残暑といえるか気温37度

秋吉台や菊川画廊などご一緒した方は絵手紙教室に通っておられます。LINEで届いた「ムクゲ」をみなさんにご披露させていただきます。


小学生の夏の日。道路工事のおじさんがタオルで顔の汗を拭いながら「おい!」と私を呼び止めた「そこの家で時間を聞いてくれんか」腕時計が普及していなかったのかもわからない。言われたとおりにその家の戸を開けて入ったら放されていた大きな番犬に押し倒された。土方のおじさんが気がついて犬を蹴りあげて離してくれた。一瞬の出来事だった。右の腹をかまれた傷跡が今でも小さく白く残っている。


犬は苦手になった私が犬をむかえることになった。前の仕事のとき、防府市の犬好き社員さんが子犬(♀)を「家族にくわえてください」で引き受けた。次女の真砂恵さん(当時、高校生)が「はなちゃん」と命名。

自宅の物置小屋が初日になった。夜、親から引き離されて泣く。かわいそうで同情して側に座っていたら家内が甘やかさないほうがよいと水を入れ私は布団に入った。その夜、家内は物置小屋で犬と寝た。


噛みつかれたこわい犬の思い出から、犬と生活する楽しさを「はなちゃん」が教えてくれた。


20数年前、農園をはじめたとき「はなちゃん」はリードなしで農園生活をはじめた。その放し飼いで野生動物の糞?などから病気が感染した。


その治療は1年で40万円ほどになって、投薬の副作用で内臓数値が極端に悪くなり楽に逝くことができなかった。腹水で腹がふくれたときは生肉を与えたら大量の小便で腹が元に戻った。肝臓や腎臓の働きに効き目があった。命の灯を消そうとしている身体に栄養を与えた結果、暴れて命が消えた。


あのときの教訓から「自然にまかせる」なにも手を出さない、成り行きにまかせることが楽に逝くことができる道だとわかった。


母(96歳)の末期、医師が延命の選択肢を示したが断った。母と私だけなので、兄妹がおればその場で意見がわかれることがあるらしい。できるだけの医療を施して悔いがないようにという意見が出る。それは終わりにむかう人にとってはどうなのか。


日中の山陽小野田市は37度。農園に戻ったら33度。

いま夕暮れの6時すぎ、網戸からはいる風で快適。