沖縄慰霊におもう

月曜日と木曜日が定期納品。今朝もたくさんお届けに行った。お店は日曜日と月曜日が定休日。けれども今朝の8時、元気いっぱいのスタッフ3人とゆいちゃん(結斗)でお店は賑やかだった。

ゆいちゃん、保育園よりママと一緒がよいと甘えてママの負け。https://petitlabbakery.com/


きのうは沖縄慰霊の23日。

復帰直後から戦没者ご遺骨収集奉仕に毎年2月に通った。4月から6月までの2ヶ月間で20万人もの民間人と軍属が命をおとした。この気温で放置されたご遺体。今を生きる私には想像ができない。

糸満市の海岸線山野にはまだたくさんのご遺骨が野ざらしになっている。収集がすすまない理由を私なりに思うと。


🔶不発弾が多く危険。摩文仁の周辺には1㎡あたり6㌧もの艦砲射撃の砲弾が炸裂した。数センチの鉄の破片となって、それを鉄の暴風雨と沖縄の人たちは言う。不発弾もたくさんある。

日本の兵隊さんは自決用に手投げ弾を身につけていた。その火薬はセルロイドに包まれておりいきている。


🔶毒蛇のハブ。冬眠しないが2月は比較的活動が鈍っているので2月に行った。


🔶風葬。沖縄の人は風葬のご遺骨と戦没者のご遺骨は容易に見きわめる。収骨奉仕に行った人のなかには風葬のご遺骨を持ち帰る人もありトラブルになる。


🔶文化のちがい。「うちのサトウキビ畑に遺骨があるから」と地元の方から促されたことが数回あった。他人の遺骨は触らない(怨霊がつく)風習がある。


私の知る限りでは、本土復帰前に戦没者遺骨収集を終える厚生省事業があった。つまり、日本としては「終えた」というお役所仕事がある。勤務時間のなかで山野を歩いた。

その後に数々の奉仕団が収骨すると「以前に終えた収骨現場から細かい骨を集めている」と政府は言う。


それは全く違う。頭蓋骨から足先まで完全一体のご遺骨を私も収骨した。最後は摩文仁で金城サチ子と彫られたセルロイドの三角定規と子供さんの完全一体のご遺骨に対面した。


ご遺骨が家族のもとにお帰りいただく努力を国はやらなければならないと思っている。


鍵山先生語録、しばらくお休みさせていただきます。