昨夜はたのしい時間になった

 昨夜、末娘(真砂恵さん)家族4人が久しぶりに農園に来てくれた。家内に「いつもお客様気分で食事の用意を手伝わず、洗い物もせずに帰る態度はよくない」と一緒に片付けてから農園をあとにするように諭した。

 取って置きの猪肉がメインで家内の料理がずらりと並びワイワイと楽しい時間になった。私の秘蔵の焼酎(古酒)も木製の箱から出して開封宣言!

 ぼつぼつ帰る時間になったら「テーブルの料理は全部詰めてやれ」と家内に命令。娘には「後始末はええから、夜道は危ないから気をつけて帰れ」と言ってしまった。

 この夜のために家内がお米や野菜にお菓子など次々に娘の車に積む様子を満足しながら眺めた。楽しい嵐が去って、私は流しに立ってたくさんの食器を洗った。


 今夜は録画番組を腰を据えて観る。生物学者の福岡伸一先生。令和の寺子屋「生命って何だろう」

 県セミナーパークで先生の講演をしっかり拝聴してファンになっている。人はあらゆる食物から栄養を受け取る。人の細胞は古くなり死んで排泄されるがその栄養が新しい細胞になる。つまり、一週間前の私と今の私は骨を含めて全部が新しくなっている。では、なぜ命に終わりがあるのだろうか。その疑問を子供たちと一緒に先生も考える番組。

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今月3回目の秋吉台ウォーキング

 農園生活に休みはない。今朝は3時に起床、最初の仕事は焼却ゴミ着火。防寒着を着こんで長靴で外に出る。早朝はたいがい風はないので安全に焼却できる。

 布団をあげて部屋に掃除機をあてながら7時半に農園を出て、8時半の散髪までの計画をたてた。愛犬も散歩と食事を黙って待っている。私の朝食、日曜日だけ大好きなインスタントラーメン。たっぷりのモヤシとウィンナー2本は別鍋で。麺も別鍋で。お湯は湯沸かしで沸かす。生卵ひとつ。胡麻油をたらして至福の朝食。

 私なりに部屋をきれいにして農園スタート。


 散髪と用事を済ませて一路秋吉台。今月3回目のハイキングは長者ヶ森か若竹山をめぐる2時間コース。ここを歩いたら秋吉台のほぼ全部のポイントを歩いたことになる。歩けばぬくいが止まると寒い。コンビニに買った「おにぎり」3個は石灰岩を背にして風をよけて食べた。最高に旨かった!


 歩き終えてタブレットを見たら淳貴君から「きのうの日記がありません」と。書いてネットにアップすることを忘れていた。すぐに日記を配信した。


 於福道の駅に立ち寄り湯。着替えは用意していたので脱皮したかのようにさっぱり感。


 夕方、末娘家族が久しぶりに夕飯にくる。猪肉を焼くと家内は忙しい。私は先ほどから乾杯の練習を始めた。

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身近に神様があった時代

 6年前、母がお国替えする数ヶ月前「墓参りしてほしい」と代参を私に頼んだ「近いうちに」とごまかしたら悔いを残すことになると直感した。1週間後、島根県簸川郡斐川町(神話の斐伊川)の墓参りに家内と行った。

 松江市内で泊まり、早朝に発って「足立美術館」に足を伸ばした。9時が開館だったが8時半に着いた「入れてくださいませんか」と声をかけたら「どうぞ」と笑顔でチケットを用意してくださった。

 カメラは持っていない。タブレットのカメラ機能で何枚か撮ったその一枚。


 Facebookでは明朝ご案内の「あだち美術館」更新終わりました。今回は「みやた農園島暮らし」がテーマです。


 日曜日、下関に行く途中に萬代さんの玄関ギャラリーを撮りFacebookで玄関ギャラリーを3回にわけてご紹介した。撮って帰り際に「天に昇った龍」という「文」も「絵」も萬代信子の冊子を見せてくださった。その創作民話は「第二回山口県総合芸術文化祭」第26集「やまぐち創作文芸」という小冊子の全面で紹介されているコピーもあった。両方を拝借した。


 半世紀以上も昔々。萬代さんは義父から地元に伝わる民話を聞いた。干ばつにあえぐ農民たちが雨乞いの神事をして見事に雨が降ったという物語。


 私も半世紀前、同じようなことをやった。

 秋芳洞の入り口に「及遺灰像(ゆいかいぞう)」が祀られていると雑誌で知った。興味半分で見に行ったらあった。人骨を砕き、その粉をかためて仏像にしたという寿円禅師様だった。その足で近くの禅寺を訪れ話を聞かせてもらい「寿円禅師物語」という小冊にした。それは金光教の教会で子供たちが脚本に変えて劇にして披露してくれた。


 秋芳洞の地域は何年も大盛干ばつに見舞われ餓死する多くの人々がでた。寿円禅師様が洞内奥深くにこもり、日をきって捨て身の祈願された。その満願の日に田畑を潤す雨があった。禅師様の亡骸を運びだし遺徳を讃えて像にした。いまもある。


 下関王喜の神田(こうだ)さんから地域で編纂された分厚い資料を読ませてもらった。埴生から小月にかけての広大な干拓は地元の悲願だった。けれども堤防が崩れる。とうとうその場所に人柱を立てて龍神様に祈祷したというくだりがあった。


 松江城近くの橋も地盤が弱く、ついに人柱で祈願したという話を耳にしたことがある。


 森羅万象、人柱は別かもわからないが人々の生活に神様があった。嬉しいとき、困ったとき、将来の願望も祈りに凝らした。

 私は、そっちの世界で生きていきたい。


 「囲炉裏の部屋」は「日記」「掲示板」「あだち美術館」などが部屋の内容。今年から「人生の車窓」という表示もある。

 昨年、古希をむかえた私が子供3人に残した私の足跡をダウンロードできるように加工して載せている。読んでくださった多くの方からお手紙やメール、または直接に読後の感想をたくさん頂戴した。きょうは金光教で信心の大先輩、児島さんから「読みました」と読後感が丁寧に届いた。私は子供に伝えるために本音で書いた。それに児島さんも本音で感想を寄せてくださった。嬉しかった。

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賑やかな金曜日が終った

 阿武町、標高400mの高地で田畑に向き合って生きている吉岡享子さん。10年ぐらい前、加奈ちゃん自宅でパン教室を催しているとき生徒さんで来ていた。加奈ちゃんの天然酵母パンに関心があり遠距離から通っていた。その場に配達に行って「配達して」と希望されたが阿武町ではなく山口市内の配達先を指定された。あとからわかった理由はご主人が長患いされており山口市内の病院に通ったおられた。ご主人が他界され、配達先は萩市役所近くでひとり暮らしのお嬢さんの住まいにクーラーボックスが鎮座してそこに土曜日に決まった数を届けてきた。


 昨年、神戸市でパテシェ修行をされた独身女性が阿武町を気にいって移住。ロールケーキなどをつくり始めた。享子さんのご縁で農園タマゴを指名くださりクーラーボックスがふたつになった。


 吉岡さんが丹精込めて収穫したコシヒカリ(寒暖の差があり旨い)を販売するお手伝いを昨年から始めた。2ヶ月毎に彼女のお米を萩市か農園で受け取り配っている。今回はJR美祢駅でお米を受けとった。来週中にすべてお客さまに届けて郵便送金する。


 きょうは小月に集金があるので「ミニ旅行」にお誘いした。10時に美祢駅で合流して「大嶺炭鉱」「小杉の白虎隊」「JR厚保駅併設の交流ステーション」「神功皇后神社」などをめぐりお昼に長府に着いた。関西風のお好み焼きで有名な「菊舎」で昼食。腹ごなしに神社詣でと小路の散策ご案内。


 シフォンケーキ「ポポラス」では女性3人は大盛りあがり。私は向かい側のお宅の屋根で昼寝するネコを撮ったり。


 帰り道、清末の禅寺「高林寺」にご案内。山門の見事な組み木づくりをご覧いただいた。美祢駅でお別れ。彼女たちはプチラボに向かった。昨夜、特別なパンを予約しているらしい。


 久しぶりにワイワイ観光ができてよい金曜日になった。

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木曜日、早朝から元気に仕事を終えました。

 1週間前の下関市内と大きな変化を感じた。木曜日の7時過ぎにコーヒーで立ち寄るコンビニは満車が多く、先週もスペースが空くのを待って停めた。ところが今朝は駐車場は閑散としておりスッと入れた。6時半、いつもの唐戸魚市場も路上駐車の車は少なく場内で買い物をする人は数えるほどだった。


 夜の町豊前田(ぶぜんだ)細江の寿司・割烹「浪花」にお届けのとき「市内、閑散としていました」と言うと「そうです。今朝の地域の掃除で拾った吸い殻は10本だけでした」と。


 大将の荒川さんとは「掃除に学ぶ会」がご縁。20年以上のお付き合いで教わることはたくさんある。そのなかでひとつ脱帽したシーンをご披露。


 数年前までお店近くの公衆電話ボックスの前が生ゴミの集積所だった。夜の営業を終えた飲食店から生ゴミが出ておりカラス対策で使い古しの漁網がバッサリとゴミの山にかけられていた。


 その朝、生ゴミをいい加減に漁網に放り込んだ者があったようでカラスが朝食に集まり生ゴミが路上に散乱していた。それに私は手が出なかった。お届けした私を見送りに出て来られた大将は腰を折ってその散乱した生ゴミを素手で漁網のなかに入れられた。あの日から、農園で使い古した軍手とビニール袋を車に用意している。


 美祢市まで戻り「山口トヨタ」でオイル交換(エレメントも)本来は防府の山口トヨタが私を担当しているが、毎月5000㎞以上走るので防府に行かれないことが多い。山口トヨタは県内各地にあるので私には便利。山口店・下関店・長門店・宇部店・小月店に小郡本店など予約してメンテナンスを済ませている。


 美祢市、カフェギャラリー「とりのこ」薪ストーブ。静かに燃える薪のやわらかいぬくもりを感じた。

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風呂上がりの体重は40年間変わらず65kg

 ホットカーペットやコタツは使ったことがない。ところがこの冬はソックスにカイロを貼り「ふくらはぎ」を暖め、さらに湯タンポを使う技を習得した。首は淳貴君が編んだ毛糸マフラーを使って快適な夜を獲得した。


 今朝は5時半にはスタートしなければならない水曜日の下関。3時前に目が覚めて「囲炉裏の部屋ホーム画面」を更新して深い眠りにおちた。目覚ましアラームがうるさくて起こされた4時半。どうショートカットしても1時間では無理。

 幸いというべきか風が強いので焼却ゴミの着火はやめた。雰囲気を察したのか愛犬たちはヘッドライトの散歩でいつもの半分ですべて終わってくれた。布団をあげた部屋の掃除機だけは「戻ってやる」で省略。5時前には農園をスタートできた。


 長門一宮。住吉神社の宮司にお届けは定刻より少し遅れて8時前。本殿ご神勤の宮司が「社務所の作品が完成したから撮って松村御大に見せてください」と声をかけられた。明日のホーム画面で詳細のせます。


 2時前、プチラボお届けでミッション修了。今朝、タオルと軽石を手にとり配達が終わったら於福道の駅温泉(500円)と決めていた。

 サウナとジャグジーで疲れがとれた。農園に戻る途中のコンビニでハイボールなど買って山越えで戻った。


 きょうも嬉しい出来事がたくさんあった。そのなかでトップは淳貴君の職業実習日程が決まったこと。お母さんからLINEでその詳細が届いた。農園に戻ってハイボールより先に神様に実習が決まったことをかしわ手に御礼を込めた。

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火曜日は農園でコーヒーを飲む時間がある

 火曜日は6時半に農園スタートでよいから朝はゆっくりしている。3時に起きすぐに昨夜の風がおさまっているのでヘッドライトをつけて焼却ゴミ。愛犬たちは昨夜から我慢の小便。火曜日、山口市内の配達準備などを済ませて私の朝食。家内がいろいろ生野菜をきざんでタッパに入れている。それをフライパンで加熱してひと品。納豆と豆乳にヨーグルト。パン一枚をトーストしてバター。


 食器を洗ってしまい。部屋に掃除機など6時半はゆったり過ごせる。3時に作業場で着火したストーブでお湯が沸いたのでコーヒーを飲みながら昨夜届いたメールに返信。私から数人のかたに発信もできた。血圧良好!


 お届け先、在宅と思われるがピンポンして耳をすませて動きを感じられないときは立ち去る。タマゴを受け取りに出られない事情がある。

 ある朝、7時すぎピンポンしたら「おじちゃん。ママはトイレ」と受け取に玄関にパジャマで出てきたお嬢ちゃん。

 ピンポンして足音が聞こえないとき、それ以上ピンポンしないことが私の流儀。


 山口市内のお宅。玄関にかけてあった作品は保手浜孝という木版画作家(保手浜孝)の作品。秋穂にアトリエがあるらしい。

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マンハッタン物語

 長府、シフォンケーキ専門店「ポポラス」は毎週水曜日の朝6時半がお届け。

 ずいぶん前のこと、金曜日に買い物で立ち寄ったとき先客がいた。私は急がないので奥の椅子に腰をおろして店主と女性客のたのしい会話を聞いた。その女性客が「菓子パンのマンハッタンが好きな友だちが県外におり宅配している」と。

 お客が支払いを済ませて店主にバイバイするとき声をかけた「マンハッタンって美味しいですか」と。


 後日、そのお客の女性は、LINEで親友の淳貴君のお母さんの友人。長府で毛糸をあつかうお店をされているとわかった。


 ポポラスの常連客で、仕事をする気分をシャンとするルーティンでこの店に通っていることもわかった。以後、その女性に会ったことはないがポポラスでは「先週来なかったよねマンハッタンが」とか、淳貴君のお母さんは「マンハッタンのお店に淳貴の作品を飾った」など、私にはマンハッタンが名前になっている彼女。


 そのマンハッタンをスーパーマーケットで発見した。写真のマンハッタンは水曜日、ポポラスのお土産になる。


 この冬は圧雪道路の配達やガチガチに冷え込む農園の夜もなくここまできた。確かに温暖化を実感するのは大寒でも室内でカメムシを見つける。きょうは愛車のなかに元気なカメムシを発見。

 虫たちは越冬。海は海水温の変化でさまざまな異変が起きている。

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カメラを手にして美祢市から長府

 作業場の石油ストーブは早朝着火。休憩のコーヒー用と湯タンポ用のヤカンふたつが座っている。湯タンポは朝まで足元を春にしてくれる。


 早朝から農園の井戸には恵みの雨が降りだした。天気予報で「雨」だったので予定を長府にかえた。藤中さん「カバ隊長」のお届けは水曜日。ゆっくり話をしたいことがあっても配達途中でそれがままならない。

 年末に大きな手術をされお店は再開されていないが「1時にお店に行きます」と連絡した。松村御大の「唐戸魚市場物語」の推敲役に手を挙げてくださり朱筆に時間をかけてくださっている。その打ち合わせと藤中作品を撮る。そのふたつのミッションで長府に向かった。


 月曜日、美祢市の萬代さん玄関ギャラリーもゆっくり拝見する時間がないので「9時半に行きます」とギャラリー予約をした。

 撮らせてもらった作品はブログとFacebookで紹介します。藤中作品は、例えていうと抽象画の世界で、観る視点が定まったら作品の世界にどっぷり入ることができると実感した。


 部屋とトイレに風呂などしっかり掃除を終えて萬代さん経由の藤中さん。途中「晋作の湯」と「厚保駅交流ステーション」立ち寄り。


 冷たい雨の日曜日。朝から夕方まで楽しく過ごした。

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お口の恋人はガーナチョコだった

 写真説明はご本人(宮田きみこさん)の原文引用で紹介します。青年海外協力隊でガーナ。ご主人はセネガルでした。

 「あだち美術館」は今回も私のカメラで萩市を載せましたご覧ください。次はFacebookに掲載された宮田農園をご紹介します。その内容で紹介したい一枚です。明朝のホーム画面もガーナを二枚載せます。


🔶この写真は、派遣されて約3ヶ月ほど経った頃だと記憶しています。

村で記念のセレモニーがあって、私もみんなの輪の中に入って踊ったのです。外国人の女性が踊っているというので、めずらしがられ取り囲まれました。

ガーナでの写真は、他にも沢山あるのですが、そんなに出す機会もなかったのですが、今回、初めて披露しました。


 地震のアラームで目が覚めた。家内が自宅はアラームの直後に揺れたと言うが農園は揺れなかったと思う。3時に起きる習慣になっているが、もしものために携帯電話で4時に目覚ましアラーム設定をしている。そのアラームが耳元で鳴っているのに気がついたのは5時。

 土曜日は5時半に萩市向けでスタート。大慌てでパン一枚をトーストしてバター。豆乳と納豆とバナナにヨーグルトを食べた。犬たちはしっかり世話をした。コロナで萩市の旅館や長門市のホテルに美祢市の道の駅はすべてキャンセルのため配達の準備は早かった。


 明日は早朝から雨の予報になった。井戸の水位がどん底になった農園には恵みの雨になる。私の予定は雨で中止。それならばと長府の藤中さんに「明日、いつなら会えるかね」と連絡したら午後1時。

 いつも水曜日に慌ただしい会話で終わっているので明日はゆっくり話をすることになった。


 今朝、慌ただしくホーム画面を更新できませんでした。

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大寒の木曜日は寒かった!

 松村貴美さんは松村御大の奥さま。お二人とも独身時代の職場は唐戸魚市場株式会社。交わした会話で二人は萩市浜崎が出身とわかり現在に至る。


 神戸の震災ではじまったご縁をとりもってくださったのは防府市台道の上田さん。松村御大と萩市の中学生時代の仲間だった。上田さんのお宅に初めて御大に誘われ(ふくの大皿数枚)大酒を飲んだ。小郡駅に家内が待っている。夜道で車を止めてもらって御大と並んで土手で連ション。足もとが崩れてションの上に転がった。運転は貴美さん。


 20年、農園式宴会をたくさん催してたいがい御大ご臨席。下関市内でもよく飲んだ。ご自宅で真面目、不真面目な話も酒の肴でワイワイやった。そのいずれにも顔は微笑んでいる貴美さんがあった。


 木曜日の10時半は松村家にお届け。いつも珈琲で貴美さんむかえてくださる。きょうは御大ご在宅だった。


 玄関、向かって左の花は市内ある方から。右は私から。私よりひとつだけ先輩の貴美さんお誕生日。おめでとうございました。


 これからもお付き合いください。

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松村作品を住吉神社に奉納

 農園、今朝は氷点下5度ぐらいまで冷える予報だった。深夜2時に目があいたので外に出て気温計を見たら氷点下2度だった。雲が出てくれ放射冷却が押さえられていた。下関市に向かう5時半は3度まで下がった。


 下関住吉神社の鳴瀬宮司にお届け。社務所の玄関左に松村御大の大作が掛かっていた。この作品は、昨年の下関市美術展覧会で「特選」の栄誉に輝いた。それを奉納された。


 20年以上前から油絵を始められ「ふく」だけを描いておられる。その作品は相当な数になると思われる。けれどもご自宅には数点しか掛かっていない。すべて額装してご縁のある方に手渡してこられた。私が知っている「描いてください」と頼まれ謝礼を受け取られた作品は一点だけ。海峡ビューホテルのロビー、エレベーター近くの作品。

 

 「ふく」だけに生きてこられた松村御大が人生を油絵に込めておられる。後世までも偉業は残る。


 水曜日の下関市は終わった。木曜日の下関市の鋭気を養うために今夜ははやく寝る。

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ヤギさんから見おろされ

 震災で教会が半壊、後日に全壊した金光教岬教会、福原道茂師が浜山小学校避難所の運営メンバーに加わっておられた。私たち金光教のご縁で避難所でお手伝いする者たちは福原先生の指示に従って動いた。早いうちに工事現場使われるプレハブの教会が有志により建てられ朝夕ここで祈った。

 全国から金光教有志が神戸に集まり、それぞれがご縁のある場所で瓦礫の撤去や避難所手伝いなどを力強く展開していた。


 ある時「四国の松山からお手伝いに参りました」と70歳を越えた横山という小柄なおじいさんが仮設の教会に着かれた。

 

 小学校の教室で私たちと寝食を共にした。横山さんのお手伝いは、当時は1500人ほど地域の皆さんがおられた。そのなかには子供たちが大勢いた。その子供たちに笑顔で「おはよう」と声をかけて手を握る。昼間は子供たちの遊びにはいる。それが横山さんのお手伝いだった。

 些細なことで口論がはじまるようななかで横山さんの存在は子供たちには太陽だったと思う。


 枕を並べて話をした。

 亡くなられた奥さまの介護を病室泊まり込みでしたいたときのこと。病院の近くを走る最終電車の音を聴きながら「電車が走るね」と。


 横山勉強堂という煎餅店を夫婦で営んでいた。いつも生きる支えになったのは最終電車で向かった岡山県の金光教の教会(宇高連絡船)。早朝に教会に着いて神様を拝んだ。


 横山さん夫婦に電車の、レールの音で神様に心がつながった。その話を聴かせてもらった。


 避難所に食べ物が少ないとき横山さんが「食べられなくて死ぬときは尻の肉から細くなる」と私に言われた。

 いま思い返すと、もしかすると過酷な戦地を体験されたのかもしれない。


 山口市から農園に戻る山あいでヤギさんから見おろされた。

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物語がはじまった27年前

 阪神淡路大震災。

 兵庫区浜山地区の金光教岬教会が全壊。教会家族は近くの浜山小学校避難所に身を寄せて1000人以上の被災者のお世話にあたっておられる。その情報を得て19日に浜山小学校に着いた。その詳細は「人生の車窓」に記した。


 27年を経てあの体験を振り返ると「浜山小学校避難所」で過ごした約3ヶ月。4月末の復興祭で避難所解散では終わらず、そこから始まった物語がたくさんある。

 富士通の上田さんのご縁で、当時は唐戸魚市場専務取締役の松村さんに「ふく鍋隊」を頼んだ。鍋の材料1500人分をトラック載せて炊き出しはマイクロバスで小学校の校庭に来てくれた。寒い被災地に「ふく」が来た。

 神戸子供病院福院長の坂元先生とご縁があり、その後に小野田市で水頭症の幼児を久留米の病院で先生自ら執刀くださった。

 今でも弟のように付き合っている宮崎弁の牧君とも浜山小学校で知り合った。


 あの震災がなかったら始まらないストーリーがあった。


 昨夜もしっかり眠れたが体調がシャンとしない。松村御大と正月に歓談のとき、御大が「なんとなく体調がようない」と医者に言うたら「歳のせいじゃ」と言われたことを思い出した。


 写真は松村御大が唐戸魚市場専務取締役のとき、私は47歳だった。

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眠たい理由がわかった

 昨夜、少しだけ食べて7時には寝ていた。深夜2時に目があいた。ダブルのグラスに焼酎を注いで飲みほした。そしてまた夢の中。

 5時に起きて作業場のストーブ着火。犬の世話。昨夜凍った水道蛇口をゆるめる。それらを済ませて少しの朝食。食べたらまた眠くなり横になったら2時間も寝ていた。いったい昨夜から何時間寝たのだろうか。それでもまだ眠たい。


 スマイルバックの収益受け皿を「バーバラずプロモートクラブ」にチラシの表記を変えること。女性百姓の吉岡米は2月皆さんにお届け。その受け取り内容と日時を決める。連絡や返信が滞っている、些細なことでもすべて済ませる。


 この日曜日ミッションは、私のオフィス「温泉の森」となる。10時、今回も一番乗りでいつものサウナ席に陣取り、いつものリクライニングシートでタブレット。帰りにいつものガソリンスタンドでいつもの給油場所。この「いつも」で気持ちが安定する。1週間のなかでコーヒーのコンビニや立ち寄る公園などトイレのすべてが「いつも」。配達ルートに変更があった日は少し緊張する。


 給油を済ませ農園に戻ったのは1時前。家内が来ており昼ごはんを言うけれど欲しくない。湯タンポを入れてもらって布団に入った。目が覚めたら3時。


 古希をむかえても従来と同じペースで生活している私に「少しアクセルをはなせ」と、生活のペースが変わる努力をやれいと神様が「眠たい」のなかから「わかってくれ」とサインを出されと腑におちた。

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世良公則の歌声は最高です

 昼頃、新南陽市方面に配達に出た正志が農園にもどらない。10時ごろ電話をかけようかと思ったが、何かハプニングがあれば正志からかけてくると思い車が農園に着く音を布団のなかで待った。

 深夜の1時半に戻った。それから約1時間ほど作業場で仕事をして自宅に戻った。土曜日、私が起きる時間は3時。心配をしてほぼ一睡もできない夜になった。


 朝ドラ、カムカムエブリバディは欠かさず見ている。主人公のサッチモこと「るい」とオダギリジョー扮する「大月錠一郎」が今週のハイライトだった。

 眠れぬ布団で「錠一郎」が幼いとき米軍ベースでジャズトランペットを生で聴いた、そのときシンガーでもないおじさんがサッチモ(ルイ・アームストロング)を熱唱した。あの場面を見てジャズトランペットの道を歩みはじめた。


 米軍ベースでは「るい」の母親「安子」が米兵に連れられて演奏に目をみはった。


 シンガーでもないおじさんは世良公則。ステージの端から生演奏にあわせてビール瓶をトランペットにしていた少年。あの少年こそが「錠一郎」だと推理した。どこかで「るい」が母親の写真を「錠一郎」に見せたら少年の記憶に戻る。


 そのストーリーを考えて、朝ドラファンの家内に早く教えてやろうと自宅に電話したのは萩市を通過中の6時。「別に急ぐことでもない。どうでもよいことだが」と前置きしたら、こんな時間に「どうでもよいことを」と思っているのが重い声のトーンで伝わった「なにかね」と。私の推理を話したら「それはネットでネタバレ。そのことはしっちょる」と。


 世良公則のジャズ熱唱に興味があるかたはYouTuberでご覧ください。私はこの日を録画して男、世良公則を聴いている。


 朝食は欲しくない。納豆とバナナと豆乳だけ腹に入れた。昼はうどんを少し。微熱があるようなないような。体温計は26.5だった。30年以上熱が出たことはない。37を越えると両耳の後ろが腫れる。よく喋るらしい。


 今夜体調が戻り、明日の午前中雨がなければ秋吉台を歩こうと思っている。


 「あだち美術館」更新終わりました。

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淳貴君とLINEやりとり

 4時までしっかり寝たが疲れはとれていない。疲れて風呂も着替えもせず寝たせいかもわからない。


 9時半「スマイルバック」チラシの打ち合わせをデザイナーさんと済ませて湯田温泉「温泉の森」10時の一番乗り。サウナ室三段の最上段の真ん中が私の定位置。温度が高い、テレビが真正面に見おろせる。何回も出入りするより一回で20分ちかく汗をしぼる。

 そのあとは何種類もあるジャグジー。とくに両方の足裏に強い刺激が私にはあっている。腰や肩など泡でほぐしたあとは「寝湯」頭だけ出してゆったり身体を伸ばす。持参の軽石で足の裏までサッパリして休憩室でゴロゴロ1時間してから戻った。


 きょうは西君11年の命日。奥津城に参拝。あの笑顔を思い出した。


 雲仙普賢岳災害のとき金光教関係の出版元から依頼を受けて被災直後の金光教肥前島原教会に取材に行った。教会関係者が障害者の無認可福祉作業所を立ち上げ、縫製工場からアイロンプレスや糸切り作業の下請けをしていた。認可を受けると障害児(者)に生き抜く力をつけるやりとりができない。このことは割愛。


 その所長、原留男(故人)さんの家に泊めていただき朝まで酒盛りにつきあった。

 子供が作業所まで歩いて通所の子供。途中に大好きな犬がつないである。朝夕、犬と長い時間遊ぶ。ある朝、犬と少し遊んだあとその家に入って「犬をいじめてはいけません!」と言ったと家の人が作業所に言いに来た。夜、あることがあって犬を叱りつけた。それがあの子は犬から教えてもらったとしか思えない。その話を興味深く聞いた。


 淳貴君が好きそうなヤギが菊川郵便局のそばに繋がれている。きのう淳貴君にLINEで見せようと立ち寄った。夕方その写真を届けたら「餌がほしい」とだけ返信があった。

 今朝、淳貴君に「ヤギがそう言っているのか」とLINEしたら「そうです」と即答。たしかにヤギの足元には草がなく、私に甘えるように駆け寄ってきた。「全部の動物の気持ちがわかるか」と聞いたら「わからないときもある」と即答。


 今夜「虹の豚」がテレビであると伝えたら「足立さん間違っています。紅の豚です」と訂正さしてくれた。

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1週間の山場をこえた

 きょう木曜日。5時すぎに農園をスタート。6時半、赤間神宮駐車場に着くまでにレストラン卯などお届け。唐戸魚市場まで駐車場から歩くとき強風で身体が冷えきった。


 今夜の魚を買って市場を出るとき「兄ちゃん!ワカメ買ってくれんかね」と、いつもは父ちゃんが下関のちかくで捕る小魚を揚げたらよいように小さい包丁で「しご」する漁師の女房。500円がこの店の相場。イトヨリにカレイなどそのままでは売れない小魚を揚げるだけ、煮るだけまで「しご」してひと山500円。荒れた海に船を出せなかったが女房は磯でワカメを摘んだ。今夜はワカメも酒の肴になる。


 閉校した川東小学校に立ち寄った。草むら、目にとまったものがあった。美祢郵便局など撮らせてもらった。 

 きょうは早めに寝る。

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深夜ライフラインのトラブル

 萩市観光についてとても詳細に紹介されたサイトにであいました。写真は、そのなかから「藍場川」です。萩市観光の強い味方になりますよ。


 https://www.city.hagi.lg.jp/site/machihaku/


 スペシャルオリンピックス公式HPもご案内


 https://www.son.or.jp/


 普段は朝まで目覚めないが1時半に目があいた。トイレにたって水を流した。ふと排水したあと水タンクに落ちる水の音がないことに気がついた「配管の凍結」が頭をよぎったが体感の室内温度は配管が凍結ような寒さではない。部屋と浴室の蛇口4つを開けたが水が落ちない。

 外の蛇口を開けた(蛇口がゆるむのは凍結していない)が水が出ない。


 農園は井戸水を使っている(飲料水は弁天池)鉄骨を組んで高所に接着した1tタンクに井戸から汲み上げる。そのタンクから、全鶏舎と作業場に私の住居に使っただけ自然の降下で水は行きとどく。

 住居と作業場用には500㍑タンクを据えて降下水を受けている。そのタンクに水がきていないことがわかった。ということは親タンクが空になっていることになる。その高圧ポンプを修理して動かすことは私にはできない。ヘッドライトを外し防寒着を脱いで5時半スタートまで寝る気にもならないので録画の番組を観ることにした。


 幕末から昭和までの日本史は私なりに理解できているが源氏と平家に鎌倉幕府はわからない。はじまった「鎌倉殿の13人」は録画してテレビで学ぼうと思っている。

 それを見ても4時にならない「クローズアップ現代・消えたカツオ」も見た。焼津漁協で20年ちかく不正が横行していた実態にNHK取材陣がはいり焼津と枕崎、カツオの街で市場・冷凍会社に運送業が闇の世界をつくっていたことが白日のもとにさらされた。


 睡眠不足で長い水曜日が終わった。糸賀会長プロジェクトのスマイルバックは「ちょぼハウス」の面々が収益金取扱いについての意見を率直に述べてくださりとてもよかった。


 今月、再手術の宣告を受けていた藤中隊長は主治医から「手術はせんでもよかろう」と経過がよいことを告げられた。そのことを私に話す隊長の笑顔はこれまで見たことがないほどの笑顔だった。


 新聞切り抜き「山折先生」をきのう菊川画廊に正志に託した。いま電話があった「話そう」と。


 とても長い水曜日だったが、とても充実した水曜日だった。

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糸賀会長の想いがカタチに近づいた

 糸賀会長が淳貴君の作品をトートバッグにプリントして販売。その利益を社会貢献に使いたいと願いをたてられた。


 きょう火曜日は糸賀会長オフィスに「たまご」をお届け。そのトートバッグご案内チラシを打ち合わせることが私の本日のミッション。


 ポストカードでお世話になったデザイナーの河上さんと糸賀会長でテーブルを囲んだ。まだ詳細はつめていないので非公開ながら決まった図案は、ポストカードのなかから4点をコラージュでひとつの作品にまとめあげる。色合いなどからデザイナーが「どうですか」の作品。これは決定。販売価格は税込み1000円で500円は貢献という方向。トートバッグは「smile back」と命名させてもらった。おそらくこれで決まり。


 このsmilebackを見た人が笑顔になってもらいたい。明日の下関市「ちょぼハウス」で関係者のご意見を受けてスタートする。


 「北風と太陽」のように陽が射したり小雪が舞ったりで「防寒と防水」の上着を着たり脱いだりだった。

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今年は秋吉台を歩きまわる

 新年恒例の「歩く」コースを決めることも年末の楽しみ。景色がよい秋吉台を下見で訪れ「秋吉台トレッキングマップ」を手に入れた。「大正洞コース」「長者ヶ森コース①」「長者ヶ森コース②」「カルスト展望コース」「秋吉台家族旅行村コース」の5コースがポイント毎の使用時間が記載され、アップダウンの標高まで親切に添えてあった。


 「秋吉台家族旅行村コース」秋吉台の最高峰・龍護峰を含め南西の3年座の頂に立つ欲張り展望プラン(2時間15分) 龍護峰・御鉢山・西の西山


 スタート・ゴールの家族旅行村に行って職員さんにコースの説明を受け駐車場は8時半に解錠という細かいことまで聞いた。


 3座の頂から眺めた景色に深く感動した。きのう「長者ヶ森コース」を楽しんだ。2日とはちがう絶景に感動した。

 「よし!」と決めた。私は早朝から配達をして戻ったらひたすら寝て翌日の鋭気を養う生活をしている。4月から10月の半年は草刈りがある。金曜日と日曜日はできるだけ仕事をしないと決めているが草刈り期間は別になる。

 雨がふらない、草刈りがない金曜日と日曜日は秋吉台を歩くことに決めた。農園から30分も走ったら秋吉台に着く。四季折々の景色と草花を楽しめる。適度に疲れて熟睡できる。


 祝日の月曜日。いつもはお留守のお届け先はチャイムを鳴らしたら久しぶりの会話ができるお宅が多かった。年末年始、子供に孫たちが大挙して訪れくたびれた話題をしながら幸せ笑顔だった。


 井戸の水位が危ういのでシャワーなど節水。配達を終えて農園近くの温泉に立ち寄った。お客は多かったがしっかり身体を洗いたい。サウナ15分で大量の発汗。持参の軽石で足の裏、タオルでしっかり身体のすみずみまで洗って洗髪もした。農園に戻って下着から靴下まで脱皮した。


 お届け先の玄関に「絵手紙」があった。

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秋吉台ウォークは楽しい

3時に目が覚めた。左手を伸ばして窓ガラスの結露を確認。予報では氷点下3度だったが、指につく結露から氷点下まで下がっていないと思った。

氷点下8度ぐらいまで冷えると、二重ガラスの室内で結露が凍っている。つまり氷のなかで寝ているようなこともあった。


階段の下で毛布に顔を入れて丸くなっているゆきちゃんをまたいで外に出て温度計を確認したら0度だった。昨夜から排水していた蛇口をすべて閉めた。


7時まで農園の仕事と愛犬の世話。部屋の掃除と朝食など慌ただしい日曜日。

防府市に配達があった。それを済ませて山口市内で給油などを済ませ、コンビニでお茶とおにぎりなどを買って秋吉台に向かった。


2日の起点は「家族旅行村」今回は「長者ヶ森駐車場」がスタート地点。

冷えていたが歩くとすぐに体があたたまり、ヤッケを脱いで、マフラーも外してリュックに入れた。

「冠山」「北山」などを歩きとても楽しいハイキングになった。


大正洞駐車場「ギャラリー写創蔵」に立ち寄り、きのうから開催「干支写真展」を見ることもできた。

テーマは「寅」数々の作品中で思わず笑った作品。ガマ口からのぞいた万冊一枚「虎の子」だった。


弁天池で10㍑水汲み。於福温泉は混雑のようでパス。「よしの」も店内満席だったので「パス」美祢市内の酒屋で焼酎一本買って農園に戻った。


「掲示板」の末尾に淳貴君のLINE出来事を載せました。ご覧ください。

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コロナの影響がご注文の数に出た

夜明け前の萩市。

萩市まで一気にくだる雲雀峠は氷点下6度。さいわい路面が乾いていたので安全走行できた。けれども山から染み出た水が路面を這ってスケートリンクになっていることもある。

その原因はイノシシが山際で補食のため掘り返す。その土が側溝を埋めて路面に水が出てくる。それで一度リンクのカーブーを車体が一瞬斜めで通過したことがある。


土曜日お届け萩市や長門市の旅館。先週ご注文の数から驚くほど発注が減った。土曜日の宿泊キャンセルがその数から想像できる。


昼前に農園に戻った。

自宅から家内が2~3日分の地元紙と毎日新聞を持ってくる。

就農のときNTTに電話回線と新聞販売店、それと中国電力に「お願いします」と頭をさげた。中国電力だけ川の向こう岸にコンクリート電柱を立て、川をまたいで電力ライフラインを無償で開通してくれた。

NTTは回線設置費用を農園で負担するならと返答。新聞は橋のたもとまでなら届けると返答。携帯電話とネットニュースがある。


自宅から届く新聞にニュース性はないが読むところはたくさんある。

毎日新聞7日版「論点」。宗教学者の山折哲雄先生の「生死観」を何度も読み返した。

菊川画廊にコピーを届けて読後感を持って交わしたい。


「あだち美術館」更新しました。今週のステンドグラス作品と同じ山口市の方のちぎり絵です。お楽しみください。

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充実した金曜日でした

ご案内です。

Facebookでご縁をいただいた松尾さん(素晴らしい写真作品を美術館に出してくださいました)が作品を掛けておられたとき足を運びました。

無料です。県内や隣接の県からも素晴らしい作品が展示されています。目標は「大正洞駐車場」です。

文字ではなく一枚で伝える「技」をご覧ください。


昨夜は家内が泊まった。

唐戸魚市場で買った済州島の鯖は脂ののりがよく塩焼き最高で「永山酒造」発、焼酎「山元酒造」経由のウィスキー「サントリー」で酔った。

録画の番組(1時間)を再生したまま寝たらしい。


3時前に目があいた。録画の番組をしっかり観た。9日から始まる大河番組の予習として後鳥羽上皇が隠岐島に流された歴史がわかった。わかって安心して1時間も眠りに落ちた。


きょう金曜日ミッションは、糸賀会長が淳貴君作品をデザインしたトートバッグの製作を始めた。その会長に成り代わりバッグの案内文をつくること。

その他、いくつか私が関わる催しの案内を関係者にお知らせすること。

「あだち美術館」の更新準備をすることなど。


私のオフィスは湯田温泉「温泉の森」


サウナ室三段の上段真ん中(テレビがよく見える場所)に一番で陣取りたい(人の汗の上はすかん)15分の発汗のあとジャグジーで足裏からはじめて腰など泡でマッサージ。


髭剃りもしっかり済ませ11時から開放の2階休憩室。いつものリクライニングシートにお茶を持って横になりタブレットをONしたらオフィスになる。


昨年、このオフィスで「人生の車窓」を完成させた。

ミッションをぜんぶ済ませて農園。昼ごはんはロング缶で簡単に済ませて布団を敷いてゴロリ。


とても充実の金曜日が終わった。

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唐戸魚市場まで潮風が楽しめる

木曜日は唐戸魚市場。

今年はじめての買い物は小雨の6時半。今夜の肴をさがしてぐるりと市場を歩いた。迷ったあげくに「済州島の鯖」1100円を買った。脂ののりはよいが漁場から下関まで距離があるため氷漬けで運ばれる。鮮魚を扱う店は、それを「ハンカチ(半分カチカチ)」と手を出さない。

年末2回、済州島を二枚おろしにしてもらった。塩焼きで旨かった。


買ったあとに目にとまった「刺身用」の大きな鯖が800円だった。聞いたら「長崎」と漁場を言われた。次回は長崎で刺身と思った。


赤間神宮駐車場から市場まで、潮のにおいを楽しんだ。

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冬は水道管を凍結から守ること第一

糸賀さん制作のトートバッグが動き始めた。

下関スペシャルオリンピックス「ちょぼハウス」で淳貴君のお母さんに「作品づくりの写真がありましたら使わせてください」とお願いした。数点LINEで届いた。デザイナーさんに候補として転送。

私のお気に入りはこの一枚です。


その「ちょぼハウス」に9時半に到着するには5時半農園をスタートしなければならない。

いつも3時前に目が覚めるが、今朝に限って目覚ましアラーム4時で飛び起きた。

起きて一番にすることは蛇口をひねること。予報が氷点下4℃だったら風呂に洗面所、キッチンなど前夜に蛇口からポタポタ水滴が落ちるようにして水道管の破裂を防いでいる。ここまで気を使う理由は水まわりが全部破裂した氷点下8℃。鶏舎の水まわりも全滅。その日は昼間でも氷点下で水漏れはなかったが気温があがったとき農園内で30ヵ所近く水漏れがあった。

修理の部材を買いに美祢市のホームセンターまで積雪の山越えで行ったらすべて売り切れ。温暖な宇部市内のホームセンターに行ったら部材は手に入った。ヘッドライトをつけて指先がちぎれそうなほど冷たい修理をやった。冷えた夜、水が凍りつき膨張する威力を体験した。


昨夜の予報では氷点下2℃だったので蛇口を閉めたまま寝た。この時期は小雨で井戸の水位が底をついている。水滴でもたくさんの蛇口から落とせば水位が致命的になる。


今朝、キッチンの蛇口をあけたらゴリゴリ音。氷点下2℃でも、その氷点下が何時間続いているのかは重要。

私が出たあと使う外の蛇口2つが固く凍結していた。蛇口にタオルを巻いてぬるま湯をかけてとかした。


早く出たい朝なのに犬2頭が排泄に時間がかかった。


慌ただしい90分を終えて定刻に農園スタートができた。

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すてきなアレンジはニユースタイル本社です

きのう松村御大のお宅で長々と料理とお酒をいただきながら話がはずんだ。話題は政治・経済から掃除や人生に健康談義など会話にベルトがかかりとてもよい時間になった。


「あだちさんは、人の好き嫌いがハッキリしている」と過去数人の人から指摘された。それは「改めよ」という忠告のようだった。それは家内もたまに言う。身についたものはなかなか変わらないし、私は「それがどうした」ぐらいにしか思っていない。


私が「ふくの総大将」と尊敬を込めている。きょうも全国ニュースで「下関でふくの初競り」と報じられほど「ふく」を下関ブランドにされた。

その人生を振り返り、唐戸魚市場小野社長(萩市)が就職したが続かず萩に戻った松村青年に、市場に来いと声をかけてかけたのは、松村野球少年を知っていたからというご縁。

一番下っ端社員からはじまり、私がご縁をいただいたときは「松村専務」と「中尾常務(前下関市長)」の時代だった。


社長から会長を経て肩書きに幕がおりた。


眼力、目的をすすめるときその人材配置が的確にできる器が大きい御大と思う。私は「好き嫌い」があり、つまり器がこまい。

好き嫌いではなく、その人物が輝く長所を見抜く眼力を持っておられる。それを盃を交わしながらの会話であらためて感じた。


配達初めは山口市。


配達人として、お客さまに不愉快な気持ちにはさせない言葉遣いなどプロフェッショナルをめざしたいのが今年も目標。


数年前のことをあらためて記しておきたい。


9時すぎの山口市内の飲食店。シャッターを持ち上げるために必要な鍵をオーナーから渡され毎週シャッターを上げてサッシを左にスライドして店内に入っていた。

その日、スライドのサッシが重いが力を込めたら動くので動かしていたとき軽くなった。そのときグラスや取り皿などが割れた激しい音がした。


サッシが重かったのはテーブルがサッシのレールに置かれていた。テーブルをひっくり返した。そのテーブルには餃子の取り皿や調味料に爪楊枝に割り箸があった。店内はどうしょうもない惨状になった。


弁当を食べずに配達を急いでお店に戻り、新聞紙とタオルやハンカチまで使って割れたガラスやジョッキ。調味料など私がここでできる精一杯をした。それでも床の汚れや臭いはどうしょうもなかった。


オーナーにお詫びの電話をしたが留守番電話。それに弁償しますからと頭を下げた。


夜、オーナーから電話。

「すまんかった」ではじまった。

レジの売上があわない日があり、店の者にわからないよう店内が撮れるカメラをつけていた。その映像を再生した。


照明の具合を電器店に頼んだ。その店主がテーブルを使って土足で照明を調整してそのまま立ち去った。それが原因だった。

あだちさんが掃除する姿をみた。申し訳ない、私が謝る。


「たまご」を配達しているその「道」を歩んで行きたい。


写真のすてきななアレンジはニユースタイル本社。

仕事初めは南風泊市場からはじまる

元旦初詣は桂子ちゃん巫女姿に会いに行く・2日は「歩く」そして3日は仕事初めの「初荷」は、景気よくせり場が始まる南風泊市場に集われた関係者に縁起で配られる「お年玉子」のお届け。あわせて長府「ポポラス」もたくさんの初荷。


南風泊市場にお届けをすませて毎年恒例の松村御大新年ご挨拶の儀。

11時、「まぁ上がれ」と玄関で声をかけていただき「すぐに帰りますから」と恒例の問答を交わしてテーブルにつく。家内が同席は帰りの運転手。


松村ご夫妻と村田の「みっちゃん」と私夫婦。4時まで料理と酒で腹を割った話しができた。

一年のスタートをきった。

1月2日。私の行事を元気に終えた。

毎年1月2日は歩いている。くわえて秋ごろも50㎞ぐらいを歩いている。

きょうの「掲示板」に過去4年の1月2日を載せました。ご覧ください。


秋吉台家族旅行村の駐車場は8時半に解錠。先日の下見で確認できた。

8時半に駐車場に入った。ここを起点に、秋吉台最高峰の「龍護峰」「御鉢山」「西の西山」の3座をめぐって、同じ道を通らず駐車場まで降りる計画を立てていた。


農園今朝の気温は氷点下4度。秋吉台は日の出から気温上昇したのか氷点下1度だったが龍護峰まではザックザックと霜柱を踏みしめる音が心地よかった。海抜425mの頂上に着くまでにヤッケを脱ぎマフラーを取った。


「御鉢山」を越えて「西の西山」に向かうころには霜柱が溶けて油断すると滑る道になっていた。山頂までの道は見上げるような傾斜。ここで転倒したら服が汚れるぐらいでは済まないと思った。


眼下は360度の大パノラマ。

心身ともきわめて元気に1月2日の行事を終えた。明日の下関市配達から今年の仕事がはじまる。


写真は「龍護峰」から「御鉢山」に向かうときの風景。

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初詣のあとはゴロゴロ

初詣に出る前の8時半。農園は氷点下5度。


大晦日も平日と変わりはない。夕飯を済ませたら布団に入る。昨夜も8時ぐらいに寝ていたと思う。

部屋が冷えるので目が覚めた1時半。台所の水が危うく凍結する直前だった。蛇口から氷のシャーベットが配管内部の錆と一緒にゴリゴリと尾登をたててシンクに落ちた。室内も外も少量の排水をした。


正月気分で缶ビールを一本飲んで寝た。


ビールのあと母の夢をみた。4時に目覚めたとき母と会話を交わしたのかどうかも記憶になかったが母だった。


吉部八幡宮初詣のあと西君奥津城参拝。その後、桂子ちゃんとまきちゃんの巫女姿にあいに秋穂の正八幡宮参拝。9時半ごろだったが参拝者が多くお札を授かる善男善女が列になって巫女さんおお忙しのようす。寒いなかで不眠でのご用はたいへんだと感じた。恒例の気持ちばかりの手土産を二人に渡して手をふった。今年は写真を撮るような雰囲気ではなかった。掲示板に過去の巫女姿をのせています。


お昼は農園でロング缶一本で昼ごはん。

正月は毎年BSで映画をたくさん録画して楽しんでいる。

午前から午後にかけて「レッドクリフ①②」の長編を録っている。何度も観た作品でも大迫力は「ワーテルロー」と肩をならべる。

①赤壁の戦いが始まるまでの序章、といっても壮大なスケールを楽しんだ。


それこそ何度も観た「ローマの休日」や「ショーシャンクの空に」も録画できた。


明日は雨がなければ秋吉台を歩く予定。

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