ヤギさんから見おろされ

 震災で教会が半壊、後日に全壊した金光教岬教会、福原道茂師が浜山小学校避難所の運営メンバーに加わっておられた。私たち金光教のご縁で避難所でお手伝いする者たちは福原先生の指示に従って動いた。早いうちに工事現場使われるプレハブの教会が有志により建てられ朝夕ここで祈った。

 全国から金光教有志が神戸に集まり、それぞれがご縁のある場所で瓦礫の撤去や避難所手伝いなどを力強く展開していた。


 ある時「四国の松山からお手伝いに参りました」と70歳を越えた横山という小柄なおじいさんが仮設の教会に着かれた。

 

 小学校の教室で私たちと寝食を共にした。横山さんのお手伝いは、当時は1500人ほど地域の皆さんがおられた。そのなかには子供たちが大勢いた。その子供たちに笑顔で「おはよう」と声をかけて手を握る。昼間は子供たちの遊びにはいる。それが横山さんのお手伝いだった。

 些細なことで口論がはじまるようななかで横山さんの存在は子供たちには太陽だったと思う。


 枕を並べて話をした。

 亡くなられた奥さまの介護を病室泊まり込みでしたいたときのこと。病院の近くを走る最終電車の音を聴きながら「電車が走るね」と。


 横山勉強堂という煎餅店を夫婦で営んでいた。いつも生きる支えになったのは最終電車で向かった岡山県の金光教の教会(宇高連絡船)。早朝に教会に着いて神様を拝んだ。


 横山さん夫婦に電車の、レールの音で神様に心がつながった。その話を聴かせてもらった。


 避難所に食べ物が少ないとき横山さんが「食べられなくて死ぬときは尻の肉から細くなる」と私に言われた。

 いま思い返すと、もしかすると過酷な戦地を体験されたのかもしれない。


 山口市から農園に戻る山あいでヤギさんから見おろされた。