧剤を服用したので血圧は安定。愛犬と長距離散歩は金曜日メニュー。


毎月一度の空気清浄器のフィルター交換。トイレ排水配管にひび割れがあり外壁に汚水が付着する。水洗の水を止めて割れたところに接着力が強いビニールテープをぐるぐる巻いた。漏れはとまらないと思うが数年は心配なかろう。


来週の土曜日に催のお世話係をしている。22名の参加者全員に確認のメール。

カステラ「南蛮だより」のチラシは、加奈ちゃんが撮ってくれた写真と私の文章をデザインしてくださる方にメール送信した。カステラはつくりたいが案内のチラシに数万円をかけると利益にならないことを昨年学習した。

製造元の長府洋菓子店 レ・サンクからデザインに協力していただける人の情報があり、昨日その方にお会いできる方法を教えていただく目的でレ・サンクを訪れたら目的の方がお店に偶然来ておられた。

チラシをつくる意欲が盛上がり1時間でメールでお願いができた。


呉 明美さんの催し(3月2日)を関門FMの 申 徹也さんに連絡。すぐに出演の方向でのアクションがあり明美さんの携帯番号をお知らせした。私は2枚のチケットをきのう買った。


寒波の凍結で汲めなかった弁天池に行き30リットル持ち帰ることができた。農園近くの「くすくすの湯」に立ち寄り湯。漫画家ペンネーム「どてら猫」の橋本先生と湯舟でバッタリ裸の長話になった。

今夜は特別 日本酒を開封(^-^)/

忌宮神社のお雛様
忌宮神社のお雛様

3時に起きた。部屋の冷え込みが厳しいのでカーテンを開けて窓ガラスのサッシをみたら結露が真っ白に凍っていた。外気は氷点下6度(山口市阿東は氷点下16度を記録)だった。


携帯にショートメールが届いていた。今月からお届けをはじめた下関市内の和食店から。今朝の2時にご注文は数とたまごのサイズ指定。それに応えるのが私の仕事。

6時に農園をスタート。きょうは注文のお酒、立春朝搾りも積み込んだので満載状態になった。


先週金曜日に頂戴したこだわりの日本酒を開けるため唐戸魚市場を7時に歩いた。8時にお届けする鮮魚店(魚仲)の大将とバッタリ。安くて旨い肴になるものを一緒に選んでもらった。関門海峡のタコと刺身になるイワシに決まった。日本海のタコも美味しいが、関門のタコはエビを食べて潮流にもまれているから、それと寒のタコを味わってください。


毎朝6時までにブログのホーム画面を更新している。今朝はエラーで更新ができないままになった。10時ごろ更新したらできた。


木曜日のゴールは美祢市の「よしの」。先週の木曜日に営業をおえて店主がインフルエンザで轟沈。種々の健康法を取り入れておられるがインフルエンザ。きょう木曜日にお店再開の張り紙の上に「金曜日」となっていたのは奥さまも風邪にお付き合いされたから。明日から気合いを入れてお稼ぎください。

今朝も冷え込んだ

忌宮神社近くのお宅に配達があった。奥さまが「神社でお雛様が公開されていますよ」と教えてくださり参拝した。城下町長府の由緒ある神社。拝殿のわきにお雛様が豪華絢爛に鎮座されていた。明日のホーム画面でご紹介しましょう。


下関市に向かう6時すぎ、農園近くのバス停、吹きぶりの雪のなかで始発が来るのを待つ人影。毎週この時間に飲料水の販売機の前におられるのは、酸素をカートーと乗せたご高齢の男性と娘と思われる高齢の女性の二人。通院かもわからないが、荒滝山から吹き下ろす寒風に背を向けて立っておられた。


そのバス停から3つ先のバス停。清掃会社のジャンパーとキャップ姿の高齢女性が風に背を向けてバスを待っておられた。限界集落などの言葉があるが、こんなに懸命に生きる人を「しかたがない」と片づけてはならないと思った。微力かもわかないが一票しかない。


3日の土曜日、お昼前に美祢市のスーパーに買い物に立ち寄った。巻き寿司が山積みになっていた。おそらく廃棄されるものは多いだろう。

寒波が終わらない

きょうも帰りの荷台に回収したアルミ缶をずいぶん載せた。ある程度農園にストックしたら厚狭の「レインボー」に連絡するとトラックで回収に来てくれる。


「レインボー」の詳細なことは知らないが、昔の病院ふうの古い建物で作業をされている人は精神的にハンディがあり、この作業所で軽い作業をしながら社会性などを身につける。アルミ缶は利用者のみなさんが潰す仕事になる。それを回収業者に買い取ってもらい、その売上は微々たる額とは思うが作業所の資金になる。


この施設で月に達2回バザーが催され、野菜などが販売され収入になることを知った。農園のたまごを値引きして納めて、バザーでは農園の定額で販売されると利益がうまれるのでそれもやっている。毎月500個ぐらいになる。


たまごのお客さまに折をみては「レインボー」のアルミ缶を話題にして協力を求めてきた。けれども朝から多くのアルミ缶をいただいても荷台に配達のたまごを載せているので、お昼前後のお客さまから預かるようになる。その場合ひとつお願いをしている「アルミ缶は一度洗ってから」アルミ缶を潰す作業を見学させてもらった。土間に缶を潰す機械を数台置いて利用者は黙々と作業をされる。その悪臭に驚いた。飲み残しの缶や吸い殻の詰まった缶などがその原因。

せめて農園から運び込まれるアルミ缶だけでも作業する人が顔をしかめないようにとの思いがある。


山口市内、路面が凍った橋で若い女性が乗った自転車が横転した。日蔭の歩道でしりもちをつく人を数人目撃した。農園では鶏舎と私の住まいの水まわりが凍結して配管が割れないように昼夜排水をしている。

井戸の水がピンチになり、昨夜は早朝の運転に自信のない家内は(一度、自宅から農園に来るときスリップして車は全損)農園に泊まった。けれども井戸水が心配で風呂を使わなかった。


今朝早く正志が来て、川の水を井戸の付近に散水をはじめてくれた。

さきほど山口市から戻り風呂でさっぱりした。家内は洗濯物を持って農園を出た。

寒波はホンモノかも

天気予報は積雪の寒波だったが、今朝の農園に雪はなく氷点下3度の普通の朝をむかえた。

峠を往復して配達する岡本さんのお宅はきのう済ませてもらったので、なんとなく無理を申し上げて心苦しい。


大谷山荘もきのう配達したので、手前の地名でいうと於福という場所が最初の配達。農園を出て数キロ走ると路面が薄い雪になり、十文字交差点ではスリップ事故もおきていた。於福が近くなると吹雪と積雪で慎重に低速走行。大谷山荘に向かう道路はスリップ事故で通行止めの大渋滞。


ところが美祢市まで走ると路面に雪はなかった。コンビニのコーヒーでひといきついた。

写真は、於福から美祢市に向かうとき撮った。


猟をされるお宅。主人が冷凍庫からなにやら床に出して数を数えていた。駆除で倒した鹿の尾を冷凍していたのは、一頭につき9000円が役所からもらえると説明された。100頭以上の尾があるらしい。地域の仲間達で捕った。これだけの数を間引いても山林や田畑の被害は増え続ける。猟師さんは高齢になりこれから先の農業や林業経営は困難になるだろうと話された。


腸にたくさんのポリープが見つかり、これから入院される老夫婦のお宅に行った。85歳のじいちゃんが不機嫌「若い看護婦がワシを年寄り扱いするんじゃ」どこから見ても年寄りではあるが、田畑の石垣を治しながら昨年も農機具を購入された。そこらの若いものよりよほどしっかりした身体をもっている。要は看護婦ではなくポリープ入院がじいちゃんを不安にさせている。ポリープぐらい取ればええんじゃからと話し相手も私の仕事。


ばあちゃんと息子(60歳過ぎ?)の二人暮らし。息子は事情があるのか働いてはいない「これから晋作の湯に行く」と親孝行。


テニスが生き甲斐のお婆ちゃん。きょうは吹雪でご自宅におられた。ここではテニス談義のお相手。


たくさんの人と言葉をかわしながら月曜日を終えた。

立春朝搾り

「五橋  立春朝搾り」は、岩国の酒井酒造が2月4日早朝に搾る特別限定酒。

おつきあいのある宇部市の井上酒店で数年前に予約して飲んだら旨かった。酒の味はそれぞれ好みで決まるが、立春の朝に搾り、予約をした県内の酒屋さんが早朝に岩国に集いラベル貼りを手伝い、それが終わると神主さんがお祓いをされる。


井上さん曰く、杜氏さんがお酒はを仕込み味がととのったら搾るが、このお酒は搾る日が立春当日と決められており杜氏さんの腕前が試される。縁起をいただく一本というわけになる。


毎年、たまごの便でご案内をして今年は86本ご注文があり、その他に牧さんが24本頼まれた。3時に井上さんは宇部を発ち岩国にトラックで向かい、お昼ごろ農園近くの国道で正志が受け取った。明日からお届けにまわる。


明朝の配達は岡本拓也さん。農園から峠を下ることになるので、凍結を予想して今朝の配達にさせていただいた。きのう退院されたお母さんにお会いできた。薬の副作用で赤ら顔でマスクをされていた。神妙な挨拶もなんとなくそぐわないから「おかあさん!朝から一杯やったかね」が挨拶。お母さんは玄関で大声で笑われた。


山口市内で給油などを済ませて大谷山荘納品。山荘近くは氷点下5度で小雪が激しく舞っていた。

月はじめの楽しみ 極楽寺

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長門市野波瀬 極楽寺の掲示伝道。2月に更新されていた。


朝6時の農園は0度の小雨。萩市までの峠の路面が凍結していないか案じながら慎重に走った。峠に差しかかるころワイパーを動かすほど雪がふりはじめた。私の後続の人は厄介な路面になっていただろうと思う。

萩市内はボタン雪が絶え間なくふり、路面はシャーベット状態。


いつもならば大谷山荘納品があるが、現在は一部改装工事が行われて2月中は宿泊客を制限した営業をされている。きょうは前を通過。


木曜日に「よしの」に立ち寄ったら奥さまひとりが後片づけされていた。店主は朝から悪寒がはじまり、完売と同時に病院に行った「インフルエンザでなければよいが」そのインフルエンザらしい。様子をうかがいに立ち寄ったら「臨時休業。8日から営業します」と貼り紙があった。


複写はがきをされる方が多い。私は画面には向かうがペンは苦手。その「はがき道」松村御大は28年間で5万枚をこえたと便りがあった。絵画やはがきに宴会にゴルフ、海峡マラソンに自転車に歩き遍路など御大と呼ばれる所以がある。


宇部掃除に学ぶ会が246回目(毎月1回)の掃除を開催された。私は午後から農園のトイレを中心に部屋の掃除をした。


さきほど大谷山荘から「明日、日曜日で申し訳ないが納品してくれないか」もちろん「はい」

充実した金曜日

「工事中」からダウンロードできる「阿弥陀寺町の幽霊」作者 逢坂かのを(本名 藤中和岳)さんと長府「あけぼの珈琲」で待ち合わせた。

重枝さんの献身的な支援をいただき逢坂さんの作品が世に出る準備までこぎ着けた。すでに囲炉裏の関係者から「とてもおもしろかった」「誤字や脱字があるが、ストーリーはワクワクした」など感想が届いている。


きょうお会いした目的は「工事」をいつどのように完成させるのかというテーマ。つまり中身の充実を話し合った。彼が書きためた短編小説は真面目から不真面目までたくさんある。どれも面白い。くわえて彼には絵もあるし俳句もあるように思う。それらを掲載できる見通しと文章の句読点や表記の推敲をどうすすめるかなどを愉しく話し合った。彼は私と同じ昭和26年のウサギ年。


宇部に戻り、中学の同級生(女性)が営むアレグラ美容室に立ち寄りお互いに黄昏た話題で寂しくわらった。美容室に車をとめて井筒屋で買い物を済ませて菊川画廊。聞きたかったのは、例えば地域の文芸発表会場で「撮影はごください」と職員に嗜められたり、松村御大の作品が下関市美術館に掲げられたので撮りに行くと「ご遠慮ください」と言われたので、そのときは「私は身内ですが撮れませんか」と言うと「どうぞ」になった。

海外美術館では撮影はゆるやからしい。


菊川さんが明解に答えてくださったが、この場ではその一部だけを言うと。例えば彫刻など絵ハガキで売れるが撮られたら売れない。

なるぼど!山口県立美術館の催しを鑑賞に行くと、展示作品の本やハガキが出口で販売されている。


持寺温泉でさっぱりして農園に戻った。

2月がはじまりました

スマホはタップで拡大します
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呉 明美(オ ミョンミ)さんから昨夜お電話があった「笛の奏者をお招きします。実家(韓国料理を自宅で提供される おうちレストラン てじょん)に明日配達に来られたとき案内を母から渡します」。


彼女とは10年以上前に、彼女が奏でるカヤグム(韓国の琴)と歌に魅了されてずっとのご縁。今朝9時にご実家に配達にうかがいお預かりした案内状。

高音チョッテ の意味がわからないので調べたら、韓国の伝統管楽器ということがわかった。李淑任(リ スギム)さんと明美さんは朝鮮大学の同窓生。

李 淑任さんをGoogle検索したら、上から4番目に今回のコンサートのことが明美さんのブログから載っていた。関心のある方はご覧ください。

さらに、チケットなどのお問い合わせも私で受け付けます。


7時に唐戸魚市場。毎週立ち寄るので声をかけてくれるオバサンもある「お兄さん!」と呼ばれたから足をとめた。アゴ折りの鯖が500円。頭と内蔵をとってもらい2匹買った。今夜は家内が泊まるから刺身が楽しめる。


今朝「おーい!」と何度呼んでもネコが来ない。カリカリは食べていたので遠征しているのだろう。ネコ缶とカリカリと水を置いて出た。先ほど戻ったら姿を見せてくれひと安心。