昨年、じいちゃんを見送ったばあちゃん。木曜日に6個を届けている。裏口に座って10分ぐらいの話し相手を毎週続けている。15年ぐらいになると思う。
ばあちゃんの名前は「種子」父親が拝み所に命名の祈祷を頼みに行った。五つほど名前を神職が書いたものを神前において神様に選んでもらう祈祷をしたら「種子」の札が動いたそうな。
原田種子は田中に嫁いで田中種子「ええ名前じゃろうが」と。配達の時間、たいがい正座して写経をされている。もう30年ちかく日課となっている。般若心経のあとに「身内の健康とコロナの終息」がきょうの祈りとして書かれていた。
この写経は、私が月曜日に配達をしている厚狭の日蓮宗妙徳寺のお焚きあげに毎年持っていくらしい。
効率がよくない配達をしている私に「その仕事、儲かりますか」と笑いながら声をかけてくれる経営者がたまにおられる。
そのお声かけを「楽しいですか、その仕事」と聞いてもらったほうが即答ができる。
映画「ゴッドファーザー」がBSシネマで放映された。何回も観たが録画している。それを観たというお客さまと映画談義をした。
このシリーズを、お正月に一気に3作1日かけて観たことがある。わたしなりの感想「世の中の悪は3つ、政治家・マフィア・宗教家」これらの、歯車が噛み合ったシナリオが作品になっている。明日、一気に3時間観たい。
今朝の唐戸魚市場。石川県の特大イワシ6匹をはかってもらった。有明海のアサリもひと袋(海水入り)イワシは刺身と揚げ物。骨も揚げて食べる。頭は煮て犬の朝食。
きょうは5時半スタート4時ゴールイン。250㎞走った。
4月、元気いっぱい働けたことをかしわ手にこめた。
独身時代からおつきあい「まりちゃん」私の携帯電話の登録は「エステ中野」20年ちかく火曜日にお届けしている。
先週、高校1年生になったお姉ちゃんに「おおきくなったね」と玄関で声をかけた。
そのあと、あの声かけは本人にとって嬉しかったのか。久しぶりにあって短い言葉で「おおきくなったね」としか言えなかったことに悔いがのこった。
これから社会はグローバル。外国人と目線をあわせて会話ができる。モデルさんも背が高いと思ったことを言えなかった。
火曜日、まりちゃんに「お姉ちゃんは?」と聞いたら姉妹が玄関に出てきた。足らなかった先週の言葉に追伸をした。
コロナで楽しく野外活動をお庭でやっていた。姉妹仲良くやれる時間はコロナのおかげ。あとから「あのコロナのときは楽しかったね」と家族で笑える。
水曜日は下関市。配達依頼の連絡を受けたお宅「来週お届けについてお電話します」と保留にしている。宅配ボックスがないマンションや車が停められない場所などは申し訳ないけれどお断りしている。
今朝は3時に起きて、配達の準備、犬の排泄もせかして早めに農園を出た。
約60分のゆとり時間が市内でできた。配達ご希望のお宅をGoogle地図で探し当てた。そこは細い路上のお宅で駐車禁止の路肩から歩かなければならない。配達はお断りして最寄りの「あの米店」に足を運んでいただけるなら大丈夫。今夜そのルールを電話でご説明してみよう。
明日は週の山場の木曜日。満載のたまごを積んで5時半に農園を出る。満載に積める喜び。
明日の8時半に配達させていただく寿司・割烹「浪花」をご紹介。
https://sushi-naniwa.info/
身近な人にご紹介ください。
ハンドルネーム「フルートちゃん」から「黒井(下関市)で生後まもない子犬が3頭、3月17日に山で猟師さんに保護され1ヶ月育てられた。猟師さんのお宅には猟犬が数頭飼われているので、子犬の飼い主をさがしておられる。足立さん、どうでしょうか」とメールを4月の中頃うけとった。
私の年齢(今年の秋で69歳)で子犬を引き受けたら、一時的な感傷で、私が世話ができなくなったとき無責任だと家族や周囲から言われるかもわからない。
これまでは保護犬と何頭ともかかわったが、いまの高齢犬(ハッピー)を最後まで世話をすれば、大好きな犬との生活に幕だと思っていた。
しばらくして、一頭の子犬は引き受けさきが決まったとフルートちゃんからメールがあった。
当時、11年の農園生活のハッピーを引き受けたときも、できれば関わりたくなく飼い主をさがした。結局、痩せ細ってフィラリア強陽性の野犬を引き受けたのは救いたい「命」だった。
もちろん、日本中の野犬の命には向き合えないが、わたしがネットで検索した命ではなく、ご縁で知った小さな命は気になっていた。
美祢市。私と年齢がちかい方が下関市の保護施設から子犬を引き受けられた。年齢的には不適格でも「娘が飼います」と申請が受理された。
僕は、この犬を励みに健康に気をつけて最後まで面倒をみるつもりで引き受けましたと言われた。
また困った犬がおる。引き受けて最後まで面倒をみると20年近くかもわからない。けれども、それを励みに元気で老後をすごせる努力をしたいと家内に相談をもちかけたら反対はしなかった。
黒井のお宅にピアノレッスンに通っておられる先生を介してフルートちゃんから便りだったことも、私が「飼います」と手をあげて知った。そのときは2頭が待っていた。
太秦教会春の大祭。台所のご用にむかう家内に「2頭つれて帰るかもわからない」と予告した。
ちょうど1年前、4月28日に黒井のお宅をさがした。さいわい私を待っていたのは1頭だけだった。
約1ヶ月、授乳から育ててくださった家族から見送られたときの一枚を載せます。
名前は、幸多かれと「幸(ゆき)ちゃん」
保護犬、成犬をむかえてきた私に、生後1ヶ月あまりの子犬は可愛いけれど初体験。睡眠不足の毎日が続いた。
夜中、寝かしてくれない悩みをFacebookに投稿したら、広島県の熊本さんが「ケージ」を提案してくれた。その日にホームセンターで買った。首輪でつなぐより、狭くてもケージにしたら寝てくれた。
ゆきちゃんお輿入れの28日。
山あい、そのまた奥で広い田んぼの収穫は農協。畑は食卓を賄うほど。仲良く喧嘩しながら自給自足の毎日を過ごしておられるように感じていた。
数年前の集中豪雨のとき、この山あいで鉄砲水が各所でおきて老夫婦の近くの家には土砂が流れ込んだ。激しい雨音と家の側を流れる山からの濁流。停電の中、じいちゃんの手を握って「死ぬときは一緒」とやってしまったとばあちゃんがのろけを笑いで話した。
一年ほど前、84歳のじいちゃんが心臓手術をした。ばあちゃん免許返納したのでバス停までタクシー。毎日通っていた。
じいちゃん退院してすぐにトラクターにまたがり田んぼに出た「少しゆっくりせんにゃ」と田んぼに行って声をかけたら「いま、やっておかにゃいけんことがある」と。ばあちゃんが言うには、米を売って儲けることではなく、嫁いだ娘たちに新米を送ることが楽しみと教えてくれた。
先週「無理されんように」と農機具の手入れをしているじいちゃんに声をかけた。手をあげて返してくれた。
今朝、配達に行くと私より少し若いぐらいの女性が玄関で受け取ってくれた。
そのあとの配達先でじいちゃんが亡くなられたことを知らされた。
小野市を配達中、小野田工業高校正門に男女5人が横断幕をかける作業をされていた。最初はその文字がわからなかったが読めたので、かけ終わるまで待って撮った。
コロナで迷走し続ける政治家。けれども医療の現場では足りないものを補いながら、自らの危険もありながら懸命に命と向き合っておられる医療関係者がおられる。
そのことに感謝の気持ちを喚起する横断幕に拍手をおくる。
批判の声では解決できない。感謝の声をあげる心が求められている。
下関市のお客さまお二人を鍵山記念館ご案内の朝。
10時半「楠こもれびの郷」で待ち合わせて、私の車で記念館。そのあと各施設のご案内は藤野先生と岡本さんにお願いをした。
日常の仕事が忙しいことを理由に、お礼のメールや電話、正志に伝えておいたほうがよい私の配達先のお客さま事情などを農園を出るまでに済ませようと早起きした。
やることをメモ書きに列挙したらかなりあった。8時半まで朝食はコーヒーで済ませてたまっていた気になることを全部おえた。
朴の森。藤野先生と岡本さんが施設を丁寧にご案内してくださった。
なにかのついでに来られた人ではなく、鍵山先生の生き方を学びにこられたから真剣に2時間聴いておられた。
昼食をとれるお店がないので農園。農園御膳で歓談した。
鍵山記念館・農園の訪問は大歓迎です。
ご連絡お待ちしています。
高橋源一郎の「飛ぶ教室」昨夜の放送(60分)を、今朝の配達中に聞き逃しサービスで3回聴いた。
「TED」という無料動画サイトは、世界で著名な方の講演を配信していることを知った。日本語もよくわからないが、検索したら日本語字幕があった。これなら学べる。
指揮者でベンジャミン・ザンダーという方の講演は、クラック音楽が理解できる内容として有名らしい。
その講演を源一郎先生が語ってくれた。そして、その終わりの解説に心をうたれた。
ユダヤ人の姉と8歳の弟は貨車でアウシュヴィッツ収容所に着いた。弟が「靴がなくなった」と素足だった。「どうして自分のことができないのか」と弟を叱った。
その言葉が弟への最後の言葉になった。
採点カラオケで100点を3回出したことが自慢の美容師。糸賀社長ご紹介で配達をしていた。今年のある水曜日の夕方、糸賀社長から「⚪⚪が交通事故で死んだ」と突然の訃報電話。
実は、月曜日(美容室定休日)に彼はドライブに行った。その途中で雑談の電話が配達の運転中にかかった。とても煩わしく思い、彼の話を「また、こちらから電話する」と切った。そのあと電話はしなかった。
素っ気ない私の態度でお別れになった。それが、まだ悔やまれてしかたがない。
言葉は大切にしなければと思った。
読み解かれた本は「オメラスから歩き出す人たち」短編ではあるけれど(11ページと)半分ちかく朗読された。
平和で人々が楽しく生活できる町。そのなかに、1ヶ所だけ狭い牢獄のような場所があり、一日少しの食べ物を与えられ裸で排泄物の上に座っている少年。町中の人々はそのことを知っている。
出してやり、腹一杯食べさせて自由にさせたらいいのにと思っても、それは決まりでできない。それをすると、一人を助けると町中の人が不幸になる仕組みがあった。
そのありさまを見て嘔吐する人もいた。けれども、この少年は外に出ても馴染めず不幸になるだろう、ここがよいのではないかと納得する。
けれども納得できない人は、ある日この町を黙って去っていく。
高橋先生は、去っていく人を読者ではなかろうかと問いをたてた。
発展途上の国で、子供や労働者が危険や低賃金で働かせられた商品が、幸せな私たちの身の回りにある。それに気がついた人は「あの品物は買わないほうがよい」などと声をあげる。
けれども、売れなくなると子供や労働者の生活はもっと困窮する。つまり、そういう社会の仕組みが残念ながらある。どうしょうもない現実がある。
先週の講義で「文学には力がある、実学です」と話されたが、短編文学のなかに答えは出しにくいが、考えなければならない示唆がある。
そのような感想をもった。
次の授業は、高橋先生が「この人の話を聴きたい」と招かれた方が先生。高橋生徒になり質問をされる。
きょうの先生は、アーティストの末永幸歩さん。ピカソの作品が理解できるようになりますがテーマだった。
知らなかったことは、世界中の美術館にネットから入館して作品を楽しむことができることだった。
講義の展開でピカソ作品「アビニヨンの娘たち」を例えにあげられた。ラジオで聴講している人たちはネットで作品を観ながら学んだ。
立体的に描くのではなく、五感を働かせてつくられたピカソ作品という意味が少し理解できた。腕の長さや太さがちかってもよいのである。
長女の照美さんが金光教太秦教会でご用に就いて、春と秋の大祭は欠かさず家内は台所のご用に通った。その春の大祭は教会家族だけでお仕えすることになった。
お供え物だけはいつもどおり宅配する。午後から家内は買い物に山口市内。
6月、母の5年祭を太秦でお仕えしていただくお願いをしていたが延期になった。
藤野先生たちがFacebookでつながっている山口市内の方とお友達家族10人が来園。さきほどまで農園を満喫して貝掘りに行かれた。
昨夜の食卓は、唐戸魚市場で早朝に買った「ゆめカサゴ」の煮付け。
毎週木曜日の朝は唐戸魚市場からはじまる。魚を買うことと海峡の風景を眺める楽しみがある。
何年も通って馴染みの店ができた。馴染みになるとイワシの大盛を「半分ほしい」と言える「腹を出して、頭は犬にやるから頭もほしい」「この魚はどう食べたらええかね」とか「来週、トラフグのあらがあったらほしい」イワシの山が3匹があったとき「特特大を6匹ほしい」と選んで買ったりもできる。
毎週、あればアサリを買う店のおじさんは「いつもありがとうございます」と350円のアサリに海水を入れてくれる。「いつもありがとう」と少しまけてくれる女将さん。
四季折々の魚を刺身・煮付けに天ぷらとお店で教えてもらって家内がそれをつくっている。
そのなかでも、私が絶品と評価している魚が「ゆめカサゴ」ふつう「カサゴ」は揚げ物でも私には食べにくい。ノドグロと同じ場所にいる「ゆめカサゴ」は底引き網漁(てぐり)で水揚げされるが最近は見かけなくなった。
馴染みの店でふた皿あった(ひと皿1000円)頭と腹を取ってもらった。
半分は冷凍して煮付けで日本酒が旨かった。とくに頭をチューチューする味は最高。出し汁で豆腐を煮て唐辛子。
今朝4時に起きて外に出て草に手をあて、夜露がおりていることを確かめて焼却炉に点火。7時ぐらいには燃え尽きるので火災の心配はない。
藤野先生ご紹介の「もと同僚女性教員」さんから配達してほしいと連絡を受けていた「9時ごろまいります」とお宅を確認に行く約束をしていた。お客さまの場所は、木曜日に家内の配達コースになる。
その前に散髪はしておきたい。8時すぎから開店の大衆理容店に行った。コロナの影響で顔反りはできませんよと言われた。散髪の日は髭剃りはせずにお店に行っていた。頭はサッパリしても一日のびた白いものは困る。
店を出てコンビニで石鹸つきの髭剃りを買った。新山口駅のトイレで髭剃りをした。車をとめた送迎パーキングは私の車が1台だけ。構内の商店街は全部がシャッター。
昼ごはんで缶ビール。布団を敷いて昼寝が1時間。
そのあと草刈り2時間。
写真は「トラフグ」と「マフク」とても安くなった。
きょう心を動かされたこと。
鍵山幸一郎さんから、農園を激励で1000個のたまごを有意義に使っていただきたいと藤野先生にバトン、そのバトンが下関市の波佐間先生(もと下関市教育委員会教育長)に渡り、前田亜樹さんとご縁がうまれた。
Facebookで「前田亜樹」さんを検索すると、彼女が立ち上げたkananowa照子屋(かなのわ てらこや)の活動がわかります。
今朝、とても冷たい風にふかれて、赤間神宮から唐戸魚市場。待望の「ゆめカサゴ」があった。今夜は煮付けで。
前田さんのことをご紹介するには、頂戴した資料などをゆっくり読ませてもらう時間が要るが、もう疲れがピークになったので続きは明日。
250㎞を走りおえた。
きょうの仕事はダイ(大)・ハード。
とにかく2時半に起きた。5時半、風が冷たかったが「辛抱せえよ」と外に繋いで農園スタート。
小月のコンビニでコーヒーが習慣。早朝の小月と長府は郵便受けにお届けルール。商店はお店に入る秘密のドアから。
秋根を配達して住吉神社宮司のお届けは社務所玄関先。神社界隈を配達して園芸センター地域。それから綾羅木。そのあと済生会病院地域をひとまわり。新下関地域もぐるり。そのあと山の田スペシャルオリンピックス下関の活動拠点にスペシャルエッグ(今度ゆっくり解説)の打ち合わせ。元気いっぱいの関係者(高齢者)に圧倒された。
その拠点近くに新規のお客さま。加奈子ちゃんがインスタで農園を紹介してくださった。それでご連絡をいただいた。かわいい奥さまは、加奈ちゃんのパン教室に通っておられたようで毎週の配達とそのルールが決まった。
そこから山越えルートで再び長府。メガネが鼻にあたる部分が痛いので、その部品交換。水曜日は定休日の眼鏡店ノエルさんが私のためにシャッターを半分開けて待っていてくれた。シリコンの部品と交換してもらった。
家内が「藤中さんに」と私と同じ弁当をきのうクーラーボックスに入れていた。藤中隊長のお店に弁当を配達。遊びに来ていたおじさんが「あんたは弁当屋か」と言うたから「はい」と頭をさげた。
ビストロまさ。市の要請で閉店。けれどもいつもと同じ数のご注文をいただき配達「テイクアウト」のお客さまに助けてもらっていますとシェフは笑顔だった。
小月のトヨタ。先日、防府トヨタでタイヤとオイル交換を頼んだがタイヤだけの交換に終わっていたことを「交換シール」で私が発見した。それで急遽トヨタ店になった。
半日で多くのみなさんと会話にベルトをかけた。
最後の王喜、神田さんのお宅にお届けを済ませて弁当をあけた。食べたら眠気。30分も昼寝ができた。
写真は、きのう農園近くの家族。
4時、携帯電話にセットした目覚ましアラームで起こされた。8時ごろ布団に入りすぐ寝て、一度も起きずに朝をむかえた。
火曜日、配達のスタートは6時半ごろでよい。配達の支度、私と犬たちの食事。部屋の掃除など手際よくできた。
スタートのときカーラジオではなくタブレットのラジオアプリを立ち上げる。お昼のニュースは聴くことにしているが、それ以外は、1週間の番組をさかのぼって聴ける「聴き逃し」から聴きたい番組を選ぶ。
きのうはDJ日本史「思わずホロリ親子の絆の物語」松村邦洋さんとタレント堀口 茉純さん。ともに歴史を語らせたら熱がこもるお二人。
ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えた一説だった。火縄銃の模造を命ぜられた加治屋の八坂金兵衛。そっくりの火縄銃をつくるが火薬を込めると暴発する。
本物は火薬が弾を前に出すため、火薬の威力を銃身の後ろで持ちこたえるように「ネジ」の技術で強固にした。そのネジをつくる技術がわからない。
加治屋の娘を目染めたポルトガル人が「嫁にくれるなら、ネジを教える者を来年連れてくる」と。
娘は「お父さんのためならポルトガルに行きます」と異国に嫁いだ。
翌年、約束を違わずにネジ職人が種子島に来て製造技術を伝えた。
きょうは文化講演会を選んだ。たくさんあるなかで、千葉大学名誉教授 三浦先生「古事記のなかの出雲神話~大国主とはいかなる神か」
もっと「聴いてみたい」というタイトルはないのかと思いながら60分の講演会を選んだ。
このラジオアプリは「ポーズ機能」がある。配達先に着いたら放送をとめて仕事。終わって解除すればよい。
因幡の白ウサギ物語は、アジアの各地にある。ワニがヘビであったり魚であったり。その物語は海を渡って日本に。
古事記がアジアの物語とちがうところは、ウサギの傷を治す神がそこに登場したこと。
藤野先生から「古事記」を解説していただき、大国主が立体的になってきた。
さらに千家(出雲大社宮司)の家には神殿建設の図面が遺されていることもはじめて知った。
ラジオから「コロナ」の連呼を聞くより、よほど気持ちは穏やかに配達ができた。
火曜日は山口市内の配達。車も人も驚くほど少なかった。
きのう鍵山秀三郎(Yellow Hat創業者)先生のご長男、幸一郎さんから藤野先生を介してたくさんのたまごをご注文いただいた。
そのお届けさきは「有意義に」だった。新型コロナ騒動で農園も売上が減って苦労しているだろうというご心配が痛いほどわかる。
10数年前、お掃除でご縁のあった実業家が不渡りを出した。そのいきさつはあるにしても債権者の取り立てなどで地獄におちた。家族で大学に通うお嬢さんの下宿に逃げた。食事も銭湯に行くこともままならないどん底生活。その家族に手を差しのべた組織があった。
鍵山先生からある日お電話があった。
⚪⚪さん家族をお世話されているところを教えます。生きて債務を弁済したいという人を大勢お世話をしておられます。たまごを継続して届けてください。大量のご注文だった。
そこに身を寄せたお掃除仲間に私ができる精一杯のお金を届けた。
その出来事を忘れたころ。夜中に県外ナンバーのポンコツ軽四が農園に来た。実業家時代は高級車で農園に立ち寄っておられた⚪⚪さん。
「頂戴したお金で、みなさんのご好意のお金400万円で破産の手続きができました。一から出直して、必ず返済にまいります」と両手をついて頭をさげられた。
あの当時もいろいろな事情でたまごがたまっていた。
いま、コロナの影響があって売上は下がってはいるが自力で持ちこたえることはできる。
けれども鍵山幸一郎さんは「有意義に」と、以前と同じように農園をご心配くださった。
今朝、神棚に手をあわせとき「きょう鍵山先生に電話せえ」と胸にわいた。
お昼前、先生の携帯電話。お伝えしたのはふたつ。
先生から教わりました「良樹細根」を農園で実践しています。大きい売上も小さい売上も同じように大事にしてきました。そのおかげで、コロナでも樹は枯れることなく元気です。ご安心ください。
昨日、幸一郎さんから「有意義に」とたくさんのご注文をいただきました。
藤野先生とご相談してすすめてまいります。
電話を終える前「また、嬉しい便りを待っています」と言われた。
1時ごろ腹を出して掛け布団のうえで寝ていた。腹が冷えて目があいた。布団にもぐり込んだ。
4時に起きたとき喉が痛い。すぐに体温を測ったら平熱。もし熱が出たらどうしょうと心配しながら朝食の支度。犬の世話。きのうホームセンターで買ったゴーヤとカボチャの苗を植えた。
日曜日は部屋の念入り掃除。トイレや台所に階段などしっかりきれいにできた。
防府トヨタは9時半。5000㎞毎のオイル交換(今回195000㎞)と冬タイヤからノーマルタイヤに交換。12月に冬タイヤ装着。凍結や積雪の道路を一度も走らなかった。
昨年から商品名「どんなときもWi-Fi」を使っている。Wi-Fiが無制限で使い放題。
この小さな商品が私の生活を楽しくさせている。読む・聴く・観るの三拍子で学ぶ機会がある。
40年ちかくハンドルを握って生活している私の相棒はラジオ。つまり、私の知識の多くはカーラジオ。
そのラジオ番組(NHKだけ)が一週間さかのぼって聴ける。ラジオ深夜便・朗読・浪曲十八番・カルチャーラジオ歴史再発見など運転中の楽しみが多くなった。
YouTuberでセクシーなアルゼンチンタンゴ動画もWi-Fiのおかげ。
午後から2時間、草刈り機を担いだ。
今夜は腹巻きをして寝よう。
農園ちかくの山あい。ヤギの家族写真が撮れた。
きのう狂犬病予防接種から戻ったゆきちゃん。
首輪などすべて頑丈仕様。ビニール被覆のワイヤー、その付け根は、ユンボで150cm掘った場所に長いプラスチック杭をユンボで打ち込み、小石でつき固めて埋めた牛でも繋げる杭。体は小さく12kgと軽量でも引っ張る力は強力。
先月の17日でまる一歳をむかえたが、まだまだ子犬でとてもしろしい。
これまでにたくさん保護犬の世話をしてきた。今年の秋で農園生活12年、防府市で捕獲された野犬のハッピー。私も高齢者なので犬はハッピーで終わりと考えていた。
SNSのご縁で下関で生後まもなく山で保護された3頭が紹介された。年齢的に無責任になるので知らないふりを数日していた。そのあいだも飼い主があらわれない。
この子犬を最後まで世話をする。それを私の老後の励みにすればよいとおもいはじめた。そして飼い主として手を挙げた。
土曜日は萩市など配達。旅館やホテルなどのご注文はすべてキャンセル。個人の配達のみで荷台に積んだたまごの数は少ない。
けれども細い根っこが樹を支える。それを「良樹細根」と教えてくださったYellow Hat創業者の鍵山秀三郎先生。それを心がけてきて農園の今がある。
2週間にわたり「新日本風土記」は北前船を特集した。鉄や米、魚に昆布そして人を3000㎞の海路で流通させた食と文化の大動脈。あの海路がなければ日本はなかったことがよく理解できた。
シルクロードより以前、アイアンロードとよばれる鉄を運ぶルートがあった。この鉄を手に入れた人類は「はみ」を考案して、野生の馬を使う技術を獲得した。人の移動や武器に農耕が飛躍的に進んだ。
歴史はおもしろい。
土曜日の朝、楽しみは昨夜のラジオ番組、高橋源一郎先生の「飛ぶ教室」ラジオアプリの聞き逃しサービスで今朝も2度聴講した。
昨夜は「文学」が柱になった。私の頭で理解できたことは、医学、工学などとちがい、使い道のよくわからない文学。それを教える側も「これは儲かりませんが」と前置きではじまる文学。
けれども、いまの世の中で生き方を見いだせるものは医学でも工学でもない。それを高橋先生は文学にあると喝破された。それを実学と教えていただいた。
2度も聴講して私の府に落ちた。
写真は、下関市内で前方を走っていたサンデン交通バスが信号で停車したとき撮ったナンバープレートの上部。
故人になった歴史小説家(直木賞作家)古川薫先生の短い文章。
私が撮るほど気にいった理由はふたつ。
ひとつは、信号待ち時間で読み終える文字数。このデザインを手がけた人のセンス。
もうひとつ。躍動する維新の長州を舞台に数々の歴史作品を世に出された。どこかで先生の講演があると仕事をやりくりして聴講した。
特に、司馬遼太郎が乃木希典を愚将とした作品「殉死」に長州の作家として乃木希典を世に出し「斜陽に立つ」を執筆された。
晩年は、三国志を書き上げたいと言われながら、大戦中の訓練飛行機「赤トンボ」のことを山口新聞に連載された。
それは、古川先生が学徒動員で千葉県の練習機組み立て工場勤労奉仕て。そして特攻する航空機が不足した終戦まじかなときから、沖縄の離島から赤トンボに200kg爆弾を吊るしてアメリカ艦隊に多くの若者が飛んだ。
木製の骨組みに、布を張って作った赤トンボ。爆弾の重みで海面すれすれをフラフラ飛行、レーダーに機影がとらえられないので高い確率で成功した。
ご自分が手がけた赤トンボが特攻に使われたことを反戦の気持ちを込めて書き上げられた。
で、バスの後ろ姿。
維新、長州の女は藩が黒船を撃つ大砲をつくるというと女の命として大切にしていた鏡を藩に出した。民謡「男なら」にも謡われている凛々しい長州の女。
高杉晋作や伊藤博文が国際的に活躍した馬関(下関)の女は、豊満な肌をさらけだして彼らに愛された。
その二つの長州の女(ひと)を短文に書かれた。直筆だと思う。
「歴史の裏に女あり」「歴史は夜つくられる」つまり、男を奮い立たせた女たちがいた。
きのう250㎞を11時間で走りおえてゴールインした。早朝の唐戸魚市場で買った大きなカツオの半身とアサリひと山。
今朝も3時に目がさめた。けれども眠たい。夜露がおりている時間に焼却ゴミに点火したいけれど眠気にまけた。
6時前にゴソゴソと布団から這い出た。
数年前の体力なら「よし、これから半日草刈り!」だったが、2頭の愛犬を別々に散歩するだけで胸の赤ランプが点滅した。
この体力で出来ること、ゆきちゃん予防注射。暴れん坊ではあるが、車の助手席にロープで繋いだら淑女になる。阿知須の松田動物病院に行った。
戻って、私の血圧通院。水曜日がその日だったが忘れていた。病院入り口で検温は無事通過。担当医の女医さんだったから血圧は沸点の180と90「もう一回計りましょう」でも沸点。前回は煙草臭いおじさんで130と70だった。すぐに下がると思いますから。と診察室をあとにした。
降圧剤を6週間分待っている薬局廊下にあった血圧計で計ったら130と70だった。
担当医が、私のばあい問題かもわからない。
写真のまるメガネが
https://petitlabbakery.com/
加奈ちゃん。となりはエステのまりちゃん。加奈ちゃん30年来のお付き合い。まりちゃんは農園をはじめたころから親しくしている火曜日のお届け。
加奈ちゃんのプチラボベーカリー。新型コロナの影響(繁盛店)で加奈ちゃん「もしもお店で感染」を心配して休業看板。
毎週たくさんのたまごをお店で使ってくださり、木曜日と土曜日に配達をしていた。
その木曜日の配達数をおとさずに「おいちゃん、自宅に持ってきてね」と農園を応援してくれている。くわえて他県の友だちにギフトで発送もお願いされている。
きょうはすっぴんの加奈ちゃん。
「がんばろうぜ!」と加奈ちゃんから激励された。
6時、小月のレストラン「卯」にお届けしてバイパスを下関方面に下っていたら大きな交通事故が下り車線でおきていた。大型トレーラーがVの字に折れ曲がり道路下に転落。付近の電柱を倒していた。
パトカーがたくさん集結しはじめていた。キャビンが壊れていたのでドライバーを気にしながら警察官の誘導で通過した。
木曜日は唐戸魚市場。場内は閑散として活気はなかった。馴染みの店でカツオを半身におろしてもらい、ひと山500円のアサリも買った。お店の奥さんが「いつもありがとう」と100円も値引きしてくれた。
250㎞走り農園ゴールイン。
2時半、階下のゆきちゃんが激しく吠えまくり目があいた。最近、地面を掘った形跡からうり坊が夜中歩いていると思っている。
しっかり目覚めてしまったので布団をあげた。
5時半に農園をスタートするまで配達の準備。私の朝ごはん。犬の朝ごはん。犬の散歩(排泄)。部屋の掃除など結構忙しい。
全部を終えてガスの元栓を確認して靴を履いて車に乗ったら携帯電話の忘れ物。つい心のなかで「くそっ!」と思いながら階段をあがり靴を脱いだとき母に「行ってきます」のかしわ手を忘れていた。電話は母が「忘れておるよ」のサインと思わされた。
6時過ぎに王喜のコンビニ。必ず立ち寄り、必ず100円払って濃いめのホットコーヒーが水曜日。年齢は私と同じぐらいの男性が「おはようございます」と大きな声でむかえてくれるて気持ちがよいから私は常連客。
濃いめのブラックを飲みながら「マスクは買えますか」と聞いた「このお店は金曜日の7時半に5枚セットが並びます。けれども8時までには完売ですよ」と。
鶏舎に入るとき、元気な鶏たちが舞い上げる埃を吸い込まないためにマスクは箱買いしていた。それは新型コロナ対策を気にされても手に入らないと不安なお客さまたちに配った。
マスクを求めて金曜日にこられる人の多くは、ご自分が使う目的ではなく他県で生活する身内に宅配するためにドラッグストアに並びコンビニに足をはこんでおられる事情が垣間見れた。
下関市は小月からはじまり長府、新下関界隈、富任町から綾羅木。長府に戻って小月で終わる。
農園に戻ったら草刈りをやらねばと思いながら、農園まであと15分の場所で3時前に大きな睡魔がやったきた。
もう寝ると決めてリクライニング。少しまどろんで夢を見ていたときに携帯電話が鳴った。
山口トヨタの岡本さん「日曜日のタイヤとオイル交換は、防府店でお願いします」と。
今夜はしっかり眠りたいので電話の電源はOFFにしておこう。明日も早朝から下関市。
9%ハイボールのロング缶を2本飲みほしてのブログ。
写真キャプションは「なんとなくピントがあいました桜」
長府散策の後始末、参加のみなさんにお礼など事後のことをやっているが、夜8時ぐらいには酒と睡魔に負けてうつ伏せ。
会計(参加費300円)は、観光ボランティアさん謝礼・ボランティアさんと藤中隊長のランチ代などを済ませて約300円余剰金。
参加者みなさんにお配りする記念写真の焼き増しをお願いしたので私腹はふとらなかった😎残念
今朝8時、用事でJR新山口駅に行った。
新型コロナの猛威を閑散とした構内から感じた。土産物店と待合室、コンビニも人影はなかった。
いつもは通過の車が多く、しばらく待って左折する大通り。車が少ないのでスッと左折ができた。
1ヶ月ほど前に下関市のホテルに滞在した外国籍の人が感染された。そのホテル近くのコンビニやスーパーは「危ない」と風評が、私の耳にも届くほど拡散した。けれども、二次感染はいまのところない。
私なら、完全に消毒がおこなわれたホテルに泊まるほうが安全だと思う。
きょうの山口市内は感染患者が出た店舗の消毒をしていた。あの店の近くは危ないと多くの人から聞かされた。あの店は、いくら消毒してもお客は来ないかもわからない。経営者やお店スタッフの落胆は容易にわかる。
せめて風評がひとり歩きをしないよう。ホテルや店舗は公表して「これだけ、万全の殺菌消毒をしたので安心して利用してください」ぐらいの行政側の配慮は必要だと思う。市長や議員が列をつくって買い物に行くぐらいは最低でもやってほしい。
写真は、美祢市小杉に建立されている白虎隊士の飯沼貞吉と楢崎頼三「恩愛の碑」
戊辰の戦いに赴いた小杉の武士、楢崎が飯盛山で自刃した白虎隊士のなかに首に大怪我はあるが息をしている少年貞吉を見つけた。
ひそかに小杉に連れ帰り手当てをし、会津の両親に「育てる」と手紙を送った。
私の疑問は、瀕死の少年を会津から美祢の小杉までどうやって連れ帰ったか。それは、長州軍はイギリスの軍艦をチャーターして会津に向かいその船で凱旋した。それなら話はわかる。
もうひとつ、自刃できなかった少年をなにゆえに(面倒がおきる)連れ帰ったか。
ここは私の推理。少年たちで結成された白虎隊。飯盛山で自害した少年の人数はいろいろ言われている。
鶴ケ城落城(実はまだ)と思った隊士は武士の作法どおり殿のあとをおって腹を切った。死にきれなかった少年が手当てをうけていることを知った楢崎は白虎隊士として自害しそこねた少年の無念。傷が治ったにしても会津の地で生きてはいないだろう。この命を救いたいと、萩や山口ではなく美祢の山あいに連れ帰った。
会津の少年は、憎い長州から命を助けられた屈辱に何度も自害を試みた。
楢崎の「お前は生かされておるのがわからんか」に生きること、日本の国に貢献できる貞吉になると決心して勉学にはげみ、日本の通信技術の基を築いた。
その貞吉の孫が東京で大きく事業をされている。あの津波で学費に困窮した福島の大学生をさがして一律15万円を手渡された。
そのような解説をお二人にした。
1ヶ月前の日曜日。朝8時からラジオを聴いていたのは「音楽の泉」母のもとに通う7年のあいだ、縁のなかったクラシック音楽の手ほどきをうけた番組。
解説をされる落ち着いた口調は皆川達夫さん。唐突に「きょうの番組で私は終わります。30年ものあいだつとめましたが齢92歳をむかえ、体力に自信が持てなくなりました。皆さまご機嫌よう」と番組をむすばれた。
30年も92歳も知らなかった。
番組の顔として毎週よくぞお勤めくださったと胸があつくなった。
長府散策。冷たい雨のなかを仲間と楽しめた余韻と疲れで昨夜は気持ちよくダウン。
今朝、ガイドをお願いした井上さんから「ガイドとして嬉しい一日でした」とお礼の電話を頂戴した。
終わりよければすべてよし。
美祢市のガイドは少しは出来ます「あだち」におまかせください。
きょうは長府散策。広島から参加のえり子ちゃん農園泊まりにあわせて桂子ちゃんも来てくれ農園料理で、夜更けまで歓談。
散策集合は10時。長府に行くまで、せっかくだから特別散策を計画。農園を7時にスタート。
今年に入り松村貴美さんとお友達をご案内したコース。美祢市小杉に建立されている白虎隊、飯盛貞吉が自刃できず長州に連れ帰られ養育された場所。
厚保駅地域交流ステーション。神功皇后神社。毛利清末藩ゆかりの高林寺。長州藩ゆかりの豊功神社(とよこと)を案内した。
小雨の集合場所に26名が定刻までに集合。
きょうの観光ガイドは「長府の宝」と評判、もとガイド協会会長の井上さん。雨傘のおかげで参加者の間隔もとれることになりました。
壇具川沿いを案内してもらいながら向かう国宝功山寺。その途中で陶芸などを営むイギリス人 スティーブさん工房に、改装を請け負った村上棟梁のご案内で見学。美人の奥さま(日本人)を見ていた。その奥レストラン「祥」からお土産を頂戴。
国宝の見学中にガイドさん、この寒さにたえきれずトイレ。そのあと藤中隊長の奇妙な雑貨店を表敬訪問。
乃木神社、乃木大将の功績と神社、学習院などのつながり。203
旅順203高地攻略でステッセル将軍との会見場面は解説に熱がこもった。
忌の神社はラスト。計画では寛永通宝を鋳造した覚苑寺はカット✂️
案内する人数の多さと、冷たい雨で長府の宝もお疲れ気味。仲哀天皇が滞在されここがしばし皇居だったことを力説された。
ランチはイタリア料理「ビストロまさ」と日本料理「十楽」に振りわけさせてもらった。
両方1500円で予約。みなさん大満足された様子に安心した。
なにかを催して準備から当日まで。長府散策という2時間の内容でも、私はガイドの井上さんとご縁があるまで、観光協会のお役所対応に落胆。藤中隊長を頼って井上さんとご縁。2度、井上さんと打ち合わせを重ねた。レストランもランチ内容と金額。最終のキャンセルリミットなど打ち合わせた。
長府を歩きたいならひとり旅でもよい。けれども散策ツアーを計画することで、大勢の人たちとあらたなご縁がうまれその人たちが私の宝物にくわわる。
多くのご縁があった散策は、心地よい疲れをのこしておわった。
今夜は麒麟が来る前に眠気が来る。
昨日のブログにコメントは藤野先生「御意。いよいよです」
新型コロナが私の生活のありようを根本から問いかけているという意味のことを最後に書いた。
昨夜のNHKラジオ放送、高橋源一郎先生の「飛ぶ教室」をラジオアプリ「らじるらじる」の聞き逃しサービスで萩市まで1時間聴いた。さらにもう一度聴いた。
運転中、2時間も耳を大きくして学んだこと。
先生が読みといてくれた本「史上最悪のインフルエンザ・忘れられたパンデミック(1976年)」
世界の人口20億人の時代(1918年)。世界の約5億人が感染して死者は7千万人とも1億人ともいわれるスペイン風邪を、新型コロナと重ねて読みとかれた。
その授業をはじめる導入で先生が投げかけた言葉「新型コロナで困っている。早くもとに戻りたい」と多くの人が言うけれど、それだけ戻りたい「もと」ですか。
特に学生はほんとに「もと」がよかったですか。
私は、意味合いはちがうけれど。例をあげると、あの津波で被災されたみなさんはもとの生活に戻る復興を、現在でも描いておられるのだろうかと思うことがある。
もとに戻りたい、戻そうとすると困難に衝突するような気がして、政治家やマスコミがつかう「復興」の言葉に違和感があった。
「飛ぶ教室」は、当時の第一次世界大戦の線死者3700万人の数から戦争反対の世論はおきたが、それをうわまわる数の死者を全世界でだした伝染病のことを言う人はいなかった。
SNSのように一瞬で拡散する方法も大切。スペイン風邪から数十年すぎてまとめらるた本。時間はかかったが、それを読んで対策にまとめる人がいなかった。
本を読み歴史から学びませんか。
火曜日、山口市内の中学校に配達をしていた。女性教師は農園をはじめた当時、ご主人が山大付属養護学校教師。農園で生徒の実習を引き受けたことでお二人で農園見学に来られて、それ以来異動の学校につきまといのように配達した。この春に定年退職。
自宅に届けてくれないかと住所がメールで届いた。火曜日の配達中にさがして時間がかかると困るので、萩市・長門市・美祢市のあと農園飛び越えて山口市に行った。
狭い住宅街なので広場に車をとめてタブレット片手にお宅を見つけた。見つけにくい場所だったので事前の確認ができてよかった。
明日の長府散策に参加、広島のえりちゃんが今夜は農園泊まり。少し買い足したいものを思い出してスーパーマーケットに行った。お昼前という時間帯もあるのか歳末の売り場のように混雑していた。
朝の美祢市。仲良く語らう背中を撮らせてもらった。
JR美祢線「厚保駅」の駅舎に併設されている「地域交流センター」。毎週木曜日の午後、必ず立ち寄りはじめて3年ほどになる。
過疎の無人駅だけどトイレはあるだろうと寄った。ばあちゃん達がセンターで切り絵をされていた。駅舎そばの水洗トイレはピカピカに輝いていた。手洗いの陶器も汚れはなかった。手拭きタオルもパリッと清潔。
用を済ませてばあちゃん達の部屋に入った「配達が仕事で、早朝に吉部を出て下関市をまわり、これから美祢市内を走る。コンビニや公園のトイレを使ってここに初めて来た。どこのトイレよりも清潔で気持ちがよかった」とお礼を言った。
コーヒーを入れてくださり口々に地域の自慢話を聞かせてくださった。
神功皇后が奉られている神社や、戊辰戦争で手柄をあげた来島又兵衛。白虎隊で自刃の末に生きながらえた飯沼貞吉を会津から連れ帰り育てあげたこの地の楢崎の家。
地域の歴史に誇りをもっておられるみなさんに感動した。
トイレはいつも、気持ちよく使ってもらえるようにみがいています。
高速道路「美祢西IC」に近い。「美祢西」と「美祢」ICの区間はアップダウンとカーブの連続で交通事故が多発している。事故だけで済んだ人は車は使えないのでJR「厚保駅」を利用する。コンビニなどはない。その人たちに弁当をつくったりして感謝されたことはたくさんある。
電車通学の子どもたちが戻るまで駅舎を明るくして待っている。
美祢市内、工務店の奥さん(私のお客さま)が下関の帰り。夜道で大雪になった。ノーマルタイヤなのでご主人に迎えに来てと電話をした。ご主人が現在地を聞いて「厚保駅でまっちょれ」と。厚保駅に着いたら、最終便の学生をむかえる灯りがあかあかとついてストーブがむかえてくれた。
夜中に駅舎で安堵したことを話してくださった。
駅舎に手書きのミニコミ紙がある「厚保駅」の人情にふれた人たちのお礼が紙面。
そのお年寄りの地域愛を子どもたちがしっかり受け継いでいる厚保駅です。
日曜日の長府散策。26名ご参加のみなさまに「決行」の通知を午後に出した。少し天気はくずれるかもわからないが、新型コロナで自粛のときにと言われるかもわからないが「やる」と決めた。
農園にたくさんご注文を長年いただいている、萩市や長門市の旅館。それにくわえて各地の飲食店さまからのご用命が減り続けている。
人類の歴史が転換する時期(生き方を見直せ)の大波が世界中に押し寄せているように思う。
3時前、すっきり目覚めた。
きのう、長距離運転から農園に戻り草刈をやった。夕方はヘトヘトで布団に転がった。何通かメールを頂戴したが返信する気力はなく寝た。
一度も目がさめずに熟睡したら疲れはとれていた。ゆきちゃんの頭突きで前歯はまだ痛かったが。
先日、久しぶりに録画の映画「プリティーウーマン」が楽しかった。リチャードギアとジュリアロパーツ演じる富豪と娼婦の物語。お金と男前と優しさの三拍子があったらと、わたしに無縁の主役になりきっていた。
録画予約をしているなかで楽しみにしている番組は、11日の午後3時、NHK総合て100分で名著の特別番組がある。高橋源一郎先生のラジオ番組「とぶ教室」で先生が読み解かれたカミュの「ペスト」。
70年も前に作品となった伝染病。それがいま多くの人に読まれている。
その夜のSONGSは11時からNHK総合。出演は「東京スカパラダイスオーケストラ」迫力満点の演奏が楽しみ。
3時前から仕事をはじめた。木曜日の下関配達準備と愛犬の世話。私の朝食などを終えて農園を出たのは5時半。
さきほど5時前に農園ゴールイン。
早く寝て、明日も予定がいろいろ。きょうの疲れは今夜でとばそう。
小月の風景写真。理由は説明できないけれど、こんな風景が大好き。
昨夜、デザイナーの河上さんが届けてくださった一枚。
女性らしく、やわらかく撮れていると思った。
先日から冷えた朝があったせいか、右手の親指に大きなアカギレがくちをあけた。
ゆきちゃんのジャンプ力、私の顎を力いっぱい打つから用心している。半年前にアッパーをくらって以後前歯がよくない。先ほど油断していたらまた頭突きを顎にくらって下唇が切れて出血。
親指と唇がとても痛い❗
水曜日は下関。長府で「あの人」と名前と顔が多くの方が知っている人物6名を撮ってFacebookに投稿した。
①市会議員トップ当選の安岡さん。小学生の登校時に必ず旗をもって笑顔で声をかけられる。松村御大と農園宴会をやった。
②レストラン「ビストロまさ」のオーナーシェフ。彼が唐戸のピザ店「ブラブーラ」のとき20数年前からのおつきあい。
③ブティック四季の岡崎マダム。20年前、どなたのご縁か思い出せない。長府のマダムを引き連れて農園に来られて宴会をした。その場に松村御大もおった。
④縁起焼きの永野さん。お姉さんがスペシャルオリンピックス関係者。長府の仲間をたばねてくださりお届け先は弟がいとなむ縁起焼き。
⑤村上棟梁が改装をしていた「ノエル眼鏡店」店主の一色さんの笑顔営業で眼鏡を買うことになった。満足の一本。
⑥長府キャンドルナイトや時代祭で長府の顔役、藤中隊長(通称カバ隊長)を撮った。
木村奥さま機織りの先生、綾羅木に配達。阿武町にも機織りを教えに何年も通っておられることを知った。
明日の配達「あの米店」の店員さん。歩くことが趣味、毎日2満歩以上。話題のなかで彼女が阿武町ご出身とわかった。とても故郷に誇りをいだいておられるように感じていた。
機織り先生。阿武町は萩市に合併しないで独特な文化があります。あるとき、女子高校の生徒が自生している「わかな草」で炊き込みご飯をつくってくれた。あの香りがよかった。街並みも素敵です。祭には、町を離れた若者がたくさん帰省すると阿武町の魅力を話してくださった。
5時半に農園をスタート。2時にゴールイン。
それから4時まで農園の草刈りに汗をかいた。
きょうは鍵山秀三郎(Yellow Hat創業)先生のご長男、幸一郎さん還暦の誕生日。そのこともあり最近の新型コロナについて、私の思うことを書いておきたい。
鍵山先生にご縁をいただいたとき、私は市町村会議録調整や出版などを目的とした会社「ぎじろくセンター」を経営していた。
経営に行き詰まっていた。年間の売上高が大きな都城市議会、下松市議会などの翌年会議録契約をライバル会社に競争入札で負けた。仕事も売り上げも大幅におちた。
鍵山先生は誰にも「君」ではなく「さん」でよばれる。私が経営に行き詰まっていることはご存知なく話された。
⏹️足立さん「良樹細根(りょうじゅさいこん)」という意味は、大樹を掘り起こしてみると、たくさんの小さい根っこが大樹を支えていることがわかります。
つまり、経営は大きな売り上げも大切ですが、小さい売り上げをもっと大切にしたほうがよいです⏹️
世の中の常識は、大きな売り上げを追い求める風潮。そのなかで小さな売り上げも大切にという常識外れのご指導に驚いたが良樹細根のたとえに深くうなずけた。
以後、私の経営はこれまでは見向きもしなかった小さな自治体、椎葉村や西米良村それに壱岐島や対馬にも営業範囲を拡げた。そこには、営業効率を求めるライバル会社は来なかった。
その契約自治体は売上高は大きくはないが、他社に契約変更されることはなく随意契約で安定した。会社の基盤は強くなった。
いろいろあって採卵養鶏を志した。
農園をはじめたころ「お宅様のたまごに惚れ込みまして」と大阪の老舗和菓子店から店主夫妻が農園に来られた。有頂天になるような「あと何ヵ月待てば大量に送ってもらえますか」と言われた。
その数をまかなえるだけの若鶏を仕入れた。いよいよ大阪にお届けできる日がきたころ「お届けできますよ。お待たせしました」と電話をしたら「申し訳ないが、お宅より安くてよい卵があった」とお断りされた。
その注文の数を合わせるために、苦渋の決断は鶏の命で調整した。
農園のたまごが安心、安全で新鮮。配達してほしいとクチコミで細根が増えている。週6個や10個のお客さまがたくさんある。配達コースからはずれる場合はやむを得ずお断りしている。
新型コロナ騒動は旅館やホテルに飲食店などご注文は減った。けれども配達先の細根がある。
少ない数でもお届けして喜んでいただく。世の中の経営に逆行しているかもわからないがこの道を歩んで行く。
山口市で美容室を数多く展開されているニュースタイル社長の糸賀さんは、私がお掃除にご縁があった当時にカー用品を山口県や近隣各県に事業展開されていたYellow Hatの垣内さんの仲間だった。
垣内(故人)さん、糸賀さんと私は異業種交流を夜の街で重ねた。3人が求めていた生き方は鍵山流。
もう夜の街を歩くことはない。糸賀さんのオフィスに配達をしてお茶飲み仲間が続いている。
糸賀社長の美容と、もうひとつの顔はデザイン業。先日のブログでも下関市の江口さん名刺デザインをご紹介した。
デザイナーの河上さんに、卵のパックに入れている賞味期限を表示する「無表情の紙」を「伝える紙」に衣替えしたいと先週お話した。
きょう、糸賀社長とお茶飲み話を終えて帰る私の背中に「つくってみました」と河上さん。私のイメージがかたちになり提案してもらった。驚きと喜びだった。
伝えたいことを親身に考えてくれるデザイナーさん。
浄福寺は木曜日。下関市菊川内日(うつい)地域でご用をされている。日内は数々の古墳がある。大きな災害もなく、美しい田園風景がつくりあげられている。
配達先のみなさんも人情があつく内日は大好き。
カメラを手にするようになり、大好きな風景などを撮りたいと思い工夫するようになった。
きのうから生あくびの連発。きょうは眠くて運転をやめて爆睡10分。自分のイビキで目があいた。眠い理由を考えてみたら金曜日の3時間草刈。足腰に痛みはないがねむたい。
12日の長府散策。天候とあわせて気になるのが新型コロナ騒動。
ランチを「ビストロまさ」座席20のキャパに30人でお願いした。参加者の全員で歓談したかった。けれども「密」になる。そのことを参加者から指摘はないが配慮することが世話人の責任ではないか。その気持ちがつよくなった。
散策もランチも中止しない選択肢を昨夜から考えた。ランチのお店をふたつに分散する。その振り分けは希望では調整ができないのでわたしが決める。
「とぶ教室」で高橋源一郎先生が、答えは人ではなく自分が決めよと教えられた。もちろん責任もついてくる。
今朝の農園、気温は0度。まだ暖房器具が活躍する。
きのう屋根にひろげた布団がお日様の香りで心地よい眠りができた。
山口市掃除に学ぶ会。立ち上げから3年、松岡ご夫妻が代表としてご尽力された。それを支えた岡本拓也さんが代表のバトンを受け取り初陣現場は農園から車で3分の吉部八幡宮トイレなど。
今朝の風は冷たかったが、参道入り口に看板娘(藤野先生お嬢さん)地域から子供さん連れでお母さんも初参加。拝殿で宮司からお祓いを受けたあと「繋ぐ」という、700年お宮が途絶えずに今日に至ったというお言葉は、岡本代表の初陣に神ながらの激励と聴いた。
20年前、この神社トイレ掃除を毎月ペースで始めた。日曜日の午前中、農園の仕事をみなさんに任せて続けた。
雨の日曜日でも私は掃除に出かける。農園で働く人は雨にうたれて働いている。心をみがく掃除が、農園のことを思うと気持ちが重くなる掃除になった。
天候だけではなくスポットの配達や草刈など、私が掃除をする時間をカバーしなければならない人がいることが気になった。それでズルズルとやめてしまった。
掃除が終わり農園で軽い昼食。済ませて山口市内で給油と買い物。
その足で鍵山記念館。午後1時半から数学の会。先月の末が誕生だった藤野先生にみなさんからお祝い。贈呈は生徒の厳選きれいどころ。
とても有意義な一日を過ごせた。
萩市に向かう東の空
非課税世帯に現金支給。それが配達先で話題になった。
私は安い焼酎を愛飲、毎週1000円払って夢を買う。けれどもそのようなお金が羨ましいとは思わない。マスクも要らない。
ラジオ生活をしている。衆参国会審議や委員会は中継を聴きながら走っている。私利私欲の政治家たちが長期にわたり日本をボロボロ国家にした。
もう、うんざりしている。
きのう、金曜日からはじまった高橋源一郎先生NHKラジオ番組「飛ぶ教室」を、聞き逃しサービスで再生しながら土曜日の朝を萩市まで。
1時間の教室で「そうだ」とふにおちたことのひとつは。
⏹️答えは人とちがってよいから、答えは自分で考えたほうがよい。
火曜日、糸賀社長オフィスにお届け。奥からデザイナーの河上さんが私に笑顔で近寄って「ご紹介ありがとうございます」と。
2年ぐらい前のこと、もとトヨタ店の店長でお掃除の仲間、下関の江口さんが農園に立ち寄られた。家内の車がお世話になっている。話の「ついで」にデザイナー河上さんに私は名刺や年賀状や農園のチラシをお願いして満足していると話した。電話番号を教えた。
河上さんのお礼は、江口さんから名刺のデザインまでを依頼されたことだった。
すぐに律儀な江口さんにお礼を電話で申し上げた。
今朝とてもつらいことがあった。
早朝、農園を出て萩市向かってと前方から道路の真ん中をこちらに走っている動物。それは、ゆきちゃんと間違えるほどの体型、茶色の毛並みに赤い首輪。飼われていた犬が離れて戻れないのか捨てられたのか飼い主さがしをする。助手席しかスペースはないが綱がない。
突然暴れて私の手を振りきって道路を走り去った。
どうにもできないことがある。
雨の水曜日(4月1日)住宅街を歩いて配達をしていると視線を感じた。遊びに出してもらえないことがわかった。ポケットのカメラを出してパチリ!
きょうの予定は、細々したことを済ませて、松村御大や知り合いが「観ておいたほうがよい」と背中を押しくれた上映中の「Fukushima 50」を観に行こうと開始時間を確認していた。
前後に湯田温泉「温泉の森」も計画にあった。
木曜日までの配達疲れを感じながら、やっぱり3時に目があいた。
「細々」したことのはじめに着手したことはブログ「先月の写真」いまは「どんなときもWi-Fi」があるのでInternetを農園で使い放題。まえは写真更新はコンビニでコーヒー飲みながらのWi-Fi接続だった。
約1時間かけて先月の内容を削除して「3月」の29枚を更新した。
毎日たくさんシャッターを押している。そのカメラロールの中から「これ」と思う一枚を選び短いキャプションを添える。この更新がカメラの上達になると思って真面目に取り組んでいる。
更新の上から25枚目の写真はFacebookから無断借用(呉明美さん友人だから甘えた)とても感動した投稿を載せています。
今月12日の「長府散策通信」参加者30名に集合場所の変更と雨天時のことなどをメールと直接電話で伝え終わったのが10時。
農園の桜並木が最高の満開。昨年は大きな台風がなく、害虫の駆除もしっかりできた。私の年齢69歳(今年の秋)になると来年の桜が見られるかと思ってカメラを持って愛犬と歩きまわって桜を撮った。
鍵山先生新刊「大きな努力で小さな成果を」を何人かの人に直接手渡した。
今朝最初に届いたメールは加奈ちゃん。コロナ騒動で繁盛店を閉めた。けれども「おいちゃんに迷惑はかけない」とたまごの数を減らさずに、友達に宅配などで通常のご注文。
加奈ちゃん、早起きして読んだら、知らなかったことがたくさんあった。おいちゃん、ありがとう元気になったと結ばれた。
ほかにも多くのお便りがあり返信していたらお昼前。
映画も温泉も断念して缶ビール。一本あけたら次が欲しくなり二本。
午後は布団のなかで夢を見た金曜日。
山口市赤田の道路沿い。毎年目を楽しませてくれる色は「赤」まるで春を歌っているように私は眺める。
中国残留孤児の帰国を国に請願をはじめた方のことを知った。
自身は満蒙開拓団として新天地に赴いて敗戦。ソ連の抑留生活を終えて帰国。寺のご住職をされた方が厚生省に通い続けた。
開拓団の村はことごとく壊滅された。開拓団死体が折り重なるなかに子供が生きていた。子供を置き去りにする断腸の決断をして村を離れた人もいた。
あの子供たちはどうなったのかと、経済成長を遂げているときの厚生省の門をたたいた。
こたえは「寝た子をおこすな」だった。その後中国残留孤児が世間でクローズアップされ厚生省は重い腰をあげた。2週間前、Eテレ「心の時代」の一場面。
沖縄が日本に復帰した年から戦没者遺骨収集奉仕に関わった。軍靴の裏に書かれた氏名、セルロイドの石鹸箱に刻まれた氏名、万年筆に刻まれた名前、飯ごうや三角定規などがご遺骨と見つかる。
いまでも民間団体や宗教団体が糸満周辺の山野でご遺骨をさがしている。
沖縄だけではない。フィリピン周辺の島々やインパールなどに野ざらしのままの戦後が放置されている。
深海に沈んだ輸送船や戦艦乗組員の集骨は無理としても、山野に放置されたままのご遺骨があることを「寝た子をおこすな」式で頬かぶりしている日本の国柄。
満蒙開拓を5族共栄。全滅を玉砕。敗戦を終戦のあらわし方にも違和感がある。
きのうは疲れすぎて、少しの酒と少しのつまみで寝た。深夜1時に空腹で目が覚めた。
3時ころから起きて配達の準備。6時、長府の豊功神社に参拝した。
木曜日を元気いっぱい250㎞走り終えた。
⏹️眼鏡フレームは鯖江製、(株)シード社のwabisabi
レンズの名前は愛知県豊橋市、(株)東海光学社 遠近両用イージーワン
長府のメガネ工房ノエルでオーダーした一本。上記は店主からのお礼メール抜粋。
お掃除仲間、愛称は村上棟梁が店舗改装をはじめた。場所は水曜日の配達が多い長府乃木さん通り商店街。
店主の一色さんと顔をあわせた。体育会系(ママさんバレー)の高橋さん(水曜日にお届け)から、木曜日の唐戸の酒井さんからも一色店長のお人柄は聞いていた。
そのとおり、相づちをされながらの会話は笑顔。
くわえて長府のシンボル、仲良しになった藤中隊長(愛称カバ隊長)のお洒落メガネはノエル。
そのなりゆきで検眼など先週した。それが写真の一本。
買ったのは「満足」
3月中旬、Wi-Fi使い放題「どんなときもWi-Fi」がダウンした。
昨年10月から手に入れてdocomo契約5GBの縛りから放たれてネットラジオを終日聴きながら、テレビより動画配信の生活になった。
Wi-Fi生活が途切れて半月、解約しなかった5GBのタブレット使用量を、契約範囲内でおさめるよう節約。山口県のフリーWi-FiやコンビニWi-Fiをもとのように使った。
農園生活が大きく変化したのは本を読む生活が復活した。
「どんなときもWi-Fi」サポートセンターから4月1日午前0時に復旧します。万一に復旧しないお客さまには契約解除の解約金は免除します。
つまり、4月1日になっても通信障害が残っているお客は解約してくださいと告げられた内容だった。
今朝3時にブログホーム画面を更新「どんなときも」の通信障害は続いていた。
きょうの仕事を終えて解約手続きをすればよい。これで繋がらないストレスは終わる。
6時、いつもの小月コンビニで濃いめのコーヒーを買っていつもの木屋川河川敷で休憩。タブレットを開いたらWi-Fiが作動していた。Facebookの動画を久しぶりに見ながらコーヒーを楽しめた。
12日の長府散策。具体的な打ち合わせを観光ガイドをお願いした井上さん(ガイド協会会長)とできた。
散策の参加者は30名。マイクを持ってやりますと意気込まれた。
ランチの予約は「ビストロまさ」貸し切り。ここも打ち合わせをした。