8月 元気にゴールイン

2時前に加奈ちゃんお宅に配達をして、大谷山荘まで走り美祢市まで戻りローソン ホットコーヒーでひと休みしていたら、隣に加奈ちゃんの車がとまった。

臨月の一枚を撮らせてもらった。助手席の慶ちゃんは隠れた。


松村御大ご自宅は奥さまが在宅。お盆休みに御大は萩市の実家の手入れ二男とされていたとき脚立から落下。救急車で搬送された。肋骨7本骨折で肺に損傷もあった。2週間前(17日の木曜日)御大の車がガレージにあるのに留守の理由を貴美さんにたずねたら「ちょっと市内に」の返事が腑に落ちなかった。

御大ごひいきの理髪店にたまごを届けたら「あんたしっちょるか松村さんのことを」さきほど来店して怪我のことを話されたらしい。それにしても2週間で運転して。週末には岡本拓也さんたちと東京の掃除の会に参加される。

入院中に、下関市美術展覧会に出された油絵「ふく」が入選の知らせがあり、その作品があったので撮らせてもらった。また紹介します。


菊川のビーグル犬「じゅんちゃん」は室内犬。奥さまの手から落ちた桃をひと口で食べた。その種が腸に詰まり、本日は手術で留守だった。

私の記憶にないが、子供のときラジオの大きなダイヤルが外れて、それを口に入れて遊んでいたとき飲み込んだ。母はハイヤーで私を医者に連れて行った。医者は「出る」と断言したらしい。母はオマルを持ち出ることを祈った。二日後に「痛い」を連発したあとコロリとダイヤルが出た。桃の種から母を思い出した。


日野コンテッサ クーペ

毎日新聞「日曜くらぶ」に横山 剣さんが載っていた。写真の横山剣さん、の右側にピンクの欄がある。そこには、四角いピザ・クルマ・キーボードと、三つのキーワードが並んでいる。1960年生まれ、歌手・作曲家の肩書きの人物を、三つのキーワードにわけた。

⬛四角いピザは「横浜の本牧で育ちました」⬛クルマは「クルマへの憧れも」⬛キーボードは「十数年間、作曲に使っている」が書き出し。


たったこれだけの文字数で、横山剣さんをご存じない人にざっくり伝えることができる。聞き手の文字の「技」はプロ。


以前、ある会合で40分話をしてほしいと依頼があり引き受けた。当日、開会の前に進行役から「スミマセン_(._.)_都合で半分の20分で終えてください」と耳打ちされた。頭が真っ白になった。

用意したシナリオは捨てた。壇上ではじめに、話したかった結論「この話をします」と宣言した。枝葉の話題をする時間はなかった。それがあとから考えると良かった。


剣さんは、いすゞベレット1600GTにしびれた。私は当時、日野コンテッサ クーペにしびれた。とおい昭和の記憶がよみがえった。


6時に下関配達に出るとき、風呂セットを助手席に乗せた。帰り道、農園近くの温泉に立ち寄り湯。サウナで汗をだして、マッサージ器で全身ゴロゴロして、休憩所で昼寝をする計画だった。

最後のゴロゴロ場面は、大イビキの男としゃべるおばさんが計画断念に至らせた。

ミサイル騒動の火曜日

京都の娘(照美さん)から近況と何枚かの写真が届いた。大映太秦撮影所(映画村)は、娘の住まいから徒歩3分の近場にある。そこで撮った1枚。向かって左は小学5年・真ん中は2年・右は中学3年。

暑い太秦で元気に育ち、うれしい1枚。


日曜日、安田先生の食事に同席させていただいたとき、人工知能について軽く話された。私はその受け皿を持ち合わせていたから耳が大きくなった。

ひと昔前、ダイヤル電話をかけるとき、相手の番号を記憶していた。今の私は、自分の番号以外は覚えていないが、携帯電話の登録機能が補ってくれて不便はまったくない。アドレスも記憶ではなく機能で不便はない。

つまり、電話番号や郵便番号に使っていた脳ミソは空き部屋になり「その部屋の使い方」が人工知能を使い、平和な営みができる人間になるキーワード。将棋や囲碁の勝ち負けがAIの話ではない。それを納得できた。


先ほど、調査捕鯨に反対しているシーシェパードHPに、今年の捕鯨反対活動を中止宣言が出たとラジオが報道した。彼らは速力の速い妨害船を建造したが、我が国の捕鯨船が装備した人工衛星から反対活動家の船の動きを監視する装備に屈服したらしい。


北朝鮮の騒動で、NHK「ひよっこ」が放送されなかったことに迷惑を感じる国民が多かったともネットの話題。確かに10数分で着弾するミサイルに対して、避難訓練など意味はない。総理が「国民の安全」を繰り返しても、その裏付けは見えない。午前中、延々と続いたミサイル放送を、いくら聴いても無駄のような気がした。


火曜日は山口市の配達。しっかり疲れて農園ゴール。

嫌いなところに宝あり!

厚狭のお客さまのガレージ。停めた車の下に涼を求めたネコは恍惚のブルース(きょうの午後1時)。


昨夜は数楽の会で脳ミソが元気になり眠れない。ハイボール3缶飲んだころ脳も落ち着きを取り戻した。

安田先生曰く  書店や図書館の棚から「興味のない本をとりなさい」好きな本ばかり読んでもイノベーションはない。


山口県で富士通日本語ワードプロセッサー オアシス100の初ユーザーになったのは私かもしれない。当時キーボードの種類は多彩をきわめ、日立は「連想式」例えば、USAと入力したら アメリカ合衆国と画面にでる。シャープは50音のペンタッチ入力。東芝はローマ字変換入力。カシオは「ツー(2)ストローク」方式だった。

その多様ななかで富士通は「親指シフトキーボード」を開発した。日本語でよく使う「は」「と」「き」「い」「ん」などをボードの中心部に配置して、あまり使わない小文字の「み」「お」「よ」などは外側に置いて小指でたたく設計になっていた。

録音の音声を文字にするには便利な親指シフト。長年にわたり愛用した。ワープロコンテスト(入力速度・技巧)で九州・中国地域の大会で社員さんは優勝していた。


ところが、あるときから富士通が親指から撤退。世の中はローマ字入力になった。エクセル・ワードの勉強に小野田市ポリテクセンターを受講したとき、教材のパソコンのキーボードがすべてローマ字で学ぶどころではなく中座した。


一念発起。ローマ字入力はじめた。右利きが左を使うようなもどかしさ。それをものにしできたときの喜びは覚えている。苦手なことにトライしたら、達成できたら自分がかわる。それを安田先生は「興味のない本」に例えられたと解釈した。


きょうは「迷惑メール」がたくさん届いた。億単位の送金手続きのお誘い。「処女は嫌ですか」と桃色メール。シマンテックとドコモの両方に「迷惑メール通知」として転送した。あまりに出来すぎたお誘いではないか。騙すなら現実味が大切ですよ。


きょうのホーム画面は脳ミソが動かず誤植が多発。お二人には申し訳なく反省。また農園でうまい酒をふるまいます。

学ぶことは楽しい!

楽しみに待っていた「数楽の会」が午後2時から開催された。今回は特別講師 能楽師 安田 登(安田登【検索】プロフィルをご覧ください)論語の解説はたいへん勉強になった。

解散後、先生の宿泊先ホテル地下で夕食の仲間に加えていただき真剣な雑談も学びになった。

わたしは、体験した直後は感想がまとまらないタイプ。後日、学びの内容が整理できてから紹介させていただきます。


昨夜は網戸では涼し過ぎて窓をしめて寝た。

朝、2時間草刈りをしたがほとんど汗がでなかった。季節は秋になってきた。


9時を過ぎた。シャワーをつかい寝よう。3時起床。

ラジオで養老孟司先生

私の携帯電話は今も2つ折り。

そのメモリーには、タブレットを使う前に撮った写真が残っている。

2012年8月の1枚。農園のクリの木でカマキリがセミに忍び寄っていた。携帯電話のカメラをONにして、私も息を殺してその一瞬を待った。キツネの子どもがあらわれて私の足元に来た写真もこのメモリーにあった。またご紹介します。


もっと昔の携帯電話には、朝の鶏舎で特別大きなアオダイショウが、大きなクマネズミに巻きつき締め上げている写真が残っている。夕方までかけて丸のみした。充電器をドコモ店で借りたらタブレットに移行できる。


3時に激しい雨音と川の音で目がさめた。

雨雲レーダーを見たら激しい雨雲は東に移っており、西には雲が見られないので間もなく止むと判断できた。

せっかく早起きできたので、掃除は部屋・階段・トイレと台所に範囲を広げた。


6時に萩市向けてスタート。雨はあがった。

お客さまから「ユーチューブ」便利さを教えていただいた。農園にWi-Fi設備はなく、契約の5GB以内で毎月運用している(3GBも使うことはない)

試しにテレビのリモコンが不調なので、コンビニWi-Fiで検索したら対処法の動画を見つけた。


今朝のラジオに、解剖学者 養老孟司先生が登場。職場などでも直接おもむいて顔を見て会話で解決すればよいことをメールでやる。それを「ノイズ」と表現されたが、直接では目的以外に体調や服装など「ノイズ」が面倒くさい。最大のノイズは結婚かもわからないと結ばれ、少子化もこのあたりではなかろうかと結ばれた。

ユーチューブの閲覧もノイズ(お礼の言葉など)かないから増えるのかもわからない。学者の脳ミソは作りがちがうというのが私の結び。

セミナーパークご案内

10月15日 (日曜日)山口県セミナーパークで、13時開場の催しは、生物学者 福岡伸一先生が講師。

セミナーパーク ホームページから申込みが開始されている。1人と2人での申込みが選択できる。今回も定員300人は狭き門かもわからない。

私はペアで申込みをすませた。当たれば、それから相手をさがす。藤野先生から「ええです」と推薦メールを頂戴した。


昨夜の録画は CKB クレージーケンバンド。横山 剣さんは前から好感をもっている。奇抜な歌やファション、とても丁寧な言葉づかいのバランスが好きな理由。野宮真貴と「フレンチ渋谷系」のデュエットに聞き惚れて、タブレットにそのアルバムがある。

3時に起きて再生。リリー・フランキーの司会で最高に楽しめた。NHK番組でも紅白を 青江三奈の伊勢崎町ブルースの「あえぎ声」をNG。山口百恵の「真っ赤なポルシェ」は「真っ赤な車」で歌わせたエピソードなどは過去の映像を出して笑わせた。


5時半、ようやく薄明かりになるのを待って草刈り開始。2時間でやめた。朝は涼しいとはいえ絞れば汗が出るほどの作業服になった。


食事を済ませて、久しぶりの持世寺温泉。体重計はベストの65キロ。

午後からタブレットの写真整理。

岡本拓也さんの長男 直也さんから写真投稿2点もメールからアルバムに移行。近々にホーム画面に載せます。

昨夜はホルモンと

生ビールとホルモンを、腹一杯食べたら暑さに勝てそうな気がして昨夜は焼肉店。

呉 明美(お みょんみ)さん。韓国民俗楽器カヤグム(琴)を奏でる歌姫。ある会場で彼女が登場して民俗楽器や衣装などの説明と、韓日の友好を願っている思いを話したあとの1曲は「涙そうそう」歌の途中から彼女の瞳から大粒の涙がこぼれた。それは、3ヶ月前に他界された最愛のおばあさんを思い浮かべたから。

彼女の実家は「てじょん(下関てじょん検索)」という韓国料理のお店をされ、木曜日の9時ごろ農園たまごを配達している。彼女は「焼肉やすもり」の3男に嫁ぎ2児の母。「ソリナム」というランチや素敵な小物をあつかうお店もされている。

前置きが長くなった。


「焼肉やすもり」の姉妹店「焼肉家しじゃん」が宇部市内にあることは知っていた。1週間前に彼女に予約をお願いした。きのう、家内は肉を食べ私はホルモンと生ビールとハイボール。1年に1度ぐらいの痛風食で腹を満たし、明美さんからの差し入れ(サプライズ)もしっかり美味しくいただいた。キムチとマル腸でご飯は若いときの〆。それも やった。

コンビニでハイボールのロング缶を買い、車内で飲み干してから井上酒店を表敬訪問。久しぶりでの酔いどれを歓待してくれた。やりたい放題で農園。イノシシが道を闊歩していた。


今朝は元気に3時の起床。

6時に農園スタートでゴールは4時。日韓の国レベルの懸案(国益)はある。けれども、わたしが14回訪韓したとき嫌な思いは1度もなかった。市場で稼ぐオモニのたくましさと人情も知っている。在日韓国・朝鮮の多くの人とも交流がある。人の交流から国の交流になれる。


暑くても草刈り

日曜日に鶏の観察に来てくれた、美容師さんから封書が届いた「あだちせんせいへ」で始まるお礼の言葉は、小学3年生の優実ちゃん。額に入れて農園の宝物にさせていただく。


「しんあい農園日記」を15年ぐらい「囲炉裏の部屋」は2年。内容はともかく、毎日欠かさず継続している。鍵山先生が、平凡なことでも続けると力になります「凡事徹底」と教えていただき実践している。

最近はハイボールのロング缶を飲みながら日記に向かっている。


きのう日記を終えてフェイスブックを見ていたら藤野先生の投稿が目にとまり、ロング缶の勢いでふざけたコメントを書き込んだ。直後に先生から電話がかかり、先生が四国の教師仲間の投稿に「いいね」を押された。わたしは勘違いで失礼な書き込みをしたことを教えていただいた。削除のやり方がわからず、車で5分で農園に来てくださり「削除」を完了していただいた。


パソコン通信速度がロード2とかロード7という低速度。携帯電話が灰色公衆電話からモバイルしていた時代。広島掃除の親分、井辻さんがパティオというパソコン通信の部屋「SMルーム(掃除とマネージメントゲーム)」と称して開設された。親分から部屋のキーワードを与えられた者だけが入れる。全国の掃除仲間が部屋に出入して真面目、不真面目の会話で楽しかった。例えば、私と井辻さんの会話は部屋の皆さんが閲覧できる。

ある時、はじめて部屋に入られた方が個人メールと勘違いして、ある方に語りかけたのは掃除の会では全国的に著名な方の悪口。読んだ私は背筋が寒くなった。

便利なものは、よく理解して利用しないと大迷惑をかけることになる。

昨夜はそれを肝に命じた。


朝6時に下関市にスタートした。早朝の草刈りをおじいさんがされていた。11時の農園に戻るとき、おじいさんがまだ草刈機を担いで働いていた。気温は相当あがっている。

暑いから日中の草刈りは避けていたが、農園に戻り2時間草刈りをした。

お客さまから「日焼けしましたね」とよく言われる。それだけ健康に感謝している。

事故の写真を見つけた

2012年。12月3日(月曜日)の午前7時半だった。山口セミナーパークに向かう、山陽本線跨線橋の頂上が前夜からの放射冷却で凍てついていた。一瞬で車体が倒れ路上を運転席を下にしたまま回転した。線路まで落ちたらダメと思った。シートベルトが身体に食い込み脱出できないときガソリンの臭いが充満した。

誰かが通報してくれ、パトカー2台がすぐに到着して助手席のドアを開放して出してくれた。車は全損。

木曜日に冬タイヤ交換の予約をしていた矢先の単独事故の写真が、古い携帯電話に記録されていた。


月曜日は、山口トヨタは休みでありながら、下関店長の江口さん。その前の店長の岡本拓也さんご両人が現場に急行してくれて、9時ごろには代車を運転していた。もちろん「たまご」も全損。早めのタイヤ交換をしておけば防げた事故が教訓になっている。


昨夜、漁網でバリアしている園内にイノシシが3頭入った。ウリボウだったから愛犬を放した。追い払い、勝どきの尾を振り戻った。


朝から空が「秋」になった。けれども残暑はきびしい山口市を配達した。午後2時のガソリンスタンドの気温は38度だった。

鶏 談義

暑い日中。鶏は涼しい場所で避暑。

農園をはじめたころ、放し飼いを見たいとか鶏舎の構造を知りたいとか、色々な目的で訪問される方の応対をした。地域のおじいさんが「たまごを生まない鶏を売ってくれ」と何度か来られた。ご自分で処理して刺身や鍋を楽しみ、内臓も食べると言われ500円を出された。


鶏舎にはきれいな羽で元気に動く鶏と、写真の鶏のように羽がボロボロの鶏がおり、わたしは迷わずボロボロ鶏を差し出した。


養鶏を続けるうちに、そのボロボロ鶏になる理由がわかった。ほぼ毎日産卵するからそちらに栄養をとられている。加えて説明すると、ヒヨコや若鶏の足は濃い黄色。それが白くなるのは、その色素まで黄身に提供している(もちろんトウモロコシの黄色。農園ではマリーゴールドの花弁も餌に加える)つまり、たくさん産卵して農園に貢献している鶏を500円で売り、生まないきれいな鶏を残したことになる。


ちなみに、たまごの大小について。

生後150日あたりから初生みをする。ウズラぐらいで小さい。農園では初生みから約1年ほど採卵をする。その時期から餌は食べても産卵サイクルが落ちてくる。アウトと呼ぶ入れ替えの時期に達する。

たまごの大きさは、若い鶏ほどこぶり、アウトに近いほど大きくなる概して。平均的な1個の重さは60グラム。


1日あたり食べる飼料の価格は、つかわれる内容により4~5円の餌から10円以上になる。農園では10円以上の配合をしている。


3時前に起きて6時の配達スタート。小郡から長門市・美祢市・小野田市に宇部市を走り先ほど農園ゴール。

宝 焼酎ハイボールのロング缶でブログを更新完了。

子どもさんの来園は楽しい

糸賀社長「ニュースタイル」の美容師さんが、お子さん二人を連れて来園。小学生のお姉ちゃんが「鶏とたまご」の研究。放し飼いの運動場で鶏と遊んだ。


日本がアジアや南の島々に植民地を拡大していたころ「国土を拡大する必要はない」と唱えたジャーナリスト。当時の時代背景からすると過激な発言だった。

ジャーナリスト・政治家・教育者の顔で知られる 石橋湛山が一時間番組で紹介された。解説の方がわかりやすく説明され理解できたことのひとつ。


重箱を二つ出された。一つは饅頭が並べてあり、片方は空だった。この饅頭を産業や資源や人材などに置き換えて考えたとき、日本は空の重箱を取ることに力を入れているが、国内で饅頭を作れば「どうぞお使いぐださい」と重箱が集まるのが自然。

確かに、植民地のインフラや教育に、日本は多大な饅頭製造に多大な歳出をしたが饅頭はできなかった。


夜明け前の5時から2時間半草刈りををした。橋を渡り農園までの左側は坊主頭のようにスッキリした。この暑さだから10日も経てば長髪を散髪したくなるだろう。

おかげ の正体は

ばんだい さんが作ってくださった花束を、新居に移られた若いご夫婦にお届けした。10個のたまごに添えたサプライズにたいへん喜んでいただいた。


先日の木曜日。美祢市のコンビニでパンとお茶を買い、農園最寄りのバス停で座る「みゆき」ちゃんに手渡そうと山越えを急いだ。峠を下るころから突然の豪雨になった。

このとき「みゆき」ちゃんは農園を出て、橋を渡り終えたころ豪雨に遭遇したと思われる。橋からいちばん近い空き家の軒下に避難した。


バス停に彼女がいないので、農園からバス停までの一本道を通った。軒下で空を見上げている彼女を見つけた。コンビニの袋と傘を彼女の両手に渡した、その少しの小走りでも相当私は濡れた。聴覚と言葉が不自由だが笑顔で「ありがとう」を受け止めた。


木曜日の、私と彼女の様々なタイミングがピタリと合い、あの雨のなかほとんど濡れずに彼女はバス停に向かった。それを偶然とか都合よく、ぐらいの思いかたでよいのだろうかと気になっている。

あの日の夜は、私が手をあわせる神様と母の御霊様、西君の神様にもお礼を申し上げた。


私にとって都合よくコトが運んだのが「おかげ」ならば、不都合なときは「おかげ」ではないのか。

すぐに屁理屈をこねる私の思い方に気がついた。気軽につかう「おかげ」を考えたときベースは、彼女も私も炎天下に元気で働けた健康がある。その土台こそが「おかげ」であり、雨に遇うとか遇わないことは枝葉のことと思えてきた。


最近、モノをさがす時間が多くなった。今朝は携帯電話を農園に忘れてスタート。萩市で連絡する用事を思いだし、車のなかを目を皿のようにしてさがした。

ショルダーがあるので、明日からそのなかにきまった小物を入れて車に乗るようにクセをつけたい。

哲学者の講演を聴講

レノファ山口の試合前、景気よくビールを流し込む桂子ちゃん。彼女は前の仕事でうら若き女子社員だった。あれから18年の歳月がながれて。

今は、数楽の会と掃除に学ぶ会だけでは「若手」


まだ暗い5時から草刈りをはじめた。ハンマーナイフを走らせても鶏舎や植木の位置で進行方向はわかる。7時ごろ、頭と顔を保護している防虫ネットを脱いで汗を拭いているとき、左目に鋭い痛みが続いた。ブトが吸血していると直感して手拭いで叩いた。即効性の薬はあるが「目」に近いから、洗面所に走り石鹸で患部をしつこく洗った。今、腫れてはいるがあの処置が効いて大したことはない。傷口も確認できる。

8時まで草刈りをして、お盆あけ営業のレストラン小月の「卯」に配達。


農園で簡単に昼ごはんを済ませて県セミナーパーク「ひとづくり財団」が年に7回講師を招いてネットなどで聴講を呼びかける。最大定員300人で毎回抽選になる。私はネットでいつもペア券で申し込む。絶対に聴きたい講師、例えば 作家の山本一力さんや諏訪病院名誉院長の鎌田先生の申込みは、桂子ちゃんを動員して獲得する。もちろんダブって当たれば無駄にしたことはない。

今回のペアは、体調が悪くキャンセル。一人で行った。講師は哲学者 岸見一郎先生。予備知識はゼロだから演題「嫌われる勇気、そして幸せになる勇気」をウキウキして開演を待った。

「アドラー」という方に学んでおられ、そこを軸に90分の話が展開した。

「過去」と「未来」から解放されたらどうですか。きょうの1日を大切に生きましょう。と結論されたように思う。特に私の場合、老後の生活はどうなるのかという不安はしなくても、きょうを大切に生きたら大丈夫。

それと、人がどんな価値あることをやったかという判断からは、老人や障害を持つ人の評価はうまれない(私も人のお世話になる時がくる)そうではなく、その人の存在がうれしい、ありがたいという心持ち。そこから世界の平和が見えてくる。


私の脳みそは、聴いたり読んだりしたことの発酵が遅い。岸見先生の内容は宗教的にも感じた。ぼつぼつ熟成させよう。


落雷と豪雨のなか物語

今朝7時。下関市内に向かっていると、関門海峡をクルーズ船が堂々と針路をとっていた。


高温注意報の午後。下関市内日(うつい)で炎天下に電柱にのぼり作業されている方は、車体に書かれた家電の店名からお客さまとわかった。上下の作業服とヘルメットに軍手をまとうのは85歳の店主。

過疎地で細々と家電の店を夫婦で営まれている。コンビニなどない地域は高齢者だけ。いつ売れるともわからない電機製品を陳列されている。きょうは、地域のイベントがあるので電気をとるため配電盤などを取りつけておられると話された。

お店に配達に行くと、おじいさんが乾電池を買いに来ておられ、ばあちゃんが丁寧な応対をされていた。このお店は地域を支えていると思う。


農園近くには百貨店がある。冷凍食品・酒にたばこ・学用品・調味料に仏具に神具・釣具に金物・コピー機も鎮座。野菜に週刊誌などなんでもある。まさに地域のインフラ機能を果たしている。


街まで買い物に行けない事情の高齢者を支えているのは、行政ではなく心意気で店を続ける人。電柱のじいちゃんは、近々にホーム画面に載せます。


美祢市で配達を終えて、藤ケ瀬峠を越えるころから落雷と豪雨になった。

約15年働いている「みゆきちゃん」は聴覚障害。4時に農園を出てバスで帰る。バスの運転手や地域の方は彼女の理解者でお世話になっている。

木曜日は、バスを待つ彼女にコンビニで飲み物や食べ物を買ってバス停で手渡すことにしている。

大粒の雨のなか、バス停に彼女はいなかった。歩く道はひとつしかないので、その道を走り彼女を見つけた。農園を出るときには雨は降っておらず、傘がないので空き家の軒下で空をあおいでいた。

パンとお茶と傘を小走りで持って行った。彼女の笑顔は最高だった。



生活でリセット(電源OFF)も要る

3時前に目が覚めた。枕元の愛犬がハァハァと息が荒い。響灘ぐらい遠方の落雷でもわかる。それが天気アプリで確認できた。

夢うつつの瞬間にひらめいたことがあった。それは、携帯電話(ガラ携)にはタブレットを持つ前に撮った画像が残っていることに気がついた。思い出の画像のなかで2012年に撮った太郎さんを見つけた。タブレットにそれを送信した一枚。向かって左の足に黒い跡が見える。イノシシのくくり罠にかかり2日ほど山のなかで苦しんだ。獣医は切断を宣告したが「2~3日経って、腐るなら切ってくれ」と連れ帰り、一睡もせず血が通うよう祈り患部を撫でた。朝方、冷たい足があたたかみをとりもどした。

母をたくさん撮っていた。宝物に出会えた朝になった。


6時まえ、下関市に向かった。2号線に出る前に夜のように暗くなり滝のような豪雨に遭遇した。下関市小月に着いたときはサングラスの好天になっていた。


農園に戻る前に宇部駅近くのdocomo店に立ち寄り。数日前からコンビニWi-Fiが接続できなくなった。もう1台のタブレット(シムカード無し)はコンビニWi-Fiが使えるから支障はないが、私なりの努力をしても接続できない理由を知りたかった。

原因は、この1週間ほどタブレットを「電源を切る」にしなかった。そこで問題が起きたことをアドバイスされた。再起動したらWi-Fiがたちあがった。

コンピューターですらこうなのだから、私も数日おきに気持ちの再起動せんにゃいけん。惰性に生きてはいけん!


午後からの血圧の定期検診。農園ではかったら135の80が、若い女医さんがはかると180の90。今回も「大丈夫です」と見透かされた。

3時前から草刈りをした。やらねば草に農園が負けてしまう。しっかり汗をかいたら気持ちは爽快。

終戦記念日は暑かった

火曜日は山口市内の配達。3時に目が覚めて、きょうの配達はお盆でお休みが多いことなど、1日のことを考えていた。市内には護国神社があるので、正午に参拝することを決めた。

310万人ともいわれる戦争犠牲者。かしわ手に慰霊を込めた。神社では8時に祭典がお仕えされ、英霊にこたえる会のアピールが鳥居に掲げられていた。

総理や閣僚が靖国参拝されることを英霊が望んでおられるのかと鳥居を仰いだ。


先日亡くなられた日野原先生。武力で侵略される時代ではない、それは国際世論が絶対に認めないから、外交で国をまもることを考えてほしいと、いろいろな場で話されていた。よく言われる「座して死を待つのか」私は殺し会いをするより人としてそれは間違っていないと思う。


核燃料廃棄物を地中深く埋設するプランがあるらしい。農園のちかく秋吉台は過去は海底であったから石灰岩大地。日本アルプスも同様。今の核燃料処理計画は、地球の活動から考えても必ず未来につけをまわすことになる。

話題のシェール層から天然ガスを採掘する地域(アメリカ)で地震が頻発している。

地球を壊して「快適」「幸せ」はありえない。終戦の日にお参りして真に英霊にこたえる国を考えた。


湯田駅近くの独り暮らしのおばあさん。裏口を開け「ばあちゃん!」と声をかけてたらソファーに横たわって動かない。もう一度「ばあちゃん!生きちょるか!」と叫んだら「まだ初盆にならんかった」とおきあがった。


朝の豪雨で雨具の完全装備。午後からの日射しは暑かった。暑かった。

国民の生命と財産は戦争では守れない

8時15日の時期がくるとNHKは、あの戦争を「証言」で視聴者に問いかける。毎年それを録画してCDに保存している。200枚ぐらいあると思う。

沖縄県が本土復帰した直後から、戦没者のご遺骨収集奉仕に10年以上通った。それが、私が戦争をいまでも問い続けるスタートライン。


私たちの身近な人が、戦地となったアジアの国々で鬼のような蛮行をやった。という声に「それはねつ造」と思いたいし、確かにねつ造と思われる「証拠」も散見する。

昨夜は、満州で生体実験をした関東軍防疫部隊、通称「731石井部隊」の記録が60分紹介された。

終戦直後にソ連に捕虜となった石井部隊幹部の裁判記録録音テープが番組を構成した。

匪賊「ひぞく」(支那人の山賊と言われている)を捕らえたら銃殺。その前に生体ではないと得ることかできない実験データーを取ろうと、帝国大学(東大・京大)の医学研究者が大挙して満州に渡った。厳寒の満州で凍傷を患う兵士が多く、凍傷研究のため氷点下20度のなかで捕らえた匪賊に扇風機をあて凍傷にする。手の指先が無くなった者、骨だけ残った者。染色体の実験は生体でないとできない。研究者は「マルタ」と呼ばれた支那人で思う存分の実験・研究ができた。

細菌兵器(ペスト・コレラなど)も、その威力がマルタで試された。


国内では満州で略奪を繰り返す匪賊の報道が連日されており、殺してあたりまえのような雰囲気を各マスコミが書きあげていた。まさに「ペンの力」が軍部に操られた。国民はペンを信じて鬼と化した。


土曜日にお届けの若いご夫婦。きのう新居にうつられた。今度の土曜日は「ばんだいさん」の豪華ドライフラワー花束をお祝いに届けることができる。花束は、明日のホーム画面でご紹介します。


6時まえの夕暮れ。晩酌をおえて眠気がしている。クーラーは要らない。ぼつぼつ寝よう。愛犬と。


夜は過ごしやすくなった

「フォト」からさがした一枚(昨年7月)小月の東行庵ちかく「茶店庵しみず」。毎週木曜日の配達を長年している。

真空管のオーディオと数百枚のレコード盤かある。ジャンルはジャズから山本リンダまで選んで聴かせてもらえる。


お盆の期間はたまごのキャンセルが重なる。けれどもお盆ならではの追加注文やスポットの注文もある。下関市方面でご注文があり、その最後に追加のお届けで「しみず」店内に入ると「あだちさん!」と厨房から元気印の杉本さんが声をかけてくれた「加奈ちゃんをテレビで見て泣いたいね」彼女も加奈ちゃんとは物語がある。


テーブルで食事中のご家族(?)から「あだちさん!」とお声かけ。長府のお客さまだった。


店を出たら、来店のご婦人二人「あだちさん」と声をかけられた。3年前から正志が配達している小野田市の岡さんだった。岡さんは、ある会社の社員食堂を取りしきっておられた当時から「おいしい店がある」と言われたのが「しみず」愛犬、雑種の大型犬「カイちゃん」の後ろ足が悪いらしい。パートナーだから気持ちはわかる。どうすれば治るかと詰め寄られた「医者に」と言ったら、医者は高齢だから治らないと診断をくだしたらしい。ダイエットと無理のない散歩をされたらどうでしょうか。岡さんか笑顔になった。


昨夜は8時にクーラーをとめて網戸にして寝た。深夜に涼し過ぎて窓を全部たてた。


3時起床。草刈りをはじめる5時過ぎまでにやったこと。ブログ更新・トイレ掃除・部屋掃除・朝食・朝食後片付けと台所掃除・犬の世話・ゴミの消却など。

一人の生活が多く、部屋に掃除機を毎朝つかうほどではないと思っていたが、汚れているからの掃除ではないような気がして毎朝の掃除機を続けている。

たまご の味は?総理

夏空にそびえる防府市 右田ケ岳をAさんから投稿いただきました。頂上に大内氏の右田ケ城天守があった。標高を調べたら426メートル。

先日、フルーツ コーンを買わせてもらった加奈ちゃんの仲間でたまごのお客さま。むつみ村にお住まいなので、連日の萩市方面の猛暑見舞いメールを出したら「自宅は、標高400メートルで朝夕は寒いぐらいです」と返信。

右田ケ岳の写真をながめて「寒いぐらい」を理解できた。


今朝、6時に農園を出て萩市に向かう道中。夜のうちに車と衝突したタヌキ・キツネ・テンにイノシシ。小動物はカメにカエルなど、わずか40分走るだけで無残な姿がたくさん目にとまる。

解剖学者の養老孟司先生。車が生態系を壊していると言われる。とくに夜間は無数の虫を殺しながら、人は快適に移動している。せめての思いでカメが路上で動いていると捕まえて川か池に放すようにしている。手と車内が臭くなるが。


「最後の講義」がEテレで2度あった。ランディ・ハウシュ教授と石黒 浩先生。どちらも録画。

石黒先生はロボット製作について語られた。パラリンピックで理解できるように、生身の肉体が人間の条件ではない。1000年後の地球上で生存するために、人は無機物にならないと地球の環境変動にたえることはできない。つまり人はロボットになる。

そしてロボットをつくることは、人間を知ることからはじまる。


石黒先生の講演依頼が海外からあると「僕が行きましょうかロボットを行かせましょうか」と聞くと、ほぼロボットに依頼がくるらしい。外見も声も本人と同じモノが完成している。講演後の質疑応答もロボットが人工知能で答えるが、場合によっては先生本人がネットで、0.2秒のタイムラグで答えることもある。

もう、そのような時代が到来していることを知った。


朝8時半。大谷山荘は黒服の男たちが目を光らせていた。総理夫妻が別邸に泊まられており、これから墓参りにたたれる場面だった。農園のたまごを食べていただいたのか。

ぐっすり さっぱり ゆっくり

ご覧の「囲炉裏の部屋」には五つの部屋があります「あだち宛メール」と「見逃しギャラリー」のあいだに「数楽の会」の扉があります。扉の向こうには会を主宰される藤野先生が、写真のような風体でお待ちかねです。

この会の特徴は、自己紹介・感想発表や感想文がない。時間が来れば始まり、時間になれば終わる。ほぼ皆勤賞の私が顔も名前もわからない人がいるぐらい。


数学者 岡潔(この会ではじめて知った人物)の著書「春宵十話」を数ページ、先生がコピーして配るのもをテキストに会はすすむ。この著書は「情緒」を数学者が述べており、私に一人で読めと言われたら、間違いなく退屈して挫折する。参加者の年齢層は幅があり、理解させるために藤野先生の脱線がはじまり、脱線のなかで理解ができる。


長府や萩は何度も足を運んでいるが、観光ガイドに一度は案内してもらい見るべきところがわかっているから楽しい。功山寺山門に奇兵隊士が血気にはやり切りつけた深い刀の傷痕がたくさん残る。つまり、ガイドしてもらうと理解が拡がり深まる。


数楽の会の扉をあけてみませんか。一度参加されてみませんか。生活の目線がかわりますから。


クーラーをつけて寝たが深夜に切り網戸にした。虫の音が風に運ばれてきた。ぐっすり眠れた。


5時から草刈機にグリス油をさしたり準備を整えて草刈り。たまに感じる風が気持ちがよくなった。7時に終わり、シャワーでさっぱり、そのあと散髪でさっぱり。昼からゆっくり。



立秋過ぎたが猛暑

朴の森 の米澤さんが笑顔で便器に向き合われている写真を岡本拓也さんから拝借。

素手で便器を触ることはに抵抗のある方に「素手でやりなさい」とは誰も言わない。便器を磨いているうちに、とれない汚れや見えない汚れをなんとかしたい気持ちがおきてくる。

姿勢を高くしたり低くしたり、視点を変えながら汚れを見つけようとする。見えないところは触って汚れをさがす。問と題点(汚れ)に対して自分の視点を変えることが「あっ!」とわかるときがある。そうすると、生活の場面や職場で問題に対して自分の視点を動かしてみると「そこなのか」と取り組むところが見えてくる。

それを称して「掃除は気づく人になれる」と鍵山先生は体験から教えてくださる。


朴の森 で検索されると鍵山ワールドがひろがります。お立ち寄りください。


下関市の木曜日。彦島の村上棟梁のお宅も配達コース。番犬の「翔クン」は私に吠える。5年以上前から友好のパンを持って行く。翔クンは吠えるとパンがもらえると覚えてしまい吠えまくる。きょうも吠えてパンを食べているところに棟梁のオンボロ軽トラが戻ってきた。

暑さのなかで真っ黒に日焼けして、痩せていたように思う。私が暑いと思うレベル以上、過酷な陽射しのなかでタオルを頭に巻いて働いている。翔クンも親方が帰ったのでお利口犬になった。

恵の雨に感謝!

昨夜、陸上自衛隊山口駐屯地で『音楽の夕べと花火大会』が盛大に行われました(Aさん投稿)


今朝の9時。下関市安岡の配達中に空が真っ黒になり、車の屋根を叩く激しい雨が落ちだした。想定していたので雨宿りに近くのパチンコ店立体駐車場に入り、雨具と靴を履き替えた。雨雲レーダーでは線状の赤いラインが頭上を覆っていた。

高温小雨の連日で農園の井戸は渇水状態になり、川に汲み上げポンプを据えて、ホースを井戸まで連結して散水して地下水にしている毎日が続いていた。川土手の桜並木も水が不足し、葉っぱを黄色くして落とし耐えていた。ぼつぼつ500リットルタンクを軽トラに積んで散水しようかと考えていた。

この程度の雨量では地下水が増えるまでにはならないが、桜や野菜には恵みの雨にはなる。


人工知能について考える私に、藤野先生から新聞のコラムが届いた。東京都市大メディア情報学部教授の女性が執筆。そのなかで2点うなずいた。


AIに人の感情がリラックスする曲を学ばせ作曲させても、それは作曲家の否定にはならない。

⬛先日、囲碁や将棋を人工知能相手に対局することと、人間同士が対局することは勝負をこえた妙味という点では別物だとラジオで聴いた。


18世紀の産業革命は労働者の仕事を奪ったが、機械を管理する仕事がうまれた。人工知能も管理するという仕事は増える。

⬛耳と鉛筆一本で会議録調整をしていた速記士業界に、録音機材とワープロで私は参入した。大きな壁は、速記士が培った修文能力(「あの」「ええ)」など話し方の癖を整理、言葉を前後させて簡潔にする)は機械では太刀打ち出来なかった。


解説があると深まる理解

きのう美祢市、ある地域の風景。黄色の花のおく洋風な建物(瓦がない)が絵手紙の ばんだいさんのお宅。金曜日から数日、絵手紙などをホーム画面でご紹介します。


大岡昇平の作品「野火」が100分de名著に取りあげられた。第1回を録画した。

著者も体験し激戦の末に捕虜となり帰還できたフィリピンの島が舞台でフィクション作品。何度か読み返したが、飢餓のなかで戦友の死体を食べる場面は壮絶。映画は観に行くのはやめた。


数楽の会は、数学者の岡潔先生の著書「春宵十話」を藤野先生が敷居を下げて解説してくださる。私が一人で読んでも難解な活字の列挙で歯が立たない。

「名著」も25分きざみ✖4回の100分をつかい解説される。


「野火」は戦争文学として1951年に世に出た。またたく間にたくさんの言語に翻訳され世界で読まれるようになった。そのことが最初に理解できた。主人公が戦地で肺病が悪化して上官から野戦病院行きを命ぜられ、密林を徒歩でいくにちもかけて着いたら、肺病ぐらいで来るなと追い返された。

部隊に戻ると、さんざん殴られて再度の病院行きを命ぜられ芋を6個与えられた。断られたら、その場で手榴弾自決せよ。私は、なんと残忍な命令と理解していたが、解説は「たしかに死ぬと思うが、部隊にいても死ぬ。死ぬまでの自由があたえられた」と主人公の胸のうちを語った。

やはり導いてもらえると内容の核心に近寄れる。


もうひとつEテレ番組は、満州開拓団を生きた女性の証言。敗戦直後、支那人が大挙して略奪に来る。周辺の開拓団は自決。その開拓団は団長の考えでロシア軍に守ってもらうことを決めた。その代償に「接待所」がつくられ、15歳から20歳までの女性約20人が接待を命ぜられた。その女性たちが当時を語りはじめた。


いま、国民の生命と財産を守る。と言われると武力も必用かと思いながらも、戦争は絶対あってはならないことを歴史から学ばねばならないと思った。


何事もなく台風一過

美祢市の山あい。バアちゃんの相棒「コロちゃん」が、坂道を転がり落ちるように老化している。両目は白内障で見えない。耳もだいぶ不自由になった。食欲不振でバアちゃんを心配させる。

ドックフードは食べないから、牛乳・生たまご・肉などを試してもらった。それなりに食べたが、最近はネコ缶を食べる。ネコ缶はカロリーが高いから良いと思う。この写真を額に入れて来週プレゼントする。


台風対策は済ませて一夜を過ごしたが、風も雨もなく夜が明けた。日田市から朝倉市一帯の豪雨被災地に追い打ちをかけることがなく本当によかった。

きょうの配達コースには野菜や米農家が多く、みなさんの顔が安心でゆるんでいた。


加奈ちゃんの仲間「ありちゃん」が「おいちゃん!テレビの加奈ちゃんを見てぶち泣いたいね」わたしも涙が出たと相づちをした。加奈ちゃんからインスタグラムで番組放映の知らせがあったんよ。


そのインスタグラムの言葉を忘れないようメモをして、木陰にとめて検索した。ウィキペディアを読んでなんとなく理解した。私が生きていくにはツイッター同様で必要ないと思った。さまざまな発信ツールがあることは理解できた。


最近、Asahiドライゼロ(ノンアルコール)を昼ごはん前に買ってお茶のかわりに楽しんでいる。


練り出す言葉は伝わる

きのう、長門市野波瀬 極楽寺の掲示伝道が更新されていた。私は、毎月更新される掲示をとても楽しみにしている。とかくこのような貼り紙は、宗祖や教祖が遺した言葉をそのまま書いている。出した方の自己満足はあると思う。

極楽寺の掲示には仏教のかおりはしない。それは、仏の道を歩かれているご住職が、その道を生活のなかで実践する極意を、コンパクトな言葉に練りだされた。身近な言葉で、地域の人も楽しみにされているのではなかろうか。


掃除に学ぶ会の鍵山先生。すごい量の書物を読んでおられる。けれども私どもに教えてくださるとき、その書物からの引用はない。ひたすら掃除をされて練り上げられた「みやすい言葉」例えば「ひとつ拾えばひとつだけきれいになる」そのコンパクトな言葉に人は感動して動く。


5時過ぎから農園内の草刈りを始めて7時にやめた。早朝でも汗はしっかりかいた。シャワー・朝ごはん・犬の世話・部屋掃除を済ませて月曜日の配達に出た。台風の影響があるかもわからないから小郡と防府市のお届けをさせていただいた。

防府トヨタに立ち寄り、2万5千キロ走ったタイヤとオイルの交換。山口市内でひさしぶりの外食(家内は岐阜で催しの同窓会。今夜は太秦泊まりで明日の昼戻る)湯田温泉かんぽの湯に立ち寄り。湯上がり、ソファーで10分夢のなかに溶けていた。


藤野先生が「囲炉裏」のひとこまで、AIで動く世界に戸惑う私に長文でグローバルな視点からアドバイスをメールでお届けいただいた。とても嬉しかった。

数年前、もうガラ携が使えればよいと思っていた私が、テレビの報道にながされているように感じた私が。無料の新聞アプリケーションで日本の全紙がザックリ読めると知ってタブレットを手にした。匿名で無責任なツィターも知った。便利なフェイスブックも多少理解できた。重枝さんのフォローで囲炉裏もはじめた。


要は「使い道」何が私に必要かのレールがAIの入り口。


もうひとつの 掃除に学ぶ会

今朝7時の萩市菊ケ浜海水浴場。

すぐ近くの浜崎 泉福寺にも配達をしている。堀内を配達して玉江から長門市に向かう。浜崎は古い街並み・菊ケ浜から日本海・土塀の堀内・川と海と松の玉江。世界遺産指定の場所はひとつも無いけれど、私は大好きな萩の風景。


今朝は防府市の3校を会場に「掃除に学ぶ会」が催された。私は参加を悩んだあげく欠席した。

萩市に向かう準備をしていた5時過ぎ、ライトを点けて正志が着いた。すぐに川土手の草刈りをはじめた。私が掃除に参加をしたら彼が萩市の配達をする。私が「掃除だから行かせてくれ」と頼めば「わかりました」言う。けれども正志に掃除を伝えるには、掃除を理由に無理をさせてはならないとはじめての心境になった。

昼前に戻り農園の橋を渡るとき、川土手の全部がきれいに刈られていた。刈り終えた後の満足感を味わったと思う。彼の「掃除に学ぶ会」。


朝、上田さんから岩国市の磯野恭子(やすこ)さんの訃報が届いた。20数年前、当時はKRY放送局で取締役だったが、番組制作もされていた。私が郷土の長生炭鉱で昭和17年に起きた海底炭鉱事故を調べていることを磯野さんのアンテナがキャッチした。慰霊。語り継ぐという二つで意気投合した。ついに「海鳴りの歌」というドキュメンタリー番組を制作された。亡くなった坑夫の遺族と対面に韓国にカメラを伴い行かれたこともあった。作品はいろいろ授賞した。

講演依頼が各地からあり、たまに運転手もした。退職後は、岩国市教育長に就かれ活躍された。享年83歳。私を育てて下さった恩人。

DVD貸し出しOK!

6月。Eテレ 100de名著で「維摩経(ゆいまぎょう)」が放送された。4回(最後まで)見たのは、数楽の会で講話を拝聴した、釈 徹宗(如来寺住職・相愛大学教授)先生という理由だった。仏教思想の根幹のような内容が私に理解できるワケがない。けれども、釈先生のおだやかな大阪弁と、場面では司会者の伊集院 光さんのコメントに「なるほど、その

解釈は勉強になりました」と言われる謙虚さ(包容力)までもが維摩経に思えた。それで終わった。


後日、藤野先生が番組を2枚のDVDに収めて、テキストまで添えて農園に持参してくださった。2回拝見した。テキストも読んだが、私には伊集院さんほどの理解力がないことがわかった。

アウトラインがぼんやり見えたのは。

多人がおるから私がいる。

私が見ている世界は、私の価値観の世界で真実の世界ではない。


100分ごときで仏教が「わかった!」にはならないが、寝転んで見てみようと思う方には、先生に返却する前に無料レンタルします。


きのう夕方「Jチャンやまぐち」に加奈ちゃんが登場した。録画しながら観ていた家内も涙をふいていた。高校を卒業した彼女は住み込みで働ける西長門リゾート ホテルに就職した。このホテルはたまごのお客さま。特に料理長は懇意ということもあり、お祝いの花束を届けに家内と仕事を終えて走った。あのとき加奈ちゃんは夕方のミーティング中の仲間のなかでお祝いの花を抱いて満面の笑みだった。料理長に会い「あの子を頼みます」と頭を下げて帰った。

彼女が発信すれば1000人が「いいね!」を押すぐらいまで自力で歩いた。ご覧になりたい方にはDVDをレンタルします。


台風が接近している。熊本県や先の水害被災地。実りの秋を前に果樹農家や、栽培漁業の方は特に不安をつのらせておられると思う。農園も明日から対策をはじめる。


AIも核も ようわからん

山口県にかるたを普及した、小林さん(1970年代)に小野田市竜王中学でかるたの指導をはじめた。その門下生に、かるたクイーンの今村美智子さんと久保久美子さん。顕彰して創設された「小林杯」を、今村美智子さん門下生の縄田さん(高校二年生)が獲得した。初の小林杯。

今村ご夫妻の充実した生き方にいつもよい刺激をいただいている。宇部日報を撮りました。


朝のラジオで「なるほど」と感心した。中国でも人工知能がもてはやされている。「共産党万歳」の書き込みにAIは「こんなに腐敗して無能な政治に万歳できるのか」と回答。「《中国の夢》とは何」の書き込みにAIは「米国に移住」と回答。このAIサービスは停止された。

先日、道路工事で車の整理をされている女性の日焼けを話題にとりあげた。あれから、あの過酷な労働は人ではなくコンピュータ制御のロボットにさせたらよいと思った。けれども、そうなればあの女性の仕事はロボットに奪われる。物流もトラックなど人手をかけない仕組みが模索されている。

コンビニも店員なしで営業が試行されている。人間の居場所はどこになるのだろうか。どこを働き場にすればよいのだろうか。


核兵器禁止条約に、日本も含めて核大国は「ノー」。つまり核兵器を保有することで国家防衛ができる。その国際世論を追い風にしている国こそ北朝鮮と、どこかの大学准教授が話された。これもラジオの知識。

広島・長崎の日が近いが、核の傘はどうなのかと考えている。

マムシの登場 吉か凶か

明日(3日)の「Jチャンやまぐち」で、半月前に加奈ちゃん自宅で催された酵母パン販売を取材した内容が放映されます。そのお知らせメールに添えて、加奈ちゃんと二男の慶ちゃんが、きのうむつみ村のヒマワリを見て、近くのパン教室の生徒さん(農家)を訪問して楽しい時間を過ごしたと写真が添えられていた。農家さんのフルーツコーンは「生で食べられる」で大人気。食べてみたい方はご連絡ください。ご紹介します。


きのう夕暮れ、愛犬と外に出たら10メートル先に棒のようなものが道にある。ひさしぶりのマムシだった。殺したいが素手では無理。闘志満々でトグロを巻いて尾を振りはじめた。犬が行かないよう繋いで作業場に走り金属バットを取って引き返したが逃げられた。


きょうの下関行きは軽トラ(四駆・ダンプ)10数年前には新車だったが今はポンコツ。冷房の効きが悪い。シートはビニールでリクライニングしない。クラッチ5速。尻の下から熱気と騒音が伝わる。

長府から吉岡まで配達を済ませて、お願いしておいた使い古しの漁網をいただきに長府の山奥。荷台に満載、約1キロメートル近くの網を、汗をしたたらせて積んだ。この網を張り巡らした古いヵ所の補強に使いイノシシ バリアに使う。

積み終えて、一番近くのコンビニに行きノンアルコール「ドライゼロ」を店内で2本飲みほした。


暑いを言わないと心がける

8月をむかえた。盆地の山口市内はうだるような熱気につつまれていた。道路工事の現場で交通整理をしている年配の女性が、陽射しを遮るものがない路上でヤカンの水を、空をあおいで口飲みしてタバコに火をつけた。

冷房の効く車で走りまわるぐらいの私が「暑い」とか「たまらん」とか言うのはおこがましいと思った「暑い」を言わずに8月を乗りきる練習をすることにした。


今週の土曜日に防府市3小中校からの依頼で、教師・父兄に生徒が参加の「掃除に学ぶ会」が開催される。

私は「欠席」を早々とお返事した。土曜日は萩市から長門市に美祢市を半日走ればよい。

正志に「頼む」と言えば済む。けれども半日の仕事は負担にちがいはない。以前の私は、善いことをするのだから周囲は気持ちよく協力してあたりまえ。ぐらいに思って掃除の印篭を出していた。それは理解者を私の周囲で増やせない行為だとの反省で「欠席」を決めた。


毎月のスタートは「囲炉裏の部屋」の更新をやる。重枝さんが更新のスリー ステップの手順をスクリーンショットでわかりやすくしてくださった。慎重に手順をたどる作業をこのあとからはじめる。