わが子が逝ったぞ

3時前に起きた。きょうのスタートは、熟睡のゆきちゃんをおこしてシッコからはじまった。4時は携帯電話が自動起動する。ショートメールが届いていた。


18日夕方、定春が肝臓癌で亡くなりました。届いた携帯電話番号は登録していない。迷惑メールと決めて配達や朝ごはんの支度をしていた。そのとき思い出した、ハッピー7匹の子供を引き受けた人のなかに防府市の女性が命名した「サダハルちゃん」何度か対面した。一番ハッピーと似ていたことを思い出した。すぐに返信メールを出した。


我が身をけずって子育てをした。その現場に立ち会った人たちが子供を引き受けた。ハッピーにそれを知らせる術はない。


世界中の街をタクシーで走りながら、ドライバーとの問答と景色を楽しむNHKテレビ番組BS。今回は函館が舞台だった。女性ドライバーに最近乗せたお客で印象的だったことはあるかと聞くと。ハンドルを握りながら「いわゆる色町で働いたという90歳ちかい年輩女性グループ。少しお酒も入っており歌いはじめた」よほど心に残ったらしい。歌えないけど歌詞は覚えていると。

🔶ゆうべ父ちゃんと寝てみたら 変なところに芋がある

ここでドライバーは恥ずかしくてやめた。私はその歌詞に節をつけて歌った。

🔶父ちゃんこの芋なんの芋 ぼうやよく聞けこの芋は ぼうやつくった種芋よ


家内が驚いた。以前も「ノーエ節」を、富士の白雪が三島にそそぐまでの長い歌詞を全部覚えていたこと。

私が幼いとき、当時の山口大学官舎と呼ばれた長屋が住まいだった。母子家庭で騒いでも遠慮がないと思っていたのか職員の溜まり場だった。カラオケもない当時、酔ったらバケツや洗面器を叩いて歌って踊って騒ぐ。学生もファィアーなんとかで運動場で火柱をあげて大騒ぎをしていた。


タバコの煙とバケツを叩いて騒ぐ。布団をかぶって寝ようとしたとき覚えてしまった宴会ソング。幼いときの経験は否応なしに刷り込まれている。品の悪い踊りのレパートリーはある。


安岡から清末に長府を走り終えた。温泉で疲れを癒して木曜日をむかえたい。農園近くの温泉は第三水曜日は休み。美祢市於福温泉に行った。500円の料金が半額だった。湯上がりの休憩室はやっぱりトドが雑魚寝状態。このあいだで寝たらオナラ攻撃がある。

トイレ横にソファーがあった。ここで30分熟睡できた。


『苦境時の心構え』


 人も企業も、一直線上で伸びるということはまずありません。必ず停滞するときがあります。ときには落ち込むこともあります。

 そんなとき、どういう心構えでその時期を過ごすかが大切なポイントです。

 基本は「工夫次第」「自分次第」という考え方です。

 心構え次第で、人生も企業もよくなったり悪くなったりします。


(PHP研究所:鍵山秀三郎「一日一話」より引用)