停電ではじまった火曜日

深夜2時。まくら元のハッピーが異変に気がついて起きた。夜はひとつだけ点けている小さな明かりが消えて真っ暗やみ。手をのばせば懐中電灯を暗闇でも手にとることができる。


風雨で農園はたびたび停電する。おそらく山あいを縫うように張られた電線が激しくしなる木々から断線されたのだろうと思う。

深夜、ライフラインの維持に緊急出動されている関係者に感謝。さて、いつ電気が復旧するかはわからない。台風のときは3日も電気が通わなかったことがある。早いときは1時間ぐらいで明かりが灯ることもある。


農園は井戸水。それを鉄骨を組んだ高い場所代に1000㍑タンクを据えている。そこまで水を揚げたら降下圧で全部の鶏舎に配水。母屋の500㍑タンクまで降下圧。そこから、私のライフラインは台所とトイレなどがある。鶏舎に水はまだ必要ない。必要なのはトイレや洗面の水。飲料水は弁天池を月曜日にタンクに汲んでいる。


明日から7月。近年の大きな水害は7月(防府市・厚狭地域・美祢市)気持ちを引き締めた朝になった。

発電機を使わず、6時に通電した😀


火曜日は山口市内のお届け。石材店の奥さまとお墓談義が盛り上がった。お骨をおさめる壺は素焼きがよい。なんとか焼きとかにこだわって、例えば萩焼の窯元にお願いして。その焼き物におさまったお骨は度重なる放射冷却で水滴が溜まり数年あとには水棺状態になっている。


早く土に還そうと土葬。それができないのでいまの状態。それにつけこんで「お宅のご先祖様は、冷たいと嘆いておられる」とお賽銭?を儲けるやからもあるらしい。


はやくお骨を土に還したいなら布にくるんであげたらいい。素焼きの骨壺が定番で、それなら水はたまらないが葬儀が派手になり、なんとか焼きの骨壺などともてはやされ、そこにご先祖様商法が横行している。

「ご先祖様が冷たいと嘆いておられる」と。

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お世話から学ぶ私の流儀

数日前、草刈機についてある方から電話で問い合わせをいただいた。広い面積の草刈りでご苦労されている様子が伝わった。現場を見ないと的確にお答えできないが、農園で最強の草刈機ハンマーナイフをご紹介した。

YouTuberで活躍する勇姿がいくつも出ている。けれども、勇姿を発揮するためには地面のデコボコ、石ころなどを排除しておかないと鋼鉄の刃が損傷する。


問い合わせの方に役立つようレンタルをネットで探したら見つかった。レンタル料金と運搬料金。操作指導も別料金だった。調べた内容をメールでもお届けした。


ニュース番組。鳥取県の学校は雑草対策として芝生にする事業をやっていると報じた。私のアンテナが「雑草」に向いていた。

ネットで調べたら「鳥取方式」という芝生をはびこらせて雑草を寄せ付けない実践例を見つけた。

今朝、メールの追伸で鳥取方式をお知らせした。


今週末に「美祢市ツアー」の添乗員をやる。よしの・神功皇后神社・厚保駅交流ステーション・白虎隊・加奈ちゃんパン。ご案内する方に木曜日、カフェギャラリーとりのこで白虎隊の本を借りた。次の金曜日に「よかったら読まれませんか」と山口市にお届けした。分厚いページ数だったので前夜少し読んで、美祢市と白虎隊士との場面を見つけて付箋をつけた。


長々と日記になっている。


草刈機の一件。農園のハンマーナイフが故障したときレンタルできるところがわかった。使い方は熟知しているので軽トラで借りに走り、使い終えてその日に返却すればとても安上がりがわかった。

白虎隊は、読むことで私の知識がふかまった。


人は面倒くさいと思うことを、私はそれをやることができる。その積み重ねで身に付いたたくさんのことが私の人生を拡げてきた。人が私を育てる。


きのう3時間の草刈で熟睡できた。

たぶん8時ごろに寝ていたと思う。3時に目があいたときの爽快感は格別。

1日、精一杯働くことが健康法。

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火災になる寸前だった

日曜日は部屋中掃除。それが一大事になろうとした。

犬の世話を済ませて、簡単な朝ごはん。トイレと風呂掃除のあと台所の掃除。ガスコンロをきれいにしたら魚を焼くグリルの中が気になりガラスも外して掃除した。乾燥させておこうとグリルに着火した。

掃除機をかけたりいろいろしているとき少しの異臭。グリルに火をつけたままだった。慌てて火を止めた。ガスレンジ全体が触れないほど高温になっていた。コンロは自動消火するがレンジにそれはなかった。


朝一番は、防府トヨタに愛車オイル交換。あのまま出ていたら大変なことになっていた。神棚に気づかせていただいたお礼のかしわ手。


防府トヨタからお昼前にもどり早い昼ごはん。

すぐに着替えて草刈り。この時期は雨でなければ草刈りをやっておく。

川土手と農園内で3時間。しっかり汗をかいた。


Facebook。下関市の倉本喜博さんから友だち申請が届いた。

下関掃除に学ぶ会を松村御大が立ち上げたときのメンバー。下関と宇部でよく飲んだ仲間のひとり。

家業の梅寿軒を飛び出してからお会いする機会はなくなった。けれども彼が下関市議会議員選挙に立候補したと聞いて、一票はないけれど出陣の立ち会い演説会(長府観光会館二階)に行った。シモバン(下関板金工業)の松本さんが力のこもった応援演説をやった。僅差の80票足らずで落選。


風のうわさどおり、彼からのメッセージで元の鞘におさまった(梅寿軒社長)とわかった。

前ほど酒は飲めないが、いつか乾杯できると思う。


農園そばの川から涼しさを感じてください。

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記憶のアルバム 私は大切です

⏹️加奈ちゃんパン配達します。

来週は1日の水曜日にお店に立ち寄ります。翌日、2日の木曜日に私が配達しているお宅にパンのお届けはできます。写真の2種類からお選びください税込みです。


曜日に限らず、配達ご希望の方は私にお問い合わせください。私の都合便でお届けします😀


カメラを買って来月でまる2年。腰にさげて毎日少なくても4~5枚は撮っている。


45歳の誕生月。JR南宮崎駅から「旬の旅」と銘打って宇部まで徒歩の旅をはじめた。国道10号線を延岡まで、そこから高千穂を経由。阿蘇外輪山をこえて内牧の高森駅で体力の限界(5日で・毎日50㎞歩いた)で旅は終わった。


家内が学生時代から使っていた安物カメラ(もちろんフィルム)を旅の思い出を撮っておこうとリュックに入れて、海、空に山々を撮った。

高千穂で泊まり、外輪山を越える道中は疲れが限界に達していた。足首と膝と腰の関節が腫れていた。冷やすのか温めるのか処置がわからない。

何度も腰をおろして休んだときカメラを置き忘れた。


外輪山の頂きに立って眼下に内牧盆地を見おろした。あの場面の感動は人生の宝物。

もしカメラがあったらシャッターを何度か押していた。けれどもカメラがない。


記録ではない記憶のシャッターを景色の感動に涙をこぼしながら刻んだ。


記録のアルバムと記憶のアルバム。


簡単な朝食を済ませて土曜日は萩市。そのあとは長門市から美祢市を走る。

午後から農園で草刈りをはじめた。長年使っていた部品が壊れたのでお手上げ。

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歳とともに酒の量が減る

木曜日の楽しみは、午後1時ごろ立ち寄るJR厚狭駅(無人駅)の駅舎に併設「厚保地域交流センター」。

絵手紙・切り絵など地域でその道に秀でた方を「先生」にして地域の皆さんが楽しく学ぶ。

きのうは、ホームセンターで手に入る荷造りテープを使ってカゴづくり。和気あいあいの無人駅。


きのう唐戸魚市場で買い求めた魚はとても旨かった。地元の銘酒も冷やしてあじわった。

10年ぐらい前だったら一升の半分以上、冷や酒でのんでいた刺身と揚げ物。それだけのまなくてもよい歳になった。


どれだけ疲れても3時には目があく。落雷で枕元のハッピーの顔つきがちがっている。前足を握って4時まで眠りに落ちた。


朝の予定は散髪。済ませてから清末のレストラン卯(金刺社長)に集金。10時半、開店前の慌ただしいなかで女性スタッフが笑顔で取りついでくれて封筒に準備してくださった現金を、別の女性スタッフが笑顔で渡しながら「社長がご挨拶」と言われたすぐに金刺オーナーシェフが厨房からこられて「お世話になりました」と頭をさげられた。


小月の方から依頼の加奈ちゃんパンの配達。小月トヨタでオイル交換(家内の車)を済ませて昼過ぎに農園。

缶ビール一本で夢をみた。

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やまちゃん!元気かね

広島の「やまちゃん」ご主人の様態もよくなっている。私のブログを楽しみに読んでいると菊川のKさんから聞きましたよ!

きょうも益本電器店・三家本さん・井田さん・浄福寺などお届けしました。農協の前にオープンした喫茶店は元気に営業されています。野菜など直売店のトイレはツバメのマンションになっています。

暑い季節にむかいます。ご主人様ともども元気にお過ごしください。


日記は、私の日課として続けている。その日記を転居先でも読んでおられる「やまちゃん」の親友から聞いた。嬉しかった。


5時すぎ、雨具の完全装備で農園を出た。10分走ったころ携帯電話を部屋で充電していたことを思い出した。愛車には連絡先一覧の手書きリストがある。これでなんとかなる。ライン・Facebookからの電話もおぼつかないができる。

唐戸魚市場で今夜の魚を買った。農園の家内にライン通話を何度しても不発。魚を買えなかったと思って買い物されても無駄になる。

公衆電話作戦。ところが公衆電話ボックスの数は驚くほど少ない。見つけたボックスで10円を重ねて魚を買えたことを伝えた。

電話を持たない木曜日。農園に戻って電話を手にて着信を確認した。


加奈ちゃんお店は木曜日と土曜日にたくさんお届け。

たまごサンドが大好評と。

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河本寅雄先生とお会いできるようになった

写真は、きのう山口市内湯田温泉の近く。時おり犬と歩きながら路上のゴミを拾っておられる姿を時おり見かけていた。その後ろ姿を運転席から撮らせていただいた。


下関の寿司割烹の大将。お店からとめている車に来られるとき、煙草の吸い殻など落ちていたら拾われる。ある時、生ゴミがカラス対策で魚網がかけられていた。それでもカラスが生ゴミを散乱させていた。気にはなっても私は手が出なかった。

大将はそれを見て、散乱している生ゴミを素手で集めて網のなかに平然となおされた。


私は農園の川土手、釣りに来た人が捨てている空き缶やゴミを拾うことはやっと身についた。


今朝のラジオ。5月に九州を訪れた外国人は福岡空港だけだった。その総数は270人。昨年5月は船や飛行機で訪れた外国人37万人。


きのう電気髭剃りを買った。ずっと石鹸をつけてカミソリを使っていた。糸賀社長から最近のシェーバーの使い心地を聞かされた。

昔のイメージは、剃ったヒゲがヘッドに残り不衛生な気がしてやめた。それが、毎回お湯などで洗えることがわかった。今朝は快適に髭剃りをすませてヘッドをお湯で洗った。


売り場のお嬢さんにメンテナンスを聞いた。替刃などあるが定価とあまり変わらない金額。つまり2~3年使ったら新品にしなさいと暗に言われた。

これまでの髭剃りを買っていたことと比較したら安いのかもわからない。


5時半から3時まで、おもに下関市を配達した。


スペシャルオリンピックス下関の女傑、清水千代美さんの関係者。小野田市の郷土史家 河本寅雄さん(最後は西岐波小学校校長94歳)と竜王山について教えていただく日どりがととのった。とても楽しみ。

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沖縄戦の日に思うこと

沖縄戦が終わって75年。

本土復帰の直後から戦没された軍属や民間を問わずのご遺骨収集奉仕を金光教信徒会が旗揚げした。10数年のあいだ私はその奉仕活動にくわえてもらった。


糸満市摩文仁の山野にはたくさんのガマ(珊瑚礁が雨水でつくられた洞窟)それは大小も奥行きもさまざまにある。遺骨収集奉仕は遺族・宗教団体・政治団体など多くある。その皆さんはガマを見つけてご遺骨を探される。火炎放射器で真っ黒に焼かれたガマのご遺骨は集骨されている。

ガマではなく地表からご遺骨を見つけること。戦後の時間で埋もれたご遺骨はなにかのヒントを地表に遺しておられるように感じる。

それは、斬り込みに行くとき音をたてないために履いたと思われる地下足袋ゴム底であったり、自決手榴弾の不発や大腿骨のような大きな骨が密林の堆積した落ち葉のなかから「見つけてくれい」と声をあげていた。何度もそういう場所から万年筆・セルロイドの石鹸箱・印鑑・軍靴の裏の墨書き氏名などからご遺骨の身元判明ができた。


農園をはじめる前。最後の奉仕は摩文仁の山野で小さい完全一体のご遺骨と対面できた。遺品のセルロイド三角定規に刻まれた金城さち子。


沖縄戦を多くの方々が検証する。集団自決に軍が関与したかとか。

それよりも、いまだに山野にのこされているご遺骨を家族のもとにお返しすることが先決ではないだろうか。


以下はFacebook投稿の内容


農園生活12年。

防府北基地近くの薮が梅雨の豪雨で浸かりはじめたとき、近くのお宅に生後間もない子犬を運びはじめた。その数は7頭。軒下で子育てがはじまった。


昼間。人が来たら逃げるために立って授乳したこともある。夜は子どもと横になった。栄養不足で痩せ細った親子の姿に地域の人たち(高齢者)が立ち上がった。

子犬を撮って広範囲に飼い主さがし。可愛いのですぐにもらわれた。


残った母犬も誰かに飼ってほしいとペットクリニックに連れて行き避妊手術。費用はみなさんが負担された。

そのときフィラリア陽性反応。飼い主さがしは暗礁に乗り上げた。


そのクリニックに配達しており、痩せ細った野良犬を横目に見ていた。

飼い主が見つからないと残念だが保健所に引き渡すギリギリの期限になった。紆余曲折のなかで私が引き受けることにした。当時、農園には3頭の保護犬がいた。そのなかにフィラリア陽性を迎える躊躇はあった。


迎えることを決めて獣医に注意点を聞いた。心臓に寄生している虫の寿命は4~5年。強い薬で殺したら虫で血管が詰まってしまう。発症しないことを願いながら、これ以上の感染予防を毎月の投与でやりなさい。


11月の末にお世話になった地域のお宅に迎えに行った。大勢が集まってお別れの会になった。お世話してもらったお宅のご主人「ハッピー」と命名。子どもを引き受けた人たちも子犬とお見送り。

農園結納は家内にエプロン。私には新潟の酒一升。ドッグフードなど数々のものを頂戴して涙で見おくられた。

農園に着いた。結納品の下に封筒があった。


野良犬ではなく宇部市に登録してください。と4千円が入っていた。


たくさん物語を紡いだ愛犬。 

穏やかな毎日をすごしています。

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月曜日は一日中眠たい

ラジオを終日聴いている。

8月が近くなり、月曜日の朝8時前に広島・長崎で原爆を体験した方が、その日に見たことを克明な手記にされている。それを高校生が朗読するNHKが企画したシリーズ。

朝からそれを聴いて楽しい気分にはなれない。けれども、私が生まれる少し前の日本で壮絶な体験、生地獄のなかを生き延びた人が訴える「平和」を聴いている。


土曜日の朝のラジオ。山口県警広報官が飲酒運転撲滅についてあつく語った。締めくくり「飲んだら飲まない」😀


私もキャンプリーダーをした若いころ。朝礼で「おはよう‼️」と大声で言ったときの子どもたちの声がショボかった「元気がこまい‼️」とやってしまった。


月曜日は山口市・美祢市から山陽小野田市を広範囲に配達をしている。

ムカデに手を噛まれた奥さんの恐怖体験をしっかり聞いた。夜中に腕に強烈な痛みを感じて見たら赤いムカデが布団を這っていた。腫れがどんどん大きくなり病院。処置は終えたがムカデは部屋のどこかに潜んでいる。

部屋中をさがしまくって発見‼️


農園は暗闇でもムカデを察知したら吠えまくる「ムカデ犬」その声でハエたたきを持ってそばに行き、ゆきちゃんが睨んでいる方向をさがすとおる。

自然環境が抜群のところで営む生活には、ブト・マムシ・ムカデにハチ・イノシシと折り合いをつけながらの生活になる。


配達から戻ったら太秦の照美さん夫婦からのプレゼント。

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午前6時間しっかり汗をかいて働いた

2日前(金曜日)の夕暮れ、家内は自宅に戻る支度で慌ただしい。私は糸賀社長拝借「中村天風 講演録」を読んでいたが9%ハイボールを3缶も飲んでしまい読む力を失っていた。

エンジンの吹き上がりがよい車が農園に入ってきた。案の定スポーツタイプのベンツは牧くん。久しぶりにあったので積もる話はたくさんあるが彼は時計を気にしている。宮崎から大阪移動の途中で立ち寄った。牧くんのアクセルだったら農園から4時間あれば大阪には着く。

私が録画。観てよかった番組を毎月4枚ぐらい郵送している。その日、山口市内から新日本風土記「小笠原」を出したところだった。

家内は鯵フライと豚スペアリブなどを牧くん。私は4本目のハイボール。30分ぐらいの滞在だったが、元気な彼にあえて嬉しかった。

私より20歳ぐらい若い。神戸の避難所で3ヶ月、一緒に運営のお手伝いをした。コテコテの宮崎弁はなおらない。独身。腕が丸太のように太い。


先日、仕事で北海道に行った「時鮭」を宅配してくれた。そのお礼を伝えた。今度は泊まりでと誘った。軽快なエンジン音を轟かせて農園をあとにした。


きのう夕暮れは次女の嫁ぎ先のお母さんお通夜。コロナで参列者は25名と制限があったので、お通夜前にお別れに行った。

長患い(がん)だった。パーティーでも行かれるような華やかな服装で旅立ちを待っておられた。

家族でも入院先の病院で最後の別れは(午前3時)1人5分だったとご主人から聞いた。逝く人も送る人にも心残りだったろうと拝察。


下関の村上棟梁(ひとり親方)が山口市、糸賀社長のNewStyle ailaの改装を請け負っている(掃除つながり)。その廃材は棟梁が下関に戻る道中、軽トラの荷台に載せて届けてくれる。農園焼却炉の燃料にたいへん重宝ありがたい。


廃材ではあっても、ユンボ置き場を直接地面ではなく(ゴムキャタピラーがはやく劣化するかもわからない)床をつくりたいと思っていた。

それに廃材は使える。きのうホームセンターで必要なものは買い揃えた。頭のなかに完成イメージもできた。


4時起床。きょうの予定は床づくり・広範囲に草刈り。6時からスタート。予定の全部を終えて道具を高圧洗浄。燃料満タンで格納はお昼前になった。


長男からプレゼント。

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これからお別れに斎場

昨年3月、黒井の山中で生後間もない子犬兄妹3頭を見捨てなかった猟師さん。約1ヶ月そのお宅で育てていただき、菊川のフルート教室主宰の長門さんにその情報がピアノレッスンで育ての親のお宅に通っておらる女性から伝えられた。

若い犬を高齢の私が飼って責任を果たせるか悩んだが、4月の末にそのなかの1頭(♀)を引き受けた。名前は「幸せ」の「幸」を「ゆきちゃん」と命名。

農園に来てすぐに皮膚病(山に放置され疥癬発症)。皮膚科専門獣医に約1ヶ月通院して完治。8月には避妊手術。

体重は1年と3カ月で、3kgから14kgになった。


顔つきは凛々しくなったがまだまだ子ども。甘えかたが尋常ではなく、遊んでやるには体力が要る。

唯一怖いもの、それは草刈機のエンジン音。この写真を撮った直後に草刈りを始めたら顔つきまで変えて小さくなった。


今朝4時。自宅の家内からメールが届いた「真砂恵さんのお母さんがさっき亡くなられた。これから病院に行きます」と。

次女の嫁ぎ先のお母さんは数年前から入退院を繰り返しておられた。年齢は私と同じ68歳。

コロナの影響で家族でも見舞いがままならないと聞いていた。


夕方6時がお通夜。けれども25人だけの参列となった。私夫婦は5時に斎場に行きお別れをしてくる。


早朝からお昼まで萩市・長門市・美祢市を走り。午後から鍵山記念館で重田さんにスマホ操作の疑問点をふたつ解決してもらった。

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午前も午後もアクセル全開金曜日

農園そばの川がおおきな音をあげて目があいた。午前2時。山陰から中国山地で雨量が多かったのだろう。時間雨量が50㎜以上、それが長く続くと少し緊張する。

農園は厚東川にかかるひとつの橋が最大のインフラ。最後に濁流で橋が落ちたのは60年前と聞いている。橋が倒壊する一番の原因は、上流で崩れた山から流れこんだ木々や竹などが橋脚にはさまり、ひとつそうなると次々に流れるものが堆積してダム状態になり濁流は橋をこえる。さらにその濁流に押されて橋が崩れる。


現在の橋は頑丈な橋脚が真ん中にひとつ。つまり濁流で堆積することはない。

橋から数10メートル上流には、60年前に崩れた橋の基礎が見える。その数は3つ。3本も橋脚があれば崩れるのは無理もない。現在の建築技術が1本にした。


四万十川で知られている「沈下橋」も農園近くにある。


マリちゃん(摩利子さん)とは20年来のお付き合い。

yabテレビでレポーターをしていた「お絵描きえっちゃん」が農園取材にきた。その「えっちゃん」つながりで摩利ちゃん。

当時、FM山口で人気の女性アナウンサーなど大勢の「えっちゃん」つながりギャルたちが農園に来てくれ何度も酒盛りをやった。


酔った私がマリちゃんのご主人の唇を奪った事件などあっても嫌がらずに親しくお付き合いしてもらっている😀


朴の森にマリちゃんと仲間をご案内した。写真の左から2人が彼女。


この写真を撮ったあと、ご注文の方々の加奈ちゃんパン。きのう予約で買い求めたパンを山口市内に配達。


きのうからの疲れは、お昼の缶ビールと昼寝10分でクリア。草刈りで汗をかいた。

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今このとき と思った一枚は雨のなか

今朝5時過ぎ、きのうから九州北部は豪雨と連呼されたので豪雨になっても大丈夫の格好で農園をスタートした。


6時すぎに唐戸魚市場。関門海峡は雨で視界はよくない。市場のなかの買い物客は少なかったがそれなりの魚はあった。馴染みの店ではあるけれど、咥えタバコで商いしてその手で魚をさばいている店は値札は安くてもスルーしている。

今朝は「いま鯵がはいったよ。鰯も鮮度抜群ですよ」と声をかけてくれた店で今夜の魚(肴)を買った。有明海のアサリをさがしたが見当たらなかった。


今夜は家内が泊まる。鯵の刺身と鯵丼・鰯の刺身と骨を揚げてもらって木曜日の疲れがとれる。


スマホのバッテリーのように完全放電・完全充電の繰り返しで毎日を元気に過ごしている。


写真は美祢市の道路わきの神様。

通りすぎてたたずまいが気になり「撮っておきたい」とUターン。来週はないかもわからない一枚。一期一会。

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神様の世界で生かされている

週のなか、朝が一番慌ただしい水曜日。

5時半ごろ農園をスタート。その一番の理由は、長府の子供たち通学時間帯の前に長府の個人宅やお店の配達を済ませたい。この先のことはわからないが、自損事故以外の事故はない。危険を回避して走ることも、とくに長府城下町は車道と歩道の区別がないところもある。

朝夕のラッシュ時間帯と夕暮れは運転しないのが私の流儀。


写真は、長門一宮 鳴瀬住吉神社宮司。農園地域の吉部八幡宮や藤野先生それに松村御大のご縁で長年の水曜日に30個を社務所にお届けしている。お届けの前に手と口を浄めて本殿拝礼。


今朝は宮司が本殿前でお掃除。

玉砂利の下には排水のネットがあり豪雨でも水溜まりがない仕組みになっている。明日からの雨に備えて玉砂利のあいだに詰まっている落ち葉をブロワーで飛ばしておられた。


わからないことは聴く

先週の住吉神社で「鳥居に基礎はあるか」と神職にたずねた。

今朝は「教えてください宮司」と詰め寄った。

美祢市と宇部市(藤ヶ瀬峠)の境。大きな木の根元に弊やお札がたててある。あの意味はなんでしょうか?

宮司は笑顔で「あれは、地神(じじん)を祀っておる」と。


古事記に登場の八百万の神様のなかに、その地域を御守りくださっている神様のことだろうと思った。あの山奥の神事の神事がわかった😀

目には見えないが、八百万の神様に生かされておる私がわかった。


スペシャルオリンピックス下関のチョボハウス。水曜日の10時に立ち寄る習性が身に付いた。私の役割りはたまごで活動を支援するスペシャルエッグ。

ハウスのご仏壇に手をあわせて短時間、それぞれが1週間ためていた「これでいこう!」の会話キャッチボール。私はあとの配達があるので、言いぱなしで「では来週」と立ち去る。

顔をあわせることで歴史はつくられる(大げさ)


綾羅木のお届け先。機織り先生。

朴の森パンフレットをひろげてご案内したら。私の教室が山口市陶にもあります。その関係でレストランには何度も行きました。おもてなしとお店の雰囲気が素敵です。

鍵山記念館に立ち寄ったら、とても丁寧に説明してくださいました。機織り仲間と相談して計画しましょう。

荒川大将のお嬢様の先生。そのご縁で金剛住器の奥さまと耕心の里でご縁がうまれた。そのひろがりがスペシャルオリンピックス下関のメンバーに伝播。


2時に農園ゴール。村上棟梁が山口市のニュースタイル改装を請け負いその廃材を農園に運んでくれている。良質の廃材は燃料になる。

棟梁がおろしていた廃材を使ってユンボを置いている床を作った。玉のように汗がこぼれた。

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よく撮れるカメラが欲しくなった

Wi-Fi機能(撮った画像をタブレットにWi-Fiで届ける)を備えたカメラの中で一番安い商品をキタムラで買ったのは2年前。小さい・軽い・バッテリー消耗が少ない。3拍子で気に入っている。

毎月6000㎞走る仕事のなかでシャッターを押している。最近、農園ホタルを撮りたいとカメラ片手に夜歩いても、カメラ性能の限界を感じる。ピントはカメラまかせなのでシャープにあわないことばかり。

ぼつぼつ、少し上級に階段をあがろうかと。けれども重い、大きいということになると腰がひける。

カメラに詳しい仲間にアドバイスを受けて、機能を使わせてもらいたい。


一枚は、きのう美祢市のため池。カメラを向けても逃げないモデル気分のカエルが撮れた。


朴の森を配達先のみなさんにご紹介とご案内。それを私のミッションにくわえている。

火曜日はエステの女性。今週の金曜日の10時にお仲間ママさんたちと朴の森。その打ち合わせができた。


山口市内の中学校を定年退職の熱血おんな先生にパンフレットを差し出したら「知っちょる」私の後輩教師のヨシダがガッツに行きよる。

鍵山?それは防府市右田中学校でトイレ掃除をやった人かね。

偶然、私はその右田中学校のお掃除に参加した。それを言うと長くなるので「お友だちと朴の森ツアー」を計画してくださいと話した。10時に朴の森観光をはじめて岡本・藤野の迷ガイドを2時間。

お昼に終わって「バイキングレストラン」は殺し文句。


朴の森を紹介しながらガッツ体操教室や藤野塾を配達先で、私の言葉でひろめていく実践中。

 

農園の夜は涼しい。寝るときにむし暑いからと網戸で寝たら2時ごろ肌寒く目がさめる。

今朝も2時に目がさめて掛け布団を出して4時まで寝た。

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母、5年の命日。

5年前、朴の森「元氣の里」体育館のオープンセレモニーが「ご縁の会」と銘打って催された。夕方、家内が酔った私を迎えに来てくれ農園に戻った。


数日前から母の容態がよくない。毎朝、宇部市丸尾のシーサイド病院に様子をうかがいに通っていた。

15日の朝、意識はなく心肺は自力で動いていることは計器の動きで理解できた。ナースステーションの目の前個室、ドアは開放されていた。

農園に戻り家内と長男に「きょうかもわからない」と伝えた。


岡本拓也さんご夫妻お祝いセレモニーでたくさんお酒をいただいた。9時ごろシャワーをすませてハイボール缶を飲んで寝た。

時間はわからないが家内の携帯電話の着信音が聞こえて飛び起きた。電話の内容は聞かなくてもわかるので着替えをはじめた。

もうじき日付けが変わる時刻。私は運転できない。家内に、いつもは「ゆっくり走れ」と言う私が「アクセルを踏んでくれ」と言った。


母の病室には私の子供たち家族が揃って(太秦は来られない)、母の臨終を見届けた直後に私夫婦は着いた。

安らかな母と対面して子供たち家族を「あとは、これからはじめるから」と帰らせた。母の契約葬儀店に電話をして遺体をお通夜の部屋に。翌日からの打ち合わせをしていたら夜が明けた。


お通夜(終祭)の夜は、私ひとり母の側で寝た。


ブログの写真。まだ元気なころ唐突に「農園に泊まりに行きたい」と言った。風呂あがり、なにを飲むかねと聞いたら「ワインはあるかね」とご所望。その笑顔をガラ携で撮った。


母は自分の葬儀をプロデュースするために農園に来た。

葬儀社に積み立てた証書をテーブルに置いて葬儀のイメージを語りはじめた。家内はメモをとった。


葬儀は、孫の照美さんがご用をしている金光教太秦教会長(照美の主人)にお願いしてほしい。

9人姉弟(母は長女)で元気な妹はひとり(兵庫県)で全員お国替えしている。妹には、葬儀が終わって1年ぐらいして知らせてくれ。

家族だけの見送りでよいから。そうそう棺は一番安い3万円にしてくれ。など上機嫌で語った。


大正8年生まれ。出雲の子だくさん貧乏な家の長女。松江市の商店に奉公に出され、そのお店が中国青島(ちんたお)に店を出す時母は奉公人として大陸に渡った。


⏹️ここからは私が調べたことに想像くわえて。母はその一切を話さなかった。


明治生まれ、山口県の陸軍獣医師と青島で出会った。獣医には妻があったが子供はなかった。

誰ひとりも縁者がいない宇部に母は来た。空襲で焼けた保健所の近くに住むことになった。獣医の自宅は遠くない。


戦後の混乱がのこる昭和26年に私がうまれた。認知した父親の名前などがわかった。そのころ獣医の家で待望の長男がうまれている。


母の人生は、女手ひとつで私を育てあげることになった。電話交換士国家試験をとり、山大工学部の交換士(国家公務員)になったが、電話が自動交換になりリストラ「どんな仕事もやりますから働かせてください」と用務員。

モンペ姿で草刈り便所掃除に玉の汗を流している母が働く姿を何度も見た。


職員住宅は官舎。教授の官舎と職員官舎は雲泥のちがいがあった。私の家は5世帯で風呂と便所共有だった。

小学校から戻って風呂当番だったら五右衛門風呂の水を抜いて石鹸をつけた雑巾でみがく。

湯をわかす石炭をくべるまでの薪を使うやり方も覚えた。


テレビはを買う余裕はなかった。テレビは学生食堂の後ろで見た力道山にあこがれた。

ある日の夕方、友だちの女の子(父親は大学教授)の家にあがりこんでテレビを見ていた。友だちが弾くピアノがやかましいので「テレビが聞こえん!」と言うたとき父親が激怒した「帰れ!この貧乏人の子が」と。


あの場面で私の背骨はできた。

自分の努力で変えられない運命、貧乏や身体のこと国籍などを言うてはならない。


その背骨が多くの人とご縁を強くして今の私がある。


私を育てあげるための人生を96歳まで生きた母。サダ子の5年の命日。

太秦のご霊殿と墓前にお参りは秋になった。

思い出せば母は寄り添ってくれる実感がいつもしている。

今夜は母と盃を交わして寝よう。

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家内の格安スマホ デビュー

夜中の落雷と豪雨でまくら元の愛犬は震え上がり部屋の徘徊がはじまった。怖くてやり場のない行動だから、それを叱るより眠たいけれどもまくら元に呼んで震える体を撫でてやる。

階下のゆきちゃんを見に行った。バシバシ落ちる落雷も豪雨の音など気にもとめないで爆睡。


ゆきちゃん。農園に買い物にこられるお客さまは覚えて吠えない。はじめてのお客さまには吠えるが「よし!わかった」と言うと吠えることをやめる。

ずっとウンチは朝夕だったが、最近は朝しかウンチはしない。だんだんと大人になっている。ハッピーは夕方に一回。


朴の森。午前は耕心の里を会場に「山口市掃除に学ぶ会(40回)」岡本拓也代表の挨拶。藤野先生「拭き掃除極意」と耳から学び、参加者は2時間その学びを汗を流して実践した。


午後は1時から数樂の会。その3時間でネットで買った格安スマホの初期設定を重枝さんに甘えた。docomo店で電話やタブレットを手に入れている私には、お店でサクサク初期設定してくれる店員さんの顔を見ておればよかったが、今回の事情はちがう。

ラインモバイルのスマホは格段に安い(本体2年ローン。月々800円・3GBを使う1500円。合計は2年2300円で2年を過ぎたら1500円だけ)


とても煩わしい初期設定を「350円の牛丼」で重枝さんにお願いした。

ラインとFacebookのアカウントを家内で取得できた。このスマホでSNS鎖国の家内が少しの開国になると思う。

関係のみなさまにはご迷惑をおかけすることがあるかもわかりませんが寛大にお付き合いしてください。


午後から数樂の会。農園に戻ればやる仕事はある。

けれども、お掃除と数樂で一日を仲間たちと過ごすことのほうがよいと思ったので農園の仕事はキャンセルした。

午前と午後の仲間たちとこれからの人生を歩みたい。


家内が重枝さん設定のラインで娘に電話をした「電話番号せんでもええんじゃ」と興奮の文明開化。

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きょうのたまごは錦糸玉子

早朝、時間指定のある土曜日の朝は慌ただしいのに4時まで熟睡していた。

なんとか6時に萩市向けて農園スタートはできた。


萩市と長門市。信号待ちで止まっている車の屋根に激しく雨が音をたてるほど豪雨。美祢市まで戻ると小雨になった。


写真は美祢市カフェギャラリー「とりのこ」で催しの案内。九州など各地を撮影旅行された写真が数々あった。なかでも私が「いいなあ」と思ったのは弓をひく凛々しい女性の横顔。


なにより、60歳からはじめられたという案内のフレーズが気にいった。ご本人がおられたので少し会話を交わした。広い干潟の作品があったので「東岐波ですか」と尋ねたらスマホでなにやら検索されて「熊本県宇土市の海です」と答えられた。作品の整理をしっかりスマホでされていることわかった。

15日まで開催を延ばされた。


きのう届いた格安スマホ(月々800円×24ヵ月支払い本体)使用料は月々1500円で3GB。電話番号はない。電話はラインとFacebookを使う。

当面、家内がガラ携と併用してネットに慣れるための道具になる。


端末名はHUAWEI P30little。私のタブレットの小型版(Android)使い方はなんとなくわかる。

午後からケースを買いに山口市内に行った。この端末はiPhone人気におされて一軒目の大型電気量販店には在庫がなかった。次の量販店にはあったが展示のひと品だけ。それを買った。マイクロSDカードで値段に迷った。同じGBでも値段が倍い以上ちがう。店員さんにその理由を聞いた。

車載カメラ用では温度が高くなるので品質を求められて高額になる。スマホだったら安いもので大丈夫です。


母の5年祭(6月15日)に太秦にお参りできない。段ボール箱ふた口でお供えを宅配した。

ヤマトの女性は「たまご屋のおっちゃん」と知っているから「たまご」シールをベタベタ貼ろうとした「きょうは錦糸玉子だから割れない」と言うと「えっ!」そのあと彼女の笑いが止まなかった。


太秦家族はとても胃袋が大きい。5人家族に15人分の瓦蕎麦・牛肉1kgを味付け・錦糸玉子は15個・小ネギを山盛りにきざんだ。家内、午後からの奮闘。


もうひと箱は、教会のお三宝の数にあわせて海・山・野のお供え。


梅雨らしいお天気になった。

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とても有意義な一日になった

厚狭で10時に待ち合わせ。加奈ちゃんパン・よしのうどん・農園でスペシャルエッグ経理の打ち合わせ・朴の森の予定で下関市から3人美人様をお迎え。8時に小郡で散髪をすませてそこに向かった。着いたら9時少し過ぎ、美人も到着した。加奈ちゃんのお店開店は11時なので、神功皇后神社と厚保駅地域交流ステーションと白虎隊士ゆかりの地をくわえた。


神功皇后神社ご神木は樹齢500年。この地の歴史を眺めてきた貫禄。地域交流ステーションはきのうも立ち寄った私の安らぎステーション。9時から地域のご老人が4人こられてトイレや駅舎の掃除をされていた。

「あんたが厚保駅のトイレを宣伝してくれて、トイレを見学に来られる人が何人もおる。掃除に精が出る」と言われた。


数年前、どうせ無人駅の便所だから汚れていると思いながら立ち寄った厚保駅。ピカピカに輝いていた。

ここのトイレほど気持ちのよいトイレはありません。ありがとうございましたと駅舎のご老人にお礼を申し上げた。

以後、毎週の木曜日。午後1時すぎにはトイレは使わなくても立ち寄り当番のお年寄りと交わす会話が楽しみになっている。


小杉の白虎隊士ゆかりの地。会津と長州、恩愛の場所をご案内できた。


加奈ちゃんのお店。小雨の開店時間前から買い求める人が集まっていた。コロナ対策、8人ワンセットで店内に入れた。

よしのうどんは大満足!


農園では家内が入ってスペシャルエッグ入金仕分けを具体化できた。


朴の森。滞在時間は60分程度だったが、藤野先生ガイドで鍵山記念館と耕心の里をめぐることがてきた。

その後、元カルタクィーンの今村美智子さんお宅に3人をお連れして私は農園に戻った。


金曜日がとても有意義だった。

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木曜日がおわりました

梅雨入り。いつ草刈りできるかはお天気しだい。きのう午後から広い隣接の耕作放棄地に「よし」と気合いをこめて、午前の運転疲れはなかったことにして挑んだ。

大汗をかいてスッキリ草刈りを終えた。耕作放棄でも農地法でいう「農地」になっており地主も登記簿からは確認できる。けれども連絡はとれない。

地主が固定資産税を毎年納めているかの確認は私にはできない。けれども20年間草刈りはやってきた。誰からも「ようやった」と慰労の言葉はない。


けれども、それ以上のご褒美をいただいている。

①半年の6ヶ月、毎月一回ペースで汗をかく。その労働で運動不足はない。

②やり終えた面積を眺めた達成感はある。酒がうまい。

③疲れ果ててよく眠れる。

④3時の起床。8時ぐらいから熟睡できたので元気に目覚めた。


長靴と雨具の木曜日。

赤間神宮から唐戸魚市場に歩くのは、市場近くにも車はとめられる。赤間神宮と亀山神社を道中、歩道からかしわ手をうって遥拝できる。


今朝の魚市場。イサキとアサリと大ぶりイワシなどを買いたいと雨のなかを歩いたが場内は閑散としており、目当ての魚はなかったのて手ぶらで車にもどった。


2時半。加奈ちゃんのお店 

https://petitlabbakery.com/


写真は、明日から新発売商品が焼き上がり大騒ぎだった。


明日の予定。散髪・10時に厚狭で熟女3人お迎え・11時に加奈ちゃんお店買い物突入・「よしの」でランチ・農園見学・朴の森となっている。

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早朝から下関、午後から農園草刈り

水曜日は仕事を一切やらないと数年前に宣言した。

金曜日は、その前から「やらない宣言」して、正志(長男)が山口市・防府市・新南陽市、私がご縁をつないできたたくさんのお客さまを引き受けてくれた。


水曜日はおもに山陽小野田市と宇部市内。このエリアも引き継いだ。

日曜日はなにかと行事があるので、水曜日と金曜日は映画館と温泉で昼寝。朝酒やりながら録画番組を見る。たわけた夢は現実に打ち破られた。


木曜日、下関市のお客さまが口コミで多くなり、その数は積めないまでになった。スペシャルオリンピクス下関の代表に松村御大が就任された。少しでもお役にたてればとスペシャルエッグを立ちあげた。


33円の農園たまごを34円のスペシャルエッグでお買い上げしてもらうと、農園から4円をスペシャルオリンピクス下関に。10個パックをお求めいただいたら40円がスペシャルオリンピクス下関の活動資金となる企画。


そのスペシャルエッグを職場や地域や仲間に拡げるときスペシャルオリンピクスも認知度が拡がる。

下関スペシャルオリンピクスの拠点、愛称「ちょぼちょぼハウス」は水曜日に下関のスペシャル仲間が集う。

水曜日「ちょぼ」に10時ごろ到着。滞在時間は短いけれど会話のキャッチボールをしてきた。ようやく、その緒についたと思う。

明後日の金曜日、スペシャル下関のメンバー3人と厚狭で合流。加奈ちゃんのお店経由で「よしの」そのあと農園で家内とスペシャルエッグ経理の打ち合わせ。そのあと朴の森ご案内。


写真は、今朝のちょぼハウス。

お掃除の会やスペシャルオリンピクスの大黒柱は女性のパワーだと思う。


2時に農園に戻った。明日から雨予報。

5時まで草刈りに汗をかいた。3時に起きて下関を走りまわり草刈りできる体力がありがたい。明日は、雨具で下関の配達になりそう。


ラジオで世の中こうなるだろうと「専門家」のご意見はNNNラジオ。

例えば、結婚式もグローバル(意味わからん。おそらく世界や日本のどこでも)にネットで済ませることができる時代になった。


私には理解できない専門家さんだった。

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ブログのおともはハイボール

美容室グループニュースタイル糸賀社長。長年、火曜日の10時前は私を待っておられる。今朝は「何を飲むかね。熱いお茶か冷たいお茶か、コーヒーもある」と歓迎してくださった。山口市内に6店舗をかまえる多忙な社長が、挨拶に来た営業マンなどを待たせて私との会話を待ってくださる。

鍵山掃除が山口県に伝わったころ、垣内社長と糸賀社長と湯田の街で、当日のYellow Hat社長に心酔して山口県にYellow Hatを展開した垣内社長が鍵山社長の実践力を熱く語り、垣内社長に鍵山社長の志が伝わった話をホステスさんと聞いた。

翌日の維新公園トイレ掃除に真っ赤なマニュキアが数名眠そうな顔で参加した。

便器が輝くと心が必ず輝く。その垣内師匠のもとで掃除を学んだ糸賀社長も同級生。


お茶を頂戴して帰ろうとしたらデザイナーの女性が駆け寄った「加奈ちゃんのお店に行きました。とてもお洒落なお店で驚きました。パンもとても美味しかったです」と声をかけてくれた。


明日の宅配でお届けしたいパンとケーキを10日前に加奈ちゃんに特注した。ジャムやコーヒーも詰め合わせてもらった。

それを受け取りに先ほど加奈ちゃんのお店に立ち寄った。「おいちゃん(私の愛称)ありがとう!おいちゃんの紹介と言う人の来店が多いんよ。ほんとうにありがとう!」


ブログをご覧になり美祢市までパンをもとめてくださったみなさん本当にありがとうございます。今後ともお店をよろしくお願いします。周囲のみなさんにもぜひお伝えください。


今朝、どうしても連絡をとりたい人があった。けれども携帯電話リストにはない。誰かに電話して要件を伝えてもらおうかと思ったとき、Facebookのメッセンジャー機能を使ってみようと閃いた。

車をとめてダブレットを開いてやってみたら通話になった。耳にあてずに会話をする違和感はあったが目的は達成できた。


このブログを最近読んでいるとお客さまから言われた。それならばと。

ブログを書き始める前にハイボールのロングをあける。おおよそ30分で終わるまでにもう1本が空になる。

ブログを休んだことはないが、素面で書いたこともないと言ったら驚かれた。

翌日、酔いがさめて読んだら蛇行運転が目につくが、それも私の個性と解説した。

暇つぶしにお読みください。


先日、農園と朴の森をご案内した96歳のおばあちゃん。鍵山記念館でご覧になったペットボトルのふた。私も少しだけのお手伝いしますとビニール袋いっぱいのキャップを預かった。

先週、フルートちゃんからもキャップをたくされた。


今夜のブログは時間が長くなり、ハイボール3缶目になってしまった。

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レストラン キャプテンご夫妻との物語

きのう鍵山記念館の催し。鉄板料理のキャプテンご夫妻がコースの定番料理ガーリックライスと農園たまご卵黄34個を使った特製プリンを差し入れてくださった。


前の仕事をしていたころ、夜の街のスタートはキャプテンか居酒屋の穂波。クレヨンのママの餌食で同伴出勤はキャプテン。家族で通ったのもキャプテン。


赤ちゃんを背負って、あやしながらお店を手伝う奥さまの時代も通った。お店の経営はたいへんな時期だったと思う。

当時、トンカツ浜勝の元岡社長がお盆の時期にチェーン店の激励にまわられて宇部の浜勝。お掃除仲間の私に「今夜、いいお店で夕食しませんか」と電話で誘われた。

私と元岡さん二人の貸し切りでコース料理を楽しんだ。奥さまは子供を背負って笑顔でもてなしてくださった。


ワインとコース終わりのガーリックライスで満足していたら「このお店で一番高価なワイン、赤をボトルでください」と元岡さんが笑顔で奥さまに注文された。支払いは私がと思っていたので持ち合わせオーバー。支払いは明日にお願いしたらよいと腹を括って呑んだ。

ボトルが空になり会計。元岡さんが「僕が払います」とレジの奥さまに「このお店はとても素敵でした。奥さまの働く姿が素敵でした」と笑顔で言いながら支払いをすまされた。奥さまは泣き崩れた。

子供を背中に働くレストラン。けれども預ける身内も近くにはない。


奥さまは子供を背負って働く姿を素敵なお店と励ましてくれた元岡さんに「よし、頑張ろう」とキャプテンご夫妻はこの夜元気な心になった。


お店をあとにしてクレヨンで元岡さんと水割りとカラオケ。

九州のチェーン店が食中毒事件をおこしてお店の信頼が大きく損なわれたとき。そのチェーン店営業停止がとけた日、お店の浜勝玄関に一番客として立っていたのは鍵山先生だった。その列はすべてお掃除仲間だった。

それを涙で語った元岡さん。クレヨンママは以後、宇部掃除に学ぶ会に来るようになり、ナザレ園慰問にも仲間になった。


当時のガーリックライスの味を、あの頃を思い出して懐かしく食べた。

キャプテンの味は鉄板の厚み。造船所で使う特注の分厚い鉄板を魚や肉、野菜などの料理に使っている。食材はオーナー厳選。

コロナの逆風もなんのその「あの頃に比べたらお弁当が売れて」と。


どん底から自力で今を生きている人やお店はしたたかに強い❗

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鍵山記念館の二周年

鍵山記念館二周年の催しが本日のメイン。


鍵山幸一郎さんがご挨拶にこられる。鍵山秀三郎先生に「新日本風土記」をご覧いただきたいので、夜中に幸一郎さん分と二枚をダビングした。


加西市の佐伯という80歳の方が赤字路線を黒字路線にと手腕を番組のなかで発揮されていた。手腕は2つあったように思った。


無報酬でよい。よい会社はトイレで決まる。


駅舎の便所は、人が乗ると抜け落ちるぐらい老朽化。改修予算はゼロ。地域を戸別訪問して「あの駅舎から学校に昔通って今の生活があるのではないですか」と説得して、トイレ建設のお願いに奔走。

一千万円以上を募ることができて、立派なトイレが完成。このトイレに命をふきこむのは掃除。地域の子供たちと一緒に笑顔で磨きあげておられた。


その掃除道具は、紛れもなく鍵山秀三郎先生が到達された道具の一式だった。


午後、鍵山秀三郎先生からお電話を頂戴した。お話を終えて「新日本風土記」の内容をかいつまんでご説明させていただき「幸一郎さんに番組を託しました」と申し上げた。この電話は「命がけで」と弱々しいお声だったが新日本風土記をお伝えしたらいつもの元気なお声で「とても楽しみにしています」と。


今朝の掃除(狭い部屋)には気合いを入れた。

9時半に愛車をトヨタ本社でオイル・タイヤ交換・バッテリー電圧点検などがある。8時に前に農園を出て給油などを済ませて山口トヨタ。

部屋の掃除に時間をとりすぎても愛犬2頭の散歩は長距離。いろいろ忙しくて簡単な朝食になった。


写真は、鍵山記念館の催しを終えてぐったりを桂子ちゃんが撮った。

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格安スマホの申し込み完了

きのう晩酌をすませて、ゆきちゃんを連れてホタル見物の散歩を短パンで歩いた。途中、露出している足から細いあとをつけて血が数ヶ所から流れていた。

うっかりしていた。これから朝夕は「ブト」が血を吸う。まだブトをしっかり見たことはない。静かに皮膚にとまり、痛みをわからせない鎮痛薬があるのか、その口で血を吸う。蚊と違うのは出血する。

放置したら腫れ上がる。まぶたを刺されたら丹下左膳。とくに私はアレルギー反応がある。その対策で常備している「液体ムヒ・アルファEX」ムカデやブトにハチに強力に効く。すぐにブトの傷あとにつけた。腫れ痒みもなくおわった。


今朝9時過ぎの加奈ちゃんお店にお届け。この棚や店内にズラリと11時までに焼き上がりが出そろう。


格安スマホをネット購入手続きを重枝さんに手伝ってもらい済ませた。

通話はラインかFacebook。購入の目的はスマホ決済を身につけるため。

届いてから勉強の日々がはじまる。それも目的のなかにある。


ポケットWi-Fi「どんなときもWi-Fi」早朝3時~6時ぐらいまて不調が続いている。6時すぎての対処方法(リセット)で日中は問題なくつかえる。

この症状も重枝さんのアドレスを受けながら、メーカーにネットでクレームを送信することができた。


昨夜の録画は「新日本風土記ローカル線の旅」今朝、2時からざっとみた。

赤字ローカル線の社長になった人物は無給。最初に手がけた事業はトイレ美化。

その映像をみたとき、使っている洗剤やスポンジにバケツは紛れもなく鍵山流儀。

今夜、もう一度しっかりみることにする。

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96歳、農園のお客さま

農園に行ってみたい

とつぶやかれた配達先のおばあさん(96歳)のお迎え9時半。その娘さんとご近所でおばあさんを母のように慕っておられる川浪さんの3人が待っておられた。


96歳でお国替えを5年前にした母の命日は6月15日。今月、金光教太秦教会で5年のお祭りをお仕えいただく予定だったが9月に順延。


その肩すかしのとき、96歳のおばあさんが「農園に行きたい」とつぶやいたら母の声としか受け取れない。

動ける半日は金曜日。きょうがその日。


ご高齢、道中でなにかあったらと声をかけやすい助手席に座ってもらったが、川浪さんや娘さんより足腰ご達者。私が声をかけるより、おばあさんからの問いかけが連続した。農園で美祢市から絵手紙の萬代さん合流(川浪さん妹)。

農園に着いたら放し飼いの鶏たちに大喜びのようすに母を思い出した。


山口市に戻るの前におばあさんの体力があれば鍵山記念館「行きますか」と聞いたら「行きたい」と。スタッフの岡本さんに「これから農園を出て朴の森に向かいます」とお願いをして向かった。


耕心の里と鍵山記念館のご案内を岡本さんが丁寧に、こちらの時間配分どおりにしてくださった。

山口市のお宅までの車内では、鍵山記念館を友だちに知らせてもよいか「あれは秘密のものではない」とみなさんと会話が盛り上がった。

今度は、地域のみなさんをご案内する計画が動くかもわからない。


来週の金曜日。下関市からパワフル熟女を3人ご案内。

コースは、加奈ちゃんパン・よしの・農園から朴の森のフルコース。


今朝、お迎えの前に昨日買い求めた加奈ちゃんパン2種類を山口市内にお届け。喜んでもらった。

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長府の大好きな風景

私の好きな風景のなかに長府、この路地もある。

いったんくだってのぼっていく風景は、大分県杵築の勘定場や酢屋の坂道に魅了されている影響があるかもわからない。


3時前から働きはじめた。とっかかりは焼却ゴミを燃やすこと。夜露は少なかったが草のお湿りは手のひらでわかったので点火。自宅から家内が運んだ雑草と燃やすだけある。


早朝、ホタルがひとつ舞っていた。こんな時間でも点滅する黄色を眺めていたら草むらにも黄色の光があった。手にとろうと草むらをかきわけたら、その光はクモの目だった。

舞っているホタルは草むらの黄色に寄り添いたいと近づいたとき餌食となる。

夜を徹して「ダーウィンが来た」を繰り広げている小さな命に感動をおぼえた。


今朝の唐戸魚市場。きのうは時化ていなかったと思ったが並んでいる、私の予算で買える魚の種類も数も少なかった。

イサキを2匹と特大イワシを4匹を買った。イサキは炙りなさいと教えてもらい、ホームセンターでカセットガスバーナーを買った。


今夜はしっかり眠れそう。

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人生は揺れたほうが確かかも

ずっと気になっている「在中」ふつうの使い方は、封筒のなかに入れたものに使う。

もしかするとアイキャッチ、奇をてらった「在中」かもわからない。

私が真面目につくれば「常駐」か。みなさんもお考えください。


早朝、農園の神様はかしわ手四拍手。

その拍手で愛犬、これから遊んでもらえると喜びを身体ブルブルで伝えてくれる。

まだまだ幼いゆきちゃんは飛びついて大騒ぎ。甘噛みで私の腕は紫色のアザの烙印。


わからないことは聞く。学校の学問はしていないが耳学問で渡ってきた私の人生。


神社の鳥居は二本の柱で立っている。山口県で台風や地震で倒壊したということは聞いていない。

今朝、長門一ノ宮 宮司のお届けは下関市の住吉神社。神職に「お尋ねします」と声をかけた。神職のみなさんは私の質問「癖」はご存知。


鳥居の柱に基礎はありますか?笑顔でこたえてくれた。


基礎はありません。石工の匠のわざです。

間口と高さに重量で基礎を打たなくても倒れない鳥居になります。少々の台風や地震でも倒れません。


農園の飼料は、農園特注ブレンドで門司港の飼料メーカーから7t単位でバルク車が運んでくる。その餌タンクは4本の支柱がおかしな屈折形状で支えている。その基礎はない。

台風のときは7tの飼料をつめたタンクは揺れる。もしも倒れたら、母屋に倒れたら人の命にもかかわる。

基礎工事をやってくれと頼んだら、固定したら倒れます揺れて安定していますからご心配はありませんと言われた。


法隆寺の真柱も揺れに任せる構造らしい。


人生も右に左に揺れにまかせたほうがええと納得できた。

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カメの恩返しはあるのか

梅雨をすっ飛ばして真夏の天気がやってきた。

火曜日は盆地の山口市内。ジリジリ照りつける午後3時すぎ、草むらに大きなカメを見つけた。というよりも、気がつく筈がない場面で動かない甲羅に目がいったので、気づかされたとの表現が的を得ている。


写真は農園のカメさん。


何をしている場面かすぐにわかった。車のエンジンをとめて歩み寄った。50メートルほど向こうの川から産卵場所をさがして二車線の道路を渡りここで産気付き、あと足で穴を掘り産卵がはじまった。

けれども照りつける暑さで小さい洗面器ほどの甲羅は暑くなり弱っていた。


このまま死んでカラスの生きる力になるのは自然のいとなみ。けれども炎天下のカメを見殺しにはできない。両手で抱えて川まで行き土手を下って流れる水面に放した。


近いうち「お礼に参りました」と酒池肉林の世界に誘ってくれるかもわからない。


鍵山記念館パンフレットを50部手渡すミッション。そのなかにはガッツ体操教室・藤野塾(学習・ヒモトレ)ご案内も挟めてある。

山口市に鍵山記念館があり、そこには自分の姿勢を測る生き方の定規が用意されている。

私が48歳で人生の方向転換をした拠り所がある。それを、ソフトに(私はソフトが苦手)ひろめていくことが鍵山先生にできる私の小さな恩返し。


6月になったので配布のアクセルを踏みしめた。

糸賀社長オフィスの女性たちにはバイキングレストラン(一隅の里)の案内からはじまり、きのう加奈ちゃん軍団の写真を見せた。誰にお願いしたらこの施設を楽しめますかと聞かれて「あだちです」


96歳のおばあさんが「農園に行ってみたい」母は96歳で5年前の6月にお国替した。母の頼みのように思えて今週金曜日に山口市を送迎することにした。そのお供がお二人。農園を見ていただき鍵山記念館にご案内。体調も考慮しながら。


加奈ちゃんインスタでフォローの女性に記念館パンフレットをお渡しした。糸魚川の、「糸魚川は息子の嫁の古里です。ぜひ案内してください。順番はレストランからお願いします」


糸賀オフィスに外国車で来たのは、女性経営インストラクター(間違っていたら🙇‍♀️💦💦)私とはFacebookで友達。パンフレットを渡して「食べる・学ぶ・遊ぶ」をやりましょう!とご案内。


エステの中野さんにパンフレットを渡して「お客さまと記念館ツアーやりませんか」とソフトにご案内。


12日は下関市から3人の「もとギャル」を記念館にご案内の予定。

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6月、元気な心で

農園ツバメのツーちゃん。4羽の子供たち全員がきのう元気に巣だった。飛び回るけれど餌はまだとれないらしく電線にとまって親を待っている。


きのう草刈機2種類と軽トラダンプ、小型ユンボにスコップを使い汗をかいた。早めの夕食を済ませたら眠くて仕方がない。7時ぐらいには寝ていた。

あれほど疲れていたが今朝3時には疲れはリセットできていた。


配達に出る5時半、気温は20度で寒くはなかった。半袖シャツ一枚で出たら肌寒い。ホームセンターに立ち寄り、加圧式という長袖アンダーシャツを買って重ね着した。


知り合いが車検切れの車を処分したいと相談された。下関の江口さんに連絡をとりコトは順調に運んだ。今朝、江口さんからショートメールでコトの報告をご丁寧に頂戴。返信しようとしたとき珍事がおきた。ガラ携の文字入力ができない。これは初めてのトラブル。とりあえず返信は直接通話で済ませた。


故障ではなく、キー操作を間違っているように思えた。あれこれ操作メニューをいじくって自力復旧できた。お客さまからの連絡はショートメールが多く返信できないと大いに困る。


「ライン」で連絡をとりたいとお客さまの要望が多く、重枝さんの手ほどきで「足立進」で開設はした。けれども試運転はやっていない。


私はタブレットを使っている。たまにメッセンジャー機能を使って通話の呼び出しがあるがスマホでないのでとることはできない。

ラインをはじめたとおおやけにしたら電話の呼び出しが多くなりそう。今月中に格安スマホを手にいれて「決済」の世界に少し足をのばしてみたい。そのときラインを公開してもよいかも。


応援している呉明美さん。ブログを更新されました。子育て奮闘記ご覧ください。

http://sorinamu.net/

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