すてきなアレンジはニユースタイル本社です

きのう松村御大のお宅で長々と料理とお酒をいただきながら話がはずんだ。話題は政治・経済から掃除や人生に健康談義など会話にベルトがかかりとてもよい時間になった。


「あだちさんは、人の好き嫌いがハッキリしている」と過去数人の人から指摘された。それは「改めよ」という忠告のようだった。それは家内もたまに言う。身についたものはなかなか変わらないし、私は「それがどうした」ぐらいにしか思っていない。


私が「ふくの総大将」と尊敬を込めている。きょうも全国ニュースで「下関でふくの初競り」と報じられほど「ふく」を下関ブランドにされた。

その人生を振り返り、唐戸魚市場小野社長(萩市)が就職したが続かず萩に戻った松村青年に、市場に来いと声をかけてかけたのは、松村野球少年を知っていたからというご縁。

一番下っ端社員からはじまり、私がご縁をいただいたときは「松村専務」と「中尾常務(前下関市長)」の時代だった。


社長から会長を経て肩書きに幕がおりた。


眼力、目的をすすめるときその人材配置が的確にできる器が大きい御大と思う。私は「好き嫌い」があり、つまり器がこまい。

好き嫌いではなく、その人物が輝く長所を見抜く眼力を持っておられる。それを盃を交わしながらの会話であらためて感じた。


配達初めは山口市。


配達人として、お客さまに不愉快な気持ちにはさせない言葉遣いなどプロフェッショナルをめざしたいのが今年も目標。


数年前のことをあらためて記しておきたい。


9時すぎの山口市内の飲食店。シャッターを持ち上げるために必要な鍵をオーナーから渡され毎週シャッターを上げてサッシを左にスライドして店内に入っていた。

その日、スライドのサッシが重いが力を込めたら動くので動かしていたとき軽くなった。そのときグラスや取り皿などが割れた激しい音がした。


サッシが重かったのはテーブルがサッシのレールに置かれていた。テーブルをひっくり返した。そのテーブルには餃子の取り皿や調味料に爪楊枝に割り箸があった。店内はどうしょうもない惨状になった。


弁当を食べずに配達を急いでお店に戻り、新聞紙とタオルやハンカチまで使って割れたガラスやジョッキ。調味料など私がここでできる精一杯をした。それでも床の汚れや臭いはどうしょうもなかった。


オーナーにお詫びの電話をしたが留守番電話。それに弁償しますからと頭を下げた。


夜、オーナーから電話。

「すまんかった」ではじまった。

レジの売上があわない日があり、店の者にわからないよう店内が撮れるカメラをつけていた。その映像を再生した。


照明の具合を電器店に頼んだ。その店主がテーブルを使って土足で照明を調整してそのまま立ち去った。それが原因だった。

あだちさんが掃除する姿をみた。申し訳ない、私が謝る。


「たまご」を配達しているその「道」を歩んで行きたい。


写真のすてきななアレンジはニユースタイル本社。