ウバーレの疑問がはれた(^_^)/

家内が農園でよく使う包丁3種類。たまたま小野田市内で研ぎ屋さんの看板を見つけて、2週間前に向かって左の刺身包丁をお願いした。先日、出刃包丁と肉切り包丁も研いで貰った。

小太りで赤ら顔のじいちゃんと交わした会話。

この「研ぎと目立て」を商売にして約60年。宇部、小野田に美祢の炭鉱で地下の坑道を落盤から守る坑木は、万倉や吉部(農園)のにはたくさんの山師と呼ばれる木こり集団がおり、鋸を使い分けて太い松を倒し、牛馬で山から運び出して製材して坑木になった。

今のようなチェンソーはなかったから、鋸は腕のよい目立て屋の稼ぎになった(つまりワシの腕がよかった)。戦前、戦中に戦後の日本を支えた鉱業は石炭が支えた。その炭鉱はワシが支えた。という自慢話は聴いて勉強になった。

今も刃物からチェンソーなど目立てが生きがいと言う「ええか、こうた(買った)ときより切れるから用心せえよ。また持ってこい」


土曜日の配達。美祢市のある場所に新しい看板を市が立てた「ウバーレ集落」地名のアンテナが大きな私は「ウバーレ」が気になってしかたがない。配達先のお宅で「ウバーレてご存じですか」と聞いてもご存じない(ネット検索すればよかった)とうとう美祢駅で客待ちのタクシードライバーに「ウバーレ教えてください」とモヤモヤをうちあけた。

秋吉台にある三角すいのくぼ地はドリーネ、その何倍も大きなくぼ地がウバーレだと丁寧に解説していただいた。ご当地の観光や飲食店など教えてもらうのはネットよりタクシードライバーさんがよい。私が長年、各地を仕事で移動して身につけた確かな情報を再確認できた。


農園で昼ごはんをすませて湯田温泉簡保の湯。昨夜は布団を敷いてテレビを見ながら寝てしまい朝になった。風呂に入り着替えもしてサッパリしたかった。簡保はゲストWi-Fiがロビーで使える。

風呂あがりにソファーでブログ「先月写真集」を更新。19枚載せましたのでご覧ください。


3月、お付き合いありがとうございました。4月も元気いっぱい過ごしましょう。

読みたい「知らなかった僕らの戦争」

きのう店休で所定の場所にお届けした下関市内の飲食店などに月末の集金にうかがった。日の山公園は眼下に桜と関門海峡が見渡せる絶景の桜スボット。ロープーウェイ駐車場は交通整理の方が動員されていたが運良くスペースが空い海峡の桜を満喫できた。機会を見つけてホーム画面に載せます。


帰り道に下関市美術館の周辺を散策した。ペガサスが快晴の空に映えていた。


今朝8時からラジオ「すっぴん」で源ちゃんの現代国語を聴いて運転していた。20分ごろ関東地方の強い揺れで番組が「地震速報」になったので現代国語は尻切れトンボになったが話題のテーマは信号待ちでメモしておいた。

アーサー・ビナード著「知らなかった僕らの戦争」を高橋源一郎先生が解説されていた。ぜひ読もうと思ったことは、戦争中にアジアの戦地で住民虐殺の罪で軍事法廷。B級戦犯として10年以上も現地で重労働を課せられた元日本兵を著者がインタビューした記述。


🔶当時の軍事裁判は、例えば住民が「タカハシが殺した」と訴えたら、証拠調査などは省略して兵隊のタカハシが罰せられる。ぐらいの裁判であった(私の認識)🔶


刑期を果たした元日本兵が「お国のために戦地に赴いた結果を個人が償うのが戦争です」この解説に戦争がハッキリ私は理解できた。読んでおきたい一冊。


ラジオ。先日リスナーの方が幼少の思い出を寄せられた。駄菓子屋のかたすみには鉄板があり、おばちゃんがお好み焼きを焼いた。熱々のお好み焼きにソースをハケでつけて新聞紙にくるんだ。帰り道で座ってモヤシがたくさんのお好み焼きをを食べた。


「昭和あるある」の投稿だった。国鉄の「琴芝駅」近くで母と暮らしていたころ駄菓子屋は2軒あった「ばあさん屋」と「おばさん屋」そこに集まる子供の色分けだった。わたしは「ばあさん屋」派、そこには焼き芋の釜があったが小遣いで買えなかった。店の外で焼き芋を食べた皮を拾って食べたことがあった。それを母に告げ口した仲間がおったらしく母の逆鱗にふれた。血が口からこぼれるぐらい叩かれた。その時の母の涙を覚えている。

新聞紙のお好み焼きで母を思い出した。

雲丹醤油は下関の味!

2時にシャッキリ目が覚めた。おそらく昨夜はアルコールをひかえたから。

録画を再生 仕事の流儀「吹奏楽音楽監督 藤重佳次 51分」高校マーチングバンドの汗と涙に布団のなかでもらい泣き。

昨夜の録画はジャス番組60分も見た。半崎美子さんがジャズを見事に歌った。アルバムを何枚かタブレットに入れている伊東ゆかりもよかった。歌手生活65年、その年輪がとてもよかった。


6時半ごろ赤間神宮駐車場に車をとめて唐戸魚市場。おばちゃんが私を「兄ちゃん!」と呼び止めたので買ったのはカワハギ2匹(500円)、いつもの兄ちゃんの店でアジのアゴ折り4匹(800円)ワカメを一袋(300円)。市場の出口でタケノコ300円があったので買った。クーラーボックスに入れた。あとは家内が担当。


唐戸「大和交通」のSさん。萩市にお住まいの子供さん夫婦にもたまごのお届けご注文でSさんがお支払い。来月の萩市浜崎の散策に4名で申し込みをされた。

「阿弥陀寺の幽霊(工事中からダウンロード)」を読まれて、その地域にお住まいで「一気に読みました。映画を見ているようでした」と感想を話された「その作家が浜崎に来られます」と予告したら喜ばれた。


2週間前、雲丹醤油を南風泊の「ふくの里」で買った。販売元の やまみ雲丹は、下関で掃除に学ぶ会が立ち上がったころ雲丹屋の娘さんが参加された。当時の流行りパソコン通信のハンドルネームは「ウニ姫」父親の社長は「ウニ王」その命名は松村御大だった。

たまごかけご飯や刺身醤油に使っても雲丹醤油は相性がよかった。姫に「旨かった」と感想をメールした。来月、長府「あけぼの珈琲」で雲丹醤油をテーマに会うことになった。


美祢市「よしの」で1週間のニュースまとめ談義。優生保護法や証人喚問など吉野さんの見識を聞かせていただいた。

南蛮だより チラシ完成

山陽小野田市有帆 自然派工房「木洩木」

恒例の 木洩木まつりが来月開催されます。13日と14日です。明日のホーム画面でもご紹介します。お尋ねは私でも受け付けます。

htt://komoregi.daix.co.jp


昨夜は本を読みながらウィスキーをチビチビ呑んでいたら適量をオーバーしていた。

6時にスタートしたいけれど起きたのが4時。困ったたときの冷凍うどん(きつね)と野菜、納豆にバナナが朝食。台所と部屋の掃除、犬の散歩にホーム画面の更新。とにかく慌ただしく動いて6時に間に合った。


小月から長府、新下関周辺から安岡。最後は小月の神田川近くのお宅でゴール。

昨年からカステラ「南蛮だより」とマドレーヌを、農園たまごを使って商品化する準備をすすめていた。製造は岡本順子さんご親戚が長府で洋菓子店 レサンクを営まれておりお願いする。

岡本順子さんの実家は西市で和菓子店を長年営まれており、レサンクのパテシェはそこが菓子修業されていたので大正時代からのカステラレシピ。サイズは一斤と大きい。佐賀県「相川餅水飴」で豊かな風味です。


チラシのデザインは、レサンクに材料を納入される業者の方が献身的に制作してくださり、印刷までも手配してくださった。その完成した印刷物を受けとりに行った。

近々にたまごのお客さまにはご案内します。

一の坂川 の春です

お昼前、山口市内を走る車内はクーラーをつけていた(証人喚問の中継をハッキリ聞くため)。市内の桜ポイントのひとつ 一の坂川付近に配達がある。そのお宅にに車をおいて桜見物客の一人になった。

この冬はとくに寒かったから満開の桜がまばゆい。


お昼前に県立大学図書館にお届け。カウンターの男性職員さんが「今月で退職します。足立さんお元気で」と丁寧にご挨拶をされた「何年お勤めされましたか」と尋ねたら、県立図書館とこの大学を合わせて41年。驚く話題が続いた。

県立図書館時代に図書館大会があり、その録音テープの文字起こし(反訳)を宇部市の ぎじろくセンターに発注したのがボクで、営業に来たのが社長の足立さんでした。

さらに、当時は最先端のワードプロセッサを使うと言われて驚きました。確か富士通でしたね。

言われてみると図書館大会の仕事をしたかすかな記憶はあるが、担当職員の記憶は無い。


ご挨拶して別れたあと思うこと。

あの方とは10年数年、毎週火曜日に顔をあわせていたが、あの方のことは「猫が好き」ぐらいしか知らなかった。けれども、会社を辞めて作業着で配達している私の40年前をご存じでありながら、それを話題にされなかった。来週はカウンターにおられない方がはじめて昔の話題にふれられた。「お元気で!」の言葉がありがたくてしかたがない。


昨夜は2日ぶりに外ネコの「おい」が8時ごろ戻った。桂子ちゃん差し入れのカリカリと猫缶を食べた。今朝は4時前から朝ごはんのニャーニャーがはじまった。モーニング缶を食べさせた。

暑いぐらい春の陽気

配達を終えて農園に戻ったら家内が「いただきました」と猪肉を見せてくれた。先週の獲物らしい。

農園生活をするまでは猪肉を食べるといえば旅先での「ボタン鍋」ぐらい。ここで生活をはじめたら川ガニ、スッボン、コイやワカサギにブラックバス。シカやイノシシ季節の味を楽しめる。きょうの猪肉は脂がのっているので焼肉と家内は決めた。


昨夜はそのイノシシ騒動があった。8時ごろ、戻らない外ネコを呼んでいたら大きなイノシシが鼻息をたててあらわれた。農園で使う車に乗り込み体当たりを試みたが逃げられた。イノシシが怖いのかネコは朝まで帰らなかった。


朝は防寒具、日の出とともに一枚、また一枚とマフラーやベストを脱いでお昼には夏のような服装になった。ツバメとトカゲも見た。

明日は山口市の配達。たくさんある桜の名所がコースになるから楽しみ。


朝のニュース。NHKは「ロシアのシベリアの…」民放ラジオは「ロシア シベリアの」重複する「の」が気になった。本題より枝葉が気になる性格。

菊川画廊でコーヒー

昨夜、川崎市の方から満開の桜が届きました。関東では30数年ぶりの遅い雪、そのあとは満開の桜となったようです。23日ブログの「マヨとチョコ」がお気に入りだったので届けたらプリントアウトしますと喜ばれた。


早朝の山口市内、アルミ缶の回収で走っているとマスターズ ゴルフの河村さんがさっそうと自転車を飛ばしておられた。手を挙げて挨拶。

セブンでコーヒーに立ち寄ったら、バックで看板の支柱にコツンとバンパーが当たった。やっぱり注意力が散漫になっている。その警鐘なので気を付けよう。


宇部市内、菊川画廊に9時半。コーヒー豆を挽いておいしいコーヒーをたててくれた。

お互いの近況をかわし終えるといつも神仏の話題になる。今月21日のブログに載せた、この度の京都で時間をこえた「苦楽を共に歩む」にまつわる私と娘婿との物語を話した。菊川さん曰く「京都に呼んだお母さんの働きと思う。けれども、この物語は神様が執筆されている」と言われた。


読んでみるかねと「無手の法悦(むてのしあわせ)・大石順教」を貸してくださった。明治38年 堀江遊郭山海楼で中川万次郎の6人斬り事件。唯1人の生存者は両腕を切り落とされた女性。見せ物小屋など巡業芸人生活のなかで結婚。出産そして離婚などを経て出家得度。昭和30年、口筆般若心経で日展書道部入選。37年には世界身体障害者芸術家協会会員として東洋初の認証を受けた。

まだ途中までしか読んでいないが、事件の前後に金光教光広教会に参拝していた記述があった。


菊川さんが「苦楽を共に歩む」を読みたいと言われたので近々にお届けする。

大好きな風景のひとつ

夜明けがずいぶん早くなった。6時前に愛犬の散歩にライトが必要なくなった。

今朝も冷え込み、川霧が立ち込めて由布院金鱗湖を歩いているようだった。農園から少し離れると霧ははれている。この冷え込みや朝霧に適しているのがお茶栽培。60年前の水害で6軒あったお茶農家はこの場所を離れた。戦時中はサツマイモの供出がこの地域に課されて、イモ畑もたくさんあったらしい(今ならイノシシの食べ放題レストラン、昔はイノシシは少なかったのか、食糧難で食べ尽くされていたのか)。


日中あたたかくなりバス釣りの人が大勢集まる。これから寒くなるまで彼らが棄てるゴミと向き合うことになる。空き缶、弁当容器、お菓子の袋、吸い殻などさまざま拾う。特に老眼を光らせて釣り針やルアー、釣り糸の放置。テグスは腐らないからもし野鳥の足に絡んだらかわいそう。


萩市に下る雲雀峠、6時ごろは氷点下2度。山間部の早朝はまだ真冬。

常茂恵旅館や個人のお宅に配達を終えて長門市野波瀬立ち寄りで大谷山荘。その萩市から長門市に向かうとき、少し大回りになるけれど菊ヶ浜から玉江を走る。その風景がとっても好きだから。今朝も玉江漁港のトイレに立ち寄り歩いたのは7時。

その写真を加工してみた。手前のボートやコンクリートの岸壁がなければ維新の萩になる。


午後から部屋の掃除、トイレと風呂掃除。

川土手の桜並木(故人 下関トヨタ工場長の佐伯さん奥さま寄贈)がぼつぼつ開花する。

湯田温泉で疲れを流してきた

今月のはじめ、黄 加津恵さんがFBに載せられた右(チョコ)左(マヨ)の姉妹。可愛い表情がシャープに撮られているのでみなさんにご披露。姉妹を数枚届けていただいたので機会をみてご紹介します。


農園の外ネコは魚が好物。家内が昨夜刺身にしたイワシの頭4個を生でニャーニャー喜びながら食べた。ところが、先日レンチョウの皮を食べるかと思ったら食べなかった。皮は臭いが強い。


午前中は散髪と湯田温泉簡保の湯。昼ごはんにハイボールをひと缶添えた。


北海道にお住まいの方から初めてのメールが届いた。

私の人生で思い出深い、画家(デザイナー)の石原忠幸先生とお付き合いがあった方で、金子由香利さんの出演する銀巴里に連れて行ってもらったとも書かれていた。

石原先生の弟さん(お会いしたことはない)はシャンソンを歌われていると先生が自慢されていた。

あるサイトで石原先生の作品をご覧になられて、先生のことを検索されていると私のブログがヒットした。

先生のお墓をお尋ねだった。


菊川画廊は、先生が亡くなられても生前のお礼の気持ちをこめて毎年1月に先生の展覧会を催されている。石原先生ファンが足を運ぶ。菊川さんはご葬儀に参列されている。

最近ご無沙汰しているので、日曜日の午前中に画廊にまいりますと電話で告げておいた。


来月の萩市浜崎散策の具体的準備を始めている。今回の参加者は21名。来週明けにガイド「浜崎しっちょる会」に最終人数を連絡する。

見島・大島・相島 連絡船の駐車場に4月8日の9時40分集合。浜崎の古地図を片手に街並みを約1時間散策して現地解散。地図とお土産で参加費500円。駐車場は300円。

参加ご希望の方は日曜日の夕方までにご連絡くだされば受付ます。


きのうブログをアップしてから、ばんだい さんから「日記の中身がない」とメール。確認したら題名だけアップして写真も文章も忘れていた。

きょうは(金曜日)私の愛車は正志が新南陽市の配達で使う。家内の車を使おうとピンクのキーホルダーをポケットに入れてエンジンキーを押しても始動しない。故障したとがっかりして車から降りてキーホルダーを見たら、ピンクのライターだった。

脳も高齢化を迎えている実感。


木曜日の朝は唐戸魚市場

菊川町内日(うつい)のおばあちゃん。会話を交わしている向こうに黄色のリュックが見えたので「ハイキングに行かれますか」と冗談をとばした。

以前から、災害に備えておこうと乾パンや缶詰、衣類に飲料水など3日分を想定して詰めていると言われた。戦争や災害を経験されリュックの大切さをご存じ。


そのリュックのお宅に近い、地域では唯一の家電を扱うお店にも配達をしている。80才半ばと思われるおばあさんは奉天から引き揚げてこられた。敗戦の過酷な逃避行を語ることができる。

この週末、NHK総合テレビ 夜9時から「どこにもない国 前編」があることを話題にした。満蒙開拓について是非はともかく、異国に取り残された多くの日本人を帰国させるため尽力した人たちが主人公になる。

おばあさん家族は開拓農民としてではなく、いわゆる役人として奉天で豊かな生活をされていた。筆舌に尽くせぬ道のりを歩き港にたどり着いたとき迎えの日本船が待っていた。

その段取りに奔走した人たちをドラマにしているようですと案内した「必ず観ます」と喜ばれた。


彦島を配達中の午前、雨のなか私の前を走る原付オートバイが転倒した。頭は打たなかったがバイクと数メートル滑った。車をとめてかけよった。50歳ぐらいの男性に「おい!」と声をかけたが反応がない。身体を揺すったら目が覚めた。おそらく肩や足など打撲している。バイクのエンジンをとめて路肩に寄せたときヤクルトの女性が加勢にきた「立てるか」と促したら両足で立った。立てなかったら救急に連絡と思っていた。バイクのそばに歩いて座った。出血もなく会話もできたのでヤクルトさんに任せた。


木曜日の朝は唐戸魚市場。1000円前後で三種類の魚介を買うのが目的。今朝は大きなイワシ4匹・ナマコ2匹とアサリが1300円になった。

さきほど農園にもどり、家内が包丁を握っている。

ご縁の不思議

照美さんの主人(金光教太秦教会長)は、三田市の金光教に家族で参拝する信者さんの家庭で育った。つまり教会子弟ではない。

2月18日、恩師 玉井光雄先生ご葬儀に倉敷の斎場に行った「お父さん」と背後から彼が声をかけた。京都から車を運転してきた。玉井先生を彼も慕っていることは知っていたが、その根っこを聞いたことはなかった。


この度、太秦で泊めていただきその根っこを聞かせてもらった。「苦楽を共に歩む  玉井光雄先生教話」この小冊子を金光教本部(岡山県金光町)の書店で買い求め、三田市にもどる電車で読んだ。神様がありがたくて人目があるなかで涙がとまらなくなった。「お道の教師になる」と決心した。この冊子は29年前に「金光出版」として私が手掛けた(税込200円  2刷で6000冊)。


神戸市内で働いていた彼は仕事を辞めて、金光教 教師養成所「金光教学院」に入り1年の修業を終えて教学研究所に在籍。照美さんとご縁ができた。

後継者をさがしていた太秦教会に家族でおもむいた。


私が玉井先生にほれ込み「商売ではありません」と前置きして多くの玉井先生シリーズを世に出した。

2冊持っていますから持って帰ってくださいと、私が手がけた小冊子2冊をいただいた。


教会は信者さんのお供えだけで生活を営んでいる。太秦に参拝される信者さんはご高齢で人数も少ない。照美さんは老人介護施設で働き3人子育てをしている。

昨夜、家内が通学自転車を買ってやろうと電話をした。まだ使えるからと辞退。時計代で時計と靴を買った。

次女の友だちのお姉さんが、照美さんの長女が通う高校を今年卒業したので制服を全部貰えたと喜んでいたらしい。


教会という組織に信者として組み入れられると、本来の信心にくわえて行事に奉仕をすることが多くなり、そのバランスがとれなくなくなり参拝する教会が私にはない。


これからの生き方を「しっかり考えなさい」と母が示してくれた墓参りになった。

初めての孫談義(^_^)/

4時のアラームで起きた。9時間ぐっすり眠れたので疲れがとれた。


午後、京都の長女の固定電話が着信した「どうしたんか」とぶっきらぼうに受けたら長女の美花ちゃんだった。高校の合格祝いで「時計を買いなさい」と贈ったお金を持って、きのう照美さんと買いに行った。そのお礼の電話だった。しばらくして時計の写真が届いた。

搭南高等学校 教育みらい科に片道40分、坂道を自転車通学する。


次女の真砂恵さん長男は、宇部高専2年生をもう1年やることになった。それを真砂恵さんから聞いたとき即座に「それはよかった!」と返信した。

なにより本人は、サッカーとコンビニのアルバイトを続けながら「がんばります」と家族に宣言したらしい。

同級生より1年多く学校に通える。きっと生きる力になる。


火曜日は糸賀社長が私を待っている。紅茶をいただきながらお互い1週間のなかで思ったことをテーマにしながら会話のキャッチボールがたのしい。きょうは萩市でランチはどこがよいかで幕になった。社長の押し は明倫学舎のランチだった。

Lサイズのコーヒー3杯

仁和寺 板の襖に描かれていた。芸術音痴の私の歩みを止めた。九州国立博物館で南蛮屏風を8Kハイビジョン画面で鑑賞したとき、肉眼では見えにくい細かな描写が鑑賞できた。明日のホーム画面でも屏風作品を載せますが、今の技術で克明に鑑賞させてほしいと思った。


昨夜は食事も晩酌も疲れて少量だった。4時、目覚ましアラームに起こされた。身体が重い、おまけに雨が降っている。もう2時間ぐらい眠りたいと思った。

慌ただしい時間を経て6時に配達スタート。一番最寄りの小郡のコンビニでホットコーヒーのLサイズ。4時にゴールするまでLを3杯飲んで眠気を覚ました。


参議院集中審議をずっと聞きながら配達をした。公文書改ざんなどの問題(事件)が財務省職員の不手際のような総理答弁。それは「総理おかしい」と私は思う。

国家の最高責任者が、たとえ官僚に不手際があったとしても自らが潔く責任をとるのが世界の常識ではなかろうか。まして日本の国柄を常々口にされる総理の政治美学に照しても答弁は聞き苦しい。

心地よい疲れの「のぞみ」

朝はやっぱり3時に目がさめた。

嵐電「妙心寺駅」から長い登坂を登りきったあたりが「きぬかけの路」そこから小高い場所にある墓地まで息がみだれるほどの石段をあがる。

社に手をあわせるより納骨されている場所で拝むと、母が身近に感じられた。水を汲んできたバケツに入れた柄杓が動いた、そう思えたのかもわからないが母が喜んだ実感がした。


まだ観光客が到着していない静かな仁和寺まで歩き、世界遺産登録のすばらしい文化財をめぐることができた。9時から開館の御殿もゆっくり拝観できた。ホーム画面で写真をご紹介します。


嵐電を利用して壬生寺まで足をのばし新選組の足跡を学んだ。食事を済ませてお昼過ぎに教会にもどり2時の祭典参拝。


こみ合う「のぞみ」に座れたのでブログの更新。新山口駅に7時前に着くから農園には8時までには戻れる。

春の京都 母にあいに

3年前の6月、96歳で命の故郷に還った。ひとり息子の私でさえ、私が生まれる前の母の人生は知らない。

終戦後、生きていくために交換手の資格をとり山大工学部で電話交換手に就いた。まもなく自動交換器の時代になり配置転換は用務員。草刈りや掃除が仕事になった。30数年奉職して私を育てあげてくれた。


写真は約20年前、下関市の浪花で母の誕生祝いをした。大将がカウンターの中から記念撮影してくださった。母が「あの料理はおいしかったと」と記憶に残った。


早朝から萩市方面に向かいお昼前に農園に戻った。山口市で給油を済ませて新山口駅。新幹線口の駐車場はすべて「満車」の午後1時。在来線口にある駐車場も「満車」CO・OPのお客さま駐車場が目にとまり入庫。料金はわからないが21時に営業を終る貼り紙があった。3階まで満車で屋上に数台の空きがあった。隣にご婦人が止めたので「はじめてです。料金ご存じですか」と聞いたら私と同様、新幹線口がすべて満車でここにたどり着いた「指定券なのでダッシュします」とかけ出した。

広島まで「こだま」それから「のぞみ」で京都駅。日ごろイノシシやタヌキにサルを見ているので、駅の人波に押されて疲れた(今朝、農園のオリに体重30キロぐらいのイノシシが入っており、猟師さんに連絡して現場で処分された。メスだった)


太秦教会に着いて近くの銭湯。銭湯が健在ということは風呂をもたない家が多いのではなかろうか。


照美さん家族5人と先代の先生(おばあさん・この後継に照美家族が赴いた)それと私の7人。家内が宅配した「瓦そば」16人分と農園で調理した大量の牛肉・錦糸たまごなどが今夜のメニュー。それでも育ち盛りの子供3人には足りるだろうか。明朝はフランスパン特大3本とバターなどを宅配に添えているらしい。


明日は早起きして、一人で母の墓にお参りに行く。霊祭は午後2時から仕えられるので、春の京都を歩いてみたい。

寒の戻り 寒い

昨夜、太秦の照美さんからメールが届いていた。写真が添えられており、きのう中学校卒業式で父兄にお礼の合唱をする場面で指揮をする長女の美花ちゃん。

志望校に合格。よい春をむかえた。


明日は配達を済ませて太秦に向かう。18日の午後2時から金光教太秦教会で春の霊祭が仕えられる。

3年前に96歳で命の故郷にもどった母は、長女の照美さん夫婦がご用をするこの教会にまつられている。教会の奥城(金閣寺に近い)に遺骨はおさめていただいた。1ヶ月ぐらい前からお参りに私の気持ちを整えてきた。大げさなことではない、母の遺影に毎朝手をあわせるとき「お参りに行くよ」と唱える。家内はお供えものを準備したり、孫たち(3人)のリクエスト 瓦蕎麦(大量)の肉や薄焼きたまごなど今朝3時起きでつくった。

お昼前に焼き上がりフランスパンなどを買いに山口市まで出掛けて3箱の荷造りをしてヤマト便に託した。


今朝FBに数楽の藤野先生が一文を載せられた。その書き出しは

「本日は亡き母の40年祭。祖霊が、日頃疎遠になっている親戚の方と引き合わせてくれる(以下、省略)」


まったく同感。母が近親者の心を「祭り」という儀式を介して束ねてくれている。藤野先生の言葉が、今の私の心持ちをハッキリしてもらった。

木曜日は唐戸魚市場

7時前、唐戸魚市場に着いた。今夜の刺身になる魚を3種類、腹と頭を取ってもらいクーラーボックスに収めた。歩きまわるだけでも市場は気持ちがよいのは、売り手と買い手がテンポよく交わす言葉かもわからない。ボンヤリしている人は一人もいない顔つきがみなさん鋭い。


配達先に魚屋さんがある。常連客から頼まれて農園のたまごを毎週たくさん買っていただいている。たまに市場で見かける、主に日本海の魚を扱う店でやりとりされている。メカブを先日スーパーマーケットの魚売場で買った家内が湯がいて刻んで叩いたが、あのネバリにならなかったことを話題にした。

ワカメが根をおろしている根っ子がメカブで、漁師さんはとらない。種芋のように来年の収穫の元になる。出回っているのは養殖だろう。ネバリが出ないので買わない。買うときは有明産の決めたものにしている。などと会話がはずんだ。


配達先で「春になったね」の会話が多くなり、お昼ごろ着く下関市日内(うつい)に30分ちかく延着になった。6軒の配達先で言われたのは「いつもより遅いから心配じゃった」と嬉しいお声かけをいただいた「たまごを売らんとアブラを売ってきた」と返しておいた。


子育ての加奈ちゃんが医療について、製薬メーカーと政治家について疑問を話題にした。予防と称されて国民に提供される薬。私も肺炎予防の高齢者対象になり血圧検診時に「接種しましょう」と促されて無料で受けた。その薬代は税金から製薬メーカーに支払われる。

狂犬病予防接種は受けない。国内にその病気の犬が一頭もいない。けれども愛犬家の義務のようにみなさん接種に行く。超小型の室内犬まで接種。

加奈ちゃん次男の「ゆい ちゃん」は身体に湿疹が出て、買い物に行って人が振り返るほどの湿疹。一番悪化している写真を見せてもらった。

その湿疹に加奈ちゃんは思いあたるフシがあった。数ヵ月前に発熱で入院したときの薬害ではないかと。そして今回の湿疹で医療機関に行くとステロイド剤を処方された。処方し医師に加奈ちゃんが使いたくないと言うと、最後には「あんたそれでも親かね」と言われた。泣きながら帰った。けれども理解してくれる医師が遠くに見つかり通院している「悪いものを炎症で出している」と。


医療の溢れる情報のなかで、自分流の子育てをしている加奈ちゃんは「変人」扱いらしい。


地名の大好きな私のアンテナが見つけた「音無口」もう嬉しくて。

車の冷房をつけた

NHK  Eテレ「100de名著」は、1回の放送時間が25分。それが4回連続してひとつのテーマが終わる。つまり100分で1冊の名著を読み解く番組。


いま2回まで進んでいる作品、というより「松本清張スペシャル」はとても面白い。「1 点と線」「2 砂の器」「3 昭和史発掘」「4 神々の乱心」4作品を、放送大学教授、政治学者の原 武史先生が分りやすく解説される。

推理小説は、一度読んでストーリーを楽しめたらよいものと、何度も読み返して「清張史観」から昭和の民俗学や政治・社会に新鮮な気持ちで向き合う楽しさがあることがわかった。


点と線では、東京~博多間を走る寝台特急「あさかぜ」を利用できる人、それが使えないで急行の硬い椅子で東京~博多を移動する人からみえる貧富。

砂の器では、銀座のバーの女給という職業から推しはかることができる共同便所の木賃アパート。ハンセン病隔離政策にも作品で(小泉内閣で解決した)人権を問うている。

犯人がどうして戸籍改ざんができたのか。東京や大阪など大都市空襲で戸籍が焼失したので、ハンセン病の父親と戸籍で他人になれたことからも当時の世相が読みとれる。


第3回「昭和史発掘」3月19日放送・3月21日再放送。 第4回「神々の乱心」3月26日放送・3月28日再放送。テキストは書店。


昨夜から外ネコ「おい」が春の目的を果たしたのか農園に戻っている。布団にもぐり込んでいる9時ごろ、階下でニャーニャー餌をねだる。カリカリは置いているけれどネコ缶を所望している。桂子ちゃんが差し入れてくれた高級な餌を与えたら喜んで食べた。朝は3時からニャーニャーがはじまった。イヌは我慢ができるがネコはそれができない。


3時半に布団をあげて掃除機。配達の支度をととのえ、朝食とイヌの散歩(ヘッドライト)など慌ただしく済ませて6時に配達スタート。

長府の洋菓子店レ・サンクに立ち寄り、ご好意でカステラ販売のチラシデザインをしてくださる方を待った。デザィナーにお願いしたと言っても通用する素敵なチラシのデータを拝見した。その方を介して印刷も厚かましくお願いした。


帰り道、小月「晋作の湯」に立ち寄った。

愛は地球を救うのか

霜がおりていたが、天気予報を信じて薄着で7時に農園を出た。それで正解の山口市20度ちかくになった。春の空を背景に凛とたたずむ五重の塔。


世界中を歩きまわる牧さんの役にたてばと、彼が訪れたいと話した国や訪れた国の旅番組があれば録画して、国内住所が転々とかわる彼に「送るから住所を知らせてくれ」と確かめて郵送している。

アンダルシアとキューバを狙っているので、先日アンダルシアとアイスランドの旅番組を送った。そのとき「次はキューバとハバナの番組を送るから」と添えていた。

録画をするDVD と郵送用のクッション封筒「CD サイズ」をきのう買い求め、農園に戻ってキューバ・ハバナの番組のコピーをはじめた。50年前のアメ車が威風堂々走るキューバ。コーヒーが日本円で4円など面白い。なかでも老人と海の舞台になった砂浜のヘミングウェイ銅像など私も行きたいと思った。

そこにメール着信。キューバを貰いに農園に立ち寄ります。7時ごろになりますと牧さんメール。6時過ぎに彼が着いた。九州から大阪までの移動で退屈しのぎにキューバを見ながら走るらしい。数分の会話で農園をあとにした。彼との付き合いに想定外はない。


きのう日記で話題にした紛争交渉人の伊勢崎さんが言い放った「愛が戦争・紛争をおこす」の言葉をを考えている。番組で彼がもうひとつ言った「交渉に日本人は信頼されます」そのふたつのキーワードから読みとれる、私の解釈は「宗教」と思えてきた。他宗を排除しない国民性が知られているのかもわからない。

彼から言わせると「愛は地球を救わない」になるのかもわからない。何度も番組を観て学びたい。


春がきたぞー!

4時は0度。6時ごろから太陽がのぼり始めると気温はグングン上昇。お昼には脱げない下着で汗ばんだ。

農園周辺の山は小鳥のさえずりが賑やかになり、バス釣りの若者が農園側の川に集まりはじめた。アオサギなどサギ類も川に集まり川面を睨んでいる。小野湖からワカサギが産卵遡上する時期になっている。農園ネコ「おい」は恋の季節か帰らない。

春か来た!


写真は「かつお菜」の花。厚狭の山あい、高齢ご夫婦の畑に咲いていた。

おじいちゃんは耳がとても不自由になってきた。声の大きな私が耳元で話すとなんとか会話になる。それほどの聴力でも車の運転をしなければならない。ばあちゃんが「心配だ」とその聴力の立ち話。運転中に救急車が信号に入るようなときでも平然と我が道を走る。地域の会合に出ると、戻ってから「皆が俺を馬鹿にする」と舌打ちをする。


明日の山口市でも難聴のお客さまがいる。20万円以上する補聴器をつけても調子が良くなかったが、ソニーの集音器は首にかけるような構造でマイクで拾った音を超小型のスピーカーで拡声する商品を使っておられる。価格は3万円ぐらいだと聞いたから、詳しく聞いて来週できたらカタログを持ってくるからと引き受けた。こんなコトが私の仕事。


Eテレ「達人達(たち)」は録画して観ることにしている。世界中の紛争地に赴き武装解除の交渉をする。大学教授やジャズ トランペット奏者としても知られている 伊勢崎賢治さんとダンサー 菅原小春さんの対談は、これから何度も観なければと思わされた内容だった。

戦争は人類が地球上に存在する限りはなくならない。それは、人間には「愛」があるからだ。たまから気休めに「愛」があれば平和が訪れるなど言わないほうがよい。紛争地で少年兵たちを説得して武装解除させてきた、現場を歩いている人の言葉に考えさせられた。

ご覧になりたい方はお知らせください。

あの時刻に黙祷

7年前の午後2時46分。

金曜日の最後、防府市の小野ペットクリニックの配達を終えてカーラジオを聞きながら防府市内を農園に向かっていた。ラジオ番組が中断して東北太平洋で巨大地震がおきたと叫ぶような一報が届いた。次に地震の規模などとともに津波が沿岸部に到達するので、太平洋一帯の人は避難するように繰り返し叫んでいた。

都内も相当揺れたのでアナウンサーも冷静さを失われたのではないかとあとから思った。

聞き覚えのある多くの地名と津波到達予測時間が刻々と伝えられた。とにかく大規模な災害が発生していることはラジオからでも十分想像できた。


農園に戻りすぐにテレビをつけて言葉をなくした。津波が街を流れ、広い畑のビニールハウスを押し流し、漁船や車や家屋が濁流にのみ込まれるパニック映画のシーンのような様相が映し出されていた。

自然の営みには抗えないこと。けれども、そこから立ち上がる強い人の営みも教えてくれた震災。発災時刻に黙祷を捧げた。


昨夜は松村夫妻・藤中さん・安岡下関市議・桂子ちゃん農園に集いワイワイ歓談した。日頃は節酒気味にしているが、昨夜はノーブレーキで日本酒をたくさん飲んだ。8時ごろ皆さんをお見送りして家内と桂子ちゃんと私で飲みなおし。私はすぐに寝てしまったが、家内と桂子ちゃんは2時ごろまで喋っていたらしい。

桂子ちゃんは、以前わたしの会社の社員さん。スペシャルオリンピックスや掃除の会、数楽の会や数々の場面でのお付き合い。私の初詣は彼女が熟年巫女になる秋穂の正八幡宮。家内の干支とふたまわりちがう同じ干支。


愛犬、朝の散歩は桂子ちゃん。私は朝食を済ませて防府トヨタで愛車のオイル交換。帰り道、春の周防灘を眼下に露天風呂を楽しもうと秋穂荘に立ち寄ったら「閉館」だった。海老料理などで訪れる人が多いので改装ではないかと思う。


朝、山口市内の給油所に働く青年が「きょうは7年目の日ですね」と声をかけてくれた。心がつながつているようで嬉しかった。

穏やかな晴天になった

農園の鶏は国産赤鶏「ごとう」という品種
農園の鶏は国産赤鶏「ごとう」という品種

早朝の萩市行き、途中の最低気温は氷点下4度の場所があった。

お昼前から太陽がまばゆい晴天になり、農園の鶏たちを放した。土や枯れ葉の下にひそんでいる虫を求めて走りまわる。


先日の試合でとても残念な結果になった山中慎介を早々と 仕事の流儀が「再戦へ 秘めた決意プロボクサー山中慎介」番組にした。タイムリーな放映で視聴率もよかったのではないかと思う。

今の私にとても大切な言葉を彼がしぼり出した。それは「納得」つまり試合で勝つこと、負けることより納得できたかどうか。

私の仕事にその言葉を照らし合わせてみると、儲けたかどうかではなく結果に対して悔いはない。仕事を辞めるときは納得したいと思わされた。


昨年タブレットの機種変更をしてからバッテリーの消耗が早いように感じてきた。数日前からWi-Fiと位置情報サービスをOFFにした。もちろん必要なときにはONにする。

すると格段にバッテリーの持ちがよくなった。


きょうは夕方から来客。お手伝いにぼつぼつ桂子ちゃんが来る時間になった。

今度の薬はよく効く

何頭も犬と付き合ってきたが、最後に残ったハッピーは他の愛犬とちがいじゃれつくような甘え方はしない。夕方、私が戻ると尾を振り、私の顔を1回だけ舐める。

夜の散歩をすると星を見上げて立ち止まることがある。もうひとつ、夜なにか思いに更けるような表情をみせることがある。


水曜日、毎月の血圧検査で長年使ってきた降圧剤が変更になった。午後から血圧上昇する傾向に対処してみたいと女医さんの判断。

今回からの薬は利尿作用を伴う特徴があると説明されたとおり。トイレに通う回数が木曜日から増えている。きょう午後から計ってみると120・70と薬は効いている。


この度カステラとマドレーヌを商品化するにあたり、デザインを奉仕でお手伝いしてくださる男性にめぐまれた。私より10歳以上若い働き盛り。

会話を重ねるごとに知識の幅と深さにおどろく。水曜日の午前、お会いしたとき私の午後から通院もあり血圧談義になった。たくさんの広告媒体で「血圧130を越えると高血圧」の活字が目にとまる。彼曰く、降圧剤は比較的に副作用が少なく、製薬会社やサプリメント業者は広く売れる商品。もう数年で基準値が120に下がり薬がどんどん売れるのではないかと予測された。


午前中、小郡で散髪。防府トヨタで家内の車のオイル・エレメント交換(日曜日は配達の愛車 14ヶ月で7万キロ)午後から部屋の掃除と昼寝。

固有名詞マニアかも?

また気になる固有名詞が目にとまり、車をUターンして雨のなか撮った。場所は新下関から内日(この🔶うつい🔶という地名も気になってしかたがない)に向かう途中で発見。

美祢市 うどん「よしの」で、私の地名が気になる話題をした。たとえば、美祢市の「龍現地」その近くの「万光」など気になると言うと。

甲骨文字研究の主人が「龍」はおそらく水害のことではないかと推論がはじまった。主人は転勤族をしており赴任地が鹿児島のとき、氾濫する川沿いに(龍・竜)の地名があったと言う。


母の古里、島根県の斐伊川はヤマタノオロチ神話がある。諸説あるなかで、斐伊川が氾濫して人々を苦しめた、それが八つの頭をもつ大蛇(八つの支流)になったのではないか。さらに、それは斐伊川の砂鉄から刀をつくる鋼(ハガネ)をつくるときに火を使う。そのため上流の山を伐採して川が氾濫した。


うどん店の主人が言うように地名には、地域の人々が営んだ歴史を物語っている。そうすると「老僧」がますます気になる。


血圧の薬がかわった。今度は排尿を促すらしい。4時に服用したら、6時に農園スタートしてから薬が効いたのかトイレ立ち寄りが多くなった。


唐戸魚市場でならんでいた一番大きなイワシとイサキに生ワカメを買った。今夜は刺身で酒が飲めて血圧や健康には疑問符になる。

今朝は氷点下

写真は、一昨年の4月3日に「あだち企画」で催した 萩・堀内散策の一枚です。

2年の歳月が過ぎて、今回は浜崎の古地図を片手に古い家並みをめぐります。お昼前に現地解散します。

遊覧船の「萩八景」や「明倫学舎」などの観光。萩シーマートで鮮魚の買い物。県立美術館・浦上記念館。20分も走れば香月美術館と隣接の湯免温泉などたくさんの春を楽しめますよ。ご参加お待ちしています。


鬼が笑うかもわかりませんが、次回は藤中隊長のガイドで長府散策も考えています。


薄氷の朝になった。2日続いたら強風がおさまっていたので4時からゴミ焼却。炎が高くあがったが風がないので大丈夫。お天気と折り合いをつけながら営んでいく、無理をしたらあぶない。今朝は6時に配達のスタートをしたいので手抜きの冷凍肉うどん。野菜はブロッコリーやレタスなどたくさんの野菜を家内がすぐに食べられるようにして帰るので助かる。きのう夕方つくってくれた玄米弁当を持って下関に向かった。


毎月の血圧検診。いつものように女医さんが計れば高血圧になり「お薬をかえてみます」となった。

温泉に立ち寄りさっぱり。今夜はしっかり寝て、明日は長丁場の木曜日。

浜崎しっちょる会?

萩市松本川は季節の味 白魚漁が最盛期を迎えている。漁獲高が毎年減り、今年は特に不漁と聞いた。この川沿いに老舗の常茂恵旅館(ともえ)に土曜日の朝7時にお届けしている。


🔶ご案内

4月8日に「浜崎伝統的建物群保存地区」を散策します。主催は あだち企画です。ガイドは「浜崎しっちょる会」にお願いしています。

浜崎の古地図を片手に街並みを散策されたい方は私宛に「参加します」と月末までに連絡してくださいメール・電話・口頭です。


参加費は500円 古地図・ガイド料とお土産が含まれます。


9時40分までに「定期船のりば(見島・相島・大島)」のフェリー駐車場に参集してください。駐車料金は300円です。10時にスタートする場所にご案内します。散策時間は約60分です。

現地で解散します。


今朝4時。3日ほど姿を見せなかった外ネコの「おい」がニャーニャーわめく。いつ戻っても食べられるようにカリカリは置いている。ネコ缶は別腹でそれを催促していると思った。けれども今朝は冷えている。布団から出るのをためらっていることを分かっているように大声で呼ぶ。

着込んで外に出ると強風がまだおさまらない。「おい」は催促のダミ声を大きくする。

缶詰を容器に出して置いたとたん車の下から飛び出して来た。恋の季節で体力消耗したのだろう。


春を告げる荒天

3日、糸賀社長がフェイスブックに投稿された一枚。

衆議院予算委員会の委員長で議事をさばかれる河村建夫代議士と奥様の隆子さん。ズームアップが糸賀社長。


昨夜から雷雨が激しい。まくら元と愛犬には春を告げる修行の一夜になった。


今朝、於福道の駅で「合点!」した。それは公衆無線LAN Wi-Fiに接続できない。コンビにでは自動で接続するが、山口県の関係する施設のWi-Fiではメールアドレスを要求され、それがエラーになる。先日、セミナーパークでも繋がらなかった。

アドレスを入力するとき間違えないように名刺を出して入力していた。その名刺のアドレスに誤植があった。アドレスを名刺にあわせるか。それとも名刺を印刷するか悩んだ。3番目の答えがあった 名刺の間違え一文字を手書きで修正する。これなら手間がかかっても誰にもお手数をおかけしすることはない。お金もかからない。


美祢市の黄正吉さんが紹介くださった 厚狭自然菓子 トロアメゾンの水上社長が来園。互いのこだわりを話しているとき牧さんが突然立ち寄って家内が応対した。高価な酒をたくさん土産に置いて大阪に向かったらしい。

大掃除で気持がよい

きのう長府から小説の公開(囲炉裏の部屋からダウンロード)の打ち合わせに来てくれた藤中さん(ペンネーム 逢坂かのを)。今朝のフェイスブックに仔猫が誕生したと写真を掲載された。春を告げるようなほっこりニュース。


今朝は部屋の大掃除を計画していた。ちょっとログハウスの部屋のようなつくりでロフトもある。天井が高いのでホコリやクモの巣など目についても放置していた。高い脚立を伸ばせばハシゴにもなる。

掃除機を抱えて高所のホコリを取り除き、床やテレビの裏など雑巾がけ。トイレと風呂も掃除をして2時間を要した。


山口市内に給油とシャツとブレザーの買い物。ついでに簡保の湯に立ち寄った。午前は500円、午後から600円。


「医者が飲まない薬、受けない手術」という本を借りている。なかに興味のあることが書かれていた。

私は高血圧の治療と、2回足の親指に激痛をおこした痛風の経過観察、尿酸値を薬で抑える。降圧剤とその尿酸値コントロール剤の2種類が処方されている。

本によると年齢により血圧の最高値と最低値、尿酸も基準値が異なる。

私の年齢は、血圧の上限値165 下限値98で正常だと書かれている。とにかく巷では「135をこえたら治療が大切」と薬やサプリの広告が出回っている。

本で紹介されていることが本当ならば、135は売らんがためのかけ声かもわからない。

歌姫からの便り 嬉しく

昨夜のコンサート。向かって右が呉 明美さん。左はチョッテ奏者の李 淑任さん。

会場のソリナム(小物・喫茶)は呉さんのお店。種々の理由で今月でお店を閉められる。今年に入り彼女からそのことを電話で聞いていた。

朝鮮大学時代からの親友を招いてのコンサートは、ソリナムの花道だと思ったのでチケットをすぐ買い求めた。広くはないフロアに30人以上があつまり、とてもあたたい時間が心地よかった。


李さんが演奏の合間にソリナム閉店について話された、その言葉が印象的だった「終わりは新たなはじまり」たくさん悲しい場面に立ち会ってきたが、まさに新たなはじまりのスイッチは「終わり」が押している。


10年以上前に川棚の公民館で、カヤグムを奏でて歌う呉さんと出会いがあった。民族衣装や民族楽器を丁寧に説明する彼女は韓国・朝鮮と日本のかけ橋をしているように思えた。例えば、日本の琴と韓国のカヤグムは見た目は同じでもツメをつけずに演奏するカヤグムの弾きかたのちがいなど理解できた。

近くて遠い国と言われることがある韓国。文化の理解が足らないように彼女から教わった。


彼女がその日に歌ったなかのひとつ「涙そうそう」歌の途中から大きな瞳から涙がポロポロこぼれた。演奏中に、2ヶ月前に亡くなったお祖母ちゃんを思い出した。

これほど「涙そうそう」に聴き惚れたことはなかった。その感激を文字や言葉で、たくさんの場面で伝えた。それを明美さんは知っている。

お昼前、彼女からお礼メールが届いた「昨夜の 涙そうそう は足立さんに届けたいと選曲しました」と。

これからも歌姫応援団ですよ。


萩市から美祢市の配達が土曜日。農園に戻り軽く昼ごはん。毛布にくるまり横になったら自分のイビキで目が覚めた。横になればすぐに眠りにおちる。


1時過ぎに長府の藤中さんを厚東駅で迎えて朴の森。岡本さんが準備してくれ重枝さんも到着していた。囲炉裏の部屋「工事中」の小説ダウロードを開通させる打ち合わせ。藤中さんはこの部屋の主人公(錯覚の作家)。

藤中さん、わたしの老人コンビに重枝さんのホームページ技術で、小説(妄想小説など)を公開する打ち合わせ。それをやって何になるかと問われてもわからない一石をこれから投じます。

今夜はコンサート

美容室「ニュースタイル」を山口市内で展開される糸賀社長が、数日前から30年以上前に海外旅行で撮った写真をフェイスブックに載せられる。その1枚「35年前のアテネ」。幸せな家族映画のシーンを想像させられた。


世界中を旅しておられ慣れておられ、ブラジル サンパウロの公園を会場に掃除に学ぶ会が催されたとき糸賀社長と参加した。私は成田空港に集合した大勢のなかの一人だったが、糸賀社長はソウル経由でサンパウロに一人で来られた。理由を聞いたら、韓国の航空便が相当安いからと言われた。


農園をはじめた当事「農園は寒そうだから、このコートあげよう」とグリーンの布製コートを頂戴した。取り外し可能な分厚い裏地もフードもついていた。イギリスを旅行したとき寒くて買ったが「僕にこのコートは重すぎる」農園の冬、愛犬の散歩など重宝している。


金曜日は仕事をしないと数年前に宣言。私が配達していた山口市・防府市・新南陽市を正志が走っている。朝寝坊するばよいが、3時前に目が覚める習慣が邪魔をする。

目が覚めたら今朝やることを考えてしまう。先日から強風と雨で焼却できなかった、採卵室で清潔にたまごを生ませるために鶏の糞を新聞紙で受けている。その新聞紙の焼却が止まっていることに気がついた。

西に落ちていく満月の明かりでヘッドライトを使わずに焼却をはじめた。


山口市内に買い物などで午前中をついやした。BS で録画したアンダルシア・ノルウェー・アイスランドの旅番組3作品を牧さんに郵送もした。


これから下関市に向かい、6時開演 李 淑任 高音チョッテミニコンサート。呉 明美さんのカヤグムや歌も楽しみにしている。

3月スタートは荒天

明日の夕方、下関市グリンモール商店街の一角、カフェ「ソリナム」を会場に 李淑任(リ スギム)高音チョッテ ミニコンサートがある。

主催者は呉 明美(オ ミョンミ)さん。私とのお付き合いは10年以上前からになる。今回のコンサート企画を今年に入って電話で聞いた。チラシをたまご便で配ったし私も2枚買った。コンサートを成功してほしいので私ができることを考えたとき「そうだ!」とひらめいたのは、カモンFMで番組を持っている申 徹也さん。


彼にメールでこの企画を紹介した。即座に「僕の番組に呉さんを招きます。電話番号を教えてください」と返信があった。番組の都合で3月1日の午前らしいところまではわかった。

申さんは、岡本拓也さんが下関トヨタ店長時代にショールームのトヨタ2000GT を見に来たご縁で掃除に学ぶ会に仲間入りした。農園にも何度か泊まりに来た。彼は大男なので農園の布団は寒かった。


下関市を配達しながらカモンFMを聴いていた。10時から申さんの番組かスタート。30分ごろから明美さんが登場する予告があった。彼女にショートメールで「聴いている。頑張れ!」とエールを送った。


申さんのインタビューは的を得ており、私が知らない明美さんのプロフィールを引き出した。彼女は朝鮮大学を卒業して7年、同大学で教鞭をとったこと。ブライダルMC を仕事にして600組以上の司会をしたことなど初めて知った。番組が終わり彼女からメール「緊張しました」と。そんな筈はないと思う。彼女は韓国語や英語が堪能で大きな催しで活躍している。


明日のコンサートで彼女はカヤグム(韓国の琴)で高音チョッテの演奏に加わる。楽しみにしている。


写真は 申さんのフェイスブックから拝借。明朝のホーム画面も明美さんと申さんのフェイスブックから拝借させていただきます。


今朝は5時半過ぎに農園をスタートした。国道に出るまでに赤色灯がたくさん回っていた。私が走る車線でライトバンがバイクと衝突した直後のようだった。バイクは路肩から落ちていた。早朝から働いている人の事故現場に遭遇して、車もバイクの人も助かってくださいと心で祈った。


唐戸魚市場で刺身になるイワシとアジを、いつもの兄ちゃんから買った。

大和交通(タクシー)の女性社員さんから「体調は整いましたか?」とブログを読まれて私の体調不調を話題にしてくださった。嬉しかった。