儲からんことに意味がある

8年ぐらい前にソニーのタブレットを初めて使いはじめた。カメラ機能があり便利だったが画面が大きく持ち運びに不便を感じて、小さいタブレットにかえた。その頃は本体機能で選ぶ力はなく値段で決めた機種だった。


16GBしかなく、不都合が重なるようになり、画面の大きさはそのままで32GB機種に変更した。その機種を約5年使いタブレットからスマホにかえた。


スマホの目的は支払いをスマホ決済ですることを習得すること。交通系カード「ICOCA」にチャージしてコンビニで使ってその便利さがわかりはじめた。


いまはスマホに慣れようとしている。そのひとつは、タブレットで使い慣れていたアプリをスマホに入れて便利にしている。この入力も前々から使っていたアプリで入力している。

予定表も、前と同じアプリをダウンロードして使い始めた。


写真は、朝の萩市三見漁港。


スペシャルオリンピックスのアスリート遠征費用支援にスマイルバッグ企画を立ち上げ案内状を配り始めている。


今朝、案内状を渡したたまごのお客さまが「あんたー、いつも儲からんことを本気でやるねー」と、私に応援の言葉をかけてくれた。


それが私には一番の褒め言葉ですと頭をさげた「私の流儀」生活は働いたお金でやればよい。

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あだち美術館更新しました

昨夜は済州島の特大サバ。煮付は腹が黄金色にひかり。塩焼きはたっぷり脂を楽しめた。

長崎のサバがこれからならぶ。漁場が近いので刺身が楽しめる。

今年は仙崎のキビナゴを何度か買った。刺身、煮物に揚げ物おいしかった。


今朝は「らんまん(最終回)」をみてから下関に向かった。

飲食店2軒と個人2軒の集金を済ませ、コンビニでコーヒーを買ってWiFiを使い約40分で「あだち美術館」更新を済ませた。

タブレットのときよりスマホは文字入力のキーボードが小さく入力ミスタッチが頻繁。これは慣れるより方法はなかろう。


毎日「掲示板」の末尾は弁当を載せている。きょうは新米と農園栗ご飯。昨夜のサバでうまかった。


写真は、長府シフォンケーキ「ポポラス」

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誤植は間違い探しのご愛嬌

今朝の唐戸魚市場。

済州島の特大鯖が3匹あった。1匹、1300円。ほかにカツオのタタキ、イワシなど目についたが鯖に決めた。

済州島で捕れた魚は下関まで距離が長く鮮度を保つため氷漬けにするらしい。つまり冷凍状態で市場にならぶ。刺身は無理だが〆鯖は大丈夫。きょうの鯖は大きいからええよと女将が太鼓判。2枚におろしてくれんかねと、それを買った。


中学生のころ、宇部沖の特大鯖を母が煮付にしてくれたら大ご馳走だった。金色にひかる腹に箸を入れて脂身を食べる。木炭で焼いてくれた鯖の味は覚えている。


なんで宇部沖の鯖が肥えているのかを、食卓をかこみながら母が教えてくれた。


当時はくみ取り式便所で、集めた糞尿は港で船に積み沖に出て捨てる。たくさんの魚が競い合って食べる。

内蒙古自治区の便所は、豚小屋の上にあり豚は落ちてくる餌を待っていた。


スペシャルリンピックス山口の選手団派遣費用を捻出する目的でスマイルバッグを立ち上げた。

そのご案内チラシが火曜日に2000枚できたので配布をはじめた。

そのチラシの内容に誤植があり、指摘の電話とメールが届いた。

賽は投げられた。誤植を見つけた人も趣旨に賛同してくださる。

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ついにスマホを手にしている

5年使ったタブレットの起動スイッチか壊れた。docomo保険に入っているので修理は3000円、ただし最低でも2週間はかかる。それが嫌なら1万円で中古タブレットを2〜3日で用意できるが機種などは私が選べない。

これほど不親切な保険とは知らなかった。毎月500円の保険料を払っている。


起動スイチはやり方で問題なく使っている。タブレットの内蔵メモリーは32ギガと少なく、いろいろ支障が出ていたので、docomo店で一番安いスマホを買った。64GBに32GBのSDカードをつけた。


LineやFacebook。docomo電話帳などのアプリをdocomo店に頼んだら「ひとつのアプリにつき1500円」と言われた。幸い、重枝さんが私のブログやタブレット操作を支援してくれているので彼に甘えてLineとFacebookの2つを移行してもらった。

私には到底できない技だと思った。


タブレットのSIMカードはdocomoに返却した。いまはGmailになりWiFi利用で使っている。


そのWiFiは20GB契約で2000円のポケットルーターを使っている。家内が農園滞在中は相乗りで利用している。1ヶ月で19GBぐらいの使用量。


きょうから金曜日まで3日連続で下関。土曜日は萩市から戻り山口トヨタ山口店でオイル交換など。

スペシャルオリンピックスのスマイルバッグのパンフレットができた。明日から配布をスタートする。

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スマイルバッグ始動!

スペシャルオリンピックス山口の選手団派遣費用を捻出する企画のひとつ「スマイルバッグ」の広告が2000枚完成した。
内容は「掲示板」末尾に掲載。

1000枚売れたら50万円が支援できる。明日からチラシを配布して10月10日までに購入予約を集計してバッグの印刷枚数を確定して業者発注になる。

その案内文を掲載

スペシャルオリンピックス日本・山口の選手団派遣にお力添えください

山口県では24年前に会を発足。現在県内で180名前後のアスリート(知的障害者)とともに日常的に各種スポーツ活動をしています。
今年の11月、長野県で開催のフロアホッケー・フロアボール
来年2月、北海道名寄市開催のアルペンスキー・スノーシューイング
に選手団を派遣する費用のご支援をお願いしています。
そのひとつ「スマイルバッグ」を買っていただき協賛していただく企画です。身近な人にもご案内いただきお力添えをお願い申し上げます。
特定非営利活動法人スペシャルオリンピックス日本・山口 

理事長 松村久 会長 林 裕子

お問い合わせ お申込みは
足立進 倉本喜博 清水千代美
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私をブログが育ててくれる

もしも「ブログ」が私の毎日の生活になかったら。


前の仕事から農園の仕事。約30年ちかく日記が続いている。日記を公開している理由は、それをしなかったら続いていない。


日記を続けるなかでカメラを持つことが約6年かけて習慣になった。その写真は農園に戻ったらWiFiでスマホに取り込む。その画像を日記と掲示板。Facebookにも使っている。


ブログ「あだち美術館」を更新するために多くの人と交流をもち、写真を届けてもらうためにLineも゙はじめた。そのLineは「家族Line」などグループで活用できるようになった。


「ブログ」を続けてきたおかげでスマホやカメラが初歩的にしろ使いこなしている。


毎日、配達で走りまわり多くの人と交流できる。農園に戻り「ブログ」にむきあう。その仕事とブログ、両輪の毎日で私の人生は続いている。

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秋吉台と於福温泉を楽しんだ

農園の夜は、窓を占めて掛け布団。それでも涼しすぎて目がさめることがある。愛犬は部屋の入り口に敷いたマットでまんまるになって寝る。


日曜日。早朝の朝露をみかたにつけて焼却ゴミに火をつけてから始まった。

部屋の掃除とトイレ掃除。愛犬の長距離散歩。それらを済ませて「さっぽろ一番味噌ラーメン」モヤシ大盛りに生卵。生野菜と納豆。

食器と台所を洗い。布団を屋根に干し終わったら8時。


秋吉台に向かった。

家族旅行村スタート。龍護峰からお鉢山を経由し私の大好きな風景ルートを2時間楽しんだ。

ススキの穂がかわいた風になびき、すっかりここは「秋よし台」。


於福温泉も立ち寄りリフレッシュの日曜日になった。

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日記初めてスマホで入力

土曜日は萩市から長門市経由で美祢市。

美祢市の西八幡宮は秋祭りの準備完了のようすだった。


午後から菊川画廊。重枝さん、徳重さんと絵手紙の村上さんとお友達と私。作品解説でしっかり学べた。


朴の森まで戻り先週手に入れたスマホにタブレットアプリなど移行する面倒な作業を重枝さんにお願いした。

「ブログ」「Line」「Facebook」の移動は完璧に終わった。

しばらく使い慣れていない操作でレスポンスが遅くなります。

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太鼓判は「健康体」だった

右はしの島は秋穂の姫島
右はしの島は秋穂の姫島

10数年ぶり、かかりつけ医で「撮りなさい」と言われてレントゲン。その結果は肺に影があるので国立機構・山口宇部医療センターに紹介状を書いてもらい受診したのは1ヶ月前。

外国製で最高のCTと能書きがあるその検査室で撮影。血液は大量採血であらゆる角度から、血液からとることができる病状のすべてが診断された。

その結果は「良」となったが、若い男性ドクターは「もう一度、1ヶ月後にCTで診させてください。変化なければ、あなたのフォローを止めます」と、私の体調に真摯向き合ってくれている姿勢に「お願いします」と再検査を受けることにした。


ドクターの懸念は「がん」ではなく「結核」だった。ところが、月曜日から体調がどん底に落ちて咳が出る。


ドクターは「季節の変わり目で軽い風邪の人は多くなっています」と私の咳は無視して、CT画像を1ヶ月前と入念に見比べていた。

その結果は、肺は間違いなく異常は見当たらない。けれどもインシュリンをコントロールする極小さい臓器が少し大きいことが気になる。半年先の3月15日金曜日にそこを検査しましょうになった。

予約は発効されたが、3月になったら「その日は不都合」という電話をして検査は終わりにする。

身体を、最新の医療検査装置で調べたら、私の年齢ではどこかに問題点はあると思っている。


悪いところを徹底的にさがして「やっぱり」と安堵するよりも毎日を元気に働きながら、それが世の中のお役にたっている幸せを感じて残りの人生(命)を歩もうと思った。


写真は、私の人生に大きな影響を与えてもらった磯村千代子先生のふるさと東岐波海岸。このそばに病院はある。


宇部掃除に学ぶ会を初めようにも受け入れてくれる学校がない。磯村先生に言うと「今から行こう」と東岐波小学校の校長室。阿知須小学校をふりだしに障害児の教育で教員生活を最後まで全うされ。、地域の民話を古老に聴いて歩き、地域の戦争未亡人の全部に何度も足を運んで女性からの視点で戦争を反対し続けた強者。


周防灘の干潮を眺めながら「あだち君、歴史は天皇の歴史と庶民の歴史がある。何を食べていたか、何を履いていたか。そこに、私は歴史をみている」と。

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気力と体力は働きながら回復している

夜中、ひとり寝の部屋の隅で家内が寝ていた「きょうは何曜日だったか」と考えた。

月曜日にどん底まで落ちた気力と体力がぼつぼつ盛り返している実感はあるが「さぁ秋吉台を歩こう」と誘われても今はその気力がない。


5時半までに焼却ゴミと犬の世話など済ませて下関に向けてスタートできた。国道2号線に合流するまでの山あいの道路に大きなシカが道路で群れていた。衝突したらきょうの仕事はできない。ハザードを点灯して群れが山に移動するまで待った。


赤間神宮パーキングに車をとめて唐戸魚市場は木曜日の潮風ウォーキング。短い距離でどれだけ筋力を使うか。とにかく早足。それができた。


市内の住宅街配達は車が入らない坂道や石段がある。それもハイペースでやれた。


さらに、体力と気力が下降線の金曜日「あだち美術館」の更新を放置したままだった。明日の金曜日は肺の精密検査など予定がたて込んでいる。湯田温泉「温泉の森」でゆっくり更新はできない。

「よし!」と腹をくくって配達中コンビニに入りコーヒーを買ってコンビニwifeを使い、集中して「あだち美術館」更新をやることにした。約40分でできた。我ながらこの集中力に「やれた!」と。その40分は美祢市までで縫い上げた。


体力も気力ももちなおしてきている実感。


きのうスマホを受け取った美祢市のdocomo店に解決したいことがあり立ち寄った。店員さんは男性と女性2名の3人。順番待ちは店内のイスが満席状態だったので店から出た。


過疎で高齢化の美祢市でスマホを販売しているようすを何度か眺めた。高齢のかたは操作がわからないから集まる。教える店員さんは「ストレージが」などスマホの専門用語で言うからそれがわからない。結局「どうしたいのですか」と質問のことをスマホ設定を店員さんがやってしまい。お客は基本的なことがわからないので、疑問があるとその都度docomo店で解決しようとする。


「あだち美術館」更新は終わっていますが、ご本人様に「これでよい」という確認はまだとれていません。


雨があがり、空が秋になった。

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体力徐々にもちなおし

土曜日(16日)の午後と日曜日(17日)早朝から昼まで農園と隣接の耕作放棄地の草刈りをたくさんの水を飲んで、大量の汗をかいてやりおえた。1951年生まれの高齢者にしては若者に勝るとも劣らない体力だと自画自賛して日曜日の夕方はビールにワインに芋焼酎でダウンした。


月曜日の朝、のどが痛いし声が出にくい、おまけに微熱があり咳も出る。見送ってくれる家内は心配したが5時に農園スタート。だんだん体調の変化が自覚できるまでになった。

その一番は覇気(気力)がない。信号待ちで前の車が動いたらついて動く。明日の予定が思い浮かべない。


その原因は朝食を少なめに食べたことが原因と判断して10時に弁当を食べた。けれども倦怠感と発熱は自覚できるほどになった。咳とタンが症状にあったので「これがコロナか」と思った。


3時すぎに農園に戻り家内に「えらい(山口県では・つらい・疲れた)」と言ったら「アリナミン」を3錠「飲め」と。5時前に蕎麦の夕食を頼んだ。布団は自分で敷いた。おそらく5時前には寝ていた。

家内が自宅に戻るとき枕元に「熱冷シート」と「咳どめ」とベープ香取線香をつけていたのを見たのは午前4時。


なぜこれだけ体力が落ちたのかわからない。ブログの日記も何もかも更新(書いていた)せず終わっていた。


どうしても日記に残しておきたい月曜日の日記と写真を載せます。


🔶萩八景遊覧船の名物船頭は梅津さん、ハーモニカ奏者のおじさん。いつも元気いっぱいの水岡五十五朗さん(お名前読み方わからない)水岡さん奥さまは笠山付近の食堂で接客抜群で働いている。


きのう、家内が金光教太秦教会参拝で撮った一枚をFacebookに投稿した。すぐに水岡さんから「叔父は小串の金光教です。ご縁ですね」とコメントが届いた。

20代のころ金光教から取材依頼がたまにあり小串の金光教に取材で足を運んだ。記憶では南八幡教会で修行をされこの地にお道開きをする情熱に燃えておられた。取材を済ませて以後、何度も小串に参拝して水岡時勇師からご教導をいただいた。


約50年の歳月がながれたが当日のことを断片的に思い出した。


取材の思い出は屋久島教会に開拓布教に出た岩川信雄師(京都ご出身)。私の取材ポイントは「人より多いサルとシカの屋久島に、先生のような情熱をもった人が開拓布教の意味がわからん。人口の多い都会で布教される道はなかったのですか」と。


この屋久島で鳴らな太鼓は、都会でも鳴りません。きっぱり言われた。私の記事見出しは「響け屋久島信心太鼓」になった。


今朝、4時前に、階段踊り場で寝ている「ゆきちゃん」が大きく2度吠えた。4時、リード解いて「行け」と言うと階段の真ん中付近で足をとめて壁を見上げた。そこには大きなムカデがうごめいていた。

「ゆきちゃん」のおかげで数年前から部屋にムカデが入らない。


数日前からの咳が治らない。

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日記滞っていました

やっと体調が戻りました。20日(水曜日)3時半。

日記と掲示板にホーム画面は毎日更新していたつもりでしたが滞っていました。ご心配おかけしました。

きのう届いた淳貴君とお母さんコラボ作品です。

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今年の草刈り千秋楽で汗をかいた

3時起床。喉に痛みを感じる咳がでる。熱はない、


昨夜は至近距離の落雷で「ゆきちゃん」震えまくった。添い寝してやろうと横になったら馬乗りで大騒ぎ。部屋が明るくなる稲光と大音量。ウクライナに落ちるミサイルはもっと凄いのだろうと思った。


今週の金曜日は、山陽荘(国立病院機構 山口宇部医療センター)昔は肺病専門病院だった。2度目の精密検査を受診する。担当医が気にしている肺のカゲ。前回はなかった咳が出る。出るものは仕方がない。


日曜日は健康度外視でインスタントラーメン。モヤシとウィンナーに卵をのせてゴマ塩ラーメン!納豆とバナナに野菜炒め。草刈りに出かける腹ごしらえはできた。


6時までに部屋の掃除に犬の世話を済ませた。


愛用の草刈機2台を使って草刈り。きのう午後からやった面積ときょうの午前中の面積でおおかた今年の草刈り千秋楽。

高圧洗浄で使った2台を洗おうと思ったら、エンジン動力噴霧器のエンジンがかからない。地面を掘るぐらいの水圧で完璧に掃除をしたいがエンジンが回らない。

正志(長男・農園社長)がやってもエンジンがまわらない。連休あけに農協に修理に出すという結論になった。汚れた草刈機を定位置に戻してシャワー。着替えて今朝の録画番組を観ていた。


美智子妃殿下のがんを執刀した名医と、ドイツ人の禅僧との対談。

名医の奥さまはがんで他界した。強い酒で悲しみをまぎらわす毎日。どれだけの涙をながしたか。100日の供養があると聞いてそれをした。


禅僧

100日は悲しみで慟哭したほうがよい。強がらすに悲しみのどん底を叩いたほうがよい。そこから立ち上がれる。「傾聴」悲しみのどん底の人には励ましはいらない。しっかり心のうちを聴くことだけ。それでよい。


突然、階下から動力噴霧器のエンジン音が響いた。藤本君がプラグ清掃をして復活できた。


きれいに掃除を終えることができた。


家内は4時半ぐらいの京都発で発つと照美さんからLINEが届いた。


喉の痛みはやわらいだが咳がでる。

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早朝からしっかり働いた土曜日

タブレット電源ONとOFFスイッチが壊れて爪楊枝で操作して使っている。

お昼に美祢市docomo店でスマホの契約だけ済ませた。水曜日に持ち帰りぼつぼつ設定をして使えるようにする。タブレットはSIMカードはdocomoに返却するが本体の支払いは終わっているので手元に残る。私のポケットWi-Fi(20GB)で問題なく使える。

「あだち美術館」は来週の金曜日更新予定。


18日(月曜日)が金光教太秦教会秋の霊祭。母が霊殿に祀られている。今回は家内が参拝。参拝と長女の照美さん家族と会うことも目的。

家内の実家は兵庫県たつの市。家は素麺「揖保の糸」を昔は手づくりしていた。3人姉妹が嫁に出て家は処分したがお墓はある。

きのう、金曜日の仕事を済ませて家内の姉(ご主人亡くなり独り暮らし)が相生。おそらく夜10時ぐらいに着いたであろう。

今朝、相生駅レンタカーを家内が運転してお姉さんとお墓参り。しげった雑草の草刈。


🔶いま家内からLINE「相生発5時のひかりで、京都に向かいます。午前中びっしり墓掃除で、お彼岸前にできてよかったです」


NHKテレビ番組「最後の講義」は全部録画して、著名な人に、人生最後の講義をするとしたらという設定で東京大学で催されている番組から学んでいる。


昨夜、録画を再生した講義は、映画作家の大林宣彦さん。肺がんで余命宣告されてなお作品制作に向き合っておられる。


今朝、私の頭がスッキリしたとき録画を10分みた。講義の内容がすばらしいから漫然とみてはもったいないないから10分で止めた。


肺のがんは私を蝕んでいる。けれども、それで私の命が終わったとき「がん」の命も終わる。この地球を蝕んでいる「がん」は私たち人間ということがわかった。


土曜日の配達から戻り家内留守でスーパーマーケットの弁当を食べて草刈り2時間。しっかり寝て朝から草刈りに汗をかこう。


朝7時、長門市野波瀬港から出ていく船を撮った。

爪楊枝でタブレットを使うことになった

SmileBagデザインと案内状までの峠はこえた。


午前中、春樹君作品をデザイナーさんに届けた。SmileBagにコラージュする3点は揃っている。この春樹君作品を撮影。案内状は倉本さん(梅寿軒)が短時間で完成してくれた。


もうひとつの峠は販売。ざっくりで1000SmileBagのご協力をいただければ50万円が遠征費用になる。案内状は早くできあがる予定。SmileBagは来月の中ごろに完成予定。


きのう農園に戻りブログとFacebookの更新。日中に届いたLINEやmessengerの返信をやろうとタブレットのスイッチ(右側面の突起)を指でさがしたが無い。スイッチの突起が破損して画面が開けない緊急事態になっていた。


とにかく急場をしのぐ方法は、爪楊枝で壊れた奥の接点を正確に押したら起動することがわかった。


夜中にタブレットを考えていたら「タブレット」「修理」「山口市」で検索を思いついた。それを検索したら「スマホ修理王」という店がヒットした。やっと安心して眠れた。


結論は、docomo店で買った私のタブレットはdocomoでしか修理はできない。届いた店に行った。故障の保険に入っているので3000円で修理できます。2週間お預りしますの冷たい対応にがく然とした。保険適用で1万円で中古タブレットをご用意します。ただし機種は選べません。

結局、新しいタブレットでよい機種がありますよと、そこに導かれる保険適用だった。顧客が困り果て、足元をみたように新機種を安くするという業態に疑問と憤り。笑顔の店員にそれを言うても始まらない。


タブレットはしばらく爪楊枝で使う。スマホは買う。ブログとLINEさえ使えたらよい。いまのタブレットは32GBしかないので画像など削除しながら使ってきた。その倍ぐらいあればわたしは大丈夫。


明日の土曜日、配達を済ませてdocomo店に予約をした。

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スペシャルオリンピックス山口 遠征費のSmileBag

萩八景遊覧船が「夕陽を楽しもう」の企画を7月~8月末まで催した。7月30日(日曜日)に仲間たち10名が6時半ごろ出船の名物船頭、梅津さんの船を指名して「冥土の土産に」と手を挙げた。


5時すぎ、予約した「あじろ」で松村夫妻と重枝さん、私夫婦で地魚の刺身や天麩羅でワイワイ。松村御大はビール、私はハイボール。運転の重枝さんたちはノンアルコールビール。


松村御大の頭のなかは日本海に沈む夕陽とスペシャルオリンピックス山口のアスリートを秋から冬にかけて長野と北海道に遠征させる交通費の捻出だった。


その全額を担えるとは思わなかったがSmileBagを作りませんか。スペシャルオリンピックス山口のアスリート作品を使ってと提案した。ビールもハイボールもおかわりしながら、テンポよく会話がはずみ「それを企画してくれ」となった。


そのSmileBagデザインが決まった。案内状も完成した。あすSmileBagを発注できることになった。


ここまでにたずさわってくれた仲間たちと一同に会したことはない。LINE・messenger・Gmailそれぞれが使っている通信手段を交通整理させていただく役割を私がやった。


とてもテンポよく計画を運ぶことができた。そのキーマンは松村御大。大きなテーブルに議題としてあげたら紆余曲折で時間がかかる。少ない人数で手際よくすすめることを決断された。唐戸の喫茶店で何人か集まりポイントだけを決めてデザインと案内状が完成した。あすデザイナーさんと打ち合わせて印刷発注。

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ゆきちゃんハッピーはおらんから

今朝5時前、食べて出して散歩もしっかり済ませたので昼間の定位置に繋いで配達に出ようとしたら吠える。というより鳴く(泣く)ような声をあげてやめない。まだ真っ暗な時間。


作業場に連れ戻したら落ち着いた。


ゆきちゃん、4年前の3月13日に兄妹3匹が段ボール箱に詰められて下関黒井の山中に捨てられていた。幸い、猪猟で山に入った人に発見された。

ゆきちゃんにとっての親は、その絶命寸前の子犬の命を助けるため高校を休んで犬に与えるミルクをさがしてくれた女の子。そのバトンを受けて毎日哺乳瓶で育ててくれたばあちゃん。


4月28日に「ゆきちゃん」を引き受けに行った。他の2匹は飼い主のもとに引き取られていた。

黒井から農園まで約2時間、2kgぐらいの子犬は車に揺られて不安だった。


農園に着いた。

子犬はハッピーを見つけて大喜び。ハッピーは、はじめ迷惑そうだったが7匹の子供を育てた記憶がよみがえった。ゆきちゃんをわが子のように接してくれた。


親を知らないゆきちゃんは親にめぐりあえたようにハッピーに甘えて大きくなった。

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歳を重ねて見えるものがある

毎週10個お届けのお客さま。3ヶ月分の代金が滞納になっている。1週間前のお届けに添えてお支払を促す一筆を添えたが集金封筒が見あたらない。


ご高齢女性ひとり暮らし。


お支払催促電話をした。私とのルールでは、昼間は留守なので郵便受けに現金を入れた封筒を置いておくことで長年やってきた。

ところが、郵便受けでは心配なので牛乳箱に入れていた「なんで集金せんのかと思っていた」というぐあい「気がつかずに、すみませんでした」と詫びて一件落着。


先ほど、山口市内の配達から戻り蚊取り線香に火をつけた。それを段ボール箱の上において、それを忘れて他のことをしていた。


ニュースタイル美容室の糸賀会長と火曜日の朝は20数年会話を交わしている。数年前から聴覚が衰えてきたので、なかなか会話のベルトがまわらない。

月曜日から水曜日まで、社員さんは九州・東京・日帰りの3グループに別れて社員旅行。会長は透析があり留守番役会長。


母上、大先生(絹子さん)は99歳で健康。関東大震災の翌日が誕生日。高齢話に花がさいた。


歳を重ねて失敗はたくさんあるが、歳を重ねたから見えることもたくさんある。


農園近くで稲の刈り取りがはじまった。

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昨夜のワインの味はわかった

お酒はなんでもおいしく飲める。数年前からほどほどでグラスをおくことがやっとわかった。そうすると朝をスッキリむかえることができる。


昨夜は家内が泊まり大きなハンバーグとパスタを食卓にのせた。ならばと頂戴して保存していた赤ワインを開封した。そのコルクを真上から記念に撮った。いつも飲みのチリワイン(大きな箱で1500円)とは雲泥の差。上品なブドウの味が楽しめた。

酒はとくにランクをあげたら普通飲みで安物にさげにくい。それを言わせるほどうまかった。


プチラボベーカリー、今朝8時前のお届け。笑顔の加奈ちゃんが「おいちゃん、署名して」とJR美祢線存続を要望する署名用紙だった。

もともと赤字ローカル鉄道で存続が危ぶまれていたところに豪雨災害で鉄路はズタズタになっている。莫大な復旧工事をして赤字ローカル鉄道を存続させたい加奈ちゃんの気持ちを聞いた。


災害からバスが鉄道の運行を担っている。鉄路を走れば長門市や厚狭方面からのディーゼル車は美祢駅で乗降するふたつの高校の生徒の足として欠くことができない通学インフラだった。

バスがそれを担えるか?加奈ちゃんは「否」理由は運行にかかる時間。


農園に通っている「みゆきちゃん」もバス。直線距離なら20分ぐらいでもバス運行計画で過疎地域の要所をめぐり片道60分ぐらいのバス旅を毎日している。


美祢線が来春までに復旧できなかったら高校に通いたいという生徒は激減する。笑顔の加奈ちゃん真顔になっていた。


魅力あるローカル鉄道美祢線を市民と行政がどう描けるかが問われている。

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草刈り3時間 昼寝2時間 缶ビール4本

今朝は草刈りやる気で4時起床。

日曜日だけは大好きなインスタントラーメンをつくる「サッポロ一番塩ラーメン」。

きのう買ったモヤシの袋半分とウィンナー3本をゆがく。麺は別鍋で煮る。汁のお湯はどんぶり計量でポットで沸かす。

コップ一杯の豆乳を飲みながらラーメンをつくる。モヤシとウィンナーは湯をきっておく。どんぶりにお湯をそそいだら麺とスープを入れて、生卵も登場。モヤシとウィンナーをのせたら出来上がり。

胡麻油を少し加え、きざんだネギものせて、唐辛子も仲間入り。食後はバナナを少しで満腹。


川土手の斜面でない場所が今朝のミッション。始める前に橋の両側にはえている草を一本残らず刈った。きれいなったら両岸から橋に向かって伸びているツルや草に木々、笹などが気になり作業場に剪定ハサミを取りに行った。目障りがなくなりスッキリした。ところが橋に残っている泥と刈った草などが気になりはじめた。作業場にホウキを取り行き橋の掃き掃除になった。

毎日見慣れている橋が輝いて見えた。


3時間以上、ショルダー草刈りで川土手を刈った。草刈機を洗って、汗の作業着を外にかけてパンツで部屋に戻りシャワーでさっぱり。

缶ビール飲みながら「シンドラーのリスト」をみた。


昼に家内が到着。昼飯に缶ビール2本で2時間昼寝。この日記を書きながらもう1本プシュッ!

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よう働いた土曜日

農園の夜は涼しい。

昨夜は、窓を閉めて掛布団にもぐってちょうどよかった。しっかり眠れて3時起床。5時に萩市に出るまでは愛犬の世話、私の朝食、配達の準備、部屋と台所掃除と忙しい。そのなかで、私の仲間たちと計画していることについてメールの返信と送信。ブログのホーム画面更新。山奥生活でもWi-Fiで不自由はない。


スペシャルオリンピックス山口のアスリートにボランティアが北海道遠征する費用の捻出に東奔西走の松村理事のお手伝いで立ち上げたSmileBag(バックを1000円で買ってもらったら約半額が遠征費用に充てられる)そのお手伝い。その連絡を早朝から交わしながらSmileBagはカタチになってきた。SNSの便利さを実感!


お昼前に農園に戻った。自宅からきた家内が牛丼をつくるとき、缶ビールをあけて「ツマミはあるか」で登場した淳貴君が働いている奥野商店の商品。


午後から3時間しっかり汗をながした。

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スペシャルオリンピックス山口のSmileBag

愛犬「ゆきちゃん」の世話を済ませ、焼却ゴミに火をつけて「7時に頼む、できたらソーメン」と朝食を家内に頼んで6時前から草刈りをはじめた。


涼しいとはいえしっかり汗をかいた。シャワーでさっぱりしてソーメン・野菜たっぷり・納豆・昨夜の余りイワシ・バナナが朝食。


BS「らんまん」をみてから家内の軽四で農園スタート。スペシャルオリンピックス山口のアスリートやボランティアが年末に北海道遠征する費用を捻出する目的でSmileBagをつくることになった。


アスリー4名の作品をコラージュしてバックのデザインにする。その作品をデザイナーさんに届けて金曜日の早朝に行きますからと伝えていた。そのデザインを受け取り、今回は4気筒エンジン(松村・倉本・清水・私)で走る。  


スペシャル山口県というテーブルにあげたら4点デザインが決まるまでに時間がかかりすぎる。ある程度は独走(暴走)させないと結果が出ない。その責任は松村さんに委ねたと暗黙の了解。原案の4点は「掲示板」末尾に載せています。


デザイナーさんと打ち合わせを済ませて湯田温泉「温泉の森」10時開館にまにあった。私には「癖(へき)」がある。そのひとつは「温泉の森」サウナのなかにある三段。そのど真ん中の上段に、誰の汗もないところに陣取ることがそれである。その場所は高温でテレビも正面に見えるから15分、しっかり汗を出す私のV.I.P.席。


あとはジャグジー湯で腰や足の裏などを刺激して快感のきわみ。


11時から2階の休憩室がオープン。館内Wi-Fiに接続できる。ここでも、わたしが使うリクライニングシートは窓際と決めている(癖)。


「あだち美術館」更新とSmileBagについて4気筒エンジンとデザイナーさんに細かいことをメールした。そのあと夢の中。


2時前に温泉を出て山口トヨタで予約していたオイル交換(3000円)を済ませて農園に戻った。農園でロング缶を複数転がして充実の金曜日が終わった。


農園に戻ると、17年いつもの場所で私を待っていたハッピー。いつもの場所に寝ていない、それにまだ慣れていない。

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木曜日、元気に働きました

「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」を録画再生で昨夜は楽しんだ。今回は島根県江津市から広島県三次市までの三江線が舞台。来年の3月に廃線が決まっている赤字ローカル鉄道。


中国地方一の大河「江の川」に沿って鉄路はある。昭和47年に豪雨があり大河は大暴れして沿線は甚大な被害被った。当時の記憶(私21歳)は、隠岐島で漁の網に財布だったか引っ掛かり、中には印鑑もあった。調べたら江の川流域から日本海に流れ出たモノだった。


今は市町村合併で三次市になっている、三江線沿いの羽須美村役場に通っていた。通っていたころは温暖化ではなく国道54号線(広島市~松江市)の県境、赤名峠は冬場は積雪と凍結で交通の難所だった。

ある時、豪雪のなか電話ボックスがあったので車をとめて電話しているとき除雪車が通過した。除雪の雪で私の車は雪の壁から出られなくなった。


羽須美村役場には南極観測隊が使うような雪上車があった。郵便配達のオートバイは前後のタイヤにチェーンが巻いいた。営業に行ったときの積雪1m80cmは覚えている。


過疎の村。けれども人情があつくお世話になった思い出がたくさんある。


「♥️三原モーテル」という回転ベッドが羽須美村近くで定宿だった。管理人さんと顔なじみになり、回転ベッドのそばで酒盛りをしていた。酒もツマミも管理人さん持ち込み。ある夜の酒はマムシが漬かっていた。


5時に農園スタート。木曜日の下関がはじまった。唐戸魚市場で大阪湾のイワシ(私の一押し)がひと山500円。大きなエイをさばいているおばちゃんがひと山500円!と私に声をかけた。エイはアンモニア臭が気になったことがあり「臭かろう」と言うと「鮮度がおちたら臭うが、これは大丈夫」と。煮付け、湯引きで酢味噌、味噌汁でも揚げてもええと言い始めたら買わずに立ち去れない。


昔、家内と格安北海道ツアーに行ったとき小樽で寿司屋に入った「かすべの煮こごり」というメニューがありゼラチンの魚を食べた。それが「エイ」とあとからわかった。


今夜はエイの煮付け・イワシの刺身と揚げ物に家内が挑戦する。


3時、農園ゴールイン。いつもの場所にハッピーの姿がなかった。

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朝の長府でなが話しになった

早朝の長府。

生まれつき足が不自由な犬を引き受け、専用の散歩カートでかなり広範囲を歩いておられる。何度か撮影させてもらいFacebookに投稿したことがある顔なじみ。

今朝お声かけして驚いた。病名はわからないが眼球のまわりになどにうっ血して紫色になっていた。15才をむかえたが食べてくれない。骨に皮がくっついている姿が痛々しい。腎臓疾患もあると言われた。


配達が遅くなってもよいと思って話し込んだ。


数日前に息をとめたハッピーは、だんだんと食が細くなり約4日、水だけで命のともし火を自ら消す支度をした。残った体力を呼吸で使い果たし眠るように終わった。


奇跡を信じて手を尽くしておられる方には酷な話しをしたかもわからない。別れるとき少し遠くからシャッターを押した私に深々と頭をさげられた。


藤中さんと話し込んだ。最近、半藤一利さん文藝春秋の記事を読んで(日本は自衛の戦力をもつべき・戦力より外交)という両極の論者の3回対談に学ぶことが多かったと私が口火をきった。


藤中さん真顔で聞いてくれたあと、私が学べると言った「週刊文春や文藝春秋」について。出版社は販売した書籍の売上と広告収入で経営がなりたつ。ということは広告スポンサーにとって不利益なことを紙面に載せることはできない。

で、広告スポンサーを必要としない受信料で経営がなりたつNHKは、ときの政権が擁護しているので政権に批判的な報道はできない(原発の処理水放出も辺野古も)。


そのあたりが得心ができた。

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ゆきちゃんの元気いまひとつ

「ゆきちゃん(4才)」ハッピーの姿がない。そのせいか元気がない。


農園生活20数年「はなちゃん」「太郎」「健太」「ハッピー」と暮らした。15年以上経って命を終えた「はなちゃん」は農園生活の前からだったので長寿を全うした。


獣医師が犬の寿命について話してくれた。

犬の祖先と言われるオオカミは群れ社会で生活している。農園は多頭飼育で群れにちかい、それが長寿に関係していと思う。

仲間というより母親ぐらいに思っていた「ハッピー」を失った「ゆきちゃん」の表情。


疲れて9時前には寝ていた。2時に目がさめたので録画のテレビ番組をみた。


半藤一利さんが文藝春秋編集長時代に「戦争」について3回連載された内容に「そうだったか」と合点した。

西洋の国々は戦争の歴史を繰り返し「敗戦国」がどう処遇されるかを歴史に学んでいた。

日本は、明治から敗戦を経験していない。大平洋戦争で勝算のない戦いに終止符を打てなかったのは「敗戦国」になれば天皇制という国体がなくなるという一部の陸軍将校の間違った愛国心で「一億総玉砕」というシナリオが描かれた。


人生で誰もが失敗をする。それは失敗を糧として生きていく力にすることだと得心できた。


「クラシックTV」もみた。世界的、本番スペインのフラメンコギター奏者が登場で圧巻の演奏だった。


4時にテレビをとめて火曜日がはじまった。

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残暑といえるか気温37度

秋吉台や菊川画廊などご一緒した方は絵手紙教室に通っておられます。LINEで届いた「ムクゲ」をみなさんにご披露させていただきます。


小学生の夏の日。道路工事のおじさんがタオルで顔の汗を拭いながら「おい!」と私を呼び止めた「そこの家で時間を聞いてくれんか」腕時計が普及していなかったのかもわからない。言われたとおりにその家の戸を開けて入ったら放されていた大きな番犬に押し倒された。土方のおじさんが気がついて犬を蹴りあげて離してくれた。一瞬の出来事だった。右の腹をかまれた傷跡が今でも小さく白く残っている。


犬は苦手になった私が犬をむかえることになった。前の仕事のとき、防府市の犬好き社員さんが子犬(♀)を「家族にくわえてください」で引き受けた。次女の真砂恵さん(当時、高校生)が「はなちゃん」と命名。

自宅の物置小屋が初日になった。夜、親から引き離されて泣く。かわいそうで同情して側に座っていたら家内が甘やかさないほうがよいと水を入れ私は布団に入った。その夜、家内は物置小屋で犬と寝た。


噛みつかれたこわい犬の思い出から、犬と生活する楽しさを「はなちゃん」が教えてくれた。


20数年前、農園をはじめたとき「はなちゃん」はリードなしで農園生活をはじめた。その放し飼いで野生動物の糞?などから病気が感染した。


その治療は1年で40万円ほどになって、投薬の副作用で内臓数値が極端に悪くなり楽に逝くことができなかった。腹水で腹がふくれたときは生肉を与えたら大量の小便で腹が元に戻った。肝臓や腎臓の働きに効き目があった。命の灯を消そうとしている身体に栄養を与えた結果、暴れて命が消えた。


あのときの教訓から「自然にまかせる」なにも手を出さない、成り行きにまかせることが楽に逝くことができる道だとわかった。


母(96歳)の末期、医師が延命の選択肢を示したが断った。母と私だけなので、兄妹がおればその場で意見がわかれることがあるらしい。できるだけの医療を施して悔いがないようにという意見が出る。それは終わりにむかう人にとってはどうなのか。


日中の山陽小野田市は37度。農園に戻ったら33度。

いま夕暮れの6時すぎ、網戸からはいる風で快適。

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ヒバリが元気だせよと秋吉台

ペットを亡くして気分が落ち込むことを「ペットロス症候群」という新語でまとめる。私と生活をともにした愛犬たちは「ペット」ではなく「家族」だった。


日曜日の朝を3時前にむかえた。涼しい6時前から2時間ぐらい草刈りをやることが当たり前の生活。けれども草刈機を担いで雑草の海に立ち向かう気力がない。


「日本のいちばん長い日」をときの文藝春秋から出した半藤一利さんの草稿原稿が見つかり、その草稿から戦争を終わらせるに至る日本(陸・海軍部・宮内庁・政治家)の苦悩が時系列にわかる。つまり天皇を国の柱とした日本国体が無条件降伏で連合国に受け入れられるか否か。西洋諸国が力で築いた植民地のように日本が隷属する立場になるなら、一億総玉砕で一撃をあたえ有利な条件で降伏するという陸軍。それに対して、これ以上の犠牲を払わずに無条件降伏という御前会議で陛下のお言葉。


つまり、戦争終結が延々と長引き犠牲が多くなる理由のひとつは、降伏をうながす敵が信用できない、そこにあると半藤一利さん草稿のなかに読み取れた。その番組録画を見終えたら5時。


食欲がないので部屋の掃除を済ませて、愛犬ゆきちゃんと長距離散歩。


草刈りをはじめるか、クーラーつけてごろごろするか迷いながら食べることにした。チーンすればよいチーズなどを盛り合わせたパンを家内が冷蔵庫にラップ。きざんでくれたタッパ山盛りの野菜。きざみ納豆と豆乳でしっかり食べた。


よし!秋吉台を歩こうと決めた。


長者が森パーキングから90分。地獄台から歩きまわった。石灰岩にとまったヒバリが「元気だせよ」と励ましてくれた。


湯田温泉「温泉の森」に4時間も滞在して、サウナにジャグジー湯。休憩室で昼寝。「あだち美術館」更新などできた。

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ハッピー物語

 「ハッピー物語」


17年前の11月ハッピーをひきうけた。

当時配達していた防府市の小野ペットクリニック玄関わきのケージに薄汚れた犬が座っていた。聞いたら保護犬(メス)で保護した人たちが飼い主をさがすため避妊手術費用をつのって手術に連れてきた。手術が終わり迎えを待っている。

ところが、手術にあわせ検査した結果、強陽性の「フィラリア」に感染していることがわかった。保護したとき授乳中の子犬7頭がおり、保護した人たちはその子犬たちの里親さがもしていることがわかった。

子犬を引き受けてくれる私の関係者があるかもわからないと思い保護した人たちのひとりに会いに行った。


保護された場所は、自衛隊防府北基地そばの住宅。住人はほとんどがご高齢。子犬を引き受けられない事情がわかった。


保護された経緯がわかった。住宅近くのコンビニ裏に広い空き地があり雑草が生い茂っている。梅雨、豪雨で空き地そばの川が増水して溢れだした。

その豪雨のなか、空き地に一番近い三原さんの軒下に野良犬が子犬を咥えて運んできた。7頭。

さいわい三原さんは室内犬を飼っている愛犬家。軒下から追い出すことはせず子犬の成長を見守った。母犬は栄養不足で痩せていたが授乳を続けた。昼間の授乳は、人が来たらすぐ逃げられるよう立って授乳することもあった。


子犬が成長するにつれ、今後どうするかを地域の友だちと話し合う毎日が続き、結論は親犬は捕獲し、その後子犬の里親さがしをする。親はみなさんで避妊手術費用を捻出する。


親の捕獲作戦は、三原さんの庭にある物置小屋までソーセージを置いて中に入ったとき戸をしめて捕まえる。


物置小屋に作戦どおり入り戸をしめた。自宅でチェリーという犬を飼っている柳さんの奥さんが勇気をふるって小屋に入り抱きしめた。意外なことに無抵抗だった。


かわいい子犬たちはそれぞれに里親が見つかり、一番遠くは大島郡の人の家に引き取られた。

問題は薄汚れてガリガリに痩せた母犬の里親さがし。その壁になったフィラリア陽性。


その事情を隠さずたまごの配達先で話して里親さがしをはじめた。事情がわかったうえで美祢市の萬代さんが検討してくださったが自身の高齢を理由にお断りされた。

山口市、美容室グループの糸賀社長に「頼む」と頭をさげてお願いしたところ「わかった」と快諾いただいた。その日、手術を終えた母犬を自宅に連れて帰っている柳さんに「里親が見つかりました」と一報を入れた。

ところがその日の夜、糸賀社長から電話があり奥様に話したところ「すべての世話をあなたがやるなら」ということになった。すまんが、この話はなかったことにしてくれ。


数日後、小野ペットクリニックを訪れて質問した。私は3頭の犬を飼っている。もし、フィラリア陽性の犬を引き受けときのリスクと、陽性の犬が発症するリスクを教えてください。


フィラリア発症の犬はたくさん見てきた。腹水で腹が膨らみ苦しんで死ぬ。いま、犬の心臓にたくさんの虫が寄生している。投薬で虫を殺した場合、その虫が血管に詰まり死に至ることが大きくある。心臓手術で虫を摘出する選択肢はあるが、犬の体力に負担が大きい。

フィラリアは5年で寿命をむかえる。寿命をむかえた虫は死んで心臓のなかで溶けて排出される。いま以上に虫を増やさないよう投薬をしっかり施して5年様子をみたらどうか。

他の3頭は、これまでどおりにフィラリア予防の投薬を毎月続けたら感染はない。


紆余曲折を経て11月の末、柳さんの家に家内と引き取りに行った。この犬に関わった地域の人たちが集まっておりびっくりした。

犬の命名は三原さんご主人が担当で「ハッピー」ドッグフードなど結納の品々が集まっていた。さらに家内にはお礼のエプロンと私には新潟の清酒一升瓶。みなさんに見送られて防府市をあとにした。


農園に戻り結納品の数々のなかに茶封筒。なかには4千円があり「野良犬」から宇部市の犬にしてやってくださいと一筆が添えてあった。


農園到着後すぐに猟犬くずれ(猟銃の音が苦手)「健太」が歯をむいてハッピーに挑んだ。これは儀式だと傍観することにした。さんざんハッピーは突き飛ばされ、噛まれたあとの一撃は健太の前足に噛みついた。それで儀式は終った。農園4頭の仲間入り。


小野先生が「知能指数がたかいかもわからない」と話しておられたとおり、どの犬よりも手がかかならいハッピーだった。農園にきたとき野良犬生活に加えて授乳で6kgだった体重は16kgになった。


農園生活、ひとり寝の私は言うことをきくハッピーをいつのまにか夜は室内犬にして枕元で寝かせた。写真はタブレットで撮っているから6年か7年前の室内犬ハッピー。


高齢と残暑で食欲がおちた。そのようすで、この残暑を越えられない予感はあった。


数日前から食べなくなった。食べさせて体力をつけようといろいろ試みたが「もう食べない」と覚悟を決めた視線を感じた。水は飲む。


きのう9月1日、私にとって鉛をのんだような長い一日になった。


下関から戻った私に目をあけて夕方むかえてくれた。今夜が別れとわかった。

作業場に寝かせてその時を待った。8時ごろ吐血した。高齢で寿命をむかえるが吐血するほどの疾患があったのだろう。あえぐような呼吸から静かな呼吸になった。からだをさすりながらワインを一本あけた。

うとうとして1時半、息をとめたハッピーに気がついた。

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悲しくて鉛をのんだような金曜日

小雨のなか定員いっぱいで唐戸~門司に向かっている
小雨のなか定員いっぱいで唐戸~門司に向かっている

11月で農園生活17年をむかえる愛犬(ハッピー)が4日前から食べなくなった。暑さと高齢で命が消えかけている。

何頭も保護犬たちを看取ったので奇跡はないことはわかっている。鉛をのんだような気持ちの金曜日になった。


お世話になっている重枝さんの髪型が変化するのでそれを話題にしたら「先輩が小郡で散髪店をやっている」とワケを話してくれた。

農園をはじめるまでは同級生のアレグラ美容室で毎月パーマをあてていた。農園生活では短髪で安上がりのスポーツ刈り、大衆理容店で洗髪して1800円を2週間サイクルで通っていた。

重枝さんの先輩の店に行こう。スポーツ刈りを卒業してみようと思った。


重枝さんが8時の予約をいれてくれた。なんと約90分もかけてハサミでととのえてもらった。小雨のなか傘をさして車まで見送りしてもらい「この店に決めた」と思った3800円。


長府、下関市内の集金など済ませカモンワーフ喫茶店でスペシャルオリンピックスの会合が1時からあり、同席させてもらった。

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