ハッピー物語

 「ハッピー物語」


17年前の11月ハッピーをひきうけた。

当時配達していた防府市の小野ペットクリニック玄関わきのケージに薄汚れた犬が座っていた。聞いたら保護犬(メス)で保護した人たちが飼い主をさがすため避妊手術費用をつのって手術に連れてきた。手術が終わり迎えを待っている。

ところが、手術にあわせ検査した結果、強陽性の「フィラリア」に感染していることがわかった。保護したとき授乳中の子犬7頭がおり、保護した人たちはその子犬たちの里親さがもしていることがわかった。

子犬を引き受けてくれる私の関係者があるかもわからないと思い保護した人たちのひとりに会いに行った。


保護された場所は、自衛隊防府北基地そばの住宅。住人はほとんどがご高齢。子犬を引き受けられない事情がわかった。


保護された経緯がわかった。住宅近くのコンビニ裏に広い空き地があり雑草が生い茂っている。梅雨、豪雨で空き地そばの川が増水して溢れだした。

その豪雨のなか、空き地に一番近い三原さんの軒下に野良犬が子犬を咥えて運んできた。7頭。

さいわい三原さんは室内犬を飼っている愛犬家。軒下から追い出すことはせず子犬の成長を見守った。母犬は栄養不足で痩せていたが授乳を続けた。昼間の授乳は、人が来たらすぐ逃げられるよう立って授乳することもあった。


子犬が成長するにつれ、今後どうするかを地域の友だちと話し合う毎日が続き、結論は親犬は捕獲し、その後子犬の里親さがしをする。親はみなさんで避妊手術費用を捻出する。


親の捕獲作戦は、三原さんの庭にある物置小屋までソーセージを置いて中に入ったとき戸をしめて捕まえる。


物置小屋に作戦どおり入り戸をしめた。自宅でチェリーという犬を飼っている柳さんの奥さんが勇気をふるって小屋に入り抱きしめた。意外なことに無抵抗だった。


かわいい子犬たちはそれぞれに里親が見つかり、一番遠くは大島郡の人の家に引き取られた。

問題は薄汚れてガリガリに痩せた母犬の里親さがし。その壁になったフィラリア陽性。


その事情を隠さずたまごの配達先で話して里親さがしをはじめた。事情がわかったうえで美祢市の萬代さんが検討してくださったが自身の高齢を理由にお断りされた。

山口市、美容室グループの糸賀社長に「頼む」と頭をさげてお願いしたところ「わかった」と快諾いただいた。その日、手術を終えた母犬を自宅に連れて帰っている柳さんに「里親が見つかりました」と一報を入れた。

ところがその日の夜、糸賀社長から電話があり奥様に話したところ「すべての世話をあなたがやるなら」ということになった。すまんが、この話はなかったことにしてくれ。


数日後、小野ペットクリニックを訪れて質問した。私は3頭の犬を飼っている。もし、フィラリア陽性の犬を引き受けときのリスクと、陽性の犬が発症するリスクを教えてください。


フィラリア発症の犬はたくさん見てきた。腹水で腹が膨らみ苦しんで死ぬ。いま、犬の心臓にたくさんの虫が寄生している。投薬で虫を殺した場合、その虫が血管に詰まり死に至ることが大きくある。心臓手術で虫を摘出する選択肢はあるが、犬の体力に負担が大きい。

フィラリアは5年で寿命をむかえる。寿命をむかえた虫は死んで心臓のなかで溶けて排出される。いま以上に虫を増やさないよう投薬をしっかり施して5年様子をみたらどうか。

他の3頭は、これまでどおりにフィラリア予防の投薬を毎月続けたら感染はない。


紆余曲折を経て11月の末、柳さんの家に家内と引き取りに行った。この犬に関わった地域の人たちが集まっておりびっくりした。

犬の命名は三原さんご主人が担当で「ハッピー」ドッグフードなど結納の品々が集まっていた。さらに家内にはお礼のエプロンと私には新潟の清酒一升瓶。みなさんに見送られて防府市をあとにした。


農園に戻り結納品の数々のなかに茶封筒。なかには4千円があり「野良犬」から宇部市の犬にしてやってくださいと一筆が添えてあった。


農園到着後すぐに猟犬くずれ(猟銃の音が苦手)「健太」が歯をむいてハッピーに挑んだ。これは儀式だと傍観することにした。さんざんハッピーは突き飛ばされ、噛まれたあとの一撃は健太の前足に噛みついた。それで儀式は終った。農園4頭の仲間入り。


小野先生が「知能指数がたかいかもわからない」と話しておられたとおり、どの犬よりも手がかかならいハッピーだった。農園にきたとき野良犬生活に加えて授乳で6kgだった体重は16kgになった。


農園生活、ひとり寝の私は言うことをきくハッピーをいつのまにか夜は室内犬にして枕元で寝かせた。写真はタブレットで撮っているから6年か7年前の室内犬ハッピー。


高齢と残暑で食欲がおちた。そのようすで、この残暑を越えられない予感はあった。


数日前から食べなくなった。食べさせて体力をつけようといろいろ試みたが「もう食べない」と覚悟を決めた視線を感じた。水は飲む。


きのう9月1日、私にとって鉛をのんだような長い一日になった。


下関から戻った私に目をあけて夕方むかえてくれた。今夜が別れとわかった。

作業場に寝かせてその時を待った。8時ごろ吐血した。高齢で寿命をむかえるが吐血するほどの疾患があったのだろう。あえぐような呼吸から静かな呼吸になった。からだをさすりながらワインを一本あけた。

うとうとして1時半、息をとめたハッピーに気がついた。

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コメント: 2
  • #1

    神田英子 (土曜日, 02 9月 2023 22:29)

    足立さん 寂しいですね。でもよくかわいがってくださいましたね。私も14歳のコロンがいるのでこの猛暑には気を使いましたよ。二匹とも、ごはんを食べない日もありましたが、やっと普通に食べてくれるようになりました。犬は暑さには弱いですからね。電気代も高いですが、命には代えられません。今も除湿26℃にしています。コロンを送るまでは私は死ねません。私は持参金ならず、持参犬付で結婚しましたので主人は大迷惑だったと思いますが、犬のおかげでなんとかここまで生きてこられたような気がします。私も今まで何匹も犬とお別れしましたが、やっぱり寂しいですね。 おつかれさまでした。

  • #2

    あだち です (日曜日, 03 9月 2023 11:40)

    神田さん
    コメントありがとうございます。いつかは必ずやってくる別れです。それはわかっていても辛いものです。