松村御大と話ができた

今朝の投稿は桂子ちゃん。きのう仕事でサファリパークに行ったときインコが仲むつまじく撮りました。と添え書き。


3月は太秦教会の霊祭に私が参拝。4月は春の大祭に家内が台所ご用奉仕で参拝。6月は母が命のふるさとに戻って3年のお祭り仕えていただく。

昨夜も、母のお祭りを心をこめて丁寧にさせていただく私のとりくみを考えて寝た。

今朝と思う、夢にはじめて母があらわれた。すこし高い位置から私にほほえんで消えた。


水曜日の仕事を長府で終えて松村御大に電話をした。12時半には自宅に戻っているとお返事をいただき向かった。松村御大はスペシャルオリンピックス山口の会長をされている。私もその初期に関わった者として話したいことがあったが、宴席や互いに慌ただしい場面が多く、明日の木曜日もご自宅に配達に行くけれど私が先を急ぐ。


松村御大との会話はテンポよく、60分で内容の深い会話になった。話題を外れた私の話をあえてした。

10年以上も前、足の不自由な女の子が農園で働いた。家は農園の近い場所ではあるが山の中腹、両親ではなく祖父・祖母の家で世話になっていた。障がい者用に改造した軽四で通勤。カチカチに路面が凍結した早朝、正志(長男)が迎えに行き夕方は送った。

明くる朝も凍結。ばあちゃんから正志に電話があった「他人の好意に甘えるクセを覚えたらいけん、今朝は歩いて行かせるから」と。

私は厳寒の農園で作業の7時半ごろ、身体を揺らしながら坂道を下ってくる彼女に気がついた。その後ろには祖母が歩いていた。農園に彼女が着いた姿を見てばあちゃんは坂道を上って帰った。


制度や地域の力をいただいて自立する道もある。そこだけをもとめずに自らの力をつけることが大切だと、ばあちゃんから教わりましたと御大に私の体験を話した。


ブログの「先月写真」を更新しました。ご覧ください。