10月千秋楽

10月千秋楽は萩市から長門市に美祢市。

海抜数メートルの萩市に中国山地から一気にかけ降りる雲雀峠は冷えていた。

凍結や積雪の早朝、下りはじめたら止まる場所がない。おまけに橋の上がカーブしている。左右に山があるので凍結がなかなか溶けない。山口県内屈指の冬場の難所。


萩市老舗旅館「常茂恵」は農園をはじめた頃からお届けしている。そのスタートのとき「土曜日の朝7時に」と女将から時間指定された。もちろんガチガチに凍てついた朝、命がけで届けることはないが(連絡して少し遅らせていただく)できるだけお約束どおりにお届けするように努力している。


数年前、農園でも氷点下。峠の凍結は予測できたので1時間早い4時半に出た。タイヤはスタッドレスの新品。峠の頂上で後続の車をすべてかわしてギアは「1速」でアクセルは踏まずに惰性で下った。途中、スリップ事故の車が上下線に数台あった。


タイヤがしっかり路面をつかむよう後輪の上にホームセンターで買ったとても重たいコンクリートを2本並べる。前輪つまり助手席の足元には20㍑ポリタンクでバランスをとる。ブレーキは踏まない運転をしている。


私はGoToトラベルを利用する時間もお金もないが、農園としては確かに「たまご」のご注文でその効果は実感できている。

食材納入のお店や観光地の方々もトラベル消費の恩恵にあずかっていると思う。けれども根本的な景気浮揚ではないことは海外、フランスの感染拡大のニュースをみると不安になる。


お昼にビールひと缶。昼寝が1時間。明日のスタートは散髪からはじまる。

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温泉立ち寄り 秋吉台の下見など

下関市清末レストラン「卯」のお届けは、レストラン開店当初から木曜日の朝6時。玄関脇ロブスター水槽の横に置かせてもらっている。集金は送金ではなく、月末の金曜日に出向いて会話を交わして頂戴する。


美祢市のスポット配達があったので済ませて「よしの」ごぼう天うどん。


於福温泉に立ち寄り。蒸気サウナは苦手。きょうは入ってみた。バケツに塩が山盛りで置いてあった。先客がその塩を身体中に塗りたくっていたので「この塩にはどんな意味があるのですか」と質問。よく喋る人だった「あのね、魚や肉に塩をふる意味はわかるかね」私は単純明快に教えてほしかった。

料理人ではないから「わかりません」と答えたら「浸透圧を勉強したかね」とややこしくなった。90度の蒸気サウナのなかで講釈は聞きたくもないから「ありがとうございました」と会釈をして出た。体重はベストの65kg。

 

温泉に到着したときからお腹の調子がよくない。3回トイレに通ってスッキリするまで一時間。節目節目に下痢と発熱がある。大晦日の発熱は一年のおとり祓い(罪穢れ)。きょうの下痢はきのうが秋の大祭だった太秦教会。お供え物だけの参拝になったが下痢でおとり祓いをいただいた。


金光教太秦教会の先生は照美さん(長女)の主人でもある。

私がお参りする身近な教会、昔はあったが今はない。行事や組織運営など信心とは別のことに軸足がおかれているように思えてお参りはやめた。


けれども私なりの信心は読書などで根なし草でも続けている。

太秦教会の先生に信心を導いてもらいたいと思ってラインでつながった。


ラインの使い方はまだよく理解できていない私ですが登録よろしくお願いします。タブレットを使っているので電話は取れませんメールは大丈夫です。


風呂上がり秋吉台に向かった。お正月は毎年歩いている。新年2日は秋吉台を一日歩いてみたいがまだ計画段階。石灰岩大地を縦走して大正洞、そこから絵堂バス停まで歩いてバスに乗るか。バスは使わずに農園まで歩くか。

ひとつ気がかりは大正洞近くの道路にはイノシシが多く出没するので注意の看板が見受けられた。昼間だから心配はないと思っている。アップダウンはある行程。コンビニはない。

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楽しみは唐戸魚市場と「よしの」で学ぶこと

木曜日は唐戸魚市場。

今夜の魚を買って市場を出たら太陽も出てこられた。


きのうの日記で嬉しかった出来事三つを書きのがした。


⏹️美祢市「よしの」さんから携帯電話にメール「松村さんの特選を見に行こうと思っていたが用事が入りかないません」と。


⏹️お掃除の松岡さんからメッセンジャー「御大の作品を見に行きました。帰りに加奈ちゃんのパンを買いに行きました」と。


⏹️酒屋をたたまれた井上さんからお裾分け泡盛が届いた。とても旨いのでストレートで味わった。

「平成4年瓶詰め(当時5年古酒)の菊之梅です」と。


清水千代美さん「姉御」とか「バーバラ」と声をかけながらスペシャルオリンピックスのご縁で親しくしてもらっている。

お父さんが歩兵山口42連隊に召集されインパール作戦。飢餓の行軍(2000メートル級の山地を越える)のちに白骨街道と言われ累々と屍が続いた。

その作戦は、30年にぶりといわれる猛烈な豪雨。本隊を3週間の食料を持たされて出発して4ヶ月後、生きているより自決したほうが楽な状況のなか本隊近くにたどり着いた兵士の前には濁流のチンドウィン河。泳ぎきった兵士だけが生還できた。

清水さんのお父さんは足に貫通弾を受けてこの大河を泳いだ。

戦後、ご結婚され姉御たち四姉妹。数年前のNHK番組を録画。DVD四枚に焼き付けた。


私だったら楽になる自決をした。そのなかで生きて帰られた精神力と体力に敬意しかない。


木曜日は朝の唐戸魚市場と美祢市「よしの」で教わる歴史談義。本日は毛利と村上水軍の巻き。

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ご縁のなかで生かされて

糸賀社長美容室グループのひとつデザインルーム。

デザイナーの河上さんから最近の写真を二枚届けていただいた。明日のホーム画面で二枚載せます。お楽しみに。


私個人の年賀状や暑中見舞い。農園の挨拶状など彼女にお願いしている。写真と添える文章をメールで届けたらデザインの提案が届く。印刷枚数を決めたらそれでできあがる。お気軽に相談されるとよいと思います。


https://atore-design.wixsite.com/atore


👆をご覧ください


配達先のお客さまが「あだちさんと、たまごをとおしてご縁ができてよかった」思ってもらえることを私の目標にしている。来年の秋に古稀をむかえるが歳を重ねているからできる会話や運転で毎日たくさんの人と心のベルトをかけて農園現役生活を続ける。


今朝は5時半に走りはじめて、明日の配達個数の変更や発送のことなどメールや電話がはいる。月末の集金も重なり慌ただしい水曜日だった。


特筆しておきたい出来事は。長府の藤中さんのお店に立ち寄った。そこに村上棟梁夫妻がいた。

先週の水曜日。来年からシフォンケーキのお店を出したいのでたまごの値段など知りたいと電話があり営業に行った。これから自宅を改装してお店をつくりますと言われていた改装業者が村上棟梁だった。


たまごと改装のことをすすめてくださったのはメガネ店「ノエル」しかない。藤中さんの紹介でメガネをつくった。そのとき村上棟梁はノエルの改装を手掛けていた。それも藤中さんのご縁。


多くのご縁に支えていただいたいる。

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祈られている私 ありがたし

⏹️(下関市美術館ホームページより)

彫刻


カール・ミレス

『人とペガサス』


1949年制作・ブロンズミレスの彫刻は神話や伝説に題材を取った独創的で幻想的なモニュメンタルな作品が多い。 『人とペガサス』はギリシャ神話に題材を取ったもので、 コリントの英雄べレロフォンが天馬ペガサスに乗って、怪物キメーラを退治に行く物語である。 素材のブロンズの重さを感じさせない構成は、ミレス独特の力学的計算に裏打ちされている。 躍動する大きな像がわずかな接合部だけで支えられる様は、 「高みへ駆け上がろうとする精神の象徴」という以前にスペクタクルとして観るものを圧倒する。


カール・ミレス Carl MILLES(1875年~1955年)

スウェーデンに生まれる。スウェーデンの技術学校で、木工と彫刻を学ぶ。 1897年パリに渡り、一時ロダンの助手をつとめた。1906年スウェーデンに帰国。 幻想的でモニュメンタルな作風を展開し、スウェーデン彫刻界の第一人者とされた。1929年からアメリカに渡り、教育活動も行なった



火曜日10時。糸賀社長がお茶とお菓子で私を待っている。今朝は、私が到着する直前に下関市の村上棟梁(ひとり棟梁)に電話。小郡の美容専門学校の補修を頼まれた「ワシが現役のうちに、人柄のよい棟梁を紹介しておきたい」社長の美容室の外壁工事やご自宅の改装など棟梁の人柄を気に入り頼まれる。

長年、山口市近郊に美容室店舗展開をされているので工務店のお付き合いはたくさんあると思うが、村上棟梁の人柄、特に聞き上手だと私は思っている。

しっかりお客の言葉を聴いて「そうですね」などと肯定をする。そのあとで「ボクだったら」と棟梁の意見を添える。


糸賀社長の面倒見のよさも際立っている。


もうお国替えされた。金光教早島教会(岡山県)の玉井光雄先生。私がお参りすると「あなたのことは、毎日よう神様にお願いしておるぞ。自宅で神棚に拝むこともええが寝るとき天井に向かって、神様きょう一日元気に働かせてもろうてありがとう。と思えばそれで気持ちは神様につうじるんじゃ」とみやすい信心((信神)と師は書かれる)を手ほどきくださった。


今も私の毎日の生活を霊ながらに私を祈ってくださっている。その証を実感している出来事がある。もちろん5年前に95歳で逝った母親も生前同様に私たち家族の立ち行きを祈っている。


お国替えされてもなお玉井先生や母親。長女がご用をしている太秦教会の先生からも祈られ続けている私であることがありがたく思える。まだ実感はないが神様から祈られている私であることは間違いない。それを実感できることが私の目標。

その私は、自分のことと同じように人のことを祈れる人になれるように「思う」「願う」「祈る」のステップをあげていきたい。


夜中、近くで吠えるシカがやかましかったが数日前から聞こえなくなった。シカとイノシシは生活パターンが異なり住みわけするらしい。農園地域はイノシシが多くシカは逃げたのかもわからない。

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北風と太陽の月曜日だった

今朝の秋芳町は濃い霧におおわれていた。


来月、下関市のご婦人3人の美祢市観光案内役をつとめる。今回の観光コースには入れてはいないが於福の産業遺構を間近で見ることにした(道路からは見える)

「道の駅於福」から藪を切り開いた細く暗い道を歩いた。藪の奥からバキバキと動物が歩く気配があった。

石炭と呼ばれる前、奈良の大仏建立に長登銅山からたくさんの銅を採掘して奈良に届けた。

そのとき原石を高温にして銅を取り出すとき「よう燃える黒い石」として美祢から採掘した黒い石を燃やした。

やがて黒い石が白い石(石灰岩)を高温にすると石灰として多方面に使えることがわかり於福でその大釜3基が石組みされた。間近で見ると大迫力。ホーム画面や日記の写真でご紹介します。


美祢市内の配達。ばあちゃんが「あげよう」と絵本をくださった。タイトルは「黒いダイヤ」文は、みね華の会。絵は岩崎賢治。

厚保駅地域交流ステーションに毎週木曜日に立ち寄り美祢談義をお年寄りたちと交わしている情報をキャッチされていた。


そのなかには、いつも美祢観光コースの大嶺炭鉱キーストン「桜に錨」無煙炭が明治から日本海軍にとって軍艦の煙が少なく貴重な燃料だった。無煙炭は海軍御用達。


そのことと、今朝歩いた於福の石灰についての記述があった。


前回の観光ガイドのとき新田次郎・藤原てい・流れる星は生きている(書籍)・新京から引き揚げのおばあさん・満州引き揚げ拠点のころ島まで行き着いた。


今回は黒いダイヤがキーワードのレールが敷かれている。本を頂戴したばあちゃんに「さっき於福の釜を見てきた」と言うと驚かれた。キーストンを知っている私に2度びっくり。


奈良の大仏や日本海海戦など美祢の石炭が活躍している。


「あだち美術館」は日曜日の更新。それを忘れていました。7枚更新終わりました😀


朝はとても寒く、昼間は日差しが強く。着こんだ衣服を時間の経過で脱いで脱いでの北風と太陽だった。

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下関市立美術館を経由の高林寺など

第14回下関市芸術文化祭(美術展)

数ある作品のなかで特選は4点。松村御大「よ‼️ふくの王様トラフク」栄えある特選。

下関スペシャルオリンピクスアスリート(特別支援学校高校生2年生)新本淳貴君「前髪」は2階に掲げてある。お母さんが毎週水曜日、ちょぼハウスでトイレ掃除からお手伝い開始。ラクダの顔と聞いた。

来月7日まで開催。

(以上は、きょうのFacebook投稿と同じ文章)


松村御大は市美展に「ふく」を50号に描かれて出品されているから私も通い続けている。次は最高峰の市長賞の栄冠をめざして精進されますように。

お掃除・スペシャルオリンピクスなど多方面にご活躍。私はその背中を見ながら気合いがはいる。


新本君は知らないが、お母さんは水曜日にちょぼハウス(スペシャルオリンピクス下関拠点)でお見受けしている。先週お名前を覚えたのは市美展のことを話していたら「むすこの作品も出ています」とスマホで作品を見せてくださった。毎週、ちょぼのトイレを磨いておられる。

清水千代美さん曰く「淳貴君は機織りもじょうず!」と太鼓判。


美術館内はすべて撮影禁止。その理由がわからないが「松村の親戚です」「新本の親戚です」と目を光らせている職員さんに告げると「フラッシュをつかわずにどうぞ」となる。


展示のなか「書」はわからないからパス。写真はじっくり鑑賞した。なかでも海辺に投棄されたドラム缶の赤錆を「地図」としての作品に足がとまった。

カメラ機能に依存した作品に興味はないが、主人公を引き立たすために背景をぼかすカメラ機能がほしいと思った。


入館して右手にふたつのブロンズ裸婦がある。菊川画廊の宝物と同じ作家。写真はきっぱり職員さんに断られた。作家の親戚とは言えなかった。

なぜ撮影禁止なのかがわからない。


ブレザーを着て美術館に行くとき、ゆきちゃんがいつもの格好とちがう私に吠えまくった。


昼食はアルコール抜き。清末藩の菩提寺、高林寺山門の組み木。清末藩藩邸跡など史跡を家内に案内。高林寺の石段で特別大きなヤマカガシ(赤楝蛇)が朱色の頭で「よう来たのう」と迎えてくれた。縁起がよい。


金光教太秦教会は29日が秋の御大祭。毎年欠かさず台所のご用に家内は通ったがこの秋は自粛。

お供えの乾物など買いに行った。大島の「みやた農園」から宅配が届いていたので、それもお供えにくわえて明日のヤマト便。


久しぶりにブレザーと靴の日曜日。

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冊子「金婚 旅の途中で」拝受

農園をはじめる前の仕事のとき、広島の井辻さん(お掃除・パソコン通信など私の恩人)からご縁をとりもっていただき、以後20数年私の人生を応援してくださっている。

進化経営学院 黒田悦司先生と刺繍モラで著名な善子奥様から豪華な一冊を頂戴した。金婚式おめでとうございます。


進化経営学院・モラ黒田善子をぜひ検索してご活躍をご覧ください。


木曜日恒例、早朝の唐戸魚市場でお店の人と立ち話。最近は土曜日、日曜日の買い物客や飲食客の人数がずいぶん増えて活気が戻りつつある。

けれどもお客の多くは若者、高齢者は人混みを避けてあまり見受けない。

市場の売上は、子供や孫を連れてこられ食べる、飲む、買うを笑顔で支払う高齢者の財布にかかっているとボクは思うと。


今年の2月、京都の孫娘(高校生)が唐戸魚市場の寿司を食べる目的だけで来た。宇部の孫娘と家内と私の4人で目的地に突入。まぁよく食べた。家内は笑顔で支払っていた。


昨夜から農園は冷え込んだ。1時に暖房スイッチを入れて首巻きをして布団をかぶり丸くなって寝た。

萩市内の旅館は7時までのお届け。農園は6時前にスタートしなければまにあわない。

急ぐときに犬はマイペースで遠距離を歩いてやっとウンチをする。イノシシの雄叫びを間近に聞きながら犬をせかした。


萩市から長門市、美祢市の配達を終えてお昼に農園ゴールイン。缶ビールで昼食のあと昼寝を1時間。


明日は愛犬と時間を気にせず長距離散歩。家内が自宅から来たら一緒に下関美術館。特選受賞の松村御大作品とスペシャルオリンピクスアスリート(特別支援学校高校生)の作品を鑑賞して菊舎でお好み焼きで生ビール。

願いが叶いますように。

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しっかり犬と歩いた

夕方、日記は必ずトリスハイボールを飲みながらと決めている。

きのうは配達軒数と走行距離で週の山場下関の木曜日。しかも終日の雨。疲れきって4時ごろ農園に戻った。9%のハイボールをあけて日記をはじめた。疲れすぎて日記の気力が萎えていた。もうひと缶9%をあけてなにを書こうか思案していたら江口さんが来られた。


先日、スーパーマーケットの駐車場で高齢の女性がバックするとき、後ろを押し車で腰をまげて歩くお婆さんに車体後部をあてた。お婆さんは転がった。

毎日、自宅と農園の往復と配達で走る家内の車にバックモニターはない。万一のことを考えて江口さん(トヨタ店店長を定年退職・いまも車のことなんでも対応)に軽四中古車・バックモニターで提案してくださいと予算を提示してお願いしていた。

それに該当する車があったと農園に来られたとき2本目の9%が空になっていた。冷蔵庫にもうひと缶9%を見つけた。


3年落ちで走行距離11000kmの軽四を見つけてくださった。それに決定。

もうかなり酔っていたので日記はやめようと思ったけれども書き終えた。


きょうは6%の1本目。


私の美祢市観光案内コース。神功皇后神社・厚保駅地域交流ステーション・白虎隊ゆかりの場所・海軍桜に錨が彫られたキーストン(炭鉱入り口のモニュメント)・プチラボベーカリー・よしのを巡る。数組の案内を引き受けた。

来月、下関市から3名のご婦人から申し出があり日にちを決めた。厚狭で合流解散。


今回は吉田に白虎隊士、飯沼貞吉の語り部がおられる情報を得た。まだ連絡はとれていないが、できれば現地で当時のお話を聞かせていただく調整をしたいと思う。

まだ時間があるので本に目をとおしてもらいたいと思ってカフェギャルリとりのこで拝借した。


午前中は録画のテレビ番組をみた。午後から宅配発送などで小郡。

犬と長距離散歩ができた。


美祢市の観光に関心がある方はご連絡ください。

費用は「よしの」うどん代だけ。

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終日雨の木曜日を元気に終えた

木曜日は唐戸魚市場。風雨のなか6時半に場内に入ったが昨日からの荒天のせいで閉めている店が多かった。ぐるぐる歩いてみたが買いたい魚が見当たらなかった。アサリをひと山だけ買った。家内にそれを伝えた「アサリのパスタ」と返事。


農園生活20年。それまでは夜の街生活をしていたが品行方正の生活になった。犬たちと遊び、テレビやラジオを楽しむ生活になった。テレビ番組を一週間「なにがあるか」と探すことが楽しくなった。


⏹️24日。Eテレ午後11時 ETV特集 選「サヘルの旅〰️傷(いたみ)と生きるということ」


20年ぐらい前、NHKラジオで彼女がイランから日本に移った数奇な運命を一時間番組で語った。宇部市福祉センターに彼女を招いて講演してもらった。まだ彼女の知名度はなく普段着だった。ギャラといえるだけ支払いしていなかった。

いま、サヘルローズさんは難民救済活動など国際的に活躍されている。東京の公園でホームレスをしていたこともこの番組で話される。


⏹️25日NHK総合テレビ6時「目撃!にっぽん」どんな子でも断らない学童保育の記録。


⏹️28日午前2時半 NHKスペシャル選「戦慄の記録インパール」

スペシャルオリンピクス下関のバーバラ女傑といえば清水千代美さん。最近、お父さんがインパール作戦から帰還されたことを知った。しかも足に銃創を負って。白骨街道といわれ、飢餓と風土病で累々と兵士の屍がジャングルに続いた。本隊にたどり着くまでには雨季で増水した大河を泳ぐ。それを清水さんのお父さんは精神力と体力で果たされた。

清水さん!この番組は、インパールを語られなかったお父さんの足跡です。ご兄妹に番組をお知らせください。


木曜日の締めは「よしの」

神功皇后の本名や三韓征伐のことなど府に落ちるまで聞いた。仲哀天皇の「哀」についての見識を拝聴した。まさに美祢市の生き字引。


バーバーラシャツをご注文の萬代さん。

下関バーバーラの館で買い求め美祢市のお宅にお届け。絵手紙作品を撮らせてもらいましたので機会をみてご紹介します。

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スペシャルオリンピクス下関に共感

きのう火曜日は山口市内の配達。山口県護国神社に参拝した。ここでは維新戦争で外国と戦った長州の人たち、大東亜戦争で歩兵第42連隊で戦死された総勢52000名余りの御霊をお祭りされている。

時刻はお昼。宮司が正装でお供え物を両手でかざし拝殿に向かわれた。私に笑顔で「よく参られました」と会釈をされた。参拝中、宮司の太鼓が境内に響いた。


水曜日と木曜日。朝5時半までに農園をスタート。水曜日のゴールインは2時ごろ。木曜日は4時ごろになる。

下関配達の楽しみのひとつは、周波数76.4MHzのカモンFMラジオ。

7時から9時まで「海峡朝焼けスタジオ」パーソナリティーは申徹也さん。お掃除の会で知り合った。何度か農園で酒盛りして泊まられた。大男で布団が小さく不自由をさせた。

岡本拓也さん(山口市掃除に学ぶ会代表)が山口トヨタ下関店店長時代。車マニアの申さんが展示されていたスポーツカーに魅せられて掃除の蟻地獄に落ちた。えん魔さまは岡本拓也さん。


申さんは番組はひとり舞台。今朝のニュースを彼の視点で深掘り。スポーツ・経済・娯楽にファッションなど耳ざわりよい滑舌で番組をすすめる。とくに下関市一帯の交通情報は新鮮。今朝は8時すぎに起きた九州道古賀SA下りの事故情報のタイムラグは5分。道路交通情報センターよりはやい。

下関市内の渋滞情報も伝えるだけではなく迂回ルートまで教えている。蓋井島と電話で結ぶ会話はローカル色たっぷりで楽しく聴ける。


テレビ・ラジオは東京を中心の話題に天気予報。ローカル局こそ必要なことを伝えてくれている。申さんがんばれ!


水曜日はスペシャルオリンピクス下関の活動拠点バーバラハウス。

スペシャルエッグのお届けやさまざまな打合せを短時間で済ませる。

知的に障害をもった人とスポーツをとおして地域に出ていこうという中村勝子さん(スペシャルオリンピクス創始者)にご縁をいただき「ともちゃんの銀メダル」を出版。その出版までの過程で中村勝子蟻地獄に落ちて山口県にスペシャルオリンピクスの旗揚げをすることになった。


競技でトップアスリートを競う風潮。言葉にはできない違和感を持ちながら活動を垣間見るようになった。

私の人生の師匠のひとり松村御大がスペシャルオリンピクスの舞台に上がられてお手伝いをするようになった。


そのバーバラハウスで清水の姉御が「機織りが上手なアスリートがおるんよ」と言う。

20数年前、中村勝子さんの花屋「欧風花」に案内された。

ダウン症の笑顔がとてもかわいい女の子が「いらっしゃいませ」と最高の笑顔。下関のスペシャルオリンピクスはアスリートが生きていく道を求めていると、きょうはとても嬉しい水曜日になった。

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日々が「行」なり

録画「大峰回峰行」の荒行を昨夜見た。

毎日約50㎞を小走り。そこは高低差の多い山中。終わるまで16時間、つまり深夜も山々をめぐりながら肉体的、精神的極限のなかで1000日行で神仏にせまる。その行のなかで理由はなんにせよ挫折のときは腹を切る短刀を携え山岳小走りを1000日続ける。


その荒行を終えた僧侶の感想。

1000日回峰を私は遂げました。みなさんも同じことを毎日の生活のなかでされていることも「行」だと思います。


白衣をまとい天狗のように大峰山を駆け回る行。日々のいとなみのなかで問題や課題から逃げずに向き合うことも人生の「行」この行を大切にしてほしいとインタビューで結ばれた。


下関市美術展覧会が催される。

松村御大は20数年前から油絵をはじめた。描かれるのはすべて「ふく」

今年の大作は「特選」に選ばれた。催しは今月24日から来月7日まで。


唐戸魚市場で「ふく」の人生。真冬の早朝、熱気のセリ場でシャツ一枚でセリ袋片手にとろ箱を踊るように競った。唐戸魚市場の現職時代、天然、養殖のふくを見て触って喰っての「行」その活躍で下関は「ふく」と全国に知名度をあげた「ふく」の総大将。

ぜひ会場で「ふく」の人生を行じた方の作品とお会い下さい。

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ぼつぼつ脚をつくろうか

日向灘に向かわず関門海峡を通過して彦島沖のコンテナ船。ということは積み荷は韓国かロシアか。後ろ姿が美しいと思った。


今朝4時すぎ、焼却ゴミを燃やしに出たらヘッドライトの向こうにこちらを見つめる目があった。タヌキの目は赤く見える。両目の間隔と動きかたからネコではないかと思った。


年末と年明けは歩いている。

JR山口駅から鳳翩山ルートで農園・農園からJR大歳駅まで鳳翩山ルート・JR東萩駅から農園・JR長門市駅から農園・JR下関駅から農園・JR長門三隅駅からJR玉江駅など距離にして50㎞ぐらい。それぞれ思い出がたくさんある。

ぼつぼつ足慣らしをしている。まだコースは決めていない。今朝は弁天池の水をいただいて歩きはじめた。大股で早足が私の基本。約30分で終わり。エレベーターは使わない。朝夕の犬と歩く時間は1日の合計90分。これだけで12時間ぐらい歩ける脚になる。


美祢市の山あい新規のお客さまに配達。

先週の月曜日に配達先の庭で剪定されていた方に「おはようございます!」と声をかけた「なにを配達かね」と聞かれたので会話のベルトがかかった。ひとパック売ってくれないかと言われた。

あくる日、お店にその方から配達願いの電話があった。Googleマップを立ち上げてナビ機能でお宅の前で音声案内は「お疲れさまでした」重枝さんに手ほどきを受けて、Wi-Fiルータをポケットに入れて目的地。これからの配達ルールを奥さまと打ち合わせた。


下関市唐戸の喫茶店(むぎ)。そのお隣に配達をしていた。喫茶店の店主は凛としたご高齢マダム。たまにお会いしたときは私から朝の挨拶。それが何年か続いたとき「お隣になにを配達されていますか」とたずねられた。その翌週からお店に配達がはじまった。

5年ほど前にお店をたたまれた。そのとき「マンションの宅配ボックスに届けてください」その後も木曜日に宅配ボックスにお届けしている。


農園のことをアピールしなくても、挨拶でお客さまとご縁がうまれることもある。

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知っている やっている

今朝はずいぶん冷え込んだ。身体が冷えると血圧があがる。4時半に測ったら高い。処方薬を飲んで1時間後は安全数値に落ち着いた。薬害など言われるが、服用せずに運転中に意識がなくなるようなことがあると人に迷惑をかける。たとえなんらかの副作用があるかもわからないがありがたく服用している。

塩分には細心の注意をはらい、野菜はほとんど味付けなしで食べる。味噌汁もとても薄味。昼食は家内がつくる弁当。外食は年間ほとんどしない。酒は飲む(外では飲むことはない)がタバコは15年前に断った。これで生活習慣病。


山口弁をなるべくつかいたい「ちょる」「ぶち」「えらい」など初級者言葉は身についている。

耳障りよい「姉さま」「兄さま」「婆さま」「爺さま」は残念ながらあまり耳にしなくなった。

イノシシが夜中に栗を食べることを「先花をとる」と。これは方言ではないが、人より先に実の大きな栗をイノシシが夜中に食べた。そのことを婆さまが口にされた。すぐメモした。


8時すぎに小郡で散髪。山口市で給油など済ませて9時半すぎに防府トヨタに配達車(走行225000㎞)のオイル交換など。12月に新車に乗り換えるまでもう一度はオイル交換。

すべてトヨタリース。4年間で48本のタイヤ交換。毎月オイル交換(エレメントは隔月)ブレーキパッドやバッテリーなど4年で交換するもの、車検、税金に各種の費用もすべてリース料金でまかなえる。年間6万㎞以上走る愛車にはリースがよい。


日曜日は私の部屋のトイレ掃除。それをやらなくても見た目は悪くはない。けれどもやる。


もう昔のこと。私が鍵山掃除に出会い「心を磨く」という掃除を歩みはじめたころ。ある会合で掃除のことを発言したとき「ああ、それは知っている」と失笑をかった。私の未熟な体験からの発言かもわからないが「知っている」の言葉に落胆した。


「知っている」と「やっている」


写真は木曜日、唐戸魚市場のクエ。


⏹️あだち美術館 更新しました

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ぼつぼつ紙の墓づくり

美祢市の山あい。毛利家の家紋「一文字に三つ星」そのデザインが逆さまに描かれた旗竿が皐月晴れにゆれていた。そのデザインがとても気になりそのお宅を訪ねて聞いた。お婆さんが「渡邊星(紋とは呼ばない)」と教えてくれた。ネットで渡邊星がヒットして多少の由来が理解できた。


Facebookで歴史に詳しい方が。出雲の尼子氏居城、月山富田城攻撃のとき苦戦、敗退のとき毛利元就の甲冑をまとい渡邊通がわずか七騎でしんがりをつとめ討ち死にしたと渡邊一族の活躍を述べておられた。

その方に「渡邊星」の写真を届けたら大きな👍が返った。功績から毛利氏に「星」を賜ったと推測できる。


2日前の木曜日。美祢市の「よしの」でそれを話題にした。読書量がとても多くとくに日本史や西洋史は立体的にうどんづくりと一緒に脳ミソにおさまっている。

即座に、大内義隆が毛利を従えて尼子攻めをやり大敗北をした最初の合戦。大内氏はこの敗北から衰退の道をたどったと。詳しく解説してくれた。


昨夜、大内義隆と毛利元就と尼子氏をネットで調べたら「よしの」さんが解説したとおりが記されていた。

今朝「よしの」にわざわざ立ち寄り「あなたは美祢市の宝」とお礼を言った。


きょうは津和野で猟師さんが熊に襲われたニュース。たしかにイノシシやシカなど数が増えている。それについて、増えているように見えるが山を開いて大規模ソーラーパネルを敷き詰めで発電。そこに道路もつけた。動物が山で生き難い環境にしていることにも原因があると言う人がいた。


来年、元気でおれば来年70歳。

多くの人たちに育てられ支えられた人生をそれまでにふりかえることにこれから舵を切りたい。

見せるためではなく、ふりかえるために人生の節目など文字にしておきたい。

そういう気持ちがふくらんできた。今夜からスタート。

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ゆきちゃんひと噛み30000円

⏹️菊川画廊催しご案内(案内葉書から抜粋)


ごあいさつ


この牛は倶梨伽藍峠の木曽義仲の牛ではありません。闇に駆け出す‘’令和‘’の牛です。

コロナ終息を見ず、猛暑、台風と大変な一年でした。その闇を少しでも明るくしようと、角に灯を点し一頭の牛が駆け出します。‘’一灯照似‘’たった一つの灯りが何になる、それでも牛は一心に駆け出します。そうだ私たちも一灯をかざし明るい牛歳を目ざして歩きだそうではありませんか。一枚の手拭いに託した、小さなちいさな私の思いです。

                     長沢士郎


🔶1945年群馬県桐生市生まれ。幼い頃から南画、俳画、意匠図案など学び、舞踏家の舞台衣装など手掛ける。


画廊のあるじとお付き合いは長い。

一年中の仕事に埋没して、私がどこを歩いているのか不安なとき画廊に立ち寄る。

「あだちさん、こうしたらええよ」という導きではなく。菊川さんが、常日ごろ真っ直ぐに生きておられる姿勢を芸術や読書談義のなかからくみ取り、私が明日から生きていく元気を頂戴して帰る。


よその画廊は知らないが菊川画廊の敷居はとても低い。抽象画をどう鑑賞すればよいのか。わからないときは「この作品、私にはわかりません」と言ったらよい。作品と対話できるほど教えてくださる。


芸術音痴の私に「この作品のなかで、お金は要りませんから一点選んで持ち帰りなさい」このキーワードで美術館めぐりをすればええですと本気で鑑賞する道を教えてくださった。


展覧会場で気軽に菊川さんにお声かけして日常からの別世界をお楽しみください。


愛犬ゆきちゃんのひと噛み3万円。ユンボの油圧ホースに穴をあけた。ゆきちゃんの綱がユンボに届かないよう短くした。

私が持っている工具でホースの交換はできないところまでたどり着きメーカーに修理を頼んだ。

ユニック付き4t車が時間どおり到着。大型発電機なども載って工場が到着した。


とにかく工具などがなんでもあり、例えばホースを外して油が漏れないようにする栓。油圧の油漏れがないかを確認するための油洗浄スプレー、これを噴いて油圧をかけて漏れを確認できる。

油圧ホース交換は1時間で終わりついでに点検までしてくれた。冷却ファンベルトが劣化している。今回の出張作業で依頼されていたら安く交換できたことがわかった。

今度はバッテリー交換になると思う。これもエンジンの奥なので工具を持たない私に交換は無理。そのときまで切れずに動いてほしい。

午前はユンボの修理立ち会い。メンテナンスについて質問攻めをした。


午後から散髪か温泉か病院かの選択。まだ予約の日にちより早いが血圧測定にした。病院で測ると高血圧になる。


今夜、待望の雨予報。

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流れる星は生きている

木曜日は6時半に唐戸魚市場。きのうは風があったので鮮魚の水揚げはどうだったのかと思いながら、赤間神宮駐車場から早足で向かった。

一番先に目にとまった「ゆめかさご」場内でこのひと山だけ「腹を出して頭はそのまま!」と兄ちゃんに声をかけてからその他を見て歩いた。もうひと山買ったのはトラフグの皮。冷凍しておけばいろいろ楽しめる。

 

当時7歳。満州新京駅に家族で行って玉音放送を聴いたおばあちゃんが「ころ」から船に乗ったと記憶をたどられた。その「ころ」に私はたどり着いた。そのことを先週「来週、ころがわかるものを持ってくる」と約束した。ネットのプリントアウトは重枝さんがカラープリントアウトしてくれた。

 

おばあちゃんとじいちゃんも私を待ち構えておられた。

葫芦島のプリントアウトを手渡した。大陸からの引き揚げ150万人が集められた葫芦島の概要がこの資料からわかる。敗戦の日本人難民150万人の帰還を果たしたことは世界史にも類を見ないらしい。


まず難民引き揚げ者が帰還船に乗船するまで滞在する建物を建設した。集められた人たちが生きていく最低限の食料提供。医療は整っていなかったのではなかろうか大勢がこの地で埋葬されている。


その葫芦島帰還事業の情報を満州各地で受けた人たちは、葫芦島行きの貨車が出る順番待ちを1年以上家財道具をお金にして食べながら待った。

帰還事業の情報を得ることができなかった人々は徒歩で朝鮮半島38度線をこえる逃避行をされた。そのようなことが想像できた。

 

ばあちゃん「ほんとうに嬉しい」深々と頭をさげられた。幼くして国策にほんろうされ空腹の子供に食べさせる苦労をしたご両親のこと葫芦島からの帰還がよみがえったと思った。


「流れる星は生きている」


この本から私の新京物語がはじまった。

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カバ隊長の元気がもどった

たくさんの人がスマホを持ち歩き高性能カメラを使う。その社会になり「インスタ映え」という言葉が市民権を得た。

京都を散策したとき神社仏閣までその流れにのって撮影スポットに工夫を凝らしていた。神仏を見栄えでいわばランクづけも時代なのかもわからない。


厚狭のコスモス畑。毎年この風景を眺める。早々に稲刈りをした田んぼにコスモスの種を蒔いておられるのは、そばで自動車修理工場をいとなまれているご主人。

誰かに見せようではなく、ご自分の秋を楽しまれている。私はお裾分けを楽しんでいる。


3時に起きた。朝はコップ一杯の水を飲んでスタート。ところが喉に水がとおると痛みを感じた。風邪で寝込んだとか(二日酔いでは苦しい体験多々ある)は記憶にない。血圧の通院以外、外科はあっても熱がでたとかお腹が痛むなどはない。

5時半、下関にむけて走り出す前に神様に「喉の痛みが消えますように」と四拍手。8時前に下関市住吉神社参拝(宮司にお届け)本殿参拝のとき喉の痛みがなかった。その御礼の二拍手。

 

水曜日、長府の藤中さんに家内が弁当をつくっている。玄米ご飯・彩り何種類かの野菜・肉と魚にデザート・お茶。私と同い年(69歳独身)猛暑の時期は少し中断したが復活している。

カバ隊長とその風貌からよばれている。私は彼を尊敬している。

長府キャンドルナイトは檀具川沿いに灯りを灯して散策を楽しむ催し。その大将はカバ隊長。市の予算をもらってやろうという大多数の意見を押さえた「市の予算がとれなかったら実行できない行事では地元の活性化にならない」と。毎年キャンドルナイトに家内と訪れて500円のキャンドルを買っている。


時代祭は甲冑武者が長府を練り歩く。その甲冑の数は相当あり全国の甲冑をレンタルする。行事が終わりその甲冑の掃除をして箱詰めして返却。それにカバ隊長は汗を流している。


檀具川にホタルを復活させようと川の清掃や先進地の視察(原付バイク)で長門市俵山温泉のホタル行事にまでも走る。


この歳で小説家をめざしたり。絵を描いたりしている。


彼が催す企画はおもしろい。昨年は長府公民館を会場に「活弁」は彼ならではの企画。チャップリンや大河内伝次郎の無声映画を弁士が仕立てあげる。その話術に感動した。


私が萩や長府散策を催したりすると手伝ってくれるのはカバ隊長。岡本拓也さんのご縁でおつきあいがはじまった。


コスモスとカバ隊長のコラージュを載せました。

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コロナが身近な問題になった

写真は5~6年前、湯田ローターリークラブ観月会に招かれカヤグム(韓国の琴)を奏でながら歌い上げる呉明美(お・みょんみ)さん。

彼女ブログはhttp://sorinamu.net/

ご実家は、韓風おうちれすとらん「てじょん」を営んでおられるホームページはhttp://daejeon.online


韓国料理と民族衣装で演奏を楽しむ会を春ごろ計画。来月21日に決めた。ところがコロナ騒動。心待ちにしてくださっている23名。そのみなさんのなかから「もし、この催しでコロナ感染がおきてマスコミがお店のことを記事に出したら大きな影響をお店にあたえてしまいますよ」と連絡を頂戴した。そのことは2日前の日記に書いた。


お店と参加者全員に中止でも延期でもない玉虫色の一報を出した。

 

農園の夜中がイノシシとシカの鳴き声でやかましい。それに反応して犬が吠える。ヘッドライトを点けて5時の散歩。橋を渡ろうとしたらタヌキが正面から歩いてきた。老犬ハッピーが追いかけようと大興奮。ゆきちゃんは先日ヤマカガシ(ヘビ)と遭遇。ヘビは威嚇の姿勢で垂直になった。ゆきちゃんは尾を巻いた。

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満州の旅をしている

昨年の秋に撮った「海峡威風堂々」明日のホーム画面にも載せます。


「流れる星は生きている」を読み終えて満州の旅をしているような気分になっている。


作者の藤原ていさん家族が暮らした新京。たまごのお客さまのおばあさん、7歳のとき大事なラジオ放送があると家族で新京駅で聴いた玉音放送。


藤原ていさんは子供を連れて過酷な徒歩などでの引き揚げで38度線をこえられた。私だったら生きて地獄を歩くより死んで楽になる道を選択したと思う。足の裏にたくさんの小石が食い込んでいたので手術を受けた。


テレビ番組「がいろく(街頭録音)」でマイクをむけられた高齢の男性。満州の引き揚げは地獄でした。母は三才の弟に食べさせるものがなく乳を吸わせていましたが栄養失調で母と弟は餓死しました。

葫芦島(ころとう)にたどり着き帰還できました。


新京駅で玉音放送を聞いた少女家族は一年と半年新京から動くことができなかった。家財を売りながら命をつないだ。

あるとき駅に集まれと号令がかかり、新京駅から屋根のない貨車で数日かけて「ころ」に着いた。


葫芦島を検索したらヒットした。

ポツダム宣言に基づいて1946年から1948年まで150万人もの日本人が葫芦島に集められ帰国までの期間住宅と食料が与えられた。

私の憶測では、満州各地にとどまった人たちは葫芦島情報を得ており帰還指示まで順番待ちだった。

一方、混乱で情報が届かなかった在留邦人は「団」をつくって徒歩で韓国をめざした。


葫芦島から150万人もの日本人が大きな混乱もなく帰還を果たしたことは世界史的にも例をみないとネットの文献に結ばれていた。


戦死された兵隊には恩給が家族に支払われ。国策で満州におもむき辛酸をなめた人たちに国家はなにも報いていない。


今朝、ほんとうに久しぶりに夜露がおりていた。4時から焼却ゴミに火をつけることができた。


ネット検索して重枝さんにプリントアウトしてもらった。木曜日に葫芦島をおばあさんに手渡しができる。



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忘れ物やカメムシで神様が伝えてくださる

3時起床。目覚まし年中行事は弁天池の水をコップ一杯。そのとき台所に大きなカメムシを見つけた。ティッシュでつかもうとしたらガスレンジの奥に落ちた。レンジを少し動かしヘッドライトを点けて奥を見たらカメムシどころではない、油にまみれたゴミが積もっていた。それを見てしまった。


いくらトイレが輝いていてもこれでは話にならない。まして今朝は山口市掃除に学ぶ会(近くの神社が会場)に参加する。見なかったことにはできない。


レンジを外しこぼれ落ちて油で固まった、そのときの食品が堆積している受け皿を外に持ち出し掃除をはじめた。夜明けまでには時間がある。ヘッドライトが活躍。両手に油がついて困難な作業になった。

台所もきれいにしてレンジを据えるまで約一時間。見た目は変わらないレンジが、見えないところまで掃除ができているので輝いて見えた。


忘れ物が多くなった。配達に出て10分ほど走って「あっ!」とそれに気がつくことが多い。農園に戻るとき忘れ物をする自分に落ち込んでいた。

しかし農園の部屋に忘れ物をとりに入ってガスの元栓閉め忘れ。蛍光灯の消し忘れなど忘れ物があったから気がつくことがたびたびあった。


今朝のカメムシや忘れ物。言葉で知らせてくれない神様が「気づけよ」とお知らせくださっている。そう納得するようになった。


7時に農園を出てお掃除会場に向かう予定にしていたがレンジのハプニングで時間割に支障が出た。農園のことや愛犬たちの世話、私の朝食や部屋の掃除の時間割がとても窮屈になった。


くわえて来月「韓風おうちレストランてじょん」で私か主催の催しについてコロナをご心配される参加者(23名)のなかから「もし、この会で問題がおきたときお店に大きなご迷惑をおかけする催しになりませんか」とのご指摘を受けた。

コロナを身近に感じて昨夜は悩んだ。その結果、そのご指摘は神様の声として受けることが私の生き方と結論。


お店のお母さんに「中止でも延期でもありません。今月いっぱい様子をみての判断にさせてください」とメール。参加者の全員にも同じ内容をメールでお知らせした。


横瀬八幡宮のお掃除は秋晴れのもとで気持ちのよい境内地の清掃だった。

午後から鍵山記念館で数樂の会。私は農園、今年最後の草刈りを理由に不参加。


空腹をかかえて昼食をつくってくれる家内を待った。家内の農園到着は1時前。それから焼き飯づくり。ロング缶で昼ごはんを終えたら草刈りより眠気。とにかく眠気。目が覚めたら3時すぎだった。


⏹️あだち美術館更新しましたご入館ください


写真は掃除を終えた私を重枝さんカメラ。

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額縁も作品にたいせつ

早朝、萩市三景。

たまち商店街に草月流の方が竹でオブジェというのか。下の左は平安古(ひやこ)右は浜崎新掘川。


萩市、私のカメラでたくさん撮りたい風景や瞬間がある。


きのう夕方、自宅に帰る家内が食卓に「おでん」「焼き肉」「いなり寿司」「生野菜」などをずらり並べた。食べきれないと思いながら米焼酎で全部食べた。

今朝4時。胃が重く食欲がない。食べないのも体によくないので納豆とバナナで終わった。

愛犬ハッピーは生たまごひとつ。ゆきちゃんは生たまごとドックフード(定量)見た目は細いが15kgになった。


お昼に配達から戻った。キツネ蕎麦と缶ビール。

ごろりと横になったら30分熟睡。頭がスッキリした。

コーヒー飲みながら連絡などタブレットと電話でできることをすべて終えた。


木曜日に「とりのこ」で撮った作品(美祢市の4人)。絵手紙の萬代さんが「同級生の作品」とFacebookをご覧になってのお便り。鑑賞に足を運ばれたと思う。


作品の絵と額縁について。額縁は、人でいうと装う服のようなものでおろそかにはできない。というお便りを頂戴した。

以前、県立美術館で作品と額縁を熱心に鑑賞されている方を見かけたことがある。作品と額縁がわかった。

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休養にならなかった金曜日

今朝4時の目覚ましアラームをとめて眠りにおちた。できれば6時ぐらいまで寝ていたいが犬たちは散歩をしたいので騒がしくなる。犬がいなければ布団から出られない。犬のおかげで朝夕の散歩ができる。


満州の新京から当時7歳で過酷な引き揚げを体験されたおばあさん、先日ネット検索でヒットした引き揚げ拠点の「ころ島」が見つかったときのう話した「やっぱり地名の記憶に間違いはなかった」と目を潤ませられた。

過酷な記憶を呼び覚ますかもわからなので尋ねた「その記事をご覧になりたいですか」と。

混乱と空腹しか覚えていないが、もし読めるならお願いします。


私の環境にプリントアウトがない。その部分がわかるようにスクリーンショット。重枝さんにお手数をおかけすることになった。


農園をはじめたころ、垣内さん、糸賀さんに連れられて農園見学。夜に酒を持って行ったと言われる経営コンサルタントの方から連絡があった。

コンサル先の洋食店でオムライスに農園たまごを使いたい。ついては打合せに来てほしいと。お名前も顔も記憶にないが、先方は懐かしそうだった。

小郡駅近くリニューアル真っ最中の店舗で、コンサルと店長と商談。酒を飲んで歓談した思い出を語られたが鶏の話題はなかった夜中だったから。


木曜日、下関市内で長年地域の方にたまごを取り次いでくださったお店が突然閉店された。農園にもその通知がなかったので、木曜日にたまごを求めてお店に行かれたお客さまは驚かれた。農園宛に継続してたまごが欲しいとメールと電話。その対応をした。


ゆきちゃんがユンボの油圧ホースに噛みついて穴をあけた。メーカー修理費用が高額なので自力でホース交換に挑んだ。あと一歩のところが写真の締め付け。これをゆるめるにはメーカー特殊工具しかない。

来週金曜日の修理をメーカーにお願いした。

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彦島大橋から念願の航跡が撮れました

きょうの写真3枚コラージュでのせます。


撮った場所は彦島大橋。パーキングに車をとめて橋の頂上まで歩いた。毎週この橋を彦島から金比羅交差点方向に通過している。10時ちょうどに彦島湾内から六連島(むつれじま)連絡船が通過する。

漁船などの往来がなく穏やかな湾内を響灘に向かう航跡が撮りたいとずっと思って10時にカメラを手に橋を歩いた。けれども風や往来の船で連絡船の航跡が消された。


湾内穏やか。連絡船の姿を待った。他の船が往来したら航跡は撮れない。連絡船の勇姿が航跡を残しながらカーブした。念願叶った「航跡」が撮れた。


今朝の唐戸魚市場は水揚げが少なく閑散としていた。

浪花の大将と長男に挨拶できた。何か買わなければとウロウロしたあげく買ったのはカツオのタタキ半身とアサリ。

サワラは春ではなく秋。親しい店で買い時を聞いたら来月と教えてもらった。そのときおすすめのブロックを買いますと口約束した。


長丁場の木曜日が終わった。しっかり眠りたい。

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水曜日いろいろあった

今朝の朝焼け。6時に小月の木屋川から撮った。

Facebookには糸賀社長とカモンFMの申さん、長府メガネのノエルさんも朝焼けを投稿されていた。


水曜日は早起きして慌ただしい時間。それを知りながら、8時から録画していた娯楽映画「エアフォースワン」を観てしまった。しかも米焼酎をストレートでチビチビやりながら(その前はウイスキーハイボールも)

毛布と掛布団の冬支度で寝た。3時にスッキリ目がさめた。たまには娯楽映画と深酒は健康によいのかもわからない。


水曜日。頭と身体をフル回転で多くの場面に向き合った。

下関住吉神社の鳴瀬宮司が社務所で私を待ち構えておられた「質問が二つある」と話をきりだされた。

農園の社長は誰かね?神社の鴨に与える飼料にアドバイスしてくれないか?

社長は長男です。私はその部下です。飼料のことは来週の水曜日までに調べてお答えします。


シカ・イノシシの肉がよい状態で手に入りませんかとレストランオーナーから。配達の帰り道に猟をされる方のお宅(たまごのお客さま)に立ち寄り相談した「来週、あんたが来たときに返事をしよう。猟仲間と相談(金額)するから」と。


ゆきちゃんが噛んで穴をあけたユンボの油圧ホース。メーカー営業所から予想どうりの見積り金額。金額もあるが自力で交換できないか、それは私のスキルアップになる。

油圧ホースを外すことができたら数千円で解決できる。その業者もみつけた。肝心のホース結合部分まで到達できる工具を買った。昨夜、カバーのネジがゆるむように潤滑油をスプレーしておいた。

ある方が「お宅の使っているメーカーは特殊工具がいる場合が多い」それは感じていた。バッテリー交換をするには市販の工具では動かないネジがある。つまりメーカーに出張交換を頼まなければ動かない構造になっている。

油圧ホースも最後の到達点は特殊工具が必要とわかった。


スペシャルオリンピックス下関の拠点に岡本直也さんから預かった多肉植物を届けた。

王司の神田さんにバーバラシャツを3枚の配達を頼まれた。


明日の配達先のお米屋さん、電話の呼び出しはするが出ないと家内。たまたま店員の携帯電話番号を知っていたので問い合わせたら「5日、突然の倒産宣言がありました」と。このお米屋さんは唐戸魚市場名物の寿司米を一手に商っておられた。

その市場がコロナで客足が途絶えたのが原因かもわからない。

地域の方々が農園たまごをたくさんが予約で待っておられた。松村御大、専務取締役時代にご紹介いただいた。従業員さんの今後の立ち行きを祈る。


スペシャルオリンピックス下関協賛の「スペシャルエッグ」は、定価に数円上乗せした金額。農園からの仕切りを数円マイナス。関係者の協力で約半年で2万数千円がスペシャルオリンピックス下関の活動資金に繰入れられた。

わずかな金額かもわからないが数円の積み重ね。この企画を拡げていく。

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余命の日数を考えた

秋ふかし ぬけるような青空。


火曜日、美容室ニュースタイル(山口市内6店舗)糸賀社長が10時に私を待っている。もう15年以上続いている。

話題は社会情勢・食べ物・生き方・死に方・酒・失敗談・健康管理など多岐にわたる。


今朝もコーヒーをいただきながら社長が口火をきった。

ワシらの仕事は、開店前にしっかり掃除をしてお客さまを迎える。ご希望どおりのカットに取り組む。お金を頂戴する。それをワシはやってきた。

30年以上もカットをしたお客が余命わずかとメールをくれた。ワシより何歳も年上。お別れに行く。

技術を身につけるための基本は「生き方」で決まる。日本人が培ってきたあらゆる技術が低迷していると。


私もコロナ対策治療薬。それが世界に先駆けて日本の医療が出ない。海外依存は日本の医学が低迷していると感じている。


来年の秋。私は70歳をむかえる。仮に75歳まで命があるとすれば約2000日。時間を浪費しない毎日をおくりたい。


https://www.facebook.com/iinewadainonewssokuho/videos/301972567697230/


Facebookの動画がご覧になれるようです。試験的に載せました。

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ゆきちゃんユンボのホースに噛みついた

以前にブログでご紹介した萩市浜崎に保存されている「引札(チラシ)」その引札を浜崎に配った方は京都海産問屋の島津恒三郎。

そのお孫さんか曾孫が「島津恒三郎」でネット検索した。たまたまブログにお名前を書き込んでいたので私のブログがヒットした。その方は京都で内科医を開業。金光教四條教会総代さん。


ブログを丹念に目を通され、私の長女が金光教太秦教会家族でご用をしていることがわかった。

太秦教会に「足立さんのことを知りたい」と電話。それを受けたのは長女の照美さん。実はお琴の稽古に照美さんが通っているのは四條教会。「私の父親です」になった。


前置きが長くなった。

きょう配達先で「保護犬を飼っているのですね」と声をかけられた。その方は愛犬家「保護犬」をキーワードにネット検索したら「ゆきちゃん」に到達して私の名前があったと。


ネットで嘘は書いていないが、軽はずみな発言をする私はネットのつきあい方を教えられた。


その「ゆきちゃん」きょうはユンボの高圧ホースに噛みついて穴をあけた。腹がたってしかたがないが私が繋ぐ不注意で責任は私。

コマツに修理の見積りを頼んで、一方では自力でホース交換を検討したい。

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半年以上ぶりの湯田温泉

今朝の農園風景3枚。

ハッピーは農園生活12年(その前は不詳)穏やかな老後をおくっている。ゆきちゃん、近ごろ散歩が上手になった。昨夜オリに入ったうり坊。かわいいが一年経つと迫力満点で狼藉を働く。



部屋とトイレなどしっかり掃除をした。コーヒー飲みながらテレビを点けたら「ガイロク(NHK番組・街頭録音)」高齢の男性にマイクが向けられていた。


⏹️満州の新京から引き揚げでした。母と乳飲み子の弟は餓死しました「ころとう」までたどり着き帰国。東京に戻ったが住む家がなく土管が我が家の生活をしました。数年前、家内を連れて新京に行きました。家内が、よく帰ってこれたねと言いました。涙がとまりませんでした。


菊川のおばあさん。7歳のとき新京駅で玉音放送を聞いた。帰国のチャンスがなく家財を売りながら1年暮らした。家族で屋根のない貨物列車に揺られて3日ぐらい「ころ島」に着いたと話された。


すぐにネットで調べたら葫芦島がヒットした。

関心のある方は検索してください。大東亜共栄圏の国策、それを煽った当時のマスコミ。それにより夢を抱いて赴いた多くの日本人が辛酸をなめた引き揚げ(難民)その責任を誰がとったのか。国策の福島原発事故も同じ。


昼前に家内が農園到着。親子丼をつくりはじめた。

ふだんの日曜日ならロング缶をあける場面。それより半年以上もご無沙汰の湯田温泉「温泉の森」に行くことを決めた。

マスクでカウンター、そこで検温のあと連絡先を記入して風呂に入れた。サウナは9人分の座る指定席がバスタオルでつくられていた。寝湯のジャグジーで指先がほとびる(方言・シワシワ)ほど90分も転がった。

体重計はベストの65kgピッタリ!


温泉に行くことができて少し私の日常が戻った。


⏹️あだち美術館を更新しました。お立ち寄りください。

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一期一会を聴いた 体験した

今朝、道の駅の駐車場近くでミカンを載せたトラックがとまっていた。50歳ぐらいと見受けられる体格のよい男性が開店前の準備で店を組み立てていた。

傍らに子供がふたり空き箱に並んで腰をおろして朝食の弁当を食べていた。お姉ちゃんのような子が私に微笑んだ。ダウン症だと思ったその笑顔は天使だった。私も笑顔で手をふったら彼女も手をふった。


昨夜の高橋源一郎先生「飛ぶ教室」は、聴き逃しサービスで聴いた。その冒頭3分は「人生で一度しか会わない人が心に残る」だった。

高橋先生、高校生のときヒッチハイクをした。東京から広島。夜は原爆ドームの近くで野宿を決めた。深夜、あきらかにヤクザとわかる風体の男が数人の手下をしたがえてきた。その雰囲気は異様で恐ろしかった。事情を問われたのでヒッチハイクで来ましたと言うと「若いときはしっかり旅をしたらええ」と隣に座った。

読書が好きだと高橋少年が言うと話題はドストエフスキー作品になった。

大学で西洋文学を学んでいたが親父が急逝してあとを継ぐために広島に戻ってこの世界。親父はヤクザの親分だった。

あす、大きな出入りがある。もう見ることがないかもわからない広島を歩いていたと。

新聞で派手なヤクザ抗争があった記事を読んだ。その後あの人には会っていない。


私に天使の微笑みをくれた少女はこれから先会うことはないと思う。けれどもあの微笑みを忘れたくない。


美祢市のスーパーマーケットに立ち寄った。駐車場にパトカー2台がすべりこみ騒然となっていた。遠目に見ると、高齢の女性が運転する車がバックしているとき、後ろを押し車で通っている高齢の女性に気がつかず車で押し倒したようだった。さいわいに大きな怪我はないようだった。


私たち高齢夫婦。家内の車にバックモニターはない。毎年二泊三日この車で旅をしているが(今年は中止)目的地はカーナビより地元の人に聞くことが私の信条。方言や人情にふれたり、思いがけないサプライズがあったりの人間ナビゲーションがよかった。

年末に納車される配達の車にははじめてカーナビを装備。目的は配達先の地点登録(300登録が可能)あわせてバックモニターも使える。


スーパーマーケットの事故を目撃して、家内の車に後方確認画面をつけなければと思った。午後からその機能をつけるには予算的にはいくら必要かを調べにYellow Hat。

結論は、後方が確認できて、車検がたっぷり、軽四でよい。毎月夫婦の年金から支払える金額を車のことなら江口さん(お掃除仲間)に問い合わせた。


長門市野波瀬の極楽寺。伝道掲示10月を撮った。

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囲炉裏の部屋は私の健康法

窮屈でもクリは仲良く実る。


岐阜県正眼寺(しょうげんじ)ご住職が3週間前、日曜日「心の時代」でお寺の修行や作法についてお話をされた。きょう2度目の録画再生をした。


お話の中心は「食」お寺の食べ物はすべて托鉢。年中素足に草履で遠い地域は片道20㎞。数人ごとに地域を分けて托鉢に出る。托鉢は地域すべての家を分け隔てなくまわる。「来るな!」と断られたお宅は近くから合掌して祈る。

以前はお供えされるお米が新米や古米、外国産米などあった。それを寺で炊くときの加減は、水から炊くとご飯にならない。多様なお米のときは釜の水を沸騰させたなかにお米を入れる。

その時お米は、驚いて新米、古米とか外国産ということを忘れて「米」になる。それから炊き上がる蒸気の変化を見ながら、ある瞬間にカマドの火を一気に外に出す。


修行僧も年齢や国籍など様々だが「人」にならせる修行

がある。


午前中、阿知須の動物病院にマダニとフィラリア予防薬を買いに行った。FamilyMartでMスサイズ濃いホットコーヒーを買った。あとは農園でゆっくり過ごした。

引っ張り癖がなおらない「ゆきちゃん」。ここ数日の散歩はリードがビンビンに張らずゆったりしてきた。犬にも個性がある。他の犬と比べることはしない。


「囲炉裏の部屋」の日記を更新している。日記には広告が入らない有料(年間約2万円)サイト。もちろん閲覧の方に負担はない。

毎日更新手続きをしている。きのうは月がかわる更新。面倒なことを長年続けている意味は私ができる毎日の勉強。


1日の出来事や思ったことを文字にすること。カメラを使うこと。重枝さんにタブレット機能を、より便利に使うことを教わること。

これは、ブログの閲覧者がゼロでもよい。私が年齢に埋没しない私の健康法。


https://www.facebook.com/iinewadainonewssokuho/videos/301972567697230/

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神無月の日の出

神無月の初日の出


6時すぎ長府から唐戸を目指す黒門あたりで日の出になった。バス停にとめてシャッターを押した一枚。


唐戸魚市場「おはようございます!」と元気な声。聞き覚えはあるけれどマスクで顔がわからない。穏やかな目もとで長府「ビストロまさ」オーナーシェフだった。浪花の荒川大将と挨拶をかわした。魚屋「魚仲」さんも場内を闊歩。背中をたたいて挨拶。みなさん農園お客さま。


いつもの店で大阪湾コイワシひと山。もうひとつの店でカツオのたたき半身。もう一軒でトラフグのアラを一盛り。

アカバナという切り身があった「ヒラソのように美味しい」と。うちわエビが泳いでいた「刺身!アラで味噌汁最高!」木曜日に何年も通っていると会話もはずんで楽しい。


木曜日を終えて農園ゴールイン4時前。なにやら騒々しい。犬たちは早々と作業場に繋がれていた。

栄えあるイノシシ捕獲の実験地として農園が選ばれた。もともと農園にオリをふたつかけてたくさん捕獲している地元の猟師は宇部市猟友会の会長さん。その関係もあって宇部市が予算をつかって本格的な捕獲に腰をあげた。

福山ナンバーの設置業者も参加してオリに誘導する仕掛けを設置。センサーで動画撮影の暗視カメラなど農園周囲に仕掛けた。期限は今年中。


農園近くでシカの鳴き声が聞こえるというと「なんとか」という鳥の名前を(聞いてすぐ忘れた)もシカの声ととても似ている。シカの姿を目視して「シカ」と断定できる。


農園近くにサルを数頭、早朝に見かけることがあると話したら。頭数は5頭で吉部神社の山奥がねぐら。ぼつぼつ捕獲します。

藤ヶ瀬でサルの群れが路上に座り込んでいた。エンジンが動いている草刈機を放り投げてばあちゃんが走って逃げていた。私もサルの群れに車を走らせる度胸はないので去るまで待った(座布団)。

そのサルはすべて(約200頭)2年前に捕獲して処分したと話されて驚いた。

宇部市と協議して予算をとってサル捕獲用の檻を設置した。群れの全部の大捕物をやった。


イノシシの乳房は8つある。つまり8頭出産する力はある。それが年に2回出産するから始末が悪い。


きょうのラジオニュース。東北でクマに襲われた事件が数件。気候変動や領土問題に経済戦争にくわえて身近な自然界との共生も課題。

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