体力徐々にもちなおし

土曜日(16日)の午後と日曜日(17日)早朝から昼まで農園と隣接の耕作放棄地の草刈りをたくさんの水を飲んで、大量の汗をかいてやりおえた。1951年生まれの高齢者にしては若者に勝るとも劣らない体力だと自画自賛して日曜日の夕方はビールにワインに芋焼酎でダウンした。


月曜日の朝、のどが痛いし声が出にくい、おまけに微熱があり咳も出る。見送ってくれる家内は心配したが5時に農園スタート。だんだん体調の変化が自覚できるまでになった。

その一番は覇気(気力)がない。信号待ちで前の車が動いたらついて動く。明日の予定が思い浮かべない。


その原因は朝食を少なめに食べたことが原因と判断して10時に弁当を食べた。けれども倦怠感と発熱は自覚できるほどになった。咳とタンが症状にあったので「これがコロナか」と思った。


3時すぎに農園に戻り家内に「えらい(山口県では・つらい・疲れた)」と言ったら「アリナミン」を3錠「飲め」と。5時前に蕎麦の夕食を頼んだ。布団は自分で敷いた。おそらく5時前には寝ていた。

家内が自宅に戻るとき枕元に「熱冷シート」と「咳どめ」とベープ香取線香をつけていたのを見たのは午前4時。


なぜこれだけ体力が落ちたのかわからない。ブログの日記も何もかも更新(書いていた)せず終わっていた。


どうしても日記に残しておきたい月曜日の日記と写真を載せます。


🔶萩八景遊覧船の名物船頭は梅津さん、ハーモニカ奏者のおじさん。いつも元気いっぱいの水岡五十五朗さん(お名前読み方わからない)水岡さん奥さまは笠山付近の食堂で接客抜群で働いている。


きのう、家内が金光教太秦教会参拝で撮った一枚をFacebookに投稿した。すぐに水岡さんから「叔父は小串の金光教です。ご縁ですね」とコメントが届いた。

20代のころ金光教から取材依頼がたまにあり小串の金光教に取材で足を運んだ。記憶では南八幡教会で修行をされこの地にお道開きをする情熱に燃えておられた。取材を済ませて以後、何度も小串に参拝して水岡時勇師からご教導をいただいた。


約50年の歳月がながれたが当日のことを断片的に思い出した。


取材の思い出は屋久島教会に開拓布教に出た岩川信雄師(京都ご出身)。私の取材ポイントは「人より多いサルとシカの屋久島に、先生のような情熱をもった人が開拓布教の意味がわからん。人口の多い都会で布教される道はなかったのですか」と。


この屋久島で鳴らな太鼓は、都会でも鳴りません。きっぱり言われた。私の記事見出しは「響け屋久島信心太鼓」になった。


今朝、4時前に、階段踊り場で寝ている「ゆきちゃん」が大きく2度吠えた。4時、リード解いて「行け」と言うと階段の真ん中付近で足をとめて壁を見上げた。そこには大きなムカデがうごめいていた。

「ゆきちゃん」のおかげで数年前から部屋にムカデが入らない。


数日前からの咳が治らない。