物語がはじまった27年前

 阪神淡路大震災。

 兵庫区浜山地区の金光教岬教会が全壊。教会家族は近くの浜山小学校避難所に身を寄せて1000人以上の被災者のお世話にあたっておられる。その情報を得て19日に浜山小学校に着いた。その詳細は「人生の車窓」に記した。


 27年を経てあの体験を振り返ると「浜山小学校避難所」で過ごした約3ヶ月。4月末の復興祭で避難所解散では終わらず、そこから始まった物語がたくさんある。

 富士通の上田さんのご縁で、当時は唐戸魚市場専務取締役の松村さんに「ふく鍋隊」を頼んだ。鍋の材料1500人分をトラック載せて炊き出しはマイクロバスで小学校の校庭に来てくれた。寒い被災地に「ふく」が来た。

 神戸子供病院福院長の坂元先生とご縁があり、その後に小野田市で水頭症の幼児を久留米の病院で先生自ら執刀くださった。

 今でも弟のように付き合っている宮崎弁の牧君とも浜山小学校で知り合った。


 あの震災がなかったら始まらないストーリーがあった。


 昨夜もしっかり眠れたが体調がシャンとしない。松村御大と正月に歓談のとき、御大が「なんとなく体調がようない」と医者に言うたら「歳のせいじゃ」と言われたことを思い出した。


 写真は松村御大が唐戸魚市場専務取締役のとき、私は47歳だった。