昨夜は次女の来園で幸せなひととき

昨夜、久しぶりに次女の真砂恵さんが子供二人と農園に来てくれた。長男は特別に大きくなって驚いた。

家内はそれぞれ料理の好みを知っているらしく午後から台所に立ちっぱなし。同じ宇部市内に住んでいるが娘は嫁いでいるのでなかなかあえない。つくった献立ほぼ全部を喜んで食べてくれて残りは全部もたせていた。

家内なりの精一杯の土産を持たせて帰りぎわ、自分の楽しみでストックしていた缶のアルコール類も全部持たせた。

見送ったあと「よかった」を連発して床でトド状態。


深夜2時ごろ、昨夜の録画SONGS「嵐」を見ていた。私は農園生活は静かなほうがよい。


下関に集金と配達先の確認2件。

配達先のひとつはマンションに転居。マンションは配達する者には手ごわい。配達など外来者の駐車ができるかどうか。お宅までの配達は私はやらない宅配ボックスを使う。その暗証番号などルールをつくる。一口に宅配ボックスと言うけれど、その使い方が同じボックスはない。さらにボックスが盆暮れで全部塞がっていたときのルールも必要になる。


もう1件は自宅に届けていたが、来月の2週だけ職場で受けとりたいとの連絡。場所を調べたら山あいのテニスクラブ。当日に迷いながら行くと、その後の配達など気になり焦るので確認に走った。


集金も終えて農園に戻る途中のコンビニWi-Fiを使ってブログ「先月の写真」の更新を終えた。ご覧ください。


きょうは半年の区切り6月大晦日。

私が拝んでいる神様は、お願いよりお礼が大切だと教えられている。今朝は半年のあいだ農園でさまざまな出来事があった、それを無事に越えられたこと。家族全員が元気に過ごすことができたお礼を神様棚に拍手で申し上げた。

その後、トイレと風呂など特に念入りにお礼を申し上げながら掃除をした。

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私のバカの壁

養老孟司先生著書「バカの壁」私は読んでいないが、先生の対談番組の内容で「バカの壁」の意味がわたしなりに理解でき共感できた。それを先日のブログにラップがわからないと書いてから壁を越える努力を心がけたいと思った。


この歳でいまさら。と美祢市のうどん店で話したら読書家の店主(私と同じ年齢)が「一生、死ぬまで勉強せにゃあ」と励まされたことも壁に向かう気になった理由でもある。


昨夜はEテレ「ららら♪クラシック」を録画した。クラシックは理解したいとも思わず人生を過ごしてきた。30分番組だったので早朝見た。


劔岳点の記 映画監督の木村大作さんがゲストで驚いた。この作品はスタッフが命懸けで何日も山頂でカメラを構えて撮った南アルプスの夜明け。その背後にながれる音楽がとても印象深かった。

山頂下の小屋で何日も逗留し、機材を担いで何度も登頂するご苦労は作品メイキング映像で知っている。あの過酷な山頂で監督のヘッドホンから流れていたのはクラシック音楽だったと語られた。映像の背景にながす旋律をイメージしていた。そのイメージであの音楽が作られた。


撮影中、鬼のような形相で指示をとばす監督が「ボクの心が一番安らぐのはクラシック音楽です」もともとクラシックに無縁だった。そこで手当たり次第にクラシックCDを買い漁りとにかく聴いた。それからクラシックがわかりだした。まさに「壁」を越えられた話だった。


私の場合、人の好き嫌いもハッキリしており好きではない人の話は聞き流している。これもわたしの「壁」生涯勉強と背中を押された。向き合わねば。


早朝から萩市。常茂恵旅館の風景を撮った。

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手間をかけたら安売りできない

夕食が待ちきれない。きのう計った体重は7キログラム。9月で生後半年になり体の大きさがほぼ決まる。15キログラム未満の中型犬になると思っている。


Facebookでコンビニ弁当を話題にされた方がいた。その価格はにはざっくり製造、流通と販売コスト(廃棄も)が含まれている。ということは食べて安心な商品かどうかという問いかけだった。


農園経営は長男。私が農園をはじめたときさまざまな計算のなかに飼料があった。

1羽の鶏は1日あたり120グラム平均を食べる。その飼料代の最低は3円程度だったと思う。それを選ばなかった理由は内容が粗悪だと感じた。例えばフェザーミールという表記をメーカーに尋ねたら鶏の羽を粉砕したものです。動物性タンパク質の内容を聞いたら、廃鶏の肉骨粉のことです。処理場で本来は処分されるものが餌さとして使われていることを知った。

検討を重ねて12円単価の飼料に決めた(ひとつ10円で売ることはできない)。


鶏肉ウィンナーをつくったことがある。6本入りで500円ぐらいを販売価格にした。製造メーカーに打ち合わせに行ったとき「いくらでも安い商品はできます」と最初にきりだされた。増量のため豚脂や水分をはじめ国の基準に抵触しない添加物を使えば驚くほど安い商品価格ができあがることを知った。

原料を言わなければ、例えばブラジル産冷凍鶏肉を混ぜても安くできる。


カステラを農園たまごでつくった。農園最寄りの高速道路サービスエリアの売店で販売したらどうかとご紹介くださった方がいた。売店責任者の方と会って業界の仕組みが少しわかった。コストダウンした商品でないと売店においてもらっても農園に利益はないとわかった。


つまり、食品に対して利益を優先するのか安心や安全を考えるのか生産者と消費者の選択がある。

来月、山口市内でおもに野菜の安心と安全を旗印に10年以上お店を経営されたが閉店の知らせがあった。


昨夜は10時間ぐらい寝た。それでも歳のせいかスッキリ目覚めなかった。

午前は山口市内と防府トヨタ立ち寄り。午後から朴の森で藤野先生とあれこれ話ができた。

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梅雨入り木曜日が終わった

国道2号線。ここから小月バイパスがはじまる下り線のローソン。水曜日と木曜日の朝に立ち寄りホットコーヒーを買う。

入り口にたいがい鎮座している。人に媚びるそぶりをしない。コーヒをのみながら見ていると、餌をおいて店内に入る人がいた。

愛犬ハッピーが地域のみなさんに育ててもらって今がある。ゆきちゃんもおなじように育ててくださった人がいた。


今朝、2時に起きて配達の準備をはじめた。いつもの5時半に満載で農園を出発。


6時半の唐戸魚市場はきのうから時化ており、夕食に買う鮮魚はみあたらなかった。

先週も魚がないなかではじめての店から声をかけられた「カマスがうまい」と。開いてあったので躊躇したが、値段が安くはなかったので買った。けれども塩焼きは旨くなかった。この店はこれから素通りする。


美祢市まで戻って加奈ちゃん納品。そのあと眠くなり空き地にとめた。電話で起こされたとき20分も夢をみていた。

木曜日の仕事をすべて終えた6時。

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笑うフェルメール☺️

下関市内の配達を終えて下関市美術館を訪れた。

スベシャルオリンピックス下関のアスリートが描いた作品とパステル画教室の作品展両方が催されていた。

その両方にかかわっておられて農園たまごのお客さま小坂さんのフェルメール偽物。ご本人を会場で見つけたので撮った。本物と比べてください。


一年の法事が終わった今村家。故人となった明さんの大学時代の1年先輩(70歳前半と思う)夫婦が明さん陶芸工房の一軒をリホームして東京から転居された。明さんが「いつかは田舎に来ませんか」と若いときから誘っていたらしい。

大阪で板前修行をして、秋葉原で40年居酒屋を夫婦で営んだ。浅草生まれの浅草育ちの奥さんも転居にもろ手をあげた。理由のひとつにお子さんがないので身軽。葬儀に来たとき陶芸工房が空家になることを知り、田舎の風景に魅せられて決断した。


私夫婦も先々で京都に移り住みたいと思っている。理由はいろいろある。それを具体的にえがくとき私が京都にとけ込めるかどうかの壁にあたる。虎が密林にとけ込み姿をけしている。


そのとけ込み方とはちがう。街の動き方がわからない。人付き合いの文化を知らない。言葉遣いの微妙なニュアンスがわからない。

その精神的なとけ込み方の不安がある。


居酒屋夫妻(運転免許はない)を21日の金曜日お迎えに行き鍵山記念館にご案内した。現地では藤野先生が丁寧に迎えてくださり案内してもらえた。


その夫妻のようすを垣間見た。山口の空気や言葉遣いなど新鮮にうけとられて目をかがやかせておられた。消極的にとけ込むこと。積極的にとけ込む姿勢は違うことを感じた。


次回は萩市をご案内する。

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ヌーちゃんに罪があるのか

戦争中、満州出征の兵隊さん、戦闘機搭乗員の防寒に大量の毛皮が必要になった。野犬はおろか飼い犬までも供出の名のもとに毛皮になった。犬は金づちで頭を叩いて持ち帰る。飼い主は犬を飼っていることを隠すが他人が来たので吠える。悲しい別れが全国であった。


犬だけでは足りないのでネズミ科のヌートリアを南米から調達した。ネズミだから繁殖力は旺盛で成長すれば10キログラム(中型犬)ぐらいになる。雑食だから残飯で飼育ができると好都合。私の知識ではおもに岡山県下で盛んに繁殖された。


外来種が日本の生態系を崩している例はたくさんある。毒蛇のハブを退治すると思ったマングース。ショーでは戦うが自然界では戦わない。


宮崎県で町興しとしてジャンボタニシの養殖がはじまったが興せなかった。いまは九州各地で稲を食い荒らしている。水郷柳川の石垣に強烈なピンク色のタマゴがたくさんある。


佐賀県の旅館で「なんとか鯛でございます」と出されたのはアフリカ原産テラピア。淡白なお造りは鯛と思えば鯛。全国の池で小魚を食べて繁殖している。

ブラックバスはルアーを楽しむために全国の河川や池に放流されて淡水魚の頂点に君臨している。


ミドリ亀。餌を与えるとどんどん成長する。もともとがアマゾンの亀だから。飼えなくなり池や川に捨てる。私が子供のころはゼニ亀がおったが、今はミドリ亀かクサ亀しか見当たらない。


ヌートリアは戦後用済となり無責任に放たれた。岡山県金光町の里見川には子犬のようなヌートリアが群れている。


前置きが長くなった。

写真は24日の月曜日。美祢市の配達で猟師さんが美祢市から委嘱されて駆除のため捕獲したヌーちゃん。推定4キログラムでも歯を剥いて威嚇する。

野菜農家の畑に出没してかじる。それは商品にはならない。ネズミ捕りの大型に野菜を入れて捕獲。この写真を撮ったあと水槽に沈められた。


レジ袋など人間の都合で自然界の営みがくずれている。


先日、農園で捕らえられたイノシン。お腹に4頭の子供がいた。シシ肉を商売に考えた人が豚と交配させて、本来のイノシンが出産する数は1頭か2頭のバランスがくずれた。鶏の知識で烏骨鶏は年間50個ぐらいしかうまないから珍重された。それを改良して毎日うみおとす烏骨鶏がつくられていると聞いた。


ヌーちゃん絶命を目の当たりにしたとき、ヌーちゃんは悪くないと思った。

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沖縄慰霊におもう

月曜日と木曜日が定期納品。今朝もたくさんお届けに行った。お店は日曜日と月曜日が定休日。けれども今朝の8時、元気いっぱいのスタッフ3人とゆいちゃん(結斗)でお店は賑やかだった。

ゆいちゃん、保育園よりママと一緒がよいと甘えてママの負け。https://petitlabbakery.com/


きのうは沖縄慰霊の23日。

復帰直後から戦没者ご遺骨収集奉仕に毎年2月に通った。4月から6月までの2ヶ月間で20万人もの民間人と軍属が命をおとした。この気温で放置されたご遺体。今を生きる私には想像ができない。

糸満市の海岸線山野にはまだたくさんのご遺骨が野ざらしになっている。収集がすすまない理由を私なりに思うと。


🔶不発弾が多く危険。摩文仁の周辺には1㎡あたり6㌧もの艦砲射撃の砲弾が炸裂した。数センチの鉄の破片となって、それを鉄の暴風雨と沖縄の人たちは言う。不発弾もたくさんある。

日本の兵隊さんは自決用に手投げ弾を身につけていた。その火薬はセルロイドに包まれておりいきている。


🔶毒蛇のハブ。冬眠しないが2月は比較的活動が鈍っているので2月に行った。


🔶風葬。沖縄の人は風葬のご遺骨と戦没者のご遺骨は容易に見きわめる。収骨奉仕に行った人のなかには風葬のご遺骨を持ち帰る人もありトラブルになる。


🔶文化のちがい。「うちのサトウキビ畑に遺骨があるから」と地元の方から促されたことが数回あった。他人の遺骨は触らない(怨霊がつく)風習がある。


私の知る限りでは、本土復帰前に戦没者遺骨収集を終える厚生省事業があった。つまり、日本としては「終えた」というお役所仕事がある。勤務時間のなかで山野を歩いた。

その後に数々の奉仕団が収骨すると「以前に終えた収骨現場から細かい骨を集めている」と政府は言う。


それは全く違う。頭蓋骨から足先まで完全一体のご遺骨を私も収骨した。最後は摩文仁で金城サチ子と彫られたセルロイドの三角定規と子供さんの完全一体のご遺骨に対面した。


ご遺骨が家族のもとにお帰りいただく努力を国はやらなければならないと思っている。


鍵山先生語録、しばらくお休みさせていただきます。

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人生は人がつくる

午前中、下関市内にスポット配達300個。

8時過ぎ(おそらく15分~30分)農園を出てNHKラジオをつけたら「すごい論語」がテーマになっていた。なんと著者、能楽師の安田登先生ご本人が新刊の解説をされていた。

それを読んで理解できずに立ち往生の私が聴いても、やっぱり立ち往生。昨夜のテレビ番組 switchインタビュー達人達(たち) 山下洋輔×養老孟司を録画。楽しみだったので3時に起きて再生した。

私が「すごい論語」で立ち往生しているのは、養老先生が番組で解説された著書「バカの壁」が私に立ちはだかっているとラジオを聴きながら納得した。


私はラップがわからない。わからないから好きになれない。安田先生は能はラップだと数楽の会で話された。ますます意味がわからなくなっている。その私のラップアレルギーが「壁」だと録画からわかった。

電話が鳴った「安田先生がラジオに出ている」と家内が親切に教えてくれた。


そのswitch。私にそうだ!と大きくガッテンした言葉をジャズピアニストの山下洋輔さんがさらりと言った。


🔶私の人生は人がつくりました


もとかるたクイーンの今村美智子さんが中心でコンサートが午後から催された。ゲストは50年前のヒット曲「愛するってこわい」でヒットした じゅんとネネのネネさん。和歌に曲をつけて歌いたいと15年前にかるた協会に相談を持ちかけられ、それに対応したのがカルタクイーンだった美智子さん。家族としてのお付き合いがはじまった。

ネネさんは、ドイツ人音楽家の主人と岡山県金光町占見で田舎暮らしを楽しんでおられるらしい。けれどもボイストレーニングはかかさずされている。


実はこのコンサート。美智子さんご主人の追悼が内容。専修大学野球部監督として東都大学野球で専修大学優勝のとき監督として采配をふられた。そのご主人、明さんの1年の法事をきのう親族ですまされた。

美智子さんとしては主人追悼コンサート。その目的はみごとに果たされた。Facebook投稿をきょうの一枚にします。


『譲る限界』


 できるだけ譲る。私が心がけてきた信条の一つです。

 できるだけ譲るようにして生きてはきましたが、ある一線を越えたら一歩も譲らないようにしております。一歩も譲らないのは、私個人の利害からではありません。これを譲ったら、社員が幸せにならない。相手にもよくない。

 この二つが、譲らないときの私の判断基準です。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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梅雨入りしないがアジサイ

20年ちかく前、農園の周辺でタヌキはたくさん見かけたがイノシシが地面を掘り返すことはなかった。

その当時、美祢市の猟師さんが「きのう捕ったイノシシの腹に子供が5頭もおった。手間がはぶけた」笑顔で言われたとき私は笑えなかった。


その後、農園周辺にイノシシが増えはじめたのは高齢で猟をやめる人が多くなったことも理由のひとつになる。

農園の現在は、年間をとおしてイノシシと向き合うことになっている。古くなった漁網を農園周囲にはりめぐらして侵入を防いでいるが網の下を潜って農園敷地に入りミミズを捕食する。地面はまるで耕運機で耕した様相になり、それを平らにするためユンボの作業になる。


昨年12月、地元の猟師さんにお願いして箱ワナをひとつ設置してもらった。半年で30頭ちかく捕獲された。3日前、60キログラム以上はありそうな大型がワナに入っていた。昼前に数人で処理してくれたと聞いた。その腹の中に4頭の子供がいたらしい。「手間がはぶけた」と内心思った。


報道や生活の場面で「えっ!そんなことを言うのか」と眉をひそめることがある。

例えばクマ。実害にあえいでいる人と動物愛護を提唱する人の温度差。私の気持ちの動きでそれが納得できた。


ゆきちゃんには多くの勉強をさせて、今後いろいろな場面で躊躇しないように育てたい。

きょうは助手席に座らせて30分ドライブした。8月(生後半年)に避妊手術を予定している。片道40分の動物病院に通院する場面で車中を楽な気持ちで移動できることは、お互いに助かることになる。機会をみて助手席練習を繰り返したい。


約20年、私のパートナーだった「はなちゃん」は長距離配達のとき助手席犬だった。最後をむかえるときの通院も楽しんで助手席だった。


長門市の旅館。荷受け部署の男性が納品をおえた私を車まで追いかけてこられた。10数年前に食中毒事故があった。たまごの管理について私の意見を求められた。

こちらの旅館では納品は冷蔵庫までが業者がやる。農園のたまごにはお届け日を明記している。


けれども厨房スタッフの入れ替わりが多い飲食店では、所定の場所に置いておく。前の箱があっても「上に置いておけ」と言われる。つまり上から調理につかうことになる。問題がおきてはいけないので手間でも上下の箱を入れ換える。

そのことを回答にはならないがお答えした。


まだ梅雨入りしない。アジサイが待っている。


『複写はがき』


 複写はがきを書くとき、心がけていることを三つだけ紹介します。

 一つ、たとえ下手な字であってもつづけ字にせず、一字一字丁寧に楷書で書く。

 二つ、表書の住所・氏名は筆字で書く。

 三つ、郵便番号はボールペンで書く。

 複写はがきは掃除と同じように続けてきました。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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きょうのミッションはふたつ

彦島、山岸さん玄関「隅田川の花火」が迎えてくれた。


きょうは午前と午後ふたつのミッション。

午前は加奈ちゃん、プチラボベーカリーの味を山口市内のお客さまに配達ボランティア。その予定できのう買っておいた。

お届けして「とてもおいしかった」とメールや電話をいただいた。https://petitlabbakery.com/


午後のミッション。40年、秋葉原で飲食店を営まれた夫婦が農園ちかく、今村さんの敷地に陶芸工房だった家屋を住居に改築され転居された。

昨年なくなられた今村明さん(もと専修大学野球監督)が専修大学生時代の先輩夫婦。老後暮らしは田舎で楽しみたいと昔から話していたので「それなら山口に来ませんか、我が家に一軒空き家があります」と本気で誘っていた。明さんの意思をついで美智子奥さんが「来てください」と誘われて転居された。

8日、農園ホタルの会には美智子さんが同伴されて宴会デビュー。私が早朝に唐戸魚市場で買い求めた魚を12人前にいろいろ盛り付けてくださった。

知らない土地。ご高齢。運転免許なし。山口県の初体験は上等がよかろうと鍵山記念館ご案内。ガイドは藤野先生。


鍵山記念館の精神をひらたく解説された。帰りの車中で夫妻は初体験の余韻にひたっておられた。


みやた農園。8月ツアーの計画をはじめた。

http://nonoha.shop-pro.jp/


『唾面自乾』


 やくざに監禁されたうえ、日本刀を突きつけられて、脅されたこともあります。顔に唾を浴びせられて、ののしられたこともあります。

 そんなとき、自分自身に言い聞かせた言葉が「唾面自乾」という中国の言葉です。たとえ顔に唾を吐きかけられても拭かずに、自然に乾くまで耐えよという教えです。私は、この言葉によってずいぶん救われました。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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目から鱗のオブラート

今朝の唐戸魚市場。カマスの開き2匹とメゴチひと山を買った。高級魚は買えないがメゴチは大好物。天婦羅と酢漬けを家内がやると思う。

以前、釣り船を所有した時期があった。床波港に停めていたので釣り場は宇部空港沖の白灯台付近。キスゴ、イイダコ、メバル、アイナメにスズキなどたくさん釣れた。昼前にクーラーボックスをかついで自宅にもどり昼間から酒を楽しんだ。そのとき懐かしいメゴチ(ぬるぬるするので、鼻タレゴチと言う)面倒なしご(下ごしらえ)がしてあるので今夜は天婦羅。明朝は酢漬けが楽しめる。


下関グリーンモール商店街、刃物店「清水」にお届けに行くと90歳に手の届く2代目と宮大工さんが問答していた。清水の姉御(スペシャルオリンピックス下関バスケットコーチ)が仁王立ち。整列させられて撮られた。


目から鱗のオブラート。ラジオ「すっぴん」

幼いとき粉薬を母はオブラートにくるんで「はい」と口のなかに指で押し入れた。そのあとコップの水を飲む前にオブラートが喉にはりついて怪獣のように白い粉を吹き出した「コラー!」と母から怒られた。

オブラートは、粉薬を包んでスプーンにのせお湯を垂らして喉に通りやすく液状にして服用するのが王道と知った。車をとめて「オブラート」を検索したらまちがいなかった。


農園生活の楽しみは番組録画。

たくさん予約しているなかで一番楽しみは、22日夜のNHK switch。養老孟司先生✖️山下洋輔。

26日早朝 BSクラッシク倶楽部・森麻季ソプラノ・リサイタル。 


『日本の評価』



 かつて、右肩上がりに経済が伸びていたころ、日本に対する世界の評価はどういうものであったか。「ただ金持ちになっただけのエコノミックアニマル」と批判されていました。

 再びそのような批判を浴びないためには、この厳しい時期をしっかり受け止め、本当の力を蓄えていくことだと思います。そうすれば、再評価されるときが必ずきます。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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わが子が逝ったぞ

3時前に起きた。きょうのスタートは、熟睡のゆきちゃんをおこしてシッコからはじまった。4時は携帯電話が自動起動する。ショートメールが届いていた。


18日夕方、定春が肝臓癌で亡くなりました。届いた携帯電話番号は登録していない。迷惑メールと決めて配達や朝ごはんの支度をしていた。そのとき思い出した、ハッピー7匹の子供を引き受けた人のなかに防府市の女性が命名した「サダハルちゃん」何度か対面した。一番ハッピーと似ていたことを思い出した。すぐに返信メールを出した。


我が身をけずって子育てをした。その現場に立ち会った人たちが子供を引き受けた。ハッピーにそれを知らせる術はない。


世界中の街をタクシーで走りながら、ドライバーとの問答と景色を楽しむNHKテレビ番組BS。今回は函館が舞台だった。女性ドライバーに最近乗せたお客で印象的だったことはあるかと聞くと。ハンドルを握りながら「いわゆる色町で働いたという90歳ちかい年輩女性グループ。少しお酒も入っており歌いはじめた」よほど心に残ったらしい。歌えないけど歌詞は覚えていると。

🔶ゆうべ父ちゃんと寝てみたら 変なところに芋がある

ここでドライバーは恥ずかしくてやめた。私はその歌詞に節をつけて歌った。

🔶父ちゃんこの芋なんの芋 ぼうやよく聞けこの芋は ぼうやつくった種芋よ


家内が驚いた。以前も「ノーエ節」を、富士の白雪が三島にそそぐまでの長い歌詞を全部覚えていたこと。

私が幼いとき、当時の山口大学官舎と呼ばれた長屋が住まいだった。母子家庭で騒いでも遠慮がないと思っていたのか職員の溜まり場だった。カラオケもない当時、酔ったらバケツや洗面器を叩いて歌って踊って騒ぐ。学生もファィアーなんとかで運動場で火柱をあげて大騒ぎをしていた。


タバコの煙とバケツを叩いて騒ぐ。布団をかぶって寝ようとしたとき覚えてしまった宴会ソング。幼いときの経験は否応なしに刷り込まれている。品の悪い踊りのレパートリーはある。


安岡から清末に長府を走り終えた。温泉で疲れを癒して木曜日をむかえたい。農園近くの温泉は第三水曜日は休み。美祢市於福温泉に行った。500円の料金が半額だった。湯上がりの休憩室はやっぱりトドが雑魚寝状態。このあいだで寝たらオナラ攻撃がある。

トイレ横にソファーがあった。ここで30分熟睡できた。


『苦境時の心構え』


 人も企業も、一直線上で伸びるということはまずありません。必ず停滞するときがあります。ときには落ち込むこともあります。

 そんなとき、どういう心構えでその時期を過ごすかが大切なポイントです。

 基本は「工夫次第」「自分次第」という考え方です。

 心構え次第で、人生も企業もよくなったり悪くなったりします。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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島の定期便を毎日拡散している

今朝もしろしいゆきちゃんのウンチとシッコを済ませてからハッピーの散歩。リードを使わず私の歩みにあわせてついてくる。私が止まればハッピーは腰をおろす。

農園に来たとき、人相とは言わないだろうが野良犬生活だったので人を信用しないことは顔つきでわかった。首輪やリードも嫌で私を困らせた。


10年も可愛がったら顔つきが穏やかになった。私の言うことに必ず従う。しろしいゆきちゃんと心を通わせてよい仲間関係になりたい。


野の畑みやた農園。今月2日に8名の仲間と大島まで見学に行った。無農薬・無化学肥料・露地栽培・不耕起・島の海藻や竹チップで育てた野菜。収穫した翌日に届く。

毎月届く「島の定期便」の物語を資料を渡しながら、配達先のお客さまに説明している。質問してこられる熱心な方。無関心な方と反応はさまざま。私の目的は、購入される方があればよいが、なくても家族で大島の原野を開墾して信じる野菜づくりをされている志を、わたしの見聞の範囲で精一杯伝えることが私の責任と思った。


農園のたまごを買い求めてくださるお客さま。ひとつのグループは放し飼い養鶏に納得されたみなさん。

もうひとつグループは、買うことでしんあい農園を応援するというみなさん。両方のみなさんに支えてもらっている。


「島の定期便」を購入するかどうかを家内に聞いた。

農園に毎週たまごを求めて地域の農家の方が来られる「食べておくれ」と不揃いの野菜を持ってこられる。鶏糞をとりにこられる農家のかたも「お金をとらんから野菜を置いていく」と野菜。四季の山菜も同じように届けてくれる人がいる。


大勢の「しんあい農園を応援しよう」という人たちから支えてもらったことに恩返しができていない。せめて宮田さんの定期便に申し込みしましょう。

それが家内の返事だった。


『人が動くとき』


 人に利用され尽くしたら、人が動いてくれるようになりました。

 自分を守ろうとすればするほど、人は動いてくれないものです。

 自分を投げ出したとき、初めて人が動いてくれるようになりました。

「私が私を捨てれば、そこにあなたがいる。あなたがあなたを捨てれば、そこに私がいる」 (山本紹之介)

 けだし名一言だと思います


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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ゆきちゃん生後3ヶ月をむかえた

ゆきちゃん、3月17日が誕生日。というのは豊浦町の山中でイノシシ猟の方に保護された日を誕生日とした。生まれたばかりの3匹を哺乳瓶で育ててくださった。親犬でも手のかかる子育てをしてくださった。

4月の中ごろフルートちゃんから里親しませんかのメールに写真が添付されていた。高齢をむかえたハッピーの仲間として、高齢になった私が犬を最後まで世話をするという生きる力としても子犬がほしかった。

4月28日、豊浦町まで迎えに行った。2匹はすでに里親が決まり引き取られていた。犬とのつきあいは長いが2500グラムの子犬ははじめて。数日はつきあい方がわからず寝不足だった。


野良犬のとき7頭の子育てをしたハッピー(推定11歳)が新入りを受けいる様子を観察した。親を知らないゆきちゃんはハッピーのからだに馬乗りになり首筋や尾っぽに噛みついて甘える。防府市の藪のなかで育児したことを思い出したのかハッピーなにをされても動じない。穏やかに受け入れている。


ゆきちゃん、きのう体重は5500グラム。山に放置されて皮膚病になったが完治。私の「座れ」には従うようになった。「来い」を学習中。


今朝10ごろ、KRYラジオ(FM)を聴きながら配達。山口市内の女性が「3分随筆」コーナーに投稿された。その内容は朴の森。鍵山記念館や体育館、レストランなど実に的を得た紹介をされた。特に坂村真民先生の書がたくさんあったことに感動されたようだった。


『自然農法』


 掃除をすると、不思議と会社の雰囲気が変わってきます。社員の意識が変わってきます。日常の不平不満が感謝に変わってきます。

 掃除をすると、自然農法で育てられた農作物みたいになるんだと思います。自然農法か化学農法か、作物を見ただけではわかりません。しかし、たしかに味が違う。もちが違ってくるのです。掃除にもそんな力が秘められております。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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下関にお悔やみに行った

今月6日の日記で追悼した李陽雨(イ・ヤンウ)さん。彼のミニコンサートのゲストにカヤグム(琴)を弾いて歌う呉明美(オ・ミョンミ)さんが登場した。

以来、彼女から演奏会など催し案内があると出かけた。実家の一部屋を韓国料理(おうちレストラン・テジョン)として味自慢の韓国料理店。何度か仲間を募って料理と彼女の演奏と歌声を楽しんだ。


木曜日の朝がテジョン配達。6日(木曜日)の前日「明日の配達は車庫でお願いします」と彼女から連絡があった。いつもは玄関でお父さんが受け取ってくれる。


そのお父さん。5日の朝、就寝中に息をひきとっておられ発見された。13日の木曜日に配達に行くと「しばらくお店を休みます」と張り紙がありすべてがわかった。


私は岡山県金光町、金光教本部のおひざ元に金光出版という小さい出版会社を創業していた。全国の教会の記念出版をおもに手がけていた。毎週土日は倉敷のホテル暮らしをしていた。ホテル周辺の焼肉屋は何軒か親しかった。

そのころ、彼女のお父さんは岡山市内の銀行マンで単身赴任。お会いしてホルモン店など共通の話題に花が咲いた。


明美さんが結婚され、近くに料理と小物店をオープンした。お父さんは毎朝早い時間からお店の掃除をして愛娘を応援した。


言葉づかいが丁寧、穏やかな人柄で毎週お会いする楽しみがあった。65歳で突然この世を去られた。そのお悔やみに下関市に行った。


お母さんと明美さん。一言もお別れの言葉がかけられなかったかなしみの最中。憔悴しておられた。慰めの言葉がなかった。


火の山公園、関門海峡を眼下に望んだ一枚。


『問題解決の極意』


 汚いものを見て「汚いなあ」と言うだけでは何の解決にもなりません。

 そのときどうするか。手にゴム手袋をつけてやるか。柄の長いものを使用するか。手で触るか。

 手で触るのが一番です。手で触ると、汚れの程度がよくわかります。きれいにしたときの喜びと実感も湧いてきます。問題に近づくことが、問題解決のもっとも早い具体的な方法です。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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母、4年目の命日

木曜日の唐戸魚市場で迷った鮮魚のふた山。アジ5匹が800円。となりのカナトフクは刺身、唐揚げに鍋なんでもつかえて1000円。

馴染みの店なので「どっちを買おうか」と聞いたら、カツオをさばいている包丁の先がアジを選んでくれた。頭と腹を取ってもらい、蓄冷剤を敷いた車のクーラーボックスにおさめた。家内が刺し身などにつくり、骨以外は愛犬2頭の胃袋におさまった。


きょうは4年目、母の命日。毎朝夕遺影に手をあわせているが形式になっているのは否めない。けれども命日ということでしっかり私を育ててもらったお礼をかしわ手にこめた。


恵みの雨。6時には走り出したい土曜日。ゆきちゃん、ハッピーを雨のなかでシッコとウンチをすませてタオルで拭いた。

お昼前に農園にもどり、昼から山口市内に給油など。ごく普通の土曜日を終えた。何事もない「普通」こそ幸せな1日に間違いない。


『人間的魅力』


「数字を背景にして、倣慢になるな」。社員にたえず戒めていることです。

 おかげさまで当社も、思いもかけない売上を上げるようになりました。数字が大きくなると、よそ様が自然に頭を下げてくださるようになります。

 そのことと、自分自身の人間的魅力とは関係ないことです。どこまでも自分自身の人間的魅力で、仕事に従事してほしいと思います。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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神様棚を念入り掃除

木曜日の疲れを感じても早起きする理由は、夜露がおりている時間に焼却しなければならないものがある。


鶏は自分で決めた巣箱に産卵する。産み落とした卵は傾斜をつけた金網を転がって採卵室。その産卵中に糞をするので衛生的に採卵するための金網があり、糞はその下の受けに落ちる。そこに新聞紙を敷いている。全鶏舎の新聞紙は一度に全部の交換はできないが、糞で汚れた新聞紙を毎日交換している。

それを焼却するためには夜露を味方につけてバンバン燃やす。相当な高さまで火のついた新聞紙が舞い上がる。


その夜露がおりるにはさまざまな気象条件がある。風がふいた夜は夜露はおりない。毎朝4時ごろ外に出て雑草に手のひらをあてて湿り気を確認する。火事を出さない工夫のひとつ。


今朝の湿り気はじゅうぶんだった。大きなカゴにふた山の汚れた新聞紙をユンボで掘った焼却穴に入れて着火。しばらくすると火柱がたった。夜明6時ごろには焼き終わり鎮火している。


明日は母4年の命日。神様棚(村上棟梁匠のわざ)に母もまつっているので今朝は神様棚の掃除からはじめた。私は未熟児でうまれ保育器でしばらく育てられ、母乳がでないので山羊の乳で育てられたらしい。私を育てることで懸命に働いたシングルマザー。働くために私が預けられていた「こうせいかん」を藤田画材店のおばあさんが「更正館」と漢字を教えてくれた。


成り行きのまま、孫の(私の長女 金光教太秦教会でご用)教会ご霊殿にまつられ、金閣寺と仁和寺のあいだ、絹かけの道ちかく、今村さん手作りの陶器のなかででやすんでいる。

親孝行はできなかった。親不孝は数々やった。一番悲しんだことは会社をやめて農園をはじめると告げたとき。

創業して銀行借入するとき、連帯保証人に公務員だった母は退職金までを印鑑で私に託した。応援してくれた。


今夜は母が遺した大学ノート。俳句帳をひらこうと思っている。


朝、3時間草刈りをした。たった3時間、暑くもないのに大汗をかいて疲れた。近くの温泉で汗をながして着替えて鍵山記念館。藤野先生にゆっくりお話をうかがうことができた。


『品性の欠如』


『管子』の言葉に「衣食足りて、礼節を知る」とあります。

 まことに残念なことに、いまの日本は「衣食足りて、礼節を知らず」という状況です。平気で食べ物をムダにする人が多くなっています。似合わないのに高級な服で着飾っています。

 品性の欠如が原因です。衣食の豊富さに見合う品性の向上を急がねば、国が滅びます。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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週の山場 木曜日を終えた

今朝の関門海峡は潮の流れがはやく波立っていた。その急流を潮に逆らい悠然と進路をとるコンテナ船の後ろ姿が気に入った!


唐戸魚市場。1キログラム5匹で800円のアジを選んだ。市場で商う商店の人は客の視線をさりげなく見て、私がイサキを見ていると「刺身でも煮ても焼いてもええ」カツオに目をやると「三重県のカツオ。宮崎より脂がのっている」などと魚のしごをしながら売り言葉を並べる。この雰囲気が市場の醍醐味、面白さだと思う。煙草の煙がたまに漂うが鮮魚を商う市場にはふさわしくないと思う。


下関市を隅々まで走り美祢市。加奈ちゃんプチラボベーカリーに2時過ぎに着いた。木曜日ご注文のたまごを届けてからお客の仲間入り。飲み物とお好みのパンを買って食べるかた。軽トラが店の横にとまり、わたしぐらい年輩の男性が急ぎ足でお目当ての商品を買われた。

加奈ちゃん「おいちゃん!月曜日の納品を増量してもええ」と嬉しいご注文。


配達の最後は「よしの」きょうの話題は中東情勢、天安門事件など勉強させてもらった。


『合理的な論理』


 不利なことは切り捨てる。一般的企業のもっともらしい合理的な論理です。

 しかし、そういう考え方では会社はよくなりません。できるだけ不利なことを引き受ける。こういう考え方で経営に臨みますと、本当の知恵と才覚が生まれるようになります。

 不利なことを切り捨てるだけだったら、冷酷な気持ちだけで十分。悔いを残すだけです。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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気持のよい快晴だった

ゆきちゃんが農園に仲間入りして生活リズムがかわった。深夜のトイレは卒業した。私が目覚めたときのシッコはさせる。今朝は3時前。それから寝てくれるからたすかる。


配達の準備と私の朝食。部屋と台所掃除などを済ませた5時ごろから空腹をキャンキャンと知らせる。ハッピーはまだ私の部屋で寝ている。


ハッピーの朝食は牛乳と生たまご。ゆきちゃんはドッグフードと生たまご。

農園ではひび割れ、多少の液漏れなど加熱調理で使ってくださる飲食店やお菓子屋さんにお届けしている。けれども、さわるとくずれてしまうたまごが採卵室から作業場に届く。それらは私の家族が自家消費(加熱)愛犬たちはその余りを贅沢に生でガツガツ食べる。


ハッピーはきまった散歩コースを、決まった時間で歩いてくれてウンチとシッコを済ませてくれる。いっぽうのゆきちゃんは散歩が決まらない。今朝は延々と30分走りまわって済ませてくれた。私は2頭で60分ちかくウォーキングになった。


水曜日は下関市の配達飛び地(明日の配達ではまわりきれないお客さま)を走る。お昼に農園近くまでもどり立ち寄り湯。休憩室は山口県のWi-Fiがつかえる。タブレットを見ながら睡魔がやってきた。よし眠れるぞと思ったら、私の周囲の四方八方から寝転がっている男女高齢者のオナラが聞こえてきた。反撃することもできないので農園に戻った。


梅雨前線が三並で停滞。そのせいで小雨と快適な青空。


写真は、題して「バラ色の二人」


『社員旅行の心得』


 宿泊する旅館では、履いたスリッパをきちんと揃えます。

 宴会の時間が夜九時までと決められているときは、八時四十五分までにお開きとします。

 さらに、食器は従業員の方々が後片づけしやすいように一カ所にまとめておきます。使用した蒲団は自分たちで押し入れにしまい、シーツや浴衣はきちんとたたんで入口に出しておきます。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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ゆきちゃんと信頼関係を築いている

きょう嬉しいことのひとつ。さきほど(4時に)山口市から戻り血圧測定した。120・70と合格点。朝4時に降圧剤を服用しているからといえばそれまでではあるが、9時間運転した直後の数値。ご褒美に「角ハイボール7%500ミリリットル」をプシュ!


ブログやFacebookに投稿するので、私の友達関係では人気者になったゆきちゃん。まだ乳歯、その乳歯はそうとう鋭い。昨夜もじゃれて歯をあてた私の左手の甲から血がこぼれた。

「座れ」「待て」は覚えた。私の人生でゆきちゃんが最後のパートナー犬になる。しっかり関係をつくって楽しく過ごしたい。


農園の周囲に届くようアスファルトやコンクリートはない。あるのは山と川。そこをとおって農園にとどく風は心地よい。夜は窓をしめて布団にもぐり込んで寝ている。早朝は涼しいではなく寒いときもある。


『エクセレントカンパニー』


 ただ大きいだけで、傍若無人に振る舞っている会社をエクセレントカンパニーとは呼びません。

 たとえ、資本金が小さかろうが、たえず赤字・黒字の線上を漂っている会社であろうが、関係ありません。

 働いている社員一人ひとりが、思いやりがあり、他人に迷惑をかけないように心がけている。そういう会社をエクセレントカンパニーと呼ぶべきです。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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酢屋の坂道には 思い出がある

国東半島のつけね別府湾を望む位置に城下町杵築市がある。市役所(議会事務局)に営業で訪れたのは30年前のこと。作品の写真は「酢屋の坂道」手前の坂を下りきったところの右側が江戸時代「お酢屋」だったのでその名前がついた「酢屋の坂道」現在は綾部という屋号のお味噌屋さん。

NHKテレビ番組「大黒柱のある風景」で綾部さんが放映された。おばあさんが勘定場で五つ玉の算盤を使っておられた。味噌は麦だった。その姿も知っている。


綾部さんからとても低い石段をあがりつめた右のお屋敷が武家屋敷「大原邸」その石垣に沿って石段がある。それは一大事のときは武士が乗馬して駆け下ることができるようつくられている。


はじめて杵築市を訪れたとき、この大原邸から下る酢屋の坂道車止めでとまった。眼下の石段が綾部におりて、また上りつめる風景に息をのんだ。


親しくさせてもらった絵描きの石原忠幸さんが「あなたが好きな九州の風景を案内してくれませんか」と言われ「酢屋の坂道」と「小鹿田」をご案内した。両方とも石原忠幸先生の作品になった「酢屋の坂道」は菊川画廊で買い求めて真砂恵さん(次女)夫婦が自宅をもったときお祝いにした。「小鹿田」は買えなかった。


「酢屋の坂道」が石原忠幸先生のもとで完成した翌年。JALのカレンダーに作品とほぼ同じ構図で写真が使われた。そこには和服姿の女性が微笑んでいた。


その屋敷の坂道をスケッチしたカレンダーを6日の木曜日に「とりのこ」で偶然に見つけた。


鶏を飼いたいから売ってほしいとお客さまから先週頼まれた。きょう配達に行ってお断りした。その理由は、そのお客さまに毎週10個のタマゴが売れなくなることではない。

鳥インフルエンザ騒動で常盤湖の白鳥全部が処分された。鶏を飼ってみたいと思われたら、農園ではなくペットショップから手に入れてくださいとお断りした。万一、農園から差し上げた鶏が問題の原因になったとしたら、趣味に付き合ったしんあい農園が地域の養鶏農家に迷惑をかけることになる。

そのことを説明したら不愉快そうな顔で頷かれた。


『流されない生き方』


 どんなに立派な生き方をしていても、予期せぬ災難とか苦難に遭遇するのが人生です。

 そんなとき、普通の人は「私は誰にも迷惑をかけたことがないのに、どうして私だけがこんな目に遭うのだろう。不公平だ」と考えるものです。

 こういうときこそ、自分を見失うことなく、周囲に流されない生き方を通すことがもっとも大切です。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

昨夜は懐かしい対面になった

昨夜のホタル観賞催しに集ってくれた美人3人。20年前の社員さん。当時の私の様子を話してくださり赤面する気持ちで聞いた。

朝礼で借り物で立派な話をしたこと。社員さんに見てもらう態度で掃除を演じていたこと。それで今はどうなのかと自問してみると20年前と変わらない。


ともあれ20年過ぎても私を覚えてくださり、農園まで足を運んでくださったことは嬉しい。もうひとり美人の安川さんは欠席。福岡在住の一人娘が近々にお祝いごとのはこびとなり、きのうは両家顔合わせだっらしい。


今朝は10時に下関市からスペシャルオリンピックスの面々が来園。スペシャルオリンピックス活動に農園としてご協力させていただく方法を協議。


午後から、日ごろ棚上げにしている事務的な仕事を済ませ。防府市のトヨタでオイル交換など。


『いまやるべきことをやる』



「この秋は雨か嵐か知らねども今日の勤めに田の草を取る」

 疎開先での少年時代、私は農業に携わり、この歌に詠まれたような生活に耐えてきました。

 丹精込めて育てた作物が、収穫寸前に災害に見舞われて、努力が報われないこともしばしばでした。しかし、諦めずに努力し続けてきたからこそいまの私がいます。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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萩焼窯元を訪ねた

きょう夕方、前の会社女性社員さんたちが農園に集まり歓談。その後にホタルを観賞してお別れする催しを計画している。

土曜日の配達コースからは遠回りになるが下関の唐戸魚市場に魚の買い出しに行くことにした。幸い予算内で12名分3種類を買うことができた。家内が刺身にする。


美祢市、長門市、萩市を配達して萩焼きの窯元を訪れた。木曜日の下関市内で配達をする方の息子さん。1979年生まれの渋谷英一さん。

1時間あまりおじゃまをして、私には全く知識のない萩焼を観賞させていただきお話もうかがうことができた。


私のイメージ萩焼は、茶色の器だったがさまざまな色やカタチが並んでいたことに驚いた。お茶席の道具だけではなく観賞する萩焼を目指しておられるように感じた。

彼の陶歴は検索してご覧ください。


防府市。タマゴのお客さま、ハッピー避妊手術など愛犬を診てもらった動物クリニックにゆきちゃん避妊手術を問い合わせた。

生後3ヶ月を過ぎたら早めに済ませたほうが病院嫌いになる可能性を減らせるとお返事をいただいた。

今月中頃にその3ヶ月に達する。


『良知』


「慮(おもんばか)らずして知る、これ良知なり」

 これが正しいか正しくないかということを、いちいち考えてみたり、人に聞いてみたりしなくても、常識でわかる。これが「良知」だという言葉です。

 昔の人は、学問はなくても、みんな「良知」を持っていました。ところが高学歴社会が進むにしたがって「良知」、つまり常識がなくなり、世の中が乱れるようになったと思います。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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豪雨で井戸の水位回復した

きのう午後のプチラボベーカリー https://petitlabbakery.com/ 今週3回目のお届け。お昼に下関市内「あの米店」に配達。いなり寿司を買い占めてクーラーボックスに入れて加奈ちゃんのお店に差し入れた。


午後2時。買い求めたパンとコーヒーなどを楽しむ人たち。次々にお客さまが来店される。その全部のお客さまと会話をかわす加奈ちゃん。

安くつくって高く売ればよい、たくさん売れたらよいではないことがお客さまに理解されている。自慢の酵母を抱いて一枚撮らせてもらった。


渇水で昨夜の井戸は取水危険水位(井戸の中に発泡スチロールを浮かせて長い棒をつけて、水位が見える仕掛け)になっていたが風呂も水洗トイレも遠慮なく使った。

タブレットアプリの雨雲でみると豪雨が間近に来ていた。深夜から屋根を叩く雨脚が激しくなった。山口県と宇部市から次々と大雨情報が入り、厚東川ダムの情報も届いた。

朝7時、井戸の水位は最高まで回復した。


明け方に落雷があった。ゆきちゃんの反応に耳をすましたが大騒ぎしなかった。枕元のハッピーは震えていた。


散髪で小郡。さっぱりして楠の温泉に立ち寄った。気持ちがゆったりすると日ごろは気がつかない、いま自分が歩んでいる足元をみることができた。よい時間を過ごした。


農園に戻り部屋とトイレ掃除。

午後からBSで映画「ジャンヌダルク」を2時間半。ほんとうはやる仕事があったが観た。

ひとつの事柄。それにはさまざまな原因や理由がある。その事柄を神様の啓示として、自分が主人公の原因。自分が主人公のシナリオに物語をつくりあげることができる。そのことを作品がわからせてくれた。

その類い。私の人生にはたくさんある。


『不都合をバネに』


 好きな物ばかり食べておりますと、人間の身体も不健康になります。好き嫌いせずに、バランスの取れた食事を摂るからこそ、健康を維持することができます。

 企業も同じです。好き勝手に経営していては会社はよくなりません。不都合なことも受け入れて、工夫改善するところに新しい細胞が生まれてくるものです。

 不都合が会社を強くします。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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陽雨(ヤンウ)さん訃報

李陽雨(イ・ヤンウ)さん訃報が届いた。猿舞い座の村崎修司さんから陽雨さん闘病は知らされていた。

ヤンウさんとは、黄栄作さん(故人)が農園に連れてきた。大男がギターを弾いて歌う。オハコは「よいとまけの歌」と「リムジン河」ヤンウさんが豊浦の公民館でミニコンサートを催した。福島県から「影法師」という三人組フォークソングのグループと呉明美(オ・ミョンミ)さんが登場。ミョンミさんとは以来親しくお付き合いしている。


豊浦の鬼が城山麓がヤンウさんの桃源郷。彼が生まれて育てられたは炭焼きを営んでいた両親の生活基盤がここだった。炭焼窯のぬくもりを歌にした。

沖縄や広島などコンサートを終えたら酒をさげて農園にこられた。ヒョンニム(兄貴)と慕う申さんを伴って来た夜は覚えている。茶碗でマッコリを飲んだ。その茶碗を申さん箸でたたいて韓国各地の歌いかたアリランを熱唱した。アリランは各地で歌いかたがちがうことを知った。


ヤンウさんのご縁で猿まわしの村崎修司さん。永六輔さん、小沢昭一さんたちが大道芸能の猿まわし復活を計画。京都大学もプロジェクトに加わり村崎さんが本仕込みといわれる猿まわしを復活された。私のチャンネルでは出会うことのない高石ともやさんともお会いできた。子供さん(障がい)を励ますこともありホノルルやトライアスロンに挑まれることを尊敬していますと手を握った。高石さんからお葉書を頂戴した。


最近、なんとなく疎遠になっていた。ヤンウさんがつないでくれたご縁が私の宝物になっている。ご冥福を祈ります。


きのう炎天下4時間の草刈り、約一リットルの水を飲んでやりきった。

ふつう、それだけやれば疲れると予想する。私は予想と実際はちがうと思っている。案の定きのう夕方は疲れたが今朝はどこも身体に支障なく元気に目覚めて木曜日をおえた。

「疲労」と「疲労感」は別物という私の持論。


『そのうち一気にまとめて』


 きれいに洗った車で出かけても、すぐ汚れることもあります。それでも洗って

出かけるようにしております。

 人間というのは「今日はもうじき雨が降りそうだ」「明日は降りそうだ」「近いうちに降りそうだ」などと理由をつけて、「今日はまあいいか」となりがちです。そうなると、「そのうち一気にまとめてやろう」などと言って結局やらないものです。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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運転6時間 草刈り4時間

月曜日の早朝ウォーキングでトンボが撮れたのでブログに残しておきます。

たまたまカメラを持っていました。もっとズームアップするとボケてしまい、このズームが鮮明に撮れる最接近でした。来月でカメラを使いはじめて1年になりますが、親切な機能を使いこなせていません。


きのう夕方、地元の猟師さんが農園内に仕掛けたワナを点検に来られた。半年で20数頭を農園で捕ったがまだ相当数のイノシシ生息している痕跡が各所にある。雨が降らないので足跡でイノシシの大きさはわかり難いが大物がいると話された。

農園には出没していないが、ハクビシン、アライグマ、アナグマは数を増していると説明してもらった。


農園守備隊は老犬ハッピーとゆきちゃん。このメンバーでは不安がつのった。


きょうのミッションは草刈り。

3時に起きて配達の支度。6時に農園スタートして下関市安岡や新下関に長府と清末を走りお昼に農園。

昼ごはんは10分で終えて草刈り。土曜日の夕方は前の会社の仲間たちがホタル見物。日曜日の午前はスペシャルオリンピックスの面々10数人が来園。隣接の耕作放棄地が荒れ放題で見ぐるしい。

農園最強の草刈りマシン ハンマーナイフを使って4時間、ミッションは終わった。


ラジオ。毎朝の楽しみは、アンカー才女の藤井彩子アナ「すっぴん」水曜日は能町みね子さんとの掛け合い。能町みね子さんのやわらかい感性にファンの私。きょうも耳を大きくひろげて楽しんだ。



『掃除のコツ』


 掃除のコツは、範囲を限定して徹底することです。


 たとえば、Pタイルを一日一枚だけとか、あるいは廊下を一メートルずつというように一部分ずつ区切ってやることです。そうしますと、汚いところときれいなところがはっきりするので、後がやりやすくなります。一遍にやろうとしてもできるものではありません。やってもすぐ元に戻ってしまうだけです。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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アイドル犬 ゆきちゃん

ゆきちゃん、目に見えて成長する。「座れ」「待て」は理解できる「来い」ができたらそれでよい。

ハッピー、私が遊びで教えた「ごろん」が上手。遠くから「ごろん」と命令したら横たわる。


ゆきちゃん個性はなんといっても顔。白目がクッキリと出る。目のまわりを強調する化粧もしている。

見かけは吉本新喜劇かもわからないが、忠犬を志しているかもわからない。

来園されるお客さまのアイドル犬になっている。


私がゆきちゃんを最後まで世話をする。その決心をして受け入れた相棒。


加奈ちゃんから早い時間に電話「おいちゃん。卵が足りんようになった、きょうの配達は無理じゃろうね」と。

加奈ちゃんプチラボベーカリーの配達は木曜日だった。お店がオープンして配達のペースが増えて届ける数がどんどん増えてきた。

きのう月曜日の早朝スポット配達でたくさんの数をお届けした。お店は日曜日と月曜日がお休みでも、月曜日はスタッフ全員集合で8時過ぎから忙しくしている。


明日は下関市の配達を終えて美祢市に行くから11時前後になると言うと「わかった。お願いします」と言った口調が気になった。

山口市内の配達を終えて農園に戻る途中、十文字交差点まで加奈ちゃんオーダーの卵を家内に運んでもらった。気合いを入れて美祢市に向かった。


3時過ぎの店内はお客さまで賑やか。筑豊のナンバープレイトの赤い乗用車がうろうろしていたので駐車場に誘導した。

加奈ちゃん、私が届けた卵にやっぱり大感激。あの満面の笑みで「おいちゃん!ありがとう!」の大声が店内に響いた。次の配達は木曜日。


万里の長城。入場制限がはじまるらしい。20数年前に訪れたときでも人のなみに押されて歩いた記憶がある。

京都の観光地もまさに混雑の極限状態。例えば金閣寺は行列のなかで動くしかなく、私はとても後味のわるい拝観だった。

日本の観光地も人数制限してほしい。


『苦しみの対処法』


「苦しみは、人に打ち明けることによって半分になり、喜びは人に話すことによって倍になる」といわれます。


 喜びはともかく、苦しみは人に打ち明ければ、苦しむ人が二人になるだけのことだと思います。


 苦しみはできるだけ自分一人で背負い込み、周囲の人まで巻き込まない。


 そんな生き方が、見失ってはならない大切な作法だと思います。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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みやた農園余韻

みやた農園。藤野先生カメラ。


私は48歳のとき農園の土地を買い求めた。50年前に川の氾濫で6軒のお茶栽培農家全部が離農した荒れ放題の場所、約3000坪をひとりで地形がわかるようにした。さいわい巨木はなかったので草刈機と鉈に鎌とチェーンソーでなんとかなった。約1ヶ月ほどで地形があらわれた。当時の体力は私の人生で最高のアクセル全開だった。


実は、この土地を買う前に「買ってくれんか」と持ちかけられた山があった。ただし条件があった「ワシの親はまだ病院におる。息子が山を売ったことが耳にはいると困る。ワシとあんたの二人でやりとりせんか」高くはないので買う約束をした。人手を集めてその山を切り開き農園をつくる準備にとりかかった。

すると地域から養鶏は、臭い、汚い、やかましいとクレームがついた。それは、この地で養鶏をはじめる準備をしますと地域に挨拶をしなかったことがネックだった。

地主と私との約束で山を開墾したツケがこれだった。結局、売買は成立せず開墾した人手に支払った多額のお金は無駄になった。


とにかく自分が汗をかいて土地を手にいれようと腹を決めた。そしてこの地にいきついた。さいわい離農した6軒の皆さんはご存命だったのでご自宅をさがして買わせてくださいと頭をさげた。値段は私が決めた。荒れ地のすべてを買い求めてから自力で開墾した。


宮田夫妻。大島で巨木が根をはる放棄地を開墾した。主人がチェーンソーで倒すとき、奥さんは身体にロープを巻いて倒す方向を手伝った。倒した樹は五右衛門風呂の薪になり、その灰は畑の肥料になったとあっけらんかに奥さんが話された。

私の開墾はその足元にも及ばない。けれども夫妻でどれだけの汗をかいたかは想像できた。


奥さん「正樹さん」と言うし、呼ぶ。その正樹さんを見つめる目が信頼と尊敬に私には見えた。農業の原点を実践するご夫妻。新田次郎、野中夫妻「芙蓉の人」が重なった。


午後から睡魔が猛烈にやってきた。小野田バイパスの7ELEVENまでは車をとめずに走った。とめた瞬間に眠りに落ちた。夢をみた時間は3分。頭がスッキリ、ハッキリした。店内でホットコーヒーを買った。


『開放的な社会』


 閉鎖的な組織は、雰囲気も暗くなり、世間の常識から外れた自分たちだけのルールで動く傾向があります。反対に、開放的な組織は、他者を受け入れ、皆が明るく立ち振る舞っています。社会の閉塞感を打ち破るには、人も組織も明るく開放的にすることが先決です。


 そのためには、自分だけよければいいという考えを捨てることです。他者を受け入れる広い心を持つことです。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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たいせつな勉強をした

貨物船が大橋に接触して島のライフライン(水道など)が長期間途絶えたことで全国に知られた大島。

その大島で耕さない、雑草と共生する、スコップひとつで営む農業を夫婦で営まれているみやた農園訪問ツアー。藤野先生と私の車で総勢8名。


宮田さんは、鹿児島大学で農業を学びセネガルに青年協力隊として赴き農業指導をされた。奥さまも協力隊でセネガルだったと記憶している。

私が就農した20年前、彼は農業近くの山あいでお米、野菜、養鶏を営んでいた。たまに「うまい酒が手にはいった」と夜に農園を訪れてくれ酒盛りをした。酔うとアフリカの歌や踊りを延々とやった。


農園も大きな被害を被った台風災害のとき、彼の生活基盤は崩れた。子供が生まれて間もないときだったので農業はあきらめた。農業高校で教鞭をとる生活になったが、夫婦で目指す農業をやりたくて大島に移住し、昔は農地だった荒廃した場所を借り受けて重機を使わずに開墾。


その農業に一途な夫妻の姿と現場に行くツアーを催した。藤野先生がすべてだんどりくださった。


NHKのテレビ番組で「人体」についてのシリーズがあった。目から鱗の連続。例えば臓器は細胞もふくめて互いに情報を共有していること。考えることは脳ミソとはちがう臓器であること。腎臓がどれだけ重要な働きをしているか。


宮田夫妻の話も目から鱗。地中の微生物が意思を伝達しながら自然界を支えている。その物語を体験を交えて現場で話してくださった。開墾のとき重機を使わない理由は、微生物に負担をかけたくない。そのこともわかった。


地球と一緒に人間も生きていく基本を大島で教えていたただいた。写真は宮田夫妻。


『立場の弱い人』


 仕事上、軽視されがちな立場の弱い人に対して、傲慢な態度を取る社員がいたら、私はこっぴどく叱ります。


 私もこれまで散々、他人から屈辱的な目に遭わされてきました。それだけに、仕入先、郵便配達人、出前の配達人等、会社に出入りされる人に接すると、昔の自分とダブって目に映ります。


 社員がもし、傲慢な態度で接するようなことがあったら、私は許しません。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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6月 元気にすごしましょう

極楽寺掲示伝道が6月に更新されました。


天地自然の営みを、私の都合で良し悪しを決めてしまう。そうではなく、降っても照ってもそれを受け入れる生き方を示されているように思った。


午後から金光教小野田市教会参拝。こちらの教会にお参りされるご信者さんのお嬢さんが小児水頭症。小野田記念病院で手術の1週間前に教会長と宇部市の居酒屋でそのことを知った。


私は被災地神戸に奉仕に赴いたとき、神戸子供病院副院長と金光教がご縁で名刺を交わし出版のお手伝いををした。そのドクターは水頭症手術では世界的に知られていた。


お嬢さんの手術はドクターの手配で久留米の聖マリアンナ病院で金光教の医師が執刀した。


その一連の出来事を、きちんと記録しておきたいと思い小野田市教会で教会長、水頭症だったお嬢さんと母親の3人で物語の検証をした。私が知らなかった神様の足跡が現れた。


『枠を使い尽くさない』


 与えられた枠は、使い尽くさないように気をつけています。


 たとえば、約束の時間十分前に行く。借りたお金は約束日前に返す。いただいた面談時間五分前に用件をすませ、退席する。一千万円の借入枠があったら、八百万円にとどめる。


 いつもこのようなことを心がけていますと、ますます自分に与えられる枠が広がってくるようになります。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)

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